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「寅さん」のいなくなった日本|宇野常寛
2020-10-19 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは2019年12月公開の映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』です。かつて昭和を代表する定番の人情喜劇だった「男はつらいよ」シリーズ。寅さん役の渥美清の死去で1997年に途絶したシリーズの22年ぶりの新作にして「完結編」となる本作は、21世紀となった現代を舞台に、小説家となった寅さんの甥っ子・満男を主人公に据えて製作されました。「寅さん」の不在が象徴する、平成の日本が「失ってしまったもの」とは、いったい何だったのでしょうか。※本記事はnoteでの有料マガジン「宇野常寛の個人的なノートブック」で配信した内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.28「寅さん」のいなくなった日本
正月に、ふと思い立って『寅さん』の映画を観てきた。これはシリーズ50周年を記念して制作された、『男はつらいよ』の完結編と言える映画だ。僕は亡くなった父が『寅さん』のファンで、小学生のころよく週末にレンタルビデオで旧作を観ていた。もちろん、もう30年以上前の記憶なのでかなり不確かになっているが、少なめに見積もっても10本から20本は観ていると思う。
ただ、子供の頃に観ていただけなので平成に入り渥美清演じる寅さんではなく吉岡秀隆の演じるその甥っ子の満男が事実上の主役になっていったことも、その背景には渥美清の体調悪化があったことも知らなかった。そういえば満男と泉の恋愛が中心になっている作品もあったな、くらいの感覚で満男と後藤久美子の演じるその恋人の泉との関係がどう帰着したのかも知らなかった。
そんな僕がこの映画を見に足を運んだのは、別の映画を目当てに劇場に足を運んだときに目にした予告編が気になったからだ。現代を舞台に、40代になった満男が作家になり、そして彼とは結ばれなかった(という設定が加えられた)泉と再会する、という概要をそこで知ったとき僕は「あれ?」と思ったのだ。
僕は『男はつらいよ』にそれほど明るい人間ではない。しかし、それなりにシリーズを見てきた上で考えると、『男はつらいよ』とは葛飾柴又に暮らす昭和の大家族が世代を経て戦後的な核家族に移行していく過程を、そのどちらにも加わることのできない寅さんというアウトローの視点から描いた作品「でも」あったはずだ。
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「書く」という「暮らし」を学ぶ|宇野常寛
2020-09-28 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は現在毎月開催中の「PLANETS School」開講に寄せたエッセイです。SNSの普及により、誰もが発信者になってしまう現代において、情報に溺れず、価値ある発信を行っていく「発信する」、「書く」という生き方を伝える本講座。では、宇野はいつその生き方を学び、この講座を開講するに至ったのか。そのエピソードをお届けします。※本記事はnoteでの有料マガジン「宇野常寛の個人的なノートブック」で配信した内容の再録です。
9/29(火)19:30〜 PLANETS School「推敲の方法」2020年から開校している宇野常寛の「発信できる人になる」講座、通称"PLANETS School"。 9月は推敲の方法を学びます。文章を書き終わったあと、一体どんなポイントで読み直し、ブラッシュアップすればよいのでしょうか?PLANETS編集長・宇野常寛が余すことなく教えます!※本イベントはPLANETS CLUBメンバー限定Facebookページにて生中継いたします。また、後日アーカイブ動画配信・レジュメの配信を行います。PLANETS CLUBへのご入会はこちらから。
宇野常寛コレクション vol.27「書く」という「暮らし」を学ぶ
先日から「発信できる人になる」をテーマに、僕のもっているスキルをシェアするための講義をはじめた。人にスキルを教えるというのは、やりがいがあるけれどとても、難しい。それもこの講座は単にスキルを受講生に覚えてもらうというだけではダメで、この誰もが発信者になってしまう現代の情報社会において、価値ある発信を継続的に続けていける足腰の鍛え方、大げさに言えば「発信する」という生き方のようなものをみんな求めてきているのを強く感じるのだ。
僕が物書きとしての経験から、そしてインディペンデントなメディアを15年近く運営してきた経験から得られた氾濫する情報との距離感と進入角度、発信するときの語り口、世界に対する問いの立て方といったものを総合的に伝える講座を僕は考えているし、そうではないと受講生たちの期待を裏切ってしまうことになると思う。本当に伝えなきゃいけないのは、「発信する」という生き方であり、ライフスタイルであり、世界との向き合い方なのだと思う。
なぜそう思うのかというと僕もかつてある人物に出会って「発信する」という、「書く」という「生き方」を学んだからだ。より正確に言えば、彼と出会って僕は物書きになろうと思ったのだ。それは、一部の読者が期待するような「業界」の有名人とのドラマチックなエピソードではない。彼は僕が最初に勤めた京都の会社の上司だった。上司といっても、それは僕と彼の二人だけの部署で、僕が彼の仕事をアシスタントするというか、彼が僕の仕事を監督するという関係だった。仕事の内容はその会社の運営していたウェブサイトの読み物の編集制作で、僕は彼から執筆と編集のイロハを学んだ……はずなのだけど、そこはあまり記憶に残っていない。どちらかと言えば僕が彼から学んだのは、社会との距離のとり方とか、対象への進入角度の調整方法だった。いや、間違いなく技術的なことも教わっているのだけれど、そうではない部分の方こそが大事だったといまでは思うのだ。
そもそも僕と彼との出会いは、甚だ不幸な偶然の産物だった。僕は大学卒業後、1年以上ブラブラしたあとにその会社に就職した。そして僕を採用した最初の上司(僕はその人物のアシスタントとして採用された)は、僕の入社の約1ヶ月後に僕の目の前で社長と大ゲンカして退職してしまった。「こんな会社辞めてやる」「お前なんかクビだ」というやり取りを本当に目の当たりにして、こんな小さな会社でもサラリーマン漫画のようなやりとりが実際あるんだなと思う一方で、直接の上司が最初の1ヶ月でいなくなってしまうという緊急事態に、人並みに途方に暮れた記憶がある。実際にこのままでは編集長と、採用されて1ヶ月のそのアシスタント=僕の二人しかいない編集部はたちまち機能を半ば停止することは明らかだった。そして僕以上に途方に暮れたであろう(ケンカの当事者である社長を除く)経営陣は、仕方なくかつてその辞めた編集長を自分の後任として推薦した前編集長を呼び戻すことにした。要はお前が推薦したやつがケンカしてすぐに辞めたので、責任をとって戻って来いと迫ったのだ。そして、最初は固辞したものの推薦責任もあるので週3日ならなんとか……としぶしぶ引き受けて戻ってきたのが、僕が生涯の師と仰ぐことになる豊田素行さんだった。
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裏オリンピック計画 | 宇野常寛
2020-07-27 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは、幻となった「2020年の東京オリンピック」についての2014年時点の展望です。新型コロナウイルス危機がなければ、まさに開幕したてだったはずの東京五輪。目下、開催は2021年に延期されていますが、もはや1964年の高度成長期のような「国民が一つになる」夢が実現不能なことが誰の目にも明らかな状況のなか、この祭典をめぐって、私たちは何を考えるべきだったのか。開催決定当時の空気感とともに、改めて再確認してみてください。 ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
2020年に開催予定だった東京オリンピック計画と、それを契機にした東京と日本の未来像について、気鋭の論客たちが徹底的に考える一大提言特集『PLANETS vol.9 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』、好評発売中です! オリンピックという、本質的には時代遅れな国家的イベントへの様々な立場からの賛否を超え、安易な「1964年の夢よ、もう一度」という懐古的なイメージを一新。リアリスティックでありながら、スポーツに興味のない人々をもワクワクさせる、PLANETSならではのオリンピックと東京の姿を描き出します。詳細・ご購入はこちらから。
宇野常寛コレクション vol.27裏オリンピック計画
僕がオリンピックの誘致について最初に意識したのは、今年の春に代々木の第一体育館で行われた東京ガールズコレクションに出かけたときだ(僕は職業柄、こうしたガラでもないタイプのイベントにも出かけたりするのだ)。そのまるで90年代で時間が止まったような、「流行」も「時流」も東京のマスメディアと広告業界が創出し、発信できるのだという(僕らからすると申し訳ないけれど時代遅れに見える)自信にあふれた空間に、眩暈がしたのを覚えている。 そんな中で、特に僕がぎょっとした──ほとんど嫌悪感すら覚えた──のが、会場に設置された東京オリンピック誘致への国民の賛意を訴える「広告」パネルだった。そこにはいわゆる「テレビタレント」と「スポーツ文化人」たちが、「(五輪招致が成功したら)私、〇〇〇〇は〜します」という「公約」が、ただし限りなくジョークに近いものが掲げられていた。たとえばお笑い芸人の浜田雅功(ダウンタウン)は「開会式のどこかのシーンで見切れます」と、女子サッカー日本代表選手・澤穂希は「銀座のホコ天でサッカーの試合をします」と、掲げている。僕はこういう遊び心を悪いとは思わない。しかし、この広告を一目見た瞬間にどうしようもなく白けてしまった。はっきり言って、サムかった。タレントのホラン千秋は「ちょっとの間、ゴリン千秋に改名します」と「公約」を掲げていたが、基本的にテレビを流しっぱなしにするという習慣のない(気になる番組だけを録画で見る)僕は彼女が何者なのかも分からなかった。その状態で「ドヤ顔」でつまらないダジャレを目に観させられても、何というか反応に困るしかない。そして何より、僕がウンザリしたのはこの企画(「楽しい公約プロジェクト」というらしい)を考えて実行した人たちは、いまだにテレビや広告が「世間」をつくることができて、人気者とそうでない者との差をつくることができて、そして世論をコントロールすることができると思っていることだ。誰もがテレビを見て、テレビタレントを「人気者」として認知する「世間」に所属していると思っているのだ。 もしそんな世の中が持続しているのなら、広告屋もテレビ業界も昔のように羽振りがいいはずだし、コミックマーケットもニコニコ動画もボーカロイドも普及していない。テレビに出ない(出られない)ライブアイドルのブームも起こらない。もはや、誰もが家にいる間はお茶の間のテレビをつけっぱなしにして、そこで扱われていること=世間の出来事という「前提」を共有しているのは社会の半分でしかない。いまだに20世紀を生きる、旧い日本人だけだ。そんな自明のことが頭に入っていない(もしくは目を逸らしている)人が税金で報酬が支払われるプロジェクトの広報を担当して、大手を振って歩いているのだ。(結果的に招致は成功したからいいようなものの)五輪招致の、国内に対する広報戦略で重要なのは招致反対派を抑え込むことだ。招致には現地住民からの「支持率」がものいうという。このとき重要なのは「(僕のような)特に五輪自体に関心はない、したがって大反対ではないけれど、面倒なのでできれば来ないでほしい」と思っている層を明確な「反対」層に育てないことだ。しかし、こういう広報戦略は、オールドタイプのマスコミたちの勘違いは間違いなく僕たちのような層の反感を育てるだろう。実際、僕はその日から以前より強く、五輪には「来ないでほしい」と考えるようになった。
少し調べてみると、2020年の五輪招致には1964年のそれを反復し、高度成長の頃の日本を取り戻したいという願望の物語が強く伴われていることに気づいた。当然と言えば、当然のことだろう。人間は過去の成功体験に引きずられる生き物だ。戦後社会のしくみが行き詰まっていることを認めることなく、景気さえ上向けば抜本的な改革は必要ないと考えたがるオールドタイプたちにとって、オリンピック景気はどうしても期待したくなる。もちろん、景気はいい方がいいに決まっているし、とりあえず景気が良くならないと何も手を付けられないのも分かっている。しかし、いい加減日本は『プロジェクトX』『ALWAYS 三丁目の夕日』的な「あの頃はよかった」教から脱出すべきではないか。 亡くしたものの数を数えながら、過去の成功体験に逃げ込んで現実から目を逸らす人々を加速させるのなら、五輪は来ないほうがいい。僕はずっとそう考えていた。しかし、五輪はやって来てしまった。 招致が決定したあの日──僕はこう考えていた。五輪が「来てしまう」のはもう覆せない。それはもはや個人の好悪の問題ではない。だとすると、2020年に五輪がやってくることを「利用」して、どうこの国の社会と文化を再生するのかを考えたほうがいい。2020年の東京オリンピックが、20世紀の重力に魂を引かれた古い日本人たちの「希望」になり得ているのは、1964年のそれが(半ば結果的に)そう機能したからだ。復興から高度成長への大逆転を象徴し、その後の経済発展がもたらす明るい未来をイメージさせるイベントになったからだ。現在に至る首都圏の都市インフラの整備を加速し、カラーテレビの普及をもたらして来るべき「テレビの時代」の下地を整えたからだ。だから彼らは、何の根拠もなく「またオリンピックさえ来てくれれば」と心のどこかで思っている。 だとすると、僕らがやるべきはこの2020年のオリンピックを旧い日本人の思い出を温めるものから、新しい日本人の希望になるものに変えていくこと、奪い取っていくことではないか。
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テレビリアリティのゆくえ「笑っていいとも」の終わり|宇野常寛
2020-06-29 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは2014年3月に放送終了した国民的お昼のバラエティ番組『笑っていいとも』です。『いいとも』に象徴される「楽屋を半分見せる」ことで「東京の業界人」の友達の輪に入れたかのように錯覚させる「テレビ的な」リアリティは、人々の情報環境の変化によって敗北しつつあります。奇しくも『いいとも』終了と同時期、放送作家・福田雄一が手掛けた『指原の乱』から垣間見える、テレビ的想像力に残された僅かな可能性とは? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.26テレビリアリティのゆくえ「笑っていいとも」の終わり
先日、天気が良かったので気分転換に散歩に出かけた。自宅のある高田馬場からまっすぐ南下して、新宿東口にさしかかったところで平日の昼間とは思えない人ごみに遭遇した。いったい何事かと僕は不審に思ったのだが、「32年間ありがとう」という横断幕を目にしてすべてに合点がいった。その日、31日は国民的お昼のバラエティ番組『笑っていいとも!』の最終回の日であり、そのとき東口のアルタ前はこれからはじまる最後の生放送の現場にかけつけたファンでごった返していたのだ。僕は、その瞬間まで『いいとも』が最終回を迎えることを完全に忘れていたのだ。 そして、僕は、Twitterにアップロードする写真を撮り終えると満足して、その場をあっさりと離れて行った。僕は東口のヨドバシカメラで最近ハマっているドイツの動物フィギュア(シュライヒ)を買うつもりで、ゆっくり選んで打ち合わせの時間までに高田馬場に戻るにはここで無駄な時間を過ごすわけにはいかなかった。
僕は32年間この『笑っていいとも!』という番組を一度も面白いと感じたことがなかった。他に好きなものがたくさんあったせいか、子どもの頃から相対的に芸能界に関心が薄く、『いいとも』のあの、お互いのキャラクターをいじりあう空間を少しも楽しむことができなかった。僕にとってそれはまるで隣のクラスの内輪ネタを延々と見せられているようで、酷く退屈な代物だった。どうしても「この人たちはどうして自分たちのローカルな人間関係が社会そのものであるかのように振る舞えるのだろうか」と疑問に思ってしまう。 もちろん、今でこそ僕も僕なりにこの番組の持つユニークさとその洗練を理解してはいるつもりだ。教科書的な解説を加えれば、国内において消費社会の進行と同時に、「大きな物語」の失効が顕在化していった80年代はテレビや雑誌といった(当時の文化空間を牽引した)メディアが、ベタに物語を語ることではなくメタ的なアプローチによってメジャーシーンを形成していった時代だった。具体的には『おしん』的な高度成長期のイデオロギーの通用しない都市部のアーリーアダプターたちに対し、メディアの担い手たちは物語のレベルでは「相対主義という名の絶対主義」をもって(80年代的相対主義、面白主義を東京のギョーカイの掲げる絶対的な価値として)振りかざし、そして形式的にはそんな「東京のギョーカイ」が「楽屋を半分見せる」ことで送り手と受け手、ブラウン管の中と外の境界線を曖昧にすることでリアリティを担保していった。糸井重里が本来添え物に過ぎない雑誌の投稿欄を主戦場に変え、秋元康が番組内でそこに出演するアイドルのオーディションの経過を公開していった。そうすることで、本来東京のギョーカイに縁のない僕らも、そことつながっているように感じられたし、そして東京のギョーカイへの憧れも肥大していったのだ。それがこの時期に隆盛した「テレビ的なもの」の本質だ。 こうした手法は「客いじり」と「楽屋落ち」を基本にその笑いを組み立てていった萩本欽一と、彼の手がけた70年代のバラエティに起源を持つという(大見崇晴『「テレビリアリティ」の時代』)。そして70年代に萩本が培った手法はその批判的継承者であるビッグ3によって80年代のテレビシーンを、ひいては文化空間の性格を決定づけるものに成長した。そしてその最大の成果が『いいとも』だったのは間違いないだろう。台本らしい台本が存在せず、ただ、無目的で漫然としたお喋りと茶番じみた余興が、毎日のお昼休みに披露される。それはほとんど「楽屋」そのものであり、そしてその「楽屋」を共有することでその観客と視聴者もまたタモリの「友達の輪」に入っているような錯覚を覚えることができた。相対主義という名の絶対主義が、ギョーカイの内輪受けのおしゃべりという非物語が疑似的な大きな物語として機能することで、この国のテレビ文化は隆盛してきたと言っていい。 だとすると、『いいとも』が成立していたのは、テレビがその圧倒的な訴求力と、それを背景に80年代に形成し90年代を席巻したギョーカイ幻想があってのことだ、ということになる。どれだけ「楽屋を半分見せる」いや、「楽屋そのものを見せる」手法が卓越していても、その楽屋に憧れない人間=テレビ芸能人を人気者だと思わない人間には一文の価値もないのだ。そして、消費社会の進行と情報環境の変化は僕のように感じる人間を飛躍的に増やしていったのだと思う。こうして『いいとも』は過去のものになっていったのだろう。
実際、インターネットの若者層の間では「テレビっぽい」という言葉が「サムい」と同義で使われはじめて久しい。メディアの多様化はテレビ=世間という等式を崩しつつあり、そこに胡坐をかいた番組作りが東京の業界人の内輪受け以上には映らなくなり始めているのだ。 たぶん、僕が最終回以前に『いいとも』に触れたのは後にも先にも一回だけだったと思う。それは昨年のAKB総選挙で1位を獲得した指原莉乃が、その勝利スピーチのクライマックスを『いいとも』ネタで締めたことに対して、僕は苦言を呈したのだ。 そう、僕はAKB48がテレビに近づいていくことを、あまりいいことだと思っていない。なぜならば、初期のAKB48はテレビとは異なる方法で人を惹き付けることに成功したところにその本質があると考えているからだ。僕が『いいとも』に出てくる芸能人たちには何の思い入れも持つことができない一方で、AKB48を応援することはできるのもそのためだ。楽屋を半分見せられることくらいでは、そもそもかつてほど「東京」の「ギョーカイ」が輝いていない現代、もはや僕らは彼らに憧れることはできない。だから『いいとも』は終わった。しかし、たとえ「クラスで四~五番目に可愛い女子」の集まりでも(いや、だからこそ)総選挙で票を入れ、握手会の列にならんで直接話すことで自分たちもこのゲームに参加しているという実感が得られる。タモリの友達の輪には入れない(入りたいとも思えない)僕も、AKB48には確実に参加できる。だから同じローカルサークルの内輪話でも、「テレフォンショッキング」には興味を持てないが彼女たちのおしゃべりには興味を持つことができるのだ。
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楽器と武器だけが人を殺すことができる『海の底のピアノ』| 宇野常寛
2020-06-22 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは、本メルマガで『男とxxx』を連載中の井上敏樹先生による小説『海の底のピアノ』です。『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー555』から、小説『海の底のピアノ』へ引き継がれた問題意識とは?そして、『衝撃!ゴウライガン』で示された、世界を変えるための想像力とは? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.25楽器と武器だけが人を殺すことができる『海の底のピアノ』
井上敏樹は1959年、脚本家・伊上勝の長男として埼玉県に生まれた。伊上勝は『隠密剣士』『仮面の忍者 赤影』など日本のテレビ草創期から児童向けの時代劇や冒険活劇などを手掛けるヒットメーカーとして知られた存在だった。(ライターの岩佐陽一は「主人公の必殺技にリスクがあり、敵がそこを攻めてくる」「敵が裏切りを偽装して主人公に接近するが、それをきっかけに改心し任務と心情の狭間で苦悩する」「リタイアした歴戦の勇士が悪の組織に人質を取られ、心ならずも主人公に戦いを挑む」といったヒーロー番組に頻出するプロットを伊上の「発明」だと指摘している。)そんな伊上の最大の代表作は1971年に放映開始された『仮面ライダー』シリーズだった。仮面ライダーは社会現象と言えるブーム(第二次怪獣ブーム/変身ブーム)を起こし、70年代を通して国民的ヒーロー番組に成長していったが、作家としての伊上は70年代の末には壊死しつつあったという。 晩年の伊上は酒に溺れるようになり、そして、当時大学生だった井上敏樹は「借金しか残さなかった」父親を傍らに家計を助けるという目的もあってアニメの脚本を手掛け始めた。やがて井上敏樹の名前は『鳥人戦隊ジェットマン』(1991~1992年)、『超光戦士シャンゼリオン』(1996年)など、東映特撮ヒーロー番組を通してファンの間に知られるようになる。その作風は1話完結パターンの発明と再利用に長けた父親のそれとは真逆のものだった。井上敏樹が得意とするのは特撮ヒーロー番組の長い放映期間を活用した複雑な群像劇の展開と、パターン破りによる問題提起的なストーリーだった。
そして2001年、井上敏樹は父・伊上勝の手がけた仮面ライダーについにメインライターとして関わることになる。井上は『仮面ライダーアギト』(2001~2002年)にて全51話中50話を手掛けた。僕の知る限り、「アギト」は90年代を席巻したアメリカのサイコサスペンスドラマ(『ツイン・ピークス』がその代表例だろう)のノウハウの輸入とローカライズにもっとも成功した作品である。三人の仮面ライダー(主人公)を軸に膨大な登場人物が絡み合いながら、ある客船の遭難事件に端を発する巨大な謎を解き明かしていく。しかも、三人の主人公の三つの物語は互いに絡み合いながらも、物語の後半まで決して合流しない。そしてクライマックスでの合流の後、エピローグでは再び三つに分かれていく。僕の知る限り、こんなアクロバティックなドラマを一年間(全50話)展開し、破綻なく描ききった作家はいない。 しかし、それ以上に僕が衝撃を受けたのは、井上が本作で示した人間観と世界観だ。同作には複数の仮面ライダー(劇中では「アギト」と呼ばれる)が登場するが、この「アギト」とはいわゆる超能力者のことだ。そしてこの超能力者(アギト)たちが、自分の居場所を発見していく過程が物語の軸になる。 ここで僕たちは初代「仮面ライダー」が(特に石森章太郎の原作版で)「異形」のヒーローとして描かれていたことを思い出すべきだろう。原作漫画において仮面ライダー1号=本郷猛は感情が高ぶるとその顔面に改造手術で受けた傷跡が浮かび上がる。その醜い傷を隠すために本郷は仮面を被り、自らを拉致しサイボーグにしたショッカーと戦うのだ。 そして同作に登場する超能力者たちもまた、ことごとくその過去の体験から精神的外傷(トラウマ)をもつ。この世界ではトラウマと超能力が、比喩的に深く結びついているのだ。その結果彼らはその傷を埋め合わせるために力(超能力)を行使し、そしてその結果ことごとく命を落としていく。そしてその一方で、この物語には「いま、ここ」にある快楽に全力でぶつかっていく人々が登場する。彼らは生活自体を楽しみ、ことごとくよく食べる。そして彼らは劇中においてまったく命を落とすことなく、ほぼ全員が最後まで生き残っていく。そして彼らは全員アギト「ではない」普通の、超能力を「もたない」人間として設定されているのだ。 特に「食べる」というモチーフに井上の意図は明確に表れている。『仮面ライダーアギト』はヒーロー番組とは思えないくらい、食事のシーンが多い。登場人物たちは、何かにつけて家庭の食卓を囲み、外出先でサンドウィッチをむさぼり、屋台のラーメンを啜り、そしてストレスが溜まると焼肉屋で飲み明かしそれを発散する。そしてこれらの「食べる」という行為はどれも生き生きと描かれ、視聴者の食欲を誘う。(特に焼肉については、当時狂牛病問題で牛肉の消費が下がっていたため同番組は関連機関から感謝状を贈られているほどだ。) そして、ほとんど毎回のように描かれる食事のシーンが、前者(超能力者=アギト)にはほとんどなく、後者(非超能力者)に集中しているのだ。 そんな哀しき超能力者=アギトの中で唯一例外的な存在として描かれるのが主人公の津上翔一(仮面ライダーアギト)だ。翔一は、この物語の中で唯一トラウマを持たない。と、いうかそもそも記憶喪失で過去のことをほぼ覚えていない。しかし、そのことを本人はあまり気に留めておらず、居候先での「主夫」生活を楽しんでいる。趣味は料理を作ることで、毎日のようにユニークな創作料理を手がけ、他人に振る舞おうとする。当然、自身の食事シーンも多い。 そう、翔一は劇中に登場する唯一の「もの食う」超能力者だ。そもそも記憶のない翔一は、トラウマに捉われない。したがって自身の超能力(仮面ライダーへの変身能力)にもこだわりはなく、警察の尋問にあっさりと「実は僕、アギトなんですよ」と答えてしまう。物語の終盤、記憶を取り戻してからもその佇まいは変わらない。「津上翔一」とは記憶喪失中に仮に与えられた名前だが、彼は物語後半に判明した本名にも関心がなく周囲の人間には好きなように呼ばせてしまう。翔一は、世界に与えられたもの(記憶、名前、超能力)に関心を示さない、ある種超越した存在だ。彼を支えるのは「食べる」ことが象徴する、「いま、ここ」の世界から快楽を、生きる力を汲みだす思想だ。そして物語では、ほとんどの仲間たちが死にゆく中、翔一に感化された超能力者たちだけが生き延びていく。 かつて伊上勝は石森章太郎の描く悲劇的なドラマツルギーを、痛快娯楽活劇の「パターン」に落とし込むことで事実上無効化していった。しかしその息子の井上敏樹は、石森的なものを継承しながらも、その世界観を完全に反転させたのだ。
そして『仮面ライダーアギト』と双子の関係にあるのが、井上が全50話の脚本をすべて手掛けた『仮面ライダー555(ファイズ)』(2003~2004年)だろう。同作には、「アギト」同様、超能力(モンスターへの変身能力)をもつ人類の亜種が登場する。オルフェノクと呼ばれるその亜種は、人類を特殊な方法で殺害する。そして殺害された人類は一定の確率でオルフェノクとして蘇る。こうしてオルフェノクたちは密かに勢力を拡大していく。主人公の青年・乾巧は偶然手に入れたベルト(仮面ライダーへの変身能力を付与する)を用いて、人類を襲うオルフェノクたちと戦うことになる。
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「D」は〇〇〇〇の「D」『頭文字D』| 宇野常寛
2020-06-15 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は、しげの秀一による「走り屋」たちの世界を描いた漫画『頭文字D』を取り上げます。かつて「車」が背負っていたアメリカ的な「大人の男」の成熟像への憧れを、本作の物語はいかに覆していったのか。ゼロ年代への助走としての「走り屋」コミュニティが持つ意味と、タイトルに込められた「D」の謎に迫ります。 ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.24「D」は〇〇〇〇の「D」『頭文字D』
正月休みに組み立てるレゴとプラモデルを買いに、池袋に出かけた。たぶん、大晦日のことだったと思う。僕は混みあうビックカメラの6階でレゴ・アーキテクチャーのマリーナ・ベイ・サンズと、1/144スケールのガンダムF91を手にして浮かれていた。そして6人待ちのレジに並んで、若干の苛立ちを覚えていたとき、あの車と僕は再会したのだ。 AE86 スプリンタートレノ、通称「ハチロク」。白黒のツートンカラーに塗り分けられたこのタイプ(パンダトレノ)は90年代に全国の「走り屋」たちに愛された名車にして、そんな走り屋たちの世界を題材に展開し、彼らのバイブルとなった漫画『頭文字D』の主人公・藤原拓海の愛車だ。 僕が目にしたのはレジ前のトミカコーナーに積まれた「ハチロク」藤原拓海仕様のミニカーだった。そう、国内を代表する児童向けミニカーシリーズ「トミカ」には、漫画・アニメなどに登場する車を「ドリームトミカ」として発売しているのだが、この年の秋に『頭文字D』のハチロクがラインナップに追加されたのだ。 思わず手に取りながら、そういえばこの漫画の連載も終わったんだな、と思い出していた。この年の夏に18年続いた『頭文字D』の物語はようやく完結を迎えていたのだ。この漫画の連載がヤングマガジンではじまったとき、僕は高校2年生だった。自動車の運転に憧れていても、法律上免許を取ることが許されていない年齢だった。しかし連載が始まった1995年の夏、高校3年生という設定で既に18歳を迎えていた藤原拓海は、免許をとってはじめての夏を迎えていた。作中で物語の舞台は「90年代」としか明かされていないが、仮に連載開始時の1995年だと考えれば拓海は僕と同世代、ひとつ年上のお兄さんにあたる。そんな拓海は自動車の購入計画に胸を弾ませる級友を「何がそんなに楽しいのか」と冷ややかに眺めていた。その拓海の冷めた感想は、実は僕がこの漫画に出会ったときの、そして僕が自動車というものに対して抱いていた感想にそっくりだった。そう、当時の僕は自動車にも、その運転にもまるで興味がない17歳だった。
一昨年(2012年)の秋、トヨタ自動車社長の豊田章男氏が「車を持てば、女性にもてると思う」と発言しインターネットの若者層から強い反発を浴びた。豊田社長のこの発言は「若者の車離れ」を食い止めることをテーマに設定したイベントでの発言だったという。しかし、豊田社長は分かっていない。「車を持てば、女性にもてる」という発想が過去のものになったからこそ、若者の「車離れ」は起ったのだ。 戦後という長くて短い時間、自動車はアメリカ的な豊かな社会の象徴であり、それを実力で獲得できる「大人の男」の象徴だった。少年は安価で小回りの利くオートバイに憧れ、やがて自動車に乗り換えて大人の男になっていく。助手席に恋人を乗せるところからスタートして、やがて家族のためにファミリーカーに乗り換え、子育てを終えたあとは趣味の高級車に乗り換える……。そんな時代がこの国にも「あった」のだ。 そして拓海や僕の世代は、そんな物語の重力が失われた最初の世代でもあったはずだ。僕からしてみると、まず、男が女を助手席に乗せて自分の優位を示す、というマッチョな発想についていけない。そして、高校に上がるころにはすっかりバブルも崩壊していた僕らが、いまさら自動車にアメリカ的な豊かな消費生活を見ることなんか、あるわけがない。僕らが思春期を迎えたのは、一度アメリカを追い越したはいいものの、調子に乗ってスピードを出しすぎた結果コーナーを曲りきれず、ガードレールを突き破って谷底に転落した後の時代だ。古本屋で見つけた片岡義男の小説をめくったときは、昔の日本はこうだったのかと文化史の教科書のつもりで読んだ。それがヒルクライムではなく、ダウンヒルの時代に思春期を送った僕ら世代のリアリティだ。僕らにとって自動車を運転することで重要なのは、速く、力強く坂を上がることではなく、ガードレールを突き破らないように器用に坂を下ることだった。 だから僕も、そして藤原拓海もまた、そんな器用にやり遂げることだけを要求される世界=自動車の運転にまったく面白みを感じていなかったのだ。 その結果、藤原拓海はまったく自覚のないままに卓越したドライビングテクニックを身に付けていた。どうやらかつてプロのレーサーだったらしい父親によって、家業のとうふ屋の納品を代行するという名目で拓海は14歳の頃から自動車の運転を身に付けていた。毎朝、夜明け前に峠を全力疾走していた彼は自分でも気が付かない間にダウンヒルのスペシャリストになっていたのだ。しかし拓海にとってそれは単に効率よく家業の手伝いをこなすための技術であり、無味乾燥な作業だった。 そしてこの『頭文字D』はそんな拓海少年が車の快楽に目覚め、成長していく物語として幕を開ける。少なくとも、物語の開始時はそう構想されていたはずだ。かつて『バリバリ伝説』でオートバイを題材に少年の成長物語を描いたしげの秀一は、おそらくオートバイや自動車がかつて背負っていた物語を失いつつあることを察知して、その回復をこの作品を通して描こうとしていたのではないかと僕は思う。 だからこそ、拓海は父親から受け継いだハチロク(当時すでにレトロカーとして扱われていた)を愛車にしなければならなかったのだ。なぜならば本作は喪われた「車」の物語を回復するための作品としてはじまったのだから。 そして拓海が思いを寄せるクラスメートの女子(なつき)は高級車を乗り回す中年男性と援助交際をしていなければならなかったのだ。なぜならば、拓海は強い大人の男に成長して、間違った歳の取り方をした大人の男から彼女の心を奪い取らなければいけなかったのだから。 実際に、藤原拓海は走り屋の世界に触れることで、自動車の快楽に目覚めることで社会化し、やがて無難にやり過ごしていた自身の父子家庭や、なつきの問題に向き合っていく。 だがそんなアナクロな世界観が苦手で、僕は長い時間この漫画のいい読者ではなかった。拓海はやがていわゆる「ラスボス」としての父親と対決し、彼に勝利するのだろう。そして仲間たちに見守られながら、地元(群馬)を去り、レーサーになるために東京に発つのだろう。僕はこの物語の展開を勝手にそう決めつけて、そんなありきたりな、そしてアナクロな成長物語にリアリティを感じないと心の中で切り捨てていたのだ。 しかし、それは愚かな判断だった。
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坊屋春道を/から「卒業」させる/する方法 『WORST』| 宇野常寛
2020-06-08 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は、髙橋ヒロシによるヤンキー漫画『WORST』を取り上げます。1990年代を代表する傑作不良漫画『クローズ』の続編として描かれ、12年の歳月をかけて2013年に完結した『WORST』。前作主人公・坊屋春道なきあとの鈴蘭男子高校の抗争を通じて描かれた、「最強の男」と「最高の男」をめぐる葛藤とは? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.23坊屋春道を/から「卒業」させる/する方法 『WORST』
〈「オレはおまえらと同じで/よそを放り出されて鈴蘭へ来たただの勉強ぎらいさ/ただちょっと違うのは/オレはグレてもいねーしひねくれてもいねえ!/オレは不良なんかじゃねーし悪党でもねえ!!〉
髙橋ヒロシによる90年代を代表するヤンキー漫画『クローズ』は、主人公・坊屋春道の自分は不良「ではない」という宣言ではじまった。引用したのはそんな彼=春道が物語の冒頭、転入してきたばかりの高校で貴様は何者だと問われたときの返答だ。 舞台となる架空の高校・鈴蘭男子高校はとある街にあるいわゆる「底辺」高校だ。不良少年の巣窟である同校では、その社会の「覇権」をめぐって常に派閥抗争が繰り広げられている。しかし所属する生徒の大半が不良高校生である鈴蘭は常に群雄割拠の状態にあり、もう何世代にもわたり「統一政権」が生まれていないのだという。世代を超えて数えきれないほどの不良少年がその統一を夢見て入学し、3年間をケンカに明け暮れて過ごし、そして鈴蘭統一の志半ばで卒業していく……そんなループが永遠に続く世界に、春道は転校してきたのだ。 春道は圧倒的な戦闘力を見せつけ、彼に戦いを挑む鈴蘭内の各派閥の領袖たちをことごとく破ってゆく。その勇名はやがて彼を他校との抗争の中に導いてゆくが、春道はその挑戦者たちをもことごとくほぼ初戦でノックアウトしてゆく。なぜ春道は「強い」のか。 答えは既に春道自身の口から語られている。春道は「グレてもい」なければ、「不良なんか」でもないからだ。 坊屋春道は劇中でほとんど唯一、鈴蘭の統一など不良少年社会での権力の獲得に興味を「示さない」人物として描かれている。そう、「グレてもいない」し「不良でもない」春道は単に「勉強が嫌い」で「ケンカが好き」なだけで、決してアウトローであることに意味を見出していないのだ。したがって「鈴蘭のてっぺん」にも「大人社会への反抗」にも興味がない。彼が戦う理由はふたつ、仲間を守るためと自分の快楽、面白さのためだ。そんな春道に、鈴蘭の統一や不良少年社会での覇権を夢見る少年たちが次々と挑戦し、そして敗れていくことで物語は進行する。
これが意味するところは何か。髙橋ヒロシがここで描いているのは、ヤンキー漫画がその数十年の歴史の中で育んできた男性ナルシシズムの更新、「カッコイイ男」のイメージの更新だ。そう、髙橋ヒロシの作品世界において「強さ」とは「カッコよさ」の、「男」の価値を反映したものに他ならない。より「カッコいい」男こそが、より「強い」のだ。したがって、作中ほぼ無敵の坊屋春道は髙橋ヒロシの生み出したあたらしい「カッコよさ」を体現するキャラクターに他ならない。
春道は不良少年たちの世界──思春期の数年間だけそこに留まることができるモラトリアム空間、疑似的な社会──の中での自己実現に拘泥する少年たちの挑戦を愛情をもって次々と退ける。「不良」である彼らは一般の社会から疎外されたアウトローであるという自覚を持ち、それゆえにもうひとつの社会での自己実現を権力奪取というかたちで目論む。しかし、そんな自己実現に全く興味を示さない春道に敗れることで、彼らはことごとく転向してゆく。疑似社会での期間限定の自己実現ではなく、ケンカすることそれ自体を楽しみ、魂を燃焼させることに美的な達成を見るという春道の示したモデルに転向してゆくのだ。(劇中で春道と互角以上の戦いを展開することができたのは、同様に権力闘争に興味を持たない林田恵・通称リンダマンのみだ。) ここで髙橋が坊屋春道という男に託したのは、これまでのヤンキー漫画の美学の延長線上にありながらも、少なくとも従来の意味では「グレてもい」なければ、「不良なんか」でもない、しかし明らかにこの国の「ヤンキー」文化の延長戦上にあるあたらしい「男」の理想像に近づいていくのだ。、「大人社会への反抗」に意味を見出し、アウトローであることにアイデンティティを見出さ「ない」男の理想像に他ならない。だからこそ、この物語では従来のモデルの不良少年が春道の影響下に転向してゆくという物語が描かれたのだ。
そんな坊屋春道の最後の戦いは、全国的な勢力を誇る不良少年グループ「萬侍帝國」の幹部・九頭神竜男とのタイマンだ。不良少年社会=疑似社会の頂点に君臨する九頭神はまさにこの物語で描かれてきた古い、従来の「不良」を代表する存在だ。そう髙橋ヒロシは物語の結末に、春道のこれまでの戦いとは何だったかを総括し、改めて読者に示すエピソードを配置したのだ。
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フリット・アスノの魂は、円堂教に救われる『イナズマイレブンGO クロノ・ストーン』| 宇野常寛
2020-06-01 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は、2012年放映のキッズアニメ『イナズマイレブンGO クロノ・ストーン』を取り上げます。日野晃博率いるゲーム開発会社・レベルファイブが手がけた人気サッカーRPGシリーズ「イナズマイレブン」第5作のアニメ版にあたる本作は、まさかのタイムスリップSF展開でファンを驚愕させました。おりしも日野が原作を手がけた前年放映の『ガンダムAGE』(2011年)における「家族の絆」の呪縛とは対照的に、本作が描いた自由で破天荒な「仲間の絆」は、どんな可能性を垣間見せたのでしょうか? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.22フリット・アスノの魂は、円堂教に救われる『イナズマイレブンGO クロノ・ストーン』
フリット・アスノは高名なエンジニアの家系──アスノ家──の長男として生まれた。幼少期からその天才を発揮し、周囲を驚愕させていたというフリットだが、その運命は七歳のある事件で一変する。彼が生まれた当時、人類は正体不明の外敵の脅威に晒されつつあった。そしてフリットが七歳を迎えたある日、生まれ育ったスペースコロニーが敵の襲撃を受け、彼は最愛の母親を失う。既に父親を亡くしていたフリットは天涯孤独の身になった。フリットは軍事技術者だった母親の意志を継ぎ、外敵に対抗し得る新兵器──ガンダムの開発を引き継ぐことを決心する。そしてフリットが14歳になったある日、地球人類はようやくその姿を現した外敵──火星移民者による軍事国家ヴェイガン──との戦争状態に突入する。フリットは自ら開発したガンダムを操り、人類の救世主となるべく戦いに身を投じる。その胸に刻まれたフリットの復讐心は、戦いの中で恋人や仲間が犠牲になっていくことでさらに肥大してゆく……。 これは一昨年(2011年)から1年間放映されたテレビアニメ『機動戦士ガンダムAGE』のあらすじだ。本作は全四部構成となっており、第二部ではフリットの息子アセムを、第三部と四部ではアセムの息子(フリットの孫)キオを主人公に、約100年に及ぶ地球人類とヴェイガンとの戦争の行方を描いた大河ストーリーが展開する。
はっきり述べれば、本作は「ガンダム」シリーズ屈指の不人気作品だ。ストーリー原案に株式会社レベルファイブを率いる人気ゲーム作家・日野晃博(代表作に「レイトン教授」「イナズマイレブン」シリーズがある)を迎え、主に小学生男子を中心とした低年齢層をターゲットにしたと思われる本作は、視聴率、ソフト販売、玩具の販売とすべてにおいて苦戦が報じられた。失敗の原因はいくらでも思いつく。1年の放映期間をもってしても圧倒的に尺が足りず、詰め込み過ぎのエピソードを強引に処理する脚本は常に総集編を見ているかのような印象を視聴者に与えたのは間違いないし、近年のアニメとしては作画のクオリティも高いとは言えなかった。
しかし、僕が引っ掛かるのはもっと別のことだ。僕は日野晃博は現代日本を代表する作家のひとりだと考えている。日野は僕の知る限りもっとも果敢に「失われた20年」以前の少年漫画(ジャンプ)、児童漫画(コロコロコミック)のドラマツルギーを現代的なものにアップデートすることに挑戦している作家であり、そして相応の成果を上げている作家である。しかし、その日野をもってしても、「ガンダム」を扱うことはできなかったのだ。 『機動戦士ガンダムAGE』の主題は明確だ。それは「ガンダム」を通して、日本のロボットアニメの想像力を総動員して、男性の「成熟」を、もっと言えば「老い」を描く、ということだ。そもそも日本のロボットアニメは、男子幼児、男子児童の成長願望に根差した表現だった。「ロボット」とは定義上、人工知能をもつ自律した存在だが鉄人28号も、マジンガーZも、そしてガンダムも人工知能を持たないただの「乗り物」にすぎない。少年がかりそめの、機械でできた、そして巨大な身体を手に入れることで疑似的な成長を果たし、大人たちと肩を並べて敵と戦う──。そう、戦後日本の文化空間は「日本的ロボット」ともいうべき奇妙なキャラクターを生み出し、そしてこの奇妙なキャラクターが絶大な支持を受けることで日本のオタク系文化は成立していったと言っても過言ではない。 したがってそこで描かれるのは常に幼少期から思春期にかけての(男性の)物語だった。なぜならば、ほんとうに歳をとってしまった男子にはもはやロボットは必要ない、いや、ロボットがもたらすというかりそめの成長に賭けることができないからだ。そして日野という作家の挑戦はここにあったように思える。それは言いかえれば換えれば人はロボットに、ガンダムに乗ったまま歳をとることができるのか、という問いだ。という挑戦だ。機械の身体と架空年代記を通じて人間の成長と老いを描くことができるのか。それが本作における日野の挑戦だったはずだ。 「ガンダム」シリーズの架空年代記は、とくに初代「ガンダム」ブームの直撃世代である団塊ジュニア世代にとっては、疑似的な国民文学として機能している。団塊世代が司馬遼太郎の歴史小説の影響下に「自分も幕末に生まれていれば龍馬のように生きたかった」と思いをはせるように、団塊ジュニア世代のサラリーマンは「自分は宇宙世紀に生まれていればシャアのように」と考える。当時のファンタジー、とくに架空年代記的なそれが高度消費社会を背景に失われた「歴史が個人の生を意味づけていた世界」を消費者に疑似的に提供することで支持を集めていたのだ。機械の身体(日本的ロボット)による成長の仮構と架空年代記による人生の意味付けの仮構──「ガンダム」はアニメという「つくりもの」が象徴する戦後日本の文化空間と精神史の生んだ結晶であり、鬼子なのだ。
そして日野が本作で行おうとしたのは、こうした「つくりもの」の成長(を象徴する)「ガンダム」の清算だったに違いない。
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「絆」なんか、要らない『半沢直樹』と『あまちゃん』とのあいだで|宇野常寛
2020-05-25 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は、宇野常寛によるメディア論をお届けします。2012年に大ヒットしたドラマ『半沢直樹』『あまちゃん』と、そこに象徴される団塊ジュニア世代のメンタリティを読み解きながら、「テレビの時代」の終わりと、「正しい断絶」に基づいたインターネットの新しい可能性について探ります。 ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.21「絆」なんか、要らない『半沢直樹』と『あまちゃん』とのあいだで
昨2013年は国内のテレビ放送開始から60年目の節目にあたる。そのため、この一年は各媒体でテレビ文化を総括する企画が数多く見られた。そしてテレビ文化に対しての批評をデビューから多く手掛けてきた僕は、その手の企画に呼ばれることの多い一年だった。新春に放送されたNHKの「朝ドラ」の歴史をさかのぼる番組から、『三田文學』誌のテレビの行く末を案じる座談会まで実にバラエティに富んだ企画に出席したが、そこで問われているものは本質的にはひとつしかないように思える。 それは、もはやテレビの役割は終わったという現実にどう対応していくのか、という問いだ。こう書いてしまうと、実際にこの手の企画で僕と同席することの多い研究者やもの言う制作者たちは不愉快に思うかもしれない。じっさいにこの種の企画の席上でも、僕は彼らとぶつかり合うことが多かった。曰く「とは言え、今はまだ国内最大メディアとしてのテレビの訴求力は大きい」「とは言え今はまだインターネットを情報収集の主な窓口とするライフスタイルは都市部のインテリ層に限られている」……もちろん、その通りだ。しかし、彼らの反論の「とはいえ今はまだ」という語り口が何より雄弁に近い将来にそうではなくなることを、誰もが予感していることを証明しているのではないか。 ある座談会でたぶん僕とは親子以上に年齢の離れた学者先生はこう言った。「とは言え、あの頃のように国民全体に共通の話題を提供するテレビのようなものは必要なのではないか」、と。僕はすぐにこう反論した。「いや、そんなものはもう要らない」と。 人間の想像力には限界がある。目の前で産気づいている妊婦を助けようと考える人も、遠い知らない街が災害に見舞われたと知ってもいまひとつピンと来ない、なんてことはそう珍しくない。この距離を埋めるためにマスメディアが機能したのが、20世紀の歴史だった。遠く離れたところに生きる人間同士をつないで、ひとつにすること。ばらばらのものをひとつにまとめること。こうして社会を成立させるために、マスメディアは有効活用された。そして、有効活用されすぎてファシズム(ラジオの産物と言われる)のようなものが発生し、世界大戦で危く人類が滅びかけたのが20世紀前半の歴史だ。そしてその反省から20世紀後半はマスメディアは政治から独立することを前提に運用されるようになった。しかし、その結果マスメディアは第四の権力として肥大し政治漂流やポピュリズムの温床と化している。 僕はこう考えている。もはやばらばらのものをひとつにまとめる装置としてのマスメディアの役割は、少なくともこの国においては終わっている。会社員男性の大半がプロ野球に興味を持ち、巨人ファンかアンチ巨人だという時代を回復しなくても、社会が破綻することはないだろう(現に破綻していない)。たしかに国家の、社会の成熟の過程でマスメディアが誰もが同じ話題に関心を持ち、重要だと考える「世間」を機能させることは有効だったに違いない。しかし、敗戦から70年に達しようとしているこの老境の近代国家・戦後日本はもはやその段階にはない。現に、インターネットを当たり前に存在するものとして受容している若い知識人層を中心に、「テレビ」の体現する公共性は大きく疑問視され始めている。 僕は社会人になってから一度も新聞を購読したことがない。そしてテレビのニュースはほぼ完全に、見ない。なぜならばそこで話題にされていることが、ほとんど自分の生きている社会のようには思えないからだ。政治報道は政局中心、経済報道は昔の「ものづくり」中心、科学と海外ニュースは割合自体が極端に低い。街頭インタビューで「市民の声」を拾えば、ねずみ色のスーツに身を包んだ新橋のサラリーマンと東京西部のベッドタウンの専業主婦を選ぶ。特にひどいのが文化面で、文化的存在感においても経済規模においても、ほとんど意味のないものになっている芥川賞を一生懸命報道するにもかかわらず、夏冬それぞれ50万人の動員をほこる世界最大級のイベントであるコミックマーケットは会場で事故が起きたときしか扱わない。
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僕たちはもっともっと深く潜ることができる『あまちゃん』| 宇野常寛
2020-05-18 07:00
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは2013年のNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』です。『木更津キャッツアイ』『タイガー&ドラゴン』等で「地元」や「家族」のイメージを一新し続けてきた宮藤官九郎が、初めて朝ドラ脚本を手がけ、社会現象を巻き起こした本作。2010年代の朝ドラ再生の起爆剤となった歴史的作品で、クドカンは何を描き、何を描けなかったのか? ヒロイン・アキの体現する「アマチュアリズム」の可能性の中心を探ります。 ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
宇野常寛コレクション vol.20 僕たちはもっともっと深く潜ることができる『あまちゃん』
社会現象にまで発展したNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』が去る9月28日についに完結した。ご存知の読者も多いだろうが、僕は本作を担当した脚本家の宮藤官九郎の大ファンであり、デビュー作の『ゼロ年代の想像力』では、宮藤を同時代で最も重要な作家として位置づけた。当時の宮藤はまだジャニーズ事務所所属の美少年タレントを主役に据えた若者向けのテレビドラマでカルトな人気を博していた存在だった。(お陰で、当時年長の批評家やその読者からは、馬鹿じゃないのかとさんざん罵られた。) 同時に、僕はいわゆるこの「朝ドラ」のマニアの一人であり、たとえば2007~8年放映の『ちりとてちん』については放映3年後に自分の雑誌(『PLANETS』)で特集を組んだほどだ。(今年の正月にNHKで放送された『テレビ60年 連続テレビ小説“あなたの朝ドラって何!”』にも、若い朝ドラファンの代表として出演している。) 要するに僕はクドカンと朝ドラ、双方の大ファンであり、この『あまちゃん』という企画は言ってみれば盆と正月が一緒に来たようなものだった。放送中は毎回かじりつくように、ほぼリアルタイムで視聴していたし、主宰する雑誌では『あまちゃん』特集の別冊まで出した。 実際、『あまちゃん』は素晴らしい作品だったと思う。仮にこの作品を「採点」するのなら、100点満点で90点をつけるだろう。スタッフにキャスト、そしてそれを支えたファンコミュニティも含めて、かかわったすべての人々に心から敬意を表したいと思う。しかし勇気を出して書くとその高い完成度とは裏腹に、僕は最後までこの作品に強く心を動かされることはなかった。
劇団「大人計画」所属の作家兼俳優である宮藤官九郎は、当時同劇団の若手としてカルトな人気を博していた。個人的には90年代の小劇場ブームにあまり関心を持てなかったこともあり、僕は宮藤の存在をほぼ知らなかった。そんな宮藤を最初に意識したのは、2000年放映のドラマ『池袋ウエストゲートパーク』だった。そこには、石田衣良の同名原作に描かれていたカラーギャングなど90年代のストリートカルチャーの(やや遅れてきたがゆえに可能だった)批評的な取り込みがあり、堤幸彦が小劇場やアニメからテレビドラマに持ち込んだ実験的な演出があった。しかし僕が一番心惹かれたのは、クドカン一流の「地元」への視線だった。 クドカンが描く「地元」は、それこそ多くの「朝ドラ」が描いてきたような「消費社会で忘れ去られようとしている人間の温かみのある歴史と伝統の街」とは明らかに一線を画していた。むしろそんな「物語」がもはやまったく通用しないという前提から出発したと言っても過言ではない。 たとえば2002年放映の『木更津キャッツアイ』の舞台は当初は同じ千葉県の柏が想定されていたと言われている。要するに、東京からキャストとスタッフがロケに通うことのできる郊外都市ならば「どこでもよかった」のだ。ここで言う「郊外都市」の要件とは何か。それはかつて三浦展が「ファスト風土」と名付けた、消費社会の進行とともに画一化していった風景を持つことだ。北は北海道から南は九州・沖縄までロードサイドにファミレスとパチンコ屋とマクドナルドとブックオフと、そしてイオンのショッピングセンターが並ぶ……。主に左派論壇で否定的に扱われるこうした光景を、(少なくとも)宮藤は決して否定的には捉えなかった。当時『木更津キャッツアイ』で描かれたのは、そんな歴史や伝統と切断されたフラットな空間に、同世代のサブカルチャーや内輪受けの「ネタ」を投入することで、自分たちが生きている街を、何もない街を、自分たちのコミットで自分たちの歴史(偽史)をもつ自分たちの街に変えていく、というアプローチだった。(たとえばクドカンの描く池袋や木更津には、川㟢麻世や哀川翔、そして氣志團などが本人役で登場し、物語に関わっていく。) 2003年放映の『マンハッタンラブストーリー』では、六本木のテレビ局の関係者が集う喫茶店「純喫茶マンハッタン」での恋愛模様が描かれた。タイトルに含まれるニューヨークの地名はまったく物語に関係せず、「マンハッタン」とは主人公たちのたむろする六本木の喫茶店の名称に過ぎない。それどころか、彼らのコミュニティと、六本木という土地の歴史と物語との関係はほぼ存在しない。主にテレビ局関係者が占める彼ら登場人物のコミュニケーションはテレビや芸能界、懐メロを中心としたサブカルチャーのデータベースの共有によって成り立っている。(ちなみに、本作の登場人物たちはロマンチック・ラブ・イデオロギーをかたくなに信仰しながらも、次々と気持ちに変化が訪れてパートナーをとっかえひっかえし、家族もどんどん流動化していく。同作は、土地にも歴史にも家族にも根拠がなくなってしまい、誰もが信じたいものを信じるしかなくなった流動化しきった世界を限界まで追求した作品に他ならない。) あるいは2005年の『タイガー&ドラゴン』はどうだったか。同作の舞台となるのは浅草という古い、歴史と伝統の強く作用する街だ。そこに現れた孤児の青年・虎児が落語家の大家族と出会うことで、そこに居場所を見つけていく。おそらく『あまちゃん』の基本モチーフの由来の一つがここにある。
同作では、浅草に根付いた(比較的に)伝統ある落語家の大家族=「土地」や「家族」といった既に古びた概念を、これまで培ってきたノウハウを駆使して(たとえばサブカルチャーのデータベースとの戯れと、それに支えられた血縁を伴わない疑似家族的共同体への期待、など)再生し、その概念を拡張する。『池袋ウエストゲートパーク』や『木更津キャッツアイ』で培った新しい「地元」への視線を交えることで、「歴史」と「伝統」に支えられた古い「地元」を再生していくのだ。今どきの「地元アイドル」によって過疎の地元が再生していく『あまちゃん』と同作の構造は相似形を成していく。一見何もない「地元」でも、自分たちの力で歴史をつくり、文脈をつくり「潜る」ことができる。『あまちゃん』のルーツは間違いなくここにある。東京では「地味で暗くて向上心も協調性も個性も華もないパッとしない」子だったヒロイン=アキが、祖母の住む北三陸に赴くことで、生まれ変わる。付け焼刃の東北弁を操り、ミーハーな思い付きから海女としてデビューすることで居場所を見つけていくのだ。
近年のクドカンはこうした既存の概念(地元、家族)の新しい想像力による「拡張」という手法を、もっぱら「家族」というテーマで展開してきたように思える。 たとえば東野圭吾による有名原作を大胆にアレンジした『流星の絆』について考えてみよう。同作では、主人公兄弟が血のつながらない妹に抱く疑似近親姦的な愛情や、主人公と昔なじみの刑事との疑似的な父子関係がクローズアップされる。(これはほとんど東野原作では追求されていない要素だ。)そして同作は、過去の犯罪で家族を失った主人公たちがこうした要素を乗り越えて/用いて、いかに「家族」のイメージを拡大していくのか、伝統的共同体や家父長制的イデオロギーを超えた多様であたらしいイメージの家族に拡張していくのか、を描いていく。 また、2011年の末に放映された『11人もいる!』では、東京近郊の大家族が、叔父や祖父はもちろん、最終的には新妻の元彼や死んだ前妻の幽霊まで包摂し、無限拡張してゆく「拡張家族」のイメージを提出した。(また、本作は震災後にクドカンがはじめて手がけた連続ドラマで、劇中では震災をテーマにしたエピソードも存在する。)
それではここで『あまちゃん』を考える上でクドカンと並ぶもう一つのファクター「朝ドラ」の過去と現在について考えてみよう。
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