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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(前編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-01-18 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。『金田一少年の事件簿』で一躍ヒットメーカーに躍り出た堤幸彦が1999年に手がけた、テレビドラマ史に残る問題作『ケイゾク』。サンプリングとリミックスを旨とし、最終的に自己破壊でしかリアルを表現できないという、90年代の時代精神を体現した作品でもありました。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(前編)
    1999年の『ケイゾク』
     堤の映像は土9のみならず、佐藤東弥、大谷太郎といった日本テレビのディレクターたちに大きな影響を与え、その後の土9のドラマはもちろんのこと、日本テレビのドラマの映像を書き換えてしまったと言っていいだろう。しかし堤は現状に満足していなかった。

     彼らにしたらある種、ショックだったと思うんですよ。ただ、僕自身はずっと土曜9時でやっても、何の広がりもなかったワケです。自分の位置がテレビ的にどうなのかっていうのもわかるし、いくら暴れん坊みたいにやっていても、結局はドラマを作るっていう、ベーシックな仕事の基本はなんら変わらないっていう、そういう意味で寂しくなってきたなと思っていた、ちょうどそういう時期に、渡りに船で『ケイゾク』の話をいただいたんです。なら、もう一回チャンスがあるだろうなぁって、それでやってみたんですね。(1)

     堤が土9の仕事に限界を感じはじめていた頃、蒔田光治の仲介で、TBSの植田博樹と出会う。編成時代の植田は、TBSのドラマが持つ保守性にフラストレーションを抱えていて、なんとか新しいドラマを作れないかと考えていた。そんな時に堤が手がけた『金田一』を見て、これはTBSでは作れないドラマだと驚いたという。 しばらくして、植田はプロデューサーに復帰することとなり、1999年の1月からはじまるドラマを急遽、立ち上げなければならなくなる。その時にTBSでは作れない新しいドラマを作るため、堤幸彦とコンタクトを取る。

     TBSのブランドイメージって僕的には非常に高かったんですよね。第2NHK的というか、絶対、自由に作れる世界じゃないなっていう気がなんとなくしていたワケです。ところが、そこにいた植田という男が、これが、僕が今まで見た中で一番の暴れん坊でね、スレスレの人だったんです。(2)

     視聴率ではフジテレビや日本テレビに遅れをとっていたものの、当時のTBSにはNHKに次ぐ老舗というイメージが強かった。中でもテレビドラマ、特に金曜ドラマに関しては「ドラマのTBS」という圧倒的なブランドがあり、外部ディレクターの堤にとっては、プレッシャーの大きな仕事だったのだろう。 そんなTBSの社員ということもあり、植田に対しても、自分とは違う世界を生きるエリートだと感じ、どこまでドラマ作りに対して本気なのかと様子を窺っていた堤だったが、企画を進めていくうちに植田の情熱は本物だと感じ、やがて意気投合するようになっていく。そして、ドラマ史に残る問題作『ケイゾク』(TBS系)が生まれることになる。
    ▲『ケイゾク』
    ミステリーに対する醒めた視点
     『ケイゾク』は、東京大学法学部を首席で卒業した警部補・柴田純(中谷美紀)が迷宮入り(ケイゾク)となった事件を専門に捜査する部署・警視庁捜査一課弐係に配属されるところから始まる。
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(後編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-21 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は『金田一少年の事件簿』でブレイクした堤幸彦を、押井守や村上龍、小林よしのり、秋元康などとならぶ1955年生まれの作家、すなわち「60年代の革命と80年代の消費社会の間に宙吊りにされた世代」という側面から捉え、彼らの作品に滲み出る革命への〈憧れ〉と〈断念〉について考えます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(後編)
    人工的でありながら生々しい映像
     堤幸彦は自身の映像について「主義主張としてやっているわけじゃないんですよ」(4)「自分に似合うものを追求していったら、不思議とああいう形になってるということですね」と、インタビューで語っている。(5)  だが一方で、ルーティーン化されてきた映画やドラマの撮影方法に対する不満と反発をずっと抱えており、いかに効率よく自分ならではの制作体制を作り上げるかに腐心していったとも語っている。
     「テレビドラマの仕事人たち」の中でインタビューを担当した上杉純也は、堤の演出の特徴を以下のように書いている。

     極力スタジオセットを避ける、スタジオで撮る場合でもセットは全部天井ありの4面総囲みにする。それは“人間の視点に一番近い映像でなくては、アニメやCMには勝てない”という思いからだった。(6)

     堤は『金田一』の際に、マルチカメラ(複数のビデオカメラを使ってマルチアングルで撮影する手法)で、スタジオに組んだセットで撮るという、既存のテレビドラマの手法ではなく、オールロケで一台のカメラで撮影していくという手法を選択した。  また、当時のテレビドラマとしてはカット数が多く、下から煽るようなアップや、魚眼レンズの歪んだ映像で顔を撮影するような、奇抜な構図の映像が多かった。これは堤がミュージッククリップで試してきた手法を持ち込んだものだった。カット数の多い堤の映像はリズミカルで、その切り替わり方に音楽的な快楽がある。  『金田一』第2シーズンではマンネリを避けるために、演出がより過激化したと堤は語っている。

     例えば“犯人はお前だ!”っていうのも“は・ん・に・ん・は・お・ま・え・だ・!”って10カットくらいになったり、縦にカメラがグルグル回ったり。まぁ、小難しくても、小学生が楽しめる作品にはなったと思いますけど」(7)

     また『サイコメトラーEIJI』では、照明を使わずにノーライトで撮影しているが、これは当時としては画期的な一つの事件だった。  当時のテレビドラマが、映画と比べて映像面で劣ると言われた理由は、照明に時間を割くことができず全体にライトを当てるため、陰影のないぺらぺらの映像となっていたからだ。この点を逆手に取り、あえて照明を使わずに撮影すると、ザラザラとした映像となりブロックノイズなども出てしまうが、それが逆にドキュメンタリー映像のような生々しさを生んでいた。
     こうした堤演出の特徴をまとめるなら、下記の3点だろう。  1. 奇抜な映像でカット数が多い。  2. オールロケ  3. 照明を使わない手持ちカメラの映像
     そして『金田一』の時点ではまだ控えめだが、『池袋ウエストゲートパーク』以降になると、小ネタを多用したアドリブ混じりの軽妙な会話劇が劇中に持ち込まれるようになっていく。
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(前編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-14 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。1990年代ドラマの寵児だった野島伸司と、入れ替わるように台頭してきた堤幸彦。1995年に「土9」枠で手がけた『金田一少年の事件簿』は、以降のキャラクタードラマの時代を先駆けた画期的な作品となりました。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(前編)
    1995年の『金田一少年の事件簿』
     1990年代後半、失速する野島伸司と入れ替わるようにテレビドラマの世界で頭角を現しはじめたのが、『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系、以下『金田一』)でチーフ演出を務めた堤幸彦だった。
     『金田一』は少年マガジン(講談社)で連載されていた人気ミステリー漫画をドラマ化した作品だ。横溝正史の推理小説『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』に登場する名探偵・金田一耕助を祖父に持つ高校生・金田一一(はじめ)が主人公となり、行く先々で起こる殺人事件を探偵として解決していく。
    ▲『金田一少年の事件簿』
     1995年4月にSPドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』として放送された本作は7月から連続ドラマが放送。その後、SPドラマ、第二シーズンが放送されたのちに映画化されて大ヒットとなり、堤幸彦は日本テレビから社長賞を受け取っている。 堤が手がけた『金田一』シリーズはここで終了したが、その後も『金田一』は二度もリブートされる人気シリーズとなっている。
    『金田一』が切り開いたティーンズドラマ
     『金田一』は様々な意味で画期的な作品だった。 本作が放送された日本テレビ系土曜9時枠(土9)は、もともと『池中玄太80キロ』や『熱中時代 刑事編』などが放送されていた老舗のドラマ枠だった。しかし1988年に土曜グランド劇場として、リニューアルして以降は、当時流行っていたトレンディドラマテイストの女性をターゲットにした作品を作るようになる。堤幸彦も演出として秋元康が企画した『ポケベルが鳴らなくて』や『そのうち結婚する君へ』といったメロドラマを手掛けていたが、後発ゆえに苦戦し、他局との差別化に苦しんでいた。 そんな中、野島伸司が企画した『家なき子』が大ヒットしたことで、ドラマ枠の方向性が大人向けの作品から10代のティーンエイジ向けの作品へと大きくシフトすることになる。その結果、生まれたのが少年漫画を原作とする『金田一』だった。(1)
     『金田一』が果たした役割はいくつかあるが、商業面においては、仕事と恋愛が中心だった日本のテレビドラマに、漫画やアニメを楽しんでいたような男性視聴者のマーケットを切り開いたことが大きな功績だろう。
     1970年代から80年代前半にかけては、人気刑事ドラマの『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)や松田優作が主演を務めた『探偵物語』(日本テレビ系)のような男性視聴者に向けた男臭いドラマが多かったが、80年代後半になりバブル景気が盛り上がっていくと、トレンディドラマのような社会で働く女性にとっての仕事と恋愛を描いたものが増えていった。その結果、いわゆるF1層(20~34歳の女性)に向けた作品がテレビドラマの中心となっていく。当時は邦画も低迷期だったため、若い男性の多くはハリウッド超大作か、漫画・アニメ・ゲームといったオタクカルチャーへと、関心が向かっていた。 そんな状況下において、少年マガジンのミステリー漫画を原作とする『金田一』は、劇中の犯人を推理するというゲーム的な要素が受けて、普段はドラマを見ない男性視聴者からの支持を獲得したのだ。  同時に、主演を務めたのが、ジャニーズ事務所に所属する男性アイドル(以下、ジャニーズ・アイドル)の堂本剛(KinKi Kids)だったため、アイドルファンの女性視聴者の取り込みにも成功している。 つまり本作は、男性アイドルを主人公にした「アイドルドラマ」の始まりでもあったのだ。 今でこそ、テレビドラマの主演をジャニーズアイドルが占めることは当たり前となっている。しかし、当時はSMAPの木村拓哉が『あすなろ白書』(フジテレビ系)等の恋愛ドラマに進出し始めたばかりの時期で、堂本剛も同じユニットの堂本光一と共に『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら〜』(TBS系)に出演していたが、それはあくまで例外的なもので、俳優とアイドルの距離は、今よりも大きく隔たっていた。本木雅弘が本格的に俳優業をスタートするのは、シブがき隊を解隊してからであり、アイドルでありながら俳優としても活動するというスタイルが成立するようになるのは、SMAPによってアイドルが歌、バラエティ、司会、俳優といった多ジャンルを横断しながら活躍できることが証明されてからである。

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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-07 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。阪神淡路大震災にオウム真理教事件と、戦後日本社会の繁栄を揺るがす出来事が相次いだ1995年。その時代の空気に呼応するかのように、TBS金曜ドラマ枠の『未成年』や「土9」の先駆けとなる日本テレビ系の『家なき子』では、野島の作風は自閉的な肥大化に向かっていきます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点
    1995年の『未成年』
     ここまでの野島ドラマの特徴をまとめると、以下のようになるだろう。
    ・子どもや少年・少女といった「無垢なる存在」への憧憬。 ・社会から開放された仲間たちだけで暮らす疑似家族的共同体の構築。 ・愛する者を守るためなら「暴力も辞さない」という覚悟。
     つまり、「無垢」、「共同体」、「暴力」の3点こそ、当時の野島が70年代的な表層の奥底に抱えていたテーマだと言えるが、この問題意識を極限まで突き詰めたドラマが『未成年』だ。
    ▲『未成年』
     1995年の10月から金曜ドラマで放送された『未成年』は、野島ドラマの臨界点とでも言うような作品だ。それは95年という時代とも完全にシンクロしていた。 物語は、父との関係がうまくいっておらず、優秀な兄・辰巳(谷原章介)にコンプレックスを持っている高校生のヒロこと戸川博人(いしだ壱成)が、ライブハウスの警備員のアルバイトをしている時に知りあった女子大生・新村萌香(桜井幸子)と出会うところからはじまる。 萌香は兄の恋人だが、心臓に疾患を抱えており性行為ができない身体だった。そんな萌香に惹かれていくヒロ。そして彼の周りには、クラスメイトのインポこと田辺順平(北原雅樹)、ヤクザの構成員のゴロこと坂詰五郎(反町隆史)、デクこと知的障害者の室岡仁(香取慎吾)、進学校に通いつつ母親からの過干渉でノイローゼになっている優等生こと神谷勤(河合我聞)といった、それぞれに深い悩みを抱えた少年たちがおり、やがて立場を超えて深い友情で結ばれるようになる。
     あるとき、デクがゴロから預かった拳銃で銀行員を誤射してしまったことから、ヒロたちは銀行強盗だと誤解されてしまい指名手配されてしまう。しかし家にも学校にも居場所がないヒロは、デクと一緒に逃げようと言う。そして一度は自首を勧めた仲間たちも、家にも学校にも職場にも居場所がなくなり、この世界から逃げ出して山奥の廃校で暮らそうと決意して、ともに家出をすることになる。 夜中に仲間たちが先に乗り込んだ貨物列車に乗り込もうと走るヒロの姿に「知ってるかい? 知ってるかい? これから何もないとこ目指すのさ」「知ってるさ、知ってるさ、そこにはきっとホントのことしかないってことを」というモノローグが被さる。 廃校での暮らしは、はじめは順調に思えた。しかし、田畑瞳(浜崎あゆみ)の出産準備をする中で、神谷がノイローゼになって火炎瓶を作って「戦いの日は近い」と言い出し、妄想じみた革命思想に囚われるようになっていく。 「誰と戦うってんだよ」と言うヒロに銃を突きつけて神谷は「体制さ。歪んだ社会をつくってる国家さ」と言い、その後、ゴロを撃ってしまう。 神谷は、地球と人間を含めた生物を一つの巨大な生命体だと唱えるガイア理論と反体制思想が混同されたような、被害者意識にまみれた妄想を語り、戒厳令を敷くと言ってヒロたちを閉じ込める。 そんな神谷の盲言を、(田畑の出産をフォローするために)廃校を訪ねた萌香が録音してマスコミにリーク。その音声が恣意的に編集されて、ワイドショーで報道されてしまったことで、ヒロたちは革命思想を持った反社会的組織だと誤解されてしまい、やがて機動隊に取り囲まれる。
     廃校に立て籠もったヒロたちが機動隊に取り囲まれる様子は、まるで浅間山荘の立てこもり事件の戯画化のようでもある。しかし、それ以上に連想してしまうのは、95年に連日連夜放送されていた地下鉄サリン事件に端を発したオウム真理教事件だろう。状況を煽るワイドショーの露悪的な見せ方も含めて、よく95年にこれを放送できたなぁと、改めて感心する。
     『未成年』の放送がスタートした95年10月には、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)もスタートしている。ユダヤ教の旧約聖書をベースにした宗教的世界観のもとで展開される哲学的な物語だったこともあってか、『エヴァ』もまたオウム事件と一緒に語られることが多い作品だった。  本作は使徒と呼ばれる謎の巨大生物と人類の戦いを描いたロボットアニメだったが、物語は途中から迷走していき、最終的には主人公の14歳の少年・碇シンジの内面が自己啓発セミナー的な舞台装置のもとで強引に救済されて終わる。
     『未成年』の終わり方も『エヴァ』と同じように、最後に物語を放棄したような展開となり、ヒロの自問自答のような演説の果てに、唐突に終わる。  廃校から逃げ出したヒロは、警察に捕まったデクを助けて無罪を立証しようとする。しかし、その過程で萌香は病気が悪化し命を落とす。 仲間とはぐれ孤立無援となったヒロは、高校の屋上に立つ。 見上げる同級生たちの前でヒロは演説をし、デクの無罪と正当な裁判を受けさせてほしいと訴える。 「俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女、人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことさ。頭の出来や、身体の出来で簡単にはかろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ! 俺たちを比べるすべてのやつらを黙らせろ! お前ら、お前ら自分は無力だとシラける気か。矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は、俺のダチはみんな一緒に付き合うぜ」  その後、ヒロの演説に熱狂したクラスメイトたちの後押しもあってかヒロたちは改めて公平な裁判を受けることになり、物語は幕を閉じる。 長回しで引いた視線から撮影されるヒロの演説は、下から見上げる生徒たちや撮影するカメラマンの目線で描写される。つまり正面から彼の表情を捉えたアップがないのだ。下から見上げる限定された視点は、ドラマの映像というよりは報道番組の映像で立てこもり犯の姿を観ているようである。
     ヒロの姿は、テレビカメラを通じて全国に中継される。『人間・失格』でも誠の葬式の場にワイドショーのリポーターが押しかけ、憔悴した衛に話しかける無神経な場面が描かれたのだが、『未成年』では当時の加熱するオウム報道の影響もあってか、事件を煽る報道の在り方そのものに対する批判にも見える。

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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(3)──作家的到達点としての『高校教師』『人間・失格』 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-30 07:00  
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    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。バブル絶頂期のトレンディドラマ、純愛ドラマというブームの波に乗って、一躍時代の寵児となった野島伸司。フジテレビ系からTBS系に活躍の場を移した野島は、『高校教師』『人間・失格』で、いよいよその本来の作家性を剥き出しにしていきます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(3)──作家的到達点としての『高校教師』『人間・失格』
    要約されることに対する反撥
     1990年代前半に野島伸司が手掛けたフジテレビ系のドラマは、当時の空気を知る上での歴史的資料としては面白い。しかし、音楽の使い方等の演出がトレンディドラマで培った欲望と感情を煽るような広告的な手法と変わらなかったため、手法と描こうとしたテーマが乖離している印象が残る。  大多と野島が当時おこなったことはヒットの要素を因数分解していき、それぞれのパーツをわかりやすく見せることだった。そのため、主題歌、衣装、ロケ地、俳優、キャッチーな決め台詞といった個々の要素が風俗として語られることは多いのだが、今見ると古臭く見えて、現在のテレビドラマの水準と比較すると映像や演出の面で、どうしても見劣りする部分がある。  日進月歩の激しい映像表現の側面から過去作を裁くことがアンフェアなのはわかっている。しかし、当時のフジテレビが作ったトレンディドラマ的手法の最大の問題点として、このわかりやすさ。個々のパーツの順列組み合わせに見えてしまうという弱点については、どうしても指摘しておきたい。
     山田太一は、コラムニストのボブ・グリーンがセールスマンについて書いた露悪的な文章に対して「ひとの人生をそんな風に要約してはいけない」と反撥を感じたことが『ふぞろいの林檎たち』(1983年)を書いたきっかけだと語っている。

     セールスマンだとか三流大学、三流会社だとか、そういう視点で、ひとの人生を要約することに反撥して書きはじめたのが、この作品であった。自作の中でパートⅡを書く値打ちのある世界だと、はじめて続篇を書くことにしたのがこの作品である。結局のところドラマというのは、要約を憎む人々のものなのではないだろうか、(などとドラマを要約すると、それから漏れるものをドラマから沢山感じてしまう人々のものなのではないか、だからこそ論文ではなくドラマを求めてしまうのではないか)などと思うのである。[26]

    ▲『ふぞろいの林檎たち』
     この文章が書かれたのは1988年だが、トレンディドラマと、そこから派生した野島ドラマに対する本質的な批判に読めてしまう。  山田が語っていることは、テレビドラマを考える上でとても重要なことだと感じる。テレビドラマに限らず、現在、世の中に出回っているフィクションは、現実の出来事に根ざした現代的なテーマを扱っているかがジャッジの基準となっており、現実との答え合わせにおける加点法(もしくは減点法)によって作品が評価されがちである。いわゆる社会派ドラマ全盛という状況はトレンディドラマの時代とは真逆の現象だが、どこか表裏一体に思えるのは、そうやってテーマやリアリティに対する作品の態度が抽出される時に、フィクションならではの雑多な魅力がないがしろにされて、受け止める側も箇条書きの情報として処理して「要約」になっていると感じるのだ。  おそらく同じ問題意識を打ち出したドラマが、2017年に坂元裕二の執筆したドラマ『anone』(日本テレビ系)だろう。本作の冒頭、余命半年の男・持本舵(阿部サダヲ)が、医師が(様態が悪い時に患者に)よく言う「止まない雨はありませんよ」「夜明け前が一番暗いんです」といった名言の羅列にうんざりして「自分、ちょっと名言恐いんで」と言う場面があるのだが、この台詞は、本来、ひとつの流れで理解するべきドラマの台詞を断片的に切り取って名言集にされてしまうことが多い、坂元裕二が自身のドラマの消費のされ方に対して苦言を呈しているように見える。それは言い換えるならば、「簡単に要約するな」ということである[27]。
    ▲『anone』
     つまり、いくら大多や野島が脱トレンディドラマを打ち出そうとして、70年代的なものや不幸なシーンを持ち出したとしても、それ自体がわかりやすい商品としてパッケージ化され流通してしまう構造がすでにでき上がっていたため、何を書いても断片が切り取られて、わかりやすく「要約された情報」としてしか流通できないということだ。そんなフジテレビで作った野島ドラマの限界が見えてしまうのが『愛という名のもとに』(1992年)以降の作品で、だから今となっては色あせて見える。
     対してTBS系の金曜ドラマで放送された野島三部作と言われる作品群は、今の視点で見ても、一つの映像作品として鑑賞に耐えうる強度を保っている。
    1993年の『高校教師』

     デビュー当時の僕は、それこそ日本中の視聴者に好かれなければならない、好青年であらねばならないという思いが非常に強かったんです。でも、視聴者とドラマの制作者というのは恋愛関係のようなもので、たとえ一部の人に嫌悪されても、僕の作品を支持してくれて、濃くわかりあえるような視聴者がいるんなら、それでいいんじゃないかと思うようになって…。そのきっかけが「高校教師」の成功だったんです。[28]

     1993年、野島伸司はドラマ『高校教師』を執筆する。野島にとって憧れの場所だったドラマのTBSの金曜ドラマ初登板だった。
    ▲『高校教師』
     物語の舞台は、とある女子校。大学の研究室から生物の教師として赴任した羽村隆夫(真田広之)は二宮繭(桜井幸子)という女子生徒と知り合い、やがて教師と生徒という立場を超えた恋愛関係へとなっていく。しかし繭は芸術家の父親と近親相姦の関係にあった。  物語は羽村だけでなく、繭の友人の相沢直子(持田真樹)と体育教師の新藤徹(赤井英和)、そして相沢をレイプすることで自分のものにしようとした藤村知樹(京本正樹)の関係も同時に描いていく。  教師と生徒の恋愛にレイプや近親相姦といったショッキングな描写が盛り込まれた本作は、過去の野島作品と比べても、過剰に性的でスキャンダラスな物語だった。  しかし映像の見せ方は淡々としていて心理描写は行間を読ませるものとなっている。森田童子の主題歌「ぼくたちの失敗」に乗せてゆったりと展開される自然音を多用した映像には、静謐な雰囲気があり、簡単に消費することができないドラマとしての強さが存在した。

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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(2)──「純愛」から人間の暗部を描く「タブー」破りへ 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-16 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。フジテレビのトレンディドラマ路線を築き上げたヒットメーカー・大多亮プロデュースのもと、坂元裕二とともに頭角を現していった野島伸司。しかしその路線は、1990年代に入ると『素敵な片想い』に始まる「純愛三部作」を機に、大きな転換を遂げていくことになります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(2) ──「純愛」から人間の暗部を描く「タブー」破りへ
    1990年の『すてきな片想い』
     1989年1月7日に昭和が終わり、翌日から平成がはじまると、少しずつ世の中の雰囲気が変化していき、その影響もあってか、フジテレビのドラマも少しずつ変わっていく。  野島に続く形で坂元裕二も柴門ふみ原作の『同・級・生』(’89)で連ドラデビュー。野島真司も89年に明るい学園ドラマ『愛しあってるかい!』をスマッシュヒットさせるものの、既存のパターンを踏襲したトレンディドラマに大多は手応えを感じなくなっていく。そしてトレンディドラマの集大成と言える90年の『恋のパラダイス』が平均視聴率14.4%(関東地区、ビデオリサーチ社)と不調に終わったことで、次の路線を模索するようになる。その結果、生まれたのが野島伸司脚本の『すてきな片想い』である。

    ▲『すてきな片想い』
     本作は大多にとって初めての単独プロデュース作品。本作のコンセプトについて大多は以下のように語っている。

     キーワードは“一途な想い”。  今までのトレンディドラマが華麗な多重恋愛をしながら“よりいい恋”を探していたのに対して、ここでは、届かないかもしれないけど、決して揺れない、一途な恋を描いていこうと思ったのだ。[21]

     本作と、その後、作られる坂元裕二脚本の『東京ラブストーリー』(’91)、そして野島伸司脚本の『101回目のプロポーズ』(’91)の三作を、大多は純愛路線だと『ヒットマン』の中で書いている。  この三作はトレンディドラマと混同されて語られがちだが、大多の中では明確に区分けされている。もっとも大多自身も、トレンディドラマを全否定したわけでなくポイントを変えただけで「リニューアル」だと語っているため、ある程度は地続きなのだろう。しかしここでポイントを変えたことが作り手にとっては重要だった。
     ではどこが変わったのか?
     物語は海苔問屋で働く地味で平凡なOL・与田圭子(中山美穂)と小さなおもちゃ会社で働く野茂俊平(柳葉敏郎)のラブストーリー。二人は友達を介して知り合うのだが、電車の中で野茂に醜態を見られたことがある与田は正体を隠し、本棚にあった小説の作家、林真理子と吉本ばななの名前をもじった、林ナナという名で野茂と話すようになる。  物語はリアルでは与田圭子、電話では林ナナというキャラクターで野茂と接する与田の二重生活がコミカルに描かれる一方で二人の友達を交えた3×3のグループ交際を描いた恋愛ドラマとなっている。  インターネットが登場して以降は複数のキャラクターを使い分けるコミュニケ―ションが当たり前のものとなっているが、そういった感覚をいち早く“電話”で描いていたドラマだと言えるだろう。もちろん、すでにテレクラや伝言ダイヤルは存在しており、1976年の山田太一脚本のドラマ『岸辺のアルバム』でも、間違い電話をかけてきた男と不倫関係になる主婦の姿が描かれていた。そういった先行事例を踏まえると、「嘘」というモチーフをラブコメにうまく落とし込んだ秀作というのが、妥当な評価だろう。  一方、大多が言うような純愛路線として、それ以前のトレンディドラマから脱却していたかというと、当時の筆者の感覚としては、そこまで差があるとは思えなかった。確かに主人公の職業はマスコミ系のオシャレなものでもリッチな金持ちでもないが、華やかさで浮ついた印象は相変わらずだった。
     それでも大多にとっては手応えがあったようで、本作について以下のように語っている。

     このドラマがコケてたら、もしかしたらトレンディドラマは死んでいたかもしれないし、そうなったら現在のテレビ界におけるフジのドラマ黄金時代というのもなかったような気がする。  ドラマの重心を主人公の一途な想いに集中させることによってトレンディドラマは生まれ変った。それを最も効果的に表現できることができるテーマが“純愛”だった。[22]

     大多は「物欲的なトレンディから地味な純愛路線に」[23]路線転換を狙った作品だと本作を解説するのだが、この対比をみていると大多がトレンディドラマの向こう側に、80年代後半に日本で達成された高度消費社会を見ており、その先に来るものとして「純愛」というテーマを持ち出したように見える。  この次に大多が手掛ける『東京ラブストーリー』は柴門ふみの同名漫画が原作だ。当時の柴門は「恋愛の神様」と呼ばれていた。邦楽では90年にKANの『愛は勝つ』が200万枚を超えるヒットとなり、恋愛こそが唯一信じる価値として様々なメディアで語られていた。それを準備したのはトレンディドラマやファッション雑誌が提示した高度消費社会における男女のゲームとしての恋愛カルチャーだったが、そこから発展して恋愛の宗教化が加熱しはじめたのが90年代だったのだろう。その状況を大多は「純愛」という言葉に集約させたのだろう。
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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-09 07:00  
    550pt

    今月から(ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信いたします。大幅にグレードアップした第1部で取り上げるのは、90年代を代表する脚本家・野島伸司。昭和最終年となった1988年のヤングシナリオ大賞でのデビュー当時、バブル経済下の「トレンディドラマ」の時代とどう対峙していったのかを辿ります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として
    転換点としての1995年と「野島伸司の時代」
     1995年は、戦後日本の大きな転換期となった年だ。1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、3月20日にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。  戦後、経済発展と共に治安に関しては世界一と言ってもいい平和大国だった日本に初めて不穏な影が差し込んだ。  また、バブル崩壊により1993年から有効求人倍率は1.0%を切り、95年にはついに0.63倍に。終身雇用と年功序列という戦後の経済成長を支えた日本型の家族経営は機能不全に陥り、新卒採用が見送られ就職氷河期が叫ばれるようになる。後に「失われた20年」などと言われる日本の低成長時代がいよいよ本格化しはじめたのだ。  だが一方で、ポップカルチャーは、遅れてきたバブルを謳歌していた。週刊少年ジャンプの発行部数は653万部を達成。小室哲哉がプロデュースしたアーティストの曲は立て続けにミリオンセラーを記録した。中でも大きな存在感を見せ始めていたのが、アニメーションである。  95年には押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』と大友克洋が監修を務めたオムニバスアニメ『MEMORIES』といった劇場アニメが公開された。大友克洋は88年公開の『AKIRA』が、押井は93年公開の『機動警察パトレイバー2 the movie』がそれぞれ海外でカルト的に評価され、それ以降「日本のアニメはクール」という、ジャパニメーションブームが起き、逆輸入的に国内のアニメを評価する動きが起こっていた。その勢いがいよいよ本格化するのも、この年である。  何よりもっとも反響を巻き起こしたのが、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送だろう。  14歳の少年・碇シンジが、エヴァと呼ばれる巨大ロボット(劇中では人造人間と呼ばれている)に乗って、使徒と呼ばれる謎の巨大生物と戦う本作は、『マジンガーZ』以降のロボットアニメや『ウルトラマン』等の特撮ドラマのテイストを盛り込んだ、戦後サブカルチャーの総決算とも言えるような物語となっており、謎が謎を呼ぶストーリーと登場人物のナイーブな心理描写は、アニメの枠を超えて、あらゆる国内カルチャーに影響を与えた。  一方、テクノロジーとコミュニケーションの面で大きかったのはマイクロソフトのOS・Windows95が発売されたことだろう。今まで一部のマニアだけのものだったパソコンが一般層にも普及し、メール、チャット、BBSといったインターネットを介したコミュニケーションが本格的に始まったのもこの年だった。  つまり、戦後日本が積み上げてきた経済発展が終わりを告げ、不況が始まる一方で、文化面では漫画やアニメといったオタクカルチャーを中心とした後にクールジャパンと呼ばれるような流れが誕生し、その一方でインターネットの登場によるコミュニケーションの変容が始まったのが、この95年だったと言えるだろう。
     そのような激動の年、テレビドラマは、連日のオウム事件に対するニュース報道の影響もあってか、全体的に不調だったとも言われている。しかし、それでも現在(2020年)とくらべると高い視聴率を誇っており、歴史に名を残す話題作も多数放送されていた。  中でも、もっともこの年を象徴する作品だったのが野島伸司脚本のドラマ『未成年』(TBS)である。本作は93年の『高校教師』、94年の『人間・失格~たとえば僕が死んだら~』に続くTBS制作の野島ドラマ。この三作は、野島三部作と呼ばれており、彼のキャリアにおいてはもちろんのこと、日本のテレビドラマ史においても重要な作品だ。しかしそれ以上に『未成年』には、この95年にしか成立し得ない同時代性が刻印された野島ドラマ最大の問題作だった。
     2020年現在、野島伸司はテレビドラマの中心にいるとは言えない存在だ。辛辣な言い方をするならば、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)とコンプライアンス(法令遵守)が叫ばれ、倫理的な振る舞いが一番に求められるテレビドラマにおいて、野島ドラマはとても座りが悪いものとなっている。雑誌等で「今のテレビでは放送できないドラマ特集」を組むと、上位を90年代に野島が書いたドラマが独占することが多いのだが、これは逆説的に彼が時代とズレてしまったことを証明している。  民放プライムタイムで脚本を手掛けたドラマは、2018年の『高嶺の花』(日本テレビ系)が最後の作品となっており、現在は、FOD(フジテレビオンデマンド)で配信されるドラマが活動の中心となっている。  それらの配信ドラマも、表向きは過激な題材を扱っているようにみえるが、かつての求心力があるというわけでもない。どうにも中途半端な立ち位置に今の彼はいる。  しかし、テレビドラマの歴史において「野島伸司の時代」としか言いようがない時代が、かつて存在した。  それは『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)が大ヒットした91年から『未成年』が放送された95年までの5年間である。この時代、なぜ野島ドラマはヒットを連発し、物議を呼んだのか? まずは彼がたどった80年代末から90年代前半の道のりをなぞることで、本書で中心に扱っている1995年以降のテレビドラマを準備した前史について整理しておきたい。

    ▲『101回目のプロポーズ』
    ヤングシナリオ大賞でのデビュー
     野島伸司は1963年生まれの脚本家だ。1988年に第二回フジテレビヤングシナリオ大賞を『時には母のない子のように』で受賞し、ドラマ脚本家としてのキャリアをスタートしている。  ちなみに第一回(1987年)のヤングシナリオ大賞を受賞したのは当時19歳だった坂元裕二である。  ヤングシナリオ大賞はフジテレビがトレンディドラマブームの中で、若手新人脚本家を輩出するために設立した新人賞だ。  第一回の坂元裕二、第二回の野島伸司を筆頭に、金子ありさ、尾崎将也、浅野妙子、武藤将吾、安達奈緒子、金子茂樹、桑村さや香、野木亜紀子といった、今も現役で活躍する脚本家たちも、この賞でデビューしている。  応募資格は自称35歳以下。「月刊ドラマ」1987年8月号に掲載された第一回ヤングシナリオ大賞の選評「ヤングの特権」で、シナリオライターの佐伯俊道は、この賞の審査基準について以下のように書いている。

     ノッているか、ノリが悪いか。 過去をひきずり、未来を嘱望しつつ、いかに現在に具現化しているか。  『夢に飛べ!!』と銘打つヤングシナリオ大賞の審査の基準はそこにある。[1]

     これだけだと「若くて勢いのある作家が欲しい」くらいしか意図がわからないのだが、それ以降には、歴史ある他の賞の最終審査だったら残る水準の作品は、第一次、第二次で落としたと書かれており、以下のような宣言が書かれている。

     『文学としてのシナリオ』『テクニックに長けたシナリオ』『完璧に近いが何も新鮮味の感じられないシナリオ』は対象外なのだ。  具体的に言えば、『東芝日曜劇場』や『銀河ドラマ』の線は要らない。  泣かせや笑わせのだけで引っ張ろうとするドラマは要らない。[2]

     東芝日曜劇場はTBS、銀河ドラマはNHKのドラマ枠でどちらも80年代後半に良質のドラマを放送していたドラマ枠だ。  70年代後半から80年代初頭にかけて頭角を表した、山田太一、倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家が書いたドラマが文学的な評価を得ており、その拠点となったのがNHKとTBSである。中でもTBSは「ドラマのTBS」と呼ばれていた。  そんな大人向けの文学的なドラマに対してアンチテーゼとして打ち出されたのがフジテレビのトレンディドラマだった。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル1995→2010 最終回 2020年代の連続ドラマ(後編)

    2020-04-08 07:00  
    550pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。最終回の後編では、2010年以降のテレビドラマの状況を総括します。NetflixやHuluにともなうグローバル化の進展や、作家主義の衰退、多文化主義の影響によって抜本的な変化を迫られている日本のテレビドラマ。その文化的遺産をいかに継承するかを考えます。
     ここで改めて2010年のテレビドラマについて振り返っておきたい。 この年、朝ドラでは『ゲゲゲの女房』、大河ドラマでは『龍馬伝』というNHKを代表する二大コンテンツの方向性を大きく変える作品が登場した。 一方、深夜ドラマでは『モテキ』と『マジすか学園』(ともにテレビ東京系)が登場。 2010年代はNHKドラマと深夜ドラマの時代だったが、その先駆けとなる作品はこの年にすでに出揃っていたのだ。
     大根仁が全話の脚本と演出を担当した『モテキ』は、作家性の強い連続ドラマとして高く評価され、福田雄一、山下敦弘、深田晃司といった力のある映画監督がテレビドラマの演出を全話手掛ける流れの先陣を切ったと言えるだろう。 一方、AKB48のメンバーが総出演した『マジすか学園』は、グループアイドルを売り出すためのショーケース的なドラマで、“たば(束)ドラマ”とでも言うようなドラマの走りとなった作品である。 この『マジすか学園』の手法をより発展させたのが、ダンス&ボーカルグループ・EXILEが所属する芸能事務所LDHが、テレビ・映画・ライブといった複数のメディアをまたいだ総合エンターテイメントプロジェクトとしてスタートした『HiGH&LOW』シリーズだ。 全員主役と銘打ち、複数の物語を同時進行していく『HiGH&LOW』シリーズは、芸能事務所主導の企画だからこそ生まれた作品だ。ファン向けのノベルティグッズであることを逆手にとった本作は、作り手がやりたいことをやり切った作品で、その結果として『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』のようなロボットアニメ、あるいは冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』(集英社)のようなバトル漫画に対する、実写ドラマからの返答となっていた。面白いのは、それが結果的に『ゲーム・オブ・スローンズ』のような、国内では作ることが難しい大規模な海外ドラマに拮抗した表現となっていたことだろう。 芸能事務所主導ゆえに、役者を魅力的に見せたり、派手なアクションを撮る意識が先行していて、既存のテレビドラマと比べたときに、脚本、演出の面においてチグハグだという欠点はあるものの、それを補って余りある華やかさがあり、貧乏くさい日本のドラマコンテンツの中で、ビジュアルとアクションにおいては突出している。 今後、AKBグループやジャニーズ事務所といった大手芸能事務所主導の企画から『HiGH&LOW』のような企画が生まれれば、また状況は活性化するのではないかと思う。
     この全員主役(もしくは主役不在)の群像劇の“たばドラマ”の対となるのが、2012年にシーズン1が放送された『孤独のグルメ』(テレビ東京系)だ。 個人で輸入雑貨商を営む中年男性・井之頭五郎(松重豊)が仕事の合間に立ち寄った飲食店で、料理を食べながら料理の感想をモノローグで延々とつぶやく姿を描いた本作は、後に多くのフォロワーを生み出し、グルメドラマというジャンルを深夜ドラマに定着させた。 近年はその方法論を発展させた、サウナを舞台にした『サ道』や、キャンプを題材にした『ひとりキャンプで食って寝る』『ゆるキャン△』といった、グルメドラマの手法を使った他ジャンルの作品も生まれており、バラエティとドラマの中間のような作品を生み出している。印象としてはYouTubeなどに上がっている、一人で黙々と何かをやる姿を見せる実況動画に近い。 これらの作品が面白いのは、サウナやキャンプといった趣味の世界を覗き見できることもさることながら、「一人遊び」で自己充足することを肯定的に描いていることだろう。『孤独のグルメ』における“孤独”の部分に重点がおかれている、つまり、“たばドラマ”に対する“ぼっちドラマ”とでも言うような作品で、こういった今までにない斬新な手法のドラマを、力のある映像作家が手掛けることで、深夜ドラマは発展してきたのだ。
     対して2010年の民放プライムタイムのドラマでは、宮藤官九郎脚本の『うぬぼれ刑事』(TBS系)、木皿泉脚本の『Q10』(日本テレビ系)といった、00年代を代表する脚本家の集大成的な作品が発表された。また、木村拓哉主演のドラマでありながら、平均視聴率が20%台を切った月9ドラマ『月の恋人~Moon Lovers~』(フジテレビ系)が放送される。 その一方で、坂元裕二の新境地となる『Mother』(ともに日本テレビ系)のような、2010年代を牽引する作家の方向性を決める意欲作も登場。 『逃げるは恥だが役に立つ』や『アンナチュラル』(ともにTBS系)といった作品で2010年代を代表することになる脚本家・野木亜紀子が、フジテレビのヤングシナリオ大賞受賞作『さよなら、ロビンソンクルーソー』で脚本家デビューを果たすのもこの年だ。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 最終回 2020年代の連続ドラマ(前編)

    2020-03-05 07:00  
    550pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。最終回の前編となる今回は、本連載が辿ってきた、平成のテレビドラマ史を総括します。世相の移り変わりやメディア環境の変化の中で発達してきた日本のテレビドラマ。その黄金時代とも呼べる15年間の過程と到達点について改めて考察します。
     あと2回でこの連載は終わるのだが、最後に改めてこの連載の趣旨と2010年代のテレビドラマ総括。そして2020年代のテレビドラマ、もとい配信も含めた総体としての連続ドラマがどのような方向へと向かうのかについて、まとめておきたい。
     まず、この連載は「95年から2010年にかけてのテレビドラマについて書かないか?」という依頼からスタートしたと記憶している。
     その際に、筆者が考えたのは、2013年に出版した『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)で、あまり触れることができなかった脚本家や演出家について言及し「この時代(今、考えればそれは平成のテレビドラマ史を振り返ることとイコールだったと言える)のテレビドラマで何が起きていたのか?」を検証することだった その時に、まず書いておきたいと思ったのが脚本家・野島伸司である。
     野島伸司は90~95年を象徴する脚本家であると同時に、企画として参加した『家なき子』(日本テレビ系)で漫画やアニメの表現手法を実写ドラマに落とし込むキャラクタードラマを準備した脚本家だ。つまりこの連載で語られるクロニクルの前史を代表する脚本家である。 『家なき子』の成功によって同作を放送していた土9(日本テレビ系土曜9時枠、現在は10時に移動)は漫画原作をジャニーズアイドル主演で制作する、10代向けのジュブナイルドラマへと路線変更し、独自の道を歩み始める。 そのはじまりとなる『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)のチーフ演出を担当したのが堤幸彦だった。 彼が持ち込んだトリッキーな演出手法とミステリードラマというフォーマットは、その後のテレビドラマに大きな影響を及ぼし、テレビドラマの風景を書き換えてしまったと言っても過言ではないだろう。 MVやバラエティ番組、ドキュメンタリーといった他ジャンルから持ち込んだ映像手法を巧みに組み合わせることで生み出された野外ロケを駆使したカット数の多い映像は、まるでリミテッドアニメのようで、漫画やアニメのエッセンスを取り込んだキャラクタードラマというジャンルを演出レベルで開拓していった。 その映像は『ケイゾク』(TBS系)以降は、バブル崩壊以降の先行きが見えない不安定な時代を象徴する独自の美学へと昇華され、映画とは違うテレビドラマ独自の映像作品へと昇華されていった。そんな堤の演出論と彼が作品を通して何を描いてきたのかを記述すること。それは前著では踏み込めなかった「映像としてのテレビドラマ論」であり、今回の連載でもっとも書きたいことだった。
     そして最後に登場するのが、堤が演出した2000年の連続ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)で脚本を手掛けた宮藤官九郎である。
     宮藤について書いておきたいと思ったのは、執筆のタイミングが2019年の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック~』(NHK)と重なったからだが、何より彼が現在のテレビドラマを象徴する脚本家だからだ。 宮藤については、前述した『キャラクタードラマの誕生』の中でも一章を割いているが、そもそもこの本自体、同年に大ヒットした連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『あまちゃん』(NHK)ブームがなければ企画が通らなかった評論だったと言える。 更に言うと、筆者の初の単著となった『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)はジャニーズアイドルの俳優論を彼らが出演したドラマ評をまとめたものだ。この本もまた、アイドルグループ・嵐の人気が高まっているどさくさで出版された新書だが、彼らが出演した『木更津キャッツアイ』や『流星の絆』(ともにTBS系)といった宮藤が脚本を手掛けたテレビドラマが評論の主軸となっている。
     その意味でも筆者のドラマ評論と宮藤官九郎の存在は、切っても切り離せないものであり、2010年代を締めくくるドラマ評論の最後に宮藤が改めて登場するのは、必然だったと今は思う。
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)宮藤官九郎(9)『タイガー&ドラゴン』(後編) 笑えない噺なんか、誰も聞きたくないだろ?

    2020-01-22 07:00  
    550pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は『タイガー&ドラゴン』の後編です。古典落語を下敷きに不器用な二人の主人公の生き方を描いた本作が最後に辿り着いたのは、「笑えない現実」に対して、「笑い」はいかに向き合うのかというテーマでした。
    『タイガー&ドラゴン』では、古典落語を下敷きにして現代(2005年)を舞台にしたドラマが展開されるのだが、ドラマ評論家として耳が痛かったのが、第3話「茶の湯」だ。
     竜二(岡田准一)の経営する洋服屋「ドラゴンソーダ」はメッシュ素材のダサい服ばかりなので閑古鳥が泣いていたが、そこに「原宿ストリートファッションの神様」と言われるトータルプロデューサー・BOSS片岡(大森南朋)が現れ、「キテるね」「ヤバいね」と絶賛する。竜二はBOSS片岡とコラボすることになり、片岡が主催するクラブイベント・ドラゴンナイトの入場券代わりとなるリストバンドのデザインを発注される。 一方、ヤクザの噺家、林家亭子虎こと山崎虎児(長瀬智也)の前には淡島ゆきお(荒川良々)という男が現れる。淡島はジャンプ亭ジャンプという高座名を持つ落語家でアマチュア落語のチャンピオン。古典落語を得意とする粟島は虎児の師匠・林家亭どん兵衛(西田敏行)に弟子入りするが、どん兵衛が口座にかけようとしていた演目「茶の湯」を先に喋り挑発する。 どん兵衛と淡島、ふたつの「茶の湯」を聞いた虎児は「どっちが面白かった?」と、どん兵衛に聞かれ「笑ったのは淡島のだ、でも、もう一回聞きてえと思ったのは師匠のだ」と答える。
    どん兵衛「……なるほど、確かに演る人間によって印象はガラッと変わる、それが古典落語の面白いところだ、正解なんてのぁ無いんだ、お前さんがどうアレンジするか……」 虎児「いや……アレンジしねぇ」 どん兵衛「んん?」 虎児「こいつの見てて思った、若いとか経験が浅えとかそんなの言い訳になんねえよ、今度こそ古典をきっちりやりてえ……いや、やる」 (宮藤官九郎『タイガー&ドラゴン(上)』(角川文庫)「茶の湯」の回)
     一方、淡島はどん兵衛から「人に何かを教わるという姿勢が出来てない」と、弟子入りを断られる。  師匠から教わった古典落語をそのまま高座で話す虎児。寄席ではそこそこ受けるがネットの掲示板では「子虎も終わった」という酷評の嵐、荒々しいキャラクターと古典を下敷きに現代を舞台にしたデタラメな落語が受けていたのだが、その持ち味を壊してしまったのだ。  対して竜二はデザインのOKが中々出ない。打ち合わせの席には代理店や雑誌編集者、クラブのオーナー、ミュージシャンが同席して意見を言う。一方、BOSS片岡は要領を得ず、挙げ句の果てに、決まったはずのデザインは別のものに変えられてしまう。商品は売れたが、自分のものではないと思った竜二は、売上と商品を突き返し、BOSS片岡とのコラボを解消する。
     虎児はイベントに押しかけ、BOSS片岡に啖呵を切る。
    虎児「お前等が軽々しく『来てる』だの『終わってる』だの言うたんびに一喜一憂してるヤツがいるんだよ、何故だか分かるか? 必死だからだよ、必死にどーにかなりてえ、カッコいいもん作りてえ、面白えもん作りてえって身体すり減らしてやってるんからだよ、分かるか? 自分の言葉に責任持て」(同書)
     竜二は落語家でありながらテレビで汚れ仕事をして家族を養う兄のどん太(阿部サダヲ)とも、寄席で古典落語にこだわる父親のどん兵衛とも違う「自分の好きなものだけ作って、それで売れてみせますよ、直球ですけど」と言う。 これに対し虎児は「俺も自分が面白えと思う話で笑い取ってやるよ」と返す。 落語やファッションを題材にしているためか『タイガー&ドラゴン』にはタレントやクリエイターの心の叫びが透けてみえる。特に面白いのは虎児の立ち位置で、本人は古典をやりたいと思っているが、世間が求めているものは、粗暴な振る舞いだったりする。ヤクザで「笑い」がわからない粗暴な男が、寄席とは場違いゆえにそのキャラクターが消費される姿と、竜二のダサいファッションセンスが気まぐれに消費されていく姿が対になっているが、若者向けサブカルチャーの一つとして色モノ的に消費されたくないが、古典をしっかりと演じるほどの基盤もまだ出来上がっていないという、宮藤たち作り手の心境が“直球”で描かれていたと思う。
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