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  • 【無料公開】『ものづくり2.0』イベントレポート――小笠原治×落合陽一×加賀谷友典×根津孝太×宇野常寛×堀潤の語るメイカーズの現在(2014-5-16配信) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-12-19 17:00  

    【無料公開】『ものづくり2.0』イベントレポート小笠原治×落合陽一×加賀谷友典×根津孝太×宇野常寛×堀潤の語るメイカーズの現在
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.19 号外
    http://wakusei2nd.com

    ネットでもリアル書店でも話題沸騰中の落合陽一さんの著書『魔法の世紀』。本の内容をさらにフォローアップすべく、PLANETSメルマガでは落合さんがこれまでに登場した記事を無料公開していきます!
    本日お届けするのは、落合さんも登壇し2014年5月に行われたイベント『ものづくり2.0』のレポートです。本メルマガで『カーデザインの20世紀』を連載中のデザイナー・根津孝太さんや、のちに『メイカーズ進化論』を上梓し日本版IoTムーブメントのエヴァンジェリストとして活躍することになる小笠原治さん、そして「necomimi」開発者の加賀谷友典さんをお招きして行われたこの
  • ディズニー/ピクサー的CGアニメは「宮崎駿的手法」を取り込むことができるか?――落合陽一、宇野常寛の語る『ベイマックス』(2015-3-24配信) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-12-18 17:00  
    220pt

    ディズニー/ピクサー的CGアニメは「宮崎駿的手法」を取り込むことができるか?――落合陽一、宇野常寛の語る『ベイマックス』
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.18 号外
    http://wakusei2nd.com


    ネットでもリアル書店でも話題沸騰中の落合陽一さんの著書『魔法の世紀』。本の内容をさらにフォローアップすべく、PLANETSメルマガでは落合さんがこれまでに登場した記事を公開していきます!
    本日お届けするのは、今年公開の3DCGアニメ『ベイマックス』をめぐる落合さんと宇野常寛の対談です。落合さん独特の技術史的観点を交えながら、ディズニー/ピクサーが今後どこへ向かうのかを語り合いました。(初出:『サイゾー』2015年3月号(サイゾー))

    【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
    ☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
    (紙)http://goo.gl/dPFJ2B/(電子)http://goo.gl/7Yg0kH
    取り扱い書店リストはこちらから。http://wakusei2nd.com/series/2707#list
    ▼プロフィール
    落合陽一 (おちあい・よういち)
    1987年生,巷では現代の魔法使いと呼ばれている。筑波大でメディア芸術を学んだ後,東京大学を短縮修了(飛び級)して博士号を取得。2015年5月より筑波大学助教,落合陽一研究室主宰.経産省より未踏スーパークリエータ,総務省より異能vationに選ばれた。研究論文はSIGGRAPHなどのCS分野の最難関会議・論文誌に採録された。作品はSIGGRAPH Art Galleryを始めとして様々な場所で展示され,Leonardo誌の表紙を飾った。応用物理,計算機科学,アートコンテクストを融合させた作品制作・研究に従事している。BBC,CNN,TEDxTokyoなどメディア出演多数,国内外の受賞歴多数.最近では執筆,コメンテーターなどバラエティやラジオ番組などにも出演し活動の幅を広げている。
    ◎構成:有田シュン

    ▼作品紹介
    『ベイマックス』
    監督/ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ 脚本/ジョーダン・ロバーツ、ドン・ホール 原作/『ビッグ・ヒーロー6』 製作総指揮/ジョン・ラセター 配給/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ 公開/14年12月20日
    “サンフランソウキョウ”に住む天才少年ヒロ・ハマダは、兄タダシに見せられた工科大学のラボや、彼が作ったケアロボット「ベイマックス」に衝撃を受け、飛び級入学のための研究発表会に参加する。見事合格を勝ちとるが、直後に会場で火災事故が発生。残されたキャラハン指導教授を助けるべく、タダシは火の中に飛び込んでいった。兄を亡くした失意からヒロは心を閉ざしてひきこもるが、タダシが残したベイマックスと再会し、さらに自身が研究発表会のために製作したマイクロボットが何者かに悪用されていることを知り、タダシの死に隠された真相があるのではないかと疑問を抱く。ベイマックスのバージョンアップと、兄のラボの友人たちにパワードスーツや武器等を製作し、共に敵の陣へと乗り込んでゆく。
     東京とサンフランシスコを合わせたような都市が舞台だったり、主人公たちが日本人とのハーフだったり、設定からして日本の要素が多く取り入れられた、ディズニーアニメの最新作。

    落合 『ベイマックス』は予告編の印象と全然違って【1】、『アイアンマン』(08年)万歳! と思っているような理系男子の話をアニメで作るとこんな感じかな、と思っておもしろく観ました。ヒロがキーボードを叩いて、3Dプリンタとレーザーカッターでなんでもつくれる万能キャラという非常にコンティニュアスに成功したナードとして描かれているのは新しいし、研究と開発が一体化していることに誰も疑問を抱かないところを見ると、観る人の科学に対する意識がアップデートされているのかなとも思えた。頭のいい奴が手を動かせば、そのままモノをつくれるというイメージがつくようになったのはすごくいいなと思う。登場人物たちが、極めてナチュラルにモノをつくっているんですよね。ディズニー映画の製作期間はだいたい4~5年くらいと聞くから、『ベイマックス』はちょうど2010年代前半につくられたとすると、ちょうどプログラマーという人が簡単に社会変革を起こすものをアウトプットできるようになった時期なんですよね。だから、このタイミングでこういう作品というのは必然なのかもしれない。

    【1】予告編の印象と全然違って:日本で公開されていた予告編では「少年とロボットのハートフルストーリー」のように見せられていたが、実際のところはアメコミ原作だけあってヒーローものになっている。

    宇野 ゼロ年代のディズニー/ピクサーだったら、兄貴がラスボスになっていたと思うんだよね。対象喪失のドラマという要素をもっと前面に出して、科学のつくる未来に絶望した兄貴と、科学の明るい未来を信じるヒロ君が対決する。単純に考えたらそっちのほうが盛り上がったと思うけど、今回のスタッフはその方向を取らなかった。個人的な動機に取りつかれた教授が暴走【2】する話になっていて、ヒロと科学をめぐる思想的な対立をしていないんだけど、そこは意図的にそうしたんじゃないかな、と。ピクサーの合議制のシナリオ作り【3】の中で兄弟対決が挙がらなかったわけはないんだよね。そういうあえて選択された思想的な淡白さが、今回のひとつのポイントだと思う。

    【2】教授が暴走:事故で兄タダシと一緒に死んだと思われていたラボの指導教官。ロボット工学の天才博士が、ある個人的な動機に基づいてヒロの発明品を悪用しようとしていた。
    【3】合議制のシナリオ作り:ディズニー/ピクサー作品においては、複数のスタッフがストーリー会議を行って脚本をつくり上げているのが有名。

    落合 もういまや科学技術批判が意味を持たない、ということが重要なんだと思う。科学技術批判、コンピューター批判してられないだろうっていうのは、『ベイマックス』のひとつの重要なファクター。今までの流れだったら、ヒロ君が作ったナノボットが知恵を持って暴走して人間に攻めてくる、みたいなシナリオもありだったと思うんですよ。でもそっちにはもういけないよね、と。
    宇野 ピクサーは、特にジョン・ラセター【4】は『トイ・ストーリー』(95年)から一貫してイノセントなもの、たいていそれは古き良きアメリカン・マッチョイズムに由来する何かの喪失を描いてきた。アニメでわざわざ現実社会に実在する喪失感を、それも一度過剰に取り込んで見せて、そして作中で限定的にそれを回復してみせることで大人を感動させてきたのがその手口。『バグズ・ライフ』(98年)も『ファインディング・ニモ』(03年)も『Mr.イングレディブル』(04年)も『カーズ』(06年)も全部そう。そして『トイ・ストーリー3』(10年)は、そんなラセターのドラマツルギーの集大成で、あれは要するに観客=アンディにウッディとの別れを告げさせることで、ピクサーが反復して描いてきたものが映画館を出たあとの現実社会には二度と戻ってこないことを、もっとも効果的なやり口で思い知らされる。
     しかし、その後のディズニー/ピクサーはこの達成を超えられないでいると思う。『シュガー・ラッシュ』(12年)はガジェット的にはともかく内容的にはほとんどセルフパロディみたいなもので、『アナと雪の女王』(14年)は、保守帝国ディズニーでやったから現代的なジェンダー観への対応が騒がれたけど、要は思い切って非物語的なミュージカルに舵を切ったものだと言える。そしてこの流れの中で出てきた『ベイマックス』は、ラセターが持っていた強烈なテーマや思想を全部捨ててしまって、ほとんど無思想になっている。単にこれまで培ってきた「泣かせ」のテクニックがあるだけで、これまで対象喪失のドラマに込められてきた「思想」がない。そこで足りないものを補うために、今回はアニメや特撮といった日本的なガジェットをカット割りのレベルで借りてきている。言ってしまえば、定式化された脚本術と海外サブカルチャーの輸入だけで、ピクサー/ディズニーの第三の方向性としてこれくらいウェルメイドなものがつくれてしまったということにも妙な衝撃を受けたんだよね。

    【4】ジョン・ラセター:ピクサー設立当初からのアニメーターであり社内のカリスマ。06年にディズニーがピクサーを買収し、完全子会社化したことでディズニーのCCOに就任。ディズニー映画にも多大な影響を及ぼしている。

    ■ 3つに分岐したCG表現の矛先
    落合 『モンスターズ・インク』(01年)の頃までのピクサー映画は、いかに新しいレンダリング技術を取り入れて映画を作るかがサブテーマだったんです。『トイ・ストーリー』の頃はツルツルしたものしかレンダリングできなかったけど、『モンスターズ・インク』はモッサリした毛の表現ができるようになった。そこからしばらくはそうした技術の進化を楽しむ作品がなかったんだけど、『アナ雪』では雪のリアルな表現ができるようになった。あの雪の表現をつくるために書かれた論文があって、それなんか本当にすごい。雪をサンプリングして一個一個の分子間力を分析することで自然のパウダースノーをレンダリングするっていう。またこれで技術を見せる作品が続くのかな、と思ったら『ベイマックス』には何もなかった。だから、またそういう時代が数年続いて、その後にまったく新しいものが出てくるんだろうと思っています。
     
  • 森と干潟の流域を歩く「小網代の森」探訪記・前編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.475 ☆

    2015-12-18 07:00  
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    森と干潟の流域を歩く「小網代の森」探訪記・前編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.18 vol.475
    http://wakusei2nd.com


    今朝は、神奈川県の三浦半島にある「小網代(こあじろ)の森」を訪問したレポートと、「小網代の森」の保全活動を推進している進化生態学者・岸由二さんのインタビューの前編をお届けします。リチャード・ドーキンスの著書『利己的な遺伝子』の翻訳者としても知られる岸さんが提唱している、「流域思考」が目指すものとは?
    ▼プロフィール

    岸由二(きし・ゆうじ)
    慶應義塾大学名誉教授。1947年東京生まれ。横浜市大、東京都立大大学院を経て、1976年より慶應義塾大学経済学部助手。助教授、教授を経て2013年退職。進化生態学専攻。流域思考の防災・環境保全型都市再生に関心をもち、三浦半島小網代や鶴見川流域で、NPOの代表として理論・実践活動を続けている。共訳書に『利己的な遺伝子』、著書に『流域地図のつくり方』など。
     宇野常寛とPLANETS編集部が初めて「小網代の森」を訪れたのは、2015年8月のとても暑い日のことでした。
     「小網代の森」とは、三浦半島の先端に位置する小さな森です。品川から京急線にゆられて一時間あまり。東京都心から少し足を伸ばせば届く距離にありながら、都内では見られないとても多様な動植物が生育しています。
     PLANETSのイベントにも登壇していただいたことのある、日経BPの編集者・柳瀬博一さんがFacebookに投稿していた写真で「小網代の森」に興味をもっていた宇野常寛一行は、8月のこの日、思い切って行ってみよう! と、ドキドキしながら森を目指したのでした。
    ■ 「小網代の森」に初めて行ってみた
     京急線・三崎口駅からバスに5分ほど乗って引橋で下車。すぐ近くに「小網代の森」の入り口が見えてきます。
     森の入り口は高台となっており、やや急な木道を下ると、周りの木々がどんどん生い茂っていきます……。女子メンバーからはなんだか不安そうな目線も。少しすると、森の遊歩道の始まりに到着しました。

    ▲入口直後の下りの木道。あまり日の光も差し込まない鬱蒼とした森が続く
     遊歩道をさらに下って行くと、鬱蒼とした周囲の植物に圧倒されます。まるで、いきなり森の深くに迷い込んだような感覚です。少し薄暗く、空気もなんだかひんやりしています。足元には小さな河が流れます。
     道沿いには、大きなシダのような植物がたくさん。「ここはジュラ紀!?」と思ってしまう空間です。
     繁茂した植物のなかをぐんぐん進んでいくと、太陽がまぶしい、平らな湿地が始まりました。バッタ、チョウ、トンボといった昆虫もたくさん姿をあらわし始め、風景の変化に驚かされます。

    ▲木道沿いにフキバッタを発見

    ▲トンボや蝶の種類も豊富。これは枝に紛れていたオオシオカラトンボが枝に止まった瞬間を激写!
     日射しが照りつける中、広い湿地をさらに抜けると、最後はなんと海に到着!
     歩き始めて1時間弱の間に、これほどに景色が変化し、たくさんの動植物が存在していることに一行はびっくり。暑さにへとへとになりつつ、「小網代の森」の魅力に引き込まれて、最後には全員が笑顔になりました。

    ▲海が見えてきた! 一同、歓喜

    ▲海辺まで近づくことができます
     この日の宇野の投稿を見かけた柳瀬さんから、「毎月第3日曜日の朝に、NPOによるボランティアウォークがありますよ」とのお声がけが。
     この森の面白さをもっと知りたいと思っていた宇野常寛と編集部一行は、翌9月のボランティアウォーク参加を決意したのでした。
    ■ 小網代ボランティアウォークに参加
     9月の第3日曜日。朝9時30分に三崎口駅の改札に集合して、ボランティアウォークに向かいます。
     同じくバスで森の入り口まで移動し、グループに分かれてウォーキングが始まりました。1グループごとに、NPO法人「小網代野外活動調整会議」の方が案内に付いてくださいます。今回は、まさしく柳瀬さんの案内・解説のもと、ウォーキングできることに!
     柳瀬さんはこのNPO法人小網代野外活動調整会議の副代表を務めており、「小網代の森」との関わりは学生時代から足掛け30年以上にも及ぶのだそうです。

    ▲柳瀬さんによる解説の元、森を歩きます!
     遊歩道が始まってすぐ、植物が鬱蒼と茂っているゾーンから、解説は始まりました。

    ▲「小網代の森」マップ(出典)
     そもそも「小網代の森」とは、長さ1.2キロメートルの小さな川が流れる、約70ヘクタールの森のこと。広さは明治神宮とほぼ同じで、東京ドーム15個分だそうです。
     この森は都市近郊では珍しい、1個の完結した流域生態系を形成しているとのこと。森から湿原、干潟、海へと連なる河川の流域が、間に人工物を介さず丸ごと保全されているのは、首都圏ではこの場所のみ。同じ緯度で地球をぐるりと巡って探しても、同様な条件をみたす生態系は極めてまれだろうとの専門家たちの意見もあるそうです。
     バラエティに富んだ自然環境の様子を見ることができるのは、ひとつの流域が狭い地域に凝縮されているから。森、崖、川、湿原、泥沼、干潟、そして海と、歩いて1時間程度の間に、あらゆる自然がぎゅっと詰まっているのです。
     さらに生息する生き物も多種多様で、2001年の時点で約2000種が確認されており、本格的な調査の手が入ったらその数は3000~4000種にも及ぶだろうとのこと。
     なるほど、初めて訪問したときの、「この多様さはなんだろう?」という疑問が、少しずつ解きほぐされていきます。
     さらに少し歩いたところで、本日のボランティア作業を行います。この日は、笹を刈る作業でした。
     柳瀬さんの解説を聞いて「笹が生えすぎた場所はほかの植物が育たなくなる!」と知った一行は、怒涛の勢いで笹刈りに参加しました。笹を刈り取ったこの一角が、少しでも森の保全に役立つことを期待して、名残を惜しみつつ次の場所に移動します。
     いくつかの谷が合流しながら、今度は見晴らしの良い湿原が始まっていきます。「真ん中湿地」という名前の通り、小網代の森のちょうど真ん中にある湿原です。
     柳瀬さんいわく、この真ん中湿地を含め、現在小網代の湿地となっている川沿いの低地は、1960年代まで何百年間も田んぼとして利用されてきたそうです。斜面の林は、薪炭林として薪をとっていたとのこと。人間がずっと利用してきた自然だったんですね。
     1964年の東京オリンピックを境に田んぼも薪炭林も利用されなくなった結果、小網代の林は落葉樹を中心とする自然林に、田んぼはアシやガマやオギが繁茂する見事な湿地になったそうです。柳瀬さんが小網代の保全にかかわるようになった1980年代は、ちょうどそんなときだったとのこと。
     後編で詳しくお話を伺いますが、当時、小網代はゴルフ場を核にしたリゾート開発の対象地になっていました。小網代は完全な民有地で、開発は自由にできる状態だったそうです。
     その後、NPOの尽力もあり小網代の自然は守られ、神奈川県がまるごと土地を買い取ることになったそうですが、その間ほったらかしになった小網代の自然は、どんどん荒れていってしまったそうです。
     斜面の林は木が茂り過ぎて、かつ常緑樹が大きくなってしまったために、足元に光が入らなくなり、下草などの植物がなくなってしまいました。一方、かつての田んぼが湿地に変化した川沿いの低地は、川がどんどん深く土地を掘り込んでいったために、水は掘り込まれた川にだけ集まってしまい、湿地だったところは乾燥して笹ヤブになってしまい、これもまた他の植物が生えなくなり、生き物が激減してしまったそうです。
     保全が確定してから柳瀬さんたちは、森の足元に光が十分入り、川沿いの低地が豊かな湿原に戻るよう毎月定例作業を続けているそうです。
     今は明るい湿原になっている真ん中湿地も、5〜6年前は数メートルの笹に覆われた乾燥した笹ヤブだったそう。NPOの人たちが手分けをして笹をすべて刈り取り、同時にかつての水田がそうだったように、川の流れを低地のいちばん高いほうに変えて、低地ぜんぶに水が溢れるようにして湿原状態を再生してきたとのことです。
     驚くべきことに、川の流れを変える作業はショベルカーのような機械を使わず、足のかかとで土をほじって蹴飛ばして、水を乾いた土地に流すことから始めるそうです。子どもの砂場遊びのようですが、それが乾燥した土地を湿地に変える仕事になるというのが実に面白いですね。
     湿原を取り戻すと生き物の数は飛躍的に増えるそうです。たとえば乾燥した笹ヤブだったときはほぼ絶滅しかかっていたホタルが、いまでは初夏になると一晩に1000匹単位で乱舞するようになったと柳瀬さんは話します。ぜひその季節にまた訪れてみたいですね。


    ▲背の高い笹を刈る前と、現在の写真。まさに劇的な変化!
     そして最後は、海辺でカニの観察です!
     潮の満ち引きに合わせて活動するチゴカニの様子を間近で見ることができました。干潟に無数にいるチゴガニはオスがみんな両手をリズミカルにふってメスを誘っているとのこと。NPOの調査によると、現在、小網代の森と海に生息するカニは60種類以上。中には絶滅危惧種もいるとのこと。川の最源流から、中流、さまざまな湿原、河口、2ヘクタールの干潟です(相模湾ではとても珍しいそうです)。
     そして桟橋近辺の岩礁地帯と、距離にして2キロ少々の範囲に、流域のつくる自然のほとんどが小網代には含まれているため、いろいろなカニが生息できるそうです。東京湾と比較すると、荒川の最源流にいるサワガニもいれば、木更津あたりの干潟のカニ、そして湾口のサンゴがあるような館山あたりの海のカニもいるというからびっくりです。

    ▲海辺で動き回る大きなハマガニ!(ボランティアウォークの日に撮影)
     最後に「展望テラス」から海辺の景色を見ながら、この辺りは将来的にはすべて干潟に戻すのだ、という衝撃のお話が! 明治時代の地図を見ると当時は一面の干潟。その後に干拓されて農地利用されていたものを、また元の海に戻すのだそうです。数年後にはこの展望テラスの足元で、チゴガニのダンスを観察したり、アカテガニのお産を観察できるはず、と柳瀬さんは語っていました。

    ▲この辺りもすべて、海の中になってしまうらしい!
     この日のボランティアウォークは、記念撮影をして終了。
     これまで、自然というのは、人間が一切手を入れない「手付かずの自然」が一番いいもので、人間が関わったら自然というのはダメージを受けるとばかり思っていました。
     最初に訪れたとき、この小網代もそんな「手付かずの自然」だと信じていました。ところがこの日、柳瀬さんにお話を聞いて、目からウロコが落ちました。手付かずどころか、いまの豊かな小網代の自然は、積極的な「人の手入れ」によって実現しているんです。
     アマゾンの熱帯雨林やアメリカの国立公園のような規模が桁違いに大きい自然はともかく、小網代のように70ヘクタールしかないこじんまりとした自然は、そもそもそのサイズで自然が分断されている時点で、もはや人類がいなかったときの自然とは異なるので、庭や水槽をメンテナンスするように、人間が水の流れや光の当たり方をコントロールしないと生物多様性はあっという間に失われてしまうそうです。
     一見「手付かずの自然」に見えていた小網代の景色が、人の手入れによって作り出されたものであること。継続的に保全を続けているからこそこの多様な自然が保たれているのだということを、ボランティアウォークを通じて知ることができました。

    ▲初・ボランティアウォーク参加の記念写真
    ■ 岸由二先生インタビュー
     1980年代前半からこの「小網代の森」の保全活動をリードしてきた人物が、NPO法人小網代野外活動調整会議の代表理事を務める岸由二さんです。岸先生は慶応大学の名誉教授であり、あのリチャード・ドーキンスの著書『利己的な遺伝子』などの翻訳を手がけた進化生態学者としても知られています。
     ボランティアウォークを終えて小網代の森をさらに深く知りたいと考えた宇野常寛と編集部は、後日、岸先生にインタビューを申し込みました。今日のメルマガでは、そんな岸先生に「小網代の森」の保全の歴史や、その根本に潜む「流域思考」という哲学、そして自然保護活動の裏に潜む思想についてお話を伺いました。

    ▲ついに会えた、アカテガニ! アカテガニは普段は陸で生活しており、産卵のときだけ海に入ります。その習性がまさに小網代の森を象徴するということで、この森のシンボルの生き物になったのだそうです。(岸先生インタビュー時に撮影)
    ――今日はよろしくお願いいたします。まずは、岸先生がどのようなお仕事をされているかについてお聞かせください。
    岸 メインの仕事は、鶴見川流域のNPOリーダーとして、温暖化豪雨時代に備えるための流域視野の防災・自然環境保全活動をすすめること。同時に、「小網代の森」の保全活動にも取り組んでいます。あとは、宮城県の牡鹿半島で流域の復興に取り組んだり、フィリピンの南にあるイロイロ市で防災文化育成の支援をしたりと、さまざまです。
     いずれにしても基本は「流域に降る雨水がどのように流れていくか」を考える仕事であると言えるでしょうね。ただ、その雨水をどう扱うかはさまざまです。たとえば、鶴見川では「洪水を起こさないためにはどうすればいいか?」というテーマに取り組んでいますが、小網代では逆に「湿原を潤す氾濫を誘導するにはどうしたらいいか?」ということを1年中考えているわけです。小網代では、雨が降るたびに小さな洪水を低地で起こすことで、湿原を維持するわけですね。

    ▲手を加える以前の「小網代の森」。地面は枯れ草と笹で覆い尽くされている
    岸 僕らがこの谷の湿原再生を本格的に始めたのは2009年からです。それから足掛け6年かけてやった最初の仕事の一つが、湿原の再生でした。大規模な湿原再生のために、土地の水分が増える仕組みを作ってきたんですね。湿原を再生するには、「住宅地で洪水を起こさないための施策」とは正反対の施策が必要になる。
     一番重要なのは、谷に集まった水がそのまま一気に川に流れ落ちて海に流れ出ないようにすることです。田んぼだったころは、畦(あぜ)のおかげで水が溜まっていたので、それを復活させればいい。(谷で作業するスタッフを指して)あそこでやっている作業がまさにそれで、大きい木を切り倒して、当時の畔のようにダムを作っています。

    ▲谷に杭を打ち込んで、ダムの元になる木を固定している
    ―― なるほど、田んぼと同等の機能を、もう一度作っていると。
    岸 そう、雨が上がった後、溜まった水がゆっくり染み出してくるような構造の谷をいくつも作って、5~10年かけて、出てくる水の量が増えてくるのを期待する。今は6年ぐらいかけて、やっとおおよその格好がついた段階です。
    ―― これって常にメンテナンスをしてないと今の状態は保てないんですか?
    岸 ここは、湿原とは言っても尾瀬やアマゾンとは違うんです。小網代の水は、雨水が絞り出されたものだけで、湧水があるわけでもないですし。V字谷だった場所に、人間が木を倒して土をためて、何百年もかけて水田を営むことで形成された地形だから、放置すると土が流れ出して、トンボも蛍も魚もいない真っ暗な谷に戻ってしまう。自然保護をやっている人の多くが理解していないことですが、「人間が手を加えなければ、生き物にとって一番いい自然になる」というのは、生態学を知らないトンチンカンな発想なんです。
    ―― より豊かに生き物が暮らせるために自然に手を加えていると。岸先生の本業である進化生態学の研究者としてのキャリアと、こういった自然保護活動の考え方には、どのような繋がりがあるのでしょうか?
    岸 ここにたどり着くまでの経緯はけっこう長いんですよ。
     僕は鶴見川の下流にある横浜市鶴見区の川辺の町で育ちました。洪水被害が激しい場所で、1958年から1982年の間に起こった鶴見川の大きな氾濫は、ほぼすべて受けた地域です。加えて、京浜工業地帯なのでスモッグの公害もひどくて、ぜん息に苛まれる母親を見て育ったので、どうやったら都市を安全で自然豊かで安らかな場所にできるのか、小さな頃から考えていました。
     破格の野性児でした。休日は夜明け前に家を出て、鶴見川を7キロほど遡った上流で、一日中魚を獲って遊ぶような生活を、小学校4年生くらいから送っていました。おかげで川の流れを基調とした徒歩圏内の大地の凸凹の地図が体の中にできているんですね。平面的な行政地図はどこかとっても気持ち悪かった。「これは僕の知っている大地じゃない」と、自分の体感の地図とのギャップをものすごく感じたんです。その後、紆余曲折あって大学に入って、生態学を勉強し、研究者としての暮らしもはじまって、いつしかその違和感の正体をつきとめる思索をはじめていたんですね。
     生態学者としては、70年代から台頭した進化生態学の流れに、日本ではたぶん最も早く合流していました。1980年にリチャード・ドーキンスの『The Selfish Gene』を、『生物=生存機械論』というタイトルで翻訳したのも、その流れの中でのことですね。
     その翻訳本がその後、『利己的な遺伝子』という本来のタイトルに戻されて大変な売れ行きになり、成果をあげた版元の紀伊国屋書店の担当者の紹介で『自然へのまなざし―ナチュラリストたちの大地』という本を出させてもらうことになったんですよ。
     その本を出すにあたって、僕はずっと感じていた地図への違和感について考えたんです。そのとき、僕のマザーマップ、体にしみついた心の中にある地図は、行政区分で仕切られたみんなが知っている地図ではなく、「鶴見川流域、鶴見川支流流域……」という流域の地図なんだと捉えたら、とてもしっくりきたんです。
    ■「流域思考」の地図を身に付ける
    岸 僕の専門は進化生態学なんですが、その一方でバイオエコロジー、草や鳥や魚といった生態系を総合的に扱う素朴な生態学も大好きでした。素朴な生態学で論文を書いても学位はもらえませんが、世の中のためになると思って、学生の頃から総合的な生態学をベースに都市計画に絡んだ提案をしたりしていました。
     1970年代から80年代にかけては、進化生態学の台頭期だったので、キャリアをつんで教授になる道は進化生態学のほうでやりましたが、それとは別に、私たちの文明の生命圏適応を推進するための理論・実践をどのようにすすめてゆくか、進化理論と生態学とをいかに統合するかを常に考えていました。
     そのコアで自分の中で固まっていったのが、「流域思考」なんです。
     そもそも、地球上の雨が降る土地は、例外なく流域に区分できます。
     首都圏でいうと、関東平野をつくっている利根川流域があって、その隣が荒川流域、その隣が武蔵野台地の細かな流域、神田川流域、渋谷川流域、目黒川流域、その隣に多摩川流域があって、さらにその隣に鶴見川流域があって、という具合に、最後はいずれも海に流れ込むかたちでジグゾーパズルのように、大地はそれぞれの流域で区分されています。
     つまり、皆さんは必ずどこかの流域の上に立っている。暮らしている。
     この小網代にしても、小網代の流域は、相模湾に面した小網代の入江に流れ込み、その南隣には、油壺の入江に流れこむ流域があって、北隣には三戸浜に流れ込む流域がある。小網代のてっぺんの反対側は東京湾に注ぐ小さな流域が並んでいる。

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  • 『Free!』『たまこまーけっと』『ユーフォニアム』に見る京アニ表現の次なる可能性 (『石岡良治の現代アニメ史講義』京都アニメーション:境界の両岸(2))【毎月第3水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.473 ☆

    2015-12-16 07:00  
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    『Free!』『たまこまーけっと』『ユーフォニアム』に見る京アニ表現の次なる可能性 『石岡良治の現代アニメ史講義』京都アニメーション:境界の両岸(2)
    【毎月第3水曜配信】 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.16 vol.473
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    今朝は、批評家の石岡良治さんの連載『現代アニメ史講義』の第2回後編をお届けします。
    前編では「青春」を描くアニメスタジオとしての京アニの特質を論じましたが、後編では『Free!』『たまこまーけっと』『響け!ユーフォニアム』などの近作から、京アニ表現の次なる可能性を考えます。
    ▼プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。跡見学園女子大学、大妻女子大学、神奈川大学、鶴見大学、明治学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて毎月のレギュラー番組「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
    『石岡良治の現代アニメ史講義』これまでの連載はこちらのリンクから。
    前回:『石岡良治の現代アニメ史講義』第2回 京都アニメーション(前編)「境界の彼岸」 
    ■ 日常系・空気系への移行期
     次は『けいおん!』(2009年)から『氷菓』(2012年)までの時期をみていきます。
     Key作品で得た学園フォーマットの可能性を拡大したことが、この時期の特徴として挙げられます。この時期「脱(だつ)いたる絵」の傾向が進んでいったのですが、それが堀口悠紀子デザインの『けいおん!』で明確になりました。堀口さんは今では「白身魚」名義でのイラストレーターとしての活躍が目立ちますが、『らき☆すた』(2008年)から京アニ作品に携わっています。堀口さんの絵柄は『らき☆すた』から『けいおん!』にかけて、「セカイ系」から「日常系・空気系」へと移行していきました。

    ▲らき☆すた ブルーレイ コンプリートBOX

    ▲けいおん!!(2期)Blu-ray Box
     この時期、『涼宮ハルヒの消失』(2010年)、『映画けいおん!』(2011年)で映画枠に対応するレイアウトに適応できるようになったと考えています。『涼宮ハルヒの消失』における長門有希の屋上シーン、『映画けいおん!』のロンドンでのライブシーンにおける放課後ティータイムとロンドンという街の両方が写っているシーンに顕著にみられます。
     私たちが考える京アニのイメージはこの時期に形成されたと言えるでしょう。『けいおん!』以降、京アニ視聴者が増加したというのが私の考えです。
    ■ 京アニはキャラクターをどう動かしているか
     この2つの劇場版の間で犠牲になった作品が『エンドレスエイト』(注1)です。
     日本ギャグ漫画界の巨星、漫☆画太郎先生の技法に「コピーアンドペースト(コピペ)」というものがあります。(参考資料:白石俊平「漫☆画太郎論 「罪と罰」を読んで」 )漫☆画太郎さんのコピペは、トラック激突オチが有名ですが、機械的な反復が中心で、ときどきバリエーションが加わるものです。それに対して『エンドレスエイト』は完璧に全てを身体化して、毎回作画をしていました。京アニの実験作は、動作をひとつひとつ丁寧に描いてしまう特徴があります。動かしすぎではないか、または物語に関係のない動作をしているのではないかと疑問に思っている方はいらっしゃると思います。私自身の嗜好としては、拙著『「超」批評 視覚文化×マンガ』でも語っているように、マンガやアニメ、その他が生き生きとした動きを期待されている場所で、生命性のあるモノが動作を止めたり、死を迎えたり、切断されるところにポテンシャルを感じます。

    (注1)エンドレスエイト:涼宮ハルヒシリーズ原作第6巻『涼宮ハルヒの暴走』に収録されているエピソード。2006年の第1期アニメ化の際には扱われなかったが、2009年のアニメ化の際には映像化された。終わらない夏休みを繰り返す内容で、アニメでは8話連続して細かな脚本や演出の異なるほぼ同じ内容が放映され話題となった。


    ▲涼宮ハルヒの憂鬱 ブルーレイ コンプリート BOX
     しかし、京アニのアニメに関しては、動作を止めてしまうとキャラクターが死んでしまうからこそ動かすのではないか、という強迫性をたまに感じます。キョン妹による「キョンくん、電話〜」というセリフの反復に、漫☆画太郎先生のトラックオチに似たようなものを感じます。京アニの動きは、演出とマッチングしていないこともしばしばありますよね。しかし、そこにこそ京アニの良さがあります。一時的な演出として効果的かつエコノミカルに奉仕するような動きとは限らないのが、京アニのある種の過剰さであると言えます。
     『日常』においても校長と鹿のプロレス対決を本気で描きこんでいます。ここに京アニの執拗な強迫観念があると言えるかもしれません。『群像』2015年7月号の随筆(石岡良治「再び書き始めるために」、322-3ページ)で、私は『ピタゴラスイッチ』について語っています。『日常』の第1話は、意外なギミックもあり伏線も回収している点で完璧なピタゴラスイッチであると思います。
     私の印象論ですが、京アニは、バラバラなものを因果関係で繋げるチェインリアクションで連鎖反応的に描くことが必ずしも得意ではないように思います。キャラクター単体の描きこみは良いのですが、キャラクター同士があまりかみ合わないと言い換えることができます。そのズレがドラマを生み出すとも言えます。しかし、なぜうまくかみ合わないかというと、一つ一つの物体やキャラが、特定の機能に還元されていないからです。キャラの個性が大事にされている反面、ピタゴラスイッチ的な「回路」にはなりにくいため、『日常』の装置的なギャグにはそぐわないようは気がします。また、ギャグアニメは「静」と「動」の動きでメリハリをつけるものですが、『日常』においては全てのキャラクターが動きすぎであるように思います。

    ▲日常 ディレクターズカット版 DVD-BOX
     しかし、『日常』は再構成されたNHK放映版(2012年にEテレで放映)で、そのような残念さがだいぶ軽減されていました。私が京アニを常にスゴいとは思わない理由として、「編集」のキレが必ずしもよいわけではないところを挙げます。『AIR』『けいおん!』(1期)のように「シナリオ進行の速さ」がうまく機能している場合もありますが、このようなケースは尺の都合で外的に生まれた成功のような気がします。『日常』はDVDを売る商売という点では必ずしもうまくいかなかった、すなわち京アニ売上神話を崩した作品と言われる時がありますが、そこで生まれた副産物が、シャッフルして編集し直した『日常』NHK版です。するとそこにはピタゴラ装置性が生まれました。映像の中でも「動き」の連鎖反応は起きるのですが、「編集」で切る作業によって、シーンとシーンのつなぎがメリハリのあるものになりました。その結果、『日常』NHK版は一定の評価を得ることになりました。もちろんそこでカットされた場面を惜しむ人も多いため、今私が言っているような、『AIR』『けいおん!』(1期)『日常』NHK版が好き、という感性を持っている人は、いわゆる狭義の京アニ原理主義者とは明らかに違うように思います。
    ■ アニラジ系作品の元祖としての『らき☆すた』
     
     『らき☆すた』についても少しだけ言及します。現在人気のラジオ番組『洲崎西』(注2)は『らき☆すた』的なものとされていますが、その中でもどちらかというと「らっきーちゃんねる」的なものであると言えます。また「らっきーちゃんねる」は『gdgd妖精s』から『てさぐれ!部活もの』に至るまでの石ダテコー太郎(石館光太郎)作品にも見られる「アニラジ」的な作品に影響を与えているのではないかとも考えています。「らっきーちゃんねる」の意義については今後さらに明らかになるところもあるので、続けて考えなければいけないと思います。
     また、『らき☆︎すた』の舞台である鷲宮神社は「聖地巡礼」として最も成功した場所であると言えます。しかし、『らき☆すた』の聖地性はデフォルメが効いたもの(http://blog.livedoor.jp/seichijunrei/archives/51979645.html )なので、絵面としてはフォトリアルなクオリティとはいえません。OPにおいても、春日部のいたるところで登場人物がダンスを踊っているのですが、背景が交換可能な感じに映っています。しかしそのような風景こそが「聖地巡礼」においてヒットしたということは、ある意味『らき☆︎すた』は京アニの中でも例外的な作品と言えます。シャフトの『ぱにぽにだっしゅ!』からの影響がしばしば指摘されますが、色々と別の展開をみたところが興味深いアニメです。

    (注2)『洲崎西』:2013年7月2日から超!A&G+で放送されているラジオ番組。パーソナリティは若手女性声優の洲崎綾、西明日香。

    ■ 女性の視覚的快楽へと踏み出した『Free!』
     最後は『中二病でも恋がしたい!』(2012年)以降の時期です。この時期は自社レーベルが中心となっていった時期でした。この時期の作品で、私が素晴らしいと思う作品は『Free!』シリーズ(第1期は2013年、第2期は2014年放映)です。『Free!』は基本的には男性キャラが演じた『けいおん!』と言えるもので、そこに新しい要素が加わったものと考えています。一般的に女性向けコンテンツは、BLなどの性的な要素を展開するときにも、直接的な「肉体描写」よりは、登場人物同士のセリフや視線のやり取りなどの「関係性」に特化したものが多いと言われています。男性向けコンテンツが、女性キャラの容姿やボディパーツなどの「視覚的快楽」に向けられるのに対して、「関係性の妄想」を誘うような描写が際立つという形で対比されてきたわけです。典型的なのは、スカートを履いたキャラが出てくるときのニコ動でのコメントです。特にスカートの中が見えていない時でも、ネタのように「みえ」というコメントがほぼ確実に出てきます。それだけ男性向けのアニメ描写が「視覚的快楽」に向けられているわけですが、女性向けの場合には、それっぽいセリフの方がより作りこまれる傾向が多かったわけですね。

    ▲Free! 1 [Blu-ray]
     そこで『Free!』が画期的だったのは、OPで全員が上半身の筋肉を見せつけ、直接的な視覚的快楽要素を全面展開しているところです。乙女ゲーやBLコンテンツなどの、男性キャラが多数現れる作品では、もちろん何人か肉体派キャラがいることが多いのですが、『Free!』がすごいのは、葉月渚のような、通常なら筋肉が強調されることがないかわいい系ショタキャラであっても、当然のように筋肉質に描かれていることです。「上半身の魅力」へのこだわりをスタッフが表明していることが知られていますが、そうした筋肉描写が可能になったのは、京アニの作画の力があってこそといえます。全員腹筋が割れていることに加えて、例えば橘真琴は背筋の描写へのこだわりが徹底していて、回を追うごとにムキムキになっていっています。「視覚的快楽」というキーワードは、ローラ・マルヴィ(注3)というフェミニズム映画理論家の論文に出てくる言葉なのですが、そこではもっぱら「女性の身体が男性視聴者に対して現れる姿」が批評されていました。言うなれば、『Free!』は深夜アニメの世界において、この関係性を反転し、女性視聴者にとっての視覚的快楽としての筋肉、という描写を確立したのではないか、と考えています。

    (注3)ローラ・マルヴィ:フェミニズム映画理論家。1975年の論文「視覚的快楽と物語映画」で、古典的ハリウッド映画において女性が「見られる存在」として描かれることによって、観客の視線が常に男性的主体として位置づけられることを指摘した。


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  • 【新連載】粟飯原理咲『ライフスタイルメディアのつくりかた』第1回「ライフスタイルがコンテンツになる」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.472 ☆

    2015-12-15 07:00  
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    【新連載】粟飯原理咲『ライフスタイルメディアのつくりかた』第1回「ライフスタイルがコンテンツになる」【毎月第3火曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.15 vol.472
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    今月よりPLANETSメルマガでは、アイランド株式会社代表の粟飯原理咲さんによる連載『ライフスタイルメディアのつくりかた』をお届けしていきます!
    インターネット登場後、料理ブログを始めとするライフスタイルメディアは、なぜ「新たな流行の発信地」になっていったのか? これまでのような「問題解決型」ではなく、日々の生活を豊かにする「共感型」メディアとしてのインターネットの可能性に迫ります。

    ▼プロフィール
    粟飯原理咲(あいはら・りさ)
    アイランド株式会社代表取締役。国立筑波大学卒業後、NTTコミュニケーションズ株式会社先端ビジネス開発センタ勤務、株式会社リクルート次世代事業開発室・事業統括マネジメント室勤務、総合情報サイト「All About」マーケティングプランナー職を経て、2003年7月より現職。同社にて「おとりよせネット」「レシピブログ」「朝時間.jp」などの人気サイトや、キッチン付きイベントスペース「外苑前アイランドスタジオ」などを運営する。美味しいものに目がない食いしん坊&行くとついつい長居してしまう本屋好き。
     ジャーサラダ――という言葉を耳にしたことのある読者の方はいるでしょうか。
     密閉されたビンの中に野菜を層状に入れて作り置きできるというサラダレシピで、今年2015年の春夏に女性たちのあいだで大流行しました。雑誌やテレビ番組でも多数取り上げられたので、男性読者の方も知っている人は多いかもしれません。

    ▲ジャーサラダ 
    勇気凛りんオフィシャルブログ「勇気凛りん料理とお菓子 rinrepi☆」Powered by Ameba 
      このレシピ、元々はニューヨークでベジタリアンを中心に人気を集めていたそうですが、それを日本で火につけたのが、ジャーサラダ流行の立役者として有名な“勇気凛りん”さんという女性ブロガーの方でした。そう、このレシピはインターネット発で日本に輸入された流行だったのです。
     ところで、この“勇気凛りん”さんという名前も、耳に覚えのある人がいるかもしれません。
     彼女は、大人気の料理ブログ「rinrepi 勇気凛りん料理とお菓子」の中の人であり、「大葉にんにく醤油」などのアイディア調味料の発案者。そして現在では、発売5ヶ月で売上100万個に達したという新感覚アイス「サクレ・デ・スイーツ」や「ハチミツみそ」などのレシピを企業と開発する、人気の料理家として活躍されている女性です。
     新しいトレンドの創出者としても注目されていて、2015年には、前述の「ジャーサラダ」を掲げたサラダレシピの本や、秋に流行ったオーブンレシピの本「シカゴ発絶品こんがりレシピ」(イカロス出版)を出版。そして次には、後述するレシピブログの2015年料理ワード大賞でも“新ワード”として挙がっている「スキレット」レシピの本も出版予定と、彼女が提案するお料理は常に注目の的です。

    ▲シカゴ発絶品こんがりレシピ (ーグラタン・キャセロール・スキレット・オーブン料理 本当はおいしいアメリカ料理ー)
     ところが、この“勇気凛りん”さんにとって、インターネットのレシピ投稿サイトと出会うまでは、料理はただの趣味でしかなかったそうです。
     料理はずっと大好きでしたが、家族に披露したり、自宅で開いていたビーズ教室でお菓子を配ったりという程度。それがあるとき、周囲の奨めでインターネットでレシピを発表しはじめると、彼女の創意工夫にあふれた素敵なレシピは、すぐに女性たちのあいだで話題になっていきました。
     そして、彼女にとって大きな転機になったのが、2008年に前記の料理ブログ「rinrepi 勇気凛りん料理とお菓子」をはじめたときのことです。面白いことに、このブログの内容は料理のことだけを書いたものではありませんでした。そこにはレシピだけでなく、彼女が当時家族と暮らしていたアメリカでの日々の何気ない生活や食事情が記された文章が並んでいました。
     このブログはすぐに大人気になりました。彼女の描くアメリカ・シカゴでの生活に多くの人が憧れて、コメント欄はまるでチャットのように盛り上がることもしばしばでした。そして、このブログのコメント欄で連絡を取ってきた出版社の編集者との出会いから、彼女は一気にサクセス・ストーリーを駆け上がっていくことになったのでした。
     こうしたネット発の“カリスマ女性ブロガー”は、今や決して彼女だけではありません。勇気凛りんさんは最も人気のある料理ブロガーの一人だと思いますが、他にも多くのファンを抱える方はたくさんいます。料理ブログのジャンルではベストセラーブロガーが多く輩出され、なかにはご自身の書籍がシリーズ350万部を超えている方も登場していますが、もちろん料理以外のジャンルも同じ現象が起きています。お片付けなどの家事が上手であると女性たちのあいだで話題になり、本を出版するような人もいらっしゃいます。
     でも、こんな話はインターネットがブログという形で一般の人々に普及するまで、多くの人には想像さえできなかったことだと思います。ところが、彼女たちがインターネットを手にしたとき、彼女たちの家庭での生活に光が当たりました。そして、本が出版されたときには100万部単位のベストセラーが成立するほどの規模の市場が生まれてしまったのです。
    ■ ライフスタイルメディアとは
     私が代表を務めるアイランド株式会社という会社でも、実はこうした料理ブロガーさんのブログが集まってくる「レシピブログ」(!)という名前のサービスを運営しています。

    ▲レシピブログ
     サービスを始めたのは2005年の8月で、ちょうど彼女たちのような料理ブロガーがブログを書き始めた頃のことでした。当時のことを思い返すと、現在とはずいぶんと状況が違っていたなと感じます。たとえば、レシピブログでは創業当時から、半ば使命感を抱きながら、素敵な料理ブログを書かれているブロガーさんを、出版社の編集部にご紹介する営業を行ってきました。
     しかし、当時はなかなか理解を得られるのが難しく、ダメ元で何度も何度も足を運んだ記憶があります。後に料理ブロガーの特集を組んでいただいた編集部からでさえも、「素人さんはちょっと……」と断られてしまったことさえありました。
     その後、料理ブロガーさんの書かれたレシピ本からヒット作が生まれたり、レシピブログを取材した新書が登場するなどして、少しずつ状況は変わっていきました。また、その過程でレシピブログのランキングが本の帯に「レシピブログで1位!」などと書かれるようになり、私たちのサービスの認知度も上がっていきました。 これまで、レシピブログにご登録いただいている料理ブロガーさんが出版された書籍は400冊を超えていて、前述の350万部を超えた事例などに驚く人も多いのではないでしょうか。

    ▲レシピブログの人気料理ブロガーが多数登場する「レシピブログmagazine」
     この「レシピブログ」というサービスを、私たちはこの連載のタイトルにある「ライフスタイルメディア」であると考えています。
     ライフスタイルメディアというのは、生活にかかわる、まさにライフスタイルの情報を発信するメディアのことを指す言葉です。アイランドでは、この「レシピブログ」の他にも“全国のお取り寄せ品”が集まる「おとりよせネット」や、“朝活”という言葉に代表される朝型生活を提案するサイト「朝時間.jp」(※)などのサービスを行っており、主要事業をこのライフスタイルメディアの運営と位置づけています。(※朝時間.jpは、2014年に株式会社VOYAGE GROUPと弊社との合弁で新運営会社「株式会社メルメディア」を設立)。
     しかし、このライフスタイルメディアは、なかなかまだ理解されていない部分があるように思います。
     たとえば、そこで発信しているブロガーは、どんな人たちなのでしょうか。
     昔から料理家や家事アドバイザーのような職業はありました。たとえば、私も大好きな料理家・栗原はるみさんや飛田和緒さんは、とても素敵なレシピを発信されてきた、まさにこうした人々の先駆けのような方です。
     しかし、やはり彼女たちと現在の料理ブロガーのような人たちには、違うところもあるように思うのです。
    ■ 料理ブロガーは「ライフスタイル」の発信者
     まず、かつてのそうした職業は偶然にマスメディアの誰かに見つけられて、初めて仕事として成立するものだったように思います。
     料理家さんにしても、やはり旦那さんがマスコミ業界で働いていたり、編集部に偶然知り合いがいたり、というのが世に出る主なキッカケであったと聞きます。少なくとも、料理家というのは簡単に目指そうと考えられるような身近な仕事ではなかったのではないでしょうか。
     でも、勇気凛りんさんなどの人気料理ブロガーはそうではありません。日々、夫や子供のためにレシピを考えたり、家事にいそしんでいる女性たちの一人ひとりが、そのブログのファンになることで生まれてきた、まさにネット発の「カリスマ」なのです。
     もう一つ大きな違いがあります。
     それは、彼女たちが発信しているのが必ずしも美味しいレシピや日々の家事のコツ“だけ”ではない、ということです。
     実は彼女たちのブログを読んでみるとわかりますが、料理の話題は最後の方にちょこんと付けられているだけで、記事のほとんどは日々の生活で感じていることなどについて報告されたものだったりします。知らない人は「えっ」と驚くかもしれないですが、先の勇気凛りんさんのブログも含めて、多くの料理ブログで書かれているのは、実は彼女たちの生活そのもの――まさに「ライフスタイル」の発信なのです。
     その姿は、ファッション業界における「読者モデル」に似ているかもしれません。
     “読モ”が最新のファッションの着こなしを教えるカリスマであるだけでなく、女性たちのライフスタイルの発信者であるように、彼女たちもまた家事のカリスマであると同時に、やはりライフスタイルの発信者なのです。これは私たちがレシピブログを「ライフスタイルメディア」と位置づけている理由でもあります。
     ちなみに、私はこうした人たちの発信する情報を「ライフスタイルコンテンツ」と呼んでいます。これはインターネットをキッカケに登場した、新しい形のコンテンツなのではないか――そんな気がするのです。
     と言っても、彼女たちが発信しているのは、料理のレシピであったり、上手な家事の済ませ方だったり、あるいは日々の生活に小さな彩りを与える工夫であったり……というもので、ミュージシャンの奏でる音楽や作家の生み出す小説のようなものとはイメージが違います。確かにカリスマではありますが、共感が大事になっている、とても身近な“隣りにいるカリスマ”のような人々です。女性誌などのマスメディアで語られるライフスタイルが、いわば読モの方などが演じるキラキラした“バーチャル”の世界として発信されるのに対して、彼女たちは生身の人間として、私たちにとって“リアル”な等身大のライフスタイルを発信しています。
     しかし、彼女たちにもまた、そのライフスタイルに憧れ、その発信する情報を心待ちにしているファンがいます。そして、彼女たち自身もそういうお客さんの目を意識しながら、日々の情報を丁寧に発信しています。
     実際、人気のあるブロガーさんは、情報の発信の仕方もとても上手です。レシピブログではランキング常連になった人気ブログを「殿堂入り」に認定しているのですが、その一つである「かな姐さん」という方のブログは、まさにファンの人の目線をしっかりと意識したものです。彼女の場合は、自分の子育ての日々をブログに記しているのですが、古くからいる常連の人にも初めての読者にも読みやすい文章を心がけていて、編集者のようなセンスさえ感じるほどです。
    ■ 「自己表現」としての料理
     それにしても、この料理や家事の達人になっている女性たちというのは、いったいどこから現れたのでしょうか。
     もちろん、ここに来て突然に現れたわけではありません。彼女たちの多くは素晴らしい家事の技能を持っていながら、それを夫や周囲の近い人々にしか披露してこなかっただけなのです。特に初期のブロガーの人たちとなると、よもや自分が有名になりうるという考えさえなく、ただ自分の好きなことを発信していただけでした。
     また、女性たちの間でカリスマ的な料理ブロガーが生まれるようになったのも、急にレシピや家事への意識が高まったからではありません。女性たちのあいだではずっと家事や料理が上手な女性は尊敬を集めていました。家庭の中で素敵な生活をしている人たちはこれまでにもたくさんいて、それに憧れている人もたくさんいたのです。
     ただ、そこにある日インターネットの光が当たったとき、彼女たちは自ら発信するようになり、たくさんのファンが生まれて、新しい文化が生まれたのです。時には勇気凛りんさんのように本が出版されて企業と仕事をする料理家になり、自己実現へと繋げていく人も現れました。
     そうして現在、ついにソーシャルメディアの登場を経て、彼女たちが発信する料理のレシピは、まるでファッションや音楽のように「流行」が巻き起こるようになりはじめています。

    ▲「かな姐さん」こと、井上かなえさんが出版した「てんきち母ちゃんの 朝10分、あるものだけで ほめられ弁当」(文藝春秋刊)より。写真:志水隆(文藝春秋)井上かなえオフィシャルブログ 母ちゃんちの晩御飯とどたばた日記
     たとえば、今年流行した「おにぎらず」はその一つです。これは、ご飯を握らずにそのまま海苔で包むというレシピですが、その背景にはインスタグラムやFacebookなどの画像投稿機能が広まったことがあります。「おにぎらず」の流行で重要だったのは、通常のおにぎりと違って、自分がどんな具をつかっているのかが見えたことです。「私は、こんな具で握ったんだよ!」というのを、周囲の人々に写真とともに伝えることが出来るのです。
     ソーシャルメディアの登場で、まるでファッションのように他人に見せるための、「自己表現の記号」としての料理が現れはじめているのです。
     しかも面白いのは、こんなふうにライフスタイルコンテンツを家庭の外に向けて発信していると、それを発信する人たちがまずます自分の家を綺麗に、素敵なものにしていこうとする相乗効果が生まれてくることです。
     実際、レシピブログでユーザーアンケートを取ってみると、ブログで発信するようになって旦那や子供から「変わったね」と言われるようになった、という意見がしばしば届きます。自分が頑張ってつくったレシピや部屋の内装の成果が、家庭の「外」にある世界へとつながっていると実感できると、かえって家庭の「内」のことを頑張ろうというモチベーションが湧いてくるのです。そうして家族もますます素敵な家に住むことができるというわけです。
     また、こういう話は日本の女性たちに限った話ではないのかもしれません。
     たとえば、昨年話題になった『ハウスワイフ2.0』という本では、自分の意志で専業主婦になることを決めた米国の高学歴の女性たちが、ブログやソーシャルメディアを通じて自分の日々の生活を発信することで、外の世界と交流を保ちながら心豊かに生活しているという話が書かれていました。こうしたライフスタイルは私たちがソーシャルメディアとパートナーシップを結んだときに、登場してくるような文化なのかもしれません。
    ■ 日々の生活を豊かにするメディア
     そろそろライフスタイルメディアに話を戻します。

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  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」12月7日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.471 ☆

    2015-12-14 07:00  
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    月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」12月7日放送書き起こし!
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.14 vol.471
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    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!

    ▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!
    ■オープニングトーク
    宇野 時刻は午後11時30分をまわりました。みなさんこんばんは、評論家の宇野常寛です。僕はこの土日に、ものすごく久しぶりに、実家のある札幌に行ってきました。札幌学院大学という私立大学から「講演に来てほしい」っていう依頼を受けたんですよ。交通費とかホテル代とかの予算を全部出してくれるというので、飛行機に乗って津軽海峡を渡ってきました。
    この秋は地方へ行って講演してくることが多かったんですよね。たとえば大阪で「2020年のオリンピックを面白くするにはどうしたらいいか」というテーマについて話してきたり、神戸で「戦後アニメーションとインターネット文化の関係」というテーマでガッツリ講演してきたりしました。そして今回、この札幌では何について話してきたかというと、ここに大学側がつくったチラシがあるんですけど、大学の先生がつけた講演のタイトルが載っているので読み上げますね。「宇野常寛講演会『AKB48グループで社会科学する』」。
    このテーマは大学の指定だったんですけれども、講演の内容からして、おそらく主催者にオタがいると思ったんですよね。半オタ業界人ならぬ、半オタアカデミシャンですよ。ちなみに学者先生でアイドルオタクの人って実際にけっこういるんですよ。たとえば千葉大学の藤川大祐教授がそのひとりです。彼は、僕の身の周りの堅めの出版社若手社員が「この藤川先生という人は将来すごく偉くなるから、今のうちに挨拶しておいたほうがいいよ」とか言われているような、教育界のホープなんですよ。そんな藤川先生と彼が、宇野事務所で10年ぶりの再会を果たしたんですが、藤川先生が自分の推しメンを表紙にした『授業づくりエンタテインメント!』っていう本を見て愕然としてましたね。そういう人ってやっぱり世の中にいるんですよ。
    だからオファーをもらった時点で、この講演会の窓口になってくれていた神谷章生さんという法学部の政治学者の人がガチオタなんじゃないかって思ったんですよ。それも、AKB48本体のファンじゃなくて、どこかの地方の姉妹グループのファンなんじゃないかなと思ったんです。なぜかというと、タイトルに「AKB48グループ」というふうにわざわざ強調してあるんですよね。こういう強調の仕方は、姉妹グループのファンじゃないとやらないですね。「AKBの秋葉原のあの本体だけがAKBグループじゃないぞ」っていう自意識を強く持ってるってことだと思うんですよ。
    だからね、どんな半オタアカデミシャンが出てくるんだろうと思って、結構手ぐすね引いて待ってたようなところはあったんですよね。そして当日が訪れました。朝7時半に起きて10時くらいに羽田から飛行機に乗って、JRを乗り継いで、計5〜6時間かけて札幌の隣の江別という街にある札幌学院大学へ行ったんです。そして、会場の入り口につくと恰幅のいい感じの男の人が待っていました。

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  • インターネットの理想はIoTでこそ実現される? 落合陽一 meets DMM.make AKIBA(第1回ゲスト:小笠原治・後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-12-12 17:00  
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    【無料公開】インターネットの理想はIoTでこそ実現される?落合陽一 meets DMM.make AKIBA第1回ゲスト:小笠原治・後編
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.12 号外
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    ネットでもリアル書店でも話題沸騰中の落合陽一さんの著書『魔法の世紀』。本の内容をさらにフォローアップすべく、PLANETSメルマガでは落合さん出演のイベントや記事を連続で無料公開していきます!
    本日お届けするのは、日本のメイカーズムーブメントの拠点「DMM.make AKIBA(以下make)」で行われた、makeの前プロデューサーで現在はエヴァンジェリストとして活動中の小笠原治さんとの対談イベントの後編です。
    この後編では、シンギュラリティ(技術的特異点)以後の人類社会の姿や、そういった大変革を促すための教育等の仕組みづくりについて語りました。
    前編はこちらから。

    【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
    ☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
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    取り扱い書店リストはこちらから。http://wakusei2nd.com/series/2707#list
    ▼プロフィール
    落合陽一 (おちあい・よういち)
    1987年生,巷では現代の魔法使いと呼ばれている。筑波大でメディア芸術を学んだ後,東京大学を短縮修了(飛び級)して博士号を取得。2015年5月より筑波大学助教,落合陽一研究室主宰.経産省より未踏スーパークリエータ,総務省より異能vationに選ばれた。研究論文はSIGGRAPHなどのCS分野の最難関会議・論文誌に採録された。作品はSIGGRAPH Art Galleryを始めとして様々な場所で展示され,Leonardo誌の表紙を飾った。応用物理,計算機科学,アートコンテクストを融合させた作品制作・研究に従事している。BBC,CNN,TEDxTokyoなどメディア出演多数,国内外の受賞歴多数.最近では執筆,コメンテーターなどバラエティやラジオ番組などにも出演し活動の幅を広げている。
    小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1971年京都府京都市生まれ。株式会社nomad 代表取締役、株式会社ABBALab 代表取締役。awabar、breaq、NEWSBASE、fabbit等のオーナー、経済産業省新ものづくり研究会の委員等も。さくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役。2006年よりWiFiのアクセスポイントの設置・運営を行う株式会社クラスト代表。2011年に同社代表を退き、株式会社nomadを設立。シード投資やシェアスペースの運営などのスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化、株式会社ABBALabとしてプロトタイピングへの投資を開始。
    ■ ゲートをどうなくすか?
    (ここで本誌編集長・宇野常寛が登場)
    宇野:一ついいですか。
    いまのゲートの話について質問したいんです。先日対談したときに、小笠原さんが最近インターネットが面白くないと言っていたのですが、それって今まさにお二人が話されているように現代のインターネット業者がみんな「自分たちこそが新しいゲートである」とドヤ顔し始めたことにあると思うんですよ。
    そこで特に小笠原さんに聞きたいですが、どうすればインターネットを本来の「“インター”なネット」に戻すことができるのでしょうか。
    小笠原:僕としては、人間のインターネットの限界をちょっと感じ始めたというのがあります。結局、人間が商業的な活動をする以上は前に出ざるを得ないし、これがゲートみたいなものを生むのだと思うんです。それに対して、逆に物事と物事をどう繋げ合っていくかの方が僕は楽しいですね。
    宇野 つまり「人のインターネット」にこだわっている限り、どんどんゲートが生まれていくし、どんどんホワイトカラーを生んでいくし、どんどん中間搾取団体を生んでいく。そして、ついにはマスメディアの劣化コピーのようなものになっていく。そういう理解でいいですか?
    小笠原:ええ、そういうふうに僕は思ってます。
    落合:じゃあ、アフィリエイターのことは「インターネットホワイトカラー」とでも呼ぶといいですよね。インターネットが逆に作った高知に住んでる男とか、インターネットが逆に作ったホワイトカラーとしての秒速で稼ぐ男とか、いっぱいいるじゃないですか。やっとインターネットによって脱構築できたのに、なんで構築してるんだろう、という話ですよね。
    小笠原:それ、落合さんの感情からの話じゃないですよね(笑)。
    宇野:でも、インターネットが登場したときには、中間的なものをなくしていく存在として正しく機能していたはずなんですよね。それがどうして、この10、20年の間に中間的なものを再生産・再定義するものとして肥大してしまったのでしょうか。
    落合:エントロピー(注1)が拡散し過ぎたんだと思いますよ。そして、そういう状況でエントロピーを集約させるのに人間が必要だったんだと思います。
    最初は、インターネットは情報を発散するツールではなくて、エントロピーを減らすツールだったんですよ。情報をインデックス化して、どうやって拡散したエントロピーを減らすか、みたいなことをしていたのが、いつの間にか無制限に流れ込んできた情報をユーザーが拡散させていくものになった。その結果、高知男や秒速男みたいなのが登場してきたんだと思います。でも、逆に言えば今あるキュレーションメディアくらいのことが自動で出来るようになれば、高知男の年収はゼロ円になるはずですけどね。

    (注1)エントロピー:もともとは熱力学および統計力学において定義される示量性の状態量のことだが、転じて「情報の乱雑さや不確実性」という意味でも用いられる。

    宇野:つまり情報が自律していないせいで、どうしても「イケダハヤト的」なゲートを必要としてしまったわけですよね。それに対して、情報同士が勝手に自律的に動いて、勝手にコミュニケーションして、擬似自然を作っていけばそれは解決するという理解でいいですかね。
    落合:僕はそう思ってますね。ぶっちゃけ10年以内に人工知能は、高知男を1秒間に5人くらい作れるようになるので(笑)、そうなってきたらまた話は変わると思いますよ。
    宇野:ちなみに、僕はイケダハヤトさんは普通に好きですけどね。ブログも毎日見てて、「俺、東京で消耗してる。ヤベェ、三浦半島とかに引っ越した方がいいんじゃないか」なんて、マジで思ってます(笑)。
    落合:俺もブログずっと読んでるんですよね。インターネット構造に対する疑問と、彼本人のことが好きかとは別の話で(笑)。
    宇野:だから、僕らはゲートにお金を発生させてる側の人間なんですけどね。本人に「高知遊びに行きたいです」とか言ったりしてますから(笑)。実際、マジで鰹(かつお)とか美味しそうですからね。

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  • 戦後史としてのロボットアニメと〈移体性〉――フランス人オタクと日本アニメ熱狂の謎に迫る 『水曜日のアニメが待ち遠しい』著者 トリスタン・ブルネ インタビュー・後編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.470 ☆

    2015-12-11 07:00  
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    戦後史としてのロボットアニメと〈移体性〉――フランス人オタクと日本アニメ熱狂の謎に迫る 『水曜日のアニメが待ち遠しい』著者トリスタン・ブルネ インタビュー・後編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.11 vol.470
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    毎週金曜は「宇野常寛の対話と講義録」と題して、本誌編集長・宇野常寛本人による対談、インタビュー、講義録をお届けしていきます。
    今回は『水曜日のアニメが待ち遠しい』著者で、日本のアニメ・漫画のフランスでの受容構造を研究しているトリスタン・ブルネさんへのインタビュー後編です。ブルネさんの提唱する「移体性」という概念のもつ可能性について、丸山眞男の「無責任の体系」等とも比較しながら、より踏み込んで語り合いました。
    ▼プロフィール
    トリスタン・ブルネ
    1976年フランス生まれ。ジュネーヴ大学大学院博士後期課程在籍。日本史学研究。翻訳家。日本のアニメ、マンガなどに造詣が深く、フランス語版『北斗の拳』をはじめマンガの翻訳に携わる。2004年に初来日。以後、留学経験を経て、現在は、日本の大学や語学学校で、フランス語、フランス思想の講師もつとめている。著書に『水曜日のアニメが待ち遠しい』(誠文堂新光社)。
    前編はこちらから。
    ■ 主体性なき日本人の「移体性」
    宇野:ブルネさんは研究者としては、日本の歴史を専門にされているそうですね。
    ブルネ:日本の「史学史」、つまり日本における歴史の描かれ方を研究しています。博士論文のテーマは、55年に刊行された遠山茂樹らによる『昭和史』と、それへの批判から起こった、いわゆる「昭和史論争」です。この論争は、日本がなぜ戦争という悲惨な歴史を歩むことになったか、そこに至る歴史の描き方を、当時のマルクス主義者である遠山たちと、評論家・亀井勝一郎をはじめとする批判者が議論したものでした。僕はそれを、日本アニメの物語構造を読み解くヒントとしても、重視しているんです。
    宇野:なるほど。僕が、ブルネさんは戦後の日本思想の研究者でもあると知って思ったのは、「移体性」という概念が、丸山眞男の言う「無責任の体系」と近いということなんです。つまり、社会にコミットしている自分はじつは自分ではなく、大きなものの顔色を伺った結果、主体的な判断なしで生み出された自分だ、と。ブルネさんの言う、主体でも客体でもない日本人の自己意識の持ち方には、これとの密接なつながりがある。戦後の中流文化を代弁しうる日本のロボットアニメは、同時に、独裁者のいないファシズムを生んでしまう「無責任の体系」と、表裏一体の関係にあると思うんです。
     これに対して日本の多くの知識人は、その移体性を捨てろと言ってきた。要するに、近代的な主体になれ、と言ってきたわけです。しかし果たして、そんな単純な問題なのか、という疑問がある。ブルネさんの本で描かれていたのは、むしろそれを捨てることで、戦後の中流家庭はアイデンティティーを見失い、新たな空白が生まれるかもしれない、ということでしょう。その意味であの本は、丸山批判でもあるのではないか。
    ブルネ:たしかによく言われる「日本人の主体性のなさ」は、移体性とも関係するかもしれませんね。ただ、日本で梅本克己のようなマルクス主義者が主体性の確立を叫んでいたころ、フランスでは存在論のブームがありました。とくに作家のアルベール・カミュの存在論なんかは、主体と客体の間の不条理を強調している。フランスにも、主体性は自明的にずっとあったわけではないんですね。もうひとつ、第二次世界大戦以前のフランスを含むヨーロッパの国々には、じつは日本的な移体性や、勧善懲悪的ではない大衆文化が多くあったんです。たとえば怪盗をヒーロー化した『アルセーヌ・ルパン』もそうです。しかし戦後に残ったのは、アメリカ型の物語だけだった。善悪はくっきり分けられるようになり、移体性を可能にする抽象的なスペースは失われていった。
    宇野:一方の日本の戦後アニメは、移体性を捨てずにどう成熟するのかをずっとテーマにしてきました。ヨーロッパでは失われたのに、なぜ日本では移体性が生き残ったのか。僕の仮説は、日本には元から主体性はなく、移体性しかなかったからというものです。
    ブルネ:なるほど。反対にフランスでそうした文化の側面が失われたひとつの原因は、移体性に目を向けることが「ナチス的」と捉えられがちだったからかもしれません。
    宇野:実際にナチスのデザイン面は、現代のサブカルチャーに大きな影響を与えていますよね。
    ブルネ:そうですね。日本アニメを輸入し始めた1970年後半には、すでにエリートを中心にした大人たちが、戦うロボットに自身を投影して熱狂している子どもたちの姿を見て、「ナチ的だ」「大衆に悪い影響を与えている」「暴力の賛美」などと言っていました。もちろんそこには、戦中の日本の軍国主義のイメージから来る偏見もあります。あと蛇足的なことですが、『グレンダイザー』のオープニングテーマが仏語訳された際、そこに「土地」という単語が入ったんですね。「我々の土地を守れ」といったような歌詞として届けられた。それで「やっぱり差別的だ!」という反応を生んだんです。
    宇野:そんな経緯もあったんですね。
    ブルネ:ただそうやって、日本アニメが与えてくれる移体性の経験を隠蔽しようとした結果のひとつとして、一部の人々の極右化を招いたと僕は思いますね。
    宇野:自分たちのアイデンティティーを表現するカルチャーを持ってないがために、ネオ・ナチのような極右化が起こってしまった、と。
    ブルネ:いまのフランスが直面している移民問題の拡大も、それとは無関係ではないはずです。自分たちを物語に仮託できないこと、つまり移体性を経験できない不満を解消するために、「排外主義」という最悪の物語に染まってしまったんじゃないか。僕の少年時代の経験からすると、日本アニメは差別的でも何でもなく、フランス人の子どもも移民系の子どもも、同じように楽しむことのできる、共通の話題だったんですよ。
    宇野:日本は先進国の中でも階級差が少ない国だと思うんですが、日本のサブカルチャーの特徴は、エリートからブルーカラーの子どもまで、みんな同じ作品を愛していたことにあると思います。戦後の中流化、つまりフラット化と、アニメ受容のフラット化は重なりながら進んだ。しかし問題は、いまそのアニメの力が失われていることです。
     日本では80年代前半に若者向けのサブカルチャーが大きく発展するのですが、その受容者というのは、基本ノンポリです。彼らはベビーブーマーたちを揶揄して「政治的な話をするのはカッコ悪い」と主張していた。ただ、サブカルチャーの受容者たちの中でも、アニメファンを中心とした今で言う「オタク」たちはちょっと違った。彼らは同世代の中では相対的にだけど政治的だったと思います。ただ、それは旧世代のようにイデオロギー回帰しているという意味ではなく、プラグマティズムとリアルポリティクスに基づく態度でした。ところが90年代後半以降になると、このオタクたちの多くは排外主義的な右翼になってしまった。その背景には、かつてアニメが持っていた移体性の力を、日本のアニメファンたちが信じられなくなったことがあると思う。
     僕の理解では、かつてのオタクたちが保持していたプラグマティックな政治性は、戦後中流文化の生んだ独特の社会的な立ち位置と、その表現としてのブルネさんのいう「移体性」と深く結びついていた。要するに、戦後中流的な「移体性」的な社会へのコミットの抽象化された表現が「ガンダム」の代表するロボットアニメだった。
     しかし、日本社会からは戦後的中流文化は後退し、アニメも移体性の表現を担いきれなくなっていっていると思うんです。
    ブルネ:移体性には、自分の欠落を埋め合わせる部分があるので、それがアニメなどのカルチャーから与えられないと、「国民的なプライド」という方向に向かってしまうんでしょうね。アニメも誰かから与えられたものである点は変わらないけれど、想像力という媒介を経ていました。いまの排外主義には、想像力の枯渇しか感じません。

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  • インターネットの理想はIoTでこそ実現される? 落合陽一 meets DMM.make AKIBA(第1回ゲスト:小笠原治・前編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

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    ネットでもリアル書店でも話題沸騰中の落合陽一さんの著書『魔法の世紀』。本の内容をさらにフォローアップすべく、PLANETSメルマガでは落合さん出演のイベントや記事を連続で無料公開していきます!
    第1弾となる今回は、日本のメイカーズムーブメントの拠点「DMM.make AKIBA(以下make)」で行われた、makeの前プロデューサーで現在はエヴァンジェリストとして活動中の小笠原治さんとの対談イベントの様子をお届けします。『魔法の世紀』で詳細に語られることのなかった、「IoT(Internet of Things=モノのインターネット)」を取り巻く日本特有の状況とは? 本記事の後編は今週土曜に公開予定ですので、そちらもお楽しみに!

    【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
    ☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
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    落合陽一 (おちあい・よういち)
    1987年生,巷では現代の魔法使いと呼ばれている。筑波大でメディア芸術を学んだ後,東京大学を短縮修了(飛び級)して博士号を取得。2015年5月より筑波大学助教,落合陽一研究室主宰.経産省より未踏スーパークリエータ,総務省より異能vationに選ばれた。研究論文はSIGGRAPHなどのCS分野の最難関会議・論文誌に採録された。作品はSIGGRAPH Art Galleryを始めとして様々な場所で展示され,Leonardo誌の表紙を飾った。応用物理,計算機科学,アートコンテクストを融合させた作品制作・研究に従事している。BBC,CNN,TEDxTokyoなどメディア出演多数,国内外の受賞歴多数.最近では執筆,コメンテーターなどバラエティやラジオ番組などにも出演し活動の幅を広げている。
    小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1971年京都府京都市生まれ。株式会社nomad 代表取締役、株式会社ABBALab 代表取締役。awabar、breaq、NEWSBASE、fabbit等のオーナー、経済産業省新ものづくり研究会の委員等も。さくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役。2006年よりWiFiのアクセスポイントの設置・運営を行う株式会社クラスト代表。2011年に同社代表を退き、株式会社nomadを設立。シード投資やシェアスペースの運営などのスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化、株式会社ABBALabとしてプロトタイピングへの投資を開始。
    ■ 小笠原さんの自己紹介
    落合:まずは小笠原さんの自己紹介をお願いします。
    小笠原:では、ざっくりとしましょうか。
    ウィンドウズ95が出た頃に、「さくらインターネット」というデータセンターをやっていたんです。と言っても、当時はまだデータセンターなんて言葉もなくて、仲間と「日本のインターネットを安くして、自由に使える環境を作ろうぜ」と始めました。
    落合:その前はどんなことをしていたんですか?
    小笠原:僕は、大学には行ってなくて、建築関係の商売をしてたんです。
    その頃、タイからCAD(注1)のデータをどう送ったらいいかという話があって、現地の人に見本の図面を書いてもらって、そのデータを取るためにいち早くインターネットを使ったんです。TCP/IPの実験をするという話でもあったんですよ。でも、当時の速度って9600bpsとかで、今から見るとどうしようもないんです。建築の図面って何百枚もあるしね。
    そういう状況の中で立ち上げたさくらインターネットが回りだしてからは、今度はiモードのサイトを作る仕事をしたりしてました。
    それで一度大きく儲けたので、しばらく仕事はやめてたのですが、4、5年前から小さなバーを経営し始めたんですよ。そこに若手のエンジニアが来るようになって、彼らの話を聞いているうちに投資をするようになりました。そのうち、ちゃんとやるなら仕事にした方がいいなと思って、abbalab(アバラボ)という会社を作ったんですよ。
    このabbalabというのは「Atom to Bit」(原子から電子へ)と「Bit to Atom」(電子から原子へ)の略です。この50年くらいは「Atom to Bit」――つまり、物質がデジタルに向かうという動きがあって、その振り子の反動として、近年「Bit to Atom」の動きが生まれてきた。そういう世界観で、その流れに投資するためのプログラムを、僕と孫泰蔵氏の2人でやっています。

    (注1)CAD:2次元、3次元のものをコンピュータによって製図するシステム、ないしソフトウェアのこと。機械や建築物の設計など、それぞれの用途に応じて様々なソフトウェアが使用されている。

    落合:このDMM.make AKIBAも小笠原さんの作った施設ですよね。
    小笠原:亀山さん(DMM.comの亀山敬司会長)には騙されたってよく言われますね(笑)。でも、やっぱりモノづくりでは、お金の問題は2番目か3番目くらいには重要なことなんですよ。こういう大きな設備があるのはいいことだと思います。
    基本的にはプロトタイピングをしたいと思ったら、僕らに相談してもらって、100万円~1000万円くらいの幅でプロトタイプの資金を投資したり、貸したりするんですよ。そのあと、さらにイケそうだったら、クラウドファンディングや他の資金調達の手段で、実際にそれを世に出すかを決めるんですね。

    ▲handiii

    ▲オルフェ
    どちらもDMM.AKIBAから生まれた、自分の体の動きで表現を作るデバイス。「これ、クラウドファンディングで一番最初に買ったのは僕ですよ」(落合氏)
    ただ、この8月からはDMM.makeのプロデューサーを辞めて、エヴァンジェリストとして広報活動をしていくようになりました。一方で、先ほど言ったさくらインターネットに出戻って、インターネットサイドでIoT向けのことをやろうかなと思っているんですよ。
    やっぱり、ハードをやっている人は、「もう嫌いなのかな」というくらいに、ネットに疎いじゃないですか。
    落合:間違いなく、そうですね。ソフトウェアセンスのあるハードウェアエンジニアがいなすぎるんですよ。CNC(注2)をやる「やる気」の10%くらいはJavascriptにかけてくれればもっとすごいやつになるのに…みたいな人がいるでしょう。

    (注2)CNC:機械工作において工具の移動量や移動速度などをコンピュータによって数値で制御すること。多くの工作機械で採用されている。3Dプリンタが主に樹脂系のものを素材とするのに対し、CNCの場合は金属、樹脂、木材など様々な素材を切削・加工できる。

    小笠原:でも、CNCを嬉しそうに触っている顔を見るとついつい言えなかったり……(苦笑)。
    本当にソフト・ネット・ハードの断絶感って、半端ないでしょう。それを全部できる人って、僕はほとんど出会ったことがないんです。
    落合:まあ、その逆に、フロントエンドばかり書いてないでFPGA書いたりCNCいじれよ、みたいな人もいるんですけど。しかも、さらにそこにくわえて物理のセンスなんて言い出したら100%いないですよね。
    うーん、だから、それを実現するためには人間性を捧げて成功体験をするしかないんですよ(笑)。
    僕がいま筑波大学でやってるデジタルネイチャー研究室は、24時間楽しく頭を使える人で、心が折れない人をたくさん育てる研究室にしたいんです。ソフトでコンピュータービジョンのプログラムを書いているのかと思ったら、被験者実験のデータづけ始めて、論文英語書きながら図を書いて、ハードウェアをガリガリと組みながら、なんとか締め切りに間に合わせられる人材。大体、3ヶ月~半年に1本くらいは何か世界がびっくりするようなアイデアを書いていけるくらいスピード感で生きられる学部生をどれだけ育てられるか、ですね。
    そういうのを、これから3年で50人くらいを僕が野に放流すれば、スタートアップ50社くらいはうまくいくと信じてますね。
    小笠原:ちょっとお金を出してしまいそうになりますね。おたくの学生さんを早めに紹介してください(笑)。
    実際、そういうことを学校でやってくれると嬉しいんですよ。企業では絶対に「ブラック企業かよ」とか言われてしまうでしょ。ちなみに、僕はもう最近ネット業界にすらあんまり投資しなくなりましたから。理由は、ネット業界が急成長して儲かりだして、怠け者ばかりになったからですね。
    落合:論文って、別に書いても一円の金にもならないんですけど、胆力だけは死ぬほど身に付くんです。だから、研究したい人が3~5年うちに来れば、猛烈な人間になれると思います。実際、僕も24時間応対しますからね。楽しく合宿とかもやるし、僕自身が自分のスケジュールがわからなくなるくらいの状態になってますけどね。

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  • そして小さいクルマは立派になった 〜黎明期国産軽自動車のトライ&エラーとその帰結〜 (根津孝太『カーデザインの20世紀』第5回 日本の軽自動車 過去編)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.469 ☆

    2015-12-10 07:00  
    220pt
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    そして小さいクルマは立派になった
    〜黎明期国産軽自動車のトライ&エラーとその帰結〜
    根津孝太『カーデザインの20世紀』第5回 日本の軽自動車 過去編【毎月第2木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.10 vol.469
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでお届けするのは、デザイナー・根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』最新回です。今回からは「国産軽自動車」を過去編・未来編の2回にわたって取り上げます。「ガラ軽」とも言われる特異な進化を遂げた軽自動車が進化の過程で失ってしまったものとは? 過去編では、軽自動車の元祖である「フライングフェザー」「フジキャビン」「スバル360」という3つの車の「原初の思想」について考えます。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
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    ◎構成:池田明季哉
    前回:アメリカ西海岸より愛をこめて──自動車改造文化の金字塔「バハバグ」(根津孝太『カーデザインの20世紀』第4回)
    「今の日本の自動車の主流ってなに?」と聞かれたら、どう答えるべきでしょうか。
    1960〜70年代の高度成長期であれば、トヨタが1966年に発売した「カローラ」はまさに日本のクルマの代名詞ともいうべき存在感を持っていました。2010年代の現在、高度成長期の「カローラ」と似た立ち位置にあるのは、同じくトヨタの「プリウス」や「アクア」、そしてホンダの「フィット」といったハイブリッド車だと言う人もいるでしょう。この3車種は現在、新車販売台数の上位に常にランクインしています。

    ▲トヨタ・アクア。発売以来、街で見かけない日はないほどの大ヒットとなった。(出典)
    一方で、今の日本のもうひとつの主流として「軽自動車」が大活躍しているのも、誰もが納得することではないかと思います。たとえば2015年上半期の新車販売台数ランキングを見ると、上位10車種のうち、1位は前述した「アクア」で、他にも「プリウス」「フィット」といったハイブリッド車がランクインしているなかで、残りの7車種はすべて軽自動車です。
    (参考リンク)2015年上期の新車販売ランキング、上位10車種の7車種が軽自動車 - 日経トレンディネット 
    日本の軽自動車は低燃費で高性能、サイズの小ささから小回りも利きますし、最近では「スペース系」という名前が定着するほど、居住性に優れ乗り心地も快適です。スズキの「ワゴンR」、ダイハツの「ムーヴ」や「タント」、ホンダの「N-BOX」などがその代表で、大人気となっています。
    全自動車の保有台数に占める軽自動車の割合というデータがあるのですが、都道府県によっては軽自動車の比率が5割を超えています。東京・大阪・愛知などの都市部では軽自動車の割合が低い一方で、鉄道やバスなどの公共交通機関が充実していない地方部では、家族がひとり一台軽自動車を持っていることも珍しくありません。人々の生活に不可欠な「足」として、まさに文字通りの「国民車」としての地位を確かに築いています。

    ▲ダイハツ・ムーヴ(6代目)。スペース系軽自動車の代表格。(出典)
    しかし、デザインとして今の軽自動車を見ると、どうしても「リジッド(硬直的)なものになってしまっているな」というのが、僕がいま感じていることです。
    法的に軽自動車の規格がはっきりと決まっているのもそうですし、デザイン的にもだんだんと似た形に収斂していっています。決められたサイズの中で室内空間をできるだけ広く取ろうとすると、どうしても似たようなデザインになってきてしまうという事情もありますが、軽自動車というフォーマット自体が社会の中で決まった位置付けになっていることとも関係があるのではないかと思っています。
    携帯電話にも同じことが起きました。iPhone前夜にはさまざまなデザインの携帯電話が、スタンダードの座を狙ってたくさん出てきていたことを覚えている人も多いでしょう。しかしiPhoneが出た瞬間、みんなが「これこそスタンダードだ」と確信しました。そして携帯電話のデザインは、iPhoneをベースとしたものに収斂していきました。
    多くのものが模範とする雛形となるデザインは、様々な試行錯誤を経て生まれるもので、そこには様々な苦労があります。しかし一度その雛形が決まってしまうと、黎明期にあったデザインの多様性や自由な発想力が失われていってしまう部分もあると、僕は思っています。
    静岡県にある浜松楽器博物館のお仕事をさせていただく機会がありました。たくさんの楽器が展示されているのですが、僕が心惹かれたのは、今では作られなくなった奇妙なデザインの楽器たちです。今でこそ楽器と言えばどのメーカーが作っても、基本形はほとんど同じデザインになっていますが、当時はどんなデザインの楽器にすべきなのか、お手本がない中で真剣に考え、さながらカンブリア紀の生物たちのように、さまざまな試行錯誤が行われていたのです。
    日本の軽自動車も、最初から今の形だったわけではありません。軽自動車の黎明期には、収斂しようにも最初の雛形がない中で、みんながそれぞれ真剣に課題と向き合って、新たなフォーマットを切り拓こうと野心的な車が次々と生まれていきました。そんな強い想いと独自の思想に貫かれたユニークな国産軽自動車の系譜は、リジッドになってしまった今の軽自動車のフォーマットを考えなおすために、きっと参考になるものだと思います。
    今回はそんな軽自動車の姿について、過去編と未来編の二回に分けてお話していきたいと思います。過去編では黎明期に次のスタンダードを模索してきた軽自動車たちについてご紹介し、未来編では軽自動車の新たなる姿として僕が考えている、超小型モビリティについて掘り下げていきたいと思います。
    ■羽のように軽やかに──軽量化を徹底しすぎた「フライングフェザー」
    日本で軽量で安価な自動車であるところの「軽自動車」が模索され出したのは、1950年代半ばのことです。戦後から10年、日本は急速に復興を遂げつつありました。国全体が一丸となって豊かさへと向かっていく中で、自動車の位置付けも変わっていきます。それまで自動車はものすごく高級で、所有していること自体がステータスでした。しかし国民みんなが少しずつ豊かになっていくにつれて、誰もが手にできる自動車が求められるようになっていました。そんな国民車を作ろうとさまざまな試みが行われていたのが、1950年代という時代でした。
    まず最初にご紹介する「フライングフェザー」は、1950年代半ばに住江製作所によって作られた2人乗りの自動車です。デザイナーは、日産出身の富谷龍一さんです。「フライングフェザー」はその名前の通り、「羽根のように軽い」ことを目指した車でした。重量はなんと380kg。現代の自動車は、たとえば前出のアクアで約1t、軽自動車のワゴンRで約800kgですから、その驚くべき軽さがわかります。

    ▲フライングフェザー。軽量化と簡素化を突き詰めた末の独特な佇まいが魅力。(出典)
    軽量化と簡素化には多くのメリットがあります。軽量であれば、パワーの出ないエンジンでもよく走ります。また、簡素な構造にすることによって、小規模な設備で安価に生産することもできます。衝突した場合でも、みんなが軽ければ被害はずっと少なくてすみます。軽く簡素にすることで、様々な点でよい循環を生み出せるようになるのです。戦後まもなくで物資も不足し、自動車の普及率がまだ高くなかった日本で、小型軽量安価な国民車の役割を担うべく開発されたフライングフェザーが、軽量化を至上命題として掲げたのも納得できるというものです。

    ▲軽量安価なインテリアは質素の極み。(出典)
    デザインにもこうした野心的な試みが現れています。まず目を引くのがタイヤで、なんとバイク用の、幅の狭いタイヤを流用しているんです。
    基本的に、車の物理学はタイヤで決まります。外世界と車が接するのは、タイヤと道路が接触しているハガキ1枚ほどの面だけです。(フライングフェザーではもっと小さいですが。)速度が上がってくれば空気抵抗も影響してきますが、どんなタイヤを採用するかによって、どのような性格の車になるかは自ずと決まってきます。
    今の自動車は軽も含めて、基本的には前の車種よりも優れた装備を搭載したり、安全な装置を加えたりして、基本的にはどんどん「武装」していく傾向にあります。より快適で便利に、より安全で頑丈にというわけですね。
    ところが、これは未来編でもお話することと繋がってくるのですが、この「フライングフェザー」はむしろ「みんな自転車やバイクを使っているけれど、そこに雨除けがあったり、四輪で走行が安定して誰でも運転できるようにしたほうがいいよね」という素朴な発想でつくられているように思うのです。
    バイクは便利な乗り物ですが、雨が降ればライダーはぬれてしまいますし、バランスをとって乗る必要があるため、一定以上の身体能力も必要とされます。そうなると小さな子供を連れた女性や、体力の衰えた高齢者にはハードルの高いものになってしまいます。
    そういったバイクのハードルを低くして、多くの人に簡単に運転してもらえるようなものにしたい――この「フライングフェザー」は、現代の軽自動車の「小さなクルマでも大きなクルマとできるだけ同じに」という方向性とは違い、「バイクを誰でも簡単・便利に、生活のなかで使えるものしよう」という下から上がっていく発想が根底にあるんですね。
    「フライングフェザー」のデザイン面では他に、車体後部にあるエアーアウトレットが目を引きます。リアにあるエンジンからの排熱という必要性に迫られた形だと思うのですが、カッコよく仕上がっていますよね。徹底して装飾を廃し薄い鋼板でハンドメイドされたボディを含め、今見てもなかなか個性的で小気味いいデザインをしているなと思います。

    ▲後部に大きく開けられたエアアウトレット。(出典)
    また、もうひとつの大きな特徴として挙げられるのが、なんとフロントブレーキを搭載していないことです。リアブレーキしかない自動車は1920年代以降ほとんど作られておらず、時代に逆行しているとも捉えられかねない仕様でした。確かにエンジンは後部に搭載されていて、人も中央より後ろに乗っているので、重量配分から言えば後部ブレーキだけで事足りるというのは合理的な選択かもしれません。しかしだからといってフロントブレーキまでなくしてしまうのは、当時の人にとってもやりすぎと思えるものでした。
    結局フライングフェザーのあまりに強すぎる思想は、市場には受け入れられませんでした。たったの50台ほどが生産されただけで、姿を消してしまったのです。
    ■超小型自動車のパイオニア──あまりにも未来を走った「フジキャビン」
    「フライングフェザー」の後、同じ富谷龍一氏が富士自動車で手掛けたのがこの「フジキャビン」です。これも「フライングフェザー」と当初の思想が似ていて、「倒れなくて雨除け(屋根)があるバイク」というコンセプトで開発されています。エンジンもオートバイ用のものが使用され、内部機構もオートバイと自動車の中間的なものとなっています。

    ▲フジキャビン。その姿はどこからどう見ても「未来の車」だ。(出典)
    「フライングフェザー」が四輪であったのに対し、フジキャビンが特徴的だったのは前二輪、後一輪の三輪レイアウトになっていることです。50年代当時から「オート三輪」と呼ばれるカテゴリはありましたが、前一輪、後二輪が主流でした。このレイアウトは、前半部分はオートバイそのままで、荷物を積む後ろ半分だけを二輪にすればよかったため、比較的簡単に設計できましたが、その分コーナリングで倒れやすいという欠点も抱えていました。戦後の日本では、交差点でオート三輪が転倒している姿が日常風景のひとつだったりしたんです。

    ▲かつてマツダが生産していたオート三輪「マツダ・K360」(出典)

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