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  • 平成を「ヒット曲」から振り返る(後編)|柴那典

    2022-05-09 07:00  
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    本日のメルマガは、音楽ジャーナリスト・柴那典さんと宇野常寛との対談(後編)をお届けします。音楽バブルとでも言うような1990年代から一転、「大衆的」なものが捉えにくくなったゼロ年代からの音楽シーンを分析し、現代のアングラカルチャーからオルタナティブな感性が現れる可能性について論じます。前編はこちら。(構成:目黒智子、初出:2021年12月9日「遅いインターネット会議」)
    平成を「ヒット曲」から振り返る(後編)|柴那典
    音楽シーンとユースカルチャーの乖離
    宇野 前回に引き続き、ゼロ年代以降の音楽シーンについて深掘りしていこうと思います。2000年の「TSUNAMI」はサザン自身の総括ソングですよね。1970年代からキャリアのある国民的バンドの総括ソングが、その年を代表するような曲になってメガヒットを記録していくというのは、社会全体が年を取り始めてきたことの最初の表れだったように思います。
    柴 まず振り返ると1990年代は非常ににぎやかな時代で、特に1995年以降、日本社会はどんどん沈んでいくけれど音楽はきらびやかだった。
    宇野 メディアの世界は1990年代後半がバブルだったので、あらゆるものがそうでしたね。
    柴 CDに関しては1998年が一番売れた年です。1999年に宇多田ヒカルが登場してアルバムを700万枚売ったとき、「これが金字塔となるだろう」「15才の少女が登場して700万枚売るという現象を上回ることはもうないだろう」というムードはありました。そして1999年から2000年のムードというのは、僕も宇野さんも当事者として覚えていると思いますが、2000年問題がありノストラダムスの大予言もあり、1980年代に20代を過ごした人は、1999年になったら世界が滅亡してくれるんだと半ば本気で思っていましたよね。
    宇野 僕は1999年の「Automatic」(宇多田ヒカル)のあたりで1990年代的なものが終わった気がしていました。ラジオから「Automatic」のイントロが流れてきた瞬間に『エヴァンゲリオン』的なものと言ったら怒られるかもしれないけど、ああいった1990年代っぽい自分語りにより繊細さの演出が流行った時代が終わった気がしたんですよ。
    柴 その気分は共有しています。1990年代が終わって2000年の幕開けってめちゃめちゃから騒ぎでしたよね。
    宇野 1990年代後半というのは比喩的に言うと、友達にカジュアルに話せる程度のトラウマが欲しいとみんなが思っていた時代ですよね。そのモードが宇多田ヒカルが出てきた瞬間に終わった気がして、それは卵が先か鶏が先かで、宇多田が終わらせたのか、時代の空気に乗って宇多田がヒットさせたのかはわからないけれど、そういうタイミングだったと思います。
    柴 新しいミレニアムが始まったという、何かが新しくなったんだというムードと、そこから先、宇多田以上に新しいものはないという気分の中で、ゼロ年代から2004年くらいまでノスタルジーに引っ張られるようになりました。昔の良さ、歌謡曲の良さやみんなが知っていた良さをもう一度、もしくは新しい形で出しましたというのが2000年から2004年のヒットソングです。
    宇野 この頃、歌謡曲シーンや大衆音楽シーンがユースカルチャーのシーンと乖離しているんですよね。
    柴 ゼロ年代のユースカルチャーは明らかにインターネットでしたね。「2ちゃんねる」が出てきていたし、インターネットというものが今のようなプラットフォーム前提ではなく、オルタナティブだった時代です。冒頭で「スタンダードソングの時代というのはダブルミーニングだ」と言いましたが、あくまで表側としてはではいい意味に受け取れるように書いています。歌い継がれるいい曲がたくさん出た時代なんだ、と。ですが、裏の意味としてはユースカルチャーと音楽が歩調を合わせなくなった時代です。ゼロ年代にはアニメや特撮といったオタク的なカルチャーが市民権を得てきたんですね。
    宇野 団塊ジュニアがオタク第二世代といわれていて、最初のマスとしてのオタクです。ゼロ年代というのは彼らが社会で意思決定権を持ち始めた時代なんです。
    柴 このゼロ年代でレミオロメンの「粉雪」(2006年)を選んだのですが、これは「ニコニコ動画」で最初の「弾幕ソング」(弾幕とは、動画上に同じタイミングでコメントを書き込み、画面を埋め尽くす遊びのこと)で、今は権利の問題で削除されていますが、J-POPヒットの中で唯一「ニコ動」にいじられた曲なんです。この時代のミュージックビデオはMTVとかスペースシャワーに流すもので、ネットに載せることは意図していなかったんですね。こういったコンフリクトがあったことも、時代的な記憶がない人には残せないだろうというのも「粉雪」を選んだ理由です。  インターネットの話をすると、1998年に「ピンク スパイター」(hide with Spread Beaver)を選んでいます。この年は音楽業界も20世紀型メディア産業も最も景気のいい時だったので、山ほどヒット曲があるんですが、hideを選ぼうということは最初から決めていました。hideはX JAPANのメンバーであるがゆえにビジュアル系の一大ブームを象徴できる上に、洋楽のラウドミュージック、デジタルハードコアの作り手とZilchというバンドで活動し、洋楽と邦楽という両方のリンクを持っています。「ピンク スパイダー」は大ヒットではありませんが、最終的に決め手になったのはhideがインターネットに夢中だったことです。インタビューで「ピンク スパイダー」の意味を聞かれたときに「最近夢中になってるのは音楽とWeb。Webというのは蜘蛛の巣だからスパイダーにしたんだ。」といっているのですが、この時代にインターネットに夢中になっていたミュージシャンはほかにいないんですよ。「ピンク スパイダー」の歌詞っていま見るとすごいんです。

     君は 嘘の糸張りめぐらし 小さな世界 全てだと思ってた 近づくものは なんでも傷つけて 君は 空が四角いと思ってた"これが全て どうせこんなもんだろう?" 君は言った それも嘘さ

     完全にソーシャルメディアのフェイクニュースの話ですよね。
    宇野 これはすごいですよ。この歌詞を見たとき震えました。
    柴 音楽がユースカルチャーの立場をインターネットに奪われるゼロ年代の前に、hideがインターネットをテーマに曲を書いていた、ということはこの本で書きたかったことのひとつですね。
    平成の文化史を、音楽業界からどう捉えるか
    宇野 この本を読んで、一番勉強になったと思ったのがhideについて書かれたところです。以前に音楽ジャーナリストの宇野惟正さんが、日本の音楽批評は渋谷系を過大評価してビジュアル系を過小評価してきたと言っていました。僕のようにどちらにもフラットな距離感の人間からするとその通りで、やっぱり内外の大衆文化やポピュラーミュージックの研究者に与えたインパクトはビジュアル系のほうが大きいですよね。本書で述べられていたことに対する数少ない違和感の一つが、「日本のポピュラーミュージックはどんどんダメな方向に向かっているけれど、オザケン(小沢健二)とPerfumeは頑張っていた」という史観です。それはそうなんだろうけれど、ならばもう少しビジュアル系が、ガラパゴスであるがゆえに海外で面白がられたという現象に対しては言及すべきだと思います。
    柴 ビジュアル系は曲で語れないのが難しいところです。「ピンクスパイダー」は数少ない例外で、たとえばDIR EN GREYはとても革新的ですが、代表的な曲は何かと問われたときに挙げることができないんですよね。
     
  • 平成を「ヒット曲」から振り返る(前編)|柴那典

    2022-04-26 07:00  
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    本日のメルマガは、音楽ジャーナリスト・柴那典さんと宇野常寛との対談をお届けします。昭和の終焉を象徴する、美空ひばり「川の流れのように」から、令和の幕を開けた米津玄師「Lemon」まで、30のヒット曲から「平成」という時代の深層心理をさぐった柴さんの近刊『平成のヒット曲』。数ある平成のミリオンセラーから選んだ30曲の選曲意図から、柴さん独自の視点で平成を通時的に捉えます。(構成:目黒智子、初出:2021年12月9日「遅いインターネット会議」)
    平成を「ヒット曲」から振り返る(前編)|柴那典
    宇野 本日は、昨年末に刊行された『平成のヒット曲』の著者で音楽ジャーナリストの柴那典さんをお招きして、本書で論じられた歌謡曲・J-POPといった日本の大衆音楽からみた平成の30年間について、じっくりと議論していきたいと思います。
    柴 よろしくお願いします。柴那典と申します。もともと「ロッキング・オン」という音楽系出版社で編集者をしていて、その後独立しました。2014年に初の著書として『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という、ボーカロイドブームから当時の音楽・ネット文化を論じた本を出しています。2016年には『ヒットの崩壊』という本を出していて、この本は2010年代に入ってからのCDの売上ランキングを見ても何がヒットしているかわからないという音楽業界の状況について書いた本で、『平成のヒット曲』はその続編とも言えます。
     この本では、平成の30年間を通して1年ごとに1曲、その年を代表する曲を選んで語っています。美空ひばり、小室哲哉、Mr.children、宇多田ヒカル、サザンオールスターズ、SMAP、Perfume、 AKB48、嵐、星野源、米津玄師などいろいろな名前が登場しますが、アーティストや曲を紹介したり評論したりするというだけではなくて、社会にその曲がどう受け止められたのか、そしてどのように後の世の中を変えていったのかという、音楽の外側を意識した構成になっています。  またヒット曲について書くことで平成という時代の移り変わりが読み解けるのではないかという狙いがあり、平成を三つの時代──1990年代・ゼロ年代・2010年代に分けて論じているのが特徴です。同じ「平成」の括りでも、この三つのディケイドは、文化的にまったく風景が違っていて、それぞれのディケイドの違いをしっかり位置付けてみようという意識で書きました。  大まかに言うと、1990年代はミリオンセラーの時代で、文字通り100万枚売れるCDが続出し、音楽産業の景気が良くて勢いのあった時代。次のゼロ年代はスタンダードソングの時代で、これはダブルミーニングでもあり、良い意味では長く歌い継がれる普遍性の高い名曲が出た一方で、音楽産業は明らかに勢いを落とし、インターネットという人類史上の大きな変化に対応できなかった点でマイナスが大きい10年間です。そして最後の10年代はソーシャルの時代。ソーシャルメディア、ソーシャルネットワークのソーシャルで、流行やトレンド、ブームが生まれる回路が明らかに変わった時代です。ヒット曲の話もしていますが、メディア環境や力学の変化の話もしています。
     令和4年になった今、実感として平成が遠くなったという気持ちが湧いてきて、ようやく平成という年号を少し客観視できるようになり、時間が経つことで対象化しやすいということを、本を出した当事者として感じています。
    選曲の意図からみる批評家としての立ち位置
    宇野 ありがとうございます。最初のミリオンセラーの時代について、柴さんにとって選曲のコンセプトは何ですか?
    柴 売れた曲をただ選んでいるわけではありません。
    宇野 そこですよね。ミリオンセラーを並べて、「この曲にはこういう背景があってこういう理由で売れたと思うけれど、それを私は批評家としてこう評価します」と書いていくこともできたと思いますが、柴さんはそれをしなかった。ミリオンセラーの曲は他にいっぱいあるはずなのに、あえて選ばなかったものがたくさんありますよね。
    柴 そうなんです。落としたものがすごくたくさんあって、GLAYもなければスピッツもないし、B'zもウルフルズもL’Arc~en~Cielもモーニング娘。もない(笑)。
    宇野 そこに柴さんの批評家としての立ち位置が出ていて、それがこの本のポイントだと思います。第一部「ミリオンセラーの時代」に登場する10曲では、どのあたりが柴さんのこだわりなのか聞かせてもらえますか。
    柴 まず、選ばざるをえなかったのは「川の流れのように」(美空ひばり/1989年)です。ここから始めたのは、この本の伏線として大きな意図があって、つまり作詞を担当した秋元康というヒットメーカーが、1980年代の「おニャン子クラブ」「とんねるず」などのアイドル歌謡の時代で終わらなかったことの象徴なんです。もともとの原稿では、昭和の終わりを象徴する「川の流れのように」からちょうど20年後にセルフアンサーソング的なかたちでAKB48の「RIVER」(2009年)が登場したのを取り上げることで、より通時的な視点を与えることも考えていました。最終的には構成の都合上、決定稿では省いたのですが。
    宇野 「川の流れのように」は大雑把に言うと「いろいろあったけど戦後って結果オーライじゃん」という曲で、それを美空ひばりが人生の最後に歌うということに意味があったんですよね。その20年後に、川、すなわち戦後的なものがむしろ若い世代の障害になっていて、それを乗り越えていけというのが「RIVER」です。ポイントはこれが2009年の歌だったということで、そこからの10数年間経った現在からすると、残念ながら乗り越えることができなかったんだなというのが平成末期の総括になるのかなと思っていますが。
    柴 たしかにそうですね。だから2010年代には当然、AKB48の曲で「恋するフォーチュンクッキー」(2013年)を選んでいます。2010年代がAKB48の時代だったというのはオリコンランキングから見ると間違いありません。
    宇野 オリコンの破壊によってそれが証明されている(笑)。
    柴 オリコンをハックして、そのチャートを無効化したということですね。「AKBの本当のヒット曲はヒットチャートからは何一つわからない」ということを、AKB48を肯定的に捉えながらもファンダムとは距離を保って語ってきたジャーナリズムとして言っておかないと、この曲の記録が10年後、20年後にはオリコンランキングとしてしか残らないのではないかという危惧がありました。
    宇野 楽曲プロデューサー・秋元康の優れた曲としても、AKB48の残したものとしても「フォーチュンクッキー」は代表的な曲と言えると思います。ただ「フォーチュンクッキー」が象徴していたものをどう評価するかは本当に難しいと思います。というのは、言ってしまえばこれは指原莉乃の歌なんです。指原はAKB48の総選挙を象徴するボトムアップの、ユーザー参加型のコンテンツだからこそ成りあがった人でもあるけれど、同時に1980年代フジテレビ的/電通的なテレビバラエティやワイドショーの空間をハックして成りあがった人物でもあるんです。彼女は新しさと古さを両方抱え込んだプレーヤーで、「フォーチュンクッキー」は良くも悪くもその指原を象徴する歌なんです。そこに僕は可能性と限界の両方があったと思っていて、限界のほうに報復されたのが今のAKB48だと思っています。つまり「フォーチュンクッキー」というのは運命論の歌で、川(戦後的な既存のシステム)とはまったく別のシステムを横に作ってしまえば運命を信じられる、という歌ですが、その象徴である指原莉乃は、どちらかというと川(旧来型のバラエティ)のほうに向かってしまい、結果的に川に流されている側の代表になったわけですよね。要するに、結局AKB48というのは、指原莉乃というワイドショーのコメンテーターを、バラエティの女性タレントを生むための装置にしかなれなかったということでもあって、それがAKB48そのものの限界なんです。AKB48のブームが沈没した後に出てきた「坂道」(「乃木坂46」など秋元康がプロデュースするアイドルグループの総称)は、一世代前の音楽産業やテレビ産業のロジックで生きていて、明らかに撤退しています。「フォーチュンクッキー」はとても優れた曲だと思うし、おもしろい現象だったことは間違いないけれど、AKB48が持っていた射程距離の限界というものを同時に表しているのではないかと思っています。
    柴 たしかに。そういう意味で、今回選曲した30曲は、平成元年の「川の流れのように」で話した伏線を、2010年代のAKBで回収するという構造になっているんですね。
    ジェンダー観の移り変わり
    宇野 4曲目に「私がオバさんになっても」(森高千里/1992年)を選んでいますよね。これを見て、柴さんは「ヒットの歴史」を書くつもりはなく、ヒット曲に仮託して平成の精神史を書くつもりなんだと思いました。
    柴 その通りです。「私がオバさんになっても」はヒットしていて紅白にも出ていますが、年間ランキングでは50位にも入っていません。1992年だったら米米CLUBとかCHAGE and ASKAが代表的なのですが、それをいま書いてもノスタルジーになってしまう。でも森高千里について書くと2010年代のことを論じられるようになるんです。森高千里は産休を経て復帰して、2015年には化粧品のCMで本人がこの曲を歌っています。40代や50代の森高千里がこの曲を歌うことで、曲に25年前と違った新しい意味が出てきているということが書けると思って選びました。  この曲について書いている時点で、星野源の「恋」(2017年)に至るということも意識してます。平成という時代は、失われた数十年といわれたように手放しで肯定できるものではないという問題意識はありながら、昭和が持っていたジェンダーのくびきを少しずつほどいていった時代、と位置づけると見えてくるものがあるのではないかと思います。
    宇野常寛 責任編集『モノノメ#2』PLANETS公式ストアで特典付販売中対談集『宇野常寛と四人の大賢者』+ 「『モノノメ#2』が100倍おもしろくなる全ページ解説集」付
     
  • 正義を振りかざす「極端な人」から社会を守る|山口真一

    2021-11-25 07:00  
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    今朝のメルマガは、PLANETSのインターネット番組「遅いインターネット会議」の登壇ゲストによる自著解説をお届けします。今回は、経済学者としてネット炎上分析に携わる山口真一さんをゲストにお迎えした「正義を振りかざす『極端な人』から社会を守る」(放送日:2020年10月27日)内で紹介された、『正義を振りかざす「極端な人」の正体』について。ネット上の過激な世論を形成する「極端な人」の正体とは何か。「インフォデミック」としてのコロナ禍を通して、情報リテラシーの向上が生活上の課題として広く共有されるようになった今、改めて「炎上」のメカニズムを統計的に分析します。(構成:徳田要太)
    正義を振りかざす「極端な人」から社会を守る|山口真一
    経済学者として、ネット炎上の分析を計量経済学的に行ってきた山口真一さん。 攻撃的なネット世論を形成する「極端な人」の影響力と実際の人数、そして「極端な人」が生まれる背景を論じた『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(光文社新書、2020)の概略について、ご本人より詳しく解説していただきます。


    山口真一 『正義を振りかざす「極端な人」の正体』 光文社新書/2020年9月16日発売/ソフトカバー 216頁
    【目次】 はじめに 第1章 ネットに「極端な人」があふれる理由 第2章 ネットだけでない「極端な人」 第3章 「極端な人」の正体 第4章 「極端な人」が力を持つ社会でどう対処するか 第5章 「極端な人」にならないための5箇条 あとがき

     最近、「社会が不寛容になった」とか、あるいは「攻撃的な人が多くてすごく怖い」というふうに思ったことはないでしょうか? 私はたまにあります。インターネットを見ると「こいつは頭おかしいだろう」とか「○○は人間の最下層だ、非国民だ」というような罵倒や誹謗中傷はあふれていて、探しに行かなくても見えるような状態です。
     実際、「ネット炎上」についてデジタルクライシス総合研究所が調査した結果、2019年には炎上が約1200件発生していることがわかりました。1年間は365日ですので、だいたい1日に平均して3件以上炎上が発生していて、今日もどこかで誰かが燃えていると言えます。
     もちろん「炎上」と言ってもその定義は明確に定められるものではないですが、それでも「誹謗中傷」というレベルでは、もっとはるかに多くの数が発生していると考えられます。2020年の5月には、あるリアリティ番組に出演したプロレスラーの方がネットの誹謗中傷を機に亡くなってしまったという非常に悲しい事件も起きました。
     そして新型コロナウイルスの感染対策として対面での交流制限が常態化したなか、こうした社会の不寛容さがさらに加速するのではないかということが指摘されています。例えばある駄菓子屋に「子供集めるな、お店閉めろ、マスクの無駄」とマーカー文字で書かれた怪文書が店頭に貼られるような事例が発生していました。その駄菓子屋はたまたま営業していなかったのですが、営業をしているお店に同じような文書を送りつけたり、あるいはライブハウスなどに対して電話で抗議したり、いわゆる「自粛警察」と呼ばれる人たちの活動が取りざたされていたこともありました。
     あるいは昨年、ある女性のコロナ感染者が感染を疑われているにも関わらず遠出をして、感染が明らかになった後も大勢が集まる場所に行っていたということが自治体の発表で詳細に明らかにされ、さらにそれをマスメディアがこぞって取り上げるといった山梨県での騒動が起こりました。その結果、メディアの発信だけを情報源に彼女に対する誹謗中傷をネット上に書き込んだり、あるいは個人情報を特定する動きが活発になったりといったことが大量に発生しました。
     そういったことを象徴するように、ネット炎上件数をカウントすると2020年4月時点での炎上件数は、前年同月比でなんと3.4倍に増えているということがわかりました。それくらいコロナ禍で炎上というものが頻発していると言えます。
    攻撃的な投稿を行う「極端な人」
     このように様々な誹謗中傷やネット炎上が頻発するようになったわけですが、その影響を考えると、例えばネット炎上によって実際に進学や結婚が取り消しになった人もいます。あるいはネットでの発言に傷ついて引きこもるようになった人や活動自粛に追い込まれた芸能人、中には倒産してしまった企業などもあります。
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  • 人間はなぜAIにキャラクターを欲望するのか|三宅陽一郎

    2021-10-27 07:00  
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    今朝のメルマガは、PLANETSのインターネット番組「遅いインターネット会議」の登壇ゲストによる自著解説をお届けします。本日は、ゲームAI開発者として知られる三宅陽一郎さんをゲストにお迎えした「人間はなぜAIにキャラクターを欲望するのか」(放送日:2021年1月19日)内で紹介された、『人工知能が「生命」になるとき』について。アカデミズムの場で語られるような、人間の知的機能の再現を追求する「人工知能」と、ポップカルチャーの中でイメージされるキャラクター的な「人工知能」との間には大きな乖離が存在します。両者を掛け合わせるには何が必要なのか、そしてそれは、未来社会にどのような変革をもたらすのでしょうか?実践的なゲームAIのアルゴリズムの開発手法を説いた先頃刊行の新著『戦略ゲームAI解体新書』と併せてご覧ください。(構成:徳田要太)
    人間はなぜAIにキャラクターを欲望するのか|三宅陽一郎
    ゲームAI開発者として数々のゲームタイトル制作に携わりながら、人工知能研究者としても活躍する三宅陽一郎さん。2020年12月に刊行された『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS)では、東洋思想をもとにした三宅さん独自の視点から、単に機能を果たすものではなく「生命」としての人工知能のあり方について語られています。 本稿では、「人間はなぜAIにキャラクターを欲望するのか」という切り口から、本書のポイントについて詳しく解説していただきます。


    三宅陽一郎人工知能が「生命」になるとき PLANETS/2020年12月16日発売/ソフトカバー 304頁
    【目次】 第零章 人工知能をめぐる夢 第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ混沌 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの 第三章 オープンワールドと汎用人工知能 第四章 キャラクターAIに認識と感情を与えるには 第五章 人工知能が人間を理解する 第六章 人工知能とオートメーション 第七章 街、都市、スマートシティ 第八章 人工知能にとっての言葉 第九章 社会の骨格としてのマルチエージェント 第十章 人と人工知能の未来──人間拡張と人工知能

    「生命」としての人工知能
    自分は人工知能を作る側の立場にいるのですが、ただ単に技術的に作るのではなく、一度「人間とは何か」とか「社会とは何か」といったことを哲学的に考え、そこから持ち帰ったものをエンジニアリングするという形を取っています。知能のあり方を深く探求して遠くを目指すようなスタンスで開発を続けてきたのですが、その試みはこの5、6年、『人工知能の哲学塾』という一連の書籍で展開してきました。それに加えて、「次の人工知能のステージとは何か」についてさらに具体的に突き詰めたいという問題意識もありました。
    このことを考えるために、私は「東洋」と「西洋」という二つの対立軸をあえて持ち出しております。もちろん東洋と西洋といっても単純にそれらが対立するというわけではありませんが、人工知能というものの姿を具体的に浮かび上がらせるための例として、「東洋思想の中にある人工知能のエッセンス」と「西洋思想の中にある人工知能のエッセンス」を方法論的に対立させているというわけです。例えば、単純にいうと、西洋の人工知能は機能的で東洋の人工知能は存在的。つまり東洋の考えでは人工知能は「いかに存在するか」と問うということです。このようなものを人工知能とあえて区別して「人工知性」と呼んでいます。
    つまり「人工知能」と「人工知性」というものを方法論的に対立させて、東西の人工知能の対立の先にあるものを掴むことが私のビジョンの最終到達点なわけです。そのための青写真として、「人工精神」や「人工生物」と呼ばれるものの研究が形になっていますが、私は存在であり、機能でもある、すなわち一つの「生命」であるような人工知能を作りたいということです。
    「人間」と「人工知能」の関係
    「人間」と「人工知能」と言ったとき、人工知能は、基本的には人間をリファレンスします。もちろん動物とか昆虫を参照しても構わないのですが、実は西洋の人たちにとってそこの境目は厳密で、人間と人間ではないものを明確に区別します。
    「人工生命」といえばどちらかというと、虫や鳥などのさまざまな生命を模倣するものですが、「人工知能」というものは人間をリファレンスとして知能の構築を目指すということが、その発祥の時代から求められています。そのためにはまず人間というものを深く突き詰めて、人間の中の意識構造や無意識構造をデジタルな形で理解し、それを人工物である機械の上に再現しましょう、というところから出発しており、そしてそれを考えることは人工知能と人間の間の相互作用や、コミュニケーションについて考えることにもなります。
    ただ、一般に人工知能と人間同士のコミュニケーションというと、言葉やサインなどが持ち出されますけれど、実は人間同士でも無意識のレイヤー、あるいはボディータッチといった非言語の領域にもさまざまなレイヤーのコミュニケーションがあります。
    人工知能も人間との関係を築こうとすると、実は単に言葉だけでコミュニケーションを行うのでは不十分で、上述したような無意識をも含めたさまざまなレイヤーのコミュニケーションが必要になってきます。
    「知能」とは何か
    では「知能とは何か」を改めて問うと、身体と意識からなる階層構造としてモデル化することができます。まず世界というものがあって、身体がそれを知覚することで我々はこの世界に住み着いているということが、現象学で有名なメルロ・ポンティによってよく言われていることです。つまり我々の存在のあり方は、実は身体がいかに世界に根ざしているかによって定まるということです。 例えば植物の場合はすごくわかりやすいですよね。根があってそれが大地を掴むことで存在し、その上に幹があり葉がある。人間も実は身体というものでこの世界に深く棲みついていて、それが知能の形を決めているということです。身体が得た知覚の集積として頂点に存在するのが、意識というものになるわけです。
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  • 「発明の条件」を考える|暦本純一

    2021-05-07 07:00  
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    今朝のメルマガは、PLANETSのインターネット番組「遅いインターネット会議」にて、登壇されたゲストさんによる自著解説の書き起こしをお届けします。 本日は、「スマートスキン」の開発者として知られる暦本純一さんをゲストにお迎えした「『発明の条件』を考える」(放送日:2021年2月2日)内で紹介された、『妄想する頭 思考する手:想像を超えるアイデアのつくり方』について。 メディアアーティスト・落合陽一さんも学生のころに学んでいたという暦本さんの研究法について書かれた本書。優れた研究、そして新たな発明というものは、個人の「妄想」のようなところから生まれると言います。 「妄想」が「発明」として形になるには、そしてクリエイティビティの源泉となる「偶然性」を担保するにはどのような条件が必要なのでしょうか? (構成:徳田要太)

    スマホ画面を複数の指で操作する、マルチタッチを実現した「スマートスキン」の発明をはじめ、数々のヒューマン・コンピュータ・インタラクション研究の第一人者として知られる暦本純一さん。2021年2月に刊行された近刊『妄想する頭 思考する手:想像を超えるアイデアのつくり方』(祥伝社)では、暦本さんが長年培ってきた研究法をもとに、「アイデア発想法の決定版」が綴られています。 本稿では、「発明の条件」という切り口から、本書のポイントについて詳しく解説していただきます。


    暦本純一 妄想する頭 思考する手:想像を超えるアイデアのつくり方 祥伝社/2021年2月1日発売/ソフトカバー 240頁
    目次 序章 妄想とは何か 第1章 妄想から始まる 第2章 言語化は最強の思考ツールである 第3章 アイデアは「既知×既知」 第4章 試行錯誤は神との対話 第5章 ピボットが生む意外性 第6章 「人間拡張」という妄想 終章 イノベーションの源泉を枯らさない社会へ

    「妄想」を形にするということ
     以前、僕の研究室に入ってきた学生さん向けに研究法の講義をやっていました。これは「研究とは何か」というのを説明するもので、スライドシェアでネットにも公開もされていますが、ざっくり言うと、本書『妄想する頭 思考する手』はこれを発展させて、研究者以外の方にも役に立つように工夫した内容になっています。実は落合陽一くんもうちの学生だったのですが、彼にも話した内容で「研究って本当に妄想みたいなところから始まるんだよ」ということです。  つまり、正しいか正しくないか、わけのわからないことが頭の中でモヤモヤしているんだけど、それを研究者であれば論文、ビジネスマンであれば製品という形で具現化していくにはどうしたらいいか、というのが問題意識です。
     発明は妄想みたいなところから始まります。私が開発した「スマートスキン」で実現されたいわゆるマルチタッチ、いま皆さんがスマホで使っているような、2本以上の指で操作するという仕組みをどうやって発明したかという話と、「モヤモヤしたところをどうやって着地させるか」といった話、「天使度と悪魔度のバランス」という話が重要です。「天使度と悪魔度」とは黒澤明監督の「天使のように大胆に、悪魔のように細心に」という言葉がありますが、それから取ったものです。発想が天使のように大胆だったりしたとしても、作り込みや緻密さには悪魔的になるべきです。これが天使度と悪魔度のバランスということです。
     また「モヤモヤしたこと」というのは、最初のうちはモヤモヤしたままでいいのですが、それを形にするとなったときには言葉が大事です。これは「考えていることを言葉に書く」というよりも「言語化することで考える」ということです。「言語化は最強の思考ツールである」だと思っています。言語化することで、自分の中の話を外部化して客観的に見ることができます。長い文章にするということではなく、簡潔に「必ず1行で書く」ということを訓練していると、「モヤっとしたこと」の中にある本質がクリアになっていきます。それを客観的に見直すこともできるし、1行なので駄目だと思ったらすぐに書き直すこともできる。いくつも書いていきながら「これかな? これかな?」と試行錯誤できるという意味で、ツールとして強力かつ値段的にもお安く、たくさんのメリットがあります。
     それから「発明は必要の母」という考えが大事だと思っています。「必要は発明の母」という言葉は有名ですが、この「発明は必要の母」という言葉はメルビン・クランツバーグという技術史家が言い出した言葉で、「世の中の大きな発明というのは、えてして発明されてから必要が出てくる」というような意味です。とくに課題もなく、突然アイデアだけ閃いて「どうしてこんなものがあるんだろう」「なんだろこれ」と思ったときに、「何に使えるんだろう」と考えるのはむしろ普通のことです。ニーズから入ってソリューションが出てくるというのは王道ですけれど、それがひっくり返ることも往々にしてあります。
     ちなみに、「ブレストはワークしない」ということも、私の言いたいことの一つです。これは私だけではなく何人か他の人も言っていることですが、ブレストでは「誰かが何か言わないと」と思っています。そして一見考えているふうに見えて魅力的なのが、ポストイットに書いて壁に貼りだすとか、ホワイトボードにアイデアを書くといったことです。いかにもアイデア出しをしたようでインスタ映え的にもいいのですが、そのとき一番だったアイデアが最終的に形になった経験は、私の場合、実はほとんどないです。3日後には忘れている可能性が非常に高い。むしろアイデアというものは、よく言われるように既存のものと新しいものとの掛け合わせでできあがります。「だったら既知のものを増やした方がいいのではないか」ということで、うちの研究室では他のメンバーが知らないことを集めてくる会議というのをやっています。例えば「他人が知らないけど自分はおもしろいと思っているものを見つけていきましょう」と話していて、それをやると特に「アイデアをそこですぐに出せ」とまでは言わなくても、自ずと「そういうことがあるなら、こんなこともできるだろう」という案も出てきます。インプットがないときに無理やりアウトプットを絞り出すよりも、潤沢にインプットを入れていった方が自然にアイデアが出てくるということです。
    発明に結びつくアイデアと試行錯誤
     アイデアを生み出すための秘訣として「試行錯誤は神との対話」という言葉を使っています。大仰に聞こえるかもしれませんが、要するにこれは「手を動かしましょう」という話です。最初に思いついたものがすぐにできてしまうこともあるのですが、それは非常に高い確率ですでに誰かがやっています。最初に思いついてぱっとできるようなものは、きっともう自分と同じぐらいかもっと頭のいい人がだいたいすでにやっていることが多い。ですから「やっぱりやってみたらできなかったこと」とか、さきほどの「発明は必要の母」のように、何か最初の目的とは違う目的になるものをピボット(方向転換)する、というふうに試行錯誤していく過程で本当のアイデアになるかなと思います。リアルワールドに向かって壁打ちしているような感じですが、そのプロセスのことを私は「これは神様と対話しているんだ」と表現しています。
     「人と会話することがアイデアにつながる」ことも当然あるのですが、それはあくまでも人間との会話に過ぎません。別のモードとして、周りがみんなで集まっているときに1人で黙々と実験したりする(神と対話する)のも楽しいし、最初の思惑を超えるような発見もあります。自然科学者が世界を形作っている構造を試行錯誤しながら探求してノーベル賞を取るようなところから、普通の人が日常生活の中でいろいろな工夫を重ねたり、あるいは子供が何かおもちゃを壊したり作ったりといったところまで含めて、彼ら彼女らは「神様と対話している」のだと思います。そういうプロセスの楽しさがもっと伝わってほしいなと思っています。
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  • 【STAY HOME応援企画!!】遅いインターネット会議の動画アーカイブ、はじめます。

    2021-02-08 18:00  
    いつもPLANETSチャンネルをご視聴いただき、ありがとうございます。
    毎週(ほぼ)火曜日にお届けしているオンラインイベント「遅いインターネット会議」のアーカイブ配信が本日よりスタートしました。2月は、2020年3月から12月までにお届けした全30回分、計45時間以上の動画を一挙公開しました!
    【これまでにお招きしたゲスト(一部)】 安宅和人 / 古川健介 / 石破茂 / 山尾志桜里 / 乙武洋匡 / 石川善樹 / 明石ガクト / 宮田裕章 / 渡瀬裕哉 / 石岡良治 / 福嶋亮大
    ▼遅いインターネット会議のアーカイブ動画一覧はこちら▼https://bit.ly/3q3curt
    なお、3月以降は2021年1月にお届けした遅いインターネット会議から順次アーカイブ動画を公開する予定です。それに伴い、毎週土曜に開催していた見逃し再配信は終了となります。
    今月よりスタートしたブロマガ読み放題と合
  • Daily PLANETS 2021年2月第1週のハイライト

    2021-02-05 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    緊急事態宣言の延長が決まり、さらなるステイホームへの覚悟を余儀なくされてしまった2月第1週。幅広いジャンルにわたるPLANETSのウェブマガジンのコンテンツが、少しでも皆さんの巣ごもりの助けになれば幸いです…!
    さて、今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4本の記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    今週のハイライト
    2/1(月)【連載】テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(後編) |成馬零一

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→201
  • 【2月第1週号】PLANETSチャンネルの配信予定のお知らせ

    2021-01-31 09:00  
    いつもPLANETSチャンネルをご視聴いただき、ありがとうございます。
    今週は人間拡張研究の第一人者である情報工学者の暦本純一さんをお招きした遅いインターネット会議をはじめ、独自の角度と既存のメディアにはできない深度でお届けしていきます。 また、今週の傑作選アーカイブは、慶応義塾大学 医学部教授の宮田裕章さんをお招きした「データサイエンスで共創するニューノーマルの世界」です。こちらは1週間の期間限定公開ですので、お見逃しなく!
    ------------------------------------------ 【2月第1週のスケジュール】 ------------------------------------------ 2/2(火)19:30〜 『発明の条件』を考える | 暦本純一 配信はこちら▶︎ https://live2.nicovideo.jp/watch/lv330
  • 【1月第4週号】PLANETSチャンネルの配信予定のお知らせ

    2021-01-24 09:00  
    いつもPLANETSチャンネルをご視聴いただき、ありがとうございます。
    今週から、1週間のライブ配信や傑作選アーカイブ配信のスケジュールを毎週お送りします。 今週はEN TEA代表の丸若裕俊さんをお招きした遅いインターネット会議をはじめ、独自の角度と既存のメディアにはできない深度でお届けしていきます。お楽しみに!
    ------------------------------------------ 【今週のスケジュール】 ------------------------------------------
    1/26(火)19:30〜 『喫茶』のアップデートで生活に「間」を取り戻す | 丸若裕俊配信はこちら▶︎ https://live2.nicovideo.jp/watch/lv329981367※タイムシフトあり
    1/28(木)21:00〜 SKEファントーク vol.18 〜2021新
  • 【今夜21時から見逃し配信!】石岡良治×福嶋亮大「2020年の想像力」

    2021-01-23 12:00  
    今夜21時より、批評家の石岡良治さんと文芸批評家の福嶋亮大さんをお招きした遅いインターネット会議の完全版を見逃し配信します。
    24時までの限定公開となりますので、ライブ配信を見逃した、またはもう一度見たいという方は、ぜひこの期間にご視聴ください!
    石岡良治×福嶋亮大「2020年の想像力」見逃し配信期間:1/23(土)21:00〜24:00
    コロナ禍によってエンターテインメントが大きな打撃を受けた2020年。「鬼滅の刃」「愛の不時着」「梨泰院クラス」「BTS」「TENET」「MIU404」といった既存ジャンルのヒットコンテンツから、ライブや演劇のオンライン配信といった新動向まで、ステイホームの環境下でカルチャーシーンがどう変動したのか、ゲストのお二人とともに振り返ります。
    ※冒頭30分はこちらからご覧いただけます。https://www.nicovideo.jp/watch/so379859