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  • 『グエムル-漢江の怪物-』の環世界|石岡良治

    2022-04-05 07:00  
    500pt

    今日のメルマガでは特別お蔵出し企画として、批評家の石岡良治さんによる怪獣映画『グエムル-漢江の怪物-』論をお送りします。 『パラサイト 半地下の家族』で非英語圏では初めてアカデミー賞で作品賞を受賞したポン・ジュノ監督の出世作であり、2006年の公開当時、韓国社会のリアリティを浮き彫りにした反米映画として話題を呼んだ『グエムル』。表層的な物語展開による社会風刺にとどまらない、この映画を特徴づける橋桁や下水溝、「水」や「煙」といったディテールがどのようにアレゴリーとして機能しているのか。表象文化研究を専門とする石岡さんならではの切り口で論じられています。 (初出:『ユリイカ』2010年5月号110-118ページ)
    『グエムル-漢江の怪物-』(グエムル ハンガンのかいぶつ、原題:괴물)は、2006年公開の韓国映画。2006年7月7日に韓国、同年9月2日に日本で公開された。2007年までに世界23か国で公開された。 漢江から突如上陸した黒い両生類のような怪物(グエムル)は、河原の人々を捕食殺害し、露店の男カンドゥ(ソン・ガンホ)の娘、ヒョンソ(コ・アソン)を捕まえて水中へ消えた。ヒョンソは怪物の巣の下水道から携帯電話で助けを呼ぶ。一方、在韓米軍は怪物は未知の病原菌を持ち、感染したとみられるカンドゥを捕えようとする。カンドゥと一家はヒョンソを救う為に追われながら怪物を探す。(出典)
    「反映」から「反響」へ
     ポン・ジュノ監督の『グエムル-漢江の怪物-』(2006)もそうであるように、すぐれた怪物映画はほぼ例外なく、政治的アレゴリーとして読解することが可能である。じっさい『グエムル』では、韓国の対米関係への風刺にはじまり、軍政から民主化に至る社会変動についての批評的なまなざしを随所に見出すことができる。かりにそのような「社会派」的な次元に抗する形で、この映画を「家族の物語」とみても同様だろう。怪物に立ち向かうのは、ソン・ガンホが演じる主人公パク・カンドゥとその家族たちだが、世代差がそのまま韓国史の縮図になるように、周到に彼らの関係が配置されているからだ。 しかしながら、この映画の政治性は社会の「反映」にのみ見出されるのではない。多くの怪物映画では、平和な社会秩序に怪物というカオスが導入されたあと、最終的に怪物が撃退されることで再び秩序がもたらされる。もちろん『グエムル』にもそうしたモメントは存在するが、そのようなプロットから読解することは不毛だろう。むしろ怪物の異形性が、人々の行動にひそむ敵対性の次元を明るみにしたうえで、そこからさらなる連帯の可能性が模索されていることが重要である。すなわち、怪物が政治的に機能するためには、たんなる異物の排除や調伏の物語にとどまることなく、オーダーとカオスの分割そのものが動的に変容し続けていくことが必要なのだ。『グエムル』の随所に見出される批評的なまなざしは、社会そのものが備えるカオス性を暴き続けている。ゆえに刻々と移り変わる状況は、カオスからカオスへのたえざる移行として現れる。たとえみかけ上画面が静けさを取り戻しているときも、それは相対的安定にすぎない。
     したがって、実際には怪物こそがこの映画にオーダーを与えている。この言明は『グエムル』がジャンル映画としての性質を持つ以上、一見すると自明の理であるように響く。しかし英語のタイトル『The Host』が示すように、怪物がパラサイトではなく「ホスト(宿主)」と呼ばれていることは、たんなる自明の理を超え出る射程をみせている。映画の冒頭部は漢江へと流れ込む下水溝に廃棄物が垂れ流される場面であり、怪物の発生源を示唆している。だが、怪物映画のクリシェに忠実なこの場面も含めて、駐韓米軍を介する形で繰り広げられる陰謀のプロットは、作中常に疑わしいものとして描かれ、ほとんど滑稽な性質すら帯びる。というよりむしろ、「設定」に対する詮索の疑わしさがこの映画の「プロット」に取り入れられている。未知のウイルスの「ホスト」とされる当の怪物は、突然変異の帰結をみせつけるばかりで、原因の探究が慎重に省略されているだけでなく、途中でウイルス説がフェイクだと判明するのだ。このように、発生原因への遡行ではなく、怪物の存在が投げかける波紋の方に力点が置かれた演出は、最終場面に至るまで、状況をコントロールする「ホスト(主人)」が怪物であることを示すだろう。  こうして、実際にはウイルスなど存在しないにもかかわらず、「ホスト」とみなされた怪物の存在は、米国の介入による化学薬品「エージェント・イエロー」散布作戦の口実に用いられる。だがもちろん、この映画が描くのは「実体を欠いた社会的パニック」ではない。それどころか、パニック映画の典型ともいえる、暴れ回る怪物から人々が逃げ惑う場面が、クライマックスではなく最初の山場に置かれているところが興味深い。怪物がもたらす集団的なパニック経験の場面を早々と印象づけることによって、『グエムル』は映画そのものの集団的な次元を浮き彫りにしているのだ。以後は大規模な惨事を繰り返すのではなく、むしろ怪物の存在が登場人物たちに及ぼす「反響」が強調されることになる。媒介者となることで、漢江の怪物は政治的状況を「反映」させるだけでなく、物語が動的に変容していく状況を「反響」させるのだ。
    漢江の怪物
     『グエムル』を比類なき怪物映画にしているのは、怪物の絶妙なサイズ設定である。魚や両生類と似た形状を有しつつ、ちょうど個人の手に負えないぐらいの巨大さがもたらすグロテスクな印象が、どっしりとした量塊性とぬらぬらした質感を兼ね備え、状況を動的に反響させる荒唐無稽なアクションを可能にしている。そして怪物のこうした特性は、画面のレイヤーを任意に超えていくCGの存在論的身分と結びつく。  グエムルすなわち漢江の怪物は、ヨイドの公園でパク一家が営む売店からみえるところで、まず橋桁にぶら下がった姿で現れる。そして水面へと飛び込むと、川べりの近くに影をみせる。ここで最初にうかつな行動を取るのは主人公のカンドゥだ。よりによって影に向かって缶ビールを投げ、丸ごと飲み込んだことを確認した観光客たちが、「つまみ」をはじめとして様々なものを投げ、画像を撮影する者まで出る始末だ。このような、パニックに先立つ冒涜行為は怪物映画の「掟」であろう。事実、その直後に、背後から公園に上陸した怪物が次々と人間を襲い始める場面が続き、その姿はバスからもみることができる。  プレハブの建造物内部や駐車場の陰などの、見えないところで起こる惨劇は、観客への配慮や画面作りの省力化だけでなく、隙間へと潜り込んでいくこの怪物の「機能的」な行動へとフォーカスされている。いずれにせよCGで描かれる限り、怪物とそれ以外の画面要素との齟齬は決して避けられまい。ならば「レンズを通す必要のない」変幻自在な特性を最大限に生かすべきなのだ。最初の山場である一連の惨劇の締めくくりとして、カンドゥの娘ヒョンソをしっぽでつかまえたまま、怪物はスワンボートの「間に」着水する(図1)。
    ▲図1 出典:『グエムル-漢江の怪物-』より(以下同)
     それまでの派手な立ち回りと比べるとあっけないぐらいに静かなこの場面の恐怖は、あらかじめ小型化されていた怪物のサイズがCGの特性と結びつくことによって得られたものといえるだろう。   「漢江の怪物」の棲息地は、川の中というよりはむしろ橋桁と下水溝である。人工物が立ち並ぶ漢江沿いが、怪物にとっての知覚と行動が成り立つ「環世界」(ユクスキュル『生物から見た世界』岩波文庫)となっているのだ。防疫要員として動員され、黄色い作業服を着た男が漢江の水面を見つめる場面は、怪物の環世界を効果的に要約している。濡れた紙幣というわかりやすい欲望に気を取られた作業員は、水面ではなく橋桁から現れる怪物に強襲されてしまうからだ(図2)。
    ▲図2
     以後、登場人物だけでなく観客も、怪物が何に気付き、どのような行動を取るのかについての予測を迫られることになるだろう。この種の怪物映画において、恐怖の対象が投影されるためには、音楽とともに水面を映すだけで十分だが、それはあくまでも気配の演出にとどまっている。ポン・ジュノはここから一歩進み、橋の下から橋桁を見上げた時に映る闇をも恐怖の対象にすることで、「漢江の怪物」の棲みつく圏域を効果的に印象付けている。  怪物の行動の変幻自在さを可能にしているのは、数多くの機能を備えたしっぽである。上陸早々人を投げ飛ばしたり捕らえたりするだけでなく、とりわけ脚としっぽを用いてバク転しながら橋桁を伝うトリッキーな動きが素晴らしい(図3)。
    ▲図3
     このように、怪物のしっぽが人を投げ飛ばしたり、巻き付けて捕獲したり、橋桁にぶらさがる器官であるとするなら、怪物の口は、食物に噛みついて咀嚼する補食機能だけでなく、獲物をくわえたあと口の中に入れ、巣に持ち帰る機能も備えている。この機能が明らかになるのは、カンドゥがヒョンソから携帯電話を受け、下水溝に捕らえられていると告げられたあと、ヒョンソが、強襲された作業員の生死を確かめる場面においてである。彼女はすでに怪物の「口の中に入る」ところを見せつけられ、葬儀も執り行われてしまっていたが、下水溝の怪物の巣で生きていることが判明するのだ。  死んでいたと思われたヒョンソの生存は、パク一家の脱走劇を動機付けるだけでなく、下水溝の怪物の巣が、遺体と生存者が混在する場所であることを示すだろう。ほどなく死んでしまった作業員のあと、「売店荒らし」をして暮らす兄弟もまた巣に運び込まれ、兄セジンの死亡と弟セジュの生存をヒョンソは確認する。ここで観客はヒョンソと共に、怪物はまず巣に食物を運んだのちに補食するという推測を行うかもしれない。だがそのあと巣に運びこまれるのは、勢いよく吐き出される人骨である。この場面が生々しく描く恐怖は、主要人物の安全の鍵が、あくまでも怪物の側にあることを示すだろう。  このように、怪物の造型は、漢江とその沿岸の陸地だけでなく、橋桁と下水溝といった高低差を伴う「環世界」のひろがりを、口やしっぽの機能によって明らかにする。怪物が水面から来るか、橋桁から来るか、それとも真っ直ぐ駆け抜けていくかという選択だけでなく、襲われていったん怪物の口の中に入ってしまった後も、生け捕りになるか、そのまま息絶えるか、あるいは骨になるかという選択が生じる。「漢江の怪物」にとっての環世界となりうるあらゆる知覚や行動のターゲットとして、人々は様々な仕方で恐慌に陥れられるのだ。
    宇野常寛 責任編集『モノノメ #2』PLANETS公式ストアで特典付販売中対談集『宇野常寛と四人の大賢者』+ 「『モノノメ #2』が100倍おもしろくなる全ページ解説集」付
     
  • Pokémon LEGENDS アルセウス、タコピーの原罪、カムカムエヴリバディ、冬アニメ総括……4月のカルチャー番組のお知らせです

    2022-04-03 17:15  

    こんにちは。PLANETS編集部です。新年度になりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
    本日はPLANETSチャンネルのカルチャー関連番組についてお知らせします。
    ※どの番組も生放送に加え、タイムシフト・アーカイブでの配信を予定しています。
    【新番組】「現代ゲーム通信」
    現代のエンターテインメントとして、今なお進化を続ける〈ゲーム〉。今月から、話題のゲームタイトルとその背景を徹底批評する新番組「現代ゲーム通信」がスタート。有料ゲームメディアとして国内随一の購読者数を誇るnote「ゲームゼミ」を主宰するゲームジャーナリスト・Jiniさんと、『現代ゲーム全史』著者でPLANETS副編集長の中川大地のコンビで、既存のゲームマスコミや実況動画では絶対に味わえないゲーム論を展開します。「気にはなっているけど、自分でプレイする時間が取れそうにない」「いまゲーム分野で何が起きているのかだけでも知
  • 【今夜21時から見逃し配信!】石岡良治×福嶋亮大「2020年の想像力」

    2021-01-23 12:00  
    今夜21時より、批評家の石岡良治さんと文芸批評家の福嶋亮大さんをお招きした遅いインターネット会議の完全版を見逃し配信します。
    24時までの限定公開となりますので、ライブ配信を見逃した、またはもう一度見たいという方は、ぜひこの期間にご視聴ください!
    石岡良治×福嶋亮大「2020年の想像力」見逃し配信期間:1/23(土)21:00〜24:00
    コロナ禍によってエンターテインメントが大きな打撃を受けた2020年。「鬼滅の刃」「愛の不時着」「梨泰院クラス」「BTS」「TENET」「MIU404」といった既存ジャンルのヒットコンテンツから、ライブや演劇のオンライン配信といった新動向まで、ステイホームの環境下でカルチャーシーンがどう変動したのか、ゲストのお二人とともに振り返ります。
    ※冒頭30分はこちらからご覧いただけます。https://www.nicovideo.jp/watch/so379859
  • ディズニー、ピクサー、ジブリ…『アナ雪』大ヒットから見えるヒロイン像の"後進性"ーー石岡良治×宇野常寛が語る『アナと雪の女王』 (PLANETSアーカイブス)

    2019-11-15 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、批評家の石岡良治さんと宇野常寛の語る『アナと雪の女王』です。『アナ雪』の大ヒットから逆説的に見えてきたのは、ディズニーの遥か先を走っていたはずのピクサー、そしてジブリが直面する「テーマ的な行き詰まり」だった――?(構成:清田隆之 初出:サイゾー2014年7月号) ※この記事は2014年7月25日に配信した記事の再配信です。

    ▲アナと雪の女王 MovieNEX [Blu-ray]
    ピクサー化するディズニー・アニメの象徴としての『アナ雪』
    宇野 『アナと雪の女王』はまず、予告編で「Let It Go」のシーンを観たときに、「ディズニーは、この作品にものすごい自信があるんだな」と思ったんですよ。それで実際に観てみたら、まぁやりたかったことはわかるのだけど、作品としての出来がいいとまでは思えなくて、予告編の期待は超えなかったですね。 『アナ雪』の話をするにあたっては、前提として、ここ10年くらいのディズニー映画とピクサー映画の流れについて言及しておく必要があると思う。アニメファン的に見ると、ディズニーとピクサーって技術的にはそこまで差がないんだけど、ゼロ年代は特にシナリオは圧倒的にピクサーのほうが上だと言われていた。『モンスターズ・インク』(01年)、『ファインディング・ニモ』(03年)、『Mr.インクレディブル』(04年)など、圧倒的にシナリオワークの優れた作品を連発していたピクサーに対して、ディズニーはいまいちな作品ばかりだった。家族観・ジェンダー観にしても、旧来のディズニーは古典的なプリンセス・プリンスもの、ボーイ・ミーツ・ガールの話をベタに描いていたのに対し、ピクサー作品は、例えば『Mr.インクレディブル』だったら「古き良きアメリカの強い父」みたいなイメージがもう通用しないというところから出発していたように、時代の移り変わりや新しい家族観・ジェンダー観を取り込むことによって重層的な脚本を実現してきた。言い換えるとそれは親世代、つまり団塊ジュニア世代の記憶資源に訴えかけながら、子どもも楽しめる物語をどう作るか、ということ。一つのストーリーで大人にはイノセントなものの喪失の持つ悲しみを、子どもには古き良きアメリカのイメージを、その記憶を持たないことを利用して輝かしいものとして提示する、というのがピクサー的、ジョン・ラセター(※1)的なものの本質だと思うわけ。これは『トイ・ストーリー』から、最近のピクサー化しつつあるディズニーの『シュガー・ラッシュ』(※2)まで通底している。要するに、この流れはさまよえる現在の男性性をテーマにしてきた流れだとも言える。

    (※1)ジョン・ラセター…ピクサー設立当初からのアニメーターであり社内のカリスマ。06年にディズニーがピクサーを買収し、完全子会社化したことでディズニーのCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に就任。ディズニー映画にも多大な影響を及ぼしているという見方がなされている。
    (※2)『シュガー・ラッシュ』…公開/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(13年/日本)。アクションゲームで何十年も敵キャラを演じることにうんざりしたラルフが、別のゲームの中でヒーローになろうとしたことから、複数のゲームの世界を舞台にした騒動が巻き起こる。

     じゃあ、『アナ雪』は何か、というと、ここでもう自信喪失したおじさんたちの話はやめよう、ってことなんだと思う。自信喪失したおじさんたちの回復物語はもうやりつくしたので、自分探し女子の物語に切り替えて新しいことをやろう、ってことなんでしょうね。この決断は良かったんじゃないかと思う。その結果、出てきたのが最終的に王子様のキスではなく、姉妹愛というか同性間の関係性で救済される新しいプリンセス・ストーリーだった、ってこと。ディズニーといえばおとぎ話的な「いつか白馬の王子様が……」的な世界観でやってきていて、まあ、現代的なそれとは到底相容れないアナクロな世界観が維持されている文化空間なわけで、そこからこの作品が出てきたので、みんなこれは新しい、感動した、って言っているわけだけど……。うーん、それって、あくまでディズニーの過去作と比べたら今時のジェンダー観に追いついているってことに過ぎないんじゃないかって思うんですよね。この作品に何か特別なものがあるとは思えない。
    石岡 僕はまず、歌のバズり方自体に興味を持ったんですよ。これは日本特有だと思うけど、「Let It Go」が「ありのままで」と訳されて、「意識高い」女性に大受けしてますよね。あの歌って、いろんなところで指摘されているように、いわば邪気眼というか厨二病の能力解放の歌だと思うんだけど、それを”自己啓発系”の歌として読んじゃうっていうのは、ある意味で痛快ですよね。つまり、普段は邪気眼的なものに共感を示さないような女性に、「これは私のことだ!」と感じさせているわけで、うまいといえばうまい(笑)。
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  • 今夜20:00から生放送!石岡良治×福嶋亮大×宇野常寛「続・高畑勲の遺産をどう受け継ぐか」2019.9.17/PLANETS the BLUEPRINT

    2019-09-17 11:20  
    今夜20時から生放送!「PLANETS the BLUEPRINT」では、 毎回ゲストをお招きして、1つのイシューについて複合的な角度から議論し、 未来の青写真を一緒に作り上げていきます。 今回のゲストは、批評家・石岡良治さんと、文芸批評家の福嶋亮大さんです。 戦後日本アニメーションに多大な影響を与え、昨年この世を去った高畑勲監督。 彼がアニメーション業界に遺したものとは、一体なんだったのでしょうか。そしてその遺産は、どう受け継がれるのでしょうか。 現在国立近代美術館で開催中の回顧展を踏まえ、改めてその功績について議論します。 【合わせてご覧ください】 高畑勲監督追悼企画 -アニメにとって高畑勲の遺したものとは何か-https://youtu.be/FHvDC2xDHAc▼放送日時2019年9月17日(火)20時〜☆☆放送URLはこちら☆☆https://live.nicovideo.jp
  • 宇野常寛 NewsX vol.40 ゲスト:石岡良治「現代アニメになにが起きているか」【毎週月曜配信】

    2019-08-19 07:00  
    550pt

    宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」の書き起こしをお届けします。6月18日に放送されたvol.40のテーマは「現代アニメになにが起きているか」。批評家で『現代アニメ「超」講義』を刊行したばかりの石岡良治さんをゲストに迎え、21世紀アニメで最重要の10作品をピックアップ。この20年で日本のアニメは何を描いてきたのか。その論点を改めて見直します。(構成:佐藤雄)
    NewsX vol.40 「現代アニメになにが起きているか」 2019年6月18日放送 ゲスト:石岡良治(批評家) アシスタント:加藤るみ
    細田守が捨て去った『ぼくらのウォーゲーム』から21世紀アニメを始めよう
    加藤 NewsX火曜日、今日のゲストは批評家・早稲田大学准教授の石岡良治さんです。よろしくお願いします。おふたりはお付き合いがもう長いんですよね。
    宇野 10年以上の付き合いになります。石岡さんは僕の尊敬する批評家でありオタクとしての先輩でもあって、長い間、僕の媒体に書いてもらっています。 知り合ったのは、僕が物書きとしてデビューしてからで、これはよく話しているんですが、僕は石岡さんみたいな先輩にもっと早く出会いたかった。僕の田舎は北海道の帯広で、中学生のときにアニメにハマってオタクになっていくんだけど、人口15万人ぐらいの街の中学校に、僕みたいなやつが居たら、ダントツ一位のオタク力なんですよ。でも、本や雑誌を見るとオタクの世界はもっと深いわけ。それで高校は函館の寮のある進学校に行くことになるんだけど、高校には素晴らしいオタクの先輩が居て「宇野くん、こんな本も読んでないのか」「こんな漫画も読んでないのか」「こんなアニメも観てないのか」って感じで、毎日読まなきゃいけない本や漫画、観なきゃいけないビデオテープが山のように積まれてオタクエリートに調教してくれるものだと思って期待してたんだよ。ところが函館の高校も大したことはなくて。巨乳の女の子が魔法を使ってゴブリンを倒すライトノベルを読んで、「萌え〜」とか言ってるヌルいオタクがウロウロしているだけだった。「はぁ?」と思って絶望したんです。その後、1人で孤独に函館の古本屋を回る高校生活を送るんだけど、その10年後に石岡さんに出会って、本当にこういう先輩と出会いたかったと思った。石岡さんにオタクエリートとして導いて欲しい人生でしたよ。
    石岡 逆に僕は最初に宇野さんに会ったときに、ガンダムトークでほぼ趣味が一致したんです。年齢はだいぶ下なのになんでこんなに一致するんだって思いましたね。
    宇野 6歳下なんだけどその差は決定的なんです。僕はアニメファンとしては趣味が古くて、80年代アニメブームの頃のアニメが好きなんです。
    石岡 そんな感じで長いお付き合いになっています。PLANETSチャンネルでも毎月番組をやらさせてもらっています。
    宇野 その番組が今回『現代アニメ「超」講義』というタイトルで本になっています。
    ▲『現代アニメ「超」講義』

    石岡良治『現代アニメ「超」講義』 - PLANETS公式オンラインストア

    加藤 本日のテーマはこちらです。「現代アニメに何が起きているか」。本の話も含めて石岡さんに今日はたくさんお話を伺いたいと思います。
    宇野 石岡さんには何年もPLANETSチャンネルで番組をしてもらっています。文化時評の番組なんですけど、最近のアニメについて扱った回をテキスト化して再編集したものが、今回の『現代アニメ「超」講義』になります。おかげさまで素晴らしい本になりました。ここで「現代アニメ」と言っているのは21世紀のアニメのことです。この20年間のアニメについて網羅的にガチで語り尽くしていて、出てくる固有名詞は600個以上もあります。
    加藤 それでもまだまだ語りきれなかったんですよね?
    石岡 逆に「600個は少ない」と思う人もいるかもしれません。私も編集の段階でかなり落としていて。泣く泣く削ったものの一部が特典冊子に載っています。
    宇野 この本は石岡さん以外の人には書けない本です。読んだ人は驚愕すると思う。この1冊でここ20年間のアニメのことが全部わかる。今後この本を抜きにここ20年のアニメを語ることはできないと思う。そのくらいの本が出来上がったので、著者である石岡さんに今日は来てもらいました。
    加藤 最初のテーマはこちらです。「21世紀のアニメ 最重要作品10選」。
    宇野 本書の中では数百作品を取り扱っています。それを40分のトークで語ることは無理なので、最重要である10作品に絞って語ってもらおうと思います。事前に選んでもらったものをボードにまとめています。

    宇野 挙げていただいたのは『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』『千と千尋の神隠し』『コードギアス反逆のルルーシュ』『けいおん!』『魔法少女まどか☆マギカ』『ソードアートオンライン』『プリパラ』『君の名は』『おそ松さん』『宝石の国』の10作品ですね。このセレクションそのものにも批評性があると思うんですが、今日は順番に語るのではなくランダムでいこうと思っています。時間の許す限りよろしくお願いします! 最初は何からいきます?
    石岡 「21世紀のアニメ」と銘打ちつつ、実は20世紀末年に公開の『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』から語ってみたいんですね。
    宇野 るみちゃんも大好きな作品なんだよね。
    加藤 大好きです。世代的にも直撃で、何十回と見てますね。
    石岡 今回の『現代アニメ「超」講義』でも、この作品から21世紀を考えたいと思い、この作品を語るところから始めています。監督は細田守です。細田監督はここ十数年、つまり今世紀においては国民的アニメを作っている監督だと思われています。そしておそらく監督の名前を人々に拡めた作品は『サマーウォーズ』だと思うんです。夏休みのお茶の間にいる一家みんなで世界を救うみたいな話ですね。ところが『ぼくらのウォーゲーム』を知っていると、こちらの方が時間も短いし、エッセンスも凝縮されてる。『サマーウォーズ』よりもこっちの方が良い作品だと思うはずなんです。
    加藤 『サマーウォーズ』が夏休みに地上波で放映されるたびに「『ぼくらのウォーゲーム』流してくれよ!」と好きな人は絶対に思いますよね。
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  • 石岡良治×宇野常寛 『君の名は。』――興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(PLANETSアーカイブス)

    2019-08-13 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、映画『君の名は。』について、石岡良治さんと宇野常寛の対談をお届けします。コアなアニメファン向けの映像作家だった新海誠監督が、なぜ6作目にして大ヒットを生み出せたのか。新海作品の根底にある“変態性”と、それを大衆向けにソフィスティケイトした川村元気プロデュースの功罪について語ります。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2016年11月号) ※この記事は2016年11月24日に配信された記事の再配信です。
    ポストジブリから深夜アニメ、キッズアニメまでを語り尽くす! 石岡良治さん「現代アニメ「超」講義 」好評発売中▲『現代アニメ「超」講義』
    宇野 まあ、身もふたもないことを言えば、よくできたデート映画ですね、という感想以上のものはないんですよね。本当に川村元気って「悪いヤツ(褒め言葉)」だな、と思わされました。新海誠という、非常にクセのある作家の個性を確実に半分殺して、メジャー受けする部分だけをしっかり抽出するという、ものすごく大人の仕事を川村元気はやってのけた。
     新海誠の最初の作品である『ほしのこえ』【1】は、二つの要素で評価されていた作品だと思う。ひとつは、キャラクターに関心が行きがちな日本のアニメのビジュアルイメージの中で、背景に重点を置いた表現を、それもインディーズならではのアプローチで再発掘したという点。もうひとつは、後に「セカイ系」と言われるように、インターネットが普及しつつあった時代の人と人、あるいは人と物事の距離感が変わってしまったときの感覚を、前述のビジュアルイメージと物語展開を重ね合わせてうまく表現していたところ、この二つです。ただ、それ以降の新海誠は、背景で世界観を表現しようというのはずっと続いていたけれど、ストーリーとしてはそうした時代批評的な部分からは一回離れて、ある種正当な童貞文学作家というか、ジュブナイル作家として機能していた。
     今回、久しぶりに過去作を見返したんですけど、意外とというかやっぱりというか、あの気持ち悪さがいいんですよね(笑)。例えば『秒速5センチメートル』【2】でのヘタレ男子の延々と続く自己憐憫とか、『言の葉の庭』【3】の童貞高校生の足フェチっぷりとか。どっちも女性ファンを自ら減らしに行っているとしか思えない(笑)。でもそんな自分に正直な新海先生が愛おしいわけですよ。1万回気持ち悪いって言われても自分のフェティッシュを表現するのが『ほしのこえ』以降の新海誠作品であり、基本的に彼はそこを楽しむ作家だったと思う。
     それが『君の名は。』では、その新海の本質であるところの気持ち悪さの残り香が、三葉の口噛み酒にわずかに残っているだけで、ほぼ完全に消え去ってしまった。おかげで興行収入130億円を達成したわけだけど、あの愛すべき、気持ち悪い新海誠はどこにいってしまったのか。まぁ、それも人生だと思いますが(笑)。

    【1】『ほしのこえ』(公開/2002年):宇宙に現れた知的生命体を調査する艦隊に選ばれ宇宙へ旅立った少女と、地上の同級生男子の、ケータイメールを通じた超遠距離恋愛を描く。宇宙ゆえに、ケータイという身近なツールで連絡を取り合いながらも、それぞれの過ごす時間がズレていくという設定になっている。新海誠にとって初の劇場公開作品であり(短編)、本作で高い評価を受けたことが現在につながっている。
    【2】『秒速5センチメートル』(公開/2007年):新海誠の3作目の劇場公開作。3話の短編で構成される連作。小学校時代に惹かれ合っていた3人が、転校後も文通を重ねて一度は再会するものの、離れ離れになって時が経ち、思春期を過ぎて大人になり……という長い時間が描かれる。
    【3】『言の葉の庭』(公開/2013年):『君の名は。』の前作にあたる5作目。靴職人を目指す男子高校生が、雨の庭園で出会った大人の女性に惹かれてゆき、2人が近づく過程を描く。

    石岡 僕が新海作品でずっと興味を持っているのは、エフェクトや背景の描写です。彼が日本ファルコム在籍時に作った、パソコンゲーム『イースⅡエターナル』のオープニングムービーは、ゲームムービーを刷新した。この当時から空や背景の描写はとんでもなく優れているんですが、自然に迫る美しさとは違っていて、ギラギラした光線をバシバシ見せつけるような、人工的なエフェクトの世界を高めていくものだった。宇野さんが言った「気持ち悪さ」でいうと背景自体も気持ち悪いというか、その方向へのフェティッシュも濃厚でした。なぜ彼の作品が童貞文学的になってしまうかというと、圧倒的な背景描写に対して、キャラクターをあまり描けなくて動かせないからなんですよね。でもその結果、豊かな背景を前に、キャラクターが立ち尽くす無力感が背景そのものに投影されて、観る人はそれに惹かれる仕組みがあった。
     一方で今回は、キャラクターがよく動く作画でありながら、新海監督には由来しない別の気持ち悪さが生まれていると思う。去年この連載で『心が叫びたがってるんだ。』を取り上げた時、田中将賀【4】さんのキャラデザは中高年以上を描けないんじゃないか、という話をしましたよね。『君の名は。』も田中さんなんだけど、作画監督・安藤雅司【5】の力によって、三葉の父親や祖母はさすがにうまく描かれていた。だけどその代わりに、日本のアニメーター特有の病というか、演出的にはいらないはずのシーンでついパンチラを描いているあたりには、また別種の気持ち悪さがあるんじゃないか。

    【4】田中将賀:アニメーター/キャラクターデザイナー。『とらドラ!』や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』シリーズのキャラクターデザイナー・作画監督を務める。
    【5】安藤雅司:アニメーター。『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』などのジブリ作品や、『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』など今敏作品ほか、数々の人気アニメ作品の原画・作画監督を務めている。

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  • 今夜20:00から生放送!石岡良治×福嶋亮大×宇野常寛「『天気の子』とポスト・ジブリアニメのゆくえ」2019.7.30/PLANETS the BLUEPRINT

    2019-07-30 07:30  
    「PLANETS the BLUEPRINT」では、毎回ゲストをお招きして、1つのイシューについて複合的な角度から議論し、未来の青写真を一緒に作り上げていきます。
    今回のゲストは批評家・石岡良治さんと、文芸批評家・福嶋亮大さん。 7月19日に公開される新海誠監督の最新作「天気の子」をはじめ、 「プロメア」、「海獣の子供」、「きみと、波にのれたら」など、 今年の夏アニメ映画について、ネタバレ全開で語ります。 ▼放送日時放送日時:本日7月30日(火)20:00〜☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者石岡良治(批評家) 福嶋亮大(文芸批評家) 宇野常寛(評論家・批評誌「PLANETS」編集長)ファシリテーター:中川大地(評論家/編集者)
    ハッシュタグは #ブループリント
    ゲストへの質問など、番組へのお便りはこちらから!
    番組終了後、延長戦をPLANETS CLUBで配信します! PLANETS
  • ディズニー、ピクサー、ジブリ…『アナ雪』大ヒットから見えるヒロイン像の"後進性"ーー石岡良治×宇野常寛が語る『アナと雪の女王』 (PLANETSアーカイブス)

    2018-11-12 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、批評家の石岡良治さんと宇野常寛の語る『アナと雪の女王』です。『アナ雪』の大ヒットから逆説的に見えてきたのは、ディズニーの遥か先を走っていたはずのピクサー、そしてジブリが直面する「テーマ的な行き詰まり」だった――?(構成:清田隆之 初出:サイゾー2014年7月号) ※この記事は2014年7月25日に配信した記事の再配信です。

    ▲アナと雪の女王 MovieNEX [Blu-ray]
    ピクサー化するディズニー・アニメの象徴としての『アナ雪』
    宇野 『アナと雪の女王』はまず、予告編で「Let It Go」のシーンを観たときに、「ディズニーは、この作品にものすごい自信があるんだな」と思ったんですよ。それで実際に観てみたら、まぁやりたかったことはわかるのだけど、作品としての出来がいいとまでは思えなくて、予告編の期待は超えなかったですね。 『アナ雪』の話をするにあたっては、前提として、ここ10年くらいのディズニー映画とピクサー映画の流れについて言及しておく必要があると思う。アニメファン的に見ると、ディズニーとピクサーって技術的にはそこまで差がないんだけど、ゼロ年代は特にシナリオは圧倒的にピクサーのほうが上だと言われていた。『モンスターズ・インク』(01年)、『ファインディング・ニモ』(03年)、『Mr.インクレディブル』(04年)など、圧倒的にシナリオワークの優れた作品を連発していたピクサーに対して、ディズニーはいまいちな作品ばかりだった。家族観・ジェンダー観にしても、旧来のディズニーは古典的なプリンセス・プリンスもの、ボーイ・ミーツ・ガールの話をベタに描いていたのに対し、ピクサー作品は、例えば『Mr.インクレディブル』だったら「古き良きアメリカの強い父」みたいなイメージがもう通用しないというところから出発していたように、時代の移り変わりや新しい家族観・ジェンダー観を取り込むことによって重層的な脚本を実現してきた。言い換えるとそれは親世代、つまり団塊ジュニア世代の記憶資源に訴えかけながら、子どもも楽しめる物語をどう作るか、ということ。一つのストーリーで大人にはイノセントなものの喪失の持つ悲しみを、子どもには古き良きアメリカのイメージを、その記憶を持たないことを利用して輝かしいものとして提示する、というのがピクサー的、ジョン・ラセター(※1)的なものの本質だと思うわけ。これは『トイ・ストーリー』から、最近のピクサー化しつつあるディズニーの『シュガー・ラッシュ』(※2)まで通底している。要するに、この流れはさまよえる現在の男性性をテーマにしてきた流れだとも言える。

    (※1)ジョン・ラセター…ピクサー設立当初からのアニメーターであり社内のカリスマ。06年にディズニーがピクサーを買収し、完全子会社化したことでディズニーのCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に就任。ディズニー映画にも多大な影響を及ぼしているという見方がなされている。
    (※2)『シュガー・ラッシュ』…公開/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(13年/日本)。アクションゲームで何十年も敵キャラを演じることにうんざりしたラルフが、別のゲームの中でヒーローになろうとしたことから、複数のゲームの世界を舞台にした騒動が巻き起こる。

     じゃあ、『アナ雪』は何か、というと、ここでもう自信喪失したおじさんたちの話はやめよう、ってことなんだと思う。自信喪失したおじさんたちの回復物語はもうやりつくしたので、自分探し女子の物語に切り替えて新しいことをやろう、ってことなんでしょうね。この決断は良かったんじゃないかと思う。その結果、出てきたのが最終的に王子様のキスではなく、姉妹愛というか同性間の関係性で救済される新しいプリンセス・ストーリーだった、ってこと。ディズニーといえばおとぎ話的な「いつか白馬の王子様が……」的な世界観でやってきていて、まあ、現代的なそれとは到底相容れないアナクロな世界観が維持されている文化空間なわけで、そこからこの作品が出てきたので、みんなこれは新しい、感動した、って言っているわけだけど……。うーん、それって、あくまでディズニーの過去作と比べたら今時のジェンダー観に追いついているってことに過ぎないんじゃないかって思うんですよね。この作品に何か特別なものがあるとは思えない。
    石岡 僕はまず、歌のバズり方自体に興味を持ったんですよ。これは日本特有だと思うけど、「Let It Go」が「ありのままで」と訳されて、「意識高い」女性に大受けしてますよね。あの歌って、いろんなところで指摘されているように、いわば邪気眼というか厨二病の能力解放の歌だと思うんだけど、それを”自己啓発系”の歌として読んじゃうっていうのは、ある意味で痛快ですよね。つまり、普段は邪気眼的なものに共感を示さないような女性に、「これは私のことだ!」と感じさせているわけで、うまいといえばうまい(笑)。
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  • 『心が叫びたがってるんだ。』のヒットが示すもの――深夜アニメ的想像力の限界と可能性(石岡良治×宇野常寛)(PLANETSアーカイブス)

    2018-08-27 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』をめぐる石岡良治さんと宇野常寛の対談です。『とらドラ!』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の長井龍雪・岡田麿里・田中将賀が手掛け、興行収入10億円突破のヒットとなった本作と、それを取り巻くアニメ市場の状況。さらに、当時放送が始まったばかりの『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の展望についても語りました。(初出:「サイゾー」2015年12月号) ※この記事は2015年12月23日に配信した記事の再配信です。
    Amazon.co.jp:『心が叫びたがってるんだ。』 ■ 深夜アニメブームが生み出してしまった「お約束(コード)」
    石岡 『心が叫びたがってるんだ。』(以下、『ここさけ』)は、予告編の段階では、舞台が秩父だったりで『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』【1】(以下、『あの花』)の二番煎じという印象でしたが、結果的には別物でしたね。
    『アナと雪の女王』以降、日本のアニメ業界は『アイドルマスターシンデレラガールズ』【2】や『Go!プリンセスプリキュア』【3】など、プリンセス要素を表面的に取り入れた。『アナ雪』は本当はむしろ、プリンセスモチーフが無効になったことを示していたはずなんだけど。一方、『ここさけ』ではヒロインが憧れるお城を「ラブホテル」というペラペラな空間に設定した。「聖地巡礼」というけれど、実際、北関東でランドマークになるものなんて、こうしたラブホテルぐらいしかないわけです。まず、そうしたところから心をつかまれた。
     登場人物たちの才能が高校生としてちょうどいい、というあたりも重要だと思う。つまり、ありもののミュージカルナンバーに歌を乗せる程度の才能というか。実際にこんな子がいたら高校生としては才能ありすぎなんですが、とはいえあり得なくない程度の才能になっていて、『ウォーターボーイズ』的な“みんなでミッションを成し遂げる”系の部活ものとして作られていた。同時に、あからさまなまでにアメリカの王道ハイスクール映画的な、野球部員とチアリーダーをメインキャラに配置してスクールカーストを取り入れたりして、最後は「順ちゃん、まさかその野球部と付き合うのかよ!?」と、ある種のオタクが怒るような(笑)エンディングになっていた。そこまで含めて、よく研究されていると思いました。
     一方で、深夜アニメというオタクコンテンツ発の作品がどこまで一般向けにリーチするかの、ある意味マックスの限界がここにあると思った。学園ものアニメでシビアなスクールカーストを描くと、『響け! ユーフォニアム』【4】みたいに「実写でやれ」と言われてしまったりするけど、『ここさけ』を実写にすると、ヒロインの成瀬順がイタすぎて見てられないだろうな、と(笑)。『あの花』の実写版はわりと評判が良かったですが、やっぱりヒロインのめんまだけはコスプレにしかなっていなかった。『ここさけ』では順がそういうキャラクターで、どう考えてもアニメの住人。だからこのキャラがいければOKなんだけど、全然受け付けないと完全にアウトっていう。

    【1】『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』放映/フジテレビ系にて、11年4~6月放映、13年劇場版公開:幼い頃は一緒に遊んでいた「じんたん(仁太)」「めんま(芽衣子)」「あなる」「ゆきあつ」「つるこ」「ぽっぽ」の6人。しかしめんまの突然の死をきっかけに距離が生まれ、高校進学時には疎遠になっていた。ひきこもりになった仁太のもとにめんまが現れ、「願いを叶えてほしい」と告げる。アニメファン以外からも人気を獲得し、秩父は「聖地巡礼」の代表格として扱われるようになった。
    【2】『アイドルマスターシンデレラガールズ』放映/TOKYO MXほかにて、15年1月~:バンダイナムコによるソーシャルゲームを原案に、今年1月からアニメ化。「シンデレラ」をキーワードに、アイドル養成所に通う少女たちの奮闘を描く。
    【3】『Go!プリンセスプリキュア』放映/テレビ朝日にて、15年2月~:2015年の『プリキュア』シリーズ作品(10代目プリキュア)。「プリンセス」をキーワードにした、全寮制の学園モノ。
    【4】『響け! ユーフォニアム』放映/TOKYO MXほかにて、15年4~6月:シリーズ3作累計18万部発行のティーンズ小説を、京都アニメーションがアニメ化。弱小高校の吹奏楽部で部活に励む高校生たちの姿を、リアルな青春ドラマとしてシリアスに描くことを志向していた。

    宇野 『ここさけ』は、岡田麿里【5】がこれまでやってきた10代青春群像劇の集大成だと思うんですよ。例えば『true tears』【6】では、オタクが持っている“不思議ちゃん萌え”の感情を利用して、自意識過剰な女の子の成長物語を効果的に描いてきた。あのヒロインが主人公にフラれることで、逆説的に自己を解放するというストーリーは今回も若干アレンジされて使われている。あと「鈍感なふりをすることが大人になること」だと勘違いしちゃったハイティーンの青春群像劇、という要素は『とらドラ!』【7】の原作にあったもので、それを岡田さんはうまく自分のものにした。そして『あの花』では、近過去ノスタルジーを描くには、実写よりも抽象度を上げたアニメのほうが威力が高い、ということをマスターしたんだと思う。『あの花』の路線でもう一回劇場作品をやってみた、くらいの企画かと思って観に行ったら、そういう意味で非常に集大成的な作品になっていて、よくできていましたね。
     一方、集大成なだけに弱点も出てしまっている。それはどちらかというとクリエイターの問題ではなくて、今のアニメ業界やアニメファンといった環境の問題なんだけど。つまり、今やアニメにおいては「消費者であるオタクとの間にできたお約束(コード)を逆手に取る」というアプローチ以外、何も有効ではなくなってしまっている、という息苦しさがあった。この映画はヒロインが順のようなキャラクターだから成り立っているわけであって、“リア充”感の強い女の子が主役だったら、絶対キャラクター設定のレベルで拒否されてしまう。あるいはエンディングで、ヒロインが野球部の男と付き合うかもしれない、という描写なんて、お約束を逆手に取った明らかな悪意なんだけど、あれがギリギリだと思うんだよね。岡田・長井龍雪【8】コンビくらいの能力があるんだったら、もっと自由にやってほしいなと思うところは正直あった。

    【5】岡田麿里:1976年生まれ。脚本家。近年では『黒執事』『放浪息子』『花咲くいろは』『AKB0048』『Fate/stay night』などの話題作・人気作の脚本・シリーズ構成を手がけている。
    【6】『true tears』放映/08年1~3月:複雑な家庭に育った少年が、あることから涙を流せなくなった少女と出会い、自身や周囲との向き合い方を考えながら成長していく──という青春成長譚。
    【7】『とらドラ!』放映/08年10月~09年3月:当時圧倒的な人気を誇っていた同名ライトノベルのアニメ版。長井・岡田コンビの初タッグ作。高校生のドタバタ青春ラブコメもの。
    【8】長井龍雪:1976年生まれ。アニメーション監督・演出家。『ハチミツとクローバーII』で監督デビュー、『とある科学の超電磁砲』などを制作。

    石岡 それはさっき僕が言った、深夜アニメ発の想像力は最大限に拡張して『ここさけ』が限界、という話と同じことですよね。
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