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  • 濱野智史『S, X, S, WX』―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして 第1章 東方見聞録 #1-1 NRT発: 3/6~3/7~3/6: on United【不定期配信】

    2017-06-13 07:00  
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    情報環境研究者の濱野智史さんの新連載『S, X, S, WX』―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして が始まります。来たるべき時代の情報社会/現代社会を読み解くための試論を展開しようとする濱野さん。第1章では、Googleを訪ねるために西海岸へと向かいます。
    『S, X, S, WX』
    ―『アーキテクチャの生態系Ⅱ』をめざして
    第1章 東方見聞録
    #1-1 NRT発: 3/6~3/7~3/6: on United
     2017年3月6日、私は太平洋の上にいた。ユナイテッド航空、NRT17:55発 SFO10:10着の便だ。そのとき私は洋上にてある夢を見ていた。だが、それは眠る時にみる夢のことではない。夢よりも深い覚醒のなか、私がこれから本連載を通じて、いや人生を通じて現実のものとしたい、夢である。
     その内容は、かつて筆者が宇野常寛との共著『希望論』(NHKブックス、2012年)と小熊英二編著『平成史』(河出書房新社、2012年)に寄稿した小論「情報化:日本社会は情報化の夢を見るか」に書きつけたことである。その要約は後者から引用すれば次のようなものとなる:

     日本の情報化は、インフラ層の普及・整備という点では成功したが、アプリケーション層(特に経済/政治領域)においては、さしたる変化ももたらしていない(中略)。それは、変化を望まない既存勢力にとっては「成功」であろう。しかし日本社会全体にとっては、少なくともグローバルな規模でポスト工業社会への移行は進んでいることは明らかである以上、「失敗」であろう。せいぜい成功しているといえるのは、インフラの価格破壊を実現し、百科事典や音楽やアニメを無料でダウンロード可能にするという、デフレ消費を推し進めたくらいのものである。
     こうした見立ては、「日本の情報化はカスだった」という印象を与えかねないかもしれない。しかしこれはあながち間違いではない。前節の冒頭でも見たように、結局のところ情報化は、情報収集や消費行動といった「消費」の領域に影響を強く及ぼしている傾向が強い。イノベーションを生み出す、政策をつくる、といった「生産」の領域では、まだまだ情報化ないしはネットワーク・メディアはさしたる影響を及ぼしているとは言いがたい。比喩的にいいかえれば、インターネットはいまだ「夜」の世界のメディアなのだ。社会の実権を握り、動かしている政治や大企業の「昼」の世界は、いまだにマスメディアとハイアラーキー(階層型組織)によって動いている。日経新聞を読んで組織内のうわさ話に聞き耳を立てる。それがいまだに日本社会の中核を縛っている。
     これはあくまでデータの裏付けを欠いた想像にすぎないが、インターネット(特に匿名掲示板)がしばしばオタクたちのしがない遊戯空間だと思われていたのにも、それなりの構造的背景があるのかもしれない。実社会ではまともにコミュニケーションのできない、正規雇用にもついていないからこそ時間の有り余った、引きこもり気味のオタクが、匿名空間で息巻くという姿が、戯画的にこれまで抱かれてきた。(中略)
     しかしこれは少し引いた目線で見れば、平成期において、それまでの昭和的枠組み(大企業での正規雇用といったメンバーシップ)が温存され、そこから「こぼれ落ちた人々」(貴戸理恵論文)たちが、「生きづらさ」の解消と承認欲求を求めて、インターネット空間を夜な夜なさまよっている、という図式ではないのか。あるいは自分たちの怒りや不満が既存の政治勢力やメディアには通っていない不満を抱える人々ではないだろうか。彼/彼女らは、昭和期から強固に残存する「昼」の世界の諸制度なり組織なりにぶつかり、それが変えられるという希望を失っている。だからこそ、誰もが肩書きを外して自由に発言し自由に暴れまわることのできるインターネット空間に夜な夜な出没するしかない。つまりは「昼」の世界への失望と無気力が、「夜」の世界での熱量に転換させられるほかないのである。はなはだ客観性は欠いているけれども、もし平成期における日本のインターネットがどうしようもなく「ダメ」で「厄介」なものに見えるとしたら、そうした下部構造が背景にあるのではないか。
     しかし、もし仮にそうなのだとしても、私達はそろそろ情報化の空間を夜の領域にとどめておくのをやめる時がきている。そこが「夜」の領域だというのならば、私達はアメリカ社会の借り物ではない、しごくまっとうで正しい「夢」を見なければならない。本書に収められた各論文は、インターネットを使って私達が何をすればいいのか、何の制度改革に向かって声を集め、それをどこに届ければいいのかを、これ以上はないというほどに明らかにしている。社会保障、教育、労働政策に悩む者たちが、ネットで声を集め、知恵を出しあい、団結しあって、それを何らかの政治勢力に伝え、有効な「票集団」として結集すること。インターネットという自由で双方向なメディアがあれば、既存の政治を縛ってきた「地方」や「組織・団体」の枠を超えて、そうしたコミュニケーションと団結が可能なはずだ。それは胸踊るような「革命」の夢とは違うかもしれないけれども、現にいま、私達の社会が共有すべき夢であるように思われる。
     
    筆者「情報化:日本社会は情報化の夢を見るか」前掲書

     私はなぜ西海岸へ向かうのか。それは「現にいま、私達の社会が共有すべき夢である」と断言するためであり、かつ、いまや日本社会だけではなく、国際社会全体が共有すべき夢となったからだ。その理由はのちに述べる。まずは、なぜ私が2017年3月上旬、アメリカ西海岸へフライトしたのか。その背景と経緯から述べることにしよう。
     
    * 

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  • HANGOUT PLUSレポート 宇野常寛ソロトークSPECIAL(2017年2月27日放送分)【毎週月曜配信】

    2017-03-06 07:00  
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    毎週月曜夜にニコニコ生放送で放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめる「HANGOUT PLUS」。2017年2月27日の放送は、月に一度の宇野常寛ソロトークSPECIALをお送りしました。前半は2月24日に発売された村上春樹の新作長編『騎士団長殺し』のネタバレ全開レビュー、後半ではシークレットゲストとして濱野智史さんをお迎えし、対談「〈沼地化した世界〉で沈黙しないために」に続く議論を展開しました。(構成:村谷由香里)
    ※このテキストは2017年2月27日放送の「HANGOUT PLUS」の内容のダイジェストです。

    村上春樹の新作『騎士団長殺し』レビュー
    オープニングトークは、2月24日に発売されたばかりの村上春樹の最新作『騎士団長殺し』のレビューです。
    宇野さんは春樹作品の変遷を、「〈デタッチメント〉から〈コミットメント〉へ」という主題で整理します。初期の村上春樹は、「やれやれ」という独白に象徴される〈デタッチメント〉の姿勢――あらゆる価値観から距離をおく、自己完結的なナルシシズムを特徴的な作風としていましたが、1995年の地下鉄サリン事件と、それに取材した『アンダーグラウンド』(1997年)以降は、主体的に世界と関わる〈コミットメント〉の立場へと転向します。そして、オウム真理教をモチーフにした長編『1Q84』(2009-2010年)は、その集大成となるはずの作品でしたが、第3部(BOOK3)になるとカルト教団との対決というテーマは後退し、主人公たちの邂逅や父親との和解が描かれて物語は収束。〈コミットメント〉の問題は消化不良のまま終わりました。
    とはいえ、宇野さんは今作には期待していたといいます。過去の春樹作品では、世界と接続する〈回路〉や〈蝶番〉の役割は女性に与えられていたが、それが短編集『女のいない男たち』(2014年)では、より他者性の強い男性に置き換えられていた。そこに新しい主題の萌芽を見ていました。
    しかし、本作『騎士団長殺し』は、従来の春樹的な主人公像を延命するためだけの小説になっていると批判します。行方不明の少女の捜索を老人に依頼された主人公が、幼少期に亡くした妹に似た少女を救うことで自信を取り戻し、別れていた妻との復縁に成功するという筋ですが、そこから主人公の〈成熟〉を読み取ることはできない。〈最初から与えられていたものの回復〉という意味で、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)と同様、熟年世代の「自分探し」の物語にすぎず、作者ほど自己愛の強くない人間はついて行けないといいます。
    さらに、本作において重要なのは、実は主人公と少女や妻の関係ではなく、依頼者の熟年男性・免色渉との関係だったといいます。主人公の分身であり同時に他者でもある同性との交流によって、世界に対する想像力を開く、いわばBL的な主題にこそ作品のポテンシャルがあったのではないかと指摘しました。

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  • 【緊急対談】濱野智史×宇野常寛「〈沼地化した世界〉で沈黙しないために」

    2017-02-24 07:00  
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    元・アイドルプロデューサーにして社会学者の濱野智史さんと宇野常寛が、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス- 』を題材に、ポスト・トゥルースにおける〈沈黙〉の超克について議論します。〈沼地〉と化した世界で、我々は何を語るべきなのか?

    『沈黙』の何が沈黙を破らせたのか
    宇野 このたび濱野智史さんはマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス- 』を観たことをきっかけに、約1年半に及ぶ沈黙を破る決意をしたということで、僕も連絡をもらって非常に驚いたんだけど。なぜそういう考えに至ったのか説明からお願いできますか。
    濱野 確かに『沈黙』は、沈黙を破るきっかけの1つになった作品ですが、同時に沈黙したくなるような作品で………………………。
    『前田敦子はキリストを超えた』という、クリスチャンの方々に喧嘩を売っているような、それでいて中身や心意気だけはガチのキリスト教信者丸出しみたいな本を出しておいて……本当は「超えた」ではなく「≒(ニアリーイコール)」くらいにしたかったのですが……しかしそれでは売れないので、すみません! という謝罪も含めて、諸々懺悔しながら話し始めるしかないんですけれども。
    僕自身はキリスト教徒ではないんですが、文学(テキスト)として、あるいは思想(の原点/原典)としての旧約・新約聖書は、素人なりに読んでいるつもりでいます。そういう立場から『沈黙』を観ると、あまりにも「沼」が深い。
    いきなり大きな話をすると、このご時世、みんな〈沈黙〉したほうがいいわけですよ。Twitterもニコニコ動画も2ちゃんねるも、全てのソーシャルメディアを使うピープルは、スコセッシの『沈黙』を観ていますぐ喋るのをやめろと。言葉の斧を沼に投げ捨てろと。映画では(踏み絵を)「踏め!」という意味で「トランプ(Tramp)」という言葉が出てきますが、まさにTwitterをトランプすることによって、今すぐトランプ(TRUMP)を引きずり下ろさなければならない、という気持ちになったし、なると思うんですよ、いまこのタイミングで観れば。
    もちろん世界的な状況だけでなくて、僕自身も、トランプに比べればはるかに小さな炎上とはいえ、地獄の炎に焼き尽くされて、ボロボロになってアイドルという《宗教》から転んでしまった。自ら作ったアイドルグループが、結局当初掲げた理念を達成できず、地下アイドルという沼に引きずり込まれ、根を張ることができず、僕自身もプロデューサーから棄教し、逃亡したにも関わらず、磔にもされていない………。
    俺は何をしているのか。
    とにかく失語症からのリハビリテーションを始めなくてはいけない。
    だから、Twitterとかに感想をつぶやくのではなく、キチジローのように告解すべきだと考えたんです。
    宇野 つまり『沈黙』は、現在のソーシャルメディア社会とトランプ現象を象徴する話になっていて、そこに触発されたと。
    濱野 はい。では、まずはこの映画のあらすじ的なところから話しを始めましょう。
    『沈黙』はトゥルース(真実)or トランプ(棄教)という映画です。
    まず、イエズス会の若い2人の宣教師が日本にやって来てくる。キリシタン狩りが始まっていて、もう危ないのにも関わらずです。
    なぜならキリスト教こそが普遍的な真理であるという教えを信じているし、だからこそ、その教えを広めにはるばる西方よりやってくる。しかし、最初のうちは隠れキリシタンに匿われて、なんとかやっていくんですが、やっぱりキリシタン狩りに捕まってしまう。
    当然、自分も磔にされるのかと思いきや、むしろ待遇はけっこういい。そのかわりに、目の前で隠れキリシタンたちが水刑、火刑、吊るし刑、ありとあらゆる手段で虐殺されていく。そして、かつて一緒に来た友人の神父もやはり捕まっていて、目の前で殉教していく。
    もうやめてくれ。もう目の前でそんなに虐殺しないでくれ。自分を早く殺してくれ(でもキリスト教徒なので、当然、自殺はできない)。殉教させてくれ……と主人公のロドリゴは懊悩する。
    ……もうこの時点で、実は主人公は「手のひらの内」なんですね。日本の権力者側は分かりきっていて、「農民の信者たちをどんなに殺しても、キリスト教徒は殉教でパライソ(天国)に行けると喜んで死ぬから、根絶やしにできないのだ、と主人公に説明する。そこで我々日本人は考えた。『宣教師を棄教させる』と絶大な効果があるのだ、と。そして主人公に「転べ」(棄教しろ)とじわりじわりと迫るわけです。
    そもそも主人公のロドリゴは、敬愛する師フェレイラが日本で棄教したという噂を聞いて、「俺たちの大尊敬する先輩が、教えを捨てるわけがない!」と立ち上がって、はるばる日本までやって来た。
    だが、紆余曲折の末、結局終盤でフェレイラと会えるわけですが、彼は仏教の研究者になって日本人の名前をもらい、「キリスト教がいかに日本にとってダメな宗教か」という本まで書かされている。当然、2人は論争になる。いや、論争にもならない。ロドリゴは「何か言うことはないのですか?」と静かに問う。それに対してフェレイラの答えは最初から決まっている。俺の後に続け、と。
    あえて、アイドル用語でいえば「流出せよ。他界せよ」というわけです。
    中学3年の『沈黙』論から全ては始まった
    濱野 僕は麻布中学の出身なんですが、実は中学3年の時に、現代文の授業で5人1組で修士論文を書くという課題があって、その時に僕が選んだのが遠藤周作の『沈黙』だったんです。理由は特になくて、なんとなく選んだんですが。
    それで、論文を書くために友達の家に集まったんですが、そいつの家にNEO・GEO(ネオジオ)があって『サムライスピリッツ』とかで遊びまくった。ラスボスの「天草四郎時貞」を倒したりして(笑)。で、最終的に「俺が全部書いておくわ」という話になって、1万字くらいの評論をパッと書いたんです。だから、僕が初めて書いた評論のテーマは『沈黙』なんですよね……。
    しかも、その時たまたまロラン・バルト的な「日本の中心は空虚である」とか、構造主義的な「ゼロ記号こそが中心として機能する」いった、いわゆる否定神学的なコンセプトを知ってしまった。それで僕は、「『沈黙』という作品は、最後に「声が聞こえる」のはおかしいけど、ゼロ記号による否定神学的構造とは理論的には整合性が取れていると思います」というような論文を書いて提出した。そしたら、「引用文献に引っ張られすぎているのでB判定」と返ってきて、「あれ〜? 結構自信作だったのにな〜」と少し悔しかった。
    もうひとつ決定的だったのが、その後高2のとき、これはクラス全員で、夏目漱石の『こころ』について30×30字原稿用紙で900字くらいの小論を書く課題があったんです。これは50人のクラスの中でトップ3に選ばれ、全員の前で読み上げられたのですが、内容は「腹を切った乃木大将はバカだと思うし全く共感できない。しかし、それに感染して手紙を書いて自殺した先生の情熱は確実に何かを残したし、正直嫉妬するレベルだ」と。
    この『沈黙』論と『こころ』論を書いた時点で、『前田敦子はキリストを超えた』を書くのは必然だったのだな、とようやく自らを振り返ることができました…。そして、アイドルプロデューサーになって大失敗し、いよいよ本当に沈黙を破って公的に謝罪しなければ……と思ったタイミングで、なんとも偶然にもスコセッシ監督による『沈黙』が公開された。僕の半生のタイムラインが全てつながった、偶然と必然の重なる瞬間でした。

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  • 私は如何にして執筆するのを止めてアイドルを愛するようになったか――濱野智史が語る『アーキテクチャの生態系』その後 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.377 ☆

    2015-07-30 07:00  
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    私は如何にして執筆するのを止めてアイドルを愛するようになったか――濱野智史が語る『アーキテクチャの生態系』その後
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.30 vol.377
    http://wakusei2nd.com


    2008年に出版され、その後のネットカルチャー分析に多大な影響を与えた情報環境研究者・濱野智史さんの著書『アーキテクチャの生態系』。その名作がこのたび文庫化されたことを記念して、現在はアイドルグループ「PIP」のプロデューサーとして活躍する濱野さんにその問題意識の変遷を聞きました。
    現在のアイドルブームだけでなく、Facebookの日本での流行、そしてISIS問題まで、2015年現在の視点から幅広く語ってもらいました。

    【発売中!】濱野智史『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』ちくま文庫
    mixi、2ちゃんねる、ニコニコ動画、ケータイ小説、初音ミク…。なぜ日本には固有のサービスが生まれてくるのか。他の国にはない不思議なサービスの数々は、どのようにして日本独自の進化を遂げたのか。本書は、日本独自の「情報環境」を分析することで、日本のウェブ社会をすっきりと見渡していく。ウェブから生まれた新世代の社会分析、待望の文庫化。(Amazon内容紹介より)
    ▼プロフィール
    濱野智史〈はまの・さとし〉
    1980年生、情報環境研究者/アイドルプロデューサー。慶應義塾大学大学院政策•メディア研究科修士課程修了後、2005年より国際大学GLOCOM研究員。2006年より株式会社日本技芸リサーチャー。2011年から千葉商科大学商経学部非常勤講師。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)など。2014年より、新生アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手掛ける。
    ◎構成:稲葉ほたて
    ■『アーキテクチャの生態系』その後
    ――今日は『アーキテクチャの生態系』の文庫化にあわせて、この本が出た当時のことや濱野智史さんの現在の考えについてお聞かせいただきたいと思います。まず、この本を久々に読み返してみて、実はもう今のネット文化とはだいぶかけ離れた世界の話を書いているな、と思いました。
    濱野:僕としても、過渡期のことを書いた自覚がある本なんですよ。
    初音ミクも、すごく立派な存在になったものだと思うのですが、もうあの頃のハチャメチャさは失われてしまった。マネタイズを考えるとなると、既存の手法に近づくのは仕方ないですよね。だって、今やミクなんて最も使いづらいIPになっていて、近年のアイドル文化以前のアイドルみたいでしょう(笑)。生身の人間でないだけにコントロールしやすかったということの裏返しなんですが。
    ニコニコ動画にしても、今思えば僕にとっては初期の、ニコニコ生放送を始める前の時期が面白かったんですね。
    その後のドワンゴさんの動きで大きかったのは、確かにニコニコ生放送です。あれにプレミアム会員は優先的に視聴できる権利をつけることで、会員数が一気に伸びて成功した。ただ、その結果として運営がそういう方向に寄ってしまった。もちろん、生放送は生放送で、頭のおかしい配信者ばっかりで神がかって面白かった時期もあったんです。それに、技術的にもストリーミングのほうが伸びしろがあって、何よりもユーザーも面白がったのも事実です。
    だから、こうなったのは必然ではあるのですが、やはりこの本を書いた時点での「ニコニコ動画」の絵は、ニコニコ自身が捨てたということになるとは思います。まあ、完全に捨てたというのは言いすぎなんですけど。
    ――淫夢動画のようなアングラな場所では、匿名のN次創作だって健在ですしね。ただ、表に見せられるカルチャーとしては、実は地下アイドルという文化の勃興と並行するかたちで、歌い手やゲーム実況者みたいなステージ文化が大きく台頭していったというのが、その後のニコニコ動画の歴史であるように思います。
    濱野:YouTuberなんかも、そういう流れの延長線上で「お金になるから」という理由で登場してきた人たちですよね。
    2年くらい前に、月刊カドカワさんのニコニコ動画特集に寄稿したとき、「ドワンゴは早くアイドルを作れ」と書いたんです。その時点で、アイドルにとっての劇場文化の重要性はわかっていたので「ニコファーレをとっととアイドルのための劇場にすればいい」と書いたのですが、結果的にはニコニコ超会議がある種アイドルと会える場所として機能していきましたね。
    ただ、ドワンゴさんは、やはり自分たちでコンテンツを作るのには抵抗があるんでしょう。KADOKAWAと組んだことからも分かるように、コンテンツは属人性を大きくしたほうが強くなるのは理解していると思うんです。でも、そのときに自分たちの趣味のようなものが反映されるのには抵抗があるんだろうな、と。川上さんのようなネット技術畑出身の人は、プラットフォームとしての中立性にこだわっていて、特定のコンテンツに肩入れするのは避ける、どうもそういう感覚がある気がします。在特会のチャンネルが開かれるのを拒まなかったのだって、そういう発想が根底にあるんじゃないかな、と。
    ■ 2007年に起きたオタク文化の変貌
    ―― 一方で読み返してみて驚いたのが、当時は「Webの未来を書いた本」に見えたこの本が、むしろ今読むと、あの時期に表に出てきたゼロ年代前半のネット文化の秀逸な解説本に見えてしまったことです。
    濱野:目次を見れば分かるのですが、この本は過去の話をひたすら書いてる本ですからね。
    実際、ニコニコ動画の盛り上がりにしてもいくつかの歴史的要因がありますからね。2000年代までのオタク文化の積み重ねがあり、ブロードバンドやパソコンの浸透率があり、動画まで含めた一通りのマルチメディアがウェブに揃った時期だったというのがあって……という、その文脈をひと通り解説しようとした結果、「アーキテクチャの生態系」というまとめ方になったのかなと思います。
    ――今となってはニコニコもネット有名人たちの集まりのようになっているし、あの頃に匿名のN次創作があれほど盛り上がっていた文脈も、年々見えづらくなっている気もします。N次創作だって、実はゼロ年代前半のネットの同人文化で流行していたものですよね。別にニコニコ動画で急に生まれたものではないんですよね。
    濱野:はい、もちろんそうですよね。それでいうと、90年代後半から2000年代前半くらいまでのいわゆる「ホームページ」って、同人活動の一環として自分のイラストを公開したりするような場所としても機能していましたよね。実際、2000年代にこの本を書いていた頃、会社で大学生のネット利用実態の調査をすると、ホームページを作る人は腐女子だとかのオタクばかりだったんですよ。アニメのキャラクターのイラストを描いたり、ドリーム小説を書いたり、掲示板を置いてコミュニケーションしたり、という。
    まあ、ブログもない時代の、リア充なライトオタクが出てくる以前の話です。学校でおおっぴらにオタク趣味を言えない人が、ネットで仲間を探したり、作品を公開していて、そういう大学生たちの半年に一回のオフ会としてコミケがあった……そういう時代です。
    ――たぶん、そういう空気の中でゼロ年代前半を通じて、HPや2ちゃんねるで、M.U.G.E.NやBMSやAAやMADなどが盛り上がっていき、ニコニコ動画の登場で最盛期を迎えたというのが、2015年から振り返ったときのN次創作の歴史だと思います。実はあの2007年頃って、そういうマグマのように溜まっていたゼロ年代前半のオタク文化が一気に噴出した時期でもありますよね。
    濱野:そうそう、あの2006年から2007年の頃って、ちょうど「涼宮ハルヒの憂鬱」が大ヒットして、明らかにぱっと見がオタクではない子たちが、「私、オタクなんです」と言い出した時期なんです。ちょうど動画サイトが登場して、アニメをネットで見られるようになり、10代の暇を持て余している層の共通のネタ元としてアニメが機能してはじめたんです。
    そのときに、4,5人でパッと集まって盛り上がれるコンテンツを作るときに、アニメはとても「便利」なものだと発見されたんですね。というのも、「踊ってみた」や「コスプレ」のような、何かのテンプレをもとに真似したりアレンジするためのデータベースが、オタク文化には豊富にあったんです。その構図は現在の「MixChannel」に至るまで変わらないですね。
    ――二次元のオタク文化が市民権を得た背景には、動画サイトの存在があった。まあ、そこでみんなが見ていたのは、違法にアップロードされたものでしょうけど(笑)。
    濱野:しかも、「涼宮ハルヒの憂鬱」って、当時としては作り手も若くて、それまでのアニメとは雰囲気も違っていたんです。なにしろ、当時の我々は「えっ、萌え要素って極限すれば3つでいいんだ」と驚きましたからね(笑)。別に10人とか20人なんて要らない、意外とツンデレとドジっ子とクールキャラくらいでイケる。これが衝撃だった。そういう話も含めて、新しい空気をまとっていたアニメでした。
    実際、2007年に高校生を調査したときには、すでに「私たち、学校に"SOS団"を作ってるんです」みたいなことを言う子たちがかなりいました(笑)。ニコニコ動画でも「踊ってみた」をいろんな大学のサークルがやってましたよね。
    ――こういうゼロ年代前半の深夜アニメブームやネット文化の文脈を押さえた上で、硬派なネット論を語れる人材として、濱野さんが必要とされた瞬間だったのかなと思いました。
    濱野:当時は世界的にフラッシュモブが話題になっていた時期でもあって、みんなで簡単に参加して同期する娯楽がネット文化全体としても流行っていました。そういう文脈を踏まえて書かれた本でもありますね。
    ■ アイドルへの興味に連続性はあったのか?
    ――それにしても、ここまでゴリゴリとアーキテクチャだけで議論を進めていく硬派な本は、このあと出てこなかったですね。最近になると、もうプラットフォームの運営者が表に出てくるので、そうなると中の人の「運営思想」を直接聞いていく発想の方が強いですよね。Facebookやニコニコ動画も、今だったらザッカーバーグや川上さんなんかの発言から分析しようと思うのが普通でしょうし。
    濱野: まあ、そりゃ創業者にインタビューした方が話も早いですよね(笑)。Facebookの本にしたって、結局はザッカーバーグに取材したものになる。でも、僕はそういうのには関心がないんです。だって、「運営」の本って、結局は「その人がそう思いました」という話にしかならないでしょう。日本人が好む歴史って、戦国時代にしても幕末にしても、人物伝ばかり。でも、そういう属人的な話には興味がないんですよ。
    ――でも、その後に濱野さんが興味を向けたグループアイドルって、まさに仕組みをいかに運用していくかという「運営」の力が勝負を決める場所ですよね。
    濱野:確かに。アイドルって要は人間そのものがコンテンツですから、「運営」すらも消費対象として重要になる。
    AKBもそう。AKBがここまで大きくなったのは、巨大化してもいまだに「運営≒秋元康」が2ちゃんねるを見ていることだと思うんですよね。運営は2ちゃんねるが燃えると分かって燃料を投下して、2ちゃんねるのユーザーも「秋元の野郎」と返していく。いわゆる理想の民主主義の形というか、市民が討議しあって世論が熟して、政治家が選ばれて……というハーバーマスが理想とするような「公共圏」的な結託ではなくて、そこでは運営とオタクがともに文脈をズラしてツッコミ続ける「ネタ的コミュニケーション・システム」としての結託と連鎖が、今でも行われているんですよ。そこは、運営が2ちゃんねるを一切見ないふりをしたと言われているハロプロとの大きな違いですね。あっちは、DVD化の際にオタのコールを全てカットして販売したりしてたそうですから。
    ――その辺のテクニックって、やはり秋元康さんなんでしょうか?
    濱野:秋元さんが「2ちゃんねるまとめ」をプリントしたものを会議なんかで見ていた、という話は聞きますね。少なくともオタは運営もメンバーも見ていると思うからこそ、「イエーイ見てるー?」状態になってモチベ高く2ちゃんねるとかに書き込みをするわけで、非常に独特の空間になっている。
    そもそも秋元さんはラジオの放送作家上がりの人で、ハガキ職人的な世界観をよく知っているわけですよね。ああいうハガキ職人の文化は、匿名性がとても強くて、そのコミュニケーションもディスクジョッキーと真正面から語るよりは、延々とハシゴ外しを繰り返して、ズラし続ける感じ。
    ――つまり、深夜ラジオみたいな場所は、視聴者と番組の運営スタッフの距離が非常に近い"プレ・インターネット"になっていて、そこで秋元さんはネット的な感受性を鍛えられていた……という感じですか。
    濱野:そうですね。『前田敦子はキリストを超えた』(編注:2012年に出版された濱野さんの著書/ちくま新書)では、そうした運営論というか、秋元康論は一切書かなかったですけど、実はAKBが成功した理由への僕なりの回答は、そこにあるんですよね。それどころか、秋元康という人は、ずっとそれだけをやってきた人なんじゃないか、と。AKBは、彼が80年代からやってきたことが、2ちゃんねるやTwitterが大きな力を持ってしまう時代に、突然マッチしてしまっただけなんです。
    ただ、大きくなっても運営がそういうコミュニケーションを恐れなかったのは、本当に凄いですけどね。実はこういう文化を作ったのはハロプロだったのだけど、さっきも言ったように彼らは受け手の意見は聞かないふりをした。まあ、2ちゃんねるの話なんてまともに聞くわけないですから、別にそれって悪いことでもなんでもないですよ(笑)。それに対して、逆にAKBは運営が明らかに「聞いてまーす!」という態度で、悪ノリ的にユーザーと結託しようとした。そこが凄かった。
    ――この『アーキテクチャの生態系』が登場した当時、クリエイティビティが宿っているのは、ユーザーなのかアーキテクチャなのか、みたいな議論がありましたが、それに対して、いまこの場で濱野さんがおっしゃっているのは、両者をコーディネートする媒介としての「運営」が肝になってくるという話にも聞こえますが……。
    濱野:それはそうなのですが……やっぱり、僕がそういう話をやりたくはないんですよ、うん。
    ――でも、そうなるとウェブサービスに対して「運営」から分析していく流れにも、必ずしも話がわかりやすいからだけでない、理論的な根拠があると言えませんか。
    濱野:確かにそうなんですけどね……。でもその一方で、「これじゃあ、秋元さんが死んだら終わりじゃん」とも思ってしまうんですね。それは日本文化のある種の弱さというか弱点でもあって、要するに一代限りのワンマン社長で文化が終わっていくのではダメだと思うんです。そこはアーキテクチャに落としこむ必要があると思うんです。普遍化したい、という欲求が社会学者としてある、というのかな。
    ――いや、この話を掘り下げたいのは、濱野さんのその後の活動とこの本の連続性を聞いてみたいからなんです。それこそニコニコ動画なんてその後、実況者や歌い手の疑似恋愛と結びついた文化が大きく台頭して、社員たちが「もうイベント会社だよね」と自嘲するくらいにイベントドリブンのサービスになってしまい、さらに当時は裏に隠れていた川上さんがニコニコの運営論を自ら話すようになったわけですよ。今思えば、これってアイドルブームと並行する動向です。その後の濱野さんはインターネット論から一見して離れたように見えて、理論の水準ではやはりこういう日本的インターネットの最先端の動向と並走していたと思うんです。
    濱野:なるほど! まあ、そういう意味では、僕はグループアイドルにしか興味がないというのはありますね。グループアイドルって、要はメンバー一人ひとりにピンで立っていけるほどの実力はないんです。でも、そういう娘たちを集めると、メンバー同士やファン同士や運営との関係性で、驚くほど多くの物語が勝手に生まれていく。そのダイナミズムが面白い。
    そしてこのグループアイドルで重要になるのが、仕組みなんです。アイドルって、別に歌も踊りも重要じゃないから、とにかく「人」の”配置”と”構成”が全てであるとしか言いようがない。ポジションとか、曲順とか、そういうのですね。PIPなんて最初のうちはカバーしかやってないから、曲すら重要じゃない。ただ、誰がどういう順番でどこで何を歌うか。それだけをひたすら設計し、設定する。、何人グループにするか、誰をどういう仕組みで選抜するか、みたいな配置と構成の設計が、全体の動向を大きく左右するんです。それは、僕があの本で書いた意味での「アーキテクチャ」とは厳密には違いますが、やはりプログラミングに近い何かがあるのは事実です。
    実際、僕のPIPでの主な仕事なんて、ライブの曲順を決めながら「いや、この順番では着替えが発生するな」と順番をいじり続けることだとかで、ほとんどソートというか順序づけをしているだけです。ところが、本当にそれだけのことから、もうおよそ人間世界にある様々な情動が勝手に生成されてきて、あらゆるものをドドドドドと巻き込んでいくんです。これ、なかなか体験していない人には伝わらないかもしれないんですけどね。
    ――そう聞くと、『アーキテクチャの生態系』の問題意識からアイドルに向かう連続性は見えてきますね。
    濱野:以前、学生時代にネトゲ廃人だった友人にアイドルの説明をしたら、完全にネトゲの用語で意思疎通ができたことがあるんですよ。
    例えば、AKBの人気が持続している理由として、「NMBとかSKEとかどんどん作っていって、新規が入りやすいようにしてるんだよ」と言ったら、「ああ、なるほど、新鯖を作るってことか!」と言われて、「そうそう!」みたいな(笑)。
    ――グループアイドルの運営とネトゲの運営はそっくり(笑)。
    濱野:そっくりどころか、実はほとんどネトゲの運営手法と同じなんですよ。運営がやたらと2ちゃんねるの板に張り付いて、どんな悪口を書かれているか確認して対処するとか、そういう話まで含めて(笑)。

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  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第7位】ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-28 11:10  
    220pt

    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第7位】ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.28 号外
    http://wakusei2nd.com



    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第7位は、國分功一郎さん・濱野智史さんの対談企画「常磐線から考える」です!(2014年9月16日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    この記事の取材のとき、僕はテレビの収録で同行できなかったんだけれど、合間に國分さんや濱野のツイッターを眺めていたらとても楽しそうで、すごく嫉妬した記憶があるんですね。
    東京の西側とはまた違う文脈で形成されてきた、「東側」のベッドタウンとしての常磐線エリアには、戦後の中流文化とはまた違った意味での豊かさと貧しさが同居しているはず。前者を伸ばして後者に立ち向かうことが、これからの社会を考える上で大事なことになってくる。2020年の東京オリンピックを前にして、日本人の意識は、被災地を中心にした「衰退する地方」と、ますます人もお金も集中する都市部へと引き裂かれていっている。そのどちらを考えるときにも、「中間的な存在」である常磐線エリアの街について考えることが大きな手がかりになるのではないかということを、この原稿を読んでずっと考えていたりします。



    Twitter上での熱いやりとりをきっかけに、7月のとある休日を使って行なわれたこの対談企画。濱野さんの生まれ故郷である新松戸を出発点に、途中PLANETSのエグゼクティブ・サポーターである「モウリス」の助力と提案で、つくばエクスプレスの駅周辺にあるショッピングモールを訪問し、最後に國分さんの故郷である柏を巡りました。
    二人の思想家の「ジモト」を巡りながら見えてきた、「新しい郊外論」のためのマスタープラン(基本計画)とは――? 本日の「ほぼ惑」では、ダイジェスト版のレポートをお届けします。対談の全容は、何らかのかたちで全文公開を予定しています。今回の「ほぼ惑」ではその「新しい郊外論」のイントロダクションをお見せします!
     
    ▼プロフィール
    國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
    1974年生まれ。柏出身の哲学者。高崎経済大学経済学部准教授。専門は17世紀のヨーロッパ哲学、現代フランス哲学。また、哲学、倫理学を道具に「現代社会をどう生きるか」を「楽しく真剣に」思考する。著書に『暇と退屈の倫理学』(朝日出版)、PLANETSメルマガでの人気コーナーを書籍化した『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)、自らが積極的に関わった小平市の住民運動について書かれた『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)などがある。今回の「柏論」は國分さんたっての希望で実現することになった。
     
    濱野智史(はまの・さとし)
    1980年生まれ。新松戸出身の情報環境研究者/アイドルプロデューサー。慶應義塾大学大学院政策•メディア研究科修士課程修了後、2005年より国際大学GLOCOM研究員。2006年より株式会社日本技芸リサーチャー。2011年から千葉商科大学商経学部非常勤講師。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)など。2014年より、新生アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手掛ける。
     
    ◎構成:立石浩史、中野慧
     
     
    ■新松戸〜流山を歩く
     
    7月12日、午後過ぎ。前日までの台風の影響が心配されましたが、この日は予想を覆す快晴となりました。暑すぎるくらいの天気の中、JR常磐線の新松戸駅前に集合。
     

    ▲駅の東側は住宅や畑が広がり、のんびりとした雰囲気です。
     

    ▲新松戸駅前にて。この日、國分さんはツイキャスで実況しながらの収録でした。
     
    國分さん、濱野さん、P編集部2人の4人でまずは濱野さんの生まれ故郷である新松戸を歩きます。國分さん曰く『暇と退屈の倫理学』の延長線上の仕事であるとのこと。
     
     
    ■今一度、郊外論を問いなおす
     
    國分 この20年くらい「郊外」が注目を浴び続けていますよね。僕は柏生まれ柏育ちなんですけど、柏はこの郊外というものの純粋形態ではないかと思っているんです。今日はその直観を、実際に濱野さんと街を歩きながら検証してみたい。
     論壇では2000年代半ばから「ファスト風土」という言い回しが流行しました。けれども僕は、「今さら何を言っているんだ」という気持ちでした。「遅いよ」と。僕は自分が幼い頃から「ファスト風土」で生活してきて、そのことについてとても苦しいという感覚があった。ですから、その感覚に気づいてそれを理解しようとするひとがこれまでいなかったことに端的に驚いたのです。論壇なるものはなんと鈍感なのかと思った。
     僕が感じていた苦しさというのは、幼い時の感覚であることもあってなかなか描写しづらいんですけれど、歴史の欠如と関係しているように思います。歴史の無い土地、荒野に、家だけが建てられて人が住んでいるというイメージですね。
     都内に通勤しているサラリーマンの家庭であれば、親と子どもは週末以外顔を合わせない。土地にある歴史やコミュニティと人間が切り離されて、アトム化されて生きている場所――今からあの時の感覚を言葉にしてみるとそのように言えるかと思います。
     90年代より積極的に郊外に言及されている論客に宮台真司さんがいらっしゃいます。以前、宮台さんとお話ししたときに出身地を聞かれたんです、「國分さんは小平の出身なんですか?」って。「いえいえ、今住んでいる小平ではなく、柏ですよ」と答えたら、「あんまりいいイメージがないな」とおっしゃっていた。その時、なんとなく「なるほど」って感覚があったんです。現代の新しい空虚を生きる若者についてずっと考えてこられた宮台さんが「なんとかしなければならない」と思われている街の典型が柏なのかも知れない、と。
    濱野 テレクラが駅前にあって、援交が盛んで……というイメージですね。しかし、何故かはわからないですけど(笑)、國分さんが郊外出身というイメージがなかったんですよ。PLANETSの人生相談連載を読んでいると、失礼ですが地方の強固なコミュニティがあるところで育った方なのではないかと思っていました。だから柏出身と聞いたとき意外だったんですよ。
    國分 そうなんだね。僕がそのような印象を与えるのはなぜだかよく分からないけど、『暇倫』で扱った問題、たとえば、消費社会の問題とか、何をしていいか分からないアイデンティティの不安の問題については、自分が柏のようなところで生まれ育ったからこそ敏感でいられたんじゃないかと思っているんだ。
     街とそこに住む人とのアイデンティティについて考えたいというのが今回の課題です。その時に重要なのは、もともと荒野だったところに家を建てたようなイメージで捉えられる郊外にも、当然ながら歴史があるってこと。つまり「郊外」というレッテル貼りによって、町の歴史の地層を見えにくくしていることがある。これをはじめに言っておきたい。
     そういう「見えにくくなっている歴史」の話を出すと、どうしても「ふるさとのよさを再発見する」的なノスタルジックなものになってしまいがちなんだけど、そうじゃない方法で街の歴史にアクセスできないか。それが僕自身の課題なんですね。
     もう僕は柏には住んでいないけれど、そのアクセス方法についての考えを作って、自分の気持ちに対する決着をつけたい。要するに……僕は柏があまり好きじゃないんです。生まれ故郷だから愛着はあるんだけど、同時に強い違和感も持っている。そんなことを考えているときに濱野さんがお隣の新松戸出身であり、かつニュータウンの問題を真剣に考えていることを知りました。それで今回の企画にお誘いしたんですよ。
    濱野 この企画に誘ってもらったきっかけは僕が藻谷浩介さんの『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)のブックレビューをネット上に書いたことですよね。僕も以前は國分さんと同じように、生まれ育ったニュータウンを空虚な場所だと思ってきました。新松戸で生まれ、小学校高学年からは千葉ニュータウンと「郊外から郊外」へと移り住みました。
     当時は生き辛いとまでは思っていませんでしたが、確かにこの場所で生きている人間はアトム化されるしかないというか、國分さんがおっしゃるように自分の住んでいる町には歴史もなければコミュニティもないと思っていました。松戸と柏という町は兄弟という感じがしていて、國分さんとは同じバックグラウンドだと思います。
     
     
    ■かつて疎外的だった郊外は、意外といい町になっている!?
     
    國分 柏と松戸は、地理的にも千葉県の北部で隣接しているし、東京に通勤する人が多いという点でも似ている。でも、濱野さんと新松戸を歩きながら違いも見えてきたね。たとえば道路の作り方が全然違う。新松戸の豊かな街路樹のある道には落ち着きを感じる。こういう道は柏にはあまりないと思います。
     当然だけど、柏より松戸の方が東京に近いので開発が早い。駅前に関して言うと、松戸はうまく開発できなかった。柏はゆっくり開発できたからダブルデッキなどを作れて割とうまくいった。けれども道路に関して言うと、落ち着いた街路樹のある松戸の道路のようなものはうまく作れていない。松戸には、全国的に有名な桜の通りもありますよね。
     

    ▲新松戸の「けやき通り」の入り口。
     
    ▲並木道が整備されています。
     
    濱野 僕が子どもの頃の80年代〜90年代にかけては、あんなに木が立派では無かったと記憶しています。20年かけて木が育ったのではないでしょうか? 『しなやかな日本列島のつくりかた』の書評にも書いたのですが、欧米などでは、街路樹が育ち景観がよくなり町が成熟すると、地価が下がらないらしいんですね。詳細を調べてみる必要はありますけれども。今日訪れた新松戸なんかは地価は下がっているでしょうけど、街路樹が育って、いい雰囲気の街になっていますよね。
    國分 僕はこの景観を見て、なんとも言えない町の成熟を感じました。新松戸は予想以上にいいところでビックリ。
    濱野 もう少しサバサバした「郊外」というイメージだったんですが、僕もいい意味で予想を裏切られました。
    國分 新松戸を歩いてみて一番面白かったのは濱野さんの新松戸のイメージが変わったということだな(笑)。
    濱野 「郊外」と言うとどうしても「疎外されている」という感覚を生みやすい。僕もこれまでの論客のように「疎外されたものへのひねくれた愛着」みたいなものを持っています(笑)。今日は「相変わらずサバサバしてんな〜」とか言って懐かしむのかと思いきや、ほぼ20年ぶりに訪れてみると町が成熟していて驚きでした。「新松戸は意外にいい町じゃん! 俺、ずっとここ住んでりゃよかったじゃん!」と逆に「疎外」されましたね(笑)。
     町のビルがほとんど増えていないのも面白いと思いますね。新松戸って、開発時に家もマンションも区画を余らせずに作っちゃったので、今は街の流動性が下がっているんじゃないでしょうか。駅前の風景もあまり変わっていない。逆に言うとこれから再開発してもいいぐらいの、ある種穏やかすぎるぐらいの景観だと思います。
     

    ▲新松戸駅前の風景。奥には流鉄流山線の幸谷駅付近の踏切。赤いビルはかなり古そう。
     
     
    ■鉄道が変える町の歴史駅周辺をしばらく歩いてから、2人は常磐線と並行して走る「流鉄流山線」(単線鉄道)にもぶらりと乗車しました。流山線の幸谷駅は、常磐線の新松戸駅に隣接しています。
    ▲流鉄流山線の車両。
     

    ▲流山線の路線図。幸谷駅とJR常磐線の新松戸駅はすぐそば。國分 さきほど流山線に乗りましたが、二人とも乗るのは初めてだったね。新松戸から北部の方に行って戻って来ましたけど、途中の風景は、農村風景→ニュータウン→農村風景→ニュータウンのようになっているんですね。つまり流山は、新しいマンションやキレイな家が最近どんどん建設されている一方で、昔は柏や松戸よりも栄えていた土地なので、古い大きな農家なんかも残っている。それが交互に現れる。
     それにしても、新松戸(幸谷駅)からちょっと電車に乗っただけで、大きな農家があるような場所に行けるというのは、大きな発見だったね。
    濱野 この辺りは流山電鉄のロジックで町が作られていないんですね。普通は電車が通ると、町が付帯されてできあがるんですが、全くそういう感じではない。
    國分 100年前に敷かれた電車だからね。それにしても歴史的に見ればこの辺りの町は栄枯盛衰がすごいよね。
     流山は明治のはじめあたりはとても栄えた街だった。少し離れてるけど鰭ヶ崎(ひれがさき)なんかもそうですね。でも、常磐線の建設計画が出てきた時、流山や鰭ヶ崎はそれに反対したんですね。蒸気機関車からはき出される火の粉で火災が発生するのを恐れてのことだったらしいです。当時はかやぶき屋根だからそういう気持ちがでるのも当然かもしれない。
     でも、柏はそれを受け入れたんですね。僕は松戸の方はよく知らないんだけど、実際、常磐線は松戸や柏の地域を通っている。その後、常磐線の沿線は発展を続けるわけだけれど、鉄道を拒んだ地域は発展から取り残されてしまった。
     ところが最近は逆に、つくばエクスプレスが通ったことによって流山が活気づいている。マンションもバンバン建って、盛り上がっているね。つまり流山というのは明治以来、鉄道の敷設に関連する形で町が変動してきた。
     

    ▲流鉄流山線の車窓からの風景。新興の住宅も目立ちます。
     

    ▲流鉄流山駅にて。駅の改札では駅員が切符を切っており、ICカード式の改札はおろか、磁気乗車券の自動改札機も導入されていませんでした!ちなみに駅奥の森林は駅員さん曰く空き地とのこと。ほんの近くに流山市役所がある「旧」市街地です。
     
     
    ■郊外は使い捨て?
     
    濱野 僕の郊外のイメージは「使い捨て」なんですよ。僕は家族で、手狭だった新松戸のマンションから千葉ニュータウンの一軒家に90年ごろに引っ越したんですけど、引っ越したときは空き地だらけで、コンビニもろくにありませんでした。「この町は明らかに失敗だ。マイホームなんていらねえよ!」と思ったんですよね。僕は千葉ニュータウンの都市計画は失敗していると思いますが、その理由は、当時人口が20万人ほどに増えていないといけないのに全然達しておらず、そこに電車を引いてしまたったことにあると思っています。
     僕はその後中学受験して都内の学校に2時間かけて通っていたから、青春時代は千葉ニュータウンにほとんどいませんでした。だから何の思い入れもないんですよ。大人になってからも4回しか帰省していない。なぜなら帰りたくないから。何もないし、遠いし、親もうるさいから(笑)。
    國分 少年時代の濱野さんはそういう思いだったんだ。俺も「何かおかしい」って感覚があったな。人間のそういう感覚は大事なんだと思う。でも、やはり新松戸の街路樹は象徴的だよ。「町というものがこうやって育っていくんだ」といういい感じがした。
    濱野 樹って、植えてみるもんなんですね。他にも、駅から歩いて数分のところに流通経済大のビルができたりしていましたね。大学ができることで町はまた成熟するものだと思います。反面、新松戸は子どもの数が劇的に減っている印象を受けました。象徴的だったのが、住んでいたマンションの近くに妹が生まれた産婦人科があったのですが、その医院が看板を取り外していたことです。
     つまり、産婦人科の病院がマンションの側からひとつ無くなることが意味していることですよね。これまたマンションのすぐ近くの「新松戸中央公園」で遊ぶ子どもの数が、土曜の昼下がりという時間帯にも関わらず、昔と比べて少なかったことも印象的でした。
     

    ▲流通経済大学・新松戸キャンパス。
     

    ▲左手前の屋上のある白い建物が濱野さんの妹さんが生まれた元・産婦人科の病院。濱野さんが住んでいたマンションの10階から望む風景です。
     

    ▲新松戸中央公園。広大な運動場ではスポーツチームの子供たちがクラブ活動のスポーツに興じていました。でも、子どもの数はまばら。
     
     
    ■幼少期のアーキテクチャが情報環境研究者・濱野智史を生成した濱野 今日10何年ぶりに新松戸に来てみて、郊外は意外と残っているものだなと感じました。逆に千葉ニュータウンのような町が今後どうなっていくのかにも興味があります。アメリカ風の車社会に最適化していくのだと思いますけど。 それにしても人間というものは環境ひとつでこんなにもどうにもこうにもなってしまうものなのかと。僕はもともとアーキテクチャが人に与える影響を社会学的に研究してきたわけですけれども、そういうことを研究するようになったのには、自分の出自や生育環境が多いに関係していると思います。僕は新松戸ではマンションの10階に住んでいて、4、5歳までエレベーターの10階のボタンを押せなかったんですね。だから家から下の階へは行けずに、上の階に住んでいた一つ年上のお兄さんの家に遊びに行ってファミコンをして、「ゲームすげえ!」と衝撃を受けたりしていました。「ブランコよりこっちだ!」みたいな感じで(笑)。
     そこでの生活環境がこうして今の研究につながっていたりするわけです。単に10階に住んでいただけなんですけどね。環境が僕の幼少期の行動を決め、ゲームの環境が人をハマらせ……とか、先ほどの「郊外で生まれ育つと人間が疎外されていく」という話も、環境があっさり人間を作ってしまう典型例だと思います。
    國分 街を考える上では、当然のことながらアーキテクチャの視点が重要になってくるということだよね。 
  • ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.159 ☆

    2014-09-16 07:00  
    220pt

    ありきたりの「ファスト風土」論にはもう飽きた!「新しい郊外論」のためのマスタープラン――國分功一郎×濱野智史『常磐線から考える』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.9.16 vol.159
    http://wakusei2nd.com


    Twitter上での会話をきっかけに、「人生」を考える哲学者・國分功一郎×「情報環境」を考える研究者・濱野智史という、千葉出身の二人の思想家の「ジモト」を巡る企画がほぼ惑で実現。そのダイジェストをお届けします! 
    Twitter上での熱いやりとりをきっかけに、7月のとある休日を使って行なわれたこの対談企画。濱野さんの生まれ故郷である新松戸を出発点に、途中PLANETSのエグゼクティブ・サポーターである「モウリス」の助力と提案で、つくばエクスプレスの駅周辺にあるショッピングモールを訪問し、最後に國分さんの故郷である柏を巡りました。
    二人の思想家の「ジモト」を巡りながら見えてきた、「新しい郊外論」のためのマスタープラン(基本計画)とは――? 本日の「ほぼ惑」では、ダイジェスト版のレポートをお届けします。対談の全容は、何らかのかたちで全文公開を予定しています。今回の「ほぼ惑」ではその「新しい郊外論」のイントロダクションをお見せします!
     
    ▼プロフィール
    國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
    1974年生まれ。柏出身の哲学者。高崎経済大学経済学部准教授。専門は17世紀のヨーロッパ哲学、現代フランス哲学。また、哲学、倫理学を道具に「現代社会をどう生きるか」を「楽しく真剣に」思考する。著書に『暇と退屈の倫理学』(朝日出版)、PLANETSメルマガでの人気コーナーを書籍化した『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)、自らが積極的に関わった小平市の住民運動について書かれた『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)などがある。今回の「柏論」は國分さんたっての希望で実現することになった。
     
    濱野智史(はまの・さとし)
    1980年生まれ。新松戸出身の情報環境研究者/アイドルプロデューサー。慶應義塾大学大学院政策•メディア研究科修士課程修了後、2005年より国際大学GLOCOM研究員。2006年より株式会社日本技芸リサーチャー。2011年から千葉商科大学商経学部非常勤講師。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)、『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)など。2014年より、新生アイドルグループ「PIP」のプロデュースを手掛ける。
     
    ◎構成:立石浩史、中野慧
     
     
    ■新松戸〜流山を歩く
     
    7月12日、午後過ぎ。前日までの台風の影響が心配されましたが、この日は予想を覆す快晴となりました。暑すぎるくらいの天気の中、JR常磐線の新松戸駅前に集合。
     

    ▲駅の東側は住宅や畑が広がり、のんびりとした雰囲気です。
     

    ▲新松戸駅前にて。この日、國分さんはツイキャスで実況しながらの収録でした。
     
    國分さん、濱野さん、P編集部2人の4人でまずは濱野さんの生まれ故郷である新松戸を歩きます。國分さん曰く『暇と退屈の倫理学』の延長線上の仕事であるとのこと。
     
     
    ■今一度、郊外論を問いなおす
     
    國分 この20年くらい「郊外」が注目を浴び続けていますよね。僕は柏生まれ柏育ちなんですけど、柏はこの郊外というものの純粋形態ではないかと思っているんです。今日はその直観を、実際に濱野さんと街を歩きながら検証してみたい。
     論壇では2000年代半ばから「ファスト風土」という言い回しが流行しました。けれども僕は、「今さら何を言っているんだ」という気持ちでした。「遅いよ」と。僕は自分が幼い頃から「ファスト風土」で生活してきて、そのことについてとても苦しいという感覚があった。ですから、その感覚に気づいてそれを理解しようとするひとがこれまでいなかったことに端的に驚いたのです。論壇なるものはなんと鈍感なのかと思った。
     僕が感じていた苦しさというのは、幼い時の感覚であることもあってなかなか描写しづらいんですけれど、歴史の欠如と関係しているように思います。歴史の無い土地、荒野に、家だけが建てられて人が住んでいるというイメージですね。
     都内に通勤しているサラリーマンの家庭であれば、親と子どもは週末以外顔を合わせない。土地にある歴史やコミュニティと人間が切り離されて、アトム化されて生きている場所――今からあの時の感覚を言葉にしてみるとそのように言えるかと思います。
     90年代より積極的に郊外に言及されている論客に宮台真司さんがいらっしゃいます。以前、宮台さんとお話ししたときに出身地を聞かれたんです、「國分さんは小平の出身なんですか?」って。「いえいえ、今住んでいる小平ではなく、柏ですよ」と答えたら、「あんまりいいイメージがないな」とおっしゃっていた。その時、なんとなく「なるほど」って感覚があったんです。現代の新しい空虚を生きる若者についてずっと考えてこられた宮台さんが「なんとかしなければならない」と思われている街の典型が柏なのかも知れない、と。
    濱野 テレクラが駅前にあって、援交が盛んで……というイメージですね。しかし、何故かはわからないですけど(笑)、國分さんが郊外出身というイメージがなかったんですよ。PLANETSの人生相談連載を読んでいると、失礼ですが地方の強固なコミュニティがあるところで育った方なのではないかと思っていました。だから柏出身と聞いたとき意外だったんですよ。
    國分 そうなんだね。僕がそのような印象を与えるのはなぜだかよく分からないけど、『暇倫』で扱った問題、たとえば、消費社会の問題とか、何をしていいか分からないアイデンティティの不安の問題については、自分が柏のようなところで生まれ育ったからこそ敏感でいられたんじゃないかと思っているんだ。
     街とそこに住む人とのアイデンティティについて考えたいというのが今回の課題です。その時に重要なのは、もともと荒野だったところに家を建てたようなイメージで捉えられる郊外にも、当然ながら歴史があるってこと。つまり「郊外」というレッテル貼りによって、町の歴史の地層を見えにくくしていることがある。これをはじめに言っておきたい。
     そういう「見えにくくなっている歴史」の話を出すと、どうしても「ふるさとのよさを再発見する」的なノスタルジックなものになってしまいがちなんだけど、そうじゃない方法で街の歴史にアクセスできないか。それが僕自身の課題なんですね。
     もう僕は柏には住んでいないけれど、そのアクセス方法についての考えを作って、自分の気持ちに対する決着をつけたい。要するに……僕は柏があまり好きじゃないんです。生まれ故郷だから愛着はあるんだけど、同時に強い違和感も持っている。そんなことを考えているときに濱野さんがお隣の新松戸出身であり、かつニュータウンの問題を真剣に考えていることを知りました。それで今回の企画にお誘いしたんですよ。
    濱野 この企画に誘ってもらったきっかけは僕が藻谷浩介さんの『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)のブックレビューをネット上に書いたことですよね。僕も以前は國分さんと同じように、生まれ育ったニュータウンを空虚な場所だと思ってきました。新松戸で生まれ、小学校高学年からは千葉ニュータウンと「郊外から郊外」へと移り住みました。
     当時は生き辛いとまでは思っていませんでしたが、確かにこの場所で生きている人間はアトム化されるしかないというか、國分さんがおっしゃるように自分の住んでいる町には歴史もなければコミュニティもないと思っていました。松戸と柏という町は兄弟という感じがしていて、國分さんとは同じバックグラウンドだと思います。
     
     
    ■かつて疎外的だった郊外は、意外といい町になっている!?國分 柏と松戸は、地理的にも千葉県の北部で隣接しているし、東京に通勤する人が多いという点でも似ている。でも、濱野さんと新松戸を歩きながら違いも見えてきたね。たとえば道路の作り方が全然違う。新松戸の豊かな街路樹のある道には落ち着きを感じる。こういう道は柏にはあまりないと思います。
     当然だけど、柏より松戸の方が東京に近いので開発が早い。駅前に関して言うと、松戸はうまく開発できなかった。柏はゆっくり開発できたからダブルデッキなどを作れて割とうまくいった。けれども道路に関して言うと、落ち着いた街路樹のある松戸の道路のようなものはうまく作れていない。松戸には、全国的に有名な桜の通りもありますよね。
     

    ▲新松戸の「けやき通り」の入り口。
     

    ▲並木道が整備されています。
     
    濱野 僕が子どもの頃の80年代〜90年代にかけては、あんなに木が立派では無かったと記憶しています。20年かけて木が育ったのではないでしょうか? 『しなやかな日本列島のつくりかた』の書評にも書いたのですが、欧米などでは、街路樹が育ち景観がよくなり町が成熟すると、地価が下がらないらしいんですね。詳細を調べてみる必要はありますけれども。今日訪れた新松戸なんかは地価は下がっているでしょうけど、街路樹が育って、いい雰囲気の街になっていますよね。
    國分 僕はこの景観を見て、なんとも言えない町の成熟を感じました。新松戸は予想以上にいいところでビックリ。
    濱野 もう少しサバサバした「郊外」というイメージだったんですが、僕もいい意味で予想を裏切られました。
    國分 新松戸を歩いてみて一番面白かったのは濱野さんの新松戸のイメージが変わったということだな(笑)。
    濱野 「郊外」と言うとどうしても「疎外されている」という感覚を生みやすい。僕もこれまでの論客のように「疎外されたものへのひねくれた愛着」みたいなものを持っています(笑)。今日は「相変わらずサバサバしてんな〜」とか言って懐かしむのかと思いきや、ほぼ20年ぶりに訪れてみると町が成熟していて驚きでした。「新松戸は意外にいい町じゃん! 俺、ずっとここ住んでりゃよかったじゃん!」と逆に「疎外」されましたね(笑)。
     町のビルがほとんど増えていないのも面白いと思いますね。新松戸って、開発時に家もマンションも区画を余らせずに作っちゃったので、今は街の流動性が下がっているんじゃないでしょうか。駅前の風景もあまり変わっていない。逆に言うとこれから再開発してもいいぐらいの、ある種穏やかすぎるぐらいの景観だと思います。
     

    ▲新松戸駅前の風景。奥には流鉄流山線の幸谷駅付近の踏切。赤いビルはかなり古そう。
     
     
    ■鉄道が変える町の歴史
     
     駅周辺をしばらく歩いてから、2人は常磐線と並行して走る「流鉄流山線」(単線鉄道)にもぶらりと乗車しました。流山線の幸谷駅は、常磐線の新松戸駅に隣接しています。
     

    ▲流鉄流山線の車両。
     

    ▲流山線の路線図。幸谷駅とJR常磐線の新松戸駅はすぐそば。國分 さきほど流山線に乗りましたが、二人とも乗るのは初めてだったね。新松戸から北部の方に行って戻って来ましたけど、途中の風景は、農村風景→ニュータウン→農村風景→ニュータウンのようになっているんですね。つまり流山は、新しいマンションやキレイな家が最近どんどん建設されている一方で、昔は柏や松戸よりも栄えていた土地なので、古い大きな農家なんかも残っている。それが交互に現れる。
     それにしても、新松戸(幸谷駅)からちょっと電車に乗っただけで、大きな農家があるような場所に行けるというのは、大きな発見だったね。
    濱野 この辺りは流山電鉄のロジックで町が作られていないんですね。普通は電車が通ると、町が付帯されてできあがるんですが、全くそういう感じではない。
    國分 100年前に敷かれた電車だからね。それにしても歴史的に見ればこの辺りの町は栄枯盛衰がすごいよね。
     流山は明治のはじめあたりはとても栄えた街だった。少し離れてるけど鰭ヶ崎(ひれがさき)なんかもそうですね。でも、常磐線の建設計画が出てきた時、流山や鰭ヶ崎はそれに反対したんですね。蒸気機関車からはき出される火の粉で火災が発生するのを恐れてのことだったらしいです。当時はかやぶき屋根だからそういう気持ちがでるのも当然かもしれない。
     でも、柏はそれを受け入れたんですね。僕は松戸の方はよく知らないんだけど、実際、常磐線は松戸や柏の地域を通っている。その後、常磐線の沿線は発展を続けるわけだけれど、鉄道を拒んだ地域は発展から取り残されてしまった。
     ところが最近は逆に、つくばエクスプレスが通ったことによって流山が活気づいている。マンションもバンバン建って、盛り上がっているね。つまり流山というのは明治以来、鉄道の敷設に関連する形で町が変動してきた。
     

    ▲流鉄流山線の車窓からの風景。新興の住宅も目立ちます。
     

    ▲流鉄流山駅にて。駅の改札では駅員が切符を切っており、ICカード式の改札はおろか、磁気乗車券の自動改札機も導入されていませんでした!ちなみに駅奥の森林は駅員さん曰く空き地とのこと。ほんの近くに流山市役所がある「旧」市街地です。
     
     
    ■郊外は使い捨て?
     
    濱野 僕の郊外のイメージは「使い捨て」なんですよ。僕は家族で、手狭だった新松戸のマンションから千葉ニュータウンの一軒家に90年ごろに引っ越したんですけど、引っ越したときは空き地だらけで、コンビニもろくにありませんでした。「この町は明らかに失敗だ。マイホームなんていらねえよ!」と思ったんですよね。僕は千葉ニュータウンの都市計画は失敗していると思いますが、その理由は、当時人口が20万人ほどに増えていないといけないのに全然達しておらず、そこに電車を引いてしまたったことにあると思っています。
     僕はその後中学受験して都内の学校に2時間かけて通っていたから、青春時代は千葉ニュータウンにほとんどいませんでした。だから何の思い入れもないんですよ。大人になってからも4回しか帰省していない。なぜなら帰りたくないから。何もないし、遠いし、親もうるさいから(笑)。
    國分 少年時代の濱野さんはそういう思いだったんだ。俺も「何かおかしい」って感覚があったな。人間のそういう感覚は大事なんだと思う。でも、やはり新松戸の街路樹は象徴的だよ。「町というものがこうやって育っていくんだ」といういい感じがした。
    濱野 樹って、植えてみるもんなんですね。他にも、駅から歩いて数分のところに流通経済大のビルができたりしていましたね。大学ができることで町はまた成熟するものだと思います。反面、新松戸は子どもの数が劇的に減っている印象を受けました。象徴的だったのが、住んでいたマンションの近くに妹が生まれた産婦人科があったのですが、その医院が看板を取り外していたことです。
     つまり、産婦人科の病院がマンションの側からひとつ無くなることが意味していることですよね。これまたマンションのすぐ近くの「新松戸中央公園」で遊ぶ子どもの数が、土曜の昼下がりという時間帯にも関わらず、昔と比べて少なかったことも印象的でした。
     

    ▲流通経済大学・新松戸キャンパス。
     

    ▲左手前の屋上のある白い建物が濱野さんの妹さんが生まれた元・産婦人科の病院。濱野さんが住んでいたマンションの10階から望む風景です。
     

    ▲新松戸中央公園。広大な運動場ではスポーツチームの子供たちがクラブ活動のスポーツに興じていました。でも、子どもの数はまばら。
     
     
    ■幼少期のアーキテクチャが情報環境研究者・濱野智史を生成した濱野 今日10何年ぶりに新松戸に来てみて、郊外は意外と残っているものだなと感じました。逆に千葉ニュータウンのような町が今後どうなっていくのかにも興味があります。アメリカ風の車社会に最適化していくのだと思いますけど。 それにしても人間というものは環境ひとつでこんなにもどうにもこうにもなってしまうものなのかと。僕はもともとアーキテクチャが人に与える影響を社会学的に研究してきたわけですけれども、そういうことを研究するようになったのには、自分の出自や生育環境が多いに関係していると思います。僕は新松戸ではマンションの10階に住んでいて、4、5歳までエレベーターの10階のボタンを押せなかったんですね。だから家から下の階へは行けずに、上の階に住んでいた一つ年上のお兄さんの家に遊びに行ってファミコンをして、「ゲームすげえ!」と衝撃を受けたりしていました。「ブランコよりこっちだ!」みたいな感じで(笑)。
     そこでの生活環境がこうして今の研究につながっていたりするわけです。単に10階に住んでいただけなんですけどね。環境が僕の幼少期の行動を決め、ゲームの環境が人をハマらせ……とか、先ほどの「郊外で生まれ育つと人間が疎外されていく」という話も、環境があっさり人間を作ってしまう典型例だと思います。
    國分 街を考える上では、当然のことながらアーキテクチャの視点が重要になってくるということだよね。 
  • 週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~7月14日放送Podcast&ダイジェスト! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.122 ☆

    2014-07-28 07:00  
    220pt

    週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会~7月14日放送Podcast&ダイジェスト!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.28 vol.122
    http://wakusei2nd.com

    毎週月曜日のレギュラー放送をお届けしている「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」。
    前回分の放送のPodcast&ダイジェストをお届けします。
    7月14日(月)21:00~放送※7月21日(月・祝)の放送はお休みでした
    「週刊 宇野常寛のラジオ惑星開発委員会」■(宇野常寛海外渡航中につき)代打パーソナリティ
    濱野智史(情報環境研究者・アイドルプロデューサー)
    twitter
    http://twitter.com/hamano_satoshi
     
    ■ゲスト
    PIPメンバー
    「アイドルをつくるアイドル」をコンセプトとして、濱野智史さんがプロデュースするアイドルグループ「PIP:Platonics Idol Platform」のメンバーが登場!
    登場メンバー:石川野乃花・牛島千尋・空井美友・鈴木伶奈・豊栄真紀・羽月あずさ・濱野舞衣香・森崎恵・山下緑・柚木萌花
    PIP公式サイト
    http://platonics.jp/

     


    ▼7/14放送のダイジェスト
    ☆オープニングトーク☆
    今週は宇野常寛が海外渡航中につき、濱野智史さんが代打パーソナリティを担当! 濱野さんが「patagonia」の同じ柄のTシャツを8枚所有している理由とは!? そして、PIPのコンセプトとその狙いとは?
    ☆PIPメンバー紹介☆
    ラジ惑史上過去最大の10人ゲスト!PIPメンバーが各30秒で自己紹介していき、ニコ生アンケートで印象的だった3人を選抜してトークします。
    ☆ムチャぶりスケッチブック☆
    トミヤマDが考えた話題からニコ生アンケートでトークテーマを決定。今回は「集団的自衛権について」牛島千尋さん、森崎恵さん、山下緑さんにお話いただきます。どりーこと山下緑さんは、自身の政治的心情を明らかにします!
    ☆48開発委員会☆
    PIPのドルオタメンバー石川野乃花さん、豊栄真紀さん、濱野舞衣香さん、柚木萌花さんが、それぞれの推しメンの魅力を語ります。もかろんこと柚木さんNMB48薮下柊ちゃん論がアツい!
    ☆今週の一本☆
    空井美友さん、鈴木伶奈さん、羽月あずささんが、自分がいちばん語りたいものについて自由にトーク! 空井さんは千葉ロッテの魅力について熱弁をふるいます。
    ☆メール読み☆
    これまでのコーナーで活躍したメンバーでメール読みします。「PIPでやってみたいことは」という質問に、山下緑さんが児童養護施設をつくるという夢を語ります。
    ☆延長戦トーク☆
    メンバー全員登場で、今回の放送の感想トークをします。濱野Pからの公開ダメ出しも!?


     
  • 「オリンピックにアイドル」ではなく、「アイドルのオリンピック」を開催すべき!――情報環境研究者/アイドルプロデューサー・濱野智史インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.114 ☆

    2014-07-15 07:00  

    「オリンピックにアイドル」ではなく、「アイドルのオリンピック」を開催すべき!――情報環境研究者/アイドルプロデューサー濱野智史インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.7.15 vol.114
    http://wakusei2nd.com

    今回のPLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビューに登場するのは、情報環境研究者/アイドルプロデューサーの濱野智史さん。濱野さんが考える、アイドルとオリンピックの関係、そして「アイドルによるオリンピック」計画とは――?

    【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第10回】 
    この連載では、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛が各界の「この人は!」と思って集めた、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』(略称:P9)制作のためのドリームチームのメンバーに連続インタビュー
  • なぜアイドルにはステージが必要なのか?――濱野智史×真山緑が語る現代アイドル文化の最前線 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.064 ☆

    2014-05-02 07:00  
    220pt

    なぜアイドルにはステージが必要なのか?濱野智史×真山緑が語る現代アイドル文化の最前線
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.2 vol.64
    http://wakusei2nd.com

    今朝の「ほぼ惑」に登場するのは、ミュヲタの真山緑さんとAKBヲタの濱野智史さん。男性アイドル文化と女性アイドル文化の両巨頭とも言えるジャンルの二人が語り合います。現代のステージビジネスの最前線が見えてくる対談です。
    近年、男女問わずアイドルは空前の盛り上がりを見せています。ミュージカル『テニスの王子様』をはじめ幅広く男性アイドル文化に詳しい編集者の真山緑さん。年間300回もの女性ライブアイドルの現場に足を運び、この春にはアイドルプロデュースを始めることも発表した批評家の濱野智史さん。ともにアイドルにハマる二人が男女の垣根を超えてアイドル論を語り尽くしました。
     

    ▼プロフィール
    濱野智史(はまの・さとし)
    1980年生。批評家、株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論・メディア論。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)『前田敦子はキリストを超えた−〈宗教〉としてのAKB48』(ちくま新書)等。現在、アイドルファンとして、300本以上のアイドル現場に日常的に参戦。そして2014年、自らアイドルグループを立ち上げることを発表した。
     

    真山緑(まやま・みどり)
    雑誌編集者。TERMINALにてテニミュを中心に、2.5次元ミュージカルやそこから広がる舞台・若手俳優などについて語るZINE「PORCh」(ポーチ)の編集・発行に関わっている。TERMINALに関する詳細はブログにて、
    http://terminalporch.blog.fc2.com/ 「PORCh」はZINE書店Lilmag(http://lilmag.org/)にて購入可。
     
    ◎構成:稲垣知郎+PLANETS編集部
     
     
    ■テニミュの何が面白いのか?
     
    濱野 今回のテーマはミュージカル『テニスの王子様』(以下、テニミュ)に代表されるような舞台系ミュージカルアイドルです。自己紹介をすると僕は2011年ごろにAKBにハマって、去年からは主に“地下アイドル”と呼ばれる規模の小さいアイドル現場に通っています。規模で言うと、Twitterフォロワー数1000も行かない人はざら、現場に50人のヲタがいれば「お、今日は多いな」なんていうようなところです。僕はドルヲタのタイプ的には「レス厨」「接触厨」に分類される人で、ちょっとでもお客さんが増えるとレスが来なくなるのが嫌で、150人の箱でも後ろのほうだとモチベ下がって萎えるような奴です(笑)。
    そもそも女性アイドルより男性アイドルの方が、アイドル文化として歴史が長いですよね。なぜかといえば、近代社会が前提にしていた性差分業、つまり男性が外で働いて、女性は家事子育てをする、という図式があって、後者の女性たちが家でテレビを見て疑似恋愛的にイケメンにハマるのがアイドルだった。それが最近だと性差分業も崩れて、男性も結婚しなくなってきて、会いにいける女性アイドルが増えてきた。アイドルの変化の背景には、必ず社会の変化があるのだと思います。
    ということで、僕は「男性ヲタ・女性グループアイドル好き」なのですが、きょうはそのちょうど逆である「女性ヲタ・男性舞台系ミュージカルアイドル(ステージアイドル)」の現在と、なぜ・どんなところにハマるのかといったところを比較していけるといいなと思っています。たぶん、同時代に起こっていることだから、必ず並行している部分と、でも全く違う部分がそれぞれあると思うので。
    真山 私は普段、編集の仕事をしながらテニミュを始めとした若手俳優とその周辺の舞台を追いかけています。構造的に面白いのかなぜか女性編集者にはテニミュのファンが多くて、同業の方に「テニミュ面白いよ」と連れていかれてハマったのがきっかけです。「テニプリ」の物語の2週目となる2ndseasonの最初から観られたというのも大きかったですが、元々お笑い芸人や野球選手、ジャニーズ系のアイドルのファンだったのもあり宿をとって遠征に行く段取りも慣れていたので、一気にハマりましたね(笑)。
    濱野 ちなみにテニミュについては、僕はニコ動のあの空耳動画(あいつこそがテニスの王子様)で知っていた程度です。いや、実は僕はこの動画がまじでニコ動の歴代の作品の中でもトップクラスに入るほど大好きで、何度見返したか分からないほどです(笑)。たぶん、テニミュヲタの方はあの動画の存在を苦々しく思っていると思うのですが……、すみません(笑)。でもやっぱり、あの動画から入る人もいるんですか?
    真山 そうですね。テニミュの観客が一気に増えた2006年ごろに空耳動画も流行ったので、そこから入った人もかなりいると思います。ただ滑舌や未完成さを嗤うものが多いので、ある意味タブーとされていてあまりいい印象は持たれていないようです。
    濱野 そうなんですね。テニミュにかぎらず、アイドルがたくさん出るステージって、最近は女性アイドルの側でも増えてきたという印象があります。僕もアリスインアリスの作品とか、自分の推しメンが端役で出ているようなものに何回か足を運んだことがあります。そこで気づいたのは、とにかくアイドルの演劇って、ビジネスの要請上、「やたらと出演者数が多くて、才能も中途半端な人もガンガン出す」ということなんですよね。テニミュもそうだったと思うんですが、歌もうまくない人が多いし、滑舌も悪い。だから空耳の格好の「素材」になったわけですよね。でも、それが跡部様になるとめっちゃうまいから空耳できねえ!!!となってみんな「跡部様ぱねえええ」みたいな感じで逆に沸いてしまうという(笑)。
     それはさておき、僕もアイドルの演劇は見たのですが、最初の感想は「レスがなくてつまらない」でした。はるきゃんが出てた「千本桜」を最前で見ることができたんですが、レスが全くなくて非常に残念でした。超当たり前なんですけど(笑)。
    真山 演劇って普通は目線の位置はあっても、観客は見ちゃいけないですからね。
    濱野 そうなんですよね、基本、ステージと客席は截然と切り離された世界なので、当然レスなんかしちゃいけないわけですよ。だから最前なのにレスがこない、と最初はあまり興味がわかなかったんです。でも、アリスインアリスの演劇で、テレパシーというアイドルの推しメンが出てたんですが、そのとき、客席にいる自分にちらっと気づいたっぽかったんですよ。その子のファンは数人しか来ていなかったので、そうするとわずかにレスがある。これは楽しかった(笑)。
    真山 それは来るところまで来てますね(笑)。テニミュだけでなくほかの舞台もそうで、誰が客席に来ているとか普通わかんないんですけど、かなりの回数通っている人たちはカーテンコールとかなら本人からも気づいてもらえることがあるみたいです。それこそ全通とか8割入ってるような人ですけど。
    濱野 それはすごいですね。テニミュにレスや接触はないんですか?
    真山 公演中だと、公演のアンコール曲で客席降りしてハイタッチすることはありますが、基本的に一対一のコミュニケーションはほとんどないと思います。ウチワやペンライトもないですし。ただ、2ndseasonに入ってDVDやCDの発売タイミングに握手やハイタッチのイベントは開催されるようになりました。
    濱野 なるほどね、接触はかなり絞ってるんですね。内容的にはどのへんが見どころなんですか?
    真山 原作よりか俳優寄りかでもだいぶ違うんですが、自分が感じているテニミュの面白いところは、舞台では同じ試合を毎日やるので、当然ですが試合に勝ち続ける人、負け続ける人がいます。そうすると最終日の挨拶で、キャストが「このままやったら勝てるんじゃないかと思ったけど、勝てなかった」と悔し泣きをしたり、「毎日チームメイトが負け続けるのを見るのが辛かった」と言ったりするんですよ(笑)。公演数を重ねる中で、演じている方も本当の試合をしているような感覚になるんですよね。つまり、役者自身がだんだんテニミュの役に入り込んでいってしまう、そのキャラクターと役者の関係性が面白いです。本人が書くブログも演じているキャラクターっぽくなっていったりほかの役者との関係性もキャラの関係性に寄っていったりするんですよ。
    濱野 なるほど。「演劇は生で観るもの」という一回性もあるけど、脚本があって毎回同じ話を繰り返すから、「一回性のあるループもの」という見方も出来るわけですね。たまたま来た観客にとっては一回性があるだけですが、役者にとっては同じ脚本を何度も演じているわけで、どんどん演じているキャラクターに没入していく、と。
    真山 同じシナリオを70回以上もやり続けていますからね。あと、ループというお話で思い出しました。テニミュは今物語の2周目に入っているわけなので、同じキャラクターを別の人がやることになるんです。ところが、跡部景吾役の先代キャストがあまりにも人気だったりすると、ファンが跡部役に要求する合格点がすごく高かったりする。ただでさえ跡部は人気キャラクターというのもあり、当然ですが初日には人によっては「この跡部は私の跡部じゃない!」となる。でも、そこから何十回も公演を重ねてキャストも「跡部」になってゆくことで「今日の跡部は最高だった!」とファンから認められてゆくようになったりするんです。
     
     
    ■テニミュは2次創作ではなく、1.5次創作だから面白い
     
    濱野 テニミュには握手会のような接触イベはほとんどないから、AKB以降の「会いに行けるアイドル」とは一見逆行しているように見えますが、「成長していく、変化していく、まっさらなものに色がついていく」という過程を楽しむという点は共通しているんですね。AKBはいわゆる普通のアイドルとは違い「一回性のあるループ」としての劇場公演がある。だから“古参”と呼ばれる古くからのオタクは、劇場公演を見て「昔はこんなんじゃなかった」と新しく入ったメンバーをよくdisってますから、同じ構図ですね(笑)。逆から言うとテニミュは、握手会はないけど「劇場公演だけがあるAKB」という感じなのかも。
    真山 距離感としては近いものがあると思います。あと、テニミュのハイタッチ会はキャラクターとしてではなく、あくまで演じているキャストとしてやるんですよ。結局、キャラクターだと作者である許斐剛先生が作ったキャラ設定を忠実に守る必要があるので、ハイタッチ会のような一対一の場ではキャラクターとしてファンに応えられないんです。
    でも、私がいちばん面白いと感じているのは、マンガの登場キャラクターとミュージカルを演じるキャストをファンが勝手に重ねあわせていくところなんですよ。許斐先生が続きを描かない限り、原作に「公式の」続きは生まれませんが、テニミュのキャストがチームメイトたちとの日常を自身のブログや公式ブログに載せたりすると、ファンにとってはマンガのコマの外の日常が描かれている錯覚が生まれるんです。つまり、もしマンガのキャラが実際にいたら、こういうことをしていたかもしれない、という日常が生まれる。「今日は◯◯◯とご飯を食べに行きました」とブログに書くだけで、キャラクター同士の日常と錯覚できるんです。
    私もよくキャストのブログを読みますが、公演は毎日あるし、地方へ公演に行くとけっこうキャストはみんないっしょに過ごすことが多いんです。そこでキャラクター同志、キャスト同士の関係性を深めることで、面白いことに地方公演に行って帰ってくるとキャストの演技がすごく変わってたりする。もちろん舞台自体の楽曲や振付の完成度の高さや構成の面白さがあってこそ何回も観られるわけですが、そうやって、キャストを定点観測して成長を見守る面白さもありますね。
    濱野 漫画やアニメの2次創作はそれぞれが自分の妄想を書くから楽しいんだけど、テニミュの場合はキャラになりきったキャストたちがブログを書くだけで、勝手に2次創作が生成されていくのだ、と。なるほどそれは効率がいいプラットフォームですね。素晴らしいな。
    真山 原作となるマンガは許斐先生が書かないと続きは出ませんよね。そのマンガをもとにして誰かが2次創作したとしても、それは本物ではありません。ところが、テニミュは許斐先生の原作をベースにやっている「公式」なので、そこから派生しているものは半公式ともいえる状態になるんです。こういった漫画やアニメ原作の作品は、2次元を肉体のあるキャストが演じるので、声優さんと同じように2.5次元と言われます。2次元の漫画から飛び出した0.5の部分が、人を深みにはまらせる隙間を生み出しているんだと思います。
    濱野 2次創作ではなく、キャストのブログを通じて「1.5次創作」をしているような感じなんですね。
    真山 テニミュがすごいのは、キャラでだけでも推せるし、キャストだけでも推せるので、いろんなハマり方ができる。最近はやりの「沼」っですね…ハマったら底なし沼です(笑)。
    濱野 沼ですか(笑)。僕もAKBの古参ヲタの人に、どこの現場いっても一人や二人は見知った古参ヲタがいて、「古参の人ってヲタ活辞めないんですか?」って聞いたことがあるんですが、「ヲタ辞めるのは死ぬか引っ越すときだけです」と即答されました。地下アイドルもまさに沼って感じで、僕も一向に抜け出せる感じがしないので、そこは同じですね(笑)。
     
     
    ■徹底した虚構がジャニーズを超える日
     
    濱野 なるほど、テニミュのアーキテクチャは素晴らしいということがよくわかりました。ただ、接触厨としては、なぜ握手会とかをやってくれないのか、という気持ちになります。テニミュを「接触あり」化したら、もっとドカーンと売れるんじゃないか。いま聞いていて、僕はそんなことを思いました。
     そもそも、いま女性のアイドルは地方を含めてたくさんグループが出ているのに、なぜ男性アイドルはそうならないのでしょうか。これまでアイドルとキャラクターの話をしてきましたが、ジャニーズはこの議論の外にいますよね。
    真山 おそらくジャニーズだと元々のキャラがない…というかそもそものキャラを持たずに活動して徐々にキャラを作り上げていくタイプだからなのではないでしょうか。それはまた別だと思うんです。名古屋のおもてなし武将隊もそうですがそういったものに素直にハマれないひとたちにとっては、キャラをつけてお膳立てしているとファンになる敷居が下がるんですよね。テニミュと同じネルケプランニングが作っている作品で、徹底的にキャラ設定をお膳立てしている舞台があります。それが「プレゼント◆5」です。
     
     
  • ちろうのAKB体験記:第4回 初めての青春ガールズ公演

    2013-05-31 12:00  
    105pt
    第4回  初めての青春ガールズ公演 青春ガールズ公演はその時すでに、ネット上で評判を呼んでいた。
    ぼくにとっての唯一の情報源は2chの地下アイドル板であったが(本スレと各メンバースレ、最強ヲタ決定戦なるスレも存在していた笑)かなりの盛り上がりを見せていた。新公演はとにかくすごいらしい。といってもずっと情報を追っていたわけではない。数日に1度、思いついたときに覗く程度。何しろAKBヲタではなかったのだから。
    2ヶ月ぶりの劇場公演は、抽選は何順だったか覚えていないが、下手側の2列目か3列目に座ったと記憶している。(補足として説明をすると、座席は最前列を除けば、当然の様にセンターブロックが早々に埋まるのだが、センター3列目くらいまでが埋まれば、上・下の2~3列よりも立ち最前を好む人が多かった。だから抽選が遠方枠【※1】の前(遠方枠は10~12順目あたりに挿入された)であれば確実に上手・下手の2~3列には座れた。さらに上手・下手でも明確な違いがあり、上手には古参ヲタが、下手には新規客が集まりがちだった。その理由は劇場の構造をいかに熟知しているかという話であり、劇場入口が下手側にあるため上手側の状況を確認するより先に下手側の前の方が空いていればすぐに席を確保したくなるという心理と、そうなれば当然上手側の席が埋まるのが遅くなり、それを熟知しててかつ仲間内で連番したがる古参ヲタは上手側を好んだ。そのような住み分けがされていたことは後に知ることになる。)
    つまりはセンターブロックであることよりも、距離の近さを重視した席取りだったというわけだ。