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  • テレビリアリティのゆくえ「笑っていいとも」の終わり|宇野常寛

    2020-06-29 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは2014年3月に放送終了した国民的お昼のバラエティ番組『笑っていいとも』です。『いいとも』に象徴される「楽屋を半分見せる」ことで「東京の業界人」の友達の輪に入れたかのように錯覚させる「テレビ的な」リアリティは、人々の情報環境の変化によって敗北しつつあります。奇しくも『いいとも』終了と同時期、放送作家・福田雄一が手掛けた『指原の乱』から垣間見える、テレビ的想像力に残された僅かな可能性とは? ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
    宇野常寛コレクション vol.26テレビリアリティのゆくえ「笑っていいとも」の終わり
     先日、天気が良かったので気分転換に散歩に出かけた。自宅のある高田馬場からまっすぐ南下して、新宿東口にさしかかったところで平日の昼間とは思えない人ごみに遭遇した。いったい何事かと僕は不審に思ったのだが、「32年間ありがとう」という横断幕を目にしてすべてに合点がいった。その日、31日は国民的お昼のバラエティ番組『笑っていいとも!』の最終回の日であり、そのとき東口のアルタ前はこれからはじまる最後の生放送の現場にかけつけたファンでごった返していたのだ。僕は、その瞬間まで『いいとも』が最終回を迎えることを完全に忘れていたのだ。  そして、僕は、Twitterにアップロードする写真を撮り終えると満足して、その場をあっさりと離れて行った。僕は東口のヨドバシカメラで最近ハマっているドイツの動物フィギュア(シュライヒ)を買うつもりで、ゆっくり選んで打ち合わせの時間までに高田馬場に戻るにはここで無駄な時間を過ごすわけにはいかなかった。
     僕は32年間この『笑っていいとも!』という番組を一度も面白いと感じたことがなかった。他に好きなものがたくさんあったせいか、子どもの頃から相対的に芸能界に関心が薄く、『いいとも』のあの、お互いのキャラクターをいじりあう空間を少しも楽しむことができなかった。僕にとってそれはまるで隣のクラスの内輪ネタを延々と見せられているようで、酷く退屈な代物だった。どうしても「この人たちはどうして自分たちのローカルな人間関係が社会そのものであるかのように振る舞えるのだろうか」と疑問に思ってしまう。  もちろん、今でこそ僕も僕なりにこの番組の持つユニークさとその洗練を理解してはいるつもりだ。教科書的な解説を加えれば、国内において消費社会の進行と同時に、「大きな物語」の失効が顕在化していった80年代はテレビや雑誌といった(当時の文化空間を牽引した)メディアが、ベタに物語を語ることではなくメタ的なアプローチによってメジャーシーンを形成していった時代だった。具体的には『おしん』的な高度成長期のイデオロギーの通用しない都市部のアーリーアダプターたちに対し、メディアの担い手たちは物語のレベルでは「相対主義という名の絶対主義」をもって(80年代的相対主義、面白主義を東京のギョーカイの掲げる絶対的な価値として)振りかざし、そして形式的にはそんな「東京のギョーカイ」が「楽屋を半分見せる」ことで送り手と受け手、ブラウン管の中と外の境界線を曖昧にすることでリアリティを担保していった。糸井重里が本来添え物に過ぎない雑誌の投稿欄を主戦場に変え、秋元康が番組内でそこに出演するアイドルのオーディションの経過を公開していった。そうすることで、本来東京のギョーカイに縁のない僕らも、そことつながっているように感じられたし、そして東京のギョーカイへの憧れも肥大していったのだ。それがこの時期に隆盛した「テレビ的なもの」の本質だ。  こうした手法は「客いじり」と「楽屋落ち」を基本にその笑いを組み立てていった萩本欽一と、彼の手がけた70年代のバラエティに起源を持つという(大見崇晴『「テレビリアリティ」の時代』)。そして70年代に萩本が培った手法はその批判的継承者であるビッグ3によって80年代のテレビシーンを、ひいては文化空間の性格を決定づけるものに成長した。そしてその最大の成果が『いいとも』だったのは間違いないだろう。台本らしい台本が存在せず、ただ、無目的で漫然としたお喋りと茶番じみた余興が、毎日のお昼休みに披露される。それはほとんど「楽屋」そのものであり、そしてその「楽屋」を共有することでその観客と視聴者もまたタモリの「友達の輪」に入っているような錯覚を覚えることができた。相対主義という名の絶対主義が、ギョーカイの内輪受けのおしゃべりという非物語が疑似的な大きな物語として機能することで、この国のテレビ文化は隆盛してきたと言っていい。    だとすると、『いいとも』が成立していたのは、テレビがその圧倒的な訴求力と、それを背景に80年代に形成し90年代を席巻したギョーカイ幻想があってのことだ、ということになる。どれだけ「楽屋を半分見せる」いや、「楽屋そのものを見せる」手法が卓越していても、その楽屋に憧れない人間=テレビ芸能人を人気者だと思わない人間には一文の価値もないのだ。そして、消費社会の進行と情報環境の変化は僕のように感じる人間を飛躍的に増やしていったのだと思う。こうして『いいとも』は過去のものになっていったのだろう。
     実際、インターネットの若者層の間では「テレビっぽい」という言葉が「サムい」と同義で使われはじめて久しい。メディアの多様化はテレビ=世間という等式を崩しつつあり、そこに胡坐をかいた番組作りが東京の業界人の内輪受け以上には映らなくなり始めているのだ。  たぶん、僕が最終回以前に『いいとも』に触れたのは後にも先にも一回だけだったと思う。それは昨年のAKB総選挙で1位を獲得した指原莉乃が、その勝利スピーチのクライマックスを『いいとも』ネタで締めたことに対して、僕は苦言を呈したのだ。  そう、僕はAKB48がテレビに近づいていくことを、あまりいいことだと思っていない。なぜならば、初期のAKB48はテレビとは異なる方法で人を惹き付けることに成功したところにその本質があると考えているからだ。僕が『いいとも』に出てくる芸能人たちには何の思い入れも持つことができない一方で、AKB48を応援することはできるのもそのためだ。楽屋を半分見せられることくらいでは、そもそもかつてほど「東京」の「ギョーカイ」が輝いていない現代、もはや僕らは彼らに憧れることはできない。だから『いいとも』は終わった。しかし、たとえ「クラスで四~五番目に可愛い女子」の集まりでも(いや、だからこそ)総選挙で票を入れ、握手会の列にならんで直接話すことで自分たちもこのゲームに参加しているという実感が得られる。タモリの友達の輪には入れない(入りたいとも思えない)僕も、AKB48には確実に参加できる。だから同じローカルサークルの内輪話でも、「テレフォンショッキング」には興味を持てないが彼女たちのおしゃべりには興味を持つことができるのだ。  
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