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「英国型プラットフォーム」と2つのキャピタリズム――「プロデュース理論」で比較する日英のイノベーション環境(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第6回)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.558 ☆
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「英国型プラットフォーム」と2つのキャピタリズム――「プロデュース理論」で比較する日英のイノベーション環境(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第6回)【毎月第1木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.4.7 vol.558
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガは橘宏樹さんの連載『現役官僚の滞英日記』をお届けします。今回は、「知」の集積を中心とした「英国型プラットフォーム」の堅牢性を分析しつつ、イノベーションを起こしやすい環境を作り出すために必要な条件について論じました。
▼プロフィール
橘宏樹(たちばな・ひろき)
官庁勤務。2014年夏より2年間、政府派遣により英国留学中。官庁勤務のかたわら、NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。
本メルマガで連載中の橘宏樹『現役官僚の滞英日記』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
前回:僕たちは「シンギュラリティ」をどう迎えるのか? オクスフォードで出会った人工知能研究者・江口晃浩氏にインタビュー(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第5回)
※本稿の内容(過去記事も含む)に関して、皆様からのご質問や、今後取材して欲しいことを受け付けたいと思います。こちらのフォームまたはTwitter(@ZESDA_NPO)にお寄せいただければ、できるかぎりお応えしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
▲議会内で開催された国際女性デーを記念したイベントの様子。関連の各種国際NGO団体の活動家たちが一堂に会しています。主催者は壇中央の男性、トム・ブレイク下院議員(自由民主党)。
こんにちは。橘です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。オクスフォードでは花々も綻び始めて、段々と暖かい日和の日も増えては来ていますが、まだまだ寒い日も多く、朝晩は冷え込みますし、4月も近いのにコートにマフラー、手袋が未だに手放せません。学校のほうは9週間の2学期があっという間に終わり、間もなくイースター休暇に入ります。多くの友達が、休暇や学位論文のフィールドワークのためにイギリスを離れていきます。ときに、日本ではクリスマスやバレンタインやハロウィンのように、イースターでも関連ビジネスが流行っていると聞いていますが、本当なのでしょうか(笑)?
さて今回は、尾原和啓さんのプラットフォーム(「配電盤モデル」)という概念をお借りしながら、「インテレクチュアル・キャピタリズム(intellectual capitalism)」とも呼べそうなオクスフォード大学の知的活動を分析してみようと思います。
さらにその上で「英国型プラットフォーム」の描写を試み、その内部で展開する「プロデュース活動」と「ソーシャル・キャピタリズム(social capitalism)」の存在を指摘したいと思います。これらの長所や日英のイノベーション環境の相違点を説明するために、「プロデュース理論」を考えてみました。プロデュース理論は、連載第10回で言及した「媒介者(カタリスト)」が果たす機能について詳述しつつ、システムの形に整理してみたものです(なお、インテレクチュアル・キャピタリズムもソーシャル・キャピタリズムも、いわゆる「お金」の資本主義(キャピタリズム)を補完する新概念としてすでに巷にある単語です。それらの定義は必ずしも一定していないと認識していますが、本稿での僕の用い方は一般的な用法から概ね外れていません)。
よろず、いつにも増して覚束ないところが多々ある論考で、お恥ずかしい限りですが、試論としてご参考いただけましたら幸いです。
その異業種交流会はなぜイケてないのか~オリンピックからイノベーションまで地下鉄4駅!?~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第10回)
1.インテレクチュアル・キャピタリズム
■「配電盤モデル」としてのオクスフォード大学
学期が終わって一息つくなかで、遅ればせながら、我らがPLANETSの連載から生まれた尾原和啓さんの『ザ・プラットフォーム:IT企業はなぜ世界を変えるのか』を読了しました。大変に明解でありながらも深遠な示唆に富む内容で非常に勉強になりました。本書において尾原さんは、プラットフォームを、参加者が増えれば増えるほど価値が増すもの(主にはSNS等のITサービス)であり、共通価値観によって運営されるものとして定義しつつ、「日本型プラットフォームの例として、リクルートの「B to B to C」サービスを提供する「配電盤モデル」の強みについて描写しておられました。
これは、ホットペッパーやゼクシィ等の情報誌に広告を出す企業(サプライヤー)とユーザーの間に介在し、サプライヤーが増えれば増えるほどユーザーが増え、そしてユーザーが増えれば増えるほど、サプライヤーが増えるというループを回転させていくモデルです。そして、このループはユーザーの「幅」や「質」をも向上させていくことで、サプライヤーの増加をさらに加速させていきます。よって、持続的に儲かるビジネスモデルとして成立していくとのことでした。
このモデルを大学教育に応用するならば、サプライヤーは学者・研究者、ユーザーは学生・一般市民に当たり、オクスフォードのような世界のトップ・ブランド大学にも、「配電盤モデル」のアナロジーが当てはまるように思われました。学生/研究者の幅と質が向上すればするほど、世界中から研究者/学生が集まってきます。共有価値観は探究心、好奇心、進取の気性、多様性、論理性などになるでしょう。
ただし、サプライヤーとユーザーには既存の参加者側が設定する入学基準という質のフィルターがかかっており、同窓会はともかく現役の在籍者数に天井がある点では変則的かもしれません。
また、大学というプラットフォームが「配電盤モデル」を運営して永続的に生み出しているのは、お金ではなく「知」だということが重要ではないかと思います。知とは、発想や解釈、テクノロジーなど人類にとって価値のありそうな情報です。オクスフォード編第2回でも触れたように、毎日毎日この街のそこかしこで異常な数のセミナーやイベント、フォーマルディナーが催されています。面白そうな催しが同じ時間帯に何件も重なり、もはや飽和していると言えるほどで、それでもなお果てしなく積み上がっていきます。知の集まる場所に知がますます集まっていく無限ループが回転しているように見えるのです。
学園都市の異常なる日常 〜人文系軽視なんてとんでもない⁉︎~ (橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第2回)
■ 圧倒的な豊かさのなかで
おびただしい数のイベント告知が届くメールボックスやFacebookをチェックしていて、いくつか思うことがあります。
ひとつは、圧倒的な豊かさのなかで初めて育まれる何か、至れない心境というものがあり、それが学究活動のバックボーンになっているのだな、という実感です。オクスフォード大学の学生はみなが必ずしも金持ちの子弟であるというわけではありません。しかし、オクスフォード大学という組織と施設には、この国の支配階級が800年かけて築いてきた富があります。これまでこちらに掲載してきた写真などでもお分かりになるとおり、カレッジの建物は、古いものは貴族の邸宅のよう、新しいものは会員制高級ゴルフクラブのクラブハウスのようで、それぞれに趣と高級感があります。そこかしこに趣味の良い絵画や彫刻が飾られており、寮の掃除も週に一回、業者がしてくれます。カレッジによっては、ジムもサッカー場もテニスコートもBBQ場もバーもあり、最高級のピアノを据え付けた音楽堂ではプロの音楽家を招いたリサイタルが催されます。受付には優秀なポーターが常駐しワンストップで多くのサービスを捌いてくれ、お茶の時間には給仕さんが談話室でお茶を淹れてくれます。
特に古いカレッジのフェロー(教職員)専用の談話室の家具はひときわ高級感が漂います。テレビや映画で断片的に見かけた「昔の英国貴族ってこういう感じなのだな」というイメージ通りの世界で、行き届いた設備やサービスがあります。学費を収めればそれっきり、ほぼすべてが無料で利用可能なのです。
もちろん少しの不便はありますし、学費も決して安くはありません。しかし、日本の中流の家に育ち、財政逼迫の昨今、出張の際には時折、旅費から足も出るような公務員生活を送ってきた僕からすると、ここに蓄積されてきた富や享受できる豊かさには、しみじみと驚嘆させられてしまいます。「ここには金があるなあ。日本には金がないなあ。」と(もちろん日本にもお金持ちはいますし、オクスフォードの財政も楽ではないようですが)。
そして、学生たちは生活「感」から解放されて、深々とソファに足を組んで思索に耽る余裕が与えられ、教授らに知性を厳しく磨かれる時間に多くを充てられる、という恩恵にあずかっています。カツカツ、せかせかしていてはダメ。ここでは「深遠なる知性を育むには、心を落ち着いて研ぎ澄ます余裕がないといけない」と考えられているようです(道理で学者になった僕の日本の同級生には、お金持ちの家の子が多いわけですね)。
そういう意味ではオクスフォード大学は、奨学金を得て入学してくる必ずしも裕福ではない層の世界中の学生へ、知性を育む機会と環境を再配分する機能を果たしているとも言えるように思います。
■ 加速する知の集積(インテレクチュアル・キャピタリズム)
また、知的刺激を受けられる機会や発表される知が、個人が消費できる量を物理的に超えて積み上がり続けていく環境を目の当たりにしていると、この営みはどこまで続いてくのだろう……と呆然とするときがあります。その圧倒的なスピードと量に、もはや恐ろしさというか、非人間的な何かを感じるときすらあります。知の集積という営みの眼中に、知を消費するユーザー(学生・研究者)は、とうの昔から入っていないのではないか、と。
もちろんこれは、単に僕があちこちに登録しすぎて、手元の告知情報が氾濫しているだけだとお笑いの方もおられるかもしれません。それは否定できませんが、知が集積していく流れそのものが、ITによってかなり可視化される時代になって、僕はある種の圧迫感も感じています(僕が若さと元気を失っているからかもしれませんが)。
例えば、加速する資本主義経済を評して、人間がその欲望によって富を集積しているというよりも、お金それ自体が集まるところに集まって果てしない自己増殖を望んでおり、銀行や投資家などの活動はその意志に傅(かしず)いているに過ぎないように見えてくる、という人がいます。オクスフォードに限らず、全世界の大学・研究機関・学者の知的活動の全体に思いを巡らせたとき、僕はそれに似た感覚を覚えることがあるのです。
もしかしたら、大学という「配電盤モデル」とは、知が新たな知を産む自己増殖のために、世界中から最良の脳を選別して大量に掻き集めるシステムなのではないか。
サプライヤーもユーザーも、もはや人間ではなく、参加主体は知そのものなのではないか。
人間の脳はそれを運んだり加工したりするサブシステムに過ぎないのではないか。
より良い脳を掻き集めるために、知が富や名声を集積しているのではないか。
……という「錯覚」に囚われる瞬間があります。これは前回の記事で取り上げた、人工知能がより優れた人工知能を自ら生産することにより、人間のコントロールを超えてしまう「シンギュラリティ」に対する漠たる恐怖感にも通ずるところがあるかも知れません。
僕たちは「シンギュラリティ」をどう迎えるのか? オクスフォードで出会った人工知能研究者・江口晃浩氏にインタビュー(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第5回)
オクスフォードで暮らして半年が経つなかで、怒涛の如く「知」が集積を続けるプラットフォームから享受できる恩恵を満喫する一方で、ある種の疎外感・圧迫感も感じたりもしています。近年、「お金の蓄積だけではダメで、知の集積も大事」という文脈で、インテレクチュアル・キャピタリズムという概念が語られることがあります。僕は、インテレクチュアル・キャピタリズムに、非人間的、脱・人間本位主義(ポスト・ヒューマニズム)な側面を感じている、ということなのかもしれません。
▲上から見たオール・ソウルズ・カレッジ。数名の大学院生と研究者(フェロー)のみが所属しています。38のカレッジの中でもトップクラスに裕福です。本当に選ばれた天才的頭脳しか受け入れないとされており、後のノーベル賞受賞者も不合格にされたとか。一方で、その超然主義は度を逸しているとの批判も受けているようです。
2.英国型プラットフォーム
■ 英国型プラットフォームとその共通価値
さて、尾原さんのプラットフォームという概念をまだまだ借用しつつ、この1年半、僕がイギリスで見聞したものを総合しながら、考えてみたいことがあります。それは、イギリスにも「英国型プラットフォーム」というものがあるとすれば、それはどういうものか、その競争力はどういうところにあるのか、ということです。
英国型プラットフォームなるものがあるとすれば、その特徴は、まずサプライヤーとユーザーが増えれば増えるほど価値が増す構造と流れを維持しつつも、プラットフォームへの参加資格に絶妙なフィルターをかけている点にあるでしょう。
たとえば、上記の通り世界的に有名な英国の大学、様々な資格基準を共有し移民要件において優遇されているコモンウェルス(旧大英帝国植民地。53ヵ国に及び、そこで22億人が暮らす)や、既存会員の推薦状がないと入れず会費も高額な各種のクラブやソサエティ、大学の同窓会、ロンドン中心部のシティと呼ばれる金融街のコミュニティがその典型例だと思います。境界と選別(フィルタリング)をコントロールしつつ、参加者に与えられる特権によって、プラットフォーム外の人々を誘引すると同時に、内部からの離反を防ぎます。プラットフォームの運営者は、優れたバランス感覚と先読み能力、スピード感によって、プラットフォーム内部のイノベーション力や評判を維持し、内外に対してプラットフォームの魅力を保とうとします。
それから、英国型プラットフォームの共通価値は、おそらく「信用と献身」だと思われます。プラットフォームに参加を許された者は、みな信用のおける人物とみなされてお互い安心して交流を深めていくと同時に、各自コミュニティへの貢献が求められます。「信用があるから貢献を求められ、貢献によって信頼が高まる」というループもあります。何が信頼に足り、何が貢献と認められるかの判断基準は、ためらわず言ってしまえば、伝統的に、オックスフォードまたはケンブリッジ大卒の高学歴白人男性(「ジェントルマン」)らのモラルや知性のバイアス下にあると言っても良さそうです。
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僕たちは「シンギュラリティ」をどう迎えるのか? オクスフォードで出会った人工知能研究者・江口晃浩氏にインタビュー(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第5回)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.533 ☆
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僕たちは「シンギュラリティ」をどう迎えるのか?オクスフォードで出会った人工知能研究者・江口晃浩氏にインタビュー(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第5回)【毎月第1木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.3.3 vol.533
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今朝のメルマガは、橘宏樹さんの『現役官僚の滞英日記』です。今回は、橘さんがオクスフォードの人々と実際にどのように交流しているのかをレポートします。さらに、現地で出会った日本人研究者・江口晃浩さんに、人工知能研究の現在についてや、落合陽一さんの『魔法の世紀』の感想などを語ってもらったインタビューも掲載します。
▼プロフィール
橘宏樹(たちばな・ひろき)
官庁勤務。2014年夏より2年間、政府派遣により英国留学中。官庁勤務のかたわら、NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。
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前回:履歴書に「?」を盛り込め!――超難関・オクスフォード入試を突破するために必要なこと(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第4回)
※本稿の内容(過去記事も含む)に関して、皆様からのご質問や、今後取材して欲しいことを受け付けたいと思います。こちらのフォームまたはTwitter(@ZESDA_NPO)にお寄せいただければ、できるかぎりお応えしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
▲ハイ・ストリートから聖メアリー教会を臨む
こんにちは。橘です。この原稿を執筆しているのは2月後半ですが、日照時間が日増しに長くなるのを感じています。朝夕の風はまだまだ冷たいものの、公園の早梅はほころび始め、木蓮の蕾も膨らみ始めています。心なしか、冬の終わりが近そうな雰囲気が漂っています。最近は、大教室を借りて、動画をプロジェクタで大きく映して、友達とミニ映画会を催すのがマイブームです。見たいけどまだ見れていない映画を毎週交代で推薦しあい、数人でシアターを貸切にして楽しんでいます。
▲ミニ映画会を楽しむクラスメイト。この日は「東京物語」を上映。
また、ちょっとローカルな話題ですが、オクスフォード界隈の有名人にInigo Lapwood君という人物がいます。コスプレ・パーティで手製の火炎放射器を「危険ではない」などと言いながらニコニコぶっ放して休学を食らったのち、現在は復学がかなったのですが、その彼を生で見ることができました。オクスフォードの学生らしいハンサムで品のいい雰囲気をまとっていて、無邪気すぎるのかイッちゃってるのか、ミステリアスな笑みは健在で、金髪美女とコモンルームでチェスをしていました。こちらの記事で、その火炎放射事件が報道されていて、ご機嫌で炎を放つInigo Lapwood君の写真も掲載されています。
さて、オクスフォード編第2回では、オクスフォードの知的イノベーション力の源は、細やかな配慮が行き届いた異分野間交流の機会が重層的に設計されていることにあると述べ、その仕組みについて描写しました。
学園都市の異常なる日常 〜人文系軽視なんてとんでもない⁉︎~ (橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第2回)
僕自身もこのシステムを最大限活かしてセミナーに出席したり、フォーマル・ディナーに招待されたり、カレッジ内のイベントに出向いたりするなかで、様々な人々に出会い、刺激や学びを得ています(この火炎放射器の彼とはまだ交流できていませんが)。
ここでの生活も早いもので5ヶ月が過ぎるなか、この学園都市コミュニティの「異常なる日常」にかなり馴染んでいる自分を感じます。今回は、そんな毎日の中から、僕自身が出会いや交流から得た具体的な学びについてお話したいと思います。
▲プレ・ディナータイムに食前酒を楽しむ人々
▲ウォルフソン・カレッジのフォーマル・ディナーの様子
まず、上記第2回でもご紹介したカレッジのフォーマル・ディナーは、オクスフォードの生活文化を象徴する習慣です。控え室で食前酒を楽しむ時間、ディナータイム、ティールームに場を移してチーズやフルーツとお茶やワインで寛ぐ食後のティータイムなど、席替えが促される中で、無理のない交流の時間がゆったりと取られています。招待した友人以外の、隣席になった初対面の方々などと様々な会話を交わすことが当たり前です。ある意味、制度化された集団的ホームパーティとも言えましょう。
■ フォーマル・ディナーで得た「『無戦略』を可能にする5つの『戦術』」理論へのフィードバック
ある時、招待されたフォーマル・ディナーでたまたま隣席になったオクスフォード大教授(経済社会学専攻・ニュージーランド人・元ケンブリッジ大教授)に、本稿でかつて述べた「無戦略を可能にする5つの戦術」について、ぶつけてみる機会がありました。僕の昨年一年のイギリス観察報告はどのくらい的を得ていたのでしょうか。幸いいくつかコメントをもらうことができました。
「無戦略」を可能にする5つの「戦術」~イギリスの強さの正体~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第11回)
まず、「5つの戦術」の第一の戦術について話してみました。「弱い紐帯」のハブ機能、すなわち、大英帝国時代の遺産である旧植民地国「コモンウェルス」53カ国22億人のネットワークのハブ機能を担うことで、緩いけれど確かな関係を維持し、英国は各国から多くの資源を調達していると思う、というものです。
すると、
「それは間違いないね。そういえば、サッチャー首相が財政を大きく削減した時、オクスフォードの教授の給料も大きく減らされて(イギリスの大学はほとんど全てが国立)、たくさんアメリカの大学に引き抜かれていったんだ。そのとき、(教育予算削減に反対な)側近が『首相、優秀な学者がたくさんアメリカに引き抜かれています。どういたしましょう』と聞いたところ、サッチャー首相曰く『コモンウェルスから優秀なのが入ってくるでしょう。それでいいじゃない』と答えたらしいよ」
という逸話を教えてくれました。
実際、教授もニュージーランド人ですし、現在のオクスフォードの教授陣は本当に世界中から集められています。教師の国籍が多様性に富んでいることは世界ランキングの維持にも好影響を与えています。
次に、第二の戦術、イギリスの「カンニング」の巧さについても話してみました。すなわち、ニュージーランドやオーストラリアなどコモンウェルス(旧植民地国)内で行われる先進的な取り組みをだいたい2年くらいウォッチしていて、良さそうなものを本国行政にも積極的に取り入れていきますよね、という話です。
これに対して教授は、
「それは確かにそうだね。だいたい2年で導入すると言ったが、現に私の友人で、ある新しい取り組みがニュージーランド政府で始まって1年くらい経ったところに、イギリス政府から派遣されていたやつがいたよ。やり方や実態など、現地での「学び」を持ち帰れというミッションだったわけだ。導入することが決まったらすぐ対応できるように、1年前からもう準備を始めているわけなんだね」
と教えてくれました。僕が思ったよりも、カンニングは早い段階から行われていたことがわかりました。
それから第四の戦術「トライ・アンド・エラー」、すなわち試行錯誤を繰り返す中で、最適な解を模索していくスタイル、失敗を恐れず自ら変化していこうというメンタリティについても話してみました。
「おっしゃるとおり。例えば英国では内閣改造のたびに政治家主導で省庁再編をするよね。まあ、部局の指揮命令系統が変わるだけで、引越しとかはあんまりしないんだけど、いずれにせよ中央官庁は内閣のマニフェスト実現の手段に過ぎない。だからその時々で最も適した形に再編されるべきだ、と考えられていると思うよ。省庁の再編は法律の改廃の必要がないからね」
とのことでした。実際、「1980 年からの 30 年間に 25 の中央省庁が設立されたが、そのうち 13 は 2009 年まで に消滅した。1983 年設立の貿易産業省のように 24 年間存続したものから、ビジネス・企 業・規制改革省やイノベーション・大学・技術省のように、2 年しか存続しなかったものまである」(引用元:国立国会図書館 『中央省庁再編の制度と運用』)のです。日本では省庁の設置・廃止は法律事項ですから、その都度、法の改廃を行わないといけません。
このように、柔らかいディナーの会話の中ではありながらも、隣席だったというだけでかなりまとまった意見交換をすることができました。そして昨年の僕の気づきの集大成について恐る恐る切り出してみたことで、オクスフォード大教授からも同意と新たな論拠も貰うことができ、大変貴重な機会となりました。ちょっとしたチュートリアル(個人指導)です。教授からも別れ際「楽しませて(enjoy)もらったよ。今度また食事でもしよう」との嬉しいコメントまで頂戴しました。
■ 人工知能/計算神経科学研究者・江口晃浩君との出会い
オクスフォードには学部・大学院合わせて約100人くらいの日本人学生が学んでいます。共通の友人の紹介で出会った江口晃浩君は、大変優秀でユニークな人物でした。人工知能、計算神経科学が専門の彼との会話から多くのことを学びましたので、その内容をインタビュー形式で掲載し、みなさんと共有したいと思います。僕自身は国費派遣の官僚(文系)というある種ありふれた、しかしある種特殊な学生ですが、他にはどういう日本人がどんな経緯でオクスフォードに来てどんなことを学んでいるのか、このインタビューでイメージしていただけるかと思います。
▲江口晃浩君
■ ロボコンを見て高専へ、そしてアメリカへ留学
橘 今日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。まずは、簡単に自己紹介をお願いします。
江口 僕はオクスフォード大学の博士課程で学んでいて、今年で四年目になります。専門は「計算神経科学」という分野で、人工知能(以下AI=Artificial Intelligence)と脳科学などのジャンルを融合させた分野ですね。実験心理学部内の「DPhil. in Experimental Psychology」というコースに所属しています。AIと言うとエンジニアのイメージが大きいと思うんですけど、自分たちは実験心理学部に所属していることもあって、「人間は物事をどう理解しているのか?」というところに焦点を当てて研究しています。
橘 ありがとうございます。研究の詳しい内容については後半で伺うとしまして、まずは、ここまでの歩みについてお聞きかせ願えますか。
江口 自分はもともと愛知県で生まれて小学校は東京で過ごし、中高のときは愛知県に戻りました。高校ではなく、国立の高等専門学校である「豊田高専」というところに行きました。
橘 高専に進もうと思ったきっかけは何だったんですか?
江口 僕の今の夢は「心を持ったロボットを作る」「心を持ったものを作る」なんですけど、そもそも小さい頃に見た『鉄腕アトム』のようなロボットの漫画・アニメが好きで、そういうものを自分の力で作りたいと思っていました。だけど実際にどう作ったらいいのかあまりイメージが湧かなかったんです。
それが小学校高学年ぐらいの時期だったのですが、親が「全国高等専門学校ロボットコンテスト(ロボコン)」のチケットを手に入れて、観に行ったんですね。そこで高校生が自分でロボットを作って戦わせているのを見て、「いつか自分もこんな世界に入りたいな」と思ったのが原体験かもしれません。高校受験する頃には愛知に戻っていたのですが、そのときの優勝校の豊田高専がすぐ近くだということに気付いて、「じゃあここに進学しよう」と思ったんですね。
橘 なるほど、運命的ですね。そのあとは、アメリカの大学に進まれたんですよね。アメリカの大学へ行こうと思ったのはなぜだったんですか?
江口 実は、高専入学当時は課題やテストに追われていて、忙しさのあまり、最初の「ロボットを作りたい」という目的を見失っていたんです。それで三年生の頃にたまたまアメリカに一年間交換留学に行くことになって、実際に行ってみたらすごく衝撃を受けたんです。アメリカの高校生たちって、大した根拠もないのに「自分は映画監督になるんだ」とか「政治家になるんだ」とか言っているんですよ。日本だったらそういう夢を語る人は小学生だったらまだ多いと思いますけど、高校生ぐらいになると「自分はサラリーマンになる」「貯金したい」とかそういう感じになるじゃないですか。だけどアメリカ人たちは子どもみたいな夢を高校生になっても語っているんですね。それと、アメリカでは学びたいことも全部自分で選べるという感じだったので、そういう「学びたいことを学ぶ」ということが許されるアメリカの状況を見て、自分の最初の目標を思い出したんです。それがアメリカの大学に進学した大きなきっかけですね。
橘 初心を取り戻したというわけですね。
江口 高専って本来なら五年間通って、短大卒相当の資格を取るのが普通なんです。だけど、もう一回仕切りなおしてアメリカで一から夢を目指そうと思って、そのあとは三年制に行って高校卒業資格を得て、アメリカに行きました。アーカンソー大学というところで、コンピューターサイエンスと心理学を勉強しました。
橘 日本の大学に行くことは考えなかったんですか?
江口 アメリカの大学って、自分の学びたいことを好きなように学べて、しかも途中で変えることも可能なんです。当時の自分も、とりあえずAIに興味があるけど、AIの何に興味があるのかがはっきりしていないところがあったので、色々な選択肢を残しておけるシステムはありがたかったんです。
アメリカでは、ロボットを作ったり、株のシュミレーションをするようなゲームを作ったり、あとは自動で部屋のマップを作る簡単なAIを作ったりとか色んなことを試しました。その結果、自分の求めていたものは「心を持ったロボット」だったことに気がつきました。ロボットじゃなくてもよくて、「心を持った何か」ですね。そして、AIを作るためには人間の心を理解しないといけないと思って、心理学という全然別の方向も専攻するようになったんです。だから自分の学んだコンピューターサイエンスと心理学の中間を学びたい、研究したいと思うようになりました。それでアーカンソー大学にいるうちに色々と調べたところ、オクスフォードにコンピュテーショナル・ニューロサイエンス=計算神経科学という分野をやっているところがあることを知ったんです。普通はAIと計算神経科学って全然別のものとして扱われているんですけど、ここのラボはOxford Centre for Theoretical Neuroscience and Artificial Intelligenceという名前で、その2つを一緒にやっているところが面白いなと。
▲WEBサイト「オクスフォードな日々」でも発信中
■ 人の心は作れるのか?
橘 人間の「心」それ自体を考えることと、それをプロダクトにして作っていくことの2つを同時に扱う江口さんにとって、うってつけのラボに出会えたわけですね。現在の江口さんの博士課程での研究はどういう内容なんでしょうか?
江口 人間の視覚つまり「目から見る情報」がどのようにして脳で処理されて、理解されるかを研究しています。そもそも計算神経科学が、AIと何が違うかというと、AIって例えば「空を飛びたい」と思って飛行機を作るような考え方なんですね。だけど計算神経科学では飛行機ではなく、「鳥はどうやって空を飛んでいるのか?」を研究します。だから鳥の精巧なモデルを作って、鳥がいかに風や空気を操って飛んでいるのかを理解しようとするわけです。
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履歴書に「?」を盛り込め!――超難関・オクスフォード入試を突破するために必要なこと(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第4回)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.511 ☆
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2016.2.4 vol.511
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今朝のメルマガでは英国留学中の橘宏樹さんによる『現役官僚の滞英日記』をお届けします。今回のテーマは「オクスフォードの入り方」。独特の入学者選抜の在り方から、「徹底的な徒弟制」「完全主観主義採用」というオクスフォード流教育哲学の核心を読み解きます。
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前回:サンデル教授の「白熱教室スタイル」では足りない!? オクスフォード教育の本質は「ネオ・パターナリズム」にあり(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第3回)
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こんにちは。橘です。関東、九州をはじめ各地の大雪のニュースに驚いていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。オクスフォードも氷点下まで冷え込んでおります。朝、自転車に乗ろうとすると、サドルに霜が降りていて、硬いし冷たいし座れません。池や川にも氷が張っています。
最近は「オクスフォードの教育とは何か」について、つらつらと考えているこの連載ですが、前回は「ネオ・パターナリズム」と仮称しつつ、結論を出すことから逃げない姿勢を示す教師の指導スタイルについて論じました。
サンデル教授の「白熱教室スタイル」では足りない!? オクスフォード教育の本質は「ネオ・パターナリズム」にあり (橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第3回)
今回は、制度としての側面、つまり組織・コミュニティ全体として、オクスフォードが教育というものをどのように捉えているか、ということについて、学生の選考方法という切り口から論じてみたいと思います。その上で日本人がオクスフォード(主に大学院)に入学するにはどうすればいいか、受験対策にも踏み込んで書いてみたいと思います。
いかにもキャッチーな表題で少し恥ずかしいのですが、「ドラゴン桜」でも描かれているように、入学試験の形式や選考方法を追究していくことは、その大学が求める学生像や教育哲学を理解する大きなヒントを与えてくれると考えます。
▲マンスフィールド・カレッジの図書室で勉強する学生。
▲パブでのイベント。オクスフォード大のJAZZクラブのメンバーが演奏しています。かなり上手!
「どういう学生がオクスフォードに合格するのか」「なぜ自分はオクスフォードに合格したのか」
様々な国籍の学生や教授らと話す機会を通じてそういったことを考えているうちに、文系・理系、修士課程・博士課程問わず、学生の選考は、ある一貫した「哲学」に基づいて行われているな、と思うに至りました。そしてこれは、ほとんど同じ種類の提出書類を要求し、カレッジ制度や少人数指導制を共有するケンブリッジ大学にもおそらく通底するものであるように思います(もともとケンブリッジ大学はオクスフォード大学から派生してできた学校です)。
オックス・ブリッジ(英国のエリートは多くがオクスフォードとケンブリッジから輩出されることから、この両校を併せて「オックス・ブリッジ」と呼びます)に合格するには、まずこの哲学をよく理解することが大事だと思います。そして、この哲学から当然導かれてくる要求内容をどのようにして満たすかを考えるのが、合格戦略であり、その具体的諸施策が合格戦術になってきます。
しかし、このようなアプローチが日本ではどこまで共有されているか、少し疑問に思います。というのも、僕が日本で受験準備をしていた頃、周りの人々は、「仕事や学業の傍らIELTSやTOEFLのスコアを上げるのに精一杯で、論文や研究計画には時間が割けず、どこかで入手したテンプレに沿って適当に書き、推薦状も頼みやすい上司に頼んで、締切ギリギリに提出して、間に合った!と安堵する。学歴の高い人は受かりやすいらしい。自分も運が良かったら通るかも。とにかくあとは祈るだけ」という考えの人が大半だったように思いました。これは、日本人の社会人留学のリアルそのものでもあると思います。しかし、このアプローチは、僕が仮説として持っている「オクスフォードの教育哲学」にはことごとく沿いません。
僕はほとんど同じリアルを共有しながらも、「オックス・ブリッジはこういう人が合格するはずだ」「僕が合格するにはこういう風にするしかない」という仮説・戦略をある程度立てて受験し合格しました。そして現在、オクスフォードには100人程の日本人が学んでいるようですが、飲み会などで色々話す中で、僕の戦略は一般的にもかなり正しそうだという感触を得るに至りました。
僕は、オクスフォードやケンブリッジに学ぶ日本人を増やしたいと思っています。この気持ちは必ずしも母校礼賛主義からのものではありません。オクスフォードには最先端があるだけではなく、800年かけて培われてきた「最先端を切り拓くチカラを養うノウハウ」があるからです。このノウハウを文化として身につけた人材は、どの分野でも必ずや世界の最先端で闘い続けていけると思います。
また、より正しい戦略がより広く理解されたならば、人口比という観点からも、ここで学ぶ日本人を増やすことができる余地も大きいように思います。「神は細部に宿る」と申しますし、オクスフォードの教育哲学に対する考察から始めつつ、ややテクニカルで具体的な戦術にまで踏み込んで、僕のオクスフォードへの合格戦略論をご紹介したいと思います。
▲ロンドンの高級デパート、セルフリッジでジャパンフードの催し。賑わっていました。
1.オクスフォードは「徒弟制の集合体」
オクスフォードの教育哲学は、一言で言うと、「教育は個人に施すものである。」というものです。つまり、Aさんの知性を育てるには、Aさんに合った方法に依らねばならない。Aさんに合った方法は、経験豊富な教師がじっくり丁寧に指導するなかで、教師が創造的に開発し適用していく、というものです。
教育方法は、十人十色、テイラー・メイドが当然です。ひとりひとりに合った教育には、もちろん試行錯誤も伴いますけれども、経験豊富な優れた教師であれば、試行錯誤のコストは少なくて済みます。
オクスフォードのこうした手法は、極めて贅沢な教育思想であるとも思います。もともと貴族の子弟を教育する機関だったので当然かもしれません。ですから、学生たちは「知識や技術を求める者が教わりにやって来る」というよりも、極論すると「さあ、名家の跡を継がなくてはならない私を偉大なエリートに育て上げてください」と育成されにやって来る、という感じがあります。
幼いアレクサンダー大王が、マケドニア貴族の子弟のためにアリストテレスが設立した「ミエザの学園」に放り込まれる感じに近いのです。よくオックス・ブリッジの教育の特徴は全人格的教育だ、と言われるのは、こういう点を指しているのだと思います。最先端の知見を日本に移植するべくやって来た、夏目漱石や森鴎外のような明治期の国費留学のセンスとは、根本的なすれ違いがあります。まるで、立派な雌鶏を育てているところに、卵をもらいに来るというような感じです。
しかし、日本の留学希望者達は、現代でもこの古いセンスを引きずっている方が多いように思われるのですが、どうでしょうか。
800年の歴史の中で、オクスフォード大学の規模は大きくなりました。カレッジの数も38個になりました。と同時に財政が厳しい時期も幾度となくありました。しかし、学生と教師の人数比は維持しています。教育の「効率化」は必死で拒絶し続けているのです(昨今設立されたMBAやMPP(公共政策大学院)など「稼ぎ頭」のコースは除きます……)。
なぜそうしたスタイルを堅持しているかというと、テイラー・メイド型教育こそが、オクスフォード教育の本質だという確信があるからでしょう。テイラー・メイド型教育を貫いたまま規模だけ拡大してきたこの大学の最小構成単位は、必然的に、徒弟関係であり続けています。そう、オクスフォードは、徒弟制の集合体なのです。オックス・ブリッジに入学するということは、学部やコース、クラスに所属するというよりも、特定の教授に弟子として採ってもらった、ということにほかならないのです。
そしてこれは、「決まった採点基準で採点された共通の試験で何点以上」というような客観的な評価基準をクリアしたから合格したわけでもないのです。弟子は「総合的で全人格的」な観点から選抜されます。「育ちの良さが見られる」というような意味ではありません(礼儀正しいかは厳しく見られると言われています)。入門したら「総合的で全人格的」な付き合いをすることになる教授が全権を委任されて判断する、ということです。
日本の研究者養成コースの大学院受験でも、指導教官への弟子入りという側面が強いところも多いように思いますが、いずれにせよ、イメージとしては、落語家の「弟子入り」に近い印象です。つまり、徒弟として入門するための受験対策は、師匠の個性に沿って計画されなくてはならない、ということを意味します。ですから、後にも述べますが、自分を受け入れてくれるような教授との出会いや、教授に自分を受け入れてもらえるようなアピールが大事になってくるのです。
▲クライストチャーチ・カレッジの壁面の蔦。夏は真っ青、秋は真っ赤でした。
2.「完全主観主義採用」とは
総合的で全人格的な観点から教授が選抜すると言いましたが、では、教授は何を基準に判断するのでしょうか。一言で言うと、「コイツを教えたいか」――つまり、教えたくなる何かを感じさせれば良い、ということであるようです。
オックス・ブリッジの教授職は、アカデミアにおいては世界最高に名誉ある地位であり、基本的には「アガリ」のポジションです。まだまだ追い求めるものがある研究者は、もっと研究費を貰える大学に引き抜かれていったりもしますが、余生はじっくりとエリート教育に取り組もう、と、椅子が自分の机よりも学生の方にしっかりと向いている教授が多く見受けられます。もちろん講師や准教授クラスは次のポストを求めてキャリアを形成しなくてはならないので、7割くらいは自分の机の方に体が向いている人も多いです。理系などでは同じ問題関心のバリバリの若手研究者とラボで最先端をともに歩みたい場合もあるかもしれませんが、学生たちは概して、全人格的教育を求めるからこそここに来ているわけで、同じ学費を収めているのであれば、なるべくシニアな教授クラスの指導を受けたがります。
入学選考ではまず書類選考があり、それに通るとスカイプ等での面接があります。面接では指導教官になる可能性のある教授や学部の責任者級の教授2~3名によって30分程度問答が行われます。面接に通れば最終合格です。書類選考を通るには、「コイツの顔を見てみたい」「とりあえず話を聞いてみたい」と思わせる何かが必要なようです。そして、面談においては、何らかの理由で、面接官の教授の1人以上に「私がコイツを教えてみたい」「あの先生ならコイツを教えたいと思うだろうな」と思わせることに成功することが目標になってきます。そのためには、当意即妙で鋭くて妥当でユニークな回答を、緊迫した中でも笑顔で魅力的に話すことが大事だと思われる方も多いでしょう。そのことを否定はしませんが、困難です。でも、事前に会ったことがあり、意気投合もした教授が、その面接の場に出てくるように仕向けることができたならば、尚良いですよね。
■「?」と「!」を積み重ねる
では、オクスフォード大教授はどういう受験生なら教えたいと思うか。端的に言うと「?」と「!」がある人だと思います。「?」とは、「なんでそんなことやってきたの?」「おもしろい」「謎」「一見、意味不明だけど価値は感じる」といった印象要素です。
「!」とは、「すごい」「意外」「驚嘆すべき美点アリ」です。大学時代の成績が良いとか、出版物があるとか、受賞経験があるとかのイメージで結構ですが、そこまでのものは必ずしも必要ありません。受験者の属性から想像される普通の人物像に比したとき「!」と「?」を抱かせればよいのです。
例えば僕であれば、「普通の日本人の官僚だったら普通は推薦状は課長からなのに、こいつは『!』な人から貰ってるなあ」「そして履歴書のここは『?』だなあ。とりあえず話してはみたいかもな」という風に思ってもらえるように、提出書類を工夫するわけです。そして、抱かせておいた「?」に対する答えを二次の面接で回答することで、それも「!」に変えて、「なるほど。おもしろい。うん。教えてもいい」と思ってもらうことを狙うのです。より具体的には後半の受験対策のところで詳述します。
■ オクスフォードの学生たちから立ち上る「獅子のオーラ」
加えて、いい歳の社会人として役所の採用にも何年も携わっており、一応修士号を2つ持っている「上から目線」で20代半ばのクラスメイト達を傍から見ていると、何となく、教授がこの子らを採用した理由がわかるなぁと思う時があります。例えば、ただ笑顔で人の話に頷いている様子を見ているだけでも、この瞬間にかなり高度で深い理解を進めたな、という印象を受けます。のびしろが実力に変わる時の轟(ごう)という勢いといいますか、「わかったぞ!! 覚えたぞ!! 思いついたぞ!!」ということだけである種の圧を人に与えるチカラ、喉奥で唸りを転がす若獅子のオーラのようなものが背中に立ち上っているのが見えるような若者が多いように感じます。その上、とても素直で可愛らしいのです。「そりゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん達、教えたくなるよなあ」という子達ばかりです。
ちなみに、LSEの同級生たちのクレバーさにも、もちろん目を見張るものがありましたが、ものすごく頭の回転も速くて賢いけれど、根本的に学問だの理論だのという話には気乗りしないビジネスエリートたちの知性、というものだったかもしれません。
若獅子の圧力というより、「あー、はいはい。わかったわかった。」「さもありなん。ふふん。」というような、軽さと爽やかさとキレを備えた食えない奴ら――言うなれば誇り高き狐のような連中だったように思います(ちなみに、LSEのマスコットはビーバーですが)。
無論、限られた人数の友人たちに抱く感覚論に過ぎませんけれど、同じように多国籍な学校なのに少し校風を描写しようとすると、そういう雰囲気の違いはあるかなと思います。
こうして教授らは、自分が教えたくて採った学生を、当然のように手塩にかけて丁寧に育てることになります。自分が見込んだ人物なのだから、立派に育てなければならないし、育つはずだという自負もありましょう。義務や責任も当然ありますが、それを上回る愛情も伴うことになります。そして師の愛情に感謝し、応えようと弟子も頑張る。ここが徒弟制の良いところだと思います。
そして、ちゃんと育てているかどうかは、カレッジや学部がつぶさに管理する制度が充実しています。問題があれば指導教官も換えられます。学生たちは何重もの視線に見守られているのです。
しかし、客観主義採用と同様に、完全主観主義採用にも、もちろん失敗があります。修士課程に入れても学業を怠ったり、修了の見込みが立たない学生もいます。そういう場合はなるべく中退させたりせず、教授が判断して除籍にします。大学・学部としても、教授の評価基準として、卒業率をチェックしているからです。
▲オクスフォードのヘディントン地区、屋根にサメが突っ込むユニークなオブジェ。「ヘディントン・シャーク」
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サンデル教授の「白熱教室スタイル」では足りない!? オクスフォード教育の本質は「ネオ・パターナリズム」にあり (橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第3回)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.489 ☆
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サンデル教授の「白熱教室スタイル」では足りない!?オクスフォード教育の本質は「ネオ・パターナリズム」にあり
橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第3回【毎月第1木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.1.7 vol.489
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本日は英国留学中の橘宏樹さんの連載『現役官僚の滞英日記』の最新回をお届けします。
橘さんがオクスフォードの教育に触れるなかで見えてきた、この大学独特の知の流儀とは? 『ハーバード白熱教室』のサンデル教授の授業スタイルと比較しつつ、「教師と学生の関係」がいかにあるべきかを考察します。
▼プロフィール
橘宏樹(たちばな・ひろき)
官庁勤務。2014年夏より2年間、政府派遣により英国留学中。官庁勤務のかたわら、NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。
本メルマガで連載中の橘宏樹『現役官僚の滞英日記』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
前回:学園都市の異常なる日常 〜人文系軽視なんてとんでもない⁉︎~ (橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第2回)
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こんにちは。橘です。オクスフォードでも第一学期が終了しました。多少宿題が残っているものの、大学も街もクリスマス気分に包まれています。同級生も次々に帰省したり旅行に出かけたりしています。僕には官庁派遣の制限があって、日本には戻れないのですが、親友の来訪があったり、またドイツなどに旅行に出かけたりしようと思っています。
▲ディバ二ティ・スクール内でのクリスマスキャロル演奏会
また、昨年度は、ロンドンにあるLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカルサイエンス)という学校の行政関連のコースで学んでいたのですが、先日卒業式があって参加してきました。(匿名性を守るためずっと伏せてきましたが、無事卒業できたことを機会に、また今後、より具体的な話をしやすくするため、今回明らかにしたいと思います。)
天気は悪かったのですが、修了証書を受け取り、借り物のアカデミックドレスを着て、6月の卒業試験以来久しぶりに再会するクラスメイトと写真を撮ったりするなかで、課題に追われ徹夜続きで心が折れそうになったこと、ヨーロッパでは許認可権という行政権力の源泉とも言える重要な機能が省庁から民間やEUにかなり委託されていることを知って驚いたこと、褐色、赤毛、様々ながらキリっとしてゴージャスな美人がたくさんいたこと(オクスフォードもそうですけれど)、などなど、様々な想い出が去来して感慨深かったです。
僕はこれまで、東京大学(学部及び大学院)とLSEとオクスフォードで高等教育を受けてきたわけなのですが、第二部オクスフォード編では主に、これら三校での体験を比較しつつ、ざっくりと、オクスフォードの教育とは何か、についてつらつら考えています。最近、そのひとつは、言うなれば「ネオ・パターナリズム」ということなのではないか。そしてこれは、大学教育論一般を考える上でも大事な視点なのではないか、と思うに至りましたので、今回はこれについて書こうと思います。
ネオ~の前に、そもそもパターナリズム(父権主義・家父長主義)とは何でしょうか。Wikipediaによれば「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉すること」と定義されています。この概念は、元来、国家権力などが個人の自由を制限する際の正当性を説明する際に用いられるものですから、大学は生徒が自ら望んで師の指導に服しているので、問答無用な国家権力と個人の力関係とは根本的には異なります。
しかし、必ずしも生徒全員の学習意欲や能力が最高に高いわけではない教育現場において、上下関係を前提に教師がどのように生徒を導くか、教育効果を最大化するか、という点で構造は似ていると思いますから、この概念は少なくとも比喩として便利だと思われます。
なので、ネオ・パターナリズムという語は、本稿限りの僕の造語としてご理解ください。英語圏では、Neo-Paternalism、という学術単語は上記のように「お節介な」行政施策を論じる文脈で用いられているようですが、今のところ日本語ではあまり使われていない言葉のようです。
▲LSE卒業式でのクラスメイト達
■ 教育におけるパターナリズムの三類型仮説
教育におけるパターナリズムのスタイルは、三類型に整理できるのではと思いました。古典的パターナリズム、欺瞞的パターナリズム、ネオ・パターナリズムです。これらは多少、順に発展段階的である一方、併存可能な教育スタイルでもあります。
(1)古典的パターナリズム
まず、一つ目は、古典的パターナリズムによる教育です。この立場は基本的に、無知蒙昧な生徒たちに知識を伝授しなければならない、また生徒の側も、知らないことを知りたい、詰め込みたい、という状況に出発します。ゆえにインプット重視で、形式も大抵マス・プロ講義型であり、マニュアルや教師の主張をインストールするという種類の教育スタイルを取ります。
大学入試までのペーパー試験における受験競争の勝ち組は、こうした教育方式において強さを発揮してきた連中です。講義に対して質問はありえても、批判することは必ずしも促されず、壇上からの一方的な講義がもたらす師弟関係は自然、権威主義的になりがちです。これは、最先端の知識を共有したり、大人数の知識量を短期に底上げしたりするには最も手っ取り早い方式です。
また、オムニバス形式で多様な視点を紹介する講義内容であれば視座の多角性も維持できますし、講師の話の上手さや内容次第で、生徒の満足度を高めることも可能です。しかし概して「聞くだけだと眠い」「退屈」「自分で考える力が養われない」「アウトプット能力が育たない」などの批判があり、こういうスタイルを取る教師は昨今、普通はあまり人気がありません。
まあ、よくある話を述べております。ちなみに、LSEは教育機関というよりも最先端の研究機関という性質が強いからか、教授というよりも、多忙な「主任研究員」に貴重な時間を割いてもらって、効率的にその最先端の識見を吸収する場所という感じがありました。そういう意味では、この古典的パターナリズムの色彩が強い学校だったように思います。
(2)欺瞞的パターナリズム
上記の古典的パターナリズムの持つ限界を克服するために、よりインタラクティブな、すなわち教師と生徒や生徒同士が双方向的な議論をしていくスタイルが積極的に導入されることになります。たいてい少人数のゼミナール形式で、活発な発言が評価に加味されたり、生徒に多くの発表の機会が与えられます。見る限り、日英の多くの大学の文系学科では、上記の講義形式とこのゼミナール形式を併用する方式が今日一般的だと思います。
双方向な授業形式として最も典型的なものは、かの有名なハーバード大学マイケル・サンデル教授の「白熱教室」でしょう。重たい、具体的な、いかにも意見が分かれそうな問いを与え、生徒に考えさせ、意見を自由に発言させ、最後に教授がエレガントに「まとめあげる(wrap up)」授業。軽妙なやりとりのなかで、笑いもこぼれ、参加意識も高まり、最後にはキレも深みもある教授のまとめにうっとりします。教授にものすごい力量がなければ不可能な素晴らしい授業です。特に、あの大人数の教室で双方向なやりとりをマネジメントするのは大変な所業です。ちなみに東大でも、僕が居た十数年前から一部の人気教授はまさにそのような講義を展開していました。どんな突飛な学生の発言にも柔軟に対応する様は大変鮮やかでカッコよく、みなが先生をキラキラとした憧れの目で見つめていたのをよく覚えています。
しかし、これらのインタラクティブな講義・ゼミは、確かに自分たちで考えさせる段階を取り入れてはいますが、投げかける設問文をコントロールすることで、学生の回答の行方も計算できますし、生徒の回答が過去の偉大な学者達の辿った思考の足跡の範囲を出ることはほとんど不可能です。結局のところ、双方向性によって参加意識を高める仕掛けはインプットの有効な補助に過ぎない、という言い方もできると思います。マイケル・サンデルの白熱教室であれば、学生に思考や発言を促していても、創造性や独自性を育むというより、哲学史の歩みを追体験させているに過ぎない「出来レース」的な構成であるとも言えると思います。
そして、よく予習してきた学生や勘や洞察力に優れた学生からすれば、白熱教室の問いにはこう答えればこういう限界があり、反論にはいくつかの立場があって、それぞれはこう答えるだろうから云々、と論理的な展開の先が「見える」ので、よりまともな発言をしようとすると、一回の発言が長くなってしまいます。極論すれば、最後の先生の「まとめ」を代弁してしまわねばならなくなります。裏を返せば、迂闊で断片的な発言ほど、先生の授業意図に沿う発言に見え、賢く博識な学生ほど発言を控えがちになります。そう考えると、あの大人気講義の「白熱」は、ある意味では、なんだか全体として仕組まれた茶番に見えてくる感すらあります。こういう、アウトプットを促しつつもアウトプットを訓練しているわけではなく、押し付けてはいないよーという体を取りつつ計算づくの誘導があり、自分の頭で考えさせているようであっても、創造性や個性の育成よりはあらかじめ用意された風呂敷の中に包み込もうとする点では、なんだか欺瞞的にも見えるので、僕はこれを敢えて揶揄的に「欺瞞的パターナリズム」と呼びたいと思います。
さらに、こうしたインタラクティブ系講義では大抵の場合、教授はその問いに対して自分の答えを述べません。述べたとしても、重要なのに世間一般で見落とされがちな論点や相対化されるべき固定観念を指摘したりすることにとどまりがちです。自著や講演など他の機会においてはともかく、授業内では、整理したり「まとめたり」はしても、総合的な「オレの答え」をあまり言いません。なぜなら、こうした授業は、暗黙のうちに前提にしていた概念や偏見の存在に気づかせること、社会通念を疑うこと、すなわち懐疑主義に目覚めさせることを主眼にしているからです。この姿勢は、確かに、大衆の中に思考停止しない人間を増やし、主体的な知性を啓蒙したりする市民教育において、非常に効果的だし、社会的な意義は大きいと思います。また、リサーチ結果の裏付けを得て自説を主張する社会学や経済学等とは異なり、政治学、哲学、歴史学など解釈を巡る類の学問においては、懐疑主義こそ永遠の本質と言えるのかも知れません。
しかし、この懐疑主義への覚醒を主眼とした欺瞞的パターナリズム教育は、既に充分懐疑的な知性に対するエリート教育という点ではどうでしょうか。特に、高学歴の人材ほど組織でリーダーシップを担わせられがちな世相にあって、最高学府が施すリーダーシップ教育としては「理性の目覚めを促す」ことだけで十分でしょうか。僕は、リーダーに必要な、ある結論に必ず付随する限界や欠点を認識しながらも決断を行うチカラ、そしてその負の側面をも引き受けて何とかマネジメントしていくチカラは、懐疑主義に覚醒するだけでは養えないように思われてなりません。
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学園都市の異常なる日常 〜人文系軽視なんてとんでもない⁉︎~ (橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第2回)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.464 ☆
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学園都市の異常なる日常
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橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第2回【毎月第1木曜配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.12.3 vol.464
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今朝のメルマガでは、英国留学中の橘宏樹さんによる『現役官僚の滞英日記』最新回をお届けします。この秋よりロンドンからオクスフォードへと学びの場を移した橘さん。観光客の目線ではただの田舎町にも思えてしまうオクスフォードですが、その「内部」に隠されている「異常なる日常」とは? まるでハリーポッターのような入学式の様子や、学生同士の交流で見聞した「オクスフォード独特の知的風土」についてレポートします。
▼プロフィール
橘宏樹(たちばな・ひろき)
官庁勤務。2014年夏より2年間、政府派遣により英国留学中。官庁勤務のかたわら、NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。
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こんにちは。橘です。現在、オクスフォードでの学生生活が6週間ほど過ぎたところです。田舎街に引っ込んで、大学とカレッジ(寮)を自転車で往復する毎日です。ロンドンでの日々に比べて、非常に静謐な環境で穏やかに暮らしています。
ロンドンで学んでいた時期は、経済、社会、政治、芸術の世界的中心地に暮らしていましたから、ある意味新しい気づきを得ることは容易でした。対して、オクスフォードは本当に、大学しかない小さな田舎町です。
クラスメイトたちとの関係やアカデミックな交流はより濃密になったのですが、社会的な活動範囲はかなり狭くなりました。各界の最先端を走るPLANETSファミリーの方々の記事を拝読して非常に刺激を受けているなかで、この連載ではどういう内容で貢献できるだろうかと考えながら暮らしています。
オクスフォードの知の伝統を伝えるレポートは世のなかに既にたくさんありますから、それで終わらないようなものをご報告できたらいいなと思っているのですが、ようやく最近になって、900年近くかけて構築されてきた知のプラットフォームのスタイルと、その様式の目的や必然性、場合によってはその弱点、それから教育の方法論とその背景にある哲学やスタンスといったことについてならば、僕からみなさんにご報告するに値することがあるかもしれない、と思えるようになってきました。
そこで手始めに今回は、オクスフォード大学の入学式の様子や、学生たちとの交流の中で感じた微妙な違和感、知のプラットフォームの一端を担う勉強会の様子についてご報告したいと思います。
■ オクスフォード大学の入学式
10月初旬、オクスフォード大学の入学式に参加しました。新入生は、男性は白い蝶ネクタイ、女性は紐タイをして、アカデミックガウンを羽織ります。(蝶ネクタイなんて生まれて初めてつけましたよ。)衣装は街中の商店で売っています。黒いスーツも含めて上から下まで揃えると、だいたい300ポンド(6万円くらい)はかかります。このアカデミックドレスによる正装は、卒業式のほか、学期末試験の際にも着用するとのことで、この時はさらに胸にカーネーションも挿すそうです。
▲入学式のついでにハリーポッター風のコスプレも楽しむクラスメイトたち。(この中に僕は居ません)
入学式は、カレッジとユニバーシティそれぞれが主宰するものが同日に行われました。まず朝、カレッジの方では、食堂を兼ねた大講堂に集められた正装した新入生にパンとコーヒーとデザートが振舞われました。
しばらくガヤガヤと歓談していると、銅鑼(!)が打ち鳴らされ、静粛になったところ、真っ赤なアカデミックドレスを羽織ったカレッジの校長から式辞がありました。概ね、「さあ、今日はいよいよmaticulation(マティキュレーション=入学式。後述)だね、行っておいで。あ。その前に写真撮ろっか」というような内容で、全体的に新入生を歓迎するどころか、むしろ「送り出す」「共に行く」という寛いだ雰囲気でした。正装する校長の佇まいも、さしずめ子供の入学式に同行する一張羅のお父さんという風です。
▲カレッジの中庭、正装して記念写真に臨む友人達
▲カレッジの校長らしき人物
もっとも、こうした空気はカレッジや校長のキャラクターごとに異なるかもしれませんが、厳しさや身分の上下がはっきり示されているなかでも、上の者(教員)から下の者(学生)に対する確かな愛情というか、「見守っているよ」という視線、包容力を、この大学での生活を形作る様々な決まりごとの端々から感じられます。
伝統とは形式主義にあらず。様々な決まりごとや習慣は、長く若者の愛し方を洗練させてきた工夫そのものであり、オトナ達が温かい愛情を通わせてこそ機能する教育手段に過ぎないのだな、と。
30歳を過ぎてまた学生をやることからなおさら、そういうことが染み入るように感じられる思いがします。たとえそれが、エリートがエリートを選んで与える、時に鼻持ちならない類の愛情であったとしても。
この点、ロンドンでの学校は、膨大な課題と必読文献を浴びせるとともに、厳しいクリア基準を課し、オフィスアワーに教授を訪ねればいろいろ教えてもやるが、「学ぶもドロップアウトするも自己責任」というような比較的突き放したスタンスでしたから、実に対照的に感じられます。
カレッジの中庭で記念のポートレートや集合写真を撮影した後、今度は、ユニバーシティが主宰するmaticulation(マティキュレーション)と呼ばれる儀式に参列しました。いわゆる正式な入学式としてイメージしていただいて良いのですが、これによって入学を「許可する」、オクスフォードの学生の身分と権利を「授与する」という意味が強いようで、ゆえに厳しく正装が求められています。カレッジ2~3個でひとグループにされた1000人程度の新入生(家族等の入場は不可)が、指定された時間に天井画の美しい格調高い講堂に集められました。
▲maticulation直前の会場内。
しばらくすると、オクスフォード大学の校章を背負ったシンプルながらもゴージャスなアカデミックガウンを羽織った学長が、いかにも儀典用というような、大きな錫杖を持った人に先導されながらゆっくり入場し高座に立ちます。その後、代表の教授がラテン語で何か呼びかけ、学長が何か応えるというやりとりがありました。続いて、”Ladies and gentlemen, welcome to Oxford”と英語で挨拶を始めたので、「うわ。ラテン語かよ。全然わからんよ。ラテン語でこの後も式辞が続くのか……?」と不安に思っていた会場からは安堵の笑いがどっと起こりました。
▲別アングルから。正面の高座に学長が、下の座席に教授陣やカレッジの校長等が座ります。
その後は、おそらく20分にも満たないジョーク交じりの講話があり、内容は、概ね、「ここは古いだけじゃない。最先端だ。最高だから頑張れ。楽しめ」的な、わりとあっさりとしたものでした。何か印象深いことを言おうという力みも、重々しくやろうという姿勢も感じられませんでした。
現在学長を務めるのはイギリス出身の化学者であるアンドリュー・D・ハミルトン(Wikipedia)ですが、彼はオクスフォード大で学生歴も教員歴もない学長(史上初)です。ハミルトン学長がこうした力みのないキャラクターであるのは、着任してまだ数年と間もないためオクスフォード的重厚感に染まっていないからなのか、もともとリベラルが信条であるからなのか(元イエール大学長)はわかりませんけれど。
そして、事実上、この講話だけでmaticulation自体も終了しました。カレッジは38個ありますし、学長も多忙ですから1日で終わらせたいようで、厳かさは保ちつつも、回転数を重視した進行であったということでしょう(つまり、学長は同じジョークを10回は言うのでしょう)。
退場後の学生たちは、それぞれ友達や家族とともに、格調高い建物や緑をバックにして、アカデミックコスプレ撮影会を大いに楽しんでいました。そして、その日の晩のうちに、僕の同級生たちのfacebookのプロフィール写真は、誇らしさと喜びに満ちた笑顔へと次々に更新されていきました。
ちなみに、僕がロンドンで通った1年目の大学では、このような儀式どころか、入学式すらありませんでした。第一週は登録や諸手続、オリエンテーションがあり、次週から「はい、授業開始~!」という感じでした。これはこれで簡単ですが、なんだか物足りなさも感じていました。あらためて、だいぶリベラルな学校だったのかなと思います。しかしさすがに卒業式はあるようで、この12月僕も参加する予定です。アカデミックドレスの貸衣装もあるようです。
また、遠い昔に参加した東京大学の入学式を思い出しますと、武道館に全新入生と家族約1万人が集まる巨大な催しで、半日がかりで一度きり。来賓、総長の式辞・祝辞、新入生代表の宣誓、現役学生部員の演舞や演奏など、なかなか長い構成だったと記憶しています。総長式辞は新聞やネットで公表され、時宜によってはある種のメッセージ性も込められます。家族も出席できるので「晴れの日の喜びを分かち合う」というような意味もあり、歓迎側の学生にも出番があります。学生コミュニティへの歓迎行為が公式行事内にまで位置づけられているという点では、イギリスの前2校に比較すれば特徴的とも言えましょう。僕がたまたま経験した3大学間の比較だけでも、実に三者三様だなと思いました。
■「日本では人文学軽視」ニュースの衝撃
新生活が始まるなか、上記のmaticulationの前後、諸手続きの行列、パーティーなどの場で初対面同士の会話をする機会があちこちであります。その度に、国籍や専攻問わず多くの人から、「日本では大学の人文系学科が廃止されるらしいな」という話題を頻繁に持ちかけられたことは、正直驚きでした。
しかも、「最近の日本のトピックと言えば、あれでしょ」とばかりに、まっすぐにこの話が上がってきます。すべての人が「人文系を軽視するなんて愚かな考えは信じられない」という反応でした。おかげで初対面同士、しかも、また会うのかどうか微妙な者同士の会話でも、かなり場が持って助かりました。
実際のところは、文科省の通知に「説明不足」があったことから誤解が広がっているわけなのですが……。
「国立大の「文系廃止」の誤解はなぜ広がったのか? 原因は「舌足らず」の通知文 文科省は火消しに躍起だが…」 (産経新聞2015年9月7日)
英語有力メディアでも、産業界からの需要が少ない人文系学科は削減されるというような論調で報道周知されてしまっていました。しかも、今夏の記事にもかかわらず、11月になっても、「おー日本人かあ、日本と言えば……」という場面で、多くの人の脳裏にすぐ浮かぶくらいにインパクトが強かったようなのです。
”Japan Rethinks Higher Education in Skills Push” Liberal arts will be cut back in favor of business programs that emphasize research or vocational training”(The Wall Street Journal )
理系の学生含め、それぞれがやや興奮しながら「人間性の本質を探求する重要さ」を力説するのを聞くたびに、オクスフォード大学界隈では、哲学・歴史といった人文学系学問、いわゆる教養(リベラル・アーツ・Liberal Arts)に対するただならぬ思い入れがあって、このニュースはそれを刺激したことは確かなのだな、と思われました。
他方で、ややちゃぶ台を返すようですが、逆にこの報道に対する過剰反応の方に違和感を感じてみることもできると思います。その場合は、予算逼迫の度ごとに人文不要論が何百年ものあいだ幾度となく提起されてきたからこそ、これに猛烈に反駁する伝統もまたオクスフォードに育まれているのかもしれない、という仮説を立てることも可能かもしれません。
▲大学のグッズを売る商店。カレッジごとに紋章や模様が異なります。
■「一応、哲学やってます(照)」に感じる違和感
また、日を追うにつれて、オクスフォードの人々は「人文系軽視に怒る」にとどまらず、「哲学・歴史を学ぶことは普通よりちょっと素敵であると思っている」ようにも感じられてきました。非常に微妙なニュアンスではあり、あくまで僕が交流した範囲での印象論ですが、もう少し、具体的に描写したいと思います。
まず、学生同士は初対面で自己紹介をかわす冒頭、必ずと言って良いほどお互いの専攻を聞くわけなのですが、概して理系の人たちは、社会科学系の人には、「ふーん。おもしろそうねー。興味深いわねー」というリアクションをとります。いたって普通です。
でも、哲学・歴史系の人に対しては、「(きゃ or おお、かっこいい)」という表情、そして時には「自分なんて実験してる(またはシャーレ覗いてる)だけのオタクだから……」という自虐混じりのリアクションまでとる、という違いがなんとなく見受けられるように思います。
そして、哲学・歴史系専攻側も、「はは。それほどでもないよー。あなたの学問だって興味深いと思うよー」というような、うっすら上から目線のリアクションがあるような感があります。この感じは、一時日本で少し槍玉にあがったこともある「学校どこ?」「『一応』、東大です」に似ているかもしれません。
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日本の大学ランキングはなぜ上がらないか? ――第2部 オクスフォード編スタート(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第13回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.454 ☆
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日本の大学ランキングはなぜ上がらないか?
――第2部 オクスフォード編スタート
(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第13回)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.11.19 vol.454
http://wakusei2nd.com
今朝のメルマガはイギリス留学中の橘宏樹さんによる『現役官僚の滞英日記 』最新回です。
渡英2年目となるこの秋、橘さんはロンドンからオクスフォードへとその居を移しました。今回より「オクスフォード編」ということで、この世界一有名な大学街からのレポートをお届けしていきます。
橘宏樹『現役官僚の滞英日記』前回までの連載はこちらのリンクから。
▼プロフィール
橘宏樹(たちばな・ひろき)
官庁勤務。2014年夏より2年間、政府派遣により英国留学中。官庁勤務のかたわら、NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。
こんにちは。橘です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。日本は陽もだいぶ短くなって、秋めいて来たと聞いております。こちらは日光が当たっている場所だけは多少暖かいものの、朝夕の冷え込みは段々と厳しくなってきまして、夜中に自転車を漕ぐ時はちょっと手袋が欲しくなってきました。
さて、僕の方は、この9月にロンドンからオクスフォードに引っ越してきました。というのも、2年目はオクスフォード大学に通うからです。ロンドンでは学んでいた大学名を伏せながらもお伝えできることがたくさんあったのですが、オクスフォードは大変個性的な大学街ですから、ここが何処かを隠しながら何かをお伝えするのはさすがに苦しいものがあり、また、世界に冠たるオクスフォードでの教育、教授陣や学生、街や人々の様子はどのようなものか、ロンドンや日本の大学とも比較しつつ僕なりの視点から体験談をご報告することには意味がありそうとも考えました。
というわけで、第1部ロンドン編は前号で閉じ、今号より第2部オクスフォード編の開幕ということで引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
また、今後は、本稿の内容(過去記事も含む)に関して、皆様からのご質問や、今後取材して欲しいことを受け付けたいと思います。こちらのフォームまたはTwitter(@ZESDA_NPO)にお寄せいただければ、できるかぎりお応えしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
■ オクスフォードの街の様子
オクスフォードはとてもコンパクトで静かな街です。まず、緑が非常に豊かです。大学所有の庭園では手入れの行き届いた植え込みに多種多様の花々が咲き、リスが走り回っています。象牙色とも蜂蜜色とも呼べる分厚い石造りの壁面のところどころを蔦の蔓がびっしりと覆い、古めかしさを際立たせています。秋が深まるに連れて端から赤く染まっていく蔦の葉は大変美しいです。学内の庭園やラグビーのグラウンドでは植え込みのブラックベリーやリンゴ、栗の実が成り、木々の間をリスや飼い猫達が走り回っています。また、テムズ川の上流域でもあるので、街の裏手を小川が流れておりパンティング(ボート遊び)が楽しめます。
パンティングというと、華麗な建物群を岸辺に眺めることができてイケメン学生バイトが船頭しながらガイドもしてくれるケンブリッジのものが有名だと思いますが、オクスフォードの方は、オフィーリアでも流れてきそうなほど静まりかえる林の中を客が自分で漕ぐ形式です。
岸辺のベンチでは老学者が本を読み、多くの水鳥が人を怖がらず泳ぎまわっています。木立の向こうには牧場の牛も見えます。
オクスフォードの街中は、土日になれば往来する人々は少し多くはなるものの、ロンドンに比すれば圧倒的に少なく、歩くスピードもそんなに早くありません。そして多人種がひしめきあうロンドンに比べると、白人が多い印象です。学生はもちろんですが、お年寄りも多いです。ほんの300メートル程度の歩行者天国の目抜き通り周辺が、いわゆる銀座というか、「シティセンター」と呼ばれる中心となっています。最も伝統あるカレッジ群や図書館や博物館、役所などもこの辺りに集中しています。歴史上の著名人らが集ったと言い伝えられる古いレストランやカフェも、おそらく往時と変わらない佇まいで散在しています。
中心部から北に進むと、道沿いに、赤や茶色の煉瓦造の洋館群が並びます。色調や建築様式に統一感を感じさせつつも、一軒一軒が豪華で個性的なデザインです。大半が学部やカレッジの所有物であり、数人の学生がシェアして住んでいたり、教職員が家族と住んでいたり、学内のクラブや組合が活動拠点として活用していたりしています。
▲オクスフォード大学の建物は「象牙色系」と「赤煉瓦系」の2つものに大きく分かれます。こちらは象牙色系。左は大学の最も象徴的な建物、「ラドクリフ・カメラ」。
▲赤煉瓦系。オクスフォード大学所有の建物のひとつ。このような建物群から街と大学が構成されています。
また、オクスフォード駅の東と西では、大きく雰囲気が異なります。オクスフォード大学の建物群が立ち並び住民や観光客が往来する上述の地域は全て東側です。対して西側は、まっすぐに伸びる車幅の広い道路の両脇に、比較的新しい一戸建てや農園、巨大な駐車場を備えたホームセンターが立ち並んでいます。何となく、日本の地方の国道沿いの風景を思い起こさせます。
オクスフォードには地下鉄や路面電車などはありません。バスが便利ですが、ロンドンに比べると多少割高です。学生の大半は自転車を使っており、そこら中に駐輪されています。ロンドンからのアクセスは当日券だと電車で片道約1時間・往復約25ポンド(約5000円)、バスでは片道100分で約20ポンド(約4000円)です。回数券を買えばさらに安く済みます。ロンドンからの終電は0時半頃、最終バスは深夜2時発のものまであり、両方とも車内で無料wifiが使えるのが便利です。ロンドン〜オクスフォード間の距離は約60マイル(95km)で東京駅から静岡県の熱海駅までとほぼ同じですが、体感距離はもう少し近いと言ってよいでしょう。
住まいに関しては、僕はカレッジの寮に入りました。ロンドンで住んでいた寮より少し安い家賃で、広さは2倍くらいあります。街の中心部から自転車で15分くらいの場所にあって、一際静かです。窓の外は植え込みに囲まれていて、蜘蛛が毎朝新しい巣をつくっています。多少陰気臭いかも知れませんが、非常に気に入っています。
というのも、この1年間は、大学の授業や課題がかなり盛り沢山だった上、オクスフォードの受験準備もあり、さらにロンドンにいるうちに得られるものを得なければという急いた気持ちから様々な課外活動に取り組んでいましたから、正直言って、疲弊しました。前頭葉がいつも微熱を帯びているような感覚がいつも拭い切れませんでした。ノイローゼというほどではありませんが、街の喧騒に苛立ちながら過ごしていましたから、今ここにきて、本当に癒されています。とはいえ、今週からこちらでもまた厳しい学業の日々が始まるわけなのですが。
▲学生のほとんどは街の足に自転車を使っています。
▲セント・マリー教会の展望台からの眺望。高い建物はほとんどありません。
▲中庭のリス
■ カレッジは「村」そのもの
オクスフォード大学のカレッジ制度については、第2回でも少し触れましたが、すべての学生は学部やコースと同時に、38個ある「カレッジ」(または6つのキリスト教系の「ホール」)という組織のどれかに所属します。これは二重に学校に所属するイメージで、コースの指導教官とカレッジの指導教官から、それぞれ指導を受けることになります。
オクスフォードとケンブリッジの、特に学部生の教育においてはこのカレッジが中心的な役割を果たしていて、全寮制の下で全人格的な教育が行われます。
ちなみに、ケンブリッジ大学では、カレッジ間の経済力や施設の善し悪しなどに格差が激しいと聞いていますが、オクスフォード大学は多少差はあるようですがそれほどではないように聞いています。とはいえ、なんとなくですが、過去数百年に首相を何人も輩出したような最も伝統ある類のカレッジはイギリス人でエリート高校を出ていないと入れなさそうですし、一方、設立年も新しく、建物もコンクリートで、少し郊外に立地するカレッジは、多国籍文化でオープンな雰囲気がある、といったカラーの違いはかなりあるように思います。
・橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第2回 : 君臨するか、受け止めるか、教え方のスタイル ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.195 ☆
僕もカレッジはどういうものか、一応事前にある程度聞いていて想像もしていましたが、実際、カレッジの寮に入って約1ヶ月が過ぎた今、あらためて体感しているのは、ここだけでひとつの「村」だと感じられることです。生活とコミュニティがこのカレッジの建物のなかだけほとんど完結してしまえるのです。全体で何人が住んでいるのかまだよくわかりませんが、数百人の老若男女が生活していると思います。学生のみならず、大学の教職員や様々な持ち場で働く大学の従業員が家族と一緒に暮らしています。
カレッジには多種多様な施設が揃っています。誰もがくつろげるコモンルームやランドリー、自販機などはロンドンの寮にもありましたが、こちらは教育機関ですから、講演などが行われる大ホールのほか大小のゼミ室があり、カレッジの幹部の教授らのオフィスも並んでいます。
コモンルームでは無料でコーヒーが飲めますし、置いてあるテレビはスカイTVに加入しているので欧州サッカーを見ることができます。ピアノが置いてある音楽室、大小さまざまな工具が備え付けられた工作室、非常に整備されたサッカーグラウンドやテニスコートのほかBBQ場、さらには春夏は非常に美しかろう花園があります。多目的室ではヨガの講習があったり、色々な宗教の儀式が行われています。かなり大きな図書室もあって事実上24時間勉強に使えるのがとても便利です。書架のラインナップは専門書というより伝記や歴史、アート、文学小説など人文学系が大半です。
大きな食堂は値段は高くも安くもないですが、毎日朝・昼・晩と食事ができますし、バーも併設されていて毎晩賑わっています。さらには全員が徒歩5分内の病院と歯医者に登録して医療サービスも受けることができます。特に保育園まであることには少し驚きました。
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視野は「何のために」広げるのか?――日本に求められる「E字型」人材とその育成について(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第12回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.406 ☆
2015-09-09 07:00220ptチャンネル会員の皆様へお知らせ
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視野は「何のために」広げるのか?――日本に求められる「E字型」人材とその育成について(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第12回)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.9.9 vol.406
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今朝のメルマガはイギリス留学中の橘宏樹さんによる現地レポート『現役官僚の滞英日記』最新回をお届けします。今回のテーマは「日英の教育観・人材観の違い」。日本とイギリスでまったく違う「大学教育とキャリアのつながり」に触れつつ、日本でしきりに叫ばれる「視野の広さが必要だ!」ということばの中身、そして今後本当に必要とされる人材と、その育成について考えていきます。
橘宏樹『現役官僚の滞英日記』前回までの連載はこちらのリンクから。
こんにちは。ロンドンの橘です。この9月1日にやっとのことで修士論文を提出し終わりまして、これで1年の全課程が終了したことになります。くたびれ果てて、深いため息をつくばかりで、「終わったー!」という幸福感がこみ上げてくるにはまだもう少し時間がかかりそう、という感じです。ぱーっと遊びに行こうにも、気温はぐんぐん下がって雨も冷たく、いつの間にか秋に突入しかかっています。もう半袖一枚では外に出られません。
1年目はロンドンの地の利を活かすためにも、政治・行政関係の勉強をしておりましたが、2年目は少し郊外にある、12世紀から続く古い大学の修士課程で、教育学・社会学の勉強をする予定です。教育を受けた効果はどのように社会や組織に還元されるのだろうか、されるべきなのだろうか、それをどのように測れば良いのかというあたりが中心的な問題意識です。
具体的には、たとえばイギリスでも昨今は投票率の低さが問題になっているのですが、小中高で投票義務や権利はどのように教えられているのか、それらが選挙に行かない人のやましさを増大させているかどうか、というようなことを日英で比較して研究してみようかなと、今のところは考えています。僕自身も国費によって教育を受けさせていただいているわけですが、官僚の国費留学の意義は、幕末〜明治維新期の「脱亜入欧」の時代からもだいぶ変わってきていると思います。
■ UCL-Japan Grand Challenge 2015
今夏は、まさにその脱亜入欧の時代、薩英戦争に敗北した直後、むしろイギリスから学んでやろうという薩摩藩士19人がUCL(ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン)に留学してから150周年の年でした。これを記念して、鹿児島県内の高校生のほか、日本全国から応募した高校生約50名が式典に参加するとともに、UCLやケンブリッジ大学で現地高校生や大学生と約1週間にわたる研修を行うというイベントがありました。僕も(UCLの学生ではないのですが)ボランティアとしてお世話をさせていただきました。
(参考リンク)
長州ファイブと薩摩スチューデント
UCL-Jpan Young Challenge 2015 公式サイト(日本語)
研修で高校生たちは、現地の高校生や大学生でワークショップをしたり、博物館や美術館で感じたことを英語で発表したり、現地で活躍する日本人の大先輩や若手留学生らの苦労話や成功の秘訣を聞いたり、実際に大学教授らから模擬授業を受講したりと、盛りだくさんの課程をこなしました。
最初は、おどおどしていた上に英語も聞き取れない又はうまく話せなかったり、英語力の高い同級生を目の当たりにしてショックを受けたりして、へこたれていた子もずいぶんいました。
しかし、「国際的な視野を広げてもらいたい」「自分が得てきたことや、海外で勉強することの素晴らしさを伝えたい」という企画側の大人たちの熱意を、みなが素直に受け止め、それに応えようと再び立ち上がるプロセスを見て取ることができました。現状の自分と真っ直ぐに向き合い、できることをできる限り頑張ろうとするなかで、いつの間にか凛々しく逞しくなっていくようでした。「子どもたちのこういう姿を見ることができるから、教師の方々は仕事をやめられないんだろうな」と思いました。
ちなみにこの企画は、学生の国籍の多様性が高い方が大学ランキング評価もアップするので、学費の取りっぱぐれの少ない日本人留学生を増やしたい、だからより若い子供にUCLをアピールしたい、というUCLの経営側の思惑にもかなっています。来年以降もこの研修は継続的に実施されていきます。
さて、今回は、留学2年目の出発点に立ち、海外研修で一気に成長した高校生達を眩しく見守ったこともあって、留学することの意義、視野を広げることの意義、そして、広げた視野をどうすれば日本を良い方向に導けるのか、いま本当に日本に求められる人材像などについて、考えてみたいと思います。
▲UCL-Young Challenge 2015 修了証書を持って記念写真。中央は企画責任者の大沼信一UCL教授
■ 学部と仕事
実際、つらつら1年間を思い返してみると、様々なネットワーキングや課外活動の場でも、やはり各国の教育制度の善し悪しはよく話題になっていました。特に、イギリス暮らしが長く、お子さんをこちらの学校に通わせている日本人の方々との交流の中では、日英で教育は、何がどう違うとか、うちの子はどうするつもりだ、という話もたくさん聞きました。大学で学んだことと職業との関係は、日本ではよく議論がありますよね。関係あるべきだとか、なくてもよいのだとか。社会で役に立つことを教えるべきだとか、純粋にアカデミックな方が良いのだとか。イギリスの教育論壇の動向をまだよく調べてはいませんが、僕が接したロンドンのイギリス人学部生やヨーロッパ系留学生の間では、大学の専門と就職は関係ないのが当たり前のようです。換言すると、大学の3年間(イギリスの大学は通常3年制)は、その3年間学びたいと思ったことを学ぶのであって、就職準備としては捉えられていないのです。「英文学の勉強をしたかったので、英文学科を出た。仕事は金融をやりたいので銀行に就職する」「美術の勉強をして商社に就職する」というのが全く普通なのです。ですから、大学での授業も演習も、教授は迷いなく純粋にアカデミックな内容を展開するようです。また、大学で何を学びたいか、ということについては、中学生の時から時間をとってしっかり考えさせられるそうです。みなさんは中学生の時、大学での専攻について考えていましたか?
ちなみに、就職活動も大学を卒業してから行うのが普通です。大学にはキャリアセンターなどは一応あって情報提供をしていますが、卒業生の就職支援にあまり熱心ではないようです。
そして、こちらの新卒の就職活動には厳しい現実があります。というのも、ヨーロッパの企業は普通、即戦力を欲していますから、新卒の若者は専門性の高い熟練労働者達と労働市場で競い合うことになります。「地頭」と「低賃金」しか競争力がない若者たちは、一流大学を出ていても、「どの分野で何をやっていきたい」などの贅沢はそうそう言ってもおられず、何がなんだかよくわからないような会社にとにかく雇われてみて、まずは3年間くらい働いてみることになります。
そして、その過程でいろいろ考えるなかで自分の専門分野を決めて修士課程に入り直し、卒業後はその分野で仕事をしていく、というのが、イギリスのホワイトカラーたちの最初のキャリアアップ方法のようです。日本のように新卒至上主義が強かったり、3年目での離職者の多さが「問題」になったり、エリートが有名大企業にまっすぐ就職して、勝ち組風の顔をしながら組織内でぬくぬくとしてみる、などというのとはだいぶ違うようです。
▲ケンブリッジ大学構内にある、長州藩からの最初の留学生「長州ファイブ」を記念する石庭。5つの石が藩士を表す。灯篭は知の灯火ということでケンブリッジ大学の象徴。
■ 視野が広いのは本当に良いことか
「海外に出ると視野が広がる」「視野が広がることは良いことだ」よく言われます。反論する人もなかなか少ないと思います。しかし、視野を広げて帰国した人はいつも得をしているでしょうか。視野の広さで組織に貢献できているでしょうか。まず、視野が広い人、すなわち、(海外事物の)情報量が多く、多様な考え方がこの世にあることを知っていて、それゆえに決めつけを憎む、知的に慎重な人々は、より視野が狭い人たちが出す結論に対して疑問や異論を抱いたりしがちだと思います。
そして、視野が広い人たちは構造上、常に少数派になりがちです。もちろん、視野の広さを買われて意見を求められることもありましょうが、その真意が広くみなに理解されるとは限りません。ゆえに、良かれと思って色々学んできたのに、知見の活かせる場所の少なさから、孤立感や苛立ちが募ってストレスが増したり、それどころか嫉妬や羨望の対象となり「鼻持ちならない」「上から目線だ」と、いじめられる原因になったりするパターンも多かったりするのではないでしょうか。
さらに言えば、組織の側も「視野が広いことは良いこと」と謳う裏で、「海外経験の豊富な人は海外折衝や国際会議のある部署に配置すればいいや」くらいにしか考えていないことも現実には多かったりしないでしょうか。
そしてこれは、海外畑の人々だけではなく、閉塞・硬直した業界や組織内で、異分野、異業種の事例や発想法を導入したい人たちもまた直面しがちな悩みではないかと思います。「イノベーションには多様性が大事」「柔軟な思考、挑戦や試行錯誤が大事」という論説がビジネス論壇で今日もたくさん主張されていて、みんな頭ではそうだそうだと頷きながら消費しています。
でも、いざ重要な会議で、自分の知らない分野の知見を取り入れようという提案が出た時に、「へー」のあとは、「うーん…」となり、特段コメントもできず、なんかピンと来ないと、結局スルーしてしまうというのも、組織の現実だったりしませんでしょうか。
(ちなみにイギリス流では前回言及したとおり、「うーん…」のあとは、「わからないから、とりあえずやってみよう」「結果から猛烈に学ぼう」が定石のようです。(「無戦略」を可能にする5つの「戦術」~イギリスの強さの正体~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第11回))
とはいえ、「視野の広い」人たちの方も、他人を視野狭窄だと批判しているだけでは不足だと思います。「イギリス『では』~だ」「アメリカ『では』~で」と紹介しているだけでは「日本では前提が違うから」と一蹴され、「出羽守(でわのかみ)」と揶揄されて終わってしまいます。
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「無戦略」を可能にする5つの「戦術」~イギリスの強さの正体~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第11回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.381 ☆
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「無戦略」を可能にする5つの「戦術」~イギリスの強さの正体~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第11回)
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2015.8.5 vol.381
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今朝のメルマガは、英国留学中の橘宏樹さんによる現地レポート『現役官僚の滞英日記』の第11回です。
日本と同様に「先進国病」に悩まされているイギリスは、なぜそれでも国としての活気を失わないのか――? 様々なかたちで日本と比較しながらイギリスの行政や文化についてお届けしてきたこの連載ですが、今回は1年のまとめとして、この国の強みとなっている5つの「戦術」について改めて解説します。
橘宏樹『現役官僚の滞英日記』前回までの連載はこちらのリンクから。
こんにちは。ロンドンの橘です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。こちらの大学は夏休みではあるのですが、9月1日締切の修士論文や様々な課外活動で忙しく過ごしております。まだ旅行など休暇らしいことはできていません。
さて、早いもので渡英してよりちょうど1年が経ちました。何を求めてここにやってきたか、連載の第一回を読み返すと我ながら少し感慨深いものがあります。
橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第1回:なぜイギリスなのか
当時、夏の涼しさと日の長さを喜びつつも、ネットや書物ではわからない経験や出会いのなかでイギリス人の「うまさ」を体感したいと意気込んでいました。どうしたらそれが得られるか。それらが得られるような運や縁を、自分ははたしてたぐっていけるのか。急いた気分がありました。
この1年、ロンドンを中心に、大学の教官、シンクタンクに集う有識者、世界各国からの留学生、現地で活躍する日本人、学外で会う外国人、多少の旅行での出会いを通じて、想像以上に様々な驚きと学びがありました。数え切れないほど多くの方々に機会や厚意を頂戴したおかげだと思います。心から感謝しています。
また、もちろん、このように毎月学びを整理して皆様にお伝えする機会を与えてくださっているPLANETS編集部の方々、そして私の愚考に目を向けてくださっている読者のみなさまにも、厚く御礼を申し上げたく存じます。
今回は、計2年の官費留学の折り返し地点に立って、感じたこと、特にこちらに来なければわからなかったこと、を振り返って総括してみたいと思います。
特に、イギリス流マネジメントの原理原則のようなものに関して、ある程度考えがまとまりましたので、これを述べてみたいと思います。
イギリス流の狡猾な物事の運び方、最終的には欲しいものを必ず手に入れる手腕などは、「課題先進国」として苦しんでばかりの日本人の目からは「戦略的」に映りがちです。「さぞかし頭が良いのだろうな」と思えます。ところが、近寄って見てみると、戦略どころか、雑な行き当たりばったりさが目に付き、驚きます。でも、もう少し近寄ったり遠ざかったりして見つめ直してみると、「待てよ。むしろ、これこそが強さの正体なのではないか」と思えて来るものがありました。
以下、部分的にはこれまでの連載で触れて来たことも含みますが、イギリス流の「うまさ」の本質を、5つの戦術に分析しつつ、これらが互いに連動する全体構造を描写してみたいと思います。大局観から組み立てた方針を「戦略」と呼び、より下位の局地戦における対応法を「戦術」と呼ぶならば、無戦略を可能にする戦術群こそが、老いてなお成長率2%前後をキープしている現代イギリスの強さの正体なのではないか、というのが、この1年間ロンドンで見聞してみた私の暫定的な結論です。
▲さて、次の一手は? ボローマーケットそば、サザーク教会の庭で。
1.「弱い紐帯」のハブ機能
まず、連載第1回、6回でも少し触れましたが、イギリスは旧英領植民地53カ国・22億人からなる「コモンウェルス」という緩やかなネットワークを構成する国家群の中心にいることは、分析の最も重要な出発点になると考えます。
各国はBBC、プレミアリーグ、音楽のヒットチャート、クリケット、雑貨屋の商品ラインナップといった生活文化をかなり共有しており、入管や国家資格などでは共通の制度を運用しています。オーストラリア、カナダといった先進国、インド、ガーナ、シンガポールといった地域大国も含んでいます。
しかし、うち約30カ国はジャマイカ、フィジーといった小国群です。イギリス自身は老国となりながらも、一対一の関係では、経済、文化、情報発信等において圧倒的な優位に立って影響力を行使できます。
もちろん独立国同士ですから、強制的に命令ができる関係にはありません。ですが例えば、イギリス政府が政府開発援助(ODA)が有効に活用されているかを評価する際には、援助した相手国が国連等でイギリスをサポートしているかどうかがチェック項目に挙げられています。「味方しないと、援助額を減らすぞ」と宣言しているのです。
また、コモンウェルス諸国の人々にはイギリス国政・地方選挙での選挙権・被選挙権、ビザやワーキング・ホリデーでの優遇措置を与えられているなど、特に移民しやすい環境があります。コモンウェルス省という役所もあります。ですから、優秀な若者たちもイギリスの大学やロンドンの企業に集まってきやすいわけです。
22億人のうち60%が30歳以下ですから、少子高齢化に悩むイギリスも活気を維持することができます。五大陸にまたがる多様性もロンドンが発信する文化に創造性を与えてくれます。
同時に、ロンドンの「メトロ」や「イブニング・スタンダード」といった、毎朝・夕に地下鉄で無料配布され大半の市民が読んでいる新聞でも、コモンウェルス諸国のニュースが多く取り上げられていることは、移民も故郷の様子を知れ、コモンウェルス・コミュニティの一体感を促進していると思います。(日本のニュースはほとんど見かけません。)
また、イギリス以外の諸国の方でも、イギリス・ロンドンをハブ(中継拠点)とすることで、22億人の巨大市場にアクセスできますし、一国で対応するには困難なアメリカや中国等と対抗する都合もありますから、世界中に張り巡らされたこのネットワークの一員であることには、随所で十分な利用価値があります。
超大国として一国で圧倒的な影響力を行使しつつも、嫌われることも多いアメリカや中国、各分野でどんどん統合を進める一方で多くの問題を抱えるEUと比べると、この「緩さ」には安定感すら感じられてきます。これはちょうど、社会学で言う「The strength of weak ties(弱い紐帯の強み)」(社会学者マーク・グラノヴェッターが提唱。家族や親友ほど親密ではない友人知人とのつながりのほうが、社会的に大きな効果を発揮するとした)という理論を連想させます。この理論ではネットワーク内で異なるグループを連結する「ブリッジ」の重要性が指摘されていますが、まさにイギリスとロンドンは53カ国の国家間ネットワークにおけるカネと情報のハブとしてのポジショニングをキープすることで、22億人に「こちらを向かせる」ことに成功し続けているわけです。
EU(ヨーロッパ連合)、ASEAN(東南アジア諸国連合)といった地域共同体については、日本でもよく報道され広く認識されていると思います。しかし、53カ国22億人の国民生活においては、イギリス・ロンドンが「事実上」の中心として機能していること、ネットワーク・インフラとしてのコモンウェルス構造が、これほどまでに巨大かつ一体感を有していること。また、その影響力の大きさは、私が日本にいた頃はなかなか見えにくかったように思います。
▲パブリックビューイングでウィンブルドンの決勝を楽しむ人々。
2.カンニング
イギリスは世界中から積極的に優良事例をパクります。特に、コモンウェルスの中核国であり、制度や思考様式もよく似たニュージーランドやオーストラリアの政府では、先進的な取り組みが多く、よく参考にされています。
彼らが新しい施策を始めて成果を出すと、イギリスが素早くこれを分析してパクるまでのスピード感には目を見張るものがあります。例えば、インフレ・ターゲティング(インフレ率=物価上昇率の目標値を政府・中央銀行が設定して、市場介入などを行う)という金融政策をニュージーランドが1990年に世界で初めて導入しましたが、イギリスは1992年に取り入れました。また第3回で触れた「ナッジ政策」の導入も理論発表が2008年ですが、2010年には内閣府に担当部署が設置されました。日本では、なかなか信じられないスピード感ですよね。
また、このカンニングのスピードを維持する上で、アカデミズムもかなり重要な役割を果たしていると思います。私がかつて日本で大学院生をやっていた頃は、「比較~学」と名のつく一連の研究分野は、純粋にアカデミックな意味で、比べてみると理解が深まるから共通点や相違点をあれこれ議論しているのだ、と理解していました。
しかし、この1年ロンドンの大学で「比較~学」の授業をいくつか受講して課題論文を読んでいると、行政・経済分野では特に、イギリスがパクれそうなネタ、パクった後の評価分析が頻繁に取り上げられている印象を強く受けました。
加えて、あくまで私の勉強した経済学・政策学・行政学の範囲ではありますが、ニュージーランドとオーストラリアの他は、オランダやデンマークが比較対象として取り上げられがちな感があったのです。
これはおそらくイギリス(イングランド)の国家規模との近さと無関係ではないと思われます。イギリス内(特にロンドン)のアカデミズムは(オクスフォード・ケンブリッジに比べて)「実用性の高い研究」を行っている、というのは具体的にはこのようなカンニングの片棒を担いでいるということがあると思います。当然、政府や名門大学のポストや助成金とも連動しているのだろうと推察します。(ちなみに、オクスフォード・ケンブリッジは、莫大な不動産収入があるため、採算の立ちにくい哲学や基礎研究を積極的に行えます。)
もちろん、日本でも、政府主導による行政制度の比較研究は、非常にたくさん行われています。スウェーデンの社会保障やイギリスの公的機関の民営化を含む「ニュー・パブリック・マネジメント」に関する研究が、日本国内でも長らくたくさん発表されてきたことは、消費税増税や行政改革への準備と無関係ではありません。しかし「日本とは文化的背景や制度が大きく異なるので、是々非々」「継続的な検討が必要」というオチで締めくくられるものが大半です。研究成果が政府施策に2年以内に反映されるというスピード感は少し考えにくいものがあります。(導入が早ければ早いほど良いかは、分野によって異なるとは思いますが)
この点、ニュージーランドもオーストラリアも英領時代に移植したイギリスの諸制度を基盤としています。独立後は、人口の少なさや開拓者の気風があるからか、先進的な取り組みがどんどん独自に行われています。このように、似た国が外部で独自に運営され自己責任で試行錯誤をしてくれ、未来を教えてくれているということ自体が、イギリスの財産になっています。自分はチャレンジせずとも選択肢が出揃ってくるのです。不労所得のようなものです。まさに旧植民地のレガシー(遺産)と言えるでしょう。
なお、このレガシーの力がいかに大きいとは言え、政府方針の都合に合う研究を助成するというよりも、共通点が多い先進国から徹底的にパクっていくことに資する研究が活発であることには、大局的な合理性を感じます。
▲水素燃料で走る路線バス。CO2を出しません。導入されていたと聞いていましたが、ついに見ることができました!
3.乗っかり上手
イギリス人は、パクるのに加えて、乗っかること、人にやらせるのも上手だと思います。もちろん個人の行動様式を、人種や国籍によって一概に分類するのは危険ですが、それでも大学のグループワークや遊びの中で観察される範囲では、少なくともイギリス人とドイツ人の間には、鮮やかな傾向の違いが見え、その関係性には着目するべき点があると思います。
まず、イギリス人(特に白人系)は自分から作業を申し出ることはほとんどしません。私の接したイギリス人たちは、分担を押し付け合う話し合いの際には、だいたい黙ってニコニコしており、最も緩くてテキトーなスタンスから、調子のいい相槌を打っています。方向性に関わるような提案はあまりしません。
金融や言語、評価基準など、スタンダードを押さえることに長けたアングロサクソンのイメージからすれば、率先して自分に最も都合の良い提案をして先手先手を打っていきそうなものですが、この点、意外に思いました。と同時に、顔つきからはアイディアが本当にないとは思えないところが不気味です。
そして、議論が進まず、埓があかないなあ、という空気が(南米系にすら!)漂い始め、提案や負担の申し出が始まると、イギリス人は、「いいね!じゃあそうしよう!」と自分に負担がないものであれば、即座に乗っかってきます。
そして、「やっぱり、提案者の彼(女)がそれをやるのが最適だと思う!」と、のたまうのです。言いだしっぺも、疲れていますし、早くここを立ち去って友達と遊びたいし、イメージも湧いている作業なので、引き受けます。
おおお。ズルい!ズルいのです。しかし、この作戦を実践できるのは、なかなか話が進まない時間が与えるストレスに強いからだと言えると思います。何が本当に面倒くさくて、何は実は面倒くさくないか。この場の議論が長引いても、負担を持ち帰らないで済む方が楽だという判断から動かないのです。合理的だと思いますし、それを可能にする忍耐力が素晴らしいです。
これに対してドイツ人は、ご想像の通り、定義をはっきりさせたり規則をきっちり守らせようとしたがります。そして、なにより、話がなかなか進まないことへのストレスには著しく弱いようです。個人差はあれ、一座で最も早くイライラし始めます。
彼等の苛立ちは日本人には多少理解できても、世界基準に照らすと、やや浮いて見えます。「あいつ、どうしたんだ?」と。そして、有能さを示したいのか、早くビールが飲みたいのか、たくさん提案します。
そして自分の提案の妥当さがすぐにわからない人(リアクションが遅い南米系や、とりあえずわかった振りをしがちのアジア系など)をやや小馬鹿にします。なので、即座に乗っかってくるイギリス人を、やはりお前は解ってるね、と歓迎します。そしてワンテンポ遅れがちな南米系を一瞥しつつ、日本人の方を、意外と心細げに見つめます。
ドイツ人が日本人にとって規律の意味を共有できる数少ない味方であるように、ドイツ人にとってもやはり、日本人は彼らの希少な理解者なのです。シゴトの水準や納期を守る点などで、世界でほぼ唯一、ドイツ基準でも信用できる人種だからでしょう。
というわけで、時間が経過するだけで、ドイツ人はイギリス人に追い込まれていくわけなのです。イライラ耐性の弱さからドイツ人の負担は大きくなり、日本人は唯一の味方であるドイツ人への共感からそれをサポートします。そして、総じてイギリス人の思うツボになっていく、という構造にあるのではないか、という洞察に至りました。
これは、私はなるべくネイティブと会話したいと思っていたので、グループワークの際に彼らの発話に注意を向けていたところ、特にイギリス人の発言は概して少ないなことに気がつき、なぜ少ないのかを考え始めたあたりから、そう思うようになりました。(ちなみにアメリカ人はだいたい大声で余計なジョークばかり言っています。笑わないとああ英語がわからないのか?とでも言いたげな顔をします。今、笑ってる場合じゃないからみんな無視しているのに。そして、やりたくない仕事を振られそうになると、自分ができない理由をたくさん述べるのですが、笑いも取ろうとするあまり、墓穴を掘って突っ込まれます。結局、さもそこを落としどころにしていたかのように取り繕いながら、引き受けていく可愛さがあります。この可愛さはイギリス人にはあまり見られません。)
さらに面白いのは、こうしたフリーライディングなイギリス人のパクス・ブリタニカを突き崩すのは、南米系だったりすることです。
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その異業種交流会はなぜイケてないのか~オリンピックからイノベーションまで地下鉄4駅!?~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第10回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.355 ☆
2015-06-30 07:00220pt※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
その異業種交流会はなぜイケてないのか~オリンピックからイノベーションまで地下鉄4駅!?~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第10回)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.6.30 vol.355
http://wakusei2nd.com
本日は橘宏樹さんの連載『現役官僚の滞英日記』最新回をお届けします。今回は、「英国のシリコンバレー」として再開発が進むロンドン五輪の会場跡地周辺を実際に巡りながら、「イノベーションが生まれる空間の条件」について考えました。
橘宏樹『現役官僚の滞英日記』前回までの連載はこちらのリンクから。
こんにちは。ロンドンの橘です。学期末試験をなんとか乗り切りました。次には8月末締切の修士論文が待ち構えているものの、さすがにちょっと一息つかせていただいております。日本も毎日だいぶ暑いと聞いていますが、こちらもすっかり夏日和です。夕方5時ともなればバーの周りやカフェテラスに、夕涼みと会話を楽しむたくさんの笑顔が並び、太陽は夜の9時を回っても沈みません。休日にはサングラスをかけたTシャツ短パンの家族連れがぶらぶらと日光浴を楽しんでいます。ヨーロッパ人の誰もが待ちわびた最高の季節がやってきました。試験が終わった私にとっては、日差しの眩しさもひとしおです。
▲陽光を存分に浴びて、芝生でくつろぐ人々。
ロンドンの休日風景でつくづく印象的なのは、公園の芝生で極めて多くの人が、座っておしゃべりしたり、寝そべって日光浴をしていることです(店内で食べると場所代を上乗せされてしまうこともあるのですが)。特に広い公園では公共のデッキチェアがそこかしこに置かれていたりしています。不定期に巡回する係員がデッキチェアの利用者から料金を徴収しています。平日でも、ランチなど、私のクラスメイトたちもそうですが、友達同士がそれぞればらばらに好きな店からテイク・アウェイで持ち寄ってきて、芝生集合という感じです。そして食べたあとは、寝そべります。とにかく、ロンドンの公園では、「何かをしている」人々よりも、「何もせず」ひたすら寝そべっている人が圧倒的に多いのです。特に白人系に顕著です。ブラジル人の友達も「そうだ。ロンドンの連中はみんな芝生で寝てる。俺もそう思う。」「自分の国は暑いからむしろ公園では日向ぼっこというより日陰を探す。太陽を浴びたければビーチだ!」と言っていました。そこで私も、さすがに試験が終わったこの解放感に存分に浸ってみるべく、陽当りの良い芝生を見つけて、とことこん寝そべりに行ってみようと思い立ちました。ロンドンオリンピックのメインスタジアムがあるオリンピック・パークはキレイだぞ、と前から人に勧められていたので、出かけてみました。
▲改装工事中のメインスタジアムの左は、パークの象徴である「オービット(衛星)」ロンドン最大級の彫刻作品で展望台に登れます。
オリンピック・パークと言えば、『PLANETS vol.9』でも都市の再開発とオリンピック「後」の施設活用計画を連動させて考える「オリンピック・レガシー」がテーマになっていましたね。2012年開催のロンドンオリンピックのメインスタジアムがある一帯は、「クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク」の名前で2014年に再オープンしました。来てみると、確かに、運河や遊歩道や花壇が綺麗に整備されています。大会で使用されたプール・体育館も一般市民が使っています。園内では無料wifiも使えます。メインスタジアムは、2倍の大きさにするための拡張工事中で、2016年完工予定です。完成したら、プレミアリーグのウェストハムという地元のチームのホームスタジアムになることが内定しています。
▲ロンドンオリンピックでも使用されたプール・体育館。今では市民に開放されています。
▲工事中のメインスタジアムの擁壁に掲示されたポスター。具体的な数字を並べて公共事業の効果をPR。いかにもイギリスらしい。
そして、最寄のストラトフォード(Stratford)駅には非常に巨大なショッピングモールが併設されていました。H&Mやユニクロ、TOPSHOP、激安が売りのPRIMARKといった、ハイブランドというよりは市民にとって身近な人気ブランドが軒を連ねており、平日昼間に行ったのですが、フードコートもたいへん賑わっていました。全体的に、ターミナル駅、体育施設と公園、ショッピングモールが上手に連動していて、人々は、設計された通りに溜まったり流れたりしている印象でした。私は、自分の地元の、錦糸町駅・墨田区総合体育館と錦糸公園・オリナスの構造に似ているなと思いました。こちらも近年の再開発の賜物なのですが、ストラトフォードの5分の1程度の規模ですけれど。
▲オリンピックパークに隣接するストラトフォードの駅ビル。巨大ショッピングモールの入口です。
しかし、それでも、この比喩がなんとなくしっくりくるように思えるのは、もともとこのロンドンの東側の地域もまた、「下町」であるからだろうと思います。ストラトフォードは、前号で取り上げた、元アラブ人街・準スラム街から前衛アートやファッションの一大発信地に生まれ変わったショーディッチから、地下鉄で東にたった2駅の場所にあります。投資も集まらず、貧しい人々や移民が暮らし、治安も良くなかったこの地域を抜本的に刷新する上で、オリンピック・スタジアムの建設は、非常に直接的で効果的なきっかけになりました。当時イギリス経済を苦しめていたリーマンショックから立ち直るためにも、大々的な公共事業が行われたというわけです。整地・開発が及ばなかった周辺地域には、落書きなど荒廃していた時代の名残が見られます。
▲オリンピックパークを東側から展望。開発されておらず落書きや塗炭屋根の建物が残っています。
▲オリンピックパークをぐるりと囲む運河。遊歩道をたどってメインスタジアムの方向に向かって歩いています。
■ キャメロン首相「イギリスのシリコンバレー」宣言の「勝算」を読み解く
そして、ポスト・オリンピックの都市計画に関して極めて興味深いのは、2010年11月のキャメロン首相の発言です。彼は「ショーディッチの創造性やエネルギーとオリンピックパーク周辺のとてつもない可能性を掛け合わせることで、東ロンドンをシリコンバレーに匹敵するハイテクとイノベーションの中心地にしたい」と述べています。
(参照:Olympic Park to rival Silicon Valley in David Cameron's vision for east London | Sport | The Guardian )
実際、プレスセンター跡地は“Here East”と改称され(http://hereeast.com)、スポーツ専門テレビ局や、デジタル関連のメディアスタジオが入居し、英国内大学ランキング11位のラフバラ大学が研究センターを置いたりと、テクノロジー関連の産業集積が既に始まっています。当時の選手村もそのまま住宅地にリニューアルされています。貧民街をオリンピックを挟んで「英国のシリコンバレー」に生まれ変わらせてしまおうという、相当野心的な巨大都市開発プロジェクトが行政のリーダーシップで進んでいるのです。
▲オリンピックパーク北側の工事現場。9万平方メートルの広大な敷地内で、建設中の地区はまだまだ多い。
Here Eastは、「理想的な空間イノベーションを生み出し続けるコミュニティを築く理想的な空間であり中心地」であることを標榜しています。しかし、そこで私が少し気になったのは、一切を真新しくあつらえられたような場所で、「イノベーションを生みだし続けるコミュニティ」は機能するのかなあ、ということです。機能する可能性を考えるなかで、この間聞いた話を思い出しました。
■ イギリスの勝ちパターンを裏支えしてきた「クラブ」
先日、日本における産官学連携の理想的な空間づくりを考える調査団が、ロンドンにやって来ました。知り合いも参加しており、イギリスにおける産官学連携やイノベーションの実態に関してインタビュー調査を行いたいとのことでしたので、有識者を数件コーディネートさせていただきました。隣席して聞いていると、有識者たちが口を揃えて言うには、ロンドンでは、会員同士の社交を目的とした「クラブ」を単位とする伝統的な社会人サークル(こちらではソサエティ(society)と呼びます)が大きな役割を果たしてきたと思う、とのことでした。
例えば、大学の同窓生や教職員限定のクラブ、医者だけが入れるクラブ、ポーランド関係者だけが入れるクラブ、などの社交クラブが英国社会にはたくさんあるそうです。もちろん会費を払わなくてはいけません。格式の高いクラブへの加入は会費も高く、紹介制であることはもちろん、厳正な身上審査を通る必要があったりします。そして伝統があり裕福なクラブは、巨大で豪華なクラブハウスを持ち、宿泊施設やプール、ジム、食堂、カジノ、講堂などまで完備しているそうです。もはや高級ホテルです。まさにプロサッカーチームやゴルフ場が所有している、あのクラブハウスという感じですね。クラブのイメージとしては、「80日間世界一周」という古い映画をご存知の方も多いと思います。劇中、80日間で本当に世界が一周できるかどうか紳士たちが賭けをしたり、帰国した主人公が駆け込んできて勝利を宣言するシーンがあります。あれは「リフォーム・クラブ」という社交クラブのクラブハウスの中という設定です。(尚、同名のクラブは実在します。ホームページの写真から英国の上流クラブの雰囲気がお分かりいただけると思います。)
私自身も、イギリスの自由民主党のクラブ会員の方に、グラッドストン(19世紀、保守党のディズレーリと交代で首相を務め、自由党(今の自由民主党)を率い二大政党政治を展開。大英帝国の黄金期を支えた)がつくったという、クラブハウスに連れていっていただいたことがあります。ロンドンの本当にど真ん中、テムズ川の最も美しい河岸の一角にあり、宮殿のように豪華な建物でした。
「喫煙室」という名前の懇談用の居間では、グラッドストンの威厳に満ちた巨大な肖像画が、そこで語らう会員たちを見守っていました。文字通りクラシックに黒檀などの木目調で揃えられた家具たちは、華美な装飾は抑えられていながらも、手入れも行き届いてつやつやとしていて、一点一点から質の良さがひしひしと伝わってきました。これがイギリス紳士好みということなのでしょう。内装の素晴らしさは、貴族の邸宅を利用した美術館にもいくつか訪れましたが、この10ヶ月見てきたインテリアのなかでは、一番凄みを感じました。館内の写真を撮ってはいけないとのことで、こちらに掲載できないことが非常に残念です。
会社の喫煙室でもいろいろとひそひそ話してるよなー、でも同じ喫煙室でも段違いだな、などと思いながら奥に入っていきました。ふと壁を見ると、グラッドストン第一次内閣のメンバーが勢ぞろいして、ソファーや椅子に腰掛けて何やら話している様子の絵がかかっていたのですが、その絵の中の調度品やソファーは、現在の喫煙室の様子と配置も含めて、まったく同じでした。これにはとてもびっくりしました。会員の方が得意気に(その分こともなげに)おっしゃるには、200年前には、この場所には、絵のとおりグラッドストンが本当に座っていたということだそうです。
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配信記事一覧は下記リンクから更新されていきます。
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芸術は誰のためのものか――「設計」される市民と芸術の距離(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第9回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.335 ☆
2015-06-02 07:00220pt※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
芸術は誰のためのものか――「設計」される市民と芸術の距離(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第9回)
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2015.6.2 vol.335
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本日は、在英官僚・橘宏樹さんの連載第9回をお届けします。今回のテーマは「文化・芸術のまちロンドン」。
大英博物館やナショナル・ギャラリーなど、世界に名だたる博物館・美術館が無料で観覧できることの意味とは? さらには大道芸やストリート・アート、パブリック・ピアノなど、ロンドンならではのボトムアップ型文化について考えていきます。
橘宏樹『現役官僚の滞英日記』前回までの連載はこちらのリンクから。
こんにちは。ロンドンの橘です。まず冒頭に、御礼を申し上げさせてください。先日、私が活動に参加しているNPO法人ZESDA http://zesda.jp/(「プロデューサーシップ」を普及したり、文化ギャップに着眼した海外ビジネスを支援したりする団体)は、宇野常寛PLANETS編集長を講演者にお招きし、ワークショップを開催させていただきました。
開催報告「第17回プロデュース・カレッジ〜2020年の東京をプロデュースする〜」
講演ではみなさまご存知の「東京5分割案」をご紹介いただきました。『PLANETS vol.9』もぼちぼち売れたようで、宇野編集長のことを全く知らなかったような新しい読者層へもアプローチするきっかけになったのではないかと思います。宇野編集長におかれましては、お忙しいなか本当にありがとうございました。
さて、ロンドンの私の方は、とにもかくにも、6月上旬の試験に備えた勉強でいっぱいいっぱいの毎日を過ごしています。とは言え、息抜きと称しては、LINEの無料漫画を読んだり、友達と寮の共有スペースにある“FIFA”(プレイステーションのサッカーゲーム。世界中でも大人気のようで、みな実家でハマリすぎていたため、危険だ!危険だ!と言います)に興じてしまったりと、本来望まれるほどには勉強に集中できない日々を送っています。よくあるパターンです。聞くところでは、寮のとある完璧主義者(!?)のルーマニア人学生が、就職や進学に必要なわけでもないのに、すべて最高得点を取らないといけないと思い込み、しかしそれがこの短期間の準備では取れないということで、来年受けなおすと言って全てを放り出し母国に帰ってしまったとの話を耳に挟みました。そんな話を聞いて、妙に不安になったり、逆に気が楽になったりする日々です。
前回、前々回は、時節柄政治・行政のトピックが続いてしまっていたのですが、今回は、文化芸術の街としてのロンドンを取り上げてみたいと思います。折しも、直近のメルマガで石岡先生からも、カルチャーとアナーキーを対比されつつUKポップカルチャーへの言及がありまして、私も大変興味深く拝読いたしました。
▼参考記事
カルチャーと「教養主義」の結びつきを考える(石岡良治の視覚文化「超」講義外伝 第4回)
ファッションや音楽といった「クール・ブリタニア」にご注目の読者の方々も多いと思います。というわけで、私からも、ロンドンの文化芸術、特に一般市民と芸術の接点を豊かにしている無料の美術館群、大道芸、ストリート・アートに着目したいと思います。また、日記という勝手な私見をつらつら書いて良いという形式を利用して、芸術は誰のためのものかということについても、少し思うところを書いてみたいと思います。
私の滞在は早いもので10ヶ月に及んで参りましたが、なかなか勉強などが忙しく、ロンドンの有名な文化・芸術的スポットへは、実は、思っていたほどには行けていません。短期間の観光でいらっしゃる人の方が、もっと訪れておられるかもしれません。それでも、美術館では、トラファルガー広場に隣接するナショナル・ギャラリー、デザイン・ミュージアム、現代アートで有名なテート・モダン、貴族が邸宅と所蔵品を寄贈して運営されている小さな美術館のいくつか行きました。映画、写真、グラフィック、広告等の業界に多彩な人材を輩出しているロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションの文化祭や、サマセット・ハウスという有名な催事場で開催された「ロンドン・ファッション・ウィーク」のイベントにも行ってみました。
博物館系統ですと、国立自然史博物館、大英博物館、ビクトリア女王夫婦の名を冠したビクトリア・アルバート博物館、科学博物館には行きました。それから、ミュージカルは、ロンドンのウェストエンドはブロードウェイと並ぶ聖地なのですが、私は「ウィキッド」(「オズの魔法使い」のスピンオフ作品)を観てきました。役者の迫力満点でした。「オペラ座の怪人」はブロードウェイでは見たことがあるのですが、いずれはこちらのものにも行って、見比べてみたいと思っています。シェークスピアの地球座は夏の間だけ公演があるというので、再来月あたり、行ってみたいと思っています。音楽方面では、ロイヤル・アルバート・ホールという、格式ある場所などのクラシックコンサートや有名なバレーにはまだ行けていないのですが、通っている大学でも毎月1回以上、プロの演奏家がやってきて昼休みにクラシックのミニコンサートを開いてくれ、無料で鑑賞できます。素晴らしいです。また、路上や地下鉄の構内、トラファルガー・スクエアなどの公共空間などのいたるところで、大道芸人が腕を振るっています。バイオリン、四重奏、ドラム、オペラ歌手、サックス等、中にはミラーボールを吊り下げて回すDJまでいまして、大変バラエティに富んでいます。
▲トラファルガー広場で和太鼓を披露する日本人らしき大道芸人。喝采を浴びており僕も嬉しい。
▲トラファルガー広場名物の大道芸人のひとり、「DJグランパ」。夜になると頭上のミラーボールが威力を発揮します。
■ 無料で見られる「本物」たち
よく知られていることかも知れませんが、大英博物館、ナショナル・ギャラリー、テート・モダン、ビクトリア・アルバート・ミュージアムなど、市内に300以上あると言われる美術館や博物館の多くは無料です。
しかも、どんな人でもほぼ毎日、朝から晩まで簡単に入れる状況であるにもかかわらず、モネ等の有名作品であっても、ロープ程度しかなく、間近で見られます。見張りの学芸員もちらほらとしかいません。観光客を含めた誰もが、市民全体の共有物として当たり前のように大事に扱っていることは、よく考えると少し驚くべきことであるように思えます。ちょうど日本で自動販売機を壊してお金を盗む人がいないことが、日本人には当たり前で、外国人には驚きであるように。
▲ナショナル・ギャラリー内。クロード・モネによる睡蓮の連作のひとつ。
▲ナショナル・ギャラリー内。模写する画学生をたくさん見かけます。
無料であるということは、大人も子供を連れて行きやすいということであり、お金のない中学生や高校生もデートで来れるということです。芸術家を志す若者達も歴史が認めた「本物」から学ぶため、毎日勉強に来れるということでもあり、そのために世界中からロンドンに芸術家の卵が集まることにも繋がります。
実際、写真撮影も自由です。館内でスケッチをしている人もたくさん見かけます。こうして、当然のように「本物」が極めて身近にあることは、まず、審美眼を養うと思います。そして、仮にそれらが西洋文化中心主義的な展示内容であろうとも、審美眼のベースが階級や人種を超えて開かれた形で共有されることで、「いろいろな芸術に無料で触れられるロンドンは良いよね」と誰もが思うことになりましょう。これは歴然とした階級差があり、多様な人種の移民が増えるロンドンに、緩やかな市民社会の統合を支えるアイデンティティを育むことにも繋がるように思います。
▲ウォレス・コレクション。貴族の豪奢な元邸宅に彼らが蒐集した作品を展示。巨匠の作も多く含むこちらも入場無料。
▲大英博物館。「現物」がここに……。
■ 大道芸人が奏でる街のBGM
無料で楽しめるという点では、大道芸にも大きな社会的意味があると思います。東京でも新宿駅前など、パフォーマンスをしている人々はよく見かけますよね。インディーズのミュージシャンがCDを並べながらやっていたりします。なんとなく『ゆず』に続きたい、というようなタイプの若者が多かった印象です。
また渋谷のハチ公前ではいつもどこからか太鼓の音がしていたように記憶しています。しかし、ロンドンの演奏系の大道芸は、はっきり言って、そうした東京のパフォーマーたちよりも、圧倒的に腕前の水準が高いと思います。個人的に、足を止めたり、一度通り過ぎても振り返ったりしてしまうほどです。東京ではそういうことはあまりありませんでした。(ジャンルの好みもあるかもしれませんけれど。)
彼らは帽子やギターケースなどを置いて、投げ銭を集めています。曲の切れ目に、けっこうみな投げ込んでいます。これが寄付文化が定着している、というやつでしょうか。私はこのコインを入れる人々の気持ちのなかに、「スゴいパフォーマンスだと思うので対価を払います」といった気持ちに加えて、なんとなく、「私たちのために、わざわざその素晴らしい技芸を提供してくれてありがとう」という御礼と労いの気持ちまでも含まれているような印象を受けています。(斯く言う私も、後述しますが路上でピアノを弾くと”thank you”と言われます。日本で「ありがとう」と言われたことはないので驚きました。)少なくとも、頑張っている若いミュージシャンを応援してあげたい、という感じよりも、技芸に対する純粋なリスペクトの方を強く感じます。
▲コベント・ガーデンのカルテット。軽くダンスしながら楽しげに演奏中。
▲地下鉄のなかでも営業!? さすがに一駅ですぐ降りていきました。
それから、彼らの演奏は、なんというか、うるさくないのです。音量や音質、選曲はもちろん、全体として、公衆の面前で演奏をしているわけではありつつも、「どうだ!」という個性アピールや目立ちたいという自己顕示は感じられず、すっと心に入ってくるような、その場に溶け込んでいるような耳心地が良いものが多いです。その空間のBGMが生音であるというだけ、あたかも、この場所にBGMがあったらいいなと思ったから自分が提供しているというだけ――だからみんなも「ありがとう」という具合なのです。
これはきっと、「大道芸は、パフォーマー、その場所で仕事したり生活したりする人々、往来する人々の誰にとっても心地よくあるべきだ」という精神が広く共有されているからではないかと感じられてきます。
実際、大道芸人のパフォーマンス可能な場所や時間については、市役所とストリート・パフォーマー団体との間の合意に基づいたガイドラインが定められています。この3月にも、レパートリーが少ないミュージシャンは演奏が終わり次第、速やかに移動するべしとするなどの新ガイドラインが発表されています。警察が規制するか、しないか、の二元論ではなく、管理方法を一緒にみんなで考えるスタイルなわけです。
(ガイドラインはこちらで見ることができます。“make London your stage”「ロンドンを貴方のステージに」が標語の大道芸(busk)の総合ホームページです。)
ちなみに、一般的にも、イギリスはじめヨーロッパでは、政府ではなく公益法人のような団体にルール作りや管理を委託したり、逆にEUレベルで一律に決められたりと、政府ではない主体が規制行政を担うことが増えています。官僚として大変学ぶところが多いです。
■ 落書きか?芸術か?ショーディッチのストリート・アート
ストリート・パフォーマンスがメインの大道芸ですが、ストリート・アートにも、市民と芸術の関係で特筆するべき点があると思います。ストリート・アートはロンドンのあちこちで見られますが、特に、ショーディッチ(Shorditch)という街が有名です。
ここは元々はアラブ人街で、比較的荒廃していた時期もあった地域だったのですが、10年くらい前からストリート・アーティスト達によって壁にスプレーなどに「落書アート」や彫刻が至るところに施され始め、それらのクオリティが人気を集め、今では一大観光地ともなる大変個性的な地域となりました。人気作家も輩出しています。最も有名なストリート・アーティストのひとりであるBanksyは石岡先生の論考にも言及がありましたね。
▲ショーディッチのストリートアート。間近で見ると精緻さに驚きます。
この街の「キャンバス」にデビューして評判になることがアーティストの登竜門になっているとも聞きます。どの壁が誰の「キャンバス」であるという認識がなんとなく共有されており、作品の「更新」がなされるとInstagramなどに共有され、ファンたちはそれをフォローし拡散するなどしています。街全体がキャンバスでもありアーティストのカタログにもなっているわけです。
▲LONDON STREET ART: SHOREDITCH, EAST LONDON ショーディッチのストリートアート(YouTube)。英語ですがいろいろな作品をご覧いただけると思います。
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