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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(後編)成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-02-15 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は『池袋ウエストゲートパーク』論の後編です。ドラマ版と原作小説を比較しながら、作品に関わった3人のクリエイター、石田衣良と堤幸彦と宮藤官九郎の影響を検討。さらに本作以降、窪塚洋介が背負うことになった時代性について考察します。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(後編)
    原作者が見た『池袋』
     石田衣良はシナリオ本の解説で、小説とドラマの違いについてこう書いている。

     メディアが違うから、原作(寒色系シリアス)とドラマ(暖色系コメディ)のトーンは違うけれど、両者はもっとも大切な部分で共通していたとぼくは思う。  それは圧倒的なスピード感とキャラクターの立体感だ(もうひとついうなら池袋という現実の街のライブ感)。ぼくも作家なので、文体にはかなり気をつかう。IWGPでなにを一番大切にしているかというと、人物の描写と文章のスピード感なのだ。それを宮藤さんは即興性豊かな組み立てと特異なコメディセンス(その場の思いつきともいう、だがなんと切れ味のいい思いつきか)でしっかりと再現してしまった。(6)

     石田はドラマ化に際して「小説とテレビではメディアが違います。原作に気兼ねなどしなくていいから、とにかく思い切りフルスイングしてください。そうしたら空振りだって納得できますから」(7)と磯山に伝えたそうだが、ドラマ版『池袋』と小説を比べると、物語の流れは大筋では同じだが、細部が微妙な変更が施されており、その改変の仕方が見事だというのが当時の印象だった。  のちに数々のオリジナルドラマを手がけることになる宮藤だが、本作は原作モノだったこともあり、作家性に関してはまだ未知数だったが、まずは優秀なアレンジャーとして、その才能を大きく印象づけたと言えよう。
    「ダサさ」をまとうことで見えてくるもの
     原作の改変ポイントは多数あるが、中でも大きく変わったのは主人公のマコトの造形だろう。小説はマコトの一人称で進むハードボイルド小説の構造となっている。台詞もカッコよくてクールだ。  それをドラマ版では工業高校上がりの馬鹿なヤンキーで素人童貞という側面を強く打ち出している。  原作小説の第1巻が発売されたのは1998年、ドラマ化されたのは2年後だが、最先端の都市の風俗(ストリートカルチャー)というものは、活字になった時点でどんどん古びてしまう。 小説の『池袋』もその側面は強く、情報の鮮度という意味ではドラマ版は圧倒的に不利である。また、小説では成立したカッコいい語りも生身の人間が喋ったら台無しになることも多い。仮に小説をそのまま映像化していたら目も当てられない作品となっていただろう。  だが、宮藤の脚本はカッコよく書かれていた石田衣良の世界を少し斜めから見て、あえてかっこ悪く──宮藤がドラマ内で用いる言葉で言うなら「ダサく」──することで、物語を読み替えていった。  それはそのまま、トレンディドラマで描かれていたような匿名性の高いおしゃれな街としての東京ではなく、地元(ジモト)としての池袋という、具体的な土地の持つ固有性を打ち出していくという作業だった。  宮藤の脚本は、構成がとてもごちゃごちゃしているが、一つ一つのディテールはとても具体的だ。会話の中には固有名詞がたくさん登場し、その延長で、実在するテレビ番組や芸能人が登場する。  権利関係の処理の問題もあってか、実在する商品名や固有名詞を出すことをためらうドラマは今も少なくないが、固有名詞が具体的であればあるほど、そこに描かれている人間たちの実在感は増していく。すべてのものに固有の名前があり、ワイドショーや雑誌で語られる記号としての東京や女子高生やカラーギャングではなく、くだもの屋のマコトや風呂屋のタカシといった、固有名を取り戻すことで、流行り廃りの激しい風俗の根底にある地に足の付いた感覚を取り戻したことこそが、テレビドラマにおける宮藤の最大の功績だろう。  それは人間関係の描き方にも現れている。特に画期的だったのはマコトの母親・リツコ(森下愛子)の描き方だ。  原作小説では、ほとんど描写されていないリツコのディテールはコミカルではあるが、シングルマザーながらにマコトを育ててきた母親としての優しさやたくましさが描かれていた。  のちに織田裕二主演の連続ドラマ『ロケット・ボーイ』(フジテレビ系)の脚本を宮藤に依頼するプロデューサーの高井一郎は『池袋』の脚本について「よく見ると普遍的な親子愛や友情が隠れて描かれていますよね」(8)と語っている。  小ネタで彩られたサブカルドラマとして語られがちな宮藤の作風の奥底にある本質を高井は早くから見抜いていた。それは一言で言うと、家族も含めた共同体(仲間)に対する信頼である。  1980年代のトレンディドラマ以降、テレビドラマで家族が描かれる機会は年々減っていた。橋田壽賀子・脚本の『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)を例外とすれば、家庭内暴力や不倫といったネガティブな形でしか家族は描かれなくなっていた。 『未成年』(TBS系)等の野島伸司のドラマは、その反動もあってか、家族再生を試みるのだが、そこで描かれたのは血の繋がらない中間共同体的なもの、『池袋』で言うとGボーイズ的な共同体だった。そういった共同体は反社会的な性質を帯びて、やがては暴走して崩壊する。それは学生運動末期の連合赤軍事件やオウム真理教の地下鉄サリン事件などに連なる、日本の疑似家族共同体の失敗の歴史の反復とも言えよう。  対して宮藤が面白いのは、一方で疑似家族的な仲間のつながりを描きながら、対立軸として血縁関係にある親子を描かないところだ。むしろ、親子も友達のように付き合ってしまうことで、今まで重々しいものだった家族という概念自体を軽いものとして扱っていたのである。
    原作小説とドラマ版の大きな違い
     ドラマ版『池袋』は原作小説の1巻と2巻(『少年計数機 池袋ウエストゲートパークⅡ』)のエピソードの一部と、オリジナルエピソードの7話、8話で構成されている。  物語は一話完結だが、主軸となっているのは原作小説第1巻に収録された「池袋ウエストゲートパーク」(ドラマでは第1~2話)と、第4話「サンシャイン通り内戦(シビルウォー)」(ドラマでは第9~11話)。独立したエピソードだったこの2作を一つの事件としてつなげることで、全体の流れを作っている。
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  • 【新着動画のお知らせ】世界の真実を語る感想戦 #1『花束みたいな恋をした』

    2021-02-13 12:00  
    いつもPLANETSチャンネルをご視聴いただき、ありがとうございます。
    新着動画のお知らせです。
    菅田将暉・有村架純主演の映画『花束みたいな恋をした』。ドラマ『カルテット』『それでも、生きていく』などで知られる脚本家・坂元裕二の最新作であるこの作品は、主演2人の迫真の演技だけでなく、何気ない日常のディテール描写が「刺さる」と話題沸騰中です。今回は、宇野常寛を含む男女6名が本作の魅力について語り尽くしました。
    ※ネタバレ全開でお届けしますので、未見の方はご注意ください。
    【動画】 世界の真実を語る感想戦 #1 『花束みたいな恋をした』https://www.nicovideo.jp/watch/so38266265
  • Daily PLANETS 2021年2月第2週のハイライト

    2021-02-13 09:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    暦の上では立春も過ぎ、今週に入ってからは三寒四温で徐々に寒さも和らいできました。とはいえまだまだ冷え込む夜長のお供に、PLANETSのコンテンツはいかがでしょうか!
    今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4本の記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    今週のハイライト
    2/8(月)【連載】テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(前編)

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』のリニューアル配信。今回は、2000年に放送
  • 「堕落したね。金儲け本位になった」-近年のいくつかのアニメ映画作品より|山本寛

    2021-02-12 07:00  
    550pt

    アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第17回。前回に引きつづき、2020年代スタート時点のアニメをめぐる状況を概観します。かつて名調子で親しまれた映画評論家・淀川長治が、スティーヴン・スピルバーグ以降のハリウッド映画を「金儲け本位」と嘆いたように、「売れること」以外の価値基軸が失われているように見える日本アニメの現状。そんな荒廃のなか、日本アニメの外側からやってきた『羅小黒戦記』と『えんとつ町のプペル』の二作が、作品として何を描いたのかを検証します。
    山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法第17回 「堕落したね。金儲け本位になった」-近年のいくつかのアニメ映画作品より
    前回引用した映画評論家・淀川長治の言葉を今回は改めてタイトルにまでしてみたのだが、これはNHK-BSで1996年に放送された「淀川長治の映画塾」で出た発言だ。もちろんかの「淀長節」なので正確には再現できないのだが、名指ししたのはスティーヴン・スピルバーグだけでこそあれ、文脈を読むと明らかにスピルバーグ以降のハリウッド映画を批判している。 この「堕落した」という言葉を現代風に「翻訳」したのが評論家・岡田斗司夫だろう。 彼は自身のYoutubeチャンネルで(「【UG】関ジャニ∞村上信五君に評価経済を教えてきた〜愚かなスネ夫になるな!賢いスネ夫戦略とは?/ OTAKING explains "Media Theory in 2028"」)、「巨大メディア、例えばディスニーやNetflixは『恐竜化』している、すなわち巨額のバジェットで作品を作るものだから一本外せば即大ピンチになる。だから誰でも観てもらえるような無難な作品作り以外できなくなっているのだが、それは機動性や多様性を失うことであり、やがて恐竜のように滅ぶだろう」と予言している。 それは確かに当たりつつあるようで、例えば去年、今年のアニメ映画の動向を見るだけでも、今年の「第44回日本アカデミー賞」でアニメーション作品賞にノミネートされた作品が『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』『映画 えんとつ町のプペル』『ジョゼと虎と魚たち』『STAND BY ME ドラえもん2』という、荒廃ここに極まれりと思えるようなラインナップである。
    淀川氏や岡田氏の提言をヒントにして、タイトル同様内容が前回と重複するかも知れないが、今回はそんな荒廃の中から『羅小黒戦記』(2019)と『えんとつ町のプペル』(2020)を紹介する。
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  • アナログからデジタルへ〜「ノイマン型」コンピューターの誕生|小山虎

    2021-02-10 07:00  
    550pt

    分析哲学研究者・小山虎さんによる、現代のコンピューター・サイエンスの知られざる思想史的ルーツを辿る連載の第14回。現在では「コンピューターの父」として知られるジョン・フォン・ノイマン。ただし、最初期の電子計算機であるENIACやEDVACの開発への関与は限定的で、ノイマン一人が名声を受けることへの疑義や軋轢は当初からありました。そうしたなか、ノイマン自身が果たしたコンピューター黎明期における功績の本質とは何だったのかを改めて探ります。
    小山虎 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ第14回 アナログからデジタルへ〜「ノイマン型」コンピューターの誕生
     前回述べたように、フォン・ノイマンは、ENIACが開発されたアバディーン性能試験場の弾道研究所の顧問を務めていたが、ENIACの開発に最初から関わっていたわけではなかった。フォン・ノイマンがコンピューターの開発に関わるのには、複雑な経緯と様々な偶然があったからである。今回は、その経緯をたどってみたいと思う。  ところで、ENIACは世界初のコンピューターだとされることもあるが、厳密には「世界初の汎用電子計算機(コンピューター)」の方が正確である。同じように、いわゆる「ノイマン型コンピューター」についても、それが何を指すのかは、実のところあまり明らかではない。この名前は、フォン・ノイマンによるEDVACの報告書で提示されたことに由来するが、その内容は、フォン・ノイマン個人というよりは、ENIACおよびEDVAC開発チームによるところが大きい。だから、その意味では「ノイマン型」という名称はあまり適切ではない。また、ノイマン型コンピューターの特徴とされるプログラム内蔵方式についても、現在では、それを最初に考案したのはフォン・ノイマンではないと考えられている。
     ということは、本当はフォン・ノイマンは、世間で言われているようなコンピューターの歴史に輝く重要人物などではなかった、ということなのだろうか。必ずしもそうとは言えない。もし「ノイマン型コンピューター」を、フォン・ノイマン自身が構想していたようなコンピューターだと考えるのであれば、それは確かに存在するだけでなく、コンピューターの歴史において極めて重要な地位を占めるようなものなのだ。  そのような「ノイマン型コンピューター」とは何か。それを説明するために、まずはどうして弾道研究所でENIACが開発されるに至ったのかの話から始めよう。そこで重要な役割を果たすのは、「アナログ」のコンピューターである。
    アメリカ陸軍とペンシルベニア大学を結びつけた「アナログ」コンピューター
     これも前回触れたことだが、アバディーン性能試験場は第一次世界大戦中に設立されたものである。当然ながら、終戦後はその中心的な役目が失われたため、予算は大きく削減されていた。試験場の弾道学部門は、戦争中にヴェブレンが戦後も継続的に研究することを推薦する報告書を残していたこともあり、規模は小さくなりながらも削減されることなく残されていたのだが、1935年に他の部門と合併し、一つの研究所となる。それが弾道研究所(Ballistic Research Laboratory)だ。  研究所になったとはいえ、予算やスタッフが増員されたわけでもなく、相変わらず細々と研究が続けられていたのだが、数年後に転機がやってくる。第二次世界大戦の勃発である。  1939年、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。ちょうどそれは、タルスキがアメリカ・ハーバード大学で開催される科学哲学の国際会議に出席するために母国ポーランドから旅立ってまもなくのことだった。開戦により生き別れになった家族とタルスキが再会するには、それから7年もの歳月が必要だった(本連載第6回)。 アメリカはすぐには参戦せず、様子をうかがっていたものの、実際にヨーロッパで戦争が始まると、アメリカ国内への影響は少なからずあった。特に弾道研究所は、戦争勃発の恩恵を大いに得る。1940年から1945年にかけて、弾道研究所の予算とスタッフ数は十倍以上に膨れ上がるのだ。ENIACの開発も、この戦争による弾道研究所の規模拡大がもたらしたものなのである。
     ところで、以前にも触れたが、実際にENIACの開発を担当したのはペンシルベニア大学だ(本連載第9回)。つまりENIACは軍産複合体の産物である。それが可能になったのは、ペンシルベニア大学と弾道研究所には、ENIACの開発以前から結びつきがあったからだ。  コンピューターの誕生以前、弾道の計算には機械式のアナログ計算機が用いられており、弾道研究所では「微分解析機(Differential Analyzer)」というものが使用されていた。ペンシルベニア大学はペンシルベニア州の州都フィラデルフィアにあるのだが、フィラデルフィアは研究所のメリーランド州アバディーンから車で行ける距離であり、より高性能な微分解析機を所有していた。そこで、陸軍が資金を出し、ペンシルベニア大学の電気工学部──といっても日本の大学の「学部」とは違い、ロー・スクールやメディカル・スクールと同様、専門家を養成する大学院であり(本連載第9回)、正式名称も「ムーア電気工学スクール(Moore School of Electrical Engineering)」というのだが──が互いの所有している微分解析機の性能を向上させるという共同プロジェクトが行われていたのだ。
    ペンシルベニア大学で用いられていた微分解析機(1942-1945年ごろ)(出典)
     このような大学と軍の共同プロジェクトは、当時は珍しいものではなかった。むしろ、推奨されていたと言ってもいい。なぜなら、第一次世界大戦中に米軍から資金援助を受けることで大きくなった大学がいくつもあったからだ。その代表例が、マサチューセッツ工科大学(MIT)である。1861年に設立されたMITは、当初はカレッジですらない専門学校のようなものであり、経営も安定せず、近くにあるハーバード大学の工学部に何度も吸収されそうになるほどの弱小大学だった。それが、第一次世界大戦中に海軍の航空機パイロット訓練プログラムを請け負うことで一変する。軍や関連産業に協力することで教育研究を充実させ、経営の安定化や規模拡大を実現する。これが第一次世界大戦後のアメリカの大学では、主流のビジネスモデルだったのだ。
     ペンシルベニア大学は弾道研究所以外にも様々なプロジェクトを受注していたが、1942年、かつてないほどに性能を向上させるプロジェクトとして、デジタルの計算機(コンピューター)の開発がペンシルベニア大学から弾道研究所に提案される。これがENIACとなるのである。  ENIACの開発を提案した中心人物は、ジョン・モークリーという若い物理学者だった。モークリーの専門は天体物理学であり、天体の軌道計算と弾道の計算の両方で微分解析機を駆使していた経験から、より高性能な計算機を求めており、大学院生のジョン・プレスパー・エッカートと協力し、ENIACを構想したのだ。モークリーとエッカートの二人は、ENIACの開発者として、コンピューター・サイエンスに名を刻むことになる。  ところで、ENIAC開発を提案した当時、モークリーはまだペンシルベニア大学に来たばかりだった。彼がペンシルベニア大学に来るきっかけも戦争だった。
    1942年、フィラデルフィア〜戦争のために分野を越えて集まった4人の開発者たち
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  • 読書のつづき[二〇二〇年九月]長生きも芸のうち|大見崇晴

    2021-02-09 07:00  
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    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。すっかり亜熱帯化した夏の終わりから秋にかけての気候のしんどさに大見さんも体調を狂わされているなか、ほとんど熱量の感じられない菅義偉内閣が発足してしまった二〇二〇年九月。またも起こってしまった有名女優の自死の衝撃で、日本の作家たちの生き様・死に様の対比に自らのロールモデルを求める気分が引き出されます。

    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年九月]長生きも芸のうち
    九月三日(木)
     この数日、体調が優れていない。熱があるわけでも何でもないのだが。疲労がたまって、何もする気が起きない。
    九月五日(土)
     疲れで眠りっぱなしの一日だった。
     ウィンチ[1]『倫理と行為』を少し読む。

    すなわち、実在が有り、そしてそれが言語に意味を与える、という事情ではない。何が実在的であり、何が非実在的であるか、これ自体も言語が持つ意味の中で示される。更に、実在と非実在との区別、及び実在との一致という概念、これら自身も我々の言語に属している。といっても、これらが言語の他の諸概念と同列である、と述べるつもりではない。これらは明らかに言語においても要の位置、ある意味で限界づけをする位置を占めているからである。(p.16)
    にも拘らず、実在的なものと非実在的なものとの区別は、この区別が言語の中でどのような仕方で働いているかを理解せずには、実際には不可能だろう。それ故、実在的、非実在的という概念が用いられている時にもどのような意味が与えられているかを理解しようとすれば、我々はそれらが現に──言語の中で──持っている用法を調べなければならないのである。(p.16 - p.17)
    なるほど、ある特定の科学的仮説が実在と一致するか否かを問い、これを観察と実権でテストすることは可能である。即ち、実験の方法と、仮説に登場する理論語の確定した用法が与えられれば、仮説が正しいか否かという問は、私や他人の思いから独立なものに訴えて決着がつけられる。しかし実験が明らかにするデータの一般的性質は、実験で用いられる諸方法にうめこまれた基準によっての特定であり、またこの基準は基準で、それを用いるような科学活動に精通した人にとってのみ意味を持つのである。(p.17)
    なるほど、神秘的な力が働いているか否かを決定する方法は確かに存在するが、この方法は我々が「経験的」確証ないしは反駁として理解しているものと同じではない。このことは実は同語反復なのである。というのも、「確証する」手続きにおけるこのような相違こそ、まずもってある事柄を神秘的な力として分類する主たる基準だからである。(p.26)


    [1]ピーター・ウィンチ 一九二六年生、一九九七年没。イギリスの哲学研究者。社会科学の研究に貢献した。『社会科学の理念』は名著とされる。

    九月七日(月)
     この数日はスランプだったけれど、ピーター・ウィンチを読んでから、すこしやる気が出た。それとは別にデューイについて読書を進行させないといけないのだけれど。
     今年の九月は中旬から関東の台風シーズンになりそうとのこと。昨年は電柱が倒れて停電に三日間も困らされた。まいった。
     そういう意味では、今年の秋はいつから始まるのだろうか。二〇〇七年そっくりの天候だと説明が気象予報を調べるとなされているが、二〇〇七年も二〇一〇年も何も二一世紀になってから、ずっと猛暑が続いているから、何がどう似ていて、何がどう違って今年の夏の特徴なのかもわからなくなってきつつある。日本は温暖化で亜熱帯になりつつあるとわりきらなくてはいけないのだろうか。暑さ寒さも彼岸までと言われていた時代は遠い昔のことになってしまいそうだ。
     映画『マトリックス』にも出演していたコーネル・ウェスト(彼がインタビューに応える形の著作『コーネル・ウェストが語るブラック・アメリカ: 現代を照らし出す6つの魂』(原著刊行は二〇一四年)は、W・E・B・デュボイスの再評価に関する記述など、大変勉強になった)の著作が好きなのだが、『人種の問題―アメリカ民主主義の危機と再生』が出ているとは知らなかった。

    [2]コーネル・ウェスト 一九五三年生。アメリカの哲学研究者。プリストン大学教授。過去にハーバード大学に勤務していたが、アメリカ財務長官を務めたローレンス・サマーズが学長に就任したのち、対立し退職している(なお、サマーズはその後に女性蔑視発言を起因として学長不信任案を可決され辞職している)。映画「マトリックス」シリーズに「ウェスト評議員」として出演していることでも知られている。
    [3]W・E・B・デュボイス 一八六八年生、一九六三年没。アフリカ系アメリカ人として博士号を取得した初めての人物。『黒人のたましい』のような文学史に残るエッセイ、『フィラデルフィアの黒人』で後のシカゴ学派を先取りした社会学の著作などあり、非常に多作であった。近年再評価の機運が高まっている。

    九月九日(水)
     結局昨日は忙しく、寝るのも遅くなった。今日は早く眠りたい。
     そろそろ読書に時間を費やせそうな目処がたってきたので、以下の書籍を注文した。
    古田暁訳『アンセルムス全集 改訂増補版』
    ジョエル・ウィリアムソン『評伝ウィリアム・フォークナー』
    オーガスティン・ブラニガン『科学的発見の現象学』
     今年は買っても使わないデバイスを増やさないようにと心がけてきた。万年筆は買ったとしても、あと一本ぐらいで済ませたい。PCはMacBookがほしいが、現状のPCで用が足りるので買う必要はなさそうだろう。iPhoneは買い換えないといけないはずだけれど、5Gに対応した端末と設備が整うのは来年になりそうだから、今年は見送ることにしよう。
     伊勢谷友介が大麻の所持で逮捕。しかし遅きに失した気がする。わたしは別に芸能界のことに明るくないが、伊勢谷友介の薬物に関するスキャンダルは週刊誌で何度か報じられていた。そうした悪評と見栄えの良さと成功者然とした振る舞いが、宮藤官九郎脚本のドラマ『監獄のお姫さま』で悪徳社長に起用された理由だったのではないかと、わたしはてっきり思っていたのだが(ゆえに、高杉晋作や吉田松陰といった長州藩出身の人物を伊勢谷友介が演じるのは、大麻解禁運動で知られる安倍昭恵氏との交流があってのものではないかと錯覚したほどだ)。それにしても、これで『龍馬伝』と『花燃ゆ』などの大河ドラマは再放送がなされなくなってしまうのだろうか(「いだてん」に対する社会的制裁はそのようなものだった。わたしはそのような制裁とは異なる制裁や、ドラッグからの再起支援策の拡充のほうが重要と思うので、マスコミの騒ぎ方もインターネットの騒ぎ方も、自分たちの社会のことではなくて、他人事と思いすぎているように見えて、時折この社会で生活することに不安を覚えてしまう)。
     この日記は手書きでMDノートないしツバメノート(ともに方眼)で書いたものを、Markdown文法でデジタル化しているのだが、CSSを上手に設定すれば出版用やWebサイト用の出力がしやすいから、それに取り組むべきな気もする。しかし、わたしはヴィレッジセンターのHTML教本でWebページを作っていたものの、肝心のCSSが普及する前にWebページを作ることを止めてしまったので、技術的な蓄積はほとんどない。その道は険しい。
    九月一〇日(木)
     熊田陽一郎『美と光』を注文する。システム手帳用のパンチが届く。
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  • 【STAY HOME応援企画!!】遅いインターネット会議の動画アーカイブ、はじめます。

    2021-02-08 18:00  
    いつもPLANETSチャンネルをご視聴いただき、ありがとうございます。
    毎週(ほぼ)火曜日にお届けしているオンラインイベント「遅いインターネット会議」のアーカイブ配信が本日よりスタートしました。2月は、2020年3月から12月までにお届けした全30回分、計45時間以上の動画を一挙公開しました!
    【これまでにお招きしたゲスト(一部)】 安宅和人 / 古川健介 / 石破茂 / 山尾志桜里 / 乙武洋匡 / 石川善樹 / 明石ガクト / 宮田裕章 / 渡瀬裕哉 / 石岡良治 / 福嶋亮大
    ▼遅いインターネット会議のアーカイブ動画一覧はこちら▼https://bit.ly/3q3curt
    なお、3月以降は2021年1月にお届けした遅いインターネット会議から順次アーカイブ動画を公開する予定です。それに伴い、毎週土曜に開催していた見逃し再配信は終了となります。
    今月よりスタートしたブロマガ読み放題と合
  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(前編)成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-02-08 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は、2000年に放送されたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』を取り上げます。宮藤官九郎が脚本を手掛け、長瀬智也や窪塚洋介といったキラ星のごとき若手俳優たちが出演していた本作は、以降のテレビドラマの方法論を劇的に変えることになります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(前編)
    2000年の『池袋ウエストゲートパーク』
     『ケイゾク/映画』が公開された直後の2000年4月。堤幸彦は石田衣良の小説をドラマ化した『池袋ウエストゲートパーク』(以下、『池袋』)をTBSで手がけることになる。
    ▲『池袋ウエストゲートパーク』(2000)
     物語の舞台は東京都豊島区にある池袋。くだもの屋の実家で母親と暮らす真島マコト(長瀬智也)は、仲間たちとつるんで楽しい日々を送っていたが、ある日、友達のリカ(酒井若菜)が何者かに殺される。リカが援助交際をしていて、あやしい男に付きまとわれていたことを、ヒカル(加藤あい)から聞かされたマコトは、カラーギャングのGボーイズたちの協力の元、独自の調査をはじめる。やがて世間を騒がしている性犯罪者・絞殺魔(ストラングラー)に犯人の目星をつけたマコトたちはストラングラーを捕獲。リカを殺した犯人とは別人だったが、この事件をきっかけにマコトの名前は池袋中にとどろき、警察には相談できないイリーガルな事件の解決を依頼されるようになる。  リカを殺した犯人はいまだ不明だったが、トラブルシューター(便利屋)として池袋で起こる事件を次々と解決していくマコト。一方、池袋では勢力を拡大するGボーイズに対抗するカラーギャングのB(ブラック)エンジェルズが勃興、やがて、池袋を巻き込んだ抗争へと発展する。
     『池袋』は今となっては伝説的な作品だ。まずは豪華な出演俳優。主演の長瀬智也を筆頭に佐藤隆太、山下智久、窪塚洋介、坂口憲二、妻夫木聡、高橋一生、加藤あい、酒井若菜、小雪といった、のちに頭角を表す若手俳優が勢揃いしている姿は壮観だ。同時に脚本を担当したのが大人計画の宮藤官九郎だったこともあって、阿部サダヲ、荒川良々、池津祥子といった大人計画所属の俳優も脇で活躍しており、大人計画以外にも古田新太、河原雅彦、きたろう、峯村リエといった小劇場系の俳優が出演している。三谷幸喜という先行例はあったものの、小劇場系の才能がテレビドラマに一気に流入してくるきっかけとなったという意味でも画期的な作品である。  この見事な配役を行ったのが、プロデューサーの磯山晶。『ケイゾク』の植田博樹と同じ1967年生まれ。1990年にTBSに入社した二人は同期である。 『池袋』は、今はなくなった金曜夜9時枠で放送されていたドラマで、夜10時からの金曜ドラマでは植田がプロデュースする『QUIZ』が放送されていた。 『QUIZ』は『ケイゾク』にあったアメリカン・サイコサスペンスの要素をより強めた劇場型犯罪を題材にしたもので、閑静な住宅街で起きた誘拐事件を精神を病んだ女刑事・桐子カヲル(財前直見)が追いかけていくというドラマだ。チーフディレクターは『ケイゾク』に参加した今井夏木が担当した。  一方、『池袋』には『ケイゾク』に参加していた金子文紀がセカンドディレクターとして参加している。磯山と金子、そして本作でプライムタイムの連続ドラマの初執筆となった宮藤が『池袋』でチームを組むことになる。後にクドカンドラマと呼ばれる一連の流れはここから始まったのだ。
     植田と磯山という、TBSの二人のプロデューサーがドラマ界に新しい風を吹き込んだのでは?という質問に対して植田はインタビューで以下のように答えている。

     「磯山の『池袋』もそうですけど、それまでのTBSのドラマ作りのフォーマットを大きく変えたとは思いますね。スタジオ2日、ロケとリハで3日みたいな、それまで何十年も続けてきたクラシックな撮り方ではなく、オールロケで、編集室を3ヶ月押さえっぱなしにして編集し続けるとか、音楽も、劇伴をそのまま使うのではなく、コンピューターに取り込んで音の要素だけを使うとか。『JIN-仁-』(2009年TBS系)も、音楽は『ケイゾク』のチームが担当しましたし、その後のTBSのドラマは、当時のチームの分派が作ってるものが多い。『ケイゾク』や『池袋』で始めたドラマ作りのノウハウは、今のTBSドラマに着実に受け継がれていると思いますね」(1)

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  • Daily PLANETS 2021年2月第1週のハイライト

    2021-02-05 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    緊急事態宣言の延長が決まり、さらなるステイホームへの覚悟を余儀なくされてしまった2月第1週。幅広いジャンルにわたるPLANETSのウェブマガジンのコンテンツが、少しでも皆さんの巣ごもりの助けになれば幸いです…!
    さて、今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4本の記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    今週のハイライト
    2/1(月)【連載】テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(後編) |成馬零一

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→201
  • 「ご当地バーガーを、高知から世界へ」──女性起業家がめざすグローカリゼーション|森本麻紀

    2021-02-04 07:00  
    550pt

    中小企業の海外進出が専門の明治大学・奥山雅之教授とNPO法人ZESDAによるシリーズ連載「グローカルビジネスのすすめ」。地方が海外と直接ビジネスを展開していくための方法論を、さまざまな分野での実践から学ぶ研究会の成果を共有してゆきます。今回は、高知のご当地グルメ「龍馬バーガー」の仕掛け人・森本麻紀さんが登場。日本国内の「地元ネタ」が通用しないはずの海外でご当地バーガーをブレイクさせた、そのユニークな事例を紹介します。
    グローカルビジネスのすすめ#02 「ご当地バーガーを、高知から世界へ」──女性起業家がめざすグローカリゼーション
     近年、新たな市場を求めて地方の企業が国外市場へ事業展開する動きが活発になっています。日本経済の成熟化もあり、各地域がグローバルな視点で「外から」稼いでいくことは地方創生を果たしていくうえでも重要です。しかし、地方の中小企業が国外市場を正確に捉えて持続可能な事業展開を行うことは、人材の制約、ITスキル、カントリーリスク等、一般的にはまだまだハードルが高いのが現実です。 本連載では、「地域資源を活用した製品・サービスによってグローバル市場へ展開するビジネス」を「グローカルビジネス」と呼び、地方が海外と直接ビジネスを展開していくための方法論を、さまざまな分野での実践の事例を通じて学ぶ研究会の成果を共有します。 (詳しくは第1回「序論:地方創生の鍵を握るグローカルビジネス」をご参照ください。)
     今回は、高知のご当地グルメとして名の知れた「龍馬バーガー」を生み出した「5019(ゴーイング)PREMIUM FACTORY」の森本麻紀さんにご登壇いただきます。高知のご当地バーガー「龍馬バーガー」が、香港で絶大な人気を誇っています。なぜ香港で高知発のご当地バーガーの味が認められたのか?──地方の名産品や飲食店がグローカルに展開していく際の成功のポイントを探ります。
    (明治大学 奥山雅之)
    創業までの紆余曲折
     はじめまして、森本麻紀です。「5019」と書いて「ゴーイング」と読む、5019プレミアムファクトリーという、カフェ&バーを中心に事業を展開している会社を経営しています。  読者のみなさまは、高知を訪れたことはあるでしょうか。高知の良いところといえば、ずばり人と食です。人に関しては実際に行ってみなければ分かりませんが、食に関しては、大手旅行会社の「行ったことがある観光地でおいしかったところはどこ?」というランキングで過去10年間で7回、1位に輝いています。なかなか行く機会がないかもしれませんが、本当に食に恵まれた場所なのです。  私はその高知県で、高さ20センチぐらいあるご当地ハンバーガーを売りにしたハンバーガー屋を経営しています。坂本龍馬の地元ということで、「龍馬バーガー」と名付けました。高知県の名産である鰹が入っていたり、高知県が生産量日本一を誇るナスとピーマンなど地元の食材を使ったりしています。「高知から世界へ」という話をすると、地元の人ですら「何じゃそりゃ」という風な反応をされることもあり、実際に、現在に至るまでには多くの苦労や方向転換を経験してきました。本稿では、そのような来歴を辿りつつその中で得られた教訓を整理し、これを踏まえてプレイヤーの視点から海外に挑戦するということについて私見を述べようと思います。
     さて、改めて自己紹介をさせていただきますと、私は高知県生まれ、高知県育ちで、高知以外に住んだことはありません。私の両親は、高校を中退して私を産んでくれました。父は、いつも「発想、決断、実行」これを考えながら生きていきなさいと教えてくれました。また母からの教えで、常に笑っていなさいと。歯茎が乾いて、唇がカサカサになるぐらい笑ってなさいと。そのような家庭で育ちました。
     親は非常に厳しくもあり、高校生になっても門限が夕方の4時半。学校が終わったら自転車で急いで帰らなくてはいけないほどでした。そのような事情もあって早く結婚して親から逃れたいなと思い、19歳で結婚し、早くに子供にも恵まれました。まもなく、義父が地元で結構大きな車屋をやっていたこともあり、自動車の損害保険などの勉強をしなさいということで、保険会社に入社をしました。もともと営業が大好きなこともあり、どうせやるならランキングに乗るぐらい頑張ろうと一念発起し、3年間連続で西日本一の営業成績を残すことができました。
     翌年、22歳のとき、高知で大水害がありました。高知市内の半分が2メートルぐらい浸かるほどの大水害で、その際に義父の会社は多額の損失を被りました。これがきっかけで主人のお給料も2年ほど出なくなりました。私は損保会社で稼いでいたので何とか生活できていましたが、生活は苦しくなりました。最終的に義父の会社が倒産を余儀なくされ、24歳にしていきなり、5千万円の借金を背負うことになりました。
     その後たまたま主人の同級生に会った時には、「あれ? 高知にいたの?」って聞かれたこともあります。あまりにも大規模な倒産であったため、逃げていなくなったのだと思われていたようです。息子は小学校1年生でしたが、同級生の女の子から、「おうち貧乏やろ? 大丈夫?」などと言われたらしく、「お母さん、うちはそんなに貧乏なの?」と聞かれました。その時は非常に悔しかったのですが、貧乏上等、家族で仲良くご飯を食べられるなら、貧乏暮らしを楽しんでやろうという意気込みで生活をしていました。
     主人は高校卒業と同時に父の車屋でずっと営業してきた人です。会社はなくなりましたが、それまでに付き合いができていたお客様達が車の仕事をくれていたので、もう一度気を取り直して二人で車屋を始めようということに決まりました。「5019(ゴーイング)」というのは、もともとこの時に立ち上げた車屋の名前です。もう後ろを振り返っても仕方ない、前を向いて行くしかない、という決意からとったものです。
     最初は小さなアパートの一角で始めた車屋でしたが、徐々に従業員を増やすことができるようになり、しばらくすると300坪ほどの比較的大きな土地を借りられることになりました。中古車につきまとうなんとなく悪いイメージを払拭し、クリーンな店にしたい。若い女性でも気軽に来てくれるような店にしたい。このような目標から、新たに借りた土地の一角にあった倉庫を改装して、カフェを併設することにしたのです。
     その際、なにか目玉になるような商品を作ろうという話が持ち上がりました。ゴーイングという強引な当て字の会社名なので、どうせなら強引に具を詰めたハンバーガーを作ろうと思い、最初に「強引具バーガー」というメニューを作りました。それを売り出し始めた頃、ふとあることに気付きました。高知には、ご当地バーガーがなかったのです。そもそもその頃は、ちょうど佐世保バーガーが注目されてきた時期で、ご当地バーガーというものもポピュラーではありませんでした。ならば自分たちで高知のご当地バーガーを作ろうと思い、高知の食材を入れて、シンプルに坂本龍馬の名を冠した「龍馬バーガー」を作りました。身長が高かったと言われる坂本龍馬にちなんで、縦に長くインパクト絶大なバーガーです。  この取り組みがヒットしました。この目玉メニューの人気に火がつき、ついに高知県のカフェランキングで長い間1位を独占するようになりました。次々と取材をしていただいたり、車屋とカフェという取り合わせの珍しさから、日経新聞に取り上げていただいたりもしました。最近では、全国の人気グルメ番組でも取り上げていただくほど、知名度も上がってきています。
     その後は借金も完済し、2009年に株式会社グラディアという法人を立てました。このグラディアというのは、ゴーイングをラテン語にしたものです。今では5019の看板をこの会社に移し、メイン事業である飲食店の経営を行っています。
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