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記事 27件
  • 本日21:00から放送!宇野常寛の〈木曜解放区 〉 2018.10.18

    2018-10-18 07:30  
    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉

    21:00から、宇野常寛の〈木曜放区 〉生放送です!〈木曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「衝動買い」今週の1本  映画「プーと大人になった僕」アシナビコーナー「井本光俊、世界を語る」and more…今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日10月18日(木)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:井本光俊(編集者)
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    Twitterのハッシュタグは「#木曜解放区」です。
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    番組では、皆さんからのおたよりを募集しています。番組へのご意見・ご感想、宇野に聞いてみたいこと
  • 橘宏樹『GQーーGovernment Curation』第7回 社会保障 官僚が「等」に託す想い~生活困窮者等の自立を促進するための生活困窮者自立支援法「等」の一部を改正する法律の施行~

    2018-10-18 07:00  
    550pt

    現役官僚の橘宏樹さんが「官報」から政府の活動を読み取る連載、『GQーーGovernment Curation』。10月から施行された「「生活困窮者等の自立を促進するための生活困窮者自立支援法等の一部を改正する法律」。生活保護法の改正も含んでいながら、「生活保護」という言葉を避けて「等」としたのは、改正の意図を曲解されないための、政策担当者たちの苦肉の判断があったようです。

     こんにちは。橘宏樹です。国家公務員をしております。このGovernment Curation(略してGQ)は、霞が関で働く国民のひとりとして、国家経営上本当は重要なはずなのに、マスメディアやネットでは埋もれがちな情報を「官報」から選んで取り上げていくという連載です。どんな省益も特定利益にも与さず、また玄人っぽくニッチな話を取り上げるわけでもなく、主権者である僕たちの間で一緒に考えたいことやその理由を、ピンポイントで指摘するという姿勢で書いて参ります。より詳しい連載のポリシーについては、第一回にしたためさせていただきました。
    【新連載】橘宏樹『GQーーGovernment Curation』第1回「官報」から世の中を考えてみよう/EBPMについて
     2018年9月は、台風21号、北海道胆振東部地震など天災が続きました。一日でも早く被災地が復旧復興するよう心から祈念しております。また、大坂なおみ選手の全米オープン優勝、安室奈美恵引退、貴乃花親方の引退といったニュースも注目を集めました。樹木希林さんの訃報も大変印象深くて、ご冥福をお祈りしております。 永田町では、自民党総裁選における安倍総理再選とその後の組閣人事に注目が集まりました。霞が関では、麻生財務大臣は概算要求総額が102兆円台後半になるとの見通しを示しました。なかなか大規模です。また、いくつか興味深い統計の発表がありました。例えば、財務省は、2017年度の企業の内部留保(貯めている利益)が金融・保険業を除く全産業で446兆4844億円となったと発表しました。この金額は前年度比で9.9%増となっており6年連続で過去最高を更新しています。他方で、こうした利益剰余金を人件費に回した割合は43年ぶりの低水準にとどまっているとのこと。儲けてるなら給料増やせ、という労働者の声は強まりそうです。また、これはなんらかの将来不安感が強かったり、どういうイノベーションを目指せばいいのか投資先を決めあぐねていたりする企業が多いということも示しているのでしょう。
    企業の内部留保、446兆円=6年連続で最高更新-17年度末(時事ドットコムニュース 2018年9月3日)
     それから、法務省は9月19日、6月末時点の在留外国人数が263万7251人だったと発表しました。2017年末と比べ7万5403人増え、過去最多です。日本の総人口の約2%にあたります。「内なる国際化」がジワジワと広がっています。
    在留外国人263万人、過去最多に 総人口の2%(朝日新聞デジタル2018年9月19日)
     そしてさらに、自民党の行政改革推進本部が中央省庁の再々編を促す提言を行いました。これを受けて、厚労省をはじめいくつかの省庁の近辺が騒がしくなってきています。本当に激動の9月でした。
    省庁再々編の提言了承、自民行革本部 厚労省の業務過大など問題視 (日経新聞2018年9月5日) 
    国民生活省構想(岡本全勝内閣参与のウェブサイトより)
     ちなみに、僕自身にも想い出深い出来事がありました。9月22日、福島県本宮市で開催された「英国祭」にて講演をさせていただきました。拙著「現役官僚の滞英日記」を読んだ國分久徳理事長がわざわざ僕を訪ねてご依頼くださいました。貴重な機会をいただきましたこと、PLANETSが紡いでくれた縁に感謝しております。
    9/22(火)高級車登場に笑顔 本宮で「英国祭」、文化や食など紹介(福島民友ニュース 2018年09月23日)
     さて、今回のGQでは社会保障を取り上げたいと思います。今年6月に国会で可決された「生活困窮者等の自立を促進するための生活困窮者自立支援法等の一部を改正する法律」が10月1日から施行(=世の中で実際に運用が始まる)されました。
    行政文書の「等・など」
    「生活困窮者等の自立を促進するための生活困窮者自立支援法等の一部を改正する法律」には、「等」という文字が含まれています。この「等」、公務員はよく使います。公用文では、漢字の直後なら「等」、ひらがなの直後では「など」と書き分けたりします。(この書き分け、どうでもいいだろ…と思ったり、なまじそういうルールに目が慣れてしまっていると、違ってたらそれはそれで気になったりします・・・orz。)「等・など」は、一般的には、ほかに色々あるのを全部並べると文章が長くなってしまう時に、短さを維持するために使う言葉ですよね。また、まずは馴染みのあるものやメインのもの(ここでは生活困窮者自立支援法)を出してイメージを持ってもらい、相対的に重要性の低いものは「等・など」に入れ込んで済ますわけです。しかし、公務員は、色々考え抜いて、諸々の意図を込めながら、この「等・など」を用いる場合があります。例えば、議案のタイトル。たくさんの大事な内容を含んでいる時であっても、メリハリを効かせるために、一番議論してもらいたいものは名前を出して、それ以外は「等・など」のなかに「読み込もう」とします。書類のタイトルなどで「等・など」の中身に何を読み込むか、外にどれを並べるかは、文章の演出戦術そのものであり、いつも悩みどころです。裏を返すと、行政文書では、「(事務方が)一番議論してもらいたいこと」ではなくとも、かなり重要な話が、この「等・など」のなかに溶け込んでいる可能性もあるわけなのです。ですから、その辺をよくわかっている偉い人とかが「この『等』には何が含まれているのか?」とご下問になることも多いです。これに対して、事務方も、すっと答えられるように、俗に「等など表」と呼ばれる一覧表を準備していたりもします。(こういうこと、普通の会社でもあるのでしょうか…)
     では、今回取り上げる「生活困窮者自立支援法『等』の一部改正」の「等」のなかには何が含まれているでしょうか。いくつかありますが、生活保護法の改正が含まれていることはポイントだと思います。でも、生活保護法の改正を「隠そうとしている」とまでは僕は思いません。実際、法改正の概要説明のペーパーに、生活保護法改正の内容についてもきちんと書いてあります。国会審議でも論点になっています。想像するに、あくまで法案の冒頭にあるように「生活困窮者等の自立を促進するための」法改正であることを強調したい、という意思から「等」に生活保護法を読み込ませているということなのではないかな、と僕は解釈します。なぜか。それをご理解いただくには、少し今の社会保障制度の構造や生活困窮者自立制度の説明が必要そうです。
     そこで、以下では、まず、この生活困窮者自立制度についてざっと触れます。その上で、「等」に含まれている生活保護法の改正部分について述べたいと思います。そして、最後に、なぜ「等に生活保護法改正を含めたか」に関する僕の想像を添えたいと思います。
    そもそも生活困窮者自立支援制度とは?
     生活保護制度とは、ざっくり言えば、本当に困ったら、市町村役場から毎月生活費がもらえる、医療費が無料になるといった、基本的人権の最後の砦となっている制度です。  リーマンショック後の不況の中で、生活保護受給者はとても増えました。平成20年代は毎年飛躍的に増加し、受給世帯数も国庫負担額も過去最高を更新していきました。もちろん高齢者や病気の方々が大半ではあったのですが、働くことができるはずの受給者も多くいました。そこで、2015年、これらの働ける人々が生活保護状態から抜け出して自立できるように、就労支援や、生活相談、家賃支援、学習支援などを行う新しい制度が始まりました。これが生活困窮者支援制度です。
    生活困窮者自立支援制度とは(厚生労働省のウェブサイト)
     いわば、生活保護の手前に、新しいセーフティーネットを設けたわけです。雇用保険などが第1のセーフティーネットだとしたら、この生活困窮者支援制度が第2、生活保護制度が第3のセーフティーネットとなるわけです。今、日本社会の基本的人権は3層構造の制度で守る構えになっているわけです。
    ▲セーフティーネットの3層構造(筆者作成)
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  • “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第二章 ミニ四駆(3)「ここに戻ってきた少年たち、どこにも行かない少年たち」

    2018-10-17 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。「魂を持った乗り物」という新しいミニ四駆観に基づき、走る目的そのものとしてのミニ四駆の価値を確立するに至った『爆走兄弟!!レッツ&ゴー』。しかし、その続編では主人公たちの〈成熟〉の困難が露骨に描き出されます。
    ミニ四駆第一次ブームにおいて『ダッシュ!四駆郎』(以下『四駆郎』)の中心になっていたのは、父を目指す「親子」の物語と、現実に肉薄しようとする「ホビー」の美学が結びついた、垂直的な構造だった。しかし、皮肉にも四駆郎が大人になった姿は描かれることはなかった。
    連載の前回(参照)で、第二次ブームを支えた『爆走兄弟!!レッツ&ゴー』(以下『レッツ&ゴー』)およびその続編『爆走兄弟!!レッツ&ゴーMAX』(以下『レッツ&ゴーMAX』)において、ミニ四駆が「魂を持った乗り物」という想像力を宿したことを確認した。
    それでは「魂を持った乗り物」から、果たしてどのような成熟のイメージを引き出すことができるのだろうか。引き続き、『レッツ&ゴー』シリーズの展開を追いながら、レーサーたちの成熟がどのように扱われていたのかを確認していきたい。
    地平線の彼方から、今ここにあるミニ四駆へ
    結論から言えば、『レッツ&ゴー』の登場人物たちが成熟した姿は、基本的に描かれない。それどころか、『四駆郎』と比較するとラストシーンは極めて淡白なものだ。
    『レッツ&ゴー』最終巻では、烈と豪の所属する日本代表チーム「TRFビクトリーズ」の世界グランプリ(WGP)における戦いが描かれる。TRFビクトリーズは、そこでライバルであるイタリア代表チームやドイツ代表チームを破って勝利する。しかし物語における描写は決勝レースの一部分の決着のみにとどまり、果たしてTRFビクトリーズが優勝できたかどうかはわからないまま終結してしまう。TRFビクトリーズが最終的に優勝したことがわかるのは、続く『レッツ&ゴーMAX』1巻の冒頭においてだ。ただしここでも驚くほど描写は簡潔で、総ポイント数最多で優勝した旨が、台詞で説明されるのみである。
    ▲第一回世界GP、終了の瞬間。 『爆走兄弟レッツ&ゴーMAX(1)』8-9p
    おそらくは『レッツ&ゴー』の連載終了時点では、既に『レッツ&ゴーMAX』という続編の企画は固まっていたと思われる。アニメや模型の展開など、さまざまなメディアに横断的に展開した本作にとって、連載時期などの関係上不本意なラストになってしまったのではないか、と想像することもできるかもしれない。
    しかし満を持して描かれたはずの『レッツ&ゴーMAX』のラストでも、やはりレースの決着は白熱したものにならない。物語における最終レースは、世界王座に輝いたTRFビクトリーズに、烈矢と豪樹たちルーキーチームが挑戦するという構図になっている。ルーキーチームは健闘するのだが、当初強敵として現れながらやがてルーキーチームに加わったネロのマシンが、それまでの攻撃的なスタイルが祟って走行不能になってしまう。このトラブルによって、ルーキーチームはあっさり敗北してしまうのである。
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  • 政権交代で再始動するマレーシアでの学生たちとの出会い|周庭

    2018-10-16 07:00  

    香港の社会運動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの連載『御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記』。香港民主化運動を描いたドキュメンタリー映画の上映会で、マレーシアを訪れた周庭さん。建国以来初となる政権交代が実現したばかりのマレーシアで、香港とは違った気風を持つ学生たちと交流を深めたようです。(翻訳:伯川星矢)
    御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をしている女子大生の日記第21回 政権交代で再始動するマレーシアでの学生たちとの出会い
    ちょうどマレーシアから香港に戻りました!
     今からちょうど4年前の9月28日は、警官隊がデモ隊に催涙弾を打った日です。  今年の9月28日、わたしはマレーシアに渡り、映画の上映イベントやトークを準備していました。  今回はマレーシアのFreedom Film Festival(以下FFF)のお誘いにより、「Joshua: Teenage
  • ライフスタイル化するランニングとスポーツの未来 『走るひと』編集長・上田唯人×宇野常寛・後編(PLANETSアーカイブス)

    2018-10-15 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、雑誌『走るひと』編集長の上田唯人さんと宇野常寛の対談の後編です。ランニングが持つシンプルさと間口の広さ、「ライフスタイルスポーツ」人口の増加とその背景、新しいホワイトカラーの生活とテーマコミュニティ化するランニングの今後についてなど、「PLANETS vol.10」と『走るひと』のコラボレーションの、思想的な背景がわかる対談となっています。(構成:望月美樹子) ※この記事は2016年2月19日に配信した記事の再配信です・前編はこちら
    【告知】 本記事に登場する『走るひと』編集長の上田唯人さんが、10月17日(水)に開催されるオンラインサロン・PLANETS CLUBの第8回定例会で、ゲストとして登壇されます。イベントチケットはこちらで販売中。PLANETS CLUB会員以外のお客様も購入可能です。ご参加お待ちしております!
    ▼雑誌紹介
    雑誌『走るひと』
    東京をはじめとする都市に広がるランニングシーンを、様々な魅力的な走るひとの姿を通して紹介する雑誌。いま、走るひととはどんなひとなのか。プロのアスリートでもないのになぜ走るのか。距離やタイム、ハウツーありきではなく、走るという行為をフラットに見つめ、数年前とはひとも景色もスタイルも明らかに異なるシーンを捉える。 アーティストやクリエイター、俳優など、各分野で活躍する走るひとたちの、普段とは少し違った表情や、内面から沸き上がる走る理由。もはや走ることとは切っても切れない音楽やファッションなど、僕らを走りたくてしようがなくさせるものたちを紹介している。
    https://instagram.com/hashiruhito.jp
    https://twitter.com/hashiruhito_jp

    ■「走ること」の持つシンプルさが間口を広げている
    上田:2020年のスポーツ文化を考える時に、もっとこういう視点で読み解いたらいいのにと思うところや、他のカルチャーから学ぶことはありますか?
    宇野:他のカルチャーから学べることで言うと、エンターテインメントジャンルのノウハウを取り入れることで、スポーツをアップデートできると思うんですね。まさにeスポーツ学会が実践していることです。近代スポーツや近代体育のロジックが画一的な身体観に基づいている一方で、エンターテインメントは個々のプレイヤーの個性や多様性を使って盛り上げていく特性を持っているので、それを取り入れることでスポーツというゲームの更新ができるはずです。
    もう一つはライフスタイルでしょうね。現在のランニング文化の変化は、適度な運動が健康管理の上でポジティブな効果を持つという認識がようやく浸透して、運動がカジュアルなライフスタイルとしてしっかり根付いてきた結果ですよね。その中で、身体を動かすことを含んだ生活を、多様性を帯びつつどうポジティブに見せていくのかということです。運動することが特別ではなくなるのが大事だし、勝手に変わっていくとも思います。
    上田:これまで取材をしてきた中で、面白いと思っているのが、ロックバンドのアーティストにめちゃめちゃ走る傾向があることなんです。特に、ボーカルとドラムの人がすごく走っているんですよ。
    宇野:へえー。ギターやベースのひとはあんまり走らない(笑)
    上田:走ってる人もいるんですけど、気付いたらボーカルとドラムが一緒に走っている。理由の一つはボーカルとドラムが特に体力を使うことです。アーティストにとって、今はCDを売ってどうこうよりも、ライブツアーをしていかに食っていくかが重要だから、それに耐える体力が必要になったということです。
    でも、それ以外の背景があるような気もしているんです。ロックの表現が衝動的なことや、有り余ったエネルギーを表現のモチーフにしていることと、走ることの間に関係があるのかなという想像もしていて、『走るひと2』でロックの精神性のようなテーマを少し紐解いてみたんですよ。
    例えば、AKB48のまりやぎちゃんが走ったというので、その理由を聞いたんですけど、喘息を患わっていたぱるるの快気を祈って走ったと言うんです。「祈って走る」というのは、論理的に因果関係がないですよね。でも、彼女にとっては、走るという方法で祈りを示すことが、ぱるるを勇気付ける手段になっている。これはどういうことなのかと疑問に思ったんです。
    宇野:まりやぎ結構いい奴ですね(笑)。
    上田:良い奴なんですよ。クールに見せて、割とそういう人間ぽいところがある。話を聞いているとすごく家族思いだったり、近しい人間への愛情がある人だなというのをすごく感じました。そういうふうに、『走るひと』では人が走ることをいろいろな捉え方でやっているんです。
    宇野:面白いですね。変な例えですけど、僕の中で長距離ランナーといえば村上春樹なんです。趣味でずっと走っていて、マラソンまで出ちゃう。ああいう人って、イメージとしては草食動物で穀物を食べている感じなんですよ。一方で、ロックバンドとか短距離ランナーの人たちは、朝まで飲んで喧嘩するような、肉食のイメージがある。だから今のアーティストの話を聞いて思ったのは、もともと草食な人たちのものだったランニングが、肉食の人たちまで巻き込もうとしてるということです。ランニングが多様になってメジャー化していく中で、本来ならコツコツ走ることが性に合わないタイプの人も巻き込みつつある。この比喩で言うと、僕自身はお酒を飲まなくて甘いものが好きなので、お菓子の人間なんですよね。
    上田:お菓子の人間かわいいですね(笑)。
    宇野:だから僕は歩いて適当にカフェに入って、本読んだりお菓子つまんだりする。僕みたいに、酒飲まなくて甘いモノが好きでオタクで、というようなお菓子型の人間も、ロッカーのような肉食型の人間も、ランニングは同時に包摂しようとしている。僕はランニング史には詳しくないのですが、ガジェットが充実してきたことや、ランニングが都市部のライフスタイルとして定着してきているといった背景があって、間口がどんどん広くなっている。それで、本来なら対象外にあるタイプの人間まで巻き込もうとしている感触があるんですよね。
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  • 宇野常寛 NewsX vol.2 ゲスト:福嶋亮大「“辺境”としての日本を考える」【毎週金曜配信】

    2018-10-12 07:00  
    550pt

    宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」(dTVチャンネル・ひかりTVチャンネル+にて放送中)の書き起こしをお届けします。9月11日に放送された第2回のテーマは「“辺境”としての日本を考える」。文芸評論家の福嶋亮大さんをゲストに迎えて、近代以降の西洋文明の〈辺境〉に位置するこの日本で、閉塞しつつある〈文学〉と〈都市〉をいかに再設定するかについて考えます。(構成:籔和馬)
    NewsX vol.2「“辺境”としての日本を考える」2018年9月11日放送ゲスト:福嶋亮大(文芸評論家) アシスタント:加藤るみ(タレント) アーカイブ動画はこちら
    宇野常寛の担当する「NewsX」火曜日は毎週22:00より、dTVチャンネル、ひかりTVチャンネル+で生放送中です。アーカイブ動画は、「PLANETSチャンネル」「PLANETS CLUB」でも視聴できます。ご入会方法についての詳細は、以下のページをご覧ください。 ・PLANETSチャンネル ・PLANETS CLUB
    〈辺境〉という視点から見えてくるもの
    加藤 火曜NewsX、本日のゲストは文芸批評家、福嶋亮太さんです。まず宇野さんから福嶋さんについて、簡単なご紹介をお願いできますか?
    宇野 10年ぐらい一緒に仕事をしている僕の親しい友人であり仕事仲間なんですが、立教大学の中国文学者なんですよ。ただ中国の研究だけじゃなくて、現代日本の文学に対する批評だったり、ポップカルチャーの批評だったり。いろんなジャンルに関して発言されている方ですね。
    加藤 今日のトークのテーマは「辺境としての日本を考える」ですが、これは?
    宇野 「辺境」というキーワードは、まさに福嶋さんからもらったものなんですが、今の日本は自意識過剰になっていると思うんですね。片方では愛国ポルノと言われているような「日本はこんなにすごいんだ」もしくは「すごかったんだ」、「日本人は他の民族に比べて優れているんだ」と。特に取り柄もなく、自分が日本人であること以外に誇るものがないような人が、そういう本やメッセージに癒されていると。もう片方では「日本は失われた30年によって二流国に転落してしまったんだ」と。これは事実なんだけど、とにかく日本は遅れているから、シリコンバレーや欧米を見習いなさいということで、ひたすら日本を自虐的に捉えることを一生懸命言う人も増えている。これはコインの裏表だと思っているんだよね。どっちも日本という国が世界中から見られ気にされているという前提で思考していると思う。でも、残念ながら、そんなことはもうないよ。政治的にも経済的にも、日本は存在感そのものがなくなっているわけね。みんな日本のことを中心だと思っているけれど、もう日本は世界の辺境であると僕は思うし。歴史的に見ても、ずっと辺境だったと思うんだよ。これは、まさに福嶋さんが最近の新著でおっしゃっていたことなんだけど、近代以前の中国文化圏は辺境なわけね。日本は東のはずれなんだよ。なんだかんだで漢字とか使っているしね。 近代以降は世界の中心はアメリカやヨーロッパであって、やっぱりアジアは辺境なんだよね。日本は辺境の中で近代化にたまたま成功しただけ。でも、辺境であることは別に悪いことじゃなくて、世界の片隅にあるからこそ見えるものはいっぱいあるし、できることもいっぱいあるわけだから、もう一回、辺境としての日本を考え直してみたいと思っていて。それで僕に「辺境」というキーワードを与えてくれた福嶋さんをお呼びしたわけです。
    今の〈文壇〉の閉塞的状況を考える
    加藤 このテーマを語るために三つのキーワードを用意しました。まず一つ目が「文学」。なぜ文学なんでしょうか?
    宇野 ちょうど半月ぐらい前に福嶋さんが「REALKYOTO」というウェブマガジンにセンセーショナルな文章を発表されたんですよ。それはまさに日本の文壇、つまり文学業界ですね。作家とか文芸評論家とか文学者の寄り合い所帯ですね。ひとつの村社会みたいなものがあるんだけど、そこの問題を告発した内容なんですよ。具体的には6月に発覚した早稲田大学のセクハラ問題。ある有名な評論家兼大学教授が女子大生にセクハラをするんだけど、それを大学ぐるみで揉み消そうとしたということが今大問題になっているわけなんですよね。もうひとつは芥川賞の候補作にもなった『美しい顔』という小説があって、あるノンフィクションからの丸パクりの箇所があるということで、これも大問題になった。この二つの問題は一見、週刊誌的なスキャンダルネタなんだけど。でも、実はそこのことを告発したいわけじゃなくて、そのことを話の枕にはしているんだけど、そうじゃなくて、なんでもかんでもコネクションというか、特定の人間関係で全部決定されてしまうような日本の今の文学業界が問題だと言っているわけ。早稲田大学の問題でいうと、なんでこんなことが可能になるのかというと、早稲田大学の文化構想学部の文芸・ジャーナリズム論系というある学科が、ある文壇のグループの植民地というか、そこに占領されちゃって私物化されているのね。だから、そこのボスみたいな教員さんがセクハラをしても、大学ぐるみでの揉み消しが可能になっちゃっているわけ。これ酷い話でしょ?
    加藤 酷いですね。
    宇野 『美しい顔』の問題というのも、村社会の中である作家、彼ないし彼女を次のスターにするということが決まっちゃうと、誰もその作品も批判しちゃいけない空気になるわけ。なので、結構アラの多い作品であることは、実はあちこちで言われていたんだけど、すごく大切に甘やかしてまって、このような問題が起きてしまっている。 福嶋さんはそういったスキャンダルを追求したいんじゃなくて、そういった日本の文学業界の閉鎖的な体質を告発しているんだと思うんですよね。そのことは文学という狭い業界だけの問題じゃなくて、今の日本全体を象徴してしまっているんじゃないかと思って、このテーマを選びました。
    福嶋 非常に的確にまとめていただいて、ありがとうございます。 まず文壇とは何かというところから整理していくと、文学とは何であり、社会的にどういう機能を帯びて、どういう役割を果たし得るかといった問いを、実作や翻訳や評論や座談会を介して議論していく、本来はそういう場なんですね。そもそも文学は一つの答えが出るわけではないので、複数の答えがあり得る。それを多事争論でワイワイガヤガヤやりながら鍛え上げていくこと。一言で言うと、そういう「大きなコミュニケーション」を保つための場が文壇です。そのコミュニケーションを外部の新聞の文芸時評がチェックし、一般読者にもわかるようなかたちで広げていくというのが、本来あるべき姿なんですよね。よくライトノベルと純文学のどこが違うんですか? という話があるんですが、それは質が違うというよりも、大きなコミュニケーションを担ってきたかどうかという、その歴史が違うわけです。純文学はそこを担ってきたことになっているからこそ、公益性があると見なされるわけです。 しかし、今起こっていることは、そういう豊かなコミュニケーションを育てるというよりは、宇野さんがおっしゃってくださったとおり、文壇そのものが一種のプロパガンダ装置みたいになっているわけですね。それまで文学が積み重ねてきた価値基準や評価基準があるはずなのに、それは最近では全部どこかにいってしまって、新人賞の選考委員や新聞時評の人たちも、ポッと出てきた新人の作品を熱烈な調子でただ褒めるだけ。これでは本来文学が担ってきたものを育てることはできない。ですから、結局ここにはエスタブリッシュメントの腐敗や堕落という問題があるわけです。これは今の日本社会で起こっている問題そのものです。大学であれ、文科省であれ、財務省であれ、本来は重大な社会的責任を果たすべきエスタブリッシュメントこそが根本的に腐敗していて、文壇もその一部になってしまっている。だから、そこにショックを与えるために僕はわざと強い調子で内部告発することにしたんです。
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  • 本日21:00から放送!宇野常寛の〈木曜解放区 〉 2018.10.11

    2018-10-11 09:30  
    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉

    21:00から、宇野常寛の〈木曜放区 〉生放送です!〈木曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「私、実は〇〇なんです」今週の1本  映画「SUNNY 強い気持ち・強い愛」アシナビコーナー「加藤るみの映画館の女神」and more…今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日10月11日(木)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:加藤るみ(タレント)
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  • 井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第29回 第三章 補論:節電ゲームの連続的な学習プロセス

    2018-10-11 09:00  
    550pt

    ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は「節電ゲーム」からゲームという現象を考えます。コストダウンにも環境保護にも関心がない、電気使用量の記録更新だけを目指す「節電バカ」たち。彼らの情熱が生み出すゲーム的学習プロセスを読み解きます。
     学習説に関わる長い長い三章が終ったので、ここまでの簡単な復習とケーススタディ的な意味を兼ねて、いつもよりは、相対的にふんわりとした話を挟ませていただきたいと思う。
     ケーススタディの例としては、手前味噌で恐縮だが、節電のゲームの話をさせていただきたい。筆者は、自宅の電気使用量を測りながら節電に励むゲーム(というか、節電支援ツール)である『#denkimeter』を作って以後、境界例としてのこのゲームの現れの面白さをいろいろなレベルで感じている。
    ▲#denkimeterの遊び方
     節電自体は、そもそもとして「ゲーム」であるわけではない。「ゲーム」だと思えばゲームになる。そういう現象は、日常のなかに溢れているが、節電もまた、そのようなものの一つだ。  ここまで論じてきた概念を使うのならば、節電のゲームは、ゲームとゲームでない時空間や意味を区切るためのどちらの境界もぼんやりとしている(二次的現実/二次的フレームの曖昧性)。これはゲーミフィケーション的な事例のほとんどがもっている性質だ。その意味で、節電のゲームは「ゲーム」概念としては境界例として位置づけられやすいものだ。 筆者は、電気使用量を測りながら、クリアにフィードバックが出てくることがきっかけで、節電をゲームのようなものとして楽しめるようになった。「電気使用量を下げる」というシンプルでクリアなルールがあるし、節電のために行える創意工夫のバリエーションは数限りなくなる。こうした性質ゆえ、節電はゲームのような行為であるという認識をもたらすこと自体は、それほど難しいものではない。 そして、素朴な実感として「節電は楽しい」と思っている。  節電が楽しく見えている風景とはどのようなものか。そこからみえる風景をいちど、伝えたうえで、改めてこのゲームを遊ぶときに現れる特質について論じることにしよう。
    節電バカとは何か
    さて、筆者は二〇一一年の震災のときに節電ゲームを作って以来、一時期はそれなりの「節電バカ」だった。ここでいう節電バカというのは、節電をすること自体が好きだということであって、節電の結果として、お金を節約されることが好きだということではない。  たとえば、節電バカであれば、月々20円ぐらいの節電をするために、2万円を投資するような行動をとる。コストで考えれば、同じ家に住み続けたとしても投資した費用を回収するのに83年はかかる計算になる。不経済なこと極まりないが、節電バカにとっては、お金を節約できるかどうかが重要なのではなく、節電のスコアを上げることができるかどうか、ということが重要なのである。  つまり、ここで言う、節電バカとは、節電を節約のためにやっているのではなく、節電そのものをゲームの一種として楽しんでいる人々のことだ。
    ▲筆者の自宅の電気代の記録。一月753円。
    「節電バカ」は大震災以来、(おそらく)増殖中であり、節電バカが出版した本も出ている。朝日新聞に勤める斎藤健一郎氏による『5アンペア生活をやってみた』(二〇一四、岩波書店)などはその好例だろう。(斎藤さんすみません)  そもそもこの本のタイトルである「5アンペア生活」と言われても、節電バカ以外にはピンと来ないだろうが、「5アンペア生活」はかなりヤバい。 そもそも、自分の家の契約アンペア数を気にしたことのない人のほうがマジョリティだと思うが、東京電力と契約している一般家庭は30アンペア~60アンペア契約の家庭が多いだろう。東京電力との契約可能な最低アンペア数が5アンペアである。人が居住していない倉庫とかを想定しているような契約アンペア数だ。 5アンペア生活は、単純なはなし、500W以上の家電を使うと、その瞬間にブレーカーが落ちる。電子レンジ、アイロン、ドライヤー、電気ケトル、オーブントースターなどは完全に使えなくなる。エアコンも、実質的にほぼ使えないに等しい。正直なところ、過酷な節電ライフになりやすく、一般人向けであるとは言い難い。  筆者の場合、さすがに5アンペア生活は厳しいので、関東で一人暮らしをしているときは、15アンペア契約にしていた。15アンペア契約であれば1500Wまでの家電が使える。贅沢な家電でなければだいたいは問題ない。ただ、エアコンを使いながら、電気ケトルを使ったりするとブレーカーが落ちる可能性が高い。そのため、電気使用量の大きい家電について、常に何と何が稼働しているのかを意識しながら生活をする必要はある。正直、そこまで極端な不便さはない。もっとも、少しだけ不便なのは事実なのだが、節電ガチ勢にとっては、15アンペア契約は、難易度「easy」ぐらいのゲームに常にチャレンジしているような心地よさがある。(5アンペアは、難易度「extra hard」モードである)
    「節電」自体が楽しいのか、「節電」の試行錯誤のプロセスが楽しいのか
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  • 岸本千佳『都市を再編集する』第6回 新しい拠点・和歌山で実現する「まちなか暮らし」

    2018-10-10 07:00  
    550pt

    不動産プランナーの岸本千佳さんによる連載『都市を再編集する』。結婚を機に京都と和歌山の二拠点生活を始めた岸本さん。多くの地方都市と同様、中心部のシャッター街化が進む和歌山ですが、地域の魅力を知ることにより、街を草の根から活性化するリノベーションのアイディアが湧き出てきます。
    京都と和歌山での二拠点生活のはじまり
    これまでは、実際にリノベーションした実例を中心に紹介してきましたが、今回、こらからはじめようとしているプロジェクトの話です。ゆえに、妄想が多めに混じりますこと、お許しください。
    実は私、これまでいかにも京都人のような振る舞いで、京都という街においての、京都のプロジェクトについて語ってきましたが、今年4月から、和歌山との二拠点生活をはじめています。結婚を機にとはいえ、まさに青天の霹靂。同じ関西と言えど、和歌山市内に足を踏み入れたのは、仕事で呼ばれた一度きりでした。 私に限らず、日本では結構な確率で、夫婦のどちらかが、結婚を機に見知らぬ地に住むことがあると思います。しかも、夫が仕事の都合上、和歌山を離れることができないので、せっかくだったら和歌山でも仕事をつくりたい。何ができるだろうか。未踏の地に住むことは不安でしかなかったですが、その地で仕事を始める見通しが立つまで時間はかからなかったおかげで、不安は希望へと変わりつつあります。

    まずは、これまでのプロジェクトでそうしてきたように、和歌山のまちで肌感覚での状況把握に徹しました。4月から暮らしはじめて真っ先に感じたことは、とにかく飲食店が多く、しかもそのレベルが高いこと。海が近く素材が良いことはもちろん挙げられますが、進学せずに地元で独立する業種として真っ先にあがる職種が飲食店という事情もあるようです。他には、美容室や中古車販売が目立ちます。それは和歌山だけでなく、地方中核都市でも同じような状況でないでしょうか。それにしても、日々閑散としたまちなかに比して、飲食店数が圧倒的に多い。
    和歌山市は、「リノベーションまちづくり」という考え方が広く根付いているまちでもあります。リノベーションまちづくりとは、遊休不動産や公共空間を活かして、民間が主体となり新しい使い方を発明することで、都市型産業の集積を図り、雇用の創出やコミュニティの活性につなげていく手法です。
    その実践の場として、北九州市を皮切りに「リノベーションスクール」というものが開催され、今や全国で、不動産の再生を通じて新しいビジネスが生み出されています。私もユニットマスターと呼ばれるコーチ役として、全国で事業を地元の人が事業づくりをサポートしています。ちょうど1年前も、和歌山市を担当しました。 和歌山市は特に盛んで、この6年間で17件の事業が生まれています。そこで生まれた事業でも、やはり飲食を中心とした事業が多く存在します。
    ▲和歌山の堀(水辺)を活かしたバー
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  • 鷹鳥屋明「中東で一番有名な日本人」第14回 日本のホンモノはどこにあるのか?――深刻化する版権無視商品と日本の正規品の所在

    2018-10-09 07:00  
    550pt

    鷹鳥屋明さんの連載『中東で一番有名な日本人』。今回は、中東で広がる“偽”日本産商品についてです。日本で人気のチーズケーキは、中東にも進出していますが、そっくりな商品が現地企業で作られていたり、日本のオタクグッズの非正規コピー品が大量に流通していたり……。その背景には、日本のライセンス権利者の動きの悪さもあるようです。
    「プルプルのチーズケーキ」戦争
     日本のスイーツは世界のどこでも人気、それは中東の方々が相手でも例外ではありません。  夏休みや秋休みの時期に来日したアラブ人は日本で食べられる甘味の数々を堪能しており、中東の有名人たちが拡散することでその商品は益々有名になります。この中東で有名になった日本製の甘味の数々を、ぜひ自分たちの国でも食べたい、展開したいという声が多くあります。  その声にしっかり答えている日本企業も存在しており、例えば鳥取の寿スピリッツという会社のブランドでアラブ首長国連邦で10店舗近く展開している「YAMANOTE ATELIER」という日本式のパン屋さんは、かの有名なドバイモールの中に店舗を持ち、アラブ人だけでなく世界中の観光客に広く受け入れられています。商品のレベルも高く、今後王道の日本式のパン屋として益々の展開が期待されるブランドです。
    ▲YAMANOTE店舗の写真 多くの女性が日本式パンと共にカフェを楽しんでいる
     このように日本式のパンや甘味も徐々に進出している中で、最近特に目立つものに「プルプルのチーズケーキ」があります。日本でも人気のチーズケーキの「りくろーおじさんのチーズケーキ」「てつおじさんのチーズケーキ」などのブランドをご存知の方もいるのではないでしょうか?  これらのケーキのブランドは今世界中でも大人気で、もちろんアラブ地域においてもその人気は例外ではありません。アラブ人の観光客の人たちが、「りくろーおじさんのチーズケーキ」は大阪周辺だけで売られていることを知らずに東京に来て、『都内のどこに「りくろーおじさん」のお店はあるのか?』という問いかけを過去に私も何度かされたことがあります。  実際に海外進出の引き合いがあるこれらチーズケーキの中で、「てつおじさんのチーズケーキ」は「UNCLE・TETSU」の名前で、サウジアラビア、クウェート、オマーン、カタール、バーレーン、UAE(アラブ首長国連邦)など幅広く展開しています。
    *ポイントなのは通常のチーズケーキや濃厚なチーズケーキではなく「プルプル」であるということですので、この後「プルプル」という言葉が多用されることご容赦ください。
    ▲サウジアラビアのダンマームにあるショッピングモール内の「てつおじさんのチーズケーキ」店舗
    ▲湾岸アラブ諸国で展開する「てつおじさんのチーズケーキ」
    ▲チーズケーキの現地価格は通常版は約900円、チョコレート入り960円
     私もサウジアラビアの店舗を訪問し食べたことがありますが、味は日本で食べたものとは変わらず美味しくいただけました。ですが、全ての企業が進出しているわけではなく、その穴埋めは現地ブランドにより補填されていると言えます。
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