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  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」7月13日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.369 ☆

    2015-07-20 07:00  
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    月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」7月13日放送書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.20 vol.369
    http://wakusei2nd.com


    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。ほぼ惑月曜日は、前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!

    ▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!
     
    ■オープニングトーク
     
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、宇野常寛です。今日はみなさんに報告があります。僕のオタク仲間に、Mくんというやつがいるんですけれども、彼がこのたび結婚することになりました。このMくんという人は、早稲田大学の学生で、僕の読者です。僕の家の近所に住んでいて、ときどきうちのニコ生に出てくれたり、一緒にカブトムシを捕りにいったりするくらい親しい仲なんですよね。彼は乃木坂46の生駒里奈ちゃんの大ファンだったんですけれども、そんなMくんに、4ヶ月くらい前に彼女ができたんですよ。前にこの番組でも話したと思うんですけれども、彼は大学生の男4人でシェアハウスに住んでいるんですよね。で、ある日そのうちのひとりが、専門学校に通う女友達をそのシェアハウスにつれてきたんです。そこでMくんと彼女は出会って、お互いに本当に運命的な一目惚れをしたらしいんです。で、その次の日くらいにそのシェアハウスの男どもが、銭湯とかから戻ってきたら、ふたりがイソイソと服を着ている感じだったらしいんです。これ、すでに合体済みということなんですよね。出会って、即合体の世界ですよ。もうね、昭和生まれのおじさんにはちょっとわからない感覚ですよね。
     
     僕が子どもの頃に、『超獣機神ダンクーガ』というロボットアニメがあったんですよ。4体の動物メカが合体して、巨大ロボットのダンクーガというものになるんですけれど、これが結構もったいぶったアニメで、第16話まで、つまり放送がスタートしてから4ヶ月間も合体しなかったんですよ。これが昭和末期のリアリティです。しかし平成は違いますね。 Mくんは出会って数時間で合体です。ダンクーガの主人公の藤原忍って、けっこうハイテンションキャラで、口癖が「やってやるぜ!」なんですよ。これ、かなりやる気の男ですよね。でもそんな藤原忍ですら、合体まで4ヶ月かかっているんですよ。それに比べて、Mくんは即合体ですからね。

     
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  • 野球にとっての〈1995年〉とは? 野茂、イチローと阪神淡路大震災(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.1) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.368 ☆

    2015-07-17 07:00  
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    野球にとっての〈1995年〉とは?野茂、イチローと阪神淡路大震災(「文化系のための野球入門――ギークカルチャーとしての平成野球史」vol.1)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.17 vol.368
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガでは、今年の春に公開され好評だった野球企画の続編が登場します!
    マスメディアと巨人戦を中心に盛り上がってきた戦後日本の「野球」。それが2000年前後を境に大きく変貌を遂げ、メインカルチャーからサブカルチャーへ、巨人一極集中から多極型の地域コンテンツへ、マスメディアからネットへとその重心を移してきました。
    この連載では、その変化が始まった90年代半ばを起点に、現代までに至る「文化史としての野球」を考えていきます。
    ▼この座談会の参加者
    かしゅ〜む:92年生まれ。PLANETSチャンネル「朝までオタ討論!」でおなじみ。アイドルだけでなく野球にも一家言持つ生まれながらの論客。高校まで軟式野球をやっていた。巨人ファンだが、最近は推し(PIPの空井美友さん)の影響でロッテにも心が動いている。
    石丸:84年生まれ。『弱くても勝てます』で有名な某日本一の進学校・K高校の元4番・主将。現在は東京で会社員。横浜ファン。
    中野:86年生まれ。PLANETS編集部。野球歴は10年ぐらい。最近好きな選手は小林誠司(巨人)、西川遥輝(日本ハム)、森友哉(西武)、関根大気(横浜DeNA)。
    ◎構成協力:かしゅ〜む
    ■ 今こそ物語としての「野球の歴史」を語るべき!
    中野 前回記事(いま文化系にとって野球の楽しみ方とは?――「プロ野球ai」からなんJ、『ダイヤのA』、スタジアムでの野球観戦、そしてビヨンドマックスまで)が好評だったため続編をやることになったのですが、まず、そもそもなぜPLANETSが野球に関する記事を始めたのかという説明が何もなかったので、改めて説明したいと思います。
     最初は宇野編集長から編集部スタッフである僕(中野)に「その無駄な野球知識を活用して記事をつくれ!」という指令が下ったのがきっかけでした。
     なのですが、文化史的な意義を踏まえてやっている部分もあります。たとえば現在、ネット上で「ンゴwww」「ぐう◯◯」「(震え声)」「あっ…(察し)」「ファッ!?」などの「なんJ語」がネットスラングの代表格になっていますよね。
     なんJとは言うまでもなく、ニュー速VIPなどに並ぶ2ちゃんねるの人気板(なんでも実況ジュピター)のことで、野球を中心とした雑談が日夜行われています。その雑談の内容がたくさんのまとめブログによってネット上に拡散されたことで、なんJ語がすっかりネットスラングの主流の地位を占めるまでになってしまいました。
    かしゅ〜む 確かにこの辺りはネタが先行して,元ネタを知らない人が多かったりしますよね。「え?その用語って野球関係だったの?」みたいな。まあ「ンゴ」がまさか外国人投手が元ネタだとは思わないですよね。
    中野 ネットカルチャーの歴史を紐解くと、初期2ちゃんねらーやその後のVIPPER、そして2000年代後半以降のニコ厨など様々なトライブが生まれてきましたが、「なんJ民」は2010年代に表舞台に登場した種族ではないかなと思います。そしてそのネタとして、古くて新しい文化である「野球」があった。こうした2010年代特有の文化状況がなぜ生まれたのかを色々な角度から考えてみようというのが前回の趣旨でした。
     今回は、90年代以降の野球の「歴史」をテーマに話していきたいと思います。なぜ90年代以降かというと、それ以前だと我々(座談会出席者)がリアルタイムで経験していないということもあるんですが、やはりこの時期、90年代から2000年代にかけて、巨人戦中継を中心とする「マスメディア型興行」としての野球の時代が終わったと言えるからです。この時代的なインパクトを中心に据えて、野球の歴史というのを語ってみたいと思います。
     もう一点、なぜ歴史を振り返ってみるのかというと、最近ネット上での様々な野球談義を見ていると、「そんなことも知らないのか」「にわか乙」というような、2000年代にネット上の様々な趣味の場でよく見た風景が繰り返されていると感じたからです。ちなみに2000年代初頭の初期2ちゃんねるで僕が最初に覚えた言葉は「はい論破」でした。
    かしゅ〜む 僕は92年生まれなので初期2ちゃんねるの雰囲気はよくわからないですが、たしかに「はい論破」をやっていると、あんまり生産的な議論はできなさそうですね。ネタでやってるならいいんでしょうけど(笑)。
     野球の歴史ってYouTubeやWikipediaなども充実しているし、NPB(日本野球機構)のサイトやスタメンデータベースなどもあるので、後からいくらでも振り返ることができそうですけど、でもそれぞれの出来事の重み付けはわからないですよね。
    中野 はい。というわけで、プロ野球だけでなく、メジャーリーグやアマチュア野球、その周辺文化も含めて、我々なりの「歴史観」そして「物語」を作ってみようと思います。ではさっそく、すべての変化の起点となる90年代半ばから行ってみましょう。
    ■ 「昭和最後の日」は、1994年の「10・8決戦」!?
    石丸 90年代のどこから話を始めるかだけど、僕は1994年の「10.8決戦」がいいんじゃないかと思う。これは前回話した「巨人戦、セ・リーグを中心にしたマスメディア的興行」としてのプロ野球がピークを迎えた時期だと言える。日本プロ野球史上初めて、リーグ戦の勝率が同率首位で並んだ巨人と中日が、最終戦で直接対戦する優勝決定戦だった。社会的にも大変な注目を集めた「伝説の試合」だよね。
     桑田真澄・槙原寛己・斎藤雅樹という巨人史上でも屈指の先発三本柱がいて、特にこの日は松井秀喜・落合博満・原辰徳という(名前だけ見ると)超強力なクリーンナップだった。ちなみに甲子園での松井の5打席連続敬遠事件が92年で、この94年頃に彼は巨人で不動のレギュラーになっていた。
    中野 その10.8決戦が注目された1994年ですが、もうひとつ社会的な事件としてイチローの登場とブレイクも大きいですよね。打率.385で210安打(当時史上最多)を放つというとんでもない記録を、弱冠20歳にしていきなり打ち立てたわけです。
     イチローは当時、注目の少ないパ・リーグの弱小球団であったオリックスから出てきたスーパースターだったわけですが、20世紀的な野球と21世紀的な野球を分かつものがあるとすると、松井はちょうどその端境にいる存在で、イチローは「アフター」というか、新時代の野球を象徴する存在ではないかなと思います。
    石丸 年齢的にはイチローの方が1個上ではあるんだけど、松井はイチローよりも早い段階で話題になっていたから、松井が中間でイチローが「アフター」というのはたしかにそのとおりだろうね。
    中野 前回も話しましたが、僕は90年代半ば当時は小学生で、日テレ土曜9時のドラマ『家なき子』『金田一少年の事件簿』『銀狼怪奇ファイル』『透明人間』『サイコメトラーEIJI』『プライベート・アクトレス』などを楽しみにしていたので、巨人戦が延長して食い込んでくるのがすごく嫌でした。「野球、早く終われ!」と思っていた。
     原辰徳が引退したのが1995年で、当時の小学校の同級生たちはすごく話題にしていましたが、「ケッ」と思ってましたね。でも、そういう野球と〈マスコミ的なもの〉の結託に対しての反感抜きに、イチローはあっという間に好きになった。
    石丸 そこで言うと、「巨人の4番としての原辰徳が昭和最後のスターだ」というのは歴史観としてありかもしれないね。原と同時期のスター選手としては落合博満が挙がると思うんだけど、落合はロッテ・中日の選手というイメージが強いし、巨人にいたのも一時期だけで、その後日本ハムに移籍もしている。
    中野 落合は、位置づけの難しい人物だと思っています。そもそも高校・大学と体育会系的な上下関係が嫌で、一度完全に野球からドロップアウトし映画ばかり見ているような文化系の人だった。そこから社会人野球チームに入りなおしてプロ入りしたという異色の経歴で知られている。
     2000本安打を達成した打者、200勝or250セーブ以上を達成した投手だけで構成される名選手のサロン「日本プロ野球名球会」への入会も拒否しているんですよね。つまり、戦後日本的な「世間」とは距離を置いて個人主義を貫いているわけです。だから彼を「昭和」的な人物と位置づけるのは難しいし、むしろ「プレ・平成」型の人物だと思います。これは後で述べる権藤博にも共通して言えることです。
     ちなみに落合はガンダムオタクとしても知られており、好きなガンダムは『ガンダムW』に登場するウイングガンダムゼロカスタムだそうです。ご子息で最近声優デビューした福嗣さんの影響もあると思いますが、近年では『ガンダム00』を高く評価しているらしいですね。

    ▲MG 1/100 XXXG-00W0 ウィングガンダムゼロ (エンドレスワルツ版) (新機動戦記ガンダムW Endless Waltz) 
    かしゅ~む だいぶ話がそれてますけど(笑)、落合さんは、「長嶋茂雄はひまわりの花、私は月夜にひっそりと咲く月見草ですよ」と言ったノムさん(野村克也)に近いものがありますよね。人気よりも実力に誇りを持っているというか。
    中野 “スター性"って明確な基準はないんだけど、原辰徳よりも落合博満はやや地味な印象があるかもしれない。原さんは巨人軍の4番で、その後巨人の監督やWBC日本代表の監督も務めて大変な好成績を残している。落合もそれに負けず劣らずというか、選手としての成績は圧倒的に落合の方が上なはずなんですけど、なんとなく原さんのほうが「スター」として扱われるというのはありますね。
    石丸 「人気のセ、実力のパ」と言われていたパ・リーグで三冠王を獲得してセ・リーグに移籍していった落合と、アマチュア時代から超エリートコースを歩み巨人軍一筋で常にスポットライトを浴びてきた原さんとはここが大きく違うとこだろうね。
    ■ 野茂のメジャー挑戦と「VS日本的世間」
    石丸 1994年ってなかなか面白くて、イチローと10.8決戦があった一方で、メジャーリーグでプロスポーツ史上最長のストライキが起こり、アメリカ国内でのメジャー人気の低迷が誰の目にも明らかになったんだよね。
    中野 今はメジャーって日本のプロ野球よりも国内的な人気も高いし年俸もバカ高いしで、「成功しているリーグ」という印象だけど、当時のメジャーリーグは「しょうもないことやってんな……」という感じだったんですよね。日本プロ野球が盛り上がっていたので余計にそうだった。この時期、巨人で活躍したシェーン・マックが代表的ですが現役バリバリのメジャーリーガーが日本プロ野球に活躍の場を求めるケースも多かった。
     ちなみに1994年には映画『メジャーリーグ2』が公開されています。前作からの主人公チャーリー・シーンを中心としたインディアンスが低迷するなか、とんねるずの石橋貴明演じる日本からの助っ人選手「タカ・タナカ」らの活躍で復活していくという内容です。ちょうどこの年の後半から現実のメジャーでストライキが起こり、人気が低迷していったところを翌95年の野茂英雄の登場で持ち直したことを考えると、『メジャーリーグ2』ってなかなか予言的な映画なんですよね。
     内容自体は、後年の『マネーボール』とは違って昔ながらの「人情が勝つ」というものなんですが、野球コメディ作品としてはなかなか痛快な作品だと思います。当時、貿易摩擦でアメリカ国内で反日感情が高まっていたにもかかわらず、タカ・タナカのキャラクター造形は(もちろん類型的な日本人キャラクターとしてギャグテイストで描かれているものの)なかなか繊細なコントロールが効いていて素晴らしかったですよね。

    ▲ホームランになりそうな当たりをフェンスによじ登ってキャッチし、大歓声を受けるタカ・タナカ役の石橋貴明(映画「メジャーリーグ2」 | 一番星みつけた(歯科学生の日常) より)
    石丸 そして94年の冬から翌95年の初めにかけて野茂英雄のメジャーリーグ移籍騒動があり、野球の日米関係がより密接かつ複雑になっていったわけですね。
    中野 そう、これもみんな忘れかけているし「そもそも知らない」という人も多いと思うんですが、野茂のメジャー移籍に対して当時のマスコミやプロ野球のOBたちはものすごいバッシングをしていて、それはもう「非国民」のような扱いでした。
     野茂がメジャーに挑戦したのは、もちろんメジャーでやる夢を持っていたというのもあるんですが、当時所属していた近鉄の鈴木啓示監督の前時代的な方針(走りこみのような根性練を重視する、故障しても投げろと指令される等)に反発したからだと言われていますよね。
    石丸 日本球界からメジャーに挑戦した選手だと、それ以前はサンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則がいるけど、彼もメジャーでプレーしたのはほんの偶然で、たまたまマイナーリーグに野球留学していたところを「メジャーで投げない?」と声がかかり昇格してしまって日米間で大問題になった。それ以来30年間、「日本人選手はメジャーでプレーしてはいけない」という不文律ができてしまった。
    中野 そこを当時の日米間の協約の穴を突いて、半ば亡命するようにメジャーに移籍したのが野茂英雄だった。当時の野茂への風当たりの強さは、96年に野茂が日米野球で凱旋したときにスポンサーであるナイキがつくったポスターがよく表しているんじゃないかと思います。

    ▲1996年の野茂英雄 - agehaメモ より
    これは野茂が出て行くときにメディア上で展開された大バッシングの文言をまとめたものだそうですが、要は野茂英雄という「自由」を重んじる個人主義者と、「不文律」や「空気」を重んじる「日本的世間」が鋭く対立していた。
    かしゅ〜む これはすごいですね。「日本のプロ野球のしきたりをめちゃくちゃにした男がアメリカに行って成功できるか」というフレーズなんて、『八つ墓村』の「祟りじゃ〜!」と叫ぶ老婆を彷彿とさせる勢いがある。古き因習の残る山奥の、村落共同体の息苦しさそのものですね。字体もなんか市川崑っぽいし(笑)。

    ▲市川崑監督・豊川悦司主演による1996年版『八つ墓村』のひとコマ(2005年09月23日の記事: 『ブタネコのトラウマ』 Blog版 より)
    石丸 で、実際に野茂がメジャーで投げたらバッタバッタ三振を取って、日米で「NOMOマニア」という言葉が生まれるほどの人気を得た。ほぼ同じぐらいの時期にFA制度やポスティング・システムなど、日本プロ野球からメジャー移籍するための制度が整い、日本人選手が続々とメジャーに移籍するようになる。この頃から野球ファンの興味がメジャーにも行くようになったんだよね。
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  • 予防医学が考える「幸福論」(予防医学研究者・石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第3回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.367 ☆

    2015-07-16 07:00  
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    本日は予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第3回です。今回のテーマは「幸福論」。予防医学という科学的アプローチは、「幸福」という抽象的・哲学的な概念にどこまで迫っているのか。その最新の動向について解説します。
    石川善樹『〈思想〉としての予防医学』前回までの連載はこちらのリンクから。
     前回、予防医学の観点から「がん検診」をめぐる人間の確率的な判断の問題を話しました。
     おさらいしましょう。 アメリカでは乳がんの検診で本当にメリットがあるのは、せいぜい1000人に0.3~3.2人程度で、かなりの数の人はむしろ必要がないのに乳房を切除している現実があります(注:アメリカのデータなので、日本は別です)。例えば、ある人が「乳がん」の診断を受けたとしましょう。でも、そう診断されても、実際には11人に1人程度しか本当に治療する必要はないのです。手術をした場合には、残りの10人は必要もないのに、乳房を失う可能性があるのです。 果たして、その人は手術をしない選択肢を取れるのでしょうか。
     ――やはり、多くの人は乳がんの手術を受けてしまうでしょう。
     注意したいのは、ここまでの人間の意志に伴う問題とは切り離す必要があることです。肥満が、友達の友達の友達からの「太る習慣」の隠れた影響を受けているだとか、あるいは一種の中毒症状から喫煙行動をやめられなかったりするだとかという話とは違うのです。むしろ確率論的には一見して非合理に見えるような判断であると納得した上でも、やはり人間はそういう「意志決定」をしてしまうという話です。
     そして、ここに現代の予防医学において「過剰診断・過剰治療」が横行する原因があるのです。
    1.人間ドックは本当にメリットがあるのか?
     もう一つ、例を出したいと思います。
     日本では、多くの人が一年に一度「人間ドック」に入ることが提唱されています。これは、「病気は早期発見・早期治療によって改善することが多い」という考えにもとづくものです。合理的な考え方であり、人間ドックの「光」の側面をよく示しています。しかし、人間ドックには「影」の側面もあります。それは「病気が早期発見・早期治療されることで、過剰診断・過剰治療が横行する」ということです。
     人間ドックでは問題が見つかり次第、その病気の治療が開始します。しかし、実際には治療という行為は、人間の体に良い影響をもたらすものばかりではありません。
     例えば、がんの放射線治療がそうです。
     もちろん、人間ドックで診断される病気の中でも、乳がん・子宮がん・大腸がん・胃がんなどは、(乳がんのように、過剰診断がかなりの確率で起こるにせよ)やはり実際にがんであった場合には早期発見・早期治療が功を奏します。ところが、前立腺がんなどは、実はしっかりと効果が検証された治療が確立していないのです。
     そういう状況でがん治療を行うのは、身体に多大なストレスを与えることになります。ある程度は働ける状態で死ぬまでの3年間を過ごせたはずの人が、特に治療が確立しているわけでもないのに放射線治療を受けたがために、苦しみながら3年間を過ごしてしまうこともあるのです。
     治療という身体を苦しめる行為をするにあたって、それが本当にベネフィットがあるのか?――を本来であればもっと考えてもいいはずなのです。
     前立腺がんについては、現状の医療技術で治療するよりも、放置したほうが苦しまずに済む可能性が高いという現実があります。治療のベネフィットに対して、デメリットがあまりに大きいと言えるでしょう。同様の問題は、脳ドックなどにも指摘されています。こちらに至っては、むしろ治療を受けた人の死期が有意に早まっているというケースさえ報告されています。
    2.人間ドックのヘルスサーティフィケイト
     とすれば、人間ドックは受けないほうがいいのでしょうか。
     私は予防医学の研究者ですから、こういうときには予防医学の大原則に立ち返ります。予防医学の大きな目的は、第一回で述べたような意味での「健康」を人々が維持することです。その意味で、「過剰診断・過剰治療」の可能性がある人間ドックというものは、個人が自分の意志で受けるのは自由だとしても、社会のあらゆる人間が受けるべきものだとは思いません。
     むしろ私としては、第一回でも述べたように、結局のところ人間の健康を大きく左右するのは「生活習慣」であり、よほどそういう日々の心がけの方が大事なのだということを改めて強調したいくらいです。ところが、この観点でも、本当に人間ドックがどれほどメリットがあるのか、怪しい部分はあります。
     例えば、喫煙者が人間ドックに入って「肺がんの疑いはない」と聞いたせいで、大喜びで「やっぱり大丈夫だ」と喫煙の習慣を維持していることがあります。実際には、喫煙は統計的にも明らかに肺がんの確率を高めるものですから、どんなに今は大丈夫だと診断されようと、健康のリスクを高める行為なのは疑いないのです。これは専門的には「ヘルスサーティフィケイト(健康保証効果)」と言われるもので、診断で問題がないと判明したために、患者がかえって「不健康な生活を続けてよさそうだ」と考えてしまう状態です。
     結局のところ、人類は必ずしも正確に診断できるほど病気をわかっていません。せいぜい「この程度の確率であなたはこの病気の疑いがある」と言えるだけに過ぎません。また、仮にその診断結果が正しかったとしても、それを人間が正しく解釈するのもやはり期待できません。そういう現実がある中で、私たちはどう振る舞うべきなのかを考える必要があるのです。
     その点で、通常の医療は「病気を治療して元に戻す」ことが目的ですから、たとえ過剰治療であっても、出来る限りの手段で病気に対処するのが正解になるでしょう。
     しかし、予防医学の考え方は違います。我々の目的は「健康」な状態をなるべく長く維持することであり、それは心の健康まで含めたものです。例えば前立腺がんであれば、現代医療の限界を見据えて患者のQOLを目指すことを重視して、がん治療を受けずにおく選択肢もまた成立しうるのです。
     そして、この二つの考え方は、現実の治療の場面において、結構簡単にぶつかってしまうのです。
    3.孤独は人間を不幸にする
     こういう問題を考えていくと、人間の「健康」を考える際には、やはり精神的な側面の考察も必要であるとわかります。
     それは、予防医学が考える「幸福」とは何か、という問いそのものとも言えるでしょう。というのも、やはり「幸福」という言葉には、精神的に完全に満たされた状態を示すニュアンスが含まれるからです。
     この「幸福」については、一つ予防医学が発見した面白い研究結果があります。
     それは、友達の数が多い人ほど自分を「幸福である」と答える人が多く、孤独な人間ほどその逆であったというものです。しかも、その研究によれば人間関係の質はあまり重要ではなくて、単に人間関係の量――すなわち周囲の人間との「繋がり」の数が、とにかく彼らの「幸福度」に強く相関していたのです。
     これは、ある意味では意外な結果です。よくTwitterやFacebookなどのソーシャルメディアに対して言われるように「繋がっている人の数が多くなると、人間関係が煩わしくなる」という考え方もあるからです。
     しかし、この研究結果には、理論的な背景があります。 それは、ハッピーな感情はアンハッピーな感情よりも周囲の人間への伝染力が高いという事実です。たとえあなたの周囲に不幸な感情を撒き散らす人がいたとしても、その影響はないことはないにしても限定的です。しかし、あなたの周囲で起きた幸福な感情は、不幸な感情よりも強く伝わるのです。
     とすれば、ネットワーク科学の観点から言えば、とにかく周囲に人を集めれば集めるほど、幸福な感情が自分のもとに伝播してくる確率は高まるわけです。実際、うつ病の抑止は、やはり友だちが多い人のほうが起きやすいという研究結果もあります。
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  • 【新連載】他社のマンガにヒトコト言いたい!ーー現役漫画編集者匿名座談会2015 ★ 第1回『ゴールデンカムイ』『東京タラレバ娘』『少年Y』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.366 ☆

    2015-07-15 07:00  
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    【新連載】他社のマンガにヒトコト言いたい!ーー現役漫画編集者匿名座談会2015第1回『ゴールデンカムイ』『東京タラレバ娘』『少年Y』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.15 vol.366
    http://wakusei2nd.com


    今日のメルマガでは新連載『他社のマンガにヒトコト言いたい!ーー現役漫画編集者匿名座談会2015』の第1回を配信します!
    「いま、本当に読まれるべき漫画はどのような作品なのか――?」業界の最前線で、常に締め切りと校了のはざまに生きるアラサー編集者トリオが、深夜のPLANETS事務所に集結。毎回、いま最も人に薦めたい1作品を持ち寄り、現役漫画編集者ならではの視点で語り尽くします。今回取り上げるのは『ゴールデンカムイ』『東京タラレバ娘』『少年Y』の3作です!
    ▼座談会参加者

    ししまる:青年誌の編集者。30代。高校野球と戦史シミュレーションゲームをこよなく愛する。最近は登山にも興味があるが山に行く時間が取れないのが悩み。

    薫子:女性漫画誌の編集者。30代。最近ロハスに目覚めるも仕事が不定期過ぎて挫折気味。朝の情報番組の誕生月占いを真に受けるのをそろそろやめたい。

    ジェイ:マニア系雜誌の編集者。20代。夜遊び三昧の不摂生を改善すべく、ロードバイクでの通勤を始めたところ、深夜の帰り道で何度も職質される羽目に……。
    ◎構成:飯田樹
    ■ 『ゴールデンカムイ』――細かい時代考証に裏打ちされたエンターテイメント

    ▲ゴールデンカムイ
    ししまる 僕は『ゴールデンカムイ』(野田サトル・「週刊ヤングジャンプ」)を持ってきました。これは、明治後期の北海道が舞台で、アイヌが持っていた金塊をめぐる話です。「不死身の杉元」と呼ばれた元軍人とアイヌの少女が主人公の、凸凹コンビのバディものですね。ヤンジャンは新連載が結構当たっていて、今勢いがある感じで、これも『キングダム』(原泰久)、『テラフォーマーズ』(作:貴家悠、画:橘賢一)、『東京喰種 トーキョーグール:re』(石田スイ)に続く雑誌の柱となる作品ではないかと思っています。作者は2003年にデビューして、2006年に「第54回ちばてつや賞」のヤング部門大賞を取っています。賞を取ったものの、なかなか本誌連載に結び付かず、他社に流れたというよくあるパターンですね。設定をちゃんと作り込んでいて漫画漫画していない最近の青年誌らしい作品です。
    薫子 私この作品はちゃんとリアルタイムで追っています。かなり雑学が詰め込まれているんですよね。
    ししまる 雑学は細かいですね。当時のアイヌの生活様式や食事といったディテールを丁寧にやっているので、リアリティがあります。ちょっと『乙嫁語り』(森薫)に近いかもしれないですね。
    ジェイ 料理する場面をきちんと描いているところが、『ダンジョン飯』(丸井諒子)にも近いかもしれません。リスの肉を刃物で叩いた料理、「チチタプ」を作って食べる時に、どうやって皮を剥いで捌くのかを詳しく説明するところとか、手順を割と丁寧に描いているんですよね。
    ししまる そのへんが丁寧に作られているので、この物語はきちんと進んでいくんだろうなという安心感がありますね。あとは単純に、この2人のキャラが大変良い。今3巻まで出ているんですけど、4巻に該当する範囲でまた話が大きく動くんじゃないかと思います。アイヌが隠した埋蔵金で、現在の貨幣価値で8億円相当の金を盗んだ奴がいるんですけど、それが実はもっと多かったという話になるんですよね。
    ジェイ そうそう。途中で、自分たちが追っている金塊が本当に8億なのかという話になって、全部を握っている土方歳三が8千億だと言い出すんですよ。8千億もあれば国がひっくり返せるわけで、「桁増やせばええやん!」という竹で割ったような面白さがあります。
    ししまる 北海道に独立国を作ろうとしているんですが、作者が北海道出身のためか、当時のアイヌ文化の考証が非常にしっかりしてますよね。アイヌ語に監修をつけているし、資料も参考文献として書いていないものも含め大量に読んでいるだろうし。最近の歴史モノは、史実に基いて演出で漫画的にしていくタイプと、完全にフィクションで作るタイプのどちらかが多いのですが、史実に寄せた場合、どんなに良いキャラクターでも死ぬときは歴史で決まっているから、必ず死なないといけない。完全なフィクションにオリジナリティを練りこんでいく場合は全部が嘘と言えば嘘なので、青年誌的なリアリティでは少し弱くなる印象があります。でも、『ゴールデンカムイ』はうまい具合にその中間をやっているので、意外と読者層は広い感じがします。あと、出てくるメシがいちいち美味そうなんですよ。
    ジェイ 僕はメシのところはどうでもいいです(笑)。とにかく本筋が面白くて、主人公はどんなピンチになっても、自分のことを「俺は不死身の杉元だ!!」と言って切り抜けている。この振り切り方は、なかなかできないですよ! 最近では珍しくパワーを感じさせるキャラなので、個人的に好きなんですよね。どんどん強い敵が出てくるから「これぞ古き良き少年漫画!」と思っています。
    薫子 私は敵が出てくるところにはあんまり興味ないんですよ。杉本とアシリパのキャッキャウフフの方が好きですね。お互い意識していないのに若干、共依存気味というか、そういう関係になってほしいなと個人的に期待しています。1人は軍人上がり、もう1人はアイヌの子として育ってきて、文化圏は違うのにこの2人だけは仲間になっている感じが美しい。
    ジェイ この作品は、読む人によって主菜と副菜が変わるんですよね。それと、日露戦争後の北海道を舞台にしたサバイバル漫画でこれだけ売れているのはすごいなと思います。宝探しとか新撰組といった派手なエッセンスをうまく混ぜていて、興味がない人でも読めるエンターテイメントに仕上げている。関節外せる脱獄王なんかも、史実のキャラをモデルにしていますよね。あとはやっぱり漫画の技術。印象的なセリフがあるし、見開きでドーンという展開がありつつ、地味に所々ギャグを入れて読みやすくしている。ここまで緩急をつけられるのは、漫画家と担当編集者の両方に力量がないと無理ですね。週刊だと情報を詰め込みつつ話を進めないといけないから、1ページぶち抜きは特に難しいんですよ。
    ししまる 担当編集者はすごい作業量だと思います。アイヌ語ひとつとっても、監修に北海道アイヌ協会の人が付いていて、表現的に揉めそうな部分を、かなり丁寧にフォローしてるんじゃないかな。やっぱり差別意識は無意識的なところに出るじゃないですか。ひとつでも間違いがあったら作品全部がダメになるので、「やること多いぞ、この作品は」と思います。そういう部分に手間をかけて作っている感じはすごく好印象ですね。僕、読者が漫画を読まなくなる原因の一つに、「作者の思いつきに付き合わされる不満」というのがあると思うんですけど、この作品はしっかりと考えて作っているのがわかるので、安心して読めます。
    薫子 今はフックを多くしてるけど、いずれは方向性を絞らないといけないかもですね。青年誌なのでバトルの方向に絞っていくと思うのですが、小ネタがあるのも青年誌の良さなんですよね。個人的には、杉本とアシリパが袂を分かつ時が来るかどうか、というところが気になります。分かつ瞬間って読者に強いストレスがかかるから。
    ジェイ 土方歳三と杉元がタイマンして、最後に「俺が不死身の杉元だ!」と言いながら倒す場面が来るのはもう分かっているんで、それさえ見せてくれれば僕はもう満足です。本当に、くどいほど連呼するって大事ですね! セリフだけで説得力が出るような力技はやっぱり憧れます。
    ししまる キャラが少年漫画的にもアイコン的にもちゃんと立っている。ただ、この作品は漫画としてはすごく良いんですけど、丁寧に作りすぎていてメディアミックス的な広がりという意味では厳しいですよね。
    ジェイ 『るろうに剣心』みたいな実写映画にして欲しいんだけどね。前後編で30億円くらいかけて。ただ、女性が見に来る気配が全くないので企画が通りそうにない(笑)。こういう映像にしにくい作品をやってくれたら、日本映画にもまだ良心が残っていたのかと思えるんですけどね。映像にすると映えそうだし。俺が、アラブの石油王だったら30億出すのに……!

    ▲るろうに剣心 伝説の最期編 通常版 [DVD]
    ■『東京タラレバ娘』――アラサー女子の「見えない不安」にグサッと刺さる

    ▲東京タラレバ娘
    薫子 私が持ってきたのは『東京タラレバ娘』(東村アキコ・「Kiss」)です。これは東京オリンピックの開催が決まったところから話が始まります。アラサー女子3人が、このまま独身のままで女子会ばっかりやって、「私って○○だっ”たら”モテると思うんだよね」「あの時○○して”れば”○○だったはず」っていう会話ばかりしたまま、東京オリンピックを迎えることになるかもと予感し、焦り出す。みっともない女子たちの話です。「〜たら」「〜れば」の話ばかりしているから「タラレバ娘」。
    ししまる この作品は、アラサー女子3人のディテールが本当によくできていますよね。
    薫子 1人目は脚本家。そこそこちゃんと脚本も書いているんだけれども、最近「ちょっと古い」みたいなことを言われ始め、仕事がじわじわ減ってきている。
    ししまる そして、若い頃の自分みたいな子に仕事を取られつつある。しかも、ベタクソな恋愛モノしか書けなくて、「この方向性だとマズイんじゃ……」となっている女子。2人目はネイルサロンを経営している女の人で、売れないバンドマンの元カレを捨てて医者に浮気したら、バンドマンが売れだして、若いモデルの彼女がいない間に高層マンションに連れ込まれる。もう1人は、居酒屋でお父さんの手伝いをしている「私、すごく身持ち固いんです」みたいな女子で、アッサリ不倫にハマる。
    ジェイ 最新号読んだ? その3人目が「いいな」と思った男は既婚者で、今は別居中だと言っていたんだけど、実は別居の理由が奥さんが臨月で里帰りしているだけだと判明する(笑)。
    薫子 1話目から酷いんですよ。10年前に振ったさえない男が、再びデートに誘ってきたと思ったら、自分の部下の女の子に結婚前提で告白したいという相談を受ける…。「これは自分の身に起きる可能性あるね!」ってなります。東村さんは少女漫画の文法を持っている人なので、少女漫画的な夢を見せながら、現実に落としこんでくる。でもその中に救いとして、主人公は昔振った男に相手にされなくて傷ついてるけど、韓流スターみたいな若いイケメンとはヤれる、というファンタジー要素はあるんですよ。
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  • 【新連載】根津孝太「カーデザインの20世紀」第1回:スーパーカーブームを彩った幻の名車――ランボルギーニ・イオタ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.365 ☆

    2015-07-14 07:00  
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    【新連載】根津孝太「カーデザインの20世紀」第1回スーパーカーブームを彩った幻の名車――ランボルギーニ・イオタ
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.14 vol.365
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    本日は、カーデザイナー/クリエイティブ・コミュニケーターの根津孝太さんによる新連載「カーデザインの20世紀」第1回をお届けします。前世紀の様々なカーデザインを振り返りながら、未来のモビリティの機能とデザインを考えていきます。初回に取り上げるのは、「ランボルギーニ・イオタ」です!
    今、モビリティの未来について注目が集まっています。Googleが自動運転車を実用化に向けて急スピードで開発する一方で、日本では若者のクルマ離れが言及されるようになっています。後者については真偽のほどは定かではありませんが、ともかく21世紀に入り、モビリティが大きく変化していることは間違いないでしょう。
    自動車を取り巻くテクノロジーや市場の変化は、様々な場所で議論されています。しかし、モビリティを考える上であまり語られていない視点があります。それは「デザイン」です。
    20世紀は「自動車の世紀」とも言えるかもしれません。フォードが世界初の本格的な大量生産車「タイプT」を世に送り出したのは1908年のことです。以来、自動車はテクノロジーの進歩に合わせてより効率的に移動できるよう改善され、工業力の結実である有力な商品として重要視されてきました。自動車のこうした側面については改めて語るまでもないでしょう。
    しかし、自動車は単なる道具や商品を超えた「象徴」としての力も持ち合わせています。あるときは国家の威信、あるときは成熟した大人の男──こうした象徴を担ってきたのは、車の技術的進歩や商業的価値以上に、そのデザインでした。
    そこで本連載では、カーデザイナー/クリエイティブコミュニケーターの根津孝太氏に、これまで自分が愛してきた車についてお話を伺っていきます。電動バイク「zecOO」やコンセプトカー「トヨタCamatte」、そして着せ替え可能という斬新なコンセプトで話題を呼んだ「ダイハツCopen」など、氏の率いるznug designは、モビリティデザインの最先端を走っています。その根津氏の偏愛の歴史を通じて見える20世紀のカーデザインから、自動車の本質、そして21世紀のモビリティを考えていきます。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    ◎構成:池田明季哉
    ■ ミウラ、カウンタック、そしてイオタ
    僕が小学校に入ったころ、ちょうど日本はスーパーカーブームでした。カーデザインの歴史を彩るいろいろな華々しい車たちが子供達の間で大人気になりました。僕もその洗礼を受けたひとりです。その中でも幼少期の僕が一番傾倒したのが「ランボルギーニ・イオタ」という車です。もともとミウラというモデルをパワーアップさせたのがこのイオタなのですが、実はテスト走行中に謎の爆発炎上事故を遂げて廃車になってしまうという、ドラマチックな最期を遂げています。それ以降、レプリカは幾つか作られたのですが、オリジナルはとうとう失われたままとなってしまいました。「スーパーなものは儚く消えなくてはならないのだ」という美学もセットで、子供の僕に強烈な印象を与えた車です。

    ▲ランボルギーニ・イオタ(レプリカ)(【動画】幻のランボルギーニ イオタが日本にいた!! それをを収めた貴重映像!! | vehiclenavi MAGAZINE(ビークルナビ マガジン)  より)
    読者の方には「スーパーカーブーム」って何? と思われる方も多いでしょう。70年代半ばに、日本で爆発的にスーパーカーが流行し、一種の社会現象になりました。スーパーカーは一言で言えば高級で高性能なスポーツカーのことですが、そこには長い文化的伝統が息づいています。歴史を遡れば、自動車は馬車から派生しています。馬車はイタリア語で「カロッツェリア」と呼ばれる徒弟制の工房で、貴族のためにオーダーメイドされる高級品でした。富裕層のステータスとして作られていた豪奢でスーパーな馬車は、時代が進み産業革命が起きると、今度は自動車へと移り変わっていきました。同時にカロッツェリアは次第にただ単に高級で高性能であるだけではなく、自動車文化の歴史と伝統の最先端にあるものだけが、スーパーカーと呼ばれているのです。当時の日本の子供たちが熱狂したのも、こうした伝統の凄みがデザインを通して伝わったからだと思います。
    こうしたスーパーカーを生み出す最も有名なブランドのひとつが「ランボルギーニ」です。ランボルギーニは、1960年代はじめにフェルッチオ・ランボルギーニによって創業されたイタリアの企業です。第二次世界大戦後に軍用のトラックを民生用に改造して販売するところからはじまったランボルギーニは、自社開発した高性能なトラクターで市場の高い評価を得ていました。富を築いたフェルッチオは、さまざまな車を購入しますが、どれも満足のいくものではありませんでした。「もっと快適なスポーツカーを作りたい」との思いから、当時スポーツカーメーカーとして名を馳せていたフェラーリを追いかける形で、高級車の制作へと乗り出します。
    スーパーカーブーム当時、ランボルギーニには「ミウラ」と「カウンタック」というふたつの代表的なスーパーカーがありました。どちらも当時一世を風靡したデザイン工房「カロッツェリア・ベルトーネ」に在籍していた天才カーデザイナー「マルチェロ・ガンディーニ」のデザインです。ミウラは1966年に発表され、ハイパワーなV12エンジンをミッドシップに搭載した当時としては斬新なレイアウトと、流れるような美しいデザインから一躍人気モデルとなりました。そして1971年に発表されたカウンタックは、これまでのスポーツカーの常識を全て覆す革命的なデザインとして、後世に名を残すことになったのです。


    ▲ランボルギーニ・カウンタック(上)、ランボルギーニ・ミウラ(下)
    (https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/50/Lamborghini_Countach_LP500S.jpg)
    (https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7c/Lamborghini_Miura_P400SV.jpg)
    ■ カウンタックの起こした革命とイオタに宿る「乗り物」の本質
    カウンタックは天才ガンディーニが、車としてのフォーマットをぶち壊した一台です。それまでのスポーツカーは曲線的なデザインが主流でしたが、カウンタックはこれまで見たことのない直線的なウェッジシェイプで、非常に先進的で未来的なデザインに誰もが驚きました。ドアには縦に回転して開くシザース型(ブーム当時は「ガルウィング」と呼ばれていました)を採用するなど、さまざまな方法を駆使して、かつてないフォルムの一体感を追求したのです。当時のお子様が騙されるには十分な、派手派手な要素を備えた車だったというわけです(笑)。
    対してミウラは、デザインされた時期が旧いこともあり、比較的オーソドックスなスポーツカーに位置付けられます。曲線的で、いわゆる「色気」のあるフォルムを、子供心にとてもキレイだなと思っていました。
    イオタはそのミウラをカスタムした車です。カウンタックとミウラが市販車であるのに対して、イオタは実験的に作られたワンオフの車両。そのためデザインにも、市販車らしい要素を削いで削いで研ぎ澄ませていく要素があります。タイヤがあって、それを包み込むフェンダーがあって、キャビンがあって……それぞれの要素が何とも言えないバランスを保っている。子供の頃はそんな風には思っていませんでしたが、言葉にできないなりに、生意気にもそのアイコニックな魅力を感じ取っていたのでしょう。
    カウンタックの一体感のあるデザインは、自動車とはどうあるべきかという既成概念を全く覆すものでした。デザインにおいてこうした革命が重要なことは言うまでもありません。自動車のデザインは、馬車をその前身としています。だから自動車が生まれた頃は、馬のいない馬車のようなデザインをしていました。フェンダーひとつ取っても、近年の車のようにボディと一体化するまでには長い年月がかかっています。
    だから「全ての要素が一体となるべきなのではないか?」という発想は、自動車史における大きな発明だったのです。カウンタックはその究極にチャレンジした車と言えるでしょう。全てを一体化することで、ボディを抵抗となる突起がない形状にして、空力の良さを追求したのです。当時の空力解析技術は現代ほど十分でなく、実際にカウンタックの空力性能がどれほどのものだったかは疑問の余地もありますが、ともかくそのデザインが「空力が素晴らしいのだ」という圧倒的な説得力を持っていたことは間違いありません。
    カウンタックは、当時からやはり一番人気のある車種のひとつでした。そしてその系譜は現代まで連綿と続いています。90年代のディアブロ、00年代のムルシエラゴ、そして10年代のアヴェンタドール──ランボルギーニを代表する車種は、全てカウンタックの現代版アップデートとも取れるデザインになっています。よく言えば伝統を重んじているわけですが、悪く言えば焼き直しとも取れるかもしれません。ともかく、スーパーカーと言えばランボルギーニ、ランボルギーニと言えばカウンタック、と言っても過言ではないくらい、代表的な車種なのです。
    これに対してミウラ、並びにイオタは、完成度の高いデザインではあるものの、それまでのスポーツカーの流れを踏襲した、比較的オーソドックスなラインです。人気がないわけではありませんが、カウンタックほどではありません。しかも車そのものが爆発炎上しただけでなく、歴史の中からもそのデザインの系譜は、少なくともランボルギーニの直系からは消失しています。しかしそんなミウラ・イオタに、どうして子供の頃の僕は魅せられてしまったのか。振り返って考えてみると、そこに僕が考える「乗り物」の本質が浮かび上がってくるように思うのです。
    僕が考えるところ、イオタの魅力はふたつあります。それは「EVO感」と「要素へのリスペクト」です。
    ■「EVO感」はデザイナーの見た新たなる地平の追体験
    「パワーアップはかっこいい!」そう思わない男子はおそらくいないでしょう。「EVO」は「進化」を意味する英単語「evolution」の省略形で、進化やパワーアップを遂げたデザインを表す造語です。男の子はみんな、EVOに夢中になるのです。例えばマジンガーZに対してグレートマジンガーはそのEVOであり、ガンダムに対してはZガンダムやZZガンダムがそのEVOです。あるいは最近ポケモンに導入された「メガシンカ」のデザインは、進化という意味ではより直接的にEVOを体現していると言えるでしょう。イオタは徹底的にミウラを改修し、その限界に挑戦した車でした。ミウラに対して、イオタはまさにEVOなわけです。


    ▲リザードン(上)、リザードンがメガシンカを遂げたメガリザードンY(下)(SP-002 リザードン|タカラトミー、SP-16 メガリザードンY|タカラトミーより)
    では子供の頃の僕は、あるいは古今東西津々浦々の少年たちは、なぜEVOのデザインにそれほどまでに夢中になったのでしょうか。
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  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」7月6日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.364 ☆

    2015-07-13 07:00  
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    月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」7月6日放送書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.13 vol.364
    http://wakusei2nd.com


    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。ほぼ惑月曜日は、前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!

    ▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!
    ■オープニングトーク
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、宇野常寛です。実は、先週末に京都に行ってきました。僕は京都精華大学という、半分は総合大学で半分は美大みたいな大学で授業を持っているんです。そこで、金曜の1〜2限に隔週で教えているんですよね。だから、実はもなにも、京都には隔週で行っています。金曜日の午後には授業が終わるわけだから、金曜日の夜とか土曜日とかに仕事が入らなかったらちょっと遊んでいきたいなと、いつも思っていたんですよね。それで、なかなかチャンスがなかったんですけれど、この前なんとかスケジュールを無理に空けてもらって、ついに京都観光をしてきました。
     ひとりで行くのはちょっとつまらないなと思ったので、僕の担当編集者でもある某公共放送系出版社勤務の――あの、日本には公共放送系出版社ってすごくいっぱいあると思うんですがそのうちのひとつに勤めている(笑)――I本光俊さんという僕の友人を東京から呼びました。で、二人で京都の食べ歩きツアーを敢行してきました。京都のご飯というと、どうしても懐石料理とか豆腐料理とかのイメージを持っている人が多いと思うんだけれど、それは京都の表の顔にすぎないんです。あまり知られていませんが、京都って実はB級グルメの街なんですよ。
     まず前提として、京都は大学が多くて、たしか人口の1割ちかくが学生なんですよ。だから、ラーメンとか洋食とかパン屋とかのB級グルメが異常に発達しているんです。競争が激しいぶん、すごくそれぞれのお店が美味しいんですよね。僕は大学生の4年間と無職期間の1年間と会社員の2年間の、合計で7年間くらい京都に住んでいました。なので、あの街のB級グルメに関しては、けっこう詳しいんですよ。BSフジでやっている「横山由依がはんなり巡る 京都いろどり日記」に対抗して、「宇野常寛ががっつり喰らう 京都B級グルメ日記」というネット番組をやりたいと思っているくらいです。まあとにかく、今回は1泊2日で京都のB級グルメを満喫しようと考えていたんです。
     しかしひとつ問題があって、B級グルメって定義的に、食べると太るんですよ。
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  • 本日発売!『ものづくり2.0――メイカーズムーブメントの日本的展開』宇野常寛による書き下ろしの「まえがき」を無料配信します! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.363 ☆

    2015-07-10 07:00  
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    本日発売!『ものづくり2.0メイカーズムーブメントの日本的展開』宇野常寛による書き下ろしの「まえがき」を無料配信します!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.10 vol.363
    http://wakusei2nd.com


    本日7/10に発売となる、宇野常寛(編著)の新刊『ものづくり2.0:メイカーズムーブメントの日本的展開』。本メルマガで約1年半にわたってお届けしてきた、「新しいものづくり」の最前線で活躍するプレイヤーたちへのインタビューが1冊の本にまとまります。
    今日はその刊行を記念し、カルチャーの批評家である宇野常寛がなぜいま「ものづくり」に注目するのか――その理由を語った「まえがき」を無料配信します。
     少し前にインターネット上で『ドラえもん』の
  • デジタルネイチャーの時代――落合陽一『魔法の世紀』第8回 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.361 ☆

    2015-07-08 07:00  
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    デジタルネイチャーの時代落合陽一『魔法の世紀』第8回
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.8 vol.361
    http://wakusei2nd.com


    本日は落合陽一さんの好評連載『魔法の世紀』の最終回、「デジタルネイチャーの時代」をお届けします。人があらゆる理を操る「魔法の世紀」が実現していくなかで、〈人間〉という存在はどうなっていくのか――これまでの連載を総括しつつ、大胆な未来予想を描き出します。

    ▼お知らせ
    本日20:30から、PLANETSチャンネルで落合陽一さんの講義ニコ生「魔法使いの研究室」を放送します!
    第3回めとなる今回の講義テーマは「場と場の相互作用」です。Twitterハッシュタグ「#ochyainico」で質問や感想も募集中。
    第1回テーマ:光
    第2回テーマ:映像と物質
    第3回テーマ:場と場の相互作用(今夜生放送!)
    ※今回で『魔法の世紀』は最終回ですが、PLANETSでは今後も落合陽一さんの最新の研究動向を追いかけるべく、来月より連続ニコ生講義「魔法使いの研究室」の書き起こし連載をスタートします!そちらもお楽しみに。
    落合陽一『魔法の世紀』これまでの連載はこちらのリンクから。
    こんにちは、落合陽一です。
    昨年の連載開始から長く続いてきました魔法の世紀ですが、今回が最終回になります。今まで、たくさんの方々に支えられてきた魔法の世紀の連載ですが、今一度、担当編集者の稲葉ほたてさんと、編集長の宇野常寛さん、そしてPLANETSの皆様に多大な感謝を――。
    その一方で、嬉しいお知らせもあります。この連載の書籍化が決定しました。出版社は、このメルマガを運営するPLANETSで、会社としても最初の単行本になるそうです。
    さて、前回までに僕は、コンピュータの世紀となる21世紀の美や、そこでの人間の価値観をどうアップデートするのかを語ってきました。その中で、表層・深層の話について、古典的な議論と現代の現象を対応づけながら、議論をしてきました。この最終回では、最後に僕自身が今後実現したいと考えている未来の話をしたいと思います。一体、僕がこれからどういうことをして、世界がどうなっていくのかを書いていきたいと思うのです。
    1.コード化する自然:デジタルネイチャー
    今年の春から、僕は筑波大学の図書館情報メディア研究科/情報メディア創成学類に自分の研究室を立ち上げました。

    Digital Nature Group - 落合陽一 デジタルネイチャー研究室
    この研究室を始めるときに、僕がラボの名前として選んだのが「デジタルネイチャー」という言葉でした。
    これは僕が考える「魔法の世紀」の世界を象徴させた言葉です。魔法の世紀が21世紀の時代を表した言葉なら、デジタルネイチャーは21世紀の世界を表した言葉だと思ってください。
    この連載でも書き続けてきたように、魔法の世紀はリアル/バーチャルの対比構造が、コンピュータによって踏み越えられて、作り変えられていく世界です。とすれば、そうして作り替えられた未来の世界をあらわす「固有名詞」が必要だと思いました。それが、このデジタルネイチャーなのです。ユビキタスコンピューティングという言葉がコンピュータがばら撒かれた世界のあり方だったなら、デジタルネイチャーとはそのコンピュータという存在自体も溶けてしまっているイメージです。
    ただし、デジタルネイチャーという言葉を聞いて、サイバーパンクのようなSFチックな意匠で覆われた世界を想像するのは間違いです。まずは、そこについて、いくつか例を出しながら話していきたいと思います。
    たとえばスイスのETHという大学で行われている研究を紹介しましょう。これは物体の重心についてのアルゴリズムを使って、3Dプリンターで出力される物体の重心を調整してしまう研究です。

    Spin-It: Optimizing Moment of Inertia for Spinnable Objects 
    上の動画を見ていただければわかりますが、この3Dプリンタを用いると、様々なものがコマに変わってしまいます。もし、あらかじめ重心を調整をしていないマテリアルで、こういう結果を得ようとしたら、外力から重さの不均等を打ち消す程度に合力を調整する必要があります。
    もう一つの事例は、僕です。
    実は最近、僕はまだ日本で数千件しか例がないという、眼球内にコンタクトレンズを埋め込むインプラント手術を受けました。この手術に使ったコンタクトレンズは、僕の眼球に合わせて度数なども含めた形状の計算をコンピュータで精緻に行っています。

    ▲疲れた目をリフレッシュ! 遠近兼用 ピンホールメガネ
    この視力にまつわる研究は、捉え方によってはデジタルファブリケーションとして行うことができます。ピンホールがメガネの役割を果たすという話を聞いたことがある人も多いと思いますが、例えば、ピンホールの分布を変えて入ってくる光の量をコントロールすることや、一人一人の目にあわせた位置に作ることなどができるでしょう。それをレーザーカッターを用いることで加工すれば、コンピュータ計算を用いてアナログに実装した、ピンホールメガネをつくることができるはずです。
    こうした事例から分かるのは、現代のコンピュータというものが、かつての我々の想像を超えて現実世界を制御する力を持ち始めていることです。特に重要なのが、それが私たちが得る情報のあり方を大きく変えて、そのことによって世界像の認識を変えてしまう領域に達してきたことです。
    例えば、インプラント手術によって、僕の視力は2.0を超えてしまい、目の前の風景は大きく変わりました。旅行に行けば、他の人には見えない看板の文字が読めるようになり、地平線の向こう側の風景も見えるようになりました。また、視力が2.0を超えたことで、新しい発見も生まれてきました。その発見の一つが、頭が上手く働いていないときには、視力が劇的に低下するというものです。不思議なことに、寝覚めが悪かったり、疲れた夜には視力が下がってしまうのです。どうやら人間の視覚機構は、光学的な情報を得るだけではなくて、それを脳内でパターン認識などを構成する過程まで含めたものであるらしい――こういうことが、体験として理解できてしまうのです。
    一方で、重要なのは、こういうアナログな物理世界をデジタル的に制御する手法の「逆」もまた存在しているということです。
    上の事例でいえば、コマは空間自体をアクチュエーションして、外力を合成すれば同じ結果を得ることが出来ます。視力については、MITが最近行った研究がそれに当たるでしょう。彼らは、ディスプレイから出る光を上手く調整してぼかして出力することで、ちょうど網膜上で焦点が結ばれることを示したのです。こうすれば、眼鏡なしにディスプレイを見ることが可能になります。
    こういう研究から分かるのは、一つの問題を解くのに、ニつの手段があることです。
    一つは、コンピュータ計算で作られたピンホールメガネのように「デジタル処理されたアナログな物質」です。もう一つは、ディスプレイそのものが視力に対応した形になるようにした「アナログな物質を変化させるデジタル計算機」です。とすれば、デジタルなアナログで行くか、アナログなデジタルで行くかなど、コスト計算のあとに来る選択の問題でしかありません。
    このように、目の前にある世界をデジタルとアナログを行き来しながら問題解決していくのが、デジタルネイチャーの時代の特質だと思います。僕の考えるデジタルネイチャーとは、ユビキタスコンピューティングとプリンティングテクノロジーによって再構成された自然のことです。そこには、電化/非電化に関わらず、何らかの計算機の作用によって生じてきた万物が含まれています。
    この背景には、この世界の構成要素である物質や、そこに作用する場などの性質が、コンピュータでかなり精緻にコントロール可能になったことがあります。つまり、デジタル/アナログにかかわらず、全てがコードによって記述されていく時代が来ているのです。
    それは、あらゆるものが計算機的な性質を秘めていくような事態と言えるでしょう。人間もその例外ではありません。身体の構成要素である物質は、その構成や素材の水準から制御されていくでしょう。一方で、環境側からのアクチュエーションも盛んに行われていくはずです。
    そのとき、この連載でずっと書いてきたようなメディア論も大きく変わります。モノと人間を分けて、「メディアとそれを受容する人間」という対比構造の図式で考えるような、「人間中心主義のメディア意識」は変化を迫られるはずです。なぜなら、人間とはデジタルネイチャーの世界では、せいぜいが計算機で処理されるアクチュエーターであり、認知的なロジックを持ったコンピュータに過ぎないからです。
    たとえば、VRコンテンツのことを考えてみましょう。機械をつかったOculus Riftの体感コンテンツとして、様々なアトラクションが作られています。その一つとして、HPIの研究にHaptic Turkというものがあります。これは、人間をアクチュエータとして用いた良い例です。

    ▲Haptic Turk: a Motion Platform Based on People
    音楽ゲームをする感覚で人間をシーケンサーでコントロールして、人をアクチュエータの代わりに使っているのがわかると思います.コンピュータを中心に捉えることで、逆に人間を比較的「安価なアクチュエータ」と考えることができてしまうのです。
    2.人間中心主義のメディア意識
    今、僕は「人間中心主義のメディア意識」という言葉を使いました。実際、これまでのコミュニケーションメディアは、人間中心主義で構成されていたと思います。
    例えば、先日とあるシンポジウムの質問の際に、「あなたはデジタルとは言うが、実はアナログにはアナログの良さがないだろうか。例えば、レコードにはCDにはない暖かみがあると思う」という話をされました。それに対する僕の回答は、「いや、それは現在のCDの規格が、解像度を低めに設定しているだけです。現代の技術で本気で解像度の高いCDを作れば、レコードなんかより遥かに生身の演奏の情報が再現された再生装置が作れますよ」というものです。
    CDに人間の生身の魅力が吹き込まれていないのは、デジタルの問題ではなくて、むしろコストを掛けずに大量生産をしたいという資本主義の問題です。
    実際のところ、「映像の世紀」である20世紀に我々の周囲に生まれた複製装置は、どれも人間の感覚器の解像度を基準にして作られています。
    例えば、アニメやゲームのビジュアル表現におけるコマ送りは、60fpsが基本となっています。これは、人間の目に区別がつかなくなるラインが、1秒に60回程度の書き換えだからです。この数字まで出していれば、充分に滑らかに動いているように見えるのです。また、音であれば、サンプリング周波数が高々40kHzあれば、人間の可聴域である20kHz程度の音まで再生可能です。
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  • 【新連載】『石岡良治の現代アニメ史講義』シャフトと情報イメージ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.360 ☆

    2015-07-07 16:15  
    220pt
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    【新連載】『石岡良治の現代アニメ史講義』シャフトと情報イメージ
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.7 vol.360
    http://wakusei2nd.com


    今月より、批評家の石岡良治さんの新連載『現代アニメ史講義』がスタートします。初回に取り上げるのは「シャフト」。『ぱにぽにだっしゅ!』『さよなら絶望先生』『魔法少女まどか☆マギカ』『〈物語〉シリーズ』などの名作を振り返りながら、シャフト独特の映像表現の秘密に迫ります。
    ▼執筆者プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。跡見学園女子大学、大妻女子大学、神奈川大学、鶴見大学、明治学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて毎月のレギュラー番組「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
    ◎構成協力:籔和馬
    ■ はじめに〜情報イメージとメディアの関係
     みなさん、こんにちは、石岡良治です。今月から新企画である「現代アニメ史講義」を始めます。第一回なので、試行錯誤をいろいろしながら講義を進めていきます。ホームページ上からハンドアウトをダウンロードし、参照していただきます。
     今回は『シャフトと「情報」のイメージ』について語りたいと思います。今世紀のアニメを「情報のイメージ」との関係で検討していきます。
     情報社会をアニメで語るとき、アニメは制作環境がデジタル化されていることを考えます。たとえば『SHOW BY ROCK!!』を取り上げると、ひきこもりでわりとガチのレズビアン少女であるレトリーが、ディスプレイをたくさん並べた自室でインターネットをしていますよね。彼女は、ネットの掲示板に主人公シアンの噂を書き込み、紹介をしているわけです。

    ▲ヲチモノ- TVアニメ『SHOW BY ROCK!!』で、レトリーが使っていたキーボード&マウスより
     ネット上の掲示板でコミュニケーション、LINEでのコミュニケーション、ニコニコ動画のような動画サイトのコメント、このようなモノは情報イメージの一つです。情報のイメージを提示するとき、社会の問題とワンクッションのズレがあるため、いくつかの疑念が生じます。
     実写映画を取り上げると、さらに分かりやすくなります。Facebookの創始者であるマーク・ザッカーバーグの半生を描いた映画『ソーシャル・ネットワーク』はどうでしょうか。この映画で扱っているのはあくまで人間ドラマであって、他のウェブサービスと比べたときの優位点などFacebookの仕組みそのものには踏み込んでいません。ほかにも、ノーベル経済学賞受賞の数学者であるジョン・ナッシュの半生を描いた『ビューティフル・マインド』も、数学の真髄には踏み込んでいないですよね。
     ここで私が問題提起したいのは、「アーキテクチャの話をするのは、映画では不可能ではないか」という議論です。芸術家や科学者の映画でも、その専門分野の話には踏み込みこめないのが、映画というメディアの特徴としてあります。
     この議論をアニメに応用すると、アニメにはロボットやコンピュータ、兵器がよく現代文明の象徴として登場しますが、文明のテクノロジーそのものを深く掘り下げていないだろうということになります。
     要するに、コンテンツやサブカルチャーを扱うことが、社会と接点がない浮ついたものにとどまるという議論です。
     情報イメージというものは、ワンクッションおくことで生まれてきます。しかし、ワンクッションおいた情報イメージを分析することで、そのイメージから、いろいろな方向に接点が生まれているのではないかということを考えていきたいです。拙著『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社) でも語りましたが、私は「反映論VS内在分析」や「フォーマリズムVS社会評論」のような対立はあまり意味をなさないと考えています。
     情報のイメージはフォーマリズムの様相を呈しています。カルチャー好きの人は、社会論の視点で語られることを毛嫌いしがちです。このような人が出てくる事情についてはフォーマリズムの視点から分析すべきです。情報社会について人間ドラマで語るかぎり、人間ドラマそのものには踏み込んでいないということになります。ワンクッションおいたところから、情報社会の関係と絡めながら、内容に対する接点をみてみたいと思います。これが本講義全体を通してのテーマです。
    ■ 細田守監督『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』
     講義を始めるにあたって、20世紀最後の年である2000年の細田守監督作品『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム(ぼくらのウォーゲーム)』を起点に置いて考えていこうと思います。

    ▲デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!
     このアニメ作品は社会論的にみても、すごく興味深い作品です。「核ミサイルが暴走して、それを食い止めるミッション」を作品内で大きな目的としていますが、この目的は2000年だから可能でした。2001年9月11日以降だと、ワルードトレードセンターを全壊させたアメリカ同時多発テロが起きてしまったので、倫理的に不可能ですよね。
     もう一つは島根県の人に対する深刻な風評被害があります。「島根にパソコンがあるわけないじゃん」と叫ぶ、ヤマトのセリフがあります。インターネットの普及がまだ不十分だった時代で、電話線でインターネットにつなぐ環境(テレホーダイで夜中につなぐなど)でした。このように少し古めかしいのですが、この映画を起点にすることで今世紀のアニメの輪郭が見えてきます。
     2009年に公開された同じく細田守監督作品『サマーウォーズ』は『ぼくらのウォーゲーム』よりもテーマ的に後退しているように思います。この点も考えていきたいと思います。
     核戦争は冷戦下のイマジネーションだったのですが、結果的に核戦争は起きませんでした。しかし、偶発的な暴走はあるのかというテーマもあります。2014年のテレビアニメ作品『残響のテロル』が核テロをテーマに扱っていましたが、いまいち不発だったのではないかと思います。核のテーマは『ぼくらのウォーゲーム』で消費されてしまっていたことが不発につながりました。
    ■ シャフトアニメ独特の「スカスカ感」はどこから生まれるのか
     どうして「シャフト」から取り上げるのかというと、「シャフト」の時代という観点から語りたいということです。
     今回扱う「シャフト」は、昔、アニメの下請け会社で、『あしたのジョー2』などの仕上げを担当していて今に至ります。今回は「新房昭之総監督作品」および「シルバーリンクの大沼心監督作品」を語りたいと思っています。ただ、シルバーリンクの作品は量産型アニメ、いわゆるB級アニメの割合が高くなっているようですが、ある程度は共通して語れると考えています。
     
     「シャフト」で情報を語るのは、ある種のクリシェかもしれません。しかし、一般にアニメをより大状況で作家的に語るとき、押井守や庵野秀明の作品について「画面情報のコントロール」の観点から語る言説は豊富に出揃っていますが、彼らとの違いにも注目してみます。
     
     具体的に言えば、押井守作品だと『機動警察パトレイバー 2 the Movie』のレイアウトシステムについて『Method―押井守「パトレイバー2」演出ノート』(角川書店/1994年)という書籍が出ています。
     押井守作品は、レイアウトで背景とキャラクターを載せて、カメラについては「カメラアイ」を徹底させています。つまり「カメラアイ」によって作品の空気感が生まれるという議論です。押井さんの情報をコントロールするレイアウトメソッドというものは、「背景」「人物」「カメラアイ」とその間にある「空間」を設計し、カメラがどう風景を切り取っているか意識させることで、画面の外の風景がどのくらいつながっているかをなんとなく想像させています。
     アニメは画で表現しなければ、端的に言えば「無」です。しかし、レイアウトシステムを使い、カメラを感じさせ、その外側の風景を意識させることで、アニメの絵柄でありながら画面の外の情報を示唆することに、押井守作品の特徴である「画面情報のコントロール」の肝があると私は考えています。
     しかし、「シャフト」作品はしばしば「カメラアイ」を省略しています。「シャフト」アニメ独特のスカスカ感は、わざと「カメラアイ」を外していることによるものでないかという議論です。
     批評用語で言えば、美術批評でよく使用される「flatbed picture plane」という概念です。Flatbedとはスキャナーのことです。コピー機でコピーすれば、そのものは情報として取り込まれます。また、コピー機にUSBを差し込めば、それは画像データやPDFという情報として取り込めます。この状態を考えてください。
     要するに情報をコントロールするときに、カメラは必須ではないということです。このように考えると、アニメは元来カメラを必要としていなかったのではないかという議論が生じます。
     私が数年前、雑誌『表象07』で対談したトーマス・ラマールさんが著した『アニメ・マシーン-グローバル・メディアとしての日本アニメーション-』(名古屋大学出版会/2013年)という、アニメ制作そのものをマシーンとみる議論を行っている書籍があります。
     この本で取り上げられている「アニメーションスタンド」という概念があります。デジタル以前のアニメ撮影は、スタンドがあり、その上からカメラで撮影していました。このような時代でも空間を使って奥行きを演出するカメラ「マルチプレーン・カメラ」はありました。このカメラを用いた代表作品に『風車小屋とシンフォニー』(1937年/ウォルト・ディズニー)があります。風車小屋のセル画と手前にある蜘蛛の巣のセル画の間を離して、空間を実際に作って撮影していました。
     アニメにおける空間の作り方では、実写映画とは別のことができます。デジタル化・3DCG化は、このような状況を加速させていると私は考えています。
     要は、押井守の「カメラアイ」を使用した「画面情報のコントロール」と違った別の方法があるということです。

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  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」6月29日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.359 ☆

    2015-07-06 07:00  
    220pt
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    月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」6月29日放送書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.6 vol.359
    http://wakusei2nd.com


    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。ほぼ惑月曜日は、前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!
     

    ▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!
    ■オープニングトーク
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは、宇野常寛です。もうすぐ夏ですね。関東圏では今年の梅雨にあまり雨がふっていないので、すでに夏が来ているような感じすらありますね。僕も、夏に備えて、というわけじゃないのですが、あまり雨がふらないので、アウトドアというかプチ冒険旅行に出ることが多いんです。
     昨日も、日曜日だけど仕事があるはずだったので、予定を空けていたんです。でも、チェックしなくちゃいけないものがなかなか上がってこなかったので、時間がぽっかり空いてしまったんですよ。だから、この時間を有効活用しようと思って、前々から行きたかった江古田の中古おもちゃ屋の専門店に行ったんです。高田馬場から出発して、池袋で普段まったく使わない西武池袋線に乗り換えて、数年ぶりに江古田に舞いおりました。江古田には有名な焼肉屋があって、そこに数年前に一度行ったことがあるだけだったんです。僕は最近ウルトラマンの古い人形を集めていて、ヤフオクで買っているんですよ。世のお母さん方が、子供がウルトラ怪獣を卒業したら、それを20〜30個まとめて、ヤフオクによく出しているんです。それが、だいたい2,000〜3,000円なので、1個100円くらいでゲットできるんですよ。しかも、そうして20〜30個をまとめて買うと、たいてい1体か2体くらいは、売ったら2,000円とか3,000円する珍しい人形が混ざっているんですよね。全国のお母さんたちっておもちゃの価値がわかってないんですよ。それを見つけると、ちょっとしたトレジャーハンターの気分で、それが楽しくてハマっているんですよね。なので、もしこれを聴いている人で「スッキリ!!」とかを見ている主婦の方は、ぜひとも日本テレビにおもちゃを送ってください。僕が引き取ります(笑)。
     ただ、いつもヤフオクで買っていると、おもちゃがダブっちゃうんですよね。やはり全国の子供たちは、ゼットンとかキングジョーとかレッドキングとか、メジャーな怪獣の人形ばかり買っているんですよ。結局、みんな渡辺麻友と指原莉乃と柏木由紀が好きだってことなんですよね(笑)。SKE48の研究生とか7期生とか、怪獣でいえばユートムとかシーゴラスとかアギラとかにはぜんぜん興味がないんですよね。だから、だいたいどの箱にもゼットンとキングジョーとレッドキングが入っているんです。ゼットンにいたってはもう4体目とかで、うちの事務所はゼットン牧場みたいになっているんですよ。 
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