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世界は自分の認知に過ぎない(後編)|猪子寿之
2022-03-17 07:00550pt
チームラボの代表・猪子寿之さんの連載「連続するものすべては美しい」。今回は、豊洲の「チームラボプラネッツ」の作品をめぐる対話です。植物をモチーフにした作品から、植物の特異な進化史を概観しつつ、「ボーダレス」という思想について改めて問い直します。前編はこちら。(構成:杉本健太郎)
猪子寿之 連続するものすべては美しい第7回 世界は自分の認知に過ぎない(後編)
アートを生活空間に持ち込み、分配可能なものにする
猪子 豊洲の「チームラボプラネッツ TOKYO DMM」を去年の夏に拡張したんだよ。屋外に2つの庭園を作ってね。苔庭(『呼応する小宇宙の苔庭 - 固形化された光の色, Sunrise and Sunset』)とフラワーガーデン(『Floating Flower Garden: 花と我と同根、庭と我と一体』 以降、「フラワーガーデン」)をやってみた。これも自然物を使った造形物だね。 苔庭にまだ人類が見たことがないような色の卵をたくさん置いてさ。もはや何色かわからない、何色と一言では言えないような装置ね。見たことがないような光の色を再現性がある形で作りたいと思った。複雑な色で61色で構成されてる。
▲『呼応する小宇宙の苔庭 - 固形化された光の色, Sunrise and Sunset』 https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/ew/resonating_microcosms_mossgarden_planets/
▲『Floating Flower Garden: 花と我と同根、庭と我と一体』 https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/ew/ffgarden_planets/
宇野 人類が見たことがないような色っていうのは、もう少しかみ砕いて言うとどういうものなの?
猪子 光が固形化されて、パキパキしたまま混ざってるようなもの。普通はグラデーションになるんだけどさ、もっと光がパキっと固形化されたまま混ざってる。
宇野 グラデーションにならないように技術を用いてるってこと?
猪子 そう。今までグラデーションで色があいまいに混ざっていくみたいなのはよくやってたんだけど、もっとパキパキのまま色が混ざってる。
宇野 ちょっと不気味だよね(笑)。通常とは違う色の見え方を表現することで、どういう感覚を引き起こしてたの?
猪子 色の概念を更新できたらいいなと思ってさ。色は無限のグラデーションなんだけど、どうしても言葉による認識が先走っちゃって限界を作っちゃう。でも本当は色って境界なく無限にあるグラデーションなんだよ。
宇野 グラデーションにならない色って、けっこう違和感を覚えるわけだよ。「境界のない世界」を擁護するというチームラボのポリシーに照らすと、その違和感によって、色は本来グラデーションであることを逆説的に思い起こさせるのかもね。
猪子 そこまで考えてなかったけど、そういうことにしようかな(笑)。
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世界は自分の認知に過ぎない(前編)|猪子寿之
2022-03-10 07:00550pt
チームラボの代表・猪子寿之さんの連載「連続するものすべては美しい」。今回は、水戸の偕楽園で開催中の展覧会「チームラボ 偕楽園 光の祭」と昨年拡張した豊洲の「チームラボプラネッツ」の2つの庭園をめぐる対話です。その土地の特性とチームラボの作品作りの関係、人間の脳の中で構成されるアート作品、「作品を見る自分」と「作品に見られる自分」の関係など、縦横無尽に語ります。(構成:杉本健太郎)
猪子寿之 連続するものすべては美しい第7回 世界は自分の認知に過ぎない(前編)
その土地の良さを活かすチームラボの「土地読み」
宇野 茨城県水戸市でやっている「チームラボ 偕楽園 光の祭 2022」を見たけど、すごくよかったね。この庭は表門が陰、裏門が陽というふたつのエリアに分かれているわけだけれど、あえて庭の裏、つまり陽の側から入るっていう構成がいい。シンプルな仕掛けだけれど、普通に表の陰のエリアから入るのとでは、まったく印象が違うと思うんだよね。
猪子 最後に梅が陽にあたるから、もう一回陽に戻って来るんだよ。
宇野 陽から入って陰に行き、もう一回陽に行くんだね。僕はこれまでもたくさんチームラボの地方展示を見てきたけど、その土地というか、会場を活かすためにどういう作品をどこに配置したらいいかを、すごく考えてるよね。毎年佐賀の御船山でやっている展示(「チームラボ かみさまがすまう森」)はもう鉄板だけど、庭園を夜歩くって普通はありえないことなんだよ(笑)。ただ、夜にこういったデジタルアートのインスタレーションっていうのを挟むことによって昼間は、つまり普段は僕たちが気づかないその土地の側面を引き出しているいい展示だと思うんだよね。今回の偕楽園もそのための「土地読み」に成功していることがすごく大きい。昼には見えないものをデジタルアートの力で引き出す夜の展示だからこそ、先に裏から陽を見せて、陰につながっていき、また陽に戻る。
猪子 ベースがいい造りになってるから、構成もそれに合わせてけっこう凝ったよ。たぶん陰ってさ、太郎杉とかわかりやすいけど、お庭ができるずっと前から存在する。お庭と歴史感が全然違うんだよね。時間がめちゃくちゃ長い。お庭の背景にあった森の部分を通って、またお庭に戻るっていう構成。だから、最後は梅林なの。
宇野 偕楽園っていう後から造られた場所の中に入っていくと、太郎杉と次郎杉という庭のできる遥か以前というか、その土地の深層が露出した歴史以前の存在に出会って、そしてもう一回人間の歴史の世界に戻ってくるっていう構成だよね。要するに人間の歴史の世界と、人間外の歴史以前の世界との境界を構成的に無くしているんだよね。
猪子 お庭が元々そういう造りだから、それを活かしたっていう。できるだけ長い時間に接続できたらいいなと思って。で、太郎杉や次郎杉が一番時間を感じさせるモノだったから、そこには絶対アクセスさせて戻ってくる構成にしたかったのね。
宇野 チームラボ的土地読みの何がいいってさ、複数の時間の流れをデジタルアートの介入で可視化させているところなんだよね。人間の歴史と土地の歴史って、同じ場所に流れていて、重なっているけどちょっと違うじゃない。人間の時間と木の時間と岩の時間って、実は全部流れ方が違う。人間にとっては膨大な時間でも、木にとっては一瞬で、岩にとってはもっと短い時間かもしれないこの違いって、昼間に普通に庭を歩いて見ているときはなかなか意識できない。しかし夜の庭がデジタルアートの介入で照らされると、それがはっきりと浮かび上がって可視化される。ああやって木々が暗闇の中に浮かび上がってさ、その中を歩いていると、複数の時間が同じフィールドに並べられて同時に流れているのが感じられる。つまり、土地の記憶の重層性を直接的に感じることができた。チームラボの土地読みを生かした展示のスキルがすごく成熟していると思ったね。
猪子 夜がいいのはさ、いらない情報を消せることなんだよね。あの梅林も昼だと周りの建物が見えちゃうんだ。だから明るいうちは方位がわかっちゃうんだけど、夜なら建物が消えるから、まるで無限回廊にいるかのような気分になるの。たぶんひとりで行ったら、大人でも半泣きになるくらい怖いよ。
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生命と宇宙を貫く法則を体感させたい|猪子寿之
2021-11-24 07:00550pt
チームラボの代表・猪子寿之さんの連載「連続するものすべては美しい」。今回は、岡山の福岡醤油ギャラリーで開催中の展覧会「Teamlab: Tea Time in the Soy Sauce Storehouse」をめぐる対話です。「自分自身でありながら、世界の一部にもなれる」感覚を味わえる作品、近くと遠くで見え方が変わる新しい色。不思議な感覚の先に現れる、自分と世界の「ととのう」が重なり合う体験について語り合います。(構成:小池真幸)※「連続するものすべては美しい」の第1回~第5回はPLANETSのWebマガジン「遅いインターネット」にて公開されています。今回からメールマガジンでの先行配信がスタートしました。
猪子寿之 連続するものすべては美しい第6回 生命と宇宙を貫く法則を体感させたい
「個vs全体」──近代人がとらわれていた二項対立を解体する
猪子 今日、宇野さんに体験してもらった企画展は、2021年4月15日から2022年3月31日まで岡山の福岡醤油ギャラリーでやっている「Teamlab: Tea Time in the Soy Sauce Storehouse」。ここはもともと、醤油製造に使われていた古い建物だったんだけど、実業家で、現代アートのコレクターでもある石川康晴さんが理事長を務めている公益財団法人石川文化振興財団が、その建物の耐震構造などを補強してギャラリーにリノベーションしたんだ。その地下の、当時、醤油蔵だった場所を作品空間にした。かつて醤油が貯蔵されていたことにちなんで、四方から黒い液体で包まれているような空間を作りたいなと思って、出入り口をトンネルにして、360度全方位が水に囲まれている場所にしたんだ。 福岡醤油ギャラリーは、芸術や地域文化の発信を行うための場所としてオープンした文化施設。石川文化振興財団は岡山市や岡山県と一緒に、岡山城・後楽園周辺ゾーンで開催される国際現代美術展「岡山芸術交流」を3年に1回開催している。そんななかで、この施設の地下ギャラリースペースで展示する最初のアーティストとしてチームラボに声をかけてもらって、とても光栄なことだと思っているよ。
▲福岡醤油ギャラリー(Photo:S.U.P.C uchida shinichiro)
▲福岡醤油ギャラリーおよび展覧会の様子(撮影:宇野常寛)
福岡醤油ギャラリーは、明治に建てられた主屋と昭和初期に建てられた離れからなる建物「旧福岡醤油建物」を改修してつくられた文化施設。展覧会の開催や一部施設の貸出とともに、瀬戸内の食文化を堪能できるスペースを運営予定。人々が集い、新たな交流が生まれる場を提供することを目指す。運営元は、公益財団法人石川文化振興財団。理事長の石川康晴さんは、ファッションブランド「earth music&ecology」などを手がけるアパレル企業・ストライプインターナショナルを創業した実業家だ。
この福岡醤油ギャラリーの源流は、2010年代の前半までさかのぼる。石川さんは2014年、「街が美術館となり、散歩がアートとの出会いになる。」をコンセプトに、「Imagineering OKAYAMA ART PROJECT」を開催した。工事現場の壁、県立美術館の壁、廃校の学校の中、街中の自然……既存の素晴らしいものと現代アートを融合させるアートイベントとして展開。世界各国から収集した現代アートの「石川コレクション」が、国内初公開の作品も含めて市内の至る場所に出現した。
「Imagineering OKAYAMA ART PROJECT」は、短期間で延べ11万人を超えるほどの来場客を集めたことを評価され、国際現代美術展「岡山芸術交流」へつながっていく。「既存のものを活かす」という中心的なコンセプトを引き継ぎながら、世界各地から多様なアーティストたちが参加。ニューヨーク在住の著名アーティストであるリアム・ギリックがアーティスティックディレクターを務めた第1回(2016年)には延べ 234,000人、フランスを代表するアーティストであるピエール・ユイグがアーティスティックディレクターを務めた第2回(2019年)には延べ312,000人が来場した。2022年秋には第3回の開催が決まっており、アーティスティックディレクターには、アルゼンチン生まれのアーティスト、リクリット・ティラヴァーニャを選任。
ただ、街中を会場とするがゆえに、会期終了後はすべて展示を撤去してしまうという。そこで、アート作品を展示する拠点を持とうと設立されたのが、この福岡醤油ギャラリーなのだ。
もともと醤油蔵だった建物を再利用することは、「潰れかけた場所に『生命(いのち)』を宿らせる」ことでもある──その考えにも照らし合わせ、こけら落としとなる展覧会の担い手に、石川さんはチームラボを選んだ。「チームラボがこんなに狭いスペースで展示を行うのは初めてではないか。それにもかかわらず、醤油蔵の文脈と生命という概念、さらにはお茶というコンセプトともつながっていく、期待以上のものをつくってくれた」と石川さん。
福岡醤油ギャラリーでは、欧米だけでなく、日本も含めたアジアのアーティストの展覧会を開催していく構想だ。「生きているアーティストの次のステップを応援するパトロンとなりたい」と石川さんは意気込みを語った。そうしてギャラリーを充実させていった先に、「既存の観光コンテンツと私たちの文化芸術のアプローチをミックスした魅力的な都市をつくりたい」とも展望している。
猪子 展示しているのは『旧醤油蔵の共鳴する浮遊ランプ』という作品で、一帯に水を張ってランプを浮かべている。
その水面と同じレベルにお客さん用のテーブルがあって、そこでEN TEAの茶が飲める。こっちはコップに入れたお茶が光をたたえてその色が変化していく『共鳴する茶 - 動的平衡色』という作品になっているというわけ。
▲Teamlab: Tea Time in the Soy Sauce Storehouseでの『旧醤油蔵の共鳴する浮遊ランプ』と『共鳴する茶』。
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我々の身体を"マリオ"化する企て――チームラボ猪子の日本的想像力への介入 宇野常寛コレクション vol.19【毎週月曜配信】
2020-04-27 07:00550pt
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は2014年に開催された「チームラボと佐賀 巡る!巡り巡って巡る展」を取り上げます。海外ではすでに新世代のデジタルアートの旗手として大きな注目を浴びていながらも、チームラボにとって日本国内ではほぼ初めてだった大規模な展覧会。宇野にとっても彼らのアートと系統的に向き合っていくターニングポイントとなった異例ずくめの佐賀展は、情報技術と日本的想像力との関係を、どのように更新したのでしょうか? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
※チームラボ代表・猪子寿之さんと宇野の対談を収録した「人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界」(PLANETS刊)好評発売中です!詳細・ご購入はこちらから。
「超楽しいよ、佐賀」「佐賀、ハンパないよマジで」「福岡から電車で一時間しないよ。マジすぐだから」 打ち合わせにならなかった。 その日僕は事務所のスタッフと一緒に水道橋のチームラボに来ていた。チームラボとは猪子寿之が代表をつとめる情報技術のスペシャリストたちのチームで、近年はデジタルアート作品を数多く発表している。主催の猪子が掲げるコンセプトは情報技術による日本的な想像力の再解釈だ。西欧的なパースペクティブとは異なる日本画の空間把握の論理を現代の情報技術と組み合わせることで、猪子はユニークな視覚体験を提供するデジタルアートを多数産み出してきた。
僕はいま、彼らチームラボと2020年の東京オリンピックの開催計画を練っている。ほうっておけば高齢国家・日本が「あの頃は良かった」とものづくりとテレビが象徴する戦後日本を懐かしむだけのつまらないオリンピックが待っている。そこで、僕はいま仲間たちと若い世代が考えるあたらしいオリンピック・パラリンピックの企画を考えて、僕の雑誌(PLANETS)で発表しようとしているのだ。僕たちの考えではテレビアナウンサーが感動の押し売り的文句を連呼し、「同じ日本人だから」応援されることをマスメディアを通じて強要されるオリンピックの役目はもう、思想的にもテクノロジー的にも終わっている。僕たちが考えているのは最新の情報技術を背景にした、あたらしい個と公のつながりを提案するオリンピックだ。開会式の演出からメディア中継にいたるまで、実現可能な、そしてワクワクするプランを提案すべく日々議論している。だからこの日もそんな議論が行われるはずだったのだが、猪子の口から出るのはいつまで経っても「佐賀」の話題だった。
そう、その日(3月10日)佐賀県ではチームラボの展覧会「チームラボと佐賀 巡る!巡り巡って巡る展」が開催中だった。チームラボの評価はむしろシンガポール、台湾などアジア圏のアート市場で高く、国内での大規模な展覧会は今回が初めてのものとなる。今回の展示は佐賀県内の4ヶ所にも及ぶ施設にまたがる大規模なものだが、存命の、しかも弱冠36歳の若いアーティストの展示を県が主催するのは異例のことだ。この異例の開催については県庁内でもさまざまな議論が交わされたようだが、開催後は予想外の好評と来場者数の伸びに湧いているという。その日猪子は半分冗談まじりに、あと二週間足らずで終わるこの展覧会を僕に観ろ、と繰り返した。
たしかに一度、猪子の作品をまとめてじっくりと観てみたいという気持ちは以前からあった。しかし、観に行くとしたらその週末に弾丸ツアーを敢行するしかない。さすがにその展開はないだろう、と思っていた僕を動かしたのは何気ない猪子の一言だった。「会期延長しようぜ1ヶ月くらい。なら行ける」と口走った僕に、猪子はこう言ったのだ。「宇野さん、俺と宇野さんの一番の違いはね。なんだかんだで宇野さんは夢を生きている。でも、俺は現実を生きているんだよ」と。もちろん、これは冗談だったのだと思う。でも、僕はこの何気ない一言に猪子寿之という作家の本質があるような気がしたのだ。そして、僕は気がついたら答えていた。「え、じゃあ、行っちゃおうかな。うん、行くわ」と。
ここで猪子という作家の掲げる「理論」を簡易に説明しよう。猪子曰く、西欧的なパースペクティブとは異なる日本画的な空間把握は現代の情報技術が産み出すサイバースペースと相性がいい。全体を見渡すことのできる超越点をもたないサイバースペースは日本画的な空間と同じ論理で記述されるものだ、と猪子は主張する。そして、多様なコミュニティが並行的に存在し得る点は多神教的な世界観に通じる。猪子はこのような理解から日本的なものを情報技術と結びつけ、たとえば日本画や絵巻物に描かれた空間をコンピューター上で再解釈したデジタルアート(アニメーション)を多数発表している。
その題材の選択からオリエンタリズムとの安易な結託と批判されがちな猪子だが、実際に国内の情報社会がガラパゴス的な発展を続けていること/そしてその輸出可能性が検討されていることひとつをとっても、猪子の問題設定のもつ射程はオリエンタリズムに留まるレベルのものではないのは明らかである。
さて、その上で以前から僕が指摘しているのはむしろ猪子のキャラクター的なものへの態度についてだ。 猪子が度々指摘する主観的な、多神教的な、アニミズム的な世界観は同時にキャラクターというインターフェイスを備えている。たとえば私たち日本人は本来「人工知能の夢」の結晶であるはずの「ロボット」を「乗り物」として再設定している(マジンガーZ、ガンダム、エヴァンゲリオン)。「初音ミク」もまた集合知をかりそめの身体に集約して、作品を世界に問うための装置だと言える。要するに私たちは、日本人は自分とは異なる何かに、ときには集団で憑依して社会にコミットする(「世間の空気」を「天皇の意思」と言い換える)という感覚を強く有しているのだ。
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宇野常寛 チームラボと未来の社会像――3つの境界線を消失させるために(後編)
2019-11-20 07:00550pt
今朝のメルマガは、宇野常寛によるチームラボ論の後編です。チームラボの「超主観空間」は、三次元空間を平面化する視点の変容により、鑑賞者を作品世界へと没入させます。デジタルアートと自然の融合が促す、人間と事物の境界の消失。さらには人間の間にある境界の融解による、理解や共感に依らない他者との共生の可能性を提示します。 ※本記事は『teamLab 永遠の今の中で』(青幻舎・2019年)に寄稿した論考を転載したものです ※本記事の前編はこちら本記事のリード文の一部に誤記があったため、修正して再配信いたしました。読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【11月20日19時00分追記】
本メルマガの連載を書籍化した『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』が11月21日に発売になります。ぜひお買い求めください(Amazon |BASE)
3 人間と事物との境界線を消失させる
チームラボのデジタルアート作品は、彼らの主張する「超主観空間」というコンセプトに基づいた平面的な絵画のアップデートから始まった。「超主観空間」とは何か。「一般的に伝統的な日本画は観念的だとか平面的だとかと言われているが、当時の人には、空間が日本画のように見えていたのではないだろうか」という疑問から、このコンセプトは生まれたという。チームラボは「デジタルという新たな方法論によって、その論理構造を模索」し、「コンピューター上に立体的な三次元空間の世界を構築し、日本美術の平面に見えるような論理構造」を仮定した。その論理構造を「超主観空間」と呼ぶ。こうして、チームラボ作品の多くが、コンピューター上に仮構された三次元の空間を「超主観空間」の論理式によって平面化することによって生まれてきた。[2] これによって日本画は無限に変化するアニメーションに、あるいは鑑賞者に対しインタラクティブなものにアップデートされたわけだが、ここで重要なのはむしろ視点の問題だ。 猪子は述べる。超主観空間によって描かれた自分たちの新しい日本画は「スーパーマリオブラザーズ」のようなものなのだと。猪子は「スーパーマリオブラザーズ」に見られるような80年代の日本のコンピューターゲームで発展した横スクロールアクションと、日本的な絵画の「視点」の問題に共通項を見出す。それは、鑑賞者≒プレイヤーが自分の感情移入対象である人物(キャラクター)と視点を共有しながらも、その姿を神の視点から把握していることだ。猪子はこの視点を平面(作品世界)への没入を可能にする視点だと位置づける。「超主観空間」は伝統的な日本絵画を動的に、インタラクティブにアップデートするためだけに導入されたのではない。むしろ、作品世界への鑑賞者の没入を、人間と事物(作品)との境界線とを消失させるためにこそ必要とされたのだ。 人間と事物との境界線の消失というコンセプトは、今日においてもチームラボの作品群の一つの中核をなしていると言えるだろう。 例えば〈Floating Flower Garden;花と我と同根、庭と我と一体〉(2015)は、本物の生花で埋め尽くされた空間として鑑賞者の前に登場する。しかし鑑賞者が近づくとモーターで制御された花たちは上昇を始め、鑑賞者の移動に合わせて半球状のドームが生まれていく。あるいは、同年のチームラボの代表作の一つ〈クリスタルユニバース/Crystal Universe〉は、無数のLED電球の配置された空間において鑑賞者がスマートフォン上のアプリケーションを操作することで、さまざまな光の彫刻を再現するインタラクティブな作品だが、鑑賞者は自在に変化するこの光の彫刻を操作するだけではなく、その彫刻の中に侵入することができる。これらの作品はいずれも超主観空間を平面から立体に、二次元から三次元に、目で見るものから手で触れられるものにアップデートしたものだ。そしてチームラボのデジタル日本画が鑑賞者の没入を誘うように、これらの立体作品もまた私たちを没入させる。 猪子は述べる。〈自然の中に入ったときに感じる「世界の一部になったような感覚」とか「他者と自分との境界がなくなる」とか「本当に自分の肉体が入っている」とか、そういう感覚も好きなんだよね。それがモノでできたらもっとすごい。〉[3]
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宇野常寛 チームラボと未来の社会像――3つの境界線を消失させるために(前編)
2019-11-19 07:00550pt
今朝のメルマガは、宇野常寛によるチームラボ論をお届けします。2016年のトランプ大統領の誕生が明らかにした世界の分断。グローバリゼーションと、それに対する抵抗の間にある「境界」は、いかにして乗り越えられるのか。前編では、チームラボが「Borderless」のコンセプトを掲げて取り組む、作品間の「境界」を融解させる試みについて読み解きます。 ※本記事は『teamLab 永遠の今の中で』(青幻舎・2019年)に寄稿した論考を転載したものです
本メルマガの連載を書籍化した『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』が11月21日に発売になります。ぜひお買い求めください(Amazon |BASE)
1 2016年の敗北ともう一つの「壁」
2016年11月8日一それは世界を駆動していた一つの理想が決定的に蹟き、そして敗北した日だった。 その日行われたアメリカ大統領選挙によって第45代大統領に選ばれたのは、大方の予想(あるいは希望的な観測)を覆しドナルド・トランプだった。「壁を作れ」という象徴的な言葉が示すようにトランプの当選は、20世紀の惨禍から人類が学び得た理想(多文化主義)と、21世紀の人類を前に進める新しい「経済」的な理想(カリフォルニアン・イデオロギー)の二つに共にNoを突きつけるものだ。 多文化主義(政治的なアプローチ)とカリフォルニアン・イデオロギー(経済的なアプローチ)はともに、グローバル化と情報化によってこの世界を一つにつなげる力の背景にある思想だ。20世紀的な国民国家の集合(インターナショナル)から、世界単一の市場経済(グローバル)ヘ世界地図を描くべき図法は変化し、この新しい「境界のない世界」は冷戦終結から約四半世紀の間に急速に拡大していった。革命で時の政権を倒しても、ローカルな国民国家の法制度を変えることが関の山だが、情報産業にイノベイティブな商品やサービスを投入することができれば一瞬で世界中の人間の社会生活そのものを変えることができる。21世紀はグローバルな市場というゲームボードによって世界が一つの平面に統一され、その主役は国境を越えて活躍するグローバルな情報産業のプレイヤーたちだ。 しかし、この新しい「境界のない世界」へのアレルギー反応が噴出したのが、2016年だった。アメリカ大統領ドナルド・トランプの誕生、そして同じ2016年に行われたイギリスのEU離脱を支持する結果となった国民投票(ブレグジット)。去る2016年は冷戦終結後から一貫して進行してきたグローバリゼーションに、そしてそれと並走して進行してきた人類社会の情報化に対するアレルギー反応の時代に世界が突入したことを宣言する1年になったのだ。
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11月21日発売!猪子寿之×宇野常寛『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』☆号外☆
2019-11-04 20:00
チームラボ代表・猪子寿之さんと宇野常寛との対談をまとめた書籍『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』を11月21日(木)に発売します!
猪子さんと宇野の、4年間の対談をまとめたこの本は、(ときに大幅な脱線をはさみながら)、チームラボの展覧会や作品のコンセプト、その制作背景を、二人の対話とたくさんの写真を通じてまとめた本です。
毎回の連載を楽しみにしてくださっている方や(もちろんこのあとも連載は続きます!)、お台場や豊洲をはじめとしたチームラボの展覧会に行ったことのある方はもちろん、チームラボってなにもの? という方にも、楽しく読んでいただけるよう、精一杯つくりました。
作品の画像だけではなく、展覧会の現地で撮影した写真や、オフショットなども満載。全ページフルカラーでとても読みやすい、(しかし人類を前に進めるための真実も随所で語る)永久保存版です。
ただいまAmazonや全国の -
【冊子つき先行予約は10/31まで】猪子寿之×宇野常寛『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』
2019-10-28 12:00
チームラボ代表・猪子寿之さんと、PLANETS編集長/評論家・宇野常寛との4年間におよぶ対談が書籍になります!
10月31日まで限定で、PLANETS公式オンラインストアにて冊子つき・先行予約を受付中。
特典冊子『ニッポンを前に進めたい』では、人口縮小社会への問題提起から、国家と民主主義のゆくえ、グローバル経済が人々を分断する中でのアートの役割など、この国の未来について二人が語り合いました。本書と合わせて必読です!
ご予約はこちらから
【公式ストアにて、10月31日(木)までのご予約限定】 (1)11月21日(木)の一般発売よりも先にお届け! (2)特典冊子『ニッポンを前に進めたい』(猪子寿之×宇野常寛)と特製ステッカーつき! ※11月1日(金)以降のご予約・ご購入分には特製ステッカーのみ付属します。
▼本書に込めた思いを、宇野常寛がnoteに寄稿しました。 『猪子寿之と「人類を前に進 -
10月31日(木)まで限定冊子つき・先行予約を受付開始!猪子寿之×宇野常寛『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』
2019-10-10 19:30
チームラボ代表・猪子寿之氏と、評論家・宇野常寛との4年間に及ぶ対談が、ついに書籍化! 10月31日(木)まで限定で、冊子つき・先行予約を受付中です。
▼書籍紹介 チームラボはなぜ「境界のない世界」を目指し続けるのかーー?
2015年からの4年間、チームラボ代表の猪子寿之氏は、評論家・宇野常寛を聞き手に、展覧会や作品のコンセプト、その制作背景を語り続けてきました。
ニューヨーク、シリコンバレー、パリ、シンガポール、上海、九州、お台場……。共に多くの地を訪れた二人の対話を通じて、アートコレクティブ・チームラボの軌跡を追う1冊。 さらに、猪子氏による解説「チームラボのアートはこうして生まれた」も収録!
【目次】 CHAPTER1 「作品の境界」をなくしたい CHAPTER2 デジタルの力で「自然」と呼応したい CHAPTER3 〈アート〉の価値を更新したい CHAPTER4 「身体」の境界を -
宇野常寛 汎イメージ論――中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ 最終回 「汎イメージ」の時代と「遅いインターネット」(3)
2019-09-25 07:00550pt
本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。ジャン・ジュネの論考から明らかなように、吉本隆明の「関係の絶対性」の根底にあるのは、自身の無性化、他者の風景化であり、その〈非日常〉と〈日常〉の境界を溶解する想像力は、チームラボのアートと共鳴します。父権的な〈テキスト〉の零落により、〈イメージ〉が氾濫する「母性のディストピア」に堕したインターネット。そこに投じるオルタナティブとは……?(初出:『小説トリッパー』 2019 春号 )
6 無性と風景
ここで私たちは、吉本隆明が『書物の解体学』で展開したジャン・ジュネについての論考を思い出すことができる。たとえば宇野邦一は「〈無性〉化に適するとは、自己の生理を、あるいは他者の肉体を〈風景〉とみなすことができるという、あの視線と距離とを意味している」と述べる吉本が、当時悪と同性愛の体験をナイーブに描いた〈外道の〉作家として読まれていたジュネについて人間の肉体を無性的に捉え、風景として描いた作家だと位置づけ直したと解釈する。 「意志した革命者はいつか革命者でなくなるにきまっている。なぜなら〈意志〉もまた主観的な覚悟性にすぎないからである。ただ〈強いられた〉革命者だけが、ほんとうに革命者である。なぜならば、それよりほかに生きようがない存在だからである」――これは吉本が「関係の絶対性」を主張した「マチウ書試論」の一節だ。 宇野はこの一節を引用しながら、こうした吉本のジュネ解釈背景には、道徳や性愛の境界を侵犯することは決して自由意志の選択ではなく、「関係の絶対性」の産物であるとする吉本の人間観の存在があると指摘する。 (当時のマジョリティの社会通念上の)性的な逸脱を非日常的な越境と捉える感性を、吉本は頓馬なものとして批判する。そうではなく、それは自身を無性化し、他者の肉体を風景とみなすことであり、性的なものを非日常ではなく日常の中に組み込むことなのだ。 宇野の吉本解釈は、すなわち「日常性のなかに非日常性を、非日常性のなかに日常性を〈視る〉ことができないとすれば、この世界は〈視る〉ことはできない」とまで述べる解釈は、本連載で展開した情報社会論として吉本隆明を読む視座から得られた解釈と一致する。世界視線と普遍視線の交差とは、すなわち臨死体験の比喩で吉本が予見し、ハンケらがGoogleMapで実装した新しい社会像とは、「日常性のなかに非日常性を、非日常性のなかに日常性を〈視る〉」視線と言い換えても過言ではない。そしてこの日常性の中に非日常性を組み込むために、ジュネ的な無性化が必要とされるのだ。 当時その同性愛的モチーフから〈外道の〉〈非日常の〉行為と位置づけられていたジュネの文学を、むしろ人間の肉体を無性化し、自己と世界との境界線を無化し、風景の一部にすること。非日常性を日常の中に組みこむこと。世界視線を普遍視線に組み込むこと。この無性性こそ、肉体を風景の一部にする想像力こそが、今日における有り得べき対幻想の姿を提示してくれるのではないか。後期の吉本は、「母」的な情報社会に対し楽観的にすぎた。しかし、この時期の吉本には来るべき「日常性のなかに非日常性を、非日常性のなかに日常性を〈視る〉」世界(後の情報社会)に対し、母性的なものではなく無性的なものを発見していたのだ。ここに、後期の吉本が陥った隘路を回避する可能性があったのではないか。 今日におけるフェイクニュース(イデオロギー回帰)とインターネット・ポピュリズム(下からの全体主義)の温床となる夫婦/親子的な対幻想ではない、もうひとつの対幻想――今日においてはローカルな国民国家(共同幻想)よりもグローバルな市場(非共同幻想)と親和性の高い、兄弟姉妹的な対幻想――を根拠に、いまこそ私たちは大衆の原像「から」自立すべきなのだ。そしてこのとき有効に働くのが、従来の多文化主義リベラリズム的な他者論ではなく、「語り口の問題」でつまずく(グローバルな情報産業のプレイヤー=世界市民だけを「仲間」として語りかける)カリフォルニアン・イデオロギー的(なものを誤って用いた)他者論でもなく、そのアップデートであるチームラボ的他者論ではないだろうか。自己を(比喩的に)無性化し、他者を一度「風景」と化すこと。そうすることでその存在自体を前提として肯定すること。そうすることではじめて、私たちはこの新しい「境界のない世界」に古い「境界のある世界」を取り込むことができるはずだ。「自己の生理を、あるいは他者の肉体を〈風景〉とみなすことができるという、あの視線と距離」を、チームラボのデジタルアートは私たちにもたらしてくれるのだ。
7 「汎イメージ」の時代と「遅いインターネット」
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