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記事 47件
  • 今夜20:00から生放送!石岡良治×福嶋亮大×宇野常寛「続・高畑勲の遺産をどう受け継ぐか」2019.9.17/PLANETS the BLUEPRINT

    2019-09-17 11:20  
    今夜20時から生放送!「PLANETS the BLUEPRINT」では、 毎回ゲストをお招きして、1つのイシューについて複合的な角度から議論し、 未来の青写真を一緒に作り上げていきます。 今回のゲストは、批評家・石岡良治さんと、文芸批評家の福嶋亮大さんです。 戦後日本アニメーションに多大な影響を与え、昨年この世を去った高畑勲監督。 彼がアニメーション業界に遺したものとは、一体なんだったのでしょうか。そしてその遺産は、どう受け継がれるのでしょうか。 現在国立近代美術館で開催中の回顧展を踏まえ、改めてその功績について議論します。 【合わせてご覧ください】 高畑勲監督追悼企画 -アニメにとって高畑勲の遺したものとは何か-https://youtu.be/FHvDC2xDHAc▼放送日時2019年9月17日(火)20時〜☆☆放送URLはこちら☆☆https://live.nicovideo.jp
  • 宇野常寛 NewsX vol.40 ゲスト:石岡良治「現代アニメになにが起きているか」【毎週月曜配信】

    2019-08-19 07:00  
    550pt

    宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」の書き起こしをお届けします。6月18日に放送されたvol.40のテーマは「現代アニメになにが起きているか」。批評家で『現代アニメ「超」講義』を刊行したばかりの石岡良治さんをゲストに迎え、21世紀アニメで最重要の10作品をピックアップ。この20年で日本のアニメは何を描いてきたのか。その論点を改めて見直します。(構成:佐藤雄)
    NewsX vol.40 「現代アニメになにが起きているか」 2019年6月18日放送 ゲスト:石岡良治(批評家) アシスタント:加藤るみ
    細田守が捨て去った『ぼくらのウォーゲーム』から21世紀アニメを始めよう
    加藤 NewsX火曜日、今日のゲストは批評家・早稲田大学准教授の石岡良治さんです。よろしくお願いします。おふたりはお付き合いがもう長いんですよね。
    宇野 10年以上の付き合いになります。石岡さんは僕の尊敬する批評家でありオタクとしての先輩でもあって、長い間、僕の媒体に書いてもらっています。 知り合ったのは、僕が物書きとしてデビューしてからで、これはよく話しているんですが、僕は石岡さんみたいな先輩にもっと早く出会いたかった。僕の田舎は北海道の帯広で、中学生のときにアニメにハマってオタクになっていくんだけど、人口15万人ぐらいの街の中学校に、僕みたいなやつが居たら、ダントツ一位のオタク力なんですよ。でも、本や雑誌を見るとオタクの世界はもっと深いわけ。それで高校は函館の寮のある進学校に行くことになるんだけど、高校には素晴らしいオタクの先輩が居て「宇野くん、こんな本も読んでないのか」「こんな漫画も読んでないのか」「こんなアニメも観てないのか」って感じで、毎日読まなきゃいけない本や漫画、観なきゃいけないビデオテープが山のように積まれてオタクエリートに調教してくれるものだと思って期待してたんだよ。ところが函館の高校も大したことはなくて。巨乳の女の子が魔法を使ってゴブリンを倒すライトノベルを読んで、「萌え〜」とか言ってるヌルいオタクがウロウロしているだけだった。「はぁ?」と思って絶望したんです。その後、1人で孤独に函館の古本屋を回る高校生活を送るんだけど、その10年後に石岡さんに出会って、本当にこういう先輩と出会いたかったと思った。石岡さんにオタクエリートとして導いて欲しい人生でしたよ。
    石岡 逆に僕は最初に宇野さんに会ったときに、ガンダムトークでほぼ趣味が一致したんです。年齢はだいぶ下なのになんでこんなに一致するんだって思いましたね。
    宇野 6歳下なんだけどその差は決定的なんです。僕はアニメファンとしては趣味が古くて、80年代アニメブームの頃のアニメが好きなんです。
    石岡 そんな感じで長いお付き合いになっています。PLANETSチャンネルでも毎月番組をやらさせてもらっています。
    宇野 その番組が今回『現代アニメ「超」講義』というタイトルで本になっています。
    ▲『現代アニメ「超」講義』

    石岡良治『現代アニメ「超」講義』 - PLANETS公式オンラインストア

    加藤 本日のテーマはこちらです。「現代アニメに何が起きているか」。本の話も含めて石岡さんに今日はたくさんお話を伺いたいと思います。
    宇野 石岡さんには何年もPLANETSチャンネルで番組をしてもらっています。文化時評の番組なんですけど、最近のアニメについて扱った回をテキスト化して再編集したものが、今回の『現代アニメ「超」講義』になります。おかげさまで素晴らしい本になりました。ここで「現代アニメ」と言っているのは21世紀のアニメのことです。この20年間のアニメについて網羅的にガチで語り尽くしていて、出てくる固有名詞は600個以上もあります。
    加藤 それでもまだまだ語りきれなかったんですよね?
    石岡 逆に「600個は少ない」と思う人もいるかもしれません。私も編集の段階でかなり落としていて。泣く泣く削ったものの一部が特典冊子に載っています。
    宇野 この本は石岡さん以外の人には書けない本です。読んだ人は驚愕すると思う。この1冊でここ20年間のアニメのことが全部わかる。今後この本を抜きにここ20年のアニメを語ることはできないと思う。そのくらいの本が出来上がったので、著者である石岡さんに今日は来てもらいました。
    加藤 最初のテーマはこちらです。「21世紀のアニメ 最重要作品10選」。
    宇野 本書の中では数百作品を取り扱っています。それを40分のトークで語ることは無理なので、最重要である10作品に絞って語ってもらおうと思います。事前に選んでもらったものをボードにまとめています。

    宇野 挙げていただいたのは『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』『千と千尋の神隠し』『コードギアス反逆のルルーシュ』『けいおん!』『魔法少女まどか☆マギカ』『ソードアートオンライン』『プリパラ』『君の名は』『おそ松さん』『宝石の国』の10作品ですね。このセレクションそのものにも批評性があると思うんですが、今日は順番に語るのではなくランダムでいこうと思っています。時間の許す限りよろしくお願いします! 最初は何からいきます?
    石岡 「21世紀のアニメ」と銘打ちつつ、実は20世紀末年に公開の『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』から語ってみたいんですね。
    宇野 るみちゃんも大好きな作品なんだよね。
    加藤 大好きです。世代的にも直撃で、何十回と見てますね。
    石岡 今回の『現代アニメ「超」講義』でも、この作品から21世紀を考えたいと思い、この作品を語るところから始めています。監督は細田守です。細田監督はここ十数年、つまり今世紀においては国民的アニメを作っている監督だと思われています。そしておそらく監督の名前を人々に拡めた作品は『サマーウォーズ』だと思うんです。夏休みのお茶の間にいる一家みんなで世界を救うみたいな話ですね。ところが『ぼくらのウォーゲーム』を知っていると、こちらの方が時間も短いし、エッセンスも凝縮されてる。『サマーウォーズ』よりもこっちの方が良い作品だと思うはずなんです。
    加藤 『サマーウォーズ』が夏休みに地上波で放映されるたびに「『ぼくらのウォーゲーム』流してくれよ!」と好きな人は絶対に思いますよね。
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  • 石岡良治×宇野常寛 『君の名は。』――興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(PLANETSアーカイブス)

    2019-08-13 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、映画『君の名は。』について、石岡良治さんと宇野常寛の対談をお届けします。コアなアニメファン向けの映像作家だった新海誠監督が、なぜ6作目にして大ヒットを生み出せたのか。新海作品の根底にある“変態性”と、それを大衆向けにソフィスティケイトした川村元気プロデュースの功罪について語ります。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2016年11月号) ※この記事は2016年11月24日に配信された記事の再配信です。
    ポストジブリから深夜アニメ、キッズアニメまでを語り尽くす! 石岡良治さん「現代アニメ「超」講義 」好評発売中▲『現代アニメ「超」講義』
    宇野 まあ、身もふたもないことを言えば、よくできたデート映画ですね、という感想以上のものはないんですよね。本当に川村元気って「悪いヤツ(褒め言葉)」だな、と思わされました。新海誠という、非常にクセのある作家の個性を確実に半分殺して、メジャー受けする部分だけをしっかり抽出するという、ものすごく大人の仕事を川村元気はやってのけた。
     新海誠の最初の作品である『ほしのこえ』【1】は、二つの要素で評価されていた作品だと思う。ひとつは、キャラクターに関心が行きがちな日本のアニメのビジュアルイメージの中で、背景に重点を置いた表現を、それもインディーズならではのアプローチで再発掘したという点。もうひとつは、後に「セカイ系」と言われるように、インターネットが普及しつつあった時代の人と人、あるいは人と物事の距離感が変わってしまったときの感覚を、前述のビジュアルイメージと物語展開を重ね合わせてうまく表現していたところ、この二つです。ただ、それ以降の新海誠は、背景で世界観を表現しようというのはずっと続いていたけれど、ストーリーとしてはそうした時代批評的な部分からは一回離れて、ある種正当な童貞文学作家というか、ジュブナイル作家として機能していた。
     今回、久しぶりに過去作を見返したんですけど、意外とというかやっぱりというか、あの気持ち悪さがいいんですよね(笑)。例えば『秒速5センチメートル』【2】でのヘタレ男子の延々と続く自己憐憫とか、『言の葉の庭』【3】の童貞高校生の足フェチっぷりとか。どっちも女性ファンを自ら減らしに行っているとしか思えない(笑)。でもそんな自分に正直な新海先生が愛おしいわけですよ。1万回気持ち悪いって言われても自分のフェティッシュを表現するのが『ほしのこえ』以降の新海誠作品であり、基本的に彼はそこを楽しむ作家だったと思う。
     それが『君の名は。』では、その新海の本質であるところの気持ち悪さの残り香が、三葉の口噛み酒にわずかに残っているだけで、ほぼ完全に消え去ってしまった。おかげで興行収入130億円を達成したわけだけど、あの愛すべき、気持ち悪い新海誠はどこにいってしまったのか。まぁ、それも人生だと思いますが(笑)。

    【1】『ほしのこえ』(公開/2002年):宇宙に現れた知的生命体を調査する艦隊に選ばれ宇宙へ旅立った少女と、地上の同級生男子の、ケータイメールを通じた超遠距離恋愛を描く。宇宙ゆえに、ケータイという身近なツールで連絡を取り合いながらも、それぞれの過ごす時間がズレていくという設定になっている。新海誠にとって初の劇場公開作品であり(短編)、本作で高い評価を受けたことが現在につながっている。
    【2】『秒速5センチメートル』(公開/2007年):新海誠の3作目の劇場公開作。3話の短編で構成される連作。小学校時代に惹かれ合っていた3人が、転校後も文通を重ねて一度は再会するものの、離れ離れになって時が経ち、思春期を過ぎて大人になり……という長い時間が描かれる。
    【3】『言の葉の庭』(公開/2013年):『君の名は。』の前作にあたる5作目。靴職人を目指す男子高校生が、雨の庭園で出会った大人の女性に惹かれてゆき、2人が近づく過程を描く。

    石岡 僕が新海作品でずっと興味を持っているのは、エフェクトや背景の描写です。彼が日本ファルコム在籍時に作った、パソコンゲーム『イースⅡエターナル』のオープニングムービーは、ゲームムービーを刷新した。この当時から空や背景の描写はとんでもなく優れているんですが、自然に迫る美しさとは違っていて、ギラギラした光線をバシバシ見せつけるような、人工的なエフェクトの世界を高めていくものだった。宇野さんが言った「気持ち悪さ」でいうと背景自体も気持ち悪いというか、その方向へのフェティッシュも濃厚でした。なぜ彼の作品が童貞文学的になってしまうかというと、圧倒的な背景描写に対して、キャラクターをあまり描けなくて動かせないからなんですよね。でもその結果、豊かな背景を前に、キャラクターが立ち尽くす無力感が背景そのものに投影されて、観る人はそれに惹かれる仕組みがあった。
     一方で今回は、キャラクターがよく動く作画でありながら、新海監督には由来しない別の気持ち悪さが生まれていると思う。去年この連載で『心が叫びたがってるんだ。』を取り上げた時、田中将賀【4】さんのキャラデザは中高年以上を描けないんじゃないか、という話をしましたよね。『君の名は。』も田中さんなんだけど、作画監督・安藤雅司【5】の力によって、三葉の父親や祖母はさすがにうまく描かれていた。だけどその代わりに、日本のアニメーター特有の病というか、演出的にはいらないはずのシーンでついパンチラを描いているあたりには、また別種の気持ち悪さがあるんじゃないか。

    【4】田中将賀:アニメーター/キャラクターデザイナー。『とらドラ!』や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』シリーズのキャラクターデザイナー・作画監督を務める。
    【5】安藤雅司:アニメーター。『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』などのジブリ作品や、『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』など今敏作品ほか、数々の人気アニメ作品の原画・作画監督を務めている。

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  • 今夜20:00から生放送!石岡良治×福嶋亮大×宇野常寛「『天気の子』とポスト・ジブリアニメのゆくえ」2019.7.30/PLANETS the BLUEPRINT

    2019-07-30 07:30  
    「PLANETS the BLUEPRINT」では、毎回ゲストをお招きして、1つのイシューについて複合的な角度から議論し、未来の青写真を一緒に作り上げていきます。
    今回のゲストは批評家・石岡良治さんと、文芸批評家・福嶋亮大さん。 7月19日に公開される新海誠監督の最新作「天気の子」をはじめ、 「プロメア」、「海獣の子供」、「きみと、波にのれたら」など、 今年の夏アニメ映画について、ネタバレ全開で語ります。 ▼放送日時放送日時:本日7月30日(火)20:00〜☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者石岡良治(批評家) 福嶋亮大(文芸批評家) 宇野常寛(評論家・批評誌「PLANETS」編集長)ファシリテーター:中川大地(評論家/編集者)
    ハッシュタグは #ブループリント
    ゲストへの質問など、番組へのお便りはこちらから!
    番組終了後、延長戦をPLANETS CLUBで配信します! PLANETS
  • ディズニー、ピクサー、ジブリ…『アナ雪』大ヒットから見えるヒロイン像の"後進性"ーー石岡良治×宇野常寛が語る『アナと雪の女王』 (PLANETSアーカイブス)

    2018-11-12 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、批評家の石岡良治さんと宇野常寛の語る『アナと雪の女王』です。『アナ雪』の大ヒットから逆説的に見えてきたのは、ディズニーの遥か先を走っていたはずのピクサー、そしてジブリが直面する「テーマ的な行き詰まり」だった――?(構成:清田隆之 初出:サイゾー2014年7月号) ※この記事は2014年7月25日に配信した記事の再配信です。

    ▲アナと雪の女王 MovieNEX [Blu-ray]
    ピクサー化するディズニー・アニメの象徴としての『アナ雪』
    宇野 『アナと雪の女王』はまず、予告編で「Let It Go」のシーンを観たときに、「ディズニーは、この作品にものすごい自信があるんだな」と思ったんですよ。それで実際に観てみたら、まぁやりたかったことはわかるのだけど、作品としての出来がいいとまでは思えなくて、予告編の期待は超えなかったですね。 『アナ雪』の話をするにあたっては、前提として、ここ10年くらいのディズニー映画とピクサー映画の流れについて言及しておく必要があると思う。アニメファン的に見ると、ディズニーとピクサーって技術的にはそこまで差がないんだけど、ゼロ年代は特にシナリオは圧倒的にピクサーのほうが上だと言われていた。『モンスターズ・インク』(01年)、『ファインディング・ニモ』(03年)、『Mr.インクレディブル』(04年)など、圧倒的にシナリオワークの優れた作品を連発していたピクサーに対して、ディズニーはいまいちな作品ばかりだった。家族観・ジェンダー観にしても、旧来のディズニーは古典的なプリンセス・プリンスもの、ボーイ・ミーツ・ガールの話をベタに描いていたのに対し、ピクサー作品は、例えば『Mr.インクレディブル』だったら「古き良きアメリカの強い父」みたいなイメージがもう通用しないというところから出発していたように、時代の移り変わりや新しい家族観・ジェンダー観を取り込むことによって重層的な脚本を実現してきた。言い換えるとそれは親世代、つまり団塊ジュニア世代の記憶資源に訴えかけながら、子どもも楽しめる物語をどう作るか、ということ。一つのストーリーで大人にはイノセントなものの喪失の持つ悲しみを、子どもには古き良きアメリカのイメージを、その記憶を持たないことを利用して輝かしいものとして提示する、というのがピクサー的、ジョン・ラセター(※1)的なものの本質だと思うわけ。これは『トイ・ストーリー』から、最近のピクサー化しつつあるディズニーの『シュガー・ラッシュ』(※2)まで通底している。要するに、この流れはさまよえる現在の男性性をテーマにしてきた流れだとも言える。

    (※1)ジョン・ラセター…ピクサー設立当初からのアニメーターであり社内のカリスマ。06年にディズニーがピクサーを買収し、完全子会社化したことでディズニーのCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に就任。ディズニー映画にも多大な影響を及ぼしているという見方がなされている。
    (※2)『シュガー・ラッシュ』…公開/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(13年/日本)。アクションゲームで何十年も敵キャラを演じることにうんざりしたラルフが、別のゲームの中でヒーローになろうとしたことから、複数のゲームの世界を舞台にした騒動が巻き起こる。

     じゃあ、『アナ雪』は何か、というと、ここでもう自信喪失したおじさんたちの話はやめよう、ってことなんだと思う。自信喪失したおじさんたちの回復物語はもうやりつくしたので、自分探し女子の物語に切り替えて新しいことをやろう、ってことなんでしょうね。この決断は良かったんじゃないかと思う。その結果、出てきたのが最終的に王子様のキスではなく、姉妹愛というか同性間の関係性で救済される新しいプリンセス・ストーリーだった、ってこと。ディズニーといえばおとぎ話的な「いつか白馬の王子様が……」的な世界観でやってきていて、まあ、現代的なそれとは到底相容れないアナクロな世界観が維持されている文化空間なわけで、そこからこの作品が出てきたので、みんなこれは新しい、感動した、って言っているわけだけど……。うーん、それって、あくまでディズニーの過去作と比べたら今時のジェンダー観に追いついているってことに過ぎないんじゃないかって思うんですよね。この作品に何か特別なものがあるとは思えない。
    石岡 僕はまず、歌のバズり方自体に興味を持ったんですよ。これは日本特有だと思うけど、「Let It Go」が「ありのままで」と訳されて、「意識高い」女性に大受けしてますよね。あの歌って、いろんなところで指摘されているように、いわば邪気眼というか厨二病の能力解放の歌だと思うんだけど、それを”自己啓発系”の歌として読んじゃうっていうのは、ある意味で痛快ですよね。つまり、普段は邪気眼的なものに共感を示さないような女性に、「これは私のことだ!」と感じさせているわけで、うまいといえばうまい(笑)。
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  • 『心が叫びたがってるんだ。』のヒットが示すもの――深夜アニメ的想像力の限界と可能性(石岡良治×宇野常寛)(PLANETSアーカイブス)

    2018-08-27 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』をめぐる石岡良治さんと宇野常寛の対談です。『とらドラ!』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の長井龍雪・岡田麿里・田中将賀が手掛け、興行収入10億円突破のヒットとなった本作と、それを取り巻くアニメ市場の状況。さらに、当時放送が始まったばかりの『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の展望についても語りました。(初出:「サイゾー」2015年12月号) ※この記事は2015年12月23日に配信した記事の再配信です。
    Amazon.co.jp:『心が叫びたがってるんだ。』 ■ 深夜アニメブームが生み出してしまった「お約束(コード)」
    石岡 『心が叫びたがってるんだ。』(以下、『ここさけ』)は、予告編の段階では、舞台が秩父だったりで『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』【1】(以下、『あの花』)の二番煎じという印象でしたが、結果的には別物でしたね。
    『アナと雪の女王』以降、日本のアニメ業界は『アイドルマスターシンデレラガールズ』【2】や『Go!プリンセスプリキュア』【3】など、プリンセス要素を表面的に取り入れた。『アナ雪』は本当はむしろ、プリンセスモチーフが無効になったことを示していたはずなんだけど。一方、『ここさけ』ではヒロインが憧れるお城を「ラブホテル」というペラペラな空間に設定した。「聖地巡礼」というけれど、実際、北関東でランドマークになるものなんて、こうしたラブホテルぐらいしかないわけです。まず、そうしたところから心をつかまれた。
     登場人物たちの才能が高校生としてちょうどいい、というあたりも重要だと思う。つまり、ありもののミュージカルナンバーに歌を乗せる程度の才能というか。実際にこんな子がいたら高校生としては才能ありすぎなんですが、とはいえあり得なくない程度の才能になっていて、『ウォーターボーイズ』的な“みんなでミッションを成し遂げる”系の部活ものとして作られていた。同時に、あからさまなまでにアメリカの王道ハイスクール映画的な、野球部員とチアリーダーをメインキャラに配置してスクールカーストを取り入れたりして、最後は「順ちゃん、まさかその野球部と付き合うのかよ!?」と、ある種のオタクが怒るような(笑)エンディングになっていた。そこまで含めて、よく研究されていると思いました。
     一方で、深夜アニメというオタクコンテンツ発の作品がどこまで一般向けにリーチするかの、ある意味マックスの限界がここにあると思った。学園ものアニメでシビアなスクールカーストを描くと、『響け! ユーフォニアム』【4】みたいに「実写でやれ」と言われてしまったりするけど、『ここさけ』を実写にすると、ヒロインの成瀬順がイタすぎて見てられないだろうな、と(笑)。『あの花』の実写版はわりと評判が良かったですが、やっぱりヒロインのめんまだけはコスプレにしかなっていなかった。『ここさけ』では順がそういうキャラクターで、どう考えてもアニメの住人。だからこのキャラがいければOKなんだけど、全然受け付けないと完全にアウトっていう。

    【1】『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』放映/フジテレビ系にて、11年4~6月放映、13年劇場版公開:幼い頃は一緒に遊んでいた「じんたん(仁太)」「めんま(芽衣子)」「あなる」「ゆきあつ」「つるこ」「ぽっぽ」の6人。しかしめんまの突然の死をきっかけに距離が生まれ、高校進学時には疎遠になっていた。ひきこもりになった仁太のもとにめんまが現れ、「願いを叶えてほしい」と告げる。アニメファン以外からも人気を獲得し、秩父は「聖地巡礼」の代表格として扱われるようになった。
    【2】『アイドルマスターシンデレラガールズ』放映/TOKYO MXほかにて、15年1月~:バンダイナムコによるソーシャルゲームを原案に、今年1月からアニメ化。「シンデレラ」をキーワードに、アイドル養成所に通う少女たちの奮闘を描く。
    【3】『Go!プリンセスプリキュア』放映/テレビ朝日にて、15年2月~:2015年の『プリキュア』シリーズ作品(10代目プリキュア)。「プリンセス」をキーワードにした、全寮制の学園モノ。
    【4】『響け! ユーフォニアム』放映/TOKYO MXほかにて、15年4~6月:シリーズ3作累計18万部発行のティーンズ小説を、京都アニメーションがアニメ化。弱小高校の吹奏楽部で部活に励む高校生たちの姿を、リアルな青春ドラマとしてシリアスに描くことを志向していた。

    宇野 『ここさけ』は、岡田麿里【5】がこれまでやってきた10代青春群像劇の集大成だと思うんですよ。例えば『true tears』【6】では、オタクが持っている“不思議ちゃん萌え”の感情を利用して、自意識過剰な女の子の成長物語を効果的に描いてきた。あのヒロインが主人公にフラれることで、逆説的に自己を解放するというストーリーは今回も若干アレンジされて使われている。あと「鈍感なふりをすることが大人になること」だと勘違いしちゃったハイティーンの青春群像劇、という要素は『とらドラ!』【7】の原作にあったもので、それを岡田さんはうまく自分のものにした。そして『あの花』では、近過去ノスタルジーを描くには、実写よりも抽象度を上げたアニメのほうが威力が高い、ということをマスターしたんだと思う。『あの花』の路線でもう一回劇場作品をやってみた、くらいの企画かと思って観に行ったら、そういう意味で非常に集大成的な作品になっていて、よくできていましたね。
     一方、集大成なだけに弱点も出てしまっている。それはどちらかというとクリエイターの問題ではなくて、今のアニメ業界やアニメファンといった環境の問題なんだけど。つまり、今やアニメにおいては「消費者であるオタクとの間にできたお約束(コード)を逆手に取る」というアプローチ以外、何も有効ではなくなってしまっている、という息苦しさがあった。この映画はヒロインが順のようなキャラクターだから成り立っているわけであって、“リア充”感の強い女の子が主役だったら、絶対キャラクター設定のレベルで拒否されてしまう。あるいはエンディングで、ヒロインが野球部の男と付き合うかもしれない、という描写なんて、お約束を逆手に取った明らかな悪意なんだけど、あれがギリギリだと思うんだよね。岡田・長井龍雪【8】コンビくらいの能力があるんだったら、もっと自由にやってほしいなと思うところは正直あった。

    【5】岡田麿里:1976年生まれ。脚本家。近年では『黒執事』『放浪息子』『花咲くいろは』『AKB0048』『Fate/stay night』などの話題作・人気作の脚本・シリーズ構成を手がけている。
    【6】『true tears』放映/08年1~3月:複雑な家庭に育った少年が、あることから涙を流せなくなった少女と出会い、自身や周囲との向き合い方を考えながら成長していく──という青春成長譚。
    【7】『とらドラ!』放映/08年10月~09年3月:当時圧倒的な人気を誇っていた同名ライトノベルのアニメ版。長井・岡田コンビの初タッグ作。高校生のドタバタ青春ラブコメもの。
    【8】長井龍雪:1976年生まれ。アニメーション監督・演出家。『ハチミツとクローバーII』で監督デビュー、『とある科学の超電磁砲』などを制作。

    石岡 それはさっき僕が言った、深夜アニメ発の想像力は最大限に拡張して『ここさけ』が限界、という話と同じことですよね。
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  • 【新連載】石岡良治『石岡美術館』第1回『マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン』(ワタリウム美術館)

    2018-07-05 07:00  
    550pt

    今回から石岡良治さんが美術館を訪れ、実際の作品を見ながら作家や作品について解説する、『石岡美術館』が始まります。第一回に選んだのは、ワタリウム美術館で開催された『マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン』です。80年代から90年代にかけて、キモかわいい作風でポップ・アートを牽引した作家マイク・ケリー。フェイクやパロディに満ちたそのジャンクな作風から、米国の大衆文化の核心を読み解きます。(構成:池田明季哉)
    ▲今回は、東京都渋谷区のワタリウム美術館で2018年1月8日〜3月31日の期間に開催された「マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン」を訪れました。最近、現代アートについてのまとめ本が立て続けに出版されています。小崎哲哉『現代アートとは何か』は、グローバルなアートマーケットにおいて現代アートがどのように扱われているのかをまとめた著作です。個々の作品観については異論もありますが、アートマーケットのレポートとしては、この本は入り口にふさわしい本となっており、発売されるやいなや、Amazonではすぐに売り切れになるほどでした。
    ▲小崎哲哉『現代アートとは何か』(河出書房新社)
    こうした本を買っているのは、私のような人文学系に興味がある人というよりは、おそらくビジネスマンなのではないかと思います。世界的に見ると、いわゆるグローバルエリートと呼ばれるようなお金持ちの層には、アートを買い求めている人も多い。アートに対するリテラシーがビジネスマンにとって必要であるという感覚が、日本にも輸入されつつあるということでしょう。
    この流れに木村泰司『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』という書籍があって、amazonの西洋美術史カテゴリで1位になっています(2018年4月現在)。これ、なんだかすごそうなタイトルですよね。私はこのタイトルを見て「今のグローバルエリートはこういうものを集めている人もいるから、学んでおいたらどう?」というような内容だと思ったのですが、実際に読んでみると、最終章はなんとピカソで終わっていて、現代アートについてはほとんど触れられていない。一昔前の学校の美術の教科書とほとんど変わらない範囲しか扱っていなくて、「ピカソって絵うまいのかな?」みたいなレベルにとどまってしまっているんです。
    ▲木村泰司『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』(ダイヤモンド社)
    考えてみれば当たり前のことですが、ピカソあたりまでの古典のアートと、それ以降の現代アートは連続しているものです。でも特に日本では、このふたつの窓口が完全に分かれてしまっている。私のように人文系・美術系で学んできた人間としては、こうした状況はちょっと悲しいなと思うわけです。
    この『石岡美術館』では、私が美術を見ながら作家や作品について語っていきます。古典アートと現代アートを両方扱っていくことで、ジャンルや文脈に囚われすぎず、美術を見る基礎的な目線が生まれてくるようになればいいなと思っています。
    マイク・ケリーというポップ・アーティスト
    第一回に選んだのは、ワタリウム美術館で開催された『マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン』です。これはマイク・ケリーの代表作のひとつである『課外活動 再構成』という映像とインスタレーションを組み合わせた作品を中心にした展示ですね。ワタリウム美術館ではマイク・ケリーについての展覧会をこれから複数行う予定らしく、これはその第一弾とアナウンスされています。
    まずはマイク・ケリーという作家について確認しておきましょう。マイク・ケリーは、ポップ・アートといわれる分野を代表するアーティストのひとりです。かの有名なアンディ・ウォーホルのひとつあとの世代ですね。1954年生まれで、2012年に亡くなっていますから、70年代に青春を過ごし、アーティストとして活躍したのは80年代から90年代にかけてです。
    ウォーホルの頃のポップ・アートは、アートそのものは本物で、あくまでポップなモチーフを使っていたという側面が強かったんです。でもマイク・ケリーの時代あたりから、ポップ・アートは美術品としてのアウラを意識的に手放していくことになりました。
    例えばソニック・ユースというニューヨークのロックバンドが、現代アート作品をアルバムのジャケットに積極的に採用して、アートの窓口になっていたことがありました。『Daydream Nation』(1988)はゲルハルト・リヒターの作品を使っていますし、『Goo』(1990)のジャケットを手掛けたレイモンド・ペティボンはコミックを題材にしたアーティストです。そしてこの次にリリースされた『Dirty』(1992)のジャケットに使われているのが、マイク・ケリーです。ポップでキモかわいい感じのあみぐるみですね。
    ▲Sonic Youth『Daydream Nation』(1998)
    ▲Sonic Youth『Goo』(1990)
    ▲Sonic Youth『Dirty』(1992)
    こうした流れを通じてポップ・アートは世界中に爆発的に広がっていったわけですが、同時に勘違いを生んでしまったという側面もあります。つまり、こうした「ポップでキモい感じのものを作ればアートになる!」と思われたわけです。このぬいぐるみなんて、いかにもサブカル系の雑貨屋さんに置いてありそうな感じですよね。他にもポスターのようなものやTシャツを使った作品なども作っています。でもそう思ってしまうのはある種の逆転現象で、むしろ現在のサブカル系雑貨屋的なものの起源のひとつがマイク・ケリーにあるといえるわけです。マイク・ケリーはこうしたイメージを作り出すことで、結果的に現代アートの裾野を大きく広げたといえるでしょう。
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  • 【特別再配信】『Gレコ』で富野由悠季は戦後アニメを終わらせたのか――石岡良治、宇野常寛の語る『Gのレコンギスタ』

    2017-08-21 07:00  
    550pt


    アニメでありながら「現実よりも乖離した世界」を描こうとした『Gレコ』。この意欲作に富野監督が込めた思いとは何だったのか――アニメ史的観点から石岡良治さんと宇野常寛が対談形式で読み解いています。
    (本記事は2015年7月21日に配信した記事の再配信です/「サイゾー」2015年7月号)

    (画像出典)

    ▼作品紹介
    『Gのレコンギスタ』
    監督・脚本/富野由悠季 制作/サンライズ 放送/2014年10月~15年3月(MBSほか)
    宇宙世紀が終わって1000年が経ったとき、人類は技術進歩に制限をかけることで新たな繁栄を作り出していた。 地球上のエネルギー源として宇宙からフォトン・バッテリーがもたらされ、その輸送経路である軌道エレベーター「キャピタル・タワー」と周辺地域は神聖視されている。そのエリアを守護する組織キャピタル・ガードの候補生であるベルリ・ゼナムは、初の実習で未知の高性能モビルスーツ「G-セルフ」の襲撃を受ける。それがすべての始まりだった──。

    アニメなのに「現実よりも乖離した世界」を描いた『Gレコ』
    石岡 近年、宮﨑駿の『風立ちぬ』、高畑勲『かぐや姫の物語』と、アニメ界の巨匠の引退作らしき作品が続きましたが、正直どれも「これで引退は許されないんじゃないか」と思うところがありました。その中にあって、『Gのレコンギスタ』(以下、『Gレコ』)は意欲作だった。73歳の富野由悠季が、枯れることなく変なことをやっている。ただ、いきなり新しいことを始めてしまってそれをモノにしきれなかった。例えば、5つの勢力を同時展開させることがそう。基本的には、これはすごくいいんです。『機動戦士Zガンダム』(85年)以来、富野ガンダムの基本は「三つ巴」だった。二大勢力が争っていて、そこに3番目の新興勢力が現れる構図。それが『Gレコ』では中盤で勢力が増えていって、最終的に「五つ巴」になる。普通なら作家として脂が乗っている若手~中堅のときに持ち込むような新しい試みを73歳がやっていること自体は買いたいんだけど、そのせいで難解になってしまっていた。そもそも尺が短すぎた。1年間かけないと語りきれない話を2クールでやったことによる混乱があって、それを解きほぐす作業をまだ誰もできていないんじゃないか。僕も3周しましたが、まだよくわかっていないところがあります。
    宇野 僕は本当に最初は話がまったく理解できなくて8話あたりで一度挫折して、しばらくして15~16話まで観てまた挫折して、その後ようやく最終話まで観終えました。まあ、内容がまったく理解できない、説明不足で情報量を詰め込み過ぎだという批判は正しいと思うけれど、ラスト数話はそれでも流れで見せてしまう演出の力技のほうが勝っていたと思うんですよね。全話このクオリティが維持できれば、普通に傑作扱いだったんじゃないかとすら思う。逆にいえば、ラスト数話まで「これはなんだろう」と思って観ていた。ただそれは必ずしも批判じゃなくて、富野由悠季がすさまじいことをやっているから。もともと彼の演出テクニックとして、物語的に整理されていないところを意図的に残すことによってリアリティを出すというのは80年代以前からよくあった。けれど、なんと『Gレコ』は全部それで作られている。
     これは結構恐ろしいことで、そもそもこんなに映像というものが20世紀に発達したのは、三次元の体験は特定の狭い共同体の中のコンテクストをわかっていないと共有できないけれど、一度それを二次元に焼き直して映像にして、虚構にしてしまうとわかりやすく整理できるから。だから映像メディアというものが生まれたことによって初めてグローバルコンテンツが生まれたし、今までにない規模で社会というものを運営することができるようになっていった。
     その意味では、作家の意図したもの以外配置できないアニメは、究極に統合された、現実の解離性を全く孕まない映像を生むことができる究極の映像装置なわけです。だからグローバル化の進行と並行して、世界的にメガヒットする映画がアニメ中心になっていったわけだけど、その状況下において『Gレコ』は、わざわざアニメで現実以上に乖離した状態を執拗に描いている。これは要するに富野由悠季の反時代的なメッセージだと思う。誰もが映像=統合されたリアリティにカジュアルに接することができる時代にあって、もはや作家が100%コントロールできる映像でしか、バラバラに乖離した現実に人々が向き合うことはできないってことだと思うんですよね。
     例えばベルリ[1]がカーヒル[2]をなぜ殺したのかはよくわからないけれど、そのよくわからないところも含めて、うまく説明できない、腑に落ちない「現実」をわざわざアニメでシミュレーションしている。話が終始噛み合っていたり、人物の行動がいちいち腑に落ちるのは物語の中だけ。というか、そもそも我々が物語に求めるのは説明可能な、統合された世界という虚構なんですよね。でも『Gレコ』はほとんど嫌がらせのようにそれを拒否していて、アニメでわざわざ、それも執拗に現実並みに乖離した世界をシミュレーションしている。
    石岡 そう、全員の思惑がどうもフワフワしてるんですよね。公式サイトのあらすじを読み返しても、いまいち掴めない(笑)。確かに、“非統合”の可能性がここにはあるのかもしれない、と思わされますね。
    主人公に恋人ができなかったのはなぜか
    宇野 メカ演出は普通に素晴らしかった。あれだけバラバラのデザインワーク[3]で作られたものを同じ絵に収めて、あの尺でまとめあげるということをやれる演出家は世界中で富野由悠季だけだと思う。これは押井守がよく言うことだけど、通常はアクションを入れると物語は停滞するもの。それが、モビルスーツ戦闘自体が登場人物たちの思想のパワーバランスとリンクされていて、物語的な緊張感を演出することができていた。

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  • 【最終回】「ポストギアス」と今後のロボットアニメ/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(9)【不定期配信】

    2017-07-20 07:00  
    550pt


    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。最終回となる今回は、「ポストギアス」の諸作品や、『ガンダム』『マクロス』などの最新作の動向からロボットアニメの今後を展望します。

    「ポストギアス」をめぐる試行錯誤――『ギルティクラウン』『ヴァルヴレイヴ』
     前回は『コードギアス』の達成について、主として終盤の主題展開の独自性という点から考察しました。今回は「ポストギアス」アニメをいくつか検討した上で、あらためて今世紀のロボットアニメについての総括を試みたいと思います。『ギアス』前後の谷口悟朗監督作品はすでに検討しましたが、彼は『ギアス』以降は仕事のペースを一時緩めています。『ジャングル大帝 -勇気が未来をかえる-』(2009)監督、『ファンタジスタドール』(2013)原作などですね。2015年の『純潔のマリア』をきっかけに、2016年の『アクティヴレイド -機動強襲室第八係-』、2017年の『ID-0』と立て続けに監督をつとめ、いずれも渋い佳作ですが、ややベテランアニメファン向けのきらいがあります。「コードギアス10周年プロジェクト」ではそうした円熟した作風を一部手放す必要があるかもしれません。
     むしろシリーズ構成・副構成をそれぞれつとめた大河内一楼と吉野弘幸が、『ギアス』のテイストを意識したかのような展開をいくつかのアニメで入れたさいに、反発を呼んだケースの方が目立つように思われます(もっとも、アニメファンが「苦手な展開」をもっぱらシリーズ構成に帰す慣習が実際のスタッフワークと一致しているとは限らないと思いますが)。
     以下、この二人が関わっているか否かを問わずに次の3つのアニメを簡単に検討したいと思います。『ギルティクラウン』『革命機ヴァルヴレイヴ』『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』です。
     まず『ギルティクラウン』ですが、これはロボットアニメというよりは異能力もので、ギアス能力をめぐる人対人のバトル要素を、ギスギスした展開込みで取り入れしようとしたところがあります。けれども実際にはメインヒロインいのりの造形(かわいさ)に大幅に依拠しつつも、本編では空気ヒロイン気味、といった風情の作品でした。これはちょうど、最初は男女双方の視聴者獲得を目指していたと思しき『K』で男性視聴者を狙いに行った女性キャラ「ネコ」の存在感と似た事態です。『K』は「抜刀」アクションが盛大に女性受けした結果、男性狙いの方向性は後退していったがゆえに、宙に浮いた形となったわけです。『ギルティクラウン』は企画の随所に野心的なところがありつつも、それらがうまく機能したとはいえませんが、2017年にまさかのパチスロ展開をみているので、今後再評価される可能性がないとはいえません。
     さて『革命機ヴァルヴレイヴ』は今では主題歌とラストの「銅像エンド」が有名かもしれません。すでにこの連載では「性的な場面」について触れました(ティーンズの「性と死」を描けるジャンルとしてのロボットアニメ/今世紀のロボットアニメ(3))。学生だけのコミュニティがギスギスしていき崩壊の危機を迎える、というアイディアは『無限のリヴァイアス』を思わせますが、「ポストギアス」ゆえによりエクストリームな展開になっています。共感性にあまり寄り添わないキャラクターたちの恋愛感情をめぐるゴタゴタは興味深く、ロボットアニメでなければ成立不可能だったと思わせますが、ルルーシュやスザクのようにはいかなかったきらいがあります。両作はどちらも「クリフハンガー」「全方位を少しずつ苛つかせる」など、『コードギアス』メソッドを志向したところがありますが、なかなかうまくいかないようにみえます。まとめると、『ギアス』が出した解決も、「ポストギアス」の困難も、ともに作品が抱える「卑近さ」の扱いに起因するのではないでしょうか。ギアスの場合、ルルーシュの卑近さ=シスコンというシンプルなフェチに駆動されつつ、国際政治や戦闘をめぐるポリティカル・フィクションともうまくブレンドされていたわけですが、「ポストギアス」アニメの多くはそこを短絡的に流用してしまった感があります。
    ロボットアニメのポテンシャルを十全に発揮した『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』
     そんな中、スタッフ的にはあまり『ギアス』と関連するところはないのですが、個人的に「ポストギアス」アニメの快作といってよいのが『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』だと考えています。なぜなら、『コードギアス』の重要な点としては、卑近な欲望と「高貴」な主題の並置という、富野由悠季が得意としたロボットアニメならではのスタイルを『クロスアンジュ』が巧みにアレンジしていると思うからです。ハイファンタジー志向だった『聖戦士ダンバイン』の後半では結局東京が舞台になるのですが、こうした側面は、例えば宮崎駿作品と比べると、ファンタジーを作りきれていないという批判となるでしょう。大きなテーマを卑近な欲望に落とし込む手法がいわば嫌われているわけで、『ダンバイン』後半の東京はその象徴といえます。けれども『ダンバイン』終盤の魅力は、舞台が東京であるがゆえに生まれているところは無視しえません。
     『クロスアンジュ』が興味深いのは、『ガンダムSEED』で今世紀のロボットアニメとしては記録的なヒットを飛ばし、続編の『ガンダムSEED DESTINY』もヒットさせながらも、納期に間に合わなくなる事態の多発などもあってか、しばらく沈黙を余儀なくされたようにみえる福田己津央が、「総監督」として見事に復活したことでしょう。端的にいうと、「ポストギアス」アニメの多くが扱いかねていた偽悪要素を、うまくシナリオ展開と結びつけているがゆえに、卑近な要素がかえって爽快な物語になるという結果をもたらしています。主人公のアンジュは「ミスルギ皇国」の皇女として、特殊能力「マナ」を使えない「ノーマ」と呼ばれる人々を侮蔑する選民思想を抱くようになっていたのですが、ある日自分自身がノーマだったことが判明し、皇女の地位を剥奪されたあと、ほぼ牢獄といってよい「アルゼナル」へと追放されます。そして当初は「私はミスルギ皇国の皇女よ!」とあくまでも過去の栄光にすがるかのような言動をみせていたアンジュですが、しだいにアルゼナルの劣悪な環境に馴染んでいきます。実はこの初期設定が、図らずも福田己津央の巧みな自己批評になっているように思われます。なぜなら、このアンジュの状態はまさに「私はガンダムSEEDの福田己津央だぞ」と主張しているのも同然だからです。けれどもそうした過去の栄光は今やなく、一度底辺にまで落ち込んだ境遇からたくましく再起を図るしかない。そういう醒めた自己批評ができていることが、『クロスアンジュ』にある種の凄みを与えているのではないでしょうか。そして実際に福田己津央は再起を果たしたのではないかと考えています。
     『クロスアンジュ』のジャンル的な位置付けをざっくりとまとめるならば、映画『女囚さそり』シリーズ(1972-1973)の流れをくむ「女囚もの」といえるでしょう。興味深いのは、『クロスアンジュ』では「自称正義」を揶揄する要素は少なめなので、オタクコンテンツでしばしばみられる「正義をやっつける欲望の肯定」原理が嫌味にならず、むしろラスボスがコテコテの童貞臭漂うキモオタ博士であることがうまく活かされています。
     『クロスアンジュ』にはある部分では『ガンダムSEED』の性別逆転シナリオといえるところがあって、それは後にアンジュのパートナーとなる男性「タスク」と出会う第5話にあらわれています。無人島と思しき島に行くと実はそこには人が住んでいて……という流れのこうした単発回は、ファーストガンダムの異色エピソード『ククルス・ドアンの島』(15話)に由来します。本編から切り離され、別の視点で物語を展開できるメリットはありますが、『ふしぎの海のナディア』の「島編」のように、制作リソースの不足を補うための「水増し」であったり、キャラクターの「記憶喪失」並に濫発される「デバイス」となっている感も否めません。『ガンダムSEED』では24話でのアスランとカガリのエピソードがよく知られており、男女が(昨今では性別を問わないですが)島から出られないというシチュエーションからは、恋愛ないし性的な展開が期待されることも多いわけです。

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  • 【特別配信】おそ松さん――社会現象化した"覇権アニメ"が内包するテレビ文化の隔世遺伝(石岡良治×宇野常寛)

    2017-06-26 07:00  
    550pt


    「特別再配信」の第11弾は、話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」より、『おそ松さん』をめぐる石岡良治さんと宇野常寛の対談です。『おそ松さん』が社会現象化した理由を、テレビバラエティの伝統を背景に語ります。(初出:「サイゾー」2016年4月号(サイゾー)/構成:金手健市/この記事は2016年4月27日に配信した記事の再配信です)
    宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
    延長戦はPLANETSチャンネルで!



    (出典)株式会社ぴえろ 作品情報「おそ松さん」より


    ▼作品紹介
    『おそ松さん』
    原作/赤塚不二夫 監督/藤田陽一
    シリーズ構成/松原秀 キャラクターデザイン/浅野直之 制作/スタジオぴえろ 放映/テレビ東京ほか(15年10月~16年3月)
    『おそ松くん』の世界から月日が流れ、ニートで童貞の大人になった六つ子が描かれる。各話が完全な続きもののストーリーになっているわけではなく、1回の放送で複数のショートネタが入っている回もある。

    もはや社会現象化した“覇権アニメ”が内包するテレビ文化の隔世遺伝
    石岡 『おそ松さん』、まさかここまで圧倒的な作品になるとは、始まる前は予想もしてませんでした。もはや深夜アニメの1作品というより、これ自体がひとつのジャンルなんじゃないかっていうくらい、コンテンツが広がりを持っている。監督・脚本は『銀魂』と同じ組み合わせ【1】ですが、『銀魂』がいま動かしにくくなっている中で、そこで本来やりたかったことのコアな部分を非常に拡大してやれてしまっているというか。正直この企画は、コケていたらめちゃくちゃサムかったはずの相当リスキーな作風だった。
     『おそ松くん』はこれまで2度アニメになっている【2】けど、どちらもイヤミの「シェー」で当たった作品だった。チビ太とイヤミの人気が出て、タイトルこそ『おそ松くん』だけど六つ子は完全な脇役。ただしそれは作者の赤塚不二夫が六つ子の描き方も台詞もほぼ区別していないという、いってみればポップアートのようなコンセプチュアルなネタだったからでもある。それを『おそ松さん』では六つ子それぞれに人気声優【3】を当てて、キャラをつけまくった。
     その上で、なぜ「コケていたらサムかった」と思ったかというと、「(六つ子の)こいつはこういうキャラ」というのを前提にして、そのキャラならやらなそうなことを急に豹変してやってしまうという、ハイコンテクストなネタをどんどんぶち込んでくる。これはいま観ると大ヒット前提で作り込んできたように見えるんだけど、外したらかなり痛々しいことになっていたはずで、そこをきっちり決めてきたのはすごい。“スベり笑い”も多くて、2話を観たときに「大丈夫か?」ってちょっと思ったんですよ。ローテンションな話が延々繰り返されて、ギャグも投げっぱなしであまり回収しない。人によっては本当につまらないネタも必ずあるはず。それを補ったのが、さっき言った通りひとつのジャンルと言ってもいいくらい幅広い作風にする、手数を増やすというリスクヘッジだった。つまりネタのバリエーションが広い。僕はそんなにバラエティを多く観るほうではないけど、お笑い番組的な知性が発揮された構成の良さが出たんじゃないかと思った。

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