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記事 4件
  • 「幸福」の数値化によって社会はどう変わるのか|矢野和男

    2020-10-06 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、イベント「遅いインターネット会議」の冒頭60分間の書き起こしをお届けします。本日は、株式会社日立製作所フェローの矢野和男さんをゲストにお迎えした「多様化する〈幸福〉とテクノロジー」の後編です。「ハピネス関係度」という幸福の数値化が可能になったことで、どのような変化が起きていくのでしょうか。そして、with/afterコロナ時代における幸福追求のあり方とは何なのでしょうか。(放送日:2020年8月25日)※本イベントのアーカイブ動画の前半30分はこちらから。後半30分はこちらから。
    【本日開催!】10/6(火)矢島里佳「〈伝統のアップデート〉でなにをもたらすか」全国の職人と共にオリジナル商品を生み出し、伝統工芸を新しいかたちで暮らしの中に提供する矢島里佳さん。「伝統や先人の智慧」と「今を生きる私たちの感性」を「混ぜる」のではなく「和える」というコンセプトを掲げた“0歳からの伝統ブランド aeru”をはじめ、独自のスタイルでの〈伝統のアップデート〉の取り組みが目指すものについて、じっくりと伺います。生放送のご視聴はこちらから!
    遅いインターネット会議 2020.8.25「幸福」の数値化によって社会はどう変わるのか|矢野和男
    「幸福」という新たな物差しとは

    牧野 このアプリケーション「Happiness Planet」を約3週間、4,000人に使っていただいたところ、「HERO」の数字、すなわち持続的に変え得るハピネスの数字が、標準偏差100%のうち、33%向上しました。実はこれと業績との換算式が学問的に知られていまして、この換算式に入れると、10パーセントの営業利益向上に相当するということで、大変大きな数字になるわけです。


     実際に去年からいくつかの会社で有償で使い始めて、これはいけるということで、7月に「ハピネスプラネット」という会社を作りました。これは組織俯瞰マップという、組織全体を2軸で表現したものに、ある組織の4つのチームのポジションをマッピングしたものです。今月はどうだった、来月はどうなるか、といったことがリアルタイムに評価できます。

     もうひとつは「孤立した人を作らない」ということが組織のオペレーションとしては非常に大事なんです。孤立した人がパフォーマンスが出ないとか不幸になる、うつ病になるということではないんです。孤立した人がいると、その人だけじゃなく、職場全体のパフォーマンスが下がってしまう。ここで雨模様と表示されているのはそういう孤立した人ですが、このアプリではセンサーを使って、そういう人をケアして、現場をよりよくするためのツールも提供しています。

     あと、リモートワークになったときに、計画的、意識的な会議や報告はメールや電話やウェブ会議などでできますが、雑談的なものが非常にやりにくくなっています。雑談的なものが少なくなると、先ほどの4ヶ条すべてが下がるんです。そうなると、問題やトラブルや、ちょっとした調整が必要なことが放置されたりして、組織全体がうまくいかなくなってしまうんですね。

     そこで、このアプリの中に「プチ報連相」という機能を入れました。一般的なSNSも、社内SNSでも、やたらドミナントな人が発信して、ほとんどの人が発信せずにリードオンリーになりがちなんですが、この機能は非常に平等性を重んじていて、1日1回しか発信できないんです。先ほどの4ヶ条に基づいて、ちょっとした気付きや、チャレンジしようとしていること、昨日見た面白かった映画とか、そういうことを通して、チームの一体感を高めている。我々も毎日活用していますし、日立でも社員700人でこれを活用して、リモートワークを活性化するという取り組みをやっています。





     いわゆるハピネスは、従来の宗教や哲学ではなく、データやサイエンスに基づいて計測し、オリンピックの記録のように常に改善できるもので、そのための鍵が計測と可視化です。そのプラットフォームとなっているデバイスはスマホなので、10億人以上の人が持っていて、アプリをダウンロードすれば生産性の改善にもつながっていく。この幸せ、および幸せをドライブしている尺度は、「ディグリーエッヂ」といって、日本語で言うと「ドエッヂ」になっちゃうので一応英語にしてるんですが、あらゆることのものさしになると思っています。


     例えば、就職するときには幸せを生んでいるような会社に入りたいでしょうし、取引先としてもそっちの方がいいと思います。また、サービスを受けたり、導入したり、改善しようとするときにもこういう定量的な尺度が役に立ちます。


     あるいはマンションを買うときに、間取りとか駅からの距離よりも、そのマンションに住んでいる人が、お互いに周りの人を幸せにするような人たちなのかということのほうが大事ですよね。他にも、小売、融資、保険でも、幸せな人を優遇しポイントをつける小売、あるいは幸せな人への融資の金利を下げたり、保険料を下げるといったことをすれば、定量的なインセンティブによって世の中の幸せの度合いを上げていくことができるかなと思っています。

     というわけで、20世紀はモノをきっちり送り出すこと自体が大事だったので、人を機械の部品のように扱うような仕組みができてしまったのですが、いよいよそういうことを見直す契機がコロナ禍によって訪れたのかなと思っています。人というものを、自らの幸せを求めたり、誰かを幸せにすることで幸せを得たりする、心を持った存在として真正面から捉えることで、企業や社会の動かし方を見直す時なのではないかと思っています。
    withアフターコロナ時代における幸福の追求とは
    長谷川 ありがとうございます、矢野さんの話を受けて、宇野さんいかがでしょうか?
    宇野 非常に刺激的なお話でした。矢野さんにたくさん伺いたいことがあるので、スライドを振り返りながら聞いてもいいですか?

     いちばん最初に深堀りしたいと思ったのは、スライドの5枚目ですね。ここで、「幸せ」という言葉が初めて出てきますが、この幸せって何なんでしょうか。今のお話の範囲では、幸せとは「人間が高いパフォーマンスを発揮できる心理状態にあること」みたいな定義になるんでしょうか?
    矢野 ちょっと違うと思いますね。確かに結果的にはパフォーマンスが高いことになります。ただ、幸せには色んな定義がありますが、私は先ほどの生化学的な現象というのが非常にわかりやすい定義だと思っています。
    宇野 ある人間が特定の状態になる生化学現象を幸せという、その定義でずっとお話されていて、それは一貫していて共感するんですが、言葉を扱っている人間として僕個人の意見は、ここで「幸せ」という言葉を使わない方がいいんじゃないかと思っているんですよ。つまりこの状態にあったとしても、自分のことを幸福だと思わない人がいるのではないかというのが、僕の率直な疑問なんですけど、そこはいかがですか?
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  • 多様化する〈幸福〉とテクノロジー|矢野和男

    2020-10-05 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、イベント「遅いインターネット会議」の冒頭60分間の書き起こしをお届けします。本日は、株式会社日立製作所フェローの矢野和男さんをゲストにお迎えした「多様化する〈幸福〉とテクノロジー」の前編です。著書『データの見えざる手』から6年。新会社ハピネスプラネットをリードし、「幸福の可視化技術」を追求する矢野和男さんと一緒に、データサイエンスを前提とした社会における人間の「幸せ」について議論します。(放送日:2020年8月25日)※本イベントのアーカイブ動画の前半30分はこちらから。後半30分はこちらから。
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    遅いインターネット会議 2020.8.25多様化する〈幸福〉とテクノロジー|矢野和男
    長谷川 こんばんは。本日ファシリテーターを務めます、モメンタム・ホースの長谷川リョーです。
    宇野 こんばんは。PLANTSの宇野常寛です。
    長谷川 遅いインターネット会議、この企画では政治からサブカルチャーまで、そしてビジネスからアートまで、様々な分野の講師をお招きしてお届けします。本日は、有楽町にある三菱地所さんのコワーキングスペースSAAIからお送りしています。本来であれば、トークイベントとしてこの場を共有したかったのですが、当面の間は新型コロナウイルスの感染防止の為、動画配信と形式を変更しております。今日もよろしくお願いいたします。それではゲストの方をご紹介します。今日のゲストは日立製作所フェローの矢野和男さんです。よろしくお願いします。
    矢野 よろしくお願いします。 
    宇野 よろしくお願いします。日立製作所フェローのまま、もう1つ肩書が加わっている感じですか? 
    矢野 そうなんです。一応フェローのままで、今回新しくハピネスプラネットという会社を作りまして、そこの代表になりました。
    長谷川 さて、本日のテーマは「多様化する〈幸福〉とテクノロジー」です。著書『データの見えざる手』(草思社)から6年。今日は、新会社ハピネスプラネットをリードし、幸福の可視化技術を追求する矢野和男さんと一緒に、データサイエンスを前提とした社会における人間の幸せについて議論したいと思います。
    宇野 まさにこの『データの見えざる手』っていう本が出たときに、僕は矢野さんの研究がものすごく面白いなと思ってインタビューを申し込んで、根掘り葉掘り聞かせていただいたんです。そこから5年経って、日立でずっと進められていた研究を、より広い社会に発信していこう、ビジネスを作っていこうということで新会社ハピネスプラネットをこの度設立されたわけですが、このタイミングで、ここ5年分のアップデートについてたっぷりと伺いたいと思っております。改めてよろしくお願いします。
    矢野 よろしくお願いします。
    多様化する幸福のあり方とは何か
    長谷川 それでは早速議論に入っていきたいと思います。今日は大きく二部構成でお届けします。まず前半では、今年6月に設立されたハピネスプラネットを中心にしつつ、矢野さんのこれまでのご活動についてお話をお伺いしたいと思います。後半では「withアフターコロナ時代における幸福の追求とは」というテーマで議論したいと思います。ということで、さっそく矢野さんからハピネスプラネットでの新しい取り組みについてお話をお伺いしてもよろしいでしょうか。

    矢野 わかりました。それではスライドで説明したいと思います。改めまして、矢野と申します。私、日立に入って36年になるんですが、幸せというテーマで仕事をするようになった必然性は全くなかったんです。「人生波乗りだ」って私はしょっちゅう言ってるんですが、入社してから20年ぐらい半導体の研究開発をやっていて、たまたま日立が半導体の事業を辞めたので、仕方なく違う分野の仕事をしなきゃいけないっていう状況になりまして。そこでこの幸せというテーマに携わるようになりました。
    宇野 そうなんですか。じゃあ、日本のものづくり産業が沈没していなければ、矢野さんは今のお仕事はされていなかったんですね。
    矢野 そうですね、ずっと半導体やっていましたからね。日立がその中でもわりと早く撤退して、20年間で培ってきた人脈やスキルを一旦すべてリセットすることになって。頼るものがなくなり先が何にも見えなかったので、大きくデータを扱うことを始めたらどうなるかなと妄想したんです。その時に目標が必要になるわけですが、たまたま私、学生時代からヒルティの『幸福論』(岩波書店、白水社)が大変好きだったので、幸福というテーマを扱い始めました。それがひとつの大きなきっかけになっています。

     先ほどお話しした、半導体をやっていたような頃は、きっちりいいものを作れば誰かが買ってくれるという時代だったと思うんです。ところが21世紀に入って豊かになり、一人ひとりが違うものを求めていますし、同じ人でも明日になると違うモノを欲しがるようになる。さらに、生きがいが必要だとか、あるいは人の役に立ちたいといった要求がより上になっている中で、まさに需要が複雑に変化し、多様性を認めないと価値が生まれないという状況になっていると思います。

     今まさにコロナでこういう変化が顕在化していると思うんですが、未来は予測不可能であるということに、企業も社会も国も全くまともに向き合っていない。ドラッカーが「未来について我々が知っていることは2つしかない。1つは、未来は知りえない。未来は我々が知っているものとも、予測するものとも違う」と言っていますが、これで終わってるんですよね。日立もそうですけど、ほとんどの企業は未来はある程度予測できる、計画できるという前提でやってるんです。

     そこで、前提を書き換えて、未来のことはわからないということを前提に、やってみないとわからないことは、ちゃんとやってみて、そこから学ぶというフローを繰り返すという、実験と学習をベースにしたほうがいいと私は考えています。私自身、20年間やってきた分野がいきなり断たれて、新しいことを始めなきゃいけないという時にまったく先が見えなかった中で、日々この実験と学習をやってきたわけです。

     この実験と学習をするということにおいては、今までのように作ったルールを守る、従うのではなく、常に廃棄し上書きするという仕事のやり方になります。でも、そのためには非常に精神的なエネルギーが必要なわけです。1998年にアメリカの心理学会でポジティブ心理学が始まってから、この20年ぐらい、幸せやポジティブな人間の行動に関する科学が非常に盛んになっていて、心理学にとどまらず経営学や組織行動、経済学に至るまで、今までのようなノイローゼだとかうつ病なんかを研究するような学問から、もっともっとポジティブなほうに移っています。幸せな人たちは生産性も高くクリエイティビティも高く、健康で離職しにくく、離婚もしにくく、幸せな人が多い会社は一株あたりの利益も18%も高い。幸せだから生産性が高いのであって、その逆ではないということもわかってきた。さらに、この中でどういう要因が効果的か、どういう要因が訓練や学習によって高められるかということも明らかになってきた。つまり、テクノロジーでリアルタイムで計測し、改善することが可能になってきたということです。
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  • 【今夜21時から見逃し配信!】矢野和男「多様化する〈幸福〉とテクノロジー」

    2020-09-26 12:00  
    今夜21時より、新会社ハピネスプラネットをリードし、「幸福の可視化技術」を追求する矢野和男さんをお招きした遅いインターネット会議の完全版を見逃し配信します。
    24時までの期間限定となりますので、ライブ配信を見逃した、またはもう一度見たいという方は、ぜひこの期間にご視聴ください!
    矢野和男「多様化する〈幸福〉とテクノロジー」 アーカイブ期間:9/22(火・祝)21:00〜24:00配信URL: https://www.nicovideo.jp/watch/so37537860
    著書『データの見えざる手』から6年。新会社ハピネスプラネットをリードし、「幸福の可視化技術」を追求する矢野和男さんと一緒に、データサイエンスを前提とした社会における人間の「幸せ」について議論します。
    ※冒頭30分はこちらからご覧いただけます。https://www.nicovideo.jp/watch/159851
  • 見えざる手が指し示す「幸福論」――データマイニングが導く普遍的価値とは? 『データの見えざる手』著者・矢野和男インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.440 ☆

    2015-10-29 07:00  
    220pt
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    見えざる手が指し示す「幸福論」――データマイニングが導く普遍的価値とは?『データの見えざる手』著者・矢野和男インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.29 vol.440
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは『データの見えざる手』の著者・矢野和男さんのインタビューです。ウェアラブルセンサによって収集した人間の挙動に関する膨大なデータを元に、すべての人間にとっての〈幸福〉を数理的に定式化するという、独創的な研究がもたらした知見についてお話を伺います。
    ▼プロフィール
    矢野和男(やの・かずお)
    1984年早稲田大学物理修士卒。日立製作所入社。
    1993年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功。
    2004年から先行してウエアラブル技術とビッグデータ収集・活用で世界を牽引。
    論文被引用件数は2500件。特許出願350件。
    博士(工学)。IEEE Fellow。電子情報通信学会、応用物理学会、日本物理学会、人工知能学会会員。IEEE Spectrumアドバイザリボードメンバ。日立返仁会 総務理事。東京工業大学大学院連携教授。文科省情報科学技術委員。
    1994年ISSCC 最優秀論文賞、2007年BME Erice Prize、2012年Social Informatics国際学会最優秀論文など国際的な賞を多数受賞。
    「ハーバードビジネスレビュー」誌に、「Business Microscope(日本語名:ビジネス顕微鏡)」が「歴史に残るウエアラブルデバイス」として紹介されるなど、世界的注目を集める。
    のべ100万日を超えるデータを使った企業業績向上の研究と心理学や人工知能からナノテクまでの専門性の広さと深さで知られる。
    2014月に上梓した著書『データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会』が、BookVinegar社の2014年ビジネス書ベスト10に選ばれる。
    ◎構成:稲葉ほたて
    1.追いつめられて始まった研究
    ――矢野さんのご経歴を拝見させていただくと、1993年に「単一電子メモリの室温動作に、世界で初めて成功」なんて書かれていました。元々は物理屋さんなんですよね?
    矢野:ええ、元々は物性物理の理論をやっていて、1984年に日立に入社してからは半導体の仕事をしていました。
    ただ、日立での仕事内容は転々としていて、半導体をやっていた頃でさえも分野は変わっていたし、メモリやプロセッサを手がけたり、設計データを扱うCADのソフトウェアを外販するベンチャー的な仕事をやったり、と色々とやってきました。
    ――『データの見えざる手』は、エンジニアとしての複数のレイヤーにまたがる視野に加えて、文系の素養が必要になる本なので、どういう経験を積まれてきた方なのだろうと思ったのですが、かなり手広くやってきたのですね。

    ▲矢野和男『データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』草思社、2014年
     

    矢野:ところが、私が社内で仕事をしている部屋は、入社した年から32年目の今日まで、ずっとこの取材を受けている3階なんです。おかしな話ですよね(笑)。その間にもぐるぐると同僚たちは移り変わっているのに、私はずっとここに一人。もちろん、社内的にも大変な記録です(笑)。
    ただ、その中でも一つだけ大きな転換点はありました。それは――2003年に日立が半導体事業を他社に譲渡したことです。ルネサステクノロジという会社ができて、その新会社へと私の同僚たちは多数異動していきました。でも、日立に残る側に私は入ることになりました。とはいえ、私が20年住み慣れた「半導体」という土地はもう社内にはない。何か全く新しい仕事をひねり出さなければいけなくなり、そこで目をつけたのがウェアラブルだったんです。
    今でこそ注目されていますが、『データの見えざる手』に書かれたことは、そういう始まりなんです。まあ、そうやって追い詰められた人たちがなりふり構わず考えて新天地を目指すと、意外と正しい結論に行き着くという一つの事例なのかもしれません(笑)。
    ――とはいえ、2003年の時点でウェアラブルは相当にぶっ飛んでいた気もしますし……それ以前に半導体の仕事との連続性が、あまり無いような(笑)。
    矢野:ええ。ただ、当時は本当に、残った連中で色々と議論したんですよ(笑)。
    みんな退路を断たれた挙句に、あれやこれやと考えた挙句に、「これからはデータの時代が来るはずだ!」という結論になって、とにかく突き進んでいったんです。当時はIBMが「eビジネス」を打ち出していたので、こっちは「データで“dビジネス”だ!」なんて言ってね(笑)。
    ただ、こういう研究に関しては私の積年の興味もあったんです。
    ――それは、ビッグデータへの興味ですか?
    矢野:いや、もっと広い話で、社会や人間を科学的に扱ってみたいという想いです。
    私が大学生の頃に、ドイツのヘルマン・ハーケンという人が『SYNERGETICS An Introduction ― 協同現象の数理 物理、生物、化学的系における自律形成』という野心的な本を書いて、話題になったことがあるんです。
    これは自然界から社会まで森羅万象を、数理モデルで表現しようとした本で、後の複雑系の議論なんかにも繋がる議論の先駆でした。率直に言ってあまりに早すぎた本で、この話題を扱うに足る道具もデータもなければ、何よりもコンピューティングパワーもなかった。まあ、今から見るとダメダメです。
    でもね、発想は実に素晴らしいんですよ。このハーケンという人は、レーザーの理論の研究者で、場の量子論のバックグラウンドがあるんですね。彼は、その数式に登場してくる相転移のようなシチュエーションが、自然界から社会現象までいろんな場所に見いだせるはずだと、大風呂敷を広げてみせたんです。
    当時の私は物理学科の学生でしたが、「ああ、こんなことをやりたいな」と憧れたのですが、ふと我に返ってみると……。
    ――具体的にどうすればいいかは分からない(笑)。
    矢野:ええ(苦笑)。
    そこで、私が選んだのは企業への就職でした。というのも、考えれば考えるほど、そもそも現実の社会を知らない人間が森羅万象を抽象化して捉える理論なんて扱えるんだろうか、と思えてくるんです。当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて言われていて、この日本の発展を牽引している大企業のサラリーマンが何かを知らずして、社会なんて分かるはずがないと思ったのもあります。
    宇野:ということは、もしかして現在の研究というのは、実は学生時代からの30年来の野望の達成ということですか?
    矢野:ええ、実はそうなんです!
    実際にプロジェクトを動かしてみると、大企業で色々な仕事をやってきた経験のお陰で、人間のデータを継続的に収集する仕組みを作るのは一しきり出来ました。
    しかも、プロジェクトが動き出した2006年に、試しに自分の腕に3ヶ月くらいデバイスを装着して、データを取ってみたんです。そうしたら、毎日のように寝るパターンが変わったり、お風呂に入るときのパターンが変わっていくのが可視化されたんです。
    しばらくすると、不思議な法則性も見えてきました。例えば、私が酔っ払うとなぜか「2.7ヘルツ」の腕の動きが増えるんですよ(笑)。さらに1年くらい毎日、幸福度を採点する項目をつけて腕の動きとの相関性を測定してみたら、2ヘルツくらいの帯域が多いときに、その日の数値が高いことが多いと分かってきたんです。
    こういうグラフを眺めながら、ふと今まで見たこともない風景を上空から見た気持ちになったんです。言葉では上手く見えなかった無意識が、まるで航空写真で初めて都市の風景が分かるように、身体運動のグラフによって表現されているように見えるんです――そうすると、20年前の野望が蘇ってくるんですね。
    ――今の自分なら、ハーケンの夢が叶えられるのではないか、と。
    矢野:ええ。人間に対するしっかりした理論がなかったのは、ひょっとしたら単にちゃんとデータを取っていなかっただけじゃないか。それをせずに、遠視のようにマクロな理論を勝手に作ってきただけなんじゃないかと――まあ、そういう妄想が頭の中で膨らんできたんです。
    しかも、最初に言われた「単一電子メモリの室温動作」という研究があったでしょう。あれは電子が複数個あるときの多体問題を解く研究なのですが、それを人間のデータでやればいいのではないか、と閃いたんです。そうやって研究してきた成果をまとめたのが、あの『データの見えざる手』なんですね。
    ――なるほど。普通、ウェアラブルの話というと、「Apple Watch」みたいな新しいメディアの開発みたいな話になっていくじゃないですか。それに対して、矢野さんはあくまでも人間の探求のために身体データを取得するツールとして扱っていて、そういう視点がどこから生まれたのか不思議だったんです。
    矢野:もっと人間や社会の法則の探求という感じですよね。ここまでの話にそういう志向は色濃く現れているように思います。
    2.数理化する社会の記述
    宇野:今日は矢野さんから、今後の人間や社会を考える上でのヒントになる話を探りたくて来たんです。
    この本は端的に要約すると、現代の情報技術を用いるとこれまで可視化されて来なかったさまざまなものごとがデータとして可視化される。そうすると、これまでは思想や文学の言葉でしか表現できなかったもの、たとえば「幸せ」なんてものも、まさに「データの見えざる手」によってかなりの程度まで定式化できてしまうわけですよね。こういうデータが示しているのは、人間の「幸福」というのはかなりのところまで定義可能なもので、しかもコンピューティングパワーさえ向上すれば、その基礎条件すらもハッキリと見えてしまう、という現実であるように思うんです。
    矢野:週刊エコノミストという雑誌で、吉川洋先生という経済学の大家の方に『データの見えざる手』の書評をいただいて、「実験経済学とか行動経済学などが盛んになってきた。しかし、それらは本書で説明されている分析に比べると児戯に等しい」という言葉をいただきました。
    もちろん、私は経済学は門外漢なのですが、こういう手法が発展したときの利点はいくつかあると思います。その一つが、人間の行動について「頭の中で作った理論」ではないので、地域や社会というかなり大きなスケールでの検証されれば、経済学を再構築できる可能性があることですね。
    例えば、物理学における力学の発展史などを見ると分かるのですが、計測データが取れるようになると一気に仮説検証のループは回りだして、世界観が一変するんです。なぜかといえば、データがあると誰もが信じざるを得ないからですね。例えば、リーマンショックのような特異的な現象に対して、現状で満足のいく理論的説明はないでしょう。でも、これがデータに裏打ちされた仮説から得た一般理論による説明がつけば、かなり強力な信頼性を持つと思うんです。
    あと、もう一つ言えることとして、既存の経済学というのは「競争原理が働いていて、完全競争が行われた場合には……」みたいな条件を人間につけて考えざるを得ないんですね。
    ――古くは「経済人」みたいな想定がありますよね。理論モデルとして扱いやすくするための想定なのですが、黒板に数式を書いて議論するしかなかった時代と違って、コンピュータ科学がこれだけ発達した時代には、当然もう少し複雑な想定が可能になってくるのは当然です。
    宇野:いままで思想や文学について語ってきた人たちの多くは一生懸命に「幸福とは一元的なものではなくて多様なものであって、不幸を好む人だっている。だから文化の多様性は大事だ」みたいな主張をしてきたわけですよ。逆に思想や文学の言葉で捉える人間観の方が相対的に淡白になっている。たとえば民主主義論ひとつとっても、意識の高い「市民」と低い「動物」のあいだ、エリーティズムとポピュリズムのあいだ、上院と下院、参議院と衆議院でどうバランスを取るか、ということしかやっていない。要するに人間像がかなり極端な2パターンしかない状態で議論しているわけですよね。
    矢野:でも、私は自分の研究をむしろ人間の「多様性」を認める方向のものだと捉えているんですよ。
    例えば、企業というのはマネジメントの際に、なるべく一律なプロセスを人間に守らせようとするじゃないですか。まあ、そこまで行かなくても、ベストプラクティスを共有して、みんなで真似することを奨励はするでしょう。
    ところが、私の『データの見えざる手』に書いたような研究から見えてくるのは、人間は同じ種類の原子のように振舞っていて一律に圧力をかければ同じ現象が起きる……という発想で見るのは、あまり上手くないということなんです。むしろ人間同士の違いを知り、その多様性を認めた上でコントロールを考えた方が生産性も上昇するというのが、データが教えることなんですよ。
    私は20世紀というのは、人間を画一化して一律的なルールを守らせることで、価値を向上させた社会だと思うのですが、それに対してデータを用いた新しい21世紀の社会は、より人間の多様性を認めて全体としてのハピネスを高めることで、価値を高めていくのではないかと思うんです。
    宇野:なるほど。例えば、経営学のマネジメントの本や自己啓発書というのは文化系の読書階級は心底からバカにしているわけですよね。
    矢野:はい、はい(笑)。
    宇野:彼らは、「ああいう本は人間をパターン化した思考と習慣の生き物へと矮小化しているのであって、人間はもっと自由でファジーな存在であるから素晴らしいのだ」みたいなロジックをずっと立て続けているんです。ただ、彼らの言うことにうなずける面もあって、これまでのマネジメントや自己啓発の本はマトモにデータを取得できなかった時代に、成功者が単なる体験談を自然科学の法則のように喋っていたものだと思うんです。
    ところが、もう既にテクノロジーの発展は遥かに先に進んでいる。人間がどうすれば脳を活性化できるかや、どうすればコミュニティが上手く回っていくかみたいな話は現実に学術の問題として扱われていて、しかもあっさりと科学的に証明され始めているわけですよね。
    矢野:その辺は、データの母集団の数を増やすことで、より明確化できそうだと感じています。私が取得しているデータは、特定の集団や会社くらいの規模の単位が多いのですが、もしも自治体と連携して、例えば東京都全体なんかで取れると、かなり普遍的な構造が見えてくるのではないかと期待しているんですね。
    宇野:少し変な話をさせてほしいのですが、僕が高校生の頃にオウム真理教の「地下鉄サリン事件」があったんです。そのときに社会学者の宮台真司さんがメディアで活躍されていたのですが、彼が奇妙なことを言っていたんです。もちろん、彼は社会学者として「あんなものは偽物の宗教だ」と批判しているんです。ところが、その理由が普通の人とは違っていて、「やっていることが生ぬるいからだ」と言うんです(笑)。
    というのも、実は宮台さんはオウムが登場するずっと前に、自己啓発セミナーにハマって、そのノウハウを完璧にマスターしたらしいんです。その彼からすれば、オウムは精神のコントロール技術が稚拙だし、だからこそ最後にはサリンを撒くことになってしまった、というロジックになるわけです。


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