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「それでも、生きてゆく」ために必要な『最高の離婚』 宇野常寛コレクション vol.13【毎週月曜配信】
2020-03-16 07:00550pt
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは2013年のテレビドラマ『最高の離婚』です。〈ここではない、どこか〉ではなく〈いま、ここ〉を舞台に現実から半歩だけ浮き上がったファンタジーを描いてきた脚本家・坂元裕二。震災以降、非日常と日常がつながっていることが明らかになった中で、「それでも、生きてゆく」ために必要なものとは……?
※本記事は「原子爆弾とジョーカーなき世界」(メディアファクトリー)に収録された内容の再録です。
最近はじめた趣味は何かと尋ねられると、「歩く」ことだと答えることが多い。僕は高田馬場に住んでいるのだけれども、夏場を中心に友人を誘ってよく、深夜に歩く。最初の頃は早稲田通りから神楽坂を抜けて飯田橋に降り、麹町に抜ける。あるいは明治通りを南下して、新宿・渋谷の眠らない街を横目に恵比寿に向かう。気が向いたときはツイッターやフェイスブックに道中の写真をコメント付きで投稿しながら歩く。そうすると、嗅ぎ付けた読者が僕らを見つけて合流してくれることもある。だいたい、疲れたら深夜までやっている食堂やファミリーレストランを見つけて一服して、電車かタクシーで帰る。自由業の大人だからできる、ちょっと贅沢な遊びだと思う。 そして、東京に住んで今年で七年になるが、趣味で歩くようになってから街の見え方が変わったように思える。僕にとって東京は随分変わった街で、普通に暮らしているとほとんど地理感覚をもつことができない。たとえば僕が住んでいる高田馬場から、江古田や護国寺は実は距離的にはほとんど離れていない。しかし僕らはこれらの街をとても遠くに感じている。実際にはもっともっと距離の離れた渋谷や日本橋のほうを近くに感じているのだ。これは端的に、鉄道のアクセスの問題だ。高田馬場からは山手線や東西線が直通している渋谷や日本橋のほうが、乗換を要する江古田や護国寺よりも(鉄道については)短時間で移動できるのだ。そして、東京は僕に言わせれば極度な鉄道依存の街だ。街の規模自体が大きすぎるのと、自動車所有コストの高さ、そして道路事情の悪さを考えると、生活者のほとんどは鉄道網に依存した都市生活を余儀なくされる。そうすると距離と時間の関係が逆転していく。江古田よりも日本橋を、護国寺よりも渋谷を近く感じてしまう。 これはアニメ作家の押井守がもう二十年近く前にエッセイで書いていたことでもある。当時の僕はその意味が今一つピンとこなかった。けれど、会社を辞めて自由業の物書きになって、ふと思い立って趣味で「歩く」ようになってから押井守が言おうとしていたことの意味が分かるようになった。 同じ街でも、接し方が異なるだけでまったく見え方が異なる。鉄道で移動する東京と、歩いて移動する東京は同じ街のはずなのに別の街、別の世界に見える、のだ。川の流れや土地の起伏に沿って、いかなる文化の街並みが配置されているのか、あるいはそれが広大な敷地をもつ工場や官公庁、学校といったものによって分断され、再編集されているのか。「歩く」ことで見えてくる東京の文脈は鉄道で移動するそれとはまるで異なっている。
そしてこの話をすると、友人知人たちの何割かは確実に二年前のあの日の話をする。あの日、鉄道がほとんど運休して自分は、あるいは自分の親しい誰それは帰宅難民として久しぶりに東京の街を「歩いた」のだと。そして、その話をする彼らは(不謹慎な話だけれど)誰もがどこか楽しそう、に僕には見える。震災によって日常(=鉄道)が一時的に切断された結果、そこに東京の街を歩くという非日常が出現したのだ。それも、僕たちは普段生きている世界とはまったく異なる〈ここではない、どこか〉に連れ出されたのではない。〈いま、ここ〉により深く潜ることで、同じ世界に留まりながら非日常を体験しているのだ。 たぶん、あの二人もそうだったのではないか。その結果、なんとなく付き合うことになって、そしてなんとなく結婚することになったのではないか、と僕は想像する。誰のことかと言うと、テレビドラマ『最高の離婚』に登場した濱崎夫妻のことだ。自動販売機メーカーの営業マンである光生と、彼の営業先の受付嬢だった結夏は、その日までほとんど話したことのないただの顔見知りだったという。しかし、その日、ともに帰宅難民になって自宅まで歩くことになったふたりは路上で一緒になる。心細さからとにかく誰かと一緒に居たい、という感情が発生し、ふたりの距離を近づけていく。そして物語はそんなきっかけで結婚に至ったふたりが、「性格の不一致」から離婚するところからはじまる。(ふたりの)結婚とは、あの日東京の鉄道網が一瞬だけ麻痺した瞬間に発生した非日常的な幻想でしかないのではないか。そんな疑問をふたりが抱くところから、物語ははじまる。ドラマは若い夫婦にありがちな、生活上の小さなトラブルや行き違いを細かく盛り込んで巧みに笑いを誘いながらそんな問いを突き付けてくる。結夏を演じる尾野真千子の大ファンである僕も毎週くすくすと笑いながら、楽しみに番組を観ていた。登場人物のうち、自分は誰それに近いかもしれない、誰それのようなことをやってパートナーを怒らせたことがある、などと友人たちと話すのが楽しかった。
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【対談】與那覇潤×宇野常寛「鬱の時代」の終わりに――個を超えた知性を考える(前編)(PLANETSアーカイブス)
2020-03-13 07:00550pt
今朝のPLANETSアーカイブスは『知性は死なない――平成の鬱をこえて』を上梓した、歴史学者の與那覇潤さんと宇野常寛の対談の前編をお届けします。「中国化」がもたらす科挙的な能力主義、あるいは平成という「鬱(うつ)の時代」を乗り越えるための知性とは……? 與那覇さんが闘病の中で見出した「新しい知性」のあり方について議論しました。
※この記事は2018年4月24日に配信した記事の再配信です。
書籍情報
『知性は死なない――平成の鬱をこえて』 平成とはなんだったのか!? 崩れていった大学、知識人、リベラル…。次の時代に、再生するためのヒントを探して―いま「知」に関心をもつ人へ、必読の一冊!
『中国化する日本』の世界観を乗り越える
宇野 與那覇さんの新刊『知性は死なない――平成の鬱をこえて』(文藝春秋、4月6日刊)を読ませていただきました。素晴らしい内容で、非常に勉強になりました。いくつも話したい点はありますが、まずは、この本を書くことになったきっかけやコンセプトについてお伺いしたいと思います。
與那覇 もちろん直接的なきっかけは、躁うつ病(双極性障害)にともなう激しいうつ状態の体験ですが、病気とはまったく別に、「いつかは同時代史を書きたい」という気持ちは歴史研究の過程で強く持っていたんです。「自分たちが生きてきた、平成とはどんな時代だったのか?」という問題意識ですね。 元々そう思っていたところに、病気と休職・離職を経験したことで、「大学教員などの知識人が、自身の知見を広く社会に還元することで、人々を啓蒙し、日本をよりよい国にしていく」といった理想が、自分もふくめてことごとく失敗していった時代として、平成を総括しようと考えるようになりました。どこでつまずいたのか、それを分析して、反省すべき点を次の時代につながなくてはいけない。そうすることが、大学はやめても、「知性」に対して自分ができる最後のご奉公だろうと。
宇野 躁うつ病という個人的な体験を掘り下げることが、結果的に平成という「鬱の時代」を論じることに繋がっている。そこに非常に説得力を感じました。 この本には、與那覇さんがうつ状態で仕事を辞めざるをえなくなり、闘病生活を送った記録、病気によって自分自身の世界観そのものが打ち砕かれていった過程が記されています。うつは複合的な症状をもたらしますが、そのひとつは知的能力が大きく低下してしまうことで、この体験を結節点として究極の近代主義としてのネオリベラリズムに対する、そして同時に『中国化する日本』で與那覇さんが提示したネオリベラリズムの進化系というか、その本質の露呈としての「中国化」を乗り越えるための思考が展開されるわけですね。それは具体的には人間の能力は個人の内側にあるのではなく、共同体や個人の関係性の中で発動するものだという能力観の転換として提示されるわけです。 『中国化する日本』では、歴史的にグローバルな「中国化」とローカルな「江戸化」の間で揺れ動いてきた日本が、今、否応なしに「中国化」への対応を迫られていることが指摘されています。この傾向は著者としては決して望ましくはないが、その状況に対応するしかないことを半ば宣言しているという、非常に挑発的な本でした。 『中国化する日本』をいま僕なりに読み返すと、中国的な血族主義はネオリベラリズムに対して有効なセーフティネットになるのだけれど日本的なムラ社会、ご近所コミュニティや昭和の大企業共同体はなすすべもなく解体されてしまったし、一時期日本でも流行っていたグラノヴェッターのいう「弱いつながり」がそれを代替するには、まだまだ環境が整っていない。さあ、どうするんだという挑発で終わっているのだけど、対してこの『知性は死なない』では「中国化」と「江戸化」のどちらでもない「第3の道」が見出されているわけですね。
與那覇 ありがとうございます。同書も色々な誤読をされた本ですが、『知性は死なない』に一番つながる観点で振り返るなら、「中国化」とは人類最初の本格的メリトクラシー(能力主義)、つまり宋以来の伝統である「科挙」の価値観が全面化した社会のことですね。 自分も病気で、一時は日常会話にも不自由するようになって身にしみたけど、公正な社会の条件でもある能力主義は、「能力が低い」人にとっては地獄そのものなわけです。だから、それ「だけ」では社会を維持できないので、必ずバッファー(緩衝材)がいる。 緩和策として伝統中国で採用されたのが、宗族(父系血縁集団)という親族体系で、要は「能力がないやつは、能力のある親戚にタカって暮らせ」という発想ですね。しかしこれが、今日の共産党にいたるまで、政治腐敗の温床になった。宗族ってものすごい人数の血縁集団で、そこからたった一人の秀才に投資して官僚になってもらい、残りの凡人全員がぶらさがって暮らすということだから、いくら不正蓄財しても足りなくなってしまう。 逆に日本の江戸時代は、身分制度が残った点では中国より「遅れて」いたわけですが、能力主義が徹底しない分、いまでいう核家族に近い小規模の家族経営で、親の仕事を見よう見まねで続けていけば、そこそこ食べられる仕組みだった。皮肉にもこれが相対的には、近代化に向いていたんです。数人の家族を食わせるだけでいい分、官吏がそこまで汚職をしなくてすんだというのが、京極純一さんの『日本の政治』での分析でした。 『中国化する日本』を「中国システムを礼賛し、ヨイショする本だ」と誤解する人が多かったので、当時講演を頼まれたりしたときは、この京極説を紹介して中和したりしてたんですよ。必ず聴衆がどっと笑って、「なんだ。やっぱり中国は二流、日本が一流じゃん。安心した」みたいな空気になる。でも、その後ぼくが病気で寝ているあいだに、もうそんなことを言っていられない情勢になったようで…。
宇野 『中国化する日本』が刊行された2011年は、中国はグレート・ファイアウォールに囲まれ、グローバルスタンダードから外れた特殊な国という理解をされていたと思うんです。あれから5年以上経った今、たぶん僕たちが生きている間はずっと世界経済の中心は中国であり続ける可能性が高い。20世紀後半がアメリカを中心とした「西側諸国」と「それ以外」に(安易な見方をすれば)区分できる時代だったとするのなら、これからは「中国」と「それ以外」の時代になるわけです。政治的には欧米型リベラル、経済的には資本主義の組み合わせでやっているアメリカやEU、そして日本は中国という新しいスタンダードから外れた「周辺」になることも十分考えられるわけです。良くも悪くも。そして今でこそ経済誌などを中心にこうした中国観は珍しくないのだけど、與那覇さんは当時からグローバル化とは、実は「中国化」であると指摘していたわけですね。
與那覇 同書を出した頃は、ネットには叩く人も相当いましたね。「こいつは『最新の学問の成果』を詐称して、中国が先進国だなどとトンデモを広めている!」みたいな感じで。たしかに当時、たとえばサムスンの韓国製スマホやタブレットは日本でも広まっていたけど、ファーウェイなんかは無名でしたよね。 でも病気から起き上がってみたら、IT企業で日本は中国に完敗、コンテンツ産業もそのうち抜かれそう、権力者を恐れて官僚が公文書を偽造だなんて「もう中国並みだ」みたいな記事がネットに溢れていて…。もし同書をいま出していたら、「学問、学問って偉そうなくせに、内容が平凡すぎる」と逆から叩かれそうですね(笑)。
宇野 テンセントやアリババも、今のような巨大な存在感を示していませんでしたからね。
與那覇 今回、自分なりの平成史をまとめてみて再認識したのですが、いちおうは歴史研究者をしていたこともあって、やっぱり発想が後ろ向きなんですよね。あの本にしても、「中国はどんどん伸びる!将来は世界を支配するぞ!」みたいなことには、あまり関心がない。 ぼくはむしろ、そうして「中国的になってゆく世界」に合わせなきゃ競争に負けるぞ!、というかけ声の下で、どんどん日本社会が機能不全に陥ってゆく、そのなかで失われてゆくものの方を見ていたんだなと思います。ただし保守派の人たちと違うのは、それを「古きよき日本が外圧で奪われた」とは捉えずに、むしろ中途半端に日本の「悪いところ」が残り続け、それが中国的な競争社会のダークサイドと癒合して、奇っ怪な病理的症状を呈していると考えた。「ブロン効果」【※注】という言葉で指摘したものですね。
※注 ブロン効果:星新一の短編『リオン』に由来する概念。メロンとブドウをかけ合わせ、巨大な実がたくさんなる新品種を作ろうとしたら、ブドウのような小さな実がメロンのように少数できる品種になってしまった。このエピソードから、両者の「良いとこ取り」を狙ったにも関わらず、結果的に「悪いとこ取り」になってしまう現象のことを指す。
宇野 そしてこの本では、「中国化」と「江戸化」の対立の中で、「中国化」を批判的に受容しながら上手く舵取りをしていくべきだった大学が、言葉の最悪の意味で「江戸化」していった。個人の研究では相応の実績を残しながら、組織としては日本的なムラ社会以上の機能を果たしてない今の大学の状況が、克明に描写されていたと思います。
與那覇 認めるのはつらいことですが、まさにそうです。あの頃、宇野さんとはテレビの討論番組とかの「若手論壇」的な場でずいぶんご一緒したけど、だいたい、似たような話になったじゃないですか。日本の戦後社会を支えてきた、典型的には終身雇用企業的な「中間集団」は、これからも要るのか、むしろ崩してしまうべきなのか、みたいな。 「もう崩しちゃえよ」って言ったほうが一貫するのはよくわかっていたけど、そういう場で自分がなかなかそう言えなかったのは、やっぱり所属していた大学というものへの信頼というか忠誠心と、期待があったんです。知性によって選抜された人たちが、議論に基づいて運営してゆく大学というものが、いまの日本で一番、いわば「理想の中間集団」みたいなものに近いところにいるのではないかと。そんなの、お前が当時は准教授をしてたことから来るだけのナルシシズムだろ、と言われたら、それまでかもしれませんが…。 そういう虚妄に賭けて、みじめに失敗したことはよくわかっているのだけど、でもそこで見聞きした実態をぶちまけるだけでは、ただの露悪的なゴシップになってしまう。どうしたら、そうではなく自分の体験を普遍性のある考察につなげられるかと考えたときに、見えてきたのが「能力」の概念、能力主義の意味を根底から組み替える再考察、という一本の筋だったんですね。
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「ニーズが無い」という言葉の恐怖|高佐一慈
2020-03-12 07:00550pt
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載エッセイの第3回。日頃から物持ちが良すぎるという高佐さん。長年クローゼットに保管されたままになっていた服をまとめて処分しようと、衣服の買取店を訪れますが……?
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第3回 「ニーズが無い」という言葉の恐怖
僕は物持ちがいい方だ。 スマホは最低6年は使い続けるし、靴も底に穴が空くまで履き続ける。フライパンに至っては今年で13年目に突入したので、テフロンが全て剝がれ落ちてしまいめちゃくちゃ使いづらいのだが、テフロンの代わりに愛着が表面にコーティングされてしまっているので、捨てるに捨てられない。 そんな中でも溜まっていくのが服だ。自分で買った服以外に、先輩からもらった服、プレゼントで頂いた服など、一度着ると愛着が湧いてしまい、どんどん溜まっていく一方だ。もうクローゼットはパンパンである。 思い切って処分することにした。いつか着るだろうと保管していた服も処分しようと決めた。その服は余裕で5年、10年着ていなかったりする。 有名ブランドの服をまとめて20点。ちゃんと状態のいいものだけを選出した。汗ジミのあるものや、ボタンが外れ糸もほつれてしまっているのものは、雑巾として第二の人生を歩ませることにした。
渋谷の有名ブランド買取店に持っていくことに決め、行く前にどれくらいの値段になるのかを、自分でざっと計算してみた。 以下は僕にとってのご都合計算。20点合計の、買った時の値段が合計で25万円。一応聞いたことのあるブランド。古着の買取の相場など全く知らないが、おそらく1割の値が付く。なので買取額は2万5千円! しかし一度も着ていない、まだタグの付いた服もあることを考慮すると、もう少し値が上がる。ズバリ3万5千円だ! 3万5千円を超えたら今日はすき焼きにしようと、昭和の主婦みたいな考えになり、大きめの黒いナイロンカバンに服を詰め、いざ出発した。アウターも入っているのでまあまあな重さだ。カバンの紐が右肩にギュギュッと食い込む。しかしそんなことは気にならない。なぜなら今日はすき焼きだからだ。
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山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法 第6回 京都アニメーションとオタクの12年①~オタクがアニメを壊した
2020-03-11 07:00550pt
アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第6回。山本さんにとって、絶対に忘れ去られることの許せない古巣・京都アニメーションへの放火事件とオタクという存在の頽廃について、事件から8ヶ月を経たいま、改めてかつての当事者の視点から語り始めます。
この連載をPLANETS編集部から依頼された時、それは2019年9月だったはずだが、書く内容を打ち合わせした際、僕は真っ先に「京アニ事件について書きたい」と強く提案した。
結果それには難色を示され、今の体になるのだが、2020年2月現在、僕にはますますいろんな感情、特に違和感が積もっている。
なんだこの空気は? なんだこの触れちゃいけない感じは? PLANETSでさえ及び腰だ。
お前ら、この事件を歴史上から消し去るつもりか?
僕はずっと公式ブログを通じて「触れずにいられるものか!」とひとり怪気炎を上げていたが、この連載でもしっかりと語らせてもらう。
まずは、「京アニ事件」を、絶対風化させてはならないから。 そして、この事件が間違いなく、日本アニメ史・オタク史が「道を間違えた」末のひとつの大きな結果だからだ。
念のため申し上げておくが、僕は1998年3月~2007年6月、9年4ヶ月間にわたって、京都アニメーションに正社員として在籍していた。
2019年7月18日、僕は大阪に向かっていた。 前の月から公開されていた拙作『薄暮』が大阪・京都でも上映され、半ばゲリラ的だが、劇場のポスターにサインでもさせてもらおうと考えていた。 その前々日には宇野さんの番組にも出演し、とにかく『薄暮』を宣伝しないと、と焦っていた。
JR中央線で東京駅に向かっていた時だ。何気にTwitterを覗いていたら、 「ヤマカンが京アニに放火した」
また失礼なことを書く奴がいるもんだなと思っていたが、ちょっと引っかかった。 放火?
その瞬間、心がゾワッとしたことを今も覚えている。
早速検索をかけて、画像を開いて、凍り付いた。 これはボヤレベルの話じゃない、大炎上だ。 1スタ(第1スタジオ)が燃えている。
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坂本崇博 (意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革 第4回 これが私の働き方改革道(前編)
2020-03-10 07:00550pt
国の政策や会社の都合ではなく、自分自身の人生の充実のためにやる「働き方改革」を掲げる坂本崇博さん。それは一見「意識高い」行動のようでもありますが、その裏にはなんとも「残念な」発想が……!? 坂本さん自身の学生時代からの行動特性の自己分析を通じて、「私の働き方改革」のルーツと実像を浮き彫りにしていきます。
ここまでは、私が考える「働き方改革」とは何かについて解説してきました。 すなわち、働き方改革とは、誰かに押し付けられて働き方を変えさせられたり、環境や制度だけ変わって1人1人の意識・行動が変わらないような取り組みではなく、「私(I)」が主役となって、自分自身の働く価値の向上や人生の充実を求めて、自ら進めていく改革であるという考え方です。 こうした活動を「私の働き方改革」と名付けました。英語にすると、“Work style Innovation of Myself for Myself by Myself”(私による、私のための、私の働き方の改革)でしょうか。働き方改革は、最近流行りのDX(Digital Transformation)になぞらえて、WX(Work style Transformation) と表現しても良いかもしれません。「私の働き方改革」なので、My WXですね。
ただし、私の働き方改革(My WX)という名称ではあるものの、「個人任せ」「個人主義」ではないという点は強調しておきたいと思います。 私の働き方改革(My WX)は、経営、管理職、従業員それぞれの層が個人としてできる範囲もあれば、自分自身だけでは実現困難なことについては、上位階層や周囲にも働きかけて改革を要請・推進すること、つまり「働きかけ改革」も重要であると考えます。 自らの生産性を高めてより充実した働き方・生き方になるために、自分自身や周囲に働きかけ、自分自身のやる事・やり方・やる力を変えていく活動が、私の働き方改革です。
さて、ここからは、そのケーススタディと言ってはおこがましいかもしれませんが、私自身の40年ちょっとの半生における「私の働き方改革(My WX)」を振り返ってみたいと思います。 ただし、単なる「坂本の自分史」でページを費やしたいわけではありません。 自分の半生を「ケース」として客観視しながら、私が人生で直面した状況とそこでの思考・判断を振り返りながら、「個人として、私の働き方改革(My WX)を進める上で必要な視点や行動とは何か?」という問いへの答えやヒントを探ろうと思います。
また、私の仕事は組織が働き方改革を推進することを支援するアドバイザーとなることです。よって、この連載の中でも、「組織的な働き方改革推進」という視点でもその成功の鍵を考察し、提言をしたいと考えています。 とはいえ、前述の通り「組織が個人に押し付ける形の“働かせ方改革”」では意味がありません。組織を構成する経営・管理職・従業員1人1人が「私の働き方改革(My WX)」に目を向けて行動してこそ、組織の働き方改革は成功すると信じています。 そこで、私自身の「私の働き方改革史」を振り返りつつ、私の所属する組織、つまりコクヨという会社の経営・制度・風土・同僚・上司といった要素が私にどういった影響を与え、私の働き方改革を後押ししてくれたのかも振り返りたいと思います。それによって、「私の働き方改革(My WX)」に求められる個の力だけでなく、「組織を構成する1人1人がMy WXに取り組んでもらうために、組織はどういった後押しをするべきか?」という考察につなげたいと思います。 やけに長くて、かつ手前味噌な自分語りが多くなると思われますが、上記の通り、私の働き方改革を推進する上での、個人の力と、組織の後押しの2つの視点でのヒントにつながるいくつかのケーススタディとして楽しんでいただければ幸いです。
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いま爆弾を、花火に変える方法は――『So long !』 宇野常寛コレクション vol.12【毎週月曜配信】
2020-03-09 07:00550pt
今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は2013年に発売されたAKB48の30枚目のシングル『So long !』を取り上げます。新潟県長岡市を舞台に映画監督・大林宣彦が手掛けるMVが制作された本作。被災地と観光地、戦争と戦後のイメージがバラバラのまま刻み込まれた映像は、21世紀における「映画」というメディアの原理的な不可能性を示すものでした。 ※本記事は「原子爆弾とジョーカーなき世界」(メディアファクトリー)に収録された内容の再録です。
《長岡市は、日本一の大河・信濃川が市内中央をゆったりと流れ、市域は守門岳から日本海まで広がる人口28万人のまちです。 (略) 戊辰戦争(1868年)と長岡空襲(1945年)で、2度の戦禍に遭いながらその都度、長岡のまちは、「米百俵」の精神を受け継ぐ市民の力で復興を成し遂げてきました。中越大震災をはじめとした相次ぐ災害にも、「市民力」「地域力」そして「市民協働」のパワーで、新たな価値を生み出す「創造的復興」に取り組んでいます。》(長岡市公式ウェブサイトより)
新潟県長岡市の紋章のモチーフは不死鳥──フェニックスだという。中越地方の中心地であり、花火のまちとしても知られる長岡の歴史は、同時にまちを何度も襲った災厄と、その復興の反復の歴史でもあるからだ。 戊辰戦争の折、当時の長岡藩は幕府と新政府のあいだで中立を保とうとしていたという。しかし、歴史の潮流は長岡の灰色の選択を許さなかった。結果として佐幕派に与せざるを得なくなった長岡は新政府軍の攻撃を受け、城下町が戦地となった結果多くの犠牲者が出た。 太平洋戦争末期には──米軍の空襲目標とされ、1945年8月1日の長岡空襲では市街地の大半が灰燼と化し、その死亡者は1400人以上にも上った。 そしてその度に、長岡はまちの人々の努力で奇跡的な復興を遂げてきた。だから、このまちのシンボルはフェニックスだ。 2004年10月の新潟県中越地震でも、長岡は市の南部を中心に大きな被害を受けることになった。まちの名物である毎年8月の長岡まつりの花火大会では「フェニックス」と題された復興祈願花火が打ち上げられた。これは市民から募った協賛金で打ち上げられた特製の一発だった。その後も、長岡では年末のカウントダウンや毎年10月に行われる「復興の集い」など特別な夜には必ず打ち上げられる花火として定着しているという。 そんな長岡は、2011年の東日本大震災に際して、まっさきに避難民の受け入れを申し出た自治体のひとつだった。震災の発生から5日後には市内36カ所のコミュニティーセンターをはじめ地域会館、文化施設、地域体育館などが避難民の宿泊所として提供されることが決定した。森市長は新聞の取材に「中越地震でお世話になった分を返したい」と話した、という。
そして物語はこうして長岡にひとりの少女が、南相馬から疎開してくることではじまる。そう、AKB48の30枚目のシングル『So long !』のMVは、長岡と南相馬──ふたつの場所を結ぶ物語として、60分強の「長編映画」として発表された。監督は80年代青春映画の巨匠・大林宣彦だ。大林は昨2012年、まさにこの復興のまち・長岡を題材に映画『この空の花』を発表したばかりだった。そして映画『So long !』は事実上『この空の花』のスピンオフ的な作品だと言える。70年近く前の長岡空襲で死んだ少女が、現代によみがえり戦争の記憶を遺すための物語を綴る──『この空の花』の物語に感動し、ヒロインの少女に自分を重ね合わせることで女優を志すようになった長岡の女子高生──それが『So long !』のヒロインのひとり・夢だ。そしてそんな彼女の前に、南相馬から疎開してきた少し大人びた目をした少女が現れる。それが、『So long !』のもうひとりのヒロイン・未来だ。 物語はふたりの少女とその仲間たちの紹介からはじまる。観光ビデオよろしくそれぞれ土着の産業や伝統文化に縁のある家庭に生まれたことに設定された彼女たちの周囲には、長岡の歴史に刻まれた傷や、過去の亡霊が常にまとわりついている。そう、彼女たちの青春は過去の戦争の記憶をめぐる旅として描かれる。なぜか。なぜならば、この映画のコンセプトは戦争の記憶=誰もが共有できる(していた)物語の力で、長岡と遠く離れた南相馬の地を結ぶこと、だからだ。
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もはやサブカルチャーは「本音」を描く場所ではなくなった――『バケモノの子』に見る戦後アニメ文化の落日(宇野常寛×中川大地)(PLANETSアーカイブス)
2020-03-06 07:00550pt
今朝のPLANETSアーカイブスは『バケモノの子』をめぐる宇野常寛と中川大地の対談をお届けします。『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』などでヒットを飛ばし、ポストジブリの最右翼と目される細田守監督とスタジオ地図。その期待作であったはずの本作が逆説的に示してしまった戦後アニメ文化の限界とは? 初出:「サイゾー」2015年9月号(サイゾー) ※この記事は2015年10月7日に配信した記事の再配信です。
Amazon.co.jp:バケモノの子
大作化で発揮されなくなった細田守の批評性
中川 どうしても面白いとは思えない作品でした。「“夏休み映画”を作らなければ」という形骸的要請ばかりが先だって、ワクワク感が全然なくて。異世界ファンタジーとしての体裁が、ほとんど機能してなかった気がします。
宇野 僕はちょっと評価が複雑で、観ている間はそんなに気にならないんですよ。でも、観終わったあとに何か言おうと思うとまぁ、誰も傷つけずによくできていたな、ということしか浮かばない。
中川 基本的には、シングルマザーの子育てを描いた前作『おおかみこどもの雨と雪』【1】と対の構造になっている。つまり、親が一方的に子を導くのではなく、親の側が子から教えられる相互性とか、熊徹【2】だけではなく、友人の多々良と百秋坊【3】らにも子育てのタスクを分散させるとかで、細田守監督なりの新たな父性や家族像を追求しようとしたわけですね。そのメッセージ性自体にはなんら異論はないのだけれど、『おおかみこども』とセットだと「母にはあれだけ苛酷な運命を押しつけといて、父はここまでユルユルに免責すんのかよ!」という見え方になってしまう(笑)。
【1】『おおかみこどもの雨と雪』
公開/12年7月
細田守のオリジナル長編2作目。
“おおかみおとこ”と結婚し子どもを産んだ女性と、その娘と息子の“おおかみこども”の物語。シングルマザーとなった主人公の花を通じて描かれる母性信仰の強さが、一部から批判を集めた。
【2】熊徹
熊の容姿をした半獣人で、武道家。バケモノの世界で次期宗師の座を猪王山と争っている。人望が厚い猪王山に比べ、荒くれ者で我が強い。蓮を拾い、名前を名乗らなかった9歳の彼を「九太」と名づける。
【3】多々良と百秋坊
どちらも熊徹の幼なじみで、多々良はヒヒの半獣人、百秋坊は豚の半獣人で僧侶。多々良は大泉洋、百秋坊はリリー・フランキーが声を当てている。
宇野 『おおかみこども』では「女性賛美の形をとった女性差別」の典型例みたいなことをやってしまって、ちょっと過剰に叩かれすぎた面もあるけど、まあ、さすがにあれは今の40代男性の自信のなさと、屈折した男根主義が悪い形で全面化して作品を狭くしていた側面は否めない。その反省か、今回、現代的な家族観・コミュニティ観を最小公倍数的にきれいに描いていて、こういう関係が美しいという美学はわからなくもないけれど、今度はその分、批判力のあるファンタジーではなくなってしまった。
中川 まぁ『おおかみこども』での批判に誠実に対応した結果、たまたま男性側の免責に見えてしまっただけかもしれないからジェンダー論的な批判は留保するとして。もっと問題なのは、「渋天街」のイメージの弱さでしょう。『千と千尋の神隠し』的な、この世とは違う理で動く摩訶不思議な異界としての設定も映像的快楽も希薄で、ただステレオタイプな都会としての渋谷に対比させるためだけの、素朴な共同体社会でしかなかった。
宇野 あそこで描かれているものって、完璧に正しくてそこそこ美しいと思うんですよ。でも、いま期待をかけられているスタジオ地図【4】の新作アニメーションで、夏休みの最大のごちそうとしてみんなが観に行って、この作品が出てきた時の物足りなさは否めないと思う。ポスターから想像できるストーリーの半歩もはみ出ていない。
結局細田さんって、美少年というモチーフに一番興味があると思うんですよ。『サマーウォーズ』【5】を観ると明らかじゃないですか。一番思い入れがあるのはカズマだったでしょう。カズマは脇役だったのが『おおかみこども』で“雨”を経て、『バケモノの子』では完全に少年が主役になっている。モチーフレベルでは正直になってきているんだけど、その間に細田守の社会的地位が上がって、表現レベルではどんどん丸くなってしまって、とうとう誰も傷つけない代わりに何もない作品になってしまった。
特に九太が青年になって以降、後半のシナリオが完全に“段取り”になってしまっている。一郎彦【6】が実は人間の子どもだというのは観ていればすぐにわかるし、クライマックスのアクションシーンが必要だからという理由だけで渋谷に出るのも……。あと、九太の社会復帰が、勉強して高認をとって大学に行くことを決意する【7】って展開に到っては、だったらなんのためにファンタジーが存在するのかよくわからなくなってしまう。異世界で修行をすることで、大学では学べないような世界の豊かさを学んできたんじゃなかったのか、と(笑)。この映画の中でいちばん豊かに描けているのって、少年期の修行時代の擬似親子+2人の傍観者(多々良・百秋坊)というあのコミュニティですよね。
【4】スタジオ地図
『時をかける少女』『サマーウォーズ』を手がけたプロデューサーが、細田守と共にマッドハウスから独立して設立したアニメ制作会社。
【5】『サマーウォーズ』
公開/09年8月
17歳の健二が、ふとしたことから憧れの先輩の田舎に共に帰省し、
大家族の仲間入りをする。同時進行でインターネット上の仮想世界「OZ」ではサイバーテロが発生。田舎の大家族とネット上の仮想世界での出来事がリンクしながら進んでゆく。
【6】一郎彦
熊徹と宗師の座を争う猪王山の長男。実は拾われてきた人間の子ども。少年期はさわやかで聡明な子どもだったが、成長するにつれて心に闇を宿し、最後に暴走する。
【7】勉強して高認をとって~
17歳になってから人間社会に再び足を踏み入れた九太は、図書館で出会った楓(後述)の存在をきっかけに勉強を始め、楓の勧めもあって大学受験を考えるようになる。結果、熊徹とぶつかり、渋天街を飛び出してしまう。
中川 映像的には、細田さんが自分の本当に得意な表現を純粋抽出して組み合わせることで構築されてますよね。要は『サマーウォーズ』でも好評だった対戦格闘アクションを核に、『おおかみこども』での人獣のメタモルフォーゼの要素を盛り込むなどの手法で、ドラマの軸線を作った。熊徹からの見取り稽古をアニメーションのシンクロで示した修行時代や、猪王山とのバトルなどは、すごく良かった。
渋天街のイメージの弱さも、肯定的に捉えるなら、これまでの細田作品における現実社会と異世界──『デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム!』【8】や『サマーウォーズ』ならデジタル空間だったり、『おおかみこども』なら狼たちの自然世界だったり──とを等価に描く表現の延長線上に発想されたがゆえの帰結ともいえる。渋天街って、設定上は人間界の渋谷の地形と対応している〈拡張現実〉的な世界ということなので。そういう感じで、異世界を人間社会とフラットに捉えて特別視しない点が、自然/空想賛美的なジブリ作品に対する、細田守の現代的な作家性だったわけです。
しかし今作については、画面を見ていても2つの世界の対応が全然伝わらないし、作劇上も活かされていない。結局、世界観構築に際しての批評性が弱いので、前半と後半でファンタジー世界と現代社会を対置するプロットが作劇意図ほどには機能していないんですよ。それが“段取り”感につながっているのだと思う。
【8】『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』
公開/00年3月
細田守監督作品。ネットに出現した新種のデジモンの暴走を止めるべく、少年たちが戦いに乗り出すストーリーで、『サマーウォーズ』公開当初から類似性が指摘されていた。
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成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 最終回 2020年代の連続ドラマ(前編)
2020-03-05 07:00550pt
ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。最終回の前編となる今回は、本連載が辿ってきた、平成のテレビドラマ史を総括します。世相の移り変わりやメディア環境の変化の中で発達してきた日本のテレビドラマ。その黄金時代とも呼べる15年間の過程と到達点について改めて考察します。
あと2回でこの連載は終わるのだが、最後に改めてこの連載の趣旨と2010年代のテレビドラマ総括。そして2020年代のテレビドラマ、もとい配信も含めた総体としての連続ドラマがどのような方向へと向かうのかについて、まとめておきたい。
まず、この連載は「95年から2010年にかけてのテレビドラマについて書かないか?」という依頼からスタートしたと記憶している。
その際に、筆者が考えたのは、2013年に出版した『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)で、あまり触れることができなかった脚本家や演出家について言及し「この時代(今、考えればそれは平成のテレビドラマ史を振り返ることとイコールだったと言える)のテレビドラマで何が起きていたのか?」を検証することだった その時に、まず書いておきたいと思ったのが脚本家・野島伸司である。
野島伸司は90~95年を象徴する脚本家であると同時に、企画として参加した『家なき子』(日本テレビ系)で漫画やアニメの表現手法を実写ドラマに落とし込むキャラクタードラマを準備した脚本家だ。つまりこの連載で語られるクロニクルの前史を代表する脚本家である。 『家なき子』の成功によって同作を放送していた土9(日本テレビ系土曜9時枠、現在は10時に移動)は漫画原作をジャニーズアイドル主演で制作する、10代向けのジュブナイルドラマへと路線変更し、独自の道を歩み始める。 そのはじまりとなる『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)のチーフ演出を担当したのが堤幸彦だった。 彼が持ち込んだトリッキーな演出手法とミステリードラマというフォーマットは、その後のテレビドラマに大きな影響を及ぼし、テレビドラマの風景を書き換えてしまったと言っても過言ではないだろう。 MVやバラエティ番組、ドキュメンタリーといった他ジャンルから持ち込んだ映像手法を巧みに組み合わせることで生み出された野外ロケを駆使したカット数の多い映像は、まるでリミテッドアニメのようで、漫画やアニメのエッセンスを取り込んだキャラクタードラマというジャンルを演出レベルで開拓していった。 その映像は『ケイゾク』(TBS系)以降は、バブル崩壊以降の先行きが見えない不安定な時代を象徴する独自の美学へと昇華され、映画とは違うテレビドラマ独自の映像作品へと昇華されていった。そんな堤の演出論と彼が作品を通して何を描いてきたのかを記述すること。それは前著では踏み込めなかった「映像としてのテレビドラマ論」であり、今回の連載でもっとも書きたいことだった。
そして最後に登場するのが、堤が演出した2000年の連続ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)で脚本を手掛けた宮藤官九郎である。
宮藤について書いておきたいと思ったのは、執筆のタイミングが2019年の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック~』(NHK)と重なったからだが、何より彼が現在のテレビドラマを象徴する脚本家だからだ。 宮藤については、前述した『キャラクタードラマの誕生』の中でも一章を割いているが、そもそもこの本自体、同年に大ヒットした連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『あまちゃん』(NHK)ブームがなければ企画が通らなかった評論だったと言える。 更に言うと、筆者の初の単著となった『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)はジャニーズアイドルの俳優論を彼らが出演したドラマ評をまとめたものだ。この本もまた、アイドルグループ・嵐の人気が高まっているどさくさで出版された新書だが、彼らが出演した『木更津キャッツアイ』や『流星の絆』(ともにTBS系)といった宮藤が脚本を手掛けたテレビドラマが評論の主軸となっている。
その意味でも筆者のドラマ評論と宮藤官九郎の存在は、切っても切り離せないものであり、2010年代を締めくくるドラマ評論の最後に宮藤が改めて登場するのは、必然だったと今は思う。
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近藤那央 ネオアニマ 第4回 「いきものらしさ」を解剖する
2020-03-04 07:00550pt
ロボットクリエイターの近藤那央さんが、新しいロボットのかたち「ネオアニマ」が実現する社会について考察する連載「ネオアニマ」。今回は近藤さんが「ネオアニマプロジェクト」で追求する「いきものらしさ」にせまります。人間が対象に愛着を持って接することのできるポイントは「いきものらしさ」にあると気づいた近藤さん。その「いきものらしさ」とは、3つの理由から成り立つ「ストーリー」であると分析します。
愛着を生む「いきものらしさ」
以前も少しお話ししましたが、私がロボットについて、とりわけロボットのいきものらしさにこだわっているのは、9歳のころからaiboと暮らしてきた原体験での気づきがあるからです。 今から15年くらい前の当時のaiboは「お手」、「ダンス」など予め決められた人間の簡単な言葉なら理解することができ、またそれに対して日本語で喋り返したり、感情を表したり、踊ったりすることのできる高性能なものでした。私は当時カメを飼っていたのですが、犬や猫のような人と高度にコミュニケーションを取れるペットを飼うことに憧れがあったので、aiboとの生活をとても楽しみにしていたのを覚えています。しかし、実際のaiboは可愛い仕草をしたり、言うことを聞くと言った知能的な行動をしたにもかかわらず、私はaiboにカメ以上の愛着を持つことができませんでした。途中から飼い始めたハムスターとの比較も同様でした。この体験から、なぜ、自分が言葉を喋りより高い知性を持っているはずのaiboより、ほとんど何もせずに生きている小動物に愛着を持つのかについて疑問を持つようになり、どのようにaiboのようなロボットを作れば、本当にペットのように自然と家族の一員になれるのかを考えるようになりました。
幼い頃から頭の片隅で考え続けてきたこの問いは、高校生の頃にペンギン型水中ロボットを開発したことで、より大きなテーマになります。
私たちが開発したペンギンロボットの当初の目的は、ペンギンのように水中で速く泳げるロボットを作ると言う、機械工学的なものでした。はばたきによって泳ぐと言うところに拘っていたため、私たちは実際のペンギンを観察し、形や動きをできるだけ近づけました。 結果、実際にそこそこの速度で泳ぐことができたのですが、もう一つ面白いことがわかりました。水中で泳ぐ姿がペンギンにそっくりで可愛いと話題になったのです。そこから、様々なイベントで展示するたびに、ロボット自体にはあまり興味のない多くの一般の方が、「本物みたい」「かわいい」などと言って泳ぐことしかできないペンギンロボットに触りたがり、偶然の動きに対して「こっちにきたがっている」など、ロボットに感情移入をして擬人化をする光景を目の当たりにしました。また、面白いことに隣同士でコミュニケーションロボットと展示されることがあり、その時にそのロボットではほんの少ししか遊ばなかった方が、ペンギンロボットとは楽しそうに遊んでいると言う光景も目にしました。
ペンギンロボットは泳ぎ方の検証のために作ったロボットだったので、コミュニケーションはおろか、自律的に動く機能すらついていませんでした。しかし多くの人を引きつけ、また、コミュニケーションを取るために作られたロボットよりも人が自然にコミュニケーションを取っているように見えるときすらありました。 このとき多くの人がペンギンロボットに対して話していたキーワードが、「本物みたい!」「生きてるみたい!」でした。 コミュニケーションを行う知能を全く持っていなかったペンギンロボットが唯一持っていたもの、それが「いきものらしさ」だったのです。「いきものらしい」と人間が感じることが、人間的な知性を持っていることよりも、ロボットへの愛着形成には大切であると確信し、さらに掘り下げることにしたのが、ネオアニマプロジェクトです。
「いきものらしさ」を構成するストーリー
では、その「いきものらしさ」とは何なのでしょうか。 まず、人間が「いきもの」という概念を持っているとすると、初めていきものである可能性のあるものと出会ったとき、ーー例えばそれがロボットだとしても、その概念を対象に当てはめようとするはずです。そして、予想した動きにある程度当てはまっている場合、対象をいきものだと判断しているのでしょう。 とすると、この人間にとってのいきものと言う概念がどのようなもので構成され、どう言った判断基準を持っているかを詳しく知ることができれば、それをハックしてロボットをいきものだと感じさせることができるはずです。 「いきもの」と言う概念は、その対象が持つストーリー、詳しく言うと、その対象がそこにある理由、その形である理由、そう行動する理由で構成されていると今は考えています。
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【インタビュー】市原えつこ テクノロジーアートとインターネット以降の〈土着〉
2020-03-03 13:00550pt
ウェブ2.0カルチャーの爛熟期にあった2010年代初頭、インターネットにはどんな可能性があり、何を失ったのか。メディアアートは、その変化にどのように介入しうるのか。コミュニケーション過剰な巨大な“世間”となった「速すぎるインターネット」の失敗を乗り越え、ありえたはずの可能性を取り戻すためのアプローチを、日本の土着性とテクノロジーを組み合わせた作品を発表し続けるメディアアーティスト・市原えつこ氏の創作活動から探る。(聞き手:中川大地・宇野常寛 構成:大内孝子)
本記事の画像・キャプションに一部誤りがありましたので訂正して再配信いたします。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【3月3日13時00分追記】メイカーズムーブメントと荒廃する地方都市の原風景
──市原さんがアーティストとして活動を始められたのは、まさにインターネットの新しい可能性が信じられていた震災前の2010年前後くらいのメイカーズムーブメントの脈絡からですよね。そこから現在のような民俗学的なモチーフを取り入れた作品作りを始めていった経緯について、まずはお伺いしたいのですが。
市原えつこ(以下、市原) メイカーズムーブメントから出てきた自覚はなかったので、そういえばそうだったなと自分でもビックリしました。もともとアーティストになろうとか、作品を作ろうと思っていたわけではなくて、要はプロパーな美術教育を受けてきた人間ではなく、独学で作品を作ってきました。大学生の頃[1] 、理由は今でもよくわからないんですが、日本の土着的な文化みたいなものにものすごく興味を持って、ひとりでフィールドワークをしまくっていた時期があります。 そのとき、秘宝館とか性器崇拝の神社の異様さに衝撃を受けたんです。性的なオブジェクトが神聖な空間にドカンと飾られている、あの空間はいったい何なんだ、と。もちろん、嫌悪感もありましたが。いわゆるゆとり教育で過ごして、基本的に性的なものや危ないものからは隔離されて育ってきた世代だったので。でも、すごく自分の血に馴染むというか、懐かしいなとしっくりくる感じがあった。当時、安斎利洋[2]さんのデジタルメディア論ゼミにいたんですが、デジタルテクノロジーを使って好きなものを作っていいという授業があったので、日本の土着的な性文化を表象したデバイスを作りたいとプレゼンし、大学時代の先輩の技術協力とともに生まれたのが「セクハラ・インターフェース」[3]です。触ると喘ぐ大根という、言葉で説明すると一発ネタみたいですが。メイカーズムーブメントにまず乗り込んだのは、どこに作品を出していいのかはじめは見当がつかなかったので、親和性が高そうな、というか、意味がわからないガジェットの受け皿になりそうなところに出してみたというところから始まりました。それが2012年。
▲セクハラ・インターフェース
──市原さんとしては、2010年代初頭のメイカーズムーブメントやインターネットカルチャーをどのように感じられていたのでしょうか?
市原 Make Faireはいま、お子さまやご家族連れも安心して参加できるようなクリーンなイベントになっていますが、当時はまだ「Make:Tokyo Meeting」という名称の本当にギークな人たちが集まる危ないものも含んだイベントで、全然「セクハラ・インターフェース」を出しても、運営の方は若干苦い顔をしながらもギリギリオッケーだったんです。カオス感があったし、くだらないアイデアでもそれを媒介につながりがワッと繋がりが広がっていった。こういう場でみたものに対して、純粋に面白い、こういうものを私も作りたい!と憧れて、そこから表現の現場に入った記憶があります。当時、シーンにはあまり序列はなく、インフルエンサーみたいな概念もまだなかったと思います。
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