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記事 25件
  • [特別無料公開]『いだてん』というニッポンの自画像|成馬零一

    2021-04-26 07:00  

    今朝のメルマガは、いよいよAmazon・書店での一般発売が開始された成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。今回は宮藤官九郎脚本の大河ドラマ『いだてん』をめぐる論考の一部を特別無料公開! 『あまちゃん』スタッフと豪華俳優陣で臨んだ本作は、それまで「男の子たちの物語」を描き続けてきた宮藤が「大きな物語」に挑んだ集大成とも言える作品でした。
    2019年の『いだてん』
     2019年に宮藤が脚本を担当した大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(NHK)は、日本のテレビドラマ史、サブカルチャー史の金字塔と言える作品である。  主人公は1912年に日本人で初めてオリンピック(ストックホルム五輪)に出場した日本マラソンの父・金栗四三(中村勘九郎)と1964年の東京オリンピック招致に尽力した日本水泳の父・田畑政治(阿部サダヲ)の二人。  物
  • [特別無料公開]その後の『あまちゃん』|成馬零一

    2021-04-19 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。前回に引き続き本書の表紙を飾る女優・のんさん主演の『あまちゃん』をめぐる論考の一部を特別無料公開!『あまちゃん』以降、現代を舞台としたドラマを描けなくなっていく朝の連続テレビドラマ小説。それは、震災以降の社会の空気とも無縁ではありませんでした。
     2000年の『池袋』がビッグバンとなり、その後、様々な場所で、ドラマに関わったスタッフや俳優が活躍するようになったように、『あまちゃん』も関わった人たちにとってビッグバンとなり、様々な作品を生み出していく。  まずは、言わずと知れた宮藤官九郎の作品。その後、宮藤は3本の連ドラを手掛け、2019年に再び『あまちゃん』のチームと、大河ドラマ『いだてん』を執筆することになる。これらのドラマを執筆することで宮藤の作風がどう
  • [特別無料公開]『あまちゃん』という2010年代ドラマのビッグバン|成馬零一

    2021-04-12 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。今回は本書の表紙を飾る女優・のんさん主演の2013年の作品『あまちゃん』をめぐる論考の一部を特別無料公開!クドカン初の朝ドラであり、社会現象を巻き起こした本作は「震災」という厳しい現実に対して、時に不謹慎だと言われかねない「笑い」を巧みに折り込み、虚構の力で打ち勝とうとした力作でした。
    2013年の『あまちゃん』
     連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『あまちゃん』は、宮藤がはじめてNHKで手掛けたドラマだ。チーフ演出は井上剛、チーフ・プロデューサーは訓覇圭。後に『いだてん』を手掛けるスーパーチームの第1作である。

     伝統ある朝ドラで、ドラマの王道を目指してみたい。明るく朝が迎えられる喜劇はどうか。作為的に笑わせるのではなく、自然に笑えて楽しい気持ちになれる、た
  • [特別無料公開]初期クドカンの集大成としての『タイガー&ドラゴン』|成馬零一

    2021-04-05 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』からのピックアップをお届けします。今回は衝撃の最終回を迎えた『俺の家の話』が話題の宮藤官九郎・長瀬智也タッグによる2005年の作品『タイガー&ドラゴン』を特別無料公開!前作『マンハッタンラブストーリー』の失敗からヒットを義務付けられた本作は、第一期クドカンドラマの集大成であると同時に、「笑い」が宮藤官九郎の思想として確立される最初のきっかけでもありました。
    2005年の『タイガー&ドラゴン』
     2004年に宮藤が手掛けた脚本は、映画は『ドラッグストア・ガール』、『ゼブラーマン』、『69sixty nine』の3作。舞台は大人計画ウーマンリブvol.8 『轟天vs港カヲル〜ドラゴンロック!女たちよ、俺を愛してきれいになあれ』と、第49回岸田國士戯曲賞を受賞した『鈍獣』の2本と、あいかわらず多方
  • [特別無料公開]『テレビドラマクロニクル 1990→2020』はじめに|成馬零一

    2021-03-29 07:00  

    今朝のメルマガは、現在先行発売中の成馬零一さんの新著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』の「はじめに」を特別公開します。当初はオリンピックイヤーとして、華々しいスタートを切るはずだった2020年1月。コロナウィルスが上陸し、テレビドラマをめぐる状況も少しずつ変化していくなかで、本書の論考は幕を開けます。
    はじめに
     本書はテレビドラマについて書かれたクロニクル(年代記)である。  野島伸司、堤幸彦、宮藤官九郎。  1990年代以降のテレビドラマに大きな影響を与えた彼ら3人の作品を批評することで、その表現が後世に与えた影響や同時代性について語っている。  まずは第1章では、野島伸司の作品を通して1980年代末から1990年代前半のテレビドラマと日本国内の状況を語り、第2章では、1995年以降、映像作家の堤幸彦が更新したテレビドラマの演出論と、その背景となる時代状況の変化。第3章で
  • 2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(後編)テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-22 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は、『木更津キャッツアイ』から宮藤官九郎の作家性を掘り下げます。本作の主人公・ぶっさんの〈死〉をめぐる物語は、生身のアイドルの有限性と相まって、〈終わらない日常〉と〈死なない身体〉への鋭い批評性を体現していました。
    【成馬零一さん最新刊、刊行決定!!】 本連載を元に、2020年に至るまでの新章を大幅加筆した最新刊『テレビドラマクロニクル 1990→2020』が、特別電子書籍+オンライン講義全3回つき先行販売中です! バブルの夢に浮かれた1990年からコロナ禍に揺れる2020年まで、480ページの大ボリュームで贈る、現代テレビドラマ批評の決定版。[カバーモデル:のん] 詳細はこちらから。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(後編)
    『木更津』はドラマ業界に、どのように受け止められたのか?
     宮藤の出世作となった『木更津』だが、放送当時はどのように受け止められたのか?
    ▲『木更津キャッツアイ』
     脚本家の岡田惠和は「宮藤さんがドラマ界に現れた頃のことはよく覚えてます」(9)と語っている。『木更津』の第1話が放送された翌日、当時仕事をしたドラマチームでの飲み会で、本作が話題になった際、ベテランと若手で意見が真っ二つに分かれたと、岡田は回想する。

    「何喋ってるのかさっぱりわからん」「いったい何の話なんだ? あれは、ふざけすぎ」 ベテランプロデューサー達には理解できなかった。なのに皆が面白い! と絶賛するので、悔しかったのかもしれませんね。  対して若手は、言葉には出さないけど、「あれがわからないんじゃ終わってんな、このおっさん」 と顔に書いてある感じ。でも「どこが面白いんだ?」 と問われると、うまく言葉にすることが出来ない。そんな感じでした。(10)

     そんなベテランと若手の反応を見ながら、岡田は「よわったなぁ」と思ったという。宮藤の新しい作風に脅威を感じながらも、それ以上に「かなり好きだなこれ」と混乱し、自分がやりたかったのはこういうことだったのかもしれないと、憧れを抱いたという。しかし「今から下の世代に憧れるってのもな、ちょっと辛いしな」と思い、「忘れよう、影響受けるのやめよう」と決めて、その後、宮藤と同じジャンルのドラマを書くことは、絶対にやめようと考えたという。(11)  同業者の先輩に、ここまで言わせるのだから、すごい才能である。  だが、宮藤の登場によりドラマ界の空気が一変し、世代交代が起きたかというと、そうはならなかったと岡田は振り返る。宮藤の世界が「ダントツに個性的」で主流にはならなかったからだ。(12)

     ドラマ界は宮藤さんを受け入れた。でもそれはある意味、出島的な特別区みたいなポジションです。ドラマ界の地図を塗り替えるというよりは、地図にひとつ島を増やしたような変化。そこに関してはベテランたちもどこか寛容です。なぜなら出島なんで、自分たちの領土は守られてるから。そこでの活動は許す、みたいな。まさに「クドカン特区」ですね。「クドカンだからねえ」 「あぁクドカンでしょ? はいはい」みたいな許され方とでも申しましょうか。  爆発的に人気あるけど、どうも世帯視聴率はさほど芳しくないという、だからどこか長老たちのプライドも犯さないという、独特なチャーミングなポジションも獲得しました。嫌ですね、そんな長老。(13)

     『木更津』が放送された2000年代初頭は、視聴率という評価軸がまだまだ絶対的だった。『踊る大捜査線』や『ケイゾク』のような視聴率は高くないが、放送終了後に映画化されて大ヒットするという作品も現れはじめていたが、これらの作品は、視聴率が低いと言っても、10%台前半は獲得していた。  しかし『木更津』は野球の構成に合わせた全9話で平均視聴率10.1%(関東地区・ビデオリサーチ)で、これ以降のクドカンドラマはシングル(一桁台)が当たり前になっていく。近年のドラマは、シングルが常態化しており10%台で成功作と言われるぐらい合格ラインは下がってしまったが、当時のシングルは、打ち切りでもおかしくない数字である。思うに『木更津』とクドカンドラマの登場は、視聴率一辺倒だったテレビドラマの評価が、DVD等のソフト消費とネットで話題になるSNS消費へと大きく分裂していく始まりの作品だったのだろう。
    『キャラクター小説の作り方』に書かれた木更津キャッツアイ論
     テレビシリーズ終了直後に語られた、もっともクリティカルで早かった『木更津キャッツアイ』論がある。大塚英志の『キャラクター小説の作り方』(講談社現代新書、2003年)だ。  本書はまんが原作者や小説家としても知られる評論家の大塚が、ライトノベル専門誌「ザ・スニーカー」(角川書店)で連載していた、ライトノベルの書き方についてのレクチャーをまとめたものだ。  本書ではライトノベルのことを「キャラクター小説」と呼んでいるのだが、キャラクター小説について大塚は、以下のように定義している。

    ①自然主義的リアリズムによる小説ではなく、アニメやコミックのような全く別種の原理の上に成立している。 ②「作者の反映としての私」は存在せず、「キャラクター」という生身ではないものの中に「私」が宿っている。(14)

     そして「自然主義の立場に立って「私」という存在を描写する「私小説」が日本の近代小説の一方の極だとすれば、まんが的な非リアリズムによってキャラクターを描いていく」小説が「キャラクター小説」(=ライトノベル)であると、大塚は語っている。(15)  なお、筆者は生身の俳優が、まんがやアニメのキャラクターを演じる作品をキャラクタードラマと呼んでいる。そして、この連載で堤幸彦の演出とリミテッドアニメの方法論の類似性を指摘したが、この〝キャラクタードラマ〞という着想は、本書で書かれた大塚のキャラクター小説論が下敷きとなっている。中でも大きな影響を受けたのが、「第一〇講││主題は細部に宿る」で語られる『木更津キャッツアイ論』である。

     
  • 2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(前編)テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-15 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は、宮藤官九郎編の初期の代表作『木更津キャッツアイ』を取り上げます。「地元」と「普通」を主題にした本作は、一部の識者からバブル批判の文脈で称賛されます。しかし、そこで本当に描かれていたのは、均質化した郊外と「普通」すら困難になりつつある時代の訪れでした。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(前編)
    2002年の『木更津キャッツアイ』
     『池袋ウエストゲートパーク』で高い評価を得た宮藤官九郎は、翌2001年、織田裕二主演のドラマ『ロケット・ボーイ』(フジテレビ系)を手がける。アラサーの青年3人の自分探し的な物語は、山田太一脚本の『想い出づくり。』や『ふぞろいの林檎たち』を彷彿とさせる青春群像劇。『池袋』を見て、宮藤の本質は家族愛や友情を描けることだと思ったプロデューサー・高井一郎による抜擢だった。
    ▲『ロケット・ボーイ』(小説版)
     残念ながら本作は、放送中に織田裕二が椎間板ヘルニアで入院してしまったことで、話数が全11話から7話に短縮されてしまう。そのこともあってか、宮藤の作家性が存分に発揮されていたとは言えず、ソフト化もされていないため、今では幻の作品となっている。  後の『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系、2016年)にも通じるシリアス路線だったため、完全な形で仕上がっていれば、今のクドカンドラマの傾向とは違う流れが生まれていたかもしれない。『池袋』は原作モノでチーフ演出の堤幸彦のカラーも強く、『ロケット・ボーイ』は不完全燃焼。そのため宮藤の評価は保留とされた。  その意味で、ドラマ脚本家としての作家性が正当に評価されたのは、翌2002年に放送されたドラマ『木更津キャッツアイ』(以下『木更津』)からだと言えるだろう。  本作は千葉県木更津市で暮らす若者たちを主人公にしたコメディテイストの青春ドラマだ。実家の理髪店「バーバータブチ」を手伝いながら、毎日ブラブラしているぶっさん(岡田准一)、一人だけ大学に通う童貞のバンビ(櫻井翔)、プロ野球選手を目指す弟と比較されコンプレックスを感じている実家暮らしで無職のアニ(塚本高史)、学校の先輩と結婚して居酒屋「野球狂の詩」を切り盛りする子持ちのマスター(佐藤隆太)、神出鬼没で何を考えているかわからないうっちー(岡田義徳)。彼ら5人は、高校時代に同じ野球部だった仲間で、高校を卒業しても地元に残り、草野球をしながら仲間たちと戯れる日々を送っていた。ずっと続くかと思われていた彼らの日常だったが、ある日、ぶっさんが余命半年の癌(悪性リンパ腫)だと判明する……。
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(6)──『SPEC』(後編)超能力から〈病い〉へ 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-08 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は堤幸彦論の最終回です。「超能力(スペック)を使う犯罪者」という設定を取り入れながら、当初は『ケイゾク』の作風を反復していた『SPEC』ですが、主人公がスペックに覚醒したことで、物語は新しい展開を迎えます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(6)──『SPEC』(後編) 超能力から〈病い〉へ
    『起』組織と個人
     『SPEC』は2010年にテレビシリーズ(起)が放送され、2012年にSPドラマ『SPEC~翔~』と映画『劇場版SPEC ~天~』、2013年に当麻と瀬文が出会う前の前日譚を描いたSPドラマ『SPEC~零~』、そして完結編となる映画『劇場版 SPEC~結~』の前編『漸ノ篇』と後編『爻ノ篇』が公開された。「ミステリーから超能力へ」というジャンルの変化を通して1990年代から2000年代への変化を描いた『SPEC』だったが、では、ストーリーと演出はどのようなものだったのか?
    ▲『SPEC~翔~』『劇場版SPEC~天~』(2012)
    ▲『SPEC~零~』(2013)
    ▲『劇場版 SPEC~結~ 漸ノ篇/爻ノ篇』(2013)
     テレビシリーズが始まった当初、『SPEC』が描こうとしたのは「人間 対 超能力者」の戦いだった。第1~4話では、スペックホルダーと当麻たちミショウの刑事たちとの戦いが描かれる。スペックを表現するためにドラマでは異例の量のCGが用いられたが、漫画やアニメでは定番化している超能力をいかに可視化するか。というのが演出面での一番の課題だったと言えるだろう。これに関しては「時間が止まった世界」の描写も含めて、本作ならではの映像が展開できていたと言えるだろう。その意味でも、当初の課題はクリアされていた。  やがて第5話以降になると、スペックホルダーの存在を追って研究・捕獲・監視していた警察内組織・公安零課(アグレッサー)が物語に絡んでくる。物語はより複雑化し、誰が敵で誰が味方なのかわからない混乱状態になっていく。この展開は、『ケイゾク』後半の反復だが、スペックホルダーをヒューマンリソース(人的資源)として利用しようとする謎の秘密組織・御前会議が登場する陰謀論的展開は類型的で、あまり魅力が感じられない。やはり印象に残るのは、国家や御前会議の思惑を超えて暴走するスペックホルダーたち、中でも自由気ままに振る舞う、時間を止めるスペックホルダー・ニノマエの圧倒的な存在感だ。物語も、暴走するニノマエをいかに止めるのか? というクライマックスへと向かう展開が一番見応えがある。ニノマエのSPECが「時を止める」能力ではなく、実は「超高速で動く」能力で、その代償として、体感速度が常人の数万倍だと気づいた当麻が、毒を混ぜた雪を浴びせることでニノマエを倒すという展開も「人間 対 超能力者」という構図にこだわった本作ならではの展開だったと言えるだろう。  心配だったのは、この対立軸を作り手が放棄して、当麻や瀬文がスペックホルダーに目覚めて超能力者同士のバトルになってしまうのではないか? ということ。特に「時間を止める」という圧倒的な力を持ったニノマエを冒頭で出してしまったため、彼に対抗するには『ジョジョの奇妙な冒険』第三部における空条承太郎とディオ・ブランドーの対決のように、主人公サイドも敵と同じ(時間を止める)能力に目覚めさせるしかないのではないか? と心配だった。『ジョジョ』の映像化なら、それでも構わないのだが、本作の斬新さは、人間が超能力者に立ち向かうという構図にあり、これを放棄してしまえば、作品自体のアイデンティティが瓦解すると思っていた。その意味でも、対ニノマエ戦までは見事だったと言えよう。 しかし、最終話で、当麻の恋人・地居聖(城田優)が、実は人の記憶を操作するスペックホルダーで当麻の記憶も地居に操作されたものだったことが唐突に明かされると、雲行きは一気に怪しくなる。
    心から身体へ
     心の闇を描こうとしたサイコサスペンステイストの『ケイゾク』に対し、『SPEC』では身体性が強調されている。これは堤がチーフ演出を務めた『池袋』や、その後で作られた『ハンドク!!!』、『TRICK』などにも現れていた2000年代的な傾向だろう。 中でも『SPEC』は、当麻が餃子を食べるシーンを筆頭に、食事のシーンが多い。同時に、登場時から包帯を巻いている当麻を筆頭に、身体の損傷や痛みを通して身体性が強調されている。「死」の描き方も重みが増しており、瀬文の部下だった志村が事故で意識不明の重体となって入院する姿が執拗に描かれていた。 そこには「心から身体へ」とでもいうような流れがうかがえる。これは『ヱヴァ破』にも見られた傾向で、漫画ではよしながふみの『西洋骨董洋菓子店』(新書館、1999〜2002年)、テレビドラマでは木皿泉の『すいか』(2003年、日本テレビ系)などの作品でも、食事の場面を繰り返し描くことで、身体性とコミュニティを取り戻そうという意識が現れていた。  これは2000年代のフィクションに現れていた一つの流れだったと言えよう。 当麻たちは地居によって記憶を操作されてしまうのだが、サイコメトリー(触った人間の記憶を読み取る能力)のスペックを持った志村美鈴(福田沙紀)の協力によって真実を思い出す。記憶を取り戻した瀬文は「人間の記憶ってのはなぁ、頭ん中だけにあるわけじゃねぇ、ニンニク臭え人間のことは、この鼻が、この傷の痛みが、身体全部が覚えてんだよ」と、地居に宣言する。  おそらく、「記憶を書き換える」スペックを持ち、真実は存在しないとうそぶく地居は、『ケイゾク』の朝倉のような1990年代的な悪意を象徴する存在なのだろう。地居が当麻と瀬文に倒される姿を通して、90年代から2000年代、『ケイゾク』から『SPEC』へという時代の変化を描いたのであれば、最終話が地居との対決で終わるのは、必然だったのかもしれない。  ここまでは納得できる。しかし最後の最後で本作は「人間 対 超能力者」という対立構造を放棄してしまう。地居に追い詰められた当麻は怪我で動かない左手で拳銃を構えて「左手動けぇ!」と叫び、発砲する。すると、時間が止まり、地居が撃った弾丸は地居に命中する。死んだはずのニノマエが生きていたのか? それとも当麻がスペックを発動したのか? 謎は宙吊りにされたままテレビシリーズは終了する。
    『翔』盗用と借用 呪われた力
     テレビシリーズの2年後に放送された『SPEC~翔~』では、瞬間移動の力を持ったスペックホルダーとミショウの戦いが描かれる。その戦いの中で当麻が死んだ人間(スペックホルダー)を召喚するスペックの持ち主だったことが明らかになる。つまり、当麻は死んだニノマエを召喚して、地居を倒したのだ。当麻がスペックホルダーだと知った瀬文は、当麻に苛立ちをぶつける。  一方、当麻もスペックを使うことに対して激しい罪悪感を抱いている。物語が始まった時、スペックは人類の中に眠る未知なる可能性として描かれており、当麻もスペックに対し、知的興味を示していた。しかし、当麻は自らの力を呪われたものと捉えており、最終的に左手の力を封印する。  一方、『翔』で印象に残るのは久遠望(谷村美月)というスペックホルダーの存在だ。彼女は、血液のDNAを読み取り、スペックをコピーする能力「コレクション」の持ち主で、スペックホルダーに両親を殺された被害者の女性として当麻たちに接近した。複数のスペックを使えるという意味では当麻と同じ力なのだが、当麻のスペックが死者との「絆」であり、スペックは(死んだスペックホルダーから)“借りる”ものであったのに対し、久遠のスペックは“奪う”ものだった。
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(5)──時代への抗いとしての『SPEC』(前編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-02 07:00  
    550pt

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。『ケイゾク』の続編として企画された『SPEC』は、ミステリドラマにも関わらず、本物の超能力者が登場します。それは「謎」が存在する世界の終わり、インターネットカルチャーとニューエイジ思想が融合した、2010年代の「圧倒的な現実」の投影でもありました。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(5)──時代への抗いとしての『SPEC』(前編)
    2010年の『SPEC』
     『TRICK』の成功で、堤は日本を代表する商業作家となり、その後、数々のヒット作を生み出していく。しかし、その成功と引き換えに先鋭的な映像作家としての禍々しい輝きは失われていった。  おそらく堤の作家としてのピークは『TRICK』シーズン1が放送された2000年までであり、好意的に見ても2002年のドラマ『愛なんていらねえよ、夏』(TBS系)までだろう。それ以降の作品は『ケイゾク』や『池袋』に較べると、どこか物足りない。  例えば浦沢直樹の漫画を映画化した『20世紀少年』(2008~09年)は、三部作の合計興行収入が110億円を超えているという意味では、商業的成功を果たした代表作と言えるだろう。オウム真理教の事件をベースにカルト教団の教祖が日本を支配する世界を舞台にした物語は、『TRICK』でカルト宗教を批判してきた堤の作風とも相性がよく、何より漫画的な世界が現実化されていく姿をディストピアとして描いた世界観は、堤が『金田一』以降追求してきた世界観そのままだと言える。その意味で堤の作家性が存分に発揮されてもおかしくなかったのだが、出来上がった作品は原作漫画をなぞりすぎたせいか、無難な作品にまとまっており、先鋭性は感じられない。(1)  一人の作家がキャリアを確立すると共に保守的になり、それと引き換えに安定した職人になっていくということは、どこの世界にでもあることだ。堤にもそういう時期が来たのだと言えばそれまでだろう。
     だが、そんな状況に対して抗いたいと思っていたのは、誰より堤幸彦本人だったのではないだろうか? 2010年秋クールに放送された連続ドラマ『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~』(以下『SPEC』)は、そんな現状に対する苛立ちと、一度完成した映像作家としての自分の殻を破りたいという気持ちが強く感じられる作品だった。
    ▲『SPEC』
     プロデューサーは植田博樹、脚本は西荻弓絵。堤幸彦の出世作となった『ケイゾク』チームが再結集した本作は『ケイゾク』と同じ世界観の続編的な作品という触れ込みで、幕を開けた。  舞台は「ミショウ」と呼ばれる警視庁公安部に設立された未詳事件特別対策係。  捜査一課が取り扱うことのできない、超常現象が絡んだ科学では解明不能な犯罪を捜査する部署だったが、警視庁の中では、変人が集まる吹き溜まりと見られていた。所属しているのは『ケイゾク』にも登場した係長の野々村光太郎(竜雷太)とIQ210の女刑事・当麻紗綾(戸田恵梨香)の二人のみ。  そこに元特殊部隊(SIT)所属の瀬文焚流(加瀬亮)が異動してくるところから、物語は始まる。瀬文は任務の最中に部下の志村優作(伊藤毅)を誤射した疑いで聴聞会にかけられる。突然、隣にいたはずの志村が目の前に飛び出してきて発砲、そして何故かその銃弾は志村に命中したと瀬文は主張。確かに着弾した銃弾は志村のものだったが、上層部は瀬文が銃をすり替えたのだと取り合おうとしない。真相がわからぬまま事件は迷宮入り。  瀬文はSITを除隊となり、左遷に近い形で「ミショウ」に配属となった。  やがて、ミショウに、政治家の五木谷春樹(金子賢)と秘書の脇智宏(上川隆也)が訪ねてくる。懇意にしている占い師・冷泉俊明(田中哲司)が、明日のパーティーで五木谷が殺されると予言したため、調査を依頼しにきたのだ。冷泉は2億円払えば「未来を変える方法」を教えると言う。当麻と瀬文は冷泉の元へと向かい、恐喝の容疑で逮捕する。しかし、冷泉の予言したとおり、五木谷はパーティーで心臓麻痺を起こし、命を落とす。  ここまでは『ケイゾク』や『TRICK』などで繰り返されてきたミステリードラマの展開である。定石どおりなら、ここから冷泉の予言と殺害のインチキ(トリック)を暴くという展開になるところだろう。しかし、物語は予想外の方向へと傾いていく。  やがて、五木谷を殺したのは第一秘書の脇だったとわかる。元医師の脇は、無痛針で五木谷にカリウムを注射して殺害したのだ。そして証拠の注射針を天井に突き刺して隠したのだった。しかし、当麻の推理を聞いた脇は凄まじい豪腕でテニスボールを投げて天井に刺さった注射針を破壊。先に証拠の存在に気づいた当麻たちは注射針を確保していたものの、真相を知られた脇はテニスボールを今度は当麻と瀬文に投げつけ、二人を殺そうとする。猛スピードで動き、瀬文の銃を奪い取った脇は瀬文めがけて発砲。  そこで突然“時間が止まり”、謎の少年・一十一(ニノマエジュウイチ・神木隆之介)が現れる。ニノマエは銃弾の軌道を反転させて脇を殺害。そして姿を消す。残された瀬文は、志村の時と同じ現象が起きたことに戸惑うが、何が起きたのかは理解できない……。
     いい意味で「裏切られた」と感じた第1話である。 オカルトの皮を被ったミステリードラマかと思いきや、超能力者が本当に登場したのだ。そして何より驚いたのがニノマエの登場シーンである。いきなり「時間を止める」という圧倒的な力を持ったラスボス的存在が姿を現したのだ。
    アナログ放送が終わり、地デジ化へ向かう2010年
     『SPEC』の第1話(甲の回)が放送された10月8日のことは、よく覚えている。  筆者はこの日、地デジ(地上デジタル)対応の薄型テレビを購入し、はじめて画面に映ったテレビ映像が、この『SPEC』だったからだ。  『SPEC』が放送された2010年。テレビは過渡期を迎えていた。 翌2011年にアナログ放送が終了して地上波デジタルに完全移行することが決まっていた。その結果、今のアナログテレビでは番組が映らなくなるため、地デジ対応テレビの買い替え特需が起きていたが、一方で、地デジ化によってテレビの視聴者が大きく減るのではないかと、不安視されていた。  同じ頃、ウェブではYouTubeやニコニコ動画といった投稿動画サイトが勢いを増していた。テキストが中心だった時代はテレビ局にとっては対岸の火事だったインターネットの隆盛は、動画サイトが登場し映像の複製と拡散が容易になったことで、他人事ではいられなくなっていた。  やがて、映像文化は、テレビからウェブに取って代わるのかもしれない。まるで、超能力者に人類が支配されるかのように。そんな地殻変動の気配が2010年にはあった。翌2011年に3月11日に東日本大震災が起きたこともあり、今となっては忘れられているが、当時の地デジ化報道の背後には、時代の変化に対する期待と不安が渦巻いていた。
     そんな時代状況を反映してか、この年のテレビドラマは、2010年代の始まりを象徴する作品が多数登場している。NHKでは後の朝ドラ復活の先駆けとなる『ゲゲゲの女房』と大河ドラマの映像をアップデートした大友啓史がチーフ演出を務めた『龍馬伝』が放送。  テレビ東京系の深夜ドラマではAKB48総出演の『マジすか学園』と、大根仁の出世作となった『モテキ』が放送され、深夜ドラマブーム、アイドルドラマブームの先駆けとなった。  そして、日本テレビ系では2010年代を牽引する脚本家・坂元裕二の『Mother』が登場。今振り返ると、これらの作品は、テレビドラマの方向性を決定付ける新しい流れの始まりだった。同時に宮藤官九郎脚本の『うぬぼれ刑事』(TBS系)と木皿泉脚本の『Q10』(日本テレビ系)という2000年代を代表する脚本家の集大成となる作品も登場しており、2000年代の終わりと2010年代の始まりを象徴する作品で賑わっていた。  そんな中で『SPEC』は、『ケイゾク』の続編ということもあり、2000年代の終わりを象徴する過去の作品という印象だった。すでに『ケイゾク』は伝説のカルトドラマとして神格化されていた。定期的に続編が作られて大衆化した『TRICK』と違い、熱狂的なファンが多い作品だっただけに、続編を作るということの意味は、堤と植田にとっても相当重いものだったと言えるだろう。
    『ヱヴァ』と『SPEC』
     『SPEC』が始まる時の印象は、『新世紀エヴァンゲリオン』のリブート企画として2007年から劇場映画が上映されていた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(以下『ヱヴァ』)シリーズと近い印象だった。 『ヱヴァ』は2010年の時点では、2007年に『序』と2009年に『破』の2作が上映され、CGを取り入れた最先端の映像表現が高く評価される大ヒット作となっていた。  しかし、肝心のストーリーは、1990年代後半に作られた物語を、現代(2000年代後半以降)の空気に合わせたものにリメイクしようとしているためか、どこかすわりの悪いものとなっていた。その傾向は2012年に上映された『Q』においても同様で、1990年代に時代の最先端を走り抜けた作家が、自分たちを追い抜いていった現実に必死で食らいつこうとしているように見えた。(2)
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(4)──『TRICK』の到達のかたち 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-02-22 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。『池袋ウエストゲートパーク』『ケイゾク』を経て、映像作家としての全盛期を迎えた堤幸彦。その次に手がけたのが、カルト批判をテーマにしたミステリードラマ『TRICK』ですが、その結末には、フィクションの衰弱と自己啓発の時代の到来が刻印されていました。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(4)──『TRICK』の到達のかたち
    2000年の『TRICK』
     『池袋』を終えた堤幸彦は、休むことなく夏(7~10月)クールに連続ドラマ『TRICK』(テレビ朝日系)を金曜ナイトドラマ枠(23時9分~0時4分)で手がけることになる。
    ▲『TRICK』(2000)
     堤は作品数の多い映像作家だが、2000年は『ケイゾク/映画』、『池袋』そして『TRICK』と、代表作を立て続けに発表している。その意味で、この年に映像作家としてのスタイルが完成したと言えるだろう。
     『TRICK』は、売れないマジシャンの山田奈緒子(仲間由紀恵)と物理学者の上田次郎(阿部寛)が、超能力者や霊能力者が起こす超常現象のインチキ(トリック)を暴いていくというミステリードラマだ。『金田一』、『ケイゾク』と続いてきた堤幸彦のミステリードラマ路線の延長にあるものだが、今まで積み上げてきたことの集大成だとも言えるだろう。  連続ドラマが3作、スペシャルドラマが3作、映画が4作、スピンオフドラマ『警部補 矢部謙三』が2作も作られた『TRICK』は、断続的に2014年まで制作されたロングヒットシリーズである。本作の成功によって映像作家としての堤幸彦のキャリアは決定的なものとなったと言っても過言ではないだろう。それは他の関係者にとっても同様だ。 『金田一』や『ケイゾク』では、裏方として関わってきた蒔田光治は、本作ではメインの脚本家としてクレジットされている。本作以降、蒔田は脚本家兼プロデューサーという立ち位置を確立し、『富豪刑事』や『パズル』(ともにテレビ朝日系)といった作品を手がけるようになっていく。つまり『TRICK』の成功によって、堤が作り上げてきたミステリードラマのスタイルは拡散していき、一つのジャンルとしてテレビドラマに完全に定着するようになるのだ。  今では多くのドラマや映画を手がけているオフィスクレッシェンドの木村ひさしと大根仁も演出家としてクレジットされている。『TRICK』が、堤だけでなく、オフィスクレッシェンドという制作会社にとっても大きな転機となったことがよくわかる。
     オフィスクレッシェンドの代表取締役・長坂信人が執筆した『素人力 エンタメビジネスのトリック?!』(光文社新書)は、自社を立ち上げたきっかけや、手がけた映像作品にまつわる秘話がまとめられたものだ。本書の冒頭で長坂は、『TRICK』の制作費が持ち出しとなってしまい、3000万円の大赤字を出したことを告白している。オムニバス形式(1エピソード1~3話)でその都度、オールロケで撮影を行なっていたため、予算が大幅にオーバーしたのだ。 会社は大打撃を受けて危機的状況に追い込まれた。責任を感じた堤は監督としての印税をオフィスクレッシェンドに全額譲渡。その後、DVD-BOXが売れ、オリジナル企画として『TRICK』に可能性を感じた長坂はシーズン2を制作することを決断、実家の駐車場を抵当に入れて制作費を捻出したという。 本書に収録された長坂との対談で堤は、「失敗していたら今ごろうらぶれて、地元テレビ局の下請けをやってると思います」と語っているが、様々な困難を乗り越えて『TRICK』を作り続けたからこそ、今の堤とオフィスクレッシェンドはあるのだと言えるだろう。
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