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  • 「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか? ――アメカジの日本受容と「90年代リバイバル」から考える(BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.311 ☆

    2015-04-24 12:00  
    【お詫び】本日配信の「ほぼ日刊惑星開発委員会」ですが、編集作業に時間がかかってしまい、今朝の午前7時に配信することができませんでした。楽しみにしていただいていた読者の皆様、大変申し訳ございませんでした。さきほどより配信・公開いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。今後ともPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」を楽しみにしていただけますと幸いです。
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     「日常着としてのアウトドアウェア」はなぜ定着したのか?――アメカジの日本受容と
    「90年代リバイバル」から考える
    (BEAMSメンズディレクター・中田慎介インタビュー)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.4.24 vol.311
    http://wakusei2nd.com

    都市生活者の服装が脱スーツ化、カジュアル化するなかで、今や日常着として気軽に着られるようになったアウトドアウエア。しかし、なぜアウトドアウエアはここまで定着したのか?――その理由をファッションの歴史から辿っていくと、「アメカジ(アメリカン・カジュアル)の日本受容」に行き着きます。
    そこで今回は、日本にアメリカン・カジュアルとアウトドアウェアを紹介したパイオニアであり、今なお都市生活者のファッショントレンドを牽引するセレクトショップ「BEAMS」のメンズディレクター・中田慎介さんに、「アウトドアウエア受容の歴史」についてお話を伺ってきました。
      
     BEAMSの創業は1976年。セレクトショップもファストファッションのお店もなかった原宿で、6坪のセレクトショップとしてスタート。アメリカで爆発的人気だったカリフォルニア文化を日本に紹介し、ファッション好きの若者たちの心を掴みました。その後、様々なブランドとのコラボレーションでも注目を集め、数多のレーベルを擁して新たなトレンドを生み出し続けています。
     今回PLANETS編集部は、ビームス メンズディレクターで、創業当時のコンセプトである「アメリカンライフショップ」=アメリカン・カジュアルを提案し続けるレーベル「BEAMS PLUS」のディレクターでもある中田慎介さんに、「アメリカン・カジュアルとアウトドアウエア受容の歴史」について聞いてきました。
     
    ◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
    ◎写真提供:BEAMS
     

     

    ▲今年3月にリニューアルオープンした、フラッグシップショップの「ビームス 原宿」。
     
     
    ■ アメカジ受容のなかで派生したアウトドアウエアブーム
     
    ――ここ最近、恵比寿や渋谷あたりで、パタゴニアのハードシェルやダウンを着て、アークテリクスやグレゴリーのザックを背負って会社に通勤するサラリーマンの姿を当たり前に見かけるようになりました。本来なら山で着るような高機能なアウトドアウエアを街でも着るというファッション文化が定着しつつありますよね。
     なぜそうなってきているかの理由を考えていくと、消費者像として浮かび上がるのはまず “アウトドア層”――自転車通勤をしている人とか、土日に登山を楽しむ人たちです。
     そして、もうひとつ欠かせないのが、“アメリカンカジュアル層”だと思っていて、BEAMSが創業した70年代アメリカの西海岸のライフスタイルが日本に入ってきて、この流れで例えばパタゴニアのようなアウトドアウエアブランドに出会った人も多いのではないでしょうか。
     そこで今回は、アメカジやアウトドアウエアのタウンユースを紹介したパイオニアであるBEAMSからみた、「ファッションとしてのアウトドアウエア」の受容の歴史をお聞きできればと思います。
    中田慎介(以下、中田) なるほど。まず僕は、直近の理由としては東日本大震災が大きいんじゃないかと思っています。うちの会社では特に顕著なんですが、「なるべく公共交通関だけに頼らず通勤しよう」ということで、今まで禁止されていた自転車通勤がむしろ推奨されるようになったりしていますよね。そうなると当然、全天候型のウェア、つまりアウトドアウエアが必要になってくる。
     たしかにBEAMSは、セレクトショップとしてアウトドアブランドを取り入れたという意味ではパイオニアだと思います。「BEAMSがパタゴニアのフリースを日本に初めて入れた」と言ってもいいはず(笑)。なので、「BEAMSから見た日本でのアウトドアウエアファッションの流行と定着」という観点からお話することはできるかな、と思います。
     私がディレクターをやっている「BEAMS PLUS(ビームス プラス)」は、レーベルのコンセプトとして「アメリカの黄金期」と呼ばれているベトナム戦争以前の1945〜65年に完成されたウェアや、当時のものづくりをベースにしてきました。そこで私は配属された当時から、アメリカのファッションの歴史のノウハウみたいなものを叩き込まれてきたんです。ここでは僕が学んだものが厳密に正しいかどうかは別にして、分かる範囲のことをお話させてもらいますね。
     

    ▲ビームス メンズディレクターの中田慎介さん(撮影:編集部)
     
     そもそも洋服文化の発祥の地はヨーロッパで、1800年代にヨーロッパから今のアメリカ大陸に渡ってきました。当時はアメリカの広大な土地を東西にガンガン行き来して文化を広めていった時代です。そのため何を取り込むにも素早い動きが必要とされた。当然、輸入された洋服に対しても、アメリカ大陸で使えるような機能性を追加し、デザインをし直さなければならなかったわけです。このプロセスによって、のちの「大量生産」という流れが生まれていきます。
     こうした時代背景のなかで生まれたアメリカン・ファッションのルーツとなるカテゴリーは4つあって、ビジネススーツに代表される「アメリカントラディショナル」、肉体労働のための「ワーク」、兵士の服である「ミリタリー」、そして「スポーツ」ですね。これらのカテゴリーにおいて、例えばミリタリーなら「死なないためにどれだけ動けて丈夫で機能的な軍服を作るか」といった機能性に関わるディテールやデザインが完成したのが、第二次大戦後からベトナム戦争までの「アメリカの黄金期」と言われる時期です。
     当時は戦争景気でとにかくお金があったので、素材開発もさかんに行われています。対燃の素材をどこよりも早く開発して、「MA−1」というフライトジャケットを生み出したのもアメリカでした。いわゆる「アメリカンカジュアル」の源流とされる4つのジャンルは、時代の勢いに乗るかたちで、職業服つまり「ユニフォーム」としてのスタイルを完成させていったわけです。
     しかし、ベトナム戦争が始まって間もない1965年以降になると、「ユニフォーム」だったものが、しだいに「ファッション」として表現されていくようになる。いわゆるカウンターカルチャーの時代に突入していくわけです。
     
     
    ■ カウンターカルチャーから生まれた「アメリカン・カジュアル」
      
    ――カウンターカルチャー世代の若者たちが、「ユニフォームとしての機能」に特化していたこれらの服に、ファッションとしての意味を新たに見出していったということですよね。
    中田 それまでのアメリカには、「どこの家にも大きい車があって、テレビがあって、子どもたちは真面目で、髪を横分けしている」という、親世代が作った”American Way of Life”と言われる理想と現実があったんですね。
     ベトナム戦争の泥沼化によって、親世代を単純にリスペクトできなくなった若い世代が、イメージ戦略によって作られたこれらの概念を壊していったわけです。ファッションに置き換えるならば、着崩すことに楽しさを見出していったということですね。たとえば、それまで野球の試合や練習でしか着られなかったベースボールシャツが、70年代〜80年代になるとファッションとして着られるようになるわけです。
     それから大量生産・大量消費の時代でモノが飽和状態になったことで「節約しよう」という流れが起きて、古着ブームが生まれる。「ラグビーのユニフォームも普段着としても着れば一石二鳥」ということになってくる。こういった流れから、「ユニフォーム」と「ファッション」の流れがリンクしてきたんじゃないか、と私は思いますね。
     もうひとつわかりやすい例を出すと、ヒッピーがミリタリーシャツを着るようになったのも、まさにアンチテーゼですよね。要するに「ミリタリーっていうのは人を殺すための服じゃない。平和をうたうための服なんだ」というカウンターです。ひとつの意味しかもたなかった「ユニフォーム」に、まったく逆の意味をもたせて「ファッション」にしたというわけです。
    ――『フォレスト・ガンプ』に出てくるヒッピーも、ミリタリーを着ていましたよね。
    中田 そうそう。ちなみにフォレスト・ガンプが履いていた代表的なスニーカー、「ナイキ コルテッツ」のオリジナルカラーを、BEAMSエクスクルーシブで販売していました。映画のなかでフォレスト・ガンプがプレゼントされたスニーカーで、白地に赤いスウォッシュが入ったものです。この春にリニューアルした原宿店の目玉アイテムでもあります。
     

    ▲フォレスト・ガンプ [DVD]トム・ハンクス (出演), ゲイリー・シニーズ (出演), ロバート・ゼメキス (監督) 
     

     

    ▲ナイキ コルテッツ オリジナルカラー
     
     
    ■ いま起こりつつある「90年代リバイバル」
     
    ――『フォレスト・ガンプ』といえば舞台は1960〜70年代ですが、90年代の映画でもあるわけですよね(公開は1994年)。最近いろいろな分野で「90年代」の再解釈が流行していますが、このアイテムもその流れからきているものなのでしょうか。
    中田 たしかに90年代ブームという枠で動いている部分はありますね。90年代の特徴としては、異素材をミックスさせているのがポイントです。
    ――90年代ブームのひとつとして、BEAMSは昨シーズン、スポーツミックススタイルも提案されていましたよね。パタゴニアを着てアークテリクスのザックを背負って……というスタイルの原型って、1970年代にはすでにアメリカにあったんですか? 
    中田 やはりカウンターカルチャー全盛期にある程度完成されたんじゃないでしょうか。証券マンが象徴するようなビジネススタイルへのカウンターとして、70年代は放浪の旅をするバックパッカーたちのスタイル(ヒッピー)が出てきたわけです。今までスーツを着て街を歩いていた人が、「こんなものは必要ない」といってスポーツウェアを着てザックを背負って旅に出る。そこで彼らは「スポーツウエアの機能って、スポーツ以外でも役立つじゃん! 日常でも着られる!」と気づいて、日常生活に取り入れるようになっていったんでしょうね。
    ――そういったアメリカのカジュアルウエアのトレンドが、日本に入ってきたのはいつぐらいなんでしょうか?
    中田 アメリカンカルチャーが本格的に入ってきたのはやっぱり70年代でしょうね。当時のアメリカはカウンターカルチャーの影響で人種差別がなくなっていった時代なので、日本人もある程度渡航しやすくなり、情報が入りやすい環境になっていった。BEAMS創業時のメンバーもこの頃カリフォルニアに渡っています。
     
     
    ■ パタゴニアを日本に紹介したのもBEAMSだった?
     
    ――BEAMSが原宿で創業したのは76年ですが、当時は「UCLAの学生の部屋」がコンセプトだったんですよね。
    中田 70年代中盤当時、日本でも古着やカウンターカルチャーがブームだったんですけど、実は当時の原宿は、今のような「古着の街」というイメージは、まだそこまで強くなかったんです。
     70年代のカウンターカルチャー的な古着文化の発祥の地はニューヨークとされているんですが、実際に花開いたのはサンフランシスコで、カリフォルニアの陽気さのなかでみんなが古着を着るようになり、サーフィンやスケートボードといったいわゆる「横ノリ」のスポーツがどんどん発展した。このカリフォルニア文化に70年代の日本人はすごく憧れを抱いていて、だからBEAMS創業時は「アメリカンライフショップ」というのがコンセプトで、アメリカのカルチャーを紹介するお店だったんですね。
     

    ▲2009年に発売されたPOPEYE × BEAMSのムック「All about USA」(マガジンハウス)のひとコマ。70年代当時の「POPEYE」誌上でBEAMSが紹介されています。「POPEYE」の創刊はBEAMSと同じく1976年で、中田さんによればほとんど”同期”のような間柄だそう。(撮影:編集部)
     
    ――当時のBEAMSの店舗には、どんなアイテムを置いていたんですか? 
    中田 ワークウェアならスミスのオーバーオール、ラングラーのウエスタンシャツ、リーバイス® の501、ナイキのスニーカーをベースにしたローラースケートもありました。他にはベーシックなボーダーTシャツとか、ブーメランとかフリスビーのようなお土産モノですとか、それこそUCLAの生協に行ったら買えるようなロゴのTシャツとかも置いていたようですね。
     あとは、すでにパタゴニアのスタンドアップショーツも買い付けていたそうです。80年代には、パタゴニアのフリースの名作とも言われる「シンチラジャケット」を日本に紹介していますね。
     

    ▲パタゴニア シンチラスナップTフーディ
     
    ――当時、カリフォルニアに住む人はパタゴニアのフリースをファッションとしてすでに着ていたんですか? それとも、あくまでアウトドアウェアとして着られていたものを日本で「ファッション」として売り出したんでしょうか。
    中田 パタゴニアがフリースを開発したのは70年代後半ですね。当時、現地の人たちが日常着としても着ていたかは定かではありませんが、BEAMSはあくまで「ファション」として売り出しています。
     そもそもパタゴニアは、1957年にカリフォルニアで誕生した、ロッククライミング用品の製造をするための会社でした。衣料品の輸入や製造販売も行うようになり、1973年に新たに衣料品部門として「パタゴニア」という名称のブランドをスタートさせました。
     昔はアウトドアウエアというものがなくて、クライミングをするときもコットンとかウールとか、雨に濡れたとたんに機能しなくなるものしかなかったんですね。「それならば自分たちでつくろう」と、クライミング用品を売っていたパタゴニアが衣料品も作り始めた。そうなったときに、「水分を吸収しない化学繊維によるウエアにしたい。さらに保温性もほしい」ということでウエアとして生まれたのがフリースです。
     
     
    ■ 大ヒットしたアイテム「アロー」(アークテリクス)は日本でどう受容されてきたのか?
     
    ――パタゴニアともうひとつ、今のアウトドアウエアブームを引っ張る存在としてアークテリクスがあると思います。ブランドの定番モデル「アロー」を背負っている社会人や大学生を本当によく見かけますよね。この「アロー」は、ファッションアイテムとして紹介され始めたのはもう10年以上前からだと思いますが、当初はどちらかというとアウトドアのアイテムというよりも、日本の80年代以降の「DCブランド」的な感覚の延長線上であったり、その後の「裏原系」と共振するようなものとして人気が出ていた印象があるのですが……。
     

    ▲アークテリクス アロー
     
    中田 アークテリクスは日本に限らずとても人気のあるブランドですが、「アロー」自体は日本以外ではもう売っていなかったりするんですよ。アウトドアブランドのプロダクトとしてはファッション性が非常に強いのが理由かもしれません。
     
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  • 情報化される実空間と都市再編――不動産ポータルは日本の「住」をどう変えたのか /井上高志(不動産ポータル「HOME'S」運営 株式会社ネクスト代表取締役)インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.285 ☆

    2015-03-19 07:00  
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    「情報化される実空間と都市再編――不動産ポータルは日本の「住」をどう変えたのか」
    井上高志(不動産ポータル「HOME'S」運営 株式会社ネクスト代表取締役)インタビュー

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.19 vol.285
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは、不動産ポータル「HOME'S」を運営する株式会社ネクスト代表・井上高志さんへのインタビューです。この10年で「HOME’S」のような不動産ポータルは家探しの定番サイトとしてすっかり定着しましたが、そこで井上さんは日本の「住」にどんな革命を起こしていたのか? そしてさらに、中古住宅・リノベーションを有効活用した「これからの住まい方」まで、じっくりとお話を伺ってきました。

     

    ▼プロフィール
    井上高志(いのうえ・たかし)
    株式会社ネクスト 代表取締役社長
    1968年生まれ。青山学院大学経済学部卒。新卒入社した株式会社リクルートコスモス(現、株式会社コスモスイニシア)勤務時代に「不動産業界の仕組みを変えたい」との強い想いを抱き、独立して1997年に株式会社ネクストを設立。インターネットを活用した不動産情報インフラの構築を目指し、不動産・住宅情報サイト『HOME'S(ホームズ)』を立ち上げ、掲載物件数No.1のサイトに育て上げる。2011年からは『HOME'S』のアジア展開にも着手。2014年には世界最大級のアグリゲーションサイトを運営するスペインのTrovit Search, S.Lを子会社化。日本のみならず世界で情報インフラの構築を進め、国籍や言語に関わらずスムーズに住み替えができる仕組み創りを目指す。
     
    ◎聞き手:宇野常寛
    ◎構成:稲葉ほたて
     
     
    宇野 今日は、井上さんに不動産ポータル以降の「住まう」ということについて、お伺いしたいんです。
     僕がホームズをはじめて知ったのは2000年代の半ばです。当時は、インターネットが本格的に台頭してきて、ネットユーザーのほとんどが不動産ビジネスがポータル化していく流れを不可避だと感じはじめていたはずなのですが、当の不動産関係者のほうは「ブログって何?」という状態だったと思うんです(笑)。リクルートの「住宅情報(現SUUMO)」も、大して状況は変わらなかったと思いますね。
     ところが、そういうふうに広告屋や出版屋が見よう見まねでネットをやっている中で、明らかにホームズだけが異彩を放っていた。インターネットの文脈で、正しくプラットフォーム運営を行っていたポータルサイトだったと思うんです。当時、みんな表立っては絶対に言わなかったけど、内心は「HOME’Sに追いつけ追い越せ」だったと思うんですよ。
     そこでまず聞きたいのですが、不動産ポータルというのは、もしかしてホームズさんの発明と考えてよいのですか?
    井上 スタートが一番早かったのは、間違いありません。
     僕がリクルートを辞めたのは1995年の7月でした。そして、9月には見よう見まねで、手打ちでホームページを作っていますから、実はスタートはWindows 95よりも早いくらいです。まあ、当時の掲載件数は数百件程度だったので、今となってはポータルと呼べるか怪しいところですけどね。ただ、日本語のページで不動産情報が集積されたサイトは、他にはありませんでした。そういう黎明期を経て、徐々に物件数を増やしながら、商用サービスとしてスタートしたのが1997年の4月です。その時点でも、やはり一番早く着手していると思います。
     当時の僕らの勝算は、料金プランにありました。前職がリクルートだったので、いずれは必ず「住宅情報」でネットに攻めてくるだろうと確信していたので、彼らのコスト構造では絶対に参入できない徹底的な価格破壊モデルを行いました。当時は、紙媒体の「住宅情報」で1軒分を2週間だけ掲載するのに、1万5千円が相場でした。それを僕たちはWeb媒体である強みを活かして、1万5千円で載せ放題のモデルにしました。これで初期は、一気に契約件数を伸ばしています。
     ただ、決して順風満帆だったわけではありません。やはり、先行者メリットを享受できたのは90年代の後半だけで、00年代に入ると、リクルートとアットホームという老舗の大資本が後追いで入ってきて、営業力であっさりと加盟店数を抜かしてしまいました。そのときに、SEO対策を素早く行って検索エンジン経由のユーザー数を大幅に伸ばしたのが、現在も生き残れている要因でしょうね。
    宇野 ただ、僕が見た00年代半ばのホームズは、やはりウェブサービスとして群を抜いていたと思いますよ。極端に言ってしまえば、ホームズを見てみんな作っていたくらいだと思います(笑)。確かに、リクルートやアットホームの方が営業力も高くて、その点で井上さんたちは危機感を抱かれていたのかもしれない。でも、当時の彼らは結局のところ、インターネットを単に紙媒体が置き換わっただけのものとしか思っていなかったように見えます。
     それに対して、ホームズはSEO対策も含めて、不動産のポータルサイトとしてやるべきことをキッチリとやっていたし、新しい機能を貪欲に追加していた。他と比べて明らかに使いやすかったし、地図検索のような全く新しい機能が登場してくる。やはり鮮烈でした。
    井上 他者とウチの違いを聞かれたときには、リクルートやアットホームはメディアで、我々はプラットフォームなのだと答えています。実際、彼らは基本的には外注で作っていて、紙の文化なんですよ。それに対して我々はネット専業で、エンジニアたちが日々ユーザーのことを考えながら、スパイラル型で作っていくわけですね。
     それに、ビジネスモデルも全く違うわけです。リクルートのスタイルでは、結局のところ大都市圏のお金をいっぱい払ってくれるクライアントを増やすのが一番重要です。でも、僕らは稚内の情報だって、鹿児島の情報だって、青森の情報だって、全部広げて取っていくのが重要です。だから、僕らの創業時からの目標は国内に6千万件ある不動産情報を全てデータベース化して、インフラになることなんです。現在は、なんとか1800万件まで来たところですね(*)。
    (*)居住中の物件も含む。
     
     
    ■ ホームズは「情報の非対称性」をいかに解消したか
     
    宇野 この5年くらいのインターネット業界は、とにかく「ソーシャル」だったわけじゃないですか。でも、井上さんはひたすらデータベースを整備して検索性を上げていって、最適化していくことが価値を産んでいくんだという思想を崩していませんね。
     今となっては、ホームズのように、ここまで徹底的に検索できなかったものをひたすら検索させることで突き進んできた会社は、そうはないように思うんですよ。
    井上 それは、ありますね(笑)。ただ、日本の不動産業界とソーシャルは、あまり相性が良くないかもしれませんね。
     アメリカのように不動産のエージェントが弁護士や会計士と並び称される専門職であれば、ソーシャル的なサポートにも意味があるでしょう。でも、日本の不動産仲介業には、そういうノウハウはありません。逆にユーザー側の口コミはというと、そもそも転居にはそんなに回数がないので、セミプロが沢山いる分野になり得ない。外食であれば、毎日行く機会があるわけで「食べログ」のような口コミサービスは成立しますが、なかなか不動産では信頼性のある情報にはならないですよね。
     結局のところ、日本の不動産の問題点は「情報の非対称性」なんですよ。とすれば、まず重要なのは、真っ当な情報が沢山ある状態を作ることなんです。そのために必要なのは、やはりソーシャルよりも、まずはデータベースの充実だと思いますね。
    宇野 不動産ポータルという文化が日本に定着したことで、不動産業界や日本人の住まい方に変化はありましたか?
    井上 まさに大きく解消されたのが、この不動産における「情報の非対称性」ですよ。
     僕がホームズを作った背景には、情報の囲い込みや隠蔽によって儲けている不動産業界への怒りがあったんです。例えば、仲介業でよくあるのが、あえて見劣りのする物件を先に2,3件見せたあとで、自分のマージンが高い物件を見せて、「これは最高の掘り出し物ですね」なんて言うような手法です。当時の僕は、そういうやり方が横行しているのに憤慨していました。
     だから、僕は6千万件のデータベースを作りたいと言い続けるんです。全てのデータが目の前にあって、誰もが見られる状態になり、不動産会社の評価・ランキングまで作ってしまう。そうなれば、もう良い業者にならなければ絶対に淘汰されていくわけです。
    宇野 僕はホームズの地図検索が出てきたときに驚いたんです。だって、実際にその物件がどこにあるかという情報は、ほとんど半ば意図的に隠されていたものでしょう。当時の僕は衝撃を受けました。
    井上 宇野さんが仰るように、どこよりも早く地図検索を始めたのはウチです。なんでも一番でやるのが好きな会社なのですが、お陰で業界とすったもんだはありました(笑)。物件の位置がわかると、オーナーのところに直接行かれてしまうんですね。
     そもそも、今の若い人には信じられない話かもしれないですが、2000年代前半までは間取り図すらも載せない風潮でしたからね。間取りも写真も載せずにおいて、とりあえずお客さんから電話をかけてもらって、「じゃあ、店に来て下さい」と言って営業をかけようという発想です。そこで僕たちは、間取りや写真の数が多いものほど、ソート順で上にあげていくという発想で対応しました。これでクリックレートは劇的に変わるわけですよ(笑)。その結果、2000年頃にはせいぜい10%だった間取りや写真の掲載率が、たった3年程度で90%まで上昇したんです。
    宇野 いや、当時の僕は色んな条件で検索して遊んでいたのですが、もう東京に全く別の地図が出現してきた気がしたのを覚えています。僕らが普段見ている風景とは全く違う世界が広がりだして、「ファミリー物件は意外とこんなところにあるんだ」とか「この辺りは意外と人気がないんだ」とかが一目で分かるんです(笑)。
    井上 ええ。こういう情報技術を通じた「見える化」を進めてきたことで、物件情報以外にも「ここは住みやすいエリアなんだっけ」というような、周辺情報まで可視化されていきました。実は、ここは意外と見過ごされがちな、大きな変化だと思いますね。
     
     
    ■ 不動産のフリーワード検索が機能しなかった理由 
     
    宇野 よくプラットフォームを運営していると、「意外とユーザーはこういうものを求めているんだな」という発見があると聞くんです。井上さんにも、長年の経験で見えてきたことはありますか?
    井上 「フリーワード検索」の話が、それかもしれないですね。よく不動産の調べ方で、都道府県を検索させて、次に賃貸か売買か、売買なら中古か新築か、などを選ばせるでしょう。でも、僕はそれを業界の押し付けにすぎないと思うんです。だって、そもそも通勤エリアが川崎だったとして、別に居住地は東京でも神奈川でもいいし、場合によっては千葉でもいいわけじゃないですか。
     だから、そういう人間が全体で3分の1くらいはいるはずだと思って、「フリーワード検索」という機能を入れてみたんです。これは「海が見える」とか「二世帯住宅」とか、好きなワードでグーグルライクに検索して、住居を選べる仕組みです。絶対にこっちのほうが便利だと思って出したら……なんと、実際には全体の1割しか使ってくれませんでした(笑)。
    宇野 自分のライフスタイルから逆算して住まいを探すという文化が、そもそもユーザーにまだ定着していないんですね。不動産ポータルなんて、ついこの間まで世界に存在していなかったものですし。
    井上 まだ過渡期なんですね。ユーザーの方も、不動産ポータルで探すときには、都道府県を選択して、次に駅の路線か地域か、あるいは通勤通学時間なのかを選択して……みたいな風に、もう探し方を「こういうものだ」と学習してしまっていて、まだ抜け出せずにいます。
     そこで次に考えているのが、レコメンデーションエンジンです。まだ開発途上ではありますが、最終的な目標としては、例えばユーザーの行動履歴を見ながら、「この人は現在、賃貸から売買の方へと意識が変化し始めている。でも、資金繰りのところで躊躇しているようだ」なんて解析して、「住宅ローンのいろは」みたいなページのコンテンツをレコメンドして見せてしまうくらいにはしたいですね。
     とにかく、情報をどんどんパーソナライズして、人間の感性の変化に合わせながら、その人間の「今」のタイミングにぴったりな情報を提供するのが良いと思うんです。
    宇野 つまり、ユーザーが自分のライフスタイルを検索できるレベルまで言語化できないのならば、その支援装置を作ってしまおう、というわけですね。ただ、例えば僕は「模型オタク」なのですが、「模型がいっぱい飾れるところ」で検索しても、まだ引っかからなそうですね。実は模型好きにとっては日照は「害悪」なんです。だから、日当たりが良い部屋にコレクションを置かざるを得ないときは、もう遮光カーテンを選んで買っていますからね(笑)。とはいえ、街の不動産会社ならば対応できるかというと……。
    井上 いやいや、対応できないです。単純に良い情報を教えてくれるだけならば、もう機械の方が自分にフィットしたものを与えてくれるようになっていくでしょう。そもそも不動産仲介事業者というのは、別にライフスタイルの提案ができる人たちではありませんから。むしろ、そこはリフォームやリノベーションの会社の領域ですね。彼らであれば、お客さんのニーズを聞きながら、提案はできると思います。
     
     
    ■ 「生活スタイルの提案」はアルゴリズムにはできない?
     
    宇野 実際のところ、不動産業界というのはすごく古い業界だと思うので、僕のようにいい歳をした大人が趣味の模型をメインの条件で部屋探しをするなんて、絶対に想定してないでしょうからね。
     それにしても、明らかに最近のホームズは、ライフスタイル提案の方に舵を切られていますよね。インテリア事業や介護事業への進出は、その現れだと思います。ただ、僕がそこで気になるのは、井上さんはデータベース整備によるプラットフォーム運営に限界を感じて具体的な価値観を提示する方に向かっているのか、それともむしろプラットフォーム運営の必然として価値観の提示の方へと向かっているのか、一体どっちなのだろうかということです。
     

    ▲『HOME'S介護』:有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅など、さまざまな高齢者向けの住まいを探すことができる介護施設検索サイト。
     

    ▲『HOME'S Style Market』:インテリア・家具・雑貨のECサイト。
     
    井上 それは、中期戦略の中で明確に決めていて、その戦略を「DB+CCS」と呼んでいます。
     物件からインテリアまで含めた巨大なデータベース(=DB)を構築する一方で、コミュニケーション・アンド・コンシェルジュ・サービス(=CCS、Communication and Concierge Serviceの略)を構築する。これは、お客様とコミュニケーションしながらコンシェルジュする機能を、人間と機械・システムによるハイブリッド型で提供するのですが、そこでは巨大なデータベースが必要になるわけです。さらに、この膨大なデータへの検索をレコメンデーションエンジンで支援したり、ザッポスのようにコールセンターを設けて、「あなたにとってのピッタリはこれでしょう?」と提供したりして、マッチングを進めるのです。まあ、本来はここのマッチングは、不動産仲介会社がやるべき仕事なんですけどね。
    宇野 今のお話で重要なのは、もはやレコメンドそのものはもはやプログラムの方が将来的に発展していき、人間に残されているのは価値の提案そのものになっていると考えていることだと思うんです。

     
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  • 住宅建築で巡る東京の旅――「ラビリンス」「森山邸」「調布の家」から考える(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.284 ☆

    2015-03-18 07:00  
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    住宅建築で巡る東京の旅――「ラビリンス」「森山邸」「調布の家」から考える(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.18 vol.284
    http://wakusei2nd.com


    本日は、好評の「これからのカッコよさの話をしよう」第3弾をお届けします。今回のテーマは「住宅建築」。浅子佳英さん、門脇耕三さん、宇野常寛の3人で、東京にある3軒の住宅建築を巡りながら「住まい」のデザインと機能について考えました。
    ▼これまでの記事
    ・これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
    ・無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性(「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾)
     
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社、2013年)ほか。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コムデギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:中野慧
     
     
     「これからのカッコよさ」鼎談シリーズ第3弾となる今回は、門脇さんの発案で、都内にある3軒の有名住宅を一日かけて周りました。最初に訪れたのは80年代の集合住宅の代表作のひとつである、杉並区下井草の「ラビリンス」。そして90年代から00年代的方法論の最高傑作とされる「森山邸」を訪れ、その後はJR南武線に乗って多摩地区に向かい、2010年代的なリノベーション住宅である「調布の家」を訪れました。それぞれの時代精神を象徴する3つの住宅から見えてきた、これからの「住まいとライフスタイル」が向かうべき未来とは――?
     
    当日の宇野のツイートはこちらから。
    http://twilog.org/wakusei2nd/date-150122
     
     
    ■周辺環境からの〈切断〉と内部への〈演出〉――80年代の「ラビリンス」(杉並区井草/設計:早川邦彦建築研究室、1989年)
     
    宇野 今日のテーマは「建築めぐり」ということですけど、まずこのコンセプトメイクをした門脇さんから今日の趣旨説明をお願いします。
    門脇 今日は80年代、90年代から00年代、2010年代の各年代の建築デザインを代表するような、現在でも「カッコいい」と思える3つの有名な住宅建築を周りました。建築にはヒトの生き方そのものをデザインするようなところがあるので、いつの時代も「カッコイイ生き方・ライフスタイルとはどういうものか」を考えているところがあるんだけれども、その「カッコよさ」がどんな世界観・空間観に基づいているのかを紐解きつつ、そもそも各時代の「カッコよさ」が、周辺領域のどういう文化と関連しながら形成されていったのかも考えていきたいと思っています。
     最初に行った「ラビリンス」は、80年代トレンディドラマの代表格である『抱きしめたい!』(1988年放映、フジテレビ系)で、主演のW浅野(浅野温子・浅野ゆう子)のうち、浅野温子のほうが住んでいたマンションを設計した早川邦彦さんの作品なんですね。そのマンション(=「アトリウム」)は中野区にあったんですが、すでに取り壊されてしまっていることもあって、下井草にあるこの「ラビリンス」を訪れることにしました。これはいわば「デザイナーズマンションの走り」ですね。
     

    ▲「ラビリンス」の外観。中庭を囲むように敷地の周縁部に建物が配置されています。
    (写真提供:早川邦彦建築研究室)
     

    ▲フジテレビ開局50周年記念DVD 抱きしめたい! DVD BOX
     
    浅子 「アトリウム」も、この「ラビリンス」と同じくパステルカラーが全面的に使われているのですが、さらに尖った色とデザインで水盤まであったんですよ。あそこまで作り込んだ外部空間は中々ないのでもう一度見たかった! 最近は80年代的なもののリバイバルがあり、それこそ復活したKENZOにはとても似合ったはず。なくなったのがとても残念ですね。 それはともかく、2つとも、中庭を公共スペースとして大きく取り、その周りを住戸で固めるという設計になっています。
     

    ▲各住戸への階段は複雑に張り巡らされています。
    (写真提供:早川邦彦建築研究室)
     
    門脇 我々は建物のブロックとしてのまとまりを「ボリューム」と言うんだけれど、ボリュームの中庭側はさまざまな色で彩られていますが、街並みと連続する道路側は実は落ち着いた色に塗られています。そのことによって、中庭側に足を踏み入れた瞬間にハッとするような、すごく特異な「カッコいい」世界が、まさに「演出」されている。
    浅子 一方で各住戸の内部のプランは割とオーソドックスで、そんなに特殊なものではないんですよね。
    宇野 ちなみにあの中庭の共用部はどう使われてたんですか?
    門脇 詳しいことはわかりませんが、基本的にはあまり使われていないと思います。ただ、集合住宅として考えると、あそこで家族の記念撮影とかはしたんじゃないかな。普通のマンションって家族写真を撮りたくなるような場所はないけれど、集合住宅にそういうフォトジェニックなスペースがあるというのはすごく良いことだと思います。
    浅子 あとは、集合住宅の機能的なこととは別に、階段を抜けると全然違う場所にたどり着くという「迷路」のような空間自体を作りたかったということもあると思います。
    門脇 迷路性と関連させると、「ラビリンス」は面ごとにさまざまな色が塗られていて、それが重層的に重なることによって、奥行きのようなものが作り出されています。建築的には色々ルーツが考えられますが、すぐに指摘できるのが、建築史家であり建築家でもあったコーリン・ロウによる「透明性」についての議論です。コーリン・ロウは、モダニズムの代表的な建築家であるル・コルビュジェの作品分析を通じて、さまざまな面が重なり合って奥行き感が生まれるような空間を、視線は抜けなくても体験的には「透明」であると位置付け、後の建築に大きな影響を与えました。「ラビリンス」の色の塗り方は、カラースキームとしてもコルビュジェの作品に通じるものを感じますので、モダニズムの文脈との結びつきは強く感じます。
     ただやっぱり、当時の80年代の日本のポップカルチャーとの結びつきも大きい気はしますね。
    浅子 さっきの『抱きしめたい!』もそうだし、今改めて見ると、色使いに関してはわたせせいぞうのイラストや、江口寿史の『ストップ!! ひばりくん!』に近いものがある。 ポップさや、 アメリカ的な物をそれこそ平面的に取り入れる80年代のあのちょっと浮かれた感じの世界観。やっぱり建築史的なルーツとは別に、他ジャンルとの近接性を感じますよね。
     

    ▲わたせせいぞう 卓上ポストカードカレンダー 2014年度版
     

    ▲ストップ!!ひばりくん!コンプリート・エディション 2
     
    門脇 80年代のイラストって、ベタに塗った面の上に星や三角形などの記号的なアイコンを散らせたりするなど、面としての重層性で奥行きを出すという方法で、作り方としては近い感じがある。
    浅子 2015年の感覚でみると、そもそも共用部をあれだけ広く取るというのがいまいち理解できないはず。だって、普通に考えたら、あの空間には何の機能もないしメンテナンスも大変だし、それだったら一つ一つの住戸がもっと広いほうがいいですよね。ただ、当時の感覚からすると、建築家というのは、それなりの規模の建築を作る場合には、そこに住む住人のためだけではなく、周囲の人々のために公共空間を作らなければならないという意識があったんですよ。実際にあそこが公共的な役割を持てていたかどうかは別にして。
    宇野 しかしこれは単純なツッコミですけど、下井草のど真ん中にああいう建物があったとして、周辺住民は景観被害のように捉えなかったんですか?
    門脇 周辺にはきちんと配慮していて、敷地を囲むように建物を配置して、周辺と切断した上で、中に独自の空間を生み出しているんですよね。だからこそ「演出」的な感じを強く受けるとも言える。けれどもそのように「表」と「裏」を作らざるをえなかったことへの反動として、90年代、00年代の「裏表のない世界」への志向につながっていく。同じ頃、周辺領域にもトレンディドラマのようなキメキメの世界観から自然体へという流れがあって、おそらく建築界にも共通した雰囲気はあったんじゃないかな。
     

    写真提供:早川邦彦建築研究室
     
     
    ■90年代・00年代デザインの結晶としての「森山邸」(東京都南部/設計:西沢立衛建築設計事務所、2005年)
     
    門脇 そうした中で、90年代になると、たとえば雑誌なんかだと文字組みを均一にしていって、すべてがフラットなものが「カッコいい」とされる時代になっていくわけです。その流れの中に、次の「森山邸」も位置付けられると思います。
     

    ▲「森山邸」の外観。大小様々なかたちの「箱」が並んでいて、それぞれが住人の部屋になっています。オーナーの森山さんによれば、左側の建物の屋上スペースでは住人同士でバーベキューをしたり、さらにはここで出会って結婚した方までいらっしゃるそうです。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     
     ちなみに「森山邸」の設計者の西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)さんは、妹島和世さんとプリツカー賞(建築界でももっとも権威ある賞)を受賞していて、お二人は世界的な建築家ユニットです。
     この住宅は「ラビリンス」のような演出された空間とは違って、「日常世界にいかにフラットに連続させていくか」という問題意識に基づいているように思えます。周辺から切断された特異な世界を差し込むのではなく、外の世界との連続のなかからどのように日常を豊かにしていくか、というアプローチをしているんですね。
    浅子 これまで見た事のないほど強烈で新しいデザインでありながら、小さな建物の多い周囲の街並みに溶け込むようにもなっているんですよね。
     あと「森山邸」が特徴的なのは、塀がないこと。「ラビリンス」はある種の閉ざされた世界をつくっていたけれど、こちらは小さな庭をいっぱい配置しながら敷地の外側の世界とも完全に連続している。
     

    ▲下町風景の残る周辺の街並みにもそれほど違和感なく溶け込んでいます。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     
    宇野 あれは非常に素晴らしいと思いましたね。敷地内の地面や木を、窓の配置や採光を工夫することで間接的に取り込んでいく。建物外の環境に対して切断的でなくて連続的な空間になっているわけですよね。
     さらにいえば、それほど広大とはいえない敷地のなかでも、窓の位置や大きさを使って部屋ごとに取り込む風景を変えているじゃないですか。あの狭い空間の中に、あれだけ多様な文脈を共存させるという設計は舌を巻くものがある。
    浅子 「森山邸」もラビリンスと同様に集合住宅なのですが、一見適当に箱をばらまいているだけに見えて、たとえば隣の棟の窓がふたつとも開いていると、自分の窓から他人の家の窓を貫通してさらにその先が見える、というように実はとても緻密な設計がなされている。写真だと平面的に見えるんだけど、実際にはすごく奥行きが感じられますよね。
    宇野 その上で、ちゃんとプライベートな空間も確保されていて、非常に計算されていますよね。今日(収録は1月下旬)は雨だったこともあって家の中がすごく寒かったんだけど、その問題さえなければ、ビジュアル的・空間的には一番魅力的な住宅だと思いました。
    浅子 実際、この「森山邸」がこの十数年の住宅建築のなかではもっとも素晴らしい建築だと言ってもいいと思いますよ。宇野さんの言っている寒さの問題にしても、それほど広くない敷地のなかにたくさんの部屋を共存させるためにはどうしても壁を薄くせざるをえないというところもある。要は外壁を間仕切り壁のように扱っているわけで、建物ひとつひとつそして庭がそれぞれ部屋になっていて、リビング、ベッドルーム、キッチンやお風呂がそれぞれ独立し大量にばらまかれているわけだから。
     

    ▲建物の中にも外にも読書やお茶ができるスペースが。ちなみにこの棟の梯子を登った上の階には「茶室」があります。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     

    ▲森山さん専用のバスルーム。こちらも独立した建物になっています。森山さん曰く「露天風呂のように使っていて、雪の日なんかはとてもお風呂が楽しいんです」。共同風呂ではないのに他の住人の方も時折「借りたい」と言って入るんだそう。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     
    門脇 「森山邸」では、私的な領域を細かくして敷地にばらまいた結果、公共スペースも細かくなっているわけですが、小さな公共スペースは親密な雰囲気を醸し出しはじめていて、私的領域と公共的領域が境目なく混じり合ってしまうんだよね。
    宇野 住民がよく屋上でバーベキューをしているって話が象徴的ですよね。ただ、僕が気になったのは入居者のライフスタイルというか、センスがどの部屋も似たり寄ったりになっていたこと。
    浅子 共通チケットが要る、ということですね。
    宇野 意外と住むのが難しい部屋で、若い人がうっかり住んじゃうとことごとく代官山のショウウィンドウのような、いわゆる「オシャレ」な生活が並んでしまうことになってしまうんだと思う。
    門脇 ある程度他人の部屋が見えてしまうということによって、むしろ自分の生活をディスプレイする欲求が生まれてしまう。
    宇野 やっぱり限界があると思うのは、ここには変態は住めないこと。生活が丸見えだから。特に日本の場合、ある特定の文化的コミュニティの中で承認されているライフスタイル以外は、あそこまでオープンにすることはできない。浅子さんの言う通り、暗黙のうちに特定の文化圏の住人であるというアピールを要求されてしまっていると思うんだよね。建物を取り巻く文化状況とのかかわりの中で、Facebookのリア充写真投稿がみんな同じパターンになるのと近い現象が起こってしまっていると思う。
    門脇 80年代的作り方は「演出」的だから、物語的なアイテムをたくさん使っているんですよね。壁をチェック状にペイントしてみたりだとか。それはあくまで見せる場所、つまり公的な領域でしか発露しなかったのだけど、「演出」だからこその非日常性にも到達できた。その非日常性が私的領域にも及べば、「変態」と表現されるような異質なものの宿り代にもなり得たかもしれませんが、それはいずれにしても「表」と「裏」の切断をもたらしかねない。ジレンマですね。
     デザイン言語的にも、80年代的な「演出」に対する反動として、90年代から00年代は徹底的に抽象性を志向した時代です。建築にはもともと屋根とか庇(ひさし)とか、雑多なものがくっついてくるんですが、そうした雑多なものを徹底的に排除して、四角いシンプルなかたちにして、色も白で、というようにダイアグラム的に空間をつくろうという意識が強い。で、「森山邸」になると「集合住宅を解体して四角の箱にしてばら撒くという論理的な操作だけで空間が作れますよ」というダイアグラム的方法論の達成に至るわけです。
     ところがそうした表現は、浅子さんがこれまで2回の座談会で指摘してきたような「白いもの」、つまりアートギャラリーのような空間に近づいてしまう。「白いもの」は00年代に蔓延しきった結果、文化的な記号としても作用するようになってしまったから、そこで宇野さんの言っているような排他性の問題も生まれてしまうんだと思います。
    浅子 屋根だったら雨を受けて下に流すという機能があるし、壁だったらまた違う機能があるんだけど、例えば森山邸は屋根も壁も床も同じ鉄板で出来ている。本来は別々の材料で、別々の作り方で作っていたものを1つの要素で作ってみようという挑戦をした結果、デザインとしては極端にシンプルになったのだけど、なってしまったとも言える。
    宇野 ウェブデザインもそうだけれど、ああいった一種のミニマリズムって、画一的なプラットフォームの上に多様なコミュニティを花開かせるために採用されているものじゃないですか。でも建築の場合、森山邸のような達成ですらも、多様性を生むことに成功していないような気がする。これはどうしてなんでしょうか?
    門脇 建築の場合は「プラットフォームであろう」としても、それ自体がどうしても形を持ってしまうんですよね。
    浅子 つまり、コンテンツの側面がどうしても出てきてしまって、単純なプラットフォームだけにはなりえない。「森山邸」のデザインも様々な人を受け入れるプラットフォームとしての機能より、この見た事のない新しく面白いデザインの家に住みたい、というコンテンツの機能のほうが大きいんじゃないかと思うんです。
    宇野 つまり建築という存在自体が、定義的にミニマルであり得ないと。ミニマルというイデオロギーにはなり得るけど、ミニマルなプラットフォームにはなり得ない。
    門脇 建築が存在を感じさせないようなものになり得るのであれば、それこそオープンなプラットフォームだと言えるんでしょうが、建築のデザインとして、それは白くてミニマルなものではない、ということなのでしょうね。
     
     
    ■多様なものを包摂する「住まい」とは?――「調布の家」(調布市調布ケ丘/設計:青木弘司建築設計事務所、2014年)
     
    門脇 この新たに生じた問題をどう乗り越えるのかということについて、ひとつの解答を示していると思えるのが、最後に見た「調布の家」です。
     

    (C)TakeshiYAMAGISHI

    ▲一見普通の集合住宅の1階・2階と屋根裏部分をぶち抜き、三階建ての居住スペースにリノベーションした「調布の家」。3階から下を見ると2階部分とガラスで隔てられた1階部分が少し見えます。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
      
     この住宅は「建築が本来持っていた雑多な要素はそのまま扱っていいんじゃないか」という思想で作られている。その建築の雑多な要素ひとつひとつをデザインとして自律させて、バラバラに見せていくと、建築のスケールが空間未満に小さく解体されて、家具とか人とか犬とか、建築以外の要素とも混じり合ってしまう。そういう作り方ですね。
     また、「調布の家」は敢えて仕上げを剥がしたり、逆に仕上げをしていたり、古いものを残したり、新しいものを作ったりと、とにかく情報を増やすような設計になっています。
     

    ▲2階部分。写真右下の暖炉の熱が上下の階に行き渡り、室内はとても暖かかったです。
    (C)TakeshiYAMAGISHI
     
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  • 【再配信】無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ーー浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-02-21 16:30  
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    無印良品、ユニクロから考える 「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 (浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.2.21 号外
    http://wakusei2nd.com


    「ほぼ惑」では不定期で過去の好評記事を再配信中! 今回は昨年10月に配信した、建築家の門脇耕三さん、インテリアデザイナーの浅子佳英さん、そして宇野常寛を交えた鼎談シリーズ「これからのカッコよさの話をしよう」第2弾をお蔵出しします。 この回のテーマは、「無印良品」「ユニクロ」です!
    今月PLANETSチャンネルに入会すると、前回記事(これからの「カッコよさ」の話をしよう ――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来)も読むことができます!
    なお、この「カッコよさ」鼎談シリーズの第3弾「住宅建築でめぐる東京の旅」は来月初旬に配信予定です。戦後の住宅建築の名作をまわりながら、「住まい」のデザインと機能について考えます。そちらもお楽しみに!
     
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社 、2013年)ほか。
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
    ◉構成:中野慧
     
    ファストファッション、IKEAやニトリ、アップル製品など、ゼロ年代以降の私たちの生活に欠かせなくなった様々な「モノ」と「デザイン」について考えた前回の鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」。第2弾となる今回は、鼎談の収録前に、まず実際に門脇・浅子・宇野の3氏で、銀座の街にある様々なお店を廻ることにしました。
     
    3氏がまず足を運んだのは、世界一巨大な規模を誇るユニクロ銀座店。

    ▲銀座の中央通沿いにある、ユニクロ店舗でも世界最大のグローバル旗艦店「ユニクロ 銀座店」。12階建てだそうです。
     

    ▲床から天井まで隙間なく服が並んでいます。
     

    ▲Tシャツフロア。フロア全体に多種多様なデザインのTシャツがひしめいていました。ぶらぶらと見ていたら、浅子さんが当日着ていたスヌーピーTシャツと似たようなデザインのものを発見。「このTシャツけっこう高かったのにw!」(浅子さん)
     

    ▲女性ものの丈長のスウェットシャツが気になるという門脇さん。このあと「XLサイズなら僕でもダボッと着れそう」とのことで、お買い上げになっていました。
     
     
    ユニクロ銀座店の次に3人は、ユニクロ銀座店と渡り廊下でつながっているお隣のドーバーストリートマーケット(コム・デ・ギャルソンの川久保玲氏がトータルプロデュースするセレクトショップ)へと向かいました。

    ▲ドーバーストリートマーケット ギンザ。
     
    渡り廊下を渡るとそこには、ユニクロとはまるで別世界が広がっていました。好対照だったのはお店のレイアウト。通路は広く取りつつも縦にぎっしりと服を並べるユニクロと違い、様々なアイテムがゆったりと店内に配置されていました。
     
    ドーバーストリートマーケットを出た一行は、「無印良品 有楽町店」へ向かいました。
     

    ▲無印良品有楽町店。ここもかなりの大型店舗です。
     

    ▲無印良品の家。
     
    無印らしいアースカラーの服が並ぶ店内を分け入っていくと、目に入ってきたのはスチールの外壁(「金属系サイディング」というものだそう)の、「家」でした。そう、最近、無印では「無印良品の家」を販売しているとのこと。コンパクトなサイズながら、吹き抜けと、ガラス張り(でも断熱性も高いそうです)による採光のよさもあって、見た目以上にゆったりとした住空間。「暮らしに合わせて間取りが変えられる」とのことです。(出典:「無印良品の家」ホームページ )
     
    その後、一行はクロムハーツ、ミュウミュウ(MiuMiu)、Aesop(イソップ)、フライターグなどを回ってこの日の街歩きを終えました。
     
     
    ■ユニクロとコム・デ・ギャルソン、何が明暗を分けたのか?
     
    宇野 まず簡単に前回のおさらいをすると、今の時代のファッションは、ノームコア(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと。最近のファストファッションの隆盛を受けたトレンドでもある)的なものが優位になっている。そしてその潮流は一部で「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」という五体満足主義的な思想に回収されつつある。それはファッションが本来持っていた「やせっぽちでも太っていても、工夫しだいでカッコよく、気持ちよくなれる」という、文化としての豊かさがやせ細ってしまっているということでもある。こういう現状に対する違和感は共有されていますよね。
    そこに対して例えばデザイナーである浅子さんは、ノームコア的なものを批判して「新しいラグジュアリー」のような価値を提示していくことが必要なのではないかという立場でした。
    また、鼎談のなかで見えてきたのは、ファッションだけでなく、インテリアや建築のような「デザイン」と言われる世界ではどこでも、90年代以降に似たようなことが起こっているのではないか、ということでした。
    今日は第二弾ということで、ファストファッションからデザイナーズブランドまで、銀座のいろいろなお店を実際に回ってきたわけですが、みなさんは改めてどう感じましたか?
    浅子 やっぱりユニクロが今強いのは、面白いデザインの服を揃えているわけではないけれど、カラーバリエーションやちょっとしたデザインの違いの製品を大量に揃えていて、その「多くのものから一つを選ぶ」という体験自体に楽しさがあるからなんだと思いましたね。
    宇野 ショッピングにゲーム的な楽しさがあるということですよね。
    浅子 そうです。銀座店は特に、12階建てなのにもかかわらず、フロアのレイアウトがほとんど同じだったりして、あの感じは僕自身はそんなに好きじゃないんだけど、実際に上から下まで全部見て回ると本当にゲーム空間にいるようで面白かったです。
    門脇 ユニクロの店内のレイアウトは「とにかく下から上まで整然と服を並べる」という思想ですよね。対照的だったのはそのあとに行ったドーバーストリートマーケットで、店内に余白をたくさん取っていました。あれは「アート的に見せる」というテクニックなんだけど、物量としてはユニクロよりも全然少ないですよね。そうすると服の一点一点が高くならざるをえない。置いているモノはカッコいいんだけど、トータルで見るとどうしても元気がないように見えてしまった。
    浅子 僕は立場的にコム・デ・ギャルソンを擁護するしかないんだけど、たしかに銀座店は少しゆったりしすぎているかもしれないですね。ただ、最初にできたロンドンのドーバーストリートマーケットはとてもエキサイティングな空間です。もともとオフィスか何かだった建物に、川久保玲やセットデザイナーなどが介入して百貨店にしてしまっている。たとえばエスカレーターでなく階段で登らないといけなかったりとか、フロアの使い方もわけのわからないことになっていて。
    そもそもドーバーストリートマーケットの面白さって、コム・デ・ギャルソンというブランドが、自分たちの服を売るだけではなく様々なブランドの服を売ったり、アーティストの作品を展示するスペースをつくったり、ある種のプラットフォームとしてお店を構えたところにあると思うんですよ。
    ただ銀座のお店はやっぱり、「ギンザコマツ」という百貨店の建て替えで用意された空間に出店しているから、そういう面白い化学反応が起こらなかったんだと思います。だからそこを責めるのはちょっと気の毒な感じがするんですよね。
    門脇さんは店内のレイアウトのことを指摘されたけど、インテリアのデザイナーとして言うとやっぱり余白というか、そもそも白い壁が良くないと思う。確かに白い壁にするとニュートラルであるかのようにふるまいながらも簡単に綺麗に見せることができるんだけど、それは何も考えていないということの裏返しでもあるんですよね。
    門脇 結局現代アートもそうだけど、白いところにポツーンと何かゴミが置いてあるだけでアートに見えたりするんですよ。それ以外の見せ方を開発できてないのはちょっと残念だった。そういう意味ではユニクロの見せ方のほうが面白かったですよね。
    宇野 ユニクロって、ある時期まではフリースだったり、インナーや寝間着を買うお店というイメージで捉えられていましたよね。で、誰が着てもそこそこ似合うものを、豊富なカラーバリエーションで提供していたのがフリース時代だとすると、今は第2段階、いわばUT(=ユニクロのTシャツ)以降の時代に入っていると思うんですよ。
    UTって色々な企業のロゴだったり、スヌーピーやディズニーなどのキャラクターイラストに、多種多様なカラーバリエーションを掛け合わせるという発想でつくられていますよね。あれってインターネット以降の感覚だと思っていて、要するに統一されたフォーマットに多様なコンテンツを流し込むことで無限にバリエーションを生成できるということだと思うんです。そういう思想が商品ラインナップだったり、レイアウトの方法とも結びついていて、UTという独特のジャンルを生んでいるんじゃないか、と。
    門脇 フォーマットが決まっているからこそ多様な表現が生まれてくる、ということですよね。僕には商品そのものとしてあれが良いのかどうかピンと来ないところがあるけど、でもあれだけのバリエーションがあるなかで選ぶという体験はたしかに楽しかった。さっきもスウェットを買ったけれど、たぶんドーバーストリートマーケットに並んでても買わないんじゃないかな。たくさんのバリエーションが並んでいるなかで気に入ったものを見つけて、買ってしまう。そういう体験を含めて買っている気がしますね。
     
     
    ■「バブルの鬼子」としての無印良品
     
    宇野 これは都市部に限った話かもしれないけど、ユニクロと無印良品ってもうインフラみたいになっているじゃないですか。「あ、この街って駅前にユニクロと無印あるんだ、便利だね」とみんな思ったりする。だからこの2つの企業って、日本の生活文化においては非常に強いと思うんだけど、でも今日見ていて改めて思ったのは、ユニクロはまだ無印を倒せていないということなんですよ。要するに今の無印良品はライフスタイルそのものを提案できているけど、ユニクロはまだそこまで行けていない。
    たとえばユニクロの主力製品であるヒートテックひとつとっても、「冬のファッションで重ね着させない」ということを目標にしたもののはずです。厚着させないということは、つまり「こういう身体が美しい」とか「こういう屋内ライフスタイルが気持ちいい」という提案であるはずで、それを延長していくと僕たちの身体観やライフスタイルの変革へと結びついていくはず。でも、今のユニクロのラインナップからはまだ「新しいライフスタイルの提案」まで読み取ることはできない。アイテム1個1個の持っている快楽やゲーム性に留まっていて、総合的なビジョンがまだないんだなあ、と思ってしまいました。
    一方で無印は、僕の考えでは言わばディフェンディング・チャンピオンだと思うんですよ。あそこに行くと衣食住全部ある――というか、今は家具だけでなく家まで売っているわけですからね。総合的なライフスタイルを提案できているわけです。たとえば僕はあの透明の衣装ケースも使っているし、食べ物にしても僕はMUJIカフェによく行くし、無印カレーも大好きなんですよ。
    そもそも、無印良品のコンセプトって基本的に「アンチバブル」だったわけですよね。80年代の消費社会=バブル的な価値観に対して距離をとりつつ、かといってニューエイジや昔のヒッピーのように消費社会を全面的に批判するわけでもなく、要するに「消費社会に対してはこれぐらいの中距離で付き合いましょう」というライフスタイルを提案している。
    浅子 いや、それもあるけれど、その前にみんな忘れているのは、僕らが子どもの頃の昭和の時代って、ともかくダサイもので溢れていたんですよ。布団がなぜか花柄だったり、家具も変な色に塗られていたり、ほとんどの家庭にはわけのわからないデザインのものがいっぱいあって、子ども心にあれがすごく嫌だったわけですよね。そこに対して無印は、「柄のない布団のほうがいい」というようなニュートラルでフラットでシンプルなデザインを提案し、支持を受けた結果、今やそれがスタンダードにまでなったと。
    宇野 無印だけが、モノだけでなく「こういうライフスタイルがいい」という世界観を提示するに至っているんじゃないかなと思うんです。そしてそれは90年代以降の世界的な潮流ともマッチしていた。たとえば宮台真司さんがよく言っているけど、スローフードが好きな奴って、エアコンの効いた部屋でスターバックスのコーヒーを飲みながら環境問題の本を読んで悩んだふりをしている人なんですよ。要するにスローフードとはグローバル資本主義下におけるアッパーミドル向けの優秀な商品にすぎないわけです。でも、それでいいと思う。だから無印良品は強い。僕も大好きです。あの「素材を大切にした」シリーズのカレーやスープのレトルトパウチは家に常備している。あれは、「レトルトのスローフード」という矛盾するコンセプトが同居しているわけなんですが、そこが素晴らしい。
    門脇 レトルト食品を排除するのではなく、レトルトをいかに美味しくて栄養バランスもいいものにしていくかという発想ですよね。ただ、無印の提案しているライフスタイルって、今ではちょっと古くなってしまっている気もするんです。「家族で郊外に住み、お父さんは電車で都心に通勤する」という昭和的モデルのバージョンアップで、まだその先に突き抜けられていないというか。
    宇野 無印はやはりバブルの落とし子なので、どうしてもそうなってしまうところはありますよね。それに、当初のコンセプトである「アンチバブル」が実はすごく狭いイデオロギーなので、その価値観が押し付けがましいと感じる人も多いと思うんですよ。たとえばこれだけ無印大好きな僕でさえも、ほぼアースカラーオンリーの衣料や、家具類の「柔らかい木目」のゴリ押しはちょっとしんどく感じることがある。浅子 正直、僕もそう思っていますよ。
    門脇 無印良品ってすごく哲学がしっかりしていて、「文明は共通化して文化は差異化する」という未来予測を展開しています。つまりグローバル化のなかで「感じのよい暮らしをリーズナブルに」という方向性はぶれずに追求していきつつ、それだとほかの国や地方、あるいは「無印的価値観にドンピシャな世代」以外には展開できないから、地域性や時代性に紐付いた文化で彩っていくということになるんだと思いますが、それだとどうしても既成の価値観を無印的にセレクトすることになってしまうから、まったく新しいものを生み出すことが難しくなってしまう。
    無印も本当は「新しいラグジュアリー」のようなものを追求すべきなんだけど、そもそものコンセプトが「オルタナティブなスタンダード」なので、クリエイションに根拠を与えるものが既にあるものにしかならない。無印のインパクトって確かに大きいし、それがいよいよ浸透してきた勢いも感じますが、次の時代を考えるとそこが弱いところだと思うんですよね。
    浅子 無印のデザインって文化の多様化と言うにはちょっと一本調子すぎますよね。たとえばヤンキーが作るわけのわからないバイクのようなものって、文化の多様化そのものだと思うけれど、そういうデザインのものは絶対に製品ラインナップに入ってこない。だからすごく偽善的な感じがするわけです。これは無印だけでなく、アップルのデザインにも言えることだと思うんですけど。
     
  • 【再配信】これからの「カッコよさ」の話をしよう ——ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-02-14 17:30  
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    【再配信】これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、 プロダクト、そしてカルチャーの未来(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.2.14 号外
    http://wakusei2nd.com


    「ほぼ惑」では不定期で過去の好評記事を再配信中! 今回は昨年8月に配信した、建築家の門脇耕三さん、インテリアデザイナーの浅子佳英さん、そして宇野常寛を交えた鼎談をお蔵出しします。
    テーマはこれからの「カッコよさ」について。ユニクロを代表とするファストファッションに隠されたイデオロギーとは? そして、男子のカッコよさが向かう未来とは――?
    なお、この「カッコよさ」鼎談シリーズの第3弾「住宅建築でめぐる東京の旅」が今月末に配信予定です。戦後の住宅建築の名作をまわりながら、「住まい」のデザインと機能について考えます。そちらもお楽しみに!
     
    ▼プロフィール 門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。建築構法、建築設計、設計方法論を専門とし、公共住宅の再生プロジェクトにアドバイザー/ディレクターとして多数携わる。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:池田明季哉、中野慧
     
     
    ■六本木には「カッコよさ」が必要だ――文化を更新するために
     
    宇野 今日は「これからのカッコよさの話をしよう」ということで、ごく私的に声をかけてお二人に集まってもらいました。なんでいきなりこんなことをはじめたかという話からしたいのですが、きっかけは先日僕が登壇したイベントのあるパネラーの発言です。それはどんな発言かというと、「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」というものなんですよね。
    僕はこの発言を耳にしたとき、正直愕然としたんですよ。その人は「痩せっぽちな人間や太った人間がどんな服を着ても似合わない」とか言うわけですが、それってほとんどナチスの五体満足主義と変わらない。自分が障害をもっていたり、健常者でも60代や70代になって筋力が落ちてきたら絶対にそんなことは言えないと思うんですよね。こんな発言が「リベラル」を自称する知識人から出てしまったことに、軽いめまいがした。
    そしてもうひとつ。この五体満足主義的なナルシシズムは文化的にあまりにも貧しい発想なんですよね。だってどんな体形の人間でも工夫次第でカッコよく、かわいく、あるいは気持ちよく過ごせるということがファッションの本質だし、それがなければファッションというか、文化自体が無意味なはずでしょう。でも、その場ではみんな「なんていいことを言うんだろう」みたいに頷いていた。それを見て、これは本当にどうにかしないといけないと思ったんです。
    最近、僕は自分のお客さんが、比喩的に表現して中央沿線や代官山、中目黒といった東京西部と六本木が代表する都心のど真ん中、どちらにいるのかをすごく考えているんです。中央沿線や代官山というのは、戦後的な中流文化の、とくに90年代以降の「文化系」の象徴ですね。こうした東京西部の「いい街」には戦後的な文化が残っているけれど形骸化して久しい。仕事ができない編集者ほどゴールデン街で飲みたがる。「本や映画が好き」なんじゃなくて、「本や映画が好きな自分が好き」なだけな人たちですね。
    対して六本木側に集まっているのはITや外資など、この二十年優秀な人たちがどっと流れ込んでいったジャンルが強い。彼らは、地頭が良くてポジティブで学習意欲も高くいけれど、壊滅的に話がつまらない(笑)。学習意欲も高くて、セミナーや勉強会が大好き。とにかく「自分のパフォーマンスを引き上げる」ことには一生懸命だけど、引き上げたパフォーマンスで何をやっていいかわからない。なんでそうなるかというと、彼らは効率化が得意だけれど、文化がないからですよ。
    そしてあの日、例のイベントで例の五体満足主義発言にうんうん肯いていたのは、見事にこの六本木クラスタだった。要するに、自分の外側に大事なものがない空疎なナルシシストは、あっさりと五体満足主義的な差別者になってしまうってことなんですよね。
    実は僕が東京で7-8年活動して出した結論は、自分の読者層としてはとりあえず後者に賭けようということなんです。前者は底に穴の開いた洗面器のようなものなので、いくら水を注いでも意味がない。だから今は文化的に貧しくても、後者の高い学習意欲に応えようと思って、そのイベントも意図的に六本木系が集まる場所とパッケージングで開催したのだけど、彼らが単に文化的にスカスカなだけじゃなくて、諸手を挙げて、先述したような排他的なナルシシズムに結びついてしまうことがわかって、正直ぞっとしたんですよね。
    少し解説を加えると、六本木的な、あるいはその参照元のアメリカ西海岸的な文化というのは、計算で設計主義的に「良い生き方」や「正しいあり方」を規定できると考えているところがある。でもそんなことは本当はありえなくて、究極的にはオカルトと結びついてしまい、五体満足主義や優生思想と結びついた危険なイデオロギーに至ってしまう。これは彼らのルーツにニューエイジ思想があるから。ニューエイジというのは要するに疑似科学で複雑化して拡散した社会の全体性を記述できる、という発想ですからね。それがテクノロジーを根拠に「よい生き方」を規定できるという発想に結びついている。先日のイベントでの五体満足主義への支持も、これに近いものがある。
    ただ、こういったものに対抗する言論として「文化というのは計算不可能なものだ」「計算不可能な他者に出会うためにリアルに回帰せよ」という東京西部的なアナログ懐古主義は頭が悪すぎる。どう考えても、この10年余りのデジタル文化はアナログな人間のコミュニケーションや自然環境を究極の乱数供給源としてむしろ積極的に利用することで、文化的多様性を育んで発展しているわけでしょう? アナログとデジタルがむしろ結託している今、東京西側的な考え方に戻っても意味がない。
    問題はむしろ、現代のデジタル文化がもつ文化的な多様性を、西海岸カルチャーを歪めて受け取った六本木の意識高い系たちがきちんと消化できずに、五体満足主義に傾いて文化を否定する方向に傾いていることだと思うんですよね。
    浅子 僕は「効率を求めること」自体は間違っていないと思うんです。実際にそれで豊かになるということもある。でも計算可能であるというスタンスのどこかに、自分はこれが好きだとか、カッコいいと思えるものがないと、結局は保守的なものに回帰してしまう。すごく古い肉体的な価値というか、たとえば「顔が男前なやつがかっこいい」といった観念に囚われてしまう。僕は宇野さんの言うニューエイジ的な考え方が、保守回帰に繋がるのが怖いんですよね。そうなると文化的にも面白くなくなってしまうから。
    宇野 一応、断っておくと僕は六本木系のスタイル、つまりシンプルで効率的なライフスタイルの美学というのはよくわかるんです。僕自身、いつも夏はTシャツと短パンで過ごしているし、その服も基本的には無印良品とユニクロとH&Mでしか買わない。それも安いからではなくて、飾り気のない、シンプルなデザインのものが好きだからですしね。交通事故にあってやめてしまったけれど自転車ももともと好きだし、生で食べてもおいしい野菜を取り寄せて食べるのも大好きで、そういった生活を気持ちがいいと思っている。ただその美学を肯定するロジックが、身体論というマジックワードを盲目的に振りかざす五体満足主義や優生思想しかないというのは、非常に問題だと思うんです。もっとそういったシンプルライフを、カッコよさとか、気持ち良さの次元で肯定する言葉が必要なんですよ。つまり「(身体を鍛えることこそが究極のおしゃれなので)ユニクロでもいいんだ」というのではなく、「(シンプルな)ユニクロのデザインがカッコイイんだ」という論理じゃないといけないと思う。実際に、僕はそう思っているし。
    門脇 いまの話は時代的な位置付けも踏まえて理解した方が良いんでしょうね。いまのカジュアルとかつてのカジュアルはだいぶ違った状況に置かれていると感じます。かつては「フォーマル」というものが厳然として成立していたからこそ、敢えてカジュアルな格好をすることがカッコ良かった。でも今は、「絶対にフォーマルな格好をしなくてはならない」という場面がどんどん少なくなっています。現在のユニクロ的なるものの隆盛は、「フォーマルが瓦解している」という状況とも関係しているのではないでしょうか。
    浅子さんは、スーツはあと十年以内に滅びるってよく言っていますよね。「滅びる」というのは比喩的な表現だとは思いますが、スーツを着なくてはならない場面が極端に少なくなるだろうことは間違いない。スーツはある意味での様式であって、「クールビズ」といった考え方に代表されるように、それを着ることが必ずしも合理的ではないからです。シンプルライフ的な志向は、スーツのような封建的でフォーマルな形式から「より合理的に、自由に生きよう」というマインドへとシフトしたことによって起こっている側面があるのは間違いないと思います。「ノームコア」(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと)のような、シンプル・イズ・ベストを極端に進めたトレンドの存在もそうした流れの上にあるのでしょう。でも、それは宇野さんが指摘するように、優生学的な流れに合流しかねない危険も孕んでいる。一方でモード・ファッションでは、「ありのままの身体」を肯定する動きが主流で、「理想的な身体」を仮定することに警鐘を鳴らすような試みが常にありましたよね。
    浅子 有名な話ですが、コム・デ・ギャルソンの服に、瘤(こぶ)のついたドレスがあったんです。囚人服みたいで背中や腰に瘤がついているんだけど、ドレスになっているというもの。あとは背の低い人やおじいちゃんのモデルを使ったりもしていました。それ以外にも当時アヴァンギャルドと呼ばれていたファッションブランドは、普通だったらファッションの俎上に上がらないような肉体に対して美を見出す方法論を構築していた。でも今は、そういった流れがスコーンと全部抜けてしまっていますよね。
     

    ▲コム・デ・ギャルソンの「こぶドレス」
    出典:http://munstylisti.jugem.jp/?month=201101
     
    門脇 今はモードの影響力が小さくなっているように感じますね。
    浅子 売れなくなってしまったんですよね……。だから結構いろんなことが重なってこういう状況になっている、というのはあるかもしれません。
    僕は最近、インテリアツアーというのをやっているんですよ。そこでいろんなお店を一年間くらい見て回りました。高級なアパレルブランドや、高級な家具屋さんも見に行ったのですが……90年代やゼロ年代の初頭に比べると、全然お客さんがいないんです。こういった場所も、それこそスーツと同じように、20年くらいでほとんどが市場から退場してしまうんだろうなと肌で感じました。
    宇野 昔だったらボーコンセプトで買わなければいけなかったものが、全部イケアとニトリで買えるようになってしまいましたからね。
    浅子 しかもイケアとニトリの商品がそれほど粗悪なものかというと、そうではない。確かに比べればモノとしては高級な家具屋さんの方がいいけれど……。
    宇野 価格が1/6とか1/8ですからね。
    浅子 そう、だからそれはそれで構わないのではないか、というのも一方ではあります。でも自分の好きな文化ですからね。以前はそういうお店のダメな所を見ても「こいつらダメだな」と言っていられたんですが、今はこのままだと本当に滅んでしまうという危機感が強くて、どう守るかという方に考えが反転しています。
     

    ▲ニトリの家具
    出典:公式サイトより
     
     
    ■空虚なパロディとしてのカフェ風デザイン――FABが作るべき未来
     
    浅子 あと、つい最近、「インテリア特集」という小さな冊子を作ったんです。その序文に、90年代以降のインテリアデザイン、特にブティックのデザインについて書いたんですが、インテリアデザインの流れを90年代から整理してみたんです。
    まず90年代の最初は、80年代のバブルやポストモダンへの反動からミニマルが流行りました。今も建築家として活躍しているジョン・ポーソンの作品や、カルバン・クライン、ジル・サンダーのような、線が少なくてシンプルなデザインが流行したんです。
    それが90年代の半ばから大きな変化があるんです。ミレニアムという世紀の変わり目であることから近未来的でフューチャリスティックなデザインが求められたことに加えて、90年代の不況がITバブルなどの影響で回復したこと、さらにそこに大流行したミニマルの反動で少し面白いデザインが欲しいという流れが合流して、90年代半ばから2000年代の半ばにかけて、すごく多種多様な面白いデザインのブティックが一気に出てくるんです。フューチャー・システムズが手がけたコム・デ・ギャルソンのインテリアもそうだし、ルイ・ヴィトンもそうだし、ヘルムート・ラングもそうです。
    なぜ急にブティックのインテリアデザインが多様化したかというと、やはりインターネットの登場が大きかった。それまでブティックというのは、実際に足を運べる人だけが見られるものでした。でもインターネット以降は、ブティックを作るとそれがプレスリリースや雑誌やオンラインの記事になって、写真がその日のうちに世界中で見られるようになった。だから空間を作ることそのものが、そこに行ける人だけでなく、そこに行けない人たちへの広告にもなるようになったんです。だから各メゾンはこぞって大きな投資をして、自分のブランドの価値を上げるためにいろんな実験を行った。
    でも悲しいことに、2001年に9.11が起きてしまった。非常に社会が不安定になり、旧来の価値が破壊された結果、反動で価値観自体が保守化してしまうんです。さらにリーマンショックなどで景気が悪くなったこともあって、雑多な多種多様なデザインというものを、だんだん許容することができなくなっていく。だから2003年くらいまではすごく面白いのに、ゼロ年代後半にかけてインテリアデザインは不毛の時期を迎えて、すごくつまらなくなっていくんですよ。
    門脇 それはファッションそのものの流れとも連動しているんでしょうね。同時多発テロ以降のファッションは、「安心感を求める人々の心を反映するように、天然繊維、手仕事への傾倒、あるいはTシャツを代表とする合理的な定番服など、人々の見慣れたファッションを提示し、ファスト・ファッションと呼ばれる合理性に基づいた安価なコピー服を世界規模で広げた」という指摘もあるようです(※新居理絵「ヘルムート・ラングとその創造的世界」(『ドレスタディ』Vol.56)参照)。
    浅子 そうなんです。ではその流れで今のインテリアデザインを見るとどうか。街を見て貰えればわかると思うのですが、Tシャツやチノパンと共に食器を売るような、「ライフスタイルショップ」というのがすごく増えています。でもそれらのインテリアのデザインは、躯体を残して仕上げを剥がし、足場板をどこかに貼って、手描きの金文字のサインをガラスに書き、最後に工場で使われていたようなアンティークのスチールのペンダントライトをぶら下げて終わり、みたいなものばかりです。結局これらは全て、「輝いていた50年代のアメリカを取り戻そう」というパロディで、本当にパッケージが保守化しているんです。そういうことがブティックやカフェで同時に起きている。これは価値観自体が新しくないし、さすがに不毛だと思います。
    門脇 日本の今の流れも長引く不況や東日本大震災から来る保守化の流れに位置付けられるのでしょうか。
    浅子 この先10年くらいこれが続くと思うと、デザイナーとしては正直うんざりしますね。
    宇野 荻上直子監督の『かもめ食堂』の世界ですね。言わば「北欧おばちゃんニューエイジ」というか……。なんだろうなあ、僕自身はスローフード的な暮らしはすごく憧れる。でもあの映画を支配する強烈なイデオロギーというか、無言の排他性がどうしても苦手で……。ライダーキックで破壊したい(笑)。
    浅子 でもあれが中目黒とかでは強いんですよ。まさにああいうカフェが山ほどありますから。
    門脇 カフェ風というか、ああいった自然素材や古びたものを適当にパッチワークしていくものって、すごくまずいと思うんですよ。
    あるとき赤坂の草月会館であった建築界の重鎮たちのパーティに呼んでもらったことがあったんですが、それがすごく80年代的な空気だったんですよ。天井はミラー張りだし、カウンターにはシャンパンが注がれたシャンパングラスがきれいに並んでいるし、「ああ、バブルってこういうことだったのか」みたいな感じ(笑)。
    でもそのスタイルが、すごくかっこいいなと思ったんです。もちろん今の時代とは感覚がズレています。でも、そこには彼らの世代が何をカッコイイと思っているのかがしっかりと表象されている。それは空間のデザインばかりでなく、来ている人のファッションや、パーティでの振る舞いなども含めて、あるトータリティを持っていて、「人はこうやって生きるのがカッコイイ」という人生観というか、哲学のようなものを感じさせるものでした。だからああいう空間を含めたトータルなカッコよさを、僕たちの世代が残せないと負けだなと思いました。そう考えたときに、古びたもので安心してしまうのはまずいだろうと。
    浅子 そう、だから今こそ「これがカッコいいんだ!」というものが必要なんですよね。
    僕がいますごく重要だと思っているのが、80年代に活躍したフランス人のフィリップ・スタルクというデザイナーです。彼はホテルのインテリアデザインなどを手がけたのですが、僕は彼のやったことの本質って「デザインの民主化」だったと思うんです。
    スタルクの手がけたインテリアデザインがどのようなものだったかというと、ものすごく大きい4mくらいあるようなわざとらしいぐらい豪華な鏡を立てかけるとか、必要ないくらい大きなドレープのカーテンをぶら下げてみるとか、あるいはそれまでは同じ椅子を並べるのがセオリーだったホテルのロビーに、全て違うデザインの椅子を並べる、というようなものだったんです。そこでは世界各国の有名デザイナーの椅子と、土産物屋で買ってきたような椅子が等しく並べられていた。
    インテリアデザインというのは、突き詰めると、どうしてもどこかで権威的になってしまうものです。でもスタルクはその価値を転倒させて、民主化しようとした。そういった意味で、すごく重要な役割を果たしたデザイナーです。
    これを踏まえた上で今後のことを考えると、デザイナーの役割が見えてくると思うんです。今、レーザーカッターや3Dプリンターの普及によって、FABと言われるようなムーブメントが流行していて、デザイナーでない一般の人たちが、自分でモノを作れるようになっている。これはスタルク以降のデザインの民主化の流れにある運動だと言える。この流れは止められないし、今後の大きな流れのひとつになるのは間違いない。でも、一般の人たちというのは、ともすると「これがカッコいい」という思想がないまま、例えば雑誌で見たものをそのまま作ってしまうので、価値観の転倒どころか逆に保守回帰してしまう。これは非常に問題です。だから今こそ「一般の人たちがカッコいいと思えるようなもの」を、デザイナーは作らないといけないんじゃないかと思うのです。
     

    ▲スタルクによるインテリアデザイン
    出典:Stark.com
     
     
    ■「もしデザイナーズブランドとユニクロの服が同じ価格だったら、ユニクロを買う人のほうが多いのではないか?」
     
    宇野 さっきも言ったけれど、僕はユニクロや無印良品、H&Mをなぜいいと思うかというと、そこに美学を感じるからなんです。ファストファッションは効率化と最適化の産物だと思われているけど、当然そこに実は美的なイデオロギーが存在する。ファストファッションをデフレカルチャーの一端として切り捨てるのではなく、その明確な思想に基づいたデザイン自体をしっかりと分析することが必要なんじゃないかと思うんですが。
    門脇 まず無印良品に関して僕の雑感を言うと、男子のファッションはきれいめなお父さんスタイルという感じで、まったく惹かれません。でも女子は意外といい。ファッション雑誌でいうと90年代のオリーブ・anan系の価値観を色濃く受け継いだような感じがして、ある種のコスプレとして成立している。無印好きそうな女子のスタイルって想像できますよね? ちゃんとスタイルになっているんです。
    宇野 無印良品には、高度消費社会に対してこれくらいの中距離で行きましょう、という明確なメッセージがありますよね。あの白と黒とネイビーしか使わないデザインが、そうした強力なイデオロギーに基づいていることは誰の目にも明らかです。あれは非常に分かりやすいでしょう?
    無印良品だけではなく、ユニクロにもそういったイデオロギーがあると思うんですよ。だからデザイナーの固有名詞で語るようにユニクロを語ることだってできるはずなんです。そういった視点を持てずに、デザイナーズブランド対ファストファッションみたいな問題の立て方をしてしまうところに弱さがあるのではないか。
    浅子 ただ、一応言っておくと、ファストファションについては剽窃、パクリの問題がありますよね。あるファストファションはコレクションでめぼしいものをピックアップして彼らが売る前に店頭に出してしまうというのも言われています。これは流石に問題です。
    また、ユニクロはTシャツとかフリースとか、どちらかというと生活必需品に近い、生活に必要な洋服で売り上げを伸ばしたブランドというイメージはありますけどね。だからカラーバリエーションがあるということ自体が圧倒的に重要で、必要なものしか買わない人たちにも色を選ぶという意味でファッションに必要な喜びを与えたからすごく成功した。
    宇野 色の問題一つとっても、ユニクロにせよH&Mにせよ、日本だとそれまでスポーツウェアとかアウトドアウェアでしか使わないようなのような蛍光色や派手な色を取り入れているわけでしょう? 単に安いからではなくて、僕はユニクロにしかないものを求めているつもりなんですよね。色合いだけじゃなくて、デザインや着心地にも同じことが言えるんじゃないかと思う。要するに固有名詞のデザイナーが、ユニクロのデザインに、単に勝てていないだけなのではないでしょうか。実は同じ価格でもユニクロを買う人が結構いるんじゃないかというのが僕の仮説です。ユニクロのデザインも、単にデフレジャパンのスカスカのものとしてではなく、イデオロギーとして支持されているんですよ。
    門脇 僕は服を見るとき発色とかをけっこう気にする方なんですが、ユニクロはよく見るとかなり独特の色使いをしているせいだからなのか、そんなに気にならないんですよね。
     
  • ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.244 ☆

    2015-01-20 07:00  

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    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ




    ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛)

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.20 vol.244
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、昨年12月13日の「PLANETS Festival」にて行なわれたデザイナー・根津孝太さんとクラウドワークス代表・吉田浩一郎さん、そして宇野常寛の鼎談をお届けします。対談集『静かなる革命へのブループリント』(以下、『ブループリント』)にも登場し、「クルマ」と「働き方」というそれぞれ別の分野で変革を起こしつつある2人のイノベーターはいま、どんなことを考えて活動しているのか。『ブループリント』以降の視点から徹底的に語りました。 
    ▼当日の動画はこちらから。(PLANETSチャンネル会員限定)

    ▼プロフィール


    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、トヨタ自動車入社。愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多くの工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発も行う。パリ Maison et Objet 経済産業省ブース『JAPAN DESIGN +』など、国内外のデザインイベントで作品を発表。グッドデザイン賞、ドイツ iFデザイン賞、他多数受賞。2014年よりグッドデザイン賞審査委員。



    吉田浩一郎(よしだ・こういちろう)
    株式会社クラウドワークス 代表取締役社長 兼 CEO。
    1974年兵庫県生まれ。登録会員数24万人、4万社超の企業が利用する日本最大級のクラウドソーシングサービス『クラウドワークス』(http://crowdworks.jp/)創業者。ヤフー、ベネッセ、テレビ東京等と提携しており、電通グループや伊藤忠グループ、サイバーエージェント、リクルートグループ等から15億円を超える出資を受ける。日経ビジネス「日本を救う次世代ベンチャー100」選出。著書に『クラウドソーシングでビジネスはこう変わる(ダイヤモンド社)』等がある。
    ◎構成:中野慧
    オープン・イノベーションと「残りの9」の関係
    宇野 この座談会では「産業から社会を変える」というテーマで、カーデザイナーの根津孝太さん、そしてクラウドワークス代表の吉田浩一郎さんとトークをしていきたいと思います。それでは改めてご紹介します、PLANETSのイベントではすっかりお馴染み、カーデザイナーで「znug design」代表の根津孝太さん、そしてクラウドワークス代表の吉田浩一郎さんです。
    根津・吉田 よろしくお願いします。
    宇野 根津さんはもともとトヨタのカーデザイナーで、今は独立してクルマだけではなくいろんなデザインを手掛けていて、「デザインによって世の中をどう変えていくのか」というお仕事をされている方です。
     吉田さんは「クラウドワークス」というクラウドソーシングサービスを運営していて、一言で言うと個人が会社に所属するのではなく、ネットワークに繋がることによって仕事をしていく働き方の実現を目指している。
     対談集『静かなる革命へのブループリント』では、一番最初に根津さんとの対談、二番目に吉田さんとの対談が載っているんですね。僕はこの2人って、まったく異分野のようでいて、抽象的なレベルではすごく近いことをやっていると思うんです。根津さんは「クルマ」もしくは「ものづくり」、吉田さんは「働き方」。ともに戦後日本を支えてきたシステムそのものですが、それが耐用年数を過ぎ、社会全体にある種の閉塞感を生んでいる。
     普通は「じゃあしっかりグローバル化に対応しよう」と考えるんですが、この2人はそうではない。根津さんはたとえば、これまで日本のものづくりのスタンダードだった「トヨタイズム」を否定しているわけではないし、吉田さんも単純に日本的な雇用環境=つまり「正社員」をベースにした社会を否定しているわけでもない。2人とも「日本ならではのアップデート」を考えているわけです。
     『ブループリント』で収録した対談からおよそ一年が経ったんですが、この一年でどうお二人のビジョンが変わっていったのかを訊いてみたいと思います。
    吉田 私はやっぱり、20世紀的な「大企業で正社員が働く」ということを中心に据えた在り方がターニングポイントを迎え、もうすぐ正社員比率が50%を切るという世の中になっている今、働くインフラが未整備になっている状況を何とかしたいと思って日々仕事をしていますね。
    根津 『ブループリント』の対談のなかで吉田さんは「既存の正社員的な働き方もあってもいいけれど、そうではない働き方を広げていきたい」ということをおっしゃっていましたよね。僕が仕事をしている自動車業界って、やっぱり皆さんが思っているとおりの堅い業界で、働き方や組織の組み方はまだまだ動かしづらい。最近トヨタでも、一回アウトソーシングした技術系の会社の一部をもう一度本体に取り込むなんてことをしていましたが、まだまだすごく迷っていますね。
     で、これは本の中でも言いましたが、結局トヨタを辞めたあとのほうが、会社の中に残っている面白い人たちと繋がって仕事ができるようになるんですよ。吉田さんの取り組んでいらっしゃることも、要は「個人と大きな企業が組んででシナジーを起こす」ということだと思っていて。
    吉田 なるほど。ちなみに根津さんがトヨタにいたとき、なんで社内の面白い人たちと組むことができなかったんですか?
    根津 「僕、あの人と組んで仕事したいんですけど」って社内にいる状態で言ったら、それはただのわがままですよね(笑)。
    吉田 なるほど(笑)。でも、21世紀ってもはや「わがまま」ぐらいしか価値を持たない気がするんです。世の中の仕組みすべてがコモディティ化というか、誰がやっても変わらないようになっていくなかで、「わがまま」ぐらいのほうがワクワクするじゃないですか。
    根津 その通りですよね。僕は会社にいたときも自分なりにアンダーグラウンドで動きまわったりしていたんですけど、それをカタチにして価値にするのが難しかった。だから辞めちゃうほうが早いかなと思ったんですね。
     でも吉田さんのやっているようなフレームを上手く使って、社会保障も込みで独立してもやっていけるようになれば、「会社と個人のシナジー」がもっと有機的なかたちで実現できるんじゃないかと思ったりしますね。
    吉田 根津さんに一つ訊いてみたいんですけど、今までにない面白いクルマを考えたとして、それを世に出すには安全面での規制が立ち塞がるんじゃないかと思うんです。自動車ってやっぱり、人の生命を預かる器じゃないですか。
    根津 それはすごく大きい問題ですね。たとえば僕は『zecOO(ゼクウ)』っていう電動バイクをつくっていて、僕がスケッチを書いてから試作品が完成するまで、すごい人たちと組んだこともあって、だいたい3ヶ月ぐらいでした。それはそれで大変だったんですが、でも試作品をつくるハードルが1だとすると、製品として実際に発売されるまで持っていくには10ぐらいかかるんです。
    吉田 なるほど。我々がやっていることって要はオープン・イノベーションで、直近だとネスレさんがキットカットの新しいお菓子をうちのユーザーさんと組んで、クラウドソーシングで企画・デザインしていこうとしているんです。そういうやり方を最終的にはクルマの製品化とかにも使ってほしいんですけど、やっぱり「残りの9」というか製品化までが大変なわけですよね。
     で、私が気になるのは、その「残りの9」って果たしてコモディティ的な仕事なのか、それとも結構ノウハウが詰まっているものなのか、ということなんです。
    根津 その「残りの9」にはノウハウが詰まっていますね。大手のメーカーには、散々辛酸を舐めながらも製品化まで持っていく経験を積んでいる人たちがたくさんいて、そういう人がどんどん独立してもっと自由に活動できるようになったら面白い。機械やシステムにそういったノウハウの部分を任せるのは難しいですし、やっぱり人に属している部分がまだまだ大きいですから。
    本当にイノベーティブなものは「コミュニティ」と「プラットフォーム」のどちらから生まれるのか?――DMM.make AKIBAから考える
    宇野 これってすごく重要なポイントで、その「残りの9」――つまり、製品化までのノウハウやテクニックって、いわゆる企業文化のなかでしか蓄積されていないし、そもそも明文化されていない。結局コミュニティとか文化のレベルでしか養っていけないということですよね。
     これからはそれを、今の硬直した日本の大企業の外側にいかにつくっていけるかが大事になっていく。で、この問題に関して僕はなんとなく答えに近いものが出ているんじゃないかと思っていて、例えばDMM.make AKIBAというものが最近話題になっていますよね。
     どういう場所かというと、要は個人やユニット単位でイノベーティブなものづくりをする人たちのためのシェアオフィスなんですよね。ここでは今までは大企業の研究所にしかなかったような、プロダクトをつくるための環境――3Dプリンターを筆頭に、高圧電流を流す発生装置だったり、マイナス80℃にしても壊れないかテストできる箱だったり、そういった高価な機材が使えるようになっている。でも実はあの場所の一番の強みって、「コミュニティ」としての機能を備えているところだと思うんです。
    根津 実は僕、まさにそのDMM.make AKIBAに引っ越すんですよ(笑)。宇野さんのおっしゃるとおりで、僕があそこに引っ越す第一の理由は「人の繋がり」です。
     ちょうど昨日、SFCの学生さんから「ベンチャーで新しいものをつくりたいので相談に乗ってください」と言われて話をしたんですけど、DMM.make AKIBAに引っ越す話をしたら、その学生さんも「あ、僕もこないだ部屋借りました」って言っていて。やっぱりあの中にいることで、化学反応がより加速しやすいんじゃないかと思うんです。
    宇野 DMM.make AKIBAの事実上のプロデューサーである小笠原治さんって、さくらインターネットの創業陣の一人だったんですよ。つまり90年代後半のインターネット黎明期=テキストサイト時代に、サーバー屋としてイノベーティブなことが起こる環境をネット上に整備した人間なわけです。その彼が、いまDMM.make AKIBAをつくっている。これってすごく大きな思想的転換だと思うんです。
     はっきり言ってしまうと、実はあの場所ってアメリカから入ってきたオープン・インターネットのポピュリズム的な思想から切れている。いや、建物の壁には「Open Share Join」ってドーンって書いてあるんだけど、Openだけは条件つきの「オープン」じゃないかと思っていて、中に入る人をすごく選んでいてある種のエリーティズム的な空間になっているわけです。
     そこで僕が気になるのは、吉田浩一郎はあの場所をどう思うのかということ。つまり、クラウドソーシングって、未だに生き残っているオープン・インターネットの数少ない夢のひとつじゃないですか。
    吉田 うーん、私は小笠原さんとも友人なのでそれを前提にして言いますけど、エリーティズムは嫌いですね(笑)。私はやっぱり学歴コンプレックスもばりばりありますし、ものづくり工場でゼロからやってきた人間だから、そういう意味ではオープン・インターネット、オープン・イノベーションが大好き。いま、3Dプリンターを始めとしたテクノロジーの力で、今まで陽の当たらなかった才能ある人たちがどんどん出てこられるようになってきている。定年退職したシニアの人も子育て中のママも、独学でプログラミングやデザインを学んで稼げるようになってきている――そうやって、既存の組織に属していない個人が、横の繋がりで自由にモノや文化をつくってくことに夢を持っていますよ。
    宇野 僕の理解では、小笠原さんのやっていることってアップルっぽいんです。つまり最初から厳選された人々で狭いコミュニティをつくっていくとイノベーティブなものが生まれるという発想です。これはどちらかといえば、アメリカのハクティビズムに通じるオープンの思想が、日本ではこういった防波堤の中でしか通用しないというジレンマに彼がぶちあたったからじゃないかと思うんです。一方で吉田さんの思想は、それと真逆でグーグルに近いんじゃないか。グーグルはいわゆるオープン・インターネットですからね。
    吉田 そう、でもグーグルだと何でもグーグルの人が判定していて、それってあんまりワクワクしないなぁと思うんです。
     Rubyっていうプログラミング言語があって、これはオープンソースで運営されていて、上がってきたプログラムの可否は「コミッター」という評議員によって判定されるんです。彼らは企業に所属しているわけじゃない。評価する側もオープンなわけです。ああいったやり方のほうがワクワクするなぁ、と思ってしまいますね。
    宇野 あえてディベート的に突っ込むと、あの小笠原治がなぜDMM.make AKIBAに、つまりネットからモノに行ったかって、抽象化していうとネットがポピュリズム(=オープン・インターネット)と組み合わさると「悪い場所」になってしまうからだと思うんです。
     つまり、今のツイッターを中心とするネット文化って、ポピュリズム的に繋がりすぎてしまった結果、言葉の最悪な意味での日本的な「ムラ社会」が全国規模で形成されてしまった。炎上マーケティングが蔓延し、ワイドショー的な「いじめ文化」になってしまったわけです。上場したクラウドワークスも今後さらに規模が大きくなっていくと、やがてはその問題にぶつかるんじゃないでしょうか。
     で、これって2通りの考え方があって、要はコミュニティになっていくのか、プラットフォームになっていくのかだと思います。 
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第5位】無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ーー浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-29 11:10  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第5位】無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ――浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.29 号外
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    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第5位は、建築学者・門脇耕三さんとデザイナー・浅子佳英さんによる連続鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾、「無印良品・ユニクロ論」です!(2014年10月14日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント







    この鼎談シリーズ自体はもともと、「ノームコア」(編註:ノーマル+ハードコアという意味の造語。極めてシンプルなファッションのこと)の持つある種の「五体満足主義」に対しての反発から始まった企画です。で、この無印やユニクロの思想を考えた回はスピンオフ的な内容だけれど、結果的にすごく盛り上がった。次回以降は再びデザインの話に戻っていくので、そちらも楽しみにしていてほしいと思っています。
    これから世の中が変わっていくために一番必要なのは、無印良品やユニクロのような「総合的なライフスタイルを提案しているプレイヤー」が、ECサイトのようなところから新たに出てくることではないかと思っています。こういったPB(編註:プライベートブランドのこと。独自のブランドとして企画し、小売も行う無印良品やユニクロのような業態のこと)から消費文化やライフスタイルを考えるというシリーズは別の企画として進めていきたいと思っていて、とりあえずいま僕が考えているのはセブン-イレブンですね。そちらも来年ぜひ楽しみにしていてほしいと思っています。
    ▼関連記事
    ・これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
     
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社 、2013年)ほか。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:中野慧
     
    ファストファッション、IKEAやニトリ、アップル製品など、ゼロ年代以降の私たちの生活に欠かせなくなった様々な「モノ」と「デザイン」について考えた前回の鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」。第2弾となる今回は、鼎談の収録前に、まず実際に門脇・浅子・宇野の3氏で、銀座の街にある様々なお店を廻ることにしました。
    3氏がまず足を運んだのは、世界一巨大な規模を誇るユニクロ銀座店。
     

    ▲銀座の中央通沿いにある、ユニクロ店舗でも世界最大のグローバル旗艦店「ユニクロ 銀座店」。12階建てだそうです。
     

    ▲床から天井まで隙間なく服が並んでいます。
     

    ▲Tシャツフロア。フロア全体に多種多様なデザインのTシャツがひしめいていました。ぶらぶらと見ていたら、浅子さんが当日着ていたスヌーピーTシャツと似たようなデザインのものを発見。「このTシャツけっこう高かったのにw!」(浅子さん)
     

    ▲女性ものの丈長のスウェットシャツが気になるという門脇さん。このあと「XLサイズなら僕でもダボッと着れそう」とのことで、お買い上げになっていました。
     
    ユニクロ銀座店の次に3人は、ユニクロ銀座店と渡り廊下でつながっているお隣のドーバーストリートマーケット(コム・デ・ギャルソンの川久保玲氏がトータルプロデュースするセレクトショップ)へと向かいました。
     

    ▲ドーバーストリートマーケット ギンザ。
     
    渡り廊下を渡るとそこには、ユニクロとはまるで別世界が広がっていました。好対照だったのはお店のレイアウト。通路は広く取りつつも縦にぎっしりと服を並べるユニクロと違い、様々なアイテムがゆったりと店内に配置されていました。
    ドーバーストリートマーケットを出た一行は、「無印良品 有楽町店」へ向かいました。
     

    ▲無印良品有楽町店。ここもかなりの大型店舗です。
     

    ▲無印良品の家。
     
    無印らしいアースカラーの服が並ぶ店内を分け入っていくと、目に入ってきたのはスチールの外壁(「金属系サイディング」というものだそう)の、「家」でしたーー。そう、最近、無印では「無印良品の家」を販売しているとのこと。コンパクトなサイズながら、吹き抜けと、ガラス張り(でも断熱性も高いそうです)による採光のよさもあって、見た目以上にゆったりとした住空間。「暮らしに合わせて間取りが変えられる」とのことです。(出典:「無印良品の家」ホームページ )
    その後、一行はクロムハーツ、ミュウミュウ(MiuMiu)、Aesop(イソップ)、フライターグなどを回ってこの日の街歩きを終えました。
     
     
    ■ユニクロとコム・デ・ギャルソン、何が明暗を分けたのか?宇野 まず簡単に前回のおさらいをすると、今の時代のファッションは、ノームコア(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと。最近のファストファッションの隆盛を受けたトレンドでもある)的なものが優位になっている。そしてその潮流は一部で「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」という五体満足主義的な思想に回収されつつある。それはファッションが本来持っていた「やせっぽちでも太っていても、工夫しだいでカッコよく、気持ちよくなれる」という、文化としての豊かさがやせ細ってしまっているということでもある。こういう現状に対する違和感は共有されていますよね。
    そこに対して例えばデザイナーである浅子さんは、ノームコア的なものを批判して「新しいラグジュアリー」のような価値を提示していくことが必要なのではないかという立場でした。
    また、鼎談のなかで見えてきたのは、ファッションだけでなく、インテリアや建築のような「デザイン」と言われる世界ではどこでも、90年代以降に似たようなことが起こっているのではないか、ということでした。
    今日は第二弾ということで、ファストファッションからデザイナーズブランドまで、銀座のいろいろなお店を実際に回ってきたわけですが、みなさんは改めてどう感じましたか?
    浅子 やっぱりユニクロが今強いのは、面白いデザインの服を揃えているわけではないけれど、カラーバリエーションやちょっとしたデザインの違いの製品を大量に揃えていて、その「多くのものから一つを選ぶ」という体験自体に楽しさがあるからなんだと思いましたね。
    宇野 ショッピングにゲーム的な楽しさがあるということですよね。
    浅子 そうです。銀座店は特に、12階建てなのにもかかわらず、フロアのレイアウトがほとんど同じだったりして、あの感じは僕自身はそんなに好きじゃないんだけど、実際に上から下まで全部見て回ると本当にゲーム空間にいるようで面白かったです。
    門脇 ユニクロの店内のレイアウトは「とにかく下から上まで整然と服を並べる」という思想ですよね。対照的だったのはそのあとに行ったドーバーストリートマーケットで、店内に余白をたくさん取っていました。あれは「アート的に見せる」というテクニックなんだけど、物量としてはユニクロよりも全然少ないですよね。そうすると服の一点一点が高くならざるをえない。置いているモノはカッコいいんだけど、トータルで見るとどうしても元気がないように見えてしまった。
    浅子 僕は立場的にコム・デ・ギャルソンを擁護するしかないんだけど、たしかに銀座店は少しゆったりしすぎているかもしれないですね。ただ、最初にできたロンドンのドーバーストリートマーケットはとてもエキサイティングな空間です。もともとオフィスか何かだった建物に、川久保玲やセットデザイナーなどが介入して百貨店にしてしまっている。たとえばエスカレーターでなく階段で登らないといけなかったりとか、フロアの使い方もわけのわからないことになっていて。
    そもそもドーバーストリートマーケットの面白さって、コム・デ・ギャルソンというブランドが、自分たちの服を売るだけではなく様々なブランドの服を売ったり、アーティストの作品を展示するスペースをつくったり、ある種のプラットフォームとしてお店を構えたところにあると思うんですよ。
    ただ銀座のお店はやっぱり、「ギンザコマツ」という百貨店の建て替えで用意された空間に出店しているから、そういう面白い化学反応が起こらなかったんだと思います。だからそこを責めるのはちょっと気の毒な感じがするんですよね。
    門脇さんは店内のレイアウトのことを指摘されたけど、インテリアのデザイナーとして言うとやっぱり余白というか、そもそも白い壁が良くないと思う。確かに白い壁にするとニュートラルであるかのようにふるまいながらも簡単に綺麗に見せることができるんだけど、それは何も考えていないということの裏返しでもあるんですよね。
    門脇 結局現代アートもそうだけど、白いところにポツーンと何かゴミが置いてあるだけでアートに見えたりするんですよ。それ以外の見せ方を開発できてないのはちょっと残念だった。そういう意味ではユニクロの見せ方のほうが面白かったですよね。
    宇野 ユニクロって、ある時期まではフリースだったり、インナーや寝間着を買うお店というイメージで捉えられていましたよね。で、誰が着てもそこそこ似合うものを、豊富なカラーバリエーションで提供していたのがフリース時代だとすると、今は第2段階、いわばUT(=ユニクロのTシャツ)以降の時代に入っていると思うんですよ。
    UTって色々な企業のロゴだったり、スヌーピーやディズニーなどのキャラクターイラストに、多種多様なカラーバリエーションを掛け合わせるという発想でつくられていますよね。あれってインターネット以降の感覚だと思っていて、要するに統一されたフォーマットに多様なコンテンツを流し込むことで無限にバリエーションを生成できるということだと思うんです。そういう思想が商品ラインナップだったり、レイアウトの方法とも結びついていて、UTという独特のジャンルを生んでいるんじゃないか、と。
    門脇 フォーマットが決まっているからこそ多様な表現が生まれてくる、ということですよね。僕には商品そのものとしてあれが良いのかどうかピンと来ないところがあるけど、でもあれだけのバリエーションがあるなかで選ぶという体験はたしかに楽しかった。さっきもスウェットを買ったけれど、たぶんドーバーストリートマーケットに並んでても買わないんじゃないかな。たくさんのバリエーションが並んでいるなかで気に入ったものを見つけて、買ってしまう。そういう体験を含めて買っている気がしますね。
     
     
    ■「バブルの鬼子」としての無印良品
     
    宇野 これは都市部に限った話かもしれないけど、ユニクロと無印良品ってもうインフラみたいになっているじゃないですか。「あ、この街って駅前にユニクロと無印あるんだ、便利だね」とみんな思ったりする。だからこの2つの企業って、日本の生活文化においては非常に強いと思うんだけど、でも今日見ていて改めて思ったのは、ユニクロはまだ無印を倒せていないということなんですよ。要するに今の無印良品はライフスタイルそのものを提案できているけど、ユニクロはまだそこまで行けていない。
    たとえばユニクロの主力製品であるヒートテックひとつとっても、「冬のファッションで重ね着させない」ということを目標にしたもののはずです。厚着させないということは、つまり「こういう身体が美しい」とか「こういう屋内ライフスタイルが気持ちいい」という提案であるはずで、それを延長していくと僕たちの身体観やライフスタイルの変革へと結びついていくはず。でも、今のユニクロのラインナップからはまだ「新しいライフスタイルの提案」まで読み取ることはできない。アイテム1個1個の持っている快楽やゲーム性に留まっていて、総合的なビジョンがまだないんだなあ、と思ってしまいました。
    一方で無印は、僕の考えでは言わばディフェンディング・チャンピオンだと思うんですよ。あそこに行くと衣食住全部ある――というか、今は家具だけでなく家まで売っているわけですからね。総合的なライフスタイルを提案できているわけです。たとえば僕はあの透明の衣装ケースも使っているし、食べ物にしても僕はMUJIカフェによく行くし、無印カレーも大好きなんですよ。
    そもそも、無印良品のコンセプトって基本的に「アンチバブル」だったわけですよね。80年代の消費社会=バブル的な価値観に対して距離をとりつつ、かといってニューエイジや昔のヒッピーのように消費社会を全面的に批判するわけでもなく、要するに「消費社会に対してはこれぐらいの中距離で付き合いましょう」というライフスタイルを提案している。
    浅子 いや、それもあるけれど、その前にみんな忘れているのは、僕らが子どもの頃の昭和の時代って、ともかくダサイもので溢れていたんですよ。布団がなぜか花柄だったり、家具も変な色に塗られていたり、ほとんどの家庭にはわけのわからないデザインのものがいっぱいあって、子ども心にあれがすごく嫌だったわけですよね。そこに対して無印は、「柄のない布団のほうがいい」というようなニュートラルでフラットでシンプルなデザインを提案し、支持を受けた結果、今やそれがスタンダードにまでなったと。
    宇野 無印だけが、モノだけでなく「こういうライフスタイルがいい」という世界観を提示するに至っているんじゃないかなと思うんです。そしてそれは90年代以降の世界的な潮流ともマッチしていた。たとえば宮台真司さんがよく言っているけど、スローフードが好きな奴って、エアコンの効いた部屋でスターバックスのコーヒーを飲みながら環境問題の本を読んで悩んだふりをしている人なんですよ。要するにスローフードとはグローバル資本主義下におけるアッパーミドル向けの優秀な商品にすぎないわけです。でも、それでいいと思う。だから無印良品は強い。僕も大好きです。あの「素材を大切にした」シリーズのカレーやスープのレトルトパウチは家に常備している。あれは、「レトルトのスローフード」という矛盾するコンセプトが同居しているわけなんですが、そこが素晴らしい。
    門脇 レトルト食品を排除するのではなく、レトルトをいかに美味しくて栄養バランスもいいものにしていくかという発想ですよね。ただ、無印の提案しているライフスタイルって、今ではちょっと古くなってしまっている気もするんです。「家族で郊外に住み、お父さんは電車で都心に通勤する」という昭和的モデルのバージョンアップで、まだその先に突き抜けられていないというか。
    宇野 無印はやはりバブルの落とし子なので、どうしてもそうなってしまうところはありますよね。それに、当初のコンセプトである「アンチバブル」が実はすごく狭いイデオロギーなので、その価値観が押し付けがましいと感じる人も多いと思うんですよ。たとえばこれだけ無印大好きな僕でさえも、ほぼアースカラーオンリーの衣料や、家具類の「柔らかい木目」のゴリ押しはちょっとしんどく感じることがある。
    浅子 正直、僕もそう思っていますよ。
    門脇 無印良品ってすごく哲学がしっかりしていて、「文明は共通化して文化は差異化する」という未来予測を展開しています。つまりグローバル化のなかで「感じのよい暮らしをリーズナブルに」という方向性はぶれずに追求していきつつ、それだとほかの国や地方、あるいは「無印的価値観にドンピシャな世代」以外には展開できないから、地域性や時代性に紐付いた文化で彩っていくということになるんだと思いますが、それだとどうしても既成の価値観を無印的にセレクトすることになってしまうから、まったく新しいものを生み出すことが難しくなってしまう。
    無印も本当は「新しいラグジュアリー」のようなものを追求すべきなんだけど、そもそものコンセプトが「オルタナティブなスタンダード」なので、クリエイションに根拠を与えるものが既にあるものにしかならない。無印のインパクトって確かに大きいし、それがいよいよ浸透してきた勢いも感じますが、次の時代を考えるとそこが弱いところだと思うんですよね。
    浅子 無印のデザインって文化の多様化と言うにはちょっと一本調子すぎますよね。たとえばヤンキーが作るわけのわからないバイクのようなものって、文化の多様化そのものだと思うけれど、そういうデザインのものは絶対に製品ラインナップに入ってこない。だからすごく偽善的な感じがするわけです。これは無印だけでなく、アップルのデザインにも言えることだと思うんですけど。 
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第7位】ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-28 11:10  

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第7位】ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.28 号外
    http://wakusei2nd.com



    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第7位は、國分功一郎さん・濱野智史さんの対談企画「常磐線から考える」です!(2014年9月16日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    この記事の取材のとき、僕はテレビの収録で同行できなかったんだけれど、合間に國分さんや濱野のツイッターを眺めていたらとても楽しそうで、すごく嫉妬した記憶があるんですね。
    東京の西側とはまた違う文脈で形成されてきた、「東側」のベッドタウンとしての常磐線エリアには、戦後の中流文化とはまた違った意味での豊かさと貧しさが同居しているはず。前者を伸ばして後者に立ち向かうことが、これからの社会を考える上で大事なことになってくる。2020年の東京オリンピックを前にして、日本人の意識は、被災地を中心にした「衰退する地方」と、ますます人もお金も集中する都市部へと引き裂かれていっている。そのどちらを考えるときにも、「中間的な存在」である常磐線エリアの街について考えることが大きな手がかりになるのではないかということを、この原稿を読んでずっと考えていたりします。



    Twitter上での熱いやりとりをきっかけに、7月のとある休日を使って行なわれたこの対談企画。濱野さんの生まれ故郷である新松戸を出発点に、途中PLANETSのエグゼクティブ・サポーターである「モウリス」の助力と提案で、つくばエクスプレスの駅周辺にあるショッピングモールを訪問し、最後に國分さんの故郷である柏を巡りました。
    二人の思想家の「ジモト」を巡りながら見えてきた、「新しい郊外論」のためのマスタープラン(基本計画)とは――? 本日の「ほぼ惑」では、ダイジェスト版のレポートをお届けします。対談の全容は、何らかのかたちで全文公開を予定しています。今回の「ほぼ惑」ではその「新しい郊外論」のイントロダクションをお見せします!
     
    ▼プロフィール
    國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
    1974年生まれ。柏出身の哲学者。高崎経済大学経済学部准教授。専門は17世紀のヨーロッパ哲学、現代フランス哲学。また、哲学、倫理学を道具に「現代社会をどう生きるか」を「楽しく真剣に」思考する。著書に『暇と退屈の倫理学』(朝日出版)、PLANETSメルマガでの人気コーナーを書籍化した『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)、自らが積極的に関わった小平市の住民運動について書かれた『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)などがある。今回の「柏論」は國分さんたっての希望で実現することになった。
     
    濱野智史(はまの・さとし)
    1980年生まれ。新松戸出身の情報環境研究者/アイドルプロデューサー。慶應義塾大学大学院政策•メディア研究科修士課程修了後、2005年より国際大学GLOCOM研究員。2006年より株式会社日本技芸リサーチャー。2011年から千葉商科大学商経学部非常勤講師。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)など。2014年より、新生アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手掛ける。
     
    ◎構成:立石浩史、中野慧
     
     
    ■新松戸〜流山を歩く
     
    7月12日、午後過ぎ。前日までの台風の影響が心配されましたが、この日は予想を覆す快晴となりました。暑すぎるくらいの天気の中、JR常磐線の新松戸駅前に集合。
     

    ▲駅の東側は住宅や畑が広がり、のんびりとした雰囲気です。
     

    ▲新松戸駅前にて。この日、國分さんはツイキャスで実況しながらの収録でした。
     
    國分さん、濱野さん、P編集部2人の4人でまずは濱野さんの生まれ故郷である新松戸を歩きます。國分さん曰く『暇と退屈の倫理学』の延長線上の仕事であるとのこと。
     
     
    ■今一度、郊外論を問いなおす
     
    國分 この20年くらい「郊外」が注目を浴び続けていますよね。僕は柏生まれ柏育ちなんですけど、柏はこの郊外というものの純粋形態ではないかと思っているんです。今日はその直観を、実際に濱野さんと街を歩きながら検証してみたい。
     論壇では2000年代半ばから「ファスト風土」という言い回しが流行しました。けれども僕は、「今さら何を言っているんだ」という気持ちでした。「遅いよ」と。僕は自分が幼い頃から「ファスト風土」で生活してきて、そのことについてとても苦しいという感覚があった。ですから、その感覚に気づいてそれを理解しようとするひとがこれまでいなかったことに端的に驚いたのです。論壇なるものはなんと鈍感なのかと思った。
     僕が感じていた苦しさというのは、幼い時の感覚であることもあってなかなか描写しづらいんですけれど、歴史の欠如と関係しているように思います。歴史の無い土地、荒野に、家だけが建てられて人が住んでいるというイメージですね。
     都内に通勤しているサラリーマンの家庭であれば、親と子どもは週末以外顔を合わせない。土地にある歴史やコミュニティと人間が切り離されて、アトム化されて生きている場所――今からあの時の感覚を言葉にしてみるとそのように言えるかと思います。
     90年代より積極的に郊外に言及されている論客に宮台真司さんがいらっしゃいます。以前、宮台さんとお話ししたときに出身地を聞かれたんです、「國分さんは小平の出身なんですか?」って。「いえいえ、今住んでいる小平ではなく、柏ですよ」と答えたら、「あんまりいいイメージがないな」とおっしゃっていた。その時、なんとなく「なるほど」って感覚があったんです。現代の新しい空虚を生きる若者についてずっと考えてこられた宮台さんが「なんとかしなければならない」と思われている街の典型が柏なのかも知れない、と。
    濱野 テレクラが駅前にあって、援交が盛んで……というイメージですね。しかし、何故かはわからないですけど(笑)、國分さんが郊外出身というイメージがなかったんですよ。PLANETSの人生相談連載を読んでいると、失礼ですが地方の強固なコミュニティがあるところで育った方なのではないかと思っていました。だから柏出身と聞いたとき意外だったんですよ。
    國分 そうなんだね。僕がそのような印象を与えるのはなぜだかよく分からないけど、『暇倫』で扱った問題、たとえば、消費社会の問題とか、何をしていいか分からないアイデンティティの不安の問題については、自分が柏のようなところで生まれ育ったからこそ敏感でいられたんじゃないかと思っているんだ。
     街とそこに住む人とのアイデンティティについて考えたいというのが今回の課題です。その時に重要なのは、もともと荒野だったところに家を建てたようなイメージで捉えられる郊外にも、当然ながら歴史があるってこと。つまり「郊外」というレッテル貼りによって、町の歴史の地層を見えにくくしていることがある。これをはじめに言っておきたい。
     そういう「見えにくくなっている歴史」の話を出すと、どうしても「ふるさとのよさを再発見する」的なノスタルジックなものになってしまいがちなんだけど、そうじゃない方法で街の歴史にアクセスできないか。それが僕自身の課題なんですね。
     もう僕は柏には住んでいないけれど、そのアクセス方法についての考えを作って、自分の気持ちに対する決着をつけたい。要するに……僕は柏があまり好きじゃないんです。生まれ故郷だから愛着はあるんだけど、同時に強い違和感も持っている。そんなことを考えているときに濱野さんがお隣の新松戸出身であり、かつニュータウンの問題を真剣に考えていることを知りました。それで今回の企画にお誘いしたんですよ。
    濱野 この企画に誘ってもらったきっかけは僕が藻谷浩介さんの『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)のブックレビューをネット上に書いたことですよね。僕も以前は國分さんと同じように、生まれ育ったニュータウンを空虚な場所だと思ってきました。新松戸で生まれ、小学校高学年からは千葉ニュータウンと「郊外から郊外」へと移り住みました。
     当時は生き辛いとまでは思っていませんでしたが、確かにこの場所で生きている人間はアトム化されるしかないというか、國分さんがおっしゃるように自分の住んでいる町には歴史もなければコミュニティもないと思っていました。松戸と柏という町は兄弟という感じがしていて、國分さんとは同じバックグラウンドだと思います。
     
     
    ■かつて疎外的だった郊外は、意外といい町になっている!?
     
    國分 柏と松戸は、地理的にも千葉県の北部で隣接しているし、東京に通勤する人が多いという点でも似ている。でも、濱野さんと新松戸を歩きながら違いも見えてきたね。たとえば道路の作り方が全然違う。新松戸の豊かな街路樹のある道には落ち着きを感じる。こういう道は柏にはあまりないと思います。
     当然だけど、柏より松戸の方が東京に近いので開発が早い。駅前に関して言うと、松戸はうまく開発できなかった。柏はゆっくり開発できたからダブルデッキなどを作れて割とうまくいった。けれども道路に関して言うと、落ち着いた街路樹のある松戸の道路のようなものはうまく作れていない。松戸には、全国的に有名な桜の通りもありますよね。
     

    ▲新松戸の「けやき通り」の入り口。
     
    ▲並木道が整備されています。
     
    濱野 僕が子どもの頃の80年代〜90年代にかけては、あんなに木が立派では無かったと記憶しています。20年かけて木が育ったのではないでしょうか? 『しなやかな日本列島のつくりかた』の書評にも書いたのですが、欧米などでは、街路樹が育ち景観がよくなり町が成熟すると、地価が下がらないらしいんですね。詳細を調べてみる必要はありますけれども。今日訪れた新松戸なんかは地価は下がっているでしょうけど、街路樹が育って、いい雰囲気の街になっていますよね。
    國分 僕はこの景観を見て、なんとも言えない町の成熟を感じました。新松戸は予想以上にいいところでビックリ。
    濱野 もう少しサバサバした「郊外」というイメージだったんですが、僕もいい意味で予想を裏切られました。
    國分 新松戸を歩いてみて一番面白かったのは濱野さんの新松戸のイメージが変わったということだな(笑)。
    濱野 「郊外」と言うとどうしても「疎外されている」という感覚を生みやすい。僕もこれまでの論客のように「疎外されたものへのひねくれた愛着」みたいなものを持っています(笑)。今日は「相変わらずサバサバしてんな〜」とか言って懐かしむのかと思いきや、ほぼ20年ぶりに訪れてみると町が成熟していて驚きでした。「新松戸は意外にいい町じゃん! 俺、ずっとここ住んでりゃよかったじゃん!」と逆に「疎外」されましたね(笑)。
     町のビルがほとんど増えていないのも面白いと思いますね。新松戸って、開発時に家もマンションも区画を余らせずに作っちゃったので、今は街の流動性が下がっているんじゃないでしょうか。駅前の風景もあまり変わっていない。逆に言うとこれから再開発してもいいぐらいの、ある種穏やかすぎるぐらいの景観だと思います。
     

    ▲新松戸駅前の風景。奥には流鉄流山線の幸谷駅付近の踏切。赤いビルはかなり古そう。
     
     
    ■鉄道が変える町の歴史駅周辺をしばらく歩いてから、2人は常磐線と並行して走る「流鉄流山線」(単線鉄道)にもぶらりと乗車しました。流山線の幸谷駅は、常磐線の新松戸駅に隣接しています。
    ▲流鉄流山線の車両。
     

    ▲流山線の路線図。幸谷駅とJR常磐線の新松戸駅はすぐそば。國分 さきほど流山線に乗りましたが、二人とも乗るのは初めてだったね。新松戸から北部の方に行って戻って来ましたけど、途中の風景は、農村風景→ニュータウン→農村風景→ニュータウンのようになっているんですね。つまり流山は、新しいマンションやキレイな家が最近どんどん建設されている一方で、昔は柏や松戸よりも栄えていた土地なので、古い大きな農家なんかも残っている。それが交互に現れる。
     それにしても、新松戸(幸谷駅)からちょっと電車に乗っただけで、大きな農家があるような場所に行けるというのは、大きな発見だったね。
    濱野 この辺りは流山電鉄のロジックで町が作られていないんですね。普通は電車が通ると、町が付帯されてできあがるんですが、全くそういう感じではない。
    國分 100年前に敷かれた電車だからね。それにしても歴史的に見ればこの辺りの町は栄枯盛衰がすごいよね。
     流山は明治のはじめあたりはとても栄えた街だった。少し離れてるけど鰭ヶ崎(ひれがさき)なんかもそうですね。でも、常磐線の建設計画が出てきた時、流山や鰭ヶ崎はそれに反対したんですね。蒸気機関車からはき出される火の粉で火災が発生するのを恐れてのことだったらしいです。当時はかやぶき屋根だからそういう気持ちがでるのも当然かもしれない。
     でも、柏はそれを受け入れたんですね。僕は松戸の方はよく知らないんだけど、実際、常磐線は松戸や柏の地域を通っている。その後、常磐線の沿線は発展を続けるわけだけれど、鉄道を拒んだ地域は発展から取り残されてしまった。
     ところが最近は逆に、つくばエクスプレスが通ったことによって流山が活気づいている。マンションもバンバン建って、盛り上がっているね。つまり流山というのは明治以来、鉄道の敷設に関連する形で町が変動してきた。
     

    ▲流鉄流山線の車窓からの風景。新興の住宅も目立ちます。
     

    ▲流鉄流山駅にて。駅の改札では駅員が切符を切っており、ICカード式の改札はおろか、磁気乗車券の自動改札機も導入されていませんでした!ちなみに駅奥の森林は駅員さん曰く空き地とのこと。ほんの近くに流山市役所がある「旧」市街地です。
     
     
    ■郊外は使い捨て?
     
    濱野 僕の郊外のイメージは「使い捨て」なんですよ。僕は家族で、手狭だった新松戸のマンションから千葉ニュータウンの一軒家に90年ごろに引っ越したんですけど、引っ越したときは空き地だらけで、コンビニもろくにありませんでした。「この町は明らかに失敗だ。マイホームなんていらねえよ!」と思ったんですよね。僕は千葉ニュータウンの都市計画は失敗していると思いますが、その理由は、当時人口が20万人ほどに増えていないといけないのに全然達しておらず、そこに電車を引いてしまたったことにあると思っています。
     僕はその後中学受験して都内の学校に2時間かけて通っていたから、青春時代は千葉ニュータウンにほとんどいませんでした。だから何の思い入れもないんですよ。大人になってからも4回しか帰省していない。なぜなら帰りたくないから。何もないし、遠いし、親もうるさいから(笑)。
    國分 少年時代の濱野さんはそういう思いだったんだ。俺も「何かおかしい」って感覚があったな。人間のそういう感覚は大事なんだと思う。でも、やはり新松戸の街路樹は象徴的だよ。「町というものがこうやって育っていくんだ」といういい感じがした。
    濱野 樹って、植えてみるもんなんですね。他にも、駅から歩いて数分のところに流通経済大のビルができたりしていましたね。大学ができることで町はまた成熟するものだと思います。反面、新松戸は子どもの数が劇的に減っている印象を受けました。象徴的だったのが、住んでいたマンションの近くに妹が生まれた産婦人科があったのですが、その医院が看板を取り外していたことです。
     つまり、産婦人科の病院がマンションの側からひとつ無くなることが意味していることですよね。これまたマンションのすぐ近くの「新松戸中央公園」で遊ぶ子どもの数が、土曜の昼下がりという時間帯にも関わらず、昔と比べて少なかったことも印象的でした。
     

    ▲流通経済大学・新松戸キャンパス。
     

    ▲左手前の屋上のある白い建物が濱野さんの妹さんが生まれた元・産婦人科の病院。濱野さんが住んでいたマンションの10階から望む風景です。
     

    ▲新松戸中央公園。広大な運動場ではスポーツチームの子供たちがクラブ活動のスポーツに興じていました。でも、子どもの数はまばら。
     
     
    ■幼少期のアーキテクチャが情報環境研究者・濱野智史を生成した濱野 今日10何年ぶりに新松戸に来てみて、郊外は意外と残っているものだなと感じました。逆に千葉ニュータウンのような町が今後どうなっていくのかにも興味があります。アメリカ風の車社会に最適化していくのだと思いますけど。 それにしても人間というものは環境ひとつでこんなにもどうにもこうにもなってしまうものなのかと。僕はもともとアーキテクチャが人に与える影響を社会学的に研究してきたわけですけれども、そういうことを研究するようになったのには、自分の出自や生育環境が多いに関係していると思います。僕は新松戸ではマンションの10階に住んでいて、4、5歳までエレベーターの10階のボタンを押せなかったんですね。だから家から下の階へは行けずに、上の階に住んでいた一つ年上のお兄さんの家に遊びに行ってファミコンをして、「ゲームすげえ!」と衝撃を受けたりしていました。「ブランコよりこっちだ!」みたいな感じで(笑)。
     そこでの生活環境がこうして今の研究につながっていたりするわけです。単に10階に住んでいただけなんですけどね。環境が僕の幼少期の行動を決め、ゲームの環境が人をハマらせ……とか、先ほどの「郊外で生まれ育つと人間が疎外されていく」という話も、環境があっさり人間を作ってしまう典型例だと思います。
    國分 街を考える上では、当然のことながらアーキテクチャの視点が重要になってくるということだよね。 
  • 「ネット時代のストリート」はありうるか?――「VANQUISH」でお兄系ブームを先導した男・石川涼が語るファッション文化の未来 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.193 ☆

    2014-11-04 07:00  

    「ネット時代のストリート」はありうるか?――「VANQUISH」でお兄系ブームを先導した男、石川涼が語るファッション文化の未来
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.4 vol.193
    http://wakusei2nd.com


    ▼プロフィール
    石川 涼/RYO ISHIKAWA(Ceno. Company.)
    1975年、神奈川県生まれ、静岡県育ち。2004年、ファッション・ブランドVANQUISHをスタート。06年に、渋谷109MEN’S館にショップを出店、ほどなく“ギャル男”の象徴ブランドとして、絶大な支持を得る。株式会社せーのは、現在はVANQUISHを含め6つのメンズブランドと、レディースブランド3rd by VANQUISH、マスクブランドgonoturnの合計7ブランドを展開する。
     

    ▲スウェットプルオーバーパーカー 19,440円
    http://vanquish.jp/

     
     

    ■「モノからコト(体験)」の時代に何を売るのか
     
    宇野 このインタビューのきっかけは石川さんのインタビュー(「ファッションは終わり、感動するものだけが残る」)なんですけど、「モノ」としてのファッションが機能しなくなり、感動という「体験」が残るという考えに至ったのはなぜだったんですか?
    石川 僕はここ数年、1年の半分ぐらいは海外にいるんですけど、日本人と海外の人たちでは大事にしているものの順番がまったく違うと思ったんですね。海外の人たちってまず自分の宗教やアイデンティティが一番大事で、日本人と比べるとファッションとか格好は二の次なんですよ。
    それに加えて、僕自身が長いあいだ家を空けることが多くなって、生活用品はAmazonで買っておくようになっていた。日本に帰国して荷物を受け取ったら、コーヒーの砂糖までネットで買っていることに気づいて「あれ!?」と思ったんですね。「このままだと買い物をしに行くという概念自体が無くなっちゃうんじゃないか?」と。今でさえネットは便利だけど、これからはスマホの画面上で自分にフィットしたものが、家にいながらにして安く手に入る仕組みにもっともっと変わっていくはずです。ただ洋服を並べて売っていくだけのビジネスは絶対にAmazonに勝てないから、存在価値が無くなっていっちゃうんじゃないかな。
    今後どうしていくかはずっと考えていて、5、6年前から方針を変えていったんです。お店のディズニーランド化というか、お客さんに「お店に足を運んでみたい」と思わせる何かを作らなくてはならないわけです。
    たとえばVANQUISHの渋谷店を9月に改装してスタジオを作ったんですが、そこでライブやニコ生の放送があったりとか。そういう、モノを買うだけではない、「VANQUISHが今面白いことやってるから、行ってみようよ」という価値を付けたいんです。
     
    ▲VANQUISH渋谷店のスタジオ
     
    宇野 VANQUISHスタジオ、面白そうですね。小売店はもうモノを売っているだけでは勝てない、コト(=体験)を売らないと成立しないのだ、と。今でこそ、「モノからコトへ」はネットビジネスの常套句になっていますが、5、6年前の、しかもアパレルの小売でそれをやろうとしたのはかなり早いですよね。
    たとえば音楽ソフトって、映像や音声情報はデジタルコピーが可能だから、もう握手券のようなイベント参加券としてしか売れなくなっているわけです。コピー不可能な体験にしか値段はつかない。この趨勢は明らかなんだけど、石川さんはそれがモノの領域にも当てはまると思っていたわけですよね。
    石川 そうだね。「体験」ということで言うと、かつては渋谷が特殊な街だったというか、そこに行くこと自体にちょっとした「悪っぽさ」みたいなものがあったように思う。
    宇野 その「体験」については、渋谷という空間=ストリートが保証してくれていて、店舗は個性的なアイテムを売っていればよかったわけですよね。でも今はその「ストリートの魔法」が切れかかっていて、ストリートではなく店舗の中をテーマパーク化しないとけなくなった。
    石川 これは渋谷に限った話ではないと思うんだけど、世界が均一化されている気がするんですよ。昔は街ごとに個性を持っていたような気がしたんだけど、2010年くらいから、どの街に行っても、H&Mやユニクロが目に入って、買えるものも一緒で変わり映えがしなくなったと思います。それは別に日本だけの話ではなくて、ヨーロッパや、アメリカでもそうなんです。
    モノがどこでも買えるようになったとき、価値を持つのはもうロケーションしかない。だから僕は東急というか「109」に何年か前から提案しているんだけど、「渋谷駅を出るとスクランブル交差点があって109が建っている」というロケーションはあそこにしかないわけだから、その体験性をきちんと演出してあげないといけないと思う。例えばあの交差点が、ニューヨークのタイムズスクエアのように世界中の人が来て写真を撮っていく場所になったとして、そこにある看板広告をデジタル化したら世界中のCMが取れるわけです。そんなふうに街を観光地化していくしか、生き残る道はないんじゃないかと思う。
    でも、そういった提案をしても「じゃあそこの看板をデジタル化するのに投資する価値があるんですか?」という話になってしまう。新しいことにコミットしてくれないんですよね。でも、僕はやっぱりそういう場所を作るべきだと思う。
    今は世界中の人たちが「ここに来たよ」といろんな場所の写真を撮ってFacebookとかでネットにアップしていますよね。最近、若い女の子と遊んでいても「ブランド物のバックが欲しい」なんて言う子はほとんどいないんですよ。でも彼女たちは「旅行に行きたい」とは言う。要するに自分の持っているコミュニティに対して「人気のお店に食べに来ました」「話題の場所に行きました」ということを言いたい。みんなモノを買うよりも「それ」をやりたいんだよね。
    宇野 今、「モノ」と「コト」のパワーバランスが大きくコトの方に傾いていると思うんです。皮肉な話なんですけど、これはものづくりが進化したためだと思うんですよね。20世紀後半におけるモノの優位性って、大量生産されたモノがあって「みんなが着てるこの服を着たい」と人々に思わせるところに発生していた。要するに、人間がモノの方に合わせることに、不自由だけれどもある種の快楽があったわけです。
    今は逆にものづくりのマーケットが進化しすぎて、人間の方にモノが合わせてくれるようになった結果、みんなモノを一生懸命に追いかけなくなってしまった。ネットでカスタムメイドのものが簡単に手に入るし、石川さんが今この場で持っているような大人向けのライダーベルトも、プレミアムバンダイで買えるじゃないですか。自分に合ったものがすごく手に入りやすくなった結果、コト(体験)の方が力が強くなっている。
     
     
    ■ライフスタイルに紐付いたものづくりへ
     
    宇野 でも、そんな世の中になった時に、まだ残っている「モノの力」ってなんだろうと思うんです。石川さんご自身は、すごくモノが好きな人ですよね。
    石川 僕はいま、自分のラインで「FR2(FXXKING RABBITS)」という新しいブランドを始めたんです。これは「旅行」がテーマ、つまり「旅行先で写真を撮りやすい服」を作っているんですね。パンツにはパスポートとマネークリップが入るポケットが必ず付いていて、シャツの片側もパスポートポケットになっているので、カメラ一つで世界中を旅できる服なんです。
    ここで目指しているのは「特定の何かの行動に紐づいたブランド」なんです。例えば「キャンプにいくならここの服だよね」と思われるようなブランドにならない限りは、ただの服屋と変わらないと思っているんで。
    宇野 なるほど。「モノの力でコトをプロデュースしていく」という方向に切り替えることによって、モノの価値を担保している、ということですよね。
    石川 「ブーム」とは少し違うかもしれないけど、僕らが若い頃に「服が欲しい」と思っていたのと同じくらいに、今の若い子たちは「良い写真を撮りたい」という欲求を持っている。ファッションがそっちに寄っていくのは必然的なことだと思うんですよ。
    宇野 10年前の石川さんって、90年代の渋谷のストリートから派生していった「ギャル男」というニッチな文化を拾い上げて「ファッション」というモノに込めていたと思うんです。彼らの頭のてっぺんから爪先まで全身をトータルプロデュースしていましたよね。
    けれど、今の石川さんがやっていることは違う。「カメラでいい写真を撮りたい」という欲求は、ヤンキーからオタク、ブルーカラーからホワイトカラーまで、もしくは中国人からアメリカ人まで国や性別を問わず共通している。つまり、かつて石川さんは「モノ」の力で少数民族の美学を総合的に提案していたんだけれど、今は普遍的なライフスタイルの一部を提案しているように思うんです。
    石川 もちろん自分が10年前よりは海外に出る機会があったから、そういう新しい指向になっている部分もあると思うんです。どうせ同じ時間をかけて作り出すんだったら、日本の中だけで売れるモノよりは、世界の人が欲しがるモノを作りたいという思いがあるわけです。
    そもそも自分がずっと何をしたくて仕事をしてきたかというと、たぶん世の中の需要を満たしたいんですよ。2004年にギャル男くんたちをターゲットにした服を作ったのは、彼らが欲しいモノが市場になかったからなんです。ギャル男くんというニッチなセグメントに対しての提案だったわけです。それから10年経って、今はその洋服自体の需要がなくなってしまった。そうなった時にカメラや旅行というテーマで、セグメントされたマイノリティに対して服を売っている。
    まあ、そうは言っても実はグローバルというか、マスに向けて提案しているわけで、絞ったのか広げたのか自分でもわからなくなってきたというのはありますよね(笑)。
    宇野 つまり対象はグローバルになっていってるけど、用途はむしろ狭まっているわけですね。
    石川 そうだね。ただ、ギャル男くんの時は日本の人たちしか理解できなかったけど、今は世界の人が理解できるものを作っているはずなんですよね。
    宇野 僕の考えでは、10年前のお兄系ファッションのブームは国内における最後の男性ファッションムーブメントだった。要するに東京の都市部のローカルなストリートがあって、そこから出てきた変わったカルチャーが日本中にインパクトを与えたのは、あれが最後の波だったんじゃないかと。
    石川 僕もそう思っていて、「ストリートから生まれたドメスティックブランドはVANQUISHが最後だよ」って言っているんです。でもそれ以降は細分化しすぎてしまっているし、今の若い子たちは物心ついたときからネット社会を生きているので、彼らが洋服(モノ)を買わないのはよく理解できるんですよね。だからファッション業界からはもう、日本中を巻き込めるようなパワーのあるムーブメントは生まれてこないんじゃないかな。もちろん20代ですっげえ元気のある奴にも出てきて欲しいし、ブームも生まれてきて欲しいんですけど、その気配もあんまり感じないなぁ。
     
     
    ■次のストリートはどこにあるのか?
     
    宇野 90年代からゼロ年代前半ぐらいまでは、渋谷のようなストリートにある種の力が宿っていて、そこから文化が生まれてきたと思うんです。石川さんは、そういう「ストリート」にあたるものは今の時代にどこにあると考えていますか?
    石川 まぁ、今の若い人の興味があるものはほとんどネットの中にあるよね。 
  • 無印良品、ユニクロから考える「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性 ーー浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.178 ☆

    2014-10-14 07:00  

    無印良品、ユニクロから考える
    「ライフデザイン・プラットフォーム」の可能性
    ――浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛
    「これからの『カッコよさ』の話をしよう」第2弾
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.10.14 vol.178
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は、8月に配信し大好評だった建築学者の門脇耕三さん、インテリアデザイナーの浅子佳英さんと本誌編集長宇野常寛との鼎談記事「これからのカッコよさの話をしよう」の第2弾をお届けします。今回は実際に銀座のファッションストリートにある様々なお店を周り、そこで三人が感じたこと、考えたことをもとに、「ライフデザインのプラットフォーム」としての無印良品、そしてユニクロの位置付けを考えます。
    ▼関連記事
    ・これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来
     
    ▼プロフィール
    門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察。著書に『シェアをデザインする』〔共編著〕(学芸出版社 、2013年)ほか。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:中野慧
     
    ファストファッション、IKEAやニトリ、アップル製品など、ゼロ年代以降の私たちの生活に欠かせなくなった様々な「モノ」と「デザイン」について考えた前回の鼎談企画「これからの『カッコよさ』の話をしよう」。第2弾となる今回は、鼎談の収録前に、まず実際に門脇・浅子・宇野の3氏で、銀座の街にある様々なお店を廻ることにしました。
    3氏がまず足を運んだのは、世界一巨大な規模を誇るユニクロ銀座店。
     

    ▲銀座の中央通沿いにある、ユニクロ店舗でも世界最大のグローバル旗艦店「ユニクロ 銀座店」。12階建てだそうです。
     

    ▲床から天井まで隙間なく服が並んでいます。
     

    ▲Tシャツフロア。フロア全体に多種多様なデザインのTシャツがひしめいていました。ぶらぶらと見ていたら、浅子さんが当日着ていたスヌーピーTシャツと似たようなデザインのものを発見。「このTシャツけっこう高かったのにw!」(浅子さん)
     

    ▲女性ものの丈長のスウェットシャツが気になるという門脇さん。このあと「XLサイズなら僕でもダボッと着れそう」とのことで、お買い上げになっていました。
     
    ユニクロ銀座店の次に3人は、ユニクロ銀座店と渡り廊下でつながっているお隣のドーバーストリートマーケット(コム・デ・ギャルソンの川久保玲氏がトータルプロデュースするセレクトショップ)へと向かいました。
     

    ▲ドーバーストリートマーケット ギンザ。
     
    渡り廊下を渡るとそこには、ユニクロとはまるで別世界が広がっていました。好対照だったのはお店のレイアウト。通路は広く取りつつも縦にぎっしりと服を並べるユニクロと違い、様々なアイテムがゆったりと店内に配置されていました。
    ドーバーストリートマーケットを出た一行は、「無印良品 有楽町店」へ向かいました。
     

    ▲無印良品有楽町店。ここもかなりの大型店舗です。
     

    ▲無印良品の家。
     
    無印らしいアースカラーの服が並ぶ店内を分け入っていくと、目に入ってきたのはスチールの外壁(「金属系サイディング」というものだそう)の、「家」でしたーー。そう、最近、無印では「無印良品の家」を販売しているとのこと。コンパクトなサイズながら、吹き抜けと、ガラス張り(でも断熱性も高いそうです)による採光のよさもあって、見た目以上にゆったりとした住空間。「暮らしに合わせて間取りが変えられる」とのことです。(出典:「無印良品の家」ホームページ )
    その後、一行はクロムハーツ、ミュウミュウ(MiuMiu)、Aesop(イソップ)、フライターグなどを回ってこの日の街歩きを終えました。
     
     
    ■ユニクロとコム・デ・ギャルソン、何が明暗を分けたのか?宇野 まず簡単に前回のおさらいをすると、今の時代のファッションは、ノームコア(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと。最近のファストファッションの隆盛を受けたトレンドでもある)的なものが優位になっている。そしてその潮流は一部で「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」という五体満足主義的な思想に回収されつつある。それはファッションが本来持っていた「やせっぽちでも太っていても、工夫しだいでカッコよく、気持ちよくなれる」という、文化としての豊かさがやせ細ってしまっているということでもある。こういう現状に対する違和感は共有されていますよね。
    そこに対して例えばデザイナーである浅子さんは、ノームコア的なものを批判して「新しいラグジュアリー」のような価値を提示していくことが必要なのではないかという立場でした。
    また、鼎談のなかで見えてきたのは、ファッションだけでなく、インテリアや建築のような「デザイン」と言われる世界ではどこでも、90年代以降に似たようなことが起こっているのではないか、ということでした。
    今日は第二弾ということで、ファストファッションからデザイナーズブランドまで、銀座のいろいろなお店を実際に回ってきたわけですが、みなさんは改めてどう感じましたか?
    浅子 やっぱりユニクロが今強いのは、面白いデザインの服を揃えているわけではないけれど、カラーバリエーションやちょっとしたデザインの違いの製品を大量に揃えていて、その「多くのものから一つを選ぶ」という体験自体に楽しさがあるからなんだと思いましたね。
    宇野 ショッピングにゲーム的な楽しさがあるということですよね。
    浅子 そうです。銀座店は特に、12階建てなのにもかかわらず、フロアのレイアウトがほとんど同じだったりして、あの感じは僕自身はそんなに好きじゃないんだけど、実際に上から下まで全部見て回ると本当にゲーム空間にいるようで面白かったです。
    門脇 ユニクロの店内のレイアウトは「とにかく下から上まで整然と服を並べる」という思想ですよね。対照的だったのはそのあとに行ったドーバーストリートマーケットで、店内に余白をたくさん取っていました。あれは「アート的に見せる」というテクニックなんだけど、物量としてはユニクロよりも全然少ないですよね。そうすると服の一点一点が高くならざるをえない。置いているモノはカッコいいんだけど、トータルで見るとどうしても元気がないように見えてしまった。
    浅子 僕は立場的にコム・デ・ギャルソンを擁護するしかないんだけど、たしかに銀座店は少しゆったりしすぎているかもしれないですね。ただ、最初にできたロンドンのドーバーストリートマーケットはとてもエキサイティングな空間です。もともとオフィスか何かだった建物に、川久保玲やセットデザイナーなどが介入して百貨店にしてしまっている。たとえばエスカレーターでなく階段で登らないといけなかったりとか、フロアの使い方もわけのわからないことになっていて。
    そもそもドーバーストリートマーケットの面白さって、コム・デ・ギャルソンというブランドが、自分たちの服を売るだけではなく様々なブランドの服を売ったり、アーティストの作品を展示するスペースをつくったり、ある種のプラットフォームとしてお店を構えたところにあると思うんですよ。
    ただ銀座のお店はやっぱり、「ギンザコマツ」という百貨店の建て替えで用意された空間に出店しているから、そういう面白い化学反応が起こらなかったんだと思います。だからそこを責めるのはちょっと気の毒な感じがするんですよね。
    門脇さんは店内のレイアウトのことを指摘されたけど、インテリアのデザイナーとして言うとやっぱり余白というか、そもそも白い壁が良くないと思う。確かに白い壁にするとニュートラルであるかのようにふるまいながらも簡単に綺麗に見せることができるんだけど、それは何も考えていないということの裏返しでもあるんですよね。
    門脇 結局現代アートもそうだけど、白いところにポツーンと何かゴミが置いてあるだけでアートに見えたりするんですよ。それ以外の見せ方を開発できてないのはちょっと残念だった。そういう意味ではユニクロの見せ方のほうが面白かったですよね。
    宇野 ユニクロって、ある時期まではフリースだったり、インナーや寝間着を買うお店というイメージで捉えられていましたよね。で、誰が着てもそこそこ似合うものを、豊富なカラーバリエーションで提供していたのがフリース時代だとすると、今は第2段階、いわばUT(=ユニクロのTシャツ)以降の時代に入っていると思うんですよ。
    UTって色々な企業のロゴだったり、スヌーピーやディズニーなどのキャラクターイラストに、多種多様なカラーバリエーションを掛け合わせるという発想でつくられていますよね。あれってインターネット以降の感覚だと思っていて、要するに統一されたフォーマットに多様なコンテンツを流し込むことで無限にバリエーションを生成できるということだと思うんです。そういう思想が商品ラインナップだったり、レイアウトの方法とも結びついていて、UTという独特のジャンルを生んでいるんじゃないか、と。
    門脇 フォーマットが決まっているからこそ多様な表現が生まれてくる、ということですよね。僕には商品そのものとしてあれが良いのかどうかピンと来ないところがあるけど、でもあれだけのバリエーションがあるなかで選ぶという体験はたしかに楽しかった。さっきもスウェットを買ったけれど、たぶんドーバーストリートマーケットに並んでても買わないんじゃないかな。たくさんのバリエーションが並んでいるなかで気に入ったものを見つけて、買ってしまう。そういう体験を含めて買っている気がしますね。
     
     
    ■「バブルの鬼子」としての無印良品
     
    宇野 これは都市部に限った話かもしれないけど、ユニクロと無印良品ってもうインフラみたいになっているじゃないですか。「あ、この街って駅前にユニクロと無印あるんだ、便利だね」とみんな思ったりする。だからこの2つの企業って、日本の生活文化においては非常に強いと思うんだけど、でも今日見ていて改めて思ったのは、ユニクロはまだ無印を倒せていないということなんですよ。要するに今の無印良品はライフスタイルそのものを提案できているけど、ユニクロはまだそこまで行けていない。
    たとえばユニクロの主力製品であるヒートテックひとつとっても、「冬のファッションで重ね着させない」ということを目標にしたもののはずです。厚着させないということは、つまり「こういう身体が美しい」とか「こういう屋内ライフスタイルが気持ちいい」という提案であるはずで、それを延長していくと僕たちの身体観やライフスタイルの変革へと結びついていくはず。でも、今のユニクロのラインナップからはまだ「新しいライフスタイルの提案」まで読み取ることはできない。アイテム1個1個の持っている快楽やゲーム性に留まっていて、総合的なビジョンがまだないんだなあ、と思ってしまいました。
    一方で無印は、僕の考えでは言わばディフェンディング・チャンピオンだと思うんですよ。あそこに行くと衣食住全部ある――というか、今は家具だけでなく家まで売っているわけですからね。総合的なライフスタイルを提案できているわけです。たとえば僕はあの透明の衣装ケースも使っているし、食べ物にしても僕はMUJIカフェによく行くし、無印カレーも大好きなんですよ。
    そもそも、無印良品のコンセプトって基本的に「アンチバブル」だったわけですよね。80年代の消費社会=バブル的な価値観に対して距離をとりつつ、かといってニューエイジや昔のヒッピーのように消費社会を全面的に批判するわけでもなく、要するに「消費社会に対してはこれぐらいの中距離で付き合いましょう」というライフスタイルを提案している。
    浅子 いや、それもあるけれど、その前にみんな忘れているのは、僕らが子どもの頃の昭和の時代って、ともかくダサイもので溢れていたんですよ。布団がなぜか花柄だったり、家具も変な色に塗られていたり、ほとんどの家庭にはわけのわからないデザインのものがいっぱいあって、子ども心にあれがすごく嫌だったわけですよね。そこに対して無印は、「柄のない布団のほうがいい」というようなニュートラルでフラットでシンプルなデザインを提案し、支持を受けた結果、今やそれがスタンダードにまでなったと。
    宇野 無印だけが、モノだけでなく「こういうライフスタイルがいい」という世界観を提示するに至っているんじゃないかなと思うんです。そしてそれは90年代以降の世界的な潮流ともマッチしていた。たとえば宮台真司さんがよく言っているけど、スローフードが好きな奴って、エアコンの効いた部屋でスターバックスのコーヒーを飲みながら環境問題の本を読んで悩んだふりをしている人なんですよ。要するにスローフードとはグローバル資本主義下におけるアッパーミドル向けの優秀な商品にすぎないわけです。でも、それでいいと思う。だから無印良品は強い。僕も大好きです。あの「素材を大切にした」シリーズのカレーやスープのレトルトパウチは家に常備している。あれは、「レトルトのスローフード」という矛盾するコンセプトが同居しているわけなんですが、そこが素晴らしい。
    門脇 レトルト食品を排除するのではなく、レトルトをいかに美味しくて栄養バランスもいいものにしていくかという発想ですよね。ただ、無印の提案しているライフスタイルって、今ではちょっと古くなってしまっている気もするんです。「家族で郊外に住み、お父さんは電車で都心に通勤する」という昭和的モデルのバージョンアップで、まだその先に突き抜けられていないというか。
    宇野 無印はやはりバブルの落とし子なので、どうしてもそうなってしまうところはありますよね。それに、当初のコンセプトである「アンチバブル」が実はすごく狭いイデオロギーなので、その価値観が押し付けがましいと感じる人も多いと思うんですよ。たとえばこれだけ無印大好きな僕でさえも、ほぼアースカラーオンリーの衣料や、家具類の「柔らかい木目」のゴリ押しはちょっとしんどく感じることがある。
    浅子 正直、僕もそう思っていますよ。
    門脇 無印良品ってすごく哲学がしっかりしていて、「文明は共通化して文化は差異化する」という未来予測を展開しています。つまりグローバル化のなかで「感じのよい暮らしをリーズナブルに」という方向性はぶれずに追求していきつつ、それだとほかの国や地方、あるいは「無印的価値観にドンピシャな世代」以外には展開できないから、地域性や時代性に紐付いた文化で彩っていくということになるんだと思いますが、それだとどうしても既成の価値観を無印的にセレクトすることになってしまうから、まったく新しいものを生み出すことが難しくなってしまう。
    無印も本当は「新しいラグジュアリー」のようなものを追求すべきなんだけど、そもそものコンセプトが「オルタナティブなスタンダード」なので、クリエイションに根拠を与えるものが既にあるものにしかならない。無印のインパクトって確かに大きいし、それがいよいよ浸透してきた勢いも感じますが、次の時代を考えるとそこが弱いところだと思うんですよね。
    浅子 無印のデザインって文化の多様化と言うにはちょっと一本調子すぎますよね。たとえばヤンキーが作るわけのわからないバイクのようなものって、文化の多様化そのものだと思うけれど、そういうデザインのものは絶対に製品ラインナップに入ってこない。だからすごく偽善的な感じがするわけです。これは無印だけでなく、アップルのデザインにも言えることだと思うんですけど。