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  • わずか6年で日本人の寿命は25年伸びた――私たちが知らないGHQの人類史的偉業(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第4回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.392 ☆

    2015-08-20 07:00  
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    今朝のメルマガは予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第4回です。今回のテーマは「予防医学の戦後史」。今や世界に冠たる長寿大国となった日本ですが、その基礎を築いたのはGHQだった? 第二次大戦後に進駐してきた彼らが、日本人の〈健康〉に対してどのような介入を行ったのかを歴史的に紐解き、さらには「ポスト戦後の予防医学」を展望します!
    石川善樹『〈思想〉としての予防医学』前回までの連載はこちらのリンクから。
    ■ GHQと予防医学
     今回は、日本人のすべてが知っておくべきだと僕が考える、ある人物について話したいと思います。その人物の名前は――クロフォード・F・サムス。おそらく、その名前を知っている読者はほぼいないでしょう。しかし、この無名の米国人こそが、現代の日本人の高水準な衛生と健康を作った人物にほかなりません。
     話は、終戦間もない頃の日本にさかのぼります。
     第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、米国の占領下に置かれました。そこに降り立ったのが、マッカーサー率いるGHQです。マッカーサーの下には、日本再建の中核を担ったSix Men(6人の男たち)が組織されており、その一人が戦時中は軍医をしていたサムスでした。
     当時の日本の総人口は8000万人。終戦とともに彼らが一斉に疎開先や戦地から引き揚げてきて、一気に人口の大移動が始まりました。
     これだけの人間が移動すると、感染症の問題が深刻になります。しかし、連合国の方針はといえば、「放っておけ」というもの。日本の敗戦は自業自得であり、特にサポートする必要などない、というスタンスだったのです。しかし、当時の日本に降り立ったGHQの人間たちはその方針に耳を貸しませんでした。彼らは、日本人の健康状態を改善するために動き始めたのです。
     例えば、サムスは米国の本国に頼み込んで、ヨーロッパの同盟国に渡すはずの食料を、わざわざ日本へと引っ張ってきました。そうして彼らが始めたのが「給食」です。
     当時の日本の食事内容は実にひどいもので、まだ幼い子どもたちの健康状態を改善するには食事環境の改善しかないのは明白でした。ところが、そこでGHQが出してきた「給食」という施策に、当時の日本政府は大反対しました。「今ある食料は、働いている世代に渡すべきだ。10年後、20年後にしか国力にならない子供に食料を上げるのはおかしい」と言うのです。
     そう主張する日本政府と、GHQは大げんかを繰り広げます。中でも怒ったのはサムスです。サムスは「もうお前らには頼らん」とばかりに、米国から脱脂粉乳を輸入してきて、東京で子どもたちに給食を与える実験を行いました。すると、たった1年で目覚ましい健康改善の成果が上がり、子どもたちの体格も一気に変わっていきました。
     その成果を、今度はサムスは時の総理大臣・吉田茂のところに持って行きました。この吉田茂という人は、156cmの身長にコンプレックスを抱えていることで有名でした。サムスは吉田に説明します。なぜ日本人は身長が低いのか? それは栄養が足りないからだ、と。
     瞬く間に、日本政府の方針は変わりました。あっという間に給食バンザイです。給食の全国的な導入が決まり、ついには無償で提供するべきだとの論が巻き起こりました。
     ところが、ここでもサムスは猛反対したのです。彼は、給食を導入するのは良いが、無償で提供すべきではないと言いました。彼は、「給食を無料にしていたら、今度は朝食と夕食まで無料にせよと望むようになる。それでは日本人の自立性を奪うことになる」と主張しました。私たちが学校に給食費を納めることになったのは、このサムスの主張が通ったからです。
     サムスは、「個人には価値がある」と強く信じていた人物だったそうです。彼は「天皇万歳」の日本人たちにその「個人」という価値観を植え付けることで、民主主義を日本に根づかせたいと考えていました。その一方でサムスは、どこまでも科学者らしい、謙虚な態度を貫いていました。というのもサムスは生前、「自分は正しいと信じることを日本で行ったが、それが本当に日本人にとって良いことだったかはわからない」とし、「それは歴史が証明してくれることだ」と語っていたそうです。
    ■ GHQは日本人の特性を調べ上げた
     戦後、焼け野原にあった日本を再建したGHQのマッカーサーとシックスメン、とりわけこのサムスこそが、日本の予防医学の歴史の起源に当たる人々です。
     それまでの日本には、予防医学の思想は存在しませんでした。戦前の日本は、ハエが飛び回り、ネズミが走り回り、蚊がうじゃうじゃといる、決して美しいとは言えない国でした。江戸時代の諺に、「良い料理人の台所にはハエがたかる」という言葉があるのがよい例です。ネズミも、仏教の輪廻転生の概念にのっとって、「おじいちゃんかもしれないから、殺すな」と注意される始末でした。
     サムスはDDTを用いてそんな日本を徹底的に洗浄しました。その後、DDTには副作用があったと判明しますが、それでもなお、日本を現在のような綺麗な国に作り変えたのが彼とGHQであったのは確かです。
     GHQの方針は徹底的なトップダウンの手法でした。それは彼らが日本を占領する際に、日本人の特性を調べたことにあります。GHQは日本の統治にあたって、大英帝国の植民地の統治術を研究したそうです。というのも、大英帝国は世界中を最少の武力で統治してきた歴史があり、マネジメント能力にとても長けているからです。企業でも、P&Gのような米国企業が途上国の攻め方が下手な一方で、ユニリーバのような英国企業はとても上手です。その秘密は、大英帝国には「占領国の国民性を徹底的に調べあげる」という方針があったからです。国民性を踏まえた手法こそが、最少のコストで最大の効力を発揮する統治術――GHQはそれを大英帝国に学び、さっそく日本文化の調査をはじめました。
     そうしてGHQが日本人の国民性を調査した結果、たどりついた結論とは何だったのか?
     それは、「勝てば官軍、負ければ賊軍」というオリエンタルマインドでした。
     日本人は強いものにはおもねるが、弱いものには徹底的に厳しい。だからこそ、マッカーサーは天皇と総理大臣以外には原則的に会わなかったのです。それより下の人間と会うと、途端に日本人は見下してくるような国民だと、少なくとも彼らは判断したのです。そして、こういう国民性にぴったりな統治手法は、お上から強権的に一気に下へと方針をおろしていくことだと彼らは考えたのでした。
     実は、第二次世界大戦後のアメリカの占領軍の統治は、日本以外ではあまりうまく行かなかったそうです。私が思うに、それはGHQが、日本再建にあたってその国民性を徹底的に調べあげ、日本人にふさわしい手法を選択したことにあるのだと思います。そのことは、彼らの改革の手法の成果にもあらわれています。
    ■ 生存権はGHQが制定した
     このGHQの健康に対するこだわりがもっとも強く現れているのが、憲法第25条の「生存権」です。以下に、その内容を引用しましょう。

    第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
    2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

     この生存権については、しばしば朝日訴訟などの文脈で、当時の社会党が盛り込むことを主張したことで有名な「健康で文化的な最低限度の生活」の部分が語られがちです。しかし、予防医学の観点から言えば、実は2 の「国が国民の健康を見るべし」をうたう、一見して私たちには当たり前に思えてしまう一文こそが重要です。
     実はこんな文言はアメリカの憲法などには全く存在していません。彼らは地方分権の国であり、まして国が国民の面倒を見る必要などないと考えるのです。しかし、サムスたちGHQは日本人の国民性の調査結果を考えたときに、「生存権」としてこの一文を入れることで、それを根拠に一挙にトップダウンで日本人の衛生環境を変革するべきだと考えたのでした。
     そこで、サムスが創案したのが全国的な「保健所」のシステムです。
     
     当時のGHQの合言葉は「革命は急げ、ゆっくり行けばつまずくぞ」だったと言います。彼らは日本の46都道府県800ヶ所に瞬く間に保健所を作り、一つの保健所につき10万人を見る想定で、当時の日本人8000万人全員の健康を管理することにしました。そうして、そこで徹底的に衛生状況の改善や健康教育などを行ったのです。
     実はこの保健所のシステムは、サムスをして、「もっとも誇りとする仕事」と述べています。占領下という特殊な状況を活かし、他のいかなる国にも追従を許さない、きわめて近代的なシステムを作り上げたのです。
     その結果はどうなったか?
     ――GHQが統治した6年の間に、日本人の平均寿命は25年も伸びました。
     それほどわずかの期間に、8000万人もの人口の寿命をこれほど延ばしたというのは、人類史上に類を見ない偉業です。なにしろ、アメリカでは寿命を25年延ばすまでに10倍の60年がかかっているのです。
     ちなみにその頃、アメリカでは「日本人をそんなに健康にして、一体どうするのだ?!」という批判があがっていました。というのも、そもそも日本人は人口が増えすぎたために、国内でまかなえなくなって、戦争に走ったと考えられていたからです。しかし、そのときもサムスは「日本人が健康になり、経済が活発になるのは、アメリカにとっても良いことのはずだ」と敢然と批判を切りかわしたと伝えられています。
     そうして、サムスが築いた基盤の下、日本は着々と健康への道を歩み始め、ついに1978年、世界最高の長寿大国となるのです。
     一体、このサムスという人物は何者だったのでしょうか? 
     彼のウィキペディアは英語圏にはありません。あるのは日本だけです。しかし、日本人の健康にこれほど大きな影響を与えた人間であるとは、ほとんどの日本人は認識していないでしょう。

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  • 情報技術とプロダクトが変える世界──「モノ」を中心とした新しいカルチャーの未来(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」vol.6) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.388 ☆

    2015-08-14 07:00  
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    情報技術とプロダクトが変える世界──「モノ」を中心とした新しいカルチャーの未来(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」vol.6)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.8.14 vol.388
    http://wakusei2nd.com


    デザイナー・浅子佳英さん、建築学者・門脇耕三さんと本誌編集長・宇野常寛の3人による鼎談シリーズ「これからのカッコよさの話をしよう」。いまデザインやライフスタイルが置かれている状況、そしてこれからの展望を考えてきたこのシリーズも今回で最終回となります。そこでこれまでのまとめとして、「インターネット以降のモノとヒトとの関係」という、シリーズ全体を貫くテーマについて改めて議論しました。
    ▼「これからのカッコよさの話をしよう」これまでの記事
    (vol.1)これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
    (vol.2)無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性
    (vol.3)住宅建築で巡る東京の旅――「ラビリンス」「森山邸」「調布の家」から考える
    (vol.4)インテリアデザインの現在形――〈内装〉はモノとヒトとの間をいかに設計してきたか
    (vol.5 前編)〈デザイン〉としての立体玩具――レゴ、プラモデル、ミニカー、鉄道模型
    (vol.5 後編)〈デザイン〉としての立体玩具――レゴ、プラモデル、ミニカー、鉄道模型
    【関連イベント開催!】9/1(火)19:00〜もう一度、これからの「カッコよさ」の話をしよう…浅子佳英×門脇耕三×AR三兄弟・川田十夢×宇野常寛×よっぴーが語り合う!

    イベントの詳細はこちらのページから!
    http://peatix.com/event/108418
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社、2013年)ほか。
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コムデギャルソンのインテリアデザイン』など。
    ◎構成:菊池俊輔
    ■ 団塊ジュニア世代とカリフォルニアン・イデオロギー
    宇野 世界的なスローフード&シンプルライフの潮流は、カリフォルニアン・イデオロギーと相性がよかったのは間違いない。それはカリフォルニアン・イデオロギー自体がヒッピーの遺伝子を強く引き継いでいて、消費社会のオルタナティブであったことに起因しているわけですよね。フロンティアのないところ、つまり外部を失った世界で、消費の生む差異だけが価値をも生む消費社会のイデオロギーに対し、サイバースペースというフロンティアを発見することで外部を獲得することが出来たのがカリフォルニアン・イデオロギーだったわけで、そこまではいいのだけど、それが資本主義批判の文脈でスローフード&シンプルライフの潮流と結びつきながらグローバル化していく中で、いつの間にかライフスタイルを画一化し、そして最終的には「自分の肉体を鍛えるのが究極のファッションであり、瘦せすぎていたり太りすぎている人が何を着ても意味がない」とかいう、ナチスも真っ青の五体満足主義まで口にする知識人まで出現するに至ってしまった。
    この「新しい全体主義」の問題は非常に厄介です。なぜならば、この思想は資本主義批判、消費社会批判の文脈の中で生まれたもので、彼らとしてはモノを追いかけて他人に対する差異を生むことに血道を上げる哀しい現代人の生き方を反省し、もっと人間らしい、モノから解放された生き方を求めた結果、ナチス的五体満足主義に帰結してしまっているわけなので。要するにこの問題をとおして、人間の自意識と、人間が市場を通じて生む「モノ」とでは、実は前者が画一的で、後者が多様であることがわかってしまった。
    これは普通に考えれば逆なんですよ。右翼も左翼も、20世紀の知識人たちは消費社会がいきすぎると人間の価値観は画一化していく、みんなディズニーとマクドナルドが好きになって文化の多様性が失われる、だから人間らしさをマーケットから取り戻さなきゃいけないと、ずっと考えていた。そして、そう考えていた人の一部が情報技術でそれを実現したのは間違いない。左翼は認めたがらないと思うけど、これは事実。ただ問題はその先で、そうやって人間を市場から解放してしまったら、実は人間なんて多様でもなんでもなかったことがわかってしまった(笑)。
    一昔前は、いや、まだまだたくさんいるんだけれど、文化左翼たちがマクドナルドとユニクロを批判しながら、「私はグローバル資本主義に流されず個性的な自分を維持していますよ」と、みんな同じようなキャラで売っていた。つまり、一見多様だけれど自意識としては画一的なスタイルを選択していたわけですよね。いわゆる「個性的な私という没個性的な自己表現」を一様に選択していた。その結果、彼らの文化もどんどんテンプレート化していって、それが、まあハッキリ言えばカッコ悪く見えて、若い世代から支持されなくなっていった。そして今は、ノームコアに身を包んだ情報化された人々が「一様にナチュラルな」スタイルを選択して、その延長戦上で五体満足主義を肯定するかのような発言を平気でしてしまうところにまできてしまったわけです。
    浅子 いま振り返ると2008年あたりが、ネットがフロンティアだとまだ信じることが出来た最後の年だったと思います。初音ミクがヒットし、WikipediaやUGC(User-Generated-Content)の可能性が語られ、権威的で保守的な上の世代に対して団塊ジュニアやその下の世代は、ネットやITなどの技術を背景に新しい価値観を提示して、いずれは社会をも変えていくだろう、と。ただ、そのようなある種の楽観的なものの見方は、ここ数年で大きく変わりましたよね。要はネットが普及することで、逆にこれまでは見えなかった問題も噴出してきた。
    宇野 インターネットが世界を変えるというビジョンに説得力がなくなったのは、東日本大震災後のインターネットのジャーナリズムの失敗が原因だと思う。「動員の革命」も噓っぱちだったし、「ウェブで政治を動かす」ことも出来なかった。結局ネット右翼と〝放射脳〟がはびこって、ソーシャルメディアはワイドショーの劣化コピーとして、週に1度「空気の読めない」「悪目立ちした」人間を袋叩きにしてスッキリする文化に成り下がっている。そして、「動員の革命」で、「ウェブで政治を動かす」と叫んでいた団塊ジュニアの文化人たちは、最悪な意味で〝第二のテレビ〟と化したTwitter社会において、中立を装いながら上手くいじめる側に回るゲームに明け暮れている。これが日本社会におけるインターネットが、希望ではなく、むしろ失望を生んでいった経緯ですよ。
    ただ僕がここで言いたいのはもうちょっと違う角度からのことで、社会の情報化が人々にモノの所有以外にもカジュアルな自己表現の回路を与えたときに、そこに出現したのはモノの所有を競っていた時代よりも、もっと画一的で凡庸な、しかもそのことに全く気づいていない愚かしい個でしかなかった、ということなんですよね。だから僕は「モノ」を通じて新しい「カッコよさ」を考えることが必要だと思ったわけです。
    門脇 人間生来の感覚的なレベルでの一元性、そこにポリティカル・コレクトネス(公平・中立で、かつ差別や偏見がない言葉や表現を推奨する運動)が奇妙に結びついて、ファシズム的な全体性を生んでいる。そういう状況に対して、いかに「カッコよさ」を対置していくかが、この連載の本質的な問題意識でした。この構図の前提には、「カッコよさ」が人間の生得的・生物学的本質からは一意に導けないという仮定がある。つまり「カッコよさ」は、社会や時代の状況に依存する、極めて文化的な産物だということですね。当たり前のことかもしれませんが、だからこそ、これからの「カッコよさ」を考えることに意味が出てくる。新しい「カッコよさ」は、来るべき社会の到来を実現する原動力にもなり得るからです。 
    この連載では、ファッション、建築、インテリア、フィギュアなど、さまざまなプロダクトを取り巻く現代的な「カッコよさ」について考えてきましたが、たびたび話題に上がったのが、「プラットフォームとコンテンツ」という構図でした。この構図は、インターネットの登場によって大きく浮上してきたものだと理解してよいでしょう。
    ■ プラットフォーム対コンテンツという隘路
    浅子 「ニコニコ動画」も「YouTube」もそうだけど、結局ネットはプラットフォームの思想ですよね。基本的にフリーであることが重要なので、プラットフォームに対価を払うことはあってもコンテンツにはほとんど支払われない。完全にデータのやり取りだからいくら複製しても劣化はなく、オリジナルとコピーの問題も変容する。そこではどうしたって、あらゆるコンテンツは無料でユーザーが勝手につくるものだという思想が支配的になってくる。結果、プラットフォームだけが重要になる。
    宇野 身も蓋もないことを言うと、ソーシャルメディアは横のつながりを広げることで、ごく普通の人たちの発言力を強化する仕組みですよね。その結果、日本では全くロクなことにならなかった。ブログからは何も生まれなかったし、Twitterにはワイドショー的なイジメ文化、Facebookにはスノッブな自慢文化しかなくなってしまった。
    数少ない成功例が「ニコニコ動画」だと思う。あれは日本的なムラ社会に本来馴染まない競争原理を注入するとか、Google検索に意図的に引っかからなくする、つまりあえてクローズドにするとか、さまざまな工夫を駆使してボトムアップで才能を発掘することに成功していたと思う。ただ、「ニコニコ」はマーケティングの問題もあって、その力が及ぶ世代とジャンルはかなり限定されている。
    浅子 そこで、「コト」ではなく「モノ」によって、いかに人々を攪乱していくか、欲望を刺激していくかという話が重要になってくる。
    門脇 「コト」の抽象性、形のなさというのは、どうしても「気持ちよさ」や「正しさ」に向かいやすい。それに対抗するための「モノ」という発想ですね。つまり、だんだんと明らかになってきた人間の一元性を乗り越え、舞台の上での振る舞いに多様性を回復させるためには、アイコン的な意味での「モノ」が必要なんじゃないか。プラットフォームに「モノ」が乗っていないと、それを巻き込むような渦は生まれないし、抽象的な「コト」のレベルで考えている限り結論は一つにならざるを得ない。それが、プラットフォーム主義が陥りやすい一つの罠なんでしょう。
    宇野 僕は、プラットフォーム対コンテンツという問題設定は間違っていると思う。そんなものは疑似問題で、結局プラットフォームはコンテンツが生まれる環境を整えることしか出来ないし、作家にはどんな時代でも今ある創作環境、つまりプラットフォームをどう利用して、ハックして、内破して面白いものをつくるのか、という問題があるだけでしょう。プラットフォームに支配された現代における作家性、とかいうことを議論したがるのは才能のない作家が作家の自意識論に逃避しているだけだと思う。
    それよりも、僕らは端的に情報技術の発展で次に何が出来るようになるのかを今から考えたほうがいい。だからこのシリーズでは、「モノ」についてずっと考えてきた。現代のソーシャルなプラットフォームが人間を解放すると、むしろ人間の画一性がむき出しになる、だから「モノ」の多様性が必要だ、という議論もそうなのだけど、これからはもっと端的にソーシャルに人間同士をつなぐIoH(Internet of Humans、ヒトのインターネット)からIoT(編注:Internet of Things、モノゴトのインターネット。IT関連機器だけでなく、自動車や家電、その他デバイスをインターネットに接続し、それらを介することによって利用者の使用環境や行動、その変化をもインターネットに接続する技術の総称)に技術発展の力点は移動していって、この流れが世界を変えていく時代になるわけじゃないですか。
    門脇 プラットフォーム主義の上書き、要はアップデートですね。
    宇野 例えば、パソコンのディスプレイの内部でプラットフォームの覇を競うゲームが飽和したときに、iPhoneという「モノ」の再発明によって突破口を開いたのがAppleだった。ここでのiPhoneはプラットフォームであると同時にコンテンツでもある。「モノ」の価値の再評価はプラットフォーム主義の正しい発展として、ここ数年、自然発生的に起きている。この流れを、どう周辺ジャンルに応用して考えていくのかが大事なんじゃないかな。
    浅子 プラットフォームの思想を建築に置き換えると、それこそApple Storeが一番わかりやすいんですが、ミニマルで、シンプルで、すべてのものが等価に並んでいるものがいまだに「善」とされています。だけどApple Storeは時間軸に対しての考え方がないですよね。本当だったらプラットフォームにはいろんなコンテンツが入る可能性があるわけで、変化したら追随できるようにもつくらないといけない。だけど、Apple Storeはそういうふうにはデザインされていない。
    建築をプラットフォームとしてつくることにはこれと同じ問題があって、あらゆるコンテンツを許容できますよ、と言えば聞こえはいいけれど、コンテンツはプラットフォームの下位に位置づけられたまま両者が拮抗することがないので、どうしても何もない最初の状態が最も美しくなるようなものをつくってしまう。いつまで経っても時間的な思想を内包できない。
    宇野 すべてのインターネットのコンテンツ、ウェブサイトは「永遠のβ(ベータ)版」なわけで、これはネットサービスの基本であり、プラットフォームの定義に近いものだと思う。ただ、同じようなことを建築でやろうとすると、コスト的に難しいという問題がある。
    浅子 そう、だからまさに「永遠のβ版」、ずっと改装を続ける家とか、そういうものがプラットフォームとして正しい姿だと思うんです。例えばカリフォルニアにフランク・ゲーリーという、ビルバオのグッゲンハイム美術館をつくった世界的に有名な建築家の自邸【図1】があります。これは20世紀につくられた住宅の中でも、特に名作だと言われているものなんですが、カリフォルニアによくあるごくごく普通の建て売り住宅の外側に、これまたその辺にありふれているけれど住宅では使われていなかった金網や波板などを張り巡らせてわけのわからない空間にした、とても面白い作品です。
    もともと外壁だった場所には窓がそのまま残されているので、中なのか外なのか、そもそも出来上がっているのかどうかさえパッと見にはわからない(笑)。そして、ゲーリーはメディアへ発表する際に「カリフォルニアの既存住宅の改装。私の住まいであるこの建物は今後も手が入れられていき、そしていつまでも完成しない」とハッキリ書いている。非常に生き生きとした自由な空間で、コンテンツとしての魅力もあるし、どんどんハッキングして変えられていくという意味では、住宅としての用途の変化への対応、例えば子供が成長したら部屋をつくり替えるといったことも出来る。こういう「永遠のβ版」と自ら宣言している、ある意味でネット的な、新しいプラットフォーム的な住宅がアメリカの西海岸から生まれたのは非常に示唆的ですよね。この鼎談の第3回で紹介した「調布の家」なんかは、もろにこういった作品の影響を受けています。

    【図1】カリフォルニアの「フランク・ゲーリー邸」
    出典(https://en.wikipedia.org/wiki/Gehry_Residence#/media/File:Gehry_House_-_Image01.jpg)
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  • 予防医学が考える「幸福論」(予防医学研究者・石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第3回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.367 ☆

    2015-07-16 07:00  
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    本日は予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の第3回です。今回のテーマは「幸福論」。予防医学という科学的アプローチは、「幸福」という抽象的・哲学的な概念にどこまで迫っているのか。その最新の動向について解説します。
    石川善樹『〈思想〉としての予防医学』前回までの連載はこちらのリンクから。
     前回、予防医学の観点から「がん検診」をめぐる人間の確率的な判断の問題を話しました。
     おさらいしましょう。 アメリカでは乳がんの検診で本当にメリットがあるのは、せいぜい1000人に0.3~3.2人程度で、かなりの数の人はむしろ必要がないのに乳房を切除している現実があります(注:アメリカのデータなので、日本は別です)。例えば、ある人が「乳がん」の診断を受けたとしましょう。でも、そう診断されても、実際には11人に1人程度しか本当に治療する必要はないのです。手術をした場合には、残りの10人は必要もないのに、乳房を失う可能性があるのです。 果たして、その人は手術をしない選択肢を取れるのでしょうか。
     ――やはり、多くの人は乳がんの手術を受けてしまうでしょう。
     注意したいのは、ここまでの人間の意志に伴う問題とは切り離す必要があることです。肥満が、友達の友達の友達からの「太る習慣」の隠れた影響を受けているだとか、あるいは一種の中毒症状から喫煙行動をやめられなかったりするだとかという話とは違うのです。むしろ確率論的には一見して非合理に見えるような判断であると納得した上でも、やはり人間はそういう「意志決定」をしてしまうという話です。
     そして、ここに現代の予防医学において「過剰診断・過剰治療」が横行する原因があるのです。
    1.人間ドックは本当にメリットがあるのか?
     もう一つ、例を出したいと思います。
     日本では、多くの人が一年に一度「人間ドック」に入ることが提唱されています。これは、「病気は早期発見・早期治療によって改善することが多い」という考えにもとづくものです。合理的な考え方であり、人間ドックの「光」の側面をよく示しています。しかし、人間ドックには「影」の側面もあります。それは「病気が早期発見・早期治療されることで、過剰診断・過剰治療が横行する」ということです。
     人間ドックでは問題が見つかり次第、その病気の治療が開始します。しかし、実際には治療という行為は、人間の体に良い影響をもたらすものばかりではありません。
     例えば、がんの放射線治療がそうです。
     もちろん、人間ドックで診断される病気の中でも、乳がん・子宮がん・大腸がん・胃がんなどは、(乳がんのように、過剰診断がかなりの確率で起こるにせよ)やはり実際にがんであった場合には早期発見・早期治療が功を奏します。ところが、前立腺がんなどは、実はしっかりと効果が検証された治療が確立していないのです。
     そういう状況でがん治療を行うのは、身体に多大なストレスを与えることになります。ある程度は働ける状態で死ぬまでの3年間を過ごせたはずの人が、特に治療が確立しているわけでもないのに放射線治療を受けたがために、苦しみながら3年間を過ごしてしまうこともあるのです。
     治療という身体を苦しめる行為をするにあたって、それが本当にベネフィットがあるのか?――を本来であればもっと考えてもいいはずなのです。
     前立腺がんについては、現状の医療技術で治療するよりも、放置したほうが苦しまずに済む可能性が高いという現実があります。治療のベネフィットに対して、デメリットがあまりに大きいと言えるでしょう。同様の問題は、脳ドックなどにも指摘されています。こちらに至っては、むしろ治療を受けた人の死期が有意に早まっているというケースさえ報告されています。
    2.人間ドックのヘルスサーティフィケイト
     とすれば、人間ドックは受けないほうがいいのでしょうか。
     私は予防医学の研究者ですから、こういうときには予防医学の大原則に立ち返ります。予防医学の大きな目的は、第一回で述べたような意味での「健康」を人々が維持することです。その意味で、「過剰診断・過剰治療」の可能性がある人間ドックというものは、個人が自分の意志で受けるのは自由だとしても、社会のあらゆる人間が受けるべきものだとは思いません。
     むしろ私としては、第一回でも述べたように、結局のところ人間の健康を大きく左右するのは「生活習慣」であり、よほどそういう日々の心がけの方が大事なのだということを改めて強調したいくらいです。ところが、この観点でも、本当に人間ドックがどれほどメリットがあるのか、怪しい部分はあります。
     例えば、喫煙者が人間ドックに入って「肺がんの疑いはない」と聞いたせいで、大喜びで「やっぱり大丈夫だ」と喫煙の習慣を維持していることがあります。実際には、喫煙は統計的にも明らかに肺がんの確率を高めるものですから、どんなに今は大丈夫だと診断されようと、健康のリスクを高める行為なのは疑いないのです。これは専門的には「ヘルスサーティフィケイト(健康保証効果)」と言われるもので、診断で問題がないと判明したために、患者がかえって「不健康な生活を続けてよさそうだ」と考えてしまう状態です。
     結局のところ、人類は必ずしも正確に診断できるほど病気をわかっていません。せいぜい「この程度の確率であなたはこの病気の疑いがある」と言えるだけに過ぎません。また、仮にその診断結果が正しかったとしても、それを人間が正しく解釈するのもやはり期待できません。そういう現実がある中で、私たちはどう振る舞うべきなのかを考える必要があるのです。
     その点で、通常の医療は「病気を治療して元に戻す」ことが目的ですから、たとえ過剰治療であっても、出来る限りの手段で病気に対処するのが正解になるでしょう。
     しかし、予防医学の考え方は違います。我々の目的は「健康」な状態をなるべく長く維持することであり、それは心の健康まで含めたものです。例えば前立腺がんであれば、現代医療の限界を見据えて患者のQOLを目指すことを重視して、がん治療を受けずにおく選択肢もまた成立しうるのです。
     そして、この二つの考え方は、現実の治療の場面において、結構簡単にぶつかってしまうのです。
    3.孤独は人間を不幸にする
     こういう問題を考えていくと、人間の「健康」を考える際には、やはり精神的な側面の考察も必要であるとわかります。
     それは、予防医学が考える「幸福」とは何か、という問いそのものとも言えるでしょう。というのも、やはり「幸福」という言葉には、精神的に完全に満たされた状態を示すニュアンスが含まれるからです。
     この「幸福」については、一つ予防医学が発見した面白い研究結果があります。
     それは、友達の数が多い人ほど自分を「幸福である」と答える人が多く、孤独な人間ほどその逆であったというものです。しかも、その研究によれば人間関係の質はあまり重要ではなくて、単に人間関係の量――すなわち周囲の人間との「繋がり」の数が、とにかく彼らの「幸福度」に強く相関していたのです。
     これは、ある意味では意外な結果です。よくTwitterやFacebookなどのソーシャルメディアに対して言われるように「繋がっている人の数が多くなると、人間関係が煩わしくなる」という考え方もあるからです。
     しかし、この研究結果には、理論的な背景があります。 それは、ハッピーな感情はアンハッピーな感情よりも周囲の人間への伝染力が高いという事実です。たとえあなたの周囲に不幸な感情を撒き散らす人がいたとしても、その影響はないことはないにしても限定的です。しかし、あなたの周囲で起きた幸福な感情は、不幸な感情よりも強く伝わるのです。
     とすれば、ネットワーク科学の観点から言えば、とにかく周囲に人を集めれば集めるほど、幸福な感情が自分のもとに伝播してくる確率は高まるわけです。実際、うつ病の抑止は、やはり友だちが多い人のほうが起きやすいという研究結果もあります。
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  • ネットワーク時代の予防医学(予防医学研究者・石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第2回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.352 ☆

    2015-06-25 07:00  
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    本日は石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』第2回、「ネットワーク時代の予防医学」をお届けします。今回は「自己啓発」の歴史を振り返りながら、人間の〈意志〉と〈行動〉の関係、そして〈行動〉に影響を与える人間関係のネットワークの在り方について、最新の予防医学の知見を参照しながら解説していきます。
    前回記事:思想としての予防医学を考える(予防医学研究者・石川善樹連載「〈思想〉としての予防医学」第1回)
     
     
    1.「自己啓発本」の源流をたどる
     
     しばしば、自己啓発本では高いモチベーションで物事を成し遂げていくことの重要性が語られます。こういう本に出てくるような意味での「意志」を最初に著したのは、英国の医者にして作家であったスマイルズであると言われています。スマイルズは、19世紀半ばに書いた『自助論』で欧米の300人に及ぶ成功者について書き記し、不屈の意志をもって物事を成し遂げることの重要性を語りました。
     

    ▲サミュエル スマイルズ (著), 竹内 均 (翻訳)『スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫 』三笠書房
     
     スマイルズがこういう著作を記した背景には、人類が都市文化の中で生きていくようになったことがあります。彼の言うような意味での「意志」とは、地域の規範を必ずしも守らなくても生きられる時代が来て、初めて登場した考え方だったとも言えます。
     ただし、スマイルズの『自助論』はあまりにもストイックな成功伝であり、そう簡単に真似できるものではありませんでした。それに対して、「もっとポジティブに行こうよ」という考え方で登場してきたのが、『思考は現実化する』の著者ナポレオン・ヒルです。彼が凄かったのは、スマイルズの『自助論』からさらに一歩考えを進めて、「では、その不屈の意志はどこから生まれるのか?」という問いを立てたことです。
     彼の結論は、それは願望の力である――というものでした。願望が強ければ強いほど、意志は強くなるというわけです。よく自己啓発本に、「自分が1億円を手にした姿をイメージしよう」みたいな言葉が出てくると思いますが、こういうふうに願望を具体化させて、意志の力を高めていこうと考えるのは、ナポレオン・ヒルに始まる発想です。現代の、「夢を持つのは良いことだ」という考え方の源流がここにある、とも言えるでしょう。
     

    ▲ナポレオン・ヒル (著)『思考は現実化する』きこ書房
     
     彼らの語るような「意志」や「夢」の機能は、今や私たちにとって特に珍しい考え方ではないくらいに浸透しています。
     しかし、行動科学の観点から言えば、夢を持つことは決して良いことばかりではありません。例えば、研究者の間で「偽りの希望シンドローム」と呼ばれる心理状態があります。そもそも人間が希望を抱くタイミングというのは大抵、落ち込んだときなのです。そういうときに手に取ると未来に希望を抱けるというのが、自己啓発本の一つの効用なのだと思います。
     しかし、基本的にはそういう希望の持ち方は危険です。なぜならば、高い希望を抱いたときに、脳はそれだけで満足するようにできているからです。オリンピックで一流選手たちの試合を見終えて、「よし、俺も明日から頑張るぞ」なんて思う人は多いですが、残念ながらそういう言葉は大抵、翌日には忘れられているものです。本来、行動というのはある種の不足感が生むものです。高い希望を抱くことは、かえって自分の脳を満足させてしまい、本当に取るべき行動を取るためのモチベーションを削ぐのです。
     また一方で、そういうふうに夢に向かって本当に邁進できるようになったとしても、なかなか到達することはできません。その過程は辛い一方でしかない――というのも、よくある話です。モチベーションを上げ過ぎるのは、決して幸福なことではないのです。
     
     実のところ、予防医学でも21世紀に入った頃、こういう「意志」の存在を前提にして研究が行われました。しかし、行動の変化に意志の影響がどの程度あったのかを定量化してみると、その影響を明言できるのはたった3割に満たない程度でした。人間がなにか行動を起こすときに、意志によらない影響というものが、実は8割近くを占めているのです。
     スマイルズが考えたような意志と、現実の行動の間にはどうやらギャップがあるようです。その間を埋めるものは――例えば、「習慣化」のテクニックかもしれないし、「楽しそうな感情」かもしれません。いずれにせよ、現在の我々は意志と行動の果てしないギャップを埋める作業をしているといえるでしょう。
     
     
    2.意志と行動を埋められない
     
     少し議論が込み入ってきたので、ここからは行動科学の観点から、意志についての論点を整理してみたいと思います。行動科学では、意志は基本的に3つの要素からなると考えます。それは、「態度」、「規範」、そして「自信」です。
    「態度」というのは、知識と言い換えたほうが分かりやすいかもしれません。ダイエットで言えば、「痩せるとこういういいことがあるぞ」と自ら思う姿勢のことです。それに対して、「規範」というのは「周りがそうしているから」という理由で、自分もそうするということです。そして最後の「自信」は、目指している行動がそもそも可能だと思っているかどうかです。
     行動科学では、この3つを切り分けた上で、これらが働くことで意志を形成しているという観点から分析していくのです。
     
     前回、肥満の友人関係ネットワークにおける影響で「規範」という言葉を出しました。もう一度おさらいすると、ある人が太った際には、その友達の友達の友達にまで肥満をめぐる「規範」の緩みが伝達されていきます。その数は、おそらくは数百万人にも及ぶとてつもないものでした。
     ここで言う「規範」という言葉は、上の行動科学の用法を踏まえたものです。そして、この「規範」がネットワークで伝染していくというのが、ネットワーク科学が明らかにしたことなのです。
     つまり、顔も知らない誰かの生活習慣が、皆さんの生活習慣に影響している可能性があるわけです。そして、こういう複雑な影響関係は、人間が自分の意志決定を全てコントロールできているという「幻想」を打ち砕くものです。具体的な問題として言えば、太ってしまった人が、「さあ、痩せるぞ」ということで「態度」や「自信」を抱いたとしても、今度は自分がその周囲のネットワークに与えた太りやすい「規範」によって、肥満しやすい生活習慣をなかなか改善できなくなってしまうのです。
     
     
    3.ネットワークにどう接していけばいいか
     
     では、このように意志決定が複雑な影響関係のもとにあると分かってしまった状況で、私たちはどういうふうに対策を取ればいいのでしょうか。
     この肥満の問題については、一つ面白い解決策が見つかっています――それは、その人の友達の友達と一緒にダイエットをさせるという手法です。
     友達と一緒に……ではありません。友達の友達と一緒に、です。なぜかといえば、肥満している人の友人は既に肥満する生活習慣の影響を受けていて、その友人こそがリバウンドの要因であるからです。しかも、同じことはその友人にも言えて、痩せる生活習慣の影響をその友人に与えたとしても、今度はその友人が周囲のネットワークから影響を受けて、また元に戻ってしまうので、その影響を自分もまた受けてしまい……と、またもや肥満する生活習慣に逆戻りしてしまうのです。
     
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  • 「山スカート」はなぜ生まれたのか? アウトドア誌「ランドネ」編集長・朝比奈耕太に聞くファッションとライフスタイルの接近 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.351 ☆

    2015-06-24 07:00  
    220pt

    「山スカート」はなぜ生まれたのか?アウトドア誌「ランドネ」編集長・朝比奈耕太に聞くファッションとライフスタイルの接近
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.6.24 vol.351
    http://wakusei2nd.com


    近年、レジャーの一環としてアウトドアはすっかり定着し、高機能の登山用ウェアを街中で着ている人たちも珍しくなくなりました。2009〜2010年ごろには「山ガール」という言葉も話題となり、ファッションとアウトドアの垣根はますますなくなりつつあります。
    今回はそのファッションとアウトドアという2つの「文化」を結びつけ、登山やキャンプ初心者のバイブルとなったアウトドア誌「ランドネ」の朝比奈耕太さんに、文化としてのアウトドアウェアの歴史を聞いてきました。
     
     これまで主に男性の趣味と思われていた「アウトドア」が女性に人気となり、メディア上で「山ガール」と名付けられ話題になったのは2009〜2010年ごろのこと。カラフルな防水ジャケットや伸縮性のあるタイツ、スカートなどを組み合わせ、オシャレなウェアで登山やキャンプ、野外フェスを楽しむ女性が目立つようになりました。女性のファッションにこうした「機能」を売りにしたアウトドアウェアが流れ込むようになり、レジャーとしてのアウトドアブームも現在まで拡大の一途をたどっています。
     そんなブームを牽引したのが、2009年に創刊されたアウトドア誌「ランドネ」(エイ出版社)。カジュアルにウェアを着こなしながら、楽しく登山やキャンプに足を運ぶ女性たちのあいだで広く読まれた雑誌です。今回はその「ランドネ」編集長の朝比奈耕太さんに、女性ファッションとアウトドアの関係についてお話を伺ってきました。
     
    ◎聞き手:小野田弥恵
    ◎構成:小野田弥恵、中野慧
     

    ▲「ランドネ」編集長の朝比奈耕太さん
     
     
    ■ アウトドア不遇の時代だった90年代後半から、「フィールドライフ」の創刊へ
     
    ――ランドネは現在に続くアウトドアブームの火付け役だと思うのですが、その創刊を手掛けた朝比奈さんは、そもそもなぜ「女性向けのアウトドア誌」を作ろうと思ったんでしょうか。
    朝比奈 僕が最初にアウトドアに興味を持ったのは、もう20年近く前の1997年、シーカヤック(*1)の雑誌を制作したことがきっかけです。取材で奄美大島諸島を一週間かけてシーカヤックで周ったんですが、それはもう震えるほどの体験でした。無人島にテントを設営して、薪を集めたき火をし、海に潜って魚を突いて、じゃんけんで負けたらカヤックを漕いで商店までビールを買いに行く。「こんなに楽しいことがあるんだ」とすごく感動して、それ以来「雑誌の力でもっと多くの人たちをアウトドアに巻き込みたい」と思うようになりました。
     その雑誌は休刊となってしまったんですが、他ジャンルの雑誌をつくりつつ、「アウトドア誌を作りたい」と会社にプレゼンをし続けていました。ですがタイミングが悪く、90年代後半から2000年代前半ってアウトドアが下火になった時期だったんです。ショップもメーカーも規模を縮小して、90年代まではたくさんあったアウトドア誌も数えるほどになってしまっていました。
     そんなときに「R25」(*2)が2004年に創刊してフリーマガジンのブームが起きたのを見て「同じように広告料だけで無料のアウトドア誌をつくれないか」と思い立って制作したのが、今年で12年目になる「フィールドライフ」です。それから数年後に「ランドネ」を創刊できたのも、この雑誌が支持されたことが大きいですね。
    (*1)シーカヤック…カヌーの一種で、シャフトの両端に水をかくパドルがついており、カヌーに比べ小ぶりで小回りの効く艇のことを「カヤック」と呼ぶ。川や湖などフィールドによってタイプが異なり、海で利用するものを「シーカヤック」という。海上散策から数泊に及ぶキャンプツーリングまで、用途に分けて艇の型もさまざま。
    (*2)R25…リクルートホールディングスが発行する、25歳以上の男性をターゲットにしたフリーマガジン。2004年7月に創刊し、首都圏の主要駅や都心10区のコンビニ、大手書店などで無料配布されている。同年3月に期間限定配布したところ人気が出たため、創刊に至った。
    ――「フィールドライフ」といえば、よくショップに置いてある、アウトドアユーザーにはお馴染みのフリーマガジンですよね。
    朝比奈 はい。最初は2〜3万部のスタートでしたが、おかげさまで現在は平均10万部ほどを刷って、たくさんのショップに置いてもらっていますね。
     

    ▲「フィールドライフ」1号目では、キャンプ、カヤック、クライミングなどを取り上げている
     
    ――「フィールドライフ」では、どういう人をターゲットにしていたんですか?
     
    朝比奈 本当の意味での「初心者のユーザー」をターゲットにしていました。エイ出版社は「趣味の雑誌」をキーワードにいろんな雑誌・本をつくっていますが、雑誌を買ってくれるのってその趣味にエントリーしてから1〜2年目の人たち、つまり「初級〜中級者」が多いんですよ。始めようか迷っている本当の初心者の人たちは、数百円出してまで有料の雑誌を買わない。でも「フィールドライフ」は無料にすることで、逆に初心者に向けてつくることができたんですね。
    ――なるほど、それまでアウトドア誌では「初心者向け」のものが作りづらかったんですね。
    朝比奈 それともうひとつ「フィールドライフ」が良かったのは、広告費さえ集まれば好きなように特集を組めることでした。山の雑誌って普通は「初夏に北アルプス特集をして、秋前に八ヶ岳の特集をする」というように季節ごとの制約があるんですが、そういった縛りがないので自由に遊び方を提案することができたんですね。
     
     
    ■ アウトドア人口拡大のカギは「女性」
     
    朝比奈 僕が「フィールドライフ」で目指していたのは「アウトドア人口の拡大」でした。でも、どうしても越えられない壁として「女性ユーザーが増えない」ということがありました。自然のなかには虫もいるし、お風呂に入れないし、日焼けもするし、トイレだって不自由しますし、それらを解決する術(すべ)は基本的にないわけです。
     ただ、そのハードルさえクリアすればもっともっと楽しいことが待っている――そのことを伝えたかった。そこで女性をイメージキャラクターにして表紙に登場してもらい、2年間色んなフィールドでアウトドアを経験し、どんどんスキルアップしていく姿を紹介していきました。1年目は国井律子さんに、その次はモデルのKIKIさんに登場してもらいました。そうやって地道にやっていけば女性のアウトドア好きも増える……と思っていたんですが、でもなかなか右肩上がりというわけにはいきませんでしたね。ようやく変化が見られるようになったのは2007年ぐらいのことです。
     

    ▲アイコンとなる女性モデルはあらゆるアウトドアをおよそ2年かけて経験し、成長して、次世代へ交代していく
     
    ――それは、どんなきっかけだったんでしょうか?
    朝比奈 アウトドア業界にも、自動車業界でいうところの「モーターショー」のような国際規模のショーがあるんですが、そこで2007年ぐらいに急に女性向けのアウトドアブランドやラインが一斉に増え出したんです。カラーリングも彩り豊かになり、機能の面でも、バックパックなら女性のバストを締め付けない構造のストラップが登場したり、ウエアならウエスト部分を細く、ヒップ部分に余裕を持たせるような女性の身体を考慮したものが目立つようになりました。
     それまでの女性用アウトドアギアって、男性市場のおまけくらいの位置づけで、ウエアも男性用のダウンサイジング版でしかなかったんです。もともと北米やヨーロッパって、日本に比べると女性のアウトドア人口は多かったんですけど、この時期から明らかに女性市場を拡大しようとする動きが起きていましたね。
     
     
    ■ 「山スカート」の誕生(2006年頃)
     
    ――この時期に女性市場を開拓する動きが出てきたのはなぜなんでしょうか。
    朝比奈 ひと昔前に流行っていた「LOHAS(ロハス)」の一環で、健康的な生活をするべく公園でヨガをしたり、森のなかをハイキングしたりする女性が急増したのを受けて、2005〜2006年ごろからアウトドアメーカーが動き出したんだと思います。
     この動きに気づいてすぐ、アウトドアメーカーの人たちに「来季はもう少し女性向けのウェアを拡大できないか?」と言って回ったんですが、その時期はまだ「売り場にスペースがないから……」と断られてしまうことが多かったですね。
     そうこうしているうちに、「クラウドベイル」というブランドの来季商品にランニング用スカートが出ているのを発見して、「このスカートで山登りをしてみるのはどうだろう」と思ったんです。
    ――数年後に、「山ガール」と呼ばれる女性たちが高尾山などでこぞって履くようになった「山スカート」の原型ですね。
    朝比奈 他ブランドでも似たようなものはいくつかありましたが、当初は山専用ではなかったと思います。初めはなかなか受け入れられませんでしたね。誰に話しても反応は良くなかったし、結局女性用の商品が広く市場に出始めたのはそれから2年後のことでした。
    ――以前取材したスポーツ/アウトドアショップのオッシュマンズの角田さんも、ランスカートについて「最初は全然受け入れられなかった」とおっしゃっていました。今ではすっかり当たり前になりましたが、「山スカート」も同様だったんですね。
     

    ▲のちにランドネで紹介されるようになった山スカート。カラフルなタイツと組み合わせる
     
     
    ■「アウタージャケットを1week着回し!」参考にしたのは女性ファッション誌
     
    ――そんな空気のなかで朝比奈さんは2009年に「ランドネ」を創刊したわけですが、どうやってそこまで漕ぎ着けたんでしょうか?
    朝比奈 2008年に「フィールドライフ」の書店売り版としてアウトドアギアのカタログ号を作って、そのなかで「Out Girls」という企画を綴じ込みでやったんです。友人の編集者・福瀧智子さんが「女性向けのアウトドア誌を作りたい」と提案してくれていたのを受けて作ったものです。これが好評だったので、ようやく会社で企画が通って、女性向けのアウトドア誌として「ランドネ」を創刊することになりました。
     

    ▲ランドネの原型は、フィールドライフの綴じ込み企画だった
     
    ――雑誌の当初のコンセプトはどういうものだったんでしょうか?
    朝比奈 朝比奈 ショッピングや美味しいものを食べに行くのと同じくらいの感覚で、ピクニックやキャンプに行ってくれたらいいなと思っていて、女の子を振り向かせる手法としてカラフルな「アウトドアファッション」を取り上げました。
     僕個人は実践的なアウトドアが好みなので「格好から入るというのはどうなんだろう」という思いはありつつ、でもファッションがきっかけで自然の中で遊ぶ魅力に気づく人が増えてくれたらいいなと。だから当初の「ランドネ」はあえてアウトドア誌らしい作り方はしていなくて、当時人気のあった女性ファッション誌を研究して参考にしていましたね。 記事ではウエアを中心に紹介しつつ、コスメについても扱ったり、登山のみでなくあらゆるアクティビティを広く紹介したりして、今までにない広がりのあるアウトドア誌になっていたと思います。
    ――女性ファッション誌の作り方というのは、たとえばどういう部分を参考にしたんでしょうか?
     
    朝比奈 「一週間の着回しをアウトドアウエアをベースに紹介する」というようなものです。中心は「街のアウトドアファッション」的なものでした。
     

    ▲女性ファッション誌ではよく見かける「1週間着回しコーデ特集」。”アウトドアウエアでハイキング”は、休日のお楽しみという位置づけになっている
     
    ――「アウトドアウエアを日常着としても活用しよう」という提案なわけですよね。
     
    朝比奈 やっぱり「日常着でも使えるよ」ということをどうしてもアピールしないといけなかったんです。例えば登山の必須道具であるレインウエアは、高価なものだと5万円以上します。その値段だと購入までのハードルが高くなってしまう。だから、「日常使いもできます」というアピールが重要だったんですね。
     
     
    ■ 野外フェスから高尾山へ、そしてさらなる高みへ
     
    朝比奈 それと初期の「ランドネ」の特徴のひとつに、さっき言った「山スカート」の提案があると思います。この頃にはメーカーさんも「女性のアウトドアブームの機運も高まっていますし、今度こそやりましょう」という流れになっていて、すんなり受け入れてもらうことができました。
     僕達が最初に提案したのは、クライミングの聖地であるカリフォルニアのヨセミテで、80年代にクライマーたちの間で流行ったファッションでした。スカートやショートパンツに柄物のタイツを組み合わせた派手でクラシックなスタイルです。
     

    ▲サイケデリックなタイツを、スカートやショートパンツに合わせる
     

    ▲80年代のカリフォルニアのクライマースタイル。ヴィヴィッドカラーが眩しい。(40 Years of American Rock - Climbing | Climbing より)
     
    ――原色使いで、カラフルですね。女性としては、これを着て気分を上げたい気持ちがよくわかります。いつもの通勤服では地味に抑えている分、休みの日に自然のなかにいくなら、こういう色鮮やかな装いで気分を上げたいですよね。
    朝比奈 当時の登山の世界ではこんなに派手な格好をする人はいなかったし、山のなかでおしゃれをするという発想自体が「あり得ない」ものでした。ただ、ウエアのデザインが派手なこと自体は悪いことではないんです。万が一遭難したとき、ウエアが派手なほうが発見されやすい。……という大義名分のもと、当時のランドネでは「カラフルな色の組み合わせでかわいくオシャレに登山を楽しもう」ということを提案していました。街のなかだと人目が気になるけど、山のなかでなら一層映えるし、何より「派手であればあるほど安全」という大義名分が背中を押してくれて、胸を張ってカラフルな格好ができるわけです。
     

    ▲「街中では人目が気になるけど、山中でなら…」という思い切りと、「派手なほうがリスク管理につながる」という大義名分が後押しする
     
    ――初期のランドネには、野外フェスのレポートも多いですよね。
    朝比奈 朝比奈 ランドネが創刊した2009年ごろは、すでに野外フェスブームでした。音楽だけを楽しむのではなくて、よりアウトドア志向の、キャンプを伴ったかたちで行うフェスがある程度の市民権を得た時期ですね。
     野外フェスでは雨具が必要だから、レインジャケットを購入する女性も多いし、バーナーやテントを購入する人もいる。これらはすべて登山でも活用できるものばかり。だから「山でも使ってみようよ」という提案ができる。そのため、当初はフェスの特集にもかなり力を入れてやっていました。
     そうやってフェスに参加していた女性が、今度は一気に高尾山へ押し寄せた、という感じではないかなと思っています。つまり山に入った女性の第一波は、野外フェスですでにギアを揃えた人たち。第二波で、純粋に登山がしたくてウエアを購入した、という女性が入ってきたんだと思います。
     

    ▲野外フェスでも、登山でも、はじけるようにカラフルな装いが目立つ
      
    ――今見ると、彼女たちの装いは「森ガール」にも近い気がしますね。
    朝比奈 「〜ガール」というのが流行ったのは2008年ごろからで、「山ガール」と言われだしたのもこのころです。 
     
    ――「山ガール」という言葉を最初に使ったのは、やはりランドネなんですか?
     
    朝比奈 いえ、ランドネでは一度も「山ガール」という言葉を使ってないんですよ。やっぱり流行り言葉になってしまうと消費スピードも早くなってしまいます。一過性のブームで終わらせたくはなかったんです。
     
     
    ■ ブーム定着後のネクストステップ――登山情報のニーズの高まり
     
    ――野外フェスを通じて登山を始めたり、アウトドアファッションを通じて登山を始めたりした女性は、どんな人たちだったんでしょうか。
     
    朝比奈 普段は運動をまったくしない「文化系」の子たちが圧倒的に多かったですね。もともと運動が好きな子は自分でどんどん開拓していってしまいますから。あと、登山はウエアやギアを揃え、さらに交通費や宿泊費も含めるとどうしてもお金がかかるので、働いていて自分である程度自由にお金を使える、20代後半から40代前半の方が多かったですね。これは創刊から今も変わらない傾向です。
    ――20代後半以降なんですね。やっぱり、20歳すぎの女子大生くらいだと、なかなか山に登るところまでは行かないですよね。
     
    朝比奈 アウトドアは街のなかで遊ぶことに飽きてきたころになってやっと「楽しいな」と思えるものなので、20代前半ぐらいだとまだその魅力に気づきにくいのかもしれません。
     
    ――メインの読者はやっぱり都市部に住んでいる方が多いんでしょうか?
     
    朝比奈 最も多いのは関東近郊で、あとは大阪などの都市圏が中心です。大型書店があることも大きいと思いますが、そもそも山の近くに住んでいる人たちは外遊びを欲しないというのもありますね。実際、山が好きで麓に移住した人も、案外山に行かなくなっちゃうんですよ。ないものねだりというか、都会で仕事をしていてストレスを感じれば自然が恋しくなるし、その逆もまた然りなんでしょうね。
     
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  • 女子文化がけん引する"食"のソーシャル化――クックパッド編集長に聞くネットの食文化における現在 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.342 ☆

    2015-06-11 07:00  
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    女子文化がけん引する"食"のソーシャル化――クックパッド編集長に聞くネットの食文化における現在
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.6.11 vol.342
    http://wakusei2nd.com


    1998年3月にサービスを開始した料理レシピの検索・投稿サイト「クックパッド」は、累計レシピ数200万件以上、のべ月間利用者数5,000万人以上(2015年5月現在)となり、レシピサイトとしてインターネットの食文化に大きな影響を与えています。
    今回、PLANETS編集部はクックパッド編集部を訪問。インターネットの料理文化を支えてきたクックパッドの編集長である草深由有子さんに、「クックパッドから見える食文化」というテーマのもとクックパッドの歴史を伺うと共に、インターネット食文化の変遷についてお話を聞いてきました。
    ◎聞き手・構成:稲葉ほたて、飯田樹
     

    ▲クックパッドのオフィス入り口。右手にはキッチンがある。
     
     
    ■ 「料理メモのデジタル化」から「ありがとうの連鎖」へ
     
    ――クックパッドのサービスは1998年から開始されました。まずは簡単に、当時の状況について教えてください。
     

    ▲クックパッド編集室 編集長の草深由有子さん
     
    草深 クックパッドは、主婦の方たちが今まで自分用に取っていた料理メモをインターネットに記録させていく「料理メモのデジタル化」から始まりました。つまり、一つ一つの家庭で口伝えやメモで伝わっていたものをデジタルの形でアーカイブさせようとしたんです。
    ――まだ現在ほど「ソーシャル」の発想もなかった時代ですよね。Googleの検索エンジンすら、まだ普及していなかった。
    草深 デジタル化して保存性が高まったところに、グーグルなどの登場でエンジンからの流入が増えていきました。現在はTwitterやFacebookなどの登場によりシェアされることも多くなっている……というのがざっくりとした流れになります。
    閲覧ユーザーの増加で大きく影響があったのは、「モバれぴ」(※2006年に開始したモバイル向けサービス)を3キャリア公式のサービスにした際のことでした。モバイルと料理は相性が良いことの象徴ともいえ、最近では、スマートフォンの普及によりさらにアクセス数が増加しています。ちなみに現在は、スマートフォンからのアクセスが70%強となっています。
    現在は月間のべ5000万人と非常に多いサイトとなりましたが、私たちがサイトを運営する中で最も大切にしているのは「もともとは投稿者であるレシピ作者さんに自分のレシピを投稿・保存していただいて、生活の中で役立たせていってもらいたいという思想から出発したサイト」であるということです。投稿しているレシピ作者の方の想いを何よりも大切にするという信念は今も昔も変わっておりません。
    ――Googleの「検索」、FacebookやTwitterの「シェア」……というふうに時代の流れにあわせて、閲覧の価値を見出されてきたけれども、根幹にあるのは「自分のための料理メモ」なんですね。
    草深 そうですね。ですから、現在もレシピ作者さんにとって投稿しやすいサービス、投稿したくなるサービスというのは徹底して追求しています。
     

    ▲レシピ投稿の画面(※レシピ名は編集部による一例)
     
    実際、レシピの投稿画面を見ていただければわかると思いますが、エンジニアたちが本当に投稿しやすいUIを探求しています。どういうふうにユーザーの方に入力していただくべきか、そのフォーマットのあり方も含めて、いろいろな視点から改善を日々細かく重ね続けています。
    ―― 一方、閲覧ユーザーからの反応によって、投稿者の方がモチベーションを高める面もあるのではないでしょうか。
    草深 「つくれぽ」の実装で、投稿者が大きく増えた時期があります。「つくれぽ」というのは、自分が投稿した料理を作った人に「作ったよ! おいしかったよ!」というメッセージを送ってもらえる仕組みです。
    ――「つくれぽ」を見ていると、褒め合ったり感謝したりしている言葉がとても多くて、まるで「女子会」みたいだなあと思います。
    草深 私たちは、それを「ありがとうの連鎖」と呼んでいます。「つくれぽ」で重視したのは、評価するレビューの場にせずに、あくまでも「ありがとう」を伝える場にすることだったんです。
    よくTwitterやブログでは、コメントでシェアされることで賛否の評価がわかるのがインターネットの特徴として言われますよね。でも、「つくれぽ」では、「美味しかった」「ありがとう」の感謝を送ることに徹底しているんですね。「美味しくなかったよ」とか「こうした方がいいよ」ではなくて、あくまで感謝のレポートを送るという仕組みなんです。
    ――閲覧ユーザーに役立つレビューよりも、投稿者のモチベーションが高まる「ありがとう」の方が大事なのだ、と。本当に、投稿する人を大事にしているんですね。
    草深 こういうことが、クックパッドが初期から大事にしてきた思想なのだと思います。
    実際、主婦になった人たちは、ふだんの生活で褒めてもらう機会がなかなかないんです。いくら毎日の献立に悩みながら作っていても、家族は当たり前のようにご飯を食べて、自分はそれを当たり前のように片づけるだけ。そういう日々の繰り返しを生きているんですね。
    ところが、つくれぽができたことで、同じ主婦から「あなたのレシピが私の生活に役に立ったよ!」みたいな反応が来るようになったんです。そのときに、目の前の家族のためだけではなくて、どこか別の家庭にいる「ありがとう」を言ってくれる人のために、彼女たちが料理を頑張れるようになったんです。この仕組みが回りだしてから、レシピ投稿数もどんどん増えていきました。
     
     
    ■ 外食から内食へ――「女子文化」と「SNS」がけん引する食のトレンド
     
    ――そういうクックパッドが近年、メディア事業によってレシピを発信していくようになっています。その編集長である草深さんのポジションから見て、現在のネットの食文化はどういうものなのでしょうか。
    草深 実は、現在までの食のトレンドというのは、概ね人気店のメニューなど外食産業が作ってきたものだったと思うんです。それに対して、ここ数年「手作りごはん」という「内食」ジャンルで様々なブームが生み出されるようになりました。
    具体的な料理名で言うと、「おにぎらず」や「塩レモン」ですね。2014年〜現在にかけて検索数も投稿数も急上昇し、大ブームとなりました。
    こうしたトレンドを大きく支えているのは、まず一つにはSNSがあります。そして、その背景として見逃せないのが、「女子文化」の浸透なんですよ。
    最近の女性は「ママ会」や「女子会」などのホームパーティーを開いて、お友達同士で一緒に食べる機会が増えているんです。最近は、「ママももっと楽しんでいいよね」という雰囲気になってきてはいるけれども、現実的には外食は難しいから「じゃあ、お家にみんなで集まろうよ」となるんです。消費税増税も、この「外食じゃなくてお家でパーティ」という志向を後押ししていると思われます。
    ちなみに、そういう場所で流行るレシピってどんなものだと思いますか?
    ――……え、ええと、盛り付けがすごそうだったりとか?
    草深 ふふふ、男性の方はよく間違えるのですが、女子は肩ひじ張って頑張ってる人はあんまり好きじゃないんです(笑)。だから、そこで流行るレシピの正解は、「簡単なのにセンスがいい」ものなのです。
    具体的には、「これ、ちょっと市販品をアレンジしたのよ」というくらいの、頑張っていないのに素敵なレシピを出すようなのがウケます。その女子目線が、とても大事なんです。私たちも編集方針として、「肩ひじを張っていない」という要素を大変に大事にしていますね。
    例えば「塩レモン」はレモンと塩だけで作れます。でも、塩の濃度やレモンの切り方で自分らしい工夫ができて、その漬けた「塩レモン」は肉料理や野菜料理にも利用できてしまう。肩肘は張っていなくても、ちゃんと腕の見せどころがあるんです。しかも「塩レモン」は瓶に入れてキッチンに飾っておけるでしょう。来客にも見せられるんです。
     

    ▲「塩レモン」確かに、瓶詰めにすると映えそうなビジュアルだ(「秋からも人気続行中!今さら聞けない『塩レモン』おさらい!!」クックパッドニュースより)
     
    加えて、モロッコの調味料という点も魅力でしたね。塩レモンブームの前にはモロッコ雑貨などが流行っていて、女子の間で「モロッコがオシャレ」という文脈があり、その流れに乗れた点もポイントでした。
    ――確かに! でも、そういうふうに考えると、かつての塩麹のブームとはちょっと雰囲気が……。
    草深 塩麹ブームを支えた層と、塩レモンブームを支えている層は、少し担い手が違うと編集部では考えています。
    塩麹というのは、タッパーで作って冷蔵庫で寝かせて、家族に向けて出すような……少し内向きのものなんです。これを支えたのは、現在アラフォーの団塊ジュニア世代です。彼女たちが求めた、派手ではないけれども豊かな暮らし……そういう「ほっこりブーム」に乗るなかで登場しました。
    でも、「塩レモン」を支える層は、一つ世代が下がった現在アラサーの「キラキラママ」たちです。彼女たちは「塩レモンを漬けました」などをSNSに画像をあげて、ママ会では「塩レモン」でちょっとマリネしたチキンソテーを出したりするんです。そのチキン自体はただ焼いているだけなのに、とても美味しい。そして、そういう料理を食べながら、塩の濃度やレモンの切り方など、自分なりのこだわりについての会話ができる……。
    ――まさに、ソーシャルメディアが当たり前になった世代のレシピなんですね。
    草深 いま、仲間で食を楽しむという「食のコミュニケーション」という要素はどんどん大きくなっている気がしますね。
     
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  • 3.11が発見した新しい消費者像――コンビニエンスストアの商品戦略と展開から(坂口孝則) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.332 ☆

    2015-05-28 07:00  
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    3.11が発見した新しい消費者像――コンビニエンスストアの商品戦略と展開から(坂口孝則)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.5.28 vol.332
    http://wakusei2nd.com

     

    本日のメルマガは、調達・購買コンサルタントの坂口孝則さんによる論考です。テーマは「コンビニの文化地図」。すっかり私たちの生活に浸透し、プライベートブランド商品の開発や地域インフラ化などでも注目されるコンビニ業界。消費者ターゲティングのトレンド、商品開発、そして各社ごとの今後の取り組みまで、「文化としてのコンビニ」について考えます。
     
    ▼執筆者プロフィール
    坂口孝則(さかぐち・たかのり)
    調達・購買コンサルタント/未来調達研究所株式会社取締役/講演家。2001年、大阪大学経済学部卒業。電機メーカー、自動車メーカーに勤務。原価企画、調達・購買、資材部門に従業。2012年、未来調達研究所株式会社取締役就任。製造業を中心としたコンサルティングを行う。著書に『製造業の現場バイヤーが教える調達力・購買力の基礎を身につける本』(日刊工業新聞社)、『モチベーションで仕事はできない』(ベスト新書)、『仕事の速い人は150字で資料を作り3分でプレゼンする。「計って」「数えて」「記録する」業務分析術』(幻冬舎)など。
     
     
    ■ 社会のインフラとなったコンビニ
     
    ビジネスパーソンがスーツ姿でスーパーに行くのは躊躇しても、コンビニエンスストアならば行ける。パジャマ姿の女性がスーパーに行くのは逡巡するものの、コンビニエンスストアになら行ける。ちょっとした買い物から、日用品まで、私たちの生活はコンビニエンスストアと切り離せない。
     
    コンビニは現在1年間で約25,000人ものひとたちがストーカー被害、DV、不審者などから逃げ込むインフラとしての役割もある。さまざまな意味で私たちに身近なコンビニでは、どのような取り組みが行われ、コンビニはどこに向かおうとしているのか。
     
    そこで本稿では、まずはコンビニ各社が行う消費者ターゲティングの現在を分析した上で、各社の今後をめぐる展開の、その背後に見える大きなトレンドを探していく。
    高齢化と少子化、世帯の共働き化によって、消費者は近くの店舗で、仕事帰りに手間のいらない多様な食品を買い求める。コンビニは「冷蔵庫のアウトソーシングから」「キッチンのアウトソーシング」までを請け負うために、各社は日本最高の物流システムと、POSデータ等による商品企画を進めてきた。
    セブン-イレブンやローソンの戦略を見るのは、日本流通先端の状況を見ることでもある。
     
     
    ■ コンビニを取り巻く状況
     
    個別の戦略を見る前に、まずはコンビニ業界を取り巻く状況を確認したい。
     
    昨年末(2014年12月末)のコンビニ店舗数を見てみよう。日本全体に5万5139店ものコンビニエンスストアがある。業界1位はセブン-イレブンの1万7206店。そこからだいぶ差があり、2位はローソンの1万2119店、3位はファミリーマートの1万1170店だ。その後、サークルK、サンクス……と続く。ただし、それ以下は桁数も異なるため、コンビニ3強と称される場合が多い。
    コンビニは現在、市場規模約10兆円だ。これから、スーパーとの競争激化のすえ、スーパー(GMS含む)の市場規模20兆円弱の1割をさらに奪えば、まだ2兆円ほどの成長余地が残されている。消費税増税後は伸びが鈍化しているとはいえ、コンビニ3強の鼻息は荒い。
     
    コンビニの発祥については、大阪マミーとする説(昭和44年)、ココストアとする説(昭和46年)、セブンイレブンとする説(昭和49年)がある。
    マミーはスーパーマーケットとする向きもあるため、有力なのはココストアとする説だ。当時、スーパーマーケットの台頭で酒屋がどこも経営的な不調に呻吟していた。ココストアはいわば、彼らの救済を目的として組織され、酒屋の活性化を志向した。そして日本におけるコンビニエンスストアは他の小売フォーマットを凌駕して成長してきた。
     
    しかし、コンビニは、もちろん安穏とした状況にはない。
    これまで勝利してきたスーパーマーケットからの攻勢もある。とくにイオン「まいばすけっと」はコンビニエンスストアなみの敷地面積で、プライベートブランド「トップバリュ」を武器に低価格帯で闘いを挑んでいる。「まいばすけっと」を含む戦略的小型店事業の経営状況は良く、イオン本体との圧倒的なボリュームで、低価格・低コストを実現させてきた。イトーヨーカドーもこの小規模、低価格帯で進出を加速している。
     
    その中で、コンビニ業界各社が近年重視しているターゲティング戦略から、話を始めたい。それは、3.11をキッカケにしたものだった。
     
     
    ■ 3.11が引き寄せた新しい消費者――1.「女性」
     
    2011年の大震災時、これまでコンビニと縁遠かった層が来店し、それがリピートにつながった。同時にコンビニ各社も女性やシニアに焦点をあわせて集客戦略を練ってきた。全国の約5000万世帯のうち、共働き世帯が1000万世帯に至り、構成員が減少するなか、時短かつ少量をもとめる消費者にコンビニが照準を合わすのは当然だった。
     
    大手各社とも、戦略に違いはあるものの、前述の理由から、ターゲット消費者として大きく「女性」「シニア」を外すチェーンは見当たらない。そしてそのターゲティングゆえ、商品トレンドとしては、必然的に「健康」志向となっている。また、その「健康」志向の徹底ぶりとしては、ローソンが先行し、セブン-イレブン、そしてファミリーマート、他チェーン店とつづく。
     
    現在、女性客を増やすために講じられている施策は、「主菜」「スープ」「スイーツ」のいった三本柱が多い。
     
    まずは、「主菜」である。
     
    コンビニエンスストアの商品ラインアップとして少量かつ主菜の商品が目立ってきた。この変化こそ、コンビニ各社が女性向けを意識している特徴だ。というのも男性の消費者と違って、女性は複数食品を食卓に並べたいニーズが高い。具体的には、男性は一品でもじゅうぶんとするひとがいるいっぽうで、女性は三品以上を並べたいと志向する。おかずではなく、食卓の主役としての三品が求められる。
    セブン-イレブンは煮物の魚だけではなく、焼き魚も用意しだしているし、冷凍中華だけではなく麻婆豆腐のような商品に力を入れている。さらに、タンシチュー、牛肉煮などもある。面白いのは、食卓の主役になるものの、かといって、まな板が汚れるほど本格的調理は不要な点だ。焼き魚は皿に乗せて温めればいいし、麻婆豆腐もボウルに入れればいい(そして温めるだけでは再現できないもの。たとえばトンカツなどは商品化されていない)。
    また、ローソンも店内調理商品を意識的に拡大しており、惣菜にくわえ、レジ横で調理する揚げ物等の販売が伸びている。これも女性たちの調理代替需要を狙う。
     
    また、サークルKサンクスでは女性客のニーズをつかむために、「ごちそうデリカ」を拡充している。これは季節ごとの食材を使った惣菜で、店舗にあるフライヤーを使ってカウンター前で販売する。家庭の食卓にそのまま並ぶ食材を目指し、スーパーからの需要を取り込む。これは小口需要も同時に狙っていて、1パック100~200円ていどで、重量は約100gとしている。これからも同社は、女性を中心とした客層拡大を目論む。
     
     
    次に、「スープ」である。
    また、このところ、とくに冬場においてコンビニ各社は、コーヒーとスープで女性客を惹きつけようとしている。当初はコンビニ各社とも試験的に導入したスープだったものの、ローソンの「海老のビスク」「北海道コーンのポタージュ」、サークルKサンクスの「三元豚の豚汁」「10品目のミネストローネスープ」「あさりと野菜のクラムチャウダー」などが、いずれも好調だった。スープ市場が好調な理由は、女性の昼食が変化していることにある。お弁当や定食屋でのランチから、具材を工夫しスープを昼食として消費されるケースが多くなった。
     
    そして、最後は「スイーツ」だ。
    おなじく、これまで男性客比率が大半だったチェーンは、スイーツを活用し女性客を獲得しようとする。この傾向は、ほぼすべてのチェーン店で見受けられる。
    たとえばミニストップはポップなロゴマークのいっぽうで、ほとんどの来客(約7割)は男性となっていた。そこで女性客の取り組みが急務だったため、スイーツに注目した。同社は2012年からアイスクリームを見直し、ソフトクリームの材料を改善したり、夕張メロンソフトを発表したり、プリンパフェなどを発売した。実際に女性客からの評判が上々だったため、これからも高付加価値型スイーツを志向していくだろう。
    また、セブン-イレブンは人気アイスクリームチェーンのコールド・ストーンとアイスクリームを共同開発し限定発売した。同社はコールド・ストーンとの連携でこれまでも商品を発売してきた。これはとくに10代~20代の若年女性層をねらったものだった。
     
     
    ■ 3.11が引き寄せた新しい消費者――2.「シニア」
     
    くわえて各社が力を入れるのは、シニアマーケットだ。おなじく各社の施策のうち代表的なものを抜粋してみよう。
     
    セブン-イレブンはネオ「御用聞き」サービスを開始した。これは買い物弱者ともいわれる高齢者層にたいして食事などの宅配を行うものだ。セブンミールから注文すれば近隣店舗が届けてくれる。セブン-イレブンでは、リアル店舗とネットなどをシームレスにつなぐ「オムニチャネル」化を進めている。ネットで注文したものをリアル店舗で受け取ったり、リアル店舗に欠品していた商品もその場で注文し自宅で受け取ったりできる仕組みを作っている。米ウォルマートが先行するオムニチャネルだが、今後、セブン-イレブンも同種の施策を進めていくだろう。
    また、ローソンは有料老人ホームに併設した店舗で高齢者向けサービスを開始した。佐賀市にあるローソンミズ木原店では、調剤薬局を抱え、商品ラインナップとしては介護関連商品や杖(!)、そしてカツラ(!!)までを揃える。
    ファミリーマートも高齢者向け宅配事業で先行するシニアライフクリエイトを買収し、ファミリーマートの弁当などをあわせて届ける仕組みを構築している。ローソンも佐川急便とタッグを組み、買い物弱者対策を進めている。
    その他の動きとして、サークルKサンクスは、女性とシニア(とくに高級志向をもつシニア層)向けに弁当販売を拡大するために、2013年よりデパ地下の惣菜売り場を手本とした施策を展開している。文字通り、手に取った瞬間にデパ地下のような高級感を醸成する目的で、デパ地下に強い業者とも連携した。
    またシニア層をターゲットにしたコンビニ各社は、おせち料理も変容させている。コンビニ各社は年末に「お一人さま用おせち」を発売して話題になった。セブン-イレブンがはじめた当コンセプト商品は、ファミリーマートとサークルKサンクスにもひろがった。これは単身者需要だけではなく、シニア層をターゲットにしたものだった。セブン-イレブンは、セブンミールなどを通じて高齢者からの注文を集め、またサークルKサンクスは「華GOZEN」という1980円の低価格おせちで訴求した。
     
     
    ■ 明確化した商品トレンド「健康志向」
     
    チェーン店を限定しないプライベートブランド商品でこのところ顕著なのが、パッケージに特徴を大きく表示方法だ。
    とくに女性層は食品にたいして比較優位性を求めるといわれるため、同層にアピールできるように「生きて腸まで届く乳酸菌入り」といったようにフォントを大きく表示する。これもおなじく健康志向の消費者にたいして、その健康メリットを強調するための工夫だ。
    実は、これまで述べたとおり、コンビニ各社が女性とシニアをターゲットに据えたとき、商品全体の健康志向トレンドが必然となったのである。各社とも、カロリーオフ商品、有機栽培、オーガニック、といったキーワードを全面に出すようになった。
     
    そのなかでも、この動きを意識的に加速しているのはローソンだ。「マチのほっとステーション」から「マチの健康ステーション」へと、ローソンはセルフメディケーションを事業の柱に打ち出した。医薬品の販売を開始する店舗を増やしたり、テレビ電話による健康相談も行ったりしている。さらには一部自治体と提携し、健康診断の受付窓口も担っている。ローソンは、事業そのものを健康主体に切り替えるという、きわめて成熟社会的企業と評することができる。
     
    その特徴は商品にも表出している。ローソンは2014年末に特定保健食品の許可を受けたパンやざるそばを発売した。糖質を抑えたパンや、血糖値を抑えるそばで、それら「ブランシリーズ」は同社のヒット商品となっている。これらは調理方法の工夫にくわえて、製粉会社と組んだ材料開発のたまものでもある。糖質制限の必要な消費者からの人気は高く、圧倒的なリピート率を誇る(公正に付け加えれば、これはローソンだけではなく、たとえば人気の商品として、糖質を抑えたファミリーマートの「国産小麦のブランロール」などがある)。
     
    これからも健康志向商品はたえまなく開発されていくだろうし、ファミリーマートが薬局とコンビニを併設するように、業態や店舗設計としても健康をキーワードとしたものが増加していく。
     
     
    ■ トレンドメーカーとしての覇者セブン-イレブン
     
    上の分析を見ても分かるように、既にコンビニ業界は独自の商品開発をはじめている。その先頭を一見して常に切っているように見えるのが、セブンイレブンだ。
     
    実際、コンビニエンスストア業界ではセブン-イレブンが先行した商品を、他社が後追いする傾向が続いてきた。たとえば、サラダをカップ状にしたのも、赤飯をおにぎりにしたのも、ツナマヨネーズを売りだしたのも、セブン-イレブンだった。これは本社の企画力としてセブン-イレブンが優位性を誇っていることを示す。
     
    ただし、生鮮食品を取り扱ったのは、ローソンが先行したし、惣菜もファミリーマートやローソンが先立った。その意味ではセブン-イレブンの優位性とは、先行していても後追いであっても、商品の改善力で圧倒的な品質の商品を具現化するところにある。むしろ我々はセブン-イレブンの改善力の高さにこそ注目したい。
     
    まず、セブン-イレブンの商品開発は同社主導でおこなわれる。
    たとえばセブン-イレブンではセブンカフェで100円コーヒーを販売しており、これがそれまでコーヒーチェーンに向かっていた需要を取り込みはじめた。この圧倒的な成功は、本社主導によって、複数メーカーを共同開発させたことにあった。カフェの豆は味の素ゼネラルフーヅが担当しており、コーヒー機は富士電機が担当していた。ほんらいは別々で開発が進むところを、本社主導で富士電機とともに味の素ゼネラルフーヅが最高の味が実現できるように徹底的に作りなおされた。さらに本社は富士電機にたいして2万台のコーヒー機をまとめ交渉し、導入コストを最適化したうえで全国のセブン-イレブンに納入した。
     
    このようにセブン-イレブンの手法は、まず商品コンセプトを提示し、手をあげたメーカー各社を競合させる仕組みだ。セブン-イレブンはメーカーの技術力をリサーチのうえで最大限の提案を引き出す。また、厳しい目標コストを提示する。高いレベルの商品仕様が決定しており、競争も激しいため、必然的にコストはギリギリまで抑えられる。
    コストの多寡によって売価を決定する方法を原価主義といい、逆に理想売価からコストを逆算する方法を非原価主義と呼ぶ。つまり「コストがいくらかかるか」を考えるのではなく「コストをいくらに抑えねばならない」と考える方法だ。
    セブン-イレブンは非原価主義によって、取引メーカーから最大限の強みを引き出しているといえるし、その徹底した状況からセブンプレミアムなどの高価値商品が生まれているともいえる。
     
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  • インテリアデザインの現在形――〈内装〉はモノとヒトとの間をいかに設計してきたか(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」vol.4) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.325 ☆

    2015-05-19 07:00  
    220pt
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    インテリアデザインの現在形――〈内装〉はモノとヒトとの間をいかに設計してきたか(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」vol.4)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.5.19 vol.325
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは、浅子佳英さん、門脇耕三さん、宇野常寛による好評の鼎談シリーズ「これからのカッコよさの話をしよう」第4弾です。今回のテーマはインテリアデザイナー/批評家である浅子さん企画による「インテリアデザインの現在」。最新のショップデザインひしめく表参道・中目黒を巡り、リノベブーム以降のインテリアデザインを考えます。

     
    ▼これまでの記事
    (vol.1)これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
    (vol.2)無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性(「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾)
    (vol.3)住宅建築で巡る東京の旅――「ラビリンス」「森山邸」「調布の家」から考える(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾) 
     
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社、2013年)ほか。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コムデギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:中野慧
    ◎撮影:編集部
     
     
     ある春の晴れた日の午後、浅子佳英さん、門脇耕三さん、宇野常寛の3人はデザインとインテリアのメッカ、表参道に降り立ちました。
     

    ▲表参道の交差点。収録当日は天気にも恵まれていました。
     
     浅子さんの案内のもと一行がまず向かったのは、イソップ青山店。
     

    ▲イソップ 青山店
     
     〈イソップ〉はオーガニックなスキンケア、ヘアケア、ボディケア製品を販売し世界的に人気を得ているオーストラリア・メルボルン発のブランド。この青山店は日本初のショップで、建築家・長坂常さんのデザインによるもの。元あった内装を引き剥がし、スケルトンにして空間を広く使ういわゆるリノベーションなのですが、壁や天井は塗装すらされておらず、別の場所で解体された住宅の廃材や家具を再利用しているのが特徴です。
     
     そして次に向かったのは、表参道の大通りから少し入った場所にある「イザベル・マラン東京」。
     

    ▲表参道にある「イザベル・マラン東京」
     
     〈イザベル・マラン〉は、フランスのファッションブランド。インテリアデザインはフランスの若手建築家集団CIGUË(シグー)によるもので、〈イソップ〉同様、もともとあった建物のリノベーション。ファッションブランドとしては珍しく木造の建物の2階をショップにしていて、やはり元々あった内装はすべて引き剥がし、木の軸組は全て露出しています。そこに異素材として、FRP(繊維強化プラスチック)でできた大きな照明やフィッテイングルームが挿入されています。
     
     そして次に訪れたのは、ハイブランドの旗艦店ひしめく表参道の通りに面した〈セリーヌ〉でした。
     

    ▲CELINE(セリーヌ)表参道店
     
     こちらは〈イソップ〉や〈イザベル・マラン〉とは対照的に、床面積も広く2階建てでとても豪華な作りです。〈イザベル・マラン〉と同じくフランスのファッションブランドですが、こちらはどちらかというと昔ながらのハイブランド。〈セリーヌ〉の外観・内装をひとしきり見た後、再び青山方面に向かいました。
     

    ▲途中、話題の「ブルーボトルコーヒー」(写真2F)を通り掛かりましたが人が多かったのと、「まあ、ここはええよ、、」(浅子さん)ということで華麗にスルー……。
     
     そして青山の裏通りの細い道を行くと、そこには何やら要塞のような建物が……。
     

    ▲〈トム・ブラウン〉旗艦店(南青山)
     
     この〈トム・ブラウン〉は、50〜60年代のアメリカ黄金時代やケネディ大統領のファッションにインスピレーションを受けた服を販売するニューヨーク発のブランド。浅子さんによればこの要塞のような外観は、お店の内部を「黄金時代のアメリカ」として演出するため、外界から完全に切断する役割を果たしているのだそう。
     
     表参道・青山エリアでは最後に浅子さんおすすめのブランド〈リック・オウエンス〉の店舗を見学した後、中目黒に移動し、2000年代以降流行したライフスタイルショップの代表格〈1LDK〉へ。そして浅子さんの自宅兼アトリエにて座談会を収録しました。
     

    ▲中目黒にある〈1LDK〉。
     
     
    ■ 9.11/リーマンショック以降のリノベブームと〈中目黒的なもの〉
     
    宇野 今回はインテリアデザイナーを本業とするーー最近は建築家的な仕事、あるいはプロダクトデザイン的な仕事のほうが目立って来ているような気もしますがーー浅子佳英さんプレゼンツによる「東京インテリア巡り」です。まずは企画者の浅子さんから今回の趣旨の説明をお願いします。
    浅子 今のインテリアデザインは「リノベーション」が重要なキーワードになっているのですが、まずはそこに行く前にファッションとの関係から語るのが良いと思います。
     ファッションの世界では数年前から、「ノームコア」という言葉が話題になっています。ノーマルのハードコアという意味なので、そもそも語義矛盾のような言葉なのですが、いわゆる霜降りのジーンズとか白い靴下とか「ちょっとダサい人たちが着る普通の服をオシャレに見せる」というトレンドが生まれました。言ってしまえば「一般人のコスプレ」ですね。アメリカでまず話題になり、昨年あたりから日本でも言葉自体は定着してきました。ただ、これってもともとは様々なファッションの流行が行き着いた先のちょっとスノッブで嫌らしいものなんだけど、それがコピーのコピーのコピーのようなかたちで日本に入ってきた頃には「シンプルで定番の服を着ている人がオシャレなんだ」というような、逆転したかたちで受容されてしまいました。そこで象徴的なキーワードとして「スローフード」や「中目黒」がアイコンになったというわけです。
     今日見たなかでは、最後に行った中目黒の〈1LDK〉がわかりやすい例ですね。ノンウォッシュのジーンズにコットンシャツ、スウェットパンツにNEW BALANCEだったり、黒縁眼鏡にニットキャップなど、形としては普通なんだけど、上質な素材で作られているものだったり、定番品や日常で使えるもの、日々の暮らしで使えるものが逆転して流行のアイテムになっています。いわば「暮らし」がテーマなので食器なども一緒に売っています。
     話は変わりますが、90年代後半から2000年代前半にかけて中目黒がエリアとして急に注目されたことで地価が上がり、それまであった面白い店が出て行ってしまい、ダメな店ばかりが増えて行くという現象が起こりました。
    門脇 中目黒も、それ以前の原宿や代官山と同じような運命を辿ったわけですよね。ジェントリフィケーションによって地価や家賃が上昇して、実験的なショップを構えることのリスクが相対的に高くなってしまうという。そうなると、「その街のイメージ」を安易にコピーして貼り付けたようなショップが増えていきます。
    浅子 まさにそういう話で、〈1LDK〉はそんなふうに中目黒が駄目になったあと、メインの川沿いではなく裏通りに出店し、いわば中目黒が復活するための下支えをしたような店なんですね。そういう経緯もあって、僕は〈1LDK〉自体はとても好きなんですが、最近の中目黒周辺には、そのコピーのコピーのような感じでニット帽と食器を売るライフスタイル系のお店ばかりになっています。また同じ事を繰り返している。
     

    ▲〈1LDK〉の内装。シンプルでベーシックなアイテムが並んでいます。
    画像出典:http://1ldkshop.com/shop_info
     
    宇野 こんなこというとおしゃれな自意識をもった皆様方に怒られそうだけど、中目黒のああいったお店で売っているようなすごくシンプルな定番アイテムや、ライフスタイル系の食器とかって、無印良品で十分じゃない? って思ってしまうんだけど……。
    浅子 (笑)たしかにそのとおりで、ひとつひとつのアイテムを見たら普通のものばかりで、それをちょっとオシャレっぽくレイアウトしているだけに見えますよね。もちろん、それぞれの商品にもその文脈を知っている人には読み取れる違いがきちんとあるのですが、その差異は「サードウェーブ系男子」で話題になったおぐらりゅうじ氏も指摘しているように、NBの生産国の違いなど、外から見ればごく小さなものです。
     さらに重要なのは、その定番アイテムを細かく読み解いていくと、ジーンズにしてもニットキャップにしても、スニーカーにしてもすべて元々はアメリカの大量生産品だということです。なので、これらは元を辿ると、9・11やリーマン・ショックでアメリカが自信をなくしていくのと並行して進んだ現象だと思っています。つまり、未来志向でどんどん新しいものを生み出すのではなく、「古き良きアメリカを取り戻したい」という欲望の現れです。その象徴としてひとつ挙げられるのが、表参道で見た〈トム・ブラウン〉のようなブランドではないかな、と。
     

    ▲トム・ブラウン青山店の内装。50〜60年代の「古き良きアメリカ」を忠実に再現している。
    画像出典:トム ブラウン世界2店舗目の旗艦店公開 イメージはオフィス | Fashionsnap.com 
     
    宇野 なるほど! 2000年代にピクサーがCGアニメーション映画でやっていたような「古き良きアメリカ的男性性の回復」というノスタルジー消費が、ファッションやショップデザインの文脈でも起きていたというわけだよね。
    浅子 そうなんですよ! そもそも今のリノベーションブームには、シアトル発でポートランドやニューヨークにも出店して人気となった「エースホテル」が大きな役割を果たしています。それこそ、セコハンで買った大量生産品の古き良きアメリカの家具だったり、あまり作りこんでいないDIY的な内装のホテルで、すごく人気が出たんです。
     

     

    ▲アメリカ西海岸、オレゴン州はポートランドにある「エースホテル」。ちなみにポートランドは、「ブルーボトルコーヒー」を代表格とする「サードウェーブコーヒー」の発祥地でもあります。(この流れについて詳しくは佐久間裕美子さんの著書『ヒップな生活革命』(朝日出版社)をご参照ください)
    画像出典:http://www2.acehotel.com/ja/brochures/portland/
     
     僕自身は〈トム・ブラウン〉もエースホテルもとても好きなんですが、その劣化コピーの劣化コピーになってくると「古いものをそのまま使うのはいいことなんだ」というようなとてもベタな需要の仕方になってしまう。洋服で言うならノームコアのように「長く使える定番品を着ることが消費社会への抵抗なんだ」というような変な受け取られ方をしてしまう。
     でもこのままだと何も新しいものが生み出されません。この流れにどうやって対抗していくか、というのがここ5~6年のデザイン界のテーマだと僕は思っています。そのための対抗策のひとつとして「ラグジュアリーなもの」をどうやって現代的に表現していくか、というのがあるんじゃないか。ひとつは、最初に見た青山の〈イソップ〉を手掛けた長坂常さんのように、元々あった空間や物の意味を転換させるというのがありますね。
     

    ▲「イソップ 青山店」の内装
    画像出典:http://www.aesop.com/jp/article/aesop-aoyama-jp.html
     
     また、その次に見た〈イザベル・マラン〉では、古い建物をそのまま生かしつつも、FRPのようなハイテクな素材を混ぜたりして異種混合戦のような面白い空間をつくろうとしています。
     

    ▲「イザベル・マラン東京」の内装。もともとあった建物の骨組みを剥き出しにつつ、ブティック的な清潔感・高級感も同時に演出している。
    画像出典:http://www.isabelmarant.com/jp/stores/asia/japan/tokyo/1366-shibuya-ku.html
     
     さらに違う方向性だと、表参道で見た〈セリーヌ〉のように、箱自体はすごくシンプルなのに、ひとつひとつの作りが超絶豪華で見たことのない素材の使い方をするというものもあります。今の時代は、奇抜な形態のものばかりを並べるとウソっぽくなりすぎて醒めてしまう。だから大前提としてシンプルであることは引き受けつつ、そこにどういう介入や新しい提案ができるのかというのが、今の時代のインテリアデザインの課題なんじゃないかと思っています。
     

    ▲「セリーヌ表参道店」の内装。OSB(木材をチップ状にして固めた合板)などの安価な素材から大理石まで、さまざまな材料をミックスした什器が使われている。
    画像出典:https://www.celine.com/jp/celine-stores/asia-pacific/japan/tokyo/omotesando
     
     
    ■ 暫定一位としての〈セリーヌ〉
     
    宇野 今日見たいくつかのお店は、要は20世紀的なものを批評的に表現しているわけですよね。〈イザベル・マラン〉なら、20世紀半ばまでの工業社会がテーマで、そのために当時つくられたもともとの建物に機能として必要とされていた柱や配線をあえて剥き出しにすることで内装にしている。そしてもちろん、それだけだと単なる乱雑なものになってしまうから、配線をきっちりしたり新しい素材を入れ込んだり、色んな介入を行うことによってデザインとして完成している…って理解でいいですか?
    浅子 イザベル・マランというブランド自体は、工業社会が前面的なテーマになっている訳ではないと思いますが、インテリアをデザインしているシグーは自分たちで工房を持ち、本国のフランスでは手作業も行なっているので基本的にはその理解でいいと思います。
    宇野 一方で〈トム・ブラウン〉は2000年代のピクサーのように、黄金時代アメリカの「古き良き男性性」を現代的な感覚のなかで利用していくというものだろうし、〈セリーヌ〉はバブリーな贅沢さを、今の感覚で見てもダサくならないようにシンプルの中に過剰さを埋め込んでいる。今日見て回って、なんとなくこれくらいのことは想像がついたのだけど、浅子さん自身が今日見たなかで一番評価が高いのはどこなんですか?
    浅子 今のところは〈セリーヌ〉ですね。その理由は、現代的な潮流に合わせてリノベーション的な感覚を前面化するだけではなく「ラグジュアリー」について最も真剣に取組んでいるように見えるからです。
     また、〈セリーヌ〉にはもう一つ文脈があって、実は現在の〈セリーヌ〉表参道店は、これまでに改装を3回しているんですね。そもそも〈セリーヌ〉は老舗ブランドのひとつなわけですが、欧米の老舗ブランドって1990年頃から、そのままでは生き残れないからと新しいクリエイティブ・ディレクターを登用するようになりました。有名なのは〈シャネル〉のカール・ラガーフェルド、もうやめてしまいましたが、〈ルイ・ヴィトン〉のマーク・ジェイコブスなどです。
     そのような流れの中、〈セリーヌ〉も、2008年からフィービー・フィロという女性デザイナーをクリエイティブ・ディレクターに登用し、そのときにパリと東京のショップデザインも変えました。フィービー・フィロはこの時の改装も担当しているんですが、それらは、元あったインテリアをほぼそのまま残し、プラスターボード(石膏を紙で固めた下地材として使われる最も安価な材料)を仕上げとして、しかも嫌味たっぷりに裏返して使っていたのです。要はわざと工事中のような表層にしつつも、中の什器や服は今のように優雅でたっぷりと並べられていた。これってマダムが買うような高級ブランドとしてはありえないことで、もうそれだけで事件だったんですよ。
     そして昨年、2014年に今のようなシンプルでありつつラグジュアリーなお店に改装したのですが、お客さんからすると仮設のようなショップのあとにあれを見せられるわけで、驚きもより大きくなる。その2つの物語をつくったから〈セリーヌ〉は面白いと思うんですよね。
    門脇 僕も〈セリーヌ〉は素直に良いなと思いました。現代のデザインって虚構だけでは成立しないんですよね。「自分でばしっとキメながら、自分でツッコむ」というようなメタ視点がないと面白くない。〈セリーヌ〉はまさに、ラグジュアリーなものを作っておいて「全部ハリボテですよ」というネタばらしみたいなことをやっている。
     今日見たものはショップデザインで、10〜20分ぐらい居る場所だから、その中で長い時間を過ごす建築デザインの分野ではあまり参考になる感じではないんですけど、短時間しかいないとはいえ、キメキメのデザインをして「これかっこいいだろ!」っていうのは今はもう無理なんだなと改めて思いました。そこに酔いきれずに冷めた目をしているもう一人の自分を発見してしまって、居心地の悪い気分になる。
    宇野 僕が今回見たなかで一番辛いなと思ったのって〈トム・ブラウン〉なんですよね。あれぐらいテーマパークにしてしまうと、もちろん洗練されているんだけど、観光で鎌倉の大仏を見に行くような感覚でしかアクセスできない。
     その点、〈イザベル・マラン〉はシンプルライフ&スローフードの現代的な感覚に寄せるという点ではよくできていると思う。浅子さんも門脇さんも嫌いかもしれないけれど、あれって20世紀半ばまでの工業社会のイメージのパロディであると同時に、インテリアとしては最低限におさめて、つまり柱や配線自体をインテリアにするだけにとどめて、あとはただひたすら棚と台があって、そこにはどんな商品でも並べられるようにしてある。そして半分はその並べた商品のカラーで店の雰囲気が決まるわけだから、これは意外とどんなライフスタイルや文化、具体的には商品も許容できる内装だと思うんです。実際、ああいう内装のヴィレッジ・バンガードもあれば自然食の店もあるわけでしょう?
     

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  • 思想としての予防医学を考える(予防医学研究者・石川善樹連載「〈思想〉としての予防医学」第1回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.317 ☆

    2015-05-07 07:00  
    220pt



    PLANETSメルマガでは今月より新たな連載がスタートします! 
    テーマは、これまでPLANETSがまったく扱ってこなかった「医学」と「健康」。予防医学研究者の石川善樹さんが、今にわかに注目を浴びている「予防医学」を〈思想〉という観点から解説していきます。
     
    ▼執筆者プロフィール
    石川善樹(いしかわ・よしき)
    (株)Campus for H共同創業者。広島県生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして研究し、常に「最新」かつ「最善」の健康情報を提供している。専門分野は、行動科学、ヘルスコミュニケーション、統計解析等。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。
    6月4日に『最後のダイエット』(マガジンハウス刊)を発売予定。その他の著書に『友だちの数で寿命はきまる(マガジンハウス)』など。
     
     
     はじめまして。予防医学という分野の研究をしている、石川善樹です。
     
     いきなりですが、この連載のタイトルにも入っている「予防医学」という言葉ですが、馴染みのある人はどのくらいいるのでしょうか――「予防医学が21世紀の医学の主流になるだろう」なんて言われているのを、聞いたことがある人もいそうです。しかし、そういう人であっても、予防医学について具体的な話を聞いたことは少なそうです。
     
     そこで、まずはイメージをつかむところから始めたいと思います。
     
     
    ■ かつて「運動は健康に悪い」と言われていた
     
     例えば、予防医学による発見の一つが、「運動は健康に良い」ということです。
     
     ――え、それって常識じゃないの? と思う人もいそうです。
     
     確かに、今となっては、あまりこの話を疑う人はいなさそうです。しかし、19世紀までの人類は、むしろ「運動こそが健康に悪い」と思っていたのです。ですから、例えば郵便局の内勤の人と外勤の配達員とでは、あくせく外歩きをする配達員の方が「早死するんだな、かわいそうに」というくらいに思われていたのでした。
     
     この常識を最初に覆したのは、英国の疫学研究者ジェリー・モーリスでした。彼は1953年に発表した論文で、2階建てバスの乗務員を調べて、運転手と、1階と2階を行き来する乗務員のどちらが健康的なのかを比較したのでした。すると、1階と2階のあいだをせわしなく動きまわる仕事をしている方が健康的で、座り仕事の運転手の方こそが不健康であるというデータが出てしまったのです。
     余談ですが、このモーリスは後に、ロンドンで健康のためのジョギングをした初めての人間となりました。当時の人々は、彼のことを"頭のおかしい人"を見るような目で見ていたそうです。彼の業績は長らく、予防医学の世界でのみ、ささやかに讃えられてきましたが、ついに先日のロンドン・オリンピックで彼の功績が大々的に讃えられることになりました。それは、彼がスポーツ文化に新しい価値を付け加えたことを賞賛してのものでした。
     
     予防医学では、このような統計的手法によって、人間の健康に影響する要因が何かを調べあげてきました。他の予防医学の有名な成果としては、タバコの健康への悪影響の証明があります。今となっては驚くような話ですが、それまではタバコを「健康に良いから吸った方がいい」と主張する医者まで存在したそうです。
     実は結構な数の健康についての常識を、僕たち予防医学の研究者は見つけてきたのです。
     
     こういう手法を、予防医学の世界では「疫学」と呼んでいます。簡単にいえば、英国のモーリス博士がやったように、沢山の人を集めてきて、病気になった人と病気になっていない人を比較して、何が原因だったのかを探り当てていく手法です。
     これは、いわば医学における最初の"ビッグデータ解析"だったと言えるかもしれません。その意味で、現代のIT分野で話題になっているようなトピックについても、いろいろな示唆が与えられるように思います。
     この連載のタイトルになっている『〈思想〉としての予防医学』というのは、こういう話題を本誌主宰の宇野常寛さんにお話ししたときに、宇野さんから連載のタイトルとして提案されたものです。IT分野でのビッグデータ解析の成果と同様に、予防医学のこういう話題には、従来の人文的な思想に対してインパクトの強い話題が含まれているということで、こういう名前を思いついたとのことです。
     
     
    ■ カナダが80年代に発表した研究結果の"衝撃"
     
     最初にも述べたように、近年は日本でも予防医学について「21世紀の医学の主流になるだろう」という意見を耳にすることが増えてきました。
     
     そんなふうに予防医学が注目されるキッカケになったのは、アメリカが1980年代に提示した衝撃的なデータです。彼らは、当時の国家的な財政危機の中で、本当に「医療制度」が社会全体での健康維持に効果があるのかを調査したのでした。
     
     その結果はというと――なんと、ほとんど効果がないというものでした。
     
     ここでは具体的な算出の過程は省きますが、彼らは健康に影響を与える要因をリストアップして、医療制度・遺伝・環境・生活習慣の4つに絞り込みました。そして、それぞれの病気との相関関係を調べあげて、各々が健康な生活に寄与する度合いを算出したのです。その結果わかったのは、医療制度はなんと1割程度しか寄与しておらず、むしろ病気の大きな要因は、単なる「生活習慣」の問題であるということでした。
     
     そこで、アメリカは「治療から予防へ」という方向に舵を切り替えて、医療制度の改善よりも生活習慣の改善に注力するようになりました。その後すぐに、他の先進国も続いていくことになります。よくアメリカについて、健康に悪いファストフードばかりを食べているというイメージが語られますが、既にそれは過去の話です。喫煙率についても、この20年ほどで米国は劇的に低下しています。
     
     ひるがえって、日本にこの考え方が入り込んできたのは2000年に入ってからのことです。「分煙」などの言葉が、この頃から使われるようになったのを覚えている人もいるでしょう。
     そんな感じの状態ですから、いまやホワイトカラー同士の比較でいえば、日本人はアメリカ人よりもずっと運動量が少なく、コレステロール摂取量も多いというのが実情です。先進国のホワイトカラーとして見ると、もう日本人は決して健康的な部類の生活をしているとは言えないのです。この差は、まさに予防医学の浸透した時期が遅かったことから来ています。
     

    ▲男女別喫煙率の国際比較。日本は女性は8.4%なものの男性に限っては32%と、男女ともに10%台の米国よりかなり高い。(出典:社会実情データ図録▽男女別喫煙率の国際比較 )
     
     
    ■ 「心」が脚光を浴びる、予防医学の現在
     
     さて、そんな予防医学の世界で、最近になって注目されているのが、人間の「心」にまつわる問題です。
     そもそも、予防医学の歴史は、19世紀に「下水道を整備して、コレラの対策をしよう」だとか、「きちんと靴を履かせて、傷口から寄生虫が入るのを予防しよう」だとかというように、感染症対策を研究したことから始まりました。その後、感染症をめぐるアプローチが一段落すると、今度は先ほど述べたように、生活習慣からくる心臓病のような病への対策に移りました。
     しかし、20世紀の人類は素晴らしい発展を遂げて、経済も医療も大きく進歩させました。その結果、平均寿命は右肩上がりになり、先進国の人々はかつてない長寿の時代を迎えています。そういう中で、健康についての予防医学的なアプローチは、ある意味で転換点を迎えているのです。
     

    ▲石川善樹『友だちの数で寿命はきまる 人との「つながり」が最高の健康法』マガジンハウス、2014年
     
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  • 「キミも東京を脱出してみたら?」――高知移住後のイケダハヤトが語る「地方に住み、働く」という果てなきブルーオーシャン ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.314 ☆

    2015-04-30 07:00  
    220pt

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    「キミも東京を脱出してみたら?」――高知移住後のイケダハヤトが語る「地方に住み、働く」という果てなきブルーオーシャン
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.30 vol.314
    http://wakusei2nd.com



    高知移住後の状況を綴った「まだ東京で消耗してるの?」というチャレンジングなブログが話題のブロガー・イケダハヤトさん。「いつかは東京を抜け出したい」と語る宇野常寛が、そのイケダさんに「地方移住」の魅力についてお話を伺ってきました。
     
    ▼プロフィール
    イケダハヤト
    1986年神奈川県生まれ。2009年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、半導体メーカー大手に就職。と思いきや会社の経営が傾き、11ヶ月でベンチャー企業に転職。ソーシャルメディア活用のコンサルタントとして大企業のウェブマーケティングをサポートし、社会人3年目に独立。会社員生活は色々と辛かったので。2011年からはフリーランスのプロブロガーとして、高知県を中心にうろうろしています。著書に「年収150万円でぼくらは自由に生きていく(星海社)」「武器としての書く技術(中経出版)」「新世代努力論(朝日新聞出版)」などがある。
     
    ◎聞き手:宇野常寛
    ◎構成:鈴木靖子
     
     
    ■ 移住して変わったこと
     
    宇野 僕は「ああ、俺、東京で消耗してるな〜」と思いながら、いつもイケダさんのブログを拝見しています。今日は、戦略的なことも含めて高知移住について伺っていきたいと思っています。まず、移住のきっかけからお聞かせいただけますか。
    イケダ 東京でライターというかブロガーというか、記者のような仕事をしていると、結局、みんな同じことを書いているんですよね。せっかくイベント会場に来たのに、隣にバイト記者がいて同じようなことを書く。これは、僕自身にはフラストレーションだったし、社会的なリソースの分配を間違えていると思ったんです。
     また、東京はコミュニティの圧力が強い。住む場所を変えるだけで、そこから脱せるのではないか?という仮説を持って移住しました。9か月が経ち、まさにその通りだなと思っています。
    宇野 読者への説明のためにあえて聞きますが、今のイケダさんの収入形態の配分は具体的にどうなっているんですか? 
    イケダ ブログの収入がほとんどです。40〜50万円をアフィリエイトで稼いで、バナー広告で15万円くらい。記事広告で5万円。最近はFacebookを使った有料コミュニティで30万円くらいの収入があります。基本的にブログ周辺のオンラインでできる仕事しかしていません。
    宇野 東京でフリーランスをしている人からしても、破格の収入といってもいいですよね。
    イケダ 自分でも面白いなと思うのが、移住してから収益が上がったんですよ。アクセスが1.8倍に伸びました。そのぶん、広告の単価もアフィリエイトの収益性も上がります。情報発信をしている人が少ない地域に行けば、そこのコンテンツを扱う人も少ない。移住したことによりコンテンツにオリジナリティが出たんです。高知の読者も獲得できて、感謝もされる。僕自身、移住してからのほうがブログを書くことが楽しくなりました。
    宇野 僕も正直、イケダさんが高知に移られてからのほうが、ブログをよく見るようになりました。生活費も下がったんじゃないですか? 
    イケダ 現在は築浅の2LDKのアパートに住んでいて、駐車場が1台分ついて家賃は6万3000円です。東京では多摩市に住んでいましたが、ちょうど今の倍でしたね。家賃は10万円超で、駐車場を入れるともっと高くなる。
    宇野 2LDKの間取りなら、都心だと18万円前後ですが、高知はその3分の1ですね。僕は東京暮らしが8年目になりますが、いまだに東京が好きになれない。家賃は高いし、移動も実は不便だし、なにより住んでいる人間がみんな「焦っている」。 
     何かを作りだすことより、コミュニケーションが優先され、そこに膨大なコストをかける。東京に来たときからずっと感じていたことですが、そういった環境が年々、嫌になっていく感じです。
    イケダ そういった煩わしいものからは、だいぶ解放されました。よく言われることですが、地方は人との距離感が近い。行政のトップの高知県知事にもすぐに話に行けて、そういうスピード感もすごくいいです。
    宇野 でも、自分がイケダさんと同じようなことができるかといったら、やはり難しい。週一のラジオ番組のレギュラーなど、やはり仕事の問題があるんですよね……。イケダさんは、いつ頃から収入のメインをブログに移したんですか? 
    イケダ 妻の妊娠がわかった約3年前くらいです。それなりにサイトの力があり、やればできることはわかっていたので、本気でやれば結構いけた感じです。
    宇野 それまでは、コンサルとライティングですよね? ライティングはともかく、コンサルは現場に行って打ち合わせをする必要がある一方、時間に比して効率はいい仕事です。それを捨てるのは勇気がいりませんでしたか。
    イケダ コンサルティングの売り上げは、月50万〜60万円でした。でも、コンサルをやめても、20万〜30万円あればなんとでもなると思っていました。コンサルをやめたぶん、ブログに集中すれば売り上げが上がることがわかっていたので、あまり抵抗はなかったですね。
    宇野 フリーランスでやっていくイケダさんは、親子3人で生活するのに、これだけの収入がなきゃいけないなと思う額はいくらですか? 
    イケダ 地方に移住すれば、年間300万円くらい現金があれば、まともな社会生活が余裕でできると思っていました。妻も働ける状態でしたし、そんなにお金の心配はしませんでした。
    宇野 でも、それは移住が前提条件で、東京にいたらプラス200万円は必要ですよね。
    イケダ 都心で子育てをするのは無理だとわかっていたので、移住前提で考えていたんです。うちの妻の職場は都心で、多摩市からだと通勤に一時間半。時短勤務になるので収入は下がる一方で、保育園料も6万円ほどかかる。2人目、3人目も考えたいので、そう考えるとさらに東京生活はハードルが高くなるんですよね。
     
     
    ■ 掘りつくされた東京からフロンティアを求めて
     
    宇野 こんなに東京が嫌いなのに移住しない理由はなんだろうと考えると、もうひとつは人間関係なんです。やはり、家族以外の人間、友達とか仕事仲間と会えなくなるのは寂しい。その点、イケダさんはいかがでしたか?
    イケダ 友達いないんですよ、あんまり(笑)。あんまりというか、友達という概念がよくわからないんです。かっこよくいうと、友達がいらないタイプの人間なので。そもそも東京時代も友達と遊んだことって、なかったですね。
    宇野 僕はホモソーシャルの権化のような人間で、いつも友達とツルんで遊んでいます(笑)。なので、自分の精神生活がつらくなったとき、それがなかったら……と思うと、やはり決断できない。
    イケダ 移住先に新しい友達を作ることもできますし、移住しても、これまでの縁が切れるわけではありませんから。
    宇野 そうなんですよね。しかも、その友達と会うのも、実際は月に2〜3回。メディア出演の仕事も月に2〜3回で、東京に出張したときに遊べば別にいいのではないかとも思うんです。だからこそ、やはり移住をしない理由は、仕事なんですよね。周りに同業者やクリエイティブな仕事をしている人がいないと、刺激にならないと思ったことはないですか?
    イケダ それはむしろ、逆ですね。東京の人から出てくる企画やコンテンツをおもしろいと思いません。バイラルメディアとかそうじゃないですか。
    宇野 素晴らしいですね(笑)。まったく同感です。今、インターネットは本来持っているポテンシャルを失っています。『食べログ』や『Ingress』といった、基本的に東京にいてこそ楽しめるサービスは成功していますが、インターネット本来の魅力は、誰でも場所も無関係に情報発信できることにある。
     インターネットジャーナリズムは行き詰まり、ほとんどの人間は、何も語るべきものを持たず、うまくやっている人間に石を投げることぐらいの能力がないことを、バイラルメディア問題やツイッターの炎上問題が証明してしまった。これを打開するにはどうしたらいいだろうと思っていたところに、イケダハヤトが高知に行って「やられた!」と思いました。
    イケダ 個人に限らず、地方っておもしろい人がいっぱいいます。そういう人たちが、まったく取材されていなかったりする。東京でのコンテンツの限界という問題意識を持って地方に来てみると、まだまだ語るべきおもしろいことがたくさんあると感じます。
    宇野 つまり、東京は発信能力を持った人間は多いけど、コミュニティが近接すぎて、みんな同じことを考えるようになった。事実上、コンテンツが貧困なのだと。一方、人口は少ないかもしれないが、地方にこそ手つかずの情報のソースが眠っている。
    イケダ 地方のコンテンツは読まれるんですよ。センスがいいメディアは、すでにその方向に動いています。東京で開拓しようとしても、すでに掘りつくされている感じがするので、フロンティアを求めていくなら、ローカルだと思います。
     
     
    ■ 地方都市が抱える現実
     
    宇野 その一方で、この9か月にイケダさんが直面した地方の厳しい現実ってありますか? 
    イケダ ひとつには雇用の問題ですね。地元が大好きでも、大学卒業のタイミングで仕事がないために、県外に出るというケースがあまりに多い。若者の雇用の必要性はみんなが思っていて、それは課題のひとつです。
     それと、社会問題に対する意識がさほど高くないと思います。おそらく高知だと、「LGBT」といった性的マイノリティの話などはあまり語られていないでしょうし、各種の貧困問題についても住民自体のリテラシーは高くない感じがします。そこはローカルメディアが頑張らないと、意図せず排他的になってしまう。
     あと、どの地方にも共通することですが、異端児っぽい子供たちが排除されてしまう傾向があります。おもしろいことを考えていたのに、地元のネットワークの中だと理解されず、親も公務員とか学校の先生になってほしい願望が強かったりするので、才能を潰されている若い子たちが実はいっぱいいるのではないかと思います。
    宇野 僕も地方出身者で、たまたま転勤族だったからそのコースに入らなかったけれど、うちの親も「学校の先生になってくれたらうれしい」というタイプの人間だったので、そうなっていた可能性は高い気がします。
     
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