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  • 『ハラ』── 二つの文化の間で葛藤する少女が見つけたアイデンティティ|加藤るみ

    2021-03-18 07:00  
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    今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第14回をお届けします。今回紹介するのはApple TV+初の長編映画『ハラ』。イスラム教徒の家庭に住む少女ハラが、アメリカの高校の自由な校風と、厳格な家庭環境とのギャップに悩み、自身のアイデンティティを見つけていく青春映画です。最近Apple TV+にハマっているというるみさんが、本作の魅力をサービスの特徴と併せて語りつくします。
    加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第14回 『ハラ』── 二つの文化の間で葛藤する少女が見つけたアイデンティティ
    おはようございます、加藤るみです。
    今回紹介する作品は、Apple TV+配信の作品です。 いま、Apple TV+のオリジナル作品がめちゃくちゃ熱い! 私がいま一番推したい映画のサブスクは、Apple TV+です。
    映画のサブスクといっても、Netflixやアマゾンプライムのように旧作も含めて見放題というわけではなく、Apple TV+は、"オリジナル作品のみ"が見放題なんです。 しかも、今回紹介する作品もそうですが、まだあまり世の中に浸透していないであろう、掘り出し物が豊富で、トップクリエイターを招聘したオリジナル作品の質が高いことが、最大の魅力だと思います。 具体的にどんな作品があるかというと、前にこのコラムでも紹介した、ソフィア・コッポラ監督の新作『オン・ザ・ロック』(’20)をはじめ、トム・ハンクスが主演・脚本を担当し、制作に10年を投じた力作『グレイハウンド』(’20)や、サンダンス映画祭グランプリを受賞したA24との共作ドキュメンタリー『ボーイズ・ステイト』(’20)、カートゥーン・サルーンが手掛けたアニメーション『ウルフウォーカー』(’20)など、傑作揃い。 映画だけじゃなくドラマにも力が入っていて、M・ナイト・シャマラン、ダニエル・サックハイムらが監督を務めたホラーサスペンス『サーヴァント ターナー家の子守』(’19)や、『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』(’17)のクメイル・ナンジアニが製作に携わり、移民の人々の暮らしを描いたヒューマンドラマ『リトル・アメリカ』(’20)など、満足度高めのラインナップが揃っています。特に『リトル・アメリカ』は私のイチオシです。実話をベースに製作されていて、すべてが心温まる物語ばかり。しかも、 1話完結の30分ドラマなのでサクッと観れます。私は1話でグッと心を掴まれ、気づいたら一日で全話観終わっていました。まずは、1話。最高なので、ぜひ観てもらいたいです。 Apple TV+は、 Netflixやアマゾンプライムとは少し方向性が違って、独自性が高く、良質なものだけをチョイスして観ることができる、いわば、映画好きのためのセレクトショップ的な位置付けにあるんですね。 まさに、"Apple TV+でしか観られない"がウリです。 私はもちろんNetflixも大好きなんですが、サービスが大規模になり、オリジナル作品が途方もなく増え始めた頃から、単純にその莫大な数の作品の中から、あれもコレもと選ぶだけで時間がかかってしまうのが悩みになっていたんですよね。 マイリストだけがめちゃくちゃ増えていくみたいな。 Apple TV+も今後どうなっていくかはわからないですが、まずはいま、この情報過多の時代でサブスク迷子にある方は、ぜひApple TV+に入ることをオススメします。
    では、先ほど触れた通り、今回はApple TV+配信作品の中から私のイチオシを紹介したいと思います。
    タイトルは、『ハラ』です。
    最近発見したんですが、こんな素晴らしい作品がApple TV+に隠れていたなんて……。 2019年1月26日に配信がスタートされたこの作品が、実はApple TV+初の長編映画作品なんです。 不覚にも、「2021年になるまで気づかなかったとは……」と、早く見つけられなかったことが悔しくなるほど、良い作品でした。
    【4/8(木)まで】特別電子書籍+オンライン講義全3回つき先行販売中!ドラマ評論家・成馬零一 最新刊『テレビドラマクロニクル 1990→2020』バブルの夢に浮かれた1990年からコロナ禍に揺れる2020年まで、480ページの大ボリュームで贈る、現代テレビドラマ批評の決定版。[カバーモデル:のん]詳細はこちらから。
     
  • 読書のつづき [二〇二〇年十月] 一寸先は闇|大見崇晴

    2021-03-17 07:00  
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    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。第二波の感染も落ち着き気味で、読書の捗る秋だった二〇二〇年十月。日本学術会議の任命拒否問題やGo To キャンペーンのような利権誘導型政策への懐疑など、発足したての菅内閣がさっそくやらかしを重ねて支持率を落とすなか、『いだてん』にも登場した昭和政界のフィクサー・川島正次郎が残した「政界、一寸先は闇」の名言が令和の世に刺さります。

    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年十月] 一寸先は闇
    十月一日(木)
     朝方の電車で眠り込けていたら、うっかり胸ポケットに挿していた万年筆(ペリカンのM600)を列車の中に落としてしまっていた。駅に降りて気づいたあと慌てて問い合わせをする。調べてもらうと遺失物管理のデータベースに登録されていたので、ゆうパックで届けてもらうことになった。
     レーモン・クノーの『サリー・マーラ全集』を買おうかと思っていたのだが、うっかり忘れてしまった。この小説でもって世界文学におけるモダニズムと少女偏愛が語れるような気がしているのだが、クノーの『地下鉄のザジ』のような希望がある──世の中には多様な生があり、歳をとることは成長だと肯定できそうな面もある──物語はよいけれど、ナボコフのような文学技法の一部として取り扱うのは感心しないというか、あれは何が面白いのだろうかという気が、わたしにはある。ナボコフの小説は仕掛けが大袈裟になればなるほど、白々しくなってしまって、わたしは読んでいる途中に飽いてしまう。短編集と『賜物』ぐらいしか楽しく読めた記憶がない。
     いわゆる「冷蔵庫の女」(物語を作動させるために被害者となる女性)を、さも当然の如き存在として取扱う作家というのは、どうにも信用ができない。倫理観であるとかフェミニズムであるとか、そういったこととは関係なく、物語も人物も定形でしか描けない作家というのは技術的に未熟ではないかという疑いを持っているのだ。そうした意味では、ハメットやチャンドラーを再読してみたい気持ちはある。被害者(候補)から依頼を受けて仕事をする受け身の男性を多く描いた作家たちではないか、という印象を持っているのだが、そのような印象が正しかったかの確認作業なのではあるが。
     それにしても万年筆が欲しい。車内に落とした喪失感からの反動なのだろうか。アウロラのオプティマもパイロットの漆塗りも欲しい。
    十月二日(金)
     文章を書くのに手間取っている。本業でも日記でも、である。折りたたみで使いやすい文机でも欲しいものだ。そうでなければ、井伏鱒二のような文机が欲しい。陽のあたる場所に正座をして向かい、原稿用紙と万年筆ぐらいしか物が置かれてないような文机。しかし、そういう間取りで生活をしたことがない。卒論を書いたころから、わたしは坂口安吾を収めた著名な写真のように、資料が氾濫したところで文章を書き続けた気がする。それでも憧れるのは井伏鱒二である。
     集中しやすい環境が欲しいという意味では、AppleのAirPodsも欲しい。外部からの雑音をシャットアウトしたい。
     帰宅をしてテレビを点けると日本学術会議への入会が拒まれた研究者の名前が明らかになっていたのだが、宇野重規・加藤陽子と、学問的実績は万人が認めるところで、政治的なスタンスとしては保守中道としか言いようがない穏健なひとたちだったので驚いてしまった。こうなると、政権が研究者たちに難癖をつけているようなものだ。選ばれたひとらの政治的なスタンスが要因で学術的な業績を認められないというのであれば、政治的なことを口にする研究者はみな日本学術会議に参加できないようなものだ。しかし、政治というのは人間が生活を送っていればどうやっても拘らざるを得ないもので、そういう意味では死んだ人間か政権が好意的な人物以外は参加できなくなってしまう。だからこそ世界中で学問の自由というものが認められているはずだが、そうしたものを無視する政権というのは、学問の自由など屁とも思っていない国家(たとえば中華人民共和国)にそっくりになってきている気がする。
     「ぼくらはカルチャー探偵団」編集の『短編小説の快楽』を久しぶりに読んでいたのだが、はからずも、わたしの短編小説の趣味は金井美恵子に近づいていると気づいた。まあ、悪いことではないのだけれど。深沢七郎の『東京のプリンスたち』のような、他の国のひとに読まれて恥ずかしくない短編小説というのは、なかなか書かれないものなのだ。
    十月三日(土)
     そろそろ加湿器を設置して暖房を効かせたほうがいいような季節であるように思うのだけれど、十月になっても秋めいた気もしないし、冬の寒さというものも余り感じない。
     バジル・ウィリー『十九世紀イギリス思想』が届く。面白い。著者の他の著作にも当たったほうが良さそうだ。唯美主義に連なる芸術運動は、ワーズワースに端を発するという見方には納得する。レズリー・スティーヴンの『十八世紀イギリス思想史』と併せて読みたい。ふと思ったが、坂田靖子の名作『バジル氏の優雅な生活』のバジル氏は、バジル・ウィリーから名前が採られたのだろうか。
     薄めのMDノートが届いたのでバレットノートを取りやすくなった。
     NTTとKDDIが災害対策で協業するとの報道。
     ダイエットに二時間ほど散歩。今日一日は蒸し暑かった。途中にブックオフに寄る。買ったのは以下の本。
    辰野隆『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』
    ハンチントン『分断されるアメリカ』
    大沼保昭(聞き手:江川紹子)『「歴史認識」とは何か』
     ハンチントンの『分断されるアメリカ』は二〇〇〇年ごろの刊行物なので、十何年経過して分断が誰の眼にも明らかなほど前景化されて、その事態そのものを統治(というよりは権力維持)の手段として用いる為政者(トランプ)が登場することになったのだろう。その間に解決がなされなかったとも言えるのかもしれない。そう考えると、世界中で失われた何十年を送っていたのだろうかと溜息をつきたくなる。
    十月四日(日)
     郵便局でエリアス『文明化の過程』下巻を受け取る。
     千葉市美術館に足を伸ばし、「宮島達夫クロニクル」展を観た。「地の天」、大変素晴らしかった。この作品で宮島がオマージュした榎倉康二「予兆──海・肉体」であること、さらに両作品とも展示を見れたことは収穫だった。
     ブックオフで以下を買う。
    桂文楽『あばらかべっそん』
    小島貞二『高座奇人伝』
    山下勝利『芸バカ列伝』
    立花隆『アメリカジャーナリズム報告』
    双葉十三郎訳/レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』
    鮎川哲也『下り”はつかり”』
    梶山三郎『トヨトミの野望』
    アリストテレス『ニコマコス倫理学』(上)
    浅田彰・島田雅彦『天使が通る』
     梶山三郎『トヨトミの野望』は、日本で一番有名な自動車メーカーの内情が明かされた企業小説、という評判を聞いて買った。しかし読むのが億劫になって、まだ一頁も読んではいない。梶山三郎という筆名で、古い小説の読者であるわたしは、ほう力みなさって、と思う。
     戦後日本の経済小説といえば、大まかには三つぐらい大きな潮流があり、ひとつは会社員たちの悲喜こもごもを描いた源氏鶏太、もうひとつは小説仕立てでありながら実名報道が憚れるため小説扱いにした面もある梶山季之、最後にはどちらかといえば企業という組織の内部にドラマを見出した城山三郎といったあたりになるだろう。梶山季之がプリンス自動車(のちに日産に吸収される)の内幕を描いた『黒の試走車』を意識しながら、城山三郎ばりにトヨタという組織を描いたというあたりが筆名ひとつで伺える。文学史に残る(それどころか、梶山季之は「噂の真相」のスタッフが憧れた「噂」という雑誌を刊行していた大出版人である)作家たちの名前を拝借して小説を書くという意気込みは、いまどき珍しい。噂によると中京圏では実録ものとして読まれているとかいないとか。
     トヨタは小説にするに足る企業であるとは思うが、個人的には、みずほ銀行のような、十年に一度ぐらい大規模システム障害を発生している企業の内幕を面白おかしく描いてほしい。そこにはトヨタ以上の権謀術数の世界があるはずである。梶山や城山といった同時代の作家と張り合うようにして、バルザック的な大ロマンを企業のうちに求め、そして誰よりも成功した山崎豊子という巨大な存在もいるのであるから。日本の社会派小説で、戦後で残すに足るのは、間違いなく松本清張と山崎豊子である。昨年(二〇一九)に何度目かのリメイクを果たした『白い巨塔』は、岡田准一の好演と小林薫の怪演も相まって、十分に堪能させてもらった(山崎豊子の作品は、『不毛地帯』の大門一三もそうだけれど、関西弁の主要人物が怪気炎を上げれば上げるほど、映像的に面白くなる)。
     それはさておき、寝不足のためか空間認識が狂っている気がする。かといって、どうしたらよいものか。さっぱりわからず。参った。
     毎週愉しみにしている『麒麟がくる』だが、足利政権の中枢に明智十兵衛が入り込むに至って、『太平記』じみてきた。脚本を担当しているのが同じ池端氏なのだから当然といえば当然なのかもしれない。それにしたって面白い。どこを切っても面白く、演劇的に、史劇的な伏線の張り方も、いい。来週の日曜日がもう待ち遠しい。
     ゆうパックで配送を頼んでいたペリカンのM600が届く。
    十月五日(月)
     COVID-19に感染しているトランプが、一時病院から抜け出して、支持者を前に自動車から手を振るパフォーマンス。治癒したからといって、他人に伝染させるリスクがあるから即復帰できないのが、この病気の厄介なところだ。そうした厄介さなど大したことではないようにトランプは振る舞っているが、それがアメリカの感染者大幅増を招いている気がする。テレビに映っている有名人がマスクをしているかいないかを見て、同じようにマスクをつけたり外したりしている人間が、わたしの家族にもいる。世界中そんなものだろう。そんななかカメラに映りたがる国のトップがマスクをしていないのだから、医療関係者にとってみれば厄災以外なんでもないだろう。
     一昨日・昨日と以下の本を注文。
    中川純男編『哲学の歴史3 神との対話』
    T・S・エリオット『エリオット全集』全五巻
     ダイソーで新作のマルチケース(三三〇円)を買ってみたが、よく考えたら使う場面がなかった。
    十月六日(火)
     病院から人間ドックの結果について連絡があった。おおむね悪いところはなかったとのこと。二〇分ほど電話で説明を受ける。心配をしていた血糖値も問題なかったのでほっとした。
     Amazonで注文していたOrobiancoの野帳カバーが届いていた。大変良い。MDノートの新書判を入れて使っている。
    十月七日(水)
     病院からメール。今後はWebとメールで食餌の管理をしていくとのこと。新しい時代の到来を感じる。電話診察というのが広まっていくのだろうなあ。
     今日は夕方頃から雨が降り冷え込むとのこと。体調に気をつけたい。
     COVID-19の感染が気になるので加湿器をダイソーで買ってみたが、二%程度しか加湿されない。もっとも、個人用でUSB給電するタイプでは、このぐらいでも上出来なのかもしれない。
     ようやく秋めいてきた。寒くなったからか、身体が強張って肩こりがでるようになった。疼痛もある。
     ほぼ日手帳カズンのカバーの大きさで、ちょうどよいノートカバーを探しているが、なかなか見つからない。マスキングテープ専用のカッターとテープ(灰色と水色)を買った。
     エディ・ヴァン・ヘイレン死去の報。随分前から癌闘病の報道が伝えられてきたから、ついにその日が来てしまったか、というかんじだ。わたしの世代はヴァン・ヘイレン再評価世代(グランジ・ロックがブームになった際に、ボーカルのカート・コバーンが彼のアイコンとしてエディを取り上げた)なのだが、まさかオジー・オズボーンよりも先に死ぬというのは想像もしていなかった。ジャンルで言えば同じヘヴィ・メタルのアーティストであるが、ギターの名手として知られるエディと異なり、オジーは目立とう精神のあまりに生きた鳩やコウモリを食べたりしていたわけで、コウモリからCOVID-19が発生したのではないかと言われている昨今、ひとり世界に先駆けて感染症のデパートになろうとしていたのである。そんなオジーよりも先に逝くとは、である。
    十月八日(木)
     ANAの賞与カットが話題になっていた。世の中伝染病で不景気だ。
     最近、電車内で人口密度が高くなってきている。これは「GoToキャンペーン」の効果なのだろうか。しかし、こんな調子でひとびとが観光をして大丈夫なのだろうか。気温と湿度が下がってきたので、飛沫感染のリスクは確実に上昇している。それに対応する医療制度や体制の構築が進んでいるというのは、さっぱり報道されていない。報道されていないというより、政府は何もしていない。こんなことだと冬本番になったら感染者が爆発的に増えてしまうのではないか。
     家計簿を探したが、好みのものがみつからない。
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  • リモートコミュニケーションをハックする|簗瀨洋平・消極性研究会 SIGSHY

    2021-03-16 07:00  
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    消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は簗瀨洋平さんの寄稿です。いまや当たり前になりつつあるリモートコミュニケーションですが、プライベートな姿や部屋の中を見られることに抵抗を感じる方も多いはず。今回は「自分アバター」や音声合成アプリなどを用いて、消極的な人がより気軽に会話に参加できる方法について考察します。
    消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第21回 リモートコミュニケーションをハックする
     消極性研究会の簗瀨です。
     前回に引き続き今回もリモートワークにおけるコミュニケーションについていろいろと書いていきたいとおもいます。
     さて、新年に入ってだいぶ経ちますが、昨年末は会社でオンライン懇親会がありました。懇親会のメインはオンラインビンゴのシステムを使い、社員とその家族、総勢80名ほどで会社や有志から様々な物品やサービスの争奪戦を行いました。それぞれこれが欲しい、あれが欲しいという話が事前にされており、当日は悲喜こもごもでなかなか盛り上がったかと思います。
     ビンゴゲームの良いところは毎回の偶然ではなく、ステップを踏んで徐々に当たりに近づいていくというワクワク感ですよね。あと一つでビンゴというリーチ状態になった時はだいぶテンションも上がっているかと思います。  しかしスタートダッシュに遅れると、当たった人たちやリーチがかかった人たちがエキサイトしているのを眺めるばかりでむしろ醒めてしまうということもあるのではないでしょうか。いやありますね。私はまさにそれで、最後の一人がビンゴとなった時にはまだ一つもリーチがないという状態でした。
     これを解決するにはどうすれば良いでしょうか?  一つはビンゴと並行して、別なくじ引きを実施することです。参加者それぞれが一つの当選番号を持っていて、引いた数字がそれだったらビンゴの景品とは別な何か軽いもの(例えばAmazonギフト券など)が当たるようにしておくわけです。こうするとリーチが出ていなくても何かが当たる可能性は常に出てきます。
     もう一つ考えついたのは、特定の数字(例えば0)が出たらそれまで開けたマスを逆転させるという方式です。つまりリーチ状態だとその列は一つだけ開いた状態、一つもマス目が開いていなければ即座にビンゴということもあります。

     あまり前半で出ても意味がないので、半分くらいの数字が引かれたところで逆転数を投入するみたいな運用がいいですね。ほとんど開いていない人はチャンスが出てきますし、逆にリーチになっている人は逆転数が出ないように毎回ドキドキすることになります。全員が最後まで興味をうしなわない、とはならなくても前半で脱落してしまう人は減るのではないでしょうか。  途中でヒエラルキーが覆るルールとしてはトランプの大富豪における革命ルールなどが存在します。
     この二つ目のルール、実はこの原稿を書いた時に考えついたのでまだ試したことはありません。物理的なビンゴでは実施がなかなかむずかしそうですので何かしらデジタルなシステムを作る必要はありますが、2021年の懇親会がまたオンラインだったら試してみるつもりです。
    オンライン会議で油断を可能にする自分アバター
     私はもともとスーツを着て仕事をするスタイルではないのですが、仕事に行く時は襟のある服を着て髭も剃って出かけていました。しかし、昨年の3月から新型コロナの影響で出勤が禁止となり、家で仕事をするようになってからは部屋着のまま仕事をするのが普通です。こうなると毎日なにかしら発生するオンライン会議のために着替えたり髭をそったりするのがなかなか億劫です。弊社は割と緩い社風なので、無精髭にTシャツ、トレーナーみたいな服装でも特に何か言われることはないのですが、私個人としてはあまりプライベートな姿を見せたくないという感覚があったりします。  また、前回も書いたように我が家は会社への通勤を優先した結果として非常に狭く、リビングと寝室しかないため私の仕事スペースはキッチンの一角にあり、玄関を背にしているためカメラに映ると不都合です。Zoomなどは人物を自動的に切り抜いてバーチャル背景を適用してくれますが、そうではないシステムの場合、家族やキッチンが映り込まないよう衝立を使うなどして対処しています。
     その手間をなんとかしようと考えたのが「自分アバター」でした。  ZoomやGoogle Meets、Microsoft Teamsなどのビデオ会議システムはカメラを選ぶことができます。さらにWindowsにもMacにもカメラとして振る舞ってくれるソフトウェアがいくつかあります。例えばSnap Cameraなどを使って画面に強いエフェクトをかけるなどは常套手段ですね。私が利用したのはOBS(Open Broadcaster Software)というフリーの録画、配信用ソフトです。もともとはカメラやPC上の映像などをミックスし、録画したり配信したりするためのものですが、Virtual Cameraという機能を使うことによりビデオ会議システムに直接映像を送ることができます。  例えばZoomの会議で身だしなみを整えた自分が人の話を聞いている様子を一定時間記録し、動画ファイルにしてからOBSでループ再生しておけば実際の私がどんな格好をしていようとも、画面の向こうの参加者には私がきちんとした格好で真面目に話を聞いているように見えるわけです。
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  • 2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(前編)テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-15 07:00  
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    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は、宮藤官九郎編の初期の代表作『木更津キャッツアイ』を取り上げます。「地元」と「普通」を主題にした本作は、一部の識者からバブル批判の文脈で称賛されます。しかし、そこで本当に描かれていたのは、均質化した郊外と「普通」すら困難になりつつある時代の訪れでした。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉2000年代の宮藤官九郎(1)──『木更津キャッツアイ』が成し遂げたドラマ史の転換(前編)
    2002年の『木更津キャッツアイ』
     『池袋ウエストゲートパーク』で高い評価を得た宮藤官九郎は、翌2001年、織田裕二主演のドラマ『ロケット・ボーイ』(フジテレビ系)を手がける。アラサーの青年3人の自分探し的な物語は、山田太一脚本の『想い出づくり。』や『ふぞろいの林檎たち』を彷彿とさせる青春群像劇。『池袋』を見て、宮藤の本質は家族愛や友情を描けることだと思ったプロデューサー・高井一郎による抜擢だった。
    ▲『ロケット・ボーイ』(小説版)
     残念ながら本作は、放送中に織田裕二が椎間板ヘルニアで入院してしまったことで、話数が全11話から7話に短縮されてしまう。そのこともあってか、宮藤の作家性が存分に発揮されていたとは言えず、ソフト化もされていないため、今では幻の作品となっている。  後の『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系、2016年)にも通じるシリアス路線だったため、完全な形で仕上がっていれば、今のクドカンドラマの傾向とは違う流れが生まれていたかもしれない。『池袋』は原作モノでチーフ演出の堤幸彦のカラーも強く、『ロケット・ボーイ』は不完全燃焼。そのため宮藤の評価は保留とされた。  その意味で、ドラマ脚本家としての作家性が正当に評価されたのは、翌2002年に放送されたドラマ『木更津キャッツアイ』(以下『木更津』)からだと言えるだろう。  本作は千葉県木更津市で暮らす若者たちを主人公にしたコメディテイストの青春ドラマだ。実家の理髪店「バーバータブチ」を手伝いながら、毎日ブラブラしているぶっさん(岡田准一)、一人だけ大学に通う童貞のバンビ(櫻井翔)、プロ野球選手を目指す弟と比較されコンプレックスを感じている実家暮らしで無職のアニ(塚本高史)、学校の先輩と結婚して居酒屋「野球狂の詩」を切り盛りする子持ちのマスター(佐藤隆太)、神出鬼没で何を考えているかわからないうっちー(岡田義徳)。彼ら5人は、高校時代に同じ野球部だった仲間で、高校を卒業しても地元に残り、草野球をしながら仲間たちと戯れる日々を送っていた。ずっと続くかと思われていた彼らの日常だったが、ある日、ぶっさんが余命半年の癌(悪性リンパ腫)だと判明する……。
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  • Daily PLANETS 2021年3月第2週のハイライト

    2021-03-12 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    昨日で東日本大震災から10年が経ちました。PLANETSでも震災からのあゆみを振り返る記事をはじめ、さまざまなジャンルの発信を行っています。ぜひ、じっくりとご覧になってみてください。
    さて、今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4本の記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    今週のハイライト
    3/8(月)【連載】テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(6)『SPEC』(後編) 超能力から〈病い〉へ|成馬零一

    ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しま
  • 「東北三部作」を振り返る~東日本大震災10年|山本寛

    2021-03-11 07:00  
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    アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第18回。この国の現実を揺るがした東日本大震災から、いよいよ10年。岩手・宮城・福島という被災三県の実情と向き合いながら『blossom』『Wake Up, Girls!』『薄暮』からなる「東北三部作」を作り続けた山本監督が、多くの人々の命と日常を奪った圧倒的な災厄を前に、アニメという虚構に何ができたのかを振り返ります。
    山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法第18回 「東北三部作」を振り返る~東日本大震災10年
    今年、東日本大震災勃発からちょうど10年となる。 僕にとっては、長かったような、短かったような10年だった。しかし確実に言えるのは、しんどかった、ということだ。 僕はこの間、東北に向けた三つの作品を完成させた。 それを振り返ることで、もう一度この震災の記憶を読者諸氏に生々しく呼び起こしてもらおうと思う。
    2011年3月11日、僕は家にいた。 『フラクタル』(2011)という作品の最終話の演出作業に追われ、昼夜逆転する生活が続いていた。だから寝ていたのだ。 眠りながら揺れを感じた。最初はああ、地震かぁ、とまどろみつつ思うだけであったが、しかし長さを感じた。長い。そして、大きい。 僕は何かを察知して跳び起きた。 1995年の阪神・淡路大震災の記憶が蘇ったのだ。あの時も僕は寝ていて、同じような揺れを感じたのだ。その感覚にそっくりだった。 TVは既に点いていて、情報番組の「ミヤネ屋」が生放送で映っていた。 その放送中のスタジオが今揺れている。
    僕はことの大きさに気付いた。 「ミヤネ屋」は大阪のスタジオでの収録だ。だから東京と大阪が、同時に揺れている訳だ。 東京と大阪が同時に揺れる? どれだけ大きいんだ? 僕はたちまち蒼ざめた。
    TVはすぐに報道特別番組に切り替わり、地震の規模や被害状況を伝えるべく矢継ぎ早に情報を発信しだした。 僕はと言えば、まず風呂に水を張り、ドアが開閉できるか確認し、そしてノートPCでTwitterを開いた。 当時はまだ始めたばかりのTwitterで、正直使いこなせてなかったのだが、その即時性だけは理解するようになっていた。
    大混乱状態のTV中継は状況の把握に追いついてなかった。僕は事態の重大さを確信していたので、Twitterのタイムラインを必死で追いかけた。
    まずすべての電車が止まった。タクシー乗り場は長蛇の列となった。 帰宅難民が生まれようとしていた。 スタッフのひとりがスタジオへ帰ろうとして三鷹駅で立ち往生していたのを発見して、「タクシーは無理だ、歩いて戻った方がいい」、とリプライした。 彼は結局2時間歩いてスタジオへ戻った。
    次々と被害状況が明るみになる中で、僕はあることに気付いた。 東北の情報が異常に少ない。
    東北か。
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  • 旧東側諸国の人々が融和する、黒海の7kmマーケット|佐藤翔

    2021-03-10 07:00  
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    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、黒海の北岸に面する港湾都市・オデッサ市にあるウクライナ最大の非正規市場「7kmマーケット」にスポットを当て、その実態や成立経緯、そして紛争多発地域での多民族の融和と生活防衛を担う役目を紹介します。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第3回 旧東側諸国の人々が融和する、黒海の7kmマーケット|佐藤翔
    インフォーマルマーケットの豪快なマーケティング
     読者の皆さんは、ヤミ市というと、表通りから一歩奥に入ったところにある、横丁のような存在を思い浮かべるのではないでしょうか。戦後直後の日本においてもGHQ本部に近い、東京駅付近のヤミ商人は瞬く間に追放されたようですし、警察庁・警視庁のある桜田門にヤミ市ができるということもありえませんでした。しかし、現代の新興国のインフォーマルマーケットにはそのような奥ゆかしさ、慎ましさは一切ありません。現代のインフォーマルマーケットの住人は生きるために手段を選ばず、自らの存在を積極的に露出し、生き残りを図っています。その典型と言えるのが、ウクライナ最大のインフォーマルマーケットである、7kmマーケットです。
    ▲7kmマーケットの日用品コーナー。(筆者撮影)
     7kmマーケット(現地ではСедьмой Километр)は前回のドルドイ・バザールと同様、アメリカ通商代表部の「悪質市場リスト」に毎年のように掲載されているマーケットです。「中国やその他のアジア諸国から輸入される大量の偽物を扱って」いるのにも関わらず、「2020年には政府当局はまったく取り締まりを行っていない」という、欧米グローバル企業からすれば不倶戴天の敵と言える市場です。ところが、私がオデッサへ7kmマーケットを現地のゲーム開発者に連れられて見に行った際、オデッサ空港から車で都市の中心に向かおうとすると、ガードレールに堂々と「7kmマーケットはこちら!」という矢印付きの看板が立てられていました。彼らは日本の「闇」のイメージとはまるで異なり、自らを隠そうとする気なぞまったくないことがわかります。
    ▲7kmマーケットの入り口付近。(筆者撮影)
     もっとわかりやすい例を提示しましょう。Google Earthを起動してください。そしてウクライナの南西部、オデッサ市の空港の近くへ移動してみましょう。空港から北のあたりに、やたらとコンテナが集まっている場所があります。この地域でも目立つ白っぽい部分を拡大すると、下記のような画像が出てきます。これは、白いコンテナの集まりをキャンパスとして、青いコンテナで「7km」という文字を書いているのです! 衛星写真を見ているみなさん、ここにでっかいインフォーマルマーケットがありますよ! 合法っぽいものも合法っぽくないものも何でもありますよ! 是非お越しください!! という呆れるほど商魂たくましいアピールをしているわけですね。
    ▲Google Earthの写真で見える7km。
     7kmマーケットはドルドイと同様、こんなインフォーマルマーケットであるのにも関わらず、きちんと公式サイトがあり、Facebook、Instagram、Twitter、YouTube、Telegramで随時セールなどの宣伝をしています。ついでに市の賑わいぶりを伝えるために、ウェブカメラも設置されています。昼になると人々がコロナ禍を物ともせず行き交い、夜になると怪しげな人たち(笑)が集まって何やら話をしているのを見ることができたりします。  もう一つ、こちらから7kmマーケットの公式のパノラマ写真を鑑賞できます。コンテナに囲まれて商売をしているところを歩く際の、あの何とも言えない気分が味わえるので、こうした市場に関心のある方にはおススメです。こういう多彩な工夫をして市場に興味を持ってもらおう、という努力が伝わってきますね。
    ▲7kmマーケットのウェブカメラより。コロナ禍にある2021年2月20日時点でも慌ただしく人が行き交っている。(出典)
    悪質市場のボスは「優良納税者」
     7kmマーケットは75ヘクタールもの広さを持つオデッサ郊外の巨大なマーケットです。このマーケットが開業したのは1989年12月のことです。当時のソビエト連邦では物資が不足し、オデッサの街角にはさまざまな商品を扱う商人が多数出没しました。オデッサは世界各地からソ連邦に集まるあらゆる物資を積み下ろしする最重要の拠点だったので、闇流通においても重要なハブとなっていたのです。オデッサの政府当局はこれらの露天商に対し、オデッサの都市中心部から7km以内で商売してはならない、という命令を下しました。そのため、オデッサの露天商は身を寄せ合い、オデッサからちょうど7km離れたこの地にマーケットを開業したのです。
    ▲7kmマーケットの公式サイト、7kmの歴史ページより。(出典)
     はじめは仕事を失った元水夫や元工員が、泥の上に新聞紙を敷き、海外から流れてきた物資を手に入れて商売するという原始的な露店の集まりだったようです。そのうちコンテナを使って商売を始めるようになり、それが拡張に拡張を重ね、今や欧州最大と言える規模のマーケットにまでなりました。現在、ここには60,000人ほどの人々が働いているとされており、店舗数は15,000ほどあります。
     訪問客は毎日20万人以上に達し、オデッサ市内を走るバスのうち、10路線ほどが7kmマーケットを通ります。ウクライナ国内だけではなく、モルドバ、ルーマニアなど、数百km近く離れた海外からも安価なバスツアーが実施され、客を集めています。下手なショッピングモールよりも、よほど集客の仕組みを徹底しているのです。もちろん普通の客というよりも、他国のインフォーマルマーケットのトレーダーが多く、彼らは7kmマーケットで商品を仕入れ、自分の住んでいる都市で買った商品を売りさばいているというわけです。
    ▲オデッサから7kmへ向かうバスルートの紹介。(出典)
     前回取り上げたドルドイと同様、7kmも現地の人には「国の中にある国」と呼ばれ、国家権力の手の届かない空間で、独自のビジネスモデル、というよりは自治が行われています。7kmで商売をしたい人は、コンテナのオーナーから200,000ドル程度でコンテナを不動産のような扱いで購入します。多くの場合、こうしたコンテナを買った商人は売り子を雇い、商品をさばかせます。商品の売上の3%が売り子に渡され、原価や流通コスト、諸経費を差し引いた残りの収益が商人のものとなるわけです。一方で、コンテナをオーナーから賃貸して、自分の責任で物を売り買いしているトレーダーもいるようです。コンテナのオーナーは7kmマーケット全体の顔役に警備料などの名目で手数料を支払っている、という構造です。
    ▲7kmマーケットの玩具街。(筆者撮影)
     当然、こうした取引には政府の許認可や消費税・所得税・固定資産税のような税金、社会保険料などは一切絡んできません。個々の商人が政府に納税などをしない代わりに、7kmマーケットのボスは、政府当局・自治体に毎年、約1,000万ドルのお金を「税金」として支払っている、と言われています。さらに、政治家との関係も密接です。かつてこの7kmマーケットがオデッサ市によって立ち退きの圧力がかかった際、ウクライナの元大統領、ヴィクトル・ユシチェンコが7kmマーケットを視察しオーナーに面会しました。現地のメディアによれば、彼は多いときは2ヶ月に1回ここに訪れ、2,000万ドルのポケットマネーを受け取っていた、と言われています。このように、非正規の「税金」を納めたり政治家を手厚く接待したりすることによって、当局との関係を良好に保っているわけです。  ちなみに2012年に、7kmマーケットは「優良納税者賞(Добросовестные налогоплательщики:直訳すれば「良心的な納税者」)」を授与されています。天下に名高い「悪質市場」が優良納税者とは、冗談のような話ですね。
    キャッシュキオスクから見えるウクライナのゲーム事情
     この市場で偽物や海賊版を見つけることはとても容易です。玩具や日用品などは多くの場合、中国浙江省の義烏から流れてきています。実際に調べると、中国の義烏とウクライナのオデッサの双方に支店を持つ怪しげな貿易会社がネット上で色々見つかります。一方、メディア関連製品はブランクCD・DVDなどを輸入し、現地で直接データを書き込んでいるようです。私も7kmマーケットに入って10分ほどで、海賊版ゲームが売られている店をいくつか見つけることができました。私が一通り見たかぎりでは、この街では家庭用ゲームよりもPCゲーム向けの海賊版商品が多数売られていました。
    ▲7kmマーケットで売られるメディア商品。右に「GTA」シリーズや”CS:GO”、”SIMS”などが売られている。(筆者撮影)
     ところで、スマートフォンでオンラインゲームを遊ぶのが当たり前の時代に、なぜ今さら、これほどの海賊版ゲームがこの地域で流通しているのでしょうか?
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  • 「いくつに見える?」問題の解決策|高佐一慈

    2021-03-09 07:00  
    550pt

    お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回は、誰もが一度は聞かれたことがあるだろう「私、いくつに見える?」という質問について。デリケートなこの質問に上手い返しができるよう、高佐さんが独自に編み出した方法とは? とある収録時に交わしたメイクさんとのエピソードをきっかけに語ります。
    高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第15回 「いくつに見える?」問題の解決策
     先日、テレビ番組の収録前、メイク室でメイクをしてもらってる時のこと。  メイクさんが僕と地元が一緒だということが判明し、ちょっと盛り上がりつつ話を進めていくと、同郷というだけではなく、同じ世代間での共通の話題ものぼってきたので、じゃあ実際いくつなのかと思い、「おいくつですか?」と聞いたところ、メイクさんは「あ、ちなみにいくつに見えます?」と言ってきた。  僕は会話の中からのヒントを手探りに、思った年齢より3つ下に(38歳くらいと思ったので35歳と)答えたところ、実際は僕と同じ40歳だということが分かり、若く見られたということと、お互いの共通項が見つかったことにより、会話はスムーズに進み、そのままクライマックスを迎え、メイク室を後にしてきた。  たまたま、偶然、奇跡的に、年齢当てが上手くいったからよかったものの、上手くいかなかった時のことを考えると、ゾッとする。今までも何度も失敗してきた。
     「いくつに見える?」
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(6)──『SPEC』(後編)超能力から〈病い〉へ 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-03-08 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は堤幸彦論の最終回です。「超能力(スペック)を使う犯罪者」という設定を取り入れながら、当初は『ケイゾク』の作風を反復していた『SPEC』ですが、主人公がスペックに覚醒したことで、物語は新しい展開を迎えます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(6)──『SPEC』(後編) 超能力から〈病い〉へ
    『起』組織と個人
     『SPEC』は2010年にテレビシリーズ(起)が放送され、2012年にSPドラマ『SPEC~翔~』と映画『劇場版SPEC ~天~』、2013年に当麻と瀬文が出会う前の前日譚を描いたSPドラマ『SPEC~零~』、そして完結編となる映画『劇場版 SPEC~結~』の前編『漸ノ篇』と後編『爻ノ篇』が公開された。「ミステリーから超能力へ」というジャンルの変化を通して1990年代から2000年代への変化を描いた『SPEC』だったが、では、ストーリーと演出はどのようなものだったのか?
    ▲『SPEC~翔~』『劇場版SPEC~天~』(2012)
    ▲『SPEC~零~』(2013)
    ▲『劇場版 SPEC~結~ 漸ノ篇/爻ノ篇』(2013)
     テレビシリーズが始まった当初、『SPEC』が描こうとしたのは「人間 対 超能力者」の戦いだった。第1~4話では、スペックホルダーと当麻たちミショウの刑事たちとの戦いが描かれる。スペックを表現するためにドラマでは異例の量のCGが用いられたが、漫画やアニメでは定番化している超能力をいかに可視化するか。というのが演出面での一番の課題だったと言えるだろう。これに関しては「時間が止まった世界」の描写も含めて、本作ならではの映像が展開できていたと言えるだろう。その意味でも、当初の課題はクリアされていた。  やがて第5話以降になると、スペックホルダーの存在を追って研究・捕獲・監視していた警察内組織・公安零課(アグレッサー)が物語に絡んでくる。物語はより複雑化し、誰が敵で誰が味方なのかわからない混乱状態になっていく。この展開は、『ケイゾク』後半の反復だが、スペックホルダーをヒューマンリソース(人的資源)として利用しようとする謎の秘密組織・御前会議が登場する陰謀論的展開は類型的で、あまり魅力が感じられない。やはり印象に残るのは、国家や御前会議の思惑を超えて暴走するスペックホルダーたち、中でも自由気ままに振る舞う、時間を止めるスペックホルダー・ニノマエの圧倒的な存在感だ。物語も、暴走するニノマエをいかに止めるのか? というクライマックスへと向かう展開が一番見応えがある。ニノマエのSPECが「時を止める」能力ではなく、実は「超高速で動く」能力で、その代償として、体感速度が常人の数万倍だと気づいた当麻が、毒を混ぜた雪を浴びせることでニノマエを倒すという展開も「人間 対 超能力者」という構図にこだわった本作ならではの展開だったと言えるだろう。  心配だったのは、この対立軸を作り手が放棄して、当麻や瀬文がスペックホルダーに目覚めて超能力者同士のバトルになってしまうのではないか? ということ。特に「時間を止める」という圧倒的な力を持ったニノマエを冒頭で出してしまったため、彼に対抗するには『ジョジョの奇妙な冒険』第三部における空条承太郎とディオ・ブランドーの対決のように、主人公サイドも敵と同じ(時間を止める)能力に目覚めさせるしかないのではないか? と心配だった。『ジョジョ』の映像化なら、それでも構わないのだが、本作の斬新さは、人間が超能力者に立ち向かうという構図にあり、これを放棄してしまえば、作品自体のアイデンティティが瓦解すると思っていた。その意味でも、対ニノマエ戦までは見事だったと言えよう。 しかし、最終話で、当麻の恋人・地居聖(城田優)が、実は人の記憶を操作するスペックホルダーで当麻の記憶も地居に操作されたものだったことが唐突に明かされると、雲行きは一気に怪しくなる。
    心から身体へ
     心の闇を描こうとしたサイコサスペンステイストの『ケイゾク』に対し、『SPEC』では身体性が強調されている。これは堤がチーフ演出を務めた『池袋』や、その後で作られた『ハンドク!!!』、『TRICK』などにも現れていた2000年代的な傾向だろう。 中でも『SPEC』は、当麻が餃子を食べるシーンを筆頭に、食事のシーンが多い。同時に、登場時から包帯を巻いている当麻を筆頭に、身体の損傷や痛みを通して身体性が強調されている。「死」の描き方も重みが増しており、瀬文の部下だった志村が事故で意識不明の重体となって入院する姿が執拗に描かれていた。 そこには「心から身体へ」とでもいうような流れがうかがえる。これは『ヱヴァ破』にも見られた傾向で、漫画ではよしながふみの『西洋骨董洋菓子店』(新書館、1999〜2002年)、テレビドラマでは木皿泉の『すいか』(2003年、日本テレビ系)などの作品でも、食事の場面を繰り返し描くことで、身体性とコミュニティを取り戻そうという意識が現れていた。  これは2000年代のフィクションに現れていた一つの流れだったと言えよう。 当麻たちは地居によって記憶を操作されてしまうのだが、サイコメトリー(触った人間の記憶を読み取る能力)のスペックを持った志村美鈴(福田沙紀)の協力によって真実を思い出す。記憶を取り戻した瀬文は「人間の記憶ってのはなぁ、頭ん中だけにあるわけじゃねぇ、ニンニク臭え人間のことは、この鼻が、この傷の痛みが、身体全部が覚えてんだよ」と、地居に宣言する。  おそらく、「記憶を書き換える」スペックを持ち、真実は存在しないとうそぶく地居は、『ケイゾク』の朝倉のような1990年代的な悪意を象徴する存在なのだろう。地居が当麻と瀬文に倒される姿を通して、90年代から2000年代、『ケイゾク』から『SPEC』へという時代の変化を描いたのであれば、最終話が地居との対決で終わるのは、必然だったのかもしれない。  ここまでは納得できる。しかし最後の最後で本作は「人間 対 超能力者」という対立構造を放棄してしまう。地居に追い詰められた当麻は怪我で動かない左手で拳銃を構えて「左手動けぇ!」と叫び、発砲する。すると、時間が止まり、地居が撃った弾丸は地居に命中する。死んだはずのニノマエが生きていたのか? それとも当麻がスペックを発動したのか? 謎は宙吊りにされたままテレビシリーズは終了する。
    『翔』盗用と借用 呪われた力
     テレビシリーズの2年後に放送された『SPEC~翔~』では、瞬間移動の力を持ったスペックホルダーとミショウの戦いが描かれる。その戦いの中で当麻が死んだ人間(スペックホルダー)を召喚するスペックの持ち主だったことが明らかになる。つまり、当麻は死んだニノマエを召喚して、地居を倒したのだ。当麻がスペックホルダーだと知った瀬文は、当麻に苛立ちをぶつける。  一方、当麻もスペックを使うことに対して激しい罪悪感を抱いている。物語が始まった時、スペックは人類の中に眠る未知なる可能性として描かれており、当麻もスペックに対し、知的興味を示していた。しかし、当麻は自らの力を呪われたものと捉えており、最終的に左手の力を封印する。  一方、『翔』で印象に残るのは久遠望(谷村美月)というスペックホルダーの存在だ。彼女は、血液のDNAを読み取り、スペックをコピーする能力「コレクション」の持ち主で、スペックホルダーに両親を殺された被害者の女性として当麻たちに接近した。複数のスペックを使えるという意味では当麻と同じ力なのだが、当麻のスペックが死者との「絆」であり、スペックは(死んだスペックホルダーから)“借りる”ものであったのに対し、久遠のスペックは“奪う”ものだった。
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  • Daily PLANETS 2021年3月第1週のハイライト

    2021-03-05 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    3月が始まり、春の訪れとともに気分一新された方も多いのではないでしょうか。幅広いジャンルにわたるPLANETSのウェブマガジンのコンテンツが、皆さんの知見を広げるきっかけになれば幸いです。
    さて、今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4本の記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    今週のハイライト
    3/1(月)【連載】マタギドライヴ第2章 デジタルネイチャーとはいかなる意味で「自然」なのか|落合陽一

    メディアアーティスト・工学者である落合陽一さんの新たなコンセプト「マタギドライヴ」をめぐる新著に向けた連載、いよいよ第2章を公開しました。ウイルス感染症という、人類がしばらく忘れていたタイプの自然の猛威が地球を覆っていった2020年を境に、デジタル環境は人間にとっての「新しい自然」としての浸食度