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記事 23件
  • 宇野常寛 News X vol.15 ゲスト:近藤那央「アンドロイドからネオアニマへ」【毎週月曜配信】

    2019-01-21 07:00  
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    宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」(dTVチャンネル・ひかりTVチャンネル+にて放送中)の書き起こしをお届けします。12月11日に放送されたvol.14のテーマは「アンドロイドからネオアニマへ」。愛玩ロボット「ネオアニマ」の開発者である近藤那央さんをゲストに迎え、従来の〈人間の代替物〉としてのロボット像を乗り越えた先にある、自然の生き物の存在感を抽出した新しいロボットのあり方について考えます。(構成:籔 和馬)
    ☆PLANETSチャンネルでのNewsXアーカイブ動画に関するお知らせ 2019年1月以降、NewsXのアーカイブ動画は、本チャンネルではアップされないことになりました。 番組は、ぜひdTVチャンネルで【リアルタイムご視聴を】お願いします! 詳しいご登録方法はこちらのページに掲載しています。
    書き起こし記事は継続して配信して参りますので、ぜひお読みいただけると幸いです。
    宇野常寛 News X vol.15 「アンドロイドからネオアニマへ」 2018年12月11日放送 ゲスト:近藤那央 アシスタント:加藤るみ(タレント)
    宇野常寛の担当する「NewsX」火曜日は毎週22:00より、dTVチャンネルで生放送中です。 番組公式ページ dTVチャンネルで視聴するための詳細はこちら。 なお、弊社オンラインサロン「PLANETS CLUB」では、放送後1週間後にアーカイブ動画を会員限定でアップしています。
    若きアーティストが提示する、愛玩としてのロボット
    加藤 NewsX火曜日、今日のゲストはロボットアーティスト、近藤那央さんです。まず宇野さんと近藤さんが出会ったきっかけを教えていただけますか?
    宇野 DMM.make AKIBAという、日本のメイカーズやハードウェアスタートアップのシェアオフィスをいろいろと取材していたときに、おもしろい女の子がいるという噂は聞いていました。それで、うちのスタッフにたまたま近藤さんの大学時代の友達がいて、『PLANETS vol.10』で取材をしたんですよ。近藤さんはアメリカのシリコンバレーで活動をしていて、ちょうど帰国のタイミングでこの番組に出てもらうといいかなと思って、今回は来てもらいました。
    ▲『PLANETS vol.10』
    加藤 近藤那央さんとのトークなんですが、テーマは「アンドロイドからネオアニマへ」です。宇野さん、このテーマに設定した理由は何ですか?
    宇野 単純に「ネオアニマ」は彼女がつくっているロボットのコンセプトなんだよね。このコンセプトが、そのまま彼女のこれからやりたいことや考えていることを体現しているんだよ。今日の話で、ネオアニマの実態とおもしろさが伝わるといいと思います。
    加藤 今日も三つのキーワードでトークしていきます。まず「ペンギンロボット『もるペン!』」です。「もるペン!」とは何ですか?
    近藤 「もるペン!」は、私たちがつくっているペンギンロボットの名前です。

    近藤 最新の「もるペン!」ですね。
    宇野 これは硬いの?
    近藤 硬いですね。でも、ゴムと布を貼ってあるので弾力がある感じはあります。
    加藤 パッと見たら、ふつうのペンギンかなと思うくらいリアリティがありますね。
    近藤 ペンギンを間近で見たことがある人はあまりいないので、割とデフォルメしていてもペンギンに見えるんです。

    加藤 子どもたちがいっぱい触っていますね。
    近藤 これは去年の夏休みの時期にデパートの催事場で一ヶ月展示したときの動画です。
    宇野 「もるペン!」はどのようなロボットなの?
    近藤 これはもともと水中ロボットをつくりたいという興味から始まったプロジェクトなんです。たまたまいろんなところから声をかけていただいて、子ども向けに展示をしたらめちゃくちゃウケがよかったんですよ。動画からもわかるように、一対一ではなくて、複数人が一度に遊べるものなんです。
    宇野 つまり愛玩用ということ?
    近藤 羽ばたきによる推進方法が最初のテーマではありましたけど、現在のメインはそうですね。
    宇野 観て楽しむ、触って楽しむことを目的にしたロボットなんだね。なにかのためのロボットではなくて、存在そのものを目的としているロボット。
    近藤 そうですね。あとは技術研究としてやっているところもあります。
    加藤 やっぱりロボットは男性が好むイメージがあるんですが、近藤さんがロボットに関心を持ったきっかけとかあるんですか?
    近藤 ロボットというよりは機械に興味を持っていたんです。機械に興味を持ったきっかけは、小惑星探査機のはやぶさが帰ってきたときに、ネット中継を観ていて、とても綺麗だなと思って、それで工業系の高校に進学しました。機械の勉強をして、最初はずっと宇宙関係の研究をやっていたんですが、三年生のときに卒業研究でロボットを作ることにしました。
    宇野 なんでロボットだったの?
    近藤 ロボットは機械で勉強することのすベてを集めたものでもあるので、それで友達と話して、水中ロボットをやりたいねという話になって、チームでつくりました。技術的な興味で始めたんですが、どのようにしたら人間に自然に受け入れられるのかという興味に移っていきました。私はもともとロボットと関係が深いんです。昔からロボットと一緒に暮らしていたので、コミュニケーションロボットに対する考えがいろいろあったんですよ。
    宇野 それはAIBOとか?
    近藤 AIBOですね。AIBOを小学3〜4年ぐらいにときに親が買ってきたんです。最初はあまりその関連性を気にしていなかったんですが、よく考えてみると、そういう経験があったから、ロボットをもっと人間に楽しんでもらえるようにしたいという考え方になっていたんだと思います。
    宇野 卒業研究でやったことを、人生前半のメインの仕事にしようとしているよね。そうなったきっかけは何かあったの?
    近藤 卒業研究は普通はつくって終わりですが、とりあえず動いて泳いだものの、もっと改良すれば絶対によくなるところがあったんです。大学もすぐに受かったので、メンバーと一緒にもう一回つくり直すことになりました。つくり直そうとなったときに、他人に見せる機会があったので、その中で、ロボット自体が人の心を癒したり、人の気持ちを変える効果があるなと思ったので、そこがすごくおもしろいなと思いました。
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  • 本日21:00から放送!宇野常寛の〈木曜解放区 〉 2019.1.18

    2019-01-18 07:30  
    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉

    21:00から、宇野常寛の〈木曜放区 〉生放送です!〈木曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「成人式」今週の1本「シュガー・ラッシュ:オンライン」アシナビコーナー「井本光俊、世界を語る」and more…今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日1月18日(金)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:井本光俊(編集者)
    ▼ハッシュタグ
    Twitterのハッシュタグは「#木曜解放区」です。
    ▼おたより募集中!
    番組では、皆さんからのおたよりを募集しています。番組へのご意見・ご感想、宇野に聞いてみたいこと、
  • 【緊急配信】たかまつなな「お笑いジャーナリスト宣言」(全文無料公開)

    2019-01-18 07:00  

    今朝のメルマガは、たかまつなさんによる「お笑いジャーナリスト宣言」を全文無料公開でお届けします。お笑い芸人としてテレビで成功するために演じていた「お嬢様ネタ」を封印し、かねてよりやりたかった「社会風刺ネタ」に挑戦することを決めたたかまつさん。2月に単独ライブを開催するにあたり、その決意をここに宣言します。
    たかまつななさんの連載記事はこちら 『たかまつななの新米ディレクター月報』
     お笑いジャーナリストのたかまつななです。この度、ある決意をさせていただき、その決意表明を皆さまに聞いていただきたく、この場をいただきました。  私、たかまつななは、宇野さんのアドバイスを全て受け入れて、お嬢様ネタを封印します。全ネタ社会風刺に挑戦する単独ライブをやります。  「お嬢様ネタは全部面白くない。テレビに出るために仕方なく作ったんだろうなと思った」。1年前、私の単独ライブを見に来てくださった宇野さんに
  • 丸若裕俊 ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて 第5回 〈間〉を埋める西洋と、〈間〉を楽しむ東洋

    2019-01-17 07:00  
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    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。今回のテーマは時間性です。西洋の定量的な〈時間〉の概念を、伸縮可能な〈間〉として解釈する茶の思想をもとに、喫茶の文化において来るべき第四の波、フォースウェーブのあり方について考えます。(構成:大内孝子)【お詫び】本記事について、一部内容に間違いがございました。読者の皆様には、謹んでお詫び申し上げるとともに、今後再発のないよう、編集部一同、重々注意して参ります。(2019年1月17日16時25分追記)
    漏れる月明かりを〈間〉とする東洋
    丸若 昨年はポートランドとコペンハーゲンで企画展示をしましたが、今年は2月にアムステルダムでやります。こちらからアプローチして、というより"縁"です。コペンハーゲンにはヒッピータウン「クリスチャニア」があり、ポートランドもナイキやサードウェーブを擁する先進的な街だし、アムステルダムも自由な国です。茶というと、イギリスとかカチッとしているところから話が来そうなのに、カウンターカルチャーを牽引しているようなところから企画が来る。これは、必然なんだろうなと思います。
    宇野 20世紀の、特に前半の文化はロンドンとニューヨーク、あるいはパリとニューヨークの間のパワーバランスで動いていたのだけど、それが20世紀の末からグローバル化に従って多極化していったと言えると思うんですよね。その代表がたとえば、西海岸のコンピューターカルチャーだった。ただ彼らはたしかに新しいものを作っているけど、歴史的な蓄積がない。だから、自分たちのアイデンティティを記述できるような文化を外に求めていっているのだと思います。チームラボの最初の大型単独展がシリコンバレーで行われたのはそれを象徴するような出来事だと思っていて、丸若さんにそういった都市から声がかかるのもそれと同じ話だと思います。
    丸若 今回、宇野さんとお話をさせてもらいたいのが、時間というか〈間〉についてです。今、僕たちはこの時代のティータイムを楽しもうとやっていますが、ティータイムは直訳すると「茶の時間」です。でも「茶の時間」だと何か違うな、と。僕はティータイムは「茶の時間」ではなく「茶の間」だと思っているんです。この〈時間〉と〈間〉の違い。時間はみんなが効率よく動くためのルール。だからこそ国によって時差があったり、技術の進歩で移動時間が短縮されたりします。インターネットによって、100年前の時間と今の時間は違うものになっていますし。時間というのは、人間が都合よく刻んだものに過ぎないわけです。
    宇野 時間は「時」の「間」と書きますからね。
    丸若 おもしろいのは、この「門」に「日」と書く、今の「間」という漢字が使われるようになったのは、実は昭和になってかららしいんですね。それまではどうやら「日」も使う場面もあったようなのですが、そもそもは、「門」に「月」だったという。語源は中国で、城壁などを門で閉ざして自分たちの世界と外の世界を区切る。そのとき、木の門だからどうしても隙間が空く。そこから漏れる月明かりを「間」として考えていたと。月という点では、茶で使われているのも月の暦ですし。
    宇野 そうですね。太陰暦でしたから。
    丸若 月は満ち欠けもするし、伸び縮みする。つまり、〈間〉は伸び縮みすることを前提に考えられている。僕は江戸時代ぐらいに変わったのかなと思っていたんですが、調べてみたらそうではなかった。因果関係があるのかどうかはわかりませんが、昭和に入って戦争に負けてから、「月」から「日」という字に変わったらしいんです。
    宇野 象徴的なエピソードですね。
    丸若 1分を1時間にできるのが茶の時間。この考えを海外の人に説明すると食いついてくるんですよ。「間」という字自体がおもしろいし、東洋思想的ですからね。彼らは現代物理学によって時間が伸縮する領域にたどり着いているけれど、日本人とか東洋の人たちは感覚知で時間をすごく曖昧な概念として理解してきたというのがある。
    こうして今、僕と宇野さんの会話の中で時を刻んでいます。そこに、ちょっと句読点が入る。それは、「〈間〉を生むこと」なのではないかと思うんです。すごく忙しい人、たとえば、猪子さんとかは、日常の中で〈間〉がないわけですよ。でも、茶を飲む瞬間に止まったりする。これはすごくおもしろいなと思って。海外の人たちも関係なく感じることなんじゃないかなと。
    宇野 すごく、おもしろいですね。たとえばGoogleとかFacebookがやろうとしているのはそれこそ「間を奪う」ことなんですよね。通勤時間だったり、誰かを待っている時間、仕事中に集中力が切れた瞬間はもちろん、日常生活の中のちょっとした「間」をもスマホで奪おうとしている。結局、西洋近代のロジックに慣れた人間というのは間ができたら、それを埋めたくなってしまう。そこに目をつけたのがGoogleであり、Facebookであり、というところ。
    つまり20世紀の工業社会に飼いならされた人間はちょっとでも間ができるとイラっとしてしまう。間を楽しめなくなってしまっている。ディズニーランドのアトラクションで並んでいる間に『ポケモンGO』をやろうぜ、みたいな感じで、間を埋めるものとしてスマートフォン的なもの、シリコンバレーのインターネットプラットフォームのサービスというものが侵入してきている。20世紀の工業の力では、時間を区切ることはできでも、そこで発生してしまう間というものに関してはアプローチできなかった。彼らはコンピューターの力で、その〈間〉を埋めようとしているんですよね。
    今の丸若さんの話を僕なりに解釈すると、Google、Facebookといったシリコンバレーのやり方とは違う方法で、もっと間というものを大事にしていきたいと考えたときに、僕らが戦えるとしたらその武器が茶だったのではないかということになるのだと思います。
    言い換えると20世紀は〈時間〉で、21世紀は〈間〉がポイントになってくる。それはグローバルなビジネスの流れを見ても明らかです。実際、産業の流れを見ると、やはりGoogleやFacebookというシリコンバレーの企業というのは、その〈間〉を埋める方向にいきますよね。〈間〉を細切れの時間として"使う"方向にいってしまう。〈間〉を〈間〉のままにしておくという方向は、今のところいっていないと思います。だから〈間〉を〈間〉のまま味わうためにはそこにもうちょっと違う方向のことを考えないといけない。それを、茶のようなものを通じてやっていくことにおもしろさがあると思います。

    西洋の庭、東洋の庭
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  • 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 堤幸彦(8) 『SPEC』(前編)ミステリーから超能力へ

    2019-01-16 07:00  
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    ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『ケイゾク』の続編として企画された『SPEC』は、ミステリドラマにも関わらず、本物の超能力者が登場します。それは「謎」が存在する世界の終わり、インターネットカルチャーとニューエイジ思想が融合した、10年代の「圧倒的な現実」の投影でもありました。
    2010年10月8日『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別係対策事件簿~』(以下『SPEC』)の甲の回(第一話)が金曜ドラマ(TBS系夜10時枠)で放送された。
    ▲『SPEC』
    プロデューサーは植田博樹、脚本は西荻弓絵。堤幸彦の出世作となった『ケイゾク』チームが再結集した本作は『ケイゾク』と同じ世界観の続編的な作品という触れ込みで、幕を開けた。
    舞台は「ミショウ」と呼ばれる警視庁公安部に設立された未詳事件特別対策係。 捜査一課が取り扱うことのできない超常現象が絡んだ科学では解明できない犯罪を捜査する部署だったが、警視庁の中では、変人が集まる吹き溜まりと見られていた。
    所属しているのは『ケイゾク』にも登場した係長の野々村光太郎(竜雷太)とIQ210の女刑事・当麻紗綾(戸田恵梨香)の二人のみ。 そこに元特殊部隊(SIT)所属の瀬文焚流(加瀬亮)が異動してくるところから、物語ははじまる。瀬文は任務の最中に部下の志村優作(伊藤毅)を誤射した疑いで聴聞会にかけられる。突然、隣りにいたはずの志村が目の前に飛び出してきて発砲、そして何故かその銃弾は志村に命中したと瀬文は主張。確かに着弾した銃弾は志村のものだったが、上層部は瀬文が銃をすり替えたのだと取り合おうとしない。真相がわからぬまま事件は迷宮入り。瀬文はSITを除隊となり、左遷に近い形で「ミショウ」に配属となった。 やがて、ミショウに、政治家の五木谷春樹(金子賢)と秘書の脇智宏(上川隆也)が訪ねてくる。懇意にしている占い師・冷泉俊明(田中哲司)が、明日のパーティーで五木谷が殺されると予言したため、調査を依頼しにきたのだ。冷泉は2億円払えば「未来を変える方法」を教えると言う。当麻と瀬文は冷泉の元へと向かい、恐喝の容疑で逮捕する。しかし、冷泉の予言したとおり、五木谷はパーティーで心臓麻痺で命を落とす。 ここまでは『ケイゾク』や『TRICK』(テレビ朝日系)などで繰り返されてきたミステリードラマの展開である。 定石どおりなら、ここから冷泉の予言と殺害のインチキ(トリック)を暴くという展開になるところだろう。しかし、物語は予想外の方向へ傾いていく。 やがて、五木谷を殺したのは第一秘書の脇智宏(上川隆也)だったとわかる。元医師の脇は、無痛針で五木谷にカリウムを注射して殺害したのだ。そして証拠の注射針を天井に突き刺して隠したのだった。 しかし、当麻の推理を聞いた脇は凄まじい豪腕でテニスボールを投げて天井に刺さった注射針を破壊。先に証拠の存在に気づいた当麻たちは注射針を確保していたものの、真相を知られた脇は凄まじい腕力でテニスボールを当麻と瀬文に投げつけ、二人を殺そうとする。猛スピードで動き、瀬文の銃を奪い取った脇は瀬文めがけて発砲。 そこで突然、時間の流れが停止して謎の少年・一+一(ニノマエジュウイチ・神木隆之介)が現れる。 ニノマエは銃弾の軌道を反転させて脇を殺害。そして姿を消す。残された瀬文は、志村の時と同じ現象が起きたことに戸惑うが、何が起きたのかは理解できない……。
    いい意味で「裏切られた」と感じた第一話である。
    オカルトの皮を被ったミステリードラマかと思いきや、超能力者が本当に登場したのだ。何より驚いたのがニノマエの登場シーンである。いきなり「時間を止める」という圧倒的な力を持ったラスボス的存在が姿を現したのだ。
    アナログ放送が終わり、地デジ化へと向かう2010年
    この第一話が放送された10月8日のことは、よく覚えている。 筆者はこの日、地デジ(地上デジタル)対応の薄型テレビを購入し、はじめて画面に映ったテレビ映像が、この『SPEC』だったからだ。
    『SPEC』が放送された2010年。テレビは過渡期を迎えていた。 翌2011年にアナログ放送が終了して地上波デジタルに完全移行することが決まっていた。その結果、今のアナログテレビでは番組が映らなくなるため、地デジ対応テレビの買い替え特需が起きていたが、一方で、地デジ化によってテレビの視聴者が大きく減るのではないかと、不安視されていた。 同じ頃、WEBではYouTubeやニコニコ動画といった動画サイトが勢いを増していた。テキストが中心だった時代はテレビ局にとっては対岸の家事だったインターネットの隆盛は、動画サイトが登場し、映像の複製と拡散が簡単になると、他人事ではなくなっていた。やがて、映像文化は、テレビからWEBに取って代わるのかもしれない。まるで、超能力者に人類が支配されるかのように。そんな地殻変動の気配が2010年にはあった。
    翌2011年に3月11日に東日本大震災が起きたこともあり、今となっては忘れられているが、当時の地デジ化報道の背後には、時代の変化に対する期待と不安が渦巻いていた。
    そんな時代状況を反映してか、この年のテレビドラマは、2010年代のはじまりを象徴する作品が多数登場している。
    NHKでは後の連続テレビ小説(朝ドラ)ブームの先駆けとなる『ゲゲゲの女房』と大河ドラマの映像をアップデートした大友啓史がチーフ演出を務めた『龍馬伝』が放送。  テレビ東京系ではAKB48総出演の『マジすか学園』と、大根仁の出世作となった『モテキ』が放送され、深夜ドラマブーム、アイドルドラマブームの先駆けとなった。 そして、日本テレビ系では2010年代を牽引する脚本家・坂元裕二の『Mother』が登場。今振り返ると、これらの作品は、テレビドラマの方向性を決定付ける新しい流れの始まりだった。 同時に宮藤官九郎脚本の『うぬぼれ刑事』(TBS系)と木皿泉脚本の『Q10』(日本テレビ系)という00年代を象徴する脚本家の集大成となるドラマも登場しており、2000年代の終わりと2010年代のはじまりを象徴する作品で賑わっていた。
    そんな中『SPEC』は、『ケイゾク』の続編ということもあり、00年代の終わりを象徴する過去の作品という印象だった。 すでに『ケイゾク』は伝説のカルトドラマとして神格化されていた。定期的に続編が作られて大衆化した『TRICK』と違い、熱狂的なファンが多い作品だっただけに、続編を作るということの意味はとても重かったと言えるだろう。
    『ヱヴァ』と『SPEC』
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  • 【対談】上妻世海×宇野常寛 『遅いインターネット計画』から『制作』へ(後編)

    2019-01-15 07:00  
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    今朝のメルマガは、文筆家/キュレーターの上妻世海さんと宇野常寛の対談の後編をお届けします。後編は来場者との質疑応答です。対話によって生成される場からは何を持ち帰りうるのか。スケールと距離感から考える新しい都市論の構想。従来的な教養主義がもたらす二項対立を乗り越える〈実践〉のあり方について議論しました。※本記事は2018年10月27日に青山ブックセンター本店で行われたトークイベントを記事化したものです。 ※本記事の前編はこちら、中編はこちら
    ☆お知らせ☆ ただいま青山ブックセンター本店さんにて、宇野常寛責任編集『PLANETS vol.10』特集を展開していただいています! 特典として「遅いインターネット」計画に関する宇野のロングインタビュー冊子がついてきます。いま冊子が読めるのはこちらの店舗さんだけ。ぜひお立ち寄りください!


    主客二元論から対話的な共生関係へ
    宇野 質問があれば何でもどうぞ。
    質問者1 先ほど、言語と身体の繋がりや速度についてお話されていましたが、たとえば私は今、初めてお二人に向けて喋っているので、私の話す速さについても初めて体験されていると思います。そのときに、この人は何を考えているんだろうとか、他人の走る速度とか喋る速度とか、そいういうことを立ち止まって考える時間や、あるいは俯瞰的視点についてはどのように考えているのか、お聞きしてもいいでしょうか。
    上妻 今日は社会的な事象を中心に話しました。僕は社会についてだけでなく、美術やテクノロジーについて話すときも、能動的・受動的という二項対立は使わないようにしています。人が能動的になにかを行うということも、受動的に動かされているんだということも、共に幻想だと思っています。例えば、人間は遺伝子を乗せた乗り物にすぎないという話や、それに対する反論として自由意志というものがあるんだといった議論です。僕が提案したいのは、能動/受動といった二項対立的な議論ではなく、「対話的」であることです。一方的にリズムを押し付けるのでもなく、相手に完全に同期するのでもなく、対話する中でお互いのリズムがその度ごとに立ち上がってくる。今、質問してくださっていますが、質問という形式だと、どういうリズムや速度で話すべきなのか、共有できていない部分が大きいと思います。そこには構造的問題が横たわっています。 お分かりのように、今、質問する人/応答する人という二項対立が存在しています。しかしながら、これは対談とその後の質疑というシステム上仕方ないですが、非常に特殊な状況ですね。実際、もしあなたと僕が、制作環境の只中で対話していく場合、毎日、1〜2時間話す、3日後にまた同じくらい話すといった対話を繰り返していくと思います。そうすれば、あなたも僕のことがわかるし、その逆も然りです。そして、その中でお互いに変化していくと思うんですね。影響を受けたり与えたり、その中で対話のリズムが生まれていきます。俯瞰的視点に関しては、まさにそういった対話のリズムの中でズレが生じたり、うまくいかないことが生じた時に、反省する中で発生するものです。ハイデガーは人がモノそのものについて考えるのは、そのモノが持つ機能が壊れた時だと言います。 例えば、コンピュータで原稿を書くことに集中している時、「何故、キーボードを打ったら文字がディスプレイに表示されるんだろう」などと考えたりはしません。しかし、キーボードを打っても、うんともすんとも反応しなくなった時、「どこが悪くなったんだ、どうすれば動くようになるんだ、そもそもどうしてディスプレイに文字が表示されるんだ」と思考が始まります。対話も同様に、上手くいっている時は反省はしません。しかし、なにか違和感を感じた時、「あの時は意見を押し付けてしまっていたな」とか「相手の表情をしっかりみれていなかったなあ」などと対話を抽象的に仮説的な第三の目で振り返る。それが次の対話での準備になります。そういった関係性を整えることが、ある種の制作的環境を整えるということでもあります。 つまり、この質問でのやりとりのような、突発的に発生した対話で「あなたのリズムが分かります」みたいな超能力のようなことは一切ない。共に継続的に生きていく、共に制作していく、その中に加わり、そこにいるメンバーと対話的に会話し、各々のリズムと同期し、同期しながらも変化し、コンテンツや作品を作っていくというのが、僕のやり方です。それは短時間ではわからない。質問してくださった方も、今は質問するリズムになっちゃってるじゃないですか。それと同様に、宇野さんも今はトークモードになっていて、プライベートではこんな早口な人じゃないと思いますよ。
    宇野 僕はプライベートでも早口ですよ(笑)。
    質問者1 先ほどタイムラインや発信についてのお話をされていましたが、思考は理解はできてもリアクションができるかとか、こういった共有の場で参加できるのか、そういった感性を持ち合わせているのか。社会的な背景やこれまでの教育とか含めて、やり方を知っている人と知らない人がいると思うんです。そのあたりは自己責任になるしかないのかなと……。
    上妻 僕だって最初から今日のように話せたわけではなくて、100回くらいトークイベントをやった上で、今ここに来ている。だから、沢山の人の前で自信をもって話せるわけです。今日初めてここに来た人に「僕たちが早口で喋ったことを処理できないのは自己責任だ」なんて言うつもりはもちろんありません。人間は、様々な経験や、書籍を読むことを含めていろんな人と話すことで段階的に変化していくものです。 実は僕は元々すごく恥ずかしがり屋で、初めて人前で話すことになったとき、緊張しすぎて、iPodでいかついヒップホップとか聞きながら「俺はできる、俺はできる」って自己暗示かけてました(笑)。なんだって最初からできるわけではなくて、プロセスを経れば、いつかはできるようになると思いますよ。
    宇野 それって今日のランニングの議論に近いと思う。ここで二人の議論を整理しながら理解し、言い間違いも修正した上で頭の中に叩き込むのは不可能だと思うし、する必要もないと思うんだよね。ここでのトークを一字一句、漏らさずに聞いてメモを取って、そうやって身につけたロジックをTwitterに投稿してドヤ顔しているような人と、ここで得たキーワードやフレーズや思考法を自分のテーマとして持ち帰って、自分の現場で実践している人と、どちらが消費的でどちらが制作的かといえば、答えは明らかだよね。 要するに並走する訓練ができているか否か。コピペじゃなくてね。読解の自由というのは、そういった人間にしか発生しないと思ってる。僕が走ることが好きなのは、歩いたり乗り物に乗ったときの世界に対する速度は一定なのに対して、走っている時が一番スピードをコントロールできるんですよ。それと同じことかなと思っています。
    上妻 いかに実践に繋げるか、身体が動くかについては、今日話を聞いたから、すぐにできるようになるといった話ではないですよね。別の人のトークイベントに行ったり、登山したり、旅行に行ったり、そういう時に繋がったりするんですよ。「そういえばあのとき上妻が何か言ってたな」みたいな。
    宇野 「あのとき言ってたことって、もしかしたらこういうことじゃない!?」ってなったら、世界の見え方がちょっと変わりますよね。それで十分かな。
    上妻 今日、話を聞いたことで即時的に変わるというよりは、これからいろんな体験をしていく中で、記憶の深くにあったものが急にリンクして、ガーッといろんな繋がりが発生したときに「あ、わかった!」みたいなことが起きて、それによって身体がちょっと動く、みたいな形だと思います。
    宇野 これまでは「放っておくと変わらない人間をいかにして変えるか」「そのためにもっと他者と触れ合おうぜ」といった議論をしていたんだけど、その前提も変化していて、現在は情報環境の発達によって、人間は放っておいても他者に侵入されて変わってしまう。そんな自分に対してどう向き合うかという方向に、ゲームのあり方自体が変化している、という話を今日はしていたんですよ。人によって理解度や関心があるポイントは違うかもしれないけれど、「変わってしまう自分」に対して、どう向き合うかという方向に思考をチェンジしたほうが、持ち帰れるものは大きいと思いますよ。
    〈国家〉でも〈家族〉でもない〈都市〉の可能性
    質問者2 P10の解説集に、次号のP11は都市がテーマになるかもしれない、と書かれていて、すごくいいなと思いました。宇野さんはどういう直感や論理から、そのテーマを選ばれたんでしょうか?
    ▲『PLANETS vol.10』
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  • 宇野常寛「"絆"なんか、いらない――『半沢直樹』でも『あまちゃん』でも"炎上マーケ"でもなく」(PLANETSアーカイブス)

    2019-01-11 07:00  
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、「ダ・ヴィンチ」2013年2月号に掲載された、宇野常寛によるメディア論をお届けします。2012年に大ヒットしたドラマ『半沢直樹』『あまちゃん』と、そこに象徴される団塊ジュニア世代のメンタリティを読み解きながら、「テレビの時代」の終わりと、「正しい断絶」に基づいたインターネットの新しい可能性について探ります。 ※本記事は2014年2月に配信された記事の再配信です。
     昨年2013年は国内のテレビ放送開始から60年目の節目にあたる。そのため、この一年は各媒体でテレビ文化を総括する企画が数多く見られた。そしてテレビ文化に対しての批評をデビューから多く手掛けてきた僕は、その手の企画に呼ばれることの多い一年だった。新春に放送されたNHKの「朝ドラ」の歴史をさかのぼる番組から、『三田文學』誌のテレビの行く末を案じる座談会まで実にバラエティに富んだ企画に出席したが、そこで問われているものは本質的にはひとつしかないように思える。
     それは、もはやテレビの役割は終わったという現実にどう対応していくのか、という問いだ。こう書いてしまうと、実際にこの手の企画で僕と同席することの多い研究者やもの言う制作者たちは不愉快に思うかもしれない。じっさいにこの種の企画の席上でも、僕は彼らとぶつかり合うことが多かった。曰く「とは言え、今はまだ国内最大メディアとしてのテレビの訴求力は大きい」「とは言え今はまだインターネットを情報収集の主な窓口とするライフスタイルは都市部のインテリ層に限られている」……もちろん、その通りだ。しかし、彼らの反論の「とはいえ今はまだ」という語り口が何より雄弁に近い将来にそうではなくなることを、誰もが予感していることを証明しているのではないか。
     ある座談会でたぶん僕とは親子以上に年齢の離れた学者先生はこう言った。「とは言え、あの頃のように国民全体に共通の話題を提供するテレビのようなものは必要なのではないか」、と。僕はすぐにこう反論した。「いや、そんなものはもう要らない」と。
     人間の想像力には限界がある。目の前で産気づいている妊婦を助けようと考える人も、遠い知らない街が災害に見舞われたと知ってもいまひとつピンと来ない、なんてことはそう珍しくない。この距離を埋めるためにマスメディアが機能したのが、20世紀の歴史だった。遠く離れたところに生きる人間同士をつないで、ひとつにすること。ばらばらのものをひとつにまとめること。こうして社会を成立させるために、マスメディアは有効活用された。そして、有効活用されすぎてファシズム(ラジオの産物と言われる)のようなものが発生し、世界大戦で危く人類が滅びかけたのが20世紀前半の歴史だ。そしてその反省から20世紀後半はマスメディアは政治から独立することを前提に運用されるようになった。しかし、その結果マスメディアは第四の権力として肥大し政治漂流やポピュリズムの温床と化している。
     僕はこう考えている。もはやばらばらのものをひとつにまとめる装置としてのマスメディアの役割は、少なくともこの国においては終わっている。会社員男性の大半がプロ野球に興味を持ち、巨人ファンかアンチ巨人だという時代を回復しなくても、社会が破綻することはないだろう(現に破綻していない)。たしかに国家の、社会の成熟の過程でマスメディアが誰もが同じ話題に関心を持ち、重要だと考える「世間」を機能させることは有効だったに違いない。しかし、敗戦から70年に達しようとしているこの老境の近代国家・戦後日本はもはやその段階にはない。現に、インターネットを当たり前に存在するものとして受容している若い知識人層を中心に、「テレビ」の体現する公共性は大きく疑問視され始めている。
     僕は社会人になってから一度も新聞を購読したことがない。そしてテレビのニュースはほぼ完全に、見ない。なぜならばそこで話題にされていることが、ほとんど自分の生きている社会のようには思えないからだ。政治報道は政局中心、経済報道は昔の「ものづくり」中心、科学と海外ニュースは割合自体が極端に低い。街頭インタビューで「市民の声」を拾えば、ねずみ色のスーツに身を包んだ新橋のサラリーマンと東京西部のベッドタウンの専業主婦を選ぶ。特にひどいのが文化面で、文化的存在感においても経済規模においても、ほとんど意味のないものになっている芥川賞を一生懸命報道するにもかかわらず、夏冬それぞれ50万人の動員をほこる世界最大級のイベントであるコミックマーケットは会場で事故が起きたときしか扱わない。
     この人たちの頭の中は20年くらい前で時間が止まっているのではないかと本気で思う。彼らの頭の中ではまだ20世紀が、下手をしたら「昭和」がまだ続いているのだ。このニュースをつくっている人たちは、未だに郊外のベッドタウンに一軒家を買って、そこから正社員のお父さんが一時間半かけて都心の職場に通い、その家を専業主婦が守りながら子供を育てる、なんてライフスタイルが日本人の「標準」だと思っているのだろうか。どれだけオリコンと通信カラオケのヒットチャートをアイドルとV系バンドとアニメソング歌手とボーカロイドが席巻しようと「そんなものは一部のマニアックな人たちのもの」と切って捨てるのだろうか。(後者については、実際に対談の席で言われたことがあるが。)
     私見では、これからのマスメディアが負うべき公共性はひとつしかない。それは、国民に対して知らなければ決定的に不利益になる情報を公開、周知することだ。重要法案のゆくえや、伝染病の予防接種まで──伝えるべきことは山のようにあるはずだ。マスメディアは限られた条件の中で、いかに効率よくこれらの物事を周知させるかだけを考えていればいい(それだけでも極めて困難なことだ)。
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  • 本日21:00から放送!宇野常寛の〈木曜解放区 〉 2019.1.10

    2019-01-10 07:30  
    本日21:00からは、宇野常寛の〈木曜解放区 〉

    21:00から、宇野常寛の〈木曜放区 〉生放送です!〈木曜解放区〉は、評論家の宇野常寛が政治からサブカルチャーまで、既存のメディアでは物足りない、欲張りな視聴者のために思う存分語り尽くす番組です。今夜の放送もお見逃しなく!
    ★★今夜のラインナップ★★メールテーマ「2019年の目標」今週の1本「アリー/ スター誕生」アシナビコーナー「たかまつななの木曜政治塾」and more…今夜の放送もお見逃しなく!
    ▼放送情報放送日時:本日1月10日(木)21:00〜22:45☆☆放送URLはこちら☆☆
    ▼出演者
    ナビゲーター:宇野常寛アシスタントナビ:たかまつなな(お笑いジャーナリスト)
    ▼ハッシュタグ
    Twitterのハッシュタグは「#木曜解放区」です。
    ▼おたより募集中!
    番組では、皆さんからのおたよりを募集しています。番組へのご意見・ご感想、宇
  • 橘宏樹『GQーーGovernment Curation』第9回 入国管理 入管法改正を考える。3つの視点と国の器量

    2019-01-10 07:00  
    550pt

    現役官僚の橘宏樹さんが「官報」から政府の活動を読み取る連載、『GQーーGovernment Curation』。今回は2018年12月8日に成立した入管法改正を取り上げます。外国人労働者の受け入れについては、既にさまざまな議論が出揃っていますが、「共生」「生産性」「人材の質」という三つのポイントから、改めて整理します。

     こんにちは。橘宏樹です。国家公務員をしております。このGovernment Curation(略してGQ)は、霞が関で働く国民のひとりとして、国家経営上本当は重要なはずなのに、マスメディアやネットでは埋もれがちな情報を「官報」から選んで取り上げていくという連載です。どんな省益も特定利益にも与さず、また玄人っぽくニッチな話を取り上げるわけでもなく、主権者である僕たちの間で一緒に考えたいことやその理由を、ピンポイントで指摘するという姿勢で書いて参ります。より詳しい連載のポリシーについては、第一回にしたためさせていただきました。
    【新連載】橘宏樹『GQーーGovernment Curation』第1回「官報」から世の中を考えてみよう/EBPMについて
     2018年11月はインパクトの大きい出来事が続いたように思います。まず2025年の大阪万博の決定。これでオリンピック後に不景気に陥ってしまうのではないか、という不安が和らいだとされます。他方で、そういう需要喚起で目先をごまかして根本的な問題解決がさらに先延ばしにされてしまうのではないか、という不安もさらに顕在化したとの声もあります。様々議論があるところだと思います。そしてカルロス・ゴーン氏の逮捕。報酬額に関して、有価証券報告書虚偽記載があったとのこと。捜査は続いています。国際社会でも大きなイベントがありました。米中間選挙では、下院では民主党が過半数となりました。共和党が過半数を占める上院と「ねじれ」ることになりました。「不安定になる」と報じる日本のメディアが多かったですが、一応、2000年代以降はねじれている時期の方が多かったという事実はおさえておきたいところです。パプアニューギニアで開催されたAPECでは、それぞれ自国中心主義的な貿易姿勢を強めるアメリカと中国の溝が埋まらず、首脳宣言が出せない異例の事態となりました。また、日本とロシアの首脳会談も開かれました。四島返還か二島返還か、北方領土問題に注目が集まっています。米中日ロの関係に大きな影響を与える事態が目白押しでした。
     永田町・霞が関界隈では、臨時国会が開催されており、怒涛のごとく各種法案が成立していきました。本稿で取り上げたEUとの自由貿易協定が国会承認を受けて正式に発効しました。イギリスのEU離脱がもつれ、米中貿易摩擦が悪化するなか、さらに重要な意味を発揮していくことになるように思います。
    橘宏樹『GQーーGovernment Curation』第5回 通商 逆襲の自由貿易~日欧EPA~
     さて、この連載では、本来重要なはずなのにあまり報道されていない官報にスポットをあてています。しかし、今回は、かなり十分に報道されているとは思いますが、あえて、入管法改正(出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律)について取り上げたいと思います。
    出入国管理及び難民認定法 及び 法務省設置法 の一部を改正する法律の概要について(法務省)
     入管法改正の経緯と内容については、見た限り、これらの解説が最も簡単でわかりやすいと思います。
    5分でわかる入管法改正案|「なぜ今なのか?」「何が変わるのか?」2018年11月10日(おかんの給湯室)
    入管法改正で何が変わるの?日本企業が直面する深刻な人手不足 2018年12月8日(外国人雇用就労センター)
     また、この法改正の経緯については、非常に端的に言ってしまうと、
    都市も地方も少子化で、圧倒的に人手不足だ。低賃金で単純労働の業種で特に深刻だ。このゾーンでは、これまで、技能実習生(日本で技術を学んだら母国に帰る人)と留学生を低賃金で働かせてしまっていた。だが人権上もよくないし持続可能ではない。なので、ちゃんと枠を新設しよう。条件満たした、ちゃんとした外国人労働者ならば、家族も連れて来れるようにしよう。賃金も日本人と同等にしよう。具体的な施策の中身はこれから考える。当然、各省とも連携が必要になっていくが、法務省が今後「総合調整」していく。
    といった感じです。既に様々なメディアでも是非をめぐる議論は取り上げられました。どこの国の人が何万人来ているかといった統計も提出されましたし、各紙もたくさんの世論調査を行いました。 外国人受け入れについては、反対が賛成を圧倒的に上回る結果のものはなかったと言えるようで、「まあ、しょうがないよね」「てか、もう結構いるしね」という基調が滲んでいるように僕は思いました。
    「時事通信の9月の世論調査で、外国人労働者の受け入れ拡大のため在留期間の上限を5年とする新たな在留資格を来年4月から導入する政府方針について聞いたところ、「賛成」は60.8%で、「反対」は25.4%だった。」(2018年9月14日 時事ドットコム)
    「外国人労働者の受け入れ拡大に賛成が51%、反対は39%だった。」(2018年10月28日NNN・読売新聞)
    「共同通信社が3、4両日に実施した全国電話世論調査によると、外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法などの改正案に賛成するとの回答は51.3%だった。反対は39.5%。」(2018年11月4日 共同通信)
    「日本経済新聞社の23~25日の世論調査で、人手不足が深刻な分野に限って外国人労働者を5年間で最大34万5千人受け入れる政府の方針について聞いたところ、賛成は41%にとどまった。反対は47%だった。」(2018年11月25日 日経新聞)
    「受け入れ拡大については賛成44%、反対46%に割れた。」(2018年12月29日 朝日新聞)
     また、法案審議においては政府案に様々な批判も寄せられました。移民なのか、外国人労働者なのか、外国人材なのか、といった呼称の問題。受入れ見込み人数のデータ算出方法。技能実習生の失踪や人権侵害の反省。受け入れの各種施策の具体的な中身はほとんど未定であること。審議時間が短いまま採決したこと。そもそも供給不足の業種にちゃんとはまってくれるのか。人材の質は確保できるのか。などなど。いずれも重要な論点だと思います。
    外国人労働力について (平成30年2月20日 内閣府)
    【図解・政治】出入国管理法改正案をめぐる衆院本会議の論戦ポイント(2018年11月13日 時事ドットコムニュース)
    参議院法務委員会(2018年12月5日)における移住連理事高谷幸の参考人意見陳述全文(移住者と連帯する全国ネットワーク)
     このように、かなり注目が集まった本法案ですが、僕は、あまりにも多くの情報が飛び交ったことで、なんというか、逆に、今後の行方を注視していく上での俯瞰的な視座が見失わなれないかな、という問題意識を抱きました。改正法の問題点と、社会全体が外国人受け入れを考えていく上での留意点は、全く同じではありません。そこで、本稿では、現に増えている外国人の方々と、我々主権者がきちんと向き合っていくにあたって、何を考えていけばいいのか。今後の議論において、どこを見ていけばいいのか。視点というか視座というか、ポイントを僕なりに3点にしぼって指摘したいと思います。それはすなわち、共生の問題、生産性の問題、人材の質の問題です。
    1. 共生の問題
     既に日本には外国人労働者が約128万人います。東京でもコンビニの店員は8割近くがもう外国人のような気がします。一緒に暮らしています。では、同じマンションで隣に外国人が住んでいる方はおられますでしょうか。彼らは、町内会などの会合に出席するでしょうか。ゴミ出しのルールは守っているでしょうか。料理の香辛料などの匂いが強烈だったりしないでしょうか。夜中大音量の音楽をかけて、酔っ払ってダンスしていたりしないでしょうか。周囲で外国人が犯人の犯罪が増えていないでしょうか。そして、税金を納めているでしょうか。日本人が当たり前だと思っているルールを守らない外国人がいる場合、なんかこう、敵対心というか、排外心が育ってきてしまいます。そうした問題とも向き合っていかないといけないわけです。
    在留資格「特定技能」とは|特定技能1号・2号の違いなど徹底解説します!(外国人雇用の教科書)
     さらに、「特定技能2号」として認められれば、家族の帯同が可能です。配偶者やご両親なども日本語を覚えられるかどうか。なかなか難しい場合も多いように思われます。子供も連れてきて、地元の小学校などに編入した場合、日本語ができなくて、孤立していじめにあったりしないといいなと思いますし、また、日本語ができない子同士でずっとつるみ続けて、不良になっちゃったりしないといいなと思います。
    ブラジルタウン・群馬県大泉町から考える「生活保護外国人」の現実(2018年11月30日 ダイヤモンドオンライン)
    浜松市の外国人は約2万人、定住化の中で活躍する第2世代 浜松市の多文化共生の取り組み(5)共生の時代と浜松宣言(鈴木康友 浜松市長)
    浜松NPOネットワークセンター【N-Pocket】 > 在住外国人との多文化共生
     こうした外国人との共生の問題への対応においては、明らかに、地域に密着した市町村などの基礎自治体やNPO法人などの活動がカギになってくると思います。コミュニケーションの場をどのように設定するか。誰が窓口になるか。粘り強く対応していくのか。どういう地域に、どこの国の人が多くなるのか。状況や場合は様々で、きっと一括りにはできません。大勢のブラジル人が暮らす群馬県大泉町や静岡県浜松市など、ケーススタディも蓄積されています。
     政府答弁では、法務省が司令塔として多文化共生を含めて「総合調整」を担うということになっています。法の所管という点ではそれはそうだと思うのですが、今後の施策の検討過程においては、特に地方六団体(全国知事会・全国市長会・全国町村会・全国都道府県議会議長会・全国市議会議長会・全国町村議会議長会)や総務省の、かなり積極的なコミットが必要になってくることは避けられないのではないかと思われます。なので、今後は、これらの関係者が本件についてどのような言動をとっていくかが要注目だと思います。
    ちなみに、僕は、年に一度在邦外国人と日本人が100名以上集まって外国人と日本人の「共生」について議論する「トーキョー会議」というイベントの運営にかかわっています。これには昨年、我らが宇野常寛PLANETS編集長にも基調講演やパネルディスカッションに登壇していただきました。外国人向け住宅市場、コミュニティの場の創生、日本の人材採用の慣習、都市の国際化などについて議論しました。



    ▲前回のトーキョー会議の模様
    「トーキョー会議2017」の報告
     次回トーキョー会議は2019年1月14日(祝)に開かれます。開会挨拶には総務省出身の岡本全勝内閣参与・元復興庁事務次官が登壇します。基調講演には、外国人就職支援業者の第一人者、柴崎洋平氏(フォースバレー・コンシェルジュ株式会社代表取締役)、パネルディスカッションにはアクセンチュアの幹部など、非常に豪華で舌鋒鋭い論者が集います。本音トークが楽しみです。非常にホットな会になりそうです。日本語でも英語でもOKなので、皆様もぜひご参加ください。
    第5回トーキョー会議(2019年1月14日)の詳細
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  • 【対談】上妻世海×宇野常寛 『遅いインターネット計画』から『制作』へ(中編)

    2019-01-09 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、文筆家/キュレーターの上妻世海さんと宇野常寛の対談の中編をお届けします。否応なしにネットワークに接続されタイムライン化する世界認識の中で、〈身体〉に基づいたノード的な存在として自立するためにはどうあるべきか。〈制作〉と〈ランニング〉から、模倣論・メディア論へと議論は広がっていきます。※本記事は2018年10月27日に青山ブックセンター本店で行われたトークイベントを記事化したものです。 ※本記事の前編はこちら
    ☆お知らせ☆ ただいま青山ブックセンター本店さんにて、宇野常寛責任編集『PLANETS vol.10』特集を展開していただいています! 特典として「遅いインターネット」計画に関する宇野のロングインタビュー冊子がついてきます。いま冊子が読めるのはこちらの店舗さんだけ。ぜひお立ち寄りください!

    ▲対談直前の上妻世海さんと宇野常寛

    ネットワークに流されない〈身体〉の構築
    上妻 『PLANETS Vol.10』(以下P10)で面白かったのが、後半にいろんな人のインタビューが載っていて、必ずしもメディアで注目されているわけではないけれど、宇野さんが面白いと思う人たちが集められている。こういう人たちがどんどん出てくる世の中になるといいと思っているんです。必ずしも大衆受けしなくとも、「制作」はそれ自体意義のあるものですし、もしかしたら、いつか、どこかで、結果的に社会的にも重要な価値を持つかもしれません。そういう人に早い段階で焦点を当てるような機能、あるいは勇気付けるような機能が雑誌には求められますし、とはいえ、かなりそういう質を持った雑誌は少なくなってきているようにも思えますが、P10ではそれに成功していたと思っています。 先ほどまでは「身体制作」≒「制作」であるという図式を提示していたのですが、一度その段階を経てしまうと、次に制作者は、隠喩としての「走ること」を通じて「身体制作」を行うこととその外在化として作品化することのギャップにも向き合わなければなりません。そのレベルになって、ある意味、生活を整える目的でのランニングという側面が際立ってくる。P10では第一段階である「身体制作」≒「制作」の段階から第二段階であるその分離までを幅広く扱っていると感じました。分離とはいえ、もちろんそれは切り離せないものではあるのですがそのコントロールが重要になってくる。P10での例で言えば、「身体制作」はロボットを作ってる女の子にとって、継続的可能な制作のための、ある種の準備運動になってくる。
    ▲『PLANETS vol.10』
    宇野 準備運動というか環境整備みたいなものだと思うんだよね。彼ら彼女らにどんな気持ちでインタビューしたかというと、僕を中心とするPLANETSのコミュニティに接続することで、上妻さん的な意味での制作環境を整えて欲しいと思った。それは単に、批評家としての僕に刺激を受けて制作が捗るとかではなくて、P10に参加して知識を共有することで、ランニングによって世界の見え方が変わるように、閉じながら同時に開いているような環境に身体を置いてくれるといいなと思ってやっていたんだよ。 それはインターネット第一世代への僕なりのアンサーになっているんですよね。彼らはリアルとバーチャルを対立項として捉えていて、だからこそリアルにバーチャルが侵入することに快感を覚えていたし、秋葉原の巨大ビジョンで踊る初音ミクに未来を見たわけだよね。もちろん僕もボカロカルチャーにリスペクトはあるけど、ただ、そこに関して限界を感じていたことも確かなんだよね。 実際に、あれから10年経って起きたのは、もうすこし複雑で面白い、そしてタチの悪い現象で我々の日常の中に、かつてバーチャルと呼ばれていたものが侵入して、そのことによって我々のリアルな空間が多重化している。我々の身体はすでに情報化されきっている。そして以前は虚構的な空間にあったものが、カジュアルに持ち歩ける日常の一部になり、そのことで批判力を失っているんだよね。それって押井守が『イノセンス』で突き当たった行き詰まりと全く同じなんだよ。 サブカルチャーの世界でいうと、アニメからアイドルへと中心点が移る地殻変動がまさにそれだった。その結果、みんなが文化的に豊かになったかというと、半分はそうだけどもう半分はそんなことはない。我々がタイムラインを延々と見続けているときのように、一見、多層的で多様ではあるけれど、どこにも切れ目のない、のっぺりとした世界が広がるようになってしまった。 それに対して、物書きやハイカルチャーの担い手の多くは、ネットワークから切り離されて再び孤独に戻れという。しかし、繰り返しになりますが、これはアナクロニズムへの回帰に過ぎない。 僕が、上妻用語でいう「制作」、宇野的にいうと「走るひと」の立場に立つのは、かつて虚構と呼ばれていたものが批判力を持たなくなったこの世界に対して、いかにして多様性や拡張性を回復するかを考えているからなんだよね。
    ▲この人と始める〈これから〉のはなし
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