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  • 吉田浩一郎と語る『静かなる革命』実行へのロードマップ――「クラウドソーシングが変える労働と社会保障」イベントレポート ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.115 ☆

    2014-07-16 07:00  
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    吉田浩一郎と語る『静かなる革命』実行へのロードマップ
    ――「クラウドソーシングが変える労働と社会保障」イベントレポート
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.16 vol.115
    http://wakusei2nd.com

    今後、日本人の「労働」と、「会社」との関係はどうなっていくのか? 宇野常寛の新刊『静かなる革命へのブループリント』刊行記念として、対談相手の一人でもあるクラウドワークス代表の吉田浩一郎氏を迎え、これからの働き方、そして「ウェブ共済」という新たな社会保障のコンセプトを語ったイベントのレポートです。
    本イベントは7月1日(木)の夜、東京・恵比寿「デジタルガレージ」社にて開催されました。
    もともとは、宇野常寛編著で吉田浩一郎氏も対談相手として登場した『静かなる革命へのブループリント』の刊行記念イベントとして行なわれたこのトーク。しかし久しぶりの2人での対談ということで議論は白熱し、結果的に『ブループリント』吉田さん対談パートの続編のような内容へと発展していきました。このイベントレポートでは、約2時間にわたって議論された内容を圧縮してお伝えします。
     
    ◎文:中野慧
     
    ▲クラウドワークス代表・吉田浩一郎氏
     
     
    まず、トークは吉田さんの意外な来歴から始まりました。
    なんと、かつて中高生時代はコミケで同人誌を出し、大学生のときは演劇を志した「サブカル」な若者で、宗教などについても勉強していたという吉田さん。日本では会社が宗教の代わりとして機能していたと語ります。
    「アメリカには『ブラック企業』という言葉はないですよね。要するに個人と企業が対等なんです。ブラック企業という言葉には、『企業に期待をして裏切られた』とか『ひどいことをされた』というニュアンスが含まれているわけです。でもアメリカだと『だったら会社やめればいいじゃん』となります。アメリカでは企業以外に宗教もあるし、プライベートの友達や家族という概念も明確に存在している。要は、企業とインディペンデントな状態を個人が保てるわけですね。日本だと会社に対して同一化するように枠組みができてしまっていて、正社員であり続けることが良いと信じこまれていたわけです。その枠組みが3.11によって少しずつ崩壊しはじめている」
    このお話を受け、宇野常寛はクラウドソーシングというサービスが社会で一定の力を持つことによって世の中がどう変わるのかを、真剣に考えるタイミングだと指摘。
    「インターネット以降、日本は私達が想定していたよりもずっとバラバラになってしまった。この現実を受け止めた上で、バラバラのまま生きていく方法を考えたほうがいいし、そのためのヒントとしてクラウドソーシングというサービスの位置付けを考えるべき」
    そして、クラウドソーシングの持つより大きな可能性について議論は進んでいきました。
     
     
    ■【クラウドソーシングは「コネ社会」からの解放である】 吉田さんは、「中長期で見ると正社員もクラウドソーシングを併用する時代が来る」と予測しているといいます。その文脈で今注目されているのは全日空、スターバックスやユニクロが採用する「地域限定正社員」。吉田さんが語ります。
    「地域限定正社員のメリットとしては職場の大きな異動がない一方で、デメリットとして、その企業が地域の拠点から撤退すると雇用がなくなるということがあります。地域限定正社員を始めとした雇用の多様化が進んで終身雇用がなくなっていくと、昼間に働く場所と併用して、夜、副業としてクラウドソーシングで稼ぐ力を自分で徐々に身につけようという動きが現実的に起こってくると思います」
    これを受けて、20代の頃は働く気がほとんどなかったという宇野は、「僕が20代の頃は、世の中には『一生フリーターコース』か、正社員になって『銀座ゴルフ文化圏の住人』になるかの二択しかなくて息苦しかった。いろんな距離感を持って会社とつきあってくれる働き手を企業が確保したいと思っているときに、どこかでそれを外側から支えるサービスが要りますよね」とコメント。
    さらに吉田さんは、正社員という制度の陥穽をこう指摘します。
    「正社員ってすごい制度で、地域の定めがなく職種の定めもない状態でどこに飛ばされても、どんな仕事に配属されてもしょうがないということと引き換えに、無期雇用を保障してもらっているという状態なんですよね」
    議論はさらに、クラウドワークスというWebサービスのもつ特性の話へと続いていきました。
    そもそもフリーランスとは一般的に、知り合いの伝手で仕事を紹介してもらい、案件ごとに働いて報酬をもらうという働き方ですが、こうした働き方にはもともと強力なコネクションがあることが必須の条件になります。宇野はクラウドワークスのサービスを、この「コネクション」の必要性からの解放であると見ます。
    「僕のいる人文や批評のような物書きの業界では、一旦コネ社会に身を置かないといけなくて、それがものすごく息苦しかった。でも、仮に物書き用クラウドソーシングみたいなものがあって、『僕はこのジャンルとこのジャンルについては原稿書く自信があります』という感じで登録して、コンペで仕事が取れるんだったらどんなによかっただろうと思うんです。僕がクラウドソーシングというサービスが面白いと思っているのは、日本のコネ社会の嫌な部分をシステムで代替してくれる可能性があるところです」
    この宇野の話を受けて吉田さんはこう答えました。
    「今まさにクラウドソーシングではそういうことが起こっていて、仕事で実績を上げると個人が仕事を選べる、つまり個人と企業と対等になるという風景が現れ始めている。個人に紐づいた信頼を、どんどん見える化していっているんですよね」
     
     
    ■【クラウドワークスへの期待は、「バラバラのものをバラバラのままにつなげること」】
     
    そして議論は、Webサービスというものが「人々をどうまとめ、どうバラバラにするか」という話へと進んでいきました。
    宇野は今のドワンゴのような会社と、クラウドワークスが提供するWebサービスにはひとつ大きな違いがあるのではないかと指摘します。
    「ドワンゴの運営するニコニコ動画は、実は人々をまとめる役割を果たしていると思います。そしてニコ動がまとめているのは、20代のどちらかというとオタク/インドア系の人たちで、非常にはっきりとしたカラーがある。それがこの先のポスト戦後のスタンダードになっていくのか、それとも僕たちはやっぱりバラバラになっていくのか、がひとつの争点になると思うんですよ。僕がクラウドワークスが面白いなと思うのは『○○である』ではなく『○○ではない』人たちを集めているところ。主婦や高齢者、独立を狙っているサラリーマンで経験値を積みたい人、就職したくない学生でノマドワーカーをやっている人もいて、どちらかというと戦後的な男性会社員中心の社会からこぼれ落ちた人たちですよね。そこに対してニコニコ動画は、『男性会社員中心の社会』へ正面からカウンターする存在です。この2つのどちらのビジョンが生き残っていくのかが最近すごく気になっています」
    ここから議論は、ライフスタイルの話も巻き込んで拡大していきました。
    吉田さんが新卒で就職したのは、まさに日本的な大企業のひとつであるパイオニア。そこで、総合職/一般職という区分けを経験した上で、外資系のリードエグジビションジャパンに転職して見た光景が、今のクラウドワークスの仕事の原体験になっているといいます。
    「その原体験の中でどっちが自分にとって好きかというと、後者のほうなんですよ。 
  • 「オリンピックにアイドル」ではなく、「アイドルのオリンピック」を開催すべき!――情報環境研究者/アイドルプロデューサー・濱野智史インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.114 ☆

    2014-07-15 07:00  

    「オリンピックにアイドル」ではなく、「アイドルのオリンピック」を開催すべき!――情報環境研究者/アイドルプロデューサー濱野智史インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.15 vol.114
    http://wakusei2nd.com

    今回のPLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビューに登場するのは、情報環境研究者/アイドルプロデューサーの濱野智史さん。濱野さんが考える、アイドルとオリンピックの関係、そして「アイドルによるオリンピック」計画とは――?

    【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第10回】 
    この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』(略称:P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビュー
  • 週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~7月7日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.113 ☆

    2014-07-14 07:00  
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    週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~7月7日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.14 vol.113
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送をお届けしている「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。
    前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    7月7日(月)21:00~放送
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」▼7/7放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    7/4に41日ぶりに開催されたAKB48の握手会! たまった原稿を無視して握手会に向かうとツイッターでつぶやいた宇野常寛を待ち受けていた、「相互フォロー的リアリズム」の極限とは!?
    ☆ムチャぶりスケッチブック☆
    いろんな話題からニコ生アンケートでテーマを決定!今週はAKB高城亜樹のツイッターを騙った「スーパーハッカー検挙」の件と、「野々村議員号泣会見」から、ツイッターつるしあげ文化に警鐘を鳴らします。
    ☆今週の一本☆
    毎週宇野が一番気になった作品について語るコーナー。今週は7/4公開になったAKBのドキュメンタリー映画最新作『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』を語ります。
    ☆ムチャぶりスケッチブック2☆
    トミヤマDが考えた話題からニコ生アンケートでトークテーマを決定。「新世紀エヴァンゲリオン」について語ります! 「父に認めて欲しい」と悩むシンジ君に、宇野が感じた違和感とは? そして話は、当時すでに「エヴァ」を超えていた「クローズ」へ…。
    ☆延長戦トーク☆
    延長戦トークは、ニコ生コメントで流れてきた「七夕の思い出」について…だったはずが、宇野常寛が小学校の頃に出くわした「ヤバイ」教師の話で盛り上がりました。
     
  • 【現代ゲーム史特別編】日本的ゲームの土壌から花開いたサブカルチャーの系譜 ――YMO、ビートたけしからボーカロイド、グループアイドルまで☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.112 ☆

    2014-07-11 07:00  
    220pt

    日本的ゲームの土壌から花開いたサブカルチャーの系譜
    ――YMO、ビートたけしからボーカロイド、グループアイドルまで
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.11 vol.112
    http://wakusei2nd.com


    (初出:「サイゾー」2014年4月号)
    本日のほぼ惑は、「現代ゲーム全史」特別編として、「サイゾー」2014年4月号に掲載された中川大地の論考をお蔵出しします。日本独自の様々なコンテンツの源としての、「ゲーム」の文化史的位置づけとは? そして、ゲーム的想像力が可能にした「フィクションから現実への越境」とは――!?
     現在の日本のポップカルチャーシーンにおいて、ゲームは最後発のメディアにあたる。具体的には、1970年代にアーケードビデオゲームが登場し、78年の『スペースインベーダー』の爆発的なブームを経て社会化し、急激に表現を高度化させていった分野だ。最後発ゆえに、それ以前に存在していた他のカルチャージャンルの題材趣向や演出技法を、見よう見まねで無節操に取り込まざるをえない。そうして取り込まれた複数のジャンルの表現が、ゲームジャンルの内部でシャッフリングされてクロスオーバーが起き、そこでの変質が逆に先行ジャンル側のキーパーソンなどを通じて諸ジャンルに持ち帰られる。この30数年間のカルチャー史の流れの中には、そのようなモーメントがあった。その意味で、ゲームは先行コンテンツ文化全般に、テクノロジーの進歩がもたらす予想外の変化を注ぎ込む、進化の震源地となってきた分野だったと言えるだろう。
     本稿では、ゲームジャンルの発生以来、影響を与え合っていった他ジャンルでの成果を見ていきたい。
     
     
    ■音楽――電子音が触発したムーブメント
     
     数あるカルチャー表現の中で、最初にゲームからの本格的なフィードバックを受けたジャンルが「音楽」である。その最も大きなチャンネルとなったのが、クラフトワークなどのドイツテクノと並行して、テクノポップという日本独自の音楽ジャンルを作り上げたYMOだ。彼らの1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』(79年)は、1曲目は『サーカス』(77年)、5曲目に『インベーダー』と、のっけから当時ゲームセンターで稼働していたビデオゲームの音源を利用しているのである。日本が初めて世界に発信した電子音楽のムーブメントが、まさにゲームの音から始まっていたという事実は注目に値しよう。
     その延長線上にYMOのメンバーだった細野晴臣がプロデュースしたのが、『ゼビウス』(83年)などナムコの人気タイトルのBGMを収録した初のゲーム音楽アルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(84年)だ。『ゼビウス』の世界観はアニメ『伝説巨神イデオン』など、現在でいうオタク文化に類する分野の影響で作られているが、細野のようなニューウェーブ的な音楽はいわゆる新人類/サブカル的な感性の走りだ。さらにライナーノーツにはニューアカデミズムの旗手であった人類学者・中沢新一が寄稿しており、いかにゲームが80年代前半のカルチャー状況を複合的に刺激していたかがわかる。
     80年代後半にゲームのメインストリームが据え置きのテレビゲーム機に移り、RPGの勃興期になると、すぎやまこういちが音楽を担当した『ドラゴンクエスト』シリーズ(86年~)ではゲーム音源のみならず、そのイメージを膨らませてオーケストラ編成にしたアレンジ版が発売されるようになる。さらに『ファイナルファンタジー』シリーズ(87年〜)などでは、北欧系のワールドミュージックやプログレッシブロックなど、比較的マイナーなジャンルの音楽が普及度を上げる回路としても機能していく。そうして生まれた和製ファンタジー系のゲーム音楽は多くのフォロワーを生み、その影響下に「物語音楽」を掲げるSound Horizonのような同人音楽出身のアーティストも登場している。
     そしてサークル「上海アリス幻樂団」製作の同人シューティングゲームシリーズである「東方Project」の楽曲は、DTMシーンにさらなるn次創作のムーブメントを生み、00年代の同人音楽界を牽引した。ニコニコ動画を主舞台としたこの流れは、現在の日本の音楽シーンの一角を占めるボーカロイド文化とも直結している。
     こうして振り返ってみると、テクノポップにせよ同人音楽・ボカロ音楽にせよ、海外の追随でない日本独自のポピュラー音楽のジャンルは、実はゲームの影響からしか生まれていないという言い方さえできるだろう。
     
     
    ■テレビバラエティ――国民娯楽への侵食
     
     音楽に続き、歴史的に早い時期にゲームからの大きな影響を受けた文化が、実は「テレビバラエティ」である。1983年のファミコンの登場は、それまでの大衆娯楽の王者だったテレビ文化にとっては、決定的な挑戦だった。外部入力端子のなかった当時のテレビ受像機にファミコンを繋げる手段は、放送波と同じ形式の周波数変調によるRF接続しかなかったから、ある意味で電波ジャックをしているようなものだ。
     このことに最も敏感だったテレビ人が、ビートたけしである。80年代の漫才ブームを経て「オレたちひょうきん族」で天下を取ったたけしもまた、『スーパーマリオブラザーズ』(85年)で国民的なブームの域に達したファミコンの虜になった一人だった。その尋常でない注目ぶりは、本人がゲーム内容にまで強く関与したゲームソフト『たけしの挑戦状』が、理不尽な難解さで伝説的な「クソゲー」となり、他のタレントゲームとは別次元の怪作となったことからも明らかである。そして直後に手がけた「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(86〜89年)は、まさにファミコン的なステージクリア型アクションゲームの趣向を導入したゲーム発のバラエティ番組だった。このような新たな番組フォーマットの確立は、かつて喜劇小屋でのコント劇をテレビに移植したコント55号やザ・ドリフターズに匹敵する意義があったと言えるだろう。
     以降、体感型のデジタルゲームなど複数のミニゲームで構成された「関口宏の東京フレンドパークⅡ」(94〜11年)、サイドビュー(水平方向から見る視点)型の横スクロールアクションのような画面構成の「SASUKE」(97年〜)など、多くのバラエティ番組にゲームの要素が盛り込まれる時代が訪れた。
     この系譜の現在の最新型が、フジテレビの「逃走中」「戦闘中」であろう。ミッションをクリアすべくアイテムを集めたりバトルを行ったりといったシステムは、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(98年)のような3D時代のアクション探索ゲームそのままだ。このようにアクション性の高いゲームの進化は、バラエティ番組の企画にかなり直接的な影響を及ぼしているのである。
     
     
    ■マンガ・アニメ――RPGが変えたドラマツルギー
     
     一方、ゲームとの接点が最も高そうにみえる「マンガ・アニメ」といったビジュアルな物語ジャンルは、ゲームの側に影響を与えたり、『ゲームセンターあらし』のようなゲームを題材にした作品が登場することはあっても、表現手法そのものへのゲームからの影響が感じられる時期は意外と遅い。おそらくその端緒は、『ドラクエ』で鳥山明や、学生時代からジャンプ編集部にライターとして出入りしていた堀井雄二など「週刊少年ジャンプ」の才能がゲーム業界に注入されたあたりだろう。ファミコンが国民的娯楽になった時期は『キン肉マン』『北斗の拳』等々、「ジャンプ」の黄金期にあたる。そして数あるバトル漫画の中でも、鳥山の『ドラゴンボール』に「戦闘力」のような露骨なRPG的パラメータが登場し、ドラマツルギーとは独立したシステムマティックな強さの指標として描かれていくあたりから、少年マンガの作劇におけるゲームの影響が顕著になってくる。
     さらに90年代中盤には、『ジョジョの奇妙な冒険』や『幽☆遊☆白書』のように絶対的な強さのヒエラルキーではなく、主人公チームがRPGのパーティバトルよろしく、特性別の役割分担で、ルール性の高いバトルでの知能戦を繰り広げる傾向が強まっていく。つまりジャンプ漫画の作劇流行において、ゲームの体験からのフィードバックが、徐々に「努力・友情・勝利」からの脱却をもたらし、今に至っているのである。
     さらに直接的な例では、「ドラクエ」の発売元エニックスが91年に自前の漫画誌「月刊少年ガンガン」を創刊。01年から始まった看板作品『鋼の錬金術師』が、強い法則性で貫かれたファンタジー世界での攻防を展開。媒体面でも内容面でも、本格的にゲームが涵養したマンガ文化が登場した。
     『ドラクエ』がマンガとの隣接性を深めた作品なら、アニメとのそれを深めたのが『ファイナルファンタジー』だ。『FF』はより『指輪物語』以来の西洋ヒロイックファンタジーの意匠導入度が強い作品だが、それに匹敵する要素として『風の谷のナウシカ』的なエコロジカルな自然観を地水火風のクリスタルで表現したり、『天空の城ラピュタ』のロボット兵のようなロストテクノロジーを登場させたりと、シリーズを通して宮崎駿的な世界観を導入したのが重要だ。 
  • 吉本隆明のDNAをどう受け継ぐか ――ハイ・イメージ論2.0へのメモ書き ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.111 ☆

    2014-07-10 07:00  
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    「吉本隆明のDNAをどう受け継ぐか
    ――ハイ・イメージ論2.0へのメモ書き」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.10 vol.111
    http://wakusei2nd.com

    (初出:「ダ・ヴィンチ」2014年7月号)
    本日のほぼ惑は、「ダ・ヴィンチ」での宇野常寛による批評連載のお蔵出しです。
    宇野常寛が読み解く、「進歩的知識人」批判にとどまらない吉本思想のポテンシャルとは。
    そして『ハイ・イメージ論』で示されたインターネット以降の世界への接続可能性とはどのようなものなのでしょうか――。

    ▲[第一回配本]吉本隆明全集 第6巻(晶文社)
     
     去る5月1日、新宿の紀伊國屋ホールにて「吉本隆明のDNAをどう受け継ぐか」と題されたシンポジウムに登壇してきた。これは晶文社から出版されている吉本隆明全集の刊行開始記念イベントで、ほかの登壇者は中沢新一、内田樹、茂木健一郎の各氏で、冒頭にはよしもとばななさんのスピーチもあった。いずれも、1978年生まれの僕にとっては学生時代より愛読している「歴史上の人物」で、まあ、正直言ってビビッていたのだがここで借りてきた猫のようになってしまってはせっかく僕を指名してくれた晶文社と紀伊國屋書店に申し訳ないと思い、なんとか議論の舵取りを務めてきた。そう、僕の役目は議論の舵取り、つまり司会だった。
     シンポジウムはそれなりにつつがなく、そしてそれなりに白熱したものになったと思うのだが、今回僕は司会という役割上、吉本の代表作を読み返すことになった。もちろん、吉本の膨大な仕事量を考えれば、それはほんのかじっただけとしか言えないかもしれない。しかし今、このタイミングで吉本隆明を読み返したことは、僕にとって非常に大きな収穫をもたらすものだったと思う。そこで、今回は同シンポジウムから僕が得たもの、考えたものを21世紀の吉本隆明論への序章として、いや序章未満の構想メモとして記しておきたいと思う。
    最初に断っておくが、僕はまず新左翼のイデオローグとしての吉本隆明という側面は忘れてもよいと考えている。吉本の前衛党批判や知識人批判が当時果たした役割や、その意味付けは批判的なものも含めて出尽くしているように思う。たしかに一部の戦後的「進歩知識人」にはいまだに当時吉本隆明が丸山真男を批判した内容がそのまま当てはまるのだろうし、彼らの影響力も残念ながら少なくない。たとえば改憲をめぐる議論ひとつ考えても、正統な戦後的進歩知識人であればあるほど、「そもそも自民党の改憲案は、憲法というものの性質を理解していない」とその完成度をあげつらうことが多い。もちろん、僕はこうした指摘が不要だと考えているのではない。むしろその批判自体には全面的に賛同しているとすら言ってもよい。しかし、彼らはこうして論敵の不明を嘲笑うだけで、自民党の改憲草案指示の背景にある国民の感情について無関心だ。中国の外交戦略や北朝鮮情勢の不安定さを前に、国家に軍事力が必要であるという常識を少なくとも建前上は否定している現行の憲法下でそれに対応できるのか、といった不安に応えようとしない。
     必要なのは「自分たちはあいつらよりも博識である」という自慢ではなく、現状の憲法があるからこそ国民の安全と国際社会における平和勢力としての活動が可能であるというアピールとそのための具体的なプランの提出ではないか。しかし、「戦後的進歩知識人」の残存勢力の関心は今も昔もナルシシズムの記述にしかない。その意味では吉本隆明のジャーナリスティックな仕事の数々はいまだにその役割を失っていない。しかし、私見では既にこの問題は、形骸化したマスメディアの言論空間をどう変革するか、あるいは既存の空間の外側にいかに有効な言論空間をつくりあげるかという実践レベルの問題に移行しているように思える。
     しかしここでもっとも重要なのは当時吉本が前提としていた知識人と大衆という問題設定自体が、少なくとも現在においては無効化されていることだろう。たとえば先の震災が明らかにしたのは、ある特定の分野の専門家、それも国際的な第一人者のレベルの研究者が別の分野については陰謀論じみた風評を信じてしまう、といった現実である。
     そう、僕は吉本隆明を21世紀の今、読みかえす価値はジャーナリスティックな機能ではなく、その理論的なポテンシャルにあると考えている。たとえば吉本の好んで使用した言葉に「大衆の原像」というものがある。この言葉は今ではせいぜい「インテリたちは市民のことを理解していない」という前述したような知識人批判のタームであると矮小化されている。しかしこの言葉は吉本思想の中核にあった。
     吉本が活躍した時代は戦後日本が高度成長からオイルショックを経て高消費社会に舵を切っていく時代だった。吉本がこのとき見つめていたのは、激変する時代の中にあっても決して変化することのない大衆の、いや、人間の本質だったのではないか。そして消費社会化は、これまで決して可視化されることのなかったそんな大衆の本質を可視化させていった。それが私見では『共同幻想論』から『ハイ・イメージ論』へ至る流れで吉本が背景にしていた変化である。言い換えれば、当時の消費社会化の流れの中で、自己幻想と対幻想の世界だけで完結して生きている人々が発生していた。それが「大衆」たっだ。いや、正確には大衆とは、いや人間とは、根本的に自己幻想と対幻想があれば生きていける存在であり、消費社会はその本質を露呈させたに過ぎない。
     だからこそ吉本は天皇制だろうが、戦後民主主義だろうが同じ次元で批判することができたのだし、前衛党抜きでの社会変革を信じることができた。そして、ここからが古い吉本読者とは一線を画すところかもしれないが、吉本のこうした可能性の中心は資本主義の内部にあったはずだ。
     これは共同幻想論からハイ・イメージ論に続く一貫した問題意識である。西洋的な社会契約とは異なるかたちで、つまり個人が個人のまま社会を形成する可能性をどう考えるか。その可能性は既に高度資本主義下の大衆の原像に現れていたというのが吉本なのだ。言い換えると、吉本隆明は理性ではなく欲望で生きる生物としての人間を考えていた。西洋近代的な市民化を経なくても、社会を維持できるという確信があった。(里山資本主義のような「いい話」による社会批判とはもっとも遠いところにいる人だと思う。)
     では「共同幻想がなくても、自己幻想と対幻想があればやっていける」とはどういうことか。今風に言えば、個人がメディア化することで前衛党や地域社会に関わらなくても、直接マーケットや法システムに対峙してやっていけるということだ。たとえば戦後民主主義の論理は個人が「徹底して個人的であること」を追求すると逆説的に個人的であることを保証してくれる国家を必要とする=「公共性を帯びる」というものだ。しかし、徹底して個人的であることを是とする吉本隆明はこの戦後日本における市民主義の論理を信じていなかった。共同幻想が機能しなくても、公共性を維持できる社会を考えていた。戦後民主主義は最後に九条が象徴する共同幻想を召喚する。そこが弱点だと指摘したのが吉本隆明だったのだ。そして戦後民主主義という「物語」が破綻し、「普通の国」に良くも悪くも性急に近づきつつある今、僕は吉本隆明を読み直すことで、リベラルな個人主義を再興できないかと考えている。そう、僕の考えでは今、左翼は共同体主義者になりすぎている。保守には戦後的な共同体主義者と脱戦後的な個人主義者とが両方いる。しかし現代の左翼には個人主義者はほとんどいない。 
  • 『もののあはれ』の実装は可能か――「necomimi」作者・加賀谷友典が師・江藤淳から継承した思想 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.110 ☆

    2014-07-09 07:00  
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    『もののあはれ』の実装は可能か ――「necomimi」作者・加賀谷友典が 師・江藤淳から継承した思想
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.9 vol.110
    http://wakusei2nd.com

    本日のほぼ惑は、脳波で動く猫耳「necomimi」を作った、加賀谷友典さんにお話を伺いました。一見キャッチーなプロジェクトの先に浮かび上がる、「もののあはれ」という意外な言葉の真意とは――?
     

    ▼プロフィール 加賀谷友典(かがや・とものり)
    1972年生まれ、慶應義塾大学総合政策学部卒業。フリーのプランナーとしてデジタル・ネットワーク領域で多数のプロジェクト立ち上げに参加。新規事業開発における調査、コンセプトの立案、チームマネジメントが専門。主な事例としては坂本龍一インスタレーション作品「windVibe」「Phonebook」「iButterfly」(電通)、「GEOCOSMOS」(日本科学未来館)、読売新聞yorimoプロジェクト、脳波で動くネコミミ”necomimi”など。
     
    ◎構成:稲葉ほたて・池田明季哉
     
     
    ■necomimiの作者は何をつくろうとしているのか
     
    宇野 僕は加賀谷さんを人に紹介しようと思う時に、いつもどう紹介したらいいか悩んでしまうんですよ。加賀谷さんのような立場でものづくりに関わっている人って、僕の知る限りほとんどいない。効率化と最適化を行うコンサルティングだけでもないし、単に表層的なアイディアを出すのでもない。何か思想を含めた、トータルなビジョンを提案しているように感じるんです。
    加賀谷 そうですね。僕のやっていることは説明が難しいんです。最近自分のことを「新規事業開発専門のプランナー」と言えばなんとなく耳慣れていて納得してもらいやすい、ということを覚えたんですが……(笑)。もっと本質的なことですよね。
    僕は情報ジャンキーなんで、純粋に知りたい欲求で動いているんです。だからたまたま物事がメジャーになる手前でキャッチすることが多くて、それをプロジェクトにしていく感じです。例えばphonebookはまだガラケー全盛のスマホ黎明期に、タッチパネルを使って絵本を作ったプロジェクトでした。
     

    ▲phonebook
    https://www.youtube.com/watch?v=AQ-oQihxBws
     
    その後はiButterflyという、ARとGPSを組み合わせて、ある場所にしかいない蝶を捕まえてクーポンをゲットするアプリケーションを作りました(https://www.youtube.com/watch?v=HAQh-_nFH-s)。
    それでスマホはだいたいやったな、と思ってシリコンバレーに遊びに行ったら、脳波テクノロジー・ベンチャーのニューロスカイ社と仲良くなり、それでnecomimiに繋がっていったわけなんです。
     

    ▲necomimi
    https://www.youtube.com/watch?v=w06zvM2x_lw
     
    宇野 加賀谷さんのプロジェクトって、言ってしまえば全てコミュニケーションなんです。でもその捉え方が普通と少し違っているのが興味深い。
    そもそも情報機器によるコミュニケーションって、文字とハイパーリンクによって人間の内面を陶冶していくような話が多いじゃないですか。しかも、現在のネット空間を見ていると、その可能性を語るのはかなり厳しくなっている。ところが、加賀谷さんのプロジェクトはそんなふうに人間を文字で内面から陶冶する可能性なんて一度も検討したことがないような気さえする(笑)。
    加賀谷 まさに、そういうところからは距離をおいてますね……。だって、動物の生態系なんて、非言語的ではあっても、情報のやりとりはなされているわけでしょう。別に言語に拘る必要はないじゃないですか。

     
     
    ■文芸評論家・江藤淳がコンピュータ・サイエンスについて語った"予言"
     
    宇野 プロフィールを見て気になったのですが、加賀谷さんはSFCにいたときに、文芸評論家の江藤淳のゼミにいらっしゃっいましたよね。
    加賀谷 そこに目をつけますか(笑)。江藤先生のことを話すのは初めてですよ……。僕が先生と出会ったのは、ちょうど江藤さんが学部での講義を再開した頃でした。後継者として文芸評論家の福田和也さんを連れて来られる数年前ですね。
    僕の方は当時大学の一年生で、SFCに政治哲学をやりたくて入ったばかりだったのですが、あの頃は現実の政治体制の分析みたいなことしかやっていなくて……もう正直なところ、退学しようと思っていたんです。でも、そんなある日、ちょうど病気の療養から回復してきたばかりの江藤淳さんが、それでまでに一度も話したことがないという「現代思想」の講義をするという機会があったんです。
    じゃあ、それだけは聞いて辞めようと足を運んで……僕は人生で最も興奮する講義を聞いたんです。
    宇野 それは、とんでもなく貴重な機会に恵まれましたね。
    加賀谷 その講義で一つ忘れられないのが、江藤さんがコンピュータについて言及して、「おそらくコンピュータサイエンスから、言語を否定するような言語理論が生まれてくるだろう」と言ったことなんです。
    正直なところ、当時は何を言ってるのかわからなかった(笑)――でも、なぜかめちゃくちゃに興奮したんですね。
    その後、僕は彼の日本文学のゼミで、言語哲学のようなことを始めました。周囲が坪内逍遥の作品だとかを研究している中で、「言語という秩序体系が、なぜ非秩序である"心"を表現しうるのか」みたいな思想的問題を、一人で延々と考えていたんです。そこで興味を持ったのが本居宣長でした。彼は「漢字の輸入によって、言語を文字として定着させられるようになったけれども、"もののあはれ"が失われてしまった」と「漢意」を批判しているわけですね。
    宇野 それは、江藤淳という人が近代日本のニセモノ性に極めて自覚的だったことと大きく関係してると思います。一般的には戦後日本の文化空間が敗戦とその後のアメリカによる統治によってもたらされたニセモノである、ということを批判した人だと江藤さんは思われている。それは正しいのだけど、より正確にはそんなニセモノであることに自覚的であることによってしか、現代人は成熟できないし、その自覚にしか文学は生まれない、という考えがあったと思うんですよね。そして同時にそれは日本語という日本の近代化が生んだ装置の不完全性への対峙こそが、現代文学であるという理解にもつながっていたと思うんです。
    ところが、加賀谷さんのアプローチというのは、言語が世界を表せないのなら、最初から言語以外のツールを使えばいいという発想になっている。だからそもそも言語の不完全性に向き合う必要がない。
    加賀谷 まさにそうなんです!
    だから、そういう話を江藤先生にしたら、「さすがに日本文学の研究室は違うよね」と言われて「どうしますかねえ」となって、一緒にお酒を飲んでました(笑)。
    宇野 江藤淳の弟子筋からこういう人が生まれたのは、いい意味で歴史の皮肉だと思うんですよ。
    加賀谷 でもね、それから僕は大学を出たあとに大学院にも行かずぶらぶらしていたのですが、その頃に江藤さんにお会いしたら「とりあえず、生き延びろ」と言われたことがあるんです。「俺なんて初めて給料をもらったのは30歳を過ぎたときだ。君はまだ8年もあるだろう」と(笑)。 
  • 2020年、東京は湾岸に「遷都」する!?――速水健朗「空想の東京湾〜海上都市を巡る物語〜」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.109 ☆

    2014-07-08 07:00  
    220pt

    2020年、東京は湾岸に「遷都」する!?速水健朗「空想の東京湾〜海上都市を巡る物語〜」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.8 vol.109
    http://wakusei2nd.com

    本日のほぼ惑は、今や入手困難となった『PLANETS vol.5』(2008年)に掲載された、速水健朗さんの書き下ろし原稿をお蔵出しします。フィクションの世界で描かれてきた東京湾と、東京オリンピックをめぐる現実の政争の歴史は、未来の東京の姿にどう結実していくのでしょうか。
    ※本原稿は、東京が2016年五輪招致レースで落選し、その後2020年の招致で勝利することが決定する以前に書かれたものです(2008年掲載)。当時の雰囲気を正確に伝えるため、事実関係の記述は書かれた当時のままにしております。予めご承知おきください。
     
     
    ■都市の変化を描く二つの刑事ドラマ
     
     冒頭、織田裕二演じる青島刑事が、初出勤の湾岸署入り口にてタバコをポイ捨てする。だが、その瞬間、青島は思い直してその吸い殻を拾い上げる。
     ドラマ『踊る大捜査線』の第一話のファーストシーンである。このシーンは、かつての名刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の冒頭に対応している。1970年代を代表するこの名作ドラマは、萩原健一演じるマカロニこと早見淳刑事がくわえタバコのまま、堂々と初出勤するところから始まるのだ。
     この『踊る?』の冒頭は、単に青島刑事のキャラクターを明示するためだけに置かれたわけではない。70年代の刑事ドラマでは、くわえタバコが咎められることなどなかった。しかし、1990年代ではそうはいかない。刑事も公務員。歩きタバコでポイ捨てでも、ちょっとした不祥事。新聞投書ものだ。そんな刑事の状況の変化がこの冒頭で示される。いや、それだけでなく、現代における刑事ドラマ作りの難しさを自己言及的に示しているとも言えるだろう。『踊る大捜査線』の刑事たちは被疑者にカツ丼は食わせないし、犯人追跡のために捕まえたタクシーでもレシートをもらい、あとで経費清算をするのだ。
     方や『太陽にほえろ!』の放送開始は1972年。舞台となる七曲署は架空の警察署だが、設定上の所在地は西新宿。オープニングタイトルのバックは、当時建設されて間もない京王プラザホテルが映っている。
     京王プラザホテルが建設されたのは1971年。かつては浄水場であったこの場所一帯は、副都心計画の名の下に大規模な再開発が行われ、ほんの数年で超高層ビルが建ち並ぶ街へと変貌する。
     それまでの新宿は、どこを切りとっても若者の街だった。フーテンや詩人たちが集まった喫茶店・風月堂、阿部薫らが活躍したジャズのピットイン、『ノルウェイの森』にも出てきたジャズバーのdug、渋谷陽一がDJをしていたロック喫茶ソウルイート、唐十郎が紅テントを立て” 腰巻お仙“ を上演した花園神社、ビートたけしや永山則夫がバイトしたジャズバーもあった。
     そして、新宿は学生紛争の舞台でもあった。1968年には国際反戦デー集会に集まった学生らが新宿駅に乱入し、線路の枕木などで封鎖を敢行する新宿騒擾事件。翌1969年には、新宿駅西口地下広場で行われていたベトナム反戦のフォークゲリラが機動隊と激突した。これ以降、新宿西口では集会が禁止され、西口地下広場はただの地下通路と呼ばれている。
     だが、そんな狂乱の翌年には新宿西口の大規模開発が始まり、ほんの数年で新宿の街は超巨大ビルが建ち並ぶ東京の中心的なオフィス街になる。『太陽にほえろ!』とは、このように急激に街が変化していく様を描いたドラマでもあったのだ(グループサウンズのアイドルだったショーケンに刑事役を与えたというのも、「変化」をテーマとしたこのドラマの主題と結びついていた)。
     一方、『踊る大捜査線』の舞台は、東京湾埋立13号地北部、通称「お台場」である。フジテレビ系のこのドラマが放送されたのと同じ年に、フジテレビは本社社屋を新宿区河田町から港区台場へと移転した。『太陽にほえろ!』が変わりゆく新宿の街を舞台にしたのと同様、『踊る大捜査線』は、変わりゆくお台場の街を舞台にしていた。
     
     
    ■臨海副都心計画と1996年の東京都市博
     
     お台場は東京湾を埋め立てて造られた人工の造成地である。東京湾の埋め立ての歴史は古く、徳川家康が秀吉の命令で関東の地を与えられた1590年まで遡ることができる。
     お台場が品川台場として埋め立てられたのは、江戸末期の1854年。当時の江戸を騒がせた黒船来港に警戒し、砲台を設置するために埋め立てが行われた。以降、明治から太平洋戦争までは、海軍用地として海軍経理学校などが置かれていた。その後、長らく放置同然だったお台場に注目が集まったのは、バブルを目の前に控えた1980年代半ばのこと。商用地の需要が高まり、東京の中心部の土地高騰が始まると、都心の銀座や新橋の目と鼻の先であるお台場に注目が集まった。便利な交通機関がないだけで、お台場は東京の中心から極めて近い距離にあるのだ。
     1986年に策定された「第二次東京都長期計画」によってお台場を中心とした「臨海」地域は、7番目の副都心(新宿、渋谷、池袋、上野・浅草、錦糸町・亀戸、大崎の次)として位置付けられることになる。そして、1988年の臨海部副都心開発基本計画の策定によって、具体的な開発計画が固められる。
     しかし、これはバブル時代の商用地の土地高騰を織り込んだ計画であり、後に大きな路線変更を余儀なくされる。お台場の再開発計画において、もっとも大きな打撃となった出来事が、1996年に開催が予定されていた、東京都市博の中止だった。
     かつて、東京オリンピックが開催されたのは高度成長まっただ中であった1964年のこと。オリンピックという国家的なビッグイベントは、戦後復興に次ぐ、大規模都市計画の機会でもあった。新幹線、高層ホテル、首都高速、スタジアム建設など、国際都市としてのインフラ整備が、オリンピックというお題目の下で行われた。それと同じように、臨海副都心計画を推進するために画策されたのが1996年に開催が予定されていた世界都市博覧会ー東京フロンティア、通称” 東京都市博“ だった。
     都市博が開催された暁には、基幹施設、交通網など、最新技術を駆使した新しい時代の都市インフラが整備され、新しい東京の中心地としてのお台場が誕生するはずだった(ここでは深くは触れないが、東京湾岸地区を舞台とした都市博は、皇紀2600年記念事業として戦前に予定されていた東京万国博覧会の計画内容によく似ている)。
     さて、その都市博の開催を阻止したのは、1995年当時の東京都民だ。かつての経済成長を背景に急進的な国土開発が行われていた時代とは違い、国家的イベントをもって大規模開発を行おうという発想が受け入れられることはなくなっていた。都市博の中止という公約を抱えて東京都知事選に立候補した青島幸男が当選した。この青島都政も、のちには「無責任都知事」などと呼ばれなにひとつ機能しなかったといわれるが、公約だった都市博の中止だけは実行してしまう。これまた失礼しました、とばかりに。
     

    ▲第31回オリンピック競技大会開催概要計画書より
     
     
    ■フジテレビ対東京都「青島」の名を巡る考察
     
    「都知事と同じ名前の青島です」
     これは『踊る大捜査線』のなかで青島刑事が自己紹介をするたびに使う決めぜりふだ。このドラマの主人公の名字は、都市博を中止にした都知事と同じなのだ。その青島が勤務する湾岸署の管轄は、暴力や犯罪が跋扈する都会のジャングルではない。超高層ビルが建ち並ぶ大都会でもない。それどころか、空き地ばかりで何もないすかすかの土地である。ドラマの中で、この空き地ばかりのお台場を管轄する「湾岸署」は、「空き地署」と他の警察署から小馬鹿にされているのだ。
     そう、都市博が中止されたため、ここお台場には大規模なインフラ整備、再開発の予定は頓挫し、いつビルが建つかもしれぬ建設空白地が並ぶ空き地ばかりの街になってしまったのだ。青島刑事は、都市博がなかったばかりに、空き地同然のからっぽの街を守る羽目に陥ったヒーロー=刑事なのである。
     織田裕二演じる主人公と、当時の東京都知事の名字が同じであったというのは、単なる偶然ではないだろう。
     フジテレビのお台場移転案は、はじめから社内での評判は最悪だったと言われている。それをごり押ししたのは、当時のフジサンケイグループに君臨していた鹿内家の2代目・鹿内春雄だった。臨海副都心計画の持ち上がった時代の東京都知事鈴木俊一と懇意にしていた春雄は、計画の成功のためにフジテレビの社屋移転を打診された。その際の移転先の土地を破格の値段で提供するという見返りも提示されたはずである。しっかりした裏が取れているわけではないが、そのようなやり取りがあったと考えるのは不自然なことではない。
     大規模に行われるはずだった臨海副都心計画は、都市博の中止によって大きくトーンダウンする。しかし、すでに移転を決めていたフジテレビは、お台場への引っ越し案を撤回することはできなかった。トップが早々に決断し、もう決めてしまったのだから仕方がない。とは言え、その責任を取るべき存在であるトップの春雄は、とっくのとうに42歳の若さでこの世を去ってしまっていた(その後、義弟の宏明が跡を継ぐが、1992年のフジサンケイグループのクーデターで解任されている)。また、臨海副都心計画を推した鈴木都知事も、悪化した都の財政を見切る形で、都市博の開催を見守ることもなく1995年に引退。その跡を継いだ青島幸男は、フジテレビと鈴木元都知事の意向を切り捨て、都市博の中止を「ハイそれまでョ」とばかりにさっさと決定した。
     こうしてフジテレビは、ぽつんと陸の孤島へとやってきた。「都知事と同じ名前の青島です」のセリフは、このような形でババを引かされた皮肉の意を含んでいると受け止めることができるだろう。
     
     
    ■2016年の第二東京オリンピック計画
     
     さて、2008年現在の東京都は、2016年のオリンピック候補地として正式に立候補している。2016年とは幻に終わった東京都市博の20年後に当たる。第一回東京オリンピックからは52年。さらに、幻の東京万博から66年後ということになる。
     2016年の東京オリンピックの計画の骨子は、かつて都市博で果たせなかった湾岸地区の再開発を目論む「都市博アゲイン」である。
     東京都の計画によると、晴海にメイン会場となるスタジアム、豊洲に選手村、築地にメディアセンターと、東京湾岸にすべての施設が集中している。すべての施設はメインの晴海から半径8キロ以内に造られることになるという。東京オリンピックというよりは、東京湾岸オリンピックである。
     この五輪誘致が実現すれば、近代以降の都市計画で言えば、関東大震災後(1923)、第二次大戦後(1945)、東京五輪前(1964)に次ぐ4度目の東京の大規模都市計画となる。もちろん、前回の五輪から現代に至るまで、東京の街は大きく変わったが、これは大規模都市計画によるものではない。個別開発によるものだ。すでに東京湾岸も、ここ10年で大きく様変わりしているが、新しいオリンピックはそれをさらに推し進めるものとなるだろう。
     すでに開発しつくされ、疲弊している現在の東京を捨て、東京湾岸に新しい東京をつくってしまおうというのが、この第二東京オリンピックの目的である。これは、都市博で失敗した湾岸地区の再開発のやり直しであると同時に、東京遷都の意も帯びている。
     

    ▲晴海メインスタジアム予定地
     
     
    ■『AKIRA』『機動警察パトレイバー the Movie』
     
     東京湾上に第二の東京を造って遷都しようという発想は、なにも現実世界だけのものではない。1980年代末に相次いで公開された、長編アニメーション作品『AKIRA』『機動警察パトレイバー the Movie』は、どちらも近未来を舞台にしたSF漫画を原作とした作品であり、物語の背景として東京湾上の第二の東京が登場してくるという共通点を持っている。
     1988年に公開された劇場版『AKIRA』の舞台は2019年。第三次世界大戦が勃発した198X年に東京の街は崩壊しており、東京湾に浮かぶ人工都市・ネオ東京がすでに誕生し、巨大都市としての機能を果たしている。
     そして、この2019年の世界でも、東京でのオリンピック開催が目前に迫っている。その会場とは、東京湾上のネオ東京ではなくオールド東京の側である。かつての爆心地に新しいオリンピックスタジアムを建設しているのだ。
     一方、1999年に公開された『機動警察パトレイバー the Movie』の時代設定は、1999年(原作に準拠するとだが)。この作中世界では1995年に東京湾中部大地震が起きたことになっている。そして、その地震が生んだ瓦礫を使って、東京湾の中央を埋め立てるという大規模干拓事業「バビロン・プロジェクト」が進行している。その事業の核となる海上プラットフォーム「方舟」が劇場版の主な舞台となる。この「方舟」は東京湾上に浮かぶ、多層構造の高層建築物として描かれていた。
     また、『機動警察パトレイバー the Movie』では、二人の刑事が死んだ犯人の足取りを辿り、東京を水路沿いに歩くという場面も印象的に描かれる。高層ビルが建ち、急速開発が進む湾岸地区と、まだ残された水路沿いの町。それらを対比することで、東京湾岸の変化を示したのがこの一連のシークエンスである。
     
  • 週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月30日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.108 ☆

    2014-07-07 07:00  
    220pt

    週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~6月30日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.7 vol.108
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送をお届けしている「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。
    前週分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    6月30日(月)21:00~放送
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」
    ■ゲスト
    青木宏行(あおき・ひろゆき)
    1961年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。光文社エンタテインメント編集部編集長(「FLASH」元編集長)。熱狂的なAKBファンとして知られ、数々のメンバーの写真集を手がける。ニックネームは「あおきー」。
    青木宏行さんGoogle+ページ
     http://plus.google.com/107216298476713194997/


    ▼6/30放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    「ノンアルコールで夜10時まで突っ走りますと言ってきましたが、それもあと一週かもしれません…」7/14は宇野海外渡航中につき、濱野智史さんが代打パーソナリティというサプライズ発表です! もちろん自身がPをつとめるアイドルグループ・PIPのメンバーも来てくれますよ♪
    ☆ムチャぶりスケッチブック☆
    いろんな話題からニコ生アンケートでテーマを決定!「後藤真希、2年ぶり復帰」のニュースについて。アイドルではなく女優が好きだった宇野常寛が、ペ・ドゥナにハマっていた頃のエピソードをご紹介します。
    ☆ゲストトーク☆
    あおきーこと、光文社・青木宏行さんがいらっしゃいました! 7/4(金)発売の『FLASHスペシャルグラビアBEST2014夏号』のゲラを片手に、「あおきーグラビア選抜」を発表します!
    みるきー(渡辺美優紀)への思いを宇野が問いただす場面も!?
    ☆延長戦トーク☆
    引き続き、ゲストの青木さんとトークをしていきます。7/5の握手会再開から、グラビアへの情熱、そして僕らが素晴らしいグラビアを見るためにできることとは?


     
  • ガラパゴスな日本の音楽文化をいかに世界へ展開するか ――kz(livetune)ロングインタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.107 ☆

    2014-07-04 07:00  
    220pt

    ガラパゴスな日本の音楽文化をいかに世界へ展開するか
    ――kz(livetune)ロングインタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.4 vol.107
    http://wakusei2nd.com

    本日の「ほぼ惑」は――ボーカロイドを出発点とし、EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)からアニメ主題歌、J-POPとジャンルを問わず活動するアーティスト・kz(livetune)。そのバックボーンからこれからの活動までに迫る1万字超のインタビューです。
     

    ▼プロフィール
    kz(livetune) <ケーゼット(ライブチューン)> 音楽プロデューサー/DJとして活動。数多くのJ-POP楽曲を手掛ける一方で、複数の名義を使い分け、ZEDD、Afrojackなどの世界的なEDMアーティストを始め多数のダンスミュージックよりのRemixワークを手掛ける2010年代最重要クリエイターの一人。またソロプロジェクトlivetuneとしても活動しており、Google Chromeと初音ミクのコラボレーションで話題になったCM楽曲「Tell Your World」やボーカロイドのみならず、リアルボーカリストを迎えた作品も精力的に制作している。最近では、SF小説『BEATLESS』の限定セット『BEATLESS “Tool For The Outosoucers”』(6月25日発売)内のコンピレーションイメージアルバムのサウンドプロデュースを手がけた。さらに今年9月10日には、これまでコラボレーションしてきた歌手の中島 愛、SEKAI NO OWARIのFukaseやニルギリスらに加えて、ゴールデンボンバーの鬼龍院 翔、9mm Parabellum Bulletの菅原卓郎・滝 善充なども迎えたリアルボーカル(adding)シリーズのフルアルバム『と』が発売予定。
     
    ▼BEATLESS “Tool For The Outosoucers”(2014年6月25日発売)

    (C)長谷敏司・monochrom
     
    フィギュア"レイシア"から始まり、月刊Newtypeの連載を経て、第34回日本SF大賞最終候補作となったSF小説『BEATLESS』。その魅力を余すところなく収録した限定セットの発売が決定! kz (livetune) がプロデュースする、全曲書き下ろし楽曲のコンピレーションイメージアルバムCDと、redjuiceにより描かれたイラストを完全収録し高い評価を受けた公認ガイドブックを収録。さらに『進撃の巨人』のWIT STUDIOが、TokyoOtakuModeの英語版連載用に描き下ろしたアニメイラストを、ラフや未公開設定画像も含め完全収録! デザインワークは『THE IDOLM@STER』『ギルティクラウン』などを手がけた草野剛デザイン事務所で、特製スリーブが付属。これ一つで『BEATLESS』の世界を網羅できる、質感も非常に高い限定セットです。セット収録内容:kz(livetune)プロデュース イメージアルバムCD/ガイドブック「INSIDE BEATLESS」/WIT STUDIOイラストブック (Amazon.co.jpより)
     
    "BEATLESS - Give Me the Beat - Produced by kz(livetune)"
    M1.fazerock「Liberated Flame」
    M2.banvox「Monolith」
    M3.Sakiko Osawa「Soulless」
    M4.y0c1e「life」
    M5.Pa's Lam System「Trust」
    M6.Seiho「DOOR」
    M7.livetune adding NIRGILIS「Dreaming Shout」
     
    ◎聞き手:中野慧/構成:佐藤雄
     
     
    ■「ボーカロイドには音楽史的参照点がない」?――先日は弊誌主催のイベント(※)にご参加頂きましてありがとうございました。音楽市場を俯瞰して語るようなトークイベントだったのですが、kzさんは参加してみていかがでしたか?
    kz そもそもトークイベントが久々で、ギアの入れ方を忘れて戸惑ってしまったんですけど、でも楽しかったですよ(笑)。(いきものがかりの)水野さんがすごく饒舌にお話しされていたので、僕は短く喋ろうと意識していました。トークイベント自体は、作品について語るものはけっこうあるんですが、大きなテーマを扱うものだと、水口哲也さんと音楽の未来について語るイベントがあったくらいで、なかなかないタイプのものだったので自分にとっても刺激になりましたね。
     
    (※)「ポスト『J-POP』の時代」イベントレポート――水野良樹×kz×柴那典×宇野常寛が語る音楽のこれから
     
    ――今日は、kzさんのこれまでの活動から、最新の活動までを広く伺っていければと思います。最初に、kzさんがこれまで影響を受けてきた音楽についてお聞きしたいのですが、先日のイベントでは「あまりJ-POPに触れてきていない」とおっしゃっていました。昔のインタビューを読むと、ザ・ラーズやリバティーンズなどの海外のロックバンドからの影響を口にされていますよね。
    kz そうなんですよ。今でこそエレクトロやダンスミュージックをやっていますが、純然たるテクノは実はさわりくらいしか聴いていないんです。元々はラーズのようなロックンロールが好きで、そういったロック文脈の延長線上で語られるダフト・パンクやケミカル・ブラザーズ、アンダーワールドなどは聴いていました。
    それとロックといっても、アメリカよりはUKロックが好きですね。やっぱりビートルズや、オアシスからも影響も受けています。高3ぐらいでそのあたりにハマって、大学の時も聴いていましたね。その3~4年間が過ぎてからは作る側に回ってしまって、そのまま大学卒業の少し前くらいにビクター(編注:現在はトイズファクトリー所属)から声をかけてもらってデビューして、現在に至るまで音楽の制作を続けています。今は忙しいこともあって、制作をしながらたくさん音楽を聴くというのがなかなか難しいんですよね。
    ――なるほど。やや脱線ですが、少し前に音楽ライターの方が「ボーカロイドは音楽史的参照点がない」ということを批判して話題になっていたりしましたが……。
    kz うーん、「ボーカロイドでまとめられてしまってもな」とは思いますね。ボーカロイドはジャンルではなくて、ボーカロイドというツールを使っている一群の総称でしかないので。
    ただ、実際に参照点ないな、と思う曲はいっぱいあるので、「そうかもしれないな」とも思います。さっき、僕自身はいまはあまり聴く時間がないと言いましたけど、それまで聴いてきたものがバックボーンとしてはあるわけです。が、ボーカロイドを使っている人には、そういうバックボーンが全然見えない人が多いとは思いますね。
    ――それはポジティブな意味でも、ということなんでしょうか?
    kz ポジティブでもネガティブでもない、という感じですかね。「音楽を聴くことが好き」な人が作る音楽と、「音楽を作るのが好き」な人が作る音楽って、違ったものになると思うんですよ。「制作そのものが楽しい」という人が、他人の曲を聴かないということはあり得ると思うんです。
    それでも、作った音楽が面白いものだったら、表現としてちゃんと成立するじゃないですか。でも、その作った音楽に隙があった場合、「音楽を聴くのが好き」という人が、そのバックボーンのなさを批判するんだろうなと思います。
     
     
    ■キャラクターとしての初音ミク、シンセサイザーとしての初音ミク
     
    ――kzさんのバックグラウンドにある音楽と、初音ミクというキャラクターを中心とするボーカロイド文化って、あまりつながっていないようにも思えるのですが、初音ミクを使ったきっかけは何だったのでしょうか?
    kz おそらく、「キャラクター」として初音ミクを捉えてしまうと、つながっていないように見えてしまうんじゃないかなと思います。僕としては単純に、「面白いソフト見つけた!」という感じだったんですよ。1枚絵の付いている新しいシンセを使ってみたというだけなんです。操作感も他のシンセサイザーとそんなに変わらなかったので、初音ミクを使うのに何か意識的に違う部分があったわけではないですね。
    ――「初音ミクのブームは、キャラクターへの愛に駆動された二次創作の連鎖だ」というようなことを言われていたりするんですが、kzさんご自身はそういった入り方ではなかったということでしょうか。
    kz 僕に関してはそうですね。でも、キャラクターから入った人のほうが圧倒的に多かったと思いますよ。で、僕はそれを傍から見て「楽しそうだなー」と思っていました(笑)。
    たとえば「Packaged」(2007年)という曲でボーカロイドのキャラクター性に寄せた歌詞を書いていますが、それはキャラへの愛というよりも、「初音ミクという存在自体が面白いな」という意識から歌詞の素材として使ったんです。
    だから僕は正直、キャラへの愛といった感覚はないですが、ただ、僕になかったとしてもイラストを描く人にあったとしたらそれは「ある」ということになりますよね。そうやって裾野が広がって、いろんな意見の集合体となり、二次創作の連鎖が起きたのは面白いことだったと思います。
     

    ▲「Packaged」 Full Ver.
     
    ――メジャーデビュー直前の「Last Night, Good Night」(2008年)では一枚絵ではなくアニメーションのMVになっていますが、あの作品ではどういった経緯で動画のMVを制作することになったんでしょうか?
    kz あの曲を発表した当時って、あまり動くMVってなかったんですよね。いまでこそ、初めて曲作りますという人でも、ものすごくちゃんとした動画が付いていると思いますが、当時は1枚絵が主流で、たとえば、supercellの「恋は戦争」とかも1枚絵がスライドしていくというようなものでした。まだそういった状況だったので、動画を作ってもらえる人があまりいなかった。
    このときはアルバムを発売するタイミングだし、今回の『BEATLESS』にも参加してくれている、しる(redjuice)さんもノってくれていたので動画が付くことになったんですね。僕自身は、「やったー! 動画だ!」という気持ち以外は特になかったです。当時は、動画として発表すること自体が新鮮だったんですよね。
    ――今回の『BEATLESS』を拝見して、以前ゆうきまさみさんとコラボしたプロジェクト『Crosslight』(2009年)とモチーフが似ているのかな、と感じたんです。どちらも、人型のアンドロイドがメインキャラクターとして活躍する近未来のお話ですよね。kzさんご自身がああいったSFものに魅力を感じたりするのかなと思ったんですが、いかがでしょうか?
    kz 僕自身、というよりも、ああいったテーマは初音ミクと親和性が高いのかなと思います。そのなかでも僕がボーカロイドシーン寄りの楽曲を作っていたので、自然と僕にオファーが来ているってことなのかなと。
    実は、僕にとってSFは難しくて、たくさん読んだりしているわけではないんです(笑)。ただ『BEATLESS』は、固有名詞とかも分かりやすいですし、キャラクターも立っているので、入りやすいと思いますよ。
    ――kzさんの音楽以外の部分、小説やマンガだったり、物語やフィクションの方面でのバックボーンにはどのようなものがあるんでしょうか?
    kz SF的なものでいったら、みんな好きだとは思うのですが、ガンダムシリーズはやはり好きですね。特に『0083 STARDUST MEMORY』のアニメーションが格好良くて好きです。あと『逆襲のシャア』も好きですね。
    そのほかだと、僕の1番好きなアニメは『カウボーイビバップ』なんです。菅野よう子さんの音楽も好きですし。あとは『マクロスF』だったり、宇宙と音楽、そして人間ドラマがあるものが好きですね。ところで、このあいだのトークイベントのときにお話しして思ったんですけど、宇野さんってちょっとシャアっぽいですよね(笑)。
    ――宇野常寛も『逆襲のシャア』の大ファンなので、次にお会いする機会がありましたらぜひそのお話をしてみてください(笑)。
     
     
    ■村上隆とのコラボ――「Last Night, Good Night(Re:Dialed)」から「Pink or Black」に至るまで
     
    ――『めめめのくらげ』「Redial」「Pink or Black」などで村上隆さんたちとお仕事をされていますが、村上さんとのお仕事が始まったのは、いつぐらいからだったんでしょうか?
    kz 村上さんとの関わりは、2010年くらいからですね。村上さんが主催されている「GEISAI TAIWAN #2」で僕がDJとしてして参加していた「DENPA!!!」がコラボしていたんです。そこでたまたま村上さんとお話する機会があって、その話のなかで表彰式か何かのBGMがなくなったから作ってくれ、と言われて。そのときに僕もループ素材をいっぱい持っていたので、それを組み合わせて作ったものを渡したんです。そこで村上さんは、「音楽ってすぐできるものなんだ」と重大な勘違いをしてしまったんじゃないかと思うんですが(笑)。
    そのあとに『めめめのくらげ』(2013年)の主題歌(=「Last Night, Good NIght(Re:Dialed)」)と劇伴の仕事をいただいて、そこで僕がいろいろ悩んで時間がかかっているのを見てはじめて、村上さんはその勘違いに気づいたらしいです(笑)。『めめめのくらげ』はなんだかんだで、足掛け2年くらい制作をやっていましたね。
    ――同じく「Redial」(2013年)のときは、制作の仕方が双方向的と言いますか、楽曲かPVのどちらかが先にあって、それに合わせるという作り方ではなかったようですね。
    kz 「Redial」のときはすごく悩んでいて、いっぱい案を出したんですけど、しっくりこないな、ということでイチから作り直したりしていました。イメージは最初から伝えてはいたんで、村上さんのチームにも並行してやってもらいながら、たとえば曲の骨組みだけを最初に渡して、それを元に組み立ててもらったりとかしていました。
    なので制作としてはコライト(共作)というよりは、別働隊のようなかたちでしたね。つまり、お互いの何かに影響されるというものではなかったんです。もちろん最終的に音に映像を合わせる作業は行ったんですが、僕のほうから特にリクエストを出したりもしていませんでした。その前の『めめめのくらげ』のときは例外的に村上さん側からいろいろリクエストはあったんですけどね。
    同じく村上さんからふられた「Pink or Black」(2013年)では、何事もなく進んでいきましたね。村上さんって、ご自身のイメージしていたものと合致してないときはちゃんと擦り合わせて、納得いくまでとことんやりますけど、イメージと合っているときは特に何も言わないんです。そういったリクエストがなかったってことは、なんだかんだ納得してくれていたんだろうな、と。だからこそ、村上さんたちが出してくるもののクオリティは常にすばらしいものになるんだと思います。
     

    ▲【Hatsune Miku】6HP Pink or Black【Vostfr】
     
     
    ■『BEATLESS』のイメージアルバム『Give Me The Beat』はいかにして生まれたか
     
    (C)長谷敏司・monochrom
     
    ――それでは今回の『BEATLESS』について伺っていきたいと思います。今回kzさんがイメージアルバム『Give Me The Beat』をプロデュースされることになったきっかけはどういったものだったんでしょうか?
    kz そもそも小説『BEATLESS』の「月刊ニュータイプ」での連載時に、イラストレーターとしてしる(redjuice)さんが関わっていて、彼と「久々に一緒に仕事したいね」と話したのがきっかけです。ちなみに、しるさんとは、僕が初めてコミケで同人CD『Re:Package』(2007年)を出したときから関係がはじまっていて、「ストロボナイツ」という曲にものすごいイラストを描き下ろしてくれて、ブースに届けてくれたんです。僕はちょうど席を外していたんですが、戻ってその絵を見てすごくびっくりしたのを覚えています。
    ――アルバムに参加した7組の方とは、どういったかたちで出会ったのでしょうか?
    kz まず、M6.「DOOR」を手がけたSeiho<セイホー>さんとは、お互い存在は知っていたと思いますけど、実は今回一緒にお仕事するまで面識はなかったんです。僕の「Transfer」のリミックスをしてくれたAvec Avec<アベック・アベック>というクリエイターとSugar's Campaign<シュガーズキャンペーン>というユニットをやっていたのでSeihoさんの名前は知っていましたし、アルバムを買って聴いたらすごく格好よくて、最近の人のなかでピカイチだなと思っていました。それで今回どうしても参加をお願いしたいと思っていたんです。あとはみんな友達で、秋葉原MOGRAにいた人だったり、その紹介で知り合った人たちですね。
    M1.「Liberated Flame」を作ってくれたfazerock<フェイズロック>とももう数年の付き合いになります。M5.「Trust」の制作者のPa’s Lam System<パズ・ラム・システム>はfazerockからの紹介です。いつか仕事で呼びたいなと思っていたので、この機会に呼ぶことにしました。M4.「life」のy0c1e<ヨシエ>も5年ほどの付き合いになりますね。仲良くなったのは最近ですが(笑)。 
    M3.「Soulless」を作ったSakiko Osawa<サキコ・オオサワ>は花魁という渋谷のバーで紹介されて、その時彼女がDJとして回していたんです。すごくシブいサウンドをやってくれる女の子で。ほかの人がみんな派手というか、どぎついので、彼女の作る平熱のサウンドはアルバムのなかでバランスを保つような、いい仕事をしてくれているんです。M2.「Monolith」のbanvox<バンヴォックス>は言わずもがな、幅広くいろんな仕事をしていますよね。M7.「Dreaming Shout」でaddingとして参加してくれたニルギリスもだいぶ長い付き合いになりますね。ニルの持つ宇宙感というかSF感は今回ぴったりだなと思って。「Shiny Shiny」のリミックス以来のタッグなのですごい楽しかったです。
    ――kzさんはこれまで、動画やアニメーションで他のクリエイターとコラボするときは、その人のこれまでの作品をよく知っているからこそ、その力を信用してあまりオーダーしないとおっしゃっていましたよね。今回はサウンドプロデュースというkzさんご自身のフィールドでもあるので、細かくオーダーされたりしたのかなと思ったのですが、いかがでしょうか?
    kz いや、今回も特にオーダーしてないですね(笑)。「『BEATLESS』という作品があるから、思うことを曲にしてくれ」と言っただけです。シーンやキャラクターの指定もしてないです。サントラではなくイメージアルバムなので、別にシーンごとに作るものではないなというのと、やっぱりもともと全員のファンで作風を知っていて、彼らがフォーカスするだろう位置を予想して僕もオファーをしてるので、改めて何かオーダーするというようなことはしなかったですね。
    ――特に修正の依頼などもしなかったんですか?
    kz  えーと、fazerockに「キックの音色を変えたらみたら?」って言ったくらいですかね(笑)。
    たとえば僕がアニメーションの監督で、ビジネスとして動かさなきゃいけないというのなら、統一した世界観を作るために、ちゃんとしたオーダーをしなければならないと思うんですが、このアルバムは単純にそういったものではなく、世界観を共有しているパラレルワールド的なものだと思って作りました。作品に強く寄せたサントラのようなアルバムとは違ったものにしたいな、と思っていましたね。
     

    ▲BEATLESS - Give Me the Beat - Produced by kz(livetune)
     
     
    ■ガラパゴスな日本の音楽文化をいかに世界へ展開するか
     
    ――kzさんは今後EDMなどのダンスミュージックの方向に進んでいきたいと前回のイベントでおっしゃっていましたが、その一方でやっぱりアニメソングも同時並行で手がけられていて、活動がいま大きくふたつの分野に分かれているように思います。その2つはやはり、切り分けて活動されていくんでしょうか?
    kz その2つの分野を一緒にやることはないなと思っています。やっぱりダンスミュージックはダンスミュージックで、ポップミュージックはポップミュージックなんですよね。それに気づくまで若干時間がかかりました。最初のうちは、ダンスミュージックを取り入れたポップミュージックを作りたいなと考えていたんですが、やはりメロディを聴こうとするとリズムが邪魔になってしまうところがあるんですよ。
    EDMはリズムがシンプルなので、メロディとぶつからないものが作れるんですが、それは海外の音楽のメロディがシンプルだからできることだと思います。
    日本の音楽は転調が多かったり、複雑な構造になっているので、EDMとの組み合わせはあんまりよくないと感じていて、切り分けたほうがいいなと最近は考えていますね。ただ、日本人の才能としてメロディのセンスはあると思うので、その国に合わせてローカライズしたEDMに日本人のメロディセンスを活かすことはできるんじゃないかな、と思っています。
    今後は海外で活動していくことを考えていますが、そこであまりに「日本っぽい」ものをやってしまうと、日本好きな外人にしか届かなくなってしまうんです。これは悩みどころなのですが、結局、その国に合わせてローカライズしないと国境や言語というハードルは超えられないな、と。
    「Tell Your World」を作っていた2011年ころまではあまりそういったことを考えなかったんですが、それ以降ヨーロッパやアジアなどを実際に行って回っていて、大勢の人に聴いてもらうにはローカライズが必要だな、と考えが変わってきたんですよね。
     
     
    ■なぜEDMは日本で流行らないのか? ――そこでヨーロッパに向けたローカライズと、アジアに向けたローカライズでは違うものになるんでしょうか?kz ヨーロッパとアジアでやり方が変わるということはないかなと思っていますね。 
  • 【増補版】3.11が生み出した “おしゃべり”の楽園 『LINE』に見る日本的インターネットの欲望 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.106 ☆

    2014-07-03 07:00  
    220pt

    【増補版】3.11が生み出した “おしゃべり”の楽園――『LINE』に見る日本的インターネットの欲望
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.3 vol.106
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」は、「PLANETS vol.8」に掲載された稲葉ほたてによる「LINE」論のお蔵出しです。なぜLINEはこれほどヒットしたのか? そして、Google一強時代のオルタナティブになる新しいネットサービスのあり方とは――!? 末尾には、この論考におけるテーマを、「文化先行型」の日本的磁場と、システムとのせめぎあいであると定義した【増補】も加筆されています。
    ▼プロフィール
    稲葉ほたて(いなば・ほたて)
    ネットライター。PLANETSメルマガの編集をお手伝いしています。
     


     
     
    1.LINEの快進撃
     
    1-1.LINEとは何か
     
     2012年に最もIT業界で注目を集めたサービス―それは何よりも「LINE」でしょう。LINEは、NHNジャパンが開発した、スマホ向けのメッセージングアプリです。NHNは韓国企業ですが、日本法人主導で開発されており、実はほぼ純国産のアプリです。
     2011年のリリース後から、中高生などの間で急速に普及しており、例えば出会い系サイト利用者の間では、かなり早い時期から「LINEは出会える」と有名でした。しかし、このサービスが表立って語られ出したのは、筆者の印象ではNHNジャパンが6月に主催した、LINEイベントが転機だったように思います。このイベントでは、全世界4500万人、国内に至ってはスマホユーザーの実に44%に当たる2000万人が登録しているという、驚異的な数字が話題になりました(※1)。また、「LINE Channnel」の設立やタイムラインの導入など、いわゆる「オープンプラットフォーム化」の構想もぶち上げられました。こうした、日本のウェブ周りのメディアにキャッチーな表現が話題を呼んだ面もあるでしょう。
     
     
    1-2.日本のネット論壇の想定を超えるサービス
     
     このイベントの頃から、ウェブ上にはLINEの開発者やNHNジャパン社長へのインタビューがいくつも出ています。彼らの発言に現在、多くの開発者や企画者が注目しています。というのも一見して、彼らの言葉には近年のウェブビジネスの常識をひっくり返す表現が頻発しているからです。
     たとえば、LINEの開発を主導したNHNジャパン執行役員・舛田淳氏へのインタビュー記事では、開発にあたって「クローズド」なサービスであるという点を重視したことが述べられています。彼は、従来のソーシャルメディアが、人間関係の距離感を上手く実装できていない点を挙げ、それを切り分けることで「日常のたわいもない話や秘密の話、メールや電話でしていたようなコミュニケーションをLINE上で担う」のだとしています(※2)。
     こうした発言は、特に「はてなブックマーク」を母体にアグリゲートされ、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』の刊行を頂点として盛り上がりを見せてきた、日本のアーリーアダプタによる「オープン」を称揚するネット論壇的な言説とは鋭く対立するものです。それを象徴するのは舛田氏の「LINEにおいては友だちの友だちは友だちではない」(※3)という言葉でしょう。スケールフリーに拡大していくウェブ上の"友だち"ネットワークから、LINEは距離を置くのだと宣言しているわけです(※4)。
     また、興味深いことに彼らは、日本のアーリーアダプタから「ガラパゴスケータイ」、すなわち「ガラケー」と一種蔑視的な呼び方をされてきた、日本のケータイ文化にも否定的ではありません。NHNジャパンの森下社長は、「スマートフォン上のサービスについては、フィーチャーフォンでiモードが成長した時と同じような変遷をたどるという仮説を立てていました」と発言しています(※5)。また、前出の舛田氏はインタビューで「iモードについて社内でよく話す」とも発言しています(※6)。近年のネットへの言説で、ある種差別的に語られてきたガラパゴスケータイの文化を、彼らは世界展開の武器にできるのではないかと語っているわけです。
     もちろん、実際のところを言えば、ガラケーの「エミュレーター」としてLINEが機能するのは、少々厳しいところがあります。ガラケーの文化は、キャリアが端末からアプリケーションまで手がける垂直統合型のビジネスにおいて、生まれたものです(※7)。何より、そもそもキャリアの最大の収益源は通信費ですから、通信を使うユーザーが増えさえすれば良いのです。ただユーザーが使うだけでは単にサーバー代が嵩むだけのプラットフォーム事業者とは、根本的に発想が違うのだと言えるでしょう(※8)。
     しかし、そうした問題をひとまず脇に置いておいて、日本がゼロ年代に生み出したガラケー文化が世界にどこまで通用するかは、大変に興味深い話題です。LINEのようなネットサービスが、「PLANETS」のようなメディアで取り上げられるのは、ひとつには日本文化の世界における立ち位置について、LINEがひとつの示唆を与える可能性があるからなのだと思います。ここからは、それを踏まえて、日本独自のガラケー文化の継承者としてのLINE、という視点からまずは簡単な小論を書いてみようと思います。
     
     
    2.LINEを考える上で欠かせないガラケー文化
     
    2-1.PCとは隔絶したガラケーのメールの文化
     
     とはいえ、ガラケー文化と一口に言っても、その姿は多岐に亘ります。そこでここでは、私たちにとって、かつて最も身近だったガラケーのサービス―メールサービスに絞り込んで、議論を進めていこうと思います。
     と言っても、メールサービスがガラケー文化特有のものだったという前提認識自体が、あまりピンと来ない人のほうが多いかも知れません。しかし、日本のケータイのメール文化は、実は世界的にも極めて特殊なものでした。もちろん欧米のケータイなどにも、SMSを搭載しているものはありましたが、その場合でさえも大抵は通話で済ませることが多かったと聞きます。それに対して日本の携帯電話では、わざわざ端末の狭い表面の中にメールボタンを、それも最も目立つ配置で置いてしまうほどに、メール機能が重視されていたのは、皆さんもご存知かと思います。
     しかも、日本のケータイメールは、使い方も極めて特殊でした。「絵文字」の文化などは、その典型でしょう。読者の中には、無料で落ちている「絵文字」を探して、ケータイでネットを探し回った経験のある人も多いかも知れません。しかし、そうやって探してきた絵文字をどのように使っていたのか覚えているでしょうか。「マジか」のような短文メールの後に絵文字を一つ入れてみたり、あるいは単に絵文字だけを送ったり、という使い方が多かったのではないでしょうか。
     端的に言えば、ケータイのメール文化は、PCのメールよりも遥かに刹那的で、表現の自律性を欠いています。それは、口語の「おしゃべり」に近いものです。しばしば40代などの社会人が、デジタルネイティブと言われる、下手をすると子供の頃から何万通とメールを送っていかねない世代のメール作法に立腹していることがあります。これなどは、ビジネスメールの延長線上で発達してきたPCメールの世界と、「おしゃべり」に近い日本的なガラケーのメール文化との衝突と言えるでしょう。
     
     
    2-2.LINEが取り込んだメール文化
     
     おそらく、この文章を読んでいる人のほぼ全員がガラケーで、こうしたコミュニケーションをしていたはずです。しかし、それは誰かが教えたものだったのでしょうか? もちろん、違います。こうしたメールの使い方は、単に私たちの欲望がそうさせてきただけに過ぎません。この日本のメール文化は、誰が指示したわけでもなく、ボトムアップ的に創りあげられてきたものです。
     この自発的な文化が突如として断ち切られたのが、近年のスマホブームなのです。スマホの端末には、そもそもメールボタンがありません(2014/7/2 注:現在ではメールボタン付きのスマホはいくつも存在しています)。メールが届いても自動的に開けないですし、メールにたどり着くまでに複数の操作ステップが必要です。そこに滑りこんできたのが、まさにLINEでした。LINEが復活させたもの―それは、まさにメール文化なのです。実際、NHNの社長は、先のインタビューで挙げた発言に続く形で、「スマートフォン上のサービスについては、フィーチャーフォンでiモードが成長した時と同じような変遷をたどるという仮説を立てていました。日本のコミュニケーションサービスでは絵文字やデコメ的なものがフィットするのではないかという仮説のもとにスタンプを出したところそれが当たりました」(※9)と、スタンプが絵文字を参考に生み出されたことを明かしています(※10)。
     
     
    2-3.「ウォームライン」の伝統
     
     さて、こうした絵文字の文化は、おそらく利用法の水準でもLINEに引き継がれています。例えば、スタンプの使用法として、(主に女性に多いようですが)いきなりスタンプを投げるコミュニケーションがしばしば行われるようです。しかし、ガラケーのメールでも、しばしばいきなり絵文字を投げてくるコミュニケーションが行われていたのを、覚えている人はいるでしょうか(こちらも、主に女性が多かったようです)。絵文字がコミュニケーションの発端になって、メールのやり取りが開始するわけです。これは、相手の空気を読みながら、重くならないように話しかける作法です。ある意味では、電話の発信音の弱いバージョンと解釈しても良いでしょう。
     こうしたコミュニケーションは、もちろんPCメールの文化から出てくるものではありません。しかし、設計者の側に、そうした意図が全くなかったわけではないようです。例えば、浅羽通明『「携帯電話」的人間とは何か “大デフレ時代”の向こうに待つ“ニッポン近未来図”』所収の精神科医・大平健氏へのインタビューでは、iモードを立ち上げた松永真理さんが大平氏の著書『やさしさの精神病理』を読んで、iモードにメール機能を組み込もうと考えたということが明らかにされています。1995年刊行の同書では、当時流行っていたポケベルのコミュニケーションを、通常の電話が相手を強制的に呼び出してコミュニケーションする「ホットライン」であるのに対して、互いを傷つけたくない人びとが選んだ"淡い通信手段"であるとして「ウォームライン」と名付けています(さらに『「携帯電話」的人間とは何か』では、最初にメール機能を搭載した携帯電話をリリースしたJ-PHONEの担当者が、インタビューでポケベルをヒントに開発したことも明かしています)。
     現代風に整理してしまうと、コミュニケーションに強く「同期性」を求めるのが「ホットライン」であり、コミュニケーションに弱くしか「同期性」を求めないのが「ウォームライン」であるという言い方もできるでしょう。先ほどのスタンプや絵文字を投げかけるコミュニケーションは、まさに「ウォームライン」的なコミュニケーションをユーザー側でも意識して行った事例です。
     事業者の目論見通りか、メールは頻繁に、ある意味で電話以上に使われるようになりました。「ウォームライン」のコミュニケーションが、私たちのコミュニケーションを覆っていったとも言えるでしょう。しかし、読者の方も心当たりがあると思うのですが、それが私たちのコミュニケーションを必ずしも楽にしたわけではありません。というのも、電話は出られる場面が限られているのに対して、メールの場合は気軽に返せてしまうからです。そのため、返信へのタイムラグに一種のメッセージ性が生まれてしまったのでした。
     特に決定的だったのは、メールに気付いた瞬間に即レスする文化が生まれたことです。これによって、メールの返信へのタイムラグが、相手の自分への興味の度合いを測る「指標」になりました。相手の気付きに任せる「ウォームライン」のコミュニケーションが、いつしか相手の自分への興味の度合いをメールによって測定し続ける「ゲーミフィケーション」を促してしまったとも言えるでしょう。
     このゲーミフィケーションもまた、LINEによって復活しています。しかも、LINEでは熾烈さが更に強化されています。特に既読機能は、ウォームラインのコミュニケーションの抱えていた「郵便的不安」を無効化して、即レスゲームを加速する機能です。