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平成を「ヒット曲」から振り返る(後編)|柴那典
2022-05-09 07:00550pt
本日のメルマガは、音楽ジャーナリスト・柴那典さんと宇野常寛との対談(後編)をお届けします。音楽バブルとでも言うような1990年代から一転、「大衆的」なものが捉えにくくなったゼロ年代からの音楽シーンを分析し、現代のアングラカルチャーからオルタナティブな感性が現れる可能性について論じます。前編はこちら。(構成:目黒智子、初出:2021年12月9日「遅いインターネット会議」)
平成を「ヒット曲」から振り返る(後編)|柴那典
音楽シーンとユースカルチャーの乖離
宇野 前回に引き続き、ゼロ年代以降の音楽シーンについて深掘りしていこうと思います。2000年の「TSUNAMI」はサザン自身の総括ソングですよね。1970年代からキャリアのある国民的バンドの総括ソングが、その年を代表するような曲になってメガヒットを記録していくというのは、社会全体が年を取り始めてきたことの最初の表れだったように思います。
柴 まず振り返ると1990年代は非常ににぎやかな時代で、特に1995年以降、日本社会はどんどん沈んでいくけれど音楽はきらびやかだった。
宇野 メディアの世界は1990年代後半がバブルだったので、あらゆるものがそうでしたね。
柴 CDに関しては1998年が一番売れた年です。1999年に宇多田ヒカルが登場してアルバムを700万枚売ったとき、「これが金字塔となるだろう」「15才の少女が登場して700万枚売るという現象を上回ることはもうないだろう」というムードはありました。そして1999年から2000年のムードというのは、僕も宇野さんも当事者として覚えていると思いますが、2000年問題がありノストラダムスの大予言もあり、1980年代に20代を過ごした人は、1999年になったら世界が滅亡してくれるんだと半ば本気で思っていましたよね。
宇野 僕は1999年の「Automatic」(宇多田ヒカル)のあたりで1990年代的なものが終わった気がしていました。ラジオから「Automatic」のイントロが流れてきた瞬間に『エヴァンゲリオン』的なものと言ったら怒られるかもしれないけど、ああいった1990年代っぽい自分語りにより繊細さの演出が流行った時代が終わった気がしたんですよ。
柴 その気分は共有しています。1990年代が終わって2000年の幕開けってめちゃめちゃから騒ぎでしたよね。
宇野 1990年代後半というのは比喩的に言うと、友達にカジュアルに話せる程度のトラウマが欲しいとみんなが思っていた時代ですよね。そのモードが宇多田ヒカルが出てきた瞬間に終わった気がして、それは卵が先か鶏が先かで、宇多田が終わらせたのか、時代の空気に乗って宇多田がヒットさせたのかはわからないけれど、そういうタイミングだったと思います。
柴 新しいミレニアムが始まったという、何かが新しくなったんだというムードと、そこから先、宇多田以上に新しいものはないという気分の中で、ゼロ年代から2004年くらいまでノスタルジーに引っ張られるようになりました。昔の良さ、歌謡曲の良さやみんなが知っていた良さをもう一度、もしくは新しい形で出しましたというのが2000年から2004年のヒットソングです。
宇野 この頃、歌謡曲シーンや大衆音楽シーンがユースカルチャーのシーンと乖離しているんですよね。
柴 ゼロ年代のユースカルチャーは明らかにインターネットでしたね。「2ちゃんねる」が出てきていたし、インターネットというものが今のようなプラットフォーム前提ではなく、オルタナティブだった時代です。冒頭で「スタンダードソングの時代というのはダブルミーニングだ」と言いましたが、あくまで表側としてはではいい意味に受け取れるように書いています。歌い継がれるいい曲がたくさん出た時代なんだ、と。ですが、裏の意味としてはユースカルチャーと音楽が歩調を合わせなくなった時代です。ゼロ年代にはアニメや特撮といったオタク的なカルチャーが市民権を得てきたんですね。
宇野 団塊ジュニアがオタク第二世代といわれていて、最初のマスとしてのオタクです。ゼロ年代というのは彼らが社会で意思決定権を持ち始めた時代なんです。
柴 このゼロ年代でレミオロメンの「粉雪」(2006年)を選んだのですが、これは「ニコニコ動画」で最初の「弾幕ソング」(弾幕とは、動画上に同じタイミングでコメントを書き込み、画面を埋め尽くす遊びのこと)で、今は権利の問題で削除されていますが、J-POPヒットの中で唯一「ニコ動」にいじられた曲なんです。この時代のミュージックビデオはMTVとかスペースシャワーに流すもので、ネットに載せることは意図していなかったんですね。こういったコンフリクトがあったことも、時代的な記憶がない人には残せないだろうというのも「粉雪」を選んだ理由です。 インターネットの話をすると、1998年に「ピンク スパイター」(hide with Spread Beaver)を選んでいます。この年は音楽業界も20世紀型メディア産業も最も景気のいい時だったので、山ほどヒット曲があるんですが、hideを選ぼうということは最初から決めていました。hideはX JAPANのメンバーであるがゆえにビジュアル系の一大ブームを象徴できる上に、洋楽のラウドミュージック、デジタルハードコアの作り手とZilchというバンドで活動し、洋楽と邦楽という両方のリンクを持っています。「ピンク スパイダー」は大ヒットではありませんが、最終的に決め手になったのはhideがインターネットに夢中だったことです。インタビューで「ピンク スパイダー」の意味を聞かれたときに「最近夢中になってるのは音楽とWeb。Webというのは蜘蛛の巣だからスパイダーにしたんだ。」といっているのですが、この時代にインターネットに夢中になっていたミュージシャンはほかにいないんですよ。「ピンク スパイダー」の歌詞っていま見るとすごいんです。
君は 嘘の糸張りめぐらし 小さな世界 全てだと思ってた 近づくものは なんでも傷つけて 君は 空が四角いと思ってた"これが全て どうせこんなもんだろう?" 君は言った それも嘘さ
完全にソーシャルメディアのフェイクニュースの話ですよね。
宇野 これはすごいですよ。この歌詞を見たとき震えました。
柴 音楽がユースカルチャーの立場をインターネットに奪われるゼロ年代の前に、hideがインターネットをテーマに曲を書いていた、ということはこの本で書きたかったことのひとつですね。
平成の文化史を、音楽業界からどう捉えるか
宇野 この本を読んで、一番勉強になったと思ったのがhideについて書かれたところです。以前に音楽ジャーナリストの宇野惟正さんが、日本の音楽批評は渋谷系を過大評価してビジュアル系を過小評価してきたと言っていました。僕のようにどちらにもフラットな距離感の人間からするとその通りで、やっぱり内外の大衆文化やポピュラーミュージックの研究者に与えたインパクトはビジュアル系のほうが大きいですよね。本書で述べられていたことに対する数少ない違和感の一つが、「日本のポピュラーミュージックはどんどんダメな方向に向かっているけれど、オザケン(小沢健二)とPerfumeは頑張っていた」という史観です。それはそうなんだろうけれど、ならばもう少しビジュアル系が、ガラパゴスであるがゆえに海外で面白がられたという現象に対しては言及すべきだと思います。
柴 ビジュアル系は曲で語れないのが難しいところです。「ピンクスパイダー」は数少ない例外で、たとえばDIR EN GREYはとても革新的ですが、代表的な曲は何かと問われたときに挙げることができないんですよね。
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平成を「ヒット曲」から振り返る(前編)|柴那典
2022-04-26 07:00550pt
本日のメルマガは、音楽ジャーナリスト・柴那典さんと宇野常寛との対談をお届けします。昭和の終焉を象徴する、美空ひばり「川の流れのように」から、令和の幕を開けた米津玄師「Lemon」まで、30のヒット曲から「平成」という時代の深層心理をさぐった柴さんの近刊『平成のヒット曲』。数ある平成のミリオンセラーから選んだ30曲の選曲意図から、柴さん独自の視点で平成を通時的に捉えます。(構成:目黒智子、初出:2021年12月9日「遅いインターネット会議」)
平成を「ヒット曲」から振り返る(前編)|柴那典
宇野 本日は、昨年末に刊行された『平成のヒット曲』の著者で音楽ジャーナリストの柴那典さんをお招きして、本書で論じられた歌謡曲・J-POPといった日本の大衆音楽からみた平成の30年間について、じっくりと議論していきたいと思います。
柴 よろしくお願いします。柴那典と申します。もともと「ロッキング・オン」という音楽系出版社で編集者をしていて、その後独立しました。2014年に初の著書として『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という、ボーカロイドブームから当時の音楽・ネット文化を論じた本を出しています。2016年には『ヒットの崩壊』という本を出していて、この本は2010年代に入ってからのCDの売上ランキングを見ても何がヒットしているかわからないという音楽業界の状況について書いた本で、『平成のヒット曲』はその続編とも言えます。
この本では、平成の30年間を通して1年ごとに1曲、その年を代表する曲を選んで語っています。美空ひばり、小室哲哉、Mr.children、宇多田ヒカル、サザンオールスターズ、SMAP、Perfume、 AKB48、嵐、星野源、米津玄師などいろいろな名前が登場しますが、アーティストや曲を紹介したり評論したりするというだけではなくて、社会にその曲がどう受け止められたのか、そしてどのように後の世の中を変えていったのかという、音楽の外側を意識した構成になっています。 またヒット曲について書くことで平成という時代の移り変わりが読み解けるのではないかという狙いがあり、平成を三つの時代──1990年代・ゼロ年代・2010年代に分けて論じているのが特徴です。同じ「平成」の括りでも、この三つのディケイドは、文化的にまったく風景が違っていて、それぞれのディケイドの違いをしっかり位置付けてみようという意識で書きました。 大まかに言うと、1990年代はミリオンセラーの時代で、文字通り100万枚売れるCDが続出し、音楽産業の景気が良くて勢いのあった時代。次のゼロ年代はスタンダードソングの時代で、これはダブルミーニングでもあり、良い意味では長く歌い継がれる普遍性の高い名曲が出た一方で、音楽産業は明らかに勢いを落とし、インターネットという人類史上の大きな変化に対応できなかった点でマイナスが大きい10年間です。そして最後の10年代はソーシャルの時代。ソーシャルメディア、ソーシャルネットワークのソーシャルで、流行やトレンド、ブームが生まれる回路が明らかに変わった時代です。ヒット曲の話もしていますが、メディア環境や力学の変化の話もしています。
令和4年になった今、実感として平成が遠くなったという気持ちが湧いてきて、ようやく平成という年号を少し客観視できるようになり、時間が経つことで対象化しやすいということを、本を出した当事者として感じています。
選曲の意図からみる批評家としての立ち位置
宇野 ありがとうございます。最初のミリオンセラーの時代について、柴さんにとって選曲のコンセプトは何ですか?
柴 売れた曲をただ選んでいるわけではありません。
宇野 そこですよね。ミリオンセラーを並べて、「この曲にはこういう背景があってこういう理由で売れたと思うけれど、それを私は批評家としてこう評価します」と書いていくこともできたと思いますが、柴さんはそれをしなかった。ミリオンセラーの曲は他にいっぱいあるはずなのに、あえて選ばなかったものがたくさんありますよね。
柴 そうなんです。落としたものがすごくたくさんあって、GLAYもなければスピッツもないし、B'zもウルフルズもL’Arc~en~Cielもモーニング娘。もない(笑)。
宇野 そこに柴さんの批評家としての立ち位置が出ていて、それがこの本のポイントだと思います。第一部「ミリオンセラーの時代」に登場する10曲では、どのあたりが柴さんのこだわりなのか聞かせてもらえますか。
柴 まず、選ばざるをえなかったのは「川の流れのように」(美空ひばり/1989年)です。ここから始めたのは、この本の伏線として大きな意図があって、つまり作詞を担当した秋元康というヒットメーカーが、1980年代の「おニャン子クラブ」「とんねるず」などのアイドル歌謡の時代で終わらなかったことの象徴なんです。もともとの原稿では、昭和の終わりを象徴する「川の流れのように」からちょうど20年後にセルフアンサーソング的なかたちでAKB48の「RIVER」(2009年)が登場したのを取り上げることで、より通時的な視点を与えることも考えていました。最終的には構成の都合上、決定稿では省いたのですが。
宇野 「川の流れのように」は大雑把に言うと「いろいろあったけど戦後って結果オーライじゃん」という曲で、それを美空ひばりが人生の最後に歌うということに意味があったんですよね。その20年後に、川、すなわち戦後的なものがむしろ若い世代の障害になっていて、それを乗り越えていけというのが「RIVER」です。ポイントはこれが2009年の歌だったということで、そこからの10数年間経った現在からすると、残念ながら乗り越えることができなかったんだなというのが平成末期の総括になるのかなと思っていますが。
柴 たしかにそうですね。だから2010年代には当然、AKB48の曲で「恋するフォーチュンクッキー」(2013年)を選んでいます。2010年代がAKB48の時代だったというのはオリコンランキングから見ると間違いありません。
宇野 オリコンの破壊によってそれが証明されている(笑)。
柴 オリコンをハックして、そのチャートを無効化したということですね。「AKBの本当のヒット曲はヒットチャートからは何一つわからない」ということを、AKB48を肯定的に捉えながらもファンダムとは距離を保って語ってきたジャーナリズムとして言っておかないと、この曲の記録が10年後、20年後にはオリコンランキングとしてしか残らないのではないかという危惧がありました。
宇野 楽曲プロデューサー・秋元康の優れた曲としても、AKB48の残したものとしても「フォーチュンクッキー」は代表的な曲と言えると思います。ただ「フォーチュンクッキー」が象徴していたものをどう評価するかは本当に難しいと思います。というのは、言ってしまえばこれは指原莉乃の歌なんです。指原はAKB48の総選挙を象徴するボトムアップの、ユーザー参加型のコンテンツだからこそ成りあがった人でもあるけれど、同時に1980年代フジテレビ的/電通的なテレビバラエティやワイドショーの空間をハックして成りあがった人物でもあるんです。彼女は新しさと古さを両方抱え込んだプレーヤーで、「フォーチュンクッキー」は良くも悪くもその指原を象徴する歌なんです。そこに僕は可能性と限界の両方があったと思っていて、限界のほうに報復されたのが今のAKB48だと思っています。つまり「フォーチュンクッキー」というのは運命論の歌で、川(戦後的な既存のシステム)とはまったく別のシステムを横に作ってしまえば運命を信じられる、という歌ですが、その象徴である指原莉乃は、どちらかというと川(旧来型のバラエティ)のほうに向かってしまい、結果的に川に流されている側の代表になったわけですよね。要するに、結局AKB48というのは、指原莉乃というワイドショーのコメンテーターを、バラエティの女性タレントを生むための装置にしかなれなかったということでもあって、それがAKB48そのものの限界なんです。AKB48のブームが沈没した後に出てきた「坂道」(「乃木坂46」など秋元康がプロデュースするアイドルグループの総称)は、一世代前の音楽産業やテレビ産業のロジックで生きていて、明らかに撤退しています。「フォーチュンクッキー」はとても優れた曲だと思うし、おもしろい現象だったことは間違いないけれど、AKB48が持っていた射程距離の限界というものを同時に表しているのではないかと思っています。
柴 たしかに。そういう意味で、今回選曲した30曲は、平成元年の「川の流れのように」で話した伏線を、2010年代のAKBで回収するという構造になっているんですね。
ジェンダー観の移り変わり
宇野 4曲目に「私がオバさんになっても」(森高千里/1992年)を選んでいますよね。これを見て、柴さんは「ヒットの歴史」を書くつもりはなく、ヒット曲に仮託して平成の精神史を書くつもりなんだと思いました。
柴 その通りです。「私がオバさんになっても」はヒットしていて紅白にも出ていますが、年間ランキングでは50位にも入っていません。1992年だったら米米CLUBとかCHAGE and ASKAが代表的なのですが、それをいま書いてもノスタルジーになってしまう。でも森高千里について書くと2010年代のことを論じられるようになるんです。森高千里は産休を経て復帰して、2015年には化粧品のCMで本人がこの曲を歌っています。40代や50代の森高千里がこの曲を歌うことで、曲に25年前と違った新しい意味が出てきているということが書けると思って選びました。 この曲について書いている時点で、星野源の「恋」(2017年)に至るということも意識してます。平成という時代は、失われた数十年といわれたように手放しで肯定できるものではないという問題意識はありながら、昭和が持っていたジェンダーのくびきを少しずつほどいていった時代、と位置づけると見えてくるものがあるのではないかと思います。
宇野常寛 責任編集『モノノメ#2』PLANETS公式ストアで特典付販売中対談集『宇野常寛と四人の大賢者』+ 「『モノノメ#2』が100倍おもしろくなる全ページ解説集」付
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音楽とハリウッド映画からBLMを読み解く|柴那典・藤えりか
2020-10-27 07:00550pt
今朝のメルマガは、イベント「遅いインターネット会議」の冒頭60分間の書き起こしをお届けします。本日は、音楽ジャーナリストの柴那典さんと朝日新聞経済部兼GLOBE編集部記者の藤えりかさんをゲストにお迎えした「文化現象としてのBLM」の後編です。白人警官の取り調べで黒人男性ジョージ・フロイド氏が死亡した事件をきっかけに改めて広がったBLMムーブメントの中で、とりわけ音楽の世界はいち早く反応し、直接的な「怒り」を示しました。一方、『ブラックパンサー』の大ヒットに結実するメジャー映画のシーンでは、どのようなアプローチの積み重ねがあったのでしょうか。(放送日:2020年9月8日)※本イベントのアーカイブ動画の前半30分はこちらから。後半30分はこちらから。
【本日開催!】10/27(火)19:30〜山口真一「正義を振りかざす『極端な人』から 社会を守る」」計量経済学を利用したメディア論の専門家である山口真一さん。SNSにおける誹謗中傷の問題はどこにあるのか? コロナ渦において出現した「自粛警察」と呼ばれる人たちの背景とは?9月に刊行する山口さんの新著『正義を振りかざす「極端な人」の正体』をテーマにしながら、SNSユーザーの実情と、課題の解決方法を考えます。生放送のご視聴はこちらから!
遅いインターネット会議 2020.9.8音楽とハリウッド映画からBLMを読み解く|柴那典・藤えりか
BLM下で音楽はいかに反応したか
得能 ここまでは映画の話をしてきましたが、続いては柴さんに挙げていただいた楽曲の話にいきたいと思います。DaBaby & Roddy Ricchの楽曲「Rockstar」(2020年)について、まずこちらの曲の概要からお伺いしたいと思います。
柴 今回のBLMに関しては、映画と音楽の違いがフォーマットの違いとして表れています。映画って単純に作るのに何年もかかるんですけど、音楽は1日〜1週間あればできる。だから、今回のジョージ・フロイドさんの事件を受けた映画作品はまだ1本も出てきていませんが、事件を受けた曲はもう山ほど出てきている。
宇野 なるほど、ステイホーム下では映画は撮れないけれど、音楽は録れますよね。
柴 かつストリーミング配信なのでCDを刷ったりする時間もかからず、Dropboxに上げるのと同じタイム感でクラウド上で公開できるので、めちゃめちゃ早いんです。なので、アイロニーもなく建前もなく、ただただダイレクトな怒りの表現が出てきている。このDaBabyは2019年にメジャーデビューした若手のラッパーなんですけど、4月ごろからずっと全米1位になっている。この曲を選んだのは、ヒップホップ、ラップミュージックの世界では今最も勢いのあるラッパーであるということと、BLMリミックスが出ているからです。
原曲は4月17日に出たんですが、5月26日にジョージ・フロイドさんの事件が起こった。それを受けて、6月12日に曲の冒頭に新たなラップを加えたバージョンを発表した。DaBabyはもともとはあんまり政治的でも、コンシャス的な人でもなくて、どちらかと言えばファニーでキャッチーで、いわゆるエンターテイナーのタイプだったんです。この曲は「俺はギターの代わりに銃を持っている」という、ある種警察に対して中指を立てるような曲だったんですが、BLMリミックスでは曲の冒頭で「警察の横暴に対して俺は怒ってる」っていうことを加えています。さらに、6月28日にBET Awards 2020という、ブラックミュージックのグラミー賞と言われているような賞の授賞式が行われて、祭典自体が完全にBLM一色で。DaBabyがそこで何をやったかというと、いつもはホールとかでやるんですけど、コロナだからスタジオ収録やリモートだったんですよ。リモートでそれぞれが自分の場所でビデオを撮って送るって言うものなんだけど、曲の冒頭で頭を膝で押し付けられた状態でラップしているビデオを撮った。つまり、ジョージ・フロイドさんの殺害された状況を再現して、バックにはちゃんとパトカーとかもあるというパフォーマンスをやったんです。だから事件が起こってまだ1ヶ月もしないときに、全米で最も勢いがあるラッパーが直接的に反応したという意味で、カルチャーから考えるBLMっていうトピックで言うならば、一番ダイレクトで早い反応があったのがこの曲です。
良くも悪くもこの「Rockstar」って思索的な考えを深めるようなタイプのラップじゃなくて、もっと即物的なんですよね。普段は「俺はかっこいい車に乗っている」とか「イカしたおねーちゃん連れてる俺はすごいんだ」みたいなことを言っているんだけれども、そういうラッパーが怒りをここまでストレートに出していることがすごく象徴的だと思います。
宇野 ハリウッドはやはりリベラルの力の方が相対的に強くて、トランプ的なインターネットポピュリズムのファストなアプローチに対して自分たちは映画というどちらかというとスローなアプローチで抵抗を続けてきたわけですよね。ただ、そういったスローなアプローチでつくられる建前的なものではもう止められない切実なものが噴出していているのが今の状況で、クラウドにアップすれば公開できる即時的な反応としての音楽が、ハリウッドのスローな方法では賄えないもの、補えない感情を表現していくというのは、すごく現代的な現象だと僕は思いますね。
藤 もともとスタジオで大味にマス向けに作っていたものがウケづらくなっているっていう流れにも乗っていると思うんですよね。やっぱり万人にウケるのも難しい。だから、いわゆるスターがいいことを言って、それをみんなが支持するような構図が難しくなっている。でも、これだけ分断して罵詈雑言が飛び交っていると、多少まとめるようなリーダー的なステートメントも欲しくなるときもありますけどね。
宇野 トランプ的な右派ポピュリズムに対してオールドリベラル的な熟議で対応しようっていうのが、近年のハリウッド的な立場だったわけですよね。ところがそれでは何も止まらないし、問題解決は解決しない。なので、いわゆる左派ポピュリズム的なアプローチで対抗しているのが今、柴さんが話した音楽の世界の流れだと思うんですよ。
柴 そうですよね。だからこの「遅いインターネット会議」に対して、BLMって良くも悪くも速いインターネットなんですよね。
宇野 完全にね(笑)。
柴 ハッシュタグアクティビズムから始まっていることもその通りだし、やっぱりある意味ポピュリズムの流れであるとも言えてしまうものでもありますが、ここまで大きなうねりになると良くも悪くも無視できない強烈な力を思っています。だからDaBaby & Roddy Ricch「Rockstar」が象徴するのは、5月26日から6月28日にかけてまずは立ち止まってゆっくり考えようぜって言える人が誰もいなかったということだと思います。この曲の表現自体はそこまで良くも悪くも深いものではないんだけれど、すごく重要なのは警察だと思っていて。BLMを語るときに何がポイントかって言うと、人種差別もその通りなんですけど、警察解体、警察が不必要な暴力を行なっているという異議申し立てのところが大きいんです。さっきの『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)もそうだし、80年代、90年代、そして2012年、14年、15年、18年、20年と何度も何度も運動に火がつくきっかけって、警官が黒人を射殺したり、ジョージ・フロイドさんのように絞殺したり、といったことなんです。
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文化現象としてのBLM|柴那典・藤えりか
2020-10-26 07:00550pt
今朝のメルマガは、イベント「遅いインターネット会議」の冒頭60分間の書き起こしをお届けします。本日は、音楽ジャーナリストの柴那典さんと朝日新聞経済部兼GLOBE編集部記者の藤えりかさんをゲストにお迎えした「文化現象としてのBLM」の前編です。今年5月、白人警官の取り調べで黒人男性のジョージ・フロイド氏が死亡した事件に対する抗議活動は、2012年の同種の事件から連綿と続く「Black Lives Matter」運動と合流し、世界中に広まっていきました。アメリカを、そして世界を揺るがすこのムーブメントを、文化の視点から読み解きます。(放送日:2020年9月8日)※本イベントのアーカイブ動画の前半30分はこちらから。後半30分はこちらから。
【明日開催!】10/27(火)19:30〜山口真一「正義を振りかざす『極端な人』から 社会を守る」」計量経済学を利用したメディア論の専門家である山口真一さん。SNSにおける誹謗中傷の問題はどこにあるのか? コロナ渦において出現した「自粛警察」と呼ばれる人たちの背景とは?9月に刊行する山口さんの新著『正義を振りかざす「極端な人」の正体』をテーマにしながら、SNSユーザーの実情と、課題の解決方法を考えます。生放送のご視聴はこちらから!
遅いインターネット会議 2020.9.8文化現象としてのBLM|柴那典・藤えりか
宇野 こんばんは、宇野常寛です。
得能 「遅いインターネット会議」では、政治からサブカルチャーまで、そしてビジネスからアートまでさまざまな分野の講師の方をお招きしてお届けしております。本日も、有楽町にある三菱地所さんのコワーキングスペースSAAIからお送りしています。それでは早速ですが、ゲストの方をご紹介したいと思います。今日のゲストは、音楽ジャーナリストの柴那典さんと朝日新聞経済部兼GLOBE編集部記者の藤えりかさんです。よろしくお願いします。
柴 よろしくお願いします。
藤 よろしくお願いします。
得能 さて、本日のテーマは「文化現象としてのBlackLivesMatter(BLM)」です。今年5月、黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人の警官によって殺害された事件をきっかけに、BLMの運動が大きく広がったかと思います。この運動はハリウッドスター、著名アーティストといったトップのエンターテイナーをはじめ多くの人々を巻き込みながら、いまだ大きなうねりとして世界中で展開されているかと思います。アメリカのみならず世界を揺るがすこのムーブメントについて、今夜は文化の視点から読み解いていきたいと思っております。
宇野 最初に僕、言っておきたいことあるんですが、僕はこの問題はまったく詳しくなくて、本当に何も知りません。もちろん、大事な問題だと思っているからこそ取り上げていますし、報道とかもそれなりには見ています。
ただ、この問題の背景にあるアメリカの人種差別の問題や、現代アメリカの政治力学みたいなものに関しては当然詳しいとは言えないですし、この問題が世界中に波及して語られていく中で、別の問題に半分変化してしまっているところがあると思うんです。たとえば日本では、デモという評判の悪い手段を肯定するのかというどうでもいい問題の方がやたらと大きくクローズアップされてしまっていて、問題そのものに対してあまり語られていないような気がしています。いや、確かに語られてはいるんですが、情報が錯綜していて、語る人の立ち位置や意見も様々で、どう距離を詰めていけばいいのかがよくわからないままになっている。そんな中で、ずっと文化批評という切り口から世の中を見てきたこのPLANETSだからこそ、ちょっと変わった方面からこの問題に距離を詰めていけるような企画ができないかなと思って、僕の信頼するお二人をお呼びいたしました。そういうことで、今日の僕はマジで聞き役です。よろしくお願いいたします。
得能 かなり珍しい展開になりそうな予感がしますね。私もあまり詳しくないところがありますので聞き役に徹するところがあるかもしれませんが、今日はぜひ詳しく、深い視点でお二人からお話が伺いできれば大変嬉しく思います。
『ゲット・アウト』が突きつけたクリエイティブ・クラスの欺瞞
得能 それではさっそく議論に入っていきたいと思います。今日はBLMを考える上で重要と思われる映画を藤さんから3つ、柴さんからは音楽作品を3つ挙げていただいております。それらをきっかけに、関連した他の作品にも言及していただきつつ、カルチャーの領域からBLMという運動を考えていきたいと思います。
まずはお二人にそれぞれ挙げていただいた作品を見てみたいと思います。藤さんからは『ゲット・アウト』(2017年)、『フルートベール駅で』(2013年)、『義兄弟』(2010年)の3つの映画を挙げていただいております。そして、柴さんからはDaBaby & Roddy Ricch「Rockstar」、Kendrick Lamar「Alright」、Pharrell Williams「Entrepreneur ft. JAY-Z」のこの3つの楽曲を挙げていただきました。
それでは藤さんにあげていただいた映画『ゲット・アウト』からお伺いしていきたいと思いますが、こちらの作品はどんな作品なのでしょうか?
藤 これはご覧になった方もけっこういらっしゃるんじゃないかと思うんですが、概要を語るのがとても難しい映画ではあります。簡単に言えば、少なくともアメリカで黒人として生きることはホラーだ、というコンセプトのもとに作られたホラー映画です。脚本と監督を務めたのはジョーダン・ピールというコメディアンで、私がロサンゼルスにいた頃にはキー&ピールというコンビを作っていて、すごく好きだったんです。オバマのマネをしてみたり、弾丸トークで面白いんですよね。その彼が、なんと人種問題に切り込むホラー映画を撮った。しかも、かなり画期的だったんです。オバマ大統領が誕生してから、アメリカ国内に限らず、国外でも「オバマ大統領が誕生したから人権問題は解決した」とか「オバマ大統領を支持しているから人種差別はしませんよ」と言うような人がすごく増えたんですが、それは違うだろうと突きつけた作品です。たいていBlack Movieでの黒人差別というと、白人至上主義者の人が出てきたり、KKK(クー・クラックス・クラン)の人たちが出てきたりと、右翼との戦いみたいな感じなんですが、この作品は、白人リベラルエリートにも実は差別心があるでしょう、ということを突きつけました。実はこの作品にはタナカという人が出てきて、在米日本人なのか日系人なのかわからないんですが、「自分は黒人側ではなくて白人側である」というふうに振る舞っていて、勘違いしていませんか、ということを突きつけられる。黒人の視点で撮られているので、この映画を観ると白人が怖く感じるんです。こんな怖い思いをしてるんだっていう疑似体験ができる映画でもありますね。
得能 日常の中に潜んでいる様々な差別が出てきたり、意識されないようなコメントが実は差別的な発言であるといったことも絡んでくるのかなと思いますけれども。
藤 そうですね。これは3年前の映画なんですけど、製作中にちょうどトランプ大統領が誕生したことで、ラストを変えたそうなんです。ご覧になった方はラストがわかると思うんですけど、本当はあのラストじゃなかったんですよ。ジョーダン・ピール監督にはこの作品と、『アス』(2019年)っていう作品でも電話インタビューをしたんですけども、オバマ政権下だったら警鐘を鳴らす意味で、元のラストのままで良かったけれど、トランプ大統領誕生となると、あまりにも悲惨なラストに見えてしまうから、希望と言っていいのかわからないんですけど、それを見出したいから変えた、というふうにおっしゃっていましたね。ご覧になった方、これから観る方はその点を注視していただけるといいな、と思います。
得能 ありがとうございます。柴さんはこちらの作品はご覧になられましたか?
柴 はい、『ゲット・アウト』も『アス』も当然観まして、いわゆるジャンルムービーであるホラーにおいて人種差別をモチーフにすること自体がかなり挑戦的なことだったと思います。
藤 これ、かなりセンシティブですよね。
柴 その社会の暗部というか、あまり触れてはいけないところを掘り起こすような作業だと思いますね。
藤 アメリカのコメディアンって、白人が黒人差別をネタにすることはないんですけど、当事者である黒人が、自分自身も含めて人種差別もネタにしちゃうことがけっこうあるんです。その延長とはいえ、かなり冒険だったと思います。
得能 作中で描かれる怖さは、実際にゾンビとかが出てくる怖さとかではないんじゃないかと予想していますが、どうでしょうか?
藤 正直、ゾンビの方が怖くないですね。実生活において、一見普通に暮らしている隣人である白人が怖いということがいかに恐ろしいか、ということです。ジョーダン・ピール監督ご自身は白人のお母さんにも育てられていて、奥さんは白人です。ちなみに奥さんはBuzzFeed創業者の妹なんですけども。白人の家庭との遭遇を多く経験してきて、そのたびに怖い思いをしていることがベースにあるとおっしゃっていましたね。
得能 実体験も含めて描かれているんですね。
宇野 『ゲット・アウト』は、えりかさんが挙げた3つの映画の中で、僕が唯一観ている作品です。この作品とは違って、もっとストレートに人種差別はよくないことで、黒人には苦難の歴史があるのだと訴えている映画は山ほどあるじゃないですか。でも、そういったものは2008年以降のオバマ政権下においては、今日のクリエイティブ・クラスだったら当然ダイバーシティを擁護するでしょう、という白人エリートのアクセサリーに回収されてしまったんだと思うんです。こうした状況下では普通のやり方ではちょっと描きづらい領域を、このコメディホラーというファンタジックな手法で掴み出そうとしたのがこの映画なのかなと思って観ていたんですよね。
藤 まさにそうですよね。ちょうどこの映画をめぐってアフリカ系アメリカ人の男性と話をしたときにリベラルの話が出たんですけど、リベラルはレイシストだということをもっとちゃんとわかってほしいって言っていて、すごくそういう認識があるんだと思います。白人至上主義者がレイシストっていうのはすごくわかりやすいし、広く認識されているけれども、リベラルの人が持っている差別心はなかなか認識してもらえないんですよね。
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【今夜21時から見逃し配信!】山口揚平 「『2020年以降』の経済と、個人の生存戦略」
2020-10-15 12:00今夜21時より、ブルー・マーリン・パートナーズ株式会社 代表取締役の山口揚平さんをお招きした遅いインターネット会議の完全版をライブで再配信します。
ライブ配信を見逃した、またはもう一度見たいという方は、ぜひこの期間にご視聴ください!
山口揚平 「『2020年以降』の経済と、個人の生存戦略」アーカイブ期間:10/15(木)21:00〜
新型コロナウィルスによるパンデミックは、世界経済と社会生活をどう変えるのか。そしてこの危機を個人はどう生き抜くべきなのか。山口揚平さんと、大きな構造の問題から小さな生活の問題まで、アフター2020を考えました。
※冒頭30分はこちらからご覧いただけます。https://www.nicovideo.jp/watch/so37051875
▼放送と合わせて、こちらもお楽しみください山口揚平×宇野常寛 「情報社会との距離感と進入角度を調節して心穏やかに思考する方法」 -
【今夜21時から見逃し配信!】柴那典×藤えりか「文化現象としてのBLM」
2020-10-08 12:00今夜21時より、音楽ジャーナリストの柴那典さんと朝日新聞記者の藤えりかさんをお招きした遅いインターネット会議の完全版をライブで再配信します。
ライブ配信を見逃した、またはもう一度見たいという方は、ぜひこの期間にご視聴ください!
柴那典×藤えりか「文化現象としてのBLM」アーカイブ期間:10/8(木)21:00〜
白人警官により黒人男性のジョージ・フロイドさんが殺された事件をきっかけに広がっている運動「Black Lives Matter」。ハリウッドスターや著名アーティストといったトップエンターテイナーをはじめ多くの人々を巻き込みながら、いまだ大きなうねりとして世界中で展開されています。アメリカを、そして世界を揺るがすムーブメントを、文化の視点から読み解きました。
※冒頭30分はこちらからご覧いただけます。https://www.nicovideo.jp/watch/1599784803
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★号外★ 9/15(金)開催! 柴那典×森直人「情報環境は映画/音楽の快楽をどう変えるのか コミュニケーション消費以降の文化とその批評について」
2017-09-13 07:30
イベント情報のお知らせです!
今週9月15日(金)19:30〜「映画と音楽」をテーマにしたイベントを開催します。
ハリウッドの大作映画が脱物語化し、ノスタルジー産業化し、アニメ/特撮化し、大衆音楽がフェスとiTunesに引き裂かれて、かつてのレコード文化を捨てたとき、20世紀を支えた映画/ポピュラー・ミュージックはいかに変質しつつあるのでしょうか?
音楽ジャーナリスト・柴那典さんと映画評論家・森直人さんが語り合います。
会員割引券もあります! ぜひ皆様お越し下さい。
★★イベント詳細・お申込はこちら★★
▼概要
日時:2017年9月15日(金)
19:00 開場(受付開始) 19:30 開演 21:00 終演予定
場所:STRATUS TOKYO-Mistletoe Base Camp Tokyo-
東京都 港区 北青山 2-9-5 スタジアムプレイス青山 8F
▼登壇者プロフィール( -
「ポスト『J-POP』の時代」イベントレポート――水野良樹×kz×柴那典×宇野常寛が語る音楽のこれから ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.067 ☆
2014-05-09 07:00220pt
「ポスト『J-POP』の時代」イベントレポート水野良樹×kz×柴那典×宇野常寛が語る音楽のこれから
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.5.9 vol.67
http://wakusei2nd.com
今朝の「ほぼ惑」は、先月末に行なわれ大好評だった、これからのJ-POPを語るイベントのレポートです。ニコ生が行なわれなかったため、写真を多めにお届けしています。さらに、巻末には重要なお知らせも――!?
4月28日、GWの中日にSHIBAURA HOUSEにて行われた「ポスト『J-POP』の時代――激変する音楽地図とクリエイションのゆくえ」。登壇者は国民的音楽グループ「いきものがかり」のギタリストにして多くの作詞・作曲を担う水野良樹さん、ボカロを出発点としその活躍の場を広げている音楽プロデューサーのkz(livetune)さん、近著『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』
(http
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