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  • スポーツは本当に人間形成につながるのか?(体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第3回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.587 ☆

    2016-05-10 07:00  
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    スポーツは本当に人間形成につながるのか?体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第3回
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.5.10 vol.587
    http://wakusei2nd.com

    今朝のメルマガでは、体育学者・中澤篤史さんへの連続インタビュー第3回をお届けします。第2回までは日本と海外の部活事情の違い、そして運動部活動が抱える本質的な問題点について伺ってきましたが、最終回となる今回は、スポーツと地域の関係の再編、そして「スポーツは人間形成につながる」という言説の正否について深掘りしてお話ししていただきました。
    ▼これまでに配信した記事一覧
    体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第1回:外国にも部活はあるの?
    体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』 第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」にこそ部活の価値がある?
    ▼プロフィール

    中澤篤史(なかざわ・あつし)
    1979年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科准教授を経て、2016年4月より早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。専攻は体育学・スポーツ社会学・社会福祉学。主著は『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)。他に、『Routledge Handbook of Youth Sport』(Routledge、2016、共著)など。

    ▲中澤篤史『運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』青弓社、2014年
    ◎聞き手・構成:中野慧
    ■「ハコの空気を読む」だけではなく「ハコそのものをつくる」
    ――本誌編集長の宇野常寛がテレビの討論番組に呼ばれたときによく、「日本の学校文化は教室という1つのハコの中の空気を読む能力を養成しているだけ。でも、たくさんあるハコのなかから自分に合ったものを複数選んで組み合わせる能力のほうが大事だ」という話をしています。
     それを部活に延長して考えてみると、たとえば自分が野球がやりたいとして、自分の高校の野球部は一つしかなくて、学校に紐付けられているせいで同調圧力や息苦しさがある。もしそうなのであれば、青少年スポーツはもっと学校から地域クラブなどに移行されていっていいはずで、現実にもそういう動きがあると思うのですが、その点についてはいかがでしょうか。
    中澤 スポーツの学校から地域への移行は、歴史的には「社会体育化」という言葉で何度か試みられてきましたが、上手くいきませんでした。その後も、「学校スリム化」とか「総合型地域スポーツクラブ」という言葉が出てきて、試みられ続けていますが、うまくいっていません。良くも悪くも、部活はやはり残ったまま。地域にハコがたくさんあって選ぶことができる状況にはなっていませんね。
     宇野さんの仰るように、「ハコを選ぶ能力」は大事だと思いますが、同時に「ハコをつくる能力」も大事だと思います。ハコを選ぼうと思っても、実は自分に合ったハコとか、自分の好きなハコはこの世の中にあんまりない。だったらそれを創っちゃえばいいんじゃないか。つまり部活を創造する。難しいけど、大事なことです。
     野球であれば試合をするには9人必要です。Aさんが「野球をしたい!」と思っても、まずは自分以外に8人を集めなければいけない。その仲間をつくるのが第1段階になります。クラス内で「野球、興味ない?」と声をかけて、「キャッチボールくらいならいいよ」という人が出てきて、だんだん仲間が増えていく。野球を成立させていくために、自分がしたいことをするために、仲間と相談したり協力したりするわけですが、そのプロセスのなかに人生で学ぶべきいろいろなことが入っている。時には子どもの力だけではできないことを、大人がサポートしなければいけない場面も出てくるでしょう。そうやってスポーツを成立させるために子どもが試行錯誤して学んだことは、なかなか汎用性が高そうだなと思います。
     それを外側から、「部活の仕方はこうなんだ!」って決めちゃうと、肝心の自主性そのものが死んでしまう。部活は自主性を育てると言いながら、それで自主性が育つわけがない。そもそも「自主性を育てる」って矛盾した表現じゃないですか? 
    ――たしかに、そうですね。
    中澤 「自主的になれ!」って命令されて、「はい! 自主的になります!」って返事したらもう自主的じゃない。だから、内側から出てくる子どもの気持ちがないと何も始まらないはず。そういう気持ちをいかに活用するかが部活の肝で、それが「ハコをつくる」という創造性の溢れる教育につながる可能性がある。部活の地域移行の話に関連づけると、「学校でやるスポーツは窮屈で地域はバラ色」と単純に想定されがちですけど、実は地域は冷たかったりします。
    ――それは、どういうことなんですか? 
    中澤 たとえば、子どもが一市民として、「野球をやりたい」と思ったとする。ならば大人がそうするように、市民球場に予約しに行かなきゃいけない。すると、「予約が埋まっているので無理です」と断られたり、「まずは来年、地域の会議に出るところから始めてください」と言われたりする。学校を出た瞬間に、子どもは保護されるべき児童・生徒ではなく一市民として扱われてしまう。まだ子どもなのに大人社会のルールに従わなければいけない。それはとても大変で困難なことです。そもそもなぜ子どもが学校に通うのかというと、「一人前の大人」になるための練習をするためです。そういうときこそ、知識も能力もある教師が支援して、子どもが「一人前の大人」になれるように学校が頑張らなきゃいけない。「ハコを選ぶ能力が大事だ」といって窮屈な学校を抜け出してみたはいいものの、自分にあったハコがなかった。その後、「自分に合ったハコをつくってみよう」と子どもが思ったとき、もう一度学校に戻ってハコをつくる練習をする、そんな場所に学校や部活がなればいいと思います。
    ――ただ、「ハコをつくる」ためには、ある程度の高度な能力が必要になりませんか。
    中澤 何が難しいかというと、結局「あれがやりたい」という思いだけではハコは作れないからです。せっかく集めた仲間とケンカしてしまうこともある。そのときにどう指導ができるか。顧問教師はスポーツのルールを知っているだけじゃなくて、人間関係をどうつくるかや、道徳そして市民性をどう育成するか、といった指導力が求められます。それはまさに、一般的に教師に期待されている、子どもを「一人前の大人」に育てるための指導力です。顧問教師に求められる指導力とは、スポーツの経験があるかどうか、だけではありません。教師の一般的な教育的指導力そのものが部活に必要になります。部活を教育のなかで立て直そうとするのであれば、単なるスポーツ知識だけにとどまらないような教師の力量が問われるはずです。

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  • 体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』 第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」にこそ部活の価値がある? ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.562 ☆

    2016-04-12 07:00  
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    体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』
    第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」にこそ部活の価値がある?

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.12 vol.562
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    今朝のメルマガでは、体育学者・中澤篤史さんへの連続インタビュー第2回をお届けします。
    第1回では現代の体育全体の事情や、アメリカやイギリスの部活がどうなっているのかについて伺いましたが、第2回では、日本の部活が海外ではどう見られているのか、そして運動部活動が抱える本質的な問題点についてお話を伺いました。

    前回:体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第1回:外国にも部活はあるの?
    ▼プロフィール

    中澤篤史(なかざわ・あつし)
    1979年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科准教授を経て、2016年4月より早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。専攻は体育学・スポーツ社会学・社会福祉学。主著は『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)。他に、『Routledge Handbook of Youth Sport』(Routledge、2016、共著)など。

    ▲中澤篤史『運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』青弓社、2014年
    ◎聞き手・構成:中野慧
    ■ 日本の部活は海外からどう見られているのか
    ――イギリスを含むヨーロッパでは、スポーツ選手の育成は地域クラブが担うという形式が一般的なんでしょうか? 
    中澤 はい、イギリスも含めて多くのヨーロッパ諸国では、学校の部活よりも地域クラブが盛んです。とくにドイツが典型的です。ドイツには「フェライン」(Verein)と呼ばれる地域クラブがあります。フェラインは学校よりはるかに歴史が古くて、街とともに誕生していることが多い。学校や企業とは独立した、地域の人々の生活に溶け込んだスポーツをする場所があります。
    ――そうすると、青少年のスポーツ文化と学校の人間関係は、日本のように紐付いていたりしないんでしょうか。
    中澤 ドイツの場合、長らく学校制度自体が午前授業で、午後は全部放課後というのが一般的でした。地域には学校の隣にクラブがあったりするから「紐付いている」と言えなくもありませんが、時間的には完全に分離している。友達関係も紐付いていないことはちょっと考えにくいですが、学年やクラスのようなまとまりでやっているわけじゃないので、その点では日本と違います。ただ、最近では「やっぱり学校でも鍛えたほうがいいかも」ということになって、14〜15時ぐらいまでは授業をやったりとか、「今まで放課後の部活ってなかったけど、やってみようか」という流れも出てきたようです。そのときの指導員は教師ではなくコーチを雇ったりもしますが、ともかく最近のドイツでは部活がちょっと芽生えだしたという状況です。
    ――先日、文部科学省が「部活などの日本式教育を輸出する」という取り組みを始めることがニュースになっていました。このニュースは日本国内ではポジティブにもネガティブにも捉えられていたと思うのですが、すでにドイツでは日本の部活の事例が参考として取り入れられ始めていたりするんでしょうか?
    (参考リンク)「日本式教育」輸出します 文科省、16年度に新組織 部活や掃除など、新興国にらむ:日本経済新聞
    中澤 いえ、まだほとんど知られていないと思います。日本の部活に対する海外からの反応だと、第1回で話したように「Amazing!」と驚きとともに賞賛してくれている声もあるんですが、一方でむしろ「Crazy!」と非難し批判する声もあります。たとえば、柔道での子どもの死亡事故は大きな話題になり、The New York Timesも、世界中に「日本の部活はこんなに人を殺しているのか!」と厳しく報道しました。2012年に起きた桜宮高校のバスケ部体罰自殺事件のときも、海外のメディアは「なぜ学校の教師が、生徒を自殺に追い込むまでの暴力を振るうんだ!」と厳しく報道しました。
     私が直接取材を受けたものだと、The Japan Timesという日本に住んでいる外国人向けの英字新聞の記者が「外人ママたちが日本の部活に困っているんです」と言っていました。「どこが困っているんですか?」と聞いたら「放課後、夏休み、春休み、冬休みもずっと部活。休みでやっと家族で過ごせると思ったら、毎日部活で子どもが出かけてしまう、部活って何なんですか!?」ということらしいです。その記事のタイトルは「部活は親を困らせている All-consuming school clubs worry foreign parents」というものでした。
    (参考リンク)All-consuming school clubs worry foreign parents | The Japan Times
     部活があることは、一方で、「気軽にスポーツをするチャンスを与えている」という点で良いし、外国人も褒めてくれる。しかし、それに喜んでばかりもいられない。もう一方で、これだけ規模が大きくなって強制的に行わせることになってしまったり、さまざまな問題が山積してくると、やはり悪い部分があるし、外国人はそこも見ています。本インタビュー記事のタイトル通り、「AmazingでCrazyな日本の部活」というわけですね。
    ――ただ、保護者からしたら程度の問題はありますが、部活によって「助かっている」部分もあるような気もするのですが。
    中澤 実際、日本の保護者にとっては、部活で「助かっている」部分はあります。2000年に文部省がスポーツ振興基本計画を作ったとき、「土日は部活をやめましょう」という案も議論されました。週休2日制の段階的な施行と合わせて、学校だけが子どもの居場所になるのではなく、家庭や地域にも開いたゆとりのある生活にしていくことを目指して、土日の部活を禁止にしようとしたわけです。しかし、反対したのが保護者でした。「土曜にまで家にいられちゃ困ります。ウチの子たちはもっと先生たちに部活で鍛えてもらわないと困るんです」と。
     教師にとっても部活は、「負担はあるけど、やはり必要」でした。教師が部活指導に熱心の取り組んできた実践上の理由は、生徒指導のためです。もし部活が無くなってしまうと、生徒は非行に走るんじゃないか。放課後に良からぬことに巻き込まれたり、ゲームセンターにたむろしてトラブルを起こすんじゃないか。だったら生徒は部活に一生懸命になった方が良い。学校にとって生徒指導にとって部活は必要だ。だから負担はあるけど、教師は部活を指導しようじゃないか。というように、部活指導を生徒指導の一環として意味づけてきたから、教師は部活にかかわってきました。部活を地域に移行すべきと喧伝されながらも、結局は学校が抱え込むことになってしまったのは、そういう背景があります。
    ■ 全国大会なんていらない?
    ――第1回でも触れたアメリカと日本との比較という点で気になったことがひとつあります。元セントルイス・カージナルスの田口壮さんが著書『野球と余談とベースボール』のなかで、「アメリカにいると『日本って高校野球の全国大会があるんでしょ?それってすごくうらやましい』と言われるんだ」と書いていらしたんですね。
    中澤 アメリカでは高校段階でどの競技も全国大会がなくて、州大会が最高レベルです。そのように規制されています。お金がかかるし、大変だし、高校生なんだからそこまでしなくていい、という理由です。
     他方で、日本では、高校生はもちろん、中学生も全国大会を行っています。昨年、北海道で開催された中学校の全国大会である「全中」を視察してきました。北海道開催と言っても、種目ごとに地域はばらばらで、私は帯広でサッカーの全国大会を見て、札幌で陸上の全国大会を見て、旭川でバレーボールの全国大会を見てきました。それぞれたいへん盛り上がっているし、生徒にとって大きな目標になっています。でも実は、日本でも1960年代ぐらいまで、中学生の全国大会は禁止されていました。理由はアメリカと同じように、お金がかかるし、大変だし、中学生なんだからそこまでしなくいい、と。当時から高校生は全国大会をしていたわけですが、中学生には全国大会はまだ早い、という教育的な配慮があったわけです。
    ――野球の甲子園も最近、大会期間中の選手たちの滞在費が問題になっていたりしますね。あとは例えば「わざわざ8月の一番暑い時期に開催するのはどうなんだ」という疑問も上がっていたりしますが、8月に開催するのは学校が夏休みで全国的に集まれるから、というのが理由ですよね。
    中澤 はい、全国大会への出場には、交通費や滞在費の問題があります。たとえば甲子園出場が決まったら、それぞれの高校がOBや保護者や地域から寄付金を集めることが慣例となっています。結局、その寄付金に頼って大会が成立しているので、成立基盤が危うい。
     アメリカでも交通費や滞在費や日程の問題は同じですが、その問題解決のために、民間のスポンサーをつけたりします。部活の商業主義化です。たとえば、バスケットボールの強豪チームがあったとする。そのチームには観客やファンも多いから、バスケットボールのグッズを展開している会社にとって、恰好の広告宣伝材料になります。すると、ユニフォームやシューズを用意するかわりに、そこに企業ロゴをつけてもらって宣伝する、といった契約を持ち込んできます。極端なケースになると、長距離遠征用の飛行機まで用意する企業も出てきたようです。で、チームが強くなって大会で優勝したりすると会社も喜ぶんですが、もし負けたりしたら、すぐ撤退して別のチームのスポンサーに移る。そうすると、部員や保護者から「スポンサーがいてしっかりお金をかけてもらえるから、この高校に入ったのに、話が違うじゃないか」と怒りの声が寄せられる。さらに怒りの収まらない生徒や保護者は、その高校を辞めて資金の潤沢な別の高校に転校したりすることもある。もしくはコーチが選手を連れて移動したりする。お金を求めて彷徨い歩く、みたいなこともあるようです。
    ――日本でも高校や大学のスポーツ選手に企業が用具提供をしたりしていますが、アメリカではそれがさらに極端になっているんですね。
    中澤 いわゆる商業主義の弊害です。教育的にどうなのかも含めていろんな問題が起きていると指摘されています。さらに言うとお金の問題だけではなく、アメリカではドーピングの問題も根深い。たかが部活でそこまでして勝ちに行くのかと驚きますが、高校の州大会に出て勝ったりすると、奨学金を貰いながら大学に進学できたりもするので、生徒や保護者にとっては人生を賭けた闘いにもなっています。そこに大人たちのいろんな思惑が絡んだりして、闇の深い世界といえるかもしれません。だからアメリカでも「教育の側から商業化を規制しよう」とする意見があります。
    ――PLANETSにもときどき出てくださっているライター/リサーチャーの松谷創一郎さんが昨年夏に、Yahoo! 個人の記事で夏の甲子園の日程分散案を提案していました。甲子園ではそもそも入場料がとても安く、一番高いバックネット裏ですら2000円で、外野席は無料で入れたりするんです。それは安すぎるから少し値上げをして、余った収益の分を滞在費に回そうというものです。
    (参考リンク)高校野球を「残酷ショー」から解放するために――なぜ「教育の一環」であることは軽視され続けるのか?(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
     この松谷さんの提案はとても意義のあるものだと思うのですが、一方でこういった「商業化」に対して運営主体の高野連(高等学校野球連盟)は頑なに抵抗し続けています。たとえば高校球児の使う用具には強い規制をかけていて、スポーツメーカーのロゴが大きく表示されているものは禁止だったりします(甲子園のテレビ中継などでロゴが大写しにされたときに「広告価値」が生まれてしまうため)。なのですが、高野連も戦後日本の教育理念に強い影響を受けていて、「商業化」の負の側面を警戒しているとすると、彼らが商業化を拒否するのも理解できないでもないですね。
    中澤 アメリカの場合、お金は重要問題で、同級生や保護者が学校のスポーツチームの試合を見に行くにのにも入場料を取る場合があります。また保護者会も、寄付金を集めたりして、観客席を整備したり、優秀だけど経済的に恵まれない子に独自の奨学金を与えたりしています。部活でお金を集めること自体がひとつの論争点になるのですが、もうひとつの論争点は「集めたお金をどう使うか」です。もし、みんなが納得できるいい使い方があるならば、日本でも「部活でお金を集める」ことは一つの手段として議論されてもよいかもしれません。
     他方で、お金を使わずに大会はできないかを考えた時に、過去の日本に面白い事例があります。先ほど、中学生の全国大会が禁止されていた時代について触れましたが、実は当時から陸上競技連盟や水泳連盟は全国大会をしたがっていました。1964年に東京オリンピックが開催されることになって、ぜひともメダルを獲れる選手を育成したかったからです。しかし、全国大会は禁止されている。では、どうしたか。陸上競技連盟は、全国のNHKに協力してもらって「放送陸上競技大会」を開催しました。各都道府県の競技場に生徒がそれぞれ集まって、「よーい、ドン!」で走る。その記録を集めて東京で集計して、「全国一位は栃木県の◯◯君でした」というランキングを作りました。水泳連盟は、全国の朝日新聞社に協力してもらって「通信水泳競技大会」を開催しました。これも同じように都道府県のプールの会場で「よーい、ドン!」で泳いで、各都道府県の記録を集めて、東京でランキングを作りました。陸上や水泳は記録の勝負なので、サッカーや野球みたいに相手が目の前にいなくても大会ができる可能性があります。実はこの方法は、国土の広いアメリカでも採用されていたりしています。交通費や滞在費などのお金をかけないで大会を開催する、ひとつのやり方です。しかし、そんな時代もあったけど、「やっぱり人を集めてしよう」ということになって、70年代以降、全国大会は中学校レベルでも行われるようになって今のかたちに落ち着いています。
    ――もしかしたら、今ぐらい通信技術が発達した時代であれば、ホログラムなどの立体的なテクノロジーを使って遠隔地をつないで全国大会をやるということを検討してみてもいいかもしれないですね。これは本誌の『PLANETS vol.9』で猪子寿之さんが提起されていたホログラムによる体感型オリンピック構想や、犬飼博士さんの「スポーツタイムマシン」の議論とも繋がってくる気がします。
    ■ 教育的理念が抜け落ちたいまの部活
    ――日本のスポーツ文化には、「部活」というものが大きな影響を与えていますよね。そんな中で、今は「ブラック部活」と言われたりもしますが、生徒の側は拘束時間が長すぎて他の活動ができなかったり、体罰やセクハラに遭ってしまったりすることが問題視されています。その一方で、教師も大きな負担を抱え込むことになっている。教師は通常の授業準備・運営や校務に忙殺されているなかで、さらに放課後や休日に部活の指導にも携わっても、わずかな手当しか支給されない。そういう従来の在り方を見直すべきだ、というわけですが、こういった問題についてはいかがですか。

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  • 体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第1回:外国にも部活はあるの? ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.552 ☆

    2016-03-30 07:00  
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    体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第1回:外国にも部活はあるの?
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    2016.3.30 vol.552
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    PLANETSメルマガでは今回から3回にわたって、体育学者・中澤篤史さんへのインタビューをお届けします。
    近年、子どもに理不尽を強いたり、顧問教師に多大な負担をかける「ブラック部活」の問題が取り沙汰されています。一方、ベネッセ教育総合研究所「放課後の生活時間調査 第2回」によると、中学1〜2年生の部活加入率は9割、そのうちスポーツ系部活に所属している割合は7割を超えており、多くの人が「学校の部活でのスポーツ」を経験していることが伺えます。サブカルチャーの世界では今も部活をテーマにしたアニメや漫画が大人気ですが、それは多くの人が身近に経験していて、題材として取り上げやすいからなのかもしれません。
    日本の部活は、なぜこれほどまでに大規模化したのか。そこにはどのような問題があり、どうやって解決していったらいいのか。運動部活動の歴史や諸外国の事情に詳しい中澤さんに、様々な観点からお話を伺いました。

    ▼プロフィール

    中澤篤史(なかざわ・あつし)
    1979年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科准教授。専攻は体育学・スポーツ社会学・社会福祉学。主著は『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)。他に、『Routledge Handbook of Youth Sport』(Routledge、2016、共著)など。

    ▲中澤篤史『運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』青弓社、2014年
    ◎聞き手・構成:中野慧
    ■ いま体育はどうなっている?
    ――中澤先生は著書『運動部活動の戦後と現在』で、「運動部活動」という文化の日本特殊性について分析されています。今回は、その日本の部活文化について色々とお話を伺ってみたいと思いインタビューをお願いしました。
     PLANETSはもともとカルチャー批評を出発点としているのですが、昨年の2月に出した『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』という本で、スポーツに関しても今までのスポーツジャーナリズムとは違う角度から考えていく記事をいくつか作っています。サブカルチャーという点では、最近の漫画・アニメで『ハイキュー!!』『弱虫ペダル』『ダイヤのA』といったスポーツ系部活をテーマにした作品が大人気になっていたりするのですが、そういった一見爽やかなスポーツや部活の裏にある様々な問題について、一般にはそれほど理解が進んでいるわけではないと思います。現実の「スポーツ文化」「部活文化」を形作っているものについて、ぜひ色々な角度からお話を伺っていきたいと思います。
     最初に少しだけ、今回のメインテーマである部活からは外れてしまうのですが、学校の体育では2012年度から中学校で武道が必修化されました。こういった動きがなぜ起こったのか、現在の体育が抱えている問題についても簡単に伺ってみたいのですが。
    中澤 よろしくお願いします。武道の必修化については、2006年に教育基本法が改正され、教育の目標で「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」と、いわゆる愛国心に触れたことが追い風になりました。武道関係者は、学校を介して普及できるので好意的に受けとめていますが、教育や体育が保守化することに懸念の声もあります。一方で教育現場では、道場がなかったり剣道の用具がなかったりと、困っています。で、剣道の用具を揃えるのは大変なので、多くの学校では柔道をするようになる。しかし、学校の柔道では多くの生徒が亡くなっていたことが明らかになりました。名古屋大学の内田良先生(教育社会学者)が2013年に『柔道事故』という本を出して、警鐘を鳴らしました。メディアは「そんな危険な柔道が授業で必修化されたら大変だ」と飛びついたのですが、内田先生の調査結果が示していたのは「柔道の授業よりも、柔道の部活で死亡事故が起こっている」ということでした。つまり、柔道の危険性と柔道を必修授業で行うことの危険性は、直接には結びついていません。
    ――そうだったんですね。その武道の必修化と合わせて、ダンスも必修化されましたよね。これにはどのような背景があったんでしょうか?
    中澤 武道は保守的なイメージがある一方で、ダンスには「モダン、リベラル」というイメージがあるので、抱き合わせで入ったとも言われています。またダンスによって、「表現をする」「コミュニケーションをする」という内発的な、あるいは自分の身体を使って他者とつながることが期待されています。最近の教育界で「生きる力」「コミュニケーション能力」が重視されているのはよく知られていることだと思いますが、体育の領域ではダンスがその象徴かもしれません。ただ、指導経験のある先生が少ないので、やはり現場は困っています。iPadを片手に持って、画面を見ながら、「ああかな、こうかな」とドタバタでダンス指導が行われるような状況もあります。
    ――素朴な質問になってしまうのですが、「体育の時間にベーシックな知識として習いたいものってなんだろう?」と考えたとき、「心身ともに健康な生活を送るためにはどうすればいいか」というノウハウであったり、女性であれば「正しいダイエット知識」のようなものがあるといいんじゃないか、とも思ったりするのですが。
    中澤 健康という部分は保健体育科の保健分野がカバーしていて、食生活という部分は技術・家庭科の家庭分野がカバーしています。運動という部分はもちろん体育で、ヨガやピラティスなどの実践が広がっているわけではありませんが、色々やっています。いま小中高の体育では、「体つくり運動」がはじまりました。これは競技をするのではなくて、自他の心や体を見直すことを目指しています。たとえば、二人一組でストレッチ体操をする。体が固いと痛かったり、自分が痛いことは相手も痛かったりする。そうして、身体と意識が結び付いていることを学び、その結び付きは自然的なメカニズムであり普遍的なものであることも学んだりする。人間の身体の不思議を実践的に学習する、と期待されたわけです。でも、これも実際にカリキュラムに落とし込んで50分の授業として実施する際に混乱しています。ねらいは面白いが、実践するのは難しい。
    ■ アメリカの部活事情
    ――ここからはメインテーマである部活の問題についてどんどん深掘りして伺っていきたいと思います。中澤先生の著書『運動部活動の戦後と現在』では「日本ではスポーツが教育になぜか結び付けられてしまう」という状況を詳細に描かれていました。改めてお聞きしたいのですが、こういった状況は世界的に見ても日本特殊な現象なんでしょうか?
    中澤 「スポーツは教育に役立つ」とか、「スポーツは人格を形成する」という言説は世界中にあります。しかし、ただ言うだけでなく、実際に、学校教育とスポーツがこれほど大規模かつ強く結びついているのは日本だけです。たしかに、アメリカやイギリスにも部活はありますが、日本とは違う。日本とアメリカの違いで言うと、日本は「教育のための部活」で、アメリカは「スポーツのための部活」。より正確に言うと、アメリカの部活は「少数エリートの競技活動」と特徴づけられます。アメリカではアメフト部などが人気ですが、「トライアウト」という選抜試験制度があって、上手い人しか部活に入れません。
    (参考リンク)運動部活動は日本独特の文化である――諸外国との比較から / 中澤篤史 / 身体教育学 | SYNODOS -シノドス-
    ――そもそもアメフトって、アメリカのスポーツ文化のなかでは一番象徴的な位置にあるものなんですよね?
    中澤 そうですね。アメリカでは、高校アメフト部の州大会がすごく盛り上がります。日本の甲子園野球のようなものです。「高校でアメフト部に入って、1軍のクォーターバック(編集部注:司令塔的ポジションで、アメフトの花形とされる)になってタッチダウンを成功させる」というのが、アメリカの子どもたちが抱く典型的な夢の一つです。『フライデー・ナイト・ライツ(邦題:プライド 栄光への絆)』という、アメリカの高校アメフト部を描いた小説・映画があります。タイトルは「金曜の夜にスタジアムの光が輝いている」という意味ですけど、要はアメリカの田舎町ってあんまり娯楽がない。だけどどんな田舎町でも高校はあるし、そこにスタジアムがある。アメリカのアメフトは秋に行われますが、金曜は高校生の試合、土曜は大学の試合、日曜はプロのNFLの試合……というふうに、秋の週末は大盛り上がり。地方都市には大学は無いかもしれないし、NFLもやってこない、しかし高校のアメフトの試合は見られる。金曜の夜は、光り輝くスタジアムに、みんな駆けつけるわけです。

    ▲『FRIDAY NIGHT LIGHTS(プライド 栄光への絆)』ビリー・ボブ・ソーントン (出演), ティム・マッグロウ (出演), ピーター・バーグ (監督) 
    ――新国立競技場の問題が話題になっているなかで、アメリカのスタジアムの収容人数ランキングを調べた記事を書いていらした方がいたのですが、トップ10がすべて大学のフットボールスタジアムで、しかもすべて10万人規模なんですよね。日本人には想像もできないほど、アメリカ人にとってアメフトは大きな存在感を持っているわけですね。
    (参考リンク)8万人でも26位!アメリカのスタジアム収容人数ランキングがスゴすぎる 
     しかし、高校でアメフト部に入って活躍するためには、入学後のトライアウトにまず合格しないといけないわけですよね。そのためには高校入学前までに何か準備をしたりするんでしょうか?
    中澤 アメフトは危険も伴うスポーツなので、基本的には高校生から始めることになっています。しかし、その準備として、中学段階で、タッチフットボールのような簡易化した競技をやって鍛えておくことが一般的になっていたりする。さらに、その中学のクラブに入るのにもトライアウトがあったりするので、小学生のうちからクラブに入らなければいけなかったりもする。だから子どもが高校のアメフト部に入るまでには保護者の支援がかなり必要になります。
    ――「ステージママ」(子どもを芸能界に入れるために、膨大な時間と労力を投入しマネージャー的役割をも担う親のこと。子どもをサッカー選手や野球選手、フィギュアスケート選手等のスポーツエリートに育てようとする親たちのことを指す場合もある)という言葉もありますが、日本の少年スポーツと似た構造がアメリカのアメフトでもあるわけですね。
    中澤 アメリカの高校アメフト部は、1軍、2軍、3軍と分けられていたりと、高度に組織化されています。たとえば、私が見学に行ったカリフォルニアの高校では、2軍がグラウンドで実践練習をしている間に、1軍の選手は専用のウェイトリフティングルームで、アメリカのロック音楽をガンガンかけながらノリノリでウェイトトレーニングをしている。それが終わったらグラウンドに出て、交代して実践練習に入る、というようにすごく組織化されている。高校生たちにとっては憧れでやりがいもあるし、保護者や学校、地域社会からの期待も大きい。
    ――日本の部活では最近特に「顧問教師が土日も駆り出されたりして負担が膨大で、手当もわずかしか出ない」ということが問題になっていますが、アメリカの高校ではアメフトの指導はどのように行われているんでしょうか?
    中澤 アメリカは全然違うかたちになっています。教師がコーチに付く場合は、手当が出ます。また学校が公募を出して、専門のコーチが雇用されます。先ほどのカリフォルニアの高校の事例だと、もともとアメフト部の卒業生の方が、コーチとして雇われていました。その後、そのコーチは歴史科の教師としても採用され、いまは、あらためて教師かつヘッドコーチとして指導にあたっています。その場合、この人は教師としての給料だけでなく、ヘッドコーチとしてのプラスαの手当を貰っています。そして、さらにそのヘッドコーチのまわりに7人のアシスタントコーチと1人のトレーナーが付いていました。アシスタントコーチやトレーナーは、教師ではなく地域の人だったり、OBだったり、プロコーチだったりします。そうして高校のアメフト部が魅力的なスポーツチームとして組織され、その試合は学校全体にとって大切なイベントになっています。
     このように海外の部活文化を知ることは、それ自体とても興味深いことですが、日本の部活文化を見直す上でも役に立ちます。日本の部活って「問題も課題も多いし大変だ」ということで国内では騒がれていますが、それを相対化するような視点をもつことが、問題の解決に必要です。だから、海外の事情や歴史を調べて今の日本の部活を相対化する試みはどんどんやっていきたい。そうして初めて、今のがんじがらめになっている状況を乗り越えるための方策を考えることができます。
     一つ論点を出してみましょう。良くも悪くも、日本ではスポーツができることが当たり前になっています。しかし、アメリカの学校では、スポーツはやるべきことをやった後に与えられる特権と考えられています。たとえば学業成績が一定基準以上でないと部活に参加させなかったりします。日本では逆に、勉強ができない生徒ほど、部活に入れられて、しごかれたりする。
    ――日本のトップアスリート校の場合は本当に、運動のできる子に対して「お前は授業は寝ていてもいいから部活だけ頑張れ」という特別扱いをしてしまっていたりしますね。
    中澤 アメリカでは、部活の参加にトライアウトや学業成績以外にも、医師による健康な状態のチェックや、親の同意書も必要だったりと色んな条件を設けています。したいことをするための条件チェックであり、特権を行使するための土台の確認です。ある意味で、スポーツの素晴らしさや楽しさを、とても尊重していると思います。だから、「お前に、スポーツをする資格があるのか?」と問うわけですね。日本とアメリカのどちらが良いとは一概に言えませんが、アメリカと対照することで日本の部活の特徴が見えてきます。
    ■ スポーツ系部活とスクールカースト
    ―― 疑問に思ったのは「部活をやっていないアメリカの高校生ってなにをやっているんだろう?」ということなのですが、そのあたりはどうなっているのでしょうか。
    中澤 先ほどアメリカの部活は「少数エリートの競技活動」と言いましたが、要は下手な子どもは入れないし、加入率も30%くらいで低い。日本の加入率は50%〜70%で高く、多くの子どもが経験するものですから、ちょっと意味合いが違います。他方で部活といっても運動部活動ばかりではなく、もちろん、アメリカにも文化部があります。グリー・クラブ(合唱部)もブラスバンドもあるし、私が調査に行ったカリフォルニアの中学校には、ハリーポッタークラブがありました。ハリーポッターが好きな中学生が集まって、ハリーポッターを語ったり、衣装をつくって楽しんだりしているようです。
    ――日本でいう漫画研究部のようなものかもしれないですね。
    中澤 そうかもしれないです。ちなみに、日本ではサッカー部員はサッカー部でしか活動しないですが、アメリカのスポーツはシーズン制なので、秋にアメフトをやって、冬にバスケットをやって、春に野球をやったりする。部活ごとにトライアウトがありますが、全部が上手ければ全部のスポーツをプレイすることもできます。アメフトのクォーターバックがバスケットボールのエースになって、野球では4番でピッチャー、みたいなことになる。学校中の大スターになって、チアリーディング部で一番可愛い子をゲットして、幅を利かせたりもする。
    ――アメリカではアメフト部員のような体育会系で学校内で幅を効かせる人たちを「ジョック」、チアリーダーなどのように学校内地位の高い女子生徒を「クイーン・ビー」と呼ぶんですよね。1999年に起きたコロンバイン高校銃乱射事件で、学校内の地位格差(スクールカースト)に恨みを持った犯人たちが「All the jocks stand up !」と叫んでジョックの生徒たちを撃ち殺したとされていて、それ以来スクールカーストが大きな社会問題としてクローズアップされるようになったと聞きます。

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