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  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第1位】現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』 第3回:「心を動かす計算機をつくる」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-31 11:10  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第1位】現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』 第3回:「心を動かす計算機をつくる」 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.31 号外
    http://wakusei2nd.com




    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。栄えある第1位は、現代の魔術師・落合陽一さんの連載『魔法の世紀』の第3回、「心を動かす計算機をつくる」 です!(2014年9月17日配信)

    これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    この『魔法の世紀』に関しては、うちの2015年の目玉企画になると思っています。
    メディアについて語ることがイコール社会について語ることだった時代――つまり「映像の世紀」は、この先、情報技術がディスプレイの外に進出していくことによって終わっていく。そして今や我々が突入しつつある次の時代を、彼はここで「魔法の世紀」と呼んでいるわけです。
    そしてこの落合くんの『魔法の世紀』という連載は、ビッグデータで記録される人間のライフログや、モノに仕込まれるセンサーといったかたちですべてのものが繋がっていく時代に、人間は何に感動し社会はどう形成されていくのか、という根本的な問いに対して、政治史や社会史ではなくコンピューター史から描き出していくところが非常にユニークな論考だと思います。
    研究者としてではなく理論家としての落合陽一が考えていることは、あまりにも大きな示唆を僕らに与えてくれる。彼の初めての著作を世に送り出すということが、編集者としての宇野常寛の2015年の最大の仕事のひとつだと思っています。こちらもぜひ、続きを楽しみにしていてください!



    ▼落合陽一による『魔法の世紀』
    前回までの連載はこちらから
     
     
     
    ■「流れよ我が涙、と計算機は言った」
     
    前回の終わりに、ここからは「魔法の時代」における「メディア・アート」の変容について考えていくと宣言しました。ここまでは僕の作品や研究の紹介や、研究者的側面からコンピュータと人間の関わりについて論じて来ましたが、ここからは僕のアーティスト的な側面から、コンピュータとアート文化の関係について論じていくことになるでしょう。
    いきなりですが、皆さんは計算機に心を動かされたことはありますか?
    ギョッとする言い方かもしれませんね。「心を動かす絵を描く」や「心を動かす映画を撮る」なら普通の印象を受けるのに、「心を動かす計算機をつくる」には違和感を覚えるのはなぜでしょうか。計算機という言葉と、我々の感性がかけ離れている印象を持つからでしょうか。それとも計算機に心を動かされるということに抵抗感があるからでしょうか? 実は、ここでの計算機(コンピュータ)はメディアアートのことを指しています。ですから、僕は何度も計算機に心を動かされてきました。常に多感な年ごろの僕は、何度かコンテンツ装置(メディアアート)で泣いたことがあります。
    例えば、以前「うなずきん」というおもちゃがありました。ダルマのような小さな人形に話しかけると、相づちを打つように頷いてくれるのです。このおもちゃで遊ぶためには、独り言を言い続けるしかありません。そうなると、独白装置として機能する訳です。懺悔をきいてくれる自動神父さん、みたいなものです。
     

    ▲うなずきん NatureVer. Rainbow 
     
    人間は、何を言っても肯定してくれる存在を欲する生き物です。しかし、そういう存在と出会うことは滅多にないでしょう。恋人でも夫婦でも男女に意見の相違はつきもので、完全にわかりあえる友だちですらも全てを肯定してくれることは少ない。でも、この小さな機械は全てを肯定してくれるのです。気がついたら真面目に話し込んで、なぜか機械に心を許して、そして泣き出す自分がいました。実に不思議な体験でした。
    人はコンテンツで涙したり笑ったりしますが、メディアで笑ったり泣いたりはしないと考える人は多いでしょう。映画館に入った瞬間に泣き出す人、一眼レフを見て涙が止まらなくなった人、本の表紙に触ると泣き出してしまう人……そういう人は、だいぶおかしな人間と見られることだと思います。さすがに僕もそんな体験はありません。なぜなのでしょうか。
    実際、例えば自分が乳幼児だったときのことを思い出してみましょう……いや、無理でしょうか。では、周りの乳幼児のことを思い浮かべてみてください。
    おもちゃを使って大人が乳幼児をあやしているとき、乳幼児は簡単に機械に泣かされていると気づくはずです。彼らは、泣かされるだけでなく、機械に笑わされたりもします。しかし、乳幼児はテレビのコンテンツを見て笑ったり、泣いたりすることは少ないはずです。それは、乳幼児が文脈やストーリー自分の感情で涙するわけではなく、原初的な快/不快のような感覚で泣くことにあります。
    僕は、現代の大人たちが乳幼児のようにメディアで涙したり笑ったりできないのは、彼らの生きてきた20世紀が「映像の世紀」だったからだと思います。「映像の世紀」とは、コンテンツとメディアが分離していた時代です。しかし、今世紀はメディアとコンテンツの境目がどんどん曖昧になって行く時代なのです。映像の世紀は本質的にメディアとコンテンツの関わり方を定めていきましたが、それがどう定められて、そして今どう変わろうとしているのか。
    今回は、これを議論をしていきましょう。キーワードは、先程の乳幼児の例で出てきた「原初的な感覚」です。ここにはメディアアートの現在を巡る大きな問題が横たわっています。冒頭に記したように「魔法の時代」における「メディアアート」の変容について考えていく必要があるのは、このキーワードから見えてきます。
     
     
    ■「文脈のチェス盤の上から」
     
    そのために、まずはメディアアートが登場した20世紀にメディアアートが置かれていたアート観を知る必要があります。それは、コンテンポラリーアートという潮流です。
    コンテンポラリーアートとはなにか? 
    人によって意見は様々ですが、大枠のコンセンサスがとれるところは、さながら「文脈のゲーム」と化している点でしょう。例えば、日本の現代アーティストに村上隆さんという人がいますが、彼は国内芸術の文脈にある浮世絵やマンガ、アニメなどの平面性を再構成して、「スーパーフラット」という文脈を作り出すことで、世界的に評価されました。
    奇麗な絵を見て「傑作だ!」と思う一般人の価値観に対して、コンテンポラリーアートはそうした感覚をゆさぶる作品に必ずしも高い評価を与えてきませんでした。一つには、写真技術の到来とともに、技巧的なもの(うまい絵、写実的な美しさ)が評価された時代は過ぎ去ったのが大きいでしょう。その結果として、従来の芸術観が崩壊してしまい、文脈による評価が高くなったとも言えます。これは20世紀美術の大きな潮流でもあります。
    実際、美術史の教科書には、20世紀のコンテンポラリーアートを説明する際に、必ずマルセル・デュシャンの『泉』という作品が挙げられているはずです。男性用小便器を寝かせて置いただけのこの作品は、レディメイドの芸術の始まりだとか、現代アートの夜明けだとかと言われています。
    なぜこんな作品が重要なのかでしょうか。それは、マルセル・デュシャンがこの作品を通じて、「これは芸術足るか」という問いを投げかけたからなのです。20世紀のコンテンポラリーアートとは「芸術の文脈そのもの」に対する問いかけそれ自体が文脈を形成する時代であり、この作品はその幕開けに相応しかったのです。
    ……少々、わかりにくいでしょうか。つまりは、「芸術表現とはなんだろうか」と考えた時代なのです。芸術表現のあり方それ自体を探求する試みこそが高く評価されていく流れが、20世紀には大きくあったのだと思っていただければいいでしょう。
    その際に一つ大きな評価の基準となったのは、「西洋芸術史の中における文脈の構築」でした。例えば、アメリカの芸術家にジャクソン・ポロックという人がいます。彼は「抽象表現主義」と呼ばれる手法を代表する画家で、アクション・ペインティング(寝かせたキャンバスの上に絵の具を撒く)という独特の技法で、同時代にはモダンジャズのインプロビゼーションなどと比較されながら、ニューヨークのギャラリーを中心に高く評価されました。
    この技法をコンテンポラリーアートの視点から見ると、彼の絵画は「絵を描く」という行為そのものの刷新になっています。それは「描くという芸術行為はキャンバスを打ち立てて、そこに描いて行くものだ」という「文脈」に対する大きな逸脱なのです。この立場からは、彼は独自の抽象絵画の世界を切り拓きながら、「文脈のゲーム」に新しいゲームを仕掛けてきた作家と言えるでしょう。
    こうした世界では、やや単純化して言ってしまうと、「美しい絵を描くことなどよりも、新たな文脈を構築することの方が重要であり、感覚的なものは評価されにくかった」と言えます。そして、メディアアートも大きくはコンテンポラリーアートの一種として評価されることが多く、私たちが普段触れている映像装置というメディアに対する文脈への関わり方、つまり「文脈のゲーム」の中で評価されてきた面が強くあります。
    以上が、美術史における教科書的な説明です。
    しかし、別に写真の登場で不要になった技巧的な表現技術以外にも、心を動かすような表現は存在するはずです。とすれば、そうした軸が低く評価され、20世紀を代表的する潮流であるコンテンポラリーアートが「文脈のゲーム」になってしまったのはなぜなのかという新しい疑問が湧いてきます。
    それに対する僕なりの解答は、まさに20世紀が「映像の世紀」、すなわちマスメディアの時代だったから、というものです。
    そもそも、アートとアートでないものの境目を作っていたのは何だったのでしょうか。それは、美術館という制度の存在です。例えば、現代アートでは中心地にあるニューヨークのギャラリーが、現代アートの文脈を作り出しています。その周囲にいる専門家や画商のコミュニティの中で評価された現代アートは、高い値段でやり取りされます。彼らは、現在の資本主義市場の中心地である米国で、雑誌やテレビなどの様々なマスメディアと、その中で活動する批評家たちのような権威を上手に駆使しながら、アートの流れを生み出してきたのです。
    もちろん、これもまた教科書に載っている程度の説明で、そもそも『泉』という作品の出展の中にその問いかけは含まれています。だから、ここではもう一歩踏み込んで考えます。そうした美術館の権威の源泉は、一体どこから生まれたのでしょうか。
    結論から言えば、それは「鑑賞可能性」にあったと僕は考えています。
    世界中でも限られた場所にしか存在していない美術館やギャラリーというスペースに、多くの人が鑑賞しにやってくる。その構造こそが、アートをアート足りえさせていたのではないでしょうか。つまり、一部の発信者の作品に注目が集まるような仕組みとしての「美術館」こそが、重要だったのではないかと思うのです。
    しかも、その集客効果は、「映像の世紀」のマスメディア技術を抜きに語れません。ニューヨークのギャラリーの権威ある大きな声が、資本主義市場の中心地であるアメリカのマスメディアに乗せられて、世界中に届いてゆく。これによって、共通の文脈が共有され、権威の声は世界全体の文脈と合致することが可能になっていたのだと思います。
    しかし、この「魔法の世紀」には、作品はそのようには受け取られません。なぜなら、インターネットが台頭してしまったからです。
     
     
    ■「島宇宙の共通言語を探して」
     
    そこでは、誰もがあらゆるものを鑑賞できるようになりました。
    例えば、現在TwitterやFacebookなどのメディアは、コンテンツに対する巨大な鑑賞装置――すなわち、大きな美術館として機能していると言えます。民主的かつ巨大なコンテンツ鑑賞空間がネットに広がっていていて、あらゆるコンテンツ(コンテンツ的なメディア装置も含む)が、万人によってキュレーションされ(=選び取られシェアされ)、万人によって鑑賞されているのです。
    しかも、最近はメディアアートやインタラクティブ作品のプレゼンテーションに、映像が用いられ,それが広告などにも使われるようになっています。リアルな場でしか鑑賞できないスケール感、ディテイル、五感への表現などはあれど、やはり時間と空間を超えて誰もが鑑賞可能になったのも事実です。
    何よりも重要なのは、これがメディアアートのみに留まる話ではないことです。最新のプロダクトもニュースもメディアアートも、メディア装置上のコンテンツを鑑賞する同様のプロセスで消化され、拡散されていくのです。世界中のありとあらゆるリアルの事物が、美術館に置かれた作品のような「鑑賞可能性」を持つ時代がやってきたのです。
    その結果、たとえニッチな興味であったとしても、小さなコミュニティを保つことが可能になっています。
    これまでメディアコンシャスの消失を語ってきましたが、それはマスメディアの相対化ももたらしたわけです。共通の文脈を展開するのは難しくなり、ニューヨークのギャラリーのような一部の権威者が文脈を制定することも、マスメディアがマスメディアとして機能しないために、不可能になりました。島宇宙としてバラバラになってしまった興味のコミュニティには、共通言語も共通文脈も存在しなくなり始めています。全員に受容される作品は、もはやつくりにくくなってしまいました。
     
    こうした情報拡散を中心にした文化において、集約型である前世紀の権威者の威光は徐々に陰りつつあります。20世紀とは「代理表象」の時代でした。表現はマスメディアに乗る際に、感覚を代理する文脈に置き換えられ、文脈のゲームが戦わされたのです。しかし、魔法の世紀には、もう「代理表象」による文脈のゲームで戦うのは難しい。文脈のゲームプレーヤーは、実はロールモデルを失いつつある時代になっていると言えるでしょう。
     
     
    ■「人間という感覚装置の内と外」
     
    こうした状況の中で、メディアアートは既存の芸術の枠組みから変わりつつあります。
    具体的には、二つの道に分かれているように僕は感じています。一つは、「文脈のゲーム」として、20世紀の延長線上でメディア装置に関する文脈で戦う芸術。もう一つは、より「原初的な感覚」を対象とした芸術です。
     
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第2位】【特別対談】根津孝太(znug design)×宇野常寛「レゴとは、現実よりもリアルなブロックである」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-31 11:00  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第2位】【特別対談】根津孝太(znug design)×宇野常寛「レゴとは、現実よりもリアルなブロックである」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.31 号外
    http://wakusei2nd.com



    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第2位は、デザイナー・根津孝太さんと「レゴ」について語り合った対談です!(2014年6月11日配信)
    これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント

    ツイッターに上げたりしているので気づいてくれている人もいると思うけれど、この一年半ほど僕はレゴに凝っています。そのなかでスケールモデルとの違いをすごく考えてしまう。僕は小学生の頃からスケールモデルには親しんでいてすごく好きなんだけれど、一方でレゴのようにある程度ディフォルメされた玩具のほうが、スケールモデルよりもリアルに感じる瞬間がある気がする。この感覚について、僕の知る限り一番のレゴマニアであるデザイナーの根津孝太さんと語り合ったのがこの対談です。
    ここまで配信してきた年末ベストセレクションでも登場したトランスフォーマーの記事もこの対談から派生していて、この一連の玩具論というのは僕が今年、理論的に持ち帰った一番大きなもののひとつだと思っています。

    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多くの工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。パリ Maison et Objet 経済産業省ブース『JAPAN DESIGN +』など、国内外のデザインイベントで作品を発表。グッドデザイン賞、ドイツ iFデザイン賞、他多数受賞。
     
    ◎構成:池田明季哉
     
    ■小さいときからレゴ大好き!――根津孝太とレゴ
     
    宇野 僕がレゴを買いはじめたのって、実はここ1年くらいなんですよ。ずっと買おうと思っていたんですが、手を出したら泥沼にハマることがわかっていてなかなか買えなかった(笑)。でもとうとう我慢できなくなって「レゴ・アーキテクチャー」シリーズに手を出してしまい、それから「レゴ・クリエイター」の大型商品を買ったりとか、あとは「レゴ・テクニック」の3つのモデルに組み替えられる小型商品とか、あとはヒーローものが好きなので、バットマン・シリーズを買ったりとかしています。
     根津さんは昔からのレゴファンという風に聞いています。今日はレゴについて、いろいろなお話を伺えればと思います。根津 僕はレゴが小さいときから好きなんです。ただ最初に買ってもらったのがレゴってだけだったんですけど、子供ながらに発色の良さとかカチッと組み合わさる感じとかにクオリティを感じていて。レゴ新聞に載ったこともあるんですよ!

     

    ▲楽しそうに話してくれる根津さん。「CAST YOUR IDEAS INTO SHAPE」と書かれたレゴのTシャツが素敵。
     
    宇野 レゴ新聞! そんなものが……。やはり後に根津孝太になる人間は、小さい頃から根津孝太だったということですね(笑)。
    根津 街づくりのコンテストに妹と一緒に出したら入賞しちゃって。そしたら依頼が来て、小学校6年生くらいのときにF1を作ったんです。同じF1の、ひとつすごい大きいのを作って、もうひとつすごい小さいのを作って、ブロックの差こんだけです! みたいなことをやったんですね。
     例えば、これは僕のデザインしたリバーストライク「ウロボロス」をレゴにしたやつなんです。アメリカに自分がデザインしたモデルをパッケージに入れて届けてくれるサービスがあって、それで作ったんです。これも大きいものと小さいもの、両方作っています。

    ▲異なる解釈のふたつのウロボロス。資料の右上が大きいもの、左下が小さいもの。レゴファン諸氏は、ウィンドシールド部分の大きさから全体のサイズを推し量っていただきたい。
     
     ウロボロスのレゴも実物の写真を見ながら作るわけですけど、小さく作るとよりディフォルメしないといけない。だったらやっぱりこのフェンダーの丸いところと、タイヤの表情がウロボロスらしさだよね、それ以外は大胆に省略しよう、ということで、自分の解釈を出してるんです。
     
     
    ■解像度と見立ての美学――ディフォルメだけが持つ批評性宇野 根津さんはずっと小さいときからレゴをほとんど途切れなく作ってきてるわけですよね。それなりに長いレゴの歴史をずっと追ってきたと思うんですけど、レゴの歴史のターニングポイントみたいなものってありますか?
    根津 一時期、解像度を上げるために、専用パーツが一気に増えたことがあったんですよ。絶対にそのモデルでしか使えないような。
     でもレゴがさすがだなと思うのは、必ずそうじゃない使い方も用意して提案してくるんですよ! 「これ他に何に使えるんだよ……」みたいなパーツでも、後で必ずなるほどと思うような使い方をしてくる。それは最初からそれがあってパーツを作っているのか、それとも後からレゴの優れたビルダーが使い方を考えているのかはわからないんですけど。
     例えば僕が作ったこの装甲消防車も、このコックピットの横の板の部分は、チッパー貨車っていう列車のすごく特徴的な部品を使ってるんですが、パッと見わからないと思うんですよね。あとは有名なビルダーさんには、ミニフィグだけで何かを作ってしまう人とかもいますし、このオウムが人間の鼻に見えるんですとか、いろんな見立てができるんです。
    宇野 レゴってある時期から、どんどん模型化しているじゃないですか。組み替えを楽しむ玩具というよりは、独特のディフォルメと解像度を持つ模型の方向に舵を切っていて、この転向に批判的なファンもすごく多い。でもここ10年くらいのレゴの変化って、もっとポジティブに捉えていいんじゃないか。レゴの美学がもたらす快楽に世界中が気付き始めている、そう考えていいんじゃないかと思っているんですね。
     

    ▲根津さんが持ち上げているのが、開閉式のコックピット。
     

    ▲同じパーツを使った別モデルのコックピット内部。このアングルになって初めて、バケット状のパーツを使っていることに気付かされた。
     
    根津 レゴのブロックひとつとっても、そこに感情移入できるかどうかが重要だと思うんです。リアルじゃないと感情移入できないというなら、レゴは成り立たない。それだったら塗装したプラモデルの方がスケールモデルとしては絶対にリアルなんです。だからレゴの魅力っていうのは、人の解釈がそこに出るところだと思うんですよね。
    宇野 レゴを成立させているのは、見立ての美学だということですよね。
     僕、一番の趣味が模型なんですよ。スケールモデルもキャラクターモデルも好きなんです。でもあるときふと考えたんです。スケールモデルはリアルさを追求しているって言われるけど、リアルってなんだろう、って。結局どれだけ精巧に作っても、それは現実そのものではないわけなんですよね。縮小した模型である時点で必ずどこかに解釈が入る。タミヤがやってきたスケールモデルですらも、実は限りなく実機を再現しているから魅力的なんじゃなくて、あのサイズでできるだけ実機に近づけることで独特の美学を構築しているんだと思う。アニメでいうと高畑勲や押井守の作品がわざわざ絵で実写「風」の絵柄と演出を選択していることで独特のリアリティを獲得しているのに近いかもしれない。
     そして僕は近年の「模型化」したレゴは、こうした見立ての快楽を極限まで追求したものになっていると思うんです。
     例えばレゴ・アーキテクチャに、マリーナベイ・サンズがあるんです。これってすごく特徴的な建物ですよね。これを作ったビルダーは、どこを省略してどこをピックアップするか、どんなカラーリングにするか考えることで、マリーナベイ・サンズの本質とは何かについて考えた、むしろ考えざるを得なかったはずなんです。それによってむしろ「らしい」マリーナベイ・サンズが表れてくる。
     レゴは極端なディフォルメだから、より極端な解釈が必要になるんだけど、だからこそそこに圧倒的な批評性がある。 
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第3位】"人間"を単位に考えるのは生命に失礼――『イシューからはじめよ』著者・安宅和人が神経科学とマーケティングの間で考えてきたこと ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-30 11:10  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第3位】"人間"を単位に考えるのは生命に失礼――『イシューからはじめよ』著者・安宅和人が神経科学とマーケティングの間で考えてきたこと
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.29 号外
    http://wakusei2nd.com



    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第3位は、Yahoo!Japan CSOで『イシューからはじめよ』著者の安宅和人さんへのインタビューです!(2014年4月3日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント

    安宅さんの『イシューからはじめよ』という本は「ほぼ日」を通してビジネスマンにとても支持された隠れベストセラーで、僕自身も非常に影響を受けました。で、実はこの本は、ビジネス書というよりも安宅さんの哲学と人間観を表現した理論書だと思っています。要するに「高度な思考は言語化できない」という前提を受け入れることで、現代人のほとんどが避けている「非言語的」な論理的思考法を提案していると言えると思います。
    そしてこのインタビューでは、「その非言語的な思考を部分的に可視化するものとして、現代の情報テクノロジーを捉え直すことができないか」という話をしている。言葉が簡単なわりに話している内容が抽象的でわかりづらかったかもしれないですね。でも、ここで話した内容は僕の自分の本にもかなり直接的に活かそうと思っているので、そのあたりも楽しみにしていてほしいと思っています。


     
    2010年末に出版されベストセラーとなったビジネス書『イシューからはじめよ』の作者である、Yahoo! Japan CSOの安宅和人氏は、経営コンサルタントと神経科学者の2つの経歴を併せ持つ異色の人物だ。ネットユーザーには人気ブログ「ニューロサイエンスとマーケティングの間」のid:kaz_ataka氏としても有名である。
    ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketinghttp://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/
    このブログや著作からも窺えるように、氏の経歴は双方ともに華々しい。外資系コンサルティングファームで、独自の消費者マーケティング手法によってヒット商品の開発に関わってきた一方、米国イェール大学での研究者時代には、平均7年弱かかるプログラムを、当時最短の3年9ヶ月でPh.Dを取得している。そんな氏の仕事術を明かしてみせた本が、『イシューからはじめよ』であった。
    今回、ひょんなことから安宅氏と知り合った宇野の希望で、我々PLANETS編集部は六本木の東京ミッドタウン内にあるYahoo! Japan本社を訪問することになった。宇野が今回、強く興味を惹かれていたのは、安宅氏の「哲学」である。『イシューからはじめよ』の背景で彼が考えていた内容にはじまり、二人の議論はインターネット時代における「言葉」や「人間」についての認識を問うものになっていった。
     
    ◎構成:稲葉ほたて
     
     
    ■『イシューからはじめよ』は"科学書"だった
     
    宇野 今日僕が聞きたいことは究極的には一つで、それは安宅さんの『イシューからはじめよ』という本の背景にある人間観についてなんですよ。あの本には、安宅さんが冒頭で書かれているように、ニューロサイエンスとマーケティングの間で考えた仕事術が詰め込まれているのですが、僕の興味はむしろその背景にある人間観の方なんです。科学者・安宅和人はニューロサイエンスとマーケティングの間からかなりユニークな人間像を持ち帰っている。そこを引き出したいんです。
    安宅 ありがとうございます。あれはブログで書いた記事の反響を受けて、重い腰を上げて書き始めた本なんです。しかも、ブログのハンドル名で出すつもりだったのですが、最後になって「こんなに濃い本なのだから、ちゃんと実名で出しましょう」という話になってしまった(笑)。
     

     
    でも、本来は科学研究のためののような本だったんですよ。大量のサイエンス事例を載せていたのですが、優秀なエディターの強烈なパワーによって一般向けに味付けが代わり、ビジネスチックな話を多く差し込みました。
    宇野 だとすると、僕が読みたいのはその理論編ですね。事例というのは研究結果についてですか。
    安宅 いえ、研究における知的生産の手法についてです。そもそも僕のブログの読者は何らかの研究をしている人がどうも多く、彼らのリクエストによって書籍化されたわけですから。そこで書いたのは、まさにタイトルの通り、「イシューからはじめよ」を優れた科学研究の事例に沿って説明しようとしたものでした。
    宇野 門外漢からすると、この2014年の現在においては特定の業界ではこの本の影響か、僕の周囲にいる人、たとえば楽天の尾原和啓さんなどがその代表ですが、「イシューから始める」ことを意識している人は決して少なくはない。でも、日本の自然科学の現場ではそういう発想が弱かったのですか?
    安宅 私の関係する分野では一部の優秀な研究者を除いて、明示的には行っていなかったと思いますね。日々これはどうだろうと実験をして、面白い結果が出てこないか、それをみて考えようという人が多かったのではと思います。現在もそうかは難しいところですが、僕のブログに対する数多の研究者からの反応を見るに、さほど状況は変わっていないように思います。
    しかし、少なくとも私の体験、見聞した米国の一部のラボは違いました。例えば、僕が留学していたとき、たった5人程度のある名もないラボが年間5本も6本も超一流誌に論文を掲載していたんです。その手法は驚くべきもので、彼らはまず論文のタイトルから真っ先に決めてしまうんです。そして、もう研究完成時の絵ができていて、「この5つが示せればよい」ということまで最初に設計しているんです。しかも、最初の問題の立て方が非常に秀逸で、みんなが議論している問題の本当に重要な論点を見事に突いてくるので、答えが何であろうが必ず大きなインパクトを持つ結果になるわけです。当時の僕はもう「こいつら、なんちゅうやり方しとんねん」と大変にショックでしたね。
    この研究室のやり方を書いたブログエントリーは、私が全く想定していなかったレベルの評判を呼びました。ある時など、国内の著名な分子生物学の研究者の方から「ぜひこれについて学会で紹介して、一席ぶちたい」とメールが来たり(笑)。あの本は、こういうふうに課題設定の在り方から先に始めて成功した研究、知的生産事例についてまとめたものだったんです。
     
     
    ■「ビジュアルの思考」が伝わらない世界で
     
    宇野 安宅さんはこの本で「言語で考える思考」と「絵で考える思考」のふたつを対置させて、ご自身は後者の思考を用いるタイプだと位置づけていますね。そしてこの「イシューからはじめよ」という本は、タイトルの通り回答の追求よりも問題設定を優先せよというメッセージを訴えた本なのだけど、これは同時に言語的な思考ではなく、絵的な思考でアプローチせよと主張しているのだと思うんです。
    安宅 そういう面は、確かにあるかもしれないと思います。自分はさておきですが正しい問いを見出す人というのは、個別の現象を解釈せずに、まずは構造的に全体で見る人が多いように思います。例えば、彼らは、法律を研究するとなったときに、六法全書を読んで条文にある言葉を一つ一つ意味を考えていくようなことをしないでしょう。一体、どの法律がどういう関係の中にあるのかを、まずは見るはずです。あるいは、この分野はここの部分がまだ研究されてないぞ、とかね。
    それは、やはり俯瞰して見る能力ですよ。一体どの問題が大事なのかということは、まずは大きい絵の中で見なければわかりませんから。そういう考えができる人のほうが有利ですが、少ないです。
    これは個人的に、非常に悩んだことでもあります。僕は日本の大学院で分子生物学の研究をしていたときに、コンサルティングファームに偶然、誘われたのですが、そこで急に科学者同士だと分かりあえていた話が通じなくなってしまったんです。ビジネスの世界に入ると「お前が言っていることは正しそうだけど、何も理解できない」と言われて、大変に苦労したのですね。
    科学者って、言語化が困難な部分をムリヤリに言語化して論文に叩き込むところがあって、そういう世界が存在する前提で生きてるんです。でも、一緒に仕事をしたチームの人たちの経済学部や法学部出身の人の多くには、それが伝わらない。だから、この言語化し得ないメタ形而上学のような世界をどうにか形にしなければいけないと感じました。
    宇野 「ビジュアルの思考」を用いないと「イシューからはじめることは困難」というのは大きな問題だと思います。ちょっと変な言い方になるのだけど、少なくともいま僕たちが用いている言語的な思考では記述することが難しい論理というものが世界には間違いなく存在している。それは「直感」や「感性」と呼ばれることも多いのけれど、実はあくまで「論理」なのだということですよね。
    安宅 同感ですね。もちろん、解決するために言葉に落としこむのは大事ですから、言葉の重要性を否定しているわけではありません。しかし、そういう側面は大きいと思います。
     
     
    ■言葉にするのが難しいものをどう言語化するか
     
    宇野 対して、現代の情報技術の発達は、従来の言語では記述できないものを可視化していっているんだと思うんですよ。例えば、僕はFacebookの「イイね!」の付け合いから、誰と誰が付き合っているかのような人間関係を見抜くのが得意で……
    安宅 はっはっは(笑)
    宇野 このとき僕は「イイね!」の数という、従来の言語では扱いづらかった、「空気」とか「感触」と言われていた曖昧な存在を数字というかたちで可視化する装置を用いて、論理的な分析を行っているんですよね。そこで『イシューからはじめよ』に話を戻すと、僕がこの本で面白いなと思ったのは、安宅さんがこうした「言葉にできない論理」をなんとか言葉に落とし込もうとしている悪戦苦闘の過程が見えているところで、そこに発見出来る試行錯誤こそが「イシューからはじめ」ること、つまり問題設定から解決のプロセスへの接続、つまりビジュアルの思考から言葉の思考へと接続する作業の極めて優れた例になっていることなんです。
     
     
    安宅 あの本には、ひじょうに感覚的なことをたくさん書いた気がします。自分が上手く問いを立てた経験と見聞きした事例をグルーピングして、うんうん考えるというなかなか大変な作業でした。とはいえ、普段から僕がやっているのは、そういうふわっとしたものを言語に落とす作業です。この"言語化が難しいもの"を言語化して枠組みに叩き落とす作業というのは、知的生産と呼ばれる営みの半分以上を占めていると思います。
     
     
    ■脳の中で言語が占める部位はオマケのようなもの
     
    宇野 そもそも世の中には、人間は言葉でしかものを考えられないとするか、言葉は考えられることの一部にしか過ぎないと捉えるか、の二通りがあると思うんです。僕は後者の方が正しいと思うのですが、これまでの世界では圧倒的に前者の考えの方が優勢ですよね。
    ところが現在、世の中を動かしている情報テクノロジーは後者の世界理解に親和性が高い。どんどん言語が追いつかない領域も可視化してコントロールしはじめていて、そのせいでたぶん言葉の世界だけで思考してる人たちが、世界から完全に置き去りにされちゃってる気がするんですよね。
    安宅 (スマホを手にとってスクロールさせながら)こういうUI/UXなんかによって、世界が変わってしまいますからね。言葉じゃない部分の実態に、人間が急速に気づきつつあるんだと思います。
    宇野 その変化は、具体的にどういう形で起こっていくと思いますか?
    安宅 やはり端緒はスマホになると思います。まず、このデバイスでのUI/UX自体が、基本的にTwitterのようなストリーム以外の形式で受け入れにくいんです。いつも手の中に何かがあって、あまりにも激しすぎる情報が流れてくるときに、上下にスクロールさせていくしかない。だって、昔テレビのチャンネルをチェンジしていた時の、1000倍くらいの情報を処理しているわけですから。そして、こういうふうに情報量がある閾値を超えたときに一瞬で理解する唯一の方法が、目で画像を見ることだと思うんですよ。結果的に、脱言語化しているんですよね。
    最初に画像がスマホで流れてくるのを見たとき、僕も、単に「綺麗だな」としか思わなかったのですが、現在はこれが本質だと思っています。膨大な情報をみんなが普通に消化して生きていく時代に、我々の脳の基本構造に立ち返ると、画像が中心にならざるをえないからです。実際、我々の脳の中で言語にダイレクトに関係する箇所なんて、(ウェルニッケ中枢とブローカの)2箇所くらいしかなくて、ほとんどおまけみたいなものですよ。でも、視覚というのは(後頭部を触りながら)この辺りの全部ですからね。人間の脳の7割は視覚処理に何らかの形で関与していて、その中で視覚にメインに使われているところだけでも皮質の3割から4割を占めているんです。
    宇野 そうなんですか! 
    安宅 映画や小説を見ても分かる通り、別れた彼女のことや手のひらのことを思い出すだけでも、脳のスクリプトのかなりの部分が視覚で埋め尽くされてしまいますしね。そのくらいに脳の構造は視覚に依存しているのに、人間が言語で思考してきたということに、そもそも限界があるんです。これほど情報量が膨大になった現代で、脳のキャパを広げて対応しなければいけなくなったときに、もっとも処理が長けている部分で情報処理をせざるをえなくなっている。
    宇野 情報技術はそうした「脳のキャパを広げて」過剰になった情報量を処理するための支援ツールとして発達しているわけですからね。それは言い換えると「ビジュアルの思考」を扱いやすくするための支援ツールだとも言える。
     
     
    ■ウィキペディアが示してしまった固有名の本質
     
    安宅 たとえば、そういう情報量への対応という点で、ウィキペディアは偉大な実験をしていると思いますね。ブリタニカの時代には、項目ごとにその分野の大家が書いていたのが、なんと一般人の集合知に負けてしまったわけですから。それに、もう一つ面白いのは、概念を固定化しなくてよいと証明したことです(笑)。人間は概念がエボルビングに(進化しながら)動いていっても全然回していけるし、むしろハッピーである。そういう当然といえば当然なことを、これ以上ない形で明示してしまったんですね。現在のウィキペディアはなにか概念を浮遊させて、転がして遊んでいるような感じがします。この言葉はいまこの位置にあるのだなというのが見えるし、その動きもわかる。
    宇野 なるほど。ある概念はいま、概ねこの状態にあるということがネットワーク上で常に確認できること、というかすべての概念が固定されるものではなくこの状態にあるというものでしかなくなってしまったとき、社会における言葉の位置づけが変わってしまいますよね。そうすることで今より「ビジュアルの思考」を置き換えやすいものに言葉を進化させることができるかもしれない。
    安宅 日本人はずっと苦しんでいるんじゃないかとは思います。というのは、ビジュアルもそうですが、もう知覚全般にまつわる意識が非常に強い国民なのに、外から入ってきた漢字を中心とする言語体系というのは極度にドライで殺伐としたものなのですね。
    宇野 たとえば、これまでの社会は専門職が専門家の言葉を使うことで成立していたのですが、現在はこうした言語の用法に規定された社会そのものからの解放が起きていると思うんです。インターネット以降、僕らは日常的に「書き言葉」でコミュニケーションをとっている。しかし、そこで使われる言葉は少なくとも日本語においては僕ら物書きが扱っている日本語の散文の形式からは次第に離れて行っている。文学の衰退や、オールドタイプの文化の没落の根源的な理由のひとつがここにあると僕は思うんです。要するに、ここでも日本語という言語が世界の変化に追いついていない。
    で、そんな僕が、では新しい日本語の書き言葉として、どんな形が有望だと思ってるかというと、たとえばそれはウィキペディアの文体だったりするんです。あれって、グローバルな表記ルールに無理矢理日本語を当てはめた結果いろいろおかしくなっているけれど、そこに可能性を感じるんですよ。
    いま僕らが使っている日本語の散文の文体は、どう考えても論理を記述するのに向いていないですからね。逆に、安宅さんのいうような「ビジュアルの思考」には適しているのかもしれないけれど、僕個人は「イイね!」の数を用いる方が「ビジュアルの思考」も取り扱いやすくなると思っています。だからウィキペディアのようなところから、ポスト近代日本語が出て来ると面白いと思っています。
    安宅 確かにそういうところはあるかと思います。言語が世の中、我々の感じるものをちゃんと表現できないこの時代に、新しい表現が生まれてきている、あるいは表現そのものが進化しようとしているのかなと感じますね。
     
     
    ■消費を人間単位で考えるのは生命に対する"冒涜"?
     
    宇野 もうひとつ、この本の背景にあるのは、「言葉の思考」の背景にある人間観への懐疑だと思うんです。安宅さんは一貫して人間の内面ではなく、人間と人間、あるいは人間とモノ、サービスなどとのつながり、構造に注目していて、そのためには「言葉の思考」ではなく「ビジュアルの思考」が必要だと主張しているのだと僕は解釈しました。言ってみると安宅さんには、内面に異様に高く価値を置くような「近代小説」的な思考とは根本的に異なる否定のものを感じますね。
     
     
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第4位】なぜデザインはマネジメントの武器になるのか――『デザインマネジメント』著者・田子學が語る"市場の作り方" ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-30 11:00  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第4位】なぜデザインはマネジメントの武器になるのか――『デザインマネジメント』著者・田子學が語る"市場の作り方"
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.30 号外
    http://wakusei2nd.com





    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第4位は、デザイナー・田子學さんへのインタビュー記事です!(2014年10月8日配信)
    これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    今まで選んだ記事はどれもネット上で反響があったものなんだけれど、この記事はほとんど話題にならなかったんです(笑)。でもここで田子さんはすごく大事なことを言っていると思っています。
    今は、思想や理念というものはコンテクストを共有できるローカルな共同体の中でしか通じなくて、リツイートの数とかFacebookの「いいね!」数のような断片的な「情報」しか遠くまで届かない。だから何でもゼロかイチかで判断する炎上マーケティング的な言論が強くなってしまう。でもその中で、「モノ」というのは「情報」に分解されずに、豊かな文脈を維持したまま世界の裏側まで届くことができる。
    田子學という人は、こうしたモノの優位というのを背景に「デザイン・ドリブン」のマネジメントやブランド構築を理論建てて実践している人物です。本文中でも出てきますが、彼の手掛けた「osoro」や「nasta」のような製品は「共働きのシンプルライフ」を基軸とした現代的なライフスタイルと、それを支える思想を、それこそ「地球の裏側」まで伝える強い力を持っているんじゃないかと思っています。
    ただ、別の側面から言うと、3Dプリンターの普及が象徴するものづくりの個人化は、オーダーメイドの価格破壊と共に、上で整理したような「モノの優位」を崩していく可能性が高い。だから田子さんが次の局面についてどう考えているかについて、近いうちにまた議論したいな、と思っています。




    ▼プロフィール
    田子學(Manabu Tago)
    MTDO inc.(株式会社エムテド)代表取締役、アートディレクター/デザイナー。東京造形大学II類デザインマネジメント卒。株式会社東芝デザインセンターにて多くの家電、情報機器デザイン開発にたずさわる。同社退社後、株式会社リアル・フリートのデザインマネジメント責任者として従事。その後新たな領域の開拓を試みるべく、2008年株式会社エムテドを立ち上げ、現在にいたる。現在は幅広い産業分野において、コンセプトメイキングからプロダクトアウトまでをトータルでデザイン、ディレクション、マネジメントしている。iF PRODUCT DESIGN AWARD、reddot design award、GOOD DESIGN AWARD、IDEA (International Design Excellence Award)  他受賞多数。日本デザイン振興会(JDP)「グッドデザイン賞」審査委員。慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科: SDM 特任教授。法政大学 デザイン工学部 非常勤講師。東京造形大学 非常勤講師。

     
    ◎聞き手/構成・稲葉ほたて
     
     
    ■なぜ経営にまで入り込んでデザインするのか
     
    宇野 田子さんの『デザインマネジメント』を読ませていただいたのですが、素晴らしい本だと思いました。年末になると、今年のベスト5みたいな依頼が来るのですが、今年はそこに絶対に入れようと思ったくらいに面白かったです。一冊の本として見ても、ビジネス書なのに読まれ方や見せ方を非常に考え抜かれていて、とても良かったです。
    田子 いや、プロの方に言ってただけると、大変にありがたいですね。
     

    ▲田子學『デザインマネジメント』
     
    ――あの本で最も印象的だったのが、OSOROの製作過程でした。おそらく、あのプロダクトが生み出された背景から聞いていくのが、田子さんの思想に最も迫れる気がします。
    田子 なるほど。ただ、キッカケは単純で、ちょうどリアル・フリートを辞める頃に、共著者の橋口寛さんに会ったことです。彼はファンドから呼ばれて、ナルミ復活のテコ入れに主にマネジメントの立場から入っていました。そこで初めてボーンチャイナという素材の説明を受けながら、僕は彼の悩みを聞いていました。
    宇野 僕もこの本で、ああいう高級洋食器の素材をボーンチャイナと呼ぶのを知りました(笑)。
    田子 でも、あの食器が使われるシチュエーションって、ホテルのディナーくらいしかないわけですよ。
    その場でかなり率直に話し合ったのですが、やはり僕らの世代は特に日常生活の中にあの食器を使う場面はないわけです。しかも、ホテルでの食器の買い替え需要なんてあまりないから、ひと通り行き渡ると次が難しい。そこに橋口さんは悩まれていて……まず第一印象は「特殊な世界だな」でした。
    ただ一応、掘り下げて聞いていくと、日本の洋食器業界は世界的に名前も通っていて、それなりに供給されているんですよ。それだけに、そのノスタルジーをずるずる引きずっているように見えて、そこが少し気になりました。
     


    ▲NARUMIの食器
     
    ひとまずその場では、「この技術を食器以外に使う手もあるんじゃないか」と話しました。例えば、京セラだって元々はセラミックの会社だけど、それを工業セラミックに活かして、いまや全く違う会社になっている。そういうふうに焼き物を焼き物のまま終わらせず、別の企業体になっていくブレイクスルーもありじゃないか、と。これまでの経験から可能なブランディングについて話して、その場は橋口さんと別れました。
    その後しばらく音沙汰はなかったのですが、半年ほどたった頃に急に連絡が来て、「社員の前でこの間の話をしてくれ」と言われたんです。どうやらその後、彼は何がデキるかを社内で掘り下げたようで、クリエイティブをどうにかしなければいけないという結論になったそうです。「もしよければ、田子さんにお願いできないか」と言われました。
    ――その後、かなり経営判断に関わるレベルで、このプロジェクトに関わっていきますよね。
    田子 そうです。すぐに契約に入ったのですが、その際に「何かの具体的な障害に対してデザインしてくれというのでは、単発の解決策にしかならない」とハッキリと言いました。
    僕が仕事をするときには、必ず経営判断まで含めてやらせてもらいます。そうでないと軸がブレたまま進む可能性が高いんですよ。「この企業が何を誇りに思う会社なのかというレベルまで、ちゃんと議論を落とし込みましょう」と言って、トップと話ができることを条件に入社しました。
    これについては、向こうも実は望んでいたそうです。僕としても、ファンドがナルミを復活させる構図の中で入れたので、半ば応援団がある状態だったのは助かりました。ナルミの再構築のようなところから着手できました。
     
     
    ■社内デザイナーを製作から外した理由
     
    ――そうして出来上がったのがOSOROですね。生活スタイルに合わせて色々な食器を選べるのですが、どの組み合わせでもデザインに統一感があるのが素敵だなと思いました。しかも、収納性や冷凍・温めへの配慮も行き届いていて、現代の食生活にピッタリだと思います。ここに行き着いたのは、どういう経緯ですか。
    田子 もし僕の目的が商品開発でしかなかったら、OSOROは出来ていなかったでしょうね。というのも、OSOROはナルミの商材の中でも異例なんです。
     
    ▼OSORO

     

    ©NARUMI CORPORATIONこれを作るには、ナルミの工場もそこに働く人間も変えなければいけなくて、つまりは会社を変えなければいけない。だから、とにかく色んな人にインタビューをするために、工場などに出向きました。
    そこで何がナルミの誇りになっているのかを見て、喧嘩とまでは行かないけれども、結構やり合いましたよ。ただ、そうやっていくと、だんだん議論が本質的になるんです。「あなた、会社ではそんなこと言ってるけど、家でボーンチャイナは使ってんの?」というと、実は使っていなかったりする(笑)。
    だったら、「ホテルだっていいけど、身近な場所でどう使えないか掘り下げてみませんか?」という話です。自分たちの誇りに思える部分をしっかり残した商材を作ればいいわけですから。
    最終的には社員とワークショップを開いて、そういう話し合いをやりました。最終的に、彼ら自身が導いたのは「幸せを作る器」という言葉です。とすれば、別に必ずしもボーンチャイナである必要はない。こんなふうに本質へと議論が向かうように導いて、OSOROの構想が固まっていきました。
    ――ブランドの本質を探り当てたわけですね。
    田子 現代のマーケティングって、すぐに細分化を進めてしまうでしょう。でも、本当の解答はもっと別の場所に転がっているんですよ。実際、よくマーケットが細分化されて難しくなったなんて言うけど、それはマーケティングの細分化を推し進めた結果でしかない。本当に何かが欲しくなったら、年齢なんて関係ないですから(笑)。
    一方で悩ましかったのが、インハウスデザイナーと言われる社内デザイナーたちとの距離感です。僕自身も、東芝時代に社外のデザイナーとコラボレーションしたときに、「何で俺たちじゃないんだ」みたいなせめぎあいを見てきたんです。こうして協力することで可能になることもあるのだけど、やはりレガシーな業界ですから……なかなかマインドを変えてもらうのは難しかったです。
    そこで僕は、「僕らに全て任せてくれ」と自らがプロダクトデザインをする意志を伝えました。これが唯一の経営陣への直談判ですね。せっかく社員を含むチームで本質を研ぎ澄ましたのに、ターゲットがどうこう、絵柄がどうこうみたいな従来型の話になって、元に戻されるわけにはいかない。プロジェクトとしては、ここが一番の勝負どころでした。そもそも誰にも突き刺さらないコンセプトになっては、ヒットするしない以前の問題です。
    ――ちょっと面白いなと思うのですが、つまり特定の年齢層や性別を狙うような作りにしないほうがヒットするというお話ですか。これってわりと普通の人が考えるマーケティング理論の真逆を言っているような……。
    田子 そうですよ。だって、僕らは理論値でのマーケティングはしませんから。
     
     
    ■ピラミッドの頂点を狙え宇野 その逆説はすごく重要だと思いますね。というのも、モノの持つ本来の力とは、そういうものだと思うからです。
    僕は消費社会のダイナミズムって、大量生産されるモノに人間の方が合わせて生活や文化を変えていくところにあったと思うんですよ。大量生産品の仕様に人間が合わせることで社会が変化していったわけです。自動車が人間の地理感覚を変えて、電気洗濯機が女性観を変えたように。だからこそ、統治権力はモノのスペックを規制してきた。
    しかし現代は中途半端にマーケティング技術が発達してしまったせいで、ターゲットに想定した人物像に合ったものを提供できるようになった。これが3Dプリンターの時代になるとオーダーメイドの一般化に近いことが起こってくる。そうなるとモノが人間に合わせる時代になるわけです。これはものづくりと市場の発展の成果であることは間違いない。しかし同時に、モノが自分で人間に歩み寄って行き過ぎているような気もして、そのせいでモノの力を失いつつあるようにも思えるんです。
    田子 まさにそうです。やはり、僕が東芝にいたときにも、広告代理店がつくったストーリーに乗っかった商品開発があるんですね。でも、例えばマーケットから出てきた「20%のホットなゾーン」が現在あったとして、それが本当に半年後もあるかは怪しい。しかも、みんなとりあえずそこに向けて投入するから、あっという間にレッドオーシャンですよ。
    ところが、過去をたどってみると、ウォークマンにしてもiPhoneにしても、ヒット商品は常に自分たちで市場を作り上げてきたんですね。
    宇野 あの頃のSONYやAppleは、モノに人間を引き寄せて市場をつくったんですよね。
    田子 先駆者になることが一番大事で、それによってこそブランド価値は上がるんです。
    モノを扱うときに重要なのは、最初に「憧れ」を作ることです。「憧れ」を作れば、自然にそれはブランドの発信力を生むので、あとから人間が追いついてきます。
    どんな時代でも、実は人間の消費行動は、先端ユーザーから末端のユーザーまでがピラミッドを成しています。そのときに現代の人間は、ついついピラミッドの真ん中から下を攻めてしまうんですね。現状を見れば、一番パイが大きいから。でも、本当に狙うべきは、最も数が少ないテッペンのユーザーたちです。「憧れ」は常にピラミッドの上を向いてますから、実は上に飛び込めば、シャワー効果で下におりていきます。
    ――なるほど、スタティックに現状を見ると、下の大きなパイを取るのが有利に見えてしまうけれども、ダイナミックに見れば、むしろ最小のパイであるテッペンに「憧れ」を喚起させるモノを投入するべきである、と。そこから一気に下まで全部取っていくのが正解というお話ですね
    宇野 現在のマーケティングって、いわば「北海道の気候は寒いから、それに適した米を作ろう」といった発想が、情報技術の発達で社会にも適用できるようになったのだと思うんですね。でも、本当は気候のような自然環境と違って、社会のような人工環境なんていくらでも変えていけるわけですよ。しかも、その変化の原動力こそがまさにモノだったりするわけです。そういう当然のことを、どこか忘れてしまっている気がしますね。
    田子 そうなんですよ。例えば、iPhone以前に日本のメーカーは、どこも既にiPhoneと同じようなスレート型のデバイスを模索していました。でも、そのときに必ず議論になっていたのが、「視覚障害者が使えないじゃないか」という話です。彼らはその人口の中で0.2%の盲目者を引き合いに出して、「彼らを犠牲にするのはブランドが崩れる」なんて話していたのだけど、結局どうなったか。iPhoneは人気が爆発した結果として、Siriを出しました。お陰で今や、逆にiPhoneのSiriで盲目者がメールやネットを使えるようになっています。
    これなんて、まさにいまの宇野さんの話そのものだと思います。一度はそういう人たちを切り捨てたとしても、彼らを戻してくるようなことは出来るんですよ。だけど、この国ではどうも議論がそういう方向には行かない。最先端の研究や技術が上手く投入されない背景には、こういう文脈もあります。
    ――ちなみに、「憧れ」を喚起するモノのパワーって、具体的にはどういうものでしょうか。
    田子 いろいろな側面があって一概には言えないですが、やはり「驚き」が出発点だと思いますよ。良いモノは、触れた瞬間になぜか「今までと全然違う!」という驚きが感じられてしまうんです。もうね、言語なんかとは全く別の次元で伝わってきますよね。
    宇野 要は「他者性」の問題で、自分が全く想像しなかったアクションがモノに出会うことではじめて可能になってしまって、そこから欲望が生じてくるんです。iPhoneが登場することで、ケータイでこんなことが出来るんだという欲望がたくさん生まれたようなものでしょう。
    そういう意味では、無印良品なんかは最後の最後でモノの力をどこか信じきれていないところがあるんでしょうね。無印良品のアイテムは僕も大好きでとても気持ちいいけれど、それは無印良品のアイテムが提案している消費社会との距離の取り方が気持ちいいだけで、あのアイテムからあたらしい欲望を教えられることはなかなかない。
    田子 そうそう。無印の良いところって、これまでのモノに存在していた余計な部分をちょっと削いでくれた事だと思います。だからブランドの思考は決して新しいものの提案ではないはず。だから、「これでいい」というのが売り文句に出来たのだと思います。
    そういう意味では、僕らがリアル・フリートを作ったときには「これでいいじゃなくて、これでなくては」という言葉を掲げていました。あくまで裏話ですから、あまり外では言ってないのですが、そのときの「これでいい」とは、実は無印良品を意識していたんです(笑)。
    ライフスタイル系ビジネスはひとくくりに同じと出来る訳ではありません。ですから欲する使用者は全く違うという事を意識させるために作られたワードでした。
     
    ▼リアル・フリートの"amadana"ブランドの携帯電話「N705i」
    ▼同じくamadanaのマルチユースのリモコン「CR-102」©REALFLEET
     
    宇野 なるほど、この本を読んで無印良品を思い出した僕は結構正しかったですね(笑)。
    ちなみに、このメルマガは「ほぼ日刊惑星開発委員会」というのですが、要は糸井重里的なものへのリスペクトと更新への意思を込めたんですよね。
    彼の「ほぼ日刊イトイ新聞」も無印良品も、東京の消費文化が生んだある種の最適解になってはいるけれども、どこか新しいものを生み出す想像力になっていない気がします。僕たちは彼らに敬意を込めつつも、その先に行きたいという思いも込めて、あえてこの名前にしたんですね。
     
     
    ■モノとは新しい言語である
     
    宇野 ところで、僕はこの本における橋口さんの存在は、とても重要だと思いました。
    田子さんはデザイナーとして、デザインの定義を拡張する中で、「デザインとはそもそもマネジメントなのだ」というテーマで書かれていますね。ところが、橋口さんにとっては、「マネジメントにとって、デザインが有効だった」という驚きがあったように思うんです。実際、橋口さんはマネジメントサイドから、デザインがいかに経営において決定的な影響力を持つのかを書いています。僕のようなデザイナーではない人間にとっては、橋口さんの視点こそが一番興味深いポイントなんですよ。
    なぜデザインを中核に据えることで、マネジメントの姿が変わっていくのでしょうか?
    田子 なるほど……それはですね、「モノ」という新しい言語が生まれるからですよ。
    モノは日本語でもなければ英語でもない。しかし、知性さえあれば、誰もが触れることで共通の感覚を得られるような、新しい言語なんです。しかも、その共通項としての体験は驚きを作り出し、理屈を超えた「欲しい」という欲望を生み出し、ついには人間を動かす運動へと変わります。そこに至って、初めてビジネスが成立するんです。
    だから、経営にとってモノは最大の武器ですね。結局、共通項は何かをいくら話し合ったって、所詮は自分の解釈を図や言葉にしているにすぎないんです。それが立体物になると途端に言い訳ができなくなるし、新しい現象がたくさん出てきはじめる。
    もちろん、これはモノの強みであると同時に弱みにもなりかねないところなんですよ。
    でも、そこをいかに万人に共感できるデザインに落としこむかが、僕にとって最も面白いところです。だからこそ、マネジメント側も「デザインこそが自分たちの最も誇りを持てる言語なのだ」と理解する必要があるし、そのクロスオーバーこそを書きたかったんです。
    宇野 なかなか共通言語がつくりだしにくい状況で、モノこそが逆説的に共通言語に近い機能を帯びつつあるという話ですね。
     
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第5位】無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ーー浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-29 11:10  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第5位】無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ――浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.29 号外
    http://wakusei2nd.com



    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第5位は、建築学者・門脇耕三さんとデザイナー・浅子佳英さんによる連続鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾、「無印良品・ユニクロ論」です!(2014年10月14日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント







    この鼎談シリーズ自体はもともと、「ノームコア」(編註:ノーマル+ハードコアという意味の造語。極めてシンプルなファッションのこと)の持つある種の「五体満足主義」に対しての反発から始まった企画です。で、この無印やユニクロの思想を考えた回はスピンオフ的な内容だけれど、結果的にすごく盛り上がった。次回以降は再びデザインの話に戻っていくので、そちらも楽しみにしていてほしいと思っています。
    これから世の中が変わっていくために一番必要なのは、無印良品やユニクロのような「総合的なライフスタイルを提案しているプレイヤー」が、ECサイトのようなところから新たに出てくることではないかと思っています。こういったPB(編註:プライベートブランドのこと。独自のブランドとして企画し、小売も行う無印良品やユニクロのような業態のこと)から消費文化やライフスタイルを考えるというシリーズは別の企画として進めていきたいと思っていて、とりあえずいま僕が考えているのはセブン-イレブンですね。そちらも来年ぜひ楽しみにしていてほしいと思っています。
    ▼関連記事
    ・これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
     
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社 、2013年)ほか。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:中野慧
     
    ファストファッション、IKEAやニトリ、アップル製品など、ゼロ年代以降の私たちの生活に欠かせなくなった様々な「モノ」と「デザイン」について考えた前回の鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」。第2弾となる今回は、鼎談の収録前に、まず実際に門脇・浅子・宇野の3氏で、銀座の街にある様々なお店を廻ることにしました。
    3氏がまず足を運んだのは、世界一巨大な規模を誇るユニクロ銀座店。
     

    ▲銀座の中央通沿いにある、ユニクロ店舗でも世界最大のグローバル旗艦店「ユニクロ 銀座店」。12階建てだそうです。
     

    ▲床から天井まで隙間なく服が並んでいます。
     

    ▲Tシャツフロア。フロア全体に多種多様なデザインのTシャツがひしめいていました。ぶらぶらと見ていたら、浅子さんが当日着ていたスヌーピーTシャツと似たようなデザインのものを発見。「このTシャツけっこう高かったのにw!」(浅子さん)
     

    ▲女性ものの丈長のスウェットシャツが気になるという門脇さん。このあと「XLサイズなら僕でもダボッと着れそう」とのことで、お買い上げになっていました。
     
    ユニクロ銀座店の次に3人は、ユニクロ銀座店と渡り廊下でつながっているお隣のドーバーストリートマーケット(コム・デ・ギャルソンの川久保玲氏がトータルプロデュースするセレクトショップ)へと向かいました。
     

    ▲ドーバーストリートマーケット ギンザ。
     
    渡り廊下を渡るとそこには、ユニクロとはまるで別世界が広がっていました。好対照だったのはお店のレイアウト。通路は広く取りつつも縦にぎっしりと服を並べるユニクロと違い、様々なアイテムがゆったりと店内に配置されていました。
    ドーバーストリートマーケットを出た一行は、「無印良品 有楽町店」へ向かいました。
     

    ▲無印良品有楽町店。ここもかなりの大型店舗です。
     

    ▲無印良品の家。
     
    無印らしいアースカラーの服が並ぶ店内を分け入っていくと、目に入ってきたのはスチールの外壁(「金属系サイディング」というものだそう)の、「家」でしたーー。そう、最近、無印では「無印良品の家」を販売しているとのこと。コンパクトなサイズながら、吹き抜けと、ガラス張り(でも断熱性も高いそうです)による採光のよさもあって、見た目以上にゆったりとした住空間。「暮らしに合わせて間取りが変えられる」とのことです。(出典:「無印良品の家」ホームページ )
    その後、一行はクロムハーツ、ミュウミュウ(MiuMiu)、Aesop(イソップ)、フライターグなどを回ってこの日の街歩きを終えました。
     
     
    ■ユニクロとコム・デ・ギャルソン、何が明暗を分けたのか?宇野 まず簡単に前回のおさらいをすると、今の時代のファッションは、ノームコア(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと。最近のファストファッションの隆盛を受けたトレンドでもある)的なものが優位になっている。そしてその潮流は一部で「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」という五体満足主義的な思想に回収されつつある。それはファッションが本来持っていた「やせっぽちでも太っていても、工夫しだいでカッコよく、気持ちよくなれる」という、文化としての豊かさがやせ細ってしまっているということでもある。こういう現状に対する違和感は共有されていますよね。
    そこに対して例えばデザイナーである浅子さんは、ノームコア的なものを批判して「新しいラグジュアリー」のような価値を提示していくことが必要なのではないかという立場でした。
    また、鼎談のなかで見えてきたのは、ファッションだけでなく、インテリアや建築のような「デザイン」と言われる世界ではどこでも、90年代以降に似たようなことが起こっているのではないか、ということでした。
    今日は第二弾ということで、ファストファッションからデザイナーズブランドまで、銀座のいろいろなお店を実際に回ってきたわけですが、みなさんは改めてどう感じましたか?
    浅子 やっぱりユニクロが今強いのは、面白いデザインの服を揃えているわけではないけれど、カラーバリエーションやちょっとしたデザインの違いの製品を大量に揃えていて、その「多くのものから一つを選ぶ」という体験自体に楽しさがあるからなんだと思いましたね。
    宇野 ショッピングにゲーム的な楽しさがあるということですよね。
    浅子 そうです。銀座店は特に、12階建てなのにもかかわらず、フロアのレイアウトがほとんど同じだったりして、あの感じは僕自身はそんなに好きじゃないんだけど、実際に上から下まで全部見て回ると本当にゲーム空間にいるようで面白かったです。
    門脇 ユニクロの店内のレイアウトは「とにかく下から上まで整然と服を並べる」という思想ですよね。対照的だったのはそのあとに行ったドーバーストリートマーケットで、店内に余白をたくさん取っていました。あれは「アート的に見せる」というテクニックなんだけど、物量としてはユニクロよりも全然少ないですよね。そうすると服の一点一点が高くならざるをえない。置いているモノはカッコいいんだけど、トータルで見るとどうしても元気がないように見えてしまった。
    浅子 僕は立場的にコム・デ・ギャルソンを擁護するしかないんだけど、たしかに銀座店は少しゆったりしすぎているかもしれないですね。ただ、最初にできたロンドンのドーバーストリートマーケットはとてもエキサイティングな空間です。もともとオフィスか何かだった建物に、川久保玲やセットデザイナーなどが介入して百貨店にしてしまっている。たとえばエスカレーターでなく階段で登らないといけなかったりとか、フロアの使い方もわけのわからないことになっていて。
    そもそもドーバーストリートマーケットの面白さって、コム・デ・ギャルソンというブランドが、自分たちの服を売るだけではなく様々なブランドの服を売ったり、アーティストの作品を展示するスペースをつくったり、ある種のプラットフォームとしてお店を構えたところにあると思うんですよ。
    ただ銀座のお店はやっぱり、「ギンザコマツ」という百貨店の建て替えで用意された空間に出店しているから、そういう面白い化学反応が起こらなかったんだと思います。だからそこを責めるのはちょっと気の毒な感じがするんですよね。
    門脇さんは店内のレイアウトのことを指摘されたけど、インテリアのデザイナーとして言うとやっぱり余白というか、そもそも白い壁が良くないと思う。確かに白い壁にするとニュートラルであるかのようにふるまいながらも簡単に綺麗に見せることができるんだけど、それは何も考えていないということの裏返しでもあるんですよね。
    門脇 結局現代アートもそうだけど、白いところにポツーンと何かゴミが置いてあるだけでアートに見えたりするんですよ。それ以外の見せ方を開発できてないのはちょっと残念だった。そういう意味ではユニクロの見せ方のほうが面白かったですよね。
    宇野 ユニクロって、ある時期まではフリースだったり、インナーや寝間着を買うお店というイメージで捉えられていましたよね。で、誰が着てもそこそこ似合うものを、豊富なカラーバリエーションで提供していたのがフリース時代だとすると、今は第2段階、いわばUT(=ユニクロのTシャツ)以降の時代に入っていると思うんですよ。
    UTって色々な企業のロゴだったり、スヌーピーやディズニーなどのキャラクターイラストに、多種多様なカラーバリエーションを掛け合わせるという発想でつくられていますよね。あれってインターネット以降の感覚だと思っていて、要するに統一されたフォーマットに多様なコンテンツを流し込むことで無限にバリエーションを生成できるということだと思うんです。そういう思想が商品ラインナップだったり、レイアウトの方法とも結びついていて、UTという独特のジャンルを生んでいるんじゃないか、と。
    門脇 フォーマットが決まっているからこそ多様な表現が生まれてくる、ということですよね。僕には商品そのものとしてあれが良いのかどうかピンと来ないところがあるけど、でもあれだけのバリエーションがあるなかで選ぶという体験はたしかに楽しかった。さっきもスウェットを買ったけれど、たぶんドーバーストリートマーケットに並んでても買わないんじゃないかな。たくさんのバリエーションが並んでいるなかで気に入ったものを見つけて、買ってしまう。そういう体験を含めて買っている気がしますね。
     
     
    ■「バブルの鬼子」としての無印良品
     
    宇野 これは都市部に限った話かもしれないけど、ユニクロと無印良品ってもうインフラみたいになっているじゃないですか。「あ、この街って駅前にユニクロと無印あるんだ、便利だね」とみんな思ったりする。だからこの2つの企業って、日本の生活文化においては非常に強いと思うんだけど、でも今日見ていて改めて思ったのは、ユニクロはまだ無印を倒せていないということなんですよ。要するに今の無印良品はライフスタイルそのものを提案できているけど、ユニクロはまだそこまで行けていない。
    たとえばユニクロの主力製品であるヒートテックひとつとっても、「冬のファッションで重ね着させない」ということを目標にしたもののはずです。厚着させないということは、つまり「こういう身体が美しい」とか「こういう屋内ライフスタイルが気持ちいい」という提案であるはずで、それを延長していくと僕たちの身体観やライフスタイルの変革へと結びついていくはず。でも、今のユニクロのラインナップからはまだ「新しいライフスタイルの提案」まで読み取ることはできない。アイテム1個1個の持っている快楽やゲーム性に留まっていて、総合的なビジョンがまだないんだなあ、と思ってしまいました。
    一方で無印は、僕の考えでは言わばディフェンディング・チャンピオンだと思うんですよ。あそこに行くと衣食住全部ある――というか、今は家具だけでなく家まで売っているわけですからね。総合的なライフスタイルを提案できているわけです。たとえば僕はあの透明の衣装ケースも使っているし、食べ物にしても僕はMUJIカフェによく行くし、無印カレーも大好きなんですよ。
    そもそも、無印良品のコンセプトって基本的に「アンチバブル」だったわけですよね。80年代の消費社会=バブル的な価値観に対して距離をとりつつ、かといってニューエイジや昔のヒッピーのように消費社会を全面的に批判するわけでもなく、要するに「消費社会に対してはこれぐらいの中距離で付き合いましょう」というライフスタイルを提案している。
    浅子 いや、それもあるけれど、その前にみんな忘れているのは、僕らが子どもの頃の昭和の時代って、ともかくダサイもので溢れていたんですよ。布団がなぜか花柄だったり、家具も変な色に塗られていたり、ほとんどの家庭にはわけのわからないデザインのものがいっぱいあって、子ども心にあれがすごく嫌だったわけですよね。そこに対して無印は、「柄のない布団のほうがいい」というようなニュートラルでフラットでシンプルなデザインを提案し、支持を受けた結果、今やそれがスタンダードにまでなったと。
    宇野 無印だけが、モノだけでなく「こういうライフスタイルがいい」という世界観を提示するに至っているんじゃないかなと思うんです。そしてそれは90年代以降の世界的な潮流ともマッチしていた。たとえば宮台真司さんがよく言っているけど、スローフードが好きな奴って、エアコンの効いた部屋でスターバックスのコーヒーを飲みながら環境問題の本を読んで悩んだふりをしている人なんですよ。要するにスローフードとはグローバル資本主義下におけるアッパーミドル向けの優秀な商品にすぎないわけです。でも、それでいいと思う。だから無印良品は強い。僕も大好きです。あの「素材を大切にした」シリーズのカレーやスープのレトルトパウチは家に常備している。あれは、「レトルトのスローフード」という矛盾するコンセプトが同居しているわけなんですが、そこが素晴らしい。
    門脇 レトルト食品を排除するのではなく、レトルトをいかに美味しくて栄養バランスもいいものにしていくかという発想ですよね。ただ、無印の提案しているライフスタイルって、今ではちょっと古くなってしまっている気もするんです。「家族で郊外に住み、お父さんは電車で都心に通勤する」という昭和的モデルのバージョンアップで、まだその先に突き抜けられていないというか。
    宇野 無印はやはりバブルの落とし子なので、どうしてもそうなってしまうところはありますよね。それに、当初のコンセプトである「アンチバブル」が実はすごく狭いイデオロギーなので、その価値観が押し付けがましいと感じる人も多いと思うんですよ。たとえばこれだけ無印大好きな僕でさえも、ほぼアースカラーオンリーの衣料や、家具類の「柔らかい木目」のゴリ押しはちょっとしんどく感じることがある。
    浅子 正直、僕もそう思っていますよ。
    門脇 無印良品ってすごく哲学がしっかりしていて、「文明は共通化して文化は差異化する」という未来予測を展開しています。つまりグローバル化のなかで「感じのよい暮らしをリーズナブルに」という方向性はぶれずに追求していきつつ、それだとほかの国や地方、あるいは「無印的価値観にドンピシャな世代」以外には展開できないから、地域性や時代性に紐付いた文化で彩っていくということになるんだと思いますが、それだとどうしても既成の価値観を無印的にセレクトすることになってしまうから、まったく新しいものを生み出すことが難しくなってしまう。
    無印も本当は「新しいラグジュアリー」のようなものを追求すべきなんだけど、そもそものコンセプトが「オルタナティブなスタンダード」なので、クリエイションに根拠を与えるものが既にあるものにしかならない。無印のインパクトって確かに大きいし、それがいよいよ浸透してきた勢いも感じますが、次の時代を考えるとそこが弱いところだと思うんですよね。
    浅子 無印のデザインって文化の多様化と言うにはちょっと一本調子すぎますよね。たとえばヤンキーが作るわけのわからないバイクのようなものって、文化の多様化そのものだと思うけれど、そういうデザインのものは絶対に製品ラインナップに入ってこない。だからすごく偽善的な感じがするわけです。これは無印だけでなく、アップルのデザインにも言えることだと思うんですけど。 
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第6位】トランスフォーマー:ロストエイジを生き延びた、日本ものづくりを継ぐ者――デザイナー・大西裕弥インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-29 11:00  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第6位】トランスフォーマー:ロストエイジを生き延びた、日本ものづくりを継ぐ者――デザイナー・大西裕弥インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.28 号外
    http://wakusei2nd.com



    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第6位は、トランスフォーマーのデザイナー・大西裕弥さんへのインタビュー記事です!(2014年9月12日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント

    これは若いライターの池田くんから上がってきた企画です。僕は玩具オタクだけれど「トランスフォーマー」には弱くて、でも実際にこの大西さんというデザイナーと話してみたらすごく盛り上がって、得るものが大きかったように思います。
    トランスフォーマーのデザイナーというのは、要するにはマイケル・ベイ(編註:『アルマゲドン』や、『トランスフォーマー』シリーズの監督)の無茶な要求をいかにこなしていくかという仕事をしていると思う。つまり、「映像の中でならなんでもできる」ということを最大限に活用してくるハリウッド的想像力を、実際に立体物として変形可能なものに落とし込む作業をしていると言い換えられる。
    これって実は、情報テクノロジーの範囲が「画面」の外にはみ出してきている現代を考える上で非常に大きな思想的モチーフなんじゃないかと思います。要するにトランスフォーマーって、変形前や変形が完了した後の「表層」だけではなく、”変形そのもの”の過程が面白く、格好良くないといけない。表層と深層が一体化したものづくりを前提とするのがトランスフォーマーであって、ここには実は、今起こりつつあるものづくりの新しい形が先取的に現れている。このグローバルかつ最先端のものづくりが、葛飾のタカラトミーという昭和の街並みが残る場所で密かに行なわれているということに衝撃を受けたし、記事の反響もとても大きくて、得るものが多かった取材だと思っています。
    それと実はこの取材の後、大西さんが僕の編著『静かなる革命へのブループリント』を読んでくれたらしく、熱い感想を送ってくれたんですね。ご本人の許可を得て、この記事の最後に掲載していますので、そちらもぜひ読んでみてください!




    ▼プロフィール大西裕弥(おおにし・ゆうや)
    1984年生。2011年タカラトミーに入社、海外向けトランスフォーマーの企画と開発を担当。トランスフォーマーデザイナーとして、年間20アイテム以上を手がける。代表作は「ドリフト」「クロスへアーズ」「バンブルビー」。
    ■トランスフォーマーとは?株式会社タカラトミーが発売している玩具ブランド。車のように現実に存在するさまざまなプロダクトがロボットに変形する。2014年で30周年を迎え、累計出荷数は5億個、販売地域は130カ国にも及ぶ大人気玩具。ハリウッドで映画化もされており、第4作目「トランスフォーマー/ロストエイジ」が絶賛公開中。

    http://tf.takaratomy.co.jp/toy/
     
    ◎司会・構成:池田明季哉
     
     
    ■トランスフォーマーデザイナーという職業
     
    ――今日は大西さんに、トランスフォーマーとものづくりの美学について伺いたいと思って参りました。トランスフォーマーは世界中に展開されていて、今や知らない人がいないほどの存在感があるブランドです。これほどまでに世界に受け入れられているおもちゃが日本のデザイナーによって作られているということは、これからの文化やものづくりを考える上で、重大な意味を持っているのではないか、と考えています。
    ですので今日は、トランスフォーマーというプロダクトの何がこれほどまでに世界中の人を惹きつけるのかを伺っていきたいと思っています。大西さんは近年トランスフォーマーのデザインを手がけているということなのですが、どういった部分を担当されているのでしょうか。
    大西 僕は企画からデザイン、開発、そして金型のシミュレーション、さらには試作品をチェックして、生産に回すところまでを一貫してやっていますね。
    ――なるほど、それは要するにほとんど全てのプロセスに関わっているということですよね。おもちゃのデザイナーって「おもちゃの外見を絵に描いて決める」という部分だけを担当することがほとんどだと思います。デザイナーが企画から金型のシミュレーションまでしているのというのは珍しいですよね。
    大西 普通、変形機構を除いた表層的なデザインなどに関しては外部に依頼したりもするのですが、僕は全部自分でやっています。僕を含めた8人ほどのチームで年間120体程度のトランスフォーマーの開発を行っているのですが、全員で制作プロセスのほとんど全般にわたって踏み込んで関わっていますね。
    ――トランスフォーマーって、ものすごく高度なプロダクトですよね。例えば車のトランスフォーマーだったら、実車のデザインがあって、それと全く異なる形状の人型のデザインがあって、それを繋げて実際に変形できるようにしないといけない。どのようにして実現されているのかずっと不思議だったのですが、デザイナーが全体のプロセスに関わっているからできるということだったんですね。
     
     
    ■車をいかにして解剖するか
     
    ――実は僕、20年来のトランスフォーマーファンで、今日も私物のトランスフォーマーを持ってきているんです……。
     

     
    これ、大西さんがデザインされたトランスフォーマー、「ドリフト」です! 世界で最も高級と言われるスーパーカー「ブガッティ・ヴェイロン」が、サムライをモチーフにしたロボットになめらかに変形します。個人的にはトランスフォーマー史に残る傑作だと思っています(笑)。
     

     
    なぜかというと、このフロントグリルが車とロボットで共通なんですね。非常に細かい話のようですが、ここが重要だと思うんです。映画のデザインに忠実にするのであれば、車のグリル部はダミーと割り切って、ロボットのグリル部を専用のパーツにした方がいいはずだし、構造上はそれが可能です。にも関わらず、敢えてダミーパーツを使わず、共有のパーツを使っている。僕はこのことにすごく驚いて、これを作ったデザイナーさんは絶対に、確固たる美学と思想に基づいてデザインをされていると思ったんですね。
     

    ▲ドリフトの変形プロセス。複雑に見えるが、手に取ると意外にも直感的でわかりやすい。車のフロントグリルがそのままロボットの胸部になっているのがわかる。
     
    大西 こんなマニアックな取材は初めてですよ(笑)。ありがとうございます。
    宇野 ちょっと僕のほうから聞いてみたいのは、例えば二次元で変形を考えるのと、実際に三次元にしたときにかっこよく変形させるのでは、使う脳がぜんぜん違う気がするんです。「この車をロボットに変形させるときには、このパーツをどこに配置しよう?」というようなことから考えていくんでしょうか。
    大西 最近は映画のトランスフォーマーのデザインをすることが多いのですが、映画の変形シークエンスは全てCGで作られていて全く再現が不可能なので、そこはほぼ無視しています。
     

    ▲劇場最新作「トランスフォーマー・ロストエイジ」の変形プロセスを含む予告編。15秒あたり、55秒あたりがわかりやすい。
     
    その上で、元々の素材の象徴的なパーツを中心に変形を考えていきますね。例えばこのドリフトであれば、このフロントグリルのパーツが象徴的だったので、この部分を胸のパーツにしてやろう、というところからデザインをスタートしていきました。
    実車も参考にしたいところなのですが、ブガッティ・ヴェイロンは2億円以上するのでさすがに無理でしたね(笑)。でも仮に実車が見られなくても、海外のおもちゃメーカーでライセンスを取って実車に忠実につくっている模型は必ず買って参考にしています。モチーフが動物であれば動物園に行ったりもしますし、元の素材をしっかりと観察するということは大切ですね。
    宇野 なるほど、解剖学的なところがあるわけですよね。車を本来の構造とは別の方法でこんなにバラバラにしている人って、世界中でトランスフォーマーのデザイナーしかいないかもしれないですね。
     

    ▲大西さんの開発画稿。車に分割線が引かれている。
     
     
    ■ダミーパーツを使わないということ――機能と表層を一致させる美学
     
    大西 最初にトランスフォーマーに関わったときは僕も「一体どうやるんだ!?」と思いましたね(笑)。
    配属されて最初に作ったのが、飛行機から変形するこの「スタースクリーム」です。非常に苦労したのですが、一週間で全部考えてやりました。
     

    ▲「スタースクリーム」。基地遊びを中心にした「メトロマスター」というカテゴリの小型商品。
     
    考えてみれば、この作品からドリフトまで、ダミーパーツを極力使わないという点は僕がデザインをやる上で一貫しているかもしれないですね。スタースクリームは、ロボットに変形したときに胸部に飛行機の機首が来ているという特徴的なデザインのキャラクターなんです。本当は、機首を後ろに倒してしまって、飛行機のときは見えないロボットの胸部に最初からダミーの機首をつけておいた方がデザインをする上では楽なんです。でもどうしてもダミーパーツを使いたくなくて、この小さいサイズでもちゃんと本来の機首が胸に来るようにこだわりました。
     

    ▲こだわりの機首の変形。
     
    ――大西さんがダミーパーツを極力排そうとしているのはなぜなのでしょうか。
    大西 近年のトランスフォーマーは、デザインも変形プロセスも複雑化してしまったために、ダミーパーツを多用せざるを得ない時期がありました。ですが、そもそもトランスフォーマーは工業製品ではなくあくまでおもちゃなので、「子どもたちに遊んでもらいやすい」ということが重要なはずだと思ったんです。
    例えば同じ車でも、どういったプロセスでロボットになるかは一体一体違う。「どう変形させればロボットになるのか」というヒントがあるからこそ、子どもたちは想像力を働かせることができます。ロボットの完成形を見たときに印象的な部分をダミーパーツにしてしまうと、そういった想像力を働かせる回路が機能しなくなってしまう。それではおもちゃとして面白くないんじゃないかと思ったんです。
    宇野 ダミーパーツを使うというのは、変形前と変形後が両方かっこよければそれでいい、という思想ですよね。変形はあくまで手段でしかない。ひとつのアイテムでふたつの形が楽しめればそれでいい、という考え方です。でも本来のトランスフォーマーというのは、変形することそれ自体が目的だという美学があるので、本当ならダミーパーツはないほうがいいわけですよね。
     
     
    ■「プロダクトとしての『モノ』そのものの使いやすさを追求したい」(大西さん)
     
    ――ファンの目線から言うと、トランスフォーマーはハリウッド映画になったときに、ひとつ大きな転機があったと思うんです。2007年にマイケル・ベイ監督の映画が公開されたとき、実際に走っている車がロボットに変形する衝撃的な映像が全世界に発信された。でもその表現は、いわゆる二次元の嘘というか、超絶CGであり得ない場所からパーツがニョキニョキ生えてくるものだった。にも関わらず、全世界の観客はそこにリアリティを感じて熱狂したんです。それがなぜかと言えば、ひとつの連続したプロセスで無理なく車からロボットになるという独自の美学を持った、手に取れるおもちゃがあったからですよね。
    大西 トランスフォーマーの美学というのももちろんなのですが、これはプロダクトのデザイナーとしてのこだわりでもあるんです。僕は「もの」そのものが使いやすい、快適であるということをすごく大切にしています。例えばこれは、まだ発売前の商品なのですが……。
    ――こ、これは「ブレインストーム」ですね!
     

    ▲「ブレインストーム」。アメリカでは2014年末、日本では来年初頭発売予定。
     
    大西 はい。これは小さなロボットが大きなロボットの頭部になって合体する「ヘッドマスター」というカテゴリの商品です。80年代にあったおもちゃを、現代の技術でリメイクしたものですね。これはプロダクトデザインの要素をたくさん詰め込んでいます。 
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第7位】ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-28 11:10  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第7位】ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.28 号外
    http://wakusei2nd.com



    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第7位は、國分功一郎さん・濱野智史さんの対談企画「常磐線から考える」です!(2014年9月16日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    この記事の取材のとき、僕はテレビの収録で同行できなかったんだけれど、合間に國分さんや濱野のツイッターを眺めていたらとても楽しそうで、すごく嫉妬した記憶があるんですね。
    東京の西側とはまた違う文脈で形成されてきた、「東側」のベッドタウンとしての常磐線エリアには、戦後の中流文化とはまた違った意味での豊かさと貧しさが同居しているはず。前者を伸ばして後者に立ち向かうことが、これからの社会を考える上で大事なことになってくる。2020年の東京オリンピックを前にして、日本人の意識は、被災地を中心にした「衰退する地方」と、ますます人もお金も集中する都市部へと引き裂かれていっている。そのどちらを考えるときにも、「中間的な存在」である常磐線エリアの街について考えることが大きな手がかりになるのではないかということを、この原稿を読んでずっと考えていたりします。



    Twitter上での熱いやりとりをきっかけに、7月のとある休日を使って行なわれたこの対談企画。濱野さんの生まれ故郷である新松戸を出発点に、途中PLANETSのエグゼクティブ・サポーターである「モウリス」の助力と提案で、つくばエクスプレスの駅周辺にあるショッピングモールを訪問し、最後に國分さんの故郷である柏を巡りました。
    二人の思想家の「ジモト」を巡りながら見えてきた、「新しい郊外論」のためのマスタープラン(基本計画)とは――? 本日の「ほぼ惑」では、ダイジェスト版のレポートをお届けします。対談の全容は、何らかのかたちで全文公開を予定しています。今回の「ほぼ惑」ではその「新しい郊外論」のイントロダクションをお見せします!
     
    ▼プロフィール
    國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
    1974年生まれ。柏出身の哲学者。高崎経済大学経済学部准教授。専門は17世紀のヨーロッパ哲学、現代フランス哲学。また、哲学、倫理学を道具に「現代社会をどう生きるか」を「楽しく真剣に」思考する。著書に『暇と退屈の倫理学』(朝日出版)、PLANETSメルマガでの人気コーナーを書籍化した『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)、自らが積極的に関わった小平市の住民運動について書かれた『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)などがある。今回の「柏論」は國分さんたっての希望で実現することになった。
     
    濱野智史(はまの・さとし)
    1980年生まれ。新松戸出身の情報環境研究者/アイドルプロデューサー。慶應義塾大学大学院政策•メディア研究科修士課程修了後、2005年より国際大学GLOCOM研究員。2006年より株式会社日本技芸リサーチャー。2011年から千葉商科大学商経学部非常勤講師。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)など。2014年より、新生アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手掛ける。
     
    ◎構成:立石浩史、中野慧
     
     
    ■新松戸〜流山を歩く
     
    7月12日、午後過ぎ。前日までの台風の影響が心配されましたが、この日は予想を覆す快晴となりました。暑すぎるくらいの天気の中、JR常磐線の新松戸駅前に集合。
     

    ▲駅の東側は住宅や畑が広がり、のんびりとした雰囲気です。
     

    ▲新松戸駅前にて。この日、國分さんはツイキャスで実況しながらの収録でした。
     
    國分さん、濱野さん、P編集部2人の4人でまずは濱野さんの生まれ故郷である新松戸を歩きます。國分さん曰く『暇と退屈の倫理学』の延長線上の仕事であるとのこと。
     
     
    ■今一度、郊外論を問いなおす
     
    國分 この20年くらい「郊外」が注目を浴び続けていますよね。僕は柏生まれ柏育ちなんですけど、柏はこの郊外というものの純粋形態ではないかと思っているんです。今日はその直観を、実際に濱野さんと街を歩きながら検証してみたい。
     論壇では2000年代半ばから「ファスト風土」という言い回しが流行しました。けれども僕は、「今さら何を言っているんだ」という気持ちでした。「遅いよ」と。僕は自分が幼い頃から「ファスト風土」で生活してきて、そのことについてとても苦しいという感覚があった。ですから、その感覚に気づいてそれを理解しようとするひとがこれまでいなかったことに端的に驚いたのです。論壇なるものはなんと鈍感なのかと思った。
     僕が感じていた苦しさというのは、幼い時の感覚であることもあってなかなか描写しづらいんですけれど、歴史の欠如と関係しているように思います。歴史の無い土地、荒野に、家だけが建てられて人が住んでいるというイメージですね。
     都内に通勤しているサラリーマンの家庭であれば、親と子どもは週末以外顔を合わせない。土地にある歴史やコミュニティと人間が切り離されて、アトム化されて生きている場所――今からあの時の感覚を言葉にしてみるとそのように言えるかと思います。
     90年代より積極的に郊外に言及されている論客に宮台真司さんがいらっしゃいます。以前、宮台さんとお話ししたときに出身地を聞かれたんです、「國分さんは小平の出身なんですか?」って。「いえいえ、今住んでいる小平ではなく、柏ですよ」と答えたら、「あんまりいいイメージがないな」とおっしゃっていた。その時、なんとなく「なるほど」って感覚があったんです。現代の新しい空虚を生きる若者についてずっと考えてこられた宮台さんが「なんとかしなければならない」と思われている街の典型が柏なのかも知れない、と。
    濱野 テレクラが駅前にあって、援交が盛んで……というイメージですね。しかし、何故かはわからないですけど(笑)、國分さんが郊外出身というイメージがなかったんですよ。PLANETSの人生相談連載を読んでいると、失礼ですが地方の強固なコミュニティがあるところで育った方なのではないかと思っていました。だから柏出身と聞いたとき意外だったんですよ。
    國分 そうなんだね。僕がそのような印象を与えるのはなぜだかよく分からないけど、『暇倫』で扱った問題、たとえば、消費社会の問題とか、何をしていいか分からないアイデンティティの不安の問題については、自分が柏のようなところで生まれ育ったからこそ敏感でいられたんじゃないかと思っているんだ。
     街とそこに住む人とのアイデンティティについて考えたいというのが今回の課題です。その時に重要なのは、もともと荒野だったところに家を建てたようなイメージで捉えられる郊外にも、当然ながら歴史があるってこと。つまり「郊外」というレッテル貼りによって、町の歴史の地層を見えにくくしていることがある。これをはじめに言っておきたい。
     そういう「見えにくくなっている歴史」の話を出すと、どうしても「ふるさとのよさを再発見する」的なノスタルジックなものになってしまいがちなんだけど、そうじゃない方法で街の歴史にアクセスできないか。それが僕自身の課題なんですね。
     もう僕は柏には住んでいないけれど、そのアクセス方法についての考えを作って、自分の気持ちに対する決着をつけたい。要するに……僕は柏があまり好きじゃないんです。生まれ故郷だから愛着はあるんだけど、同時に強い違和感も持っている。そんなことを考えているときに濱野さんがお隣の新松戸出身であり、かつニュータウンの問題を真剣に考えていることを知りました。それで今回の企画にお誘いしたんですよ。
    濱野 この企画に誘ってもらったきっかけは僕が藻谷浩介さんの『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)のブックレビューをネット上に書いたことですよね。僕も以前は國分さんと同じように、生まれ育ったニュータウンを空虚な場所だと思ってきました。新松戸で生まれ、小学校高学年からは千葉ニュータウンと「郊外から郊外」へと移り住みました。
     当時は生き辛いとまでは思っていませんでしたが、確かにこの場所で生きている人間はアトム化されるしかないというか、國分さんがおっしゃるように自分の住んでいる町には歴史もなければコミュニティもないと思っていました。松戸と柏という町は兄弟という感じがしていて、國分さんとは同じバックグラウンドだと思います。
     
     
    ■かつて疎外的だった郊外は、意外といい町になっている!?
     
    國分 柏と松戸は、地理的にも千葉県の北部で隣接しているし、東京に通勤する人が多いという点でも似ている。でも、濱野さんと新松戸を歩きながら違いも見えてきたね。たとえば道路の作り方が全然違う。新松戸の豊かな街路樹のある道には落ち着きを感じる。こういう道は柏にはあまりないと思います。
     当然だけど、柏より松戸の方が東京に近いので開発が早い。駅前に関して言うと、松戸はうまく開発できなかった。柏はゆっくり開発できたからダブルデッキなどを作れて割とうまくいった。けれども道路に関して言うと、落ち着いた街路樹のある松戸の道路のようなものはうまく作れていない。松戸には、全国的に有名な桜の通りもありますよね。
     

    ▲新松戸の「けやき通り」の入り口。
     
    ▲並木道が整備されています。
     
    濱野 僕が子どもの頃の80年代〜90年代にかけては、あんなに木が立派では無かったと記憶しています。20年かけて木が育ったのではないでしょうか? 『しなやかな日本列島のつくりかた』の書評にも書いたのですが、欧米などでは、街路樹が育ち景観がよくなり町が成熟すると、地価が下がらないらしいんですね。詳細を調べてみる必要はありますけれども。今日訪れた新松戸なんかは地価は下がっているでしょうけど、街路樹が育って、いい雰囲気の街になっていますよね。
    國分 僕はこの景観を見て、なんとも言えない町の成熟を感じました。新松戸は予想以上にいいところでビックリ。
    濱野 もう少しサバサバした「郊外」というイメージだったんですが、僕もいい意味で予想を裏切られました。
    國分 新松戸を歩いてみて一番面白かったのは濱野さんの新松戸のイメージが変わったということだな(笑)。
    濱野 「郊外」と言うとどうしても「疎外されている」という感覚を生みやすい。僕もこれまでの論客のように「疎外されたものへのひねくれた愛着」みたいなものを持っています(笑)。今日は「相変わらずサバサバしてんな〜」とか言って懐かしむのかと思いきや、ほぼ20年ぶりに訪れてみると町が成熟していて驚きでした。「新松戸は意外にいい町じゃん! 俺、ずっとここ住んでりゃよかったじゃん!」と逆に「疎外」されましたね(笑)。
     町のビルがほとんど増えていないのも面白いと思いますね。新松戸って、開発時に家もマンションも区画を余らせずに作っちゃったので、今は街の流動性が下がっているんじゃないでしょうか。駅前の風景もあまり変わっていない。逆に言うとこれから再開発してもいいぐらいの、ある種穏やかすぎるぐらいの景観だと思います。
     

    ▲新松戸駅前の風景。奥には流鉄流山線の幸谷駅付近の踏切。赤いビルはかなり古そう。
     
     
    ■鉄道が変える町の歴史駅周辺をしばらく歩いてから、2人は常磐線と並行して走る「流鉄流山線」(単線鉄道)にもぶらりと乗車しました。流山線の幸谷駅は、常磐線の新松戸駅に隣接しています。
    ▲流鉄流山線の車両。
     

    ▲流山線の路線図。幸谷駅とJR常磐線の新松戸駅はすぐそば。國分 さきほど流山線に乗りましたが、二人とも乗るのは初めてだったね。新松戸から北部の方に行って戻って来ましたけど、途中の風景は、農村風景→ニュータウン→農村風景→ニュータウンのようになっているんですね。つまり流山は、新しいマンションやキレイな家が最近どんどん建設されている一方で、昔は柏や松戸よりも栄えていた土地なので、古い大きな農家なんかも残っている。それが交互に現れる。
     それにしても、新松戸(幸谷駅)からちょっと電車に乗っただけで、大きな農家があるような場所に行けるというのは、大きな発見だったね。
    濱野 この辺りは流山電鉄のロジックで町が作られていないんですね。普通は電車が通ると、町が付帯されてできあがるんですが、全くそういう感じではない。
    國分 100年前に敷かれた電車だからね。それにしても歴史的に見ればこの辺りの町は栄枯盛衰がすごいよね。
     流山は明治のはじめあたりはとても栄えた街だった。少し離れてるけど鰭ヶ崎(ひれがさき)なんかもそうですね。でも、常磐線の建設計画が出てきた時、流山や鰭ヶ崎はそれに反対したんですね。蒸気機関車からはき出される火の粉で火災が発生するのを恐れてのことだったらしいです。当時はかやぶき屋根だからそういう気持ちがでるのも当然かもしれない。
     でも、柏はそれを受け入れたんですね。僕は松戸の方はよく知らないんだけど、実際、常磐線は松戸や柏の地域を通っている。その後、常磐線の沿線は発展を続けるわけだけれど、鉄道を拒んだ地域は発展から取り残されてしまった。
     ところが最近は逆に、つくばエクスプレスが通ったことによって流山が活気づいている。マンションもバンバン建って、盛り上がっているね。つまり流山というのは明治以来、鉄道の敷設に関連する形で町が変動してきた。
     

    ▲流鉄流山線の車窓からの風景。新興の住宅も目立ちます。
     

    ▲流鉄流山駅にて。駅の改札では駅員が切符を切っており、ICカード式の改札はおろか、磁気乗車券の自動改札機も導入されていませんでした!ちなみに駅奥の森林は駅員さん曰く空き地とのこと。ほんの近くに流山市役所がある「旧」市街地です。
     
     
    ■郊外は使い捨て?
     
    濱野 僕の郊外のイメージは「使い捨て」なんですよ。僕は家族で、手狭だった新松戸のマンションから千葉ニュータウンの一軒家に90年ごろに引っ越したんですけど、引っ越したときは空き地だらけで、コンビニもろくにありませんでした。「この町は明らかに失敗だ。マイホームなんていらねえよ!」と思ったんですよね。僕は千葉ニュータウンの都市計画は失敗していると思いますが、その理由は、当時人口が20万人ほどに増えていないといけないのに全然達しておらず、そこに電車を引いてしまたったことにあると思っています。
     僕はその後中学受験して都内の学校に2時間かけて通っていたから、青春時代は千葉ニュータウンにほとんどいませんでした。だから何の思い入れもないんですよ。大人になってからも4回しか帰省していない。なぜなら帰りたくないから。何もないし、遠いし、親もうるさいから(笑)。
    國分 少年時代の濱野さんはそういう思いだったんだ。俺も「何かおかしい」って感覚があったな。人間のそういう感覚は大事なんだと思う。でも、やはり新松戸の街路樹は象徴的だよ。「町というものがこうやって育っていくんだ」といういい感じがした。
    濱野 樹って、植えてみるもんなんですね。他にも、駅から歩いて数分のところに流通経済大のビルができたりしていましたね。大学ができることで町はまた成熟するものだと思います。反面、新松戸は子どもの数が劇的に減っている印象を受けました。象徴的だったのが、住んでいたマンションの近くに妹が生まれた産婦人科があったのですが、その医院が看板を取り外していたことです。
     つまり、産婦人科の病院がマンションの側からひとつ無くなることが意味していることですよね。これまたマンションのすぐ近くの「新松戸中央公園」で遊ぶ子どもの数が、土曜の昼下がりという時間帯にも関わらず、昔と比べて少なかったことも印象的でした。
     

    ▲流通経済大学・新松戸キャンパス。
     

    ▲左手前の屋上のある白い建物が濱野さんの妹さんが生まれた元・産婦人科の病院。濱野さんが住んでいたマンションの10階から望む風景です。
     

    ▲新松戸中央公園。広大な運動場ではスポーツチームの子供たちがクラブ活動のスポーツに興じていました。でも、子どもの数はまばら。
     
     
    ■幼少期のアーキテクチャが情報環境研究者・濱野智史を生成した濱野 今日10何年ぶりに新松戸に来てみて、郊外は意外と残っているものだなと感じました。逆に千葉ニュータウンのような町が今後どうなっていくのかにも興味があります。アメリカ風の車社会に最適化していくのだと思いますけど。 それにしても人間というものは環境ひとつでこんなにもどうにもこうにもなってしまうものなのかと。僕はもともとアーキテクチャが人に与える影響を社会学的に研究してきたわけですけれども、そういうことを研究するようになったのには、自分の出自や生育環境が多いに関係していると思います。僕は新松戸ではマンションの10階に住んでいて、4、5歳までエレベーターの10階のボタンを押せなかったんですね。だから家から下の階へは行けずに、上の階に住んでいた一つ年上のお兄さんの家に遊びに行ってファミコンをして、「ゲームすげえ!」と衝撃を受けたりしていました。「ブランコよりこっちだ!」みたいな感じで(笑)。
     そこでの生活環境がこうして今の研究につながっていたりするわけです。単に10階に住んでいただけなんですけどね。環境が僕の幼少期の行動を決め、ゲームの環境が人をハマらせ……とか、先ほどの「郊外で生まれ育つと人間が疎外されていく」という話も、環境があっさり人間を作ってしまう典型例だと思います。
    國分 街を考える上では、当然のことながらアーキテクチャの視点が重要になってくるということだよね。 
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第8位】都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-28 11:00  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第8位】都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.28 号外
    http://wakusei2nd.com




    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第8位は、「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズへの取材記事です!(2014年10月28日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    僕はネット以外で買い物をするときは新宿に行くことが多い人間です。で、たとえば新宿伊勢丹のメンズ館が前提としている「都市の大人の男のライフスタイル」より、東南口のオッシュマンズが提示している都市生活の方が圧倒的に気持ちよく格好いいものに見える。そういう感覚を言語化しようということを最近ずっと考えていて、「だったらとりあえず取材してみよう」と思って行ってきたのがこの記事です。
    取材に行ってみてわかったのは、予想以上に売り場の人たちにも僕と同じような風景が見えているということ。いま日本の都市部に立ち上がっている、エクササイズやスポーツを取り込んだホワイトカラーのライフスタイルって、グローバルなクリエイティブ・クラスのライフスタイルと似ているようでどこか違っていて、日本の、東京の独特の文脈を帯びている。そういう「ポスト戦後」の日本のホワイトカラーのライフスタイルに、言葉によって輪郭を与えていく仕事を、来年は追求したいと思っています。
    1985年に日本に登場して以来、都市生活者のスポーツライフを支えてきた「オッシュマンズ」。以後30年に渡り、ランニングやヨガ、サーフィン、トレッキングなど、あらゆるスポーツブームのニーズに応えてきたセレクトショップです。85年の原宿店を皮切りに、町田、新宿、吉祥寺、千葉、池袋、二子玉川、そして最近ではアウトレットの軽井沢と、少しずつ店舗を拡大しています。
     
    今回、宇野常寛とPLANETS編集部はこのオッシュマンズ発祥の地である原宿店を訪問。同店の魅力と歴史に加え、スポーツを取り込んだこれからのライフスタイルについて、株式会社オッシュマンズ・ジャパン営業計画・販売促進担当マネージャーの角田浩紀さんにお話を伺ってきました。
     
    ◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
     

    ▲オッシュマンズ原宿店
     
     
    ■西海岸とNYのライフスタイルが合流して生まれた、東京独特のアウトドアウェア文化
     
    ――原宿にたくさんある他のお店と比べると、オッシュマンズさんの立ち位置って独特だと思うんです。ファッションとして考えると、例えば原宿界隈にあるセレクトショップやデザイナーズブランドとは明らかに系統が違う。かといって、たとえばB&Dなどのような、機能性を重視したスポーツ店というわけでもない。そこで、まずはお店づくりのコンセプトについてお伺いしたいのですが。
     

    ▲オッシュマンズ・ジャパン営業計画・販売促進担当マネージャーの角田浩紀さん
     
    角田 オッシュマンズは元々、1932年にアメリカ・テキサス州のヒューストンで生活雑貨店としてスタートしました。その後、経済成長とともに人々の間に芽生えた「スポーツを取り入れた快適なライフスタイル」へのニーズに応える形で、スポーツショップへと進化していきます。
     
    オッシュマンズが日本に進出したのは1985年で、株式会社イトーヨーカドー(現:セブン&アイホールディングス)と業務提携した当初から「アメリカ生まれのスポーツショップ」というコンセプトが前提としてありました。ここでいうスポーツというのは、ランニングやサーフィン、トレーニング・フィットネスなどの生活に組み込めるスポーツのことですね。
    日本では90年代にアメカジブームが起きたこともあり、“アメリカのショップにありそうなもの”というのは重要な基準だったんです。2000年代半ばからは視野を広げて、カナダやヨーロッパのメーカーも幅広く扱うようになり、アメリカだけにこだわらなくなりました。しかし今でも、アメリカのカルチャーを発信するという部分は根強く残っていますね。
    ――ここでいう“アメリカのカルチャー”って、具体的にはどういうものなんですか? 発祥の地のヒューストンがあるアメリカ南部の文化ともだいぶ違うように思うのですが。かといって、サンフランシスコやポートランドのような西海岸の文化とも少し違うような気がします。
    角田 意識しているのは、アメリカの「西と東の文化」ですね。西はワシントン州からカリフォルニアまでのいわゆる“西海岸沿い”、東はニューヨーク。特にニューヨークは東京と似ているんです。オフィス街があって生活意識が高い人たちが住んでいて、公園はランナーで溢れかえっていて、ヨガをやっている人もすごく多い。西海岸では上半身裸でランニングをしている人も多いので、ランナーのスタイルもニューヨークのほうが日本にはなじみ深い。この、都市とスポーツが融合したニューヨークのライフスタイルと、いわゆるアメリカを象徴するような西海岸のサーフィン文化やアウトドア文化、大きく分けてこの二つのカルチャーを取り込んでいます。
     

    ▲店内にはアウトドアグッズがいっぱい。
     
    ――なるほど。つまりここ東京で、アメリカの西と東、両方の文化とスタイルを融合させた、独特な流れが作られてきているということなんでしょうか?
    角田 バイヤーも、東海岸に買い付けにいくときはニューヨーク経由で行くことが多いので、ニューヨークのランナーが集まる公園だったり、付近のランニングショップの様子はチェックしています。ニューヨークはランニングの文化が非常に盛んですから、定点観測の場所として非常に重要ですね。
    ちなみに当店では最近、ナイトラン向けのマナーグッズを展開しているんです。なぜかというと、東京のランナーは社会人の方が多いので、夜遅くに走る人が多いからです。そのため、安全面やドライバーへの配慮として、反射板や光るものをつけるのもひとつのマナーなんじゃないか、という提案ですね。例えばこの「POWER Stepz」はシューズの紐部分に装着すると、ランニング中に足が地面に着地するたび、光るようになっているんですよ。こういった商品をアメリカから直輸入しているんです。
     

    ▲「ナイトラン」向けのグッズコーナー。
     

    ▲「POWER Stepz」。叩いて衝撃を与える(=ランニング中に靴が地面に着地する)とそのたびごとに光ります。
     
    ――シューズと合わせて紹介することで、マナーを啓蒙していくんですね。
    角田 ヨガコーナーでも、ウエアやグッズを販売するだけでなく、ヨガがどのようなものなのかを知って頂くために、開店前に先生を呼んで朝ヨガ教室を行うなどしています。また、「いつでも・どこでも・だれでも」をキーワードに無料のヨガアプリも作成して、気軽にヨガが行える環境も提供しています。今後はヨガグッズから派生する、オーガニック食品やスムージーを作るミキサー、アロマなど、ヨガから広がる生活様式の提案も視野に入れていますね。
     

    ▲「朝ヨガ」の様子
     
    ――ヨガを取り入れたライフスタイルの提案、ということですね。
    角田 そうですね。“スポーツショップで展開している”という説得力を活かせればいいなと。例えばこの「Backjoy」という腰カバーも非常によく売れているんですよ。オフィスなどで椅子とおしりの間に敷くことで、骨盤と背骨が自然な状態で座れるようにしてくれるんです。
     

     ▲「Backjoy」
     
    ―― 一見スポーツと関係なさそうですが、確かに“スポーツショップに置いてある腰カバー”ってすごく効き目がありそうな感じがします。先ほどもお話されていますが、確かにいずれも生活のなかに取り込まれたスポーツや、その延長線上にあるライフスタイルを提案しているという印象を受けました。 
     
     
    ■ヨガブーム、ランニングブームはどのようにして起こっていったのか
     
    ――長年このお仕事をされている角田さんからは、これらのライフスタイル型のスポーツのブームやトレンドがどう移り変わってきたように見えているんでしょうか?
    角田 一号店である原宿店がオープンした1980年代中頃は、ちょうどアメリカで起きたフィットネスブームが日本にも到来していたころでした。当時はエアロビクスと呼ばれていて、原宿にはスタジオや専門店がたくさんあったんです。このころ、爆発的に売れたのがReebokのフィットネスシューズ「フリースタイル」ですね。もともとエアロビをする人たちから支持されて、ファッションとしても人気に火がついた。で、90年代になるとサーフィンブームが到来する。男性はショートのサーフボード、女性はボディーボードで海に入るようになった。このころは「QUIKSILVER」というサーフブランドから登場した女性向けの「ROXY」が大人気でした。茶髪のロングヘアをくくって、シープスキンのブーツを合わせるのが流行っていましたね。
    ヨガブームが始まったのは2000年代前半ですね。フィットネスブームのときの「体づくり」の延長として始めた人が多かったんじゃないでしょうか。一時は爆発的ブームになって、ナイキのヨガマットが飛ぶように売れた時期が2000年代半ばです。それまではヨガをやるスタジオもそれほど多くなかったですし、ウェアやマットがどこでも売っているわけではなかったので、すごく売れましたね。今はネット通販はもとより、ファストファッションのお店や、ホームセンターでもヨガグッズが売っていますので、ブームというよりは完全に定着していますね。
    さきほどお話しした「朝ヨガ」は、「やってみたいけどどこでやればいいかわからない」という人への入り口としてやっている部分があります。やっぱりヨガスタジオやスポーツクラブのヨガ教室にいきなり行くのは、初めての人にはハードルが高かったりしますからね。
    ――そうなんですね。ランニングブームに関してはどのように見ていらっしゃいますか?
    角田 ランニングブームが始まったのは、ヨガブームよりも少しあとの2004、5年ぐらいでしょうか。最初にバイヤーが、東海岸で「ランスカートというものがある」という情報を持ってきたんですが、最初は「さすがにこれはちょっとないかなぁ」と我々も思っていたんです。でも、いまはランスカートもすっかり市民権を得ていて、ランニングでオシャレも楽しむというスタイルが定着していますよね。
    そういった流れが大きくなってきたタイミングで東京マラソンも始まったりして、ランニングを生活のなかに取り入れている人がすごく多くなっていますね。
    ――ランニングブームはなぜこんなにも定着したんでしょうか?
    角田 やっぱり健康意識が高まってきたからでしょうね。それと、これはまったく個人的な意見なんですが、消費の仕方そのものが変わってきているように思います。「モノを買ってそれを所有して満足する」というよりも、生活の中身のクオリティに対する意識が強くなってきているように感じていて、その表れのひとつとしてランニング文化の定着があるのかなと思います。
     
     
    ■アウトドアウェアをファッションとして着る文化は日本特有のものだった!? 
     
    ――アウトドアのブームに関してはいかがでしょうか。
    角田 アウトドアブームが起きたのは2006、7年ごろからでしょうか。もちろん80年代後半から90年代ごろにもブームになっていて、L.L.Beanなどが流行りましたが、当時は実際にそれを着て登山に行く人はそこまで多くなかったんじゃないでしょうか。
    本格的にブームになってきたのは、男性向けアウトドアファッション誌の「GO OUT」(2007年創刊、三栄書房)が創刊されたころでしょうね。その頃から「アウトドアウエアを街でも着る」というのが流行り始めた。
     

    ▲「GO OUT」創刊第2号(2008年3月28日発売、三栄書房)この時期が面白かったのは、アウトドアウエアのトレンドを受けて、実際に登山に行く人が増えたことですね。それまで中高年の聖地だった高尾山が、カラフルなウエアを着たいわゆる「山ガール」でいっぱいになった。
    そうそう、「山ガール」文化に関しては女性向けアウトドア誌の「ランドネ」(エイ出版社)の影響も大きかったと思います。 
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第9位】"走り屋"は時が止まった世界で戯れる――『頭文字D』の"D"とはなにか ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-27 11:10  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第9位】"走り屋"は時が止まった世界で戯れる――『頭文字D』の"D"とはなにか
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.27 号外
    http://wakusei2nd.com



    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてランキング形式で再配信していきます。第9位は、『頭文字D』論です!(2014年3月6日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメントこれは『楽器と武器だけが人を殺すことができる』収録の評論の中で、一番書いていて楽しかった回ですね。『イニD』では、今では「マイルドヤンキー」と呼ばれ、文化系からはちょっと蔑まれているような郊外のロウワークラスのライフスタイルが先取的に描かれています。それは見方を変えると、「父になるのかならないのか」という、戦後民主主義の中で捻れていった日本の男性的想像力の問題を、95年の時点で早々に片付けてしまったとも言える。
    僕がもし今『ゼロ年代の想像力』を書き直すとしたら、『エヴァンゲリオン』ではなく『頭文字D』と『クローズ』を中心に置くだろうと思うんです。都市のアーリーアダプターのエリーティズムよりも、地方のロウワークラスのポピュリズムのほうが時として新しいものを掴み出してしまう――そんなポップカルチャーの醍醐味をこの作品は体現しているんじゃないかな、と。




    ▲宇野常寛『楽器と武器だけが人を殺すことができる』 (ダ・ヴィンチBOOKS)

    雑誌『ダ・ヴィンチ』宇野常寛の連載がついに書籍化! イニDだけでなく、チームラボ、ドラ泣き、風立ちぬ、多崎つくる、UC…その他多くの論考を収録しています。また、発売を記念してこの一年半の連載を振り返る、宇野常寛によるメタコメンタリーも公開中です。

    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar687928

     正月休みに組み立てるレゴとプラモデルを買いに、池袋に出かけた。たぶん、大晦日のことだったと思う。僕は数時間後に大島優子が卒業を発表することも知らずに、混みあうビックカメラの6階でレゴ・アーキテクチャーのマリーナ・ベイ・サンズと、1/144スケールのガンダムF91を手にして浮かれていた。6人待ちのレジに並んで、8割の期待と2割の苛立ちを覚えていたとき、あの車と僕は再会したのだ。
     
     AE86 スプリンタートレノ、通称「ハチロク」。白黒のツートンカラーに塗り分けられたこのタイプ(パンダトレノ)は90年代に全国の「走り屋」たちに愛された名車にして、そんな走り屋たちの世界を題材に展開し、彼らのバイブルとなった漫画『頭文字D』の主人公・藤原拓海の愛車だ。
     
     僕が目にしたのはレジ前のトミカコーナーに積まれた「ハチロク」藤原拓海仕様のミニカーだった。そう、国内を代表する児童向けミニカーシリーズ「トミカ」には、漫画・アニメなどに登場する車を「ドリームトミカ」として発売しているのだが、この年の秋に『頭文字D』のハチロクがラインナップに追加されたのだ。
     
     思わず手に取りながら、そういえばこの漫画の連載も終わったんだな、と思い出していた。そう、この年の夏に18年続いた『頭文字D』の物語はようやく完結を迎えていたのだ。この漫画の連載がヤングマガジンではじまったとき、僕は高校2年生だった。自動車の運転に憧れていても、法律上免許を取ることが許されていない年齢だった。しかし連載が始まった1995年の夏、高校3年生という設定で既に18歳を迎えていた藤原拓海は、免許をとってはじめての夏を迎えていた。作中で物語の舞台は「90年代」としか明かされていないが、仮に連載開始時の1995年だと考えれば拓海は僕と同世代、ひとつ年上のお兄さんにあたる。そんな拓海は自動車の購入計画に胸を弾ませる級友を「何がそんなに楽しいのか」と冷ややかに眺めていた。その拓海の冷めた感想は、実は僕がこの漫画に出会ったときの、そして僕が自動車というものに対して抱いていた感想にそっくりだった。そう、当時の僕は自動車にも、その運転にもまるで興味がない17歳だった。
     
     
     一昨年(2012年)の秋、トヨタ自動車社長の豊田章男氏が「車を持てば、女性にもてると思う」と発言しインターネットの若者層から強い反発を浴びた。豊田社長のこの発言は「若者の車離れ」を食い止めることをテーマに設定したイベントでの発言だったという。しかし、豊田社長は分かっていない。「車を持てば、女性にもてる」という発想が過去のものになったからこそ、若者の「車離れ」は起ったのだ。
     
     戦後という長くて短い時間、自動車はアメリカ的な豊かな社会の象徴であり、それを実力で獲得できる「大人の男」の象徴だった。少年は安価で小回りの利くオートバイに憧れ、やがて自動車に乗り換えて大人の男になっていく。助手席に恋人を乗せるところからスタートして、やがて家族のためにファミリーカーに乗り換え、子育てを終えたあとは趣味の高級車に乗り換える……。そんな時代がこの国にも「あった」のだ。
     
     そして拓海や僕の世代は、そんな物語の重力が失われた最初の世代でもあったはずだ。僕からしてみると、まず、男が女を助手席に乗せて自分の優位を示す、というマッチョな発想についていけない。そして、高校に上がるころにはすっかりバブルも崩壊していた僕らが、いまさら自動車にアメリカ的な豊かな消費生活を見ることなんか、あるわけがない。僕らが思春期を迎えたのは、一度アメリカを追い越したはいいものの、調子に乗ってスピードを出しすぎた結果コーナーを曲りきれず、ガードレールを突き破って谷底に転落した後の時代だ。古本屋で見つけた片岡義男の小説をめくったときは、昔の日本はこうだったのかと文化史の教科書のつもりで読んだ。それがヒルクライムではなく、ダウンヒルの時代に思春期を送った僕ら世代のリアリティだ。僕らにとって自動車を運転することで重要なのは、速く、力強く坂を上がることではなく、ガードレールを突き破らないように器用に坂を下ることだった。
     
     だから僕も、そして藤原拓海もまた、そんな器用にやり遂げることだけを要求される世界=自動車の運転にまったく面白みを感じていなかったのだ。
     
     
     そう、藤原拓海はまったく自覚のないままに卓越したドライビングテクニックを身に付けていた。どうやらかつてプロのレーサーだったらしい父親によって、家業のとうふ屋の納品を代行するという名目で拓海は14歳の頃から自動車の運転を身に付けていた。毎朝、夜明け前に峠を全力疾走していた彼は自分でも気が付かない間にダウンヒルのスペシャリストになっていたのだ。しかし拓海にとってそれは単に効率よく家業の手伝いをこなすための技術であり、無味乾燥な作業だった。
     
     そしてこの『頭文字D』はそんな拓海少年が車の快楽に目覚め、成長していく物語として幕を開ける。少なくとも、物語の開始時はそう構想されていたはずだ。かつて『バリバリ伝説』でオートバイを題材に少年の成長物語を描いたしげの秀一は、おそらくオートバイや自動車がかつて背負っていた物語を失いつつあることを察知して、その回復をこの作品を通して描こうとしていたのではないかと僕は思う。
     
     だからこそ、拓海は父親から受け継いだハチロク(当時すでにレトロカーとして扱われていた)を愛車にしなければならなかったのだ。なぜならば本作は喪われた「車」の物語を回復するための作品としてはじまったのだから。
     
     そして拓海が好きなクラスメートの女子(なつき)は高級車を乗り回す中年男性と援助交際をしていなければならなかったのだ。なぜならば、拓海は強い大人の男に成長して、間違った歳の取り方をした大人の男から彼女の心を奪い取らなければいけなかったのだから。
     
     そして実際に、藤原拓海は走り屋の世界に触れることで、自動車の快楽に目覚めることで社会化し、やがて無難にやり過ごしていた自身の父子家庭や、なつきの問題に向き合っていく。
     
     そして、そんなアナクロな世界観が苦手で、僕は長い時間この漫画のいい読者ではなかった。拓海はやがていわゆる「ラスボス」としての父親と対決し、彼に勝利する。そして仲間たちに見守られながら、地元(群馬)を去り、レーサーになるために東京に発つのだろう。僕はこの物語の展開を勝手にそう決めつけて、そんなありきたりな、そしてアナクロな成長物語にリアリティを感じないと心の中で切り捨てたのだ。
     
     しかし、それは愚かな判断だった。
     
      
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第10位】人間の意識を変革するECサイトは可能か?――理論物理学者・北川拓也が楽天で得た「哲学」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-27 11:00  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第10位】人間の意識を変革するECサイトは可能か?――理論物理学者・北川拓也が楽天で得た「哲学」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.27 号外
    http://wakusei2nd.com




    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。最初の配信となる今回は、楽天執行役員・北川拓也さんのインタビューです!(2014年6月18日配信)




    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    「ほぼ惑」のベスト記事を10本選ぶにあたってまず第10位はこの楽天執行役員・北川拓也さんのインタビューを選んでみました。
    僕はほとんど楽天やAmazonでしか買い物していないし、毎日仕事が終わったらYahoo!オークションをいろんな検索クエリをかけて眺めていたりして、たぶんFacebookやTwitterより見ている時間が長い(笑)。インターネットは「人間と人間のコミュニケーションを可視化する」と言われてきましたが、それはインターネットの本質の半分ぐらいでしかないんじゃないかと思っています。実はそれ以上に、人間と「モノ」をマーケットを通じて繋げている気がしている。つまり、ソーシャルメディアよりもECサイトのほうが、今まで見えなかった人間性の本質のようなものに迫っているんじゃないかという問題意識があるわけです。そんな中で、ある勉強会で北川さんと出会って「この人の話は面白い」と思って、彼とじっくり腰を据えて話してみたのがこの記事です。
    名門・灘の中高を卒業後に、ハーバード大学に進学して数学・物理学をダブルメジャー、ともに最優等の成績を収めて卒業。研究者としては15本以上の論文が『Science』をはじめとする国際雑誌に取り上げられた――そんな理論物理学の日本人研究者が、いまネットビジネスの世界に転身してデータサイエンティストの仕事をしている。弱冠29歳の楽天株式会社執行役員・北川拓也氏である。メディアで彼を見かけたことのある人も多いかもしれない。
    今回、PLANETS編集部は品川の楽天株式会社を訪問して、そんな華々しい経歴ばかりが語られがちな北川氏が、一体どんな思想を背景に現在の仕事に取り組んでいるのかを聞いた。宇野が興味をいだいた「行動変容」という概念をキーに、現代のウェブサービスの「プラットフォーム主義」の背景にある知の潮流、「"意識高い"系現象」の背景にある問題、そしてウェブサービス事業者はその中で何が成しうるのかなど、議論は様々に広がりを見せた。

    ▲北川拓也


     
    ◎聞き手・構成:稲葉ほたて

     
     

    ■理論物理学からeコマースへ

     
    宇野 北川さんって、ビジネス誌のインタビューなどでは、とにかくすごい人という扱いで出てますよね。ただ、今日はそうではない、哲学者・北川さんの側面を掘っていこうと思うんです。
    北川 なんと……。まあ、宇野さんと話したら、勝手にそうなる気がします(笑)。
    ――まずは、北川さんが理論物理学からビジネスの世界に飛び込んだ理由を聞きたいです。学術で華々しいキャリアを築いていながら、実業界に飛び込んでくる人ってあまり日本ではいないので、何か考えがあったのではないかと思います。
    北川 物理学って、いい意味でも悪い意味でも非常に成熟した学問です。明確に考えたわけではないですが、この時代における物理は存分に楽しめた、という思いがあったんだと思います。同時にニュートンが活躍していたような黎明期の発見の喜びというのに憧れるところもありました。
    だから、今の時代だからこそ出来ることを満喫しようと思ったんですね。そこで気になったのが、AppleやTwitterのようなイノベーションを起こしている企業たちでした。こういう世界に飛び込んで、そこを理解してみたくなったんです。
    実際に飛び込んでみると、やはり知的刺激にあふれた世界でした。発見できるものの量が全く違うんです。僕は研究者時代に、他の研究者と共同でとある物質の非常に稀にしか存在しない状態を全く違った方法で実現する手法を提案したんですよ。その提案を証明しようという実験が行われたりしてこの研究分野は盛り上がっているのですが……黎明期に比べてやはりそういう発見はレアだと思います。哲学的な広がりという意味でも、物理学はあまりにも世界観が完成されすぎていました。そうなると正直に言って、「僕がやらなくてもいいんじゃないか」という気になりますよね。
    宇野 なるほど、では北川さんがネット屋になって得た、最も大きな哲学的な広がりは何なんですか?
    北川 「人間が物を買うこと」への理解ですね。具体的には、「人間はブランド服をサイト上でどういう風に探すのか」などの問いになるのですが、それへの解答の裏に哲学が隠れています。
    例えば、水を3日間飲んでいない人が、「君の目の前にある3つの箱のどれかに水が入っている」と言われたら、その人は水が出てくるまで箱を開けるはずです。でも、単に可愛いiPhoneケースが欲しいだけの人は、おそらくそれほどの欲望で選ばないでしょう。要は「衝動買い」と「必然買い」の差なのですが、それがどう行動に現れて、どういう数値で見ていくかを考えていく作業は、人間の欲望とは何かを考えることそのものです。
    そうすると、既存の購買の理論について、自分なりに思うことが出てきます。例えば、経済学の需給曲線って「人間はなるべく安い価格で買いたい」という前提で作られている理論ですが、本当にそうなのか。むしろ、みんなお金を払うことで幸せになっている気がする。
    宇野 いやあ、僕も今回の選挙で50枚買いましたからね(笑)。例えば、自分が応援したい人のためであれば、お金を遣うのはとても楽しいことですよ。
    よく広告代理店の人が、「この商品を宣伝してくれたらクーポンをあげます」みたいな企画をやってるでしょう。僕はあれって逆だと思いますね。むしろ、「お金を払ってくれれば素材を貸すから、好きに遊んでいいよ」が正解だと思うんです。人間は自分の好きなもののためにはお金を払いたいんです。そういう消費を快楽と結びつける議論は、既存の理論では弱いと思いますね。
    北川 そういう消費にまつわるような哲学的な問いかけや疑問が、こういうウェブビジネスの中で一歩進んだ形で数値的に理解されていくんだと思います。
     
     
    「行動変容」から「意識変容」へ
     
    宇野 以前にお会いしたとき、北川さんがおっしゃっていた「行動変容」という概念について考えてみたいんです。
    北川 ありがとうございます。ただ、「行動変容」そのものは、ビジネス寄りの発想から出てきたものです。僕らのような科学者は、つい物事の理解それ自体に一生懸命になってしまうけど、ビジネスバリューという点で重要なのは「行動変容」――つまり、人間の行動をどう変えていくか――に焦点を当てて問題を解いていくことなのだという話です。
    例えば、人間は服とアクセサリーを一緒に買う傾向があると単に理解しても仕方ない。重要なのは、「どうすれば服とアクセサリーを一緒に買わせられるか」と問いを立てることです。そういう「行動変容」の問いを立てた瞬間に、ビジネスバリューが生まれるんですよ。そう考えると、マーケティングの本質は「行動変容」を考えることだとさえ思うんです。
    宇野 行動にアプローチすることは個人の意識にアプローチすることだという発想、たとえば成熟した市民を育てて投票行動を変えていこう、みたいな「市民化」の議論が今でも社会の主流ではあると思うんですよ。そしてこれもさんざん議論されてきたことだと思うのですが、意識に訴えるプロセスを飛ばして人間の行動変容に直接アプローチするような社会設計の考え方が、情報技術の発展を背景に再検討されはじめている。しかし逆に人間の意識の領域にアプローチしないとどうしようもないことや、意識を変えたほうが早い問題にアプローチすることが苦手になってしまったのが、今のプラットフォーム主義の限界のようにも思うんです。
    北川 そういう点では、僕が本当に訴えたかったのは、「行動変容」が人間の「意識変容」を生むのではないかということなんですよ。
    例えば、現在の日本は物質的に豊かですよね。だけど、そうであるが故に意識を少し変えるだけで、一気に幸せの度合いが上がる気がします。実際、質量保存の法則がある以上、物って増えないわけですよ。でも、昔の人が「お腹が空いても、想像力で人間は幸せになれる」と言ったように、物の見方を変えるのはいくらでもできる。そして、その先には「幸せの度合いの違い」のようなものが現れてくる気がして、僕が本当に興味があるのは、実はここなんです。
    ――順番が逆なんですね。「意識変容」から「行動変容」に落とすのが従来の人文系の考え方なら、むしろ「行動変容」を「意識変容」に落とす方法を考えたい、と。で、その先で本当に興味があるのは、「人間の幸せとは何か」という問題である……。
    北川 物事の捉え方を変えることで、人間は幸せになれるというのは僕の基本的な考え方です。まあ、宗教家みたいですが(笑)、例えば髪型を変えれば周囲の見方も変わって、自分の意識も変わる……みたいな話だと思えば、実践的な話だと思いませんか。そういうことが、実はeコマースで出来るんじゃないかと思うんですね。
    ただ、やっぱり成功例がない。結局、宇野さんの言うように「行動変容」の自己目的化に留まっていると思います。上手く技術モデルを作れたら面白いのですが。日本の漫画業界なんかは、そういう雰囲気がある気もしますが……。
    ――漫画業界ということでは、ジャンプ編集部はそうかもしれないですね。アンケートシステムを上手く利用しながら、独自色の強いクリエイターを育てていますよね。
    宇野 ただ、僕がサブカルチャーの評論家だからそう思ってしまうのかもしれないけど、結局そういう発想が上手く行ってるのは、サブカルチャーの世界だけな気もするんですよね。
    今までの話は、『ウェブ進化論』の梅田望夫と『アーキテクチャの生態系』の濱野智史の違いという言い方もできるんです。僕らに近い界隈では、尾原和啓とけんすうの違いと言ってもいいかもしれない。やはり尾原さんは、どこかでエリートの運営者が先導するプラットフォーム主義を信じているし、けんすうは「行動変容」から「意識変容」の流れだけに価値を見出している。二人ともやりたいことは似ているけど、方法論は対照的だと思うんです。
    北川 僕も、わざわざ物理学みたいな一握りのエリートが先導する世界を抜けだしてここに来たわけで、けんすうさん的な発想はありますね。それに、世界的な潮流そのものがけんすうさん的な方向に進んでいる気もします。
    宇野 言ってしまうと「行動変容」はサイコロを振って出た目から、その意味を考えるような発想なわけですよね。
    北川 そう、そうなんです! 例えば、僕のいた理論物理学というのは、ニュートン以来、ひたすら理論のデザインを更新し続けてきた世界なんですね。でも、僕が一番好きな物理学者はそういう伝統から少し外れた人で、ロシアのランダウという天才物理学者なんです。
    彼の凄いところは、その思想の柔軟性ですね。彼は、超電導のような未知の現象を説明するときに、まずは起こったことから現象論を作りあげて、そのあとに背景にある理論を構築してみせたんです。超電導の仕組みは、本当は非常に難しい話だったのですが、彼の見出した現象論によって理解が50年は早まったと思います。
    ――ランダウの相転移論の話ですよね。ああいう風にランダウが現象論から一種の物理的直感でシンプルなモデルを作り上げたようなことを、ECサイトでやってみたいということですか?
    北川 まさにそうですね。それは、「行動変容」を「意識変容」に変えていくという話そのものだと思うんです。
    宇野 こういう話を楽天の役員がするのは、大きな皮肉のように僕は思いますね(笑)。ここまでの話は、「行動変容」を自己目的化しているプラットホームの常識に対する懐疑ですよね。
    北川 それは良いポイントです。だって、このビジネスモデルのままだと、僕らはいつか負けるんですよ。プラットフォームで勝ちに行く事業者は、それより下のレイヤーでプラットフォームが変わったときに乗り換えられてしまうんですよ。今なら具体的には、PCからスマホへのシフトですよね。だからこそ、もっと本質的なレベルで「売買」とは何かを問う戦いに持ち込む必要があるんだと思います。
     
     
    日本人は行動と感情が乖離している
     
    宇野 「行動変容」の自己目的化に話を戻すと、六本木のあたりにいるIT関係者の人たちって、「行動変容」が自己目的化して「意識変容」につながっていなくて、その結果として自分探しをしてしまっている気がします。おそらく、これは非常に新しい現象だと思うんです。彼らは自分のパフォーマンスを引き出すための方法論にはどん欲だけど、その能力を使ってやりたいことがない。自分以外に好きなものがない人が多いでしょう?
    北川 日本人に独特な状況ではないでしょうか。僕がいつも強烈に感じるのは、日本人は行動と感情が乖離しているということです。普通は行動を起こしたとき、もっと感情を伴うはずなんです。でも、日本人はなぜかそうならない。「意識変容」が上手く起きないのもその結果ではないかという気がするんです。
    ――西海岸ではどうなんですか?
    北川 僕の経験では、アメリカ人は基本的にそんなことはありません。やっぱり、彼らはもっと素直なんですよ。これはずっと考えている問題なのですが、やはり究極的には、よく言われる「建前と本音」の文化が根底にある気がします。
    宇野 つまり、「意識変容」というのは本来、気持ちいい行動によって、自然と"パッション"が湧き出てくるという話なのに、それが単なる"ファッション"になっている。「勝間和代現象」とか、その典型だったと思いますね。本来は「自分を向上させて、年収を上げたり家族と幸せになろう」という話だったのが、いつの間にか「向上している私が好き」という話になっていた。
    北川 まさにそういう構造があると思うんですよ。