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記事 24件
  • 井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第33回 叙述的共同注意のネットワーク

    2019-04-17 07:00  

    ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。ネット上に存在している他者との親密な関係の生成を促すシステム。ゲームは同様の媒介性を備えながら、同時に他者との衝突を本質とする面も持ち合わせています。容易には接合しえない諸要素からなるゲームの本質、その概念的な整理を試みます。
    4.2 叙述的共同注意のネットワーク
    4.2.1コミュニケーションとルール
     一時期、他人のひどくプライベートな話を様々な人から集中的に聞いていたことがあった。虐待から逃げてきた子の話、障害のある弟を抱える姉の話、トランスジェンダーの人の話。糖尿病で苦しんでいる人の話。同性愛者の人が結婚した人の親(義理の親)がまた同性愛者で、その義理の親にレイプをされていて悩んでいるという話を一晩じっくり聞いたこともあった。  カウンセラーの仕事をしていたわけではない。その話を聞いていたのはインターネットの中でも、とりわけ匿名性の高いチャットサービスに出入りしていた時のはなしだ。私とは、なにか全く違う人生を歩いている人たちが、同時代の日本のなかにこれほどいるのか、ということを知ることができるということが衝撃で、一時期はほんとうに毎晩通っていた。  性、病気、家族、借金。そういった、私的領域に関わることを、多くの人が私にむかって話してくれた。そこで、信頼されていたのは彼/彼女らにとって、見知らぬ私ではない。信頼されていたのは、私ではなく匿名性を担保するシステムのほうだ。  このサービスの匿名性はTwitterの匿名とは質が違う。Twitterでは固定のIDを原則として使い、人によっては実名と紐づけたアカウントを利用している。このサービスでは、固定のIDもない。ログも残らない。名乗り出ない限り、実名に辿り着かれることはなく、誰も実名を名乗らない。Pfitzmannらの概念【1】を借りるのであれば、リンク不能であり到達不可能【2】という意味での強い匿名性が担保されたサービスだということになるだろう。完全な「名無しさん」同士が会話をするというスタイルのサービスだ。別の例をいうのならば、「王様の耳はロバの耳」と叫ぶための穴のようなものだ。誰かに話してしまいたい自分の秘密を叫ぶための穴のような場所が、インターネットにはいろいろな形で存在している。
     そこで話される話は、5chやはてな匿名ダイアリーにはたまに書かれることはあっても、Twitterや、Facebookにはなかなか出てこない話だ。かつての2ch(現5ch)には獣姦や、自慰などについての具体的な体験談を綴った「名作」と言われる過去ログがある。確かに、獣姦が趣味だという人に会うことはまずないし、たとえ会うことがあったとしてもカミングアウトされることもまずない。極限まで匿名性が高く担保されたようなサービスは、ニュースになることはないが、インターネットのどこかで、今日も盛んに話されているはずだ。  よく知られているように、我々のコミュニケーションは、対話をする環境に大きな影響を受け、そのありようを変化させる。  フェイクニュースや炎上の問題など公共的な領域に関わる議論はもちろん、さきほど述べたように私的な領域にわたっても起こっている。初対面の私に向かってプライベートなことを話はじめる人はほとんどいないだろうが、高い匿名性が担保された場所であれば、人はふつう言えないようなことも言ってしまう。  行為を行わせる環境を信頼して行為の構造を変える、というのはネットサービスに限った話ではなく、むろんゲームでも起こっていることだ。  初対面の相手とトランプなどのゲームを通して仲良くなったという経験がある人は多いだろう。それほど社交力のない人にとっては、初対面の相手と仲良く話すというのはそれなりに面倒なことでもあるが、ゲームはその面倒な部分をうまくやらないでいいようにしてくれる。ババ抜きをするときに、相手にババを引かせたからといって相手の心証を悪くする心配はしなくてもいいし、自分が何者なのかといった自己紹介を相手の興味を測りながら話すようなこともしなくていい。多くのゲームでは、見知らぬ他人とゲームをすることは、それほど苦労のいることではない。法や、貨幣といったコミュニケーションを媒介する環境が、我々の社会におけるコミュニケーションの焦点を変化させ、複雑性を縮減するのと同様な形で、ゲームのコミュニケーションも機能していると言っていい。【3】
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  • 鷹鳥屋明「中東で一番有名な日本人」第18回 断交後のそれぞれの国〜牛乳とパトリオットミサイル〜

    2019-04-16 07:00  

    鷹鳥屋明さんの連載『中東で一番有名な日本人』。前半は断交後のカタール国内の様子です。現在、中東5カ国との交流を断っているカタールですが、トルコなどの支援と自国産業の育成により、物資は充分に供給されている様子です。後半は中東の武器見本市「IDEX」と最新の武器輸出状況から、中東諸国の軍事的パワーバランスを読み解きます。
    断行後に勃興するカタール地場企業
    第2回(参照)、第10回(参照)の記事でサウジアラビア、アラブ首長国連邦とカタールの断交について書かせていただきました。 私も所用があり断交後のカタールを久しぶりに訪問致しました。その中で第2回目の表紙写真を飾ったネオジオを楽しんでいたカタールのオタクや、カタールの友人たちと断行前後の様子を聞いたり、生活の変化について聞いたりしました。景気という点では断交の影響を受けた物資の高騰が考えられますが、政府の支援が入るので庶民の生活には大きな影響がない様子でした。
    ▲カタール内にあるSPARのスーパーマーケット
    スーパーマーケット内にあるものの多くは主にオマーン産、トルコ産やイラン産などが目立つようになりました。それと同時に自国の産業の育成に力を注いだ結果か自国産、カタール産のラインナップが増えました。
    ▲国交を持つ国々から輸入されたフルーツや果物が並べられている。
    ▲前回取り上げた雪見だいふくも大型になりました。日本円で約1000円
    ▲カタール産のトウフ約300円、左横にあるのはSHIMEJI約450円
    ▲DOHAマークのロゴが入るカタール産の鶏肉
    そして連載第10回には、ヨーロッパからの乳牛の大輸送とカタール自国の乳製品ブランドの確立について書きましたが、この約1年の間にカタールブランド「BALADNA」の躍進は目覚ましいものがありました。
    ▲「BALADNA」のショップに並ぶカタール乳製品の数々。カフェも絶品
    ▲各スーパーマーケットで陳列されている「BALADNA」の牛乳。政府補助もあり安価。
    また、カタール産ブランドには前述の「BALADNA」だけではなく「DANDY」「RAWA」という名前のブランドもあります。いろいろな販売店でそれぞれのブランドが切磋琢磨している印象がありました。サウジやアラブ首長国連邦との断交後、確保が難しかった乳製品はこの2年の間に育成され、カタール国内の乳製品の供給を充分にこなしていると言えます。
    ▲カタールへ乳製品を供給する「BALADNA」のトラック
    ▲各スーパーマーケットに並ぶヨーグルト(1kg 180円)BALADNAとDANDY
    また乳製品だけではなく、スーパーマーケットの中でカタール産の靴下を見つけました。湾岸諸国のほとんどの国で、繊維系の商品はエジプト産やインド産が多いですが、湾岸諸国の中で作られるケースは珍しく、政府補助を強く受けているとは言え、食品だけではない様々な製品の自国産育成を目指すカタールの姿勢を強く感じました。断交はまだまだ長く続くが、カタールはなかなかしぶとく生き残るのではないか、と感じるカタールのレポートでした。
    ▲カタール産の靴下、4足セットで700〜800円
    アラブ首長国連邦武器見本市「IDEX」
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  • 宇野常寛 NewsX vol.27 ゲスト:瀬崎真広「パラレルキャリアによる地方創生」【毎週月曜配信】

    2019-04-15 07:00  

    宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」(dTVチャンネル・ひかりTVチャンネル+にて放送中)の書き起こしをお届けします。3月19日に放送されたvol.27のテーマは「パラレルキャリアとしての地方創生」。NPO法人ZESDAの瀬崎真広さんをゲストに迎え、東京のプロボノであるZESDAが、石川県能登半島にある「春蘭の里」をいかに盛り上げていったか。その活動の詳細と、地域創生の理想的なあり方についてお話を伺いました。(構成:籔 和馬)
    NewsX vol.27 「パラレルキャリアによる地方創生」 2019年3月19日放送 ゲスト:瀬崎真広(NPO法人ZESDA) アシスタント:得能絵理子
    宇野常寛の担当する「NewsX」火曜日は毎週22:00より、dTVチャンネルで生放送中です。 番組公式ページ dTVチャンネルで視聴するための詳細はこちら。 なお、弊社オンラインサロン「PLANETS CLUB」では、放送後1週間後にアーカイブ動画を会員限定でアップしています。
    地方創生の成功例、春蘭の里の魅力
    得能 NewsX火曜日、今日のゲストはNPO法人 ZESDAの瀬崎真広さんです。瀬崎さんはパラレルキャリアで、プロボノとしての活動と本業がおありなんですよね。
    瀬崎 そのとおりです。私は某金融機関に勤めています。そこでの仕事ももちろん楽しいんですけども、それ以外の職域に囚われない、いろんな活動をしてみたいなと思っていまして、家庭と仕事以外の第三の場としてパラレルキャリアという選択肢をとっています。
    得能 今日のテーマは「パラレルキャリアによる地方創生」で、最初のキーワードは「ZESDAの取り組み」です。
    宇野 ZESDAとは何の略なの?
    瀬崎 これは略称で、最初のZがZipangのZですね。
    宇野 なんでJじゃないの?
    瀬崎 公共団体でよくJを使ってしまっているので、風変わりな代表がZにしようと考えて「Zipang Economic System Design Association」と名づけたと聞いております。
    宇野 ZESDAは具体的に何をやっているの?
    瀬崎 ZESDAはいわゆるプロボノ系の団体です。プロボノとは、本業の専門知識などを活かした公益性が高いボランティア活動ですね。
    宇野 ちなみにどんな人がいるの?
    瀬崎 プロボノはアメリカなどでは、弁護士やコンサルが集まって、専門知識を活かして公益性が高い活動をしようという団体なんです。その中でもZESDAは特徴的で、多様性があるんですね。商社マン、銀行員、コンサル、メーカー勤務者、学者の方など、いろんな職種の方がいます。そういう多様性のなかでのかけ合わせから、なにか価値のあるものをつくろうというような理念を持って活動しております。
    宇野 僕はZESDAの人たちと縁があって、何年も仲良くさせてもらっていて、その縁で石川県の春蘭の里に取材に行っています。春蘭の里は、ZESDAが関わった地方創生プロジェクトの中でも最大の成功例ですよね。前半は瀬崎さんに春蘭の里の取り組みなどをあらためて紹介してもらい、もう一回プロボノと地方創生というテーマの基礎知識を確認していきながら話していけたらと思っています。

    瀬崎 こちらは春蘭の里の場所を表しています。春蘭の里とは、そもそもは石川県の奥能登にある農家民宿群の呼称なんですね。今の流れで少子高齢化が進んでいくと、この地域の村落が消滅してしまうという中で、有志の方々がこの地域を創生していこうと民泊を始めたんです。石川県の奥能登は、遠いように見えるんですけども、実は羽田空港から1時間弱でアクセスできます。
    宇野 新幹線で金沢まで行くと、2〜3時間、余裕でかかるでしょ?だから、むしろ近いぐらいなんだよ。
    得能 めちゃめちゃ近いじゃないですか。通勤もやろうと思えば、できそうなぐらいの時間ですね。

    瀬崎 こちらが春蘭の里の農家民宿群の第一号なんですけども、多田喜一郎さんという全国的にも知られた、地方創生に取り組むリーダー的な存在の方のお家なんですね。
    宇野 多田さんは春蘭の里を成功させることによって、地方創生業界で超有名になった人だよね。俺はこの家に泊まった。
    得能 どうでした?
    宇野 すごくデカくて、中に囲炉裏があって、本当に昔の農家そのものという感じ。
    瀬崎 まさにそれがコンセプトです。昔ながらの農家はどこにでもある田舎の景色なんですけど、都会の人からすると新鮮な光景だったりします。また外国人の方からすると「これこそ日本文化」というふうに捉えてくださいます。そういう資源に着目して、この地域の長の多田喜一郎さんが農家民宿として立て直していこうとしたんですね。
    宇野 彼がどうやってそのアイデアに至ったかはわからないけど、自分たちで培ってきた生の生活がインバウンドの一番の武器になると彼は気づいたんだよね。彼はそれを自力で気づいたの?それともZESDAと話し合う中で気づいたの?
    瀬崎 20年ぐらい前に、多田喜一郎さんを含むその地域の有志の方々で考え出したことですね。
    宇野 素晴らしいね。
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  • 【インタビュー】森田創 知られざる「大衆文化」としての戦前プロ野球・中編(PLANETSアーカイブス)

    2019-04-12 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビュー中編をお届けします。戦前のプロ野球は、当時の東京都民にどのように受容されていたのか。洲崎球場と東京下町をホームとしたプロ球団の可能性や、当時人気絶頂だった大学野球と黎明期のプロ野球の関係について語ってもらいました。(聞き手/構成:中野慧)インタビュー前編はこちら ※この記事は2016年10月11日に配信された記事の再配信です

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■新聞社・鉄道会社と絡み合いながら発展した戦前プロ野球
    ――野球というスポーツの発展は、マスメディア、特に読売グループとの関係を抜きにしては語れないと思います。戦前から東京の下町地域で読売新聞がシェアを伸ばしていったということでしたが、そこには様々な背景があったわけですよね。
    森田 昭和10年代は東京の東側に市街地が拡大し新住民がたくさん移り住んできたわけですが、その地域を走っていたのが京成電鉄です。読売新聞社主の正力松太郎は、京成電鉄の社長だった後藤圀彦(ごとう くにひこ)と大親友だったんです。正力はこの沿線に着目して「谷津遊園」という遊園地や、谷津球場という巨人軍の練習場を京成と作ったんです。この谷津遊園は、今は「谷津バラ園」となっています。ちなみに浦安にディズニーランドができたのも、正力と京成電鉄の関係によるところが大きかったんです。

    ▲読売新聞社主(当時)の正力松太郎。プロ野球だけでなく、戦後のテレビ放送や原子力発電の普及において大きな役割を果たした。(画像出典)
     前回お話ししたように読売は、山の手のインテリの住む地域では朝日や日日新聞に勝つことができなかった。だから下町に目を付けたんです。しかも紙面も、小難しいことは言わずに誰でもわかるようなものにしたわけですが、なかでも興味深いのは日本の新聞で初めて「都内版」を作ったことです。その第1号が「江東区版」でした。何をやったかというと、冠婚葬祭のニュースや人探しとか、とにかく住民の名前を載せたんです。そうすると「ご近所の◯◯さんが新聞に出てる」ということで、住民の人たちも人情で買いたくなる。この企画のコンセプトは、「政治とか経済とかそういう小難しいことはいいから、『自分ごと』として新聞を読んで貰えるようにしよう」ということだったわけです。
     本紙のほうでも「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉を作って、そのテーマに絞って記事を作っていった。そういった取り組みが下町の庶民の心を捉えたんですね。
     発足当初のプロ野球って、そういった都市の発達・新住民の流入と密接に関係するビジネスだったんです。昭和11年のプロ野球発足時は、巨人、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、阪急(現・オリックス・バファローズ)、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)、名古屋金鯱軍、東京セネタース(西武を経営母体としていたが現在の埼玉西武ライオンズと直接の関係はない)、そして洲崎球場を本拠とした大東京軍(現在の横浜DeNAベイスターズの前身のひとつ)の7球団でスタートしたものなんですね。このうち巨人、名古屋軍、名古屋金鯱軍、大東京軍の4球団は新聞社を母体としていて、残りの3球団は鉄道会社を母体としていた。当時のプロ野球は本業だけで回収できるビジネスモデルではなく、鉄道会社は観客輸送による運賃増、新聞社なら新規読者の開拓による購読料収入増を織り込まないと、なかなか成り立たないものだったんです。
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  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第三章 ビーダマン(1)スナイパーが殺し屋にならなかった理由

    2019-04-11 07:00  

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は1993年にタカラ社より発売された「ビーダマン」を取り上げます。ボンバーマンのデザインをベースに、〈銃器〉を暗喩するような機能的進化を遂げた同玩具は、コミックス版において、ある種の倫理性を提示するに至ります。
    本稿では、1984年のトランスフォーマーが、アメリカ市場を睨んだ再ブランディングに際して「自動車」と「銃」の対立を軸に据えたことを指摘した。その後「魂を持った乗り物」という想像力はミニ四駆に引き継がれ、90年代をかけて機械に導かれる美学を描いてきたことを確認してきた。
    実はミニ四駆が「自動車」にまつわる想像力を発達させたのとほぼ同時期に、「銃」をテーマにして発展したもうひとつのおもちゃシリーズがある。それが「ビーダマン」だ。
    ボンバーマンというデザインに宿った両義性
    「ビーダマン」は1993年にタカラ社から発売された玩具である。初期のビーダマンの構造そのものはいたってシンプルで、背中のトリガーを押すことによって、腹部のホールドパーツに固定されたビー玉を撃ち出す(転がす)ことができるつくりとなっている。
    ビーダマンとしてもっともよく知られているのは、ゲームメーカーであるハドソンのキャラクター「ボンバーマン」をかたどったものだ。当初は「ドンキーコング」や「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」をはじめとして、変わったところでは衛藤ヒロユキのマンガ『魔法陣グルグル』のニケとククリなど、他のキャラクターを用いた商品も発売されていたが、最終的に発展していったのは、このボンバーマンをベースにしたデザインであった。
    初期のボンバーマンビーダマン(リンク先参照)
    ビーダマンのデザインについて考えるために、まずはボンバーマンのデザインが成立した経緯についてかんたんに整理し、そこにどのような要素が含まれていたのかから確認していきたい。
    ボンバーマンのデザインの起源について紐解く上で、1983年にアメリカのブローダーバンド社から発売された『ロードランナー』というゲームに触れる必要がある。このゲームはいわゆる棒人間的なシンプルなグラフィックで構成されていたのだが、日本では1984年にハドソンがファミリーコンピュータへの移植を行うことになる。ここでハドソンは、主人公の「ランナーくん」と、爆弾をあやつる敵ロボット(この時点では名前はまだない)のデザインを作り起こした。このロボットのドット絵が、ボンバーマンのデザインの起源となる。
    ▲左に3体見えるのが爆弾ロボット。右がランナーくん(引用元)
    ファミコン版のパッケージでは、ロボットはディフォルメされながらもSF色の強い、ややレトロなテイストのあるデザインになっている。このパッケージとドット絵のどちらが先にあったのかは不明だが、ともかくロボットであるというアイデンティティは明確だといってよいだろう。
    ▲ファミコン版『ロードランナー』のパッケージ。画面左側から迫るロボットがのちのボンバーマン(引用元)
    『ボンバーマン』と題された最初のゲームはファミリーコンピュータ向けに1985年に発売された。これは1983年にハドソンが開発したパソコン用ゲーム『爆弾男』のシステムに、『ロードランナー』の物語とキャラクターを組み合わせたものとされている。そのためドット絵そのものは流用で変更されていないのだが、パッケージのデザインは大きく変わっている。
    ▲『ボンバーマン』のパッケージ(引用元)
    『ロードランナー』と比較すると、全体的にデザインの解像度が上がり、やや「リアル」なものになっている点は興味深い。ヘルメットを被りバイザーから目が覗くという要素は共通であるものの、顔の造形には当時ヒットしていた『機動戦士ガンダム』の影響を見ることもできるだろう。
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  • 【インタビュー】奥野克巳 デジタルネイチャー時代の人類学 ──マルチスピーシーズが導く「制作論的転回」とは(後編)

    2019-04-10 07:00  

    今日のメルマガは、人類学者・奥野克巳さんへのインタビュー後編をお届けします。 現代社会に広く浸透している「多文化主義」。奥野さんは、現代はそこからのオルタナティヴとして、ヒューマンとノンヒューマンとの関係を探る「多自然主義」が台頭してきていると指摘します。落合陽一さんの提唱する「マタギドライヴ」と、文筆家・上妻世海さんの提唱する「制作論的転回」を、人類学の視点から解説します。(聞き手:宇野常寛・中川大地 構成:石堂実花) ※この記事の前編はこちら
    「存在論的転回」としてのデジタルネイチャー
    ーー最近の人類学がラディカルな多自然主義に向かっていく流れがある一方で、資本やテクノロジーに密着した人工知能のようなものをフラットな対象とすることに反発するようなアンチ・テクノロジー的な傾向は、人類学者の中にはありませんか? やはり人類学には左翼的な気分というか、文明化以前の弱者に肩入れする学という意識を持つ人たちもいそうなイメージが若干あるんですが。
    奥野 どうでしょう。最近は久保明教さんがAI将棋の話を扱った『機械カニバリズム』という本を出しましていますね。欧米でも徐々に、自然の中の動植物と結びついた精霊や神々だけではなく、人間が作り出したもの、例えば性の文脈であればラブドールやセックスロボットといったものに広がっている流れがあります。そういうものと人間との関係を考えていこうとする文脈が広がってはいるし、実際わたしの研究室の学生でもセックスロボットと人間の性愛の関係が近未来にどうなっていくのかを研究している学生もいます。
    ▲『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』
     だから、わたし自身はまったく抵抗感はないです。むしろそういったノンヒューマンなりポストヒューマンなりといった研究分野は、人間を超えた人類学の一部になっていくはずだと思います。
    ーーマルチスピーシーズ人類学の射程には、生物学的な意味では「種」とはみなされないものとの関わりも含まれるということですね。
    奥野 そうです。だから私は、『PLANETS vol.10』の落合さんと宇野さんの対談を読ませていただいて、すごく面白いと思いました。上妻世海さんなんかが言っていることにも非常に近い。多自然主義なんですよね。  文化人類学の多文化主義は、自己同一性が確保された安定的なところから、安定したものがいくつかあって、Aという文化からBという文化に出発して、差異そのものをとってきて、その蓄積の中から「これは普遍だ」というようなことを言ってきた。そうではなく、人間の計り知れない力を持ったものと対峙することによって自己変容する、といったことを含めた多自然主義的な自然観こそが面白いですよね。
    ▲『PLANETS vol.10』
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  • 【インタビュー】奥野克巳 デジタルネイチャー時代の人類学 ──マルチスピーシーズが導く「制作論的転回」とは(前編)

    2019-04-09 07:00  

    今日のメルマガは、人類学者・奥野克巳さんへのインタビュー前編をお届けします。人類学史において、人間以外の「他者」との関わりから新たに人間を捉えなおそうと「マルチスピーシーズ人類学」を提唱する奥野さん。議論は人類学の歴史から、落合陽一さんの提唱する『デジタルネイチャー』へと広がっていきます。(聞き手:宇野常寛・中川大地 構成:石堂実花)
    現代人類学は何を課題にしているのか
    ーーこのたび創刊された『たぐい vol.1』は、奥野さんが2016年から主宰されている「マルチスピーシーズ人類学研究会」を母体にした雑誌です。この年は、中沢新一さんが現代における「野生の思考(レヴィ=ストロース)」の再生だと位置づけてきた『ポケモン』の拡張現実ゲームが世界的なブームを引き起こしたり、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』が邦訳されてベストセラーになったりと、人類学的な視座から現代の情報技術文明の在り方を捉え直そうとする機運が大きく高まってきたタイミングでした。
     一方で、僕らが昨年刊行した『PLANETS vol.10』でも、落合陽一さんが「マタギドライヴ」というキーワードを提唱しています。これはつまり、デジタルネイチャー化した人工知能時代の情報環境では、人々の生き方はしだいに農耕民的なものから狩猟民的なものに近づいていくだろうという描像です。
     ですので、こうした情報テクノロジー環境における新たなライフスタイルを展望するにあたっては、奥野さんたちが進めている新しい人類学の知見が、これから非常に重要になっていくのではないかという予感を持っています。そこでまずは、現代の人類学がどのような状況にあるかの見取り図からお伺いしたいと思うのですが。
    ▲『たぐい vol.1』
    ▲『PLANETS vol.10』
    奥野 はい。雑誌の冒頭で人類学の現在についての論考を寄せていますが、20世紀初頭に確立された人類学には、われわれの文明とは異なる社会に出かけて、現地の「文化」を民族誌に記述するというスタイルが、イギリス人類学の立役者であるブロニスラフ・マリノフスキーらによって1920年代に制度化されました。  これが1980年代に入ると、アメリカ人類学からポストモダン的な反省モードが起こって、「再帰人類学」と呼ばれる時期がおよそ四半世紀続きました。要するに、近代的な観察者としての人類学者が、どこか局所的な地域に出かけて民族誌を生産するというシステムの正当性や権力性を自己反省していくモメントですね。
    ーーたとえばポストコロニアルやカルチュラルスタディーズなど、植民地主義を批判するような議論とつながっていったということでしょうか。
    奥野 そういうことですね。人類学としては、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』(1978年)の批判の流れを引き受けたわけです。一言で言ってしまえば、西欧側の一方的な東側、オリエントに対する表象をめぐる問題ですね。この問題は、人類学の持っている西洋から出発し非西洋をまなざすという学的態度とパラレルです。オリエンタリズム批判を人類学が引き受けて、文化を書くこと、民族誌を書くということはいかなることかについて反省し始めた。そこにさらにポストコロニアルのような権力構造みたいなものが入ってきて、ポストモダンと合体して、二段構造になっているんですね。それを受けて、人類学は反省するような再帰的なモードを持ったと。
    ▲『オリエンタリズム 上 (平凡社ライブラリー)』
    ーーなるほど。
    奥野 そうした英米の人類学の流儀に対して、フランスのクロード・レヴィ=ストロースがブラジルで1938年に始めたフィールドワークは、単に局所的な文化を記述するものではありませんでした。いくつかの地域を比較しながら、汎用性のある普遍的な要素を考察するというやり方を、『親族の基本構造』(1949年)から『神話論理』(1964〜71年)にかけての著作で展開し、構造主義人類学を確立して一時代を築きました。つまり、『神話論理』が提示したのは、いわゆる「未開社会」の局所的な文化を観察・記述することではなく、一見異なる表層をもった神話でも、そこに登場した要素を記号的に変形していくことで、その根底にはしっかりとした共通の構造が見出だせるという考え方ですね。
     この『神話論理』における構造抽出の核心にあるのは、自然と人間なんです。従来のマリノフスキー的な民族誌が人間内部の差異に着目していたのに対して、レヴィ=ストロースは人間内部ではなく、人間を超え出た自然と人間の関係をテーマとした。この立場を引き継ぐかたちで、レヴィ=ストロースの弟子たち、フィリップ・デスコラ、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ、さらにはブルーノ・ラトゥールらが20世紀の後半から21世紀に入って台頭してきます。彼らは、アニミズムの再定義やパースペクティヴィズム、さらにはもっと大きなテーマとしては多自然主義やアクター・ネットワーク理論といった、新たな論点を打ち出しました。
    自己反省モードからの脱却 人類学の現在形
    ーーつまり、現在の人類学は、西欧近代の伝統的な価値観への単なる自己反省的なモードから、もっと新たな価値をポジティブに模索し始めているということでしょうか。
    奥野 はい、内向きの自己反省モードから抜け出たという認識ですね。英米系の再帰人類学の自己反省的なモードが四半世紀続いて、そこを抜け出ようとする過程で、1990年代あたりには応用人類学や開発人類学といった領域が強くなりました。つまり、人類学には未開社会の知識が豊富にあるので、それは開発や国際協力の文脈で応用できるんじゃないかという流れになった。  しかしそれは、人類学を面白くなくさせたわけです。人類学というのはそもそも人間を考えるものであった。それは、現代社会の制度ややり方を前提としないということですよね。応用人類学や開発人類学が出てくると、その土地のことを良く知っている人類学者が関与し、第三世界に対しての開発協力をする。これは非常に実践的なものであって、再帰人類学をそもそも突破できてないんじゃないかっていう話ですね。
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  • 宇野常寛 NewsX vol.26 ゲスト:武藤真祐 「遠隔医療は社会をどう変えるか」【毎週月曜配信】

    2019-04-08 07:00  

    宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」(dTVチャンネル・ひかりTVチャンネル+にて放送中)の書き起こしをお届けします。3月12日に放送されたvol.26のテーマは「遠隔医療は社会をどう変えるか」。株式会社インテグリティ・ヘルスケア代表取締役会長の武藤真祐さんをゲストに迎え、オンライン診療と患者の医療情報の共有がもたらす、新しいヘルスケアの可能性についてお話を伺いました。(構成: 佐藤雄)
    NewsX vol.26 「遠隔医療は社会をどう変えるか」 2019年3月12日放送 ゲスト:武藤真祐(株式会社インテグリティ・ヘルスケア代表取締役会長) アシスタント:大西ラドクリフ貴士
    宇野常寛の担当する「NewsX」火曜日は毎週22:00より、dTVチャンネルで生放送中です。 番組公式ページ dTVチャンネルで視聴するための詳細はこちら。 なお、弊社オンラインサロン「PLANETS CLUB」では、放送後1週間後にアーカイブ動画を会員限定でアップしています。
    2018年、新たに保険適用となった「オンライン診療」とはなにか?
    大西 NewsX火曜日、今日のゲストは株式会社インテグリティ・ヘルスケアの武藤真祐さんです。よろしくお願いします。まず武藤さんとインテグリティ・ヘルスケアという会社についてお聞かせ頂けますでしょうか。
    武藤 私は循環器内科医で、心臓のカテーテルの治療とかをしていたんですけど、そのあとマッキンゼーというコンサルティング会社でコンサルティングをしていました。
    宇野 ちょっと待ってください。お医者さんだったんですよね? で、マッキンゼー行くんですか。なぜですか?
    武藤 当時、医療崩壊とか言われていて、医師は一生懸命働いているのに世の中からバッシングを受けているようなときで。それには何か構造的な問題があるんだろうなと思ってたんですけど、中に居てはよくわからなかったんで、一度外から見て問題解決とか少し勉強したら良いじゃないかなと思ってマッキンゼーに。
    宇野 フラっと行くみたいに入れる会社じゃないように思いますけどね。
    武藤 当時マッキンゼーでは専門家を採用する方針があって、医師もその一つでした。その流れに乗ったんだと思います。
    宇野 マッキンゼーは何年居たんですか?
    武藤 2年居まして、そのあと在宅医療のクリニックを文京区に立ち上げたのが2010年のことですね。東日本大震災があった2011年に宮城県の石巻にもクリニックを開設し、今では全部で5つのクリニックを運営しています。
    宇野 武藤さんの病院が遠隔医療というテーマに携わっているのはどういう経緯なんですか?
    武藤 医師をやっていると現場での課題というのが見えてくるんです。急性期の医療を10年、そのあとの10年は慢性期の医療、つまり在宅医療のクリニックをやってますので、外来や入院、在宅っていう医療の現場をそれなりに見てきたんですね。今の医療は良い面もいっぱいあるんですが、たとえば病院に行って医師と話をする時間ってほとんどないと思うんですね。
    宇野 確かにないですね。「風邪だね、じゃあ薬出しておくね」とか。僕、喘息持ちなんですけど、「いつものね」みたいな感じで聴診器ちょっと当てるだけで総診療時間1分半みたいな世界ですね。
    武藤 そのために患者さんはどのくらいの時間をかけているか考えると、病院に行って受付して、待って、診療を受けて、お薬もらって帰ってくると何時間もかかるじゃないですか。その割に医師が患者さんと接する時間は少ないですし、実は会って聞ける情報も本当に限られています。また患者さんには高齢の方も多いので、日常生活の中での症状など、いざ診察時には覚えてなくて、伝えていただけないこと多くあります。これは高齢の方のみならず、若い人でもうまく伝えることはとてもむずかしいものです。診察時に、治療に必要な情報をもっと聞けるような仕組みがあったらいいんじゃないかなって想いから、今で言う遠隔医療を2016年に始めました。
    宇野 園田愛さんという方がインテグリティ・ヘルスケア代表取締役社長をされていて、彼女と僕は同じ勉強会で一緒になって、武藤さんや園田さんの取り組みを教えてもらったんですが、全然僕知らなかったんですよ。ここ1、2年で医療がこんなに動いてることを。そういうことも含めて今日はいろいろ勉強させてもらおうと思ってお呼びいたしました。
    大西 本日のテーマはこちらです。「遠隔医療は社会をどう変えるか」。
    宇野 このテーマってあまり報道されてると僕は思わないし、注視されてるとも思わないんだけど、実はこの先の僕らの社会や人生を考える上で、すごく大きい問題だと思うんですよ。まずは知るところから始めて、最終的には僕らの健康とか介護をどう捉えたら良いのかというところまで議論できたらいいなと思います。
    大西 最初のキーワードにいきましょう。ひとつ目は「遠隔医療のいま」。
    宇野 議論のベースになる基礎知識の確認に付き合っていただきたいと思っています。そもそもオンライン医療というものが今どのような状態なのか、というところから教えていただきたいんですよ。
    武藤 まずは「遠隔医療」と「オンライン診療」って、それぞれどういうものなのか、っていうところから話を始めたいと思います。遠隔医療っていうと、「遠隔」なので基本的には医療が届きにくい離島の人とか遠く離れた所に住んでる人に医療を届けたいっていうコンセプトから始まっているんです。遠隔医療は20年くらい前からいろいろな試みがなされてきました。当初はたとえば看護師さんが大きなコンピュータを患者さんのところに持っていって、離れた都市部の病院から、先生がすごく遅いインターネット回線で「●●さん、お加減いかがですかー?」と診察をする、といったことからはじめていました。
    宇野 やってたんですか。あんまりそれもわかってなかったです。
    武藤 医師がほとんど居ないような場所にどうやって医療を届けるかっていうのは昔から課題で、ITをなんとか使おうという試みはあったんです。ただご存知のように回線も遅いし、やれることも限られていて。それがだんだんとインターネットが速くなって、スマホがあるような時代になってきました。定義の問題なんですけど、その中で遠隔医療は大きくふたつに分けられました。ひとつは医者と医者を結ぶ遠隔医療で、もうひとつは医者と患者さんを結ぶ遠隔医療となりました。  医師と医師というのは例えばどういうものかというと、レントゲンを撮ったときに画像が出ますよね。その画像を診断する放射線科の先生が、日本全国どこにでも居るというわけじゃないんです。医師が少ない場所では画像をインターネットで共有して、都市部に居る専門医が診断して返す、という医師間での遠隔医療というのはかなり前から導入されていたんです。そして今回、医師と患者さんの間で、インターネットを通じての診療、いわゆる「オンライン診療」ができるようになったのが、2018年。初めて国で認められました。
    宇野 僕も全然知らなかったんですけど、去年2018年がオンライン診療元年だったんですね。
    武藤 2018年にオンライン診療をどう使ったらいいか、何をしてはいけないかという国のガイドラインが決まりまして、4月からはオンライン診療に公的保険が適応されることとなりました。実はこれは国の医療のIT化という大きな流れの一部なんですね。このあと2020年までに様々な医療情報をつなぐプラットフォームを作る計画が進められています。さらに医療でのAIの活用や、患者さんが自分の医療情報を保有できるようにするとか、医療のIT化をどんどん進めることとなっていて、オンライン診療はその中の最初の一歩という位置づけになるかと思います。
    オンライン診療によって変わる医師と患者のコミュニケーション
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  • 【インタビュー】森田創「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球・前編 (PLANETSアーカイブス)

    2019-04-05 07:00  

    今朝のPLANETSアーカイブスは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューです。戦前に始まったプロ野球の名勝負の舞台となったのが、現在の東京都江東区にあった「洲崎球場」でした。なぜ東京の東側でプロ野球文化が芽吹いたのか? 東京の都市構造やメディア環境の変貌が、大衆文化に何をもたらしたのかを語ってもらいました。(聞き手/構成:中野慧) ※この記事は2016年10月12日に配信された記事の再配信です

    森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
    ■関東大震災、幻の「1940年東京五輪」と野球人気の高まり
    ――森田さんの『洲崎球場のポール際』は、草創期のプロ野球の歴史を、現在の東京都江東区にあった「洲崎(すさき)球場」を中心に描いていくというものでした。プロ野球は私たちにとっては生まれたときから当たり前にあったものであるがゆえに、どういう経緯を経て今の形になっているのかって、実はあまり知られていないのではないかと思います。
     そこで今回は、野球が文化や社会の状況とどのようにして絡み合いながら今のものになったのか、そこにどんな可能性があったのかについて伺っていければと思います。森田さんはもともとこの本を執筆する前から、戦前の野球に強く興味を持っていらしたんでしょうか?
    森田 もともと野球のなかでもプロ野球が好きでしたので、戦前に限らずどの時代も興味があったのですが、やっぱり戦前は記録も少なくてミステリアスですし、「伝説の大投手」沢村栄治【1】をはじめとして戦死してしまった選手も多くいて、悲劇的な部分もありますよね。そういうところに神話的な憧れを持っていた、ということはあるかもしれません。
     この本を書くに至った理由は単純で、それまでずっと狂ったように会社の仕事をしていたんですよ。劇場を作る仕事だったので、まさにプロ野球と同じ「興行」についてずっと考えている毎日で。その仕事がひと段落して、「何か違うことがやりたいな」と感じていたときにたまたまプロ野球の失われた球場についての本を読んで、「プロ野球は洲崎球場で始まった」ということを知ったんです。面白そうだからもっと調べてみようと思ったんですが、あまり資料も残っていないし、ほとんど何もわからなかった。それでムキになって調べているうちに、会社で本を作る仕事をしていた人に「そんなに調べているんだったら、本を書いてみれば?」と言われて書き始めた、という感じですね。

    【1】沢村栄治:1934年に行われた日米野球でメジャーリーグ選抜と対戦して好投し、その後始まったプロ野球では巨人でエースとして活躍したが、日中戦争・太平洋戦争に従軍し1944年に27歳の若さで戦死した。背番号「14」は巨人の永久欠番となっている。なお、漫画『ダイヤのA(エース)』の主人公・沢村栄純の名前は沢村栄治へのオマージュ。

    ――戦前から東京都内には野球場がいくつかあったようですが、洲崎球場のように戦後にはなくなってしまった球場って他にあるんですか?
    森田 戦前で消えたのは洲崎球場だけですね。もともと昭和15(1940)年に東京でオリンピックが開催されるはずだったんですよ。日本の戦前の都市計画って、そのオリンピック構想に縛られているところがあるんです。まず今の東京の原型となったのは、大正12(1923)年の関東大震災後の「帝都復興計画」ですね。そのときに、昭和通りとか地下鉄銀座線とか、今でも使われているインフラでももっとも古いものができました。その後、いわば「第二期」の都市計画のベースになったのが昭和15年の東京五輪です。この「幻の東京五輪」は、昭和11年の7月31日に開催が決定し、実は今の駒沢オリンピック公園――昭和39(1964)年の東京五輪でも使われたところです――にメインスタジアムを置く計画でした。ところが昭和13(1938)年、日中戦争の激化とともに泣く泣く中止となってしまいました。
    ――当時の駒沢って、今のように住宅街だったわけではないんですよね。
    森田 もう、ほとんど『北の国から』みたいな感じですよね。牛の鳴き声が聞こえるような。ただ、昭和15年の東京五輪計画って、昭和39年の東京五輪でも多くの部分が踏襲されていたりするんですよ。馬事公苑で馬術をやるとか、戸田公園でボートをやったのもそうですし、39年の東京五輪では女子バレーボールが「東洋の魔女」と呼ばれて金メダルを獲得したわけですけど、あれも駒沢の体育館で行われました。なぜ駒沢に巨大な体育館が作られたかというと、やはり昭和15年の東京五輪計画を踏襲したからですね。
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  • 本日20:00から放送!宇野常寛の〈木曜解放区 〉 2019.4.4

    2019-04-04 08:30  
    本日20:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉

    20:00から、宇野常寛の〈木曜解放区 〉生放送です!〈木曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「新生活」今週の1本「ひよっこ2」アシナビコーナー「たかまつななの木曜政治塾」and more…今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日4月4日(木)20:00〜21:30☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:たかまつなな(お笑いジャーナリスト)
    ▼ハッシュタグ
    Twitterのハッシュタグは「#木曜解放区」です。
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