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記事 58件
  • 【春の特別再配信】 『この世界の片隅に』――『シン・ゴジラ』と対にして語るべき”日本の戦後”のプロローグ(中川大地×宇野常寛)

    2017-05-29 07:00  
    550pt

    第7弾となりました「2017年春の特別再配信」、話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」をお送りします。今回のテーマはアニメ映画『この世界の片隅に』です。戦時下の一人の女性の視点を通して個人と世界の対峙を描き、大好評を博した本作。しかし、その出来の良さゆえに逆説的に明らかになった「戦後日本的メンタリティの限界」とは?(構成:須賀原みち/初出:「サイゾー」2017年1月号/この記事は2017年1月26日に配信した記事の再配信です)宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。
    延長戦はPLANETSチャンネルで!


    (出典)

    ▼作品紹介
    『この世界の片隅に』
    監督・脚本/片渕須直 原作/こうの史代 出演(声)/のん、細谷佳正ほか アニメーション制作/MAPPA 配給/東京テアトル 公開/16年11月12日より全国順次
    1944年の広島県呉市。広島市で育ったすずは、知らない青年のもとに嫁いできた。戦争が激化し、呉もたびたび激しい空襲を受ける中で、絵を描くことが好きで得意だったすずが生活を守ろうとする姿と、ある出来事によってふさぎ込んでゆくさまを描く。
    08年に単行本が刊行された、こうの史代の代表作のアニメ化。劇場版製作に至るまでのクラウドファンディングという手法も話題となった。

    中川 本作は、『シン・ゴジラ』と対にして語るのに今年一番適した作品だと思いました。『シン・ゴジラ』は日本のミリタリー的な想像力が持ってきた最良の部分をリサイクルして、従来日本が苦手といわれてきた大局的な目線での状況コントロールに対する夢を描いていた。一方で、『この世界の片隅に』は『シン・ゴジラ』で一切描かれなかった庶民目線での大局との向き合い方を描ききった。この両極のコンテンツが2016年に出てきたことは、非常に重要です。
     すでに多くの人が語っていますが、雑草を使ってご飯を作るような戦時下の生活を“3コマ撮りのフルアニメーション”に近い手法で丹精に描くことにより、絵として表現できる限りの緻密さと正確さで日常描写を追求するという高畑勲の最良の遺産を、見事に現代的にアップデートしていた。そうした虚構の力によって、劣化していく現実へのカウンターを打てていたのは、素晴らしいと思う。
    宇野 片渕さんは高畑勲的な「アニメこそが自然主義的リアリズムを徹底し得る」というテーゼを、一番受け継いでいる人なんだと思う。高畑勲が前提にしていたのは、自然主義とは要するに近代的なパースペクティブに基づいた作り物の空間であるということ。だからこそ、作家がゼロから全てを生み出すアニメこそが自然主義リアリズムを貫徹できるという立場に立つ。対する宮﨑駿は、かつて押井守が批判した「塔から飛び降りてしまうコナン」問題が代表する反自然主義的な表現、彼のいう「漫画映画」的な表現こそがアニメのポテンシャルであるとする。
     片渕さんの軸足は高畑的なものにあるのだけど、『アリーテ姫』【1】や『マイマイ新子と千年の魔法』【2】がそうであったように「アニメだからこそ獲得できる自然主義リアリズム」をストレートに再現するのではなく、常に別の基準のリアリズムと衝突させることでアニメを作ってきた。比喩的に言うと、本作はその集大成で、“高畑的なもの”と“宮﨑的なもの”がひとつの作品の中でぶつかっていて、しかもそれがコンセプトとして非常に有効に機能している。そういう意味で、戦後アニメーションの集大成と言ってもいいんじゃないかと思いますね。

    【1】『アリーテ姫』:01年公開の、片渕監督の出世作。制作はSTUDIO 4℃。
    【2】『マイマイ新子と千年の魔法』:09年公開。片渕監督の代表作。制作はマッドハウス。

    中川 そうした大前提の上で、原作が持っていたコンセプトとのズレや違和を語るなら、こうの史代の幻想文学性とでもいうべきものが、映画では児童文学性に置き換えられて失われてしまった部分もある。片渕さんは「子どもだから見ることのできる世界」といった児童文学的なものへのこだわりが非常に強く、これはむしろ“宮崎的なもの”に近い。
     『この世界の片隅に』は、周りから大人になることを押し付けられて嫁に行ったすずさんの日常の鬱憤が、最終的に戦争という理不尽さの受け止め方につながる構造になっている。映画では周作と水原哲に対するすずさんの目線は、子どもでいたかった人が大人の性愛関係を拒絶するように描かれている。それは、片渕さんがすず役の声優として、『あまちゃん』以来ユニセックスなイノセンスを持ち続けているのんという女優にこだわったことにも表れています。でも、こうのさんはミニマムな人間関係の中で表出する世界の残酷さに対する感性が非常に高い人で、『長い道』【3】でも描かれたように、こうの作品のヒロインは大人の性愛関係を前提に織り込んだ上で、男性との間の丁々発止のバーター関係を築いている。その違いが、片渕さんによるこうの史代解釈の限界とも感じました。

    【3】『長い道』:訳ありで結婚した夫・壮介と妻・道の、穏やかだが奇妙な生活を描いた短編連作集。01~04年連載。


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  • 神話構造論を揺り動かすCLAMPキャラクターの物語生成力/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(7)【不定期配信】

    2017-05-26 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、『コードギアス』が今もなお男女双方から人気を集めている要因を、「CLAMP原案キャラクターがもつ機能」に着目して読み解きます。(※5/29(月)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 2017年の春映画をがっつり総括します。視聴ページはこちら)

    いまだ根強い人気を誇る『コードギアス』と『カードキャプターさくら』
     2017年は日本のアニメーション100周年にあたり、歴史を振り返る企画が色々立てられています。1917年の『なまくら刀』(現存する最古作品)など貴重な作品を見ることができるアーカイブサイトの「日本アニメーション映画クラシックス」、そして初期アニメーション史についての現在の成果を知ることができる京都国際マンガミュージアムの「にっぽんアニメーションことはじめ~「動く漫画」のパイオニアたち~展」を挙げることができるでしょう。
     そしてNHKのサイト「ニッポンアニメ100」の関連企画でweb投票が行われ、5月3日に集計結果が発表されました。同一タイトルであってもシーズンごとに別集計、劇場版もそれぞれ別作品とみなすというルールのためもあってか、ベスト10に『TIGER & BUNNY』と『ラブライブ!』が3つずつ現れるという結果になってしまい、そこに歪みをみた人も少なからずいたようです。本連載の観点から注目されるのは、『コードギアス反逆のルルーシュ』(一期)が総合7位にランキング入りしていることで、男性だと10位、女性だと8位になります(『R2』は総合15位、男性31位、女性9位)。様々なバイアスが予想されるとはいえ、これはかなり高い順位であり、本連載の観点からも興味深い結果です。
     このランキングで示唆的なのは、『コードギアス』と『カードキャプターさくら』の高評価が連動しているように思われることでしょうか。『カードキャプターさくら』は総合8位、男性20位、女性7位となっており、NHKで放映された魔法少女ジャンルものということもあって、CLAMP作品では最も広範な層に受け入れられた作品です。かつては主人公さくらが「萌え」の典型として語られたこともありましたが、現在振り返ってみると最も興味深い要素は、作中に現れる「カップリング」が、性差や年齢など、考えうるあらゆる組み合わせから成り立っていて、それらがすべて「当たり前」のものとして成立しているところだと思います。CLAMP作品ではしばしば「必然」が強調されるため、「いったいなんの必然性が主張されているのか」の内容次第では「自由」の余地が狭まるように思えるかもしれません。けれども『カードキャプターさくら』が明確に示しているように、実質的には「実社会では周縁化させられてしまう関係性」もまた必然だと主張しているわけで、多様な関係性のあり方が肯定されていたわけです。
    CLAMPキャラクターが起こした化学反応
     『コードギアス』をロボットアニメとしてみたときの興味深い異質性として、アッシュフォード学園要素があることについてはすでに触れました(猫のアーサーに仮面を奪われるピンチで話を作るなど)。要するに、戦争をしながら学園生活を送るという、一見無茶な設定から生まれるエクストリームな展開が、本作に独自の魅力を与えているわけです。近作『ID-0』(2017)を含めた他の谷口悟朗監督作品が、基本的には手堅い人間ドラマを繰り広げるものであるために、『コードギアス』のキャラクターたちの「相関図」の錯綜ぶりが際立っています。その理由としては、先に『カードキャプターさくら』についてみたような、CLAMP原案であるがゆえに可能となったキャラクター配置があるのではないかと考えています。
     『コードギアス』は時期的には『xxxHOLiC』の頃のデザインで作られていますが、スザクに『カードキャプターさくら』の李小狼のような「正統派ヒーロー」を期待した人は放映前には(放映中も)けっこう多かったように思います。けれども実際にはご覧の通りで、「ダークヒーローのルルーシュと正統派のスザクが対峙する」という展開にはなりませんでした。むしろスザクのほうが「闇」が深いキャラだったため、いい意味でトリッキーな展開を生んでいたわけです。これはCLAMPがシナリオをやっていたらまずありえないことで、また他の谷口悟朗監督作品でも起きていないことです。シリーズ構成の大河内一楼やシナリオの吉野弘幸が『コードギアス』以後に担当したアニメには、一部「ポストギアス」的なエクストリームな人間ドラマもみられますが、必ずしもうまくいったとはいえません。つまりここにはある種の「ケミストリー」が生じているわけです。そこにはCLAMP的な「必然性」を主張するキャラクターたちが織りなすドラマの力が大きく作用しているのではないでしょうか。

    ▲「週刊少年マガジン」で2003年から連載開始したCLAMPの『ツバサ―RESERVoir CHRoNiCLE』では、小狼のCLAMP的ヒーローキャラクターとしての側面が強く出ている。(画像はAmazonより)

    ▲『コードギアス』の枢木スザク。『ツバサ』連載初期の小狼のキャラクター造形からの影響を感じさせる。(画像はアニメ公式サイトより)
     例えばスザクの乗るランスロットのメカニック担当のロイドは、この種のアニメによく出て来る、すべてをモノ扱いする一種のサイコパスじみた科学者ですが、その信念が徹底されている結果、「イレヴン」である日本人のスザクを差別することもなく、フラットに能力主義で評価する好人物となっています。他方ロイドの弟子となる同じく眼鏡キャラのニーナは、名字が「アインシュタイン」であることに始まり、ロイドと対比的に造形されており、科学的天才であるとともに明確に「イレヴン」を憎悪するレイシストでもあり(とはいえそこには日本人に暴行されかかったという明確な理由があるのですが)、大量破壊兵器「フレイヤ」を開発し、日本に投下するに至ります。このように明らかに視聴者の感情を逆なでする役割を担うキャラなのですが、他のアニメであれば無残な最期を遂げてもおかしくないにもかかわらず、終盤ではルルーシュと手を結ぶという展開が控えています。

    ▲『コードギアス』のロイド・アスプルンド。(画像はアニメ公式サイトより)

    ▲『コードギアス』のニーナ・アインシュタイン。(画像はアニメ公式サイトより)
     『コードギアス』のキャラたちには、すべてある種の「類型」が期待されており、多くの場合はその期待に沿って動いていきます。けれども重要な場面では「テンプレ」的なシナリオから逸脱していくために、正負の両面で強い印象を残すのではないでしょうか。典型的なのは扇要の扱いでしょう。初期は優柔不断ながらも抵抗運動の良心を担い、無力でやや「無能」ながらも優しい良心派キャラに落ち着くとみられていましたが、最終的にブリタニアのヴィレッタと結婚し、日本の首相になるという「一人勝ち」状態に至る過程における数々の「クズ」なふるまいもあり、おそらく作中最も嫌われたキャラです(新シリーズにおける扇の扱いがいったいどうなるのかは、興味を惹くポイントの一つです)。ニーナや扇をめぐる『コードギアス』ファンの感情の揺れは、他のアニメであれば作品人気そのものを危機に晒すおそれのあるタイプのものですが、政治的要素のシャッフルも含めて、特定タイプのキャラに対する好悪感情をも「等しく逆なで」しているのが興味深い特徴となっています。つまり、どんな人であっても作中キャラの誰かの言動に苛立ちを覚えるように人間関係が構築されているわけです。

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  • 『コードギアス』の複層的シナリオ展開はなぜ可能になったのか/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(6)【不定期配信】

    2017-04-20 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、キャラクター劇とポリティカル・フィクションを巧みに両立させた『コードギアス』のシナリオ展開について考察します。(※4/24(月)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 2017年冬クールのアニメを徹底総括します。視聴ページはこちら)

    時間の経過とともに可能になりつつある名作ロボットアニメの評価

     前回の配信直後、2017年3月17日に『交響詩篇エウレカセブン』の劇場版三部作(『ハイエボリューション』)が発表になりました。この符合には少し驚きましたが、『エウレカセブン』と『コードギアス』の比較が、2010年代後半に再び可能になるということで、にわかに現代性を帯びてきた感があります。現状で『ハイエボリューション』の興味深いところと不安点を簡単に挙げると、テクノユニットのHardfloorから新曲「Acperience7」を提供されていることは興味深いと言えるでしょう。パワーバランスの変化ゆえに可能になったところもあるとはいえ(”Anime”の存在感など)、オリジナルにおける「サブカル的意匠」の意味合いもリブートしていく意気込みをみることができるからです。不安点としては、すでに『エウレカセブンAO』という後日談があるために、『コードギアス』と比べると三部作の出口にかなりの縛りがかかっていることでしょう。いずれにせよ、旧作のリブートとはいえ、思わぬ形で「2010年代のロボットアニメ」が活気付けられた印象があります。
     もう一つロボットアニメ関連の興味深いニュースとしては、マクロス35周年プロジェクトとして『マクロスF』のシェリル・ノームの新曲発表が挙げられます。こちらは『マクロスΔ』の直後ということもあり、『マクロスΔ』は『マクロスF』のインパクトを超えられなかったのか、という雰囲気も若干漂いますが、アイドルアニメの源流の一つでもある『マクロス』シリーズの強みが出ているように思います。
     さて、だいぶ長々と周辺事情へと迂回した感はありますが、『コードギアス』の意義を改めて考えてみましょう。日本アニメ史における『コードギアス』の位置は、冷静にみるならば「SクラスとまではいえないAクラスのヒット作」(『クリティカル・ゼロ』より)といったところでしょう。ロボットアニメの中では『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』と同等のインパクトを後世に残したとまでは言えないが、ジャンルの歴史では大きな存在感を持ち、ゼロ年代アニメの中ではかなり人気のあった作品、といった認識が共有されているように思われます。
     私もおおむねそうした見解には同意なのですが、今回改めて見直してみたところ、たとえSではないにせよAAないしはAAA作品とみることができるのではないか?と主張できるように思います。むしろ、『コードギアス』以後の十年間によって(『魔法少女まどか☆マギカ』が事後的にサブジャンルを生み出し、アニメ史的意義を増したように)重要性を増したとみています。これはちょうどヒット作でありながらかなり批判されていた『ガンダムSEED』が、今では古典の一つとなっているように、『コードギアス』についても時間を経た評価の変化をみてみたうえで、現代的意義について考えてみたいということです。
    トリッキーな主人公としてのルルーシュ
     『コードギアス』を雑にまとめてしまうならば、「もしも夜神月が妹を守るために「優しい世界」を求めたとしたら?」となると思います。ルルーシュの造形が『DEATH NOTE』の夜神月をヒントにしていることは明白ですが、そこに加えられたアレンジが、他の数多あるデスゲーム系作品と一線を画する結果となっているのでしょう。シナリオのメインプロットや諸勢力がどんどん移り変わっていったようにみえる『コードギアス』ですが、「妹のナナリーを守る」という軸は最初から最後まで徹底していて、しかもそのようなシスコン要素についても、終盤では一捻り加わえられているんですね。「優しい世界」は、今ではろくでもないネットミームになってしまっていますが、もともとはコードギアスのルルーシュが求めた世界を指していました。夜神月には妹がいますが、特に守るべきキャラというわけではありませんでした。いずれもピカレスクロマンとして描かれつつも、ルルーシュの行動原理が「妹ファースト」であるところは、ややもするとヌルくなりかねないわけですが、『R2』の18話から19話にかけて、「第二次東京決戦」の結果ナナリーの安否が不明になったため、せっかく成立した「超合集国」を台無しする勢いで取り乱し、部下一同をドン引きさせるという展開を混ぜることで、「妹ファースト」の危うさを、終盤の物語を加速させるモチーフとして活用していました。
     このように、『DEATH NOTE』フォロワー作品の多くと比べても、今なお設定の絶妙さが光る『コードギアス』ですが、これから初めて見る人にとっては、作画の面では必ずしも新しさが感じられないかもしれません。原案をCLAMPが担い、木村貴宏がデザインしたキャラクターは個性的で、今でもファンが多いですが、ゼロ年代アニメをヴィジュアル面で刷新した京アニやシャフトの作品と比べると、画作りの点ではやや古くみえるかもしれないと思います。『ガン×ソード』の延長上にあるといえばよいでしょうか。なので、『コードギアス』がゼロ年代アニメの諸要素を結集させているといいつつも、画面設計などの点では90年代後半からゼロ年代前半にかけてのアニメに近いところがあるかもしれません。

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  • 【春の特別再配信】実写版映画公開(勝手に)記念! 宇野常寛×吉田尚記が語り尽くすパトレイバーの到達点と限界

    2017-04-17 07:00  
    550pt

    「2017年春の特別再配信」と題しまして、「アニメ」をテーマに編集部のおすすめ記事を再配信します。今回は 2014年に上映された実写版映画「機動警察パトレイバー」をめぐる、ニッポン放送アナウンサー吉田尚記さんと、弊誌編集長・宇野常寛の対談です。パトレイバーをこよなく愛する二人が語る、その到達点と限界、そして、いまパトレイバーに宿る可能性とは――!?(構成:三溝次郎/本記事は2014年4月17日に配信した記事の再配信です) 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。延長戦 はPLANETSチャンネルで!(延長戦のタイムシフトは2017年4月18日(火)23:59まで)

    10年以上ぶりの新作となる実写版『THE NEXT GENERATION パトレイバー』も公開され、話題沸騰中の「機動警察パトレイバー」。劇場版第二作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を人生でもっとも愛する映画の三本のひとつに掲げる批評家・宇野常寛が、またしても(勝手に) 実写版映画の公開を記念して対談を行います。
    今回の相手は、宇野をして「自分の数倍パトレイバーを愛している男」と言わしめるニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さん。パトレイバーを愛しすぎた男二人が語り倒す、その到達点と限界。そして現代日本に必要とされる“パトレイバー”とは……?

    ▲THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章 [Blu-ray]
    ファースト・インプレッション~二人のパトレイバー体験
    宇野 よっぴーのパトレイバー初体験は?
    吉田 初体験は、たぶん初期OVAシリーズの1巻なんですよ。当時いた中高一貫校で、アニメーション研究会の人たちが上映会をやっていたのですが、たまに『トップをねらえ!』や「パトレイバー」をみたいなマイナー作品をやっているときがあって、そこによく通っていたんです。
    そこで、たまたま初期OVAがまだ最後まで出切ってない時期に観ました。そのときから、パトレイバーは僕にとって人生で一番面白い作品です。もうどっぷりハマって、現在に至るまで飽きない。中学生くらいの頃って、そういうことがあるじゃないですか。
    初めて企業ドラマや産業ドラマのような作品を観たのが、パトレイバーだったんです。現代社会と地続きにある大人の物語を、初めて自分でチョイスしたのだと思います。
    僕は、『機動戦士ガンダム』を子どもの頃に浴びるように見ている世代なんです。でも、ガンダムは、自分でチョイスして観たものではない。そりゃ街に行けばガンダムの駄菓子はいっぱい売ってるし、ガンプラはおもちゃ屋に山のように積んであるし、チャンネルをひねるとしょっちゅう再放送をやってる。でも、そういうものとしてあるだけで、やはり僕らからするとガンダムはチョイスしたものではなかったんです。
    しかも大抵は、中学高校になったときに、みんな一回アニメを卒業するじゃないですか。そのときに、卒業した子に「幼稚だよ」と言われても、卒業していない子の側だった僕が「いや、全然幼稚じゃないじゃん」と返せるコンテンツだったんですよ。
    宇野 僕の場合は、最初に触れたのは、たぶんTV版ですね。小5か小6のときで、最初に観たのは第2話だったんですよ。第二小隊が召集されて配置決めのために模擬戦をやる話で、遊馬が野明にわざと負けてやったり、野明と香貫花が無駄に対抗意識を燃やして決勝戦で張り合ったりするんですよね。そんな若者の微妙な人間関係を後藤隊長が「これからどうしようかな」と見ている。そういう雰囲気が今までのアニメになかった感じがして、引き込まれていったのが最初ですね。だから当時は、なんとなくリアルで大人っぽいドラマとして興味をもったんですよ。当時のテレビドラマはトレンディドラマの全盛期だったので、ああいうのは薄っぺらいしあまりリアルには思えないんですよ。むしろ僕はパトレイバーの、あのぱっとしない第二小隊の面々のぱっとしない日常のほうにリアリティを感じていた。
    それから2、3年経って中学生になったとき、初めて自分でビデオレンタルの会員証を作った際に、最初に借りたのがパトレイバーの劇場版(劇場版第1作の『機動警察パトレイバー the Movie』)なんですよね。レンタルショップで、「え、パトレイバーの映画なんてあるんだ」と感動するんですよ。当時はOSという言葉もよく知らなかったのだけど、レイバーがみんな同じプログラムを使うようになったとき、そこにウィルスが仕込んであると大変なことになるというのは、なんとかわかるわけです。そういう世界観って、バブルの頃の田舎の中学生には衝撃なんですよね。TV版の方は人間ドラマとして面白いというくらいだったのが、映画版で世界観にぐっと興味がいくわけです。
    吉田 僕は「NEW OVAシリーズ」は、1話から10話までをVHSで持っていて、11話から16話までをLDで持ってるんですよ。この辺が自分の映像体験を物語るなあ、と思います(笑)。
    宇野 物語ってますね(笑)。
    吉田 当時、1話から16話まで揃えると貰えるグッズの中に、篠原重工のノベルティの電卓があったんですよ。このノベルティシリーズは種類が結構たくさんあって、その中にカードラジオとかもあったんですね。当時のグッズって、いいところで下敷きとかフィギュアですから(笑)、そこに篠原重工の電卓がきた瞬間に衝撃を受けるわけですよ。
    しかも、よく見ると“昭和七十何年度創立 何十周年記念”とか書いてあって、それを学校で使っているのを見た友達が「ねえ、これ間違ってない?」と言うのを見て、少しニヤリとしたりする(笑)。そういう、「自分たちだけがわかっている」という感覚が当時ありました。現在では主流になっている、現実とフィクションの境い目を縫っていくようなことを一番始めにやった作品だと思うんです。
    僕はその後、SFとかも好きになるわけですが、多くのSFのように社会批判だとは気付かせないんですよね。ロボットの魅力みたいな素朴なところで子どもを引き入れて、最終的に「一番やばいのは押井守だろ?」というところまで連れて行ってしまう感じも、パトレイバーの凄いところでした。
    宇野 僕も、まさにそのルートですね。最初はキャラクタードラマとして好きだったのが、世界観の方に魅せられていってしまい、最終的には押井信者になっていく。


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  • 『コードギアス』と『エウレカセブン』の対比から見えてくるもの(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(5))【不定期配信】

    2017-03-16 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、2000年代半ばの佳作『コードギアス』と『エウレカセブン』を対比させながら、両作品がロボットアニメ史において果たした役割を考察します。(※今月末3/30(木)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 話題のアニメ『けものフレンズ』を取り上げます。視聴ページはこちら)

    『コードギアス』の達成を『エウレカセブン』との比較で考える
     今回は、今世紀のロボットアニメを考える上でもっとも重要なタイトルである『コードギアス』の達成について考えてみたいと思います。
     ロボットアニメのビッグタイトルはどうしても『ガンダム』『マクロス』という老舗シリーズに集約されがちですが、それでもいくつかオリジナルタイトルの佳作が定期的に生まれています。中でも反響の大きかったタイトルを挙げると、『交響詩篇エウレカセブン』(2005-2006年)、『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006-2009年)、『天元突破グレンラガン』(2007年)あたりが思い浮かびます。あとは河森正治監督作のため『マクロス』と関連付けられがちですが、放映後にネタ人気が出てシリーズ化された『創聖のアクエリオン』2005も入るでしょう。このように、なにげにゼロ年代中葉はロボットアニメが活気付いていたわけですが、ネット動画の時代となったここ十年のアニメをめぐる状況との相性が様々な点で良くないのでしょう。ここ十年のアニメ状況を象徴する京アニもシャフトも、ロボットアニメにはあまりかかわっておらず、例外ともいえる京アニの『フルメタル・パニック! The Second Raid』(2005年)がなんとなく孤立した存在となっていることも象徴的です。
     その中では『コードギアス』を考える上で最適の比較対象が『エウレカセブン』だと考えています。対比列伝はどうしても一方を下げることになりがちなので、以下、どちらかというと『エウレカセブン』の残念な部分にフォーカスを合わせる比較になりますが、予め『エウレカセブン』の良さについて述べておくと、一部間延びはあったものの一年間全50話という、長丁場の物語を描ききった上、ボーイミーツガールものとしての掴みの鮮烈な印象もあってか、続編や後続作をいくつも生み出した事実は見逃せません。続編を含めた後続作(一例を挙げると2015年の『コメットルシファー』)がことごとくうまくいっていないのも事実ですが、そこから遡ることで元祖である『エウレカセブン』の良さが時を経ることによって見えるようになったことは大きいでしょう。
    両作のOP・EDから見えてくる対比
     さて、『エウレカセブン』と『コードギアス』にはわかりやすい比較基準があって、それはどちらも最初のオープニングのアーティストがFLOWで共通しているんですね。『エウレカセブン』の「DAYS」と『コードギアス』の「COLORS」は、曲調も近いところがあり、映像込みで比較すると興味深い対照性をみせていることがわかります。一般に初期OPの映像は作品コンセプトを概観するものが多く、シナリオの「構造」が表に出ているんですね。
     「DAYS」が使われている『エウレカセブン』のOP1でわかるのは、河森正治デザインのメカがサーフィンするという『マクロス』から発展させた新規要素、そして人間関係の配置が『ファーストガンダム』を意識していること(三人組の孤児の存在に顕著です)です。さらに「アゲハ構想」という世界の謎関連のイメージがフラッシュカットで切り替わり、そこに神話学の祖フレイザーの『金枝篇』が一瞬見えたりする部分では、技法込みで『エヴァ』要素を持ち込んでいる、というように、過去のロボットアニメヒット作の要素を盛り込んだ上で、ボンズアニメのボーイミーツガールものでおなじみの「ウユニ塩湖っぽい場所で手をつなぐ男女」でまとめています。要所要所でエッジの利いたアクションもあり、模範的なロボットアニメの動きをみせているといってよいでしょう。
     他方「COLORS」が流れる『コードギアス』のOP1はどうでしょうか? 日本地図に照準が向けられるイメージにタイトル画面が重なり、続けてルルーシュの瞳がアップ、そしてギアス発動のおなじみの映像が出てきます。これはニューロンがつながるイメージとしてハリウッド映画でも多用されるものですが、ここのダイナミズムはロボットの運動ではなく「脳内イメージ」の可視化そのもので、そこに日本占領をめぐる戦争のイメージが静止画で重ねられていきます。ロボットアニメに定評のあるサンライズ作品とはいえ、深夜枠なので作画リソースはそれほどでもなく、止め絵が中心なのですが、家族状況を背景に仮面の男として立ち上がるルルーシュの反逆を示す構成は、まさにシナリオの初期設定を効果的にみせています。続けて現れる、占領された日本でゲリラ活動を行うメンバーをカレンを中心にまとめる一方で、ブリタニア帝国軍の絢爛豪華なメンバーをみせるところは、統治被統治の関係を貧富の差と重ねるよくある対立構造といえるでしょう。

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  • 山本寛監督インタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」第6回 アニメ監督はアイドル化するなかれ【不定期連載】

    2017-03-01 07:00  
    550pt
    【配信日程変更のお知らせ】
    毎月第1水曜日更新の猪子寿之さんの〈人類を前に進めたい〉は、諸般の事情により今月は配信日程を変更してお送りいたします。楽しみにしていた読者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、次回の更新まで今しばらくお待ち下さい。


    『らき☆すた』や『かんなぎ』で知られるアニメ監督・山本寛さんの、これまでの活動を総括するロングインタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」。最終回となる第6回では、『Wake Up, Girls!』制作を振り返りつつ、アニメ業界が向かうべき未来像についてお話を伺いました。(取材・構成:高瀬司)

    『Wake Up, Girls!』の二層構造 
    ――次がいよいよ最新作の『Wake Up, Girls!』になります。いまはお立場上あまり語ることができないとのことでしたが、コンセプトや演出面についてだけでも簡単に触れさせてください。『blossom』の前にはすでに『Wake Up, Girls!』のもとになる企画があったというお話がありましたが、そのときはアイドルものとして思いつかれていたのでしょうか。それともまず震災の衝撃があったうえで、それに対して復興にはアイドルの力が必要だ、という順番だったのでしょうか。
    山本 セットになって降りてきたというのが実情ですね。きっかけの一つになったのは、A-1 picturesでアニメ版を制作していた『THE IDOLM@STER』(2011年)です。オリジナルアニメの企画について、『らき☆すた』の待田(堂子)さんを誘って相談するところから動き出した作品なのですが、そのころ待田さんがやられていたのが『THE IDOLM@STER』のシリーズ構成で。それもあってか、打ち合わせの最中に突然、「復興×アイドル」というコンセプトが降りてきたんですよ。『blossom』では、アニメが復興の力になれる手立てとして聖地巡礼を組みこみましたが、アイドルものであればさらにライブもできるじゃないですか。それならもっと被災地に人を呼べるだろうと。
    ――つねにこの世界の現実との関わりが念頭にあるわけですね。
    山本 それは僕の永遠のテーマです。フィクションがただの現実逃避であっては意味がない。一旦はフィクションの世界に逃げこんでもいいけれども、最後には現実に戻らなければいけない。そうでなければ、アニメは麻薬と同じになってしまう。だから現実世界に戻す橋、現実を意識する瞬間というのは必ず組みこむようにしています。
    ――メインキャラクターの7人に、担当キャストと同じ名前をつけ、外見も似せてデザインするなど、現実と地つづきな世界観にすることも山本監督の発案なわけですよね。
    山本 そうですね。ただ、TVシリーズを劇場版のつづきからスタートするというアイディアは当時のタツノコプロの社長が考えたものです。またタツノコプロははじめから第1期のみ制作するという契約だったので、第2期からはミルパンセと組むことになりました。
    ――演出面でのコンセプトは?
    山本 FIXメインで余計なPANはしないという、僕の基本的なスタイルで演出しています。ドキュメンタリーチックにしたかったので、トリッキーな画やテンポで見せるのではなく、セットのなかで3カメで撮影しているかのようなカット割りにしていて。だから同ポもこれまでの作品より増やしています。
    またそうした演出プランはコンテ打ちの際にあらかじめしっかり伝えるようにしていて、特に重要なカットについては、はじめからこういうカット割りでこういう切り返しにしてくださいと具体的にお願いしていました。コンテ直しの作業を軽減する目的もありますし、一般的にコンテマンも直されるのは嫌なものなので、それならはじめから細かく伝えておこうと。
    ――また物語をめぐっては、社長が逃亡したり、アイドルたちが健康ランドで水着営業させられたりと、生々しい展開が注目を集めましたが、どのような狙いがあったのでしょうか。
    山本 一つには、ヒロインたちが不快なキャラクターでは視聴者の反感を買ってしまいますが、明るいだけの作品にはしたくなかったので、周りの大人たちをゲスな連中にすることで補おうとしたんです。ただ、実はそれ以上に、『Wake Up, Girls!』にはアニメ業界をカリカチュアライズした側面も強くあって(笑)。人気ドラマで言えば、『踊る大捜査線』シリーズ(1997-2012年)がそうですよね。刑事ドラマであると同時に警察業界そのものの話にもなっていて、それによってサラリーマンにも広く共感されていた。表面上は純粋なエンターテインメントとして楽しんでもらえるように作ってはいますが、同時にアニメ業界の物語にもなるような二層構造を意識していました。
    もっと言ってしまえば、自分たちの「ドキュメンタリー」のつもりだったんですよ。つまり『Wake Up, Girls!』は7人の少女たちの物語であると同時に、僕らの物語でもあるんです。傾きかけの芸能事務所「グリーンリーヴス・エンタテインメント」は「Ordet」のカリカチュアですし、酒ばかり飲んでいる乱暴な社長なんて僕自身のことですから(笑)。
    これからのアニメスタジオ 
    ――フィルモグラフィを現在まで辿らせていただいたところで、最後のパートとして、いくつか山本監督が見るアニメ業界のあり方についてもうかがわせてください。
    まずはじめに、山本監督は京都アニメーション、A-1 pictures、そしてご自身のOrdetと、さまざまな制作会社を経験されてきましたが、その体験も踏まえて、これからのアニメスタジオはどうあるべきだと思われますか?

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  • 山本寛監督インタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」第5回 アニメのなかに真実がある【不定期連載】

    2017-02-21 07:00  
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    『らき☆すた』や『かんなぎ』で知られるアニメ監督・山本寛さんの、これまでの活動を総括するロングインタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」。第5回では、『らき☆すた』以降の諸作品、『かんなぎ』、『私の優しくない先輩』、そして震災をテーマにした『blossom』についてお話を伺いました。(取材・構成:高瀬司)

    ――また『ハルヒ』はYouTube、『らき☆すた』はニコニコ動画と、新しいWebサービスの登場と同期するかたちで人気が拡大したと思います。ああいった同時代的なシンクロニシティは、当時どのように感じられました?
    山本 以前から2ちゃんねるの反響や、YouTubeでのハルヒダンスの盛り上がりは見ていましたから、『らき☆すた』のときは伊藤プロデューサーと「ネットで突っこまれるような作品にしたいですね」とよく話していたんですよ。そうしたら、2ちゃんのひろゆきが関わり、YouTubeを利用した、コメント付き動画サービスがはじまった(笑)。あのころは、時代が僕の背中にある感覚がありましたね。
    ――あわせて京都アニメーションのフィルモグラフィ自体が、セカイ系の『AIR』にはじまり、セカイ系から日常系への移行を象徴する作品として『ハルヒ』があり、日常系の『らき☆すた』、そして『けいおん!』シリーズ(2009-2011年)と、時代の変遷を体現していたと思います。
    山本 ただ、美学的観点から見れば、アニメが劇的に変化してしまったのは、そのパンドラの箱を開けてしまったのは『けいおん!』だと思います。『らき☆すた』は日常系ではありますが、きちんと人間ドラマを組みこんでいた。オリジナルエピソードとして、柊一家の人間模様を描いた第17話「お天道様のもと」や、修学旅行に行く第21話「パンドラの箱」、こなたの亡くなった母親・かなたをめぐる第22話「ここにある彼方」を加えるなど、必ず家族や異性、社会を意識させるようにしていたんです。女子校ではなく共学であることを強調するために、白石みのる(CV:白石稔)を目立たせたりもしました。
    ところが『けいおん!』では男性は徹底的に排除されているし、両親も出てこないか、映画でやっと出てきても顔が見切れている。ついにここまで来たかと思いましたね。アニメのポストモダン化は『けいおん!』で極まったと思います。
    ――京都アニメーション時代に関する最後の質問になりますが、『ハルヒ』『らき☆すた』と、実際に責任あるポジションを務められてみていかがでしたか? 各話演出時代に武本監督から言われたように、何か意識の変化などはあったのでしょうか。
    山本 やはり見え方が大きく変わりましたね。僕は本当に生意気だったんだなと痛感しました(笑)。よく自分が2人いればいいのにと言う人がいますけど、もし僕が2人いたら確実にもう1人を殺しますね(笑)。なのでいろいろありましたが、京都アニメーションには強い恩義を感じています。これだけ生意気で半狂乱の男をよくここまで育ててくれたなと。 
    Ordetと悲劇
    ――メインテーマに関して一通りうかがったところで、後半では京都アニメーションを辞められたのちのご活躍も簡単に振り返らせてください。山本監督はその後、新たにOrdetを立ち上げられますが、どのような意図があったのでしょうか。
    山本 僕が京都アニメーションを辞めたときというのは、社内もかなり揉めたんですね。実際、僕と同じタイミングで、守りに入った会社の方針に嫌気がさして辞めていったスタッフが何人かいて。Ordetはその受け皿というつもりで立ち上げました。なので必ずしも会社である必要はなかったんですが、そのときの落ちこんでいた気持ちを切り替えるいいきっかけにもなるかなと、軽い気持ちで大阪で起業を。でもこの選択が最悪でしたね。その後の10年にわたる悲劇のはじまりです。
    ――悲劇というのは?
    山本 経営者になってしまうことで、監督としてうまく暴れることができなくなってしまったんですよ。それまでは会社に文句を言う側だったのが、経営者として文句を言われる側へと立場が変わってしまったわけですから。結局、社長であるということを、自分のなかでうまく咀嚼できなくて……それでスタッフもみんな離れていってしまいました。自分で自分の首をどんどん締めていったのがこの10年でしたね。
    ――Ordetでの監督第1作は『かんなぎ』(2008年)ですが、このころというのは?
    山本 『かんなぎ』のころはまだぜんぜんよかったんです。会社を立ち上げた直後ということで、ていねいに作ろうという一心で臨んだ作品でした。それに武梨えり先生の原作は、自分探しのドラマの要素もあるし、ギャグも萌え要素もある、パロディもいける。つまり多方面で自分にとってやりやすい題材で、自分の持ち味を活かせばいいだけだったので、本当に楽しく取り組めて、リスタートにはもってこいの一作でした。

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  • 山本寛監督インタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」第4回 『ハルヒ』『らき☆すた』演出ノート【不定期連載】

    2017-02-17 07:00  
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    『らき☆すた』や『かんなぎ』で知られるアニメ監督・山本寛さんの、これまでの活動を総括するロングインタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」。第4回では、『ハルヒ』のライブシーンやダンスEDの誕生秘話、そして『らき☆すた』降板の舞台裏について、深掘りしてお話を伺いました。(取材・構成:高瀬司)


    ――なるほど……。いまのお話で、これまでなんとなく曖昧だった『ハルヒ』の経緯に関して、いろいろと腑に落ちました。では事実上の初監督作品として、『ハルヒ』の具体的な内容・演出に踏みこんでうかがわせてください。まずそもそも、第1話に「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」を持ってくるという構成が衝撃的でした。
     
    山本 『涼宮ハルヒの憂鬱』をアニメ化するときのコンセプトは「超監督・涼宮ハルヒ」だったんですね。つまりあのハルヒが『涼宮ハルヒの憂鬱』というTVアニメを作るとなれば、時系列シャッフルだろうとなんだろうと、ありとあらゆる訳のわからないことをするだろうし、当然一番頭に持ってくるのは自分が監督した自主映画に決まってるだろうと(笑)。
    ただ、それを視聴者に受け入れてもらえるかどうかは、僕らにとっても冒険でした。だから、最速となる東京の初放映時には、2ちゃんねるの実況スレに張りついて反響を見ていたんですよ。そうしたら案の定、最初は大騒ぎなわけです。ネットが動揺している瞬間をはじめて見ました。みなが混乱している。それでいよいよ「これは炎上してしまうかもな……」と思いはじめたころ、原作ファンから「これが『ハルヒ』だよ!」という声があがったんですよ。第1話はOPも「恋のミクル伝説」ですから、通常のOPには出る「超監督・涼宮ハルヒ」というクレジットもなく、メディアにも事前には非公開にしていた情報だったんですが、にもかかわらず僕らが意図したコンセプトを見抜いたんです。やはり『ハルヒ』のファンは頭がいいなと思いましたね。この第1話を受け入れてもらえたことが、その後の僕らの勢いにもつながっていきました。
     
    ――第1話の次に山本監督が担当されたのが第9話「サムデイ イン ザ レイン」です。これも極めて異色なアニメオリジナルのエピソードでした。
    山本 「サムデイ イン ザ レイン」のコンセプトは第三者視点、「定点観測」です。『ハルヒ』の原作というのはつねにキョンによるモノローグ、一人称視点で統一されているのですね。そのせいで、原作ファンのあいだでは、ハルヒではなくキョンこそがこの世界を司る真の神であって、キョンが見ていない世界というのは存在しないのではないか、といった推論も出ていて。だから原作者の谷川(流)先生との打ち合わせのとき、「キョン以外の、第三者視点のエピソードを作りましょうか」と提案してみたところ乗っていただけて、それで最終的に定点観測というコンセプトを立てました。キョンのいないSOS団の部室を、三点からの監視カメラのような映像で延々ととらえる。設定へのエクスキューズとして、コンピ研が仕返しに盗撮していたとか、部室にある太陽のオブジェが実はキョンでもハルヒでもない第三の神だったとか、そういう深読みできる理屈も用意していましたね。
    ――EDでも目立つオブジェですが、本編でも2度ほど意味深にアップでとらえられていましたね。またこのエピソードは、ショット数がものすごく少なく、150ほどしかない点も特徴的です。長回しがすごく多い。
    山本 定点観測ものというのは、同ポ(同ポジション)が多いのでレイアウトこそ楽ですが、引きの画ばかりになるので、登場人物の全身を描かなくてはいけなくなって作画がすごくハードなんですね。一般視聴者からすると楽そうに見えるかもしれませんが、作画カロリーはむしろすごく高い回になっていて、だからどこかで思いっきり手を抜いておこうと。それで長門が本を読んでいるだけの画をずっとリピートするカットを入れたんです。最終的に一番長いカットで2分17秒、さらに一度別のカットを挟んで、もう一度同じ画を1分間という長回しになりました。
    ――作画という点では、その後の第12話「ライブアライブ」のライブシーンも大きな話題を呼びました。
    山本 あの演奏シーンはロトスコープですね。「God knows...」は、当時人気だったアイドルバンド「ZONE」の曲をモデルに神前に作・編曲を発注していて。あがってきた曲をプロのミュージシャンの方に演奏してもらい、その様子をビデオ撮影したうえで、映像をキャプチャした画像をプリントアウトし、それを上からなぞるという手順で作りました。ハルヒのアップの表情は、平野綾さんの歌う映像をもとにリップシンクさせるようにしています。ハルヒのカットの原画は全部西屋(太志)くん、彼は本当にうまかった。それと高雄(統子)さん(※編注:のちに京都アニメーションを退社し『アイドルマスター シンデレラガールズ』『聖☆おにいさん』を監督)のパートもいいんですよ。ハルヒが「God knows...」を歌い終わったあと、大受けの会場を見て安心したようにため息をついて、ドラムのほうを振り向くというカット。あそこの原画は、あがってきたのを見た瞬間に大泣きしてしまいました。僕は基本的に、タイムシートは全カット自分で直していたんですが、あそこだけはもう涙でシートが読めず、そのままスッと戻すよりほかなかったですね。
    また演奏シーン以外にも、文化祭の日のエピソードということで、参加している全員が主役というコンセプトを立て、背景のモブも全部動かすようにしています。キョン視点の物語の背後で、モブの一人ひとりが文化祭を楽しんで、またさり気なくハルヒとバンドメンバーたちの物語も進んでいく。だから結果的に、作画枚数はほかの話数の2倍使うことになりました。


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  • 90年代的な「燃え」を巧みに更新した『ガンダムSEED』『スクライド』『ガン×ソード』(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(4))【不定期配信】

    2017-02-16 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、ゼロ年代前半〜半ばに人気を博し、今世紀のロボットアニメ的イマジネーションの基調を作り出した『ガンダムSEED』『スクライド』『ガン×ソード』を考察します。
    (※来週2/23(木)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」が放送予定! 続編制作も発表され話題の『コードギアス』を取り上げます。視聴ページはこちら)

    『無限のリヴァイアス』と『伝説巨神イデオン』のミッシング・リンク
     今世紀のロボットアニメの位置付けを理解する上では、90年代末のポストエヴァ作品群の要素がどのようにして21世紀に流れ込んでいったかを整理することが重要です。そこで今回は『機動戦士ガンダムSEED』のキャラクターデザイナーで知られる平井久司が関わったアニメの系譜と、谷口悟朗監督作品との関係を検討していきたいと思います。
     『無限のリヴァイアス』については前回も触れましたが、そのとき考察したのは、ティーンズの人間関係では当然生じる「性と暴力」をめぐるテーマ系についてでした。『ガンダムSEED』や『蒼穹のファフナー』にもこのテーマ系は受け継がれており、平井久司絵のアニメについて、「ドロドロした人間関係が繰り広げられる」という漠然とした印象を持つ人もそれなりにいるのではないでしょうか。
     ただ、そこに入る前に前回語り残したこととして、『リヴァイアス』の別の側面、すなわちロボットアニメとして興味深い点についてまず考えてみたいと思います。先日『リヴァイアス』を見返してみたところ、思いのほか『伝説巨神イデオン』テレビシリーズ(1980-1981年)の後半と近い、という感触を持ちました。一般に『リヴァイアス』は『イデオン』と関連付けられることはあまりありませんが、たとえば本船リヴァイアスとロボットのヴァイタル・ガーダー、そのどちらにクルーが乗り込むのかによって、分かれたクルーのそれぞれが疑心暗鬼に駆られ、権謀術数がうごめくという作劇は、『イデオン』のギスギス感と似た性質があります。『イデオン』では地球人とバッフ・クランのいずれもが、閉鎖された環境でなかなか結束できず相互不信に陥っていく描写がしばしばみられました。
     また、『リヴァイアス』も『イデオン』もともに、ロボのパワーが実質的に無敵に近そうでありつつも、だからといって相手の攻撃をひたすら無双状態で倒すというわけにはいかず、弱点を的確に突かれることで苦戦を強いられる展開が目立ちます。その結果バトルにつねに悲壮感が漂う点でも、『リヴァイアス』と『イデオン』は共通しています。『イデオン』の場合は登場人物が全滅する結末がよく語られますが、『リヴァイアス』の最終話付近のバトルを見ていると、「外側に大人社会があるがゆえにかろうじて全滅を免れた」という印象を拭えないのですね。
     もちろん、大人社会から隔絶されたティーンズ集団内での抗争と協力のドラマには、ゴールディング『蝿の王』というダーク版『十五少年漂流記』の傑作や、楳図かずお『漂流教室』といった先行作品があります。ロボットアニメにおいても、当初の『機動戦士ガンダム』のプランをよりジュブナイルものとして展開した『銀河漂流バイファム』(1983-1984年)という佳作がありますが、無茶を承知で『リヴァイアス』を過去のロボットアニメと関係付けるならば、「ダーク版バイファム」に「マイルド版イデオン」の味付けをほどこしたもの、という見立てが成り立つと考えています。
     こうした要素が、『リヴァイアス』をポストエヴァ期ロボットアニメの中でも興味深いものにしているのではないかと思います。私見では、『リヴァイアス』では敵サイドの戯画化が過剰なところが惜しまれるのですが、敵が送り込んでくるユニット群には、若干『エヴァ』の使徒のような「様々な可能性を一つずつ試し、潰していく」感覚があります。
     以上の見立てを踏まえた上で、『リヴァイアス』における谷口悟朗監督の達成を次のようにまとめることができると思います。高橋良輔監督『ガサラキ』の副監督を努めた後、初監督作となった『リヴァイアス』において、まさにエヴァンゲリオン風の演出や作劇がロボットアニメを席巻していた時期に、『エヴァ』の原点の一つである『イデオン』の構成要素にまで遡り、かつ「少年少女が戦うことの意味」を、戦闘行為のみならず「サヴァイヴァル」すなわち「生き抜くこと」として捉え直し、そこで生じる諸問題を繰り広げたたのではないか? ということです。『リヴァイアス』および『ガサラキ』に含まれる様々なモチーフが、後の『コードギアス』で展開されていることを考えると、非常に興味深いのではないかと思っています。
    『ガンダムSEED』と平井久司のキャラクターデザイン
     すでに指摘してきたように、今世紀のロボットアニメの基調を生み出した二人の重要人物として、キャラクターデザイナーの平井久司と、演出・監督の谷口悟朗を挙げることができるでしょう。この二人は『無限のリヴァイアス』、『スクライド』(2001年)で共に仕事をしており、まさに世紀転換期のこの二作こそが、その後二人が活躍する基礎になったのではないかと考えています。そこで、厳密にはロボットアニメとは言えない『スクライド』も併せて考察することにしましょう。
     谷口悟朗の監督作品は『リヴァイアス』、『スクライド』、『プラネテス』(2003-2004年)、『ガン×ソード』(2005年)という順番で続き、この流れで得た経験値がすべて『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006-2007年)に投入され、今世紀のオリジナルロボットアニメ最大のヒットとなりました。

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  • 山本寛監督インタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」第3回 作家性の確立と『ハルヒ』の秘密【不定期連載】

    2017-02-10 07:00  
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    『らき☆すた』や『かんなぎ』で知られるアニメ監督・山本寛さんの、これまでの活動を総括するロングインタビュー「いまだからこそ語るべきアニメのこと」。第3回では、山本監督の作家性確立の契機となった『AIR』や、これまで公にされることのなかった『涼宮ハルヒの憂鬱』の制作秘話を伺いました。(取材・構成:高瀬司)

    演出・撮影における作家性 
    ――公には初披露となるだろう貴重なお話ありがとうございます。ここであらためてもう一度山本監督のお話に戻りたいのですが、『POWER STONE』ではじめて演出をやられてみて手応えはいかがでしたか?
    山本 第10話の次が第18話だったんですが、ちょうど『天使になるもんっ!』(1999年)の演出助手の仕事と時期が重なってしまい、うまく回すことができなかったんですよ。それが原因で、そこから半年ほど演出を干されてしまって……。その間、制作進行のようなことをやらされたり、アニメーションDoという大阪にある関連会社に所属替え、というか実質左遷させられたりして、それが悔しくて「絶対認めさせてやる!」と、そこからは猛勉強ですよ。毎日必ず映画を観ることを自分に課して。家に帰るのは毎日だいたい23時くらいだったんですが、コンビニで買った飯をかきこんで、どれだけ眠くても必ず観る。4時までは必ず起きていて勉強する。そういう生活をつづけていましたね。
    ――ちょうどご自身の日記サイト『妄想ノオト』を書かれてた時期ですね。
    山本 そうです、あのころは本当に荒れていましたね。いまと比べてもはるかに過激に、恨みつらみを書き散らしていましたから。でも口が減らないのはもうしょうがないんですよ。それが師匠の教えだし、自分の原動力にもなっているので。ただ、『妄想ノオト』は観た映画の備忘録としても活用していたので、あそこで一度文章にすることで考えをまとめたり、さらにあとから読み直すことであらためて思い返すことができたりと、プラスになった面も大きかったですね。
    ――あらためて当時ご覧になっていた映画を教えていただけますか。
    山本 まずは黒澤明監督作品です。以前から好きでしたが、未見のものもあったので全作品を観ました。『どですかでん』(1970年)はその時期にはじめて観て、ものすごく影響を受けましたね。またちょうどそのころ、蓮實重彦さんの『映画狂人』シリーズ(2000-2004年)という映画批評書が刊行されはじめて、それを読み漁ったんですよ。そうしてこれまで敬遠していた小津安二郎も観るようになり、溝口健二やジャン=リュック・ゴダールといった監督の作品にもハマりました。
    ――カール・ドライヤーはいかがですか? 山本監督が立ち上げられた制作会社「Ordet」は、ドライヤー監督の『奇跡/Ordet』(1954年)から取られていますが。
    山本 ドライヤーはもう少しあとですね。演出の仕事で東京に出張するようになってからです。ポストプロダクションは声優や音響監督のいる東京で行う必要があるので、必ず月に一度出張があったんですが、そのとき渋谷のユーロスペースという映画館で観ました。
    ――そのころ観られたもので、ご自身の作風に直接影響を与えた作家や作品というと?
    山本 小津安二郎と北野武は大きいですね。僕のFIX主義はこのお二人からの影響です。それまでは木上さんの絵コンテを教科書に、背景しかないカットでPANしたり、キャラが会話しているだけなのにPANダウンしたり、そうしたいわゆるアニメ的なカメラワークで撮っていたんですが、途中で「これ意味あるのかな……」と思うようになって。黒澤明も「カメラが芝居するな。人物が動くからカメラが動くんであって、人物が止まったらカメラも止まれ」というようなことを言っていますよね。そんなとき、小津安二郎の作品を観て、本格的にFIXのよさに気づいたんですよ。それで、『AIR』(2005年)の絵コンテ・演出を担当したときにFIX中心に組み立ててみたら個人的にもすごく手応えがあって、そこで僕のFIX主義が固まりましたね。
    ――個人的にも『AIR』で担当された第2話・第5話・第8話は、山本監督のお仕事のなかでも一つの極北に位置づけられるように思います。
    山本 演出家として一番脂が乗っていた時期ですね。FIX主義が固まり、またカメラワーク以外にも、それまでの僕の演出は、魚眼レンズっぽくパースを強調したり、エキセントリックなカッティングをしたり、変な間やテンポを作ったりして受けを狙っていたんですが、そういった装飾を全部剥ぎ取って、真摯に、誠意をこめて被写体と向き合うようにしたんです。だから『AIR』以前/以後では演出スタイルが大きく切り替わっているんですよ。自分では「ドキュメンタリー的」という言い方をしているのですが、その後の『Wake Up, Girls!』シリーズ(2014・2015年)まで受け継がれていくスタイルです。

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