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  • 「ショートムービー以降」のインターネット(後編)|天野彬

    2023-05-30 07:00  
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    本日のメルマガは、マーケターの天野彬さんと宇野常寛との対談をお届けします。 TikTok特有のサービスとしての特徴を分析しながら、「ショートムービー」がコンテンツ業界や言論空間にどのような影響を与えるか議論します。 前編はこちら。 (構成:徳田要太、初出:2022年5月24日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    情報との出会い方
    宇野 「タグる」というキーワードが昔からありますが、この本でもすごく重視されていますよね。最初にこの言葉が定着したのはたぶんインスタだと思うんですが、インスタの「タグる」からTikTokの「タグる」への変化について聞いてみたいと思います。
    天野 僕が「タグる」を提唱するようになったのは2016年頃で、リサーチを通じて多くのユーザーがインスタで情報を探すようになっているとわかったんです。それがまず一つ面白いところだなと思ったんですよね。流行りのお店を探すのもGoogleで検索して探すのではなく、インスタで ハッシュタグを使って、パンケーキならパンケーキのお店を「#」を使って探していくと。ハッシュタグを使って自分で情報を手繰り寄せるように探すので、その掛け言葉として「タグる」という言葉がしっくりくると思いました。やはり今はもうGoogleで検索してもいい情報に出会えないみたいな状況がありますよね。それよりもSNSのほうがリアルで、しかも鮮度の高い情報が得られる。なのでみんな「ググる」から「タグる」になっているんだというのが、そこでの議論の要旨です。
     でもTikTokだとあんまりハッシュタグで情報を探すという感じでもなかったりするんですよね。TikTokは良くも悪くも全てが中動態的で、ほぼおすすめに頼るような状態なんです。つまり、能動的にハッシュタグを辿りはするんですが、それが完全に能動的かというとそうとは言い切れなくて、自分が見た動画や「いいね」の履歴からアルゴリズムがレコメンドする動画を受動的に受け取っているだけとも言えます。だから「タグる」というキーワードも、引き続きインスタで使われていたり、Twitterでも「#」をつけた情報が発信されたりするので、従来の形とは少し違う情報体系なのかなという気がします。
    宇野 僕はいつも「どうすれば、ほど良い偶然性を自分の生活や社会にインストールできるのか」ということを考えるんです。どうしたら自分がまだ知らないけれど興味を持っているものに出会えるんだろうと。そこで比較的僕がうまく使えば面白くなるかもしれないと思うのが、恐ろしいことに「アルゴリズム」なんです。もちろんAmazonのレコメンドはダメなんですが、メルカリやヤフオクなどの表示には意外と刺さるものがあって。僕はフィギュアオタクで「仮面ライダー」とか特撮系のものを集めているんですが、時々「このアイテム今まで意識してなかったけれど、意外といいじゃん」みたいなことに気づかされるの。つまり、ああいった中古市場の商品は、ユーザーが自分で写真撮って出品しますよね。だから宣材写真ではないんです。そうすると意外な魅力が伝えられて「あれ、意外とこのシリーズありじゃん。買って集めてみようかな」とか思ったりするんです。だから実は、二次創作とまではいかないけどユーザーが自分なりの視点で撮影したものやアップロードした情報が、アルゴリズムで示されるということが、今のところ僕は有効な気がしてるんです。人間とはまったく違う思考回路で、「人間だったら絶対にこれとこれ共通しないじゃん」というようなものが出てくるのが大事だと思っていて。いかに人の目や意識を排したシステムを組み込んでいくのかということが大事なのかなと思っていいます。
     なんでこんな話をしたかというと、けっきょくこのショートムービーもコミュニケーションの一つのベースになってきているというのは間違いないと思うからです。インスタがスマートフォンで撮影した写真を人間のコミュニケーションのかなりの部分を占める基礎単位にしたのと同じくらいのことは起こるでしょう。その世界の中で、いかにいま僕が言ったように、人間を創造的にする偶然性を、この状況を逆手に取って社会にインストールしていくのか、天野さんはどう思っているのかと聞きたいんですよ。
    天野 メルカリはたまに僕も使うんですけど、ひとつのフォーマットのようなものがある気がしていて。古着はよくチェックするんですが、やはり撮り方や商品の紹介の仕方には型があると思います。型があるということが、多くの人の発信や創造性を引きだしている面はあると思っていて、そういう意味ではショートムービーでは動画を作りやすいという利点があります。発信のハードルを下げて、そこにズレを内包させてどんどんコンテンツを生成させることで、偶然性を招きやすくしているわけですね。セレンディピティが訪れるかどうかは試行回数と密接に関係しているので。
     情報の発信のしやすさが、確率的に良いものを生み出させるうえですごく大事で、TikTokだと音楽を乗せて簡単に誰もが動画を作れるとか、ミームと呼ばれるフォーマットがあったりします。模倣の連鎖によってカルチャーが根付いていったり、みんなの発信の中からわずかな差分で新しいものが出来てきたり、そういうことに繋がっていくのかなという気がしています。もちろんその型の先に守・破・離があることは大事なんですが。
    TikTokと言論活動との相性
    宇野 なるほど。少し視点を変えると、冒頭で「言論活動とショートムービーとの相性をどう思うか」と質問していただきましたが、僕はここに関してかなり危機感を覚えています。今の文字ベースのTwitter言論は明らかに正しく機能していないですよね。だからそこに当然未来はないと思うんですが、じゃあTikTokなりのショートムービーが主体になったときに、僕が思ったことが一つあります。山本太郎と宮台真司が戦ったときに、宮台真司に勝ち目はあるんだろうかと。山本太郎に絶対勝てない気がするんですね。つまり語り口だけが意味がある世界がそこに爆誕した結果、エビデンスや論理性とかいったものがほぼ完全に度外視される世界が到来してしまうんだと思うんですよ。
    天野 そうですね。今の例えがちょっと絶妙すぎて、確かにそうだなと思ってしまいました。あとはいわゆるひろゆきさん旋風もその視点から分析できますね。彼自身が「切り抜き動画の原液」になったことで、ショートムービーの素材になったのが知名度獲得に寄与した。ひろゆきさん特有の話法も効果的だったわけで。やはり短い時間である分、議論の詳細な内容よりはインパクトのあるワードとかパフォーマンスに視聴者がどういう印象を持つのかが重視されますよね。
     あとはTikTokってコメント欄でみんながどう思っているのかがけっこう可視化されるんです。40代か50代くらいの意見がYahoo!ニュースのコメントに象徴されているとすると、10代後半から大学生の子にとってはTikTokがその場になってるんですよね。ニュースのちょっとした映像に対してみんながコメントで何を言っているかによって自分の考え方にある種のバイアスがかかるというか、「みんながこのニュースについてすごい叩いているから、やっぱりこれダメなんだな」というふうに思うようなところがあります。だからそういう意味では話し手のパフォーマンスの印象によって言論の質がかなり影響されやすいと思います。字幕をどう入れるかとか、音楽とか、盛り上がりを映像的にどう表現するかとか、そういう勝負になってしまうんだろうなとは思います。
     TikTok上でいわゆる言論活動をしている人はまだあまりいないですけれど、わりと知識啓蒙系のような人はまぁまぁ出てきていて。多くの人が関心ある、それこそダイエットの話題から、人間関係を良くする心理学とか、そういう知識紹介系の人はいるんですが、やはり専門家からするとエビデンスが怪しいと突っ込まれるクリエーターとかも少なくありません。そういう人たちが耳障りの良いキーワードをでかい級数で字幕に出したりして、ちょっと効果音とかを付けるとどうしても「そうかも。」なんて思ってしまうようなマジックがあったりして。しかもTikTokでは画面占有がそれだけなので没入してしまう。
    宇野 どうしたらいいんですか? 僕らのようなオールドタイプは。ファンネルとか飛ばせないタイプは。
    天野 (笑)。でもTikTokをやりつつも、TikTokだけで完結する人は実はあんまりいなくて。リンクからYouTubeに飛ばす人もいれば、人によってさまざまですが、TikTokはそういうショートムービーの話法は話法としてあるとして、何かそこだけでというよりは、何か別の場に移してコミュニケーションしたり啓蒙したりするケースが多いです。Twitterも同じで、結局140字で語れることには限界がありますが、そこからnoteに誘導するなりすれば伝わる人には伝わるわけですよね。ショートムービーはいろいろなものの入り口ではあるんですけど、そこが本体かどうかはまた違う話で、でも入り口としては有用だということですかね。TikTokだけに全てを背負わせてしまうのも酷かなという気もするので、そういう組み合わせが大事だとは思います。
     
  • 「ショートムービー以降」のインターネット(前編)|天野彬

    2023-05-23 07:00  
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    本日のメルマガは、マーケターの天野彬さんと宇野常寛との対談をお届けします。 TikTokに代表される「ショートムービー」はインターネットをどう変えたのか。TikTokとそれ以前のSNSとの違いを比較しながら議論します。 (構成:徳田要太、初出:2022年5月24日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    宇野 本日は「ショートムービー」をテーマに対談を企画しました。10代を中心に若い世代の消費行動に圧倒的な影響力を持っていると言われる、TikTokをはじめとしたショートムービーですが、僕たちの世代からすると別世界にも思えるこの新世代の利用スタイルをどう受け止めるべきなのか。近刊『新世代のビジネスはスマホのなかから生まれる』で注目の、天野彬さんと議論していこうと思います。天野さん、よろしくお願いします。
    天野 よろしくお願いします。
    宇野 早速ですが天野さんには自己紹介を兼ねて、『新世代のビジネスはスマホのなかから生まれる』の内容を簡単にご紹介いただければと思います。
    天野 はい。それでは本の内容をかいつまんでお話しさせていただいて、この後のディスカッションの材料を提供させていただこうかなと思っております。僕はこれまでソーシャルメディアに関連する調査や、それをもとにしたコンサルティングなどの仕事をずっとしてきました。2019年には『SNS変遷史』という本を出版し、そのときにもPLANETSさんのトーク番組でお話しさせていただくなどして、書籍以外での情報発信活動もいろいろとさせていただいています。
    宇野 こういう紹介をされると、本当に広告代理店の研究スタッフが突然現れたような印象を持たれるかもしれないんですが、天野さんは経歴を細かく見たらわかるように、もともと人文社会系の訓練を受けている人なんですよね。そういうバックボーンがあってマーケティングの世界に入っていったタイプの人なので、僕ともかろうじて話せるみたいな(笑)、そういう関係があるんですよ。
    天野 そうですね。学生時代はいわゆる批評系の本も好きで宇野さんのご著書も読んでおりましたし、そういう人文系のエッセンスはこの本にも現れているかもしれません。帯の推薦文を書いてくださった方にはドミニク・チェンさんや眞鍋亮平さん、徳力基彦さんなど、人文アカデミズム系からビジネス系まで、あまり同列に並ぶことがない名前が載っている、少し不思議な本なのかなと思います。
     帯の裏には「TikTok売れ」とあり、これが本書の一つのキーワードになっているんですが、要するにTikTokで取り上げられたものが売れる、ものが動くということです。コンテンツが流行ったり、商品が売れたり、そういうことがたくさん起こっていて、それがなぜなのかということを大きなトピックとして論じています。
    ​​ この本の狙いとしては、一つには「SNS社会論」として世の中の一般の方々に訴求したいという思いがあります。まだまだTikTokも新しいテクノロジーなので、功罪いろいろな議論があると思いますが、僕としてはこういうものが社会にもたらすポジティブな面をどういうふうに描けるのか、それをどういうふうに見つけるのかというところに主眼を置いています。広告というのは、商品やサービスの良さはどこにあり、それが生活者にとってどんな価値になるのか、それを見つけて最大化してコミュニケーションするのがそもそもの大きな役割ですよね。
     あとはもっと特定の領域にグッとフォーカスしたものになりますけど、第二に「SNSマーケティング」の今の潮流はどうなっているのかという、企業の方々が大変興味がある分野も論じています。これまでの著作で論じてきたことも踏まえつつ、2022年現在の見取り図を提示しています。
     そして第三に「TikTokのすごさの分析」。ショートムービーの代表的なサービスであるTikTokのすごさがどこにあるのかということを、ユーザーベネフィットや、ユーザーの楽しさや価値、マーケティングオポチュニティの点から論じました。また「ソーシャルインパクト」という言葉を使いましたが、TikTokは若い人にとってはある種のカルチャーだったり、社会的影響を与える手段として使われている部分もあります。日本だとそうでもないですが、アメリカではソーシャルアジェンダや政治的なメッセージを発する場としても使われています。
     それぞれの視点から深堀りをしていって、せっかくなので宇野さんのようにTikTokを使ったことのない人にも興味を持ってもらえるような、そんな本にしたいなというふうに思って執筆しました。
     今日はせっかくの機会なので、4つほど宇野さんにお聞きしたいことを考えてきました。一つが、「そもそもTikTokってどうですか?」と。TwitterとInsagram、Facebookあたりは使っていらっしゃるのを存じ上げていますが、あまりTikTokは使われていないような印象があります。
     二つ目は率直に、この本のご感想も聞いてみたいということ。
     三つ目が、言論活動というものと、TikTokを含めたショートムービーとの相性、あるいはそれらが影響し合う環境をどうとらえているのか。このあたりはまさに「遅いインターネット」の問題と深く関係するところかなと思っております。
     最後に、TikTokが、広く日本のカルチャー内で流行ることによって、みんながこれを見たり発信したりすることによってどのような影響があるのか、お考えを聞いてみたいです。長くなりましたが、僕からは以上です。
    TikTokの持つ「中間性」
    宇野 まず最初の質問から答えると、ほぼ触ったことがないに等しい。本当に僕の私生活にも仕事の中にも入ってこない。でも、天野さんの本を読むとどれだけ流行っているのかわかりますよね。はっきり言うと自分の老いをすごく感じさせる存在です。僕の8歳下の天野彬としては、これは自然と触れるものなのか、それとも仕事として触れるものなのか、聞いてみたい。
     
    天野 そこは半々かもしれないですね。流行り始めたころに一度ダウンロードはして、コンテンツはいろいろ見ていました。でもたぶん宇野さんと同じ感想というか、「これはあんまり自分に縁がないものなのかな」と思ったところはあって。ただ、ユーザーが増えていくにつれて、「職業柄これはキャッチアップせねばならん」という、もう半分は義務感があったかもしれません。
    宇野 僕が普段どういうふうにSNSを使っているかというと、一番使っているのはFacebook。これは大半が仕事の連絡用です。Twitterはほぼ告知専用で、単に「今日は○○があります」とか「何日にこんな記事が出ます」と淡々と告知しています。インスタは完全に個人的なもので、ランニング中の風景や食べたもの、おもちゃの模型ばっかりを上げていて、要するに僕の好きな世界や僕の考える美しいものだけが並んでいるんですよ。主に使っているSNSはこの3つですね。
     こういう使い方をしてると、TikTokは完全に視界の外側にあるんです。だから、誰がどういうふうにこのSNSを使って、どう伸びてるのかというところを、いま僕が言ったような文脈を加味しながら話してほしいと思っています。
    天野 そうですね。Instagramは、いままさに好きなものだけを載せているとおっしゃいましたけれど、やはりみんなが好きなものをシェアしたり、それを深掘りしたりする場所ですよね。Instagram自体も公式で「好きと欲しいを作るメディア」だという説明をしています。そういう意味では、たとえば日本人はストーリーズ更新がアクティブですし、パーソナルなコミュニケーションに使われていますよね。
     Twitterはそういうパーソナルなものというよりは、やはり世の中全体の視点が入ってくる。「いまみんなが何を話してるのか」「何が話題になっているのか」とか、話題になっているものに対してのほかのユーザーリアクションを見たり、そこに入って盛り上がるみたいな、世の中視点が強いのがTwitterの特徴だと思います。
     TikTokは、おそらくどちらかというとTwitterに近いんですよね。みんながいま何に興味があるのかという視点がある。でもやはりTwitterとは決定的に違うところがあって、たとえば多くの一般的なSNSは自分がフォローしたアカウントを見るのが一般的な仕組みですが、TikTokはそういうわけではなく、ユーザーは「おすすめ」(タブ)を見るんです。つまり「いまこれが流行ってるよ」とか「あなたはこれが好きですよね」と機械がおすすめしたものを見る割合のほうが高いという調査結果が出ているんです。それはつまり、それまでのSNSのように好きなアカウントをフォローして見るというよりは、いま流行ってるものとか、自分が好きだと機械がおすすめしてくれるものをずっと見続けることで時間が溶けてしまうという視聴体験になっているわけです。自分からコンテンツを探さなくていい、ある種の手軽さがあって、少しテレビと通じるところがありますよね。インターネットは自分の欲しいものが探せる良さがあったわけですが、この両者の中間的な部分をカバーしています。つまり自分が今まで見てきたデータに基づいて、受け身でもたくさん情報が得られる。受動態・能動態に対して、國分功一郎氏の議論を踏まえて「中動態」と表現するのが適していると思いますが、、そういう新しい情報の体験になっているところもこれまでのサービスに対して優位性を持っているところです。
     
  • なぜ人は映画を早送りで観るようになったのか(後編)|稲田豊史

    2023-05-09 07:00  
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    本日のメルマガは、ライターの稲田豊史さんと宇野常寛との対談をお届けします。 稲田さんの著書『映画を早送りで観る人たち』を引き合いに、「コミュニケーション消費」が前面化している現代のクリエイティビティと作品の鑑賞態度はどうあるべきか議論します。 前編はこちら。 (構成:佐藤賢二・徳田要太、初出:2022年5月10日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    ■4.20世紀の映像文化の方が特例だった
    宇野 僕が何を言いたいかというと、映像作品に対して「コミュニケーション」が優位になっている状況は、制作者側が賢くなるとか供給側の人間が何かもっとクレバーにやっていくだけでは覆らないと思うんです。これは残酷な話だと思うけど、そもそも20世紀後半のように多様なポップカルチャーがマスメディアに流通していたのは、けっこう奇跡的な状況だったんじゃないか。それは、まだコンテンツ消費に対してコミュニケーション消費が優勢になってない時期だから成り立ったといえます。しかも、映像系のポップカルチャーが生まれて100年ぐらいの若い時代だからこそ成り立ったわけです(映画の発明は1895年、TV放送の普及は第2次世界大戦後)。なおかつ、パクス・アメリカーナ的に、戦後の西側先進国に広い中流層が形成されて、世界が有史以来もっとも階級的に分断していない状態があったという、この3つの条件が揃ったときに初めて可能な奇跡だったんだと思うんですよ。そのことを認めるべきだと僕は思います。
    稲田 20世紀後半の文化のほうが、じつは歴史的には特別だったと。
    宇野 実際に、第2次世界大戦が終わった1945年から、先ごろの2022年に起こったウクライナ戦争まで、のちの歴史では大国同士の戦争がなかった特別な時代と言われる可能性も高いですよ。今にして思えば、20世紀後半の西側先進国にだけ奇跡的に成立した、安定した中流社会とテレビ以降・インターネット以前の情報環境、この2つが掛け合わさった条件下でのみ、僕らの愛したような、作家主義的で、表現に重きを置いた多様なポップカルチャーが成立したんじゃないか。
    稲田 そうかも知れない。近代以前はエリート文化と大衆文化も分かれていたし、長い歴史の中で見ると、20世紀後半みたいに中流文化が豊かな時代は本当に一瞬だったんですよね。そういう時代の表現物を少年期から青年期の多感な時期に浴びて、それが普通だと思ってしまってるおじさんたちには、今の状況は受け入れられないでしょうね。
    宇野 今となっては信じられないかも知れないけれど、僕はドラマやアニメだけでなくスポーツ鑑賞も好きな子どもで、じつは野球のナイターとかを毎晩見ていたんですよ。べつに自分からスポーツする子ではないけど、テレビの試合はよく見ていた。それで、「ここでピッチャー変えるのはないだろ!」とか、「ストライクいらないのに、なんでど真ん中に放るかなあ」なんて画面に毒づいている奴だった。振り返ってみると、これも20世紀の映像の世紀だけに成立した文化で、モニターの中の誰かに感情移入することが一番の娯楽だった時代なんですよ。王貞治も長嶋茂雄もウルトラマンと同列のヒーローだった。  今の僕は自分で走ることには興味があるけれど、もう全然スポーツ鑑賞とかには興味がなくなっている。それは、たとえが古くて申し訳ないけど、松井秀喜のすばらしいバッティングを見るより、自分の拙いランのほうが楽しいんですよ。これは覆らないと思うんですよ。よっぽど強烈なものじゃない限り、他人の物語が人間の関心の中心にくることはけっこう難しいんですよね。ファスト映画を消費する人たちは、自分がしゃべるネタとして必要だから作品を見ている。人間は、どんなに洗練された他人の物語でも人の話を聞くより、どんなに凡庸でも自分の物語を話すほうが楽しいじゃないですか。そういう困った生き物なんだと思うんですよね。  この「他人の物語」と「自分の物語」の2つのバランスが、情報環境的には逆転しています。20世紀後半は、まだ自分の話をする相手が家族や友達しかいなかった。余暇の時間を過ごすとき、今でいう費用対効果とかタイムパフォーマンスに対して得られる快楽を考えると、メディアを通じて洗練された他人の物語を取り入れるほうが、効率が良い時代だったんだと思うんですよ。でも、今は違うじゃないですか。自分の話を聞いてもらうことって簡単になってますよね。別に何万人もフォロワーがいなくても、友だちにLINEすればいい。そういう時代になると、倍速視聴みたいな現象が起きてしまうことは避けられないと思うんですよね。
    稲田 「他人の物語」とおっしゃいましたけど、本当に他人の物語に興味がない人が増えている気がしてならないんですね。結局、映画の何が一番魅力なのかには議論がありますけど、自分がまったく知らない世界とか、まったく聞いたこともない、理解しにくい価値観の人が何かをしている姿を、動物園の珍獣を眺めるように見ることが一つの楽しみだと思うんです。しかし、今の観客はそれだとよくわからない、感情移入できない、だから嫌だって話になっちゃう。そういう恐るべき他者に対する想像力のなさみたいなものが、増えていくことになってしまう。  少し前、ある雑誌で高校生を対象にした座談会の構成をやったんです。そこに来ていた17歳ぐらいの3、4人の男女は、ちょっと意識の高い子というか、わりとイケてる感じの子でした。そこで、「オタクについてどう思いますか?」と聞いたんですね。昔だったら、「オタクはキモい」とか「ちょっと嫌です」みたいな感じのことを言ってもよかったんだけど、彼らはすごく大人っぽい態度で、「いや、別に彼らは彼らだからいいっす」みたいなことを言う。これは一見すると、誰にでも人権を認めているとか、多様性を認めてるように聞こえるんだけど、そうではないと思ったんですよ。だって、多様性を認めるというのは、もっと掘り下げていくと、自分とは違う価値観の人が、一体どういう価値観であるかを、分け入って対話するなりして理解して、「俺とは違うけど、この世界に共存している」ことを心から認める状態に持っていくことだと思うんです。でも、彼らはそうじゃなくて、相手に触れず放置したまま許容した気になってるんですよね。なぜかというと、触れてトラブルになると面倒だから。だから、本質的には自分とは違う価値観の人に興味を持とうとしない。それがお互いを認め合うことみたいに、都合よく変換されてるように見える。  これはある面では、今の教育の成果でしょう。つまり、学校で建前上は「自分と違う価値観の人を否定してはいけません」って教育を受けてきた世代の子たちだから、確かにそういう対応をするのが正しいんですよ。でも、本当は多様性を認めるという考え方を因数分解していけば、「相手の価値観を学びましょう」っていう要素も含まれてるはずなんですね。ところが、自分と異質な他者を学ぶ前に、「触らぬ神にたたりなし」と切り捨てて、自分と違う世界観の人は触れないのが良いことだという考え方になってる。  それはやはり、今やインターネットでいろんな価値観の人が一か所に全部集まっているなかで、誰かの機嫌を損ねたら、炎上したり大変なことになるじゃないですか。それを見ているから、やっぱり触れない。波風が立つことは言わないし、違う価値観の人には触らないというのが一つの処世術になっている。だから、他者性がない、他人の物語にそこまで興味がないということにもつながってるんじゃないか。
    宇野 こういう時代状況になったのは誰が悪いかと言えば、別に誰も悪くないんだけど、しいて言うなら、多分僕らが悪いんですよ。僕ら今の現役世代のメディアとかコンテンツの関係者が、この状況を頭でわかっていても、後手後手に回ってきたんですよね。この本を読んで、それは間違いないなと思った。
     
  • なぜ人は映画を早送りで観るようになったのか(前編)|稲田豊史

    2023-05-02 07:00  
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    本日のメルマガは、ライターの稲田豊史さんと宇野常寛との対談をお届けします。稲田さんの著書『映画を早送りで観る人たち』を引き合いに、映像作品をめぐる「消費」の現状について議論します。 (構成:佐藤賢二・徳田要太、初出:2022年5月10日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    ■1.「ファスト視聴」蔓延の理由
    宇野 今日の対談のテーマは「映画を早送りで観る人たち」です。YouTubeによく上がっている、「ファスト映画」と呼ばれる動画をご存知の方も多いと思います。商業的な映画作品をダイジェストにして、5分か10分で結末までわかる、予告編のちょっと長くなったバージョンみたいなものです。著作権的には完全にアウトなんですけど、こういうものが今、けっこうはびこっている。そして実際、「映画はもうそれでいいじゃん」と考えるタイプの視聴者が、特に若者層に広がっている。そういったことが2022年に入る前後から話題になりはじめています。その現象について、実際に映画業界にいたり、映像関係の業界誌の編集をしていた稲田豊史さんがいろいろな角度から切り込んだのが『映画を早送りで観る人たち』です。
    『映画を早送りで観る人たち  ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』 (光文社新書) 
    稲田 どうも、稲田豊史と申します。宇野さんとの関係を説明しますと、僕は2012年、東日本大震災の翌年にとある出版社を辞めて、もうボロ雑巾みたいになってたんですけど、そのときに最初に「うちの仕事を手伝いませんか」と声をかけてくれたのが宇野さんだったんです。それで少しPLANETSさんのお手伝いさせてもらって、その後とある会社に転職したんですけれどまた辞めて、その後フリーランスになってからもいろいろなプロジェクトでお手伝いさせてもらいました。宇野さんは恩人みたいなものです。
    宇野 うちからは稲田さんの著書として、『ドラえもん』を論じた『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』を出させてもらいました。それだけでなく、裏方としていくつも本の制作を手伝ってもらって、僕は頭が上がらない、尊敬する先輩編集者の一人です。こちらこそ恩人みたいな感じですね。ここ数年は、稲田さんはどちらかと言うと編集よりライティングのほうの仕事の比重が大きいですよね。
    『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS) 
    稲田 そうですね、ルポとかの文筆が多いですね。
    宇野 この稲田さんが、近年ではウェブサイト「現代ビジネス」の記事でたびたび「倍速視聴」問題を取り上げていて、僕の身の周りの出版業界の人や、当事者である映像業界の人たちからすごく大きな反響がありました。それがこのたび単行本になって、さらに大きな反響を呼んでいます。そこで、今回は稲田さんがファスト映画問題を取り上げたこの本をベースに、僕らにとって今日の映像作品とか、コンテンツ産業はどのようなものになっているかを、世代論、情報社会論といった、いろいろな視点から語っていきたいです。
    稲田 よろしくお願いします。まずは本の内容を手短にサマリーするかたちで進めていきたいです。まさに僕の本の「ファスト読書」ですね(笑)。最初に、作品を「コンテンツ」と呼ぶことの意味について話したいです。
    宇野 本来コンテンツって「中身」のことですからね。
    稲田 そうなんですよね。コンテンツって言葉が今のような使われ方をするようになったのは、いつごろでしょうかね。僕は「コンテンツ」ってさかんに言われるようになった時期から、なんだかモヤっとしていたんです。そうした点も含めて本の内容をざっと説明しますと、まず、映像作品を頭から終わりまでずっと1.5倍速や2倍速で見たり、あるいはつまらないシーンや冗長なシーンを10秒スキップで飛ばしながら見たり、あるいは先にネタバレサイト、結末を知ってから見始めるような人が、どちらかといえば、若年層に増えていることを指摘したものです。ここで注意が必要なんですが、これは単に「今の若者はけしからん論」ではないんですよ。じつは、そういうファスト視聴は、今や30代、40代の人も当たり前のようにやっている。それが、どちらかといえば若者に多いという話です。  最初は「現代ビジネス」で2021年3月に、「映画を早送りで観る人たちの出現が示す恐ろしい未来」という記事を書いたんですね。じつは最初に「現代ビジネス」の編集者に記事の企画案を話したとき、すでに一冊の本になるぐらいのネタがあったんです。それで1本目を書かせてもらったらけっこう反響が大きくて、そのあとも何本か書かせてもらったわけです。本の内容はウェブの記事をまとめただけではなくて、じつはウェブの記事だけだと全体の文章量の3分の1ぐらいです。そこに追加取材で肉付けしたんですね。  2021年3月の段階で、民間調査会社のデータによれば、20歳から69歳でコンテンツを倍速視聴する経験がある人は約3割でした。そして年齢が下がるほど、その比率は上がっていて、20代男性では54.5%、20代女性では43.6%、20代全体だと半数ぐらいが倍速視聴経験者となります。その後僕は本を書くため、2021年12月に青山学院大学の2年生から4年生を対象に独自調査しました。19歳から22歳ぐらいの学生128人にアンケートをとったら、3人に2人が倍速視聴を「よくする」か「ときどきする」と返答してます。10秒飛ばしをする人はもっと多くて、4人に3人です。なぜ10秒飛ばしの方が多いかというと、単純にNetflixは倍速視聴できるけど、Amazon Primeはできないからです。
    宇野 ネット視聴の拡大が影響してそうですね。
    稲田 それで、10秒飛ばし派にも言い分があります。人によっては腹が立つ話なんですけれど、まず「金を払ったんだから、どう見ようと勝手」という意見ですね。最初に「現代ビジネス」に記事を書いたときも、早送り視聴の是非について述べると「はい、老害の押し付けきました!」みたいなリプがたくさん来たんですね。次に「作り手のエゴを押し付けないでください」という種類の意見があります。Twitterは怖いなあって思った。あと、「倍速でも内容を100%理解できてるから問題ないです。キリッ」「セリフがないシーンは飛ばしてもかまわないでしょう。ストーリーが進んでないんですから。キリッ」って感じで、自信たっぷりの意見も多かった。この話を聞いているおじさんたちの怒りが手に取るようにわかります。あるいは「時間がない。だから等倍速で見たらとても本数をこなせないんです」という意見もありましたが、そこまでして見なきゃいけないなんて、この人は一体何の仕事をしているんでしょうね。それから、最近話題になった事例で「普段から大学の講義も2倍速で聞いてるから、ドラマや映画が等倍速だとまどろっこしい」という意見も。すごいですよね、ひと昔前の感覚ならSFの世界ですよ。そして「ドラマ部分がうざい。俺が見たいのはアクションなんだ、だからそれ以外は飛ばす」とか、「推しの俳優だけが見たいんだから、それ以外のシーンは不要」という意見もけっこう多いです。  こうした言い分がある中で、なぜこんなことが起こるのかという理由を3つ、本の冒頭であげたんですね。第1に、先に挙げたように等倍で見ていると時間がないのはなぜかというと、供給作品が多すぎる。定額制動画配信サービス、Amazon Prime、Netflixなどがここ数年ですごく普及したから、とにかく視聴できる作品数が多すぎて、もう飛ばさないと見きれない。第2が”タイムパフォーマンス”です。時間のコストパフォーマンス、つまり”タイパ”を求める人が増えた。短い時間でたくさんのものを味わうのが頭の良いやり方で、そうでないのは情弱だという考え方の人が増えた。そして第3に、セリフですべてを説明する映像作品が増えた。そうなると、間や風景描写で訴えようとする映画やアニメって、もう、見てられないわけですよ。そういう人たちからしてみると。
    宇野 最近だと、アニメ映画の『バブル』(2022年5月13日公開)とかそうですよね。
    『バブル』 
    稲田 1つずつ説明すると、第1の供給作品が多すぎる問題は、先ほど話したようにサブスクの影響で、もう無尽蔵に作品が見られてしまう状況がある。あと、若者に多い傾向で、流行っているコンテンツを見ないと話題に合わせられない、LINEとかで話題に参加できない。たとえば『鬼滅の刃』のアニメが流行ったら2クールの26話分を見ないといけない、あるいは『ゴールデンカムイ』なら、3シーズンあるから全36話ぐらいでしょう(対談時時点)。もうとても見るのに時間が足りない。さらに最近の大学生には本当に同情すべきことなんですけれど、貧乏暇なし。仕送り額は1990年代から下がり続けていますし、昔の大学生とか若者に比べて使えるお金が圧倒的に少なくて、バイトしないと学費が払えないような状況もある。時間もない、お金もないとなると、定額制動画配信サービスは一番安くてコスパの良い趣味なんですよね。月に数百円で見放題ですから。そういう背景がある。  そして、当たり前なんだけれど、かつては映像作品への思い入れが強い人がたくさんの本数を見ていた。ところが、動画配信サービスが普及したことによって、世の中が変わってしまって、そんなに映像作品への思い入れが高くないのにたくさんの作品を見る人が増えてしまったわけです。こういう変化が起きてしまったから、そのギャップから倍速視聴者が生まれる。そんなに映像コンテンツが好きなわけではないのに、毎月映画を何10本も見てるという人が生まれちゃった。  この前、宇野さんが「プレジデントオンライン」でインタビュー受けてましたよね。そこで、いまコンテンツを消費する快楽の何割かは、みんなが褒めているものを自分も褒めて、「みんなと同じでいること」を確認する共感の快楽が占めているという趣旨のことを語っていたと思います。
    宇野 そうですね、僕らと稲田さんが関係の深いところでいえば、ジェンコの真木太郎さんがプロデュースした映画の『この世界の片隅に』がありましたね。あれはすごくいい作品で、僕も大好きなんだけれど、作品をめぐって翼賛的な空気があって、クラウドファンディングから、実際の公開まで悪口を言っちゃいけない雰囲気がちょっとありました。  僕は原作のこうの史代さんの大ファンでもあって、それだけにいろいろ言いたいこともあるわけですよ。特に、映画で終盤のヒロインの戦争に対する態度とか、戦後に対してのわりと無自覚な礼賛的なトーンとか、そういう側面にはもっと議論があってもいいと思うんだけど、そういった視点の批評を一切言えない空気があったじゃないですか。そういう無言の同調圧力的な感じが、この数年で拡大してきた気がするんですよね。
    稲田 そうなんですよね。勝ち馬に乗らないとネットで叩かれたり劣勢になるから、皆がいいって言っているものをいいと言うのがとりあえず無難。みんなが良くないと言っているものを褒めたり、あるいは逆にみんながいいって言っているものを逆張りで悪いと言うと、SNSでは風当たりが強いですよね。その風当たりの強さが一番嫌だと思っているのが、Z世代などと呼ばれる今の若者なんです。だから、無用に叩かれるぐらいだったら、みんながいいと言っているものを同じように消費しないといけなくなる。そこは一つのサヴァイヴ手段ともいえる。  次に第2の問題、タイムパフォーマンス、つまりタイパを求める人が増えた。要は効率主義なんですけれど、やっぱり2000年代くらいから、職場とか学校ですごく効率とか時短を求めるように広まってきてる。
    宇野 僕は“タイパ”って言葉は、この本で初めて知ったんですけれど、ショックでしたね。
    稲田 ショックでしたか(笑)。まあ、すごく浸透している単語ではないですけれど、あちこちでそういう言われ方をしています。年配層のロマンチックな言い方として、「人生には回り道も無駄じゃない」といった精神論みたいなものがあるわけですが、それを信じていいのかという部分があるわけですね。もちろん、そういう考え方を一掃しちゃっていいわけではないですよ。でも、2010年代からライフハックという言葉がすごく浸透してきてもいます。僕はそれにも弊害があったと思ってるんですね。たとえば、役所とかでExcelには自動計算の機能があるのに、入力した数値を電卓で計算してるような、ブルシットジョブ的な無駄な仕事がありますね。「タイムパフォーマンス」というのは本来、そういう無駄を一掃していくとか、仕事の効率アップをさす言葉だったんですね。最小の労力で最大のリターンを得るとか、効果があるものを頭良くこなしていくことが優秀なビジネスマンだといった言説が広まった。それは大人の世界の仕事の話なんですけれど、ネット上でそう言われると、若者は影響を受けて、「あー、なるほど、回り道するのはバカのすることなんだ、情弱なんだ」と、あるいは「無駄は悪いことなんだ」と受け止めてしまう。  2000年代以降のキャリア教育というのは、時短とか効率を求める傾向があって、自分が望む職業に就くためにはこれを勉強した方がいいよという選択と集中の話なんですね。本来、学校にいる時は無駄かどうかなんて関係なく学びたいものを思いっきり学ぶのが理想ですよね。でも、キャリア教育の考え方を突き詰めていっちゃうと、やはり早いうちから、高校生とか大学生になってからも将来を考えて効率的に学ぶ内容を選択することになる。本当は文系の学問で学びたいことがあるにもかかわらず、理系の方が就職率が高いから理系を選ぼうといった話になったりする。だから、こういった効率を求めるキャリア教育の普及が、タイパを求める人が増えた背景にあるんじゃないか。  そして、Z世代に多く見られるネタバレを知ったうえでの消費も、時間の効率という考え方がある。すごく時間を費やしてある作品を最後まで見たのにつまんなかったら、その時間が無駄だったってことになるわけですよ。そうすると、無駄な時間を過ごしてしまった自分がすごくだめな人間ということになってしまうので、どうしても避けたい。だったら、先に面白いってわかっているもの、あるいは結末がわかっていて安心して乗れる作品を消費したいということになる。若者の間では、ネタバレ消費は普通にある状況ですよね。ここは世代間ギャップが大きいだろうと思います。  そして第3の「セリフですべてを説明する映像作品が増えた」という点。10秒間沈黙が続く映画なりドラマなりのシーンというのは、そこに演出意図があるんですけれど、もう本当に誇張抜きに、彼らは「セリフがないってことは、スキップしていい」という発想なんですよ(笑)。早送り視聴をしている人に、どれだけ「その沈黙に意味があるんじゃないんですか」と言っても、宇宙人と話しているみたいでね。「いや、そこに情報ないじゃないですか」と返されてしまう。セリフ以外の表現の意義が本当に通じない。  だから、説明セリフがない少ない作品を発表すると、視聴者から「意味がわかりませんでした」という感想が返ってくるわけですよ。たとえば、相手に対して好きだって気持ちがあるならセリフで「好きだ」と言わないとわからない。本当はドラマとか演出って、そういうことじゃないんですけどね。でも、それで伝わらない人が出てくると「あの人の気持ちがわからなかった」って感想が出てくる。そしてその感想はSNSに乗ってみんなに知られて、制作者にも届く。すると制作者はわかんなかったって言われてしまったから、次の脚本からはセリフで「好きだ」って書くように指示する。簡単にいうとそういうことになっていて、脚本家さんもそういうことを気にするようになってる。  テレビ番組のテロップ洪水なんかも根っこは同じですよね。もう画面の四隅が全部テロップじゃないですか。情報バラエティ番組って、音声を消してても何が行われているか大体わかりますよね。それに慣れた視聴者には、物事は全部文字やセリフで説明されるものだという感覚が定着する。物心ついたときからそうだったら、そうじゃないものの受け取り方がわからなくなるのは当然なんですよね。そういう視聴者にとっては、もう映画の『ドライブ・マイ・カー』とか、まったく意味不明なんじゃないですかね。
    宇野 そうですね。タバコを掲げているシーンで無言ですからね。この場面は意味ないっていうジャッジをされてしまう。すると、もうタバコをつけた瞬間に次のシーンで、北海道ついているみたいな感じになってしまう。
    稲田 そうです。むしろ、「ストーリーの意味がわからないから、プロットを説明してくれ」と言われると思うんですよね。実際に、先に最後までのあらすじを読んでから、作品を見る人もいます。そうはいっても、ワークショップ中の長いくだりとか、説明のしようがないじゃないですか。
    宇野 そういうタイプの人は、劇中での家福の演劇をどう見るんですかね。
    稲田 もう何も受け取れないんじゃないですかね。だから皮肉なことに、あれはアカデミー賞で話題になったから、普段ああいうのを見慣れてない人もいっぱい見に行ったんですよね。それで僕の周りでも「見たけどまったく意味わかんない」という人がいっぱいいました。ある意味では大事故ですね。でも、僕はそこで若者批判がしたいんじゃなくて、年齢の高い層でもそういう観客はいっぱいいたんです。これは別に非難するわけではなくて、普段そういう映画を見てないから、ただ見方がわからないということですね。
    宇野 でも、そういう人たちは演技とかをどう考えてるんですか?
    稲田 よくわからないです。前年、ネットで僕の記事が広まったとき、菅田将暉さんが「オールナイトニッポン」か何かで倍速視聴を話題にして、当たり前ですけど「やっぱり演者としてはちょっとね」というようなことを言っていたそうです。倍速だと、自分のせっかくの演技が早回しでチャカチャカと動いているわけですから、微妙な間も何もないですよね。だから話の流れ以外の、演技や間はどうとも考えてないんじゃないですか。
     
  • 「ムジナの庭」では何が起きているのか(後編)|鞍田愛希子

    2022-10-18 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、就労支援施設「ムジナの庭」施設長・鞍田愛希子さんと宇野常寛との対談(後編)をお届けします。前編に引き続きムジナの庭が提供するプログラムを紹介していただきつつ、そこでのセミパブリックな空間づくりを手がかりに、今日の公共空間やコミュニティのあり方にまで議論を広げました。(構成:石堂実花、初出:2022年5月17日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    ※本対談で登場する「ムジナの庭」へ訪問した詳細なルポルタージュは、『モノノメ#2』に掲載されています。詳細はPLANETS公式オンラインストアにて。

    「ムジナの庭」では何が起きているのか(後編)|鞍田愛希子
    「場」から「庭」へ
    宇野 前編で愛希子さんが言っていた「家から庭へ」は、僕も最近考えていたことです。僕は専門としてメディア論に近いところにいるんですが、いまはインターネット=SNSのプラットフォームのコミュニケーションは、言葉中心のコミュニケーションで、相手が人間しかいない。よく社会は国家と家族の中間と言われますが、日本では東日本大震災の後に、口を揃えて「地域のコミュニティを大事にしよう」と言われ始めた。要するに国家と家族の中心にある、疑似家族的なコミュニティがここでは想定されていたと思うんですよね。もちろん、僕もそういうことは大事だと思ってきましたが、ちょっと限界も感じているんです。日本的な田舎のムラ社会とかただの地獄ですし、世田谷でクリエイティブクラスが金持ち喧嘩せずの心温まる自治ごっこみたいなのってただ経済格差で貧しい人と見たくないものを自分たちの視界から排除しているだけですからね。東京のクリエイティブクラスがセルフブランディングでやっている田舎暮らしと地方の商店街や農家のおじいちゃんおばあちゃんとの触れ合いのパフォーマンスはまあ、問題外として、実際にマクロで見るとSNS上のプラットフォーム上のテーマコミュニティ以外にその担い手は難しい。しかし、そのプラットフォームでは人間は人間同士の承認の交換しかできない。ここが問題だと思います。
     僕の場合は「『場』から『庭』へ」という言葉で表現しているんですが、この場合の「場」はプラットフォームです。プラットフォーム上では、人間は人間としか会話しませんよね。誰かに評価されるという相互評価のゲームで動いているから、他の誰かに評価されること以外のことを考えなくなってしまう。そうなると、問題そのものにアプローチせず、「この問題についてどう発言したら評価されるか」しか考えなくなってしまう。これはすごく貧しいことのように思うんです。  対して「庭」は植物や土や昆虫など、人間以外のものごとにも触れられる場ですよね。しかも植物には人間が介在しなくても自生できるような生態系がある。人間が介在しなくても勝手にコミュニケーションしているものに触れることが、すごく大事な気がしています。人間関係や社会の外側にも世界があることを実感させてくれると思うんですよね。  そして庭は、いじれることが大事なんです。しかも、人間が介入できるけれど、完全に支配することはできない。いくら抜いても雑草は生えるわけです。だから常にメンテナンスしなきゃいけないし、いくらメンテナンスしても支配はできない。これが庭を触っているときの充実感だと思うんです。
    鞍田 わたしも、庭から人間関係や心の問題を考えるきっかけをもらった気がしています。「ムジナ」でも、ある方がその場からいなくなるとか、誰か新しい方が入ってくる度に全体の雰囲気や関係性が一気に変わるんですが、これは生態系に近いなと思っています。  たとえばうちの場合は「お菓子を作る」「雑貨を作る」「庭の手入れをする」といったように、いろんなシチュエーションが自然に生まれます。そうすると、一方では活躍できなかった人たちが他方では急に尊敬され始めたりと、その人が違う側面を見せられる場所があるんですよね。  「庭」というキーワードで思い出したんですが、コンパニオンプランツという植物の組み合わせ方があります。たとえばアブラムシがすごく好きなお花を野菜の近くに植えて、その花があることで野菜を害虫から守ってもらう、というものなんですが、そういう配置換えやマッチングがしやすくなるよう、選択肢を増やしておくことこそが、わたしたちにできることだろうなと思っています。
     就労支援はいつかはなくなるのが理想的です。それがなかなかできないのは、まだ社会に認知が浸透していないからだと思います。たとえばもう少し、マッチングされて、庭のなかで、たとえば植物を植え替えるみたいな感じで変えていったら、急にコンパニオンプランツ的なはたらきをし始める、みたいなこともあるかなと思っています。
    宇野 「『いい庭の条件』ってなんだろう」と考えると、まずは第一に生態系が豊かであることですよね。そこにいろんな植物や虫がいて、それぞれ固有のアプローチができるということ。  あとはやはり、人間がそこに関与して、うまくいけば手応えもある。ただし完全に支配することはできないという、このバランスが中距離感で、人間と世界との距離感として、程よい手触りを人々に与えてくれると思っています。僕は自己信頼のベースとは、こういうことなんじゃないかなと思ってるんです。
    「ままならない」体験を通して出会うセミパブリックな空間
    宇野 愛希子さんのお話を聞いて僕が思うのは、「家庭と病院の間のセミパブリックな空間」が失われているのではないかということです。今の社会は自己責任の範疇で何をしても許されるプライベートな空間と、完全にパブリックで、デオドラントでクリーンな除菌された空間に二分されています。僕はサブカルチャーの人間なので、後者のような空間からサブカル的な猥雑さは出てこないと思うんです。
    鞍田 わたしは東京に出てからはじめて福祉の仕事に携わるようになったんですが、一番最初に感動したのが体臭でした。  私が働いていた施設では重度の精神疾患の方が多く、なかなかお風呂に入れない方もいました。そこで「そうか、人間ってこんな匂いをしていたんだな」と思い出したんですよね。「過去にこの匂いを嗅いだのはいつだっただろうか」と考えたときに、しばらく無臭の世界を生きていたということに気づきました。そうした手触りのような感覚は、ふつうに生きているなかで失われていくものです。  ちょうど東日本大震災のあとに「五感を取り戻す」というテーマの感覚的なワークショップをやっていた時期がありました。香りは人間の脳の本能的な領域に関わると言われていて、たとえば香りを嗅いだ瞬間に気分が変わることがあります。東日本大震災で心を痛めた方や精神疾患のある方にアロマを通したケアで関わるなかで、植物の香りや体臭は人間の気分を言葉に依らずに変える力があることを知りました。その香りをもう少し深めていったらできることがあるのかもしれない、と思ったのが、「ムジナ」の原体験としてありました。
    宇野 言葉の外側のものを使うことは大事ですよね。僕は職業柄言葉を使う人間だからこそ、言葉の限界もよくわかっているつもりです。でも、どうしてももの書きは、言葉を無邪気に信じすぎていると感じることもあります。僕は言葉よりも、もっと「ままならなさ」みたいなものを基準に考えたほうがいいんじゃないかと思っています。生きる実感は、言葉を自由に操って「○○である」ということよりも、実際に自分が関わって対象が変化していく過程を体験するところにあると思うんです。
    鞍田 ムジナの木彫で言うと、節があったり、木目に沿わない彫り方をすると、思うような形にならないことがあります。そうすると、思うような形にするにはどうすればいいかを考え始めたり、もう一個作ったらうまくできるんじゃないかと考えて「次は違うアプローチをしてみよう」と変わっていきます。そういう興味が頭の中をクリアにしていったり、身体のほうの記憶が正しくなったりしますよね。
    宇野 たとえば模型は、今だったらデジタルスキャンしてまったく同じものを3Dプリンターで作ることができるんですが、そうやって完成したものって、まったくリアルじゃないんです。  つまり人間は模型の形状そのものではなくて、模型を作る過程でそのものの本質のようなものに触れている。「このオートバイは、この自重を支えるフレームがフォルムを決定しているのだな」とか、「この建築はこの屋根の曲線を見せるためにそれを支える柱や壁が最適化されている」とか、そういうことを直感的に受け取っているわけです。だから優れた模型作家はデフォルメするんです。実はデジタルスキャンで実物を、自動車とか建築物とかをそのまま縮小したモデルをつくっても、人間はあまりそれをリアルに感じない。だからスケールが小さくなっても「それっぽく」見えるためには、その対象の本質をとらえ、特徴を抽出して、そこをアピールしたような形で縮小するんです。そうすると、途端に「それっぽく」見える。だから、作家によってアプローチがぜんぜん違う。そこに個性も宿るわけです。  だから、前編でお話しされたムジナのブローチの話はすごくおもしろかったです。ムジナというものをリアルに置き換えてるのではなく、いったん作家さんがデフォルメしているわけですよね。その後一人ひとりがブローチを作ることで、自分にとっての「ムジナ性」みたいなものを抽出して表現していると思うんです。
    鞍田 そうですね。結果的にできあがったものはそれぞれ全然違います。
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  • 「ムジナの庭」では何が起きているのか(前編)|鞍田愛希子

    2022-10-11 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、就労支援施設「ムジナの庭」施設長・鞍田愛希子さんと宇野常寛との対談をお届けします。植物に触れること、手仕事をすること、人と触れ合い感情を表現することをつなげた心身のケアを通じて、就労へのサポートプログラムを実践するムジナの庭。施設利用者へのケアを実現する「居心地のいいみんなの庭」はどのように成り立っているのか、サービス・空間設計の両面から解説していただきました。(構成:石堂実花、初出:2022年5月17日(火)放送「遅いインターネット会議」)
    ※本対談で登場する「ムジナの庭」へ訪問した詳細なルポルタージュは、『モノノメ#2』に掲載されています。詳細はPLANETS公式オンラインストアにて。

    「ムジナの庭」では何が起きているのか(前編)|鞍田愛希子
    居心地のいいみんなの「庭」を目指して〜「ムジナ」に込めた思い
    宇野 本日のテーマは3月に刊行した雑誌『モノノメ』の第2号でも特集させていだだいた、就労支援施設「ムジナの庭」です。就労支援施設と聞いてピンとこない方もいると思うのですが、いろんな分野の障害を持っている方が働けるようになるために職業的な訓練を受ける施設のことです。
     「ムジナの庭」は植物に触れたり、手仕事をすることで人と触れ合い、感情を表現することなどをコンセプトにした心身のケアのプログラムをユニークに展開されている施設です。今日は『モノノメ』2号の解説編のような形で、「ムジナの庭」の主宰者である鞍田愛希子さんをお迎えして、一緒に「ムジナの庭」について考えてみたいと思います。愛希子さん、今日はよろしくお願いします。
    鞍田 よろしくお願いします。
    宇野 「ムジナの庭」は完成してからまだそこまで日が経っていない施設なので、取材として踏み込んで話すのはもしかしたらちょっと迷惑なんじゃないかという迷いがあったんです。でも、非常におもしろい試みをしていることをパートナーの鞍田崇さんからも伺っていたので、ぜひともお願いしたいと思って取材させていただきました。  今日はまず愛希子さんのほうから改めて「ムジナの庭」の試みについてご紹介いただいて、そのうえで「ムジナの庭」の試みを通じて僕らが考えるべきことなどに議論を広げていけたらいいなと思っています。それではよろしくお願いします。
    鞍田 ありがとうございます。こうやってお話しするのが初めてなので、ガチガチなんですが(笑)。よろしくお願いします。
     いまご紹介いただいた通り、「ムジナの庭」は就労継続支援B型事業所と言って、一般企業での就労が難しい方のために働く場を提供したり、段階を踏んで就労へ向かっていくためのサポートを行う福祉施設になります。「ムジナの庭」は昨年の3月、ちょうど1年前に開設したばかりで、「何歳からでもリスタートできる社会へ」というスローガンをもとに立ち上がりました。このスローガンには、どんな生きづらさを抱えていたとしても、誰もが未来に安心し、何度でもチャレンジを続けられるよう、いつでも帰れる家のような場所でありたいという願いが込められています。
     「ムジナの庭」にはいくつかコンセプトがあります。まずは「眠っている身体感覚を取り戻す」。ふと嗅いだ香りや、ふいに投げかけられた言葉、何気なく食べているもの、作業に没頭する時間、いつの間にか心や体に作用している要因をキャッチして、自分なりの暮らし方を見つけていきます。  私は大学を卒業して最初の仕事が植木屋だったんですが、学生時代は不眠症で気分も抑うつ気味だった私が、植木屋になったら急にぐっすり眠れたという経験があります。学生時代は、ただの運動不足だったんですよね(笑)。木を切っているときの香りや感触を通してメキメキと人間らしさを取り戻したという実感もあり、「ムジナの庭」でもそういうことを大事にしたいと思っています。
     もう一つのコンセプトは、「居心地のいいみんなの庭」です。 「ムジナの庭」は武蔵小金井というJR中央線の駅から10分もかからない場所にあるんですが、ここは坂下(さかした)と呼ばれる地域で、近くに「はけ」と言われる崖が続いています。近くに「ムジナ坂」という坂があるんですが、この坂が「ムジナ」の由来のひとつでもあります。  このあたりは夜はとても暗くて、「女の子が通るとムジナに襲われるよ」といった感じで、「ムジナ」があまりいい意味で使われていなかったようです。この名前をつけるのも地域の方にすごく反対されました(笑)。でも、この坂が都道の建設で無くなってしまうかもしれないという話を聞いて、その土地の記憶として残しておきたいという思いもあり、この名前にしました。

     目の前にある古いお寺には保存樹木にも指定されている大きな木が多く、毎日何十羽、何百羽といる鳥の声が聞こえてきます。「ムジナの庭」の2階は水平窓になっているので、180度緑が眺められる空間の中でぼーっとしたり、畳のある空間で寝転がったり、ハンモックで休んだりできます。そんな、みんなが共有できる庭やリビングのようなのびのびと暮らせる場所を作りたいという思いが立ち上げ当初からありました。
     「ムジナ」という言葉を「同じ穴のムジナ」という言葉で聞いたことのある方も多いと思いますが、通常はアナグマのことを指します。ただ、古くはタヌキや狐、イタチなんかも、みんなムジナと呼ばれていました。巣穴を掘るのが得意で、とても大きな巣穴を掘るんですが、そこに勝手にタヌキや狐が居着いても、一緒に住んでしまうんです(笑)。この感覚がすごくいいなと思っています。穴を掘るのが得意な人は巣を作ったり、草を集めたい人は草を集めてくる。「ムジナの庭」という名前にはそんな、それぞれが得意なことで活躍しながら共に暮らしていける場を作りたいという思いを込めています。  ムジナは「害獣」と言われることもありますが、それは人間にとっての害であって、環境が変われば「害獣」ではありません。私は最近「障害」という言葉をあまり使いたくないという思いがあって、自分の中で「障害」と「害獣」が結びついて、「ムジナ」は象徴的な動物だな、と思っています。
    「リバイブ=再活性化」をテーマとした活動
     「ムジナの庭」では3つのプログラムを用意しています。就労支援施設なので働くことを通してお金を稼ぐことがベースではありますが、それに加えて「ケア」に力を入れています。
     毎日一緒にご飯を食べる人がいれば自然と元気が出たり、昼間にしっかり体を動かせれば夜が眠りやすくなったり、日々誰かと顔を合わせれば笑う時間も増えますよね。そうした当たり前のことを一つずつ繰り返していく。これを毎日続けていくことで心と体の回復を促すようなプログラムを用意しています。

     1つめのプログラムは「生活と仕事」です。これは主に手仕事の作業のことを指します。たとえば月に一度のオープンアトリエでは、お客様をお招きしてカフェを開いています。そこでは普段作っている雑貨やアロマ製品、庭で手入れしたハーブを使って作ったお菓子や、雑草を使ったコースターなどを販売しています。
     こうした活動の裏側には「再活性化」という意味の「リバイブ」というテーマがあります。大学を卒業して植木屋として働いていたときに、剪定した枝をウッドチップとして再利用することが多かったんですが、ものすごくお金がかかるうえに、ウッドチップにした場合でもほとんどがゴミになってしまうのを見て「せっかくこんなにいい匂いがしているのにもったいない」と思っていました。その経験から、「ムジナの庭」では水蒸気蒸留というアロマを作る事業もやっています。  これからお話しする建築のリバイブもやっていますし、元気を失ってしまった人をどう再活性化させていくかという、人に対するリバイブもやっています。そう考えると、「ムジナの庭」のすべての活動のテーマが「リバイブ」であるとも言えます。

     2つ目のプログラムは「からだプログラム」です。この写真に写っているのは鍼灸師のスタッフで、プログラムの一環でお灸をやっているところです。足つぼやアロマもやっているんですが、体に直接アプローチするので、たとえば「眠れないから薬を飲む」というよりは「眠れないときにどう体を使えば眠れるようになるか」ということがわかるように、みんなで確認しながら行っています。

     3つ目の「こころプログラム」では北海道で有名な「べてるの家」の当事者研究や、SST(ソーシャル・スキルズ・トレーニング)などを取り入れた活動をしています。  最近ではヘアメイクとポートレート撮影をするプログラムもやりました。第三者が関わったり、普段しないアプローチによって変わっていく心の在りようもテーマとして挙げているので、クリエーターやアーティストの方々に関わっていただきながら、従来の自己理解やコミュニケーションのプログラムだけではない、少し変わったアプローチをしています。
     これはプログラムの一環で木工作家の三谷龍二さんの指導のもと、みんなで作ったムジナのブローチです。三谷さんもいろんなブローチをこれまで手掛けられてきた方ですが、30年ぶりの新作としてこの形を考えてくださったそうです。

     この日は参加者一人ひとりが、一匹のムジナを2時間くらいかけて仕上げました。彫刻刀自体握るのが小学生ぶりという方ばかりで、みんな黙々と集中して取り組んでいました。
     これは三谷さんが最初に作ってくださった小冊子です。この中には、「ムジナが住んでいる土の中を想像してね」「森の中ってどんな感じかな」「ムジナってどんな形だっけ」と書いてあって、まずイマジネーションの世界からムジナを生き物として捉えるところからブローチに落とし込んでいくのが面白かったですし、とても温かい時間でした。



     三谷さんには実は十年以上お世話になっていますが、今回のワークショップでは三谷さんがもともとものづくりに対して持たれている価値観や思いを、小冊子の扉に書いていただきました。
     『モノノメ』でもお話しさせていただいたんですが、「集中しましょう」「考えるのをやめましょう」と言われても簡単には実行できないですよね。たまたま「これ可愛いから作ってみよう」と思ったら集中していた……という結果論のほうが大事なのかなと思っています。プロセスにこだわるよりも、結果そうなっていた、という仕掛けをできるだけ柔らかく、面白く作りたいなと思っています。
     この日は3月なのに季節外れの雪が降っていたのも相まって、不思議な体験でした。作業の間も鳥の声が聞こえたり、コリコリというような木の感触ややすりで削る音が聞こえたりして、マインドフルネスのような体験になりました。この活動の様子はYouTubeでも公開していますので、ぜひ見てみてください。
    建築としての「ムジナの庭」
    鞍田 「ムジナの庭」はもともと「小金井の家」と呼ばれていた住宅を改装した施設です。もとは1979年に建てられた家で、設計は建築家の伊東豊雄さんです。  実はもともと建築家の安藤忠雄さんに話があったそうなのですが、予算の規模が少なかったために当時まだ若手だった伊東さんへお電話し、代わりに伊東さんが作られたという経緯があるそうです。断熱材が入っていないので、夏は暑く、冬は寒い倉庫のような作りの建物になっていますが(笑)、当時は水平窓が珍しかったのもあり、建築家のなかでは話題になったお家だったようです。
     これは竣工当時の写真ですが、いままたこの同じような造りに戻しています。この黄色の柱もグレーになっていた時期があったり、床がクッションフロアになっていたり、寒すぎたり暑すぎたのか、途中仕切りとして壁や扉を作っていた時期もあったりと、かなりの回数の改装を重ねてきた建物のようです(笑)。

     これが2021年時点の写真です。建築家の大西麻貴さん、百田有希さんの建築設計ユニット、「o+h」さんに改修をお願いしました。百田さんはもともと伊東事務所で働いていた方で、大西さんは大学生の頃から伊東さんとコラボレーションされていて、二人は師弟関係でもありました。せっかくなので伊東さんの建築をよく知った方にお願いしたいと思い、たまたまご縁あったこともあって改修をお願いしました。

     これが改修前ですね。1階がまだ子供部屋のままです。

     これは高野ユリカさんという写真家の方が撮り下ろしてくださっている写真です。「小金井の家」が「ムジナの庭」になる、その変遷を追った書籍を、伊東さんとo+hさんが一緒に作ってくださっていて。改修前から撮りためていただいたものになります。

     この頃は柱の色が違いますよね。壁が真ん中にあって、子ども部屋を二つに分けていた時期のようです。私たちが入る直前に手直しされてグレーにわざわざ塗られたそうなんですが、直後に私たちが戻してしまって、工務店さんががっかりしていました(笑)。

     これが今の状態です。一番変わっているのが窓ですね。今は四角い窓が吹き抜けの上のところにあります。本当はこれを腰高で全部抜いてスタッフがみんなの様子を見られるようにしたい、とお願いしていましたが、o+hさんが伊東さんに相談に行ったときに、すごく緻密な模型を作ってくださって「この壁はあったほうが良いな」とおっしゃったみたいで。「好きにしたらいい」と言ってくださったみたいなんですが、この壁は残したほうが良いという判断があって、最終的に四角に抜くというかたちに収まった感じです。

    宇野 空間設計に人間関係というか、コミュニケーション観の違いが見えますね。ある空間と別の空間が、もっときっちり分けられている空間が良いのか、それともある空間と別の空間の境界が曖昧で、どこかでゆるゆるとつながっている空間がいいのかという。
    鞍田 そうですね。今はあそこの窓から「ごはんできたよ」という会話が上下で生まれたりするんですが、上を全部取らなかったことで向こう側に隠れられる、心理的な安全性が保てるような空間にもなっていると思います。畳のスペースなので、「からだのプログラム」でお灸をしたり、足ツボをするスペースになっています。  これが、くり抜いた窓から見た2階のキッチンですね。こちらは1階で、もともとの子ども部屋が改装されてキッチンになった部分です。

     これは2021年の2月、「ムジナ」を開設する1ヵ月前に伊東さんが来てくださったときの様子です。o+hのお二人も来られて、この小金井の家を担当されていた泉さんという方も一緒に来てくださって、当時の話を伺いました。伊東さんも四十年ぶりに遊びに来られたということで、すごく喜んでくださっていました。

     実は「ムジナの庭」をお願いするより前から、伊東さんと大西麻貴さんが東日本大震災の後に作られていた「東松島こどものみんなの家(以下、みんなの家)」にとても共感していたところがあったので、今回改修をお願いすることができてとても嬉しかったです。  「みんなの家」は、まだ被災者の方々が仮設住宅に住んでたときに「みんなのリビングのような、共有できるスペースがあるといいよね」という発想のもとにデザインされた空間です。それぞれが別々に暮らしながら、セミパブリックな共有できるスペースがあるというところがとてもいいなと思っていました。「ムジナ」も、たとえばそれぞれひとり暮らしをしている人にとって、暮らしの中で一緒に共有できる「庭」やリビングのような場所であればいいな、と思っていて、そういう場の在り方を体現したいということを伊東さんにもお伝えできたのは、とても嬉しかったです。
    高佐一慈『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』PLANETS公式ストアで【オンラインイベントのアーカイブ動画&ポストカード】の特典付で販売中!
     
  • 「政策起業家」が行き詰まりの日本を変える可能性を徹底的に追求する|駒崎弘樹

    2022-07-15 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、認定NPO法人フローレンス 代表理事の駒崎弘樹さんと宇野常寛との対談をお届けします。「政治参加」と言えば選挙やデモなど、積極的な行動を取る手段がイメージされがちな日本。しかし「政策起業家」の駒崎さんによれば、むしろ「普通の人々」の現場の声こそが政治を動かすのだと言います。そうした普通の人々が社会を変えていくためにはどうすればいいのか、駒崎さんの近刊『政策起業家:「普通のあなた」が社会のルールを変える方法』を手がかりに議論しました。(構成:野中健吾・徳田要太、初出:2022年1月14日(金)放送「遅いインターネット会議」)
    「政策起業家」が行き詰まりの日本を変える可能性を徹底的に追求する|駒崎弘樹
    宇野 本日は「政策起業家」という言葉をテーマに、駒崎弘樹さんとの対談を企画しました。駒崎さんは1月に『政策起業家』という本を出版し、また、代表を務める特定非営利活動法人フローレンスとしてさまざまな社会問題解決に携わっています。「政策起業家」は耳慣れない言葉かと思いますが、今日の民主主義や統治論を考える上で外せないファクターでもあります。この概念を日本的な形で持ち込むことが今の日本の民主主義の行き詰まりに対して一石を投じることになるのではないかと提案しているのがいまご紹介した『政策起業家』です。それでは今日はよろしくお願いします。
    駒崎 よろしくお願いします。
    宇野 駒崎さんの前著『社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門』が出たのは2015年でもう5年以上経ちますが、『政策起業家』はこの数年間のセルフドキュメンタリー的な内容ですよね。フローレンスが立ち上げた事業がどのような社会的反響を得て、それが政治を通じて法制度や条例にどういった変化をもたらし、結果的にどう世の中を変えていったのか、ということが克明に記されています。
    駒崎 日本だと法律を作ったり変えたりするのは政治家と官僚、特に官僚のお仕事だという発想が浸透してしまっていて、法律は民間から変えられるものだという概念自体がそもそも無いんですよね。しかし実際はそうではありません。民間からも法律を変えたり作れたりするということをぜひ知ってもらいたいんです。なぜならそれが、危機感を抱くほどにグダグダになっている日本の政治シーンの突破口になると感じているからです。今日はそんな話をガッツリとしていきたいと思います。
    保育園の「20人の壁」を壊したら待機児童の未来が開けた。
    駒崎 「政策起業家」という言葉自体はアメリカでは「ポリシーアントレプレナー」と言われていて割とメジャーなものです。論文数で言えば5年で8,780本も出ていますが、これが日本だと5年でたったの19本しかなくほとんど知られていません。僕は政治家でも官僚でもありませんが、今まで政策起業家として10本以上の法律や制度を変えてきたので、政策起業家というのは一体どういうものか、僕が実践してきた事例でお話ししたいと思います。 まず僕自身のことですが、普段は認定NPO法人フローレンス(フローレンス=ナイチンゲールより命名)という団体で子育て支援・障害児の保育・特別養子縁組の支援といったことをしています。そうした「目の前の人を助ける」ことも非常に大事ですが、一方で、困っている人が生まれる社会構造や仕組みを変えていくというのが政策起業家の役目です。
     例えば僕らが取り組んだものに「小規模保育所の制度化」があります。きっかけはある時産休・育休を取っていたうちの女性社員から「保育園に全部落ちて復帰できません。仕事もやめなきゃいけない」と連絡が来たことです。彼女を戦力として当てにしていたこっちは「ええっ!?」とびっくりしてしまいました。当時は待機児童という言葉がまだまだメジャーではなくて、子育て支援の仕事をしていた僕らでも「話に聞いてはいたけど、そんなことってこんな身近で起こるんだ」という状況でした。 ではどうするかと考え、ちょうどその時に病児保育にも取り組んでいたので、「保育する人がいるんだから、彼女のお子さんを預かれる保育園を作ればいいじゃないか」と思ったんです。そこですぐに役所に保育園の作り方を聞いてみたんですが、「入り口と出口は別々じゃないといけない」「このぐらい広さがないといけない」といったようなルールが大量にありました。その中でも一番つらかったのが、「子供の数が20人以上いないと保育園として認めません」というルールでした。20人だとかなりの広さが必要ですが、都市部にそんな空き地なんてありませんし、既存の商業物件に入るとなると坪単価がとても高くなってしまいます。「だから保育園ってなかなか作れないんだ」とそこで気づいたんです。でも「どうして20人なのかな」と思って、その理由を厚生労働省に電話して聞いてみたら「うーん、ちょっと理由はわかんないですけど、従ってください。昔からそうだったんで」と言われました。 そこで僕は、「ははあ、これは大した理由がないな」と思ったんです。「人間工学的に20人がベストというような理由は多分なくて、何かの理由でたまたまそう決まっているんだろう。だったら別に従わなくてもいいかも」と思いました。というのもこの「20人の壁」を何とか取っ払って9~10人で認められるなら空き家を保育園として利用できるんですよね。3LDKのマンションでも保育園ができるから、その辺の至るところで作れるようになります。そのために話を聞いてくれそうな政治家にかたっぱしからアポを取り始めて、その中に以前からの知り合いだった松井さんという方がいたのですが、わざわざ首相官邸まで呼んで直々に話してくれたんです。そこで「松井さん、かくかくしかじかで児童の数が9人や10人の保育園を作れたら絶対広がると思いますよ」と説得したら、厚労省に話を通してくれました。 実は僕の故郷である東京都江東区の豊洲エリアは「待機児童のメッカ」というニックネームがついています。そこでマンションの空き物件だった一室を保育園にしました。家を使うから「おうち保育園」というそのままの名前で、日本で初めて定員9人の小さい保育園を2010年にオープンしました。園庭などはもちろん無いんですが、近くの公園へ散歩も普通にできて子供たちは楽しく過ごせます。この「おうち保育園」は定員9人のところ、オープンしたら20数人の申し込みが来ました。おまけに、保育士不足の中で保育士さんもたくさん採用できたんです。実際に保育士さんに、「なんでうちに来てくれたんですか?」と聞いたら、「大きな園だと子供一人ひとりと向き合えないけど、ちっちゃい園だったらもっとちゃんと向き合えると思いました」という、意外だけど嬉しい答えをもらえました。つまりもう「おうち保育園」自体は成功したんですよね。
     ですが、それで助けられたのは目の前の9人だけだったわけです。それはそれですごく尊いことなんですが、待機児童問題は日本中にありますよね。でも今のままだと、「おうち保育園」は単なる特殊なケースで終わってしまいます。これをモデルケースにして制度自体を変えていかなければならないと思いました。それで官僚や政治家の人に何度も視察に来てもらい、その場でそのモデルを売り込みました。そうしたら、注目してくれた方の中の1人に村木厚子さんという女性官僚の方がいて、彼女が待機児童対策特命チームのリーダーだったんです。その村木さんが「なんで気づかなかったんだろう。大きな保育園は作りにくいけど、小さい園だと確かに作りやすいよね」と言ってくださったんですね。そして法案を書き換えて「小規模保育」という言葉を入れ込んでくれました。その法案が子ども・子育て支援法という形で通って、2015年に小規模認可保育所が正式に制度化されました。それまで保育園の仕組みは70数年間ほとんど変化が無かったんですけれど、初めて大きく変わりました。児童が20人未満でも保育園として認められるようになった瞬間でした。この小規模認可保育所は2010年時点ではおうち保育園の一つでしたが、制度化された2015年のうちに約1600ヶ所に増えて、2020年には5000ヶ所以上に増えました。そのうちフローレンスでやっているのは10数園だけで、あとは他のいろいろな事業者の方が参入して運営しているという状況です。これで大きく待機児童問題は前進することになりました。 つまり、一つのモデルケースを作ってそれを政府にパクらせることによって国全体にその仕組みが広がり、より多くの人たちを助けることができるわけです。こう考えると、世の中を変えるというのは絵空事じゃないということがおわかりいただけるかなと思います。このように制度を変えていく人たちを「政策起業家」と言っています。
     こういった話をすると、「いやそれ駒崎さんだからできたんですよね」というようなことを思うかもしれないですが、まったくそんなことはありません。その一つとして双子ベビーカーの事例をご紹介させていただきたいと思います。 うちの市倉さんという女性社員が、「双子の育児って本当に大変なのに周りに理解されない。外出もろくにできなくて鬱の一歩手前」と友人から話を聞いたそうなんです。市倉さんが「バスに乗って出かければいいじゃない」と伝えたところ、「いや、双子ベビーカーはバスに乗せてくれなくて、『乗る時はたため』とか言われる。でも双子抱えてベビーカーたたむのなんて無理」と、事実上、公共交通機関であるバスから排除されているエピソードを友人から聞かされて驚いたんですね。 そこで彼女はGoogleフォームで双子育児についてのアンケートを作り、フォロワーなんてロクにいない自分のTwitterアカウントでこの問題提起を投稿してみたんですね。するとこのアンケートにたくさんの反応が集まって、どれも双子育児についての悩みや大変さがつづられていました。その後相談があったので、「会社としてやろう」と伝え、フローレンスとして彼女を中心にチームで取り組むことになりました。詳しいことは『政策起業家』で述べたので省きますが、彼女が頑張った結果として小池都知事にアポが取れ、都知事もこの課題を認識してくれました。その結果、双子ベビーカーを折りたたまない乗車がまずは都バス全線で、そして2022年には私営含む都内のバス全路線で解禁されることになりました。だからこれから双子の子育てをする人にとっては双子ベビーカーがバスに乗れることが当たり前になると思います。そういう新しい当たり前を行政に関わっているわけではないママが情熱から起こした行動で作れたということは素晴らしいことだなと思います。
     実はこの事例と同じことが50年ほど前に車いすでも起きていたんです。今やノンステップバスが当たり前ですが、1970年代までは車いすはバスに乗れなかったんです。けれど、当時青い芝の会という脳性麻痺者の障害団体の人がゲリラ的に車いすでバスへ乗り込んで、そこにマスメディアを呼び、今で言う炎上を起こしたんですね。それで話題になって車いすも乗れるようになったということがあったんです。
     このように、我々が当たり前だと思っていることは実は名もなき市民たちが政策起業家として体を張り、情熱を持って動いて変えてきたという歴史があります。そうして積み上げてきた数々の当たり前の上にいま我々は生活しているんだということをぜひ知ってもらえたらなと思います。ですから誰だって政策起業家にはなれます。読者の皆さんも、何か変えようと政治家に1本メールを打った瞬間に、政策起業家の道としての一歩を踏み出しているんだということを知っていただけたらなと思います。理不尽なルールがあふれている我が国ですけれども、変えるのは政治家でも官僚でもなくて我々なんです。
    アメリカのシンクタンク文化に対する日本の政策起業家
    宇野 ありがとうございました。本来だったら、政治に関する官民の交流はもっと活発に行われるべきだし、民間からのルールメイキングの動きももっと当たり前のものとして存在しなければならないと思うんですよ。でもそれを今の日本の社会のルールの上でやろうとすると、一生懸命考え抜いた末のアクロバティックな手を打つしかない。それはすごく不幸だなと思います。だからこそ駒崎さんは自分たちが10年かけて実践しながら編み出してきたこの「日本的政策起業家」ともいうべきカルチャーを浸透していくことが今の日本に必要だと思ってこの本を書いたんだと思います。 けれど最初に聞いてみたいのは、もっとそもそも論のところで日本社会を変えていくことを考えなかったのかなというところなんです。例えば、永田町(政治家)と霞が関(官僚)の関係などの根っこの構造にメスを入れようと思った時期はありませんか?
    駒崎 たとえばさっきお話しした通り、政策起業家というのはアメリカのほうがずっと盛んですが、その一因として大統領が変わると官僚が根こそぎ変わる点があります。例えば日本だと菅政権から岸田政権に変わろうが官僚はそのままですよね。これがアメリカの場合、トランプ政権からバイデン政権になるとトランプ政権の官僚は全員辞めて、民間のシンクタンクで勤めていた人が官僚になります。これはリボルビングドア=回転ドアという言い方をするんですけど、公共の政策をわかっている人が民間に出て、逆に民間から公共へ人が入ってくる。こうして政策をわかっている人たちが社会全体に蓄積されていくよう機能しています。そうすると民間と公共の間でいろいろなアクションも起きやすく、民間から政府に政策を提案できて実際にいろいろな政策が実現しています。このように、ある意味政策起業家が生まれやすい状況というのがあるんですよね。したがって、アメリカだと民間から政策を変えたいという意志のある人は、たとえばシンクタンクを起業して、どんどん政策提言をしていったりします。けれど日本でシンクタンクというと省庁から調査を引き受けたりする外注先であり、要するにSIerのような組織を指します。ですからシンクタンクからどんどん政策を提言して実現していこうというふうにはなっておらず、日本の政策起業家もほとんど育っていません。これは非常に勿体ないんですよ。なぜなら「日本ほどいま政策起業家が必要な国ってないんじゃないの?」という状況になっているからです。
     実は、アメリカのシンクタンクは一体どうやって政策起業家的なことをやっているのかなと思って以前調べたことがあります。それでわかったのは、面白いことにアメリカのシンクタンクというのは寄付を資金源としたNPO法人なんです。ものによっては数百億円という額が寄付で集まるんですが、寄付をしているうちの多くは政界に関わりを持っているわけではない一般人なんですよ。法人や、何名かの大金持ちも寄付しているんですが、基本的には個人が多くて寄付層のポートフォリオバランスが良いままに運営されています。日本はどちらかと言うと法人の方が多くて個人が少ないし、寄付総額もあまり大きくありません。このように寄付文化とそれに根差した仕組みが違うから、資金調達力の面でアメリカと日本では大きな差が出てしまうんですよね。ですから、活動するための人材を集めるにしてもアメリカは結構容易にできるけど日本では難しい。そういった事情もあって、日本でアメリカのような政策提言をするシンクタンクが成立するところまで行くのはちょっと道のりが遠いという状況があります。 だけど個人が動いて政策を変えるということだったらそんなに資金力がなくてもできる。だから僕は統治機構や天下国家の視点ではなくて、ゲリラ戦士としての政策起業家をどれだけ増やすかという方向に向かいましたね。ただ、この政策起業家をそのうち仕組みにしてチームにしていくことが必要で、そうなった時にはアメリカ的なシンクタンクに発展していけるだろうという想いはあります。
    宇野 そこにたどり着こうとした時に、日本はその1万歩ぐらい手前にいて、まずは民間からルールメイキングできるんだという「当たり前」を証明するところから始めなければならないのだと思います。でも、何十年後かには「あの頃は政策起業家っていったら、まず前例となるベンチャービジネスを成功させて、それから霞が関や永田町に強烈にアピールして自分たちのモデルをパクらせることで全体に普及させていく、みたいなまどろっこしいことやってたんだぜ」ということが昔話として言われるようになっているかもしれない。
    駒崎 まさにそういうところを目指しています。そういう長いスパンで考えるのもあながち無駄ではないかなと思うのは、例えば僕は社会起業家第1世代とか、日本の社会起業家の代表事例のように言っていただいたりもするんですが、「社会起業家」という言葉自体は2008年に輸入されて2010年くらいから知られるようになったものです。ですから僕がフローレンスを立ち上げた2004年頃は僕の職業を名付ける概念が日本には無くて、「なんかNPOみたいなのやってる人」という扱いだったんです。つまり、今は無い職業や今は社会に無い概念であっても20年もあれば仕事にできることだってある。だから政策起業家も10年くらいかければ本気でそれを目指す人がある程度は出てきて10年後には割と普通な職業として、みんなが選択できるようなったらいいですね。
    日本的な「スマートではない」ルールメイキングの有効性
    宇野 「民間からのルールメイキング」というテーマを今の流行に乗った形で論じると、いわゆるGovTechとかvTaiwanの事例のようにテクノロジーでなんとかしようという話に陥りがちです。それはそれで良いのですが、ならばなぜ日本で駒崎さんはスマートさとは程遠いような現場での泥臭い手法で長年頑張っているのか、ここを考えないといけないと思うんです。
    駒崎 言ってしまえば、台湾のようにテクノロジーを使って意見を集約して全体最適を見て意思決定するといったスマートなところにも、日本は遠く及んでないんですよね。もっともっと非常にウェットで、「こんなに困っている親御さんがいてね、どう思われますか?」といった意見を聞いた政治家が涙を流しながら「それは大変だね、なんとかできるよう頑張るよ」という世界なんですよ。10年後とかにはもっとスマートになっているかもしれませんが、いいか悪いかは別としてそういう状況なので本当に制度を変えたいとなるとそのウェットさにがっぷり四つに組んで戦っていかなければなりません。僕が政策起業家の概念を提起した時は、本当にリアリズムが徹底された中で出すしかなかったんです。
    宇野 いや、僕はこのスマートではないアプローチが逆にいいと思っています。例えばvTaiwanというのはやはり専門家とマニアの集まりで、専門的な問題について議論ができたり意識が高く能力もある市民が集まって「シェアリングエコノミーの規制をどうするか」というような検討をしたりしているわけです。要はvTaiwanなどに表れているオードリー・タン的なアプローチというのは、テクノロジーエリートが先導することによって全体最適を目指すという発想ですよね。ですが今の日本というのは、スマートではない部分で民主主義の目詰まりを起こしているわけです。だから日本では等身大の困りごとに対してみんなで徒党を組んで行政の人と話しに行く、そしてその困りごとを解決するための仕組みを考えてみる、とかいった形で公共を作っていくことに駒崎さんは取り組んでいると思います。
    駒崎 そうなんですよね。しかも、台湾は人口規模的にも小さいですが日本は1億2000万人以上いるし、新たなテクノロジーに不慣れな高齢者も非常に多い。その状況のモデルケースとなる国がない中で、それでもいかにこの衰退を緩和させていくかということが今の我々の世代に問われています。だからそこはもう徹底的にリアリスティックにやるしかないところですね。いろいろと取り組んでいる中で、わが国では市民が強い公共意識を持って動くなんてことは実際にはないんだという実感があります。とはいえ、それでも課題解決に向けて1ミリでも前に進めなければならないとしたら、やはり政治家に石を投げたり公務員を馬鹿にしていたりするだけでは駄目なんですよね。彼らに通じる言葉で、何が課題なのかを噛み砕いてお伝えして、そのためには何をすればいいのかを説明して、一緒にやっていきましょうよと説得していく。そういう地味な営業マンようなことが必要で、この泥臭さこそが日本的なのではないかなと思います。
    宇野 変な話だけど、そんなに専門知識があるわけでもないしすごく卓越した自分の知見があるわけでもないような人が世の中にコミットしようと思ったときには、嫌いな政治勢力をTwitterでディスるという手法が、恐ろしいことにいま一番人気がある。そういったことをする人々に対して、「スマホを握って誰かを攻撃すること以外にも社会にコミットする方法ってあるんだよ」と実例で教えることが大事だと思います。そういった人たちはvTaiwan参加者のようなスマートなやり方ができないからそうしていて、だから「スマートじゃない」アプローチをしている駒崎弘樹的な政策起業家のモデルにこそ最大の可能性があると僕は思ってるんですよね。
    駒崎 本当にそうですよね。10年前に僕らが共演したNHKの番組「ニッポンのジレンマ」でも話しましたけど、当時は僕らもSNSが日本の民主主義を変える夢を見ていました。しかし、結果そうはならなかった。僕は1999年に慶応のSFCに入って、「インターネットが世界を変える」「民主主義をより活性化させ、より個人が発信できるようになり、より自由になる」という夢を大学4年間で叩き込まれたんですよね。だからネットに対する夢はものすごくあって、その延長線上に生まれたSNSは個人が本当に世界に発信できて、より自由な市民社会を描けるんだという思いで宇野さんとも夢を語り合っていました。ところが、そこから「アラブの春」などを経て結局行き着いたのが、Twitter上でのディスり合いとその追走劇です。さらにはTwitter上の世論なんて現実の政治には基本関係なく、選挙では「ドブ板選挙」が勝利していき、自民党はずっと与党であり続けるという、僕らの夢が全敗した絶望の10年でした。ただ、マクロで見ると負けであっても、その中でミクロでの勝利を重ねていって少なくとも生活空間の中では少しずつ良くなっているということを生み出したいんですよ。
    宇野 でも僕は今がけっこう勝負のときだと思っていて、例えば選挙の話をすると、公明党や共産党って明らかに足腰が弱っている。あの人たちがすごく得意だった、ひと家庭ずつ訪問して困りごとを聞きながら自分の党の中に取り込んでいくようなやり方も基本的には昭和の遺物なので団塊世代とともに緩やかに退場していく運命にあると思うんですよ。でも、彼らがいなくなったからといって、困っている人とか弱い人、ある種天下国家のことを理知的に分析する余裕がない人は変わらず大量に居続けるわけなんですよね。このままいくとそこにイデオロギーが入ってくる。比喩的に言えば橋本チルドレンと山本太郎の取り巻きが入ってくる。それが結構危ないと僕は思っていて、そうではなくイデオロギーを地上に下ろさないために何か自分たちの生活の課題や困りごとを政治に結びつける市民文化が必要だなと思っています。それを向こう10年ぐらいで作っていって、それが共産党や公明党が退場した後の受け皿になっていく以外、この国の民主主義がまともに機能するシナリオが思い浮かばないよ。悪い意味でのSNSを通じたイデオロギー浸透が生じる前に、スマートではないけどしっかり人々が社会に関わって世の中を変えられるんだという手触りを覚えられる市民文化を作っていかないと、時間切れになる気がしている。
    駒崎 その「イデオロギーを地上に下ろさない」というのは非常にいい言葉ですね。あるイデオロギーの視点から誰かを悪者にしてそれをぶったたこうという発想が、ネタとして言っている次元から本当にそういうふうに思い込んで実際に排除が始まることがあるので、やっぱりイデオロギーというのは怖いですよね。また「スマートじゃないけど手触りのある市民文化」という言葉を聞いて僕が想起するのは、アメリカへ視察に行った時にボストンで参加したゴミ拾いイベントです。特に誰彼関係なくみんなでゴミ拾いやろうぜという感じのイベントで、ボロボロの格好の人とかも当たり前のように参加していました。そこに僕も混ぜてもらって、一通りゴミを拾い終わった後にみんなで輪になって、その日の感想を話し合っていたんですよ。そしたらそこにいた7歳くらいの男の子が最後に「僕はこのイベントを通じてボストンに貢献できたことを誇りに思います」というようなことを普通に言っていて、「えええっ!?」って衝撃だったんですよね。そんな言葉を子供が普通に言うのかと。例えば自分の子供とかが「住んでいる北区に貢献できて嬉しい」なんて言わないわけです。だからボストンでは地域社会というものの手触り感がしっかり根付いているという事実に少し戦慄したんですね。 もちろんこれはアメリカの一側面であって全然駄目なところもたくさんあるんですけど、市民としての社会への関わり方について、7歳の子供にその温度感があるのはすごいなと思いました。じゃあ、我が国にそれがあるのか? 例えば地域社会への貢献が普通に手触りを持って日常の中に組み込まれているかといったら、ないわけですよね。
    宇野 そこの話で言うと、地域に愛着があるから関わりたくなるとみんな思いがちだけど、それは逆だと僕は思っている。別に好きで北区に住んでいる奴ばかりじゃないけれど、例えばゴミ捨て場が少なすぎだとか暴走族がうるさいよねとか身近で困っていることはあって、それを自分たちの動きで変えられたらその街のことが好きになるんじゃないかと思う。だから僕は先に「変えられる仕組み作り」からやっていけばいいなと思うわけ。地域への愛情なんてものは最初からなくてもいいし、後から勝手に出てくると思う。
    駒崎 それはその通りで、いわゆる「IKEA効果」ですね。あそこの家具は安くて素敵だけど、組み立てるのに2時間とかかかる。汗だくになりながら本棚とかを作って、「作業時間を時給に換算したら果たして安かったのかな?」なんて思ってしまいます。でも、作った後にその家具がすごく愛しくなる。あれはコミットメントしたから愛せるんですよね。それと地域も同じなんです。関わって悪戦苦闘しながら変えていく中でいろいろな知り合いができたりこういうことができるんだという達成感も出てきたりします。だから行動しようとしたら自ずと愛は生まれることはあると思うし、「よくわかんないけどやってみようか」といった形で人々を巻き込む装置が必要かなと思います。
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  • 平成を「ヒット曲」から振り返る(後編)|柴那典

    2022-05-09 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、音楽ジャーナリスト・柴那典さんと宇野常寛との対談(後編)をお届けします。音楽バブルとでも言うような1990年代から一転、「大衆的」なものが捉えにくくなったゼロ年代からの音楽シーンを分析し、現代のアングラカルチャーからオルタナティブな感性が現れる可能性について論じます。前編はこちら。(構成:目黒智子、初出:2021年12月9日「遅いインターネット会議」)
    平成を「ヒット曲」から振り返る(後編)|柴那典
    音楽シーンとユースカルチャーの乖離
    宇野 前回に引き続き、ゼロ年代以降の音楽シーンについて深掘りしていこうと思います。2000年の「TSUNAMI」はサザン自身の総括ソングですよね。1970年代からキャリアのある国民的バンドの総括ソングが、その年を代表するような曲になってメガヒットを記録していくというのは、社会全体が年を取り始めてきたことの最初の表れだったように思います。
    柴 まず振り返ると1990年代は非常ににぎやかな時代で、特に1995年以降、日本社会はどんどん沈んでいくけれど音楽はきらびやかだった。
    宇野 メディアの世界は1990年代後半がバブルだったので、あらゆるものがそうでしたね。
    柴 CDに関しては1998年が一番売れた年です。1999年に宇多田ヒカルが登場してアルバムを700万枚売ったとき、「これが金字塔となるだろう」「15才の少女が登場して700万枚売るという現象を上回ることはもうないだろう」というムードはありました。そして1999年から2000年のムードというのは、僕も宇野さんも当事者として覚えていると思いますが、2000年問題がありノストラダムスの大予言もあり、1980年代に20代を過ごした人は、1999年になったら世界が滅亡してくれるんだと半ば本気で思っていましたよね。
    宇野 僕は1999年の「Automatic」(宇多田ヒカル)のあたりで1990年代的なものが終わった気がしていました。ラジオから「Automatic」のイントロが流れてきた瞬間に『エヴァンゲリオン』的なものと言ったら怒られるかもしれないけど、ああいった1990年代っぽい自分語りにより繊細さの演出が流行った時代が終わった気がしたんですよ。
    柴 その気分は共有しています。1990年代が終わって2000年の幕開けってめちゃめちゃから騒ぎでしたよね。
    宇野 1990年代後半というのは比喩的に言うと、友達にカジュアルに話せる程度のトラウマが欲しいとみんなが思っていた時代ですよね。そのモードが宇多田ヒカルが出てきた瞬間に終わった気がして、それは卵が先か鶏が先かで、宇多田が終わらせたのか、時代の空気に乗って宇多田がヒットさせたのかはわからないけれど、そういうタイミングだったと思います。
    柴 新しいミレニアムが始まったという、何かが新しくなったんだというムードと、そこから先、宇多田以上に新しいものはないという気分の中で、ゼロ年代から2004年くらいまでノスタルジーに引っ張られるようになりました。昔の良さ、歌謡曲の良さやみんなが知っていた良さをもう一度、もしくは新しい形で出しましたというのが2000年から2004年のヒットソングです。
    宇野 この頃、歌謡曲シーンや大衆音楽シーンがユースカルチャーのシーンと乖離しているんですよね。
    柴 ゼロ年代のユースカルチャーは明らかにインターネットでしたね。「2ちゃんねる」が出てきていたし、インターネットというものが今のようなプラットフォーム前提ではなく、オルタナティブだった時代です。冒頭で「スタンダードソングの時代というのはダブルミーニングだ」と言いましたが、あくまで表側としてはではいい意味に受け取れるように書いています。歌い継がれるいい曲がたくさん出た時代なんだ、と。ですが、裏の意味としてはユースカルチャーと音楽が歩調を合わせなくなった時代です。ゼロ年代にはアニメや特撮といったオタク的なカルチャーが市民権を得てきたんですね。
    宇野 団塊ジュニアがオタク第二世代といわれていて、最初のマスとしてのオタクです。ゼロ年代というのは彼らが社会で意思決定権を持ち始めた時代なんです。
    柴 このゼロ年代でレミオロメンの「粉雪」(2006年)を選んだのですが、これは「ニコニコ動画」で最初の「弾幕ソング」(弾幕とは、動画上に同じタイミングでコメントを書き込み、画面を埋め尽くす遊びのこと)で、今は権利の問題で削除されていますが、J-POPヒットの中で唯一「ニコ動」にいじられた曲なんです。この時代のミュージックビデオはMTVとかスペースシャワーに流すもので、ネットに載せることは意図していなかったんですね。こういったコンフリクトがあったことも、時代的な記憶がない人には残せないだろうというのも「粉雪」を選んだ理由です。  インターネットの話をすると、1998年に「ピンク スパイター」(hide with Spread Beaver)を選んでいます。この年は音楽業界も20世紀型メディア産業も最も景気のいい時だったので、山ほどヒット曲があるんですが、hideを選ぼうということは最初から決めていました。hideはX JAPANのメンバーであるがゆえにビジュアル系の一大ブームを象徴できる上に、洋楽のラウドミュージック、デジタルハードコアの作り手とZilchというバンドで活動し、洋楽と邦楽という両方のリンクを持っています。「ピンク スパイダー」は大ヒットではありませんが、最終的に決め手になったのはhideがインターネットに夢中だったことです。インタビューで「ピンク スパイダー」の意味を聞かれたときに「最近夢中になってるのは音楽とWeb。Webというのは蜘蛛の巣だからスパイダーにしたんだ。」といっているのですが、この時代にインターネットに夢中になっていたミュージシャンはほかにいないんですよ。「ピンク スパイダー」の歌詞っていま見るとすごいんです。

     君は 嘘の糸張りめぐらし 小さな世界 全てだと思ってた 近づくものは なんでも傷つけて 君は 空が四角いと思ってた"これが全て どうせこんなもんだろう?" 君は言った それも嘘さ

     完全にソーシャルメディアのフェイクニュースの話ですよね。
    宇野 これはすごいですよ。この歌詞を見たとき震えました。
    柴 音楽がユースカルチャーの立場をインターネットに奪われるゼロ年代の前に、hideがインターネットをテーマに曲を書いていた、ということはこの本で書きたかったことのひとつですね。
    平成の文化史を、音楽業界からどう捉えるか
    宇野 この本を読んで、一番勉強になったと思ったのがhideについて書かれたところです。以前に音楽ジャーナリストの宇野惟正さんが、日本の音楽批評は渋谷系を過大評価してビジュアル系を過小評価してきたと言っていました。僕のようにどちらにもフラットな距離感の人間からするとその通りで、やっぱり内外の大衆文化やポピュラーミュージックの研究者に与えたインパクトはビジュアル系のほうが大きいですよね。本書で述べられていたことに対する数少ない違和感の一つが、「日本のポピュラーミュージックはどんどんダメな方向に向かっているけれど、オザケン(小沢健二)とPerfumeは頑張っていた」という史観です。それはそうなんだろうけれど、ならばもう少しビジュアル系が、ガラパゴスであるがゆえに海外で面白がられたという現象に対しては言及すべきだと思います。
    柴 ビジュアル系は曲で語れないのが難しいところです。「ピンクスパイダー」は数少ない例外で、たとえばDIR EN GREYはとても革新的ですが、代表的な曲は何かと問われたときに挙げることができないんですよね。
     
  • 平成を「ヒット曲」から振り返る(前編)|柴那典

    2022-04-26 07:00  
    550pt

    本日のメルマガは、音楽ジャーナリスト・柴那典さんと宇野常寛との対談をお届けします。昭和の終焉を象徴する、美空ひばり「川の流れのように」から、令和の幕を開けた米津玄師「Lemon」まで、30のヒット曲から「平成」という時代の深層心理をさぐった柴さんの近刊『平成のヒット曲』。数ある平成のミリオンセラーから選んだ30曲の選曲意図から、柴さん独自の視点で平成を通時的に捉えます。(構成:目黒智子、初出:2021年12月9日「遅いインターネット会議」)
    平成を「ヒット曲」から振り返る(前編)|柴那典
    宇野 本日は、昨年末に刊行された『平成のヒット曲』の著者で音楽ジャーナリストの柴那典さんをお招きして、本書で論じられた歌謡曲・J-POPといった日本の大衆音楽からみた平成の30年間について、じっくりと議論していきたいと思います。
    柴 よろしくお願いします。柴那典と申します。もともと「ロッキング・オン」という音楽系出版社で編集者をしていて、その後独立しました。2014年に初の著書として『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という、ボーカロイドブームから当時の音楽・ネット文化を論じた本を出しています。2016年には『ヒットの崩壊』という本を出していて、この本は2010年代に入ってからのCDの売上ランキングを見ても何がヒットしているかわからないという音楽業界の状況について書いた本で、『平成のヒット曲』はその続編とも言えます。
     この本では、平成の30年間を通して1年ごとに1曲、その年を代表する曲を選んで語っています。美空ひばり、小室哲哉、Mr.children、宇多田ヒカル、サザンオールスターズ、SMAP、Perfume、 AKB48、嵐、星野源、米津玄師などいろいろな名前が登場しますが、アーティストや曲を紹介したり評論したりするというだけではなくて、社会にその曲がどう受け止められたのか、そしてどのように後の世の中を変えていったのかという、音楽の外側を意識した構成になっています。  またヒット曲について書くことで平成という時代の移り変わりが読み解けるのではないかという狙いがあり、平成を三つの時代──1990年代・ゼロ年代・2010年代に分けて論じているのが特徴です。同じ「平成」の括りでも、この三つのディケイドは、文化的にまったく風景が違っていて、それぞれのディケイドの違いをしっかり位置付けてみようという意識で書きました。  大まかに言うと、1990年代はミリオンセラーの時代で、文字通り100万枚売れるCDが続出し、音楽産業の景気が良くて勢いのあった時代。次のゼロ年代はスタンダードソングの時代で、これはダブルミーニングでもあり、良い意味では長く歌い継がれる普遍性の高い名曲が出た一方で、音楽産業は明らかに勢いを落とし、インターネットという人類史上の大きな変化に対応できなかった点でマイナスが大きい10年間です。そして最後の10年代はソーシャルの時代。ソーシャルメディア、ソーシャルネットワークのソーシャルで、流行やトレンド、ブームが生まれる回路が明らかに変わった時代です。ヒット曲の話もしていますが、メディア環境や力学の変化の話もしています。
     令和4年になった今、実感として平成が遠くなったという気持ちが湧いてきて、ようやく平成という年号を少し客観視できるようになり、時間が経つことで対象化しやすいということを、本を出した当事者として感じています。
    選曲の意図からみる批評家としての立ち位置
    宇野 ありがとうございます。最初のミリオンセラーの時代について、柴さんにとって選曲のコンセプトは何ですか?
    柴 売れた曲をただ選んでいるわけではありません。
    宇野 そこですよね。ミリオンセラーを並べて、「この曲にはこういう背景があってこういう理由で売れたと思うけれど、それを私は批評家としてこう評価します」と書いていくこともできたと思いますが、柴さんはそれをしなかった。ミリオンセラーの曲は他にいっぱいあるはずなのに、あえて選ばなかったものがたくさんありますよね。
    柴 そうなんです。落としたものがすごくたくさんあって、GLAYもなければスピッツもないし、B'zもウルフルズもL’Arc~en~Cielもモーニング娘。もない(笑)。
    宇野 そこに柴さんの批評家としての立ち位置が出ていて、それがこの本のポイントだと思います。第一部「ミリオンセラーの時代」に登場する10曲では、どのあたりが柴さんのこだわりなのか聞かせてもらえますか。
    柴 まず、選ばざるをえなかったのは「川の流れのように」(美空ひばり/1989年)です。ここから始めたのは、この本の伏線として大きな意図があって、つまり作詞を担当した秋元康というヒットメーカーが、1980年代の「おニャン子クラブ」「とんねるず」などのアイドル歌謡の時代で終わらなかったことの象徴なんです。もともとの原稿では、昭和の終わりを象徴する「川の流れのように」からちょうど20年後にセルフアンサーソング的なかたちでAKB48の「RIVER」(2009年)が登場したのを取り上げることで、より通時的な視点を与えることも考えていました。最終的には構成の都合上、決定稿では省いたのですが。
    宇野 「川の流れのように」は大雑把に言うと「いろいろあったけど戦後って結果オーライじゃん」という曲で、それを美空ひばりが人生の最後に歌うということに意味があったんですよね。その20年後に、川、すなわち戦後的なものがむしろ若い世代の障害になっていて、それを乗り越えていけというのが「RIVER」です。ポイントはこれが2009年の歌だったということで、そこからの10数年間経った現在からすると、残念ながら乗り越えることができなかったんだなというのが平成末期の総括になるのかなと思っていますが。
    柴 たしかにそうですね。だから2010年代には当然、AKB48の曲で「恋するフォーチュンクッキー」(2013年)を選んでいます。2010年代がAKB48の時代だったというのはオリコンランキングから見ると間違いありません。
    宇野 オリコンの破壊によってそれが証明されている(笑)。
    柴 オリコンをハックして、そのチャートを無効化したということですね。「AKBの本当のヒット曲はヒットチャートからは何一つわからない」ということを、AKB48を肯定的に捉えながらもファンダムとは距離を保って語ってきたジャーナリズムとして言っておかないと、この曲の記録が10年後、20年後にはオリコンランキングとしてしか残らないのではないかという危惧がありました。
    宇野 楽曲プロデューサー・秋元康の優れた曲としても、AKB48の残したものとしても「フォーチュンクッキー」は代表的な曲と言えると思います。ただ「フォーチュンクッキー」が象徴していたものをどう評価するかは本当に難しいと思います。というのは、言ってしまえばこれは指原莉乃の歌なんです。指原はAKB48の総選挙を象徴するボトムアップの、ユーザー参加型のコンテンツだからこそ成りあがった人でもあるけれど、同時に1980年代フジテレビ的/電通的なテレビバラエティやワイドショーの空間をハックして成りあがった人物でもあるんです。彼女は新しさと古さを両方抱え込んだプレーヤーで、「フォーチュンクッキー」は良くも悪くもその指原を象徴する歌なんです。そこに僕は可能性と限界の両方があったと思っていて、限界のほうに報復されたのが今のAKB48だと思っています。つまり「フォーチュンクッキー」というのは運命論の歌で、川(戦後的な既存のシステム)とはまったく別のシステムを横に作ってしまえば運命を信じられる、という歌ですが、その象徴である指原莉乃は、どちらかというと川(旧来型のバラエティ)のほうに向かってしまい、結果的に川に流されている側の代表になったわけですよね。要するに、結局AKB48というのは、指原莉乃というワイドショーのコメンテーターを、バラエティの女性タレントを生むための装置にしかなれなかったということでもあって、それがAKB48そのものの限界なんです。AKB48のブームが沈没した後に出てきた「坂道」(「乃木坂46」など秋元康がプロデュースするアイドルグループの総称)は、一世代前の音楽産業やテレビ産業のロジックで生きていて、明らかに撤退しています。「フォーチュンクッキー」はとても優れた曲だと思うし、おもしろい現象だったことは間違いないけれど、AKB48が持っていた射程距離の限界というものを同時に表しているのではないかと思っています。
    柴 たしかに。そういう意味で、今回選曲した30曲は、平成元年の「川の流れのように」で話した伏線を、2010年代のAKBで回収するという構造になっているんですね。
    ジェンダー観の移り変わり
    宇野 4曲目に「私がオバさんになっても」(森高千里/1992年)を選んでいますよね。これを見て、柴さんは「ヒットの歴史」を書くつもりはなく、ヒット曲に仮託して平成の精神史を書くつもりなんだと思いました。
    柴 その通りです。「私がオバさんになっても」はヒットしていて紅白にも出ていますが、年間ランキングでは50位にも入っていません。1992年だったら米米CLUBとかCHAGE and ASKAが代表的なのですが、それをいま書いてもノスタルジーになってしまう。でも森高千里について書くと2010年代のことを論じられるようになるんです。森高千里は産休を経て復帰して、2015年には化粧品のCMで本人がこの曲を歌っています。40代や50代の森高千里がこの曲を歌うことで、曲に25年前と違った新しい意味が出てきているということが書けると思って選びました。  この曲について書いている時点で、星野源の「恋」(2017年)に至るということも意識してます。平成という時代は、失われた数十年といわれたように手放しで肯定できるものではないという問題意識はありながら、昭和が持っていたジェンダーのくびきを少しずつほどいていった時代、と位置づけると見えてくるものがあるのではないかと思います。
    宇野常寛 責任編集『モノノメ#2』PLANETS公式ストアで特典付販売中対談集『宇野常寛と四人の大賢者』+ 「『モノノメ#2』が100倍おもしろくなる全ページ解説集」付
     
  • 正義を振りかざす「極端な人」から社会を守る|山口真一

    2021-11-25 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、PLANETSのインターネット番組「遅いインターネット会議」の登壇ゲストによる自著解説をお届けします。今回は、経済学者としてネット炎上分析に携わる山口真一さんをゲストにお迎えした「正義を振りかざす『極端な人』から社会を守る」(放送日:2020年10月27日)内で紹介された、『正義を振りかざす「極端な人」の正体』について。ネット上の過激な世論を形成する「極端な人」の正体とは何か。「インフォデミック」としてのコロナ禍を通して、情報リテラシーの向上が生活上の課題として広く共有されるようになった今、改めて「炎上」のメカニズムを統計的に分析します。(構成:徳田要太)
    正義を振りかざす「極端な人」から社会を守る|山口真一
    経済学者として、ネット炎上の分析を計量経済学的に行ってきた山口真一さん。 攻撃的なネット世論を形成する「極端な人」の影響力と実際の人数、そして「極端な人」が生まれる背景を論じた『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(光文社新書、2020)の概略について、ご本人より詳しく解説していただきます。


    山口真一 『正義を振りかざす「極端な人」の正体』 光文社新書/2020年9月16日発売/ソフトカバー 216頁
    【目次】 はじめに 第1章 ネットに「極端な人」があふれる理由 第2章 ネットだけでない「極端な人」 第3章 「極端な人」の正体 第4章 「極端な人」が力を持つ社会でどう対処するか 第5章 「極端な人」にならないための5箇条 あとがき

     最近、「社会が不寛容になった」とか、あるいは「攻撃的な人が多くてすごく怖い」というふうに思ったことはないでしょうか? 私はたまにあります。インターネットを見ると「こいつは頭おかしいだろう」とか「○○は人間の最下層だ、非国民だ」というような罵倒や誹謗中傷はあふれていて、探しに行かなくても見えるような状態です。
     実際、「ネット炎上」についてデジタルクライシス総合研究所が調査した結果、2019年には炎上が約1200件発生していることがわかりました。1年間は365日ですので、だいたい1日に平均して3件以上炎上が発生していて、今日もどこかで誰かが燃えていると言えます。
     もちろん「炎上」と言ってもその定義は明確に定められるものではないですが、それでも「誹謗中傷」というレベルでは、もっとはるかに多くの数が発生していると考えられます。2020年の5月には、あるリアリティ番組に出演したプロレスラーの方がネットの誹謗中傷を機に亡くなってしまったという非常に悲しい事件も起きました。
     そして新型コロナウイルスの感染対策として対面での交流制限が常態化したなか、こうした社会の不寛容さがさらに加速するのではないかということが指摘されています。例えばある駄菓子屋に「子供集めるな、お店閉めろ、マスクの無駄」とマーカー文字で書かれた怪文書が店頭に貼られるような事例が発生していました。その駄菓子屋はたまたま営業していなかったのですが、営業をしているお店に同じような文書を送りつけたり、あるいはライブハウスなどに対して電話で抗議したり、いわゆる「自粛警察」と呼ばれる人たちの活動が取りざたされていたこともありました。
     あるいは昨年、ある女性のコロナ感染者が感染を疑われているにも関わらず遠出をして、感染が明らかになった後も大勢が集まる場所に行っていたということが自治体の発表で詳細に明らかにされ、さらにそれをマスメディアがこぞって取り上げるといった山梨県での騒動が起こりました。その結果、メディアの発信だけを情報源に彼女に対する誹謗中傷をネット上に書き込んだり、あるいは個人情報を特定する動きが活発になったりといったことが大量に発生しました。
     そういったことを象徴するように、ネット炎上件数をカウントすると2020年4月時点での炎上件数は、前年同月比でなんと3.4倍に増えているということがわかりました。それくらいコロナ禍で炎上というものが頻発していると言えます。
    攻撃的な投稿を行う「極端な人」
     このように様々な誹謗中傷やネット炎上が頻発するようになったわけですが、その影響を考えると、例えばネット炎上によって実際に進学や結婚が取り消しになった人もいます。あるいはネットでの発言に傷ついて引きこもるようになった人や活動自粛に追い込まれた芸能人、中には倒産してしまった企業などもあります。
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