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記事 28件
  • 【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」前編(PLANETSアーカイブス)

    2017-11-20 07:00  
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    今回のPLANETSアーカイブスは、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)や『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)の著者である哲学者・國分功一郎さんと本誌編集長・宇野常寛の対談です。前編では「保育園落ちた日本死ね」ブログ問題や、反原発・反安保運動について語りました。(構成:中野慧 )
     ※本記事は、2016年 4月26日に放送されたニコ生の内容に加筆修正を加え、2016年5月27日に配信した記事の再配信です。

    ▼放送時の動画はこちらから!
    http://www.nicovideo.jp/watch/1462950394
    放送日:2016年4月26日



    民主主義を根付かせるためのキーワードは「直感」
    宇野 今回は、1年ぶりにイギリスから帰国した哲学者の國分功一郎さんをお招きして、現在の日本の政治・社会状況について語っていこうと思います。國分さんが、まあ一言で言えば「悪い場所」になりつつある日本から遠く離れているあいだ、僕のほうもこの1年、いわゆる「論壇」的なものとは距離をおいて、毎週木曜朝の「スッキリ!!」以外はほとんど引きこもって自分のメディアからの発信に注力してきたつもりでいます。と、いうことで今回は、そんな二人がこの1年考えてきたことを率直にぶつけあう対談にできたらと思います。
     とりあえずはまず、國分さんの新著『民主主義を直感するために』(晶文社)が発売されたわけですけど、その話からしたいなと。
    國分 『民主主義を直感するために』で言いたかったことは、本当にタイトルそのままですね。巻末に、辺野古に行ったときのことを書いた「辺野古を直感するために」というルポが載っているんだけど、その「直感」という言葉がキーワードだと思って本のタイトルにも使うことにしたんです。俺は哲学をやっているから理論的なことをよく話すし、理論はもちろん大切だと思っているけど、「現場を通じて具体的に『直感』する」というのもそれと同じぐらい大切だと思っているんだよね。これまでに色んな場所で書いた文章をまとめた本ですが、結果的にとてもいいものになったと思ってます。
     「直感」という言葉にはちょっとしたこだわりが込めてあって、まず、「直感」と「直観」という同じ読みの2つの言葉がありますよね。哲学では「直観」のほうを使うことが多いけれど、こちらは非常に理知的なイメージの単語ですね。それに対し「直感」は感覚的です。多くの場合、英語で言う"intuition"は「直観」の方に対応すると思うんですね。すると、「直感」は英語には翻訳不可能だということになる。こう考えると、この言葉は特殊な身体性が織り込まれているというか、「具体的に体で感じ取る」というイメージのとてもいい日本語じゃないかと思うんです。そういう感覚が民主主義をやっていく上で大事なんじゃないかということをこのタイトルに込めました。
    宇野 このタイトルに関して僕もいろいろ思うところがあるんですけど、結論から先に言うと「今のこの2016年の日本では民主主義を直感させないほうがいい」と思っています。
    國分 いきなり直球が来たね(笑)。さっそく話をはじめましょうか。
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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第二回 チームラボと「秩序なきピース」(前編)(2)【金曜日配信】

    2017-11-17 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。「文化砂漠」シリコンバレーがとうとうアートギャラリーを得たーーチームラボのアートがシリコンバレーで評価されたことは、ニューヨークやロンドンのマスメディアから皮肉と驚愕を持って受け止められました。なぜ時代の最先端を走るシリコンバレーがチームラボのアートを求めたのか、その理由を解き明かします。(初出:『小説トリッパー』 秋号 2017年 9/30 号)
    1 チームラボはシリコンバレーのアイデンティティとなり得るか
    「Silicon Valley’s Wealthy Finally Buy Art(When Not for Sale)」(シリコンバレーが初めてアートを買った)――二〇一六年二月十日〈ウォール・ストリート・ジャーナル〉の紙面を驚愕に満ちた見出しが飾った。文化的なものに対しての感度をもたないはずのシリコンバレーの起業家たちが、そのアイデンティティとしてのアートを発見したことを、同紙は「事件」として扱ったのだ。(1)
     その四日前に同様の「事件」を報じた〈ガーディアン〉紙に至っては「The ‘cultural desert’ of Silicon Valley finally gets its first serious art gallery」とシリコンバレーを「文化砂漠」と評した上でそこに暮らす人々がアートを受け入れたことへの驚きを表明している。(2)
     そして彼らが「はじめて」受け入れ、そのアイデンティティを記述し得るものと位置づけたアート――それは、猪子寿之を中心としたアーティスト集団〈チームラボ〉のデジタルアート群だった。
     二〇一六年二月六日から七月一日にかけて、チームラボはシリコンバレーにて、新作を含む全二十作品からなる大規模個展「Living Digital Space and Future Parks」を開催した。同展はチームラボが提携するニューヨークの老舗アートギャラリーPaceが同地に開設した〈Pace Art + Technology〉のオープニングエキシビジョンであり、これはPaceが事実上チームラボ展のためにシリコンバレーに土地と箱を用意したことを意味する。実際Paceにとっても、この開設は大きな賭けだったと思われる。シリコンバレーには元来ギャラリーが少なく、その文化も根付いていなかった。実際、計画発表時にPaceには「シリコンバレーでギャラリービジネスは成功しない」という批判が多く寄せられたという。しかし、Paceは「チームラボと共にシリコンバレーに行くんだ」と述べ、計画を強行した。
     そしてオープンと同時に同展はシリコンバレーの人々に、驚きと歓喜をもって迎えられた。Googleの経営陣をはじめとするシリコンバレーの起業家たちが次々と足を運び、故スティーブ・ジョブズ夫人やNetscapeの創業者として知られるマーク・アンドリーセンからも絶賛を集めた(アンドリーセンは自宅のエントランスにチームラボの作品を飾っているという)。その結果が、ニューヨークのマスメディアの皮肉と驚愕に満ちた反応だったというわけだ。
     前述の〈ウォール・ストリート・ジャーナル〉紙はこの現象――彼らにとっては理解不能な現象――の発生原因を、同展の展示方法に求めている。デジタルアートという形式上、同展の入場はギャラリーの展示としては異例の、チケット制を採用していた。それは購入を前提としない鑑賞を観客に促したが、逆に起業家たちの入場を誘い作品の購入につながったのだ、と同紙は分析している。
     しかし、ほんとうにそうなのだろうか。
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  • 鷹鳥屋明「中東で一番有名な日本人」第6回 今サウジアラビアで何がおきているのか?

    2017-11-16 07:00  
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    鷹鳥屋明さんの連載『中東で一番有名な日本人』。今月、サウジアラビアで汚職対策委員会が、11人の王子や現職閣僚らを拘束しました。日本ではその一人、著名投資家のアルワリード王子の豪華な生活に報道の焦点が当たっていますが、鷹鳥屋さんはもっと重要なことがあると語ります。なぜ王子たちが拘束されているのか、没収された資産はどうなるのか、鷹鳥屋さんがサウジアラビアの今を伝えます。
     前回はサウジアラビアのエンターテイメント産業のこれからについてお話しました。さらにその前は働くサウジアラビアの若者について話していましたが、常に問題になっていたのは「石油価格の低迷が進む今、国家歳入が落ち込んでいて国家財政的に厳しい」という部分でした。  ですが、皆様も最近のニュースでご存知のように、ある意味で「埋蔵金」と呼べるところから財源を確保するのではないか、というニュースが世界を駆け巡りました。11月5日にサウジアラビアのサルマン国王の息子のムハンマド・ビン・サルマン皇太子(以下、ムハンマド皇太子)がアルワリード・ビン・タラール王子(以下、アルワリード王子)を含む11人の王子や、政府の閣僚、高官らを一斉に拘束しました。日本の各メディアでは、この中で特に有名なアルワリード王子について、その資産家・投資家としての豪華な生活について特集をしていました。しかし、他にもっと重要なことを伝えなければいけないと思い、今回は急遽前々から準備していた『中東ボディビル選手権最前線』 から内容を変更してこのニュースについて書くことにしました。
    サウジアラビア王族早見表(作:鷹鳥屋)©Al-Arabiya, ©Al-Sharq, ©John B. Philby
    アルワリード王子とは?メディアの語らぬ奥の奥まで
     今回の件で、日本のメディアでは知名度が高く資産家としても有名なアルワリード王子についてよく取り上げられています。しかし、なぜアルワリード王子の資産だけが公開されているのかという点、彼がなぜサウジアラビア政府の人間ではなく私企業のトップというビジネスマンになったか、ということについては伝えられていません。  その説明をするためには、まず彼の父親であるタラール王子について話さなければなりません。タラール王子は初代国王のアブドルアジーズ国王の21番目の息子でありながら、その妻はレバノン系の女性でした。そしてナセル大統領統治下のエジプトに滞在し共産主義に染まり、通称「赤い王子」という名前も持つ方です。この方は一部の王族たちと共に「自由王子運動」というサウジアラビアの体制批判運動を起こしたことから、後に王位継承権を返上し官職にも付かず、現在は政治の表舞台には出ていません。 ▲タラール・ビン・アブドルアジーズ王子、アルワリード王子と面影が似ています■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 本日21:00から放送☆ 宇野常寛の〈水曜解放区 〉2017.11.15

    2017-11-15 07:30  

    本日21:00からは、宇野常寛の〈水曜解放区 〉!
    21:00から、宇野常寛の〈水曜解放区 〉生放送です!
    〈水曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、
    既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。
    今夜の放送もお見逃しなく!★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「無理だと思った瞬間」今週の1本「君たちはどう生きるか(漫画版)」アシナビコーナー「ハセリョーPicks」and more…
    今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日11月15日(水)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:長谷川リョー(ライター・編集者)
    ▼ハッシュタグ
    Twitterのハッシュタグは「#水曜解放区」です。
    ▼おたより募集中!
    番組では、皆さんからのおたよりを募集しています。番組へのご
  • ジョシュア・ウォン×周庭「香港返還20周年・民主のゆくえ」質疑応答編

    2017-11-15 07:00  

    香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。今回は2017年6月14日に東京大学駒場キャンパスで行われた講演「香港返還20周年・民主のゆくえ」の質疑応答編をお送りします。会場からの質問に答えながら、香港人としての民主を目指す思いを語ります。(構成・翻訳:伯川星矢) ※文中の役職は、講演当時のものです。 ※この記事の前編はこちら・後編はこちら
    政党を作るという決断、正しいことをしていると信じて
    倉田 大変興味を持ったことがありますので、私からいくつか質問をしたいと思います。学生運動は学生が卒業すると終わってしまうから、それを永続的にするために政党を作るという選択をしたというお話がありました。ただ、まだジョシュアくんも周庭さんも、現役の学生であり、立法会議員のネイサン・ローさんも学生です。私たち日本人から見て現役の学
  • 【入場受付方法変更】富野由悠季×國分功一郎×福嶋亮大×宇野常寛 11/25(土)開催!『母性のディストピア』刊行記念シンポジウム 「戦後アニメーションは何を描いてきたか」(号外:イベント情報のお知らせ)

    2017-11-14 07:30  
    【お知らせ】当日13:00より入場整理券を配布することになりました。ご入場方法について下部に追記があります(11/24)。国産アニメーションがその特異な進化を経ることで、内外に独自の地位を築いてから久しい。そして同時にこれらアニメーションは戦後日本の産み落とした文化的な「鬼子」として、ときに美しく、ときにグロテスクなかたちで現実以上に現実を表現するジャンルとして認知されてきた。
    この度出版された宇野常寛著『母性のディストピア』はこうした戦後アニメ、とりわけ宮﨑駿、押井守、そして富野由悠季の作品を中心的に論じ、アニメーションの分析から戦後日本の精神史に対する批評を試みたものである。
    本シンポジウムでは富野由悠季監督を招き、同書を素材に実作と批評、双方の観点からこの国のアニメが描いてしまったものとは何だったかを議論する。
    【登壇者】
    富野由悠季(とみの・よしゆき)
    1941年生まれ。神奈川県小
  • 池田明季哉 "kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第一章 トランスフォーマー(2)「2007年:ハリウッドの生んだ意外な双子、イーストウッドとオプティマス」【不定期配信】

    2017-11-14 07:00  
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    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。ラジー賞を受賞し「最低の映画」とまで言われる映画版『トランスフォーマー』シリーズ。しかしある視点から見ると、アカデミー賞も受賞したクリント・イーストウッドが監督・主演した名作『グラン・トリノ』と驚くほどの類似点があると言います。ふたつの映画の比較から、21世紀にトランスフォーマーの陥ってしまった困難について語ります。
     ここまで、20世紀を代表する成熟した男性の理想像は、アメリカのアクションフィギュア「G.I.ジョー」が描き出したような、最強の肉体と最強の知性を併せ持つ「軍人」であったことを確認してきた。そしてそのイメージを更新した20世紀末のボーイズトイにおいて、「G.I.ジョー」の仕様変更品として生まれた「変身サイボーグ」は、自身の身体にテクノロジーを組み込むことで成熟を目指す「サイボーグ」というイメージを、そしてさらにその関連商品として発売された「サイボーグライダー」は、自らが乗り物になってしまうことで「魂を持つ乗り物」というべきイメージを提出した。
     そして前回にあたる「第一章(1)「トランスフォーマー──ヒトではなくモノが導く成熟のイメージ」では、1984年の誕生当時のトランスフォーマーを、「魂を持つ乗り物」の最も先鋭化した姿として、理想の成熟のイメージとして憧れの器となりながら同時に成熟することを断念させる矛盾を孕んだ存在として、そしてそれゆえに描くことのできた新しい成熟のイメージについて論じた。
     その後トランスフォーマーは、誕生から30年以上に渡ってさまざまなバリエーションを生み出し続けており、そのそれぞれがユニークな想像力を提案し続けてきた。ひとつひとつのシリーズを理想の男性性や成熟のイメージといった観点から詳細に分析していきたいところだが、それは重厚な歴史に伴ってあまりにも膨大な分量になってしまうことから残念ながら断念せざるを得ない。そのためその重要性を認識しつつも、本稿では2007年からスタートし現在も進行中の、トランスフォーマー史上ある意味で最もポピュラリティを獲得したシリーズであるハリウッド映画版、およびそのおもちゃについて取り扱いたい。
     前回でもわずかに触れたが、結論から述べると、このハリウッド映画版はアメリカ主導で製作されることでアメリカン・マスキュリニティが中心的なテーマに据えられ、そして結果としてその挫折と更新の難しさを露呈してしまっている、というのが本連載の立場である。まずは映画の物語に注目しながら分析を加え、おもちゃのデザインがどのようにそれを引き受けたかという順で論じていきたい。その後ここまでの議論と合わせて考えることで、21世紀にトランスフォーマーが辿り着いてしまった限界と、20世紀末に置いてきてしまった可能性が明らかになるだろう。
    ▲タカラトミー『TLK-15 キャリバーオプティマスプライム』
    『トランスフォーマー』は「最低」の映画か?
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  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第13回 教室に「転生戦士」たちがいた頃――「オカルト」ブームとオタク的想像力(PLANETSアーカイブス)

    2017-11-13 07:00  
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    今回のPLANETSアーカイブスは「京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録」。80年代のオカルトブームを取り上げます。70年代に始まったオカルトの流行は、『ぼくの地球を守って』など、「前世」や「転生」をモチーフにした一連の作品を生み出しますが、その影響を受けて、現実でも「前世の仲間」を探そうとする若者が大量に現れます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです/2016年12月2日に配信した記事の再配信です)。
    つのだじろうとサブカルチャーとしての「心霊」
     「オカルト」というかつて存在したジャンルと、その隣接領域としてのマンガ・アニメについてもう少し考えてみましょう。  つのだじろうの『恐怖新聞』という作品があります。このつのださんは、ミュージシャンのつのだ☆ひろさんのお兄さんですね。彼は藤子不二雄コンビや石森章太郎と同じトキワ荘グループのマンガ家で、初期はギャグマンガやスポーツマンガで知られていました。この時期の代表作『空手バカ一代』はアニメにもなったヒット作です。
     しかし70年代半ばからはオカルトブームを背景に、すっかり「心霊マンガ家」になってしまいます。この時期つのださんは『うしろの百太郎』『恐怖新聞』で大ヒットを飛ばすわけですがブームに乗っかったのではなくて、プライベートでも心霊研究をかなり本格的にやっていたので、いわゆる「ガチ勢」ですね。
     では『恐怖新聞』を少し読んでみましょう。  平凡な中学生の鬼形礼(きがた れい)という主人公はある日、霊に取り憑かれ呪われてしまい、「恐怖新聞」という、読むと必ず寿命が100日縮まる新聞が毎晩配達されるようになります。この恐怖新聞には「明日誰々が死ぬ」という不吉なことが書かれている。未来を知ることができるから、鬼形礼は不幸なことが起こるのを阻止すべく奮闘して、失敗したり成功したりするんですね。で、読むたびに寿命は縮まっていくので、最後には死んでしまいます。  『恐怖新聞』は心霊マンガなんですが、だんだんストーリーが進むにつれて今読みかえすとおかしな方向にも向かっていきます。たとえば「円盤に乗った少女」という回がありますが、なぜかUFOネタが入ってくるんですよ(笑)。心霊とUFOは全然関係ないですよね。  あるいはこの鬼形くん。物語の後半でなぜか埋蔵金を探しています。埋蔵金っていうのは豊臣秀吉や徳川家康が子孫のためにどこどこの山中に大量の金銀を埋めておいた云々という、例のアレですね。もはやここまで来ると心霊マンガでもなんでもないんですが、当時としてはそれほど不思議なことでもないんです。  当時の、いや、今もいくつか残っているオカルト雑誌を読むとよく分かるんですが、「超能力」も「心霊」も「UFO」も「埋蔵金」もジャンルとしては同じ「オカルト」なんです。当時の「オカルト」は陰謀論や疑似科学によって当時日本社会を覆っていた終わりなき消費社会の日常から逃避させてくる装置だったわけで、その逃避機能を保証する非科学性というところでジャンルの統一性を保っていたんですね。
    80年代オカルトブーム絶頂期と『ぼくの地球を守って』
     さて、「オカルト」ブームとマンガ・アニメの関係を語る上で外せない作品があります。  1986年から1994年まで少女マンガ誌「花とゆめ」に連載された日渡早紀『ぼくの地球を守って』です。のちにビデオアニメにもなっています。
    (『ぼくの地球を守って』映像再生開始)
     超古代に、高度な文明で栄えた異星人たちが月に基地を作って、そこで科学者たち男女7人が働いているんですが、恋愛関係のもつれと基地内での伝染病の蔓延によって全員死んでしまいます。その7人が何千年か後に現代日本人に転生してもういちど恋愛をする。当時流行っていた『男女7人夏物語』のようなトレンディドラマに、転生要素を加えたストーリーですね。  これはマンガでもヒットしましたが、オカルト界では大ヒットしました。前世ではヒロインと相手役の男は同じぐらいの年齢なんですが、前世で死亡したタイミングがずれたせいで転生後の再開時にはお姉さんと少年になるわけです。いやあ、いろんな欲望を同時に満たしすぎですよね(笑)。前世ではオラオラ系のイケメン、現世ではインテリ系の美少年をゲット、的な。  彼らは前世で超能力を持っていたのですが、現代日本に転生した主人公たちはだんだん前世の記憶とその能力を取り戻していき、現代日本で起きる事件に立ち向かっていきます。
    ▲日渡早紀『ぼくの地球を守って(1)』白泉社文庫
     実はこの時期、この国では「前世は超古代文明(ムー大陸とかアトランティスとか)の人間で、超能力を持っている」という自称転生戦士たちが現実世界に溢れかえったんです(笑)。この現象についてはインターネット上のサイトにまとまっていますので、それを見ていきましょう。
    (参考)『ムー』読者ページの“前世少女”年表 - ちゆ12歳
     80年代当時はインターネットがなかったので、オカルト雑誌の「ムー」の投稿欄で「ペンパル」といって要は文通相手を募集したんです。そこに自称転生戦士が「こういう記憶を持っている人、お友達になりませんか?」という募集を出すわけです。というよりも、『ぼく僕の地球を守って』はそのオカルト雑誌の読者投稿欄に着想を得て作られているんです。  実際『ぼく僕の地球を守って』の序盤は「前世にこういう記憶を持っている人いませんか?」とペンフレンド募集をして生まれ変わった仲間が再会するというストーリーです。『幻魔大戦』が代表する転生戦士というサブカルチャーのトレンド、物語フォーマットが流行してオカルトブームにも影響を与え、「ムー」の投稿欄も先鋭化して、さらにそこから『ぼく僕の地球を守って』が生まれ大ヒットしたことで、自称転生戦士がまた増えるというサイクルだったんですね。  この当時、転生戦士はたくさんいました。さきほどのサイトを見てみましょう。
    「戦士、巫女、天使、妖精、金星人、竜族の民の方、ぜひお手紙ください」 「前生アトランティスの戦士だった方、石の塔の戦いを覚えている方、最終戦士の方、エリア・ジェイ・マイナ・ライジャ・カルラの名を知っている方などと」
     こういった手紙がたくさん「ムー」には掲載されていたわけです。すごいですね。
    1979年     『ムー』創刊。創刊号から「自分が地球以外の宇宙人だと思う人と文通がしたいので~す」という14歳の女の子はいますが、まだ前世少女からの投稿はありません。 1980年      まだ前世少女はいません。 「あたし‥‥実は異星人なんだ‥‥」「異星人の仲間どこかにいない‥‥?」(3月号)という15歳の女の子はいますが、本気度は不明。
     イラストがいいですね。当時のアニメブームのテイストの絵になっています。
    1981年 この時期、「超人ロックが好きで、ロックのようなESPERになりたいとがんばっています」(5月号)という14歳の女の子など、エスパー志望者がやや目立ちます。 1982年      「転生、超能力、SFに興味がある女子」との文通を希望する18歳(4月号)や、「転生について異常なほど興味があり、明るすぎるほどのぼくにお手紙ください」という16歳(10月号)など、転生に関する投稿は少し増えました。 1983年      この頃、「人類救済を目的とするサークル」のメンバー募集(5月号)など、終末を意識した投稿が増加します(たぶん、3月公開の『幻魔大戦』劇場版の影響が大きかったと思われます)。
     『幻魔大戦』の映画版がこの年に公開されています。
    9月号では、「自分が宇宙とかかわる“光の戦士”か“救世主”だと思う方、連絡してください」という中3の女の子が登場。 10月号には、「前世の記憶がもどり、超常現象の体験がありま~す」という中3の女の子。
     ここから、こういう手紙がだんだん増えてきますね。
    1984年     「不思議な夢をよく見ます。私には何かの使命があるような…」という高2の少女(3月号)。 「この風景に見覚えのある方おまちしてます」と、イラストを投稿する18歳の女の子(7月号)。
     ……見覚えがあったら衝撃的ですね。
    「古代ギリシアの地中海にいたころの過去世の記憶がある方で、自分の魂、もしくは守護神がギリシア神話に出てくる神々である方と。私の守護神はアポロンですが、同じ系列の仲間を捜しています」という23歳の男性(12月号)。
     これもなかなかいい感じですね。当時23歳だと、現在は還暦に近いですよね。1985年だから、これは僕が小学校1年生の頃です。
    1985年     「前世の記憶が“平家一門”だったのではと思われる方…そして“葵”という名の源氏方の若い武将にお心当たりの方」からの連絡を待つ17歳の女性(3月号)。 「あたしは幽体離脱、幽体分裂、時間をもどしたり、遅くすすめたり、タイムリープができます。100年に1度の天使のハネを持つ妖霊です」という18歳の女の子が、「マヤ出身の人(白い魂の子)」との文通を希望(3月号)。 ※「弥生時代か飛鳥時代に生きた記憶のある方、ご連絡ください」という高校3年生や、「毛利元就の2男・吉川氏の家系の前生をもたれる方、おききしたい事があります」という17歳(5月号)など、この頃までは、前世が異星や異次元なのは少数派でした。 7月号では、「自分がミヤリア一族だと思われる方、または、ソディラ、セカ、スィール、ミヤ、セヤ、ジィン、マラ、リヤ、トルファン、オルキムの名に心あたりがあるか、自分の魂の名がこのいずれかの方」を探す15歳の女の子が登場。これ以降、カッコイイ名前の尋ね人が増えます。
     魂の名とはいったいなんでしょう。当時の文通覧は、住所も公開しているんですよね。これ、なかには実際に「俺が前世の恋人だ」とか言って押しかけてくるケースもあったと思うんですよね。そこでイケメンが来ればいいけれど、そうじゃなかったらどうしたんでしょうね……。
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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第二回 チームラボと「秩序なきピース」(前編)(1)【金曜日配信】

    2017-11-10 07:00  
    550pt

    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。仕事を終えたシンガポールの深夜、携帯電話に届いたメッセージは、チームラボ・猪子寿之さんからのものでした。今回は、ホテルの部屋で猪子さんと明け方まで語り合った、多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーの敗北を突破する可能性について述べていきます。 (初出:『小説トリッパー』 秋号 2017年 9/30 号)
    0 シンガポールの夜
     二〇一七年三月十二日の夜遅く、私は出張先の台湾からシンガポールに入った。前の夜に学会の打ち上げで話し込んだせいか、その日も少し疲れていた。本当は街中に食事に出ようと思ったのだけれど、その元気はなくホテルに隣接したショッピングモールのフードコートで軽く済ませて、どっとベッドになだれ込んだ。仕事の準備は明日にしてもう寝てしまおう、と思ったとき携帯電話にメッセージが届いた。「いま、仕事終わった」――私をこのシンガポールに誘った男、チームラボ代表の猪子寿之からだった。
     チームラボについてここで改めて簡単に紹介しよう。チームラボは猪子寿之が率いる「ウルトラテクノロジスト集団」であり、近年はデジタルアート作品を多数発表し、内外の注目を集めている。国内では若者や若い家族連れに人気のエンターテインメント的なアート作品のイメージが強いが、海外からはむしろアートの概念を更新し得る新勢力として大きな注目を集めており、この二年だけでもシリコンバレーのパロアルト展を皮切りに、ロンドン、北京、そしてここシンガポールと世界の主要都市での大規模展を開催している。  そしてこのときマリーナ・ベイ・サンズにあるチームラボの常設展はリニューアルオープンを控え、前々から同展に誘われていた私は同行、というか現地で合流することにしたのだ。  メールを受け取った私はこれは会う流れなのかな、と思いながらとりあえず「お疲れさま」と返した。すぐに「今何しているの」と尋ねられた。「ホテルの部屋で、だらだらしているよ」と返すと「(自分もシンガポールに)いるよ」と返ってきた。そもそもそういう予定なのだから猪子がシンガポールにいるのは当たり前のことであり、彼が私に伝えたい意思は別のところにあるのは明白だった。しかし猪子はなぜか自分からは誘ってこなかった。理由はよくわからないが、おそらく私から誘って欲しいと思っているのだろう。シンガポールの夜二十四時過ぎ、中年男性がふたりこれから会う/会わないをさぐりさぐり、ショートメッセージをひたすら往復するという状況が十分ほど続いた。  メッセージがさらに数往復したあと、さすがにこの状況は自分が能動的に動いて打開したほうがいいのでは、と考えた私は、「もう寝る感じ?」と送ってみた。彼は私より半日早く現地入りしてこの時間まで仕事をしていたという事情を考慮して、この表現を選んだ。するとすぐに既読がついて、猪子からこう返ってきた。「なんでも、よいよー」と。本当に、面倒くさい男だなと思った。
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  • 井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第21回:ゲームから物語へ(2)【毎月第2木曜配信】

    2017-11-09 10:00  
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    ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。前回に引き続き、テーマは「ゲーム/物語」の区分です。今回はブルーナーの裁判についての議論と比較しながら、「物語の階層性」という概念を通じて、ゲームと物語の関係を解き明かします。
    ■第21回:ゲームから物語へ(2)
    3.5.7. 解釈システムの階層性
    物語化の階層性
     心理学者のブルーナーは、物語を生成させるプロセスの一つとして裁判における物語生成に着目している[1]。  裁判においては、被告と原告のあいだに異なる物語があり、双方の物語をたたかわせる。複数の物語間の衝突があり、その衝突は裁判官が正統な物語を決定することによって収束するという手順をもっている。  そして、複数の物語が、調整されるプロセスにおいて、法廷では「過去」の先例への一致が基準とされる。法大全や六法全書に掲載されている判例集との整合性をチェックし、先例との対応を考えていくことでいかにも順当な物語が選び取られる[2]。  以上のブルーナーの指摘は、ゲームと物語の関係を考えるうえでも示唆に富んでいる。「裁判」の仕組みは社会的なプロセスだが、裁判のような複数の物語がたたかわされ、調整されるプロセスというものを、一個人の認知のはたらきの過程として相似形で考えてみることにしよう。  我々は、日々数多くの「物語になりうるもの」と出会いながら生きている。 我々の日々の経験のうちのいくつかは印象深いものとして記憶され自伝的な記憶となり、いくつかの要素はそのようなものとしては記憶されない。はじめて恋人ができた日の記憶や、親族の死の記憶などは多くの人にとって記憶に残る類のものだろうが、今日の昼食が今後の人生の記憶に残るかどうかといえばよほど美味しいものにでも出会ったりしない限りはなかなか記憶に残りつづけることはないだろう。  ゲームを遊ぶなかで出会うほとんどのことは、繰り返しつづける要素の一部だ。今日の昼食とか、昨日のトイレの記憶に近い。何度も繰り返しているゲームのなかで、敵がどのような戦略を採ったか、自分がそのとき何をしたかということはそこまで詳細な記憶はないだろう。たとえ、FPSのような銃撃戦のオンライン対戦ゲームのなかで敵キャラクターを殺害していようが、味方キャラクターが殺されていようが、こまかな記憶を保持しておくのは難しい。『ジョジョの奇妙な冒険』に主人公が宿敵ディオに対して、いままで何人を殺してきたのか?という問いを発し、それに対しディオが「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」と答えるという有名なシーンがあるが、ゲームの行為というのは、まさにこのような側面がある。  しかし、プロのゲームプレイヤーたちの日常というのはそうではない。  ある朝起きたら、昨日の自分のゲームプレイの結果がニュースとして報道されるということがありうる。裁判においては、裁判官によって複数の物語のうちの一つが正統な物語として選び出されることになるが、プロのゲームプレイヤーたちの日々はジャーナリストや観客たちによって任意のシーンが重要な物語として語られることになる。たとえば、高名なチェスプレイヤーのカスパロフであれば一九九七年五月に行われたIBMのAI(ディープブルー)との対戦が「歴史的事件」として報道された[3]。  彼らの日常、彼らの試合のすべてが特別な物語、意味のある物語とみなされるわけではない。  無数のゲームを戦うなかで、任意の瞬間が、特別な「物語」として選び取られることになる。
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