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記事 43件
  • ディズニー、ピクサー、ジブリ…『アナ雪』大ヒットから見えるヒロイン像の"後進性"ーー石岡良治×宇野常寛が語る『アナと雪の女王』 (PLANETSアーカイブス)

    2018-11-12 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、批評家の石岡良治さんと宇野常寛の語る『アナと雪の女王』です。『アナ雪』の大ヒットから逆説的に見えてきたのは、ディズニーの遥か先を走っていたはずのピクサー、そしてジブリが直面する「テーマ的な行き詰まり」だった――?(構成:清田隆之 初出:サイゾー2014年7月号) ※この記事は2014年7月25日に配信した記事の再配信です。

    ▲アナと雪の女王 MovieNEX [Blu-ray]
    ピクサー化するディズニー・アニメの象徴としての『アナ雪』
    宇野 『アナと雪の女王』はまず、予告編で「Let It Go」のシーンを観たときに、「ディズニーは、この作品にものすごい自信があるんだな」と思ったんですよ。それで実際に観てみたら、まぁやりたかったことはわかるのだけど、作品としての出来がいいとまでは思えなくて、予告編の期待は超えなかったですね。 『アナ雪』の話をするにあたっては、前提として、ここ10年くらいのディズニー映画とピクサー映画の流れについて言及しておく必要があると思う。アニメファン的に見ると、ディズニーとピクサーって技術的にはそこまで差がないんだけど、ゼロ年代は特にシナリオは圧倒的にピクサーのほうが上だと言われていた。『モンスターズ・インク』(01年)、『ファインディング・ニモ』(03年)、『Mr.インクレディブル』(04年)など、圧倒的にシナリオワークの優れた作品を連発していたピクサーに対して、ディズニーはいまいちな作品ばかりだった。家族観・ジェンダー観にしても、旧来のディズニーは古典的なプリンセス・プリンスもの、ボーイ・ミーツ・ガールの話をベタに描いていたのに対し、ピクサー作品は、例えば『Mr.インクレディブル』だったら「古き良きアメリカの強い父」みたいなイメージがもう通用しないというところから出発していたように、時代の移り変わりや新しい家族観・ジェンダー観を取り込むことによって重層的な脚本を実現してきた。言い換えるとそれは親世代、つまり団塊ジュニア世代の記憶資源に訴えかけながら、子どもも楽しめる物語をどう作るか、ということ。一つのストーリーで大人にはイノセントなものの喪失の持つ悲しみを、子どもには古き良きアメリカのイメージを、その記憶を持たないことを利用して輝かしいものとして提示する、というのがピクサー的、ジョン・ラセター(※1)的なものの本質だと思うわけ。これは『トイ・ストーリー』から、最近のピクサー化しつつあるディズニーの『シュガー・ラッシュ』(※2)まで通底している。要するに、この流れはさまよえる現在の男性性をテーマにしてきた流れだとも言える。

    (※1)ジョン・ラセター…ピクサー設立当初からのアニメーターであり社内のカリスマ。06年にディズニーがピクサーを買収し、完全子会社化したことでディズニーのCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に就任。ディズニー映画にも多大な影響を及ぼしているという見方がなされている。
    (※2)『シュガー・ラッシュ』…公開/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(13年/日本)。アクションゲームで何十年も敵キャラを演じることにうんざりしたラルフが、別のゲームの中でヒーローになろうとしたことから、複数のゲームの世界を舞台にした騒動が巻き起こる。

     じゃあ、『アナ雪』は何か、というと、ここでもう自信喪失したおじさんたちの話はやめよう、ってことなんだと思う。自信喪失したおじさんたちの回復物語はもうやりつくしたので、自分探し女子の物語に切り替えて新しいことをやろう、ってことなんでしょうね。この決断は良かったんじゃないかと思う。その結果、出てきたのが最終的に王子様のキスではなく、姉妹愛というか同性間の関係性で救済される新しいプリンセス・ストーリーだった、ってこと。ディズニーといえばおとぎ話的な「いつか白馬の王子様が……」的な世界観でやってきていて、まあ、現代的なそれとは到底相容れないアナクロな世界観が維持されている文化空間なわけで、そこからこの作品が出てきたので、みんなこれは新しい、感動した、って言っているわけだけど……。うーん、それって、あくまでディズニーの過去作と比べたら今時のジェンダー観に追いついているってことに過ぎないんじゃないかって思うんですよね。この作品に何か特別なものがあるとは思えない。
    石岡 僕はまず、歌のバズり方自体に興味を持ったんですよ。これは日本特有だと思うけど、「Let It Go」が「ありのままで」と訳されて、「意識高い」女性に大受けしてますよね。あの歌って、いろんなところで指摘されているように、いわば邪気眼というか厨二病の能力解放の歌だと思うんだけど、それを”自己啓発系”の歌として読んじゃうっていうのは、ある意味で痛快ですよね。つまり、普段は邪気眼的なものに共感を示さないような女性に、「これは私のことだ!」と感じさせているわけで、うまいといえばうまい(笑)。
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  • 『心が叫びたがってるんだ。』のヒットが示すもの――深夜アニメ的想像力の限界と可能性(石岡良治×宇野常寛)(PLANETSアーカイブス)

    2018-08-27 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』をめぐる石岡良治さんと宇野常寛の対談です。『とらドラ!』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の長井龍雪・岡田麿里・田中将賀が手掛け、興行収入10億円突破のヒットとなった本作と、それを取り巻くアニメ市場の状況。さらに、当時放送が始まったばかりの『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の展望についても語りました。(初出:「サイゾー」2015年12月号) ※この記事は2015年12月23日に配信した記事の再配信です。
    Amazon.co.jp:『心が叫びたがってるんだ。』 ■ 深夜アニメブームが生み出してしまった「お約束(コード)」
    石岡 『心が叫びたがってるんだ。』(以下、『ここさけ』)は、予告編の段階では、舞台が秩父だったりで『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』【1】(以下、『あの花』)の二番煎じという印象でしたが、結果的には別物でしたね。
    『アナと雪の女王』以降、日本のアニメ業界は『アイドルマスターシンデレラガールズ』【2】や『Go!プリンセスプリキュア』【3】など、プリンセス要素を表面的に取り入れた。『アナ雪』は本当はむしろ、プリンセスモチーフが無効になったことを示していたはずなんだけど。一方、『ここさけ』ではヒロインが憧れるお城を「ラブホテル」というペラペラな空間に設定した。「聖地巡礼」というけれど、実際、北関東でランドマークになるものなんて、こうしたラブホテルぐらいしかないわけです。まず、そうしたところから心をつかまれた。
     登場人物たちの才能が高校生としてちょうどいい、というあたりも重要だと思う。つまり、ありもののミュージカルナンバーに歌を乗せる程度の才能というか。実際にこんな子がいたら高校生としては才能ありすぎなんですが、とはいえあり得なくない程度の才能になっていて、『ウォーターボーイズ』的な“みんなでミッションを成し遂げる”系の部活ものとして作られていた。同時に、あからさまなまでにアメリカの王道ハイスクール映画的な、野球部員とチアリーダーをメインキャラに配置してスクールカーストを取り入れたりして、最後は「順ちゃん、まさかその野球部と付き合うのかよ!?」と、ある種のオタクが怒るような(笑)エンディングになっていた。そこまで含めて、よく研究されていると思いました。
     一方で、深夜アニメというオタクコンテンツ発の作品がどこまで一般向けにリーチするかの、ある意味マックスの限界がここにあると思った。学園ものアニメでシビアなスクールカーストを描くと、『響け! ユーフォニアム』【4】みたいに「実写でやれ」と言われてしまったりするけど、『ここさけ』を実写にすると、ヒロインの成瀬順がイタすぎて見てられないだろうな、と(笑)。『あの花』の実写版はわりと評判が良かったですが、やっぱりヒロインのめんまだけはコスプレにしかなっていなかった。『ここさけ』では順がそういうキャラクターで、どう考えてもアニメの住人。だからこのキャラがいければOKなんだけど、全然受け付けないと完全にアウトっていう。

    【1】『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』放映/フジテレビ系にて、11年4~6月放映、13年劇場版公開:幼い頃は一緒に遊んでいた「じんたん(仁太)」「めんま(芽衣子)」「あなる」「ゆきあつ」「つるこ」「ぽっぽ」の6人。しかしめんまの突然の死をきっかけに距離が生まれ、高校進学時には疎遠になっていた。ひきこもりになった仁太のもとにめんまが現れ、「願いを叶えてほしい」と告げる。アニメファン以外からも人気を獲得し、秩父は「聖地巡礼」の代表格として扱われるようになった。
    【2】『アイドルマスターシンデレラガールズ』放映/TOKYO MXほかにて、15年1月~:バンダイナムコによるソーシャルゲームを原案に、今年1月からアニメ化。「シンデレラ」をキーワードに、アイドル養成所に通う少女たちの奮闘を描く。
    【3】『Go!プリンセスプリキュア』放映/テレビ朝日にて、15年2月~:2015年の『プリキュア』シリーズ作品(10代目プリキュア)。「プリンセス」をキーワードにした、全寮制の学園モノ。
    【4】『響け! ユーフォニアム』放映/TOKYO MXほかにて、15年4~6月:シリーズ3作累計18万部発行のティーンズ小説を、京都アニメーションがアニメ化。弱小高校の吹奏楽部で部活に励む高校生たちの姿を、リアルな青春ドラマとしてシリアスに描くことを志向していた。

    宇野 『ここさけ』は、岡田麿里【5】がこれまでやってきた10代青春群像劇の集大成だと思うんですよ。例えば『true tears』【6】では、オタクが持っている“不思議ちゃん萌え”の感情を利用して、自意識過剰な女の子の成長物語を効果的に描いてきた。あのヒロインが主人公にフラれることで、逆説的に自己を解放するというストーリーは今回も若干アレンジされて使われている。あと「鈍感なふりをすることが大人になること」だと勘違いしちゃったハイティーンの青春群像劇、という要素は『とらドラ!』【7】の原作にあったもので、それを岡田さんはうまく自分のものにした。そして『あの花』では、近過去ノスタルジーを描くには、実写よりも抽象度を上げたアニメのほうが威力が高い、ということをマスターしたんだと思う。『あの花』の路線でもう一回劇場作品をやってみた、くらいの企画かと思って観に行ったら、そういう意味で非常に集大成的な作品になっていて、よくできていましたね。
     一方、集大成なだけに弱点も出てしまっている。それはどちらかというとクリエイターの問題ではなくて、今のアニメ業界やアニメファンといった環境の問題なんだけど。つまり、今やアニメにおいては「消費者であるオタクとの間にできたお約束(コード)を逆手に取る」というアプローチ以外、何も有効ではなくなってしまっている、という息苦しさがあった。この映画はヒロインが順のようなキャラクターだから成り立っているわけであって、“リア充”感の強い女の子が主役だったら、絶対キャラクター設定のレベルで拒否されてしまう。あるいはエンディングで、ヒロインが野球部の男と付き合うかもしれない、という描写なんて、お約束を逆手に取った明らかな悪意なんだけど、あれがギリギリだと思うんだよね。岡田・長井龍雪【8】コンビくらいの能力があるんだったら、もっと自由にやってほしいなと思うところは正直あった。

    【5】岡田麿里:1976年生まれ。脚本家。近年では『黒執事』『放浪息子』『花咲くいろは』『AKB0048』『Fate/stay night』などの話題作・人気作の脚本・シリーズ構成を手がけている。
    【6】『true tears』放映/08年1~3月:複雑な家庭に育った少年が、あることから涙を流せなくなった少女と出会い、自身や周囲との向き合い方を考えながら成長していく──という青春成長譚。
    【7】『とらドラ!』放映/08年10月~09年3月:当時圧倒的な人気を誇っていた同名ライトノベルのアニメ版。長井・岡田コンビの初タッグ作。高校生のドタバタ青春ラブコメもの。
    【8】長井龍雪:1976年生まれ。アニメーション監督・演出家。『ハチミツとクローバーII』で監督デビュー、『とある科学の超電磁砲』などを制作。

    石岡 それはさっき僕が言った、深夜アニメ発の想像力は最大限に拡張して『ここさけ』が限界、という話と同じことですよね。
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  • 【新連載】石岡良治『石岡美術館』第1回『マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン』(ワタリウム美術館)

    2018-07-05 07:00  
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    今回から石岡良治さんが美術館を訪れ、実際の作品を見ながら作家や作品について解説する、『石岡美術館』が始まります。第一回に選んだのは、ワタリウム美術館で開催された『マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン』です。80年代から90年代にかけて、キモかわいい作風でポップ・アートを牽引した作家マイク・ケリー。フェイクやパロディに満ちたそのジャンクな作風から、米国の大衆文化の核心を読み解きます。(構成:池田明季哉)
    ▲今回は、東京都渋谷区のワタリウム美術館で2018年1月8日〜3月31日の期間に開催された「マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン」を訪れました。最近、現代アートについてのまとめ本が立て続けに出版されています。小崎哲哉『現代アートとは何か』は、グローバルなアートマーケットにおいて現代アートがどのように扱われているのかをまとめた著作です。個々の作品観については異論もありますが、アートマーケットのレポートとしては、この本は入り口にふさわしい本となっており、発売されるやいなや、Amazonではすぐに売り切れになるほどでした。
    ▲小崎哲哉『現代アートとは何か』(河出書房新社)
    こうした本を買っているのは、私のような人文学系に興味がある人というよりは、おそらくビジネスマンなのではないかと思います。世界的に見ると、いわゆるグローバルエリートと呼ばれるようなお金持ちの層には、アートを買い求めている人も多い。アートに対するリテラシーがビジネスマンにとって必要であるという感覚が、日本にも輸入されつつあるということでしょう。
    この流れに木村泰司『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』という書籍があって、amazonの西洋美術史カテゴリで1位になっています(2018年4月現在)。これ、なんだかすごそうなタイトルですよね。私はこのタイトルを見て「今のグローバルエリートはこういうものを集めている人もいるから、学んでおいたらどう?」というような内容だと思ったのですが、実際に読んでみると、最終章はなんとピカソで終わっていて、現代アートについてはほとんど触れられていない。一昔前の学校の美術の教科書とほとんど変わらない範囲しか扱っていなくて、「ピカソって絵うまいのかな?」みたいなレベルにとどまってしまっているんです。
    ▲木村泰司『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』(ダイヤモンド社)
    考えてみれば当たり前のことですが、ピカソあたりまでの古典のアートと、それ以降の現代アートは連続しているものです。でも特に日本では、このふたつの窓口が完全に分かれてしまっている。私のように人文系・美術系で学んできた人間としては、こうした状況はちょっと悲しいなと思うわけです。
    この『石岡美術館』では、私が美術を見ながら作家や作品について語っていきます。古典アートと現代アートを両方扱っていくことで、ジャンルや文脈に囚われすぎず、美術を見る基礎的な目線が生まれてくるようになればいいなと思っています。
    マイク・ケリーというポップ・アーティスト
    第一回に選んだのは、ワタリウム美術館で開催された『マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン』です。これはマイク・ケリーの代表作のひとつである『課外活動 再構成』という映像とインスタレーションを組み合わせた作品を中心にした展示ですね。ワタリウム美術館ではマイク・ケリーについての展覧会をこれから複数行う予定らしく、これはその第一弾とアナウンスされています。
    まずはマイク・ケリーという作家について確認しておきましょう。マイク・ケリーは、ポップ・アートといわれる分野を代表するアーティストのひとりです。かの有名なアンディ・ウォーホルのひとつあとの世代ですね。1954年生まれで、2012年に亡くなっていますから、70年代に青春を過ごし、アーティストとして活躍したのは80年代から90年代にかけてです。
    ウォーホルの頃のポップ・アートは、アートそのものは本物で、あくまでポップなモチーフを使っていたという側面が強かったんです。でもマイク・ケリーの時代あたりから、ポップ・アートは美術品としてのアウラを意識的に手放していくことになりました。
    例えばソニック・ユースというニューヨークのロックバンドが、現代アート作品をアルバムのジャケットに積極的に採用して、アートの窓口になっていたことがありました。『Daydream Nation』(1988)はゲルハルト・リヒターの作品を使っていますし、『Goo』(1990)のジャケットを手掛けたレイモンド・ペティボンはコミックを題材にしたアーティストです。そしてこの次にリリースされた『Dirty』(1992)のジャケットに使われているのが、マイク・ケリーです。ポップでキモかわいい感じのあみぐるみですね。
    ▲Sonic Youth『Daydream Nation』(1998)
    ▲Sonic Youth『Goo』(1990)
    ▲Sonic Youth『Dirty』(1992)
    こうした流れを通じてポップ・アートは世界中に爆発的に広がっていったわけですが、同時に勘違いを生んでしまったという側面もあります。つまり、こうした「ポップでキモい感じのものを作ればアートになる!」と思われたわけです。このぬいぐるみなんて、いかにもサブカル系の雑貨屋さんに置いてありそうな感じですよね。他にもポスターのようなものやTシャツを使った作品なども作っています。でもそう思ってしまうのはある種の逆転現象で、むしろ現在のサブカル系雑貨屋的なものの起源のひとつがマイク・ケリーにあるといえるわけです。マイク・ケリーはこうしたイメージを作り出すことで、結果的に現代アートの裾野を大きく広げたといえるでしょう。
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  • 【特別再配信】『Gレコ』で富野由悠季は戦後アニメを終わらせたのか――石岡良治、宇野常寛の語る『Gのレコンギスタ』

    2017-08-21 07:00  
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    アニメでありながら「現実よりも乖離した世界」を描こうとした『Gレコ』。この意欲作に富野監督が込めた思いとは何だったのか――アニメ史的観点から石岡良治さんと宇野常寛が対談形式で読み解いています。
    (本記事は2015年7月21日に配信した記事の再配信です/「サイゾー」2015年7月号)

    (画像出典)

    ▼作品紹介
    『Gのレコンギスタ』
    監督・脚本/富野由悠季 制作/サンライズ 放送/2014年10月~15年3月(MBSほか)
    宇宙世紀が終わって1000年が経ったとき、人類は技術進歩に制限をかけることで新たな繁栄を作り出していた。 地球上のエネルギー源として宇宙からフォトン・バッテリーがもたらされ、その輸送経路である軌道エレベーター「キャピタル・タワー」と周辺地域は神聖視されている。そのエリアを守護する組織キャピタル・ガードの候補生であるベルリ・ゼナムは、初の実習で未知の高性能モビルスーツ「G-セルフ」の襲撃を受ける。それがすべての始まりだった──。

    アニメなのに「現実よりも乖離した世界」を描いた『Gレコ』
    石岡 近年、宮﨑駿の『風立ちぬ』、高畑勲『かぐや姫の物語』と、アニメ界の巨匠の引退作らしき作品が続きましたが、正直どれも「これで引退は許されないんじゃないか」と思うところがありました。その中にあって、『Gのレコンギスタ』(以下、『Gレコ』)は意欲作だった。73歳の富野由悠季が、枯れることなく変なことをやっている。ただ、いきなり新しいことを始めてしまってそれをモノにしきれなかった。例えば、5つの勢力を同時展開させることがそう。基本的には、これはすごくいいんです。『機動戦士Zガンダム』(85年)以来、富野ガンダムの基本は「三つ巴」だった。二大勢力が争っていて、そこに3番目の新興勢力が現れる構図。それが『Gレコ』では中盤で勢力が増えていって、最終的に「五つ巴」になる。普通なら作家として脂が乗っている若手~中堅のときに持ち込むような新しい試みを73歳がやっていること自体は買いたいんだけど、そのせいで難解になってしまっていた。そもそも尺が短すぎた。1年間かけないと語りきれない話を2クールでやったことによる混乱があって、それを解きほぐす作業をまだ誰もできていないんじゃないか。僕も3周しましたが、まだよくわかっていないところがあります。
    宇野 僕は本当に最初は話がまったく理解できなくて8話あたりで一度挫折して、しばらくして15~16話まで観てまた挫折して、その後ようやく最終話まで観終えました。まあ、内容がまったく理解できない、説明不足で情報量を詰め込み過ぎだという批判は正しいと思うけれど、ラスト数話はそれでも流れで見せてしまう演出の力技のほうが勝っていたと思うんですよね。全話このクオリティが維持できれば、普通に傑作扱いだったんじゃないかとすら思う。逆にいえば、ラスト数話まで「これはなんだろう」と思って観ていた。ただそれは必ずしも批判じゃなくて、富野由悠季がすさまじいことをやっているから。もともと彼の演出テクニックとして、物語的に整理されていないところを意図的に残すことによってリアリティを出すというのは80年代以前からよくあった。けれど、なんと『Gレコ』は全部それで作られている。
     これは結構恐ろしいことで、そもそもこんなに映像というものが20世紀に発達したのは、三次元の体験は特定の狭い共同体の中のコンテクストをわかっていないと共有できないけれど、一度それを二次元に焼き直して映像にして、虚構にしてしまうとわかりやすく整理できるから。だから映像メディアというものが生まれたことによって初めてグローバルコンテンツが生まれたし、今までにない規模で社会というものを運営することができるようになっていった。
     その意味では、作家の意図したもの以外配置できないアニメは、究極に統合された、現実の解離性を全く孕まない映像を生むことができる究極の映像装置なわけです。だからグローバル化の進行と並行して、世界的にメガヒットする映画がアニメ中心になっていったわけだけど、その状況下において『Gレコ』は、わざわざアニメで現実以上に乖離した状態を執拗に描いている。これは要するに富野由悠季の反時代的なメッセージだと思う。誰もが映像=統合されたリアリティにカジュアルに接することができる時代にあって、もはや作家が100%コントロールできる映像でしか、バラバラに乖離した現実に人々が向き合うことはできないってことだと思うんですよね。
     例えばベルリ[1]がカーヒル[2]をなぜ殺したのかはよくわからないけれど、そのよくわからないところも含めて、うまく説明できない、腑に落ちない「現実」をわざわざアニメでシミュレーションしている。話が終始噛み合っていたり、人物の行動がいちいち腑に落ちるのは物語の中だけ。というか、そもそも我々が物語に求めるのは説明可能な、統合された世界という虚構なんですよね。でも『Gレコ』はほとんど嫌がらせのようにそれを拒否していて、アニメでわざわざ、それも執拗に現実並みに乖離した世界をシミュレーションしている。
    石岡 そう、全員の思惑がどうもフワフワしてるんですよね。公式サイトのあらすじを読み返しても、いまいち掴めない(笑)。確かに、“非統合”の可能性がここにはあるのかもしれない、と思わされますね。
    主人公に恋人ができなかったのはなぜか
    宇野 メカ演出は普通に素晴らしかった。あれだけバラバラのデザインワーク[3]で作られたものを同じ絵に収めて、あの尺でまとめあげるということをやれる演出家は世界中で富野由悠季だけだと思う。これは押井守がよく言うことだけど、通常はアクションを入れると物語は停滞するもの。それが、モビルスーツ戦闘自体が登場人物たちの思想のパワーバランスとリンクされていて、物語的な緊張感を演出することができていた。

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  • 【最終回】「ポストギアス」と今後のロボットアニメ/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(9)【不定期配信】

    2017-07-20 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。最終回となる今回は、「ポストギアス」の諸作品や、『ガンダム』『マクロス』などの最新作の動向からロボットアニメの今後を展望します。

    「ポストギアス」をめぐる試行錯誤――『ギルティクラウン』『ヴァルヴレイヴ』
     前回は『コードギアス』の達成について、主として終盤の主題展開の独自性という点から考察しました。今回は「ポストギアス」アニメをいくつか検討した上で、あらためて今世紀のロボットアニメについての総括を試みたいと思います。『ギアス』前後の谷口悟朗監督作品はすでに検討しましたが、彼は『ギアス』以降は仕事のペースを一時緩めています。『ジャングル大帝 -勇気が未来をかえる-』(2009)監督、『ファンタジスタドール』(2013)原作などですね。2015年の『純潔のマリア』をきっかけに、2016年の『アクティヴレイド -機動強襲室第八係-』、2017年の『ID-0』と立て続けに監督をつとめ、いずれも渋い佳作ですが、ややベテランアニメファン向けのきらいがあります。「コードギアス10周年プロジェクト」ではそうした円熟した作風を一部手放す必要があるかもしれません。
     むしろシリーズ構成・副構成をそれぞれつとめた大河内一楼と吉野弘幸が、『ギアス』のテイストを意識したかのような展開をいくつかのアニメで入れたさいに、反発を呼んだケースの方が目立つように思われます(もっとも、アニメファンが「苦手な展開」をもっぱらシリーズ構成に帰す慣習が実際のスタッフワークと一致しているとは限らないと思いますが)。
     以下、この二人が関わっているか否かを問わずに次の3つのアニメを簡単に検討したいと思います。『ギルティクラウン』『革命機ヴァルヴレイヴ』『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』です。
     まず『ギルティクラウン』ですが、これはロボットアニメというよりは異能力もので、ギアス能力をめぐる人対人のバトル要素を、ギスギスした展開込みで取り入れしようとしたところがあります。けれども実際にはメインヒロインいのりの造形(かわいさ)に大幅に依拠しつつも、本編では空気ヒロイン気味、といった風情の作品でした。これはちょうど、最初は男女双方の視聴者獲得を目指していたと思しき『K』で男性視聴者を狙いに行った女性キャラ「ネコ」の存在感と似た事態です。『K』は「抜刀」アクションが盛大に女性受けした結果、男性狙いの方向性は後退していったがゆえに、宙に浮いた形となったわけです。『ギルティクラウン』は企画の随所に野心的なところがありつつも、それらがうまく機能したとはいえませんが、2017年にまさかのパチスロ展開をみているので、今後再評価される可能性がないとはいえません。
     さて『革命機ヴァルヴレイヴ』は今では主題歌とラストの「銅像エンド」が有名かもしれません。すでにこの連載では「性的な場面」について触れました(ティーンズの「性と死」を描けるジャンルとしてのロボットアニメ/今世紀のロボットアニメ(3))。学生だけのコミュニティがギスギスしていき崩壊の危機を迎える、というアイディアは『無限のリヴァイアス』を思わせますが、「ポストギアス」ゆえによりエクストリームな展開になっています。共感性にあまり寄り添わないキャラクターたちの恋愛感情をめぐるゴタゴタは興味深く、ロボットアニメでなければ成立不可能だったと思わせますが、ルルーシュやスザクのようにはいかなかったきらいがあります。両作はどちらも「クリフハンガー」「全方位を少しずつ苛つかせる」など、『コードギアス』メソッドを志向したところがありますが、なかなかうまくいかないようにみえます。まとめると、『ギアス』が出した解決も、「ポストギアス」の困難も、ともに作品が抱える「卑近さ」の扱いに起因するのではないでしょうか。ギアスの場合、ルルーシュの卑近さ=シスコンというシンプルなフェチに駆動されつつ、国際政治や戦闘をめぐるポリティカル・フィクションともうまくブレンドされていたわけですが、「ポストギアス」アニメの多くはそこを短絡的に流用してしまった感があります。
    ロボットアニメのポテンシャルを十全に発揮した『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』
     そんな中、スタッフ的にはあまり『ギアス』と関連するところはないのですが、個人的に「ポストギアス」アニメの快作といってよいのが『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』だと考えています。なぜなら、『コードギアス』の重要な点としては、卑近な欲望と「高貴」な主題の並置という、富野由悠季が得意としたロボットアニメならではのスタイルを『クロスアンジュ』が巧みにアレンジしていると思うからです。ハイファンタジー志向だった『聖戦士ダンバイン』の後半では結局東京が舞台になるのですが、こうした側面は、例えば宮崎駿作品と比べると、ファンタジーを作りきれていないという批判となるでしょう。大きなテーマを卑近な欲望に落とし込む手法がいわば嫌われているわけで、『ダンバイン』後半の東京はその象徴といえます。けれども『ダンバイン』終盤の魅力は、舞台が東京であるがゆえに生まれているところは無視しえません。
     『クロスアンジュ』が興味深いのは、『ガンダムSEED』で今世紀のロボットアニメとしては記録的なヒットを飛ばし、続編の『ガンダムSEED DESTINY』もヒットさせながらも、納期に間に合わなくなる事態の多発などもあってか、しばらく沈黙を余儀なくされたようにみえる福田己津央が、「総監督」として見事に復活したことでしょう。端的にいうと、「ポストギアス」アニメの多くが扱いかねていた偽悪要素を、うまくシナリオ展開と結びつけているがゆえに、卑近な要素がかえって爽快な物語になるという結果をもたらしています。主人公のアンジュは「ミスルギ皇国」の皇女として、特殊能力「マナ」を使えない「ノーマ」と呼ばれる人々を侮蔑する選民思想を抱くようになっていたのですが、ある日自分自身がノーマだったことが判明し、皇女の地位を剥奪されたあと、ほぼ牢獄といってよい「アルゼナル」へと追放されます。そして当初は「私はミスルギ皇国の皇女よ!」とあくまでも過去の栄光にすがるかのような言動をみせていたアンジュですが、しだいにアルゼナルの劣悪な環境に馴染んでいきます。実はこの初期設定が、図らずも福田己津央の巧みな自己批評になっているように思われます。なぜなら、このアンジュの状態はまさに「私はガンダムSEEDの福田己津央だぞ」と主張しているのも同然だからです。けれどもそうした過去の栄光は今やなく、一度底辺にまで落ち込んだ境遇からたくましく再起を図るしかない。そういう醒めた自己批評ができていることが、『クロスアンジュ』にある種の凄みを与えているのではないでしょうか。そして実際に福田己津央は再起を果たしたのではないかと考えています。
     『クロスアンジュ』のジャンル的な位置付けをざっくりとまとめるならば、映画『女囚さそり』シリーズ(1972-1973)の流れをくむ「女囚もの」といえるでしょう。興味深いのは、『クロスアンジュ』では「自称正義」を揶揄する要素は少なめなので、オタクコンテンツでしばしばみられる「正義をやっつける欲望の肯定」原理が嫌味にならず、むしろラスボスがコテコテの童貞臭漂うキモオタ博士であることがうまく活かされています。
     『クロスアンジュ』にはある部分では『ガンダムSEED』の性別逆転シナリオといえるところがあって、それは後にアンジュのパートナーとなる男性「タスク」と出会う第5話にあらわれています。無人島と思しき島に行くと実はそこには人が住んでいて……という流れのこうした単発回は、ファーストガンダムの異色エピソード『ククルス・ドアンの島』(15話)に由来します。本編から切り離され、別の視点で物語を展開できるメリットはありますが、『ふしぎの海のナディア』の「島編」のように、制作リソースの不足を補うための「水増し」であったり、キャラクターの「記憶喪失」並に濫発される「デバイス」となっている感も否めません。『ガンダムSEED』では24話でのアスランとカガリのエピソードがよく知られており、男女が(昨今では性別を問わないですが)島から出られないというシチュエーションからは、恋愛ないし性的な展開が期待されることも多いわけです。

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  • 【特別配信】おそ松さん――社会現象化した"覇権アニメ"が内包するテレビ文化の隔世遺伝(石岡良治×宇野常寛)

    2017-06-26 07:00  
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    「特別再配信」の第11弾は、話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」より、『おそ松さん』をめぐる石岡良治さんと宇野常寛の対談です。『おそ松さん』が社会現象化した理由を、テレビバラエティの伝統を背景に語ります。(初出:「サイゾー」2016年4月号(サイゾー)/構成:金手健市/この記事は2016年4月27日に配信した記事の再配信です)
    宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
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    (出典)株式会社ぴえろ 作品情報「おそ松さん」より


    ▼作品紹介
    『おそ松さん』
    原作/赤塚不二夫 監督/藤田陽一
    シリーズ構成/松原秀 キャラクターデザイン/浅野直之 制作/スタジオぴえろ 放映/テレビ東京ほか(15年10月~16年3月)
    『おそ松くん』の世界から月日が流れ、ニートで童貞の大人になった六つ子が描かれる。各話が完全な続きもののストーリーになっているわけではなく、1回の放送で複数のショートネタが入っている回もある。

    もはや社会現象化した“覇権アニメ”が内包するテレビ文化の隔世遺伝
    石岡 『おそ松さん』、まさかここまで圧倒的な作品になるとは、始まる前は予想もしてませんでした。もはや深夜アニメの1作品というより、これ自体がひとつのジャンルなんじゃないかっていうくらい、コンテンツが広がりを持っている。監督・脚本は『銀魂』と同じ組み合わせ【1】ですが、『銀魂』がいま動かしにくくなっている中で、そこで本来やりたかったことのコアな部分を非常に拡大してやれてしまっているというか。正直この企画は、コケていたらめちゃくちゃサムかったはずの相当リスキーな作風だった。
     『おそ松くん』はこれまで2度アニメになっている【2】けど、どちらもイヤミの「シェー」で当たった作品だった。チビ太とイヤミの人気が出て、タイトルこそ『おそ松くん』だけど六つ子は完全な脇役。ただしそれは作者の赤塚不二夫が六つ子の描き方も台詞もほぼ区別していないという、いってみればポップアートのようなコンセプチュアルなネタだったからでもある。それを『おそ松さん』では六つ子それぞれに人気声優【3】を当てて、キャラをつけまくった。
     その上で、なぜ「コケていたらサムかった」と思ったかというと、「(六つ子の)こいつはこういうキャラ」というのを前提にして、そのキャラならやらなそうなことを急に豹変してやってしまうという、ハイコンテクストなネタをどんどんぶち込んでくる。これはいま観ると大ヒット前提で作り込んできたように見えるんだけど、外したらかなり痛々しいことになっていたはずで、そこをきっちり決めてきたのはすごい。“スベり笑い”も多くて、2話を観たときに「大丈夫か?」ってちょっと思ったんですよ。ローテンションな話が延々繰り返されて、ギャグも投げっぱなしであまり回収しない。人によっては本当につまらないネタも必ずあるはず。それを補ったのが、さっき言った通りひとつのジャンルと言ってもいいくらい幅広い作風にする、手数を増やすというリスクヘッジだった。つまりネタのバリエーションが広い。僕はそんなにバラエティを多く観るほうではないけど、お笑い番組的な知性が発揮された構成の良さが出たんじゃないかと思った。

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  • 精神分析的物語構造への批評としての『コードギアス』/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(8)【不定期配信】

    2017-06-15 07:00  
    540pt


    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。前回に引き続き、ロボットアニメのお約束展開を次々に踏み越えていった『コードギアス』の画期性を分析します。

    「家族の物語」を展開した『新世紀エヴァンゲリオン』
     これまで今世紀のロボットアニメについて考察してきたわけですが、『コードギアス 反逆のルルーシュ』にかなりのスペースを割いています。その理由としては、『ガンダム』や『マクロス』のような老舗シリーズを除くと、他の佳作群(『エウレカセブン』『グレンラガン』『ゼーガペイン』etc.)と比べて傑出した点を多く見いだせるということがあります。とりわけ「ロボットアニメ好き」の外に届けた点において、前回考察したようにCLAMPデザインがもたらした効果は無視できません。その上でここからは、『ガンダム』や『マクロス』も含めて、ロボットアニメの歴史の中に再び『コードギアス』を位置付けつつ、このジャンルについての簡単な展望を示してみたいと考えています。
     前回は『スター・ウォーズ』以来の神話構造論を用いたシナリオライティングとの関係で、「ラスボスが父親」というひとつの黄金律がみられること、そしてその黄金律の既視感について簡単に触れました。ここでいう「ラスボス」は、ダース・ベイダーの上に銀河皇帝がいたように、端的な敵組織のボスとして現れるとは限りません。例えば『エヴァンゲリオン』では、主人公のシンジは基本的には「使徒」を殲滅するオペレーションを遂行しており、父親が敵対組織にいるわけではないのですが、人間関係の配置においてはどうみても、シンジは使徒のことは大して気にしておらず、父親との関係性に最後まで固執し続けるような作劇がなされています。父親への苦手意識を克服できるかどうかが作劇のメインとなっており、その意味で父ゲンドウは「ラスボス」となるわけです。物語開始時点で不在の母親に関しても、結果的に「同僚」の綾波レイが母親のイメージを強く身にまとう存在であることが判明することで、非常にわかりやすく「家族関係をめぐる心理的葛藤」が描かれていたわけです。
     『エヴァンゲリオン』の魅力と欠点は、このように閉じた濃密な人間関係に由来しています。私は最初に視聴した時、しばしば精神分析との関係で語られうる「オイディプス・コンプレックス」とのダイレクトな連想、すなわち古代ギリシア悲劇の構造よりは、シンジの「行動不能性」などが目立つので、シェークスピアの『ハムレット』のような近代悲劇に近い「碇ゲンドウ王朝の物語」という印象を持ちました。ネルフは基本的にゲンドウが私物化している組織であるがゆえに、シンジのゲンドウへのこだわりが「はっきり決断しない」鬱陶しさの印象を与えるだけでなく、「こんな環境に中学生が置かれたら病むのは当然だろう」という読解を同時に誘います。つまり、『エヴァンゲリオン』についてはロボットアニメにおける「敵を倒す」構造よりも、家族の葛藤という主題が表に出ているがゆえに、1990年代を席巻していたサイコサスペンス(『羊たちの沈黙』のような)のような受容が可能になり、ふだんロボットアニメに関心を抱かない層にアピールしたのでしょう。しかし、ここには神話的なヒーロー物語の「心理主義化」という大きな代償もありました。精神世界描写の肥大化は、『エヴァ』ぐらいテンションがあればまだしも、後続作では「父に認められたかった」といった安直な説明原理をそのまま展開するものも少なからずあったように思います。

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  • 神話構造論を揺り動かすCLAMPキャラクターの物語生成力/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(7)【不定期配信】

    2017-05-26 07:00  
    540pt


    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、『コードギアス』が今もなお男女双方から人気を集めている要因を、「CLAMP原案キャラクターがもつ機能」に着目して読み解きます。(※5/29(月)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 2017年の春映画をがっつり総括します。視聴ページはこちら)

    いまだ根強い人気を誇る『コードギアス』と『カードキャプターさくら』
     2017年は日本のアニメーション100周年にあたり、歴史を振り返る企画が色々立てられています。1917年の『なまくら刀』(現存する最古作品)など貴重な作品を見ることができるアーカイブサイトの「日本アニメーション映画クラシックス」、そして初期アニメーション史についての現在の成果を知ることができる京都国際マンガミュージアムの「にっぽんアニメーションことはじめ~「動く漫画」のパイオニアたち~展」を挙げることができるでしょう。
     そしてNHKのサイト「ニッポンアニメ100」の関連企画でweb投票が行われ、5月3日に集計結果が発表されました。同一タイトルであってもシーズンごとに別集計、劇場版もそれぞれ別作品とみなすというルールのためもあってか、ベスト10に『TIGER & BUNNY』と『ラブライブ!』が3つずつ現れるという結果になってしまい、そこに歪みをみた人も少なからずいたようです。本連載の観点から注目されるのは、『コードギアス反逆のルルーシュ』(一期)が総合7位にランキング入りしていることで、男性だと10位、女性だと8位になります(『R2』は総合15位、男性31位、女性9位)。様々なバイアスが予想されるとはいえ、これはかなり高い順位であり、本連載の観点からも興味深い結果です。
     このランキングで示唆的なのは、『コードギアス』と『カードキャプターさくら』の高評価が連動しているように思われることでしょうか。『カードキャプターさくら』は総合8位、男性20位、女性7位となっており、NHKで放映された魔法少女ジャンルものということもあって、CLAMP作品では最も広範な層に受け入れられた作品です。かつては主人公さくらが「萌え」の典型として語られたこともありましたが、現在振り返ってみると最も興味深い要素は、作中に現れる「カップリング」が、性差や年齢など、考えうるあらゆる組み合わせから成り立っていて、それらがすべて「当たり前」のものとして成立しているところだと思います。CLAMP作品ではしばしば「必然」が強調されるため、「いったいなんの必然性が主張されているのか」の内容次第では「自由」の余地が狭まるように思えるかもしれません。けれども『カードキャプターさくら』が明確に示しているように、実質的には「実社会では周縁化させられてしまう関係性」もまた必然だと主張しているわけで、多様な関係性のあり方が肯定されていたわけです。
    CLAMPキャラクターが起こした化学反応
     『コードギアス』をロボットアニメとしてみたときの興味深い異質性として、アッシュフォード学園要素があることについてはすでに触れました(猫のアーサーに仮面を奪われるピンチで話を作るなど)。要するに、戦争をしながら学園生活を送るという、一見無茶な設定から生まれるエクストリームな展開が、本作に独自の魅力を与えているわけです。近作『ID-0』(2017)を含めた他の谷口悟朗監督作品が、基本的には手堅い人間ドラマを繰り広げるものであるために、『コードギアス』のキャラクターたちの「相関図」の錯綜ぶりが際立っています。その理由としては、先に『カードキャプターさくら』についてみたような、CLAMP原案であるがゆえに可能となったキャラクター配置があるのではないかと考えています。
     『コードギアス』は時期的には『xxxHOLiC』の頃のデザインで作られていますが、スザクに『カードキャプターさくら』の李小狼のような「正統派ヒーロー」を期待した人は放映前には(放映中も)けっこう多かったように思います。けれども実際にはご覧の通りで、「ダークヒーローのルルーシュと正統派のスザクが対峙する」という展開にはなりませんでした。むしろスザクのほうが「闇」が深いキャラだったため、いい意味でトリッキーな展開を生んでいたわけです。これはCLAMPがシナリオをやっていたらまずありえないことで、また他の谷口悟朗監督作品でも起きていないことです。シリーズ構成の大河内一楼やシナリオの吉野弘幸が『コードギアス』以後に担当したアニメには、一部「ポストギアス」的なエクストリームな人間ドラマもみられますが、必ずしもうまくいったとはいえません。つまりここにはある種の「ケミストリー」が生じているわけです。そこにはCLAMP的な「必然性」を主張するキャラクターたちが織りなすドラマの力が大きく作用しているのではないでしょうか。

    ▲「週刊少年マガジン」で2003年から連載開始したCLAMPの『ツバサ―RESERVoir CHRoNiCLE』では、小狼のCLAMP的ヒーローキャラクターとしての側面が強く出ている。(画像はAmazonより)

    ▲『コードギアス』の枢木スザク。『ツバサ』連載初期の小狼のキャラクター造形からの影響を感じさせる。(画像はアニメ公式サイトより)
     例えばスザクの乗るランスロットのメカニック担当のロイドは、この種のアニメによく出て来る、すべてをモノ扱いする一種のサイコパスじみた科学者ですが、その信念が徹底されている結果、「イレヴン」である日本人のスザクを差別することもなく、フラットに能力主義で評価する好人物となっています。他方ロイドの弟子となる同じく眼鏡キャラのニーナは、名字が「アインシュタイン」であることに始まり、ロイドと対比的に造形されており、科学的天才であるとともに明確に「イレヴン」を憎悪するレイシストでもあり(とはいえそこには日本人に暴行されかかったという明確な理由があるのですが)、大量破壊兵器「フレイヤ」を開発し、日本に投下するに至ります。このように明らかに視聴者の感情を逆なでする役割を担うキャラなのですが、他のアニメであれば無残な最期を遂げてもおかしくないにもかかわらず、終盤ではルルーシュと手を結ぶという展開が控えています。

    ▲『コードギアス』のロイド・アスプルンド。(画像はアニメ公式サイトより)

    ▲『コードギアス』のニーナ・アインシュタイン。(画像はアニメ公式サイトより)
     『コードギアス』のキャラたちには、すべてある種の「類型」が期待されており、多くの場合はその期待に沿って動いていきます。けれども重要な場面では「テンプレ」的なシナリオから逸脱していくために、正負の両面で強い印象を残すのではないでしょうか。典型的なのは扇要の扱いでしょう。初期は優柔不断ながらも抵抗運動の良心を担い、無力でやや「無能」ながらも優しい良心派キャラに落ち着くとみられていましたが、最終的にブリタニアのヴィレッタと結婚し、日本の首相になるという「一人勝ち」状態に至る過程における数々の「クズ」なふるまいもあり、おそらく作中最も嫌われたキャラです(新シリーズにおける扇の扱いがいったいどうなるのかは、興味を惹くポイントの一つです)。ニーナや扇をめぐる『コードギアス』ファンの感情の揺れは、他のアニメであれば作品人気そのものを危機に晒すおそれのあるタイプのものですが、政治的要素のシャッフルも含めて、特定タイプのキャラに対する好悪感情をも「等しく逆なで」しているのが興味深い特徴となっています。つまり、どんな人であっても作中キャラの誰かの言動に苛立ちを覚えるように人間関係が構築されているわけです。

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  • 【春の特別再配信】『君の名は。』興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(石岡良治×宇野常寛)

    2017-05-15 07:00  
    540pt


    「2017年春の特別再配信」第5弾は、話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」から、映画『君の名は。』についての石岡良治さんと宇野常寛の対談をお届けします。コアなアニメファン向けの映像作家だった新海誠監督が、なぜ6作目にして大ヒットを生み出せたのか。新海作品の根底にある“変態性”と、それを大衆向けにソフィスティケイトした川村元気プロデュースの功罪について語ります。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2016年11月号)
    宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
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    (画像出典)

    ▼作品紹介
    『君の名は。』
    監督・脚本・原作/新海誠 製作/川村元気ほか 出演(声)/神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみほか 配給/東宝 公開日/8月26日
    東京都心で暮らす男子高校生・瀧と、飛騨の山奥の村で暮らす女子高生・三葉は、ある時から、互いの肉体が入れ替わる不思議な現象を体験する。入れ替わって暮らす際の不便の解消のために、別の身体に入っている間に起こった出来事を互いに日記にし、その記録を通じて2人は次第に打ち解けていく。だがある日、突然入れ替わりは起きなくなり、瀧は突き動かされるように飛騨へ三葉を探しに行く。そこで彼は意外な事実を知り──。新海誠の6作目の劇場公開作品にして、まれに見る超メガヒットとなった。

    宇野 まあ、身もふたもないことを言えば、よくできたデート映画ですね、という感想以上のものはないんですよね。本当に川村元気って「悪いヤツ(褒め言葉)」だな、と思わされました。新海誠という、非常にクセのある作家の個性を確実に半分殺して、メジャー受けする部分だけをしっかり抽出するという、ものすごく大人の仕事を川村元気はやってのけた。
     新海誠の最初の作品である『ほしのこえ』【1】は、二つの要素で評価されていた作品だと思う。ひとつは、キャラクターに関心が行きがちな日本のアニメのビジュアルイメージの中で、背景に重点を置いた表現を、それもインディーズならではのアプローチで再発掘したという点。もうひとつは、後に「セカイ系」と言われるように、インターネットが普及しつつあった時代の人と人、あるいは人と物事の距離感が変わってしまったときの感覚を、前述のビジュアルイメージと物語展開を重ね合わせてうまく表現していたところ、この二つです。ただ、それ以降の新海誠は、背景で世界観を表現しようというのはずっと続いていたけれど、ストーリーとしてはそうした時代批評的な部分からは一回離れて、ある種正当な童貞文学作家というか、ジュブナイル作家として機能していた。
     今回、久しぶりに過去作を見返したんですけど、意外とというかやっぱりというか、あの気持ち悪さがいいんですよね(笑)。例えば『秒速5センチメートル』【2】でのヘタレ男子の延々と続く自己憐憫とか、『言の葉の庭』【3】の童貞高校生の足フェチっぷりとか。どっちも女性ファンを自ら減らしに行っているとしか思えない(笑)。でもそんな自分に正直な新海先生が愛おしいわけですよ。1万回気持ち悪いって言われても自分のフェティッシュを表現するのが『ほしのこえ』以降の新海誠作品であり、基本的に彼はそこを楽しむ作家だったと思う。
     それが『君の名は。』では、その新海の本質であるところの気持ち悪さの残り香が、三葉の口噛み酒にわずかに残っているだけで、ほぼ完全に消え去ってしまった。おかげで興行収入130億円を達成したわけだけど、あの愛すべき、気持ち悪い新海誠はどこにいってしまったのか。まぁ、それも人生だと思いますが(笑)。
    石岡 僕が新海作品でずっと興味を持っているのは、エフェクトや背景の描写です。彼が日本ファルコム在籍時に作った、パソコンゲーム『イースⅡエターナル』のオープニングムービーは、ゲームムービーを刷新した。この当時から空や背景の描写はとんでもなく優れているんですが、自然に迫る美しさとは違っていて、ギラギラした光線をバシバシ見せつけるような、人工的なエフェクトの世界を高めていくものだった。宇野さんが言った「気持ち悪さ」でいうと背景自体も気持ち悪いというか、その方向へのフェティッシュも濃厚でした。なぜ彼の作品が童貞文学的になってしまうかというと、圧倒的な背景描写に対して、キャラクターをあまり描けなくて動かせないからなんですよね。でもその結果、豊かな背景を前に、キャラクターが立ち尽くす無力感が背景そのものに投影されて、観る人はそれに惹かれる仕組みがあった。
     一方で今回は、キャラクターがよく動く作画でありながら、新海監督には由来しない別の気持ち悪さが生まれていると思う。去年この連載で『心が叫びたがってるんだ。』を取り上げた時、田中将賀【4】さんのキャラデザは中高年以上を描けないんじゃないか、という話をしましたよね。『君の名は。』も田中さんなんだけど、作画監督・安藤雅司【5】の力によって、三葉の父親や祖母はさすがにうまく描かれていた。だけどその代わりに、日本のアニメーター特有の病というか、演出的にはいらないはずのシーンでついパンチラを描いているあたりには、また別種の気持ち悪さがあるんじゃないか。

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  • 『コードギアス』の複層的シナリオ展開はなぜ可能になったのか/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(6)【不定期配信】

    2017-04-20 07:00  
    540pt


    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、キャラクター劇とポリティカル・フィクションを巧みに両立させた『コードギアス』のシナリオ展開について考察します。(※4/24(月)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 2017年冬クールのアニメを徹底総括します。視聴ページはこちら)

    時間の経過とともに可能になりつつある名作ロボットアニメの評価

     前回の配信直後、2017年3月17日に『交響詩篇エウレカセブン』の劇場版三部作(『ハイエボリューション』)が発表になりました。この符合には少し驚きましたが、『エウレカセブン』と『コードギアス』の比較が、2010年代後半に再び可能になるということで、にわかに現代性を帯びてきた感があります。現状で『ハイエボリューション』の興味深いところと不安点を簡単に挙げると、テクノユニットのHardfloorから新曲「Acperience7」を提供されていることは興味深いと言えるでしょう。パワーバランスの変化ゆえに可能になったところもあるとはいえ(”Anime”の存在感など)、オリジナルにおける「サブカル的意匠」の意味合いもリブートしていく意気込みをみることができるからです。不安点としては、すでに『エウレカセブンAO』という後日談があるために、『コードギアス』と比べると三部作の出口にかなりの縛りがかかっていることでしょう。いずれにせよ、旧作のリブートとはいえ、思わぬ形で「2010年代のロボットアニメ」が活気付けられた印象があります。
     もう一つロボットアニメ関連の興味深いニュースとしては、マクロス35周年プロジェクトとして『マクロスF』のシェリル・ノームの新曲発表が挙げられます。こちらは『マクロスΔ』の直後ということもあり、『マクロスΔ』は『マクロスF』のインパクトを超えられなかったのか、という雰囲気も若干漂いますが、アイドルアニメの源流の一つでもある『マクロス』シリーズの強みが出ているように思います。
     さて、だいぶ長々と周辺事情へと迂回した感はありますが、『コードギアス』の意義を改めて考えてみましょう。日本アニメ史における『コードギアス』の位置は、冷静にみるならば「SクラスとまではいえないAクラスのヒット作」(『クリティカル・ゼロ』より)といったところでしょう。ロボットアニメの中では『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』と同等のインパクトを後世に残したとまでは言えないが、ジャンルの歴史では大きな存在感を持ち、ゼロ年代アニメの中ではかなり人気のあった作品、といった認識が共有されているように思われます。
     私もおおむねそうした見解には同意なのですが、今回改めて見直してみたところ、たとえSではないにせよAAないしはAAA作品とみることができるのではないか?と主張できるように思います。むしろ、『コードギアス』以後の十年間によって(『魔法少女まどか☆マギカ』が事後的にサブジャンルを生み出し、アニメ史的意義を増したように)重要性を増したとみています。これはちょうどヒット作でありながらかなり批判されていた『ガンダムSEED』が、今では古典の一つとなっているように、『コードギアス』についても時間を経た評価の変化をみてみたうえで、現代的意義について考えてみたいということです。
    トリッキーな主人公としてのルルーシュ
     『コードギアス』を雑にまとめてしまうならば、「もしも夜神月が妹を守るために「優しい世界」を求めたとしたら?」となると思います。ルルーシュの造形が『DEATH NOTE』の夜神月をヒントにしていることは明白ですが、そこに加えられたアレンジが、他の数多あるデスゲーム系作品と一線を画する結果となっているのでしょう。シナリオのメインプロットや諸勢力がどんどん移り変わっていったようにみえる『コードギアス』ですが、「妹のナナリーを守る」という軸は最初から最後まで徹底していて、しかもそのようなシスコン要素についても、終盤では一捻り加わえられているんですね。「優しい世界」は、今ではろくでもないネットミームになってしまっていますが、もともとはコードギアスのルルーシュが求めた世界を指していました。夜神月には妹がいますが、特に守るべきキャラというわけではありませんでした。いずれもピカレスクロマンとして描かれつつも、ルルーシュの行動原理が「妹ファースト」であるところは、ややもするとヌルくなりかねないわけですが、『R2』の18話から19話にかけて、「第二次東京決戦」の結果ナナリーの安否が不明になったため、せっかく成立した「超合集国」を台無しする勢いで取り乱し、部下一同をドン引きさせるという展開を混ぜることで、「妹ファースト」の危うさを、終盤の物語を加速させるモチーフとして活用していました。
     このように、『DEATH NOTE』フォロワー作品の多くと比べても、今なお設定の絶妙さが光る『コードギアス』ですが、これから初めて見る人にとっては、作画の面では必ずしも新しさが感じられないかもしれません。原案をCLAMPが担い、木村貴宏がデザインしたキャラクターは個性的で、今でもファンが多いですが、ゼロ年代アニメをヴィジュアル面で刷新した京アニやシャフトの作品と比べると、画作りの点ではやや古くみえるかもしれないと思います。『ガン×ソード』の延長上にあるといえばよいでしょうか。なので、『コードギアス』がゼロ年代アニメの諸要素を結集させているといいつつも、画面設計などの点では90年代後半からゼロ年代前半にかけてのアニメに近いところがあるかもしれません。

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