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  • 『サイレントマジョリティー』ーーポンコツ少女たちが演じきった硬派な世界観と、秋元康詞の巧みさ(藤川大祐×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.623 ☆

    2016-06-22 07:00  
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    『サイレントマジョリティー』ーーポンコツ少女たちが演じきった硬派な世界観と、秋元康詞の巧みさ(藤川大祐×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.6.22 vol.623
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    今朝のメルマガは、欅坂46のデビューシングル『サイレントマジョリティー』をめぐる藤川大祐さんと宇野常寛の対談をお届けします。YoutubeでMVの再生回数1000万回を超えた同曲と欅坂46のすごさはどこにあるのかを語りました。(初出:「サイゾー」2016年6月号(サイゾー))


    (出典)
    ▼作品紹介
    『サイレントマジョリティー』
    発売/4月6日 発売/ソニーレコーズ
    アイドルグループ・欅坂46のデビューシングル。グループは現在20人(+アンダーメンバー1人)。
    ▼対談者プロフィール
    藤川大祐 (ふじかわ・だいすけ)
    1965年生まれ。千葉大学教育学部教授。メディアリテラシー、ディベート等を含めた新しい授業づくりを研究している。編集長を務める『授業づくりネットワーク』では「AKB48の体験的学校論」というコーナーを設けている。
    ◎構成:増田 優
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
    藤川 最初に欅坂46(以下、欅坂)の文脈的な位置づけを簡単に整理しておくと、まずAKB48の公式ライバルとして2011年に乃木坂46(以下、乃木坂)が誕生して、その流れを汲む新しいプロジェクトとして15年に生まれたのが欅坂です。オーディションの結果発表が乃木坂と同じ8月21日で(乃木坂は11年8月21日)、『乃木坂ってどこ?』と同様に『欅って、書けない?』【1】という冠番組がテレビ東京系の深夜で始まり、オーディション発表の翌春にCDデビューをし──と、乃木坂の足跡を追うように進んできている。そしてグループとしての基本的なフォーマットも乃木坂のそれに従っている。だから欅坂の話をする前に、乃木坂の話をしておきましょう。
     48グループと46グループのコンセプトの最大の違いは、構造なのか個人なのか、というところだと思います。48グループは私から見ると、構造、つまり仕組みが面白いんですね。一人ひとりのメンバーの能力というよりは、仕組みの中で各自ががんばる姿を見せている。乃木坂も最初はそうだったんですが、一方で「乃木坂らしさ」というのがずっとキーワードとしてあった。生駒(里奈)さんのAKB兼任【2】が終わった15年夏のライブの課題がまさに「乃木坂らしさとは何か?」で、そのあたりから明らかに48グループとは違う路線を探し始めた。そこで出てきたのが、一人ひとりのメンバーがもともと持っているものを活かす方向だった。仕掛けて面白くするのではなく、個性を活かすために楽曲をつくったりファッションモデルをやったり、という方向に転換したわけです。それが言ってみれば乃木坂フォーマットで、これを欅坂は引き継いでいる。

    【1】『欅って、書けない?』放送/テレビ東京にて、15年10月~:MCに土田晃之・澤部佑(ハライチ)を迎え、欅坂メンバーがトークや企画に挑戦する冠番組。
    【2】生駒さんのAKB兼任:乃木坂の1期生でありセンターの生駒は、14年の「AKB48グループ大組閣祭り」以降AKB48チームBと兼任で活動していた。15年5月で終了。

    宇野 これを言うのは非常に勇気がいるけど、グループ単位で考えた時に、今乃木坂は女子アイドルの中で一番強いですよね。実質的な訴求力という点において、もちろん絶対量はAKBなんですけど、10周年を越えて今難しい時期にいるのに対して、乃木坂は量こそ劣るけれど勢いがすごい。1期生の中心メンバーは非常に脂が乗っていて、背後には逸材だらけの2期生が控えている。09~10年頃のAKBと同等か、それ以上の戦闘力があるんじゃないか。
     その理由のひとつが、程よい遠さだと思う。AKB以降のライブアイドルは基本的にファンとの近さと、エンゲージメントの巧みさを競うようになっていった。乃木坂はその中で、ユーザーとの距離を直接的に近づけてくれる握手会だけを残して、戦略的にメディアアイドルへの回帰を果たした。これだけライブアイドルがあふれている中で、真逆の打ち出し方をすることで非常に輝いて見えるようになった。しかもメディアといってもいわゆるテレビバラエティ的なものとも距離が離れていて、モデル的な、言ってしまうと“お嬢さん”的な距離感でやっている。その結果出てきたある種のコンサバ感もいい方向に作用していて、音楽や映像などの各種表現もコンセプチュアルにコントロールできていると思う。
     そしてその乃木坂の流れを受けた欅坂がどんな路線で出てくるのか、固唾を呑んで見守っていたら、デビュー曲「サイレントマジョリティー」で「こう来たか!」とかなり驚かされました。

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  • 紙飛行機を、明後日の方向へ飛ばせ――AKB48 10周年に寄せて(竹中優介×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.503 ☆

    2016-01-27 07:00  
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    紙飛行機を、明後日の方向へ飛ばせ――AKB48 10周年に寄せて(竹中優介×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.1.27 vol.503
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    ▲唇にBe My Baby Type D 初回限定盤

    今朝は先月12月8日に10周年を迎えたAKB48をめぐる、竹中優介さんと宇野常寛の対談をお届けします。「国民的アイドル」の座を手にした48グループが、21世紀型のコンテンツとして持続的に発展していくための条件とは? 元あん誰Pの竹中さんと、メディア論的な観点も交えつつ語り合いました。(初出:「サイゾー」2016年1月号(サイゾー))
    ▼対談者プロフィール
    竹中優介(たけなか・ゆうすけ)
    1977年生まれ。TBSテレビプロデューサー。『アッコにおまかせ!』のほか、NOTTVで放映されていたAKBの番組『AKB48のあんた、誰?』などを担当。
    ▼作品紹介
    『AKB48』
    言わずと知れた国民的アイドルグループ。2005年12月8日にグループとして初公演を行いデビュー、この12月で10周年を迎えた。現在ではSKE48、NMB48、HKT48ほか姉妹グループを含めた総称としても使われる。
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
    ■ AKB48はなぜ、ブレイク後も持続的に成長できたのか
    竹中 テレビ業界では、4~5年くらい前から「AKBも今年がピークで、もうブームは終わる」と言われ続けてきました。そう言われながらも結果この12月で10周年を迎えたわけで、それはやっぱりすごかったね、という見方が今は主流になっている感じがあります。
    宇野 もちろん一時期のような右肩上がりの空気があるとはお世辞にも言えないし、かつてのように社会にインパクトを与えることも少なくなっていると思うけど、これは停滞であると同時に、逆に安定しているともいえると思う。「来年一気に凋落する」なんて、誰ももう思ってないでしょう。
    竹中 AKBが生み出した「アイドル」というものの新しい生き方のシステム自体が発明で、そこでつかんだ地盤がしっかりあるから、メディア露出の量が多少増減しても、そう簡単にブレない力を持った。それが10年間で培ったアイドルビジネスモデルの強さですよね。
    宇野 それによって、いろんなものが変わりましたよね。まず、ライブアイドルという文化を完全に定着させたこと。それからいわゆるAKB商法以降、映像や音声というコンテンツ自体にはお金がついてこなくて、究極的にはコミュニケーションにしかお金はつかないというのがはっきりしたこと。アイドルでいえば握手会がそうだし、フェスなんかもそう。情報社会下のエンターテインメントはコミュニケーション消費以外にないんだということを、AKBが最も大きく可視化させて、そして最も大規模に展開していることは間違いない。いまだに映像や音声にお金払っている人もどんどん「この人の人生を応援したいから買おう」という意識になってきている。
    竹中 「参加型」という点ですよね。昔はアイドル=メディアを通して見る遠い世界の芸能人だったのに、AKB以降、今宇野さんが言ったように「その人の人生を応援する」、つまりサポーターとして、人の人生に自分も参加しているという気持ちにさせるものになった。
    宇野 昔でいうと「タニマチ」という存在があって、地位も名誉もお金も得て満たされた人間が最後にハマるエンターテインメントって、赤の他人の人生を無責任に応援することだったわけじゃないですか。アイドルも、そういうある種の人間の本質に根差したモデルだけど、AKBほどそれをシステム化したものはほかにない。「アイドル」という他人の人生をエンターテインメント化するものに対して参加できてしまう、つまり他人の人生を左右できるシステムを、ゲームの中に組み込んでしまった。それは決定的なことだったと思う。
     AKBの存在のあり方というのは、今のライブアイドルブームの中心に10年間いるという以上の意味をおそらく持っていて、エンターテインメントや文化に関して日本人が持っていた前提のようなものをガラッと覆してしまったと思うんですよ。実際に僕がAKBについて語り始めた頃は「総選挙というのはこういうシステムで」とか「AKBとおニャン子クラブはどう違うのか」とか説明することから始める必要があった。でも今ではほとんどそういうこともなくなっていて、当たり前のことになっていった。それくらいこの10年間、特に後半の5年間で、AKBがエンタメの世界やカルチャーの世界を変えてしまった部分がある。
     ただその一方で僕が危惧しているのは、2011〜12年頃はAKB現象について語ることがものすごく需要があったのが、今はそうではなくなってきていることなんですよね。当時のAKB現象はいろんなものを象徴していて、それを語ることによって世の中で起こっているいろんなことを説明できた。例えば、インターネットが普及すると逆にライブや“現場”が大事になってくるというのはその後あらゆるジャンルで起こってくることで、AKBは先駆けだった。
     あるいは、ネットができると人々は自分が直接参加できるものじゃないと面白いと思わなくなってくるということや、作家が作り込んだ虚構よりも、実際に起こっている面白いことを検索するほうが早いというのもそう。今でこそそうした考え方は常識になっているけれど、日本においてはAKBがどんどん可視化させていったものであることは間違いない。今までの10年間は、AKBというものが成立しているだけで世の中にインパクトがあった。
    竹中 でも今やそういうことをやってきたAKBがスタンダードだと認識されてしまっているから、同じことをAKBがやっていても、攻めの姿勢があるようには見えなくなってしまっている。
    宇野 それは“勝った”がゆえの悩みなんですよね。いろんな障害をはねのけて彼女たちは勝った。それゆえに今批判力を失っている。でも僕は、自分で言っておいて変な話だけど、この10年はそれでよかった気もするんですよ。ただこの10年は勢いに任せて領土を拡大し続けてきたわけで、その後占領した場所の運営の仕方なんて考えてこなかった。それをサステナブルな仕組みに変えていくことが、次の10年では必要になってくる。
     僕はそこで一番大事なのは、優れたOGを安定して出していくことだと思う。AKBはよく宝塚と比較されるけど、宝塚のブランドイメージを強化しているのは天海祐希や黒木瞳とか、古くは八千草薫のような卒業生の存在でしょう。

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  • 【緊急対談】「松井玲奈とSKE48の8年間」吉田尚記・宇野常寛が語る松井玲奈の卒業 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.398 ☆

    2015-08-28 07:00  
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    【緊急対談】「松井玲奈とSKE48の8年間」吉田尚記・宇野常寛が語る松井玲奈の卒業
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.8.28 vol.398
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    (画像)松井玲奈さんが表紙を務めた『PLANETS vol.7』(2010年発売)より 

    今日は、SKE48を卒業する松井玲奈さんをテーマに、アナウンサーの吉田尚記さんと宇野常寛の対談をお届けします。ラジオ番組「ミューコミ+プラス」の舞台裏で見せた松井玲奈の知られざる素顔。また、SKE48での8年間の活動の中で彼女が果たした役割と卒業後の可能性について論じました。
    ▼対談者プロフィール
    吉田尚記(よしだ・ひさのり)
    1975年12月12日東京・銀座生まれ。ニッポン放送アナウンサー。2012年、『ミュ〜コミ+プラス』のパーソナリティとして、第49回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞。「マンガ大賞」発起人。株式会社トーンコネクトの代表取締役CMO。おそらく史上初の生放送アニメ『みならいディーバ』製作総指揮。2冊目の著書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)が発売3ヶ月で累計12万部(電子書籍を含む)を越えるベストセラーに。マンガ、アニメ、アイドル、落語など多彩なジャンルに精通しており、年間数十本のアニメイベントの司会を担当中。ラジオ、イベントを通して、年間数百人の声優・アニメクリエイターにインタビューしたり、アニメソングのDJイベントを自ら企画・主催したりしている、世界で一番幸せなアニメファン。
    アマゾン著書ページ http://www.amazon.co.jp/-/e/B0041LAHFW
    Twitterアカウント @yoshidahisanori
     
    ■ 突出したラジオパーソナリティの能力
    宇野:今日はよろしくお願いします。玲奈ちゃんのことを話すなら、相手はよっぴー以外にいないだろうということで。
    吉田:でも、松井玲奈歴で言うと、宇野さんの方が長いですよね。
    宇野:僕は最初に好きになったアイドルがAKBで、『マジすか学園』でいっぺんにハマったんです。『マジすか学園』ってストーリー的には完全にヤンキー漫画のパロディで、今にして思うと、当時のAKBの比喩になっているような、気の利いたあてがきをしていたんだけど、そういうことは素人はわからないんですよ。ただ、演技は素人の女の子たちがものすごくマジでやってるのは伝わる。しょうもないドラマだけど、それを信じられなくらいみんな本気でやっていて、ドラマというよりはむしろドキュメント的な魅力に掴まれてしまった。ああ、アイドルってこれが魅力なんだなってはじめて気づいた感じで。
    その中で一番いいと思ったのが、松井玲奈のゲキカラの回だったんですね。あんな化学反応が起きるとは誰も予測してなかった。アイドルってああいう奇跡が起きるんだってことに僕は衝撃を受けた。あれに僕は一発でやられて、当時編集していたPLANETSっていう雑誌の7号の表紙をお願いしたんです。撮影は恵比寿のマジックルームっていう、今はなくなっちゃったんですが、若いアーティストたちが、色んなドローイングをしているアートスペースで、特に二次元のキャラクターをモチーフにした作品が多かった。彼女はアニメが好きだから、二次元のキャラクターたちと三次元の松井玲奈っていう対比で撮ってもらって。だから、僕のアイドル入門は松井玲奈だったんだよね。
    吉田:僕はアイドル自体はもう20年追っかけてるんですけど、AKBを見たのは、2005年の始まった直後にライブで番組を告知をするって話があって、そのときに秋葉原のドンキホーテで観たのが最初なんですが、ほとんど印象に残ってないんですよね。
    それから5年くらい経った2010年に、渋谷公会堂で「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」というイベントの司会の仕事があって、bump.y、スマイレージ、SKE48、ももいろクローバーが出演したんですよね。ちなみに、当時のももクロは、「スマイレージだー!」ってはしゃいで写真撮って喜んでるような状態でしたね。たった5年でこんなにも変わるもんなんだなって、色んなことを考えさせられますが。
    そのイベントでは、出演4グループのパフォーマンス的にはももクロとスマイレージの一騎打ちに近い状態でした。その時点でも松井珠理奈と松井玲奈って子がいるんだ、くらいの認識でしかなかった。
    で、次はもう「ミューコミ+プラス」の月曜のアシスタントで来るって話になってて、その時は『マジすか学園』も何も、ほぼ見てないという状態。「まあ、普通に受け止めてみようか」っていうところがファーストコンタクトですよ。で、そこからはもうひたすら「すげぇなぁ」のオンパレードっていう。
    今までラジオパーソナリティとして、色んな人と一緒に仕事をしてきたけど、その中でも1位2位クラスの実力がある。ラジオパーソナリティで重要なポイントは2つあって、1つはものを良く知っていること。これはダントツに重要。もう1つが、これはエモーショナルな部分ですが、イージーに泣かない。これが長く活躍する人が備えている条件なんですよ。そういう意味で言うと、20代でこの両方を満たしている人って、男女共にほとんどいない。30代40代でも少ないくらいで、彼女がまだ24歳ってことを考えると、驚きのスペックですよ。
    宇野:単に上手いんじゃないんですよね。なんだろうね。ラジオならではの距離感をつかんでる感じ。AKBのオールナイトニッポンって裏番組が強いせいで、担当ディレクターからよく意見を求められるんですよね。以前僕が提案したのは、パーソナリティを一人にして、そこにゲストが来る方式にしないと駄目だと。そして、今のメンバーでそれに耐えうるのは指原と松井玲奈しかいない。つまり、「指原莉乃のオールナイトニッポン」もしくは「松井玲奈のオールナイトニッポン」以外ありえないって言ったんですよね。だから卒業発表の時のオールナイトで、玲奈さんの一人語りだけで2時間が実現したときは複雑な心境だった。やっとこれが聴けた、と思ったら卒業(笑)。もちろん、松井玲奈とラジオの関係は続くわけだけど……。
    吉田:これはラジオの不思議なところなんですが、覚悟が決まっている人じゃないと聞いてて面白くないんですよ。ラジオに出ること自体は覚悟がいることでもなんでもないんですけど、その人が最終的に追い詰められたとき、こうやって生きていくと決めてます、みたいな感じが出ているか、そういう腹のくくり方が見えてしまうんですね。
    ■「ドルオタなアイドル」の第一世代として
    宇野:実は僕がアイドルのファンになりたての頃に、なんとかしてアイドルを語るロジックを自分の中に構築しようと思って、現代的なアイドルに必要な三要素みたいな感じで三角形を書いていたことがあるんですよね。
    ひとつは、自分はこういうキャラクターだ、と自分から演じる女優的な能力で、もうひとつが逆に自分では自覚していないキャラを発見されて、それを打ち返していく能力。これがアイドル的な能力の核だと思う。そして三つ目がファンとの接触の能力、要するに握手会やSNSを通じて関係性を構築する能力ですね。松井玲奈はこの三要素をすべてを兼ね備えてる、ゆえに神である。みたいなロジックを考えていて。だから「松井玲奈こそ完璧なアイドルである」みたいな論陣を強く主張していた記憶がありますね。
    吉田:彼女について、「孤高」とも言われてるじゃないですか。人見知りで、他のメンバーとも積極的にコミュニケーションしないと。でも、うちの番組に来ると延々しゃべって帰るので、そういう姿を見たことがないんですよね。だから、SKEのドキュメンタリーを見た時にビックリしたんですよ。あまりにイメージと違って。世間のSKEファンが見ているのはこっちの姿なのかと。乃木坂やSKEを観に行くと、全然違うなと思いますもん。うちの番組では笑ってるイメージしかない。多分すごく珍しいんでしょうね。
    宇野:僕も何回か個別握手会に行ったことがあるんですけど、あれはかなり無理をして、自分の能力をフル活用しながら神対応やってるんじゃないかって思ったことが何度かあった。SKEって握手会はくらいついていくものって文化があると思うんですけど、松井玲奈は頭をフル回転させて話題を補うタイプの握手なんですよね。1枚10秒のサッと流れるような握手に、なんとか話題が途切れないように自分から言葉を足していく。こんなことやっててどこかで擦り切れないのかなって思っていたら、本当につまづくことなく昇りつめて行った。だからこういうこというのもなんだけど、松井玲奈って、僕が推し始めた頃よりもすごく成長してる。
    吉田:自身がアイドルオタクで、デビュー前から自分は芸能界に入るものだと思っていたっていう話をよくしますよね。だから、自分がやってることに対してビックリしてないんですよね。アイドルとはこういうものであり、こういう風になるためにはこうっていうルートを辿るってことが、なんとなくわかってる。
    宇野:松井玲奈って、オーディション受ける前からAKBが好きで入ってきた最初の世代で、その中で最初にトップクラスの超選抜に入った。ユーザー側から出てきたアイドルなんですよね。僕らオタクの分身としてのアイドルっていうのは、今やアイドルのキャラとしては鉄板になってるけど、それを最も大きい舞台で、しかもかなり早い時期に実践した先駆者だと思うんですよね。
    吉田:この間、中川翔子さんがゲストに来てたんだけど、玲奈ちゃんがえらい緊張してテンションあがってたんですよね。「中川さんを見て芸能界に入ろうと思った」って話を本人にしてたんですが、彼女はこういう話を絶対に安売りしない。本当に中川翔子にあこがれて芸能界入りして、その事実を具体的に説明できる。そういうところに誤魔化しがないというか、アイドルが全方位から検証される存在であることが身に染みてわかってるんですね。やっぱり覚悟のあるアイドルなんだと思いますよ。
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  • 私は如何にして執筆するのを止めてアイドルを愛するようになったか――濱野智史が語る『アーキテクチャの生態系』その後 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.377 ☆

    2015-07-30 07:00  
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    私は如何にして執筆するのを止めてアイドルを愛するようになったか――濱野智史が語る『アーキテクチャの生態系』その後
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.30 vol.377
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    2008年に出版され、その後のネットカルチャー分析に多大な影響を与えた情報環境研究者・濱野智史さんの著書『アーキテクチャの生態系』。その名作がこのたび文庫化されたことを記念して、現在はアイドルグループ「PIP」のプロデューサーとして活躍する濱野さんにその問題意識の変遷を聞きました。
    現在のアイドルブームだけでなく、Facebookの日本での流行、そしてISIS問題まで、2015年現在の視点から幅広く語ってもらいました。

    【発売中!】濱野智史『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』ちくま文庫
    mixi、2ちゃんねる、ニコニコ動画、ケータイ小説、初音ミク…。なぜ日本には固有のサービスが生まれてくるのか。他の国にはない不思議なサービスの数々は、どのようにして日本独自の進化を遂げたのか。本書は、日本独自の「情報環境」を分析することで、日本のウェブ社会をすっきりと見渡していく。ウェブから生まれた新世代の社会分析、待望の文庫化。(Amazon内容紹介より)
    ▼プロフィール
    濱野智史〈はまの・さとし〉
    1980年生、情報環境研究者/アイドルプロデューサー。慶應義塾大学大学院政策•メディア研究科修士課程修了後、2005年より国際大学GLOCOM研究員。2006年より株式会社日本技芸リサーチャー。2011年から千葉商科大学商経学部非常勤講師。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)など。2014年より、新生アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手掛ける。
    ◎構成:稲葉ほたて
    ■『アーキテクチャの生態系』その後
    ――今日は『アーキテクチャの生態系』の文庫化にあわせて、この本が出た当時のことや濱野智史さんの現在の考えについてお聞かせいただきたいと思います。まず、この本を久々に読み返してみて、実はもう今のネット文化とはだいぶかけ離れた世界の話を書いているな、と思いました。
    濱野:僕としても、過渡期のことを書いた自覚がある本なんですよ。
    初音ミクも、すごく立派な存在になったものだと思うのですが、もうあの頃のハチャメチャさは失われてしまった。マネタイズを考えるとなると、既存の手法に近づくのは仕方ないですよね。だって、今やミクなんて最も使いづらいIPになっていて、近年のアイドル文化以前のアイドルみたいでしょう(笑)。生身の人間でないだけにコントロールしやすかったということの裏返しなんですが。
    ニコニコ動画にしても、今思えば僕にとっては初期の、ニコニコ生放送を始める前の時期が面白かったんですね。
    その後のドワンゴさんの動きで大きかったのは、確かにニコニコ生放送です。あれにプレミアム会員は優先的に視聴できる権利をつけることで、会員数が一気に伸びて成功した。ただ、その結果として運営がそういう方向に寄ってしまった。もちろん、生放送は生放送で、頭のおかしい配信者ばっかりで神がかって面白かった時期もあったんです。それに、技術的にもストリーミングのほうが伸びしろがあって、何よりもユーザーも面白がったのも事実です。
    だから、こうなったのは必然ではあるのですが、やはりこの本を書いた時点での「ニコニコ動画」の絵は、ニコニコ自身が捨てたということになるとは思います。まあ、完全に捨てたというのは言いすぎなんですけど。
    ――淫夢動画のようなアングラな場所では、匿名のN次創作だって健在ですしね。ただ、表に見せられるカルチャーとしては、実は地下アイドルという文化の勃興と並行するかたちで、歌い手やゲーム実況者みたいなステージ文化が大きく台頭していったというのが、その後のニコニコ動画の歴史であるように思います。
    濱野:YouTuberなんかも、そういう流れの延長線上で「お金になるから」という理由で登場してきた人たちですよね。
    2年くらい前に、月刊カドカワさんのニコニコ動画特集に寄稿したとき、「ドワンゴは早くアイドルを作れ」と書いたんです。その時点で、アイドルにとっての劇場文化の重要性はわかっていたので「ニコファーレをとっととアイドルのための劇場にすればいい」と書いたのですが、結果的にはニコニコ超会議がある種アイドルと会える場所として機能していきましたね。
    ただ、ドワンゴさんは、やはり自分たちでコンテンツを作るのには抵抗があるんでしょう。KADOKAWAと組んだことからも分かるように、コンテンツは属人性を大きくしたほうが強くなるのは理解していると思うんです。でも、そのときに自分たちの趣味のようなものが反映されるのには抵抗があるんだろうな、と。川上さんのようなネット技術畑出身の人は、プラットフォームとしての中立性にこだわっていて、特定のコンテンツに肩入れするのは避ける、どうもそういう感覚がある気がします。在特会のチャンネルが開かれるのを拒まなかったのだって、そういう発想が根底にあるんじゃないかな、と。
    ■ 2007年に起きたオタク文化の変貌
    ―― 一方で読み返してみて驚いたのが、当時は「Webの未来を書いた本」に見えたこの本が、むしろ今読むと、あの時期に表に出てきたゼロ年代前半のネット文化の秀逸な解説本に見えてしまったことです。
    濱野:目次を見れば分かるのですが、この本は過去の話をひたすら書いてる本ですからね。
    実際、ニコニコ動画の盛り上がりにしてもいくつかの歴史的要因がありますからね。2000年代までのオタク文化の積み重ねがあり、ブロードバンドやパソコンの浸透率があり、動画まで含めた一通りのマルチメディアがウェブに揃った時期だったというのがあって……という、その文脈をひと通り解説しようとした結果、「アーキテクチャの生態系」というまとめ方になったのかなと思います。
    ――今となってはニコニコもネット有名人たちの集まりのようになっているし、あの頃に匿名のN次創作があれほど盛り上がっていた文脈も、年々見えづらくなっている気もします。N次創作だって、実はゼロ年代前半のネットの同人文化で流行していたものですよね。別にニコニコ動画で急に生まれたものではないんですよね。
    濱野:はい、もちろんそうですよね。それでいうと、90年代後半から2000年代前半くらいまでのいわゆる「ホームページ」って、同人活動の一環として自分のイラストを公開したりするような場所としても機能していましたよね。実際、2000年代にこの本を書いていた頃、会社で大学生のネット利用実態の調査をすると、ホームページを作る人は腐女子だとかのオタクばかりだったんですよ。アニメのキャラクターのイラストを描いたり、ドリーム小説を書いたり、掲示板を置いてコミュニケーションしたり、という。
    まあ、ブログもない時代の、リア充なライトオタクが出てくる以前の話です。学校でおおっぴらにオタク趣味を言えない人が、ネットで仲間を探したり、作品を公開していて、そういう大学生たちの半年に一回のオフ会としてコミケがあった……そういう時代です。
    ――たぶん、そういう空気の中でゼロ年代前半を通じて、HPや2ちゃんねるで、M.U.G.E.NやBMSやAAやMADなどが盛り上がっていき、ニコニコ動画の登場で最盛期を迎えたというのが、2015年から振り返ったときのN次創作の歴史だと思います。実はあの2007年頃って、そういうマグマのように溜まっていたゼロ年代前半のオタク文化が一気に噴出した時期でもありますよね。
    濱野:そうそう、あの2006年から2007年の頃って、ちょうど「涼宮ハルヒの憂鬱」が大ヒットして、明らかにぱっと見がオタクではない子たちが、「私、オタクなんです」と言い出した時期なんです。ちょうど動画サイトが登場して、アニメをネットで見られるようになり、10代の暇を持て余している層の共通のネタ元としてアニメが機能してはじめたんです。
    そのときに、4,5人でパッと集まって盛り上がれるコンテンツを作るときに、アニメはとても「便利」なものだと発見されたんですね。というのも、「踊ってみた」や「コスプレ」のような、何かのテンプレをもとに真似したりアレンジするためのデータベースが、オタク文化には豊富にあったんです。その構図は現在の「MixChannel」に至るまで変わらないですね。
    ――二次元のオタク文化が市民権を得た背景には、動画サイトの存在があった。まあ、そこでみんなが見ていたのは、違法にアップロードされたものでしょうけど(笑)。
    濱野:しかも、「涼宮ハルヒの憂鬱」って、当時としては作り手も若くて、それまでのアニメとは雰囲気も違っていたんです。なにしろ、当時の我々は「えっ、萌え要素って極限すれば3つでいいんだ」と驚きましたからね(笑)。別に10人とか20人なんて要らない、意外とツンデレとドジっ子とクールキャラくらいでイケる。これが衝撃だった。そういう話も含めて、新しい空気をまとっていたアニメでした。
    実際、2007年に高校生を調査したときには、すでに「私たち、学校に"SOS団"を作ってるんです」みたいなことを言う子たちがかなりいました(笑)。ニコニコ動画でも「踊ってみた」をいろんな大学のサークルがやってましたよね。
    ――こういうゼロ年代前半の深夜アニメブームやネット文化の文脈を押さえた上で、硬派なネット論を語れる人材として、濱野さんが必要とされた瞬間だったのかなと思いました。
    濱野:当時は世界的にフラッシュモブが話題になっていた時期でもあって、みんなで簡単に参加して同期する娯楽がネット文化全体としても流行っていました。そういう文脈を踏まえて書かれた本でもありますね。
    ■ アイドルへの興味に連続性はあったのか?
    ――それにしても、ここまでゴリゴリとアーキテクチャだけで議論を進めていく硬派な本は、このあと出てこなかったですね。最近になると、もうプラットフォームの運営者が表に出てくるので、そうなると中の人の「運営思想」を直接聞いていく発想の方が強いですよね。Facebookやニコニコ動画も、今だったらザッカーバーグや川上さんなんかの発言から分析しようと思うのが普通でしょうし。
    濱野: まあ、そりゃ創業者にインタビューした方が話も早いですよね(笑)。Facebookの本にしたって、結局はザッカーバーグに取材したものになる。でも、僕はそういうのには関心がないんです。だって、「運営」の本って、結局は「その人がそう思いました」という話にしかならないでしょう。日本人が好む歴史って、戦国時代にしても幕末にしても、人物伝ばかり。でも、そういう属人的な話には興味がないんですよ。
    ――でも、その後に濱野さんが興味を向けたグループアイドルって、まさに仕組みをいかに運用していくかという「運営」の力が勝負を決める場所ですよね。
    濱野:確かに。アイドルって要は人間そのものがコンテンツですから、「運営」すらも消費対象として重要になる。
    AKBもそう。AKBがここまで大きくなったのは、巨大化してもいまだに「運営≒秋元康」が2ちゃんねるを見ていることだと思うんですよね。運営は2ちゃんねるが燃えると分かって燃料を投下して、2ちゃんねるのユーザーも「秋元の野郎」と返していく。いわゆる理想の民主主義の形というか、市民が討議しあって世論が熟して、政治家が選ばれて……というハーバーマスが理想とするような「公共圏」的な結託ではなくて、そこでは運営とオタクがともに文脈をズラしてツッコミ続ける「ネタ的コミュニケーション・システム」としての結託と連鎖が、今でも行われているんですよ。そこは、運営が2ちゃんねるを一切見ないふりをしたと言われているハロプロとの大きな違いですね。あっちは、DVD化の際にオタのコールを全てカットして販売したりしてたそうですから。
    ――その辺のテクニックって、やはり秋元康さんなんでしょうか?
    濱野:秋元さんが「2ちゃんねるまとめ」をプリントしたものを会議なんかで見ていた、という話は聞きますね。少なくともオタは運営もメンバーも見ていると思うからこそ、「イエーイ見てるー?」状態になってモチベ高く2ちゃんねるとかに書き込みをするわけで、非常に独特の空間になっている。
    そもそも秋元さんはラジオの放送作家上がりの人で、ハガキ職人的な世界観をよく知っているわけですよね。ああいうハガキ職人の文化は、匿名性がとても強くて、そのコミュニケーションもディスクジョッキーと真正面から語るよりは、延々とハシゴ外しを繰り返して、ズラし続ける感じ。
    ――つまり、深夜ラジオみたいな場所は、視聴者と番組の運営スタッフの距離が非常に近い"プレ・インターネット"になっていて、そこで秋元さんはネット的な感受性を鍛えられていた……という感じですか。
    濱野:そうですね。『前田敦子はキリストを超えた』(編注:2012年に出版された濱野さんの著書/ちくま新書)では、そうした運営論というか、秋元康論は一切書かなかったですけど、実はAKBが成功した理由への僕なりの回答は、そこにあるんですよね。それどころか、秋元康という人は、ずっとそれだけをやってきた人なんじゃないか、と。AKBは、彼が80年代からやってきたことが、2ちゃんねるやTwitterが大きな力を持ってしまう時代に、突然マッチしてしまっただけなんです。
    ただ、大きくなっても運営がそういうコミュニケーションを恐れなかったのは、本当に凄いですけどね。実はこういう文化を作ったのはハロプロだったのだけど、さっきも言ったように彼らは受け手の意見は聞かないふりをした。まあ、2ちゃんねるの話なんてまともに聞くわけないですから、別にそれって悪いことでもなんでもないですよ(笑)。それに対して、逆にAKBは運営が明らかに「聞いてまーす!」という態度で、悪ノリ的にユーザーと結託しようとした。そこが凄かった。
    ――この『アーキテクチャの生態系』が登場した当時、クリエイティビティが宿っているのは、ユーザーなのかアーキテクチャなのか、みたいな議論がありましたが、それに対して、いまこの場で濱野さんがおっしゃっているのは、両者をコーディネートする媒介としての「運営」が肝になってくるという話にも聞こえますが……。
    濱野:それはそうなのですが……やっぱり、僕がそういう話をやりたくはないんですよ、うん。
    ――でも、そうなるとウェブサービスに対して「運営」から分析していく流れにも、必ずしも話がわかりやすいからだけでない、理論的な根拠があると言えませんか。
    濱野:確かにそうなんですけどね……。でもその一方で、「これじゃあ、秋元さんが死んだら終わりじゃん」とも思ってしまうんですね。それは日本文化のある種の弱さというか弱点でもあって、要するに一代限りのワンマン社長で文化が終わっていくのではダメだと思うんです。そこはアーキテクチャに落としこむ必要があると思うんです。普遍化したい、という欲求が社会学者としてある、というのかな。
    ――いや、この話を掘り下げたいのは、濱野さんのその後の活動とこの本の連続性を聞いてみたいからなんです。それこそニコニコ動画なんてその後、実況者や歌い手の疑似恋愛と結びついた文化が大きく台頭して、社員たちが「もうイベント会社だよね」と自嘲するくらいにイベントドリブンのサービスになってしまい、さらに当時は裏に隠れていた川上さんがニコニコの運営論を自ら話すようになったわけですよ。今思えば、これってアイドルブームと並行する動向です。その後の濱野さんはインターネット論から一見して離れたように見えて、理論の水準ではやはりこういう日本的インターネットの最先端の動向と並走していたと思うんです。
    濱野:なるほど! まあ、そういう意味では、僕はグループアイドルにしか興味がないというのはありますね。グループアイドルって、要はメンバー一人ひとりにピンで立っていけるほどの実力はないんです。でも、そういう娘たちを集めると、メンバー同士やファン同士や運営との関係性で、驚くほど多くの物語が勝手に生まれていく。そのダイナミズムが面白い。
    そしてこのグループアイドルで重要になるのが、仕組みなんです。アイドルって、別に歌も踊りも重要じゃないから、とにかく「人」の”配置”と”構成”が全てであるとしか言いようがない。ポジションとか、曲順とか、そういうのですね。PIPなんて最初のうちはカバーしかやってないから、曲すら重要じゃない。ただ、誰がどういう順番でどこで何を歌うか。それだけをひたすら設計し、設定する。、何人グループにするか、誰をどういう仕組みで選抜するか、みたいな配置と構成の設計が、全体の動向を大きく左右するんです。それは、僕があの本で書いた意味での「アーキテクチャ」とは厳密には違いますが、やはりプログラミングに近い何かがあるのは事実です。
    実際、僕のPIPでの主な仕事なんて、ライブの曲順を決めながら「いや、この順番では着替えが発生するな」と順番をいじり続けることだとかで、ほとんどソートというか順序づけをしているだけです。ところが、本当にそれだけのことから、もうおよそ人間世界にある様々な情動が勝手に生成されてきて、あらゆるものをドドドドドと巻き込んでいくんです。これ、なかなか体験していない人には伝わらないかもしれないんですけどね。
    ――そう聞くと、『アーキテクチャの生態系』の問題意識からアイドルに向かう連続性は見えてきますね。
    濱野:以前、学生時代にネトゲ廃人だった友人にアイドルの説明をしたら、完全にネトゲの用語で意思疎通ができたことがあるんですよ。
    例えば、AKBの人気が持続している理由として、「NMBとかSKEとかどんどん作っていって、新規が入りやすいようにしてるんだよ」と言ったら、「ああ、なるほど、新鯖を作るってことか!」と言われて、「そうそう!」みたいな(笑)。
    ――グループアイドルの運営とネトゲの運営はそっくり(笑)。
    濱野:そっくりどころか、実はほとんどネトゲの運営手法と同じなんですよ。運営がやたらと2ちゃんねるの板に張り付いて、どんな悪口を書かれているか確認して対処するとか、そういう話まで含めて(笑)。

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  • 「オリンピックにアイドル」ではなく、「アイドルのオリンピック」を開催すべき!――情報環境研究者/アイドルプロデューサー・濱野智史インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.114 ☆

    2014-07-15 07:00  

    「オリンピックにアイドル」ではなく、「アイドルのオリンピック」を開催すべき!――情報環境研究者/アイドルプロデューサー濱野智史インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.15 vol.114
    http://wakusei2nd.com

    今回のPLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビューに登場するのは、情報環境研究者/アイドルプロデューサーの濱野智史さん。濱野さんが考える、アイドルとオリンピックの関係、そして「アイドルによるオリンピック」計画とは――?

    【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第10回】 
    この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』(略称:P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビュー
  • なぜアイドルにはステージが必要なのか?――濱野智史×真山緑が語る現代アイドル文化の最前線 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.064 ☆

    2014-05-02 07:00  

    なぜアイドルにはステージが必要なのか?濱野智史×真山緑が語る現代アイドル文化の最前線
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.2 vol.64
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」に登場するのは、ミュヲタの真山緑さんとAKBヲタの濱野智史さん。男性アイドル文化と女性アイドル文化の両巨頭とも言えるジャンルの二人が語り合います。現代のステージビジネスの最前線が見えてくる対談です。
    近年、男女問わずアイドルは空前の盛り上がりを見せています。ミュージカル『テニスの王子様』をはじめ幅広く男性アイドル文化に詳しい編集者の真山緑さん。年間300回もの女性ライブアイドルの現場に足を運び、この春にはアイドルプロデュースを始めることも発表した批評家の濱野智史さん。ともにアイドルにハマる二人が男女の垣根を超えてアイドル論を語り尽くしました。
     

    ▼プロフィール
    濱野智史(はまの・さとし)
    1980年生。批評家、株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論・メディア論。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)『前田敦子はキリストを超えた−〈宗教〉としてのAKB48』(ちくま新書)等。現在、アイドルファンとして、300本以上のアイドル現場に日常的に参戦。そして2014年、自らアイドルグループを立ち上げることを発表した。
     

    真山緑(まやま・みどり)
    雑誌編集者。TERMINALにてテニミュを中心に、2.5次元ミュージカルやそこから広がる舞台・若手俳優などについて語るZINE「PORCh」(ポーチ)の編集・発行に関わっている。TERMINALに関する詳細はブログにて、
    http://terminalporch.blog.fc2.com/ 「PORCh」はZINE書店Lilmag(http://lilmag.org/)にて購入可。
     
    ◎構成:稲垣知郎+PLANETS編集部
     
     
    ■テニミュの何が面白いのか?
     
    濱野 今回のテーマはミュージカル『テニスの王子様』(以下、テニミュ)に代表されるような舞台系ミュージカルアイドルです。自己紹介をすると僕は2011年ごろにAKBにハマって、去年からは主に“地下アイドル”と呼ばれる規模の小さいアイドル現場に通っています。規模で言うと、Twitterフォロワー数1000も行かない人はざら、現場に50人のヲタがいれば「お、今日は多いな」なんていうようなところです。僕はドルヲタのタイプ的には「レス厨」「接触厨」に分類される人で、ちょっとでもお客さんが増えるとレスが来なくなるのが嫌で、150人の箱でも後ろのほうだとモチベ下がって萎えるような奴です(笑)。
    そもそも女性アイドルより男性アイドルの方が、アイドル文化として歴史が長いですよね。なぜかといえば、近代社会が前提にしていた性差分業、つまり男性が外で働いて、女性は家事子育てをする、という図式があって、後者の女性たちが家でテレビを見て疑似恋愛的にイケメンにハマるのがアイドルだった。それが最近だと性差分業も崩れて、男性も結婚しなくなってきて、会いにいける女性アイドルが増えてきた。アイドルの変化の背景には、必ず社会の変化があるのだと思います。
    ということで、僕は「男性ヲタ・女性グループアイドル好き」なのですが、きょうはそのちょうど逆である「女性ヲタ・男性舞台系ミュージカルアイドル(ステージアイドル)」の現在と、なぜ・どんなところにハマるのかといったところを比較していけるといいなと思っています。たぶん、同時代に起こっていることだから、必ず並行している部分と、でも全く違う部分がそれぞれあると思うので。
    真山 私は普段、編集の仕事をしながらテニミュを始めとした若手俳優とその周辺の舞台を追いかけています。構造的に面白いのかなぜか女性編集者にはテニミュのファンが多くて、同業の方に「テニミュ面白いよ」と連れていかれてハマったのがきっかけです。「テニプリ」の物語の2週目となる2ndseasonの最初から観られたというのも大きかったですが、元々お笑い芸人や野球選手、ジャニーズ系のアイドルのファンだったのもあり宿をとって遠征に行く段取りも慣れていたので、一気にハマりましたね(笑)。
    濱野 ちなみにテニミュについては、僕はニコ動のあの空耳動画(あいつこそがテニスの王子様)で知っていた程度です。いや、実は僕はこの動画がまじでニコ動の歴代の作品の中でもトップクラスに入るほど大好きで、何度見返したか分からないほどです(笑)。たぶん、テニミュヲタの方はあの動画の存在を苦々しく思っていると思うのですが……、すみません(笑)。でもやっぱり、あの動画から入る人もいるんですか?
    真山 そうですね。テニミュの観客が一気に増えた2006年ごろに空耳動画も流行ったので、そこから入った人もかなりいると思います。ただ滑舌や未完成さを嗤うものが多いので、ある意味タブーとされていてあまりいい印象は持たれていないようです。
    濱野 そうなんですね。テニミュにかぎらず、アイドルがたくさん出るステージって、最近は女性アイドルの側でも増えてきたという印象があります。僕もアリスインアリスの作品とか、自分の推しメンが端役で出ているようなものに何回か足を運んだことがあります。そこで気づいたのは、とにかくアイドルの演劇って、ビジネスの要請上、「やたらと出演者数が多くて、才能も中途半端な人もガンガン出す」ということなんですよね。テニミュもそうだったと思うんですが、歌もうまくない人が多いし、滑舌も悪い。だから空耳の格好の「素材」になったわけですよね。でも、それが跡部様になるとめっちゃうまいから空耳できねえ!!!となってみんな「跡部様ぱねえええ」みたいな感じで逆に沸いてしまうという(笑)。
     それはさておき、僕もアイドルの演劇は見たのですが、最初の感想は「レスがなくてつまらない」でした。はるきゃんが出てた「千本桜」を最前で見ることができたんですが、レスが全くなくて非常に残念でした。超当たり前なんですけど(笑)。
    真山 演劇って普通は目線の位置はあっても、観客は見ちゃいけないですからね。
    濱野 そうなんですよね、基本、ステージと客席は截然と切り離された世界なので、当然レスなんかしちゃいけないわけですよ。だから最前なのにレスがこない、と最初はあまり興味がわかなかったんです。でも、アリスインアリスの演劇で、テレパシーというアイドルの推しメンが出てたんですが、そのとき、客席にいる自分にちらっと気づいたっぽかったんですよ。その子のファンは数人しか来ていなかったので、そうするとわずかにレスがある。これは楽しかった(笑)。
    真山 それは来るところまで来てますね(笑)。テニミュだけでなくほかの舞台もそうで、誰が客席に来ているとか普通わかんないんですけど、かなりの回数通っている人たちはカーテンコールとかなら本人からも気づいてもらえることがあるみたいです。それこそ全通とか8割入ってるような人ですけど。
    濱野 それはすごいですね。テニミュにレスや接触はないんですか?
    真山 公演中だと、公演のアンコール曲で客席降りしてハイタッチすることはありますが、基本的に一対一のコミュニケーションはほとんどないと思います。ウチワやペンライトもないですし。ただ、2ndseasonに入ってDVDやCDの発売タイミングに握手やハイタッチのイベントは開催されるようになりました。
    濱野 なるほどね、接触はかなり絞ってるんですね。内容的にはどのへんが見どころなんですか?
    真山 原作よりか俳優寄りかでもだいぶ違うんですが、自分が感じているテニミュの面白いところは、舞台では同じ試合を毎日やるので、当然ですが試合に勝ち続ける人、負け続ける人がいます。そうすると最終日の挨拶で、キャストが「このままやったら勝てるんじゃないかと思ったけど、勝てなかった」と悔し泣きをしたり、「毎日チームメイトが負け続けるのを見るのが辛かった」と言ったりするんですよ(笑)。公演数を重ねる中で、演じている方も本当の試合をしているような感覚になるんですよね。つまり、役者自身がだんだんテニミュの役に入り込んでいってしまう、そのキャラクターと役者の関係性が面白いです。本人が書くブログも演じているキャラクターっぽくなっていったりほかの役者との関係性もキャラの関係性に寄っていったりするんですよ。
    濱野 なるほど。「演劇は生で観るもの」という一回性もあるけど、脚本があって毎回同じ話を繰り返すから、「一回性のあるループもの」という見方も出来るわけですね。たまたま来た観客にとっては一回性があるだけですが、役者にとっては同じ脚本を何度も演じているわけで、どんどん演じているキャラクターに没入していく、と。
    真山 同じシナリオを70回以上もやり続けていますからね。あと、ループというお話で思い出しました。テニミュは今物語の2周目に入っているわけなので、同じキャラクターを別の人がやることになるんです。ところが、跡部景吾役の先代キャストがあまりにも人気だったりすると、ファンが跡部役に要求する合格点がすごく高かったりする。ただでさえ跡部は人気キャラクターというのもあり、当然ですが初日には人によっては「この跡部は私の跡部じゃない!」となる。でも、そこから何十回も公演を重ねてキャストも「跡部」になってゆくことで「今日の跡部は最高だった!」とファンから認められてゆくようになったりするんです。
     
     
    ■テニミュは2次創作ではなく、1.5次創作だから面白い
     
    濱野 テニミュには握手会のような接触イベはほとんどないから、AKB以降の「会いに行けるアイドル」とは一見逆行しているように見えますが、「成長していく、変化していく、まっさらなものに色がついていく」という過程を楽しむという点は共通しているんですね。AKBはいわゆる普通のアイドルとは違い「一回性のあるループ」としての劇場公演がある。だから“古参”と呼ばれる古くからのオタクは、劇場公演を見て「昔はこんなんじゃなかった」と新しく入ったメンバーをよくdisってますから、同じ構図ですね(笑)。逆から言うとテニミュは、握手会はないけど「劇場公演だけがあるAKB」という感じなのかも。
    真山 距離感としては近いものがあると思います。あと、テニミュのハイタッチ会はキャラクターとしてではなく、あくまで演じているキャストとしてやるんですよ。結局、キャラクターだと作者である許斐剛先生が作ったキャラ設定を忠実に守る必要があるので、ハイタッチ会のような一対一の場ではキャラクターとしてファンに応えられないんです。
    でも、私がいちばん面白いと感じているのは、マンガの登場キャラクターとミュージカルを演じるキャストをファンが勝手に重ねあわせていくところなんですよ。許斐先生が続きを描かない限り、原作に「公式の」続きは生まれませんが、テニミュのキャストがチームメイトたちとの日常を自身のブログや公式ブログに載せたりすると、ファンにとってはマンガのコマの外の日常が描かれている錯覚が生まれるんです。つまり、もしマンガのキャラが実際にいたら、こういうことをしていたかもしれない、という日常が生まれる。「今日は◯◯◯とご飯を食べに行きました」とブログに書くだけで、キャラクター同士の日常と錯覚できるんです。
    私もよくキャストのブログを読みますが、公演は毎日あるし、地方へ公演に行くとけっこうキャストはみんないっしょに過ごすことが多いんです。そこでキャラクター同志、キャスト同士の関係性を深めることで、面白いことに地方公演に行って帰ってくるとキャストの演技がすごく変わってたりする。もちろん舞台自体の楽曲や振付の完成度の高さや構成の面白さがあってこそ何回も観られるわけですが、そうやって、キャストを定点観測して成長を見守る面白さもありますね。
    濱野 漫画やアニメの2次創作はそれぞれが自分の妄想を書くから楽しいんだけど、テニミュの場合はキャラになりきったキャストたちがブログを書くだけで、勝手に2次創作が生成されていくのだ、と。なるほどそれは効率がいいプラットフォームですね。素晴らしいな。
    真山 原作となるマンガは許斐先生が書かないと続きは出ませんよね。そのマンガをもとにして誰かが2次創作したとしても、それは本物ではありません。ところが、テニミュは許斐先生の原作をベースにやっている「公式」なので、そこから派生しているものは半公式ともいえる状態になるんです。こういった漫画やアニメ原作の作品は、2次元を肉体のあるキャストが演じるので、声優さんと同じように2.5次元と言われます。2次元の漫画から飛び出した0.5の部分が、人を深みにはまらせる隙間を生み出しているんだと思います。
    濱野 2次創作ではなく、キャストのブログを通じて「1.5次創作」をしているような感じなんですね。
    真山 テニミュがすごいのは、キャラでだけでも推せるし、キャストだけでも推せるので、いろんなハマり方ができる。最近はやりの「沼」っですね…ハマったら底なし沼です(笑)。
    濱野 沼ですか(笑)。僕もAKBの古参ヲタの人に、どこの現場いっても一人や二人は見知った古参ヲタがいて、「古参の人ってヲタ活辞めないんですか?」って聞いたことがあるんですが、「ヲタ辞めるのは死ぬか引っ越すときだけです」と即答されました。地下アイドルもまさに沼って感じで、僕も一向に抜け出せる感じがしないので、そこは同じですね(笑)。
     
     
    ■徹底した虚構がジャニーズを超える日
     
    濱野 なるほど、テニミュのアーキテクチャは素晴らしいということがよくわかりました。ただ、接触厨としては、なぜ握手会とかをやってくれないのか、という気持ちになります。テニミュを「接触あり」化したら、もっとドカーンと売れるんじゃないか。いま聞いていて、僕はそんなことを思いました。
     そもそも、いま女性のアイドルは地方を含めてたくさんグループが出ているのに、なぜ男性アイドルはそうならないのでしょうか。これまでアイドルとキャラクターの話をしてきましたが、ジャニーズはこの議論の外にいますよね。
    真山 おそらくジャニーズだと元々のキャラがない…というかそもそものキャラを持たずに活動して徐々にキャラを作り上げていくタイプだからなのではないでしょうか。それはまた別だと思うんです。名古屋のおもてなし武将隊もそうですがそういったものに素直にハマれないひとたちにとっては、キャラをつけてお膳立てしているとファンになる敷居が下がるんですよね。テニミュと同じネルケプランニングが作っている作品で、徹底的にキャラ設定をお膳立てしている舞台があります。それが「プレゼント◆5」です。
     
     
  • "天然の革命児"が指原莉乃と切りひらくテレビの未来 福田雄一インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.053 ☆

    2014-04-16 07:00  

    "天然の革命児"が指原莉乃と切りひらくテレビの未来
    福田雄一インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.15 vol.053
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」に登場するのは、「勇者ヨシヒコ」シリーズ、『指原の乱』で有名な放送作家の福田雄一氏。"絶妙に失礼"な指原が可能にした『指原の乱』の面白さに始まり、現在のテレビをめぐる問題へと話は進みました。


    ▼プロフィール
    福田雄一(ふくだ・ゆういち)
    1968年生まれ。放送作家、演出家、映画監督。劇団ブラボーカンパニー座長。近年の作品は、バラエティ番組で『ピカルの定理』『いきなり黄金伝説』、DVDオリジナル作品で「THE3名様」シリーズ、テレビドラマで『33分探偵』『東京DOGS』「勇者ヨシヒコ」シリーズ、映画で『大洗にも星はふるなり』『HK/変態仮面』『俺はまだ本気出してないだけ』など。自身も出演し、演出も手がけるテレビ東京系『指原の乱』は、業界視聴率ナンバーワン番組と評判だ。5月30日には指原莉乃主演の監督作『薔薇色のブー子』が、初夏には桐谷美玲主演の監督作『女子ーズ』の劇場公開がそれぞれ控えている。
     
    ◎構成・稲垣知郎、稲田豊史
     
     
    ■福田雄一のさっしー観
     
    宇野 AKBファンには『指原の乱』(13年10月~14年3月)でおなじみの福田雄一さんですが、実は僕は福田さんがAKBに関わる以前に、インタビューさせてもらったことがあるんですよね。
    福田 あのときの宇野さんのインタビューは本当に気に入っているんです。引っ越ししたとき、妻に雑誌類を全部捨てられたんですけど、あれだけは残してもらいました(笑)。
    宇野 そう言ってもらえると嬉しいです(笑)。去年『AKBINGO!』で再会して、そしてまた『ヨシヒコ』あたりのことを聞きたいなって思っていたら『指原の乱』がもう面白くて仕方なくて……。もう福田雄一と指原莉乃のコンビもここまできたか、と。
    福田 彼女とは、『ミューズの鏡』(12年1~6月)の撮影初日に初めて会ったんです。そのときに何となくお芝居を付けてもらいながら一日一緒に過ごして、「ああ、この子で『裸足のピクニック』をやりたいって思ったんですよ。
     
    【編集部注】『裸足のピクニック』は矢口史靖監督の初監督映画作品。1993年公開。ある女子高生がどんどん不幸になっていく姿を描いたブラックコメディー。指原主演の『薔薇色のブー子』は本作の内容を彷彿とさせる。
     
    『裸足のピクニック』って、無表情で感情がよく分からない女の子がどんどん不幸に見舞われていく話じゃないですか。無表情で何考えているかわからないということは、よほど佇まいの面白さがないと、その子を中心に映画は回っていかない。で、さっしーって決して芝居が上手ではないですし、表情がうまく作れるわけでもないし、女優としてなんの取り柄もないけど、とにかく佇まいが非常に面白かったんですよ。ポッと立たせた時になんとなくほっとけない、つい見てしまう。それで『裸足のピクニック』がはまるなあと。
    宇野 当初さっしーとはどんなコミュニケーションを?
    福田 当時の僕は『勇者ヨシヒコ』で話題になったので、けっこう仕事の引き合いがある状況でした。でも指原は、僕の作品は1本も見たことないって言うし、そもそも俺のこと全然知らないって(笑)。
    宇野 さすが、さっしーですね。
    福田 でも、俺のこと知らないっていうのが逆に嬉しくなっちゃって。好きなんですって言われると背負うものがあるじゃないですか。好かれてるからがんばらなきゃとか。でも、知らないって言われるといい感じでスーって気を抜けるんですよ。これは楽しめるぞって。
    宇野 なるほど、これでいじり倒せるぞと(笑)。
    福田 あと、あいつが待ち時間にセットの隅に座って、ボーッと考えているのを見ると、いじりたくてしょうがなくなるんですよ。「そんなこと言わないでくださいよー」って困らせてやりたい。生意気なこと言うと、秋元さんもきっと同じ気持ちなんだと思います。その感じが麻薬みたいなもので、さっしーと離れられない(笑)。業界の方は、僕がずっと秋元さんにさっしーと組まされてるって思ってるかもしれないんですけど、すべてのドラマに僕のほうから呼んでいるのが紛れもない事実です。
    宇野 さっしーはもう「福田ファミリー」に入ってるんですね。ムロツヨシさんや山田孝之さんと同じで。
    福田 彼女の中ではそうなってないですけど(笑)。すごいのは、秋元さんやテレビ局や電通の方たちが集まって喋っているとき、その8割9割は指原の話なんですよ。アイツこんなこと言いやがったよ、ムカつくだろ、とか。秋元さんは「いい大人が集まって指原の話ばっかりするのムカつくから、別の話をしようぜ」って言うんだけど、必ず10分後には指原の話に戻ってて、3時間とか話してる(笑)。そんな女の子ってなかなかいないですよね。
    宇野 一昨年の8月に共著で出した『AKB48白熱論争』って、最初は総選挙の後の感想戦から始まっているので、さっしーのスキャンダルの前なんですよ。にもかかわらず、よしりんがさっしーのことを嫌いだっていうのがきっかけで、ずっとさっしーの話ばっかりしてるんですよ。その後、もう1回収録したんですけど、それまでの間に例の文春のスキャンダルがあって、また彼女の話。気がついたら俺たちはさっしーの話しかしていなかった。要するに、世界は指原さんを中心に動いてるんですよ(笑)。
     

    ▲「指原の乱」DVD-BOXは7月23日発売予定!
     
     
    ■『指原の乱』がネタにした「電通」と「テレビ」
     
    宇野 さっしーはその後、福田さんの監督作『俺はまだ本気出してないだけ』にも出演し、そしてレギュラー番組として『指原の乱』が生まれるわけですが、あれってすごく変な番組だと思うんですよ。あの企画はどうやって始まったんですか?
    福田 僕のドラマも映画も、発想の原点は基本的にはバラエティなので、やってないとすごく不安なんですが、そのとき僕が関わっていたのが『新堂本兄弟』だけだったんです。あれはトークバラエティなのでバラエティ脳を使うってとこまで行き着いていない。それで電通さんとかに、バラエティをやらせて欲しいってことをずっと言っていたんですよ。そうしたら、テレ東の深夜2時くらいだったら全然いいですよって言われて、『水曜どうでしょう』が真っ先に浮かびまして。それで、誰とやりたいかなって考えて出てきたのが、さっしーだったんです。
    宇野 福田さんの考える『水曜どうでしょう』の魅力はなんですか?
    福田 『水曜どうでしょう』の醍醐味って、大泉洋さんのとめどない文句だと思うんです。この前、大泉さんに直接聞いたんですけど、「俺は正論を言ってるだけなんだ。ただ立場が弱いだけなんだ。俺は常に正論を言う弱者なんだ!」って(笑)。それはすごく良い言葉で、指原にも当てはまる。彼女もずっと正論を言っているんですよ。なんでこうじゃないんだ!
    って。それをあの絶妙なブサイク面で言うから、面白い。それを秋元さんに言ったら「たしかにあいつがテレビで、ちょっとそこは電通さんでなんとかなんないですかね~って言ってたら面白いよね」って言ってくれたんです。
    宇野 電通(笑)。
    福田 じゃあ指原が電通っていうワードを口にできる番組って何だろうと考えたら、やっぱりあいつの絶妙な失礼を駆使して、業界のものすごく偉い人に食い込んでいって、自分の夢を叶える内容かなと。それでタイトルは『指原の乱』が一番良いだろうなと思ったわけです。
    宇野 『指原の乱』にはビックリしましたね。構造自体は昔の80年代から90年代にかけての、テレビに勢いがあった頃の「業界の裏側見せちゃいますよ」的なものなんだけど、こういうの、今はやらなくなってるじゃないですか。「裏側見せます」って言ったって所詮はテレビ、ネットでダダ漏れしている情報にはかなわないですし。
    でも、この番組ははっきり言って心ある若者からは嫌われている「テレビ」と「電通」を、アイドルがメタ的にいじり倒すことによって、8、90年代のときには触れられなかったものに触れてしまっている。言い換えると、テレビが最後のパンツを脱いでしまっている。だから、2013年に、テレビはここまで来てしまったんだなって思いましたよ。だって、どれだけオーディションの過程を見せても、女の子の涙を見せても、楽屋ネタや内輪ネタを見せても、「電通さん何とかしてくださいよ」って言葉はさすがに出ませんから(笑)。
    福田 電通は今まで絶対、表に出てこなかったフィクサーですからね。基本的に僕と指原が喋った部分の8割はカットされているんですけど、そこには電通へのおもしろすぎるメッセージがいっぱい含まれています。ちょっと具体的には言えないんですが(笑)。
     
  • 「AKB48単独 春コン in 国立競技場」を写真で振り返るーーPLANETSの選んだ44ショット ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-04-05 16:27  

    「AKB48単独 春コン in 国立競技場」
    を写真で振り返る
    ――PLANETSの選んだ44ショット
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.4.6 号外
    http://wakusei2nd.com


    先日写真集『NEW TEXT』を刊行したばかりの写真家・小野啓が、3月29日に開催された「AKB48単独 春コン in 国立競技場」を撮影! 大島優子卒業を記念するAKB48待望の単独ライブで、少女たちが躍動する姿を会場の空気ごと捉えました。

    ▼プロフィール
    ■小野 啓(おの・けい)
    1977年京都府出身。 2002年より日本全国の高校生のポートレートを撮り続けている。
    写真集に『青い光』。『桐島、部活やめるってよ』、『少女は卒業しない』(著者:朝井リョウ)の装丁写真を手がける。
    「小野啓写真集『NEW TEXT』作って届けるためのプロジェクト」を経て、写真集『NEW TEXT』を刊行。
     

    ▲大島優子登場!「暴れるぜええーー!!」
     

    ▲「メンバーたちが回っております!」と解説するまゆゆが興行主のようだった
     

    ▲横山チームAの華やかな一枚
     

    ▲まゆゆのステップはまるで無重力のように軽快
     

    ▲肌が白すぎて大会場でもすぐに見つけられる岩田華怜さん
     

    ▲しょっぱなから横山キャプテンもハイテンション!
     

    ▲北原里英さん抜群の安定感・安心感
     

    ▲優子さん0ズレのポジションからパシャリ!
     

    ▲豊かな表情を、ぜひ拡大して見てください
     

    ▲ちゃっかり優子さんに抱きつくひらりー(平田梨奈)
     

    ▲福岡聖菜ちゃんの独特なたたずまいに注目が高まっている
     

    ▲ずっとこの「Baby!Baby!Baby!」を見ていたかった
     

    ▲本日の主役・大島優子さん。眼力強め!
     

    ▲かと思ったら柔和な笑顔。このギャップ!
     

    ▲みるきーはこのあと髪をばっさりカット
     

    ▲光を背負うぱるる!
     

    ▲なぜだろう、川栄なのにカッコいい…!

     

    ▲これが大島優子!
     
     
  • 大島優子が高みに登るとき――女優としての自由/アイドルとしての自由 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.037 ☆

    2014-03-25 07:00  

    大島優子が高みに登るとき
    女優としての自由/アイドルとしての自由
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.25 vol.037
    http://wakusei2nd.com


    今朝のほぼ惑はお蔵出し2本立て。1本目は、昨日に引き続いてのAKBネタ。卒業を控えての3月23日の感謝祭が話題を呼んだ大島優子に対しての宇野からのエールです。
    【お蔵出し】「優子、自由になれ!」
    (初出:「FLASH」2014年3月17日発売号)

     
     大島優子の存在がはじめて気になったのはドラマ「マジすか学園」だった。四天王を従え、学園のトップに君臨する不良少女を演じる大島には圧倒的なカリスマ性があった。当時の僕はAKB48についての知識はほぼゼロに等しく、同作が当時のAKB48内におけるメンバーのプレゼンスや人間関係をネタにした二次創作的ドラマであることもよく分かっていなかった。しかし何の文脈も共有していない僕のような視聴者にも、この大島優子という存在が役柄を超えて、何かの高みに達している存在であることはすぐに分かった。僕は今でも、女優・大島のベストシーンは同作のオープニングで髪をかきあげるシーンだと確信している。配下を従えて見栄を切る大島の圧倒的なオーラに、何度見てもゾクゾクとさせられる。
     その後、映画やテレビドラマで大島優子を目にすることが多くなったが、僕がこれらの作品群における大島から「マジすか」第一作のようなインパクトを受けることはなかった。そこにいたのは何でもソツなくこなす優等生としての大島であり、圧倒的な高みに到達した人間だけが持つオーラをまとったあの優子先輩ではなかった。もちろん女優とはそういう仕事で、自分を殺してでも作品に奉仕しなければならないケースも多いだろう。その意味で大島優子が優秀な女優であることは既に証明されていたと言ってもいいのだが、それは僕の見たい大島ではなかった。
     そしてその間、僕の見たい大島は常にステージの上にいた。たとえば昨年の総選挙の日がそうだった。気がつけば僕はAKB48にどっぷり浸かり、その日にはなんとフジテレビの中継席で解説をつとめていた。僕は生放送の準備で慌ただしくしていて、開票前に行われたコンサートをじっくり見ることはできなかった。しかしそれでも、大島がひとりステージのいちばん高い場所に現れて「泣きながら微笑んで」を歌いはじめた瞬間、会場の空気が一変し人々の意識がほとんどの席からは豆粒のようにしか見えない大島の小さな身体に集中していったのが分かった。とんでもない女だな、と舌を巻きながらも僕はずっと彼女に見とれていた。ステージの上の大島は、いつだってどこだって最高の存在でい続けた。その強すぎる力が逆に心配になるくらい、彼女はいつも最高だった。
     総選挙のその日、まさかの指原莉乃の1位獲得に会場は揺れた。指原の1位が確定すると、ぞろぞろと帰り始める「アンチ」たちの姿が目立ち始めた。そのとき、大島はとっさにマイクをとって口を挟んだ。「今回の総選挙は笑える」「楽しい選挙で良かった」と。僕はこの大島の発言は、指原の1位獲得のドラマに水をさすものではないかと感じ、大島はどうしてしまったのだろう、と思ったものだった。しかし、今考えれば大島は会場の暗転する雰囲気を一気に粉砕すべく、笑いを取ろうととっさに口を挟んだのだ。20代半ばの考えることにしては、できすぎている。本当に「いい奴」で、そしてよく出来たお嬢さんだと思うが、できすぎるが故にたくさんのものを背負いすぎてしまっているようにも僕には思えた。その積載過剰な姿は、そして過剰さに耐えられてしまうすごさと危うさは、映画やドラマで真摯に「役柄に奉仕してしまう」女優としての大島の姿を僕に想起させた。
     
  • 小沢の"いっちゃん"から、前田の"あっちゃん"へ――光文社・青木宏行インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.034 ☆

    2014-03-20 07:00  

    小沢の"いっちゃん"から、前田の"あっちゃん"へ
    光文社・青木宏行インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.14 vol.030
    http://wakusei2nd.com

    今朝のメインコンテンツである元「FLASH」編集長"あおきー"さんのインタビューには、オウム事件の話が出てきます。その一連の騒動の幕開けとなった地下鉄サリン事件が起きたのは19年前の今朝、つまり1995年3月20日の朝でした。そこで今日は特別に、宇野が昨年オウム事件について朝日新聞に答えたインタビューを掲載いたします。
    【3.20 特別掲載】宇野常寛のオウム事件へのコメント
    (初出:朝日新聞・2013/3/20)
    (本稿は、新聞の表記ルールやコンプライアンスの関係で不本意になった表現をリカバーするために、掲載時の内容から改稿しております)
     
     僕が批評や世相に関心を持ったきっかけはオウム真理教の一連の事件です。地下鉄サリン事件当時は男子高の寮に住んでいましたが、サティアンにジャンクフードが乱雑に積み上げられた様子や、空気清浄機を「コスモクリーナー」と呼ぶオタクっぽいノリから、自分たちの日常に近い生々しさを感じて怖かった。そんな時、宮台真司や大塚英志さんのオウムに関する評論を読み、とても考えさせられるものがあった。
     オウムは過渡期の現象だったと思います。先進国では1960年代末までに学生運動が挫折し「社会を変えることが、そのまま自己実現につながる」という、マルクス主義など大きな物語への信頼が失われた。その後台頭したのが、ヒッピーやドラッグ、オカルトなどのカウンターカルチャーです。共通点は「世の中を変えるのではなく、薬や修業で自分自身の意識を変える」という方向性です。
     だが、多くのヒッピーが環境保護運動に積極的だったように、実は彼らは「世の中を変える」ことをあきらめきれなかった。オウムは日本におけるその典型例です。最初は、ヨガや瞑想で自分を変えることで、世の中の見え方が変わることを追求していたが、それでは飽きたらずに衆院選に出馬。それが挫折すると、社会を全否定するテロに走った。要するにオウムは、マルクス主義の代わりにオカルト思想を持ち出すことで、自己実現と社会変革との直接的な結びつきを取り戻そうとしたのです。オウムの暴走は、こうした「自分の内面を変えることで世界の見え方を変える」ことを社会変革の代替物とする思想の敗北だったと思います。かつての「革命」とは別のかたちで社会を変えるビジョンが必要だったのでしょうが、20世紀の若者たちはそこにたどり着けなかった。
     オウムの事件後、「オカルトの時代」は終わったと思います。今でもパワースポット巡りなど「スピリチュアルブーム」はありますが、現世利益実現の手段に過ぎず、反社会性はない。クーデターを起こそうとするカルト集団も出てこないでしょう。
     理由は二つあります。一つは、孤立した若者たちが手軽にインターネット上のコミュニティーに接続し、自分の居場所を見つけられるようになったことです。寂しかったから麻原の元に集った、というのがオウム信者たちの本音でしょう。昔だったらカルト宗教しか受け皿がなかったような純粋でプライドの高い若者たちが、今ではアイドルのファンクラブやニコニコ動画のコミュニティーに加入して趣味の世界で仲間を見つけ、充足している。人々がこれほど簡単に地縁や血縁から離れて、自由に結びつける時代はなかった。資本主義とネットの潜在力がオウムの問題を半ば自動的に解決してしまった、とも言えます。
     もう一つの理由は、人々が社会を変えようとする時に「革命で体制を転覆する」という過激なモデルを考えなくなったことです。マルクス主義の失敗に加え、アニメーションやファンタジーの世界でも、80~90年代にはやっていた「世界が滅びる」というハルマゲドンものはすたれてしまった。当時はまだ社会が安定していたので、逆に「日常が壊れる」ことへの憧れがありましたが、今は本当に世の中がおかしくなっているので、むしろ平和な日常を描いた作品が受ける時代。「退屈な日常を打破するためにテロを起こす」というオウムのような発想で若者の気持ちをつかむのは難しい。ただし、僕が「終わった」と考えるのは社会現象としてのオウムです。数人の同志がいればテロは起こせる。オウム関連団体への監視を緩めていいとは思いません。
     インターネットのような個人の発信装置の発達は、社会参加、社会変革のあたらしいイメージを生みつつあります。今後、社会を変えようとする時に主流となる考え方は、「革命」的な体制転覆ではなく、既存の体制を前提としつつ一人ひとりが積極的に発信することを通じて、コミュニティー間のバランスを調整し、効率的で公平な社会を実現することでしょう。
     たとえば米国のウォール街を包囲した人々は、格差是正を訴えているだけで革命を目指してはいない。日本の原発デモも「原発で一部の集団が得る利益に比べ、国民全体が被るリスクが大きすぎる」ことへの異議申し立てで、究極的には効率や公平の問題と考えられます。まあ、いわゆる「放射能」の人たちはそうは思わないのでしょうが。
     効率や公平の実現は実は難しくて大きな問題です。「革命」という物語に酔うのではなく、人々が個々の生活実感に基づき自由に情報発信することが、社会全体のムーブメントにつながり、バランス調整が達成される。そんな社会に向かえればいいと考えています。(聞き手・太田啓之)

    元「FLASH」編集長であり、数々のAKB関連書籍を手掛けてきたあおきーの愛称で知られる青木宏行さん。アイドルの推し遍歴から今後の展望まで、少年時代から遡ってお話を伺いました。


    ▼プロフィール
    青木宏行(あおき・ひろゆき)
    1961年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。光文社エンタテインメント編集部編集長(「FLASH」元編集長)。熱狂的なAKBファンとして知られ、数々のメンバーの写真集を手がける。ニックネームは「あおきー」。
    http://plus.google.com/107216298476713194997/
     
    ◎構成:稲垣知郎+PLANETS編集部
     
    ■謎の編集者”あおきー”を生い立ちから解き明かす
     
    ― 今日はAKBヲタの皆さんにはお馴染み”あおきー”こと青木さんを丸裸にしようと思ってお呼びしました(笑)。
    と、いうことで今日は青木さんの生い立ちからお伺いしたいのですが。
    父親は高校の教師で、化学を教えていましたが、もともと実家が酒屋で、小さい頃から配達をしたり、お酒をついだりして手伝っていましたね。
    お店が水沢市(現・奥州市)の繁華街にあって、バーやスナックから注文が来て、夜に持っていくんです。冬は、雪の中を自転車の後ろにビールをケースごと乗せて配達していました。
    実際に酒屋を手伝いながら、商売にサービスがいかに大切かを学びましたね。
    ― 後に出版社に入られるわけですが、少年時代から本には関心があったんでしょうか?
    家のすぐ側に本屋が3つもあったんで、一日に何度も本屋に行ってましたし、本や雑誌を読むのは好きでしたね。北杜夫に感想文を書いて、本人から返事が来たこともありました。
    漫画雑誌は、ちょうど僕の子どもの頃からどんどん増えていったんです。物心ついた頃に、マガジン、サンデー、チャンピオン、ジャンプの週刊マンガ誌4誌が揃って、毎週全部読んでました。それにビックコミックオリジナルとか派生漫画誌がどんどん増えていったんですが、高校卒業するまで全部買って読んでましたね。
    マスコミに行きたいと思ったのは、周囲の影響ですね。元々おじいさんが朝日新聞にいて、やめて地元で新聞社を作っていたり、親戚のおじさんがテレビ局にいたりして、わりとメディア関係の人が親戚に多かったんです。田舎ではあったんですが、割とマスコミを身近に感じていました。
     
     
    ■映画製作に明け暮れた大学時代
     
    ― 大学は、慶應義塾大学の法学部ですね。当時、印象に残った出来事はありますか?
    大学生活は、映画を見て、芝居を見て、バイトをしての繰り返しでしたね。
    映画研究会に入ったのですが、ぴあのフィルムフェスティバル(PFF)というのがあって、それに作品を提出しました。自主映画制作にはお金がかかるんで、結構バイトしましたよ。ケーキ屋やスキーショップの売り場をやったりして、六本木のパブで働いたり。フィルム代や制作費として、20万円くらいためて、自分でシナリオを書いて、クラブが年に3本作る映画の候補作品に応募するんです。
    自分のシナリオが選ばれたら、主演女優を決めて、カメラマンやADのチームを作って、映画を制作できるんです。それが一番の思い出ですかね。
    ― 付き合いたかった子をヒロインに抜擢した……みたいなエピソードはないですか(笑)?
    クラブで一番可愛いなと思った子をヒロインにしましたね(笑)。記憶喪失の女の子の役柄で、一人暮らしの主人公の前に突然現れて、一緒に住み始めるんですが、ある日帰ったら突然いなくなっているんです。お互いに恋心が芽生えた頃に、記憶が戻っていなくなってしまうという物語です(汗)。エンディングは御茶ノ水で撮ったのですが、御茶ノ水の街で、その子とすれ違うんですね。でも向こうはまったく気がつかない(苦笑)。
    ― なんか、『冬のソナタ』のような展開ですね(笑)。
    あとは、芝居もよく見ていました。当時、野田秀樹さんの夢の遊眠社とか、鴻上尚史さんの第三舞台がすごい好きだったんです。年に30本くらい見ていましたね。
    映画研究会なんで、映画も年200本くらい映画館で見ていました。当時は、ビデオもないし、池袋文芸地下とかオールナイトでまとめ見してました。あとは映画の配給会社でバイトしたり、新宿の映画館でもぎりのバイトもしましたね。
    ― 聞いていると、当時はかなりの映画青年という感じですね。そこから出版社を目指したキッカケはあったんですか?
    ミーハーだったんでしょうね(笑)。
    光文社は、「女性自身」のほかに、「週刊宝石」が、出来たばっかりだったんです。そういう週刊誌的な情報も好きだったんです。
    マスコミに行けないんだったら東京にいなくてもいいかなと思って、地元の銀行も一応受けて内定をもらっていたのですが、結局光文社に入りました。
     
     
    ■最初は政治班の記者だった
     
    それで83年に光文社に入ったのですが、最初は業務部に配属されました。そこで、女性自身やJJ、CLASSYや文庫の担当をしました。そこで、印刷のことや予算管理や出版の仕組みを勉強しました。それは今、AKBの本を作るときにも生きています。業務部には4年ほどいました。
    ― その後がフラッシュですが、まさに写真週刊誌の黄金時代ですよね。
    フラッシュの創刊が、87年の10月で、それから半年後の88年4月に異動しました。
    その頃は写真週刊誌の全盛期で、5誌合わせると部数も合わせると400万部くらいで新聞と肩を並べるくらいの部数ですよ。フラッシュ、フライデー、フォーカスの3Fだけでも300万部以上発行していました。その中でやっていたので、記事の反響もすごいんですよ。自分のやった記事がワイドショーに取り上げられたり、影響力も強くすごく面白かった時代ですね。
    最初は政治班になりました。安倍晋三総理のお父さんが総理を狙っている時代の、永田町担当です。永田町には番記者制度があって、大手新聞、テレビ以外は情報が入らないんですよ。懇談にも入れなくて、そんな永田町の「鉄のカーテン」の中をいかに人脈を作って情報を集め、取材していくかが主な仕事でした。
    ですから、当時は、永田町の「小沢のいっちゃん、鳩山のゆきちゃん」と熱く語っていたのが、今は「前田のあっちゃん、柏木のゆきちゃん」に変わったわけです。やっていることは基本変わってないですね(笑)。
    政治部のあとは、ずっとニュース担当をやっていました。
    どういう仕事かというと、例えば88年のソウルオリンピックでは、記者兼カメラマンとして現地に2週間、1人で行きました。橋本聖子や小谷実可子の時代ですね。忘れられないのが、カールルイスとベンジョンソンの100メートル一騎打ちを間近で撮影したときのことです。記者席でカメラを構えて、決定的瞬間を取ろうと待ち構えていたんですが、勝利するジョンソンがゴールを走り抜けていく瞬間のシャッターを切ろうとしたら、前の記者がワッと立ったんです(笑)。だから、僕の写真には記者の頭が半分写っているんです。そういう写真の難しさも学びましたね。
     
     
    ■あおきーVSオウムーー個人情報に懸賞金がかかる!
     
    オウム事件もありました。
    元々、オカルトとかのミステリー系や面白い動物ネタが好きで、朝日新聞の地方版を毎週全部読んだり、地方紙をとったりして地方面をチェックしていました。ムーとかオカルト情報誌もチェックして、よくネタにしていましたね。
    そうしたら、あるとき本屋のミステリー雑誌コーナーを見ていたら、空中浮遊できる人がいるという記事があったんです。これは面白いと思ってコンタクトを取ったら、オウム心理教の新実という人が僕のところに来た(笑)。それで、「面白いですねー、今度取材して良いですか」と聞いたら、「今度、富士山で修行するんで、ぜひ来てくださいよ」と言われたんです。
    なんでも、富士山の麓ででっかい水槽をつくって、そこに水を入れてその中で24時間暮らすというんですね。「こんなことできる人いたら、すごいスクープだ! 」となったわけです。もちろん半信半疑ですが(笑)。
    ところが、記者に行ってもらったら、なんかおかしいんですよ。
    よく見たら水槽の中にさらに穴が掘ってあって、その中に人が入っているんです。それで息ができるようにしていた。結局、富士山まで行ったのに水が漏れて水槽にたまらず、失敗ということになって、すごすご帰ってきたんですね。
    でも、そのときの写真が、そのあとすごく大活躍するんですよ。実はその取材のときに、麻原はもちろん、上祐とかそうそうたる幹部たちの写真を全部撮っていたんです。
    ― そして、地下鉄サリン事件が起きた。
    そこから、オウムは相当に取材しましたね。例えば、麻原が捕まったあと、オウムの秘密のアジトが埼玉にできたということで、それを記事にしたんです。そうしたら記事にする前に池袋メトロポリタンに呼び出されました。
    すると、そこに変な弁護士もいて、ずっとビデオを撮っているんです。それで、〇〇新聞の記者は土下座して謝ったとか、その記者の家の前に猫の死骸が置かれたりとか悪いことが起こるかもしれないとか言って脅すんです。「それでも書くのか」、と。「お前の親も含めて、個人情報をネットにアップするぞ」とまで言われましたね。
    ― それって完全に脅迫じゃないですか(笑)。っていうか青木さん完全にオウム真理教に狙われていますね。