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記事 7件
  • お香の伝統と現代のくらしの「交差点」でありたい(後編)|山田悠介

    2022-03-22 07:00  
    550pt

    編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、和の香りの専門店「麻布 香雅堂」代表取締役社長の山田悠介さんに話を伺いました。江戸寛政年間より200年以上続くお香一家に生まれながら、実は「お香そのもの、めっちゃ好き」ではないという山田さん。後編では、そんな山田さんが、現代のライフスタイルにフィットした「和の香り」のあり方を探求するようになった軌跡をたどります。(前編はこちら)
    小池真幸 横断者たち第8回 お香の伝統と現代のくらしの「交差点」でありたい
    実は「お香そのもの、めっちゃ好き」ではない
     覚醒作用と鎮静作用を併せ持ち、日常と非日常のあいだを行き来させてくれる、和の香り。山田さんはその魅力を、さまざまな他業界とのコラボレーションや、サブスクリプションサービスなどを通じて、お香にこれまで馴染みのなかった都市部の現役世代にまで届けようとしている。どうすれば多忙な若い人にもお香を楽しんでもらえるのか、試行錯誤を重ねる日々だという。
    「サブスクリプションサービス『OKO LIFE』の会員の方々に答えていただいたアンケートの結果を見ると、気分の切り替えのために使っていただいている人が多いようです。コロナ禍になってリモートワークやお家にいる時間が増え、仕事とプライベートの境目がよくわからなくなる。そんな中でコーヒーなどいろいろな気分転換を試した中で、お香がとてもしっくりきたと。ただ、その気分転換の中身がどんなものなのかは、今探っているところです。朝昼夜それぞれで意味合いが違うと思いますし、先程お話ししたような神聖さを求めているときもあれば、そうでないときもあると思うんです。そもそも、本当に疲れていたり忙しかったりすると、いくら手軽にパッケージングしているとはいえ、『お皿に乗せて、火を付けて、片付ける』というプロセスを経る余裕すらない。そうした人にどうやって癒やしや気分転換を提供できるのかは、今後の課題ですね」
     和の香りの魅力やその探求の軌跡について、ふんだんに語ってくれる山田さん。約200年続くお香一家に生まれ育ったという経歴もあわせると、彼に対して、“お香一筋”の人だというイメージを抱くのは自然だろう。しかし、意外にそうでもないらしい。誤解を恐れずに言えば、山田さんの中に明確な「やりたいこと」があるわけではないのだという。
    「他業界・他業種の人とのコラボは、100%、向こうからお声がけいただいて始まります。僕はそっちのほうが断然得意で、『どんな人が』『どんな理由で』『どのくらいの量を求めている』という制限があるほうが頭が働きやすく、結果的にいいものが作れる。逆に、『●●万円予算があるので、とにかく好きな香りを作ってください!』と言われたら、困ってしまうでしょうね。お香の好き度合いって、人によっていろいろあると思います。めっちゃ好きな人もいれば、『そこまで興味ない』という人もいる。僕はもともと、その度合いは平均かむしろちょっと下で、そこまで興味がなかったんですよ。『絶対にこんな香りが作りたいんだ』と感情が溢れ、やりたいことが先行しているアーティスト気質ではなく、むしろ一歩引いて見ている。でも、『お香そのもの、めっちゃ好き』ではないからこそ、どんな人とでも、とにかく面白そうだったら先入観なく付き合ってみることができるのだと思います。僕が『一生ずっとお香一筋』だったら、『お酒や化粧品とのコラボなんて、香りに対して失礼だ』という考えになっているかもしれません」
     意外な返答ではあったが、「お香そのものに強いこだわりがないからこそ、掛け合わせを探求できる」というロジックにはたしかに納得感がある。一体、彼は「お香大好き」ではないにもかかわらず、どういった経緯で現在のような精力的な活動に至ったのだろうか?
    「近いけど、遠い」存在だったお香
     山田さんが香雅堂の仕事を本格的に手伝うようになったのは、25歳の時。大学生の頃、興味本位でアルバイトとして少し手伝ったことはあるものの、社会人になって仕事として携わるつもりは「その瞬間までなかった」。幼少期に香道を習ったこともなく、お香はすぐ側にありながらも、まったくもって近しい存在ではなかったという。
    「私には兄もいるのですが、兄も私も、父母に『香りを聞け』『香木の見方を覚えておけ』『香道のお稽古をしろ』とは、一回も言われた記憶がなくて。この店舗の上の階が実家なので、お香は物理的には近いものではあったのですが、意識としては本当に遠いものでした。家で父が香木を整理していたときの香りなどが記憶に染み付いているので、反抗期のときの複雑な感情を含め、『お香イコール父』という印象はあったかもしれませんが。ただ、職業や生き方として意識したことは、まったくありませんでしたね」
     そうして山田さんは、慶應義塾大学経済学部を卒業した後、お香とはまったく関係のないIT系企業に就職。働く中で教育領域への関心が強まり、会社自体は1年半で退職した。次の動き方を決めるまで、しばしモラトリアム状況に置かれることになったが、「そういえば、うちの店、このご時世なのにまだ伝票が手書きだったよな」と思い出したという。そうして、当面のつなぎとして、香雅堂を手伝い始めた。すると、結婚や東日本大震災など公私ともに目まぐるしい変化が起こる中で、気づけばフルタイムで働くようになっていたという。ファミリービジネスや家業といったキーワードから縁遠い筆者としては、「家業を継ぐ」というのは一大決心を伴うものだと想像していたので、山田さんの肩の力の抜け具合が、意外に思えた。
    「『人生をお香に捧げるぞ!』と覚悟を決めたような瞬間も、多分なくて。性格的なところが大きいと思うのですが、これからもずっとない気がします。もちろん、今はお香も好きなことの一つではあります。知識や経験が少しずつ増えていく中で、その楽しさもどんどんわかってきましたし、知的好奇心も刺激されている。本能的に感じる、香りの良さにも純粋に惹かれますしね。ですから、これからもお香とは長く付き合っていきたいと思っています。ただ、あるタイミングで気合を入れて、『すべてを懸けるぞ!』みたいな気持ちにはなっていなくて。両親も未だにお店や香道に関わり続けていますし、細く長く、ゆるーく好きなことを続けていきたいんです。教育領域への興味も、今も変わらず続いているので、何か香雅堂の事業の中で位置付けができないかと考えていますしね」
    30年で約10倍の価格に。立ちはだかる「香木バブル」
     最初は「つなぎ」として、山田さんが香雅堂を手伝い始めたのが2011年。それから10年以上が経った。さまざまな壁を乗り越えてきたであろうことは想像に難くないが、その中でも特に大きかった出来事が、ここ10年ほどで一気に加速した「香木バブル」だという。
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  • お香の伝統と現代のくらしの「交差点」でありたい(前編)|山田悠介

    2022-03-14 07:00  
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    編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、和の香りの専門店「麻布 香雅堂」代表取締役社長の山田悠介さんに話を伺いました。約1500年の歴史があり、日本の伝統文化と密接なかかわりを持ってきた「お香」。現代のライフスタイルにフィットした、「和の香り」のあり方を考えます。
    小池真幸 横断者たち第8回 お香の伝統と現代のくらしの「交差点」でありたい
    現代のライフスタイルに「お香」を取り入れる
     コロナ禍になってからというものの、ライフスタイルにおける試行錯誤を、より一層重ねるようになった。自宅で過ごす時間を少しでも上質なものにしようと、瞑想の習慣を取り入れようとしてみたり(せっかく買った坐蒲は、完全に乾かした洗濯物置き場となってしまった)、魚を捌くスキルを身に着けようとしてみたり(せっかく買った出刃包丁は、購入から1年近く経った今でも、開封すらされていない)、ハンドドリップの珈琲、煎茶やほうじ茶を飲むようにしてみたり(これはある程度定着している)……さまざまな角度からライフスタイルの変革に取り組み、死屍累々を積み重ね、そのうちのいくつかは生活習慣となっていった。
     そんなささやかなチャレンジの一つに、「お香を焚いてみる」というものがあった。インターネットの海でたまたま、「お香のサブスクリプションサービス」なるものを見かけたのがきっかけだ。季節のお香を毎月プロが選び、原材料や文化的背景が記されたリーフレットと共に届けてくれるという。これまでの人生で、「お香」に関する何かに触れた記憶といえば、ほぼ「お線香」くらい。その香りそのものはなぜだか幼少期より嫌いじゃなかったが、まさか自発的に生活の中に取り入れる日が来るとは思っていなかった。このサブスクリプションサービスは、20〜30代でも親しみやすいような、小綺麗で比較的キャッチーなデザインでパッケージングされており、不思議と食指が動いた。後から聞いたところによると、同世代の知人も何人か、ほぼ同時期に同じサービスに申し込んでみていたらしい。ちなみにお香に関しては現在も、たまに疲れた夜に焚いてみるなど、生活習慣の一部として生き残っている。
     今回インタビューした山田悠介さんは、このお香の定期便「OKO LIFE」の運営者であり、同サービスを手がける和の香りの専門店「麻布 香雅堂(以下、香雅堂)」の代表取締役社長。1,500年の歴史を持つお香の世界の中で、業界慣習にとらわれず、化粧品やお酒、ゲームとのコラボレーションなど、他領域のプレイヤーと積極的に手を組みながら、新たな楽しみ方のスタイルを模索する〈横断者〉である。  山田さんはなぜ、お香文化と現代のライフスタイルの架橋に取り組むようになったのか? 深淵なるお香文化の歴史や特徴、そして彼の歩みと想いに迫っていくと、“お香に首ったけ”ではないからこそ実現している、「交差点」としての価値創出のかたちが浮かび上がってきた。
    産地にも製法にも、謎が多い「和の香り」
     麻布十番駅から、徒歩5分経たず。大通りから路地に入った、およそ「東京都港区」という響きが持つギラギラとしたイメージとは対極にある静かな通りに、香雅堂はある。店に入ると、上品で心地よいお香の香りに包まれる。京都で江戸寛政年間より200年以上続く薫香(編注:お香の香料のこと)原料輸入卸元「山田松香木店」をルーツに持ち、七代目の次男だった山田さんの父が独立。1983年に麻布十番で開店したのが、この香雅堂だ。山田さんは、二代目当主である。店舗の二階、香道(詳しくは後述するが、お香を楽しむ芸道のこと)の稽古や体験教室が行われる和室にて、インタビューを実施した。  香木や香道具、香りにまつわる雑貨の販売はもちろん、お香文化にまつわる幅広いプロダクトやサービスを手がけている香雅堂。先程触れたサブスクリプションサービス「OKO LIFE」のほかにも、化粧品の香りの調合やカクテルの香りの監修、オンラインゲーム『刀剣乱舞』をテーマとした香りと香袋の開発、一般向けの香道の体験教室の開催、さまざまな一般人の香りにまつわる物語を集めたウェブマガジン「OKOPEOPLE」の運営……幅広く手を広げている。山田さんによると、事業の軸は「先祖代々得意としている『和の香り』でできることの探求」だという。

    ▲香木の一例。後編でも詳述するが、上質なものだと、この小さな一片に、車一台買えるほどの値がつくことも珍しくないという。
     そもそも「和の香り」の源泉は、「香木」と呼ばれる樹木だ。通常、香木と呼ばれる種は「白檀」「黄熟香」「沈香」の3つだけ。主な原産地は東南アジアやインドで、さまざまな内的/外的要因によって樹木が変質することで香木になると言われているが、その正確な原産地や変質メカニズムは詳らかになっていない。それゆえ、人工的に作ることもできないという。  この香木を刻んだり、粉末状にしたり、それを調合したりしたものが「お香」だ。調合の際は、香木に加え、八角やクローブ、シナモンといったスパイス、さらには貝殻、植物の樹脂などを混ぜ込むこともある。お香の形態はさまざまで、削った香木をそのまま「炷(た)く」(炭の熱で間接的に温める)こともあれば、調合して棒状にした「線香」の形で焚くことも(仏事の際に用いるいわゆる「お線香」もこの一種)。巾着などの袋に入れて「香袋」(匂い袋)にしたり、手紙と一緒に添えて「文香」にしたりすることもある。こうしてお香の香りをかぐこと一般を、和の香りの世界では「聞く」と呼ぶこともある。

    ▲線香は、こうした「お香立て」に一本ずつ立てて焚くのが一般的。長さや材質にもよるが、一本はたいてい約30分ほどで燃え切る。
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  • いま必要なのは「実践」としての人類学だ(後編)|大川内直子

    2022-01-27 07:00  
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    編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出すアイデアファンド代表取締役の大川内直子さんに話を伺いました。後編では、大川内さんの新著『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』に結実した、これからの資本主義システムの可能性と課題を展望しながら、人文知と企業社会の接点について考えます。(前編はこちら)
    小池真幸 横断者たち第7回 いま必要なのは「実践」としての人類学だ(後編)
    「脱資本主義」的言説への違和感
     人類学とビジネスを横断した活動の背景にある、大川内さんの現代社会観をまとめたのが、2021年9月に刊行した初の著書『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』だ。空間・時間・生産の領域でのフロンティアが消滅した現代、「アイデアが生産手段の前駆体としての位置づけを脱して、アイデアそのものが独立した投資対象になっている状況」である「アイデア資本主義」の時代になっていると論じている。

     本書を読むとまず印象に残るのが、昨今の脱資本主義・脱成長的なトレンドに対して、明確に批判的なスタンスを取っている点だ。資本主義を「将来のより多い富のために現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」と定義し、「入れ替え可能なシステムではない」と書いている。資本主義そのものを断罪するのでなく、できるだけ中立的にその功罪を評価していくべきだというスタンスは、学生時代より大川内さんの根底にあるという。
    「私にもアンチ資本主義みたいな感覚はないわけではありません。もともとずっとアフリカに住んでみたいと思っていて、学生の頃からよく旅行していました。すると現実は、よくイメージされるような、自然に溢れて現地の文化が守られているアフリカ像とはやはり違っていて、伝統的な衣装やダンスが見世物になっている。観光客が来たときだけそれを着て踊ってお金をもらい、終わったら携帯で話しながらTシャツに着替えて帰る、ということが当たり前になっているんです。最初はとてもショックを受けて、『グローバル資本主義によって素晴らしい文化が売り物になってしまっている』という問題意識を感じました。その感覚は今もないわけではないですし、文化の多様性を維持することの重要性は感じています。ただ一方で、『この文化はずっとこうありなさい』と言うのもとても押し付けがましい、上から目線のスタンスだとも思いまして。別に変わりたければ変わればいいし、お金を稼ぎたければ稼げばいい。私が望む『古き良き時代』をずっと維持してくださいという考え方は、とても傲慢だなと考えるようになりました。アフリカに訪れている資本主義は、それはそれとして受け入れるのが自然なスタンスなのかなという感覚を、学生の頃から持っていたんです。ですから、資本主義の悪い側面ばかり見てしまうことにはとても違和感がある。実際にそのシステムを取り入れて発展させてきた面があるのだとしたら、功罪の『功』の部分もしっかりと評価すべきではないでしょうか」
     そもそも「社会がこうあるべき」「これが正でこれが悪だ」という感覚自体、あまり強く持っていないという。むしろ大川内さんの根幹には「社会を観察していたい」という気持ちが第一にある。  例えば、著書ではフロンティア消滅後の資本主義の向かい先として「インボリューション(内へ向かう発展)」を挙げている。空間・時間・生産=消費そのものの拡大に限界が来ている現代、土地の再開発、高速取引、生産性の向上のように「内側」に向かう発展によって、経済拡大を志向するようになるということだ。ただ、株の高速取引などはわかりやすい例だが、直観的にはあらゆる領域で際限なくインボリューションが進行することは手放しで肯定しづらいようにも思える。しかし、大川内さんはそこに対する価値判断も慎重だ。
    「もちろん、それによって心を傷つけられる人が出たり、公害が起きたり、環境破壊が起きたりするのは望ましくないという一般的な倫理感覚は持っています。でも、それ以外に『インボリューションの方向性はこうあるべきだ』みたいな思いは個人的にはあまり持っていなくて。良いと思おうが、悪いと思おうが、必然的に進んでしまうものであり、『ああ、無情』みたいな感覚があります。資本主義である限り避けようがないことだと思うんです」
    詐欺と格差──アイデア資本主義が対峙する課題

     ただ、客観視しているということは、もちろん手放しの肯定を意味しない。アイデア資本主義の時代になっているという現状認識こそあれ、大川内さんは決してそれを称揚しているわけではない。筆者がこの本を読んだ時に思い浮かんだ、アイデア資本主義下において生じうる二つの課題について見立てを聞くと、「私も間違いなく大きな問題だと思っていて、解決手段について自分なりに考えはじめています」と答えてくれた。
     まずは、実態の伴わないアイデアに投資が集まってしまうリスク。著書でも、血液検査の画期的技術を開発したとして巨額の投資を集めたが、結局そうした技術は存在せず、詐欺罪で起訴されるに至った、アメリカのスタートアップ・セラノスの事例が紹介されていた。アイデアという、比較的実態の見極めづらいものが投資対象となっているがゆえに、セラノスの悲劇を繰り返すことになってはしまわないだろうか?
    「嘘のアイデアや実現詐欺は言うまでもなく、本当に実現するつもりで頑張ったけれど、結果的にポシャるという話ももちろんたくさんあります。というか、投資がどんどんモノづくりの前段階の、不確かなものに対して行われるようになっている以上、そうしたリスクは付き物です。全部のアイデアが成功するような社会になるわけはありません。ただ、そのリスクを和らげる手段はありうるなと思っています。例えば、アイデアのアナリストのような人たちが出てくるかもしれません。株式だって、個人がそれぞれの銘柄を分析するのはなかなか難しいので、アナリストがついて定期的にレポートするじゃないですか。その分析を見て、売り買いを考えたりする。それと同じように、アイデアについてもアナリストがいて、点数やレーティングをつけて評価されていくかたちはあり得るかなという気がしています。それから、アイデアのIPOのようなものもあり得ると考えています。アイデアにおける経営と資本の分離のようなことが起こり、アイデアがパブリックになり、監査が入ったりいろんな人の目に触れたりするようになる。そして、先ほど触れたアナリストの分析なども参照しながら、アイデアを直接評価できない人でもアイデアを理解して投資するかどうかを決められるようになる世界はあり得るのではないでしょうか」
     たしかに、よいアイデアが正当に評価されるエコシステムが構築されれば、セラノスの悲劇は防げるかもしれない。ただ、そうなったときにより一層深刻化してくる恐れがあるのが、アイデアの格差の問題だ。結果的に引き起こされる経済的な格差はある程度再分配可能だとしても、アイデアの有無で社会的成功が左右される、ある種の実力至上主義社会が到来したときに、アイデアなき者たちの社会的承認が欠如してしまわないか。2021年4月に刊行されたマイケル・サンデル『​​実力も運のうち──能力主義は正義か?』でも主題として論じられていたが、メリトクラシー社会における承認の問題は、昨今のいわゆる先進国が対峙する重大な課題となっている。アイデア資本主義下においては、その課題がより深刻化してしまわないか?
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  • いま必要なのは「実践」としての人類学だ(前編)|大川内直子

    2022-01-26 07:00  
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    編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出すアイデアファンド代表取締役の大川内直子さんに話を伺いました。アカデミア外でも人類学への注目が高まっている昨今、その知はいかにして応用されていくべきなのか。これからの資本主義システムの可能性と課題にも目配せしながら、人文知と企業社会の接点について考えます。
    小池真幸 横断者たち第7回 いま必要なのは「実践」としての人類学だ(前編)
    人類学ブームの功罪
     ここ数年、「人類学」という単語を目にすることが増えた。書店に足を運べば、「◯◯の人類学」というタイトルの書籍がいくつか目にとまる。デザインやリサーチといった領域を中心に、ビジネスの中でも人類学的思考の活用が模索されるようになった。
     もちろん、日本において、人文系の学問領域がアカデミア外でも注目を集めること自体は新しいことではない。1980年代のニュー・アカデミズム、ゼロ年代の社会学ブーム……そうしたトレンドは定期的に訪れる。ただし、その先達たちの顛末を見ても、コマーシャリズムの中で持ち上げられることが、功罪どちらの要素も併せ持つことはたしかだろう。昨今の人類学への注目の高まりは、一体どのようなポジティブな変化を引き起こしていて、どのような問題点をはらんでいるのだろうか?
     この問いについて考えるため話をうかがったのが、人類学的思考をアカデミア外に応用する挑戦の真っ只中にいる、大川内直子さんだ。彼女は東京大学大学院総合文化研究科で文化人類学を専攻し、修士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(DC1)に内定し研究者の道を突き進むと思いきや、これを辞退。みずほ銀行での勤務を経て、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出す、アイデアファンドを設立した。  現在は国際大学GLOCOM主任研究員も兼任しながら、アイデアファンドで企業向けのリサーチやコンサルティングに取り組んでいる。2021年9月には、初の著書『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』も上梓した。文化人類学とビジネス、アカデミアと企業社会を架橋する〈横断〉者である。
     大川内さんはなぜ、伝統的な文化人類学の世界から飛び出し、企業社会への応用という道を選んだのだろうか? アカデミア内外を架橋する張本人として、昨今の人類学への注目の高まりの功罪を、いかにして見ているのだろうか? 話をうかがっていると、彼女が考える「実践」としての文化人類学のあり方、さらには昨今の脱資本主義的トレンドへの違和感まで話題が広がり、これからの資本主義システムの可能性と課題が浮かび上がってきた。
    「人類学とは実践である」国内外で広がる、アカデミア外への応用
    「人類学者のフィールドワーク」と聞いて、どんなシーンを思い浮かべるだろうか。アフリカの奥地に数年間滞在し、現地住民と生活を共にしながら、その文化に深く入り込んで調査を進める──そんなイメージを持っているかもしれない。しかし、大川内さんの経営するアイデアファンドが実施してきたフィールドワークは、一般に思い浮かべられがちな伝統的な人類学のそれとは、少し趣が違っている。
    「普通の人の家の部屋にお邪魔させてもらって、その中でずっと観察するんです。通勤通学の途中にずっと張り付いていることもあります。もちろん、許可は取っていますよ(笑)。また、人ではなく、場にフォーカスする形でフィールドワークを行うこともあります。例えばバーの調査だったら、私がお客さんを装ってずっとその店にいます。お客さんが最初はどういうものを頼むのか、どういう会話をしたタイミングで追加注文をするのか、店主との会話を楽しむのか……、そんなことをずっと観察していますね。コロナ以降はなかなか『家に行かせて』と言いづらくなったので、自分で家の中を撮ってもらったり、Zoomをつないで家の様子が見えるように何時間も映してもらったり、Zoomで何度もインタビューしたりと、スタイルを変えざるを得なくなってはいますが」
     もちろん、このフィールドワークはあくまでも企業の事業開発や商品開発に活かすための知見を得ることが目的であり、論文を書くためのそれとは別物だ。ただし、大川内さんはこうしたフィールドワークも「人類学」の一つだと考えている。なぜなら、人類学とは「実践」だからだ。
    「文化人類学者の船曳建夫先生も『人類学とは態度である』という旨のことをおっしゃっていましたが、私の考えでは、人類学は別に方法論がかっちり決まっているわけではなくて、調査の仕方も一人ひとり全然違います。その場その場で気になっていることを聞いているという側面が強いので、再現性も検証可能性もあまり高くなく、“技”としての性格がとても強くなっている。たまたま面白いフィールドに行けるかどうかにも左右されますし、事件が起こって突然面白くなることもあるので、運の要素に大きく影響を受ける。もちろん、分析や論文の切り口、まとめ方などに関する方法論もありますが、それはあくまでも人類学の一部に過ぎません。きちんと大学に勤めて調査をして、論文にすることだけが人類学的な正しい行いとして考えられがちですが、必ずしもそうでなくともいいのではないかと私は考えています。アウトプットが論文でなく、製品や会社の組織、ボランティア活動であっても、フィールドを自分の目線で関与しながら知ろうとする実践そのものを人類学として捉えてもいいのではないでしょうか」

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  • お墓を都市の「心の拠り所」にしたい|関野らん

    2021-12-13 07:00  
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    編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、墓地設計家の関野らんさんに話を伺いました。地縁にもとづく家制度を前提とした伝統的な「弔い」のあり方がそぐわなくなりつつある現代、私たちはいかにして死と向き合えばよいのか。現代のライフスタイルに適合した、オルタナティブなお墓のかたちを考えます。
    小池真幸 横断者たち第6回 お墓を都市の「心の拠り所」にしたい|関野らん
    ライフスタイルの変化に伴い、「死」や「弔い」のあり方も移ろう
     現代の日本は、暮らしから「死」を遠ざけている社会だと言われる。
     自宅で亡くなる在宅死の割合を見ると、戦後すぐは9割近かったのが、徐々に低下。1976年には医療機関における死亡が上回り、平成中期には在宅死を選ぶケースは1割ほどに(参考)。現在はやや在宅死が増えつつあるものの、1割台であることには変わらない。核家族化の進行や地域コミュニティの結びつきの弱体化により、日常生活の中での高齢者とのかかわりが減ったことも相まって、日常生活の中で「死」に直面する機会は少なくなっている。
     さらに現実的な問題として、日本人のライフスタイルの変化に伴い、地縁にもとづく家制度を前提とした伝統的な「弔い」のあり方がそぐわなくなっている。葬送問題に詳しいシニア生活文化研究所長・小谷みどりの指摘によると、1980年代以降、高度成長期に地方から都市部に流入してきた人たちが続々と定年退職を迎えて新たにお墓を必要とするようになると、東京のような大都市で墓地不足の問題が顕在化。現在では「継承を前提としない合葬墓がいい」「納骨堂でいい」「お墓はいらない」などお墓に対する意識は多様化しつつあるものの、「核家族化や過疎化などで、無縁墓がこれから増えていくのは明らか」と新たな問題も浮上しているという。
     こうして移ろいゆく「死」や「弔い」のあり方に対して、現代にフィットするかたちのオルタナティブを模索する動きも見られる。樹木葬や散骨、土葬など、火葬ではない弔いの実践はその一例だ。国外では、コロンビア大学院建築学部の「Death Lab」のように、「死」の未来を探求する実験的な取り組みもある。
     今回インタビューした関野らんさんは、日本で唯一と言われる“墓地設計家”として、「弔い」のあり方を探求している。一級建築士であるが、いわゆる建築業界に閉じることなく、〈横断〉的に活動。「風の丘樹木葬墓地」(東京都八王子市)、「樹木葬墓地 桜の里」(東京都町田市)をはじめとした多様な墓地を設計してきたのに加え、アート領域にも活動を広げ、生と死、弔いをテーマとした作品を制作・出展している。  関野さんは、現代における「死」や「弔い」に対していかなる問題意識を持ち、どのようなオルタナティブを提示しているのだろうか? 彼女が設計した樹木葬墓地を実際に訪れて話をうかがうと、ライフスタイルや都市の問題解決に寄与するという機能面のみならず、伝統的な共同体が解体する現在こそ求められる、「心の拠り所」としての墓地の新たな側面が見えてきた。
    日本唯一の墓地設計家がデザインした、墓地とは思えない墓地
     取材に向かったのは、JR横浜線・片倉駅。八王子駅の隣で、都心部からは約1時間で着く。ラッシュ時も過ぎて人もまばらな横浜線で、ゆっくりと向かっていく時間が心地よい。  片倉駅に降り立って広がっていたのは、都内とは思いづらい、のどかで穏やかな光景だ。高尾の山々を背景に、住宅地や田畑がまばらに広がっている。改札を出るとすぐ、秋らしい虫の声が鳴り響く、緑豊かな公園を発見。足元にたくさん落ちているドングリに注意を払いながら公園を通り抜けつつ、10分ほどなだからかな丘を登っていくと、目的地である風の丘樹木葬墓地に到着した。  入口の門を抜けると目に入るのは、あたり一面にひらけている、気持ちのいい広場のような場所。左手にはおそらく樹木葬墓地であろう、綺麗に整備された芝生と水場が目に入り、右手奥には一般的な墓石群も見える。平日の昼間ということもあり来訪客は少なく、秋晴れの静寂の中、ルンバにも似た自動芝刈り機だけが、淡々と動き回っていた。自分がどこに来たのか、よくわからなくなってくるが、漂ってくる線香の香りであらためて「墓地に来たのだ」と思い出す。

    ▲入口を抜けて左手に広がっている、樹木葬墓地のメインエリア。水場の手前に見えるのは献花台。

    ▲入口を抜けて右手に広がっている光景。一般的な家墓地が少し目に入るのと、その後ろには富士山や高尾山をはじめ奥多摩の山々が見渡せる。

    ▲故人が眠る丘の芝刈りは、基本的にこの自動芝刈り機が担う。丘の端には充電ポートもあり、自ら定期的に給電していた。人の気配の少ない丘を懸命に掃除し続ける姿が愛らしいからか、利用者からの人気も高いという。生者の気配が薄い丘の上で、淡々と動き回るこの機械の姿が、不思議と印象に残った。
     ここ風の丘樹木葬墓地は、2016年に先行販売がスタートし、2018年に完全オープンした、日本では珍しい樹木葬墓地だ。曹洞宗・白華山 慈眼寺が運営しているが、従前の宗派不問。家ごとに墓石を建てるタイプの一般的な墓地とは異なり、この丘全体で一つの大きなお墓となっている。初めは眠る人それぞれに区画が割り当てられ、13年か33年の指定期間が経ったら、同じ丘の中の芝生の別のエリアに設けた合葬墓に移される。日常的なお墓の維持・管理は、すべてスタッフに代行してもらえる。  2021年10月現在(取材時)、毎月十数名ほどが新たに埋葬されているという。全部で3,600区画あり、毎年100区画ほど売れていけばおおよそ33年スパンで循環していくと見込んでいたが、それを上回るペースで売れているそうだ。生前に自身が死後眠る場所として購入するケースも多く、首都圏出身者に限らず、九州出身の人なども購入しているという。「これから増えていくであろう樹木葬というかたちを空間的にどのようにモデル化していくかを丁寧に考えたプロジェクト」と評価され、2019年度のグッドデザイン賞も受賞した。
     このユニークな墓地の設計を務めたのが、関野さんだ。彼女は一級建築士であり、日本では珍しく「墓地設計家」を名乗っている。「100年後までつながる文化遺産になり得るお墓を作りたい」という想いのもと、風の丘樹木葬墓地の他にも、東京都町田市の「樹木葬墓地 桜の里」をはじめ、これまで10件以上の墓地のプロジェクトが実現している。  昨今は、その傍らでアートにも取り組むように。去る2021年7〜8月には、千葉県千葉市の日本庭園「見浜園」で開催された展覧会「生態系へのジャックイン展」に参加。現代における弔いのあり方を模索すべく、「個別性・連続性・全体性 」と題した作品を出展した。鑑賞者が抽象的なデザインの灯籠を手に、大切な人に想いを巡らせながら園内の小道を歩く作品だ。
    個別性・連続性・全体性──人間の「生」と「死」とはなにか?
     この「個別性・連続性・全体性」というキーワードは、ただ一作品のタイトルというだけでなく、関野さんの活動全体を貫くコンセプトでもある。
    「お墓は死と結びつけて捉えられがちですが、その時代時代で、人がどう生きたのかをあらわしている場所でもあります。いわゆる宗教とのかかわりが薄くなりつつある現代日本で、なるべく普遍的に受け入れられる、人間の感覚として自然な形での生と死の捉え方をいかにして体現できるのか。それを模索しながら、墓地を設計してきました。その結果、こう考えるようになったんです。人が生きるということは、それぞれがかけがえのない存在(『個別性』)であると同時に、同時代の人々とのつながりや祖先から受け継がれる時間軸の中に存在するものであり、時間的・空間的『連続性』を持つものでもある。そしてそれが環境と一体となった『全体性』の中にいるということだと。細部のデザインから時間的なレイヤーまで、さまざまな側面でこの『個別性・連続性・全体性』を意識して、墓地を設計しています」

     「個別性・連続性・全体性」。この関野さんの生命観は、実際の墓地設計にどのように反映されているのだろうか。まず風の丘樹木葬墓地は、「樹木葬墓地」ではあるものの、一般的なそれとはデザインを異とするという。
    「樹木葬墓地は、特定の樹木をシンボルとして置いている場所が多いです。ただ、シンボルとなる樹木を置くと、そこに向かって意識が集中してしまいますよね。樹木葬の本来のコンセプトは『自然に溶け込み、土に還る』というもの。ですから、お墓の中には樹木を置くのではなく、周りが樹木に囲まれているかたちにして、環境に溶け込んでいくことが体感できる空間を作りたかった。また、新しいお墓の形として樹木葬が注目されているとはいえ、一般のお墓の形をそのまま踏襲して、それぞれが埋まっている場所が特定できるプレートが目立つ設計がなされている樹木葬墓地も少なくありません。風の丘樹木葬墓地にもそうした要素はある程度あるのですが、一つの対象物や場所に固執してほしくないので、できるだけ中心性を持つものを置かないようにしています。初めて樹木葬墓地を設計したときから、樹木葬は対象に対して祈るのではなく、環境に眠っていることを感じるものだと考えてはいましたが、時間・空間と多元的に個別性・連続性・全体性を体現できたのは、風の丘樹木葬墓地からだと思います。そこには設計者の名前や存在感はなくていい。誰かが恣意的に作った印象やシンボル性がなく、本当に環境に溶け込んですっと心に入ってくるような場所になってほしいと考えています」
     いわば個別性だけでなく、連続性や全体性も感じてもらうために、中心性をできるだけ排したデザインになっているといえるだろう。その意識は、丘のような埋葬エリアのデザインにも反映されている。「中心がなく、どこからも違った見え方になるようにしたい」という意図から、あえて完全な円ではないいびつな形に。それゆえ立つ場所によって、お墓、そして背景の山間部の見え方が変わるのだ。正面の水回りが一番人気だというが、丘の一番高い場所や奥のベンチ、はたまた屋内の休憩スペースなど、人によってお気に入りの場所はさまざまだという。

    ▲メインの献花台。多くの人が、まずはこの献花台から、合葬エリアに向かって手を合わせる。この池を起点に丘全体に水路が張り巡らされており、お清めの意味だけでなく、「源流からいろいろな流れをたどり、最後は大海に戻る」人生の流れも暗示しているという。

    ▲メインの献花台とは、別の角度から見た光景。ところどころに献花台やベンチが置かれており、さまざまな角度から手を合わせられるようになっている。
     さらに、墓地内のみならず、その外にある環境との連続性・全体性を感じられる設計にもなっている。ここでも徹底して、中心性を排しているのだ。
    「この一帯は、背後の高尾山ともつながっている多摩丘陵の一部を、50年ほど前に切り拓いて宅地造成した新興住宅地です。今は真っ平らですが、もともとは山だったわけです。大地とのつながり、連続性を感じられるようなお墓にしたくて、周りの山脈から地形の力が少し外から加わって押し上げられたようなイメージで、この丘に微妙な傾斜をつけ、少しだけぷくっと盛り上げ設計にしました。この『少しだけ』というのもポイントで、ちょっとだけ周りよりも高い場所だけれど、遠目で見たらそこまでわからないくらいにしています。古墳のようにわかりやすく突き出した丘にしてしまうと、一つの中心が生まれてしまう。ですから、視界の端から端までは見えず、取り囲まれるような間隔を味わえる設計にしました」

    ▲事務所や休憩スペースが入った建物の屋根の傾斜も、地形の傾斜になじむように設計しており、かつ円弧や屋根を何枚か重ねることで、それだけで完結した印象が出ないようなデザインになっているという。後述するが、曲線がふんだんに活用されているのは、建築だけでなくファッションなどからも影響を受けた関野さんのデザインの特徴でもある。
    「家ごと」と「みんな一緒」の過渡期──日本における「弔い」の現在地
     ただし、関野さんは墓地から特定のシンボルや中心性を完全に排除しようとしているわけではない。そもそも「連続性・全体性」だけでなく「個別性」もキーワードに含まれていることからも読み取れるように、風の丘樹木葬墓地は、ある程度の個別性や中心性が含まれる設計にもなっている。
    「お墓に関して、今は本当に過渡期だと思っています。これまであったお墓を継ぐ人がおらず、他のお墓とまとめたり、片付けて『墓じまい』したりするケースが増えている。地方で生まれて東京に出てきた人が、先祖代々のお墓を守ることができないから、東京にお墓を引っ越ししたいという需要もあります。もともとお墓は地縁にもとづいた家制度と一緒に継いでいったものでしたが、今は生まれてから死ぬまで同じ場所に留まり続けることが減っているじゃないですか。だから先祖代々継いでいく形態のお墓は、徐々になくなっていくのではないかと思います。すると、個人や一代限りで入ったり、みんな一緒に入ったりすることが増えていくはずです。ただ、その代が終わったら孫世代より下は手を合わせる場所がない、というのも寂しいですよね。これまでとは違う形態になっても、ご先祖様に手を合わせるためのお墓という場所自体は、ずっと残り続けると思います」
     近代的な家制度の衰退と共に、転換を迫られている「先祖代々の墓」というスタイル。とはいえ、親世代を弔いたい気持ちは残るし、「先祖に手を合わせる」営みへの欲望も消えないだろう。だからこそ関野さんは、「家ごと」と「みんな一緒」の中間的な形態の墓地を設計しているのだ。実際、風の丘樹木葬墓地には、二人まで一緒に入れる家族墓地エリアもある。

    ▲墓地のやや奥まった場所にある、家族墓地エリア。プレート一つひとつが、墓石のような役割を果たしている。
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  • 暮らしにもっと植物を、都市に土の手触りを|鎌田美希子(後編)

    2021-09-22 07:00  
    550pt

    編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、プランツディレクターの鎌田美希子さんに話を伺いました。後編では、ビジネスと研究、アートと領域横断で「人と植物の距離をもっと近づける」活動に取り組んできた鎌田さんの歩みに迫ります(前編はこちら)。 ※「横断者たち」の第1回~第4回はPLANETSのWebマガジン「遅いインターネット」にて公開されています。今月よりメールマガジンでの先行配信がスタートしました。
    小池真幸 横断者たち第5回 暮らしにもっと植物を、都市に土の手触りを|鎌田美希子(後編)
    多肉植物は誤解されている──空間緑化ツールを開発した理由
     自らが生まれ育った環境と、都市部の「土から離れた」環境との違いに驚き、「人と植物の距離を近づけたい」という問題意識を抱くようになった鎌田さん。その活動の端緒は、オフィス向けの緑化を手がけるところからはじまった。先述のように自然に囲まれて育った鎌田さんは、「大好きな植物の研究をしてみたい」という想いから、大学では農学部に進学。生命科学を専攻し、農学研究科を修了したのち、野菜の種を開発するメーカーに就職した。その会社を辞めて東京に出てきたのが、20代半ばのときだ。
    「東京にはいろんな人がいて、いろんな刺激的な世界があって、とても楽しかったです。でも、やっぱり自然が少ない。コンクリートだらけだし、毎日朝から晩まで、とても無機質なオフィスで過ごしている。何かが足りない、これは何かおかしいのではないか。そう感じるようになって、もう一度原点に返り、植物を広める仕事をしたいと考えるようになりました。植物が感じさせてくれる、ワクワクや楽しさ、癒やしをもっとみんなに気づいてもらい、生活の中に取り入れてほしいなと」
     まずは働きながら、室内に植物を飾るための「インドアグリーン」の知識を学ぶための学校に一年間通った。その後、はじめは知り合いベースで、オフィスや家の緑化を手がけるように。仕事の傍らフリーで行っていたこの活動の延長で、現在のロッカクケイ合同会社での緑化事業を本業とするようになった。  ロッカクケイが手がけたプロジェクトの一つが、多肉植物たちのユニークな形や魅力を再現した室内緑化ツール「TANICUSHION®︎(たにくっしょん)」だ。たにくっしょんを立ち上げた2015年当時、園芸業界は空前の多肉植物ブームに湧いていた。多くの人々が多肉植物の面白さやかっこよさに惹かれ、高価なサボテンも流通するようになったが、「水をあげなくても育つ」「室内だけで育てられる」といった謳い文句に、違和感を覚えていたという。
    「当時、私も『オフィスにサボテンを置きたいんだよね』という相談を受けることが増えました。ただ、多肉植物にまつわる知識が、正しく伝わっていないもどかしさを感じまして。サボテンは本来、雨が少なくて、直射日光がガンガン当たる場所で生き抜くために、あのような水を貯めやすい形で進化しているんですね。だから、日本のような高温多湿な気候にはあまり向いていません。それから、室内に置くと太陽の光量が少なくて、丸かったものが途端にひょろひょろとして(徒長して)いき、やがて枯れてしまいます。『サボテンは外で生きる植物。室内に置きたいなら、代わりに多肉植物をリアルに再現したクッションを置きましょう』という想いから、室内緑化ツールのたにくっしょんを作ることにしたんです」
    ▲「たにくっしょん」には、アガベやエケベリア、ダシリリオンなどの種類がある。抱きしめたときに心地よい素材感や、一つひとつの植物にそっくりなフォルムにも徹底的にこだわり、日本の職人が心を込めて手作業で作りあげているという。
     その他、クッションで祝い花を表現した『Iwai-bana』なども手がけ、植物の施工などにも手を広げたが、「好き」という気持ちだけでビジネスを成立させることに限界も感じるように。オフィス向けの緑化サービスとしては、レンタルの貸鉢やリースの植物を置き、週に一度だけ業者がメンテナンスし、弱ったら知らないうちに取り替えられているというものが主流だという。しかし、鎌田さんは「そういうことはしたくなかった」。「植物を愛でて、一緒に生活する仲間として迎え入れてほしい」という想いが根底にあったからだ。  とはいえ、植物に触れてこなかった人々にとって、継続的に適切な世話をすることは簡単ではない。そもそも、経営判断としては、「植物にコストをかけよう」というジャッジを下すこと自体が難しい。感覚的に良さは感じるものの、メンテナンスの手間をかけてまで導入する根拠を示しづらいのは、想像に難くないだろう。
    研究でエビデンスを示し、アートで直感に訴えかける
     クッションを作ったのは一つの“代替案”であり、本来やりたかったのは、本物の植物を扱うことだ。その上、緑化ビジネスは費用対効果が示しづらい──そんな閉塞感を覚えていたとき、目の前に現れた新たな選択肢が「研究」だった。  知人がベンチャー企業を経営しながら博士号を取得したということを聞き、「え? そんな選択肢があるの?」と驚いた鎌田さん。調べてみると、植物が人に及ぼす効果を研究する「人間・植物関係学会」の存在を知る。もともとバイオ系の研究室出身の鎌田さんにとって、園芸セラピーやオフィス緑化、病院緑化の効果についての研究は、とても新鮮に映った。
    「研究というアプローチを使えば、緑化ビジネスの効果を証明するエビデンスが見つけられるかもしれない。そう思って、強く興味を持ちました。たまたま近い時期に、人間・植物関係学会が秋田で開催されると知って、一人で飛び入り参加。小さな学会なので、みなさん良くしてくださって、その中にいま私が所属している千葉大学大学院園芸学研究科の研究者がいたんです。それでゼミにお邪魔するようになって、受験して入ることになりました」
     千葉大学大学院の園芸学研究科は、国立大学法人としては日本で唯一の園芸学の研究科だという。千葉大学のキャンパスの多くが置かれている西千葉ではなく松戸に単体のキャンパスを構え、遺伝子組み換えからランドスケープまで、学際的な観点から植物の研究がなされている。  鎌田さんが選んだ研究テーマは、オフィスにおける植物の効果。オフィスに植物が置かれていることで、働く人のストレスや仕事に対する印象がどう変わるのか、心理テストやアンケート調査、印象評価、ストレスホルモンなどの生理的な指標をもとに研究している。執務スペースのみならず、休憩室に着目して、そこに植物を置くことによる効果も研究しているという。  研究対象をオフィスにしたのは、「緑化ビジネスに活かしたい」という直接の動機によるところもあるが、何よりかねてより鎌田さんが抱いていた「都市における人と植物の距離を近づけたい」という問題意識に直結するものだ。国連の予想によると、今後もますます都市人口は増えていき、2050年までには世界人口の数十%が都市に住むようになる見込みだという。だからこそ「いかに自然に戻すか」ではなく、「どうすれば都市の中に自然を取り入れていけるか」という研究に意義を感じ、都市の中でも多くの人が一日のうちの大半を過ごすオフィスを選んだのだ。  そしてビジネスと研究に加えて、鎌田さんの3つ目の軸となっている活動が、アートである。
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  • 暮らしにもっと植物を、都市に土の手触りを|鎌田美希子(前編)

    2021-09-21 07:00  
    550pt

    編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、プランツディレクターの鎌田美希子さんに話を伺いました。「土から離れて暮らしてしまっている」都市において、私たちはいかにして植物との関係性を取り結んでいけばよいのか。「人と植物の距離をもっと近づける」ための方法を考えます。 ※「横断者たち」の第1回~第4回はPLANETSのWebマガジン「遅いインターネット」にて公開されています。今月よりメールマガジンでの先行配信がスタートしました。
    小池真幸 横断者たち第5回 暮らしにもっと植物を、都市に土の手触りを|鎌田美希子(前編)
    コミュニケーション過剰な時代に、意思疎通できない「植物」と共に暮らす
     ここ数ヶ月、人生で初めて、「園芸」というものに興味を持つようになった。近所の小さな園芸ショップの店先を眺め、たまに小さな観葉植物の鉢を買っていくだけなのだが、これがけっこう楽しい。一つ数百円の小鉢が、日によって少しずつ違うラインナップで並べられており、「今日はどんな植物が出ているのだろう?」とささやかなワクワク感が得られる。気に入ったものがあれば、買って帰り、部屋に置くようにしている。  そして何より、植物を育てるという営みの奥深さ。といっても、たまに水をあげたり、日に当ててあげたりくらいしかしていないのだが、これが意外にも難しい。植物によって、水をあげるべきタイミングや、日に当てるべきかどうかが異なる。さらには、知らぬ間に葉っぱが茶色くなっていたりと、日によってコンディションが上下する。  もちろん、言語的コミュニケーションは一切通じない。かなり面倒な同居人であることはたしかだ。しかし、常にSNSやインターネットに接続され、意思疎通の海に溺れそうになる現代だからこそ、であろうか。コミュニケーション不可能な他者とのかかわりが、なぜだか心を落ち着かせる。毎日数分だけでも世話をすることによって、生活に彩りと安息が加えられている感覚がある。それも、たった数百円で、枯れない限りずっと楽しめる優れものだ。  周囲の知人からも、コロナ禍を機に植物を育てるようになったという声を、ちらほらと聞く。筆者は首都圏のベッドタウンで生まれ育ち、現在も都市部に住んでいる。幼少期はいわゆる昆虫少年で、カブトムシやクワガタに目がない時期もあったが、基本的に、自然にはあまり触れ合わずに生きているタイプの人間だと思う。しかし、ここにきて約20年ぶりに、生き物と共にある生活のみずみずしさを味わっている気がする。
     筆者がいままさに体験している、都市部において、いかに「自然」とのかかわりを紡ぐか。都市化が進行しつつある昨今、重要性がますます高まるであろうこの問いを考えるべく、ある人物をたずねた。話をうかがったのは、「人と植物の距離をもっと近づけたい」という想いのもと、ビジネスと研究、アートを〈横断〉しながら活動している、プランツディレクターの鎌田美希子さん。「多肉植物ブーム」への問題意識から立ち上げたクッション『たにくっしょん®︎』などを通じた空間緑化事業を手がけるロッカクケイ合同会社を経営しながら、千葉大学大学院園芸学研究科博士課程で、オフィスにおける植物の効果を研究。2019年にオフィスを植物による植物のための空間とした展示『Office Utopia』、2020年に微生物を主題として初の個展『(in)visible forest』を開くなど、アーティストとしても活動中だ。  マクロトレンドとしては都市化がますます進行しつつある中で、私たちはいかにして植物との関係性を取り結んでゆけばいいのか? 「土から離れて暮らしてしまっている」都市における、人と自然のあるべき関係を議論した。
    現代人が直面する「プランツ・ブラインドネス(植物への盲目)」
    「20代半ばで東京に出てきて最も驚いたのが、人々の植物への無関心さです。多くの人が植物に興味がなくて、私が植物の話をしても、『ああ、草ね』くらいのリアクションしかされない。昔から植物が心の底から好きだった私にとって、とてもびっくりさせられることでした」
     鎌田さんは穏やかな口調で、こんな経験を語ってくれた。筆者はこの言葉を聞いたとき、周りを見渡しながら「あぁ、そういうことか」と、深い納得感を得ていた。  というのも、鎌田さんの生活そのものが、「植物のことを心の底から好き」を体現していたからだ。今回の取材は、鎌田さんのご厚意により、(もちろん十分に感染対策を講じたうえで)自宅にお邪魔するかたちで行われた。取材前は、いちインタビュアーの分際でパーソナルな空間に足を踏み入れることに、恐縮する気持ちもあった。しかし、お邪魔した途端、そんな気持ちも吹き飛ぶほど驚いてしまった。室内の所々に観葉植物などが置かれているのはもちろん、まるで植物園のように、さまざまな植物が敷き詰められた壮観なベランダがあったのだ。


     こうしたかたちで植物とかかわっていたら、東京に住む人々が植物に「無関心」だと感じてしまうのも当然だろう。しかし一体、鎌田さんはなぜ、ここまで植物に惹かれているのだろうか? 一般に植物の良さといえば、癒やしやかっこよさ、かわいさといったポイントが思い浮かぶ。しかし、鎌田さんには、それらよりも先に来る感情があるという。
    「植物は面白いんですよ。私は東北の田舎で生まれ育ったのですが、当たり前に自然に囲まれた環境で育つ中で、植物が大好きになりました。自宅には花やサボテンがたくさんあり、すぐ横に小さな畑がある。母の実家は農家で、田畑に連れていってもらうこともありました。小学校には、田んぼのあぜ道や林の中を通りながら、30〜40分かけて歩いて通学。学校の裏には大きな雑木林があって、放課後は毎日そこで遊んでいました。植物好きが高じて、小遣いを貯めて食虫植物を買い集めたりするようにもなりましたね。変わった子どもだったと思うのですが(笑)、親もけっこう付き合ってくれまして。ドングリを植えるための植木鉢を一緒に焼きもので作ってくれたり、『あそこの山に生えいている、ギンリョウソウという腐生植物が見たい』と言うと、その場所に連れていってくれたり。最初は食べられるものから興味を持ったのですが、キイチゴがたくさん林になっていたり、ブドウが8月頃になるとやわらかくなったりと、毎日いろいろな植物を見て、触れて、時には口に入れて、その変化を感じられるのが、とても面白かったんです」
     こうした植物に対する好奇心は、本来は万人が兼ね備えている可能性があるものだと、鎌田さんは考えている。かつて、レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』において、​​子どもは誰でも「センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目をみはる感性」を持っている点を指摘した。しかし、現代においては、人が植物に対して過小評価をする傾向を示す「プランツ・ブラインドネス(植物への盲目)」が問題視されているという。たとえば、家が壊された跡地の土に雑草が生えていても、多くの人は気にもとめない。そもそも、地球上の生物の総量のうち、植物は約9割を占めるという。その植物たちが光合成によって酸素を生み出すことで人間が生きられているにもかかわらず、「火災によって山林が大きく失われた」という一大ニュースでもない限り、あまり意識にのぼってこない。
    「植物とかかわりたいという欲求は、多くの人が持っていると思うんです。人間は本能的に自然とのつながりを求めるとする『バイオフィリア』という概念があり、私たち人間は、生命に対して愛着を持つ本能があると言われています。コロナ禍に際しても、自宅で過ごす時間が増えた影響で、家で植物を育てたいという人が増えましたよね。知り合いの鉢の卸売業者さんも、コロナ禍でとても忙しくなったと言っていました。たまたま幼い頃の私がそうだったように、自然とのインタラクションを重ねる中で、植物の面白さに気づくことができれば、無関心ではいられなくなるはず。たとえば、ちょっとでも自分で育ててみるようになれば、自ずと周りの植物が気にかかるようになると思います」
     この鎌田さんの言葉は、園芸超初心者の筆者としても、大いに実感できるものだ。曲がりなりにも自身の手で育てるようになってから、道端の草木や近所の家のガーデニングの豊かさに、出会い直した感覚がある。ライターの村田あやこは“路上園芸鑑賞家”として、住宅や店舗の前などで営まれる園芸や路上空間で育まれる緑を「路上園芸」と名付け、その撮影・記録を行っているが、まさに「路上園芸観察」の魅力を知った気がするのだ。
    ▲村田あやこ『たのしい路上園芸観察』
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