-
「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球――『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.700 ☆
2016-09-29 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
「差別」から生まれた自由空間としての戦前プロ野球『洲崎球場のポール際』著者・森田創インタビュー(前編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.9.29 vol.700
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガは、草創期のプロ野球を描いたノンフィクション『洲崎球場のポール際』著者・森田創さんのインタビューです。戦前に始まったプロ野球の名勝負の舞台となったのが、現在の東京都江東区にあった「洲崎球場」でした。なぜ東京の東側でプロ野球文化が芽吹いたのか? 東京の都市構造やメディア環境の変貌が、大衆文化に何をもたらしたのかを語ってもらいました。
▼プロフィール
森田創(もりた・そう)
1974年5月21日、神奈川県出身。1999年、東京大学教養学部卒業。同年、東急電鉄入社。現在、広報部勤務。2014年10月、初めての著書『洲崎球場のポール際』(講談社)を発刊し、翌年のミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2016年7月、戦前のテレビ開発を追ったノンフィクション『紀元2600年のテレビドラマ』(講談社)を刊行。
森田創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』講談社、2014年
◎聞き手/構成:中野慧
■関東大震災、幻の「1940年東京五輪」と野球人気の高まり
――森田さんの『洲崎球場のポール際』は、草創期のプロ野球の歴史を、現在の東京都江東区にあった「洲崎(すさき)球場」を中心に描いていくというものでした。プロ野球は私たちにとっては生まれたときから当たり前にあったものであるがゆえに、どういう経緯を経て今の形になっているのかって、実はあまり知られていないのではないかと思います。
そこで今回は、野球が文化や社会の状況とどのようにして絡み合いながら今のものになったのか、そこにどんな可能性があったのかについて伺っていければと思います。森田さんはもともとこの本を執筆する前から、戦前の野球に強く興味を持っていらしたんでしょうか?
森田 もともと野球のなかでもプロ野球が好きでしたので、戦前に限らずどの時代も興味があったのですが、やっぱり戦前は記録も少なくてミステリアスですし、「伝説の大投手」沢村栄治【1】をはじめとして戦死してしまった選手も多くいて、悲劇的な部分もありますよね。そういうところに神話的な憧れを持っていた、ということはあるかもしれません。
この本を書くに至った理由は単純で、それまでずっと狂ったように会社の仕事をしていたんですよ。劇場を作る仕事だったので、まさにプロ野球と同じ「興行」についてずっと考えている毎日で。その仕事がひと段落して、「何か違うことがやりたいな」と感じていたときにたまたまプロ野球の失われた球場についての本を読んで、「プロ野球は洲崎球場で始まった」ということを知ったんです。面白そうだからもっと調べてみようと思ったんですが、あまり資料も残っていないし、ほとんど何もわからなかった。それでムキになって調べているうちに、会社で本を作る仕事をしていた人に「そんなに調べているんだったら、本を書いてみれば?」と言われて書き始めた、という感じですね。
【1】沢村栄治:1934年に行われた日米野球でメジャーリーグ選抜と対戦して好投し、その後始まったプロ野球では巨人でエースとして活躍したが、日中戦争・太平洋戦争に従軍し1944年に27歳の若さで戦死した。背番号「14」は巨人の永久欠番となっている。なお、漫画『ダイヤのA(エース)』の主人公・沢村栄純の名前は沢村栄治へのオマージュ。
――戦前から東京都内には野球場がいくつかあったようですが、洲崎球場のように戦後にはなくなってしまった球場って他にあるんですか?
森田 戦前で消えたのは洲崎球場だけですね。もともと昭和15(1940)年に東京でオリンピックが開催されるはずだったんですよ。日本の戦前の都市計画って、そのオリンピック構想に縛られているところがあるんです。まず今の東京の原型となったのは、大正12(1923)年の関東大震災後の「帝都復興計画」ですね。そのときに、昭和通りとか地下鉄銀座線とか、今でも使われているインフラでももっとも古いものができました。その後、いわば「第二期」の都市計画のベースになったのが昭和15年の東京五輪です。この「幻の東京五輪」は、昭和11年の7月31日に開催が決定し、実は今の駒沢オリンピック公園――昭和39(1964)年の東京五輪でも使われたところです――にメインスタジアムを置く計画でした。ところが昭和13(1938)年、日中戦争の激化とともに泣く泣く中止となってしまいました。
――当時の駒沢って、今のように住宅街だったわけではないんですよね。
森田 もう、ほとんど『北の国から』みたいな感じですよね。牛の鳴き声が聞こえるような。ただ、昭和15年の東京五輪計画って、昭和39年の東京五輪でも多くの部分が踏襲されていたりするんですよ。馬事公苑で馬術をやるとか、戸田公園でボートをやったのもそうですし、39年の東京五輪では女子バレーボールが「東洋の魔女」と呼ばれて金メダルを獲得したわけですけど、あれも駒沢の体育館で行われました。なぜ駒沢に巨大な体育館が作られたかというと、やはり昭和15年の東京五輪計画を踏襲したからですね。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201609
-
地理と文化と野球の関係(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.4)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.698 ☆
2016-09-27 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
地理と文化と野球の関係(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.4)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.9.27 vol.698
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガは「文化系のための野球入門」をお届けします。今回は「野球人気の地域差」に着目し、日本社会に暮らす人々が、野球というスポーツ/エンターテインメントに接する際の温度差について考えます。
▼執筆者プロフィール
中野慧(なかの・けい)
1986年生、PLANETS編集部。文化、政治からスポーツまで色々な書籍・記事を担当しています。過去の構成担当書籍に『静かなる革命へのブループリント』(宇野常寛編、河出書房新社)、『ナショナリズムの現在』(著・小林よしのり他、朝日新聞出版)、『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(宮台真司編、KADOKAWA/中経出版)等。
過去の配信記事一覧はこちらから。
前回:いま野球界の構造はどうなっているのか? 選手育成過程と、今夏の「女子マネージャーと硬式球」問題(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.3)
本記事に関するご意見、ご感想等は、こちらまでお送りください。
■昔から「地域密着」していたプロ野球
前回に引き続き、野球界の基底構造を試論として述べてみたいと思います。
先日、広島東洋カープが25年ぶりの優勝を果たし、ニュースやSNSのタイムラインを賑わせていたと思います。そこで意外な人がカープファンだったことが明らかになり、驚いたりした人も多いのではないでしょうか。「◯◯という野球チームのファンである」ということは、当人たちがあえて日常のコミュニケーションで表明しようと思わないぐらいに身体化されていたりします。
その一方で、例えばしばしばメディアで「高校野球は国民的行事だ」といういうことが言われるわけですが、「そもそも高校野球に関心がないから、国民的行事だなんて1ミリも思わないよ」と反発を覚える人もいると思います。
ここで考えてみたいのは、個々人の出身地域や所属する文化的クラスターによって「野球」というスポーツ/エンターテインメントの受け取り方に大きな差が出てくる、ということです。そこで今回は「地域によって『野球』というものの重みがどう違うか」に着目して、野球文化の内実を考えてみたいと思います。
この連載のもとになった記事(いま文化系にとって野球の楽しみ方とは?――「プロ野球ai」からなんJ、『ダイヤのA』、スタジアムでの野球観戦、そしてビヨンドマックスまで)では、「野球人気低下」の実相について検討しました。よくマスメディアで言われる「野球人気」のバロメーターは、つまるところ「テレビにおける巨人戦の視聴率」だったわけです。現在の地上波における巨人戦中継数や視聴率はたしかに減少傾向であるものの、スタジアムに足を運ぶ観客の数や、野球を実際にプレーする選手の数は21世紀に入って右肩上がりになっています。野球人気を考える上では、「マスメディアを通した薄く広いファン層」ではなく、球場に足を運んだり自分でやったりする「濃い」ファン層の推移を考える必要があるという論旨だったのですが、地域の野球人気を考える際もやはり観客動員の数に着目する必要があります。
近年、プロ野球においてJリーグをモデルとした「地域密着」型の球団経営が志向されていることは、野球に詳しくなくても知っている方が多いのではないかと思います。北海道では2004年に札幌に本拠地を移した北海道日本ハムファイターズ、東北では2005年に新規参入を果たし仙台に本拠を置いた東北楽天ゴールデンイーグルス、福岡では2006年に親会社が変わった福岡ソフトバンクホークスといったパ・リーグ球団が、それぞれ地域での人気を確立しています。
実際に2008〜2015年に開催されたプロ野球公式戦の各チームのホームゲーム観客動員数の推移を見てみると、ソフトバンク、日本ハムの観客動員数は高水準を維持していますし、2005年に球界に参入したばかりの楽天も急上昇中です。
▲日本野球機構 統計データより作成。
では、プロ野球において「地域密着」が進んだのは最近かというと、必ずしもそういうわけではありません。大阪府・兵庫県の阪神タイガース、愛知県なら中日ドラゴンズ、広島県なら広島東洋カープといったいくつかのセ・リーグ球団は、戦後にプロ野球が復活して以降、長きにわたって地域住民に愛されてきており、現在の観客動員数でも上位に位置しています。
たとえば広島東洋カープは、ある種の「戦後復興・反戦平和の象徴」として生まれ、市民の支持を受けてきました。被爆都市である広島で戦後にプロ球団が誕生した経緯、市民の受容過程や、カープがどのような「意味」を背負っていたかについては、『はだしのゲン』で有名な中沢啓治の漫画作品『広島カープ誕生物語』でも描かれています。
▲中沢啓治『中沢啓治著作集(1)広島カープ誕生物語』DINO BOX
■日本で一番野球が盛んな都道府県はどこか
野球文化は大きくプロ野球とアマチュア野球のふたつに分けられるわけですが、大阪・愛知・広島の3府県は戦前から高校野球も盛んであり、全国優勝経験のある強豪校を多く抱えていてアマチュア野球が市民の身近にあることも、野球人気の高さを下支えしています。
では、日本で一番野球が盛んな都道府県はどこか? と問われたとき、暫定的には「大阪府」と答えるのが、もっとも正解に近いと思います。プロ野球においては阪神タイガースが伝統的に根強い人気を誇り、阪神以外にも近鉄バファローズ(前身も含めて1952年より大阪に本拠を置き、2004年に消滅)、南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス。1952年〜1988年まで大阪に本拠を置き、89年より福岡に移転)、阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ。1952年〜2004年まで兵庫県に本拠を置き、現在は大阪府を本拠としている)と、20世紀後半には4つものプロ球団が大阪周辺に本拠を置いていました。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201609
-
【特別寄稿】門脇耕三「リオデジャネイロ・オリンピック 都市・建築の舞台裏」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.671 ☆
2016-08-19 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
【特別寄稿】門脇耕三「リオデジャネイロ・オリンピック 都市・建築の舞台裏」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.8.19 vol.671
http://wakusei2nd.com
今朝は建築学者の門脇耕三さんによる、リオデジャネイロ・オリンピックの都市と建設をテーマにした寄稿をお届けします。民間での再利用を前提とした競技施設が注目を集めていますが、実際に現地ではどのような建造物が建てられているのか。リオ五輪の建築的側面を、ブラジルの都市計画の歴史を踏まえながら解説していきます。
▼プロフィール
門脇耕三(かどわき・こうぞう)
1977 年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法 論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアの思想/または愛と制度と 空間の関係』〔編著〕(LIXIL 出版、2015 年)ほか。
過去のリオ五輪関連記事はこちらから。
日本人はリオ五輪から何を学ぶべきか――『オリンピックと商業主義』著者・小川勝氏インタビュー
『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』好評発売中です!
『PLANETS vol.9』は2020年の東京五輪計画と近未来の日本像について、気鋭の論客たちからなるプロジェクトチームを結成し、4つの視点から徹底的に考える一大提言特集です。リアリスティックでありながらワクワクする日本再生のシナリオを描き出します。
★Amazonでのご購入はこちらのリンクから。
★販売書店リストはこちらのリンクから。
連日のオリンピック関連の報道で、リオデジャネイロ(以下、リオと略す)の街並みや建物を目にする機会が多くなってきた。夏季オリンピックはこれまで、ヨーロッパで16回、北米で6回、アジアで3回、オセアニアで2回開かれてきたが、南米での開催は今回が初めてであり、その重責を負ったリオは、メキシコシティやサンパウロと並ぶ、南米屈指のメガ・シティでもある。リオは観光地としても世界的に有名だが、地球上での裏側に住まうわれわれにとっては、馴染みがある都市とは言いがたい。そこでこの記事では、リオ・オリンピックをさらに楽しむために、リオの都市計画とオリンピック施設の特徴を解説してみることにしよう。
▲リオデジャネイロ(出典)
■リオの成り立ちと発展
リオはポルトガル人によって1502年に発見され、港町として整備されたが、都市としての発展は18世紀前半に内陸部で金鉱が見つかったことが契機となる。金の積出港として栄えだしたリオは、1763年にはブラジルの植民地政庁の所在地(首都)となり、1822年にブラジルがポルトガルから独立したあとも、長らくブラジルの首都として発展する。しかし19世紀中頃までのリオは、まだ小規模な都市に過ぎなかった。当時の人口構成は大半が奴隷で、ごく一部の自由労働者のさらに一部が支配エリート層をなすピラミッド型の社会階層であったが、リオは長い年月をかけて浸食された巨大な奇石がそびえ立ち、低地が丘陵や山で分断される特殊な地形をしているため、すべての社会階層が比較的近接して居住していたという。
▲リオのシンボルでもある奇石、ポン・ヂ・アスーカル(出典)
19世紀末になると、ブラジルの工業化とともに、リオも巨大な労働市場を形成しはじめる。加えて、コーヒー産業の衰退に伴う農村部からの人口流入、帝政ロシアの支配地域で頻発したポグロム(流血を伴う反ユダヤ暴動)から逃れた移民の移入などにより、1872年に27万人だったリオの人口は、1900年には81万人にまで膨らむこととなる。そこで1902年に第5代大統領に就任したロドリゲス・アルヴェスは、都市計画家フランシスコ・ペレイラ・パソスをリオ市長に任命し、リオの都市改造を大規模に進めた。当時採用されたのはフランス式の都市計画であり、旧市街(セントロ)のシネランデア広場とその中心には、パリのオペラ座を模したという市立劇場や、リオ市庁舎、連邦司法文化センター(旧高等法院)など、パソスの主導により整備された新古典主義の建築が軒を連ねている。
▲リオデジャネイロ市立劇場(出典)
当時のリオの人口増加は、1888年の奴隷制廃止も大きな要因のひとつであるが、これを契機に誕生したのが、大量の都市貧困層である。20世紀初頭のブラジル経済は好調であり、この時代には政府主導型の都市政策が数多く実施されたが、その目的は、都市貧困層が不法に立てた小屋が建ち並ぶスラムである「ファヴェーラ」を解消することであった。しかし実際には、貧困層を遠隔地に追いやり、富裕層を優先する都市整備が行われたため、以降のリオには、インフラが充実した富裕層の居住地域である南地域と、インフラが未発達で貧困層が住まう北・西地域に社会階層が分断された都市構造が定着することとなる。
▲リオのファヴェーラ(出典)
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201608
-
【インタビュー】稲見昌彦「ヒトと超人の境界面――身体拡張のアクチュアリティ」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.669 ☆
2016-08-17 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
【インタビュー】稲見昌彦「ヒトと超人の境界面――身体拡張のアクチュアリティ」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.8.17 vol.669
http://wakusei2nd.com
今朝は、東京大学先端科学技術研究センター教授の稲見昌彦さんのインタビューをお届けします。「身体拡張」や「超人スポーツ」で知られる稲見先生が、自身の関心領域についての議論を縦横無尽に展開。哲学的な領域を包括しつつある昨今の工学的知見を元に、テクノロジーによって拡大化・細分化される人間の「自己」あるいは「身体」の新たな定義について考えます。
▼プロフィール
稲見昌彦(いなみ・まさひこ)
1994年、東京工業大学生命理工学部生物工学科卒。1996年、同大学大学院生命理工学研究科修士課程修了。1999年、東京大学大学院工学研究科先端学際工学専攻博士課程修了。東京大学リサーチアソシエイト、同大学助手、JSTさきがけ研究者、電気通信大学知能機械工学科講師、同大学助教授、同大学教授、マサチューセッツ工科大学コンピューター科学・人工知能研究所客員科学者、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授等を経て2016年より東京大学先端科学技術研究センター教授。自在化技術、Augmented Human、エンタテインメント工学に興味を持つ。現在までに光学迷彩、触覚拡張装置、動体視力増強装置など、人の感覚・知覚に関わるデバイスを各種開発。米TIME誌Coolest Invention of the Year、文部科学大臣表彰若手科学者賞などを受賞。超人スポーツ協会発起人・共同代表。著書に『スーパーヒューマン誕生! ―人間はSFを超える』(NHK出版新書)がある。
◎聞き手:宇野常寛
◎構成:神吉弘邦
■3層のレイヤーから見える世界
宇野 2月に刊行された稲見先生のご著書『スーパーヒューマン誕生―人間はSFを超える』、拝読いたしました。この本の中で扱っている話題と、今の稲見先生の研究領域とは、どのくらいつながっているのでしょうか?
稲見 これまで主にやっていたテーマは「人間拡張」でしたが、現在の研究テーマは「人体の再設計や再定義」や「心の身体の問題」です。今回の書籍では、前者の方が今の時代に多くの人に伝わる話題だという判断で、そちらをメインに書いています。
今の研究分野に名前を付けるなら「身体情報学分野」でしょうか。今年春に、東京大学先端科学技術研究センターに異動したときに、研究分野名を自由につけて良いというので、そう名乗っています。今は興味の対象がそちらに向かっているので「人間拡張工学分野」とは付けませんでした。
宇野 この本では、ヴァーチャルリアリティとロボットの話題が一冊にまとめられていますが、この分野を包括的に表すような言葉はないんでしょうか?
稲見 私はVR、ロボットを包含する学問領域名として、「身体情報学」と名付け、身体を情報システムとして理解、設計することを目指しています。身体拡張はその第一段階と考えています。旧来的には「ヒューマン-マシン インタフェース」や「コンピュータ-ヒューマン インタラクション」になるんでしょうが、こういった伝統的なヴァーチャルリアリティの分野が研究していたのは、情報世界と物理世界、つまりデジタル-フィジカルの関係をどう設計していくかでした。
情報技術はニコラス・ネグロポンティの著書『ビーイングデジタル』で語ったように、すべてがデジタルに移行しようとしています。その両者の中間的なところに「タンジブル」があったりして、物理-情報界面領域はいま落合陽一先生も取り組んでいるところですね。
この物理世界と情報世界を対比する考え方に対し、私は最近サイバネティクスの始祖であるノーバート・ウィーナーに倣って、世界を「自分が直接制御できるもの」と「自分が直接制御できないもの」に分けて捉えることを提案しています。そして自らの可制御領域を押し広げて行こうというのが「人間拡張」の考え方です。
その考え方を基本とし、”We”という概念を考えます。「自分が直接制御できるもの」と「自分が直接制御できないもの」は、「自己」と「それ以外」と言い換えることができます。ここで主語を「自己」ではなく「我々」に転換する、つまり"I"から"We"へと考え方を広げることで、これはまさに我々人類が制御可能な領域を広げるというエンジニアリングによって目指すべき目標となります。
このエンジニアリングの世界にも界面があって、それは「可制御界面」と捉えられます。その外側に広がっているのは「観察できるもの」と「観察できないもの」の世界で、ここでも主語を"We"に置き換えることによって、新たな技術により観察可能な世界つまり「可観測界面」を広げるという、サイエンスの目標と捉えることができます。そして、学問全般が目指す目標は人類にとっての「理解界面」を押し広げることかもしれません。
まとめると「制御できる世界」「観察できる世界」そして「理解できる世界」。この3層のレイヤーが、テクノロジーによってどう変わっていくかに興味があります。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201608
-
日本人はリオ五輪から何を学ぶべきか――『オリンピックと商業主義』著者・小川勝氏インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.668 ☆
2016-08-16 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
日本人はリオ五輪から何を学ぶべきか――『オリンピックと商業主義』著者・小川勝氏インタビュー
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.8.16 vol.668
http://wakusei2nd.com
今朝は『オリンピックと商業主義』の著者であるスポーツジャーナリスト・小川勝さんのインタビューをお届けします。
新国立競技場問題をはじめ、さまざまな問題を抱えながらも、4年後に迫っている東京オリンピック。政治とカネとノスタルジーが複雑に絡みあったこの状況を解きほぐす鍵は、本来のオリンピックの理念に立ち返ることだと語ります。現在開催中のリオ五輪を参照しながら、日本人は「2020年」にどう向き合うべきかを考えます(このインタビューは2016年7月22日に収録しました)。
『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』好評発売中です!
『PLANETS vol.9』は2020年の東京五輪計画と近未来の日本像について、気鋭の論客たちからなるプロジェクトチームを結成し、4つの視点から徹底的に考える一大提言特集です。リアリスティックでありながらワクワクする日本再生のシナリオを描き出します。
★Amazonでのご購入はこちらのリンクから。
★販売書店リストはこちらのリンクから。
▼プロフィール
小川勝(おがわ・まさる)
1959年、東京生まれ。青学大理工学部からスポーツニッポン新聞入社、野球、米国4大プロスポーツ、長野五輪などを担当、2001年に退社してスポーツライターに。著書に「イチローは『天才』ではない」(角川ONEテーマ新書)「オリンピックと商業主義」(集英社新書)「東京オリンピック 『問題』の核心は何か」(集英社新書)など。
◎構成:森祐介
■どこまでを五輪開催の費用とするべきか
――今年はブラジルでリオオリンピックが開催され、4年後には東京でのオリンピックも近づいています。まずは現在のオリンピックをとりまく状況をお聞きかせください。
小川 現在のオリンピックの開催について、もっとも耳目を集めやすいのは経済的な話題でしょう。2020年の東京オリンピックを誘致するにあたっても、とにかく経済効果の大きさばかりが語られていた印象です。しかし、オリンピックというものは、本来は税金を投入して当たり前の奉仕活動でした。黒字だ赤字だと、お金の話ばかりの「商業主義」に変わってしまったのは、1984年のロサンゼルスオリンピック以降のことです。
当時の報道を知っている人にとっては、あそこから商業五輪がはじまったことは一般常識なのですが、僕より年下の方から「若い人にとっては、ロサンゼルスオリンピックは歴史上の出来事ですよ」と言われてしまって……。
そういう意味でも、『オリンピックと商業主義』を出版した2012年は良い時期だったのではないかと思います。4年前は、まさに東京五輪の誘致活動が行われている最中でしたからね。
――東京オリンピックの誘致活動が行われていたとき、「税金の無駄遣いになるから誘致はやめよう」という意見が根強くありました。しかし、実際に何にお金がかかるのかについては、なかなか分かりづらいところがあります。
小川 「何にいくらお金がかかるか」という議論の前提があやふやなのは確かです。よく「東京オリンピック開催にかかるお金」という言葉が使われますが、この言葉を使っているメディアの人たちも、内容をよく整理できていないという印象が強いです。
前回の東京オリンピックでは、柔道の会場として日本武道館を税金で作りました。あれから50年以上が経った今、「日本武道館を建てた税金はムダだった」という人はまずいません。現在ではコンサート会場としてメッカになっているなど、当時の人たちが想定していなかった使われ方もしていますが、歴史のある施設ですので、少々赤字だとしても「潰してしまおう」とはならない。
代々木第一・第二体育館や国立競技場にしても同じです。建設費用は「オリンピック開催に必要なお金」とも言えますが、同時に「公共財産をつくる事業としてのお金」でもあったわけです。東京オリンピックに間に合わせるためにつくった施設ではありますが、東京オリンピックだけにかけたお金ではない。黒字だ、赤字だという枠に、この建設費を入れてしまうのは間違いだと思います。
――当時とは社会状況も変わっています。たとえば新国立競技場について、また前回と同じような施設が必要なのでしょうか?
小川 あの場所に競技場を作ること自体は大賛成です。自然環境への影響など、まだまだ検討が必要な部分もありますが、あの施設が持つ、伝統を引き継ぐことが何より重要だと思います。サッカーの天皇杯や関東学生陸上競技連盟の大会など、さまざまな競技において、国立競技場はとても大きな意味をもった場所です。
サッカー選手にとっては、お正月に天皇杯で優勝してカップを掲げることは大きな目標のひとつですし、高校サッカーの学生たちにとっては、準々決勝まで残って国立で試合をするのが憧れです。こういった伝統はお金で買えるものではありません。多少赤字があったとしても、税金で補填して維持していく価値があるといえます。
世界的に見ても、1964年の東京オリンピックは、西洋文化の外部で開催された初めてのオリンピックです。初めてアジアで開催されたオリンピックの場所であるというだけでも、残すに値するといえます。
また、伝統の中身としては、デザインも重要です。たとえば甲子園球場にあるスコアボードはその象徴です。ほかの球場のバックスクリーンは、電光掲示板を使うのが当たり前になっています。甲子園でも導入されたのですが、「手書きの味わいは残そう」と、電光掲示でも、手書きに似たものになりました。鮮明な動画を使ってエンターテイメント的な演出をする球場もありますが、甲子園はそうあるべきではないという考え方ですね。合理性を考えたら、ほかの考え方もあるでしょう。しかし、阪神タイガースの縦縞ユニフォームがずっとそのままなのと同じで、これは理屈ではないのです。ファンが応援してきたタイガースの名シーンの記憶には、縦縞が一緒に入っている。それと同様、ファンと球団が抱えている歴史は絶対に失ってはいけないのです。
――新国立競技場に関しては、当初とは計画も変わってきました。
小川 僕は最初の計画には絶対反対の立場から、いろいろな批判を書いてきましたが、新しい計画では、多少は良くなったと考えています。ただ、いまだに施設が巨大すぎるのは事実です。2002年に日韓共催ワールドカップを行った日産スタジアムは603億円でつくれましたが、新国立競技場は計画全体の予算が1550億円となっています。日本サッカー協会は、将来的にワールドカップを招致するために「8万席の固定席をつくるように」と言っていますが、あの場所の施設に8万席を造ればそれだけ大きな競技場になる。岡田武史元代表監督も「招致できるかもわからないし、可能だとしても何年先かわからない」と仰っている。開催できたとしても使うのはそのときの1回だけです。そんなことのために競技場が大きくなり過ぎるのであれば、日産スタジアムを増築するなど、他の可能性を考えるべきでしょうね。
■ブラジル経済の影響を受けて準備がギリギリに
――今回のリオデジャネイロオリンピックについて、小川さんはどう見ているのでしょうか?
小川 比較的最近のオリンピックの開催地には大きく分けて2種類がありました。伝統国での開催と、新興国での開催。これが交互に行われてきました。たとえば2004年のアテネ大会。これは第1回オリンピックが行われた伝統国ですよね。その次の2008年の北京大会は新興国で、中国では初開催でした。2012年は開催3度目のロンドン大会。今回は新興国のリオ大会。これは南米で初めての五輪です。
今回のリオの標語は「A New World」です。オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタンが、IOC(国際オリンピック協会)を作ったときの趣旨は「世界に五輪を広げていく」というもので、それに沿ったものとなっています。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201608
-
いま野球界の構造はどうなっているのか? 選手育成過程と、今夏の「女子マネージャーと硬式球」問題(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.3)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.665 ☆
2016-08-12 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
いま野球界の構造はどうなっているのか?選手育成過程と、今夏の「女子マネージャーと硬式球」問題(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.3)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.8.12 vol.665
http://wakusei2nd.com
2016年は清原元選手の逮捕、巨人選手の野球賭博問題、プロ球団の試合前後の金銭授受など、野球界で様々な問題が噴出しました。またアマチュア野球においては、この夏も女子マネージャーの高校野球への参加をめぐって「炎上事件」が起きています。本記事では、野球界が抱える構造的な問題を、より俯瞰的な視点から解説します。
▼執筆者プロフィール
中野慧(なかの・けい):1986年生、PLANETS編集部。文化、政治からスポーツまで色々な書籍・記事を担当しています。過去の構成担当書籍に『静かなる革命へのブループリント』(宇野常寛編、河出書房新社)、『ナショナリズムの現在』(著・小林よしのり他、朝日新聞出版)、『「絶望の時代」の希望の恋愛学』(宮台真司編、KADOKAWA/中経出版)等。
過去の配信記事一覧はこちらから。
前回:「高校野球カルチャー」の本当の問題点とは?――高野連、坊主頭、夏の大会「一票の格差」を考える(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.2)
本記事に関するご意見、ご感想等は、こちらまでお送りください。
■野球文化の問題点は「特別扱い」「異常なことを異常だと感じられなくなっていく構造」
久しぶりの配信になりますが、最初に宇野編集長より与えられたこの連載のミッションは「いま文化系にとって野球とは?」を語っていくことでした。野球文化にはまだ明示的に語られていない面白い要素があるのでそこをメインにしたい――と思っているのですが、前回の記事を配信した際に様々な方から感想をいただいて、野球に詳しくない人にはまだまだ不親切な部分があったと感じました。
今、野球界は様々な問題を抱えています。まずは、「現状のプロ、アマチュア含めた野球界の全体像はどういうものか?」「いま騒がれている問題の根源はどこにあるのか?」について、野球に詳しくない人に対してもわかりやすく見取り図を整理したいと思います。そこで今回の記事は編集担当者でもある僕(中野)の発表パートにして、その後にこれまで座談会に参加してくれた皆さんも含めて、討議形式で考えてみたいと思います。この発表パートでは、野球に詳しい人であれば「そんなの当たり前でしょ」と思うような部分も詳しく解説していきます。
結論から言うと、野球文化の問題点は「特別扱い」「異常なことを異常だと感じられなくなっていく構造」にあると思っています。
まずは、現状メディアに出ている問題の数々を順番に整理してみることにします。今年(2016年)、元プロ野球選手の清原和博が覚醒剤で逮捕され、巨人選手が野球賭博に関与していた事件の詳細もより明らかになりました。さらにプロ12球団中8球団で、試合前に各選手が現金を拠出し合い、試合前の円陣で声出しを担当した選手に、勝った場合には「ご祝儀」と称して金銭を与え、負けた場合には当該選手が現金を支払うという慣習が定着していたことも発覚しました。
基本的に刑法の賭博罪において、「ゴルフで勝負して負けた人が勝った人にジュースをおごる」というような行為は、その場で消費できる少額のものであるので許容されています。「声出し金銭授受」に関しては数万円と金額が大きくなるので賭博罪に該当する可能性も高くなってくるのですが、まだグレーゾーンの範囲のため、プロ野球を統括するNPB(日本野球機構/プロ野球の統括団体)は選手たちに処罰を下しませんでしたし、刑事事件に発展する可能性も低いとされています。
ただ、巨人選手の賭博行為に関しては、そもそも野球賭博は公営ギャンブルではないため関与すると賭博罪に該当します。また、NPBが制定している「野球協約」というルールでは野球賭博に関与することが明確に禁止されているため、NPBは3選手を永久追放、1人を1年間の出場停止という処分を下しました。この件については警察も動いており、主犯格の1人が今年4月に逮捕されています。
そしてこの問題と前後して、西武・巨人・オリックスで活躍したスーパースターである清原和博が覚醒剤取締法違反で逮捕されています。保釈時に報道陣が大挙して押し寄せるなどメディアスクラムが加速した一方で、「覚醒剤のような依存症に対しては『刑罰』ではなく『治療』によって対処すべきだ」という意見も出ています。
(参考)
薬物依存症は罰では治らない(松本俊彦/精神科医)SYNODOS-シノドス-
薬物問題、いま必要な議論とは(松本俊彦×荻上チキ)SYNODOS-シノドス-
清原事件と巨人選手の野球賭博問題に関しては、「タニマチ」の存在がクローズアップされました。タニマチとはもともと相撲界の言葉で、スターと私的に付き合い、金銭的なバックアップをするお金持ちの支援者のことです。相撲、芸能界、野球界など比較的古い世界では、こうしたインフォーマルな関係はよくあることだとされています。
ただ、タニマチは必ずしも善人ばかりではなく、中には裏社会と繋がりのある人たちもいたりします。そういった「悪い人」の中には野球賭博を開帳している人もいたりしますし、芸能界との繋がりのなかでスターを薬物使用に引き込んでいくような文化もあるわけです。
プロ野球界においては、巨人・阪神という伝統的に人気のある2球団の選手にタニマチがつく場合が多いとされています。また巨人・阪神に限らず、アマチュア時代から人気のある選手にもタニマチがつく場合があります。そういったインフォーマルな付き合いのなかで、清原も、そして巨人選手たちも悪事に手を染めていったのではないか、というのが現状出ている議論ですね。
また、今年7月になって「ハンカチ王子」こと日本ハムの斎藤佑樹選手も、個人的につながりのあるベースボール・マガジン社の社長に「ポルシェをねだる」ということをしていた疑惑が「週刊文春」によって報じられました。これに関しては基本的には違法性はない(あるとすれば車庫証明違反等)わけですが、「高い年俸を貰っているプロ野球選手である以上、ポルシェに乗りたいなら自分で稼いだお金で買うべきだ」という批判も出ています。ここでは違法かそうではないかというよりも、スポーツ選手としてのイメージが問題になっているわけです。
こうした数々の問題に、深いところで共通するものが、「野球の特別扱い」と、「異常なことを異常だと感じられなくなっていく野球界の構造」だと思っています。たとえば「出版社の社長にポルシェをねだるとお金を出してもらえる」というのはとても普通の感覚ではありえないことですが、そういった異常なことを「異常だと感じられなくなっていく」構造が野球界には深く根付いています。
■「高校球児のコスプレ」をする野球エリートたち
なぜそうなってしまったのか。様々な要因が考えられますが、社会と野球との関わりということで言えば「戦後社会で野球があまりにも特別扱いされすぎてきた」、そして野球界内部の問題で言えば「野球エリートの育成課程に問題がある」ということだと思います。
先に結論を言ってしまうと、サッカーのJFA(日本サッカー協会)のように、プロ・アマを総合的に統括するような組織が野球にはないことが最大の要因です。これはしばしば色んな人が言及していることですが、もっともっと強調されていいことです。
日本の野球界はアマチュアとプロがずっといがみ合ってきた歴史があります。さらにアマチュア野球界内部でも高校と大学では統括する組織が違いますし、大学野球界ではさらにひどい縄張り争いが繰り返されてきました。そういった歴史の積み重ねと、日本社会における「野球」というものの独特のプレゼンスの大きさが歪みを引き起こし、ここに来て様々な症状として噴出しているのだと思っています。
まずは、「野球エリートの育成課程」の特殊性について説明していきたいと思います。基本的にプロ野球選手になる人の多くは、小学生のときに野球やソフトボールを始めている場合が大半です。学童野球はゴムでできていて安全な「軟式球」を使うことが多く、軟式野球の場合は、年代別に小学校低学年なら「D球」、高学年は「C球」、中学は「B球」、高校〜一般は「A球」とそれぞれサイズと重さが違う球を使います。軟式球は日本発祥の規格です。
しかし、特に才能がありそうな子はプロと同じ「硬式球」を使う「ボーイズリーグ」「リトルリーグ」「ヤングリーグ」といった組織に所属するクラブチームでプレイします。「将来にわたってトップレベルでプレイし続け、プロ野球選手を目指すのであれば、早めに硬式球に慣れていたほうがいい」というわけです。ちなみに「本場」であるアメリカでは野球といえば硬式球を使うものなんです。アメリカ人は軟式球の存在すら知らないことが多いですね。日本における軟球の代わりとしてソフトボールがすごく人気があったりします。
▲下段左が硬式球、真ん中が軟式球。硬式球はコルクの周りに糸を巻き付け牛革で覆っているが、軟式球は内部が空洞になっており外皮はゴム(ちなみに一番右のボールは準硬式球と呼ばれ、内部構造は硬式とほぼ同じだが外皮が軟式と同じゴムでできていて、中間的な球。準硬式球のプレイヤー数は硬式・軟式と比べるとかなり少ない)。硬式球はほとんど石のような固さで、投球や打球が直接身体に当たるととても痛く、骨折の危険性も高いが、軟式球が当たって骨折するケースは非常に少ない。(画像出典)野球図鑑|ホームメイト・リサーチ
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201608
-
音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.617 ☆
2016-06-14 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・後編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.6.14 vol.617
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガでは、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんへのインタビュー後編をお届けします。前編のテーマは「アウトドアと音楽フェスの歴史」でしたが、今回は「フェス以降」のアウトドアがどうなっていくのかについて、さらに深掘りして伺いました。
前編はこちらのリンクから。
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(写真:編集部)
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
■フェスのユーザーマッピングと、ブームのゆくえ
――いまの日本の各フェスのユーザー層は、それぞれどう色付けできるでしょうか。
滝沢 出演しているアーティストにかなり依存してますよね。フジロックに行く層は、洋楽好きなロック層ですからちょっと世代は上がりますし、J-POPを聞いているような若い子たちはなかなか参加しづらいかもしれません。
千葉と大阪で日替わりで開催されているSUMMER SONICは、洋楽も邦楽もメジャーアーティストのおいしいとこ取りができて、しかも都市型。日本で最もユーザーの年齢層の幅が広いフェスだと思います。ただ、会場の半分は屋内ですからインドアです。逆に言えば装備がいらないから参加しやすいんですね。
それと、洋楽は知らないけど日本人アーティストが好きな若い子たちが一番入って行きやすいのは、茨城県のひたちなか海浜公園で開催されているROCK IN JAPAN FESTIVALですね。日本人アーティストのみのラインナップで、天候もフジロックのように荒れることが少ないので装備もほとんど要らず、トイレ等の設備も整っているので敷居が低い。参加者も、どちらかというと街場のライブにも行くような子たちですね。他にも、中小規模のフェスはどんどん増えています。
――そうして成熟してきたフェスブームは今、もしかしたら曲がり角にきているのかなと思ったのですが。
滝沢 ええ、来ていると思いますね。イベントはすでに飽和状態で、特色を出せなければ淘汰されていくと思います。成功例でいえば「GO OUT JAMBOREE」などでしょうね。ここでやっているのはキャンプインに特化した、おしゃれキャンパーフェスというものです。買い物をメインにしつつ、ラインナップは多くはありませんが、今のフェスの中心にいるような旬なアーティストをブッキングしています。
昔は「夏フェス」と呼ばれていましたが、実は今、夏にやるイベントってそれほど多くなくて、それよりも、春や秋の方が多いんです。3月から11月の終わりまで、至るところでフェスをやっていますね。
地方フェスの場合は、全国的な知名度はないけれど地域でちょっと有名な先輩バンドをいっぱい呼んで、自治体とも組んで「地域のお祭り」へと押し上げようとしています。イベントは収支がないと立ち行かないものですが、それだけを追いかけていてもダメで、身の丈にあった規模で、町興しの側面にも気を配りながら時間をかけてファンを作っていくようなイベントは残っていくでしょうね。
野外フェスは、登山、カヌーなどのアウトドアアクティビティのいちジャンルとしてすでに定着したと思います。一方で、フェスがこれからどれだけ淘汰されるかはわかりません。フジロックだってなくなるかもしれない。けれど、フジロックがなくなったとしても、夏のアウトドアのイベントとして、これからもフェスは供給され続けていくと思います。
――アウトドア全般におけるユーザー層もどんどん変化していますよね。登山でも、以前に比べて親子連れをよく見かけるようになったし、フジロックでもファミリー層がぐっと増えてきています。
滝沢 フジロックは今年で20周年になるので、20年前に二十歳だった人はもう今は40歳。そうなると小学生くらいの子がいてもおかしくない世代だから、そろそろ「じゃあみんなでフジロックに行ってみようか」ということが当たり前に起きる。フェスとファンが一緒に成長して、次世代につながっていく。実は親子3世代で来ている人もいたりして、これは他のフェスでは見られない現象ですね。
――家族の恒例行事というか、まるで冠婚葬祭のようなものになり始めていると。
滝沢 やっぱり、フェスは新しい「お祭り」の形なのかな、と思います。フジロックがあと10年〜20年続けば、もっとトラディショナルなお祭りになる気もしますね。ただ、「アウトドアは不況のときに流行る」とよく言われるので、時代の流れ次第でどう変化していくかはまだまだわかりません。
▲フジロックのメインステージである「グリーンステージ」(写真:sumi☆photo)
――ちなみにフェスの新たな動きといえば、2015年にお台場で開催され3日で9万人を動員した「ULTRA JAPAN」のような試みもありますよね。
滝沢 今は世界的にEDMブームですから、遅かれ早かれああいった流れは日本にも必ず来ると思っていましたし、「ULTRA」のような音楽イベントは今後もっと大きくなる可能性はあると思います。ただ、EDMフェスは「踊る」という機能に特化したもので、そこにはアウトドア的なペーソスがもともとないですから、EDMとアウトドアが結びつく可能性は低いんじゃないかな、と思います。
――なるほど。当初、アウトドアと音楽という2つのジャンルが「フェス」という旗印のもとに合流することで大きなムーヴメントになっていったと思うのですが、その2つが今また分かれようとしている――「ULTRA」のようなEDMフェスの隆盛は、そのことを象徴しているのかもしれないですね。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201606
-
音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.595 ☆
2016-05-19 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
音楽フェス、都市型バーベキュー、フリークライミング――〈アウトドア〉は社会をどう変えたのか(アウトドアカルチャーサイト「Akimama」滝沢守生インタビュー・前編)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.5.19 vol.595
http://wakusei2nd.com
これまでPLANETSメルマガでは、スポーツ・アウトドア・ファッション・ライフスタイルが渾然一体となった新たなカルチャーの輪郭を描き出すべく、いくつかの記事を不定期で配信してきました。今回は、1970年代〜現在までのアウトドアの歴史を「野外音楽フェス」を軸に紐解いていこうと、音楽フェスからアウトドアまでを幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんにお話を伺いました。
《これまでの本シリーズのダイジェスト》
近年、都市住民を中心としてランニングやヨガやフリークライミング(ボルダリング)、登山などのアウトドア・アクティビティを生活やレジャーに取り入れる動きが活発化しています。かつてはスポーツといえば学校の球技系部活が中心となっていましたが、個人でも取り組めて、かつ「競う」のではなく「楽しむ」趣味の一貫として、または運動不足に悩むデスクワーカーたちが健康維持のために行うものとしてのスポーツが存在感を増しています。水面下で起こっているこの巨大な変化を私たちはどう捉えればいいのだろう――そんな問題意識から、このシリーズはスタートしました。
最初にPLANETS編集部は、「ライフスタイル化するスポーツとアウトドア」の様々なギアをパッケージングして販売し、好評を博しているスポーツセレクトショップ「オッシュマンズ」の営業計画・販売促進担当マネージャー・角田浩紀さんにお話を伺うことにしました。
都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた
角田さんによれば、「今の東京の都市生活者たちのライフスタイル・スポーツの文化は、アメリカの東海岸と西海岸の文化を融合させた独自のものだ」とのこと。さらに、アウトドアウェアのような機能性の高い服を日常着として着る文化はアメリカ発であるものの、そこにさらに「ファッションとしての文脈」を加えたのは、80年代の日本のファッション業界だったようです。
そこで今度は、アウトドア&スポーツウェアが日常着として日本社会で受容された経緯について「ファッション」の側から明らかにすべく、BEAMSの中田慎介さんにお話を伺いました。
「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか? ――アメカジの日本受容と「90年代リバイバル」から考える(BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー)
中田さんによれば、カウンターカルチャー全盛の60年代アメリカでは、スーツをはじめとしたビジネススタイルへの反発からワークウェアがヒッピーたちの支持を得た、とのことでした。「文脈の読み替え」として、機能的な服がファッション文化において意味を持つようになったのでした。
さらに、アウトドアウェアの日本受容が進むなかで、日本の80年代以降の「DCブランド」的な感覚の延長線上で「ファッションアイテム的なモノ」として位置付けられたことが、文化の拡大において大きな役割を果たしたそうです。
一方で、純粋なアクティビティとしての「アウトドア」の側面からは、現在までの状況をどう捉えられるのだろうか、という疑問も浮かびます。そこで今度は、アウトドア誌「ランドネ」(エイ出版社刊)の朝比奈耕太編集長にお話を伺いました。
「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」編集長・朝比奈耕太に聞くファッションとライフスタイルの接近
かつては男性の趣味と思われていたアウトドアが女性に人気となり、メディア上で「山ガール」と名付けられ話題になったのは2009〜2010年ごろのこと。もともと運動に無縁の「文化系女子」たちがカラフルなウェアに身を包み、続々とアウトドアに参入していくようになりました。その結果、昔ながらの登山者たちとの対立構図なども生まれつつ、アウトドア・アクティビティの楽しみ方は多様性を増していっている、とのことでした。
ここまで3人の方に取材を重ね、なかでもオッシュマンズの角田さん、「ランドネ」の朝比奈さんが口を揃えて語っていたのは「アウトドアブームの拡大にはフジロックが大きな役割を果たした」ということでした。
そもそも「文化系」のものである音楽フェスがきっかけとなってアウトドアへの入口が大きく開いたとすると、「フェスを中心としたアウトドアの歴史」も描くことができるのではないか。そんな関心から、今回は音楽フェスからアウトドアまで幅広く扱う情報サイト『Akimama(アキママ)』を運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さんにインタビューをお願いすることにしました。
*
『Akimama』は、フェスや登山、キャンプなど、アウトドアに関する情報を網羅するウェブメディアとして2013年よりスタートしました。運営は、これまで20年以上アウトドア業界に携わってきた編集者、ライター、カメラマンなど、その道のエキスパートたちによって行われています。自らの視点と自らの足で入手した一次情報をいち早くニュースとして配信、ビギナーからベテランまで幅広いアウトドアユーザーに、オンリーワンな情報ツールとして親しまれています。
サイトを立ち上げた代表の滝沢さんは、山岳専門誌を出版する「山と溪谷社」に勤務、その間、1976年に創刊された月刊誌『Outdoor』にて6年間編集デスクを務め、その後、独立。これまで数多くのアウトドアメディアに携わるだけでなく、フジロックのキャンプサイトの運営責任者を10年務めるなど、野外イベントの制作・運営などもを行うアウトドア業界の第一任者として広く活躍されています。そこで、アウトドアカルチャーの歴史と変遷を熟知する滝沢さんに、1970年代に日本にはじめて到来したアウトドアムーヴメントから2000年代のフェスの隆盛までを振り返っていただきながら、これからのフェスやキャンプ、アウトドアブームはどう変化していくのかについて、お話を伺いました。
◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
▲Akimama アウトドアカルチャーのニュースサイト
■思想と分離された70年代のアウトドアファッション
――『Akimama』は、アウトドアのなかでは気軽なフェスから、登山、クライミング、バックカントリー、女子も気になる “アウトドアごはん”に“ファッション”など、アウトドアカルチャー全体の旬な情報を発信していますよね。「なんとなくアウトドアに興味がある」という人でもとっつきやすい一方で、山岳ガイドや専門店のスタッフによる寄稿など、読み応えのある記事も多い充実したメディアだと感じています。
滝沢 ありがとうございます。もともとは、僕がアウトドア雑誌で編集をしていたときから一緒に仕事をしていた仲間のライターやカメラマンらと「ウェブで自分たちのアウトドアのメディアを作れないか」とよく話していたのがきっかけです。「出版不況だし、紙ではなく、自分たちの拾ってきたリアルな情報をニュースとして伝えるウエブメディアを作ってみよう」というようなノリで始めました。
誰もやっていないことをやりたかったので、今のところは非常に手応えを感じています。ただ、しっかりとお金を使って綺麗なデザインにしたり、SEO対策をしたりと、ウェブの世界で常套手段とされているようなことは、まだまだあんまりできていないんです。月に2回、編集会議と称して勉強会のような形で、いろいろな専門家の方を招き、サイトについての意見を聞きながら、ちょっとずつ自分たちも学びながらやっています。今も試行錯誤中、という感じですね。
――今日は「フェスを中心としたアウトドアの歴史」をテーマにお話を伺っていきたいのですが、まず滝沢さんが長年アウトドアメディアに携わってきたなかで、ご自身の印象としてアウトドア誌が最も盛んだったのはいつごろなんでしょう?
滝沢 雑誌『Outdoor』(山と溪谷社刊)が創刊されたのが1976年、『BE-PAL』(小学館刊)は81年ですから、70年後半から80年ぐらいが、日本のアウトドアの草創期ではないでしょうか。そもそも日本のアウトドアって1970年代のアメリカ西海岸のライフスタイルやグッズを紹介した『Made In USA Catalog』(マガジンハウス刊)の刊行をきっかけに、アウトドアグッズを組み合わせたファッションスタイル「ヘビーデューティー」の流行、つまりファッションの輸入によってもたらされたものなんです。
当時のカリフォルニアはカウンターカルチャーの絶頂期でした。もともと、1950~1960年代中盤のアメリカ西海岸では、ビートジェネレーションを背景に、資本主義やベトナム戦争に異を唱える学生や反体制運動家によって自然回帰を求める「バックパッキング革命」が起こっていました。東海岸のエスタブリッシュな人間が、自然への回帰やエコロジーの思想を求め、バックパックに荷物を詰めて都市から荒野へ旅に出よう、というものです。そういった思想を背景に広がったのがアメリカのアウトドアムーヴメントだったんです。
しかし1970年代に日本に輸入されたのは、アウトドアのなかのファッションやギアのみで、思想は二の次、ともいうべきものでした。アウトドアのアイテムは、当初は「新しいファッションアイテム」という側面が注目されたんですね。一方で、フライ・フィッシングやバックパッキングなどの目新しいアクティビティは、輸入されると同時に、スタイルとともに、その思想もしだいに広まっていきました。
▲Akimamaを運営する株式会社ヨンロクニ代表・滝沢守生さん(撮影:編集部)
■日本の元祖山ガールは、戦前の女学校登山?
――日本におけるアウトドア文化の受容の初期段階において、「ファッション」の部分が先行していたわけですね。独特でとても面白い現象のように思います。そもそも70年代まで、「アウトドア」という言葉は日本にはなかったということなんでしょうか?
滝沢 そうですね。1978年に出版された子ども用のキャンプ読本などを読んでも、「アウトドア」の「ア」の字も出ていないんですよ。ただ、「アウトドア」という言葉がなくても、すでに行為そのものは成立していました。今でこそ、山に登る女性を「山ガール」と呼んだりしてちょっと特別な現象のように言いますけど、実はそのルーツは戦前の「高等女学校【1】」なんですよ。今でも地方の学校で、年に一度、“学校登山”を行事として行っている学校もありますが、あれはもともと戦前の女学校でちょっとしたブームになって定着したものなんです。
【1】高等女学校:戦前の日本で、女子に対して中等教育(現在の日本の学校制度における中学校・高等学校の教育課程)を行っていた教育機関。主に12〜17歳の5年間を修業年限としていた学校が多い。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201605
-
スポーツは本当に人間形成につながるのか?(体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第3回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.587 ☆
2016-05-10 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
スポーツは本当に人間形成につながるのか?体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第3回
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.5.10 vol.587
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガでは、体育学者・中澤篤史さんへの連続インタビュー第3回をお届けします。第2回までは日本と海外の部活事情の違い、そして運動部活動が抱える本質的な問題点について伺ってきましたが、最終回となる今回は、スポーツと地域の関係の再編、そして「スポーツは人間形成につながる」という言説の正否について深掘りしてお話ししていただきました。
▼これまでに配信した記事一覧
体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第1回:外国にも部活はあるの?
体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』 第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」にこそ部活の価値がある?
▼プロフィール
中澤篤史(なかざわ・あつし)
1979年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科准教授を経て、2016年4月より早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。専攻は体育学・スポーツ社会学・社会福祉学。主著は『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)。他に、『Routledge Handbook of Youth Sport』(Routledge、2016、共著)など。
▲中澤篤史『運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』青弓社、2014年
◎聞き手・構成:中野慧
■「ハコの空気を読む」だけではなく「ハコそのものをつくる」
――本誌編集長の宇野常寛がテレビの討論番組に呼ばれたときによく、「日本の学校文化は教室という1つのハコの中の空気を読む能力を養成しているだけ。でも、たくさんあるハコのなかから自分に合ったものを複数選んで組み合わせる能力のほうが大事だ」という話をしています。
それを部活に延長して考えてみると、たとえば自分が野球がやりたいとして、自分の高校の野球部は一つしかなくて、学校に紐付けられているせいで同調圧力や息苦しさがある。もしそうなのであれば、青少年スポーツはもっと学校から地域クラブなどに移行されていっていいはずで、現実にもそういう動きがあると思うのですが、その点についてはいかがでしょうか。
中澤 スポーツの学校から地域への移行は、歴史的には「社会体育化」という言葉で何度か試みられてきましたが、上手くいきませんでした。その後も、「学校スリム化」とか「総合型地域スポーツクラブ」という言葉が出てきて、試みられ続けていますが、うまくいっていません。良くも悪くも、部活はやはり残ったまま。地域にハコがたくさんあって選ぶことができる状況にはなっていませんね。
宇野さんの仰るように、「ハコを選ぶ能力」は大事だと思いますが、同時に「ハコをつくる能力」も大事だと思います。ハコを選ぼうと思っても、実は自分に合ったハコとか、自分の好きなハコはこの世の中にあんまりない。だったらそれを創っちゃえばいいんじゃないか。つまり部活を創造する。難しいけど、大事なことです。
野球であれば試合をするには9人必要です。Aさんが「野球をしたい!」と思っても、まずは自分以外に8人を集めなければいけない。その仲間をつくるのが第1段階になります。クラス内で「野球、興味ない?」と声をかけて、「キャッチボールくらいならいいよ」という人が出てきて、だんだん仲間が増えていく。野球を成立させていくために、自分がしたいことをするために、仲間と相談したり協力したりするわけですが、そのプロセスのなかに人生で学ぶべきいろいろなことが入っている。時には子どもの力だけではできないことを、大人がサポートしなければいけない場面も出てくるでしょう。そうやってスポーツを成立させるために子どもが試行錯誤して学んだことは、なかなか汎用性が高そうだなと思います。
それを外側から、「部活の仕方はこうなんだ!」って決めちゃうと、肝心の自主性そのものが死んでしまう。部活は自主性を育てると言いながら、それで自主性が育つわけがない。そもそも「自主性を育てる」って矛盾した表現じゃないですか?
――たしかに、そうですね。
中澤 「自主的になれ!」って命令されて、「はい! 自主的になります!」って返事したらもう自主的じゃない。だから、内側から出てくる子どもの気持ちがないと何も始まらないはず。そういう気持ちをいかに活用するかが部活の肝で、それが「ハコをつくる」という創造性の溢れる教育につながる可能性がある。部活の地域移行の話に関連づけると、「学校でやるスポーツは窮屈で地域はバラ色」と単純に想定されがちですけど、実は地域は冷たかったりします。
――それは、どういうことなんですか?
中澤 たとえば、子どもが一市民として、「野球をやりたい」と思ったとする。ならば大人がそうするように、市民球場に予約しに行かなきゃいけない。すると、「予約が埋まっているので無理です」と断られたり、「まずは来年、地域の会議に出るところから始めてください」と言われたりする。学校を出た瞬間に、子どもは保護されるべき児童・生徒ではなく一市民として扱われてしまう。まだ子どもなのに大人社会のルールに従わなければいけない。それはとても大変で困難なことです。そもそもなぜ子どもが学校に通うのかというと、「一人前の大人」になるための練習をするためです。そういうときこそ、知識も能力もある教師が支援して、子どもが「一人前の大人」になれるように学校が頑張らなきゃいけない。「ハコを選ぶ能力が大事だ」といって窮屈な学校を抜け出してみたはいいものの、自分にあったハコがなかった。その後、「自分に合ったハコをつくってみよう」と子どもが思ったとき、もう一度学校に戻ってハコをつくる練習をする、そんな場所に学校や部活がなればいいと思います。
――ただ、「ハコをつくる」ためには、ある程度の高度な能力が必要になりませんか。
中澤 何が難しいかというと、結局「あれがやりたい」という思いだけではハコは作れないからです。せっかく集めた仲間とケンカしてしまうこともある。そのときにどう指導ができるか。顧問教師はスポーツのルールを知っているだけじゃなくて、人間関係をどうつくるかや、道徳そして市民性をどう育成するか、といった指導力が求められます。それはまさに、一般的に教師に期待されている、子どもを「一人前の大人」に育てるための指導力です。顧問教師に求められる指導力とは、スポーツの経験があるかどうか、だけではありません。教師の一般的な教育的指導力そのものが部活に必要になります。部活を教育のなかで立て直そうとするのであれば、単なるスポーツ知識だけにとどまらないような教師の力量が問われるはずです。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201605
-
体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』 第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」にこそ部活の価値がある? ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.562 ☆
2016-04-12 07:00チャンネル会員の皆様へお知らせ
PLANETSチャンネルを快適にお使いいただくための情報を、下記ページにて公開しています。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar848098
(1)メルマガを写真付きのレイアウトで読む方法について
(2)Gmail使用者の方へ、メルマガが届かない場合の対処法
(3)ニコ生放送のメール通知を停止する方法について
を解説していますので、新たに入会された方はぜひご覧ください。
体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』
第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」にこそ部活の価値がある?
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.4.12 vol.562
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガでは、体育学者・中澤篤史さんへの連続インタビュー第2回をお届けします。
第1回では現代の体育全体の事情や、アメリカやイギリスの部活がどうなっているのかについて伺いましたが、第2回では、日本の部活が海外ではどう見られているのか、そして運動部活動が抱える本質的な問題点についてお話を伺いました。
前回:体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第1回:外国にも部活はあるの?
▼プロフィール
中澤篤史(なかざわ・あつし)
1979年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科准教授を経て、2016年4月より早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。専攻は体育学・スポーツ社会学・社会福祉学。主著は『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)。他に、『Routledge Handbook of Youth Sport』(Routledge、2016、共著)など。
▲中澤篤史『運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』青弓社、2014年
◎聞き手・構成:中野慧
■ 日本の部活は海外からどう見られているのか
――イギリスを含むヨーロッパでは、スポーツ選手の育成は地域クラブが担うという形式が一般的なんでしょうか?
中澤 はい、イギリスも含めて多くのヨーロッパ諸国では、学校の部活よりも地域クラブが盛んです。とくにドイツが典型的です。ドイツには「フェライン」(Verein)と呼ばれる地域クラブがあります。フェラインは学校よりはるかに歴史が古くて、街とともに誕生していることが多い。学校や企業とは独立した、地域の人々の生活に溶け込んだスポーツをする場所があります。
――そうすると、青少年のスポーツ文化と学校の人間関係は、日本のように紐付いていたりしないんでしょうか。
中澤 ドイツの場合、長らく学校制度自体が午前授業で、午後は全部放課後というのが一般的でした。地域には学校の隣にクラブがあったりするから「紐付いている」と言えなくもありませんが、時間的には完全に分離している。友達関係も紐付いていないことはちょっと考えにくいですが、学年やクラスのようなまとまりでやっているわけじゃないので、その点では日本と違います。ただ、最近では「やっぱり学校でも鍛えたほうがいいかも」ということになって、14〜15時ぐらいまでは授業をやったりとか、「今まで放課後の部活ってなかったけど、やってみようか」という流れも出てきたようです。そのときの指導員は教師ではなくコーチを雇ったりもしますが、ともかく最近のドイツでは部活がちょっと芽生えだしたという状況です。
――先日、文部科学省が「部活などの日本式教育を輸出する」という取り組みを始めることがニュースになっていました。このニュースは日本国内ではポジティブにもネガティブにも捉えられていたと思うのですが、すでにドイツでは日本の部活の事例が参考として取り入れられ始めていたりするんでしょうか?
(参考リンク)「日本式教育」輸出します 文科省、16年度に新組織 部活や掃除など、新興国にらむ:日本経済新聞
中澤 いえ、まだほとんど知られていないと思います。日本の部活に対する海外からの反応だと、第1回で話したように「Amazing!」と驚きとともに賞賛してくれている声もあるんですが、一方でむしろ「Crazy!」と非難し批判する声もあります。たとえば、柔道での子どもの死亡事故は大きな話題になり、The New York Timesも、世界中に「日本の部活はこんなに人を殺しているのか!」と厳しく報道しました。2012年に起きた桜宮高校のバスケ部体罰自殺事件のときも、海外のメディアは「なぜ学校の教師が、生徒を自殺に追い込むまでの暴力を振るうんだ!」と厳しく報道しました。
私が直接取材を受けたものだと、The Japan Timesという日本に住んでいる外国人向けの英字新聞の記者が「外人ママたちが日本の部活に困っているんです」と言っていました。「どこが困っているんですか?」と聞いたら「放課後、夏休み、春休み、冬休みもずっと部活。休みでやっと家族で過ごせると思ったら、毎日部活で子どもが出かけてしまう、部活って何なんですか!?」ということらしいです。その記事のタイトルは「部活は親を困らせている All-consuming school clubs worry foreign parents」というものでした。
(参考リンク)All-consuming school clubs worry foreign parents | The Japan Times
部活があることは、一方で、「気軽にスポーツをするチャンスを与えている」という点で良いし、外国人も褒めてくれる。しかし、それに喜んでばかりもいられない。もう一方で、これだけ規模が大きくなって強制的に行わせることになってしまったり、さまざまな問題が山積してくると、やはり悪い部分があるし、外国人はそこも見ています。本インタビュー記事のタイトル通り、「AmazingでCrazyな日本の部活」というわけですね。
――ただ、保護者からしたら程度の問題はありますが、部活によって「助かっている」部分もあるような気もするのですが。
中澤 実際、日本の保護者にとっては、部活で「助かっている」部分はあります。2000年に文部省がスポーツ振興基本計画を作ったとき、「土日は部活をやめましょう」という案も議論されました。週休2日制の段階的な施行と合わせて、学校だけが子どもの居場所になるのではなく、家庭や地域にも開いたゆとりのある生活にしていくことを目指して、土日の部活を禁止にしようとしたわけです。しかし、反対したのが保護者でした。「土曜にまで家にいられちゃ困ります。ウチの子たちはもっと先生たちに部活で鍛えてもらわないと困るんです」と。
教師にとっても部活は、「負担はあるけど、やはり必要」でした。教師が部活指導に熱心の取り組んできた実践上の理由は、生徒指導のためです。もし部活が無くなってしまうと、生徒は非行に走るんじゃないか。放課後に良からぬことに巻き込まれたり、ゲームセンターにたむろしてトラブルを起こすんじゃないか。だったら生徒は部活に一生懸命になった方が良い。学校にとって生徒指導にとって部活は必要だ。だから負担はあるけど、教師は部活を指導しようじゃないか。というように、部活指導を生徒指導の一環として意味づけてきたから、教師は部活にかかわってきました。部活を地域に移行すべきと喧伝されながらも、結局は学校が抱え込むことになってしまったのは、そういう背景があります。
■ 全国大会なんていらない?
――第1回でも触れたアメリカと日本との比較という点で気になったことがひとつあります。元セントルイス・カージナルスの田口壮さんが著書『野球と余談とベースボール』のなかで、「アメリカにいると『日本って高校野球の全国大会があるんでしょ?それってすごくうらやましい』と言われるんだ」と書いていらしたんですね。
中澤 アメリカでは高校段階でどの競技も全国大会がなくて、州大会が最高レベルです。そのように規制されています。お金がかかるし、大変だし、高校生なんだからそこまでしなくていい、という理由です。
他方で、日本では、高校生はもちろん、中学生も全国大会を行っています。昨年、北海道で開催された中学校の全国大会である「全中」を視察してきました。北海道開催と言っても、種目ごとに地域はばらばらで、私は帯広でサッカーの全国大会を見て、札幌で陸上の全国大会を見て、旭川でバレーボールの全国大会を見てきました。それぞれたいへん盛り上がっているし、生徒にとって大きな目標になっています。でも実は、日本でも1960年代ぐらいまで、中学生の全国大会は禁止されていました。理由はアメリカと同じように、お金がかかるし、大変だし、中学生なんだからそこまでしなくいい、と。当時から高校生は全国大会をしていたわけですが、中学生には全国大会はまだ早い、という教育的な配慮があったわけです。
――野球の甲子園も最近、大会期間中の選手たちの滞在費が問題になっていたりしますね。あとは例えば「わざわざ8月の一番暑い時期に開催するのはどうなんだ」という疑問も上がっていたりしますが、8月に開催するのは学校が夏休みで全国的に集まれるから、というのが理由ですよね。
中澤 はい、全国大会への出場には、交通費や滞在費の問題があります。たとえば甲子園出場が決まったら、それぞれの高校がOBや保護者や地域から寄付金を集めることが慣例となっています。結局、その寄付金に頼って大会が成立しているので、成立基盤が危うい。
アメリカでも交通費や滞在費や日程の問題は同じですが、その問題解決のために、民間のスポンサーをつけたりします。部活の商業主義化です。たとえば、バスケットボールの強豪チームがあったとする。そのチームには観客やファンも多いから、バスケットボールのグッズを展開している会社にとって、恰好の広告宣伝材料になります。すると、ユニフォームやシューズを用意するかわりに、そこに企業ロゴをつけてもらって宣伝する、といった契約を持ち込んできます。極端なケースになると、長距離遠征用の飛行機まで用意する企業も出てきたようです。で、チームが強くなって大会で優勝したりすると会社も喜ぶんですが、もし負けたりしたら、すぐ撤退して別のチームのスポンサーに移る。そうすると、部員や保護者から「スポンサーがいてしっかりお金をかけてもらえるから、この高校に入ったのに、話が違うじゃないか」と怒りの声が寄せられる。さらに怒りの収まらない生徒や保護者は、その高校を辞めて資金の潤沢な別の高校に転校したりすることもある。もしくはコーチが選手を連れて移動したりする。お金を求めて彷徨い歩く、みたいなこともあるようです。
――日本でも高校や大学のスポーツ選手に企業が用具提供をしたりしていますが、アメリカではそれがさらに極端になっているんですね。
中澤 いわゆる商業主義の弊害です。教育的にどうなのかも含めていろんな問題が起きていると指摘されています。さらに言うとお金の問題だけではなく、アメリカではドーピングの問題も根深い。たかが部活でそこまでして勝ちに行くのかと驚きますが、高校の州大会に出て勝ったりすると、奨学金を貰いながら大学に進学できたりもするので、生徒や保護者にとっては人生を賭けた闘いにもなっています。そこに大人たちのいろんな思惑が絡んだりして、闇の深い世界といえるかもしれません。だからアメリカでも「教育の側から商業化を規制しよう」とする意見があります。
――PLANETSにもときどき出てくださっているライター/リサーチャーの松谷創一郎さんが昨年夏に、Yahoo! 個人の記事で夏の甲子園の日程分散案を提案していました。甲子園ではそもそも入場料がとても安く、一番高いバックネット裏ですら2000円で、外野席は無料で入れたりするんです。それは安すぎるから少し値上げをして、余った収益の分を滞在費に回そうというものです。
(参考リンク)高校野球を「残酷ショー」から解放するために――なぜ「教育の一環」であることは軽視され続けるのか?(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
この松谷さんの提案はとても意義のあるものだと思うのですが、一方でこういった「商業化」に対して運営主体の高野連(高等学校野球連盟)は頑なに抵抗し続けています。たとえば高校球児の使う用具には強い規制をかけていて、スポーツメーカーのロゴが大きく表示されているものは禁止だったりします(甲子園のテレビ中継などでロゴが大写しにされたときに「広告価値」が生まれてしまうため)。なのですが、高野連も戦後日本の教育理念に強い影響を受けていて、「商業化」の負の側面を警戒しているとすると、彼らが商業化を拒否するのも理解できないでもないですね。
中澤 アメリカの場合、お金は重要問題で、同級生や保護者が学校のスポーツチームの試合を見に行くにのにも入場料を取る場合があります。また保護者会も、寄付金を集めたりして、観客席を整備したり、優秀だけど経済的に恵まれない子に独自の奨学金を与えたりしています。部活でお金を集めること自体がひとつの論争点になるのですが、もうひとつの論争点は「集めたお金をどう使うか」です。もし、みんなが納得できるいい使い方があるならば、日本でも「部活でお金を集める」ことは一つの手段として議論されてもよいかもしれません。
他方で、お金を使わずに大会はできないかを考えた時に、過去の日本に面白い事例があります。先ほど、中学生の全国大会が禁止されていた時代について触れましたが、実は当時から陸上競技連盟や水泳連盟は全国大会をしたがっていました。1964年に東京オリンピックが開催されることになって、ぜひともメダルを獲れる選手を育成したかったからです。しかし、全国大会は禁止されている。では、どうしたか。陸上競技連盟は、全国のNHKに協力してもらって「放送陸上競技大会」を開催しました。各都道府県の競技場に生徒がそれぞれ集まって、「よーい、ドン!」で走る。その記録を集めて東京で集計して、「全国一位は栃木県の◯◯君でした」というランキングを作りました。水泳連盟は、全国の朝日新聞社に協力してもらって「通信水泳競技大会」を開催しました。これも同じように都道府県のプールの会場で「よーい、ドン!」で泳いで、各都道府県の記録を集めて、東京でランキングを作りました。陸上や水泳は記録の勝負なので、サッカーや野球みたいに相手が目の前にいなくても大会ができる可能性があります。実はこの方法は、国土の広いアメリカでも採用されていたりしています。交通費や滞在費などのお金をかけないで大会を開催する、ひとつのやり方です。しかし、そんな時代もあったけど、「やっぱり人を集めてしよう」ということになって、70年代以降、全国大会は中学校レベルでも行われるようになって今のかたちに落ち着いています。
――もしかしたら、今ぐらい通信技術が発達した時代であれば、ホログラムなどの立体的なテクノロジーを使って遠隔地をつないで全国大会をやるということを検討してみてもいいかもしれないですね。これは本誌の『PLANETS vol.9』で猪子寿之さんが提起されていたホログラムによる体感型オリンピック構想や、犬飼博士さんの「スポーツタイムマシン」の議論とも繋がってくる気がします。
■ 教育的理念が抜け落ちたいまの部活
――日本のスポーツ文化には、「部活」というものが大きな影響を与えていますよね。そんな中で、今は「ブラック部活」と言われたりもしますが、生徒の側は拘束時間が長すぎて他の活動ができなかったり、体罰やセクハラに遭ってしまったりすることが問題視されています。その一方で、教師も大きな負担を抱え込むことになっている。教師は通常の授業準備・運営や校務に忙殺されているなかで、さらに放課後や休日に部活の指導にも携わっても、わずかな手当しか支給されない。そういう従来の在り方を見直すべきだ、というわけですが、こういった問題についてはいかがですか。
【ここから先はチャンネル会員限定!】
PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は今月も厳選された記事を多数配信します! すでに配信済みの記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201604