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本日21:00から放送☆ 宇野常寛の〈水曜解放区 〉2017.12.20
2017-12-20 07:30
本日21:00からは、宇野常寛の〈水曜解放区 〉!
21:00から、宇野常寛の〈水曜解放区 〉生放送です!
〈水曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、
既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。
今夜の放送もお見逃しなく!★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「運命の出会い」今週の1本「スターウォーズ / 最後のジェダイ」アシナビコーナー「たかまつななの水曜政治塾」and more…
今夜の放送もお見逃しなく!
▼放送情報放送日時:本日12月20日(水)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
▼出演者
ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:たかまつなな(お笑いジャーナリスト)
▼ハッシュタグ
Twitterのハッシュタグは「#水曜解放区」です。
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池田明季哉 "kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第一章 トランスフォーマー(4)「乗り込めない3DCG、乗り込めるおもちゃ」【不定期配信】
2017-12-20 07:00550pt
デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。今回はトランスフォーマー編の最終回として、特に初期映画版トランスフォーマーのおもちゃがデザインされたプロセスに着目しながら、ハリウッドが見落としてしまったトランスフォーマーのもうひとつの可能性を指摘します。
「変形フィギュアをぐにゃっと曲げて変形させることはできない」
ここまで、映画版トランスフォーマーが、暴力というアメリカン・マスキュリニティの重力から逃れらず、新たな男性性の可能性を獲得することに失敗してきた10年の歴史を整理してきた。
それではトランスフォーマーという表象が、再び新しい成熟のイメージの担い手となることはできないのだろうか。「kakkoii」の器となることができた1984年のトランスフォーマーと、保守的な男性性の重力から自由になれなかった2007年以降のトランスフォーマーは何が違うのだろうか。
そのヒントは、むろん、おもちゃのデザインにある。
この連載がおもちゃのデザインを主題としていながら、映画版トランスフォーマーについてはほとんど映画の物語内容についてしか論じていないことを、不思議に思う読者もいるかもしれない。しかし逆説的に、映画の物語内容について論じるしかなくなっているという事態にこそ、問題を解決するヒントを見いだすことができる。
1984年のトランスフォーマーが、日本でつくられたおもちゃをアメリカ向けに再パッケージしたブランドだったことは前回述べた。しかし映画版のトランスフォーマーは、全く異なるプロセスでデザインされている。
先に結論を述べよう。映画版トランスフォーマーの決定的な分岐点は、アメリカ軍にフェティッシュな憧れを抱くマイケル・ベイに監督を任せたことでも、マーク・ウォールバーグというアメリカン・ヒーロー映画の常連を主役に据えたことでもない。3DCGの可能性を過大評価し、そしてそれによって結果的におもちゃを過小評価してしまったことだ。
ハリウッドのブロックバスター映画ともなればその機密性は徹底しており、映画版トランスフォーマーのおもちゃのデザインがどのようなプロセスで行われたのかを正確に把握することは難しい。しかしそれが非常に複雑なものであり、かつ映画サイドとおもちゃサイドの緊張関係を伴っていたことは、幾つかの情報から窺い知ることができる。
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福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第五章 サブカルチャーにとって戦争とは何か 2 敵を生成するサブカルチャー(2)【毎月配信】
2017-12-19 07:00550pt
文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。無邪気なアナクロニズムの結晶『宇宙戦艦ヤマト』や「敵」の姿を克明に描いた『機動戦士ガンダム』など、戦争映画と特撮の後継者としての日本の戦後アニメーションに宿った身体性について語ります。
アニメにおける敗戦の否認
その一方で、サブカルチャーの歴史を広く見ると、ちょうど『ウルトラマンレオ』放映中の一九七四年を大きな転換点として、特撮からアニメへと「戦争の物語」の中心が移ったことが分かる。この年には一九三四年生まれの西崎義展がプロデューサーを、金城哲夫や石ノ森章太郎と同じ一九三八年生まれの松本零士が監督を務めた『宇宙戦艦ヤマト』がテレビ放映され、その後の日本アニメの礎を築く画期的なブームを巻き起こした。
この軍事的なアニメ作品では、日本人の集団心理的な屈辱が栄光に変えられる。放射能汚染された地球を救うために、若い主人公の軍人たちは宇宙戦艦として蘇った戦艦ヤマトに乗り込んで「敵」であるガミラス人と宇宙海戦を繰り広げながら、慈母のような女性の住むイスカンダル星へと放射能除去装置(コスモクリーナー)を受け取りに赴く――、ここには敗戦国日本のトラウマを女性(母)からの承認によって解消しようとする動機がうかがえるだろう。日本の惨めな敗戦を象徴する二つの悲劇(原爆投下による放射能汚染と大艦巨砲主義の挫折)は、このSF的なファンタジーのなかで反転し、むしろ日本人に国際的な栄冠を授けるきっかけとなる。黒光りする巨大な男根のような宇宙戦艦は、まさに敗戦を「否認」しようとする露骨な欲望の結晶体であった。
私は第二章でウルトラマンと怪獣の闘いは「子供から見た戦争」だと記したが、それは西崎や松本らの生み出した『ヤマト』にも当てはまる。そもそも、太平洋戦争で沈んだ巨艦によって宇宙を旅行するとは、あまりにも荒唐無稽で子供じみたアイディアである。それに「大人」の戦争の世界では、大袈裟な巨砲を備えた戦艦そのものがすでに過去のものであった。例えば、成田亨は円谷プロ製作の特撮テレビドラマ『マイティジャック』(一九六八年)の主役たちが乗り込むM・J号を重巡洋艦「愛宕」を参考にしてデザインしたが、その設計思想について後にこう語っていた。
万能戦艦M・J号のデザインは、当時の世界の海軍の動きに合わせて描きました。まず、レーダーが発達して今までの高い櫓の司令塔が不要になり、ミサイルの発達によって巨砲が不要になり、つまり、戦艦不要の時代に入っていました。空母主体の機動部隊に巡洋艦が旗艦でついているという時代でした。この巡洋艦の形態に空母的性格も加え、自ら飛ぶというので、こんな形をデザインしました。[25]
成田は巡洋艦の形態をアレンジしながら、世界の軍事的先端に合わせたデザインを目指した。にもかかわらず、日本のサブカルチャー史の画期となったのが『マイティジャック』ではなく、成田の言う「戦艦不要の時代」に完全に逆行した『宇宙戦艦ヤマト』であったのは、きわめて皮肉なことである。このアナクロニズムの勝利はまさに大人に対する子供の勝利であり、特撮に対するアニメの勝利でもあった。
もっとも、後続のアニメ作家は『ヤマト』のデザインには必ずしも満足しなかった。例えば、一九七九年に『機動戦士ガンダム』を世に送り出すことになる一九四一年生まれの富野由悠季は『宇宙戦艦ヤマト』第四話のコンテを担当した際に、強い違和感を覚えたことを述懐している。「西崎さんの世代の持っているメカニック感みたいなものが陳腐過ぎて、僕にはとてもじゃないけれど許容出来なかったんですが、それでコンテをストーリーごと全部描き直しちゃったんです」[26]。富野にとって、西崎ら先行世代のもつメカニックの感覚は耐え難いものであり、実際『ガンダム』の兵器のデザインは『ヤマト』に比べて格段に充実している。だとしても、『ヤマト』の無防備なアナクロニズムと子供じみた欲望が、戦後のアニメのなかに架空の「戦争」を強力なテーマとして招き入れたことは間違いない。
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【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」後編(PLANETSアーカイブス)
2017-12-18 07:00550pt
今回のPLANETSアーカイブスは、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)や『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)の著者である哲学者・國分功一郎さんと本誌編集長・宇野常寛の対談です。後編で議論されるのは、言語の射程距離の変化と、カリフォルニアン・イデオロギー以後の国家に残された役割。そして、人間にとっての「言葉」の機能の本質とは?(構成:中野慧)
※本記事は、2016年 4月26日に放送されたニコ生の内容に加筆修正を加え、2016年6月10日に配信した記事の再配信です。
▼放送時の動画はこちらから!
http://www.nicovideo.jp/watch/1462950394
放送日:2016年4月26日
「言葉」で語られる公共性はどこまで有効なのか
國分 ここまで政治の現状の話をしてきましたが、もうちょっと抽象的な未来の話もしてみたいと思います。宇野さんは言葉に関わっていてITにも関心があるわけですよね。で、ここまで話してきたことにも関連するんだけど、最近俺は、「もしかしたら、人間は言葉を喋らなくなるんじゃないか?」ということを考えているんです。いまは「密度の濃い」言葉が機能しなくなっている一方で、LINEとかではスタンプでコミュニケーションが取れているわけでしょう?
イタリアの哲学者のジョルジョ・アガンベンが、去年出した『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』(みすず書房、2016年)という本のなかでけっこうショッキングなことを言っていた。近代以降、言語が人間の思考を規定するということがずっと前提になってきたが、それがいま消え去りつつあるって言うんです。俺は割とそれに驚いた。
去年の夏にアガンベンの集中講義に出席して、彼と直接話をする機会があったんだけど、酒の席で彼は「人間は世界中でBad Languageを喋っている」って何度も言っていた。その後、彼の本を読んでそのことを思い出したんだよね。人はもう言葉と呼べるものを話さなくなりつつあるってことなんじゃないか。
でも、よく考えてみれば、俺らが日常的に話している言葉って、密度が濃いものでも、深みがあるものでも何でもない、記号でしょ。「ああ、宇野さん、どうもどうも」とか、「だよね」「じゃあ、またね」とか。それは別に堕落したコミュニケーションじゃなくて、コミュニケーションというのはそういうものなんじゃないか。
哲学の分野では、密度が濃い、深みのある言葉について、「言語のマテリアリティ(唯物論性)」なんて言い方をしてきた。言葉自体がゴツゴツした物質として存在しているというイメージですね。でも、そういうイメージって所詮はここ100〜200年の夢物語に過ぎなかったんじゃないか。もしそこで学者たちが夢見ていたものを「言葉」と呼ぶならば、まさしくアガンベンが言うように「言葉」は消え去りつつあるんじゃないか。
だとすると、今日の話の前提には「言葉を届ける」ということがあったと思うんだけど、いったいどうしたらいいのかと途方に暮れてしまうわけです。さっき宇野さんは「言葉よりもモノとかスペックのほうが射程が長い」と言ったわけだけど、本当にそういうことが起こりつつあるかもしれない。宇野さんはAIにも詳しいと思うけど、AIも無関係ではない。漠然とした話なんだけど、どう思います?
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宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第二回 チームラボと「秩序なきピース」(前編)(6)【金曜日配信】
2017-12-15 07:00550pt
本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。鑑賞者の体験そのものをデザインし、作品への没入体験を与える方向へと舵を切った猪子寿之さん率いるチームラボ。彼らがいかにして人と人、人と物、物と物の境界線を乗り越えていったか、宇野常寛が考察します。(初出:『小説トリッパー』 秋号 2017年 9/30 号)
たとえば「戦後最大の思想家」丸山眞男は、「無責任の体系」という言葉で日本社会における主体の問題を論じている。
先の大戦において、日本における全体主義はその指導者の不在に特徴があった。形式上の指導者である昭和天皇に実権は存在せず、最高意思決定は当時の軍閥の中核にいたグループの「空気」であった。その「空気」というボトムアップで形成される合意のシステムにおいては、誰も自分が決定者であるという自覚は存在しない。周囲の人間の顔色をうかがい、忖度し、明確な線引きがなされないままなし崩し的に意思決定が行われることになる。丸山はこの「空気」の支配を「無責任の体系」という造語で表現した。
このとき重要な役割を果たすのが、実質的には意思決定に関与できない天皇の存在だ。「無責任の体系」によって、決定者が誰か曖昧なまま合意形成される日本社会において形式的な決定者として、責任者として機能するのがこの天皇という存在なのだ。実際には特定の人間関係の「空気」によって、決定者も責任者も不明なままの合意形成によって発生した意思は、擬似的に天皇の「お言葉」として発令される。そう、当時の日本にとって天皇とは、特定のコミュニティの「空気」を擬人化したキャラクターだったのだ。そしてこの天皇というキャラクターによって整備された「無責任の体系」に引きずられるかたちで、当時の日本はその責任の所在を曖昧化したまま、戦争への道を歩んでいったのだ。
こうして考えたとき、なぜ戦後の日本人がその児童文化で、乗り物としてのアニメのロボットという奇形を産まざるを得なかったのかも明白になるだろう。
この国の人々にとって社会参加とは、自らの意思を表明してその責任を引き受けることではない。そうではなく、周囲の人間の顔色をうかがい、「空気を読み」、その責任の所在を曖昧化したままボトムアップの合意形成を行うことであり、そして、そのとき自分たちの「空気」は天皇という想像上の巨大な存在の意思であるという設定が与えられる。そうすることで、日本人は主体であることの責任を回避したまま、社会を形成してきた。
しかし、戦後のロボットアニメとは、そんな日本人を――マッカーサーに「十二歳の少年」と揶揄された日本人を――ファンタジーの中で大人にさせる役割を負っていた。そして当時の作家たちはアニメーションの中で、少年が仮初の身体=キャラクターと同一化するという回路を編み出した。自分が直接力を行使してその責任を引き受けるのではなく、社会が、父が与えた仮初の身体を戸惑いながら行使する。前述のロボットアニメたちが反復して、少年主人公たちがその強大すぎる力に戸惑うというエピソードを描いているのは、それがこの国の人々がファンタジーの中で、鋼鉄の、仮初の身体を手に入れてはじめて主体であることを可能にしたものであるからに他ならない。
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池田明季哉 "kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第一章 トランスフォーマー(3)「2009年-2016年:西から東へ、軍人から騎士へ」【不定期配信】
2017-12-14 07:00550pt
デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。1984年にトランスフォーマーの描いた成熟のイメージを評価した前々回、2007年の映画『トランスフォーマー』を『グラン・トリノ』と比較した前回に引き続き、今回のテーマもトランスフォーマーです。映画版トランスフォーマーが描こうとして挫折し続けてきた成熟のイメージを、「騎士」というモチーフを中心に論じます。
1984年に「魂を持った乗り物」として成立した初期トランスフォーマーと、モノとのコミュニケーションによって導かれる成熟について論じた前々回、2007年の映画『トランスフォーマー』を『グラン・トリノ』と比較しながら、アメリカン・マスキュリティを構成する要素を「自動車」「軍人」「キリスト教」の三つに整理した前回に引き続き、今回は、現在公開されている第2作から第5作の映画について、そして映画版トランスフォーマーが失ってしまった可能性について明らかにしたい。
『リベンジ』ーー「古きもの」によるノスタルジックな成熟
▲『トランスフォーマー/リベンジ(原題:Transformers : Revenge of the Fallen)』(2009年)
第2作『リベンジ』においても、主要な登場人物の配置は『トランスフォーマー』から大きく変化しない。オプティマス・プライム、バンブルビー、サムに加えて、レノックス大尉とヒロインのミカエラがほぼ同じ位置付けで登場する。『リベンジ』ではメガトロンに代わって「ザ・フォールン」と呼ばれる存在が敵の指導者としての役割を果たすが、全体的な構図そのものは第1作とそれほど変わるところがない。前作で高校生だったサムの大学進学が描かれているものの、それが決定的に彼を成熟させることもない。
ただ『リベンジ』からは「老化」や「風化」といったモチーフが現れていることは特筆すべきだろう。たとえばトランスフォーマーシリーズ全体においてリーダーの証として象徴的な意味を持つ「マトリクス(Matrix of Leadership)」は、長年封印されていたために風化しており触れた瞬間に砂になってしまうし、ジェットファイアーという名の老トランスフォーマーは、髭を蓄え腰を曲げて杖をついた老人然としたデザインを与えられている。
▲タカラトミー「MB-16 ジェットファイアー」。写真は映画10周年を記念して2018年に発売が予定されている仕様変更版。
そして人間とオートボットの勝利は、こうした「古きもの」の力によってもたらされる。一度は命を落としたオプティマス・プライムは、サムの功績によって再びその形を取り戻したマトリクスを使って復活し、強化パーツとなったジェットファイアーと融合することでザ・フォールンを打倒するのである。
ここでマトリクスやジェットファイアーといった「古きもの」の象徴に込められた理想とは、自己犠牲の精神であることが繰り返し語られる。砂となったマトリクスは、一旦は自ら戦いの犠牲となったサムの臨死体験を通じて復活するし、ジェットファイアーは自ら分解してオプティマス・プライムと融合する。こうした自己犠牲の精神、そしてサムやオプティマス・プライムの再生を、あるいはキリストの死と復活と同期して捉えることも、それほど無理のある見方ではないだろう。
前回、『グラン・トリノ』と比較しながら、『トランスフォーマー』には「自動車」「軍人」「キリスト教」という三つの要素が重要な位置付けで登場していることを述べた。『リベンジ』以降においてもこれは引き継がれているものの、バランスはやや異なる。「自動車」については徐々にあまり描かれなくなり、「軍人」「キリスト教」というふたつの要素が重点的に描かれるようになっていく。
こうした描写からは、『リベンジ』がアメリカン・マスキュリニティの有効期限が既に切れつつあることには自覚的であることが伺い知れる。しかしその再生の道筋は、過去の英知の結晶たるマトリックスと、老トランスフォーマーであるジェットファイヤー(のパーツ)によってもたらされる。トランスフォーマーという人間の科学を超越した機械生命体を中心にしたサイエンス・フィクションでありながら、この物語はフューチャリズムではなくノスタルジーに駆動されているのである。
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本日21:00から放送☆ 宇野常寛の〈水曜解放区 〉2017.12.13
2017-12-13 07:30
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ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:長谷川リョー(ライター・編集者)
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井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第22回リアル異世界物語と、ゲーム的想像力:九井諒子、橙乃ままれ、なろう小説 前編<番外編>
2017-12-13 07:00550pt
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。これまでゲームについて語ってきた井上さんが、番外編としてゲームに強く影響を受けている近年の小説について、ジャンル別に分類/分析します。
学習論における物語とゲームの話が終わったところで、小休止をはさみたい。というか、はさませてほしい。
そういうわけで(?)、今回は唐突だが番外編として、「異世界転生もの」とか「なろう小説」と呼ばれるあたりの作品について一度まとめて語っておきたい。
今までの話と何の関係があるのかと戸惑う読者もおられるだろうが、ただ、小休止的な回なので、そこらへんは今回、ちょっとゆるいのだが、関係はある。最近のこの手の物語というのが、ほとんどが「ゲーム」っぽい世界設定(ないし、ゲームそのもの)をベースにしているからだ。10年前であれば、ノベルゲームに見られる一群の特殊なリアリティ水準を指して東浩紀が「ゲーム的リアリズム」と呼んだものが、現在ではノベルゲームではなく、「小説家になろう」に投稿される異世界転生もののなかで展開されているからである。そして、この領域において卓越した作品が、この10年ぐらいの間に数多く登場している。
筆者が対象としたいのは厳密には異世界転生そのものを扱った物語というよりは、橙乃ままれ作品や九井諒子作品などを含めた異世界のリアリティ水準を問うものだ。なので「異世界転生もの」「なろう小説」というより少し対象を広げて、勝手に「リアル異世界物語」とこれらの物語群のことを名付けたい。その基準は次のとおりである。
i.異世界について描いた物語であり、かつ ii.我々の現代世界において起こりうる問題が異世界においてどのように生じうるか、を中心的なテーマとして扱った作品群を扱いたい。
ただ、これだけだと『銀河英雄伝説』などの少し古い作品も入ってきてしまうので、とくにここ10年ぐらいで登場した作品群の特徴として
iii.勇者や魔王のいる世界を前提として描いているもの
という三つの前提を挙げたい。
今回は、これらの基準を満たしたここ10年ぐらいに登場した重要な作品だと筆者が考えるものを紹介していく、という内容にしたい。
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3月11日の補欠選挙へ向けて/ストラスブールでの国際フォーラム|周庭
2017-12-12 07:00
香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。先日、来年3月の補欠選挙への立候補を前向きに検討していると表明した周庭さんが、その心境を語りながら、先月のストラスブールでの国際フォーラムを振り返り、国際的なつながりを深める意義について考えます。(翻訳:伯川星矢)
御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記第12回 3月11日の補欠選挙へ向けて/ストラスブールでの国際フォーラム
3月11日の補欠選挙へ向けて
12月4日の夜、わたしはFacebookで来年行われる香港島区の立法会補欠選挙への立候補を前向きに検討することを発表しました。この補欠選挙は、香港政府による民主派議員の議員資格剥奪に端を発するものです。わたしが立候補しようとしている選挙区は、先日香港衆志の主席ネイサン・ローが解任された議席 -
京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第15回 ナデシコとウテナ――第三次アニメブームの風景(PLANETSアーカイブス)
2017-12-11 07:00550pt
今回のPLANETSアーカイブスは、本誌編集長・宇野常寛の「京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録」をお届けします。『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットによって90年代後半に巻き起こった第三次アニメブーム。その中核となった『機動戦艦ナデシコ』『少女革命ウテナ』という2つの作品を論じます。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです/2017 年1月6日に配信した記事の再配信です)
『機動戦艦ナデシコ』と『少女革命ウテナ』――第三次アニメブームの双璧
『エヴァンゲリオン』の社会現象化はおよそ10年ぶりのアニメブームを日本社会にもたらしました。『エヴァ』のヒットによって、ティーンから大人のファンを対象にしたアニメが大量に作られるようになり、90年代末にはいわゆる「深夜アニメ」が定着します。
この『エヴァ』の生み出したアニメブームを「第三次アニメブーム」と呼びます。『宇宙戦艦ヤマト』を起点とした第一次アニメブーム、『機動戦士ガンダム』に始まる第二次アニメブームは、70年代後半と80年代前半ですからほぼ連続しています。だから考え方によっては『エヴァンゲリオン』以降は2回目のアニメブームと考える人も多いです。
これらは『エヴァ』と同じように制作委員会方式で資金が調達されていました。つまり複数の会社が制作資金を出し合って、印税をシェアする方式です。そしてこの制作資金は主にビデオソフトの販売で回収されていました。当時ビデオソフトは30分のテレビアニメが2〜4話収録で5000円〜1万円が相場だったので、対象は確実に社会人でした。これは『エヴァ』の少し前から採用されていたモデルですが『エヴァ』によって一気に拡大し、定着したものです。『エヴァ』は内容だけでなく、ビジネス的な成り立ちにおいても、大人のアニメファンを対象にした作品だったと言えるでしょうね。
『ガンダム』と『エヴァンゲリオン』のあいだにはほぼ10年の空白がありますが、80年代後半から90年代前半はさきほども話したようにアニメオリジナルの作品があまり盛り上がっていない時期でした。そんななか登場した『エヴァンゲリオン』によって、アニメがまた盛り上がるようになっていったんです。これは子どもの頃に『ヤマト』や『ガンダム』見ていた世代が大人になって、彼らがビデオソフトを買うことによってマーケットが活気づくという新しい市場が生まれたことが背景にありました。第一次、第二次アニメブームを支えた団塊ジュニア世代、今の40代は人口ボリューム的にも非常に大きかったんですね。そうした市場の活況を背景に、『エヴァンゲリオン』のインパクトを受け継ぎながらも発展させようとしたアニメがこの時期にいくつか出てきます。
そのうちの代表的な2つの作品を挙げましょう。どちらも『エヴァンゲリオン』ほどのブームを巻き起こすことはできませんでしたが、当時は非常に期待されていたアニメです。そのひとつがこれです。
(『機動戦艦ナデシコ』映像上映開始)
これ、知ってる人いますか? あまり知らないですかね。僕が高校三年生のときに放映された『機動戦艦ナデシコ』という作品です。絵柄が90年代すぎて、今見るとちょっと恥ずかしいですね。
『機動戦艦ナデシコ』ってタイトルからもわかるとおり『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』のパロディが根底にあります。よく言われていたのが、「『宇宙戦艦ヤマト』のような戦艦に『うる星やつら』の美少女がたくさん乗っていて、ラブコメを繰り広げながら『ガンダム』的なロボットに乗って活躍する」ということ。ある意味、『エヴァンゲリオン』とは違うかたちで戦後アニメの総決算をやろうとしていたわけです。
▲機動戦艦ナデシコBlu-ray BOX 上田祐司 (出演), 桑島法子 (出演), 佐藤竜雄 (監督)
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