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記事 22件
  • 週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月9日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.093 ☆

    2014-06-16 07:00  
    220pt

    週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会
    ~6月9日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.16 vol.093
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送をお届けしている「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。
    前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    6月9日(金)21:00~放送
     
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」
     
    ▼6/9放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    今夜は、大島優子さんの卒業公演終了と入れ替わるように放送がスタート! 「マジすか新規」の宇野常寛が、優子さんの魅力と課題を考えます。
    ☆48開発委員会☆
    僕とあなたのオタ活報告のコーナー。AKB総選挙の総括をします! まゆゆ1位に感じた、物足りなさとは!?
    ☆スケッチブックトーク☆
    いろんな話題からニコ生アンケートでテーマを決定! 今週はまさかの「僕とミヤネさんの関係」について。フジテレビの総選挙中継でちょっとした応酬があったミヤネさんについて、宇野常寛はどう思っているんでしょうか。
    ☆今週の一本☆
    ANN0時代からの人気コーナーが復活。今週は「キカイダーREBOOT」! ひとりのキャラクターに、ライバルとラスボスを両方演じさせることの困難について語ります。
    ☆延長戦トーク☆
    AKB総選挙について更にディープな話を展開! フジテレビの生中継に不満があるというお便りに「敵を間違えてはいけません」と応えていきます。
     
  • 「電通常勝」と彼女は言った ――『指原の乱』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.092 ☆

    2014-06-13 07:00  
    220pt

    「電通常勝」と彼女は言った
    ――『指原の乱』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.13 vol.092
    http://wakusei2nd.com

    初出:「ダ・ヴィンチ」2014年6月号
    今朝の「ほぼ惑」は、ダ・ヴィンチの6月号に掲載された
    宇野による『指原の乱』への評論です。
    福田雄一と、そして指原莉乃が、日本のメディアを覆う
    「テレビ的なもの」に対して行った介入とは――?
    ▲『指原の乱』vol.1 DVD(2枚組)
     
     先日、天気が良かったので気分転換に散歩に出かけた。自宅のある高田馬場からまっすぐ南下して、新宿東口にさしかかったところで平日の昼間とは思えない人ごみに遭遇した。いったい何事かと僕は不審に思ったのだが、「32年間ありがとう」という横断幕を目にしてすべてに合点がいった。その日、31日は国民的お昼のバラエティ番組『笑っていいとも!』の最終回の日であり、そのとき東口のアルタ前はこれからはじまる最後の生放送の現場にかけつけたファンでごった返していたのだ。僕は、その瞬間まで『いいとも』が最終回を迎えることを完全に忘れていたのだ。
     そして、僕は、Twitterにアップロードする写真を撮り終えると満足して、その場をあっさりと離れて行った。僕は東口のヨドバシカメラで最近ハマっているドイツの動物フィギュア(シュライヒ)を買うつもりで、ゆっくり選んで打ち合わせの時間までに高田馬場に戻るにはここで無駄な時間を過ごすわけにはいかなかった。
     僕は32年間この『笑っていいとも!』という番組を一度も面白いと感じたことがなかった。他に好きなものがたくさんあったせいか、子どもの頃から相対的に芸能界に関心が薄く、『いいとも』のあの、お互いのキャラクターをいじりあう空間を少しも楽しむことができなかった。僕にとってそれはまるで隣のクラスの内輪ネタを延々と見せられているようで、酷く退屈な代物だった。どうしても「この人たちはどうして自分たちのローカルな人間関係が社会そのものであるかのように振る舞えるのだろうか」と疑問に思ってしまう。
     もちろん、今でこそ僕も僕なりにこの番組の持つユニークさとその洗練を理解してはいるつもりだ。教科書的な解説を加えれば、国内において消費社会の進行と同時に、「大きな物語」の失効が顕在化していった80年代はテレビや雑誌といった(当時の文化空間を牽引した)メディアが、ベタに物語を語ることではなくメタ的なアプローチによってメジャーシーンを形成していった時代だった。具体的には『おしん』的な高度成長期のイデオロギーの通用しない都市部のアーリーアダプターたちに対し、メディアの担い手たちは物語のレベルでは「相対主義という名の絶対主義」をもって(80年代的相対主義、面白主義を東京のギョーカイの掲げる絶対的な価値として)振りかざし、そして形式的にはそんな「東京のギョーカイ」が「楽屋を半分見せる」ことで送り手と受け手、ブラウン管の中と外の境界線を曖昧にすることでリアリティを担保していった。糸井重里が本来添え物に過ぎない雑誌の投稿欄を主戦場に変え、秋元康が番組内でそこに出演するアイドルのオーディションの経過を公開していった。そうすることで、本来東京のギョーカイに縁のない僕らも、そことつながっているように感じられたし、そして東京のギョーカイへの憧れも肥大していったのだ。それがこの時期に隆盛した「テレビ的なもの」の本質だ。
     こうした手法は「客いじり」と「楽屋落ち」を基本にその笑いを組み立てていった萩本欽一と、彼の手がけた70年代のバラエティに起源を持つという(大見崇晴『「テレビリアリティ」の時代』)。そして70年代に萩本が培った手法はその批判的継承者であるビッグ3によって80年代のテレビシーンを、ひいては文化空間の性格を決定づけるものに成長した。そしてその最大の成果が『いいとも』だったのは間違いないだろう。台本らしい台本が存在せず、ただ、無目的で漫然としたお喋りと茶番じみた余興が、毎日のお昼休みに披露される。それはほとんど「楽屋」そのものであり、そしてその「楽屋」を共有することでその観客と視聴者もまたタモリの「友達の輪」に入っているような錯覚を覚えることができた。相対主義という名の絶対主義が、ギョーカイの内輪受けのおしゃべりという非物語が疑似的な大きな物語として機能することで、この国のテレビ文化は隆盛してきたと言っていい。
     だとすると、『いいとも』が成立していたのは、テレビがその圧倒的な訴求力と、それを背景に80年代に形成し90年代を席巻したギョーカイ幻想があってのことだ、ということになる。どれだけ「楽屋を半分見せる」いや、「楽屋そのものを見せる」手法が卓越していても、その楽屋に憧れない人間=テレビ芸能人を人気者だと思わない人間には一文の価値もないのだ。そして、消費社会の進行と情報環境の変化は僕のように感じる人間を飛躍的に増やしていったのだと思う。こうして『いいとも』は過去のものになっていったのだろう。
     実際、インターネットの若者層の間では「テレビっぽい」という言葉が「サムい」と同義で使われはじめて久しい。メディアの多様化はテレビ=世間という等式を崩しつつあり、そこに胡坐をかいた番組作りが東京の業界人の内輪受け以上には映らなくなり始めているのだ。
     
     たぶん、僕が最終回以前に『いいとも』に触れたのは後にも先にも一回だけだったと思う。それは昨年のAKB総選挙で1位を獲得した指原莉乃が、その勝利スピーチのクライマックスを『いいとも』ネタで締めたことに対して、僕は苦言を呈したのだ。
      そう、僕はAKB48がテレビに近づいていくことを、あまりいいことだと思っていない。なぜならば、AKB48はテレビとは異なる方法で人を惹き付けることに成功したところにその本質があると考えているからだ。僕が『いいとも』に出てくる芸能人たちには何の思い入れも持つことができない一方で、AKB48を応援することはできるのもそのためだ。楽屋を半分見せられることくらいでは、そもそもかつてほど「東京」の「ギョーカイ」が輝いていない現代、もはや僕らは彼らに憧れることはできない。だから『いいとも』は終わった。しかし、たとえ「クラスで四~五番目に可愛い女子」の集まりでも(いや、だからこそ)総選挙で票を入れ、握手会の列にならんで直接話すことで自分たちもこのゲームに参加しているという実感が得られる。タモリの友達の輪には入れない(入りたいとも思えない)僕も、AKB48には確実に参加できる。だから同じローカルサークルの内輪話でも、「テレフォンショッキング」には興味を持てないが彼女たちのおしゃべりには興味を持つことができるのだ。
     だからこそ、指原が自らの『いいとも』レギュラーメンバーとしてのアイデンティティを訴える姿は、僕にはあまり気持ちのいいものではなかった。あたらしい方法でポピュラリティを獲得したAKB48がその力をテレビを席巻することに行使していくこと、そしてメンバーの多くがテレビを中心としたあの芸能界に、「友達の輪」に入ることを名誉に考えていることは今現在の、まだ更新され切っていない文化状況や、秋元康プロデューサーの出自を考えればある程度はやむを得ないことだと分かってはいたものの、どこか寂しいものがあった。
     あれからずっと、僕は相変わらず『いいとも』的なものが、「テレビ的な」ものが嫌いで、いまだにテレビ=世間だと思っている傲慢な業界人と鈍感な視聴者を軽蔑していて、そのくせテレビドラマと特撮とアニメと、そしてAKB48だけは大好きだった。「友達の輪」には入りたいと思わなかったけれど握手会の列には並んでいた。僕は深夜番組やコンサート会場で繰り広げられる彼女たちのおしゃべり──他愛もない身内いじりの連鎖──を眺めるたびに、ああ、『いいとも』のようだと思っていた。だからこうして観客との結び方さえ間違えなければ、『いいとも』的な手法は、「テレビ」的な手法はまだまだ有効なのだと確信していた。
     しかし今のテレビは良くも悪くも「テレビ的なもの」を捨てつつある。たとえば現代の視聴率競争の覇者であるテレビ朝日の情報バラエティ番組のことを考えてみよう。そこに存在するのはたとえば「ファミリーレストランの人気メニューベスト5」といった類いの、静的な情報が配置されているだけのものだ。要するにそれはGoogle検索ができない人のために、その数秒もかからない検索をテレビ局が代行し、公共の電波に乗せているのだと言える。そして現代のテレビは少なくとも商業的にはこれが「正解」なのは間違いない。テレビは、Googleを使えない人たちの補助輪に成り下がったのだ。
     あるいは同じテレビ朝日の物語系の番組群を考えてみよう──「刑事もの」「時代劇」「特撮」を得意とするテレビ朝日は、ここでは逆に徹底的に作り込まれた完全な「虚構」を提供することに注力している。要するに、同局は現実そのもの=情報バラエティ番組=データベースと、完全な虚構=ジャンルドラマ群=ファンタジーという二極化することで、視聴率を獲得していると言える。これはかつてのフジテレビのバラエティ番組が象徴する、「楽屋オチ」「内輪ウケ」を中核にした番組作り──送り手と受け手、業界と非業界、現実と虚構の境界線を曖昧にすることで独特の「テレビ的な」リアリティを確保するという「思想」の真逆だと言える。そしてこの「フジテレビの思想」はいま完全に敗北しつつあり、結果的に台頭した「テレビ朝日の手法」が勝利を手にしているのだ。そしてこの状況を見る限り、現代のテレビ朝日的なものこそがこれからの「テレビ」の基本線になっていく可能性が高い。
     では、そうならない可能性は本当にないのか、というのが今回の問いだ。はっきり言ってしまえば、かなり厳しい。しかし可能性はゼロではないと思う、というのが僕の回答だ。そして僕はそんな僅かな可能性を、それもかなり露悪的かつアクロバティックなかたちで示した番組についてここで論じようと思う。
     そしてその番組の主役を務めていたのは、皮肉にも、そしてまたしてもあの指原莉乃だった。
     昨年10月からはじまり、奇しくも『いいとも』と同じこの三月に終了したテレビ東京の深夜番組『指原の乱』は、圧倒的な破壊力をもって僕たちの前に登場した。指原莉乃が番組の企画者にして構成作家である福田雄一の前にひたすら夢を、いや、より正確には極めて即物的な欲望を語る。写真集を出したい、ラーメンをプロデュースしたい、映画を撮りたいetc…。そして指原は福田と実現に向けて動き出すのだが、しかし毎回その極めてテキトーな発想の前には無数の身も蓋もない現実が(特に資金面で)立ちはだかる。その結果、指原はひたすら番組を担当する大手広告代理店(電通)にゴネる。「なんとかしてくださいよ、電通さん」「常勝電通でしょ」「そこは電通さんで」と。 
  • モラトリアムを受け止めるために ――山下敦弘と「間違えた男たち」の青春 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.091 ☆

    2014-06-12 07:00  
    220pt

    モラトリアムを受け止めるために
    ――山下敦弘と「間違えた男たち」の青春
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.12 vol.091
    http://wakusei2nd.com


    本日の「ほぼ惑」は予定を変更し、『観ずに死ねるか ! 傑作青春シネマ邦画編』に宇野常寛が書き下ろした「山下敦弘論」を掲載します。『マイ・バック・ページ』以降、従来のモチーフを捨て、「少女」を撮り始めた山下監督の新たな展開とは――?


    初出:『観ずに死ねるか ! 傑作青春シネマ邦画編』(鉄人社)
    http://www.amazon.co.jp/dp/486537003X/
     

    ▲『もらとりあむタマ子』(主演:前田敦子/監督:山下敦弘)
     
     
    ■前田敦子の正しく死んだような目
     
     去年(2013年)の夏のことだったと思うのだが、山下監督と夕食を食べる機会があった。意外なところに共通の知り合いがいて、じゃあ久しぶりに、という話の流れになったのだと記憶している。
     僕の事務所のある高田馬場に監督はひょっこり現れて、世間話をしながら箸を進めた。監督と食事をするのははじめてだったけれど、よく飲む人だった。
     話題が一段落したところで、「あ、そういえばこれを宇野さんに渡そうと思って」と言って取り出したのが、「もらとりあむタマ子」のサンプルディスクだった。終電近くまで飲み食いして、自宅に戻ってすぐに観た。主役の前田敦子は、正しく死んだような目をしていた。もちろん、褒め言葉だ。
     本作において前田敦子が演じているのは、大学卒業後特に就職もせずに自宅でごろごろしている無職女性だ。自意識が強いくせに、いや強いからこそ何者にもなれない自分を受け入れられなくて、何もやろうとしない。そんなヒロインを前田敦子は十二分に演じてるし、いや、それ以上に前田敦子のあの、勃興期のAKB48の激流の中にあってもマイペースを守り続けたデタッチメントの姿勢はこのヒロインと高いシンクロニシティを発揮していたと思う。実際どうなのかはともかく、観ている人間に「あっちゃんって本当にこういう奴なんだろうな」と思わせる佇まいをこのヒロイン・タマ子は獲得しているし、それが山下監督の狙いだったのだとも思う。
     しかし、見終わったあと、僕には妙に引っかかるものがあった。もちろん、映画の出来に不満があったわけではない。企画の発端は監督自身から聞いていたが、なし崩し的に長編映画になっていった企画とは思えないくらい、過不足のない出来だったと思う。だから僕が引っかかったのは別のことで、それは言ってみれば山下敦弘にしては珍しく、この映画には自分自身の「いま」が現れてしまっているように見えたことだ。
     もっとはっきり言ってしまえばこの「モラトリアム」とはあっちゃんのことではなく監督自身のことだ、というのが僕の感想なのだ。
     
     
    ■「気まずい現実」を他人事としてしかコミットできない諦念
     
     山下敦弘はずっと青春映画を撮ってきた監督だと僕は思っている。たとえば90年代に青春期を過ごした多くの同世代の作家たちが、何も起こらない世界に暮らす、何ものにもなれない人たちの青春を描き続けて来たと言える。
     「政治と文学」という古い言葉が体現する世界と個人との距離感の問題は若者文化から後退して久しく、そんな「政治の季節から消費社会へ」のダイナミズムでものを語れた時代も(空騒ぎして見せることに意味のあった時代も)バブルの崩壊と同時に遠い過去のことになってしまった。その結果、90年代に多感なお年頃を生きた僕たちに残されたのは、そんな何もない世界(「終わりなき日常」でも「平坦な戦場」でもなんでもいい)でいかに生きて行くか、だった。だから彼らの作品とその観客達が往々にして自意識過剰なのは当然の話で、個人の自意識にどう決着を付けるのか、という問題だけがどこまでも肥大していったのが90年代のサブカルチャーであり、そんな90年代「サブカル」の自意識を引きずったまま中年になってしまった団塊ジュニア達の憂鬱の種はここにあるからだ。
     そんな時代を背景に山下という作家が撮り続けていたのは、自意識の問題だけが肥大せざるを得ない世界(何もない、何も起こらない世界)を受け止めながらも、自分の自意識語りでその欠落をすら埋められない、決して自分自身は主人公になり得ないという感覚だったと言える。もはや自分の人生と自意識しか語るべきことはない世界に放り出されていながらも、山下の描く世界の住人たちはその主人公としてドラマチックに自らを語る権利を与えられないのだ。山下の映画に登場する人々は、「カッコ悪い自分/何ものにもなれない自分の自意識を語る」ことでその無様さを引き受けている自分という最後のナルシシズムの砦すらも奪われている。
     たとえば「リアリズムの宿」(03)の二人組の佇まいそのものがそうだし、「どんてん生活」(99)のラストシーンで示される滑稽で不格好な「気まずい現実」でさえも他人事としてしかコミットできないという諦念がそうだ。「その男・狂棒に突き」(03/短編)の他人の滑稽さを通してしか世界を眺めることのできない寂しさの背景にあるのも、こうした諦念だろう。
     矮小で滑稽なものにすぎない個人の自意識の問題に開き直り、それを語り続けることでしか当事者になることができない(「平坦な戦場」を生き延びることができない)のが90年代のサブカルチャーに仮託された若者の感覚だとするのならば、そこから半歩ずれた山下敦弘の映画が切り取っていたのは、その矮小さと滑稽の当事者にすらなれないという絶望未満の諦念だったのだと僕は思う。
     
     
    ■撃つべき対象が見つからない
     
     だから「松ヶ根乱射事件」(06/同作はある時期までの山下映画の集大成と言える)の結末で主人公が「乱射」するのは、彼が撃つべき対象を見つけられないからだ。撃つべき対象(たとえば大文字の「政治」)を失い、自分自身しか撃てなくなった世界が90年代だとするのなら、山下が描いていたのは自分自身すら撃てない世界だ。だから松ヶ根乱射事件の主人公・光太郎は銃を「乱射」するしかなかったのだ。そう、「乱射」とはターゲットを持たない狙撃のことをいう。自分という物語すら信じられない光太郎は撃つべき対象をどこにも(自分の内面にすらも)見つけられず、「乱射」するしかなかったのだ。
     対象を失った結果、自分を撃つしかなくなり、そして自分すらも撃てなくなったのが現代ならばそのルーツはどこにあるのか? 山下が「マイ・バック・ページ」(11)で学生反乱の時代にそのルーツを求めたのは必然だったと言える。 
  • 【特別対談】根津孝太(znug design)×宇野常寛「レゴとは、現実よりもリアルなブロックである」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.090 ☆

    2014-06-11 07:00  

    【特別対談】
    根津孝太(znug design)×宇野常寛
    「レゴとは、現実よりも
    リアルなブロックである」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.11 vol.090
    http://wakusei2nd.com

    言わずと知れたブロック玩具の代表格、レゴ。先日公開された映画「レゴ・ムービー」も記憶に新しいですが、しかし身近だからこそ、その魅力の本質について語られることはあまりありません。そこで小さいときから熱心なレゴファンだという、カーデザイナーの根津孝太さんに、その魅力についてお聞きしました。おもちゃとしてのレゴだけに留まらず、その歴史から批評性、現実と虚構の繋ぎ方、そしてものづくりの未来まで、日本の未来を考える上で重要な想像力に迫ります。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-un
  • 宇野常寛、AKB48 37thシングル選抜総選挙を徹底総括! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.089 ☆

    2014-06-10 07:00  
    220pt

    宇野常寛、AKB4837thシングル 選抜総選挙を徹底総括! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会  ☆
    2014.6.10 vol.089
    http://wakusei2nd.com

    さる6月5日、雨の降る味の素スタジアムでAKBグループ1年に1度のお祭り、選抜総選挙の開票イベントが行われました。圧倒的に多くの人間が指原莉乃の前人未到の連覇を予想するなか、結果は過去最大の得票数を記録して、渡辺麻友が1位に輝きました。驚きの連続だった今年の総選挙を、宇野常寛が徹底総括!
    ▼今回の総選挙順位結果はこちら
    http://www.akb48.co.jp/sousenkyo/37thsingle/result.php
     
     
    ■はっきり言ってしまえば面白みを感じませんでした
     
    ――まずは宇野さんの今回の総選挙の全体的な印象を教えてください。
    宇野 僕は2011年から今回まで、4回の総選挙を見てきているけど、予定調和的だなと感じたのは2回目でしたね。
    1回めは2012年、前田敦子が卒業を発表して総選挙を辞退した年です。大島優子が順当に繰り上がって1位になっていて、僕は、ああ禅譲が起きたんだなという以上の感想がなかったんです。この年は、アンダーガールズにSKEのメンバーが大量に入ってきたことには驚いたけど、松井珠理奈と松井玲奈の支店エースもいまいち伸びなくて、いまひとつ盛り上がりに欠けていました。前田敦子という巨星が抜けて、そのぶん優子が順位をあげると。ただそれだけで何も変化が起きていなくて、当時のAKBがいかに煮詰まっていたのかを示していたようにすら思います。2012年の総選挙は、大島優子1位という巨大な予定調和が実現しているだけで、その後のAKBの大変革へのプロローグにすぎなかったんですよ。
    そして、続く2013年の総選挙では、指原莉乃が完膚なきまでに予定調和を破壊し尽くしていた(笑)。スキャンダルがあり、博多への移籍があり、誰もが翌年に指原莉乃が総選挙1位に君臨することになるなんて思ってもみなかったわけです。まさに混沌と混乱の中から生まれた「あっと驚く奇跡」としか言いようがないものですよね。
    僕は、AKBの魅力は「まさかこんなことは起こらないだろう/起こってはならない」と多くの人が思っていることが、実際に起こってしまうところにあると思っています。あってはならないことが起きたときに、どうしようとシリアスに困惑しながらも、みんな9割の愕然にくわえて、心のどこかに1割のワクワク感がブレンドされている。その結果として、素晴らしいコンテンツやムーブメントが生まれていくというのがAKBグループなんだと思います。
    去年は指原莉乃がセンターの「恋するフォーチュンクッキー」のダンス動画がブームになりましたが、このことも、彼女の奇跡のような逆転劇という物語が背景にあったことは疑いようがないことでしょう。
    それに対して、今回の総選挙はやはり予定調和的だったと言わざるを得ないというのが、僕の率直な感想です。もちろん、指原莉乃が1位を陥落して、前人未到の連覇を逃したことが良くないと思っているわけではありません。ただ、僕は渡辺麻友(まゆゆ)が1位になるAKBに、若干の不安をおぼえてしまっているということです。言うまでもなく、僕はまゆゆのことを、AKBを代表する素晴らしいメンバーだと思っています。陰ながら人一倍の努力をしていて、去年の総選挙でのスピーチで言っていたように、AKBに全てを捧げてきた人間だと僕も思っています。だから、報われて当然の人間だと思うんですが……同時に、報われて当然の人間が報われるのがAKBだ、とは思わないんです。
    報われるべき人が報われるということは他の世界でもいくらでもあることで、僕は残念ながら、渡辺麻友の1位ではAKB独特の魅力である「あっと驚く奇跡」が生まれる予感がしていないんです。かりに、松井珠理奈もしくは山本彩が1位を獲得していたら、このことは純血の支店メンバーがついにトップをとる時代に変わったという証明にほかならなくて、むしろ本店も含めてますます盛り上がったのではないかと、つい考えてしまうんですよ。やはりAKBのカオスな部分に魅力を感じる僕にとっては、渡辺麻友の1位はあまりにも順当で、はっきり言ってしまえば面白みを感じなかったんです。
    ただ、まゆゆ個人については僕は本当にリスペクトしていて、まゆゆはセンターにふさわしくないというふうには受け取らないでほしい。むしろまったく逆で、麻友は最高で完璧で、あまりにもセンターにふさわしすぎるがゆえに、天邪鬼の僕は面白みを感じていないというだけなんです。でも、AKBは常に王道や正統派というものを否定して発展してきたグループであることも、忘れてはいけないんじゃないかなと思います。
     
     
    ■エリア戦の結果、二強二弱の状況が露呈した
     
    ――各グループ間の勢力図はどう書き換わっていったでしょうか?
     
  • 週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月2日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.088 ☆

    2014-06-09 07:00  
    220pt

    週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月2日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.088 ☆
    2014.6.9
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送をお届けしている「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    ▼6/2放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    5/30深夜から未明にかけて放送した「朝までオタ討論!」。明け方が近くなるとだいたいの人は眠くなる、という常識を覆して大盛り上がりでした。
    ☆48開発委員会☆
    僕とあなたのオタ活報告のコーナー。今回は総選挙直前スペシャルということで、宇野常寛の細心の順位予想を大発表! はたしてどのくらい当たっているでしょうか…?
    ☆スケッチブックトーク☆
    いろんな話題からニコ生アンケートでテーマを決定! 今週のテーマは「いよいよワールドカップ」。「イナズマイレブン」をこよなく愛する宇野常寛は、実際のサッカーを見て、ずいぶん地味なスポーツだな、と思ったとか!?
    ☆今週の一本☆
    ANN0時代からの人気コーナーが復活。本放送日に連載を再開した『HUNTER × HUNTER』について語ります。キメラアント編で彼が行った「少年マンガの破壊」とは!? 今週はこのコーナーを書き起こしでお届けします。
    ☆延長戦トーク☆
    先日の岩手の握手会での事件をめぐって、どのような取材依頼があり、どういった報道がなされていたのか? 
     
     
  • 【現代ゲーム史特別編】『ファイナルファンタジーX』論 14年目の洗練〜「他人の物語」への、とある寄り添い方 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.087 ☆

    2014-06-06 07:00  
    220pt

    『ファイナルファンタジーX』論14年目の洗練〜「他人の物語」への、とある寄り添い方
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.087 ☆
    2014.6.6
    http://wakusei2nd.com

    ゲーム全史連載の中川大地が“心のゲーム”「FFⅩ」を語る、ヤング時代の13年越しのお蔵出し原稿! HD版をプレイ中のあなたも、思わず胸が熱くなるはず。
     僕が『ファイナルファンタジー(FF)』というシリーズに感ずる共同性みたいなものは、単にファミコン世代一般としての腐れ縁感覚というだけにとどまらない、もうすこし個別的なゲーム受容の履歴に由来するのだと思う。
     それはおそらく、だいたい1990年代も前半からのこと。ファミコンブーム当初の猥雑な活気は過ぎ、国民機スーパーファミコンの爛熟とともに売れるゲームは固定化。ROMカセットの値段は吊り上がり、わが国の家庭用ゲームシーンに最初の閉塞感が訪れていたおりがちょうど僕の中高生時分で、「自由な冒険」を味わいたい場も、モニタ上の仮想世界ではなく現実世界での様々な出会いの方へとすっかりシフトしてしまった。そんなゲーム体験のかたちは、結構多いんじゃないだろうか。
     で、いったんはゲームを「卒業」してしまった僕とか彼らにとって、ドラクエとFFは何年かに一度、そのときだけはブラウン管のなかの非日常を介してゲームの共同性につかのま浸る帰省の旅路。ただしそれぞれの「帰省」の体験の質は明らかに違う。ドラクエで出会うのが少年時代から変わらぬあの懐かしき村祭りだとすれば、FFがもたらすのは、こっちの変化と同等かそれ以上の変貌を遂げ、なにやら遠い存在になってしまいそうな焦燥をかきたてる、都会へ先立った同級生との唐突な再会だ。
     どうやら少なからぬ人にとって、それは淋しさばかりをつのらされる体験であるようなのだけど、僕に関してはそうでもない。なにせ、「古き良きゲーム村を離れてよそいきの見てくれを整えていく」ありさまは、まさにこちらの似姿だ。近くに寄ってよく眺めたときの意外な変わらなさ、涼しげな外見の裏の必死さ・あぶなっかしさ、底にあるものの垢抜けない田舎臭さ・朴訥さなんて属性もふくめて、情と呼ぶには幾分カラッとした親近感に、ついほだされてしまう。
     そんな感じで、僕はFFを愛してきた。
     
     だから、2001年の夏に『X』がみせてくれたさらなる洗練には、正直舌を巻いた。『VII』『VIII』と通じて、主人公とプレイヤーの立場と精神状態の響きあわせ方の工夫に試行錯誤を重ねてきた制作チームが今回採ったのは、「物語後半のある決定的な場面からの回想語り」という体裁と「異世界への強引な闖入」の併せ技。スタートボタンを押すと同時に脳裏に刻まれる「最後かもしれないだろ」の台詞の場面へどう繋がるのかという興味、および「シン」の出現と狂言回しアーロンの巧みな誘導で故郷ザナルカンドから異世界スピラに放りこまれるまでのたたみかけるような冒頭展開は、シリーズ屈指のスリリングさでプレイヤーを引きずり込む。そんなドサクサで「これはお前の物語だ」なんて言われる頃には、プレイ前に感じてた主人公ティーダのヘンテコな風体への違和感なんかはすっかり吹き飛んでいたものだ。
     世界の見るもの聞くもの全てが主人公にとって初めてという異世界ファンタジーの趣向はシリーズとしても実は最初のことで、これまで何故やってなかったのだろうと思うほど、「他人」たる主人公キャラへの感情移入を要するFFのシステムによくハマる。初めて声優を用いたボイスつきの演出はここの部分でも功を奏していて、他のゲームにあまり類をみない主人公モノローグの多用は、異世界で出会う仲間たちとも共有できない心情をプレイヤーにだけ聞かせ、ともに見知らぬスピラを旅する一体感を呼び起こす。FFがFFであることを突きつめてのこういう発見は、まさに伝統というのが絶えざる自己更新という意味であることを思い知らせてくれるだろう。
     
     そんなFFの伝統のひとつに、だいたい通底する意味合いや意匠群をもちながら、作品毎の物語の趣向や登場人物のキャラクター造形、テーマ性に応じて、毎回すこしずつ異なったかたちで変奏される世界観がある。 
  • 過疎化する地方でタクシーが果たす使命ーー日本交通・川鍋一朗が描く「交通」の未来 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.086 ☆

    2014-06-05 07:00  
    220pt

    過疎化する地方でタクシーが果たす使命ーー日本交通・川鍋一朗が描く「交通」の未来
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.086 ☆
    2014.6.5
    http://wakusei2nd.com

    今回のほぼ惑に登場するのは、日本最大のタクシー会社「日本交通」社長の川鍋一朗。アナクロに思われがちな「タクシー」というサービスに秘められた、インターネット以降だからこそ活用可能なポテンシャルとは――!?
    日本交通株式会社・代表取締役社長の川鍋一朗――ビジネス雑誌などを読む人にはよく知られた人物だが、「ほぼ惑」の読者には知らない人が多いかもしれない。
    慶応大学経済学部卒業後、マッキンゼーに入社。その後、1900億円の負債を抱えた老舗タクシー会社「日本交通」を創業家の三代目として受け継ぎ、見事に会社再建を果たす。一方で、タクシーを呼べるアプリ「日本交通タクシー配車アプリ」を開発するなど、新たな手法でタクシー業界の次の姿を切り拓いてきた。
     
    PLANETS編集部は今回、川鍋社長に日本交通本社でインタビューを行った。uberなどのタクシー配車アプリが途上国を中心に爆発的に伸びている状況で、「タクシー」という雇用のセーフティネットとしての機能を持つ業界がいかに対応していくべきか。そして、タクシーと切り結んだ、未来の地方社会における「交通」の新たな姿とは。宇野と川鍋氏が、「タクシー文化」の現代における可能性について語り尽くした。
     
    ◎構成:稲葉ほたて
     

    ▲川鍋一朗
     
     
    ■「拾う文化」から「呼ぶ文化」へ
     
    宇野 今日は単刀直入に、川鍋さんに一つお伺いしたいことがあるんです。まず、川鍋さんは、否応なく変わっていかざるを得ないタクシー業界にかなり強く介入されていますね。
    川鍋 そうですね(笑)。
    宇野 そのとき、川鍋さんはタクシー業界をどこに導こうとしているのか。例えば、あちこちのインタビューで、「これからはタクシー業界そのものが生き残りをかけなければいけない。流しのタクシーを拾う文化から、タクシーを呼ぶ文化に変えなきゃいけない」と仰られていますね。
    川鍋 タクシー業界は一昨年100周年を迎えたのですが、まさに102年目にして「選べる時代」にさしかかりつつあるという認識です。まだ売上のボリュームでは都内のお客様の2割程度ですが、そういう能動的な方がどんどん増えています。当社の売上に関して言えば、10年くらい前は積極的にウチを選ぶ人は3割くらいだったのが、既に半分以上です。
     

     
    こういう施策は、もちろん会社の競争としても必要で、アプリのその一環です。あれはSUICAを導入したり、慶應病院の前で待つタクシーをウチにしてもらったりするのと同じ”シェア拡大策”の一つなんです。
    宇野 ただ、その背景には、明らかに世界的な流れがありますよね。現在、日本交通のアプリのようなGPS機能と連動してタクシーを呼べるアプリは、外国でも大きなインパクトをもちはじめていますよね。もちろん、途上国やアメリカと日本のタクシー事情は社会的な条件が大きく違うとは思うのですが。
    川鍋 我々はアプリ専業の会社ではないので、あくまでもタクシー事業者としてのアプリ運営でしかありません。ウェブサービスで言えば、「食べログ」というよりは「ぐるなび」に近くて、あくまでも事業者の効率的運営のサポートが目的であり、お客さまにとってのタクシーの価値を上げるためのものなんです。
    それに対して、IT事業者の運営する、例えばuberやHailoのようなアプリは目新しいシステムではあるのですが、タクシー事業者にとってはマージンを失うものなんです。それでは産業全体として地盤沈下してしまい、お客様に新たな価値を届けられなくなります。しかも、多くのアプリは既存のタクシーを呼びやすくしているだけなのにマージンが10-15%ですから、我々にとっては払えるレベルではないんですよ。せいぜいクレカの手数料の3-4%が、事業としての限界なんです。
    だから、産業という側面からすると、自分たちでやった方がいい。まずタクシー産業発展のために利益をしっかり確保しようという視点で、スマートフォンのアプリを広げています。いまは全国で120社くらいと提携していますね。
    宇野 川鍋さんの仕事を見ているとタクシー業界が受動的に待つお客さんではなく、能動的なお客さんを今よりもつかまえるようになっていくんだなと思うんです。
    その結果、ニーズが細やかになっていき、対応力も備わっていくでしょう。しかし同時に、必ず差別化が行われていくので、それに対応できる業者だけが残っていくことになる。だから、おそらくはタクシー全体の台数は減るのではないでしょうか。
    川鍋 例えば、いま東京には5万台のタクシーがあるんですけれど、常時出動している5万人の運転手の生活を支えるコストは、「5万人×年収」の掛け算です。それを現在のタクシーへのニーズで割ったのが、現在の料金ですよ。ということは、台数を半分にすれば、初乗り500円くらいになるわけですね。
    でも、そうなると今度は金曜の夜にはどこも乗車中だったりして、アベイラビリティの面での不便が出てくるでしょう。もちろん、「タクシーの料金は高いよね」という議論はしていて、料金を下げる方法は他にもいくつかあるのですが、結局はバランスの問題なんですよ。
     
     
    ■社会インフラとしてのタクシー業界
     
    宇野 川鍋さんは、いろいろな場所で「タクシー業界を守る」という発言をされていますね。そこでのお話を僕の業界に喩えるなら、Amazonがやってくる前に日本の本屋業界で経営統合して、Amazonを作ってしまおうという発想だと思うんです。
    しかし、タクシー業界が持っている労働・雇用を含む意味での社会インフラ機能はどうなるのか。実際、「なんの経験もなしに、この年収になれる職業はそうはない」という話をされていますよね。いわば社会のセーフティネットとしてのタクシー業界というものを含めて、ビジョンがあるのではないでしょうか。
    川鍋 タクシー運転手って、やはり他に行くところがなかった人が過半数なんですね。それは諸外国も一緒なんですよ。だから、タクシー業界で彼らを頑張らせ続けなければ、ハローワークに行くことになるんです。そうすると、政府の税金で多大なる職業訓練費や生活保護費を掛けながら、労働市場にカムバックさせなければいけません。でも、生活保護費だけでも一人あたり月14~15万円、さらにパソコン教えたりすれば20数万円かかるわけですよ。タクシーがあれば、そのマイナス20数万円がプラス20数万円に転じるわけです。
    実はタクシー運転手の数は日本全国で40万人いるんです。しかも、ほとんどが50代の運転手ですから、家族の存在も考えるとざっと100万人の人間――つまり日本人の100人に1人はタクシーで生活しているわけです。これが外からの勢力の登場で、一気に崩壊するのは避けなければいけないです。そのためには、先に攻めることで、スムーズに新しい世界に移行させていかなければいけないと思っています。ただ、このバランス感覚が……
    宇野 でも、それはタクシー業界に限らず、いまの日本の様々なジャンルで上手く行かずにいることですね。僕のいるマスメディアの世界がまさにそうですよ。
    川鍋 でも、だからこそやる価値があるんです。そうでないと、いがみ合いでぶつかりあって、不毛な戦いになってしまう。
    いまタクシー業界全体の生き残り策として私が考えているのは、まさに業界としてある程度まとまってやっていくことです。例えば、2年前から都内で妊婦さん向けに陣痛時のタクシーサービスを始めて、現在では都の2割の妊婦さんが登録してくれています。ただ、ウチだけでは必ずしもすべての妊婦さんに対応できるとは限らない。最近は他社がやってくれるようになって、だいぶ妊婦さんがタクシーを使いやすくなっていますが。
    私としては、やはりこういう施策を産業として一斉に始められて、意見の集約ができることが重要だと思います。現在、日本にタクシー会社が6000社あるのですが、もう少し会社の数を統合して少なくすれば、事業規模を活かした前向きな経営判断ができるのではないかと思っています。
     

     
     
    ■都市生活におけるタクシー文化の可能性 宇野 ここまでのお話は、ある意味で業界にとっての「タクシー文化」の話ですね。でも、僕が本当に気になるのは市民にとってのタクシー文化なんですよ。
    例えば、僕はほとんど百貨店に行かずに、楽天とアマゾンで買い物をしているんです。外食でも、通の人が出入りしている界隈を紹介してもらうよりは、食べログを見て「3.5なら行こうかな」という感じです(笑)。こういう都市生活の変化がある中で、公共交通機関は電車も飛行機も基本的には変わっていないわけです。そういう点では、まさに日本交通のタクシーアプリが交通における初めての変革ではないかと思うんです。
    そこで僕に興味があるのは、市民とタクシーとの距離感がどう変わっていくかです。例えば、海外でタクシーアプリを使うユーザーにとっては、安全なタクシーを確実に呼べるのは大きいでしょう。でも、日本では治安が良いこともあって、タクシーでの犯罪というのはあまり聞かない。アメリカや途上国と日本では全く異なる変化が起きると思うんです。
     
  • 起業家・安藤美冬インタビュー「2020年にアピールするべき、成熟都市のライフスタイルとは」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.085 ☆

    2014-06-04 07:00  

    起業家・安藤美冬インタビュー「2020年にアピールするべき、成熟都市のライフスタイルとは」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会  ☆
    2014.6.4 vol.085
    http://wakusei2nd.com

    今回のPLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビューに登場するのは、起業家・安藤美冬さん。安藤さんが考える、2020年に世界に向けてアピールすべき東京の姿とはどんなものなのでしょうか。
    【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第8回】 
    この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』(略称:P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビューしていきます。2020年のオリンピックと未来の日本社会に向けて、大胆な(しかし実現可
  • 「ゲーセン文化の過去と未来をつなぐ〈絆〉とは」――『機動戦士ガンダム 戦場の絆』トッププレイヤー・カバパンインタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.084 ☆

    2014-06-03 07:00  

    「ゲーセン文化の過去と 未来をつなぐ〈絆〉とは」 『機動戦士ガンダム 戦場の絆』 トッププレイヤー・カバパン インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会  ☆
    2014.6.3 vol.084
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」は、テレ東の大人気番組「板倉小隊」で異彩を放つ金髪の教官・カバパンの登場です。プロフィールもほとんど明かされておらず、ただ「絆」における圧倒的な強さのみが知られている彼はいったい何者なのか……宇野常寛が迫りました。
    テレビ東京の人気番組「絆体感TV 機動戦士ガンダム 第07板倉小隊」(以下「板倉小隊」)――その番組の中に、インパルス板倉など隊員たちの教官的な存在として登場する金髪の若者がいるのをご存知の人も多いだろう。そう、カバパンである。
     
    今回、番組の大ファンでもある宇野常寛はカバパン氏とPLANETS事務所で会い、話を聞いた。