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  • 「大学」でない大学MIT〜戦争によってもたらされたアメリカン・ドリーム |小山虎

    2021-06-16 07:00  
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    分析哲学研究者・小山虎さんによる、現代のコンピューター・サイエンスの知られざる思想史的ルーツを辿る連載の第16回。今日では、コンピューター・サイエンスをはじめ世界の科学技術研究を牽引するエリート大学として名高いMIT(マサチューセッツ工科大学)。19世紀後半の開学以来、ドイツ型の研究大学を目指した創立者ウィリアム・ロジャースの理念はなかなか実現の契機に恵まれず、「大学」としては二流以下の地位に甘んじてきました。しかし2度の世界大戦による軍学複合の波をとらえた工学者ヴァネバー・ブッシュの手腕により、MITは大きな「アメリカン・ドリーム」を成し遂げていくことになります。
    小山虎 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ第16回 「大学」でない大学MIT〜戦争によってもたらされたアメリカン・ドリーム
     前回は、「人工知能」という言葉が誕生したことで知られるダートマス会議に焦点を当てた。ダートマス会議で一堂に会したジョン・マッカーシー、マーヴィン・ミンスキー、アレン・ニューウェルの3名はみな、ヴェブレンによって全米に名を轟かせるようになっていたプリンストン大学数学科出身であり、コンピューター・サイエンス発展の立役者として活躍することになるのだった。  ところで、彼ら3名のうち、マッカーシーとミンスキーはダートマス会議以前にニューイングランド計算センターで再会しており、また一時期はMITで同僚だった。このように、MITはコンピューター・サイエンスの創成期に重要な位置を占めているのである。  MITの名前を聞いたこともないという読者はなかなかおられないのではないだろうか。MITは日本でも広く知られているアメリカの大学の一つであるだけでなく、多数のノーベル賞受賞者を輩出しており、世界でも有数の研究機関の一つだ。その正式名称は「マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)」という。お気づきになったかもしれないが、日本語では「工科大学」と訳されているものの、MITは正式名称では「大学(university)」でも「カレッジ(college)」でもないのである。しかも、MITは「工科大学」であるにもかかわらず、人文学でもアメリカ有数の研究機関であり、あるランキングでは世界2位にランクインしている。科学技術にだけでなく、人文学ですら世界でもトップクラスの大学が、厳密には「大学」ではない。奇妙なことのように聞こえるが、事実、創設されてからかなりしばらくの間、MITはいかなる意味でも大学とは言えない存在だったのだ。
    「大学」でも「カレッジ」でもないMITの創世記
     MITの創設は1861年にさかのぼる。当時マサチューセッツ州ボストン在住だったウィリアム・バートン・ロジャースという地質学者が、科学技術の進展と普及を目的とする学校をボストンに設立する運動を推し進めていた。アメリカにドイツ式の研究大学が持ち込まれるのは1865年の南北戦争終結後であり、当時の大学のほとんどは教育を中心とした「カレッジ」だった(本連載第9回)。ロジャースは、ボストンにやってくる前はヴァージニア大学で地質学の教授を務めていたのだが、当時のアメリカの大学では、彼が追い求める科学技術を中心に据えたカリキュラムは難しかった。だからロジャースは、新たな学校を設立しようとしたのだ。やがてロジャースの運動は広く認知されるようになり、最終的にマサチューセッツ州政府はロジャースの提案を受け入れ、設立のために多額の資金を援助する。こうしてMITは創設されるのである。もちろん初代学長はロジャースだ。
     ところが、誕生まもないMITにいきなり試練が訪れる。創設から2日後の1861年4月12日、サウスカロライナ州のサムター要塞に南軍が攻撃を仕掛ける。南北戦争が始まったのだ。戦争により誕生したばかりのMITはいきなり資金不足に陥ることになる。結局MITで最初の授業が開かれるのは、南北戦争が集結した1865年のことだった。開校から戦争の影響を受けたことは、その後のMITの運命を暗示していたのかもしれない。  MIT初代学長ロジャースが目指したのはドイツ型の研究大学だった。彼は、科学技術の進展とそのための人材育成にとって実験室での研究が不可欠だと考えていた。研究大学でない当時のアメリカの大学では、科学の授業であっても講義が中心であり、実験室を備えてあったとしても、日本の高校の理科室のように教科書に書かれていることを確認するのが一般的だった(本連載第9回)。ロジャースは、このような教科書を中心とした教育では科学技術の進展には不十分だと考えていた。そこで彼が注目したのが、実験室での研究を中心としたドイツ式大学教育だ。  そもそも、研究と教育をいかにして両立させるかは大きな問題である。いかに優秀な学生であろうとも、学生は学生であり、科学者としては半人前だ。そうした学生が卒業後には科学者として研究に従事できるように育てるにはどうしたらよいのか。この問題を解決するのが実験室だ。最先端の研究が可能な実験室があれば、学生は教授の指導のもと、実験室で自ら実験を行うことができる。十分な成果が得られたら、学生はそれをまとめて論文として発表する。大学は、自ら実験を行い、成果を出して論文にするという経験でもって、学生が科学者として最低限の技量を備えていると認定する。つまり博士号は、科学者として一人前になった証しなのである。
     ロジャースがドイツ型の研究大学を目指したために、創設当初のMITには寮がなかった。現在のアメリカの大学制度は、イギリスのカレッジ制大学をモデルにした、もっぱら教育を担当する「カレッジ」の上に、ドイツの研究大学をモデルにした「スクール」と呼ばれる大学院が乗っかっているという構造をしている(本連載第9回)。イギリスのカレッジ制大学はもともと修道士を養成する寄宿学校が起源であったため、「カレッジ=寮」、すなわち、大学に入学したら入寮するというイメージがアメリカでは一般的である。これはMIT設立前も変わらなかった。寮を持たないMITは、まさに「Institute of Technology」の名称どおり、大学とは一線を画した新しい教育機関だったのだ。  ロジャースの壮大な夢の実現として誕生したMITだったが、設立当初から長らくMITの財政状況は悪く、財政は学生からの授業料頼りという有様だった。設立から40年目の1900年になると財政的には改善されていたが、それは教養教育を削減し、産業界の要望に合わせた人材育成に特化することによって達成されたものだった。寮もなく、学部教育も貧弱であり、名前に「大学」も「カレッジ」もない当時のMITは、いわば専門学校のような存在であり、創設者ロジャースが構想していたドイツ式の研究大学とは大きくかけ離れたものになってしまっていたのだ。
     創設の理念から逸れてしまったMITにさらなる危機が訪れる。20世紀に入ると、すぐ近くにあるハーバード大学との合併が画策されるようになるのだ。当時のハーバードの学長は、チャールズ・エリオット。ハーバードに大学院を設置し、また男女共学を実現するなど、ハーバードを「カレッジ」から「大学」に変えた伝説の学長だ(本連載第9回)。エリオットはMITで教鞭をとっていたこともあり、ロジャースの理念に強く共感していた。ハーバードが世界に名だたる研究大学になったのは、ロジャースの理念を実現したエリオットのおかげといってもよいだろう。エリオットが大きな反対を知りつつもMITとの合併を目指したのも、自分に大きな影響を与えたMITを財政危機から救うためだった。  両者の合併は、1914年に一度は正式に告知されたものの、最終的には破談となる。それ以降もMITとハーバードとの合併(あるいは後者による前者の吸収)は何度も検討されるが、結局実現することはなかった。  1917年、ハーバードとの合併話がなくなったちょうどその年、MITがそれまでの単なる「ボストンの専門学校」から脱皮するきっかけとなる出来事が発生する。アメリカが第一次世界大戦に参戦したのだ。
    ▲MIT設立に合わせて建築されたビル。この建物は後に創設者の名をとって「ロジャース・ビルディング」と呼ばれることになる。(出典)
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  • 大西洋沿岸のインフォーマルマーケットとレバノン人ネットワーク|佐藤翔

    2021-06-15 07:00  
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    国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。今回は、旧大陸側から大西洋を渡って新大陸へ。大航海時代の欧州列強による植民地化の時代を経て、地中海東岸のレバノンからの移民ネットワークがこの1世紀あまりで拡大している中南米地域。ブラジル出身のカルロス・ゴーンやメキシコの富豪カルロス・スリムなど、国際ビジネスの表舞台でも存在感を発揮するレバノン人たちの活動が、いかに大西洋西岸のインフォーマルマーケットを牽引しているかにスポットを当てます。
    佐藤翔 インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち第6回 大西洋沿岸のインフォーマルマーケットとレバノン人ネットワーク
    大西洋におけるレバノン人の存在感
     ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸をつなぐ大西洋。「大西洋革命」という表現があるように、アメリカ・西ヨーロッパにおける近代社会の成立を促したとも言える海です。東側におけるアフリカとヨーロッパ、西側における中南米諸国とアメリカ・カナダを比較すればわかるように、両岸とも南北に極端な経済格差があるため、南側の国々に巨大かつ国際性の強いインフォーマルマーケットが形成されています。
     大西洋のインフォーマルマーケットを語る際に欠かすことができないのがアラブ系移民の存在です。シリア系移民はブラジルやアルゼンチンに多く、パレスチナ系移民はチリに多いのですが、大西洋沿岸諸国において数が最も多いのはレバノン系移民です。地中海東岸に位置する中東諸国の一つであるレバノンは、古くから様々な地域に移民を出してきましたが、特に第一次世界大戦中に深刻な飢饉が発生したため、多くのレバノン人が国外へ移住しました。
     東地中海からジブラルタル海峡を越え、北に沿ってレバノンの委任統治を行っていたフランスへ、あるいは南に沿って西アフリカへ、さらに西アフリカから中南米へ、そして中南米から北米へと、大西洋全域に広がっていきました。その後も独立前後の混乱やレバノン内戦といった事件を契機に、移民は増え続けました。
     こうしてそれぞれの地に住み着いたレバノン人同士が連絡を取り合い、大西洋に一大商業ネットワークを築き上げたのです。移住したのは、20世紀前半はキリスト教徒が中心だったようですが、1943年にレバノンが仏領委任統治からの独立を果たした後は、キリスト教徒だけではなく、ムスリムの移民も増加していったようです。
     西アフリカの旧フランス植民地では、レバノン人の商人が各国経済において重要な役割を担っています。特にコートジボワールではレバノン商人の経済における影響が非常に大きいとされています。また、セネガル出身でフランス在住の弁護士ロベール・ブルジは、フランスと旧フランス植民地をつなぐ政治人脈のボスとして知られています。レバノン内戦以降は、前回取り上げたナイジェリアでもレバノン人の移民が増えていったようです。
     西アフリカ以上にレバノン人の存在感が強いのは中南米です。レバノン・シリアのゴラン高原で飲まれるマテ茶、ラテンアメリカのマーケットでよく見る水タバコは中東から中南米へはるばる旅をし、本国と交流を保ってきた証とも言えます。
    ▲ブラジル・サンパウロのゲーム屋に置かれていた水タバコ。(筆者撮影)
     さて、中南米でコミュニティを形成するレバノン人の商人としての才覚としたたかさを代表する二人の人物を挙げたいと思います。一人はかつて日本の日産自動車のトップの座にあり、2019年レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンです。ブラジル西部のロンドニア州ポルト・ヴェーリョ出身の彼は、父親がブラジル生まれのレバノン人ですし、母親も西アフリカ・ナイジェリア出身のレバノン人です。彼が述べたところによりますと、彼の父方の祖父であるビシャラ・ゴーンが、3ヶ月かけてレバノンのベイルートからブラジルに移住した、とされています。
     もう一人はメキシコの富豪であるカルロス・スリムです。「フォーブズ」紙の長者番付において、2010年から4年間、ビル・ゲイツを資産保有額で上回り、世界最高の金持ちとなったこともあります(2021年版は16位)。彼の母方の祖父はメキシコでレバノン人向けの新聞を発行し、メキシコのレバノン人コミュニティにおける有力人物でした。最近では長者番付のトップ10から外れたとはいえ、カルロス・スリムはどのようにしてビル・ゲイツを一時的にとはいえ上回る金持ちになったのでしょうか?
     その答えは彼がオーナーとなっているメキシコの通信キャリア、アメリカ・モビルにあります。1990年に民営化した際に彼によって買収されたアメリカ・モビルは、世界有数の通信キャリアであり、中南米の大半の国ではスペインのテレフォニカとともに、通信キャリア市場を二分する存在になっています。本国であるメキシコでは固定電話・携帯電話ともにほぼ独占に近いシェアを築き上げてきました。

    ▲メキシコの固定電話業者Telmex。かつてはアメリカ・モビルの親会社だったが、巨大化したアメリカ・モビルに逆に買収され、カルロス・スリムが会長になった。(筆者撮影)
     国内における通話料・通信料以上に安定して大きな収入源となっているのが、アメリカのヒスパニックの本国への通話料です。アメリカのヒスパニックで最も多いのはメキシコ系ですが、アメリカからメキシコへの国際電話の通話料の精算制度は、メキシコ政府の規則上、2004年までメキシコの最大通信キャリアであるアメリカ・モビルが代表して交渉を行うことになっていました。つまり、国際通話の料金の決定権は民間企業であるアメリカ・モビルが事実上独占していたのです。
     アメリカからメキシコへのトラフィックのほうが、メキシコからアメリカへのトラフィックよりも断然多い、ここがミソです。つまり、アメリカ・モビルが通信インフラの整備に大きな投資をしなくても、発信のための通信インフラは、世界一の技術力を持つアメリカの通信キャリアが整備してくれます。しかも、アメリカのヒスパニックが増えれば増えるほど、アメリカ・モビルの収益は増大することになります。このように他の通信キャリアにはない大きな収益源をテコに、中南米各国に次々進出していったことで、アメリカ・モビルは世界有数の巨大な通信キャリアへと成長していったのです。
     レバノン本国は内戦以降、経済はあまり活発ではありませんが、彼らのように強力なビジネス・ネットワークを誇るレバノン移民を、自国経済の発展に活用しようとしています。レバノンの外務・移民省は「Lebanese Diaspora Energy」というレバノン移民のための国際イベントをアメリカやフランス、アフリカなど様々な地域で行っています。TED TalksライクのLDE Talksという、レバノン人によるレバノン人のためのプレゼンテーションコーナーなどもあるようです。
    ▲Lebanese Diaspora Energyの公式サイト(出典)
    ▲LDE Talks(出典)
     このように国際ネットワークを持つレバノン人は、中南米のインフォーマルマーケットにおいても重要な存在です。ブラジルの大きなインフォーマルマーケットでは、レバノン人が商売を行っているケースを多く目にしてきました。面白いのは、中南米におけるレバノン人のネットワークはレバノン人だけで完結した閉じたネットワークではなく、他のエスニシティに属する人々と共同経営の形を取っていることがあることです。私がブラジルのサンパウロで訪問したインフォーマルなゲームの販売店でヒアリングを行った際も、レバノン人が華僑と一緒にビジネスをしているケースを見かけました。
     さて、前回はナイジェリアという大西洋東側・ギニア湾にある国を中心に扱いました。大西洋西側の中南米諸国はGDPや一人当たり可処分所得のような表面上の数字だけを見れば対岸のアフリカよりも立派な数字ですが、いずれもインフォーマル経済が重要な役割を果たしています。インフォーマルマーケットが欧州のように一定の空間に限定されておらず、明らかにフォーマルではない要素が町中ににじみ出ているのです。これらの中でもインフォーマルマーケットの中心となっているのは地域経済大国、つまり中米の大国であるメキシコ、南米の大国であるアルゼンチン、そしてブラジルの存在です。
    ▲ブラジルのストリートにあったグラフィティ。(筆者撮影)
     メキシコはアメリカという世界最大の経済大国に隣接しており、中米における人やモノのインフォーマルな流れの集約点となっているため、インフォーマルマーケットも巨大になっています。メキシコで有名なインフォーマルマーケットとして挙げられるのが首都メキシコシティのテピートと、グアダラハラのサン・フアン・デ・ディオスで、何度も「悪質市場リスト」に取り上げられています。そのほか、日本のアニメやマンガ関連のインフォーマルマーケットとしては、現地のFriki Plazaというショッピングモールチェーンが重要な役割を果たしています。
    ▲メキシコのオタクビル、Friki Plaza。現地ゲーム・アニメ・マンガファンの実態を知るにはここが一番。(筆者撮影)
     アルゼンチンはこれまでに何度も債務不履行に陥ったことで有名な国です。私が現地のゲーム開発カンファレンスへ訪れた際も、銀行のATMに人々が列をなしていました。そして財政破綻の連続で自国通貨であるアルゼンチン・ペソの信用がまるでないため、街中には「カンビオ! カンビオ!(スペイン語で両替の意)」と連呼し、ヤミレートでアルゼンチン・ペソとアメリカ・ドルを交換する両替商人を多数見かけました。
    ▲アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの通り。こうしたところにも行商人や両替屋が出没していた。(筆者撮影)
     さらには、暗号通貨に手を出す市民も多く、ビットコインのATMがあり、ブロックチェーンを活かしたスタートアップが多数出てきています。こうした中で、アルゼンチン最大のインフォーマルマーケットであるラ・サラディタはこの国のカオスぶりを象徴する存在です。毎度おなじみの「悪質市場レポート」によると、オーナーはアルゼンチン大統領の海外訪問に同伴し、ラ・サラディタの海外支店を作ろうとするほどの経済力を持っています。
    ▲ブエノスアイレスで見つけた求人広告。「MiniGame、3Dモデラーを募集中。お支払いはUSドルかビットコインで。」(筆者撮影)
     ブラジルにおいては連邦政府、州政府、市などが様々な税金を課すため、世界一税制が複雑な国と言われています。下の表は世界銀行が発行している“Doing Business”において、1年間に従業員60人程度の企業が、法人税・消費税/売上税・源泉所得税などの税金や社会保障費を政府に収めるためにかかる手続きの時間を示したものです。ブラジルで納税に必要な作業時間は1,501時間。ご覧の通り、まともに払おうとすると、日本やアメリカのような国はおろか、ロシアやインドのようなブラジル以外のBRICs諸国と比べても桁違いの時間がかかるのです。昔は2,600時間かかったのでこれでもかなりマシになったのですが、世界銀行が集計している国の中では圧倒的な最下位です。
    ▲税務作業手続にかかる時間の比較。(世界銀行“Doing Business”をもとに筆者作成)
     もっとも、これは外資系企業や中規模以上の企業についての話で、小規模の会社についてみると、ブラジルは税制が非常に簡略化されています。このため、ブラジルにはゲームも含めて優れたスタートアップがたくさんあるのに、売り上げが上がって成長フェーズに入るとアメリカなどに移転してしまうケースが後を絶たないのです。税制以外のルールも複雑なため、インフォーマルマーケットが大きくなるのも当然と言えるでしょう。
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  • コロナ禍でも、「私の働き方改革」は進んでいない ──(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革 第5回〈リニューアル配信〉

    2021-06-14 07:00  
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    (ほぼ)毎週月曜日は、大手文具メーカー・コクヨに勤めながら「働き方改革アドバイザー」として活躍する坂本崇博さんの好評連載「(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革」を大幅に加筆再構成してリニューアル配信しています。2020年からのコロナ禍という危機をバネに、強制的に働き方改革が進展したようにも見える現在。たしかにICT活用が飛躍的に進み、テレワークの選択肢が当たり前になりましたが、それは本当の意味で一人ひとりの働き方を向上させることにつながっているのでしょうか? 「私の働き方改革」の観点から、改めて現状を整理します。
    (意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革〈リニューアル配信〉第5回 コロナ禍でも、「私の働き方改革」は進んでいない
    あらすじ
     コロナ禍によって世界は大きく変化したことは確実です。 個人や組織の働き方についても、ICT活用が大幅に進展し、テレワークが当たり前の選択肢になりました。 コロナ禍前に多くの企業が頭を抱えていた「ICT活用不足」「柔軟な働き方が浸透しない」といった難問たちは、これまでの働き方改革推進部署の努力をあざ笑うかのように、一気に解消されました。 果たしてコロナ禍で、働き方改革はもはや「過去のテーマ」になってしまったのでしょうか? 今回は、「私の働き方改革」の視点から、コロナ禍の変化について整理しながら、やはりまだまだ「私の働き方改革」には至っていないのではないかという投げかけをしていきたいと思います。
    コロナ禍が生み出した新たな熱狂
     最近こう聞かれることがあります。「坂本さん、コロナ禍によって強制的に働き方改革ができてしまった中で、働き方改革のコンサルティングってもういらないんじゃないの?」と。  私の答えはNOです。  2021年春、世界はCOVID-19(新型コロナウイルス)による経済社会の大混乱の最中にあります。疫病という外敵によってもたらされた社会経済活動の強制停止は、個人の生活、そして企業の生産活動に未曾有の被害をもたらしました。  通勤、登校、集会、外食など、これまで息をするように当たり前に営まれていた様々な活動が禁止や自粛に追いやられ、生活習慣の抜本的な見直しを迫られています。  そうした中で、意識が高い人たちは「ピンチはチャンス」と口を揃えわめき立て、「withコロナ時代のニューノーマルとは?」と問いを掲げ、毎日オンラインセッションを開催しながら、これからの世界を予測し合って「政府はこうすべきだ」「社会はこうなっていくべきだ」「コロナによって日本の働き方改革が強制的に実行されてしまった」と盛り上がっています。  この状況は、日本中で働き方改革がブームになった2016年前後の状況を彷彿とさせます。 当時も今と同じく、メディアの論客や経営者、コンサルタントたちがこぞって「働き方改革とはこうあるべし」と持論を展開して、政府や企業への提言を“あさっての方向”に向かって発信していました。違ったのは、その発信の仕方がオンラインセッションではなく、広い会場を貸し切りしたシンポジウムであったことくらいです。
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  • Daily PLANETS 2021年6月第2週のハイライト

    2021-06-11 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    梅雨入り前の地域では、だんだん初夏の日差しがまぶしくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?
    今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    今週のハイライト
    6/7(月)【連載】(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革〈リニューアル配信〉第4回 働き方改革とは、働く制度を変えることでもない

    (ほぼ)毎週月曜日は、大手文具メーカー・コクヨに勤めながら「働き方改革アドバイザー」として活躍する坂本崇博さんの好評連載「(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革」を大幅に加筆再構成してリニューアル配信しています。「働き場所」の改革に加えて、多くの企業の働き方改革の現場で行われたのが、在宅勤務やフレックス、はたまたMBO型の評価ス
  • 初めてできた彼女の話|高佐一慈

    2021-06-10 07:00  
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    お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回は、高佐さんの初恋のお話。上京後の大学生時代、初めて恋人ができたときのエピソードを語っていただきました。
    高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第18回 初めてできた彼女の話
     18で高校を卒業し、大学で上京するまで僕は女子と付き合ったことがなかった。  だから中学や高校で甘酸っぱい恋愛経験をしたことがある人にとてつもない憧れを持っている。 「放課後、日直の仕事を終えて帰る準備をしてたら呼び出されて、校舎裏に行ったら告られたの」  おおぉう。 「中学生だからさ、付き合うっていってもただ学校終わりに一緒に帰るだけなんだけど、楽しかったなぁー。なに話したかは覚えてないけど」  ふわぁ〜。 「塾の帰り道に自転車で家まで送ってくれたんだよね。その時初めてキスしたの。家の門の前で。ドキドキしたー」  いいないいないいないいなーー。  人の話を聞きながら、その話に自分の中学時代の景色を無理やり当てはめ、追体験する。そうやって自分のモノクロの学生時代に他人の絵の具で色を塗っていくことしかできない。
     小学校、中学校とずっと好きだった女の子がいたが、奥手な僕は告白することも、もちろん告白されることもなく、ただその子のことを目で追い、悶々としながら日々の学校生活を過ごすだけだった。それは男子校である高校に行っても変わることなく、ただその子のことを思い続けるばかりの毎日。  ちなみに今でもたまに思い出すが、思い出されるのは中3の時の彼女のまんまだ。中3以降会ってないんだからそりゃそうだ。  そんな奥手も奥手、奥手中の奥手、奥手専門学校を首席で卒業し、東京の大学に行くことになった僕は、その頃になると色々とこじらせ、奥手である自分を硬派な俺という存在に巧妙にすり替え、そんな自分はかっこいいと思い込んでいた。逆に女子と付き合ったりするようなナンパなやつのなんとかっこ悪いことか。  ただ勇気のない自分を正当化するための強がりだったわけだけど、色々とこじらせの症状が進んでいた僕は、一度も女子と付き合ったことがないという事実を、「俺はまだ誰のものでもないからな」と、デビュー当時の井森美幸のキャッチフレーズのようにねじ曲げて捉えていた。  そのまま症状は悪化の一途をたどり、女子にモテようと悪ぶってタバコを吸ってる同級生を見ては「俺は東京に行っても絶対にタバコを吸わない」だの、女子にモテようとその頃流行り出した携帯電話を持って学校に来てる奴を見ては「俺は東京に行っても絶対に携帯電話は持たない」だのと心に誓い、東京へと向かう日が近づいては、母や妹にそれは高らかに、何度も誓いを立てた。  そして4月。東京に着いた次の日に、学生寮(北海道出身者が住む県人寮)のみんなに勧められ携帯電話を契約し、その次の日に大学でテニスサークルに入り、その次の日にテニスサークルの一人に勧められタバコを吸い始めた。  ちなみにテニスサークルに入ったのはもちろん彼女を作るためだ。  僕のちっぽけな強がりはいとも簡単に東京に打ち砕かれた。
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  • 高校野球は「自分で掴み取る」ものではなく「させてあげる」もの? 食トレ・偵察・県外遠征の諸相|中野慧

    2021-06-09 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第‌8回‌「‌高校野球は『自分で掴み取る』ものではなく『させてあげる』もの? 食トレ・偵察・県外遠征の諸相」です。‌ 全国大会規模の施設運営を典型例として、高校野球児の活動には年長者の介入を前提としている部分が存在します。本来「自立」を促すものであったはずのスポーツにおいて、現在の日本高校野球界にはどのような課題が潜んでいるのでしょうか?
    中野慧 文化系のための野球入門第8回 高校野球は「自分で掴み取る」ものではなく「させてあげる」もの? 食トレ・偵察・県外遠征の諸相
    高校野球は「させてあげる」もの⁉︎
     2020年は新型コロナウイルスの流行により、高校野球の春と夏の甲子園は中止となりました。この高校野球中止にまつわる報道の中で興味深かったのは、「させてあげたかった」「やらせてあげたかった」という表現が頻出したことです。こういった表現が当たり前のものとして看過されていることに、今の高校野球の問題が凝縮されています。  スポーツはもともと、「気晴らし」が語源です。近代になって人々は身分的・経済的制約から解放され、余暇時間を自由に使えるようになってはじめて概念化された文化であり、ある種の「特権」だとすらいえます。そして「気晴らし」「余暇」「特権」なのならば、その時間を楽しむためには、集まる人間たちが主体的に関与する必要があります。  翻って現代の高校野球に関わる人間たちは、子どもから大人まで、そのことをすっかり忘れ、「させてあげる」「やらせてあげる」という奇妙な観念に染まってしまっているのです。  たとえば、高校野球の夏の大会は都道府県大会から、プロ野球チームの本拠地や地方球場など、観客席やスコアボード、記者席・放送席のある立派な球場でプレーすることができます。 私は神奈川県の高校でプレーしましたが、普通は秋と春のブロック予選では高校のグラウンドを使用し、ブロック予選を勝ち抜いて県大会に出るとようやく球場で試合できます。しかし、夏の大会はすべてのチームが、立派な球場でプレーすることができるのです。  こういった球場を借りて試合すること自体、実は大変な労力がかかります。しかし夏の大会ではそういったことは都道府県の高野連がやってくれており、審判の手配もしてくれます。球場管理者や審判なども、みなが「高校野球だから」と好意的に協力してくれるわけです。  しかし、たとえば大学野球になると、大学野球は基本的に学生主導で、スケジューリングや球場の予約も行います。大人の「草野球」もそうで、グラウンドの抽選に参加し、対戦相手を募り、大会を自分たちで主催・運営することもあります。本当は、そういった裏方仕事も「スポーツ」を構成する大事な要素です。  なかなかうまく試合が組めないなかで、同じリーグのチームの主務と相談しながら、なんとか開催に漕ぎ着ける、そこで試合をする。試合が終わって、勝った負けたは決まるけれども、そういう過程を経ると、試合をしてくれた相手は「敵」ではなく「仲間」になります。また、球場の管理者、球場の手配をしてくれた人、審判をやってくれた方たちとのコミュニケーションも重要です。そういった「ささえる」側の人たちなくして、スポーツというものは成り立たないからです。  こういうことはある種、当たり前のことではあるのですが、「させてあげる」「やらせてあげる」という言葉がまかりとおり高校野球文化は、残念ながら、そういったスポーツを成立させる大切な要素を、本来主体であるべき「高校球児」たちに見えなくさせてしまっているのです。  今回のコロナ騒動は、社会をさまざまな方向に揺るがしました。高校野球は全国大会開催となると全国的な人の流通が不可避になるため、2020年春夏の甲子園の通常通りの開催は見送られ、夏の大会は各都道府県単位での自主開催となりました。もし「自主」開催なのであれば、これを機に大人たちに頼るのではなく、「高校生たち自身でできる大会の開催」を検討してもよかったはずです。  こういうことを述べると、「高校生自身で運営はまだ早いのでは」という反論もありますが、多くの高校では学校文化祭はできるかぎり生徒たちの自主運営がなされているはずです。また、全国レベルの取り組みでも、文化部の全国大会として「全国高等学校総合文化祭(総文)」というものがありますが、こちらは「生徒実行委員会」というものがあって、生徒たちの手で運営されています。  しかしスポーツは、特に高校野球は、なぜか「大人が大変なこともやってあげるのが当たり前」になってしまっています。よく知られているように、学生たちの野球文化を規定する「学生野球憲章」では「学生野球は、教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成を目的とする」と謳われているにもかかわらず、です。  そもそも日本では高校生スポーツの全国大会はごく普通に行われていますが、アメリカでは行われていません。もちろん国土が広いということもありますが、「そもそも“たかが高校生”に全国大会は不要だから」という、教育的な理由からです。私たちは「高校生にとって、果たして全国大会などという贅沢なものはそもそも必要なのか?」という視点も持っておく必要があるでしょう。
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  • 『ザ・ホワイトタイガー』──「歌って踊らない」インド映画から見つめ直すカースト制度|加藤るみ

    2021-06-08 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第17回をお届けします。今回ご紹介するのはNetflixオリジナル作品『ザ・ホワイトタイガー』です。一部地域では現在も根強く残るインドのカースト制度。本作は身分の差に苦しむ青年・バルラムが差別意識を持つ上流階級の人々に立ち向かう姿を描きます。るみさんは本作を観て、単なる「サクセスストーリー」とひとことで言い表すことはできない、深く胸に突き刺さるものを感じたようです。
    加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第17回 『ザ・ホワイトタイガー』──「歌って踊らない」インド映画から見つめ直すカースト制度
    おはようございます、加藤るみです。
    この前、人から「結婚して何か変わったことある?」と聞かれて、小一時間くらい考えていました。 結婚前は東京に住んでいたので、そりゃあ住む場所は変わったといっちゃ変わったけれど、そういうことじゃないよなあと考えてました。 もっとこう、内面的なことだろうと思っていて、ひとつ思いついたのは、お花を飾るようになったことでした。 結婚する前は、お花を貰ったら慌てて飾るくらいで、そもそも自分でお花を買ったことなかったなあと。 お花を買うようになってから、それまでは気にしたことすらなかった季節のお花を知るようになって、見たことはあるけど名前は知らなかった花の名前を覚えて、お花屋さんに行くのも楽しみのひとつになりました。

    私の夫は、"ぶりっこ"という言葉がよく似合う人なんですけど、お花を飾ると「うわぁ〜! 可愛い〜!」と喜ぶんですよ。 その時にすごく心が満たされたような気持ちになるので、私はお花を飾りたくなるんだと思います。 おそらく、夫のぶりっこは才能で、いつもその可愛らしいリアクションに羨ましいなあと思うほど。 あざとさが一切ない純真なぶりっこであるから、凄いんですよね。 夫とは反対に、私は昔から「冷めている」とか、まろやかに言うと「落ち着いてる」と言われてきたタイプで、お花の可愛さはもちろん、華やかな光景を見ても素直に反応できない性格でした。 これは、おそらく思春期を捧げたアイドル生活の影響もあるかと思うんですよね。 まだ無邪気に鼻くそをほじっていたい14歳の少女だったはずなのに、人生初の給料を貰って、まだ知らなくても良い"確定申告"の勉強をし、超女コミュニティで戦の毎日を送っていた生活が私をそうさせたのだと思っています。 まあ、もともとの性格もあるかもしれませんが、今思うと、大人の世界を知るのが早すぎたんだと思います。 同世代の女子が虜になるパンケーキを目の前にしても笑顔になるわけでもなく、無言で写メって秒で食べ、夢の国へ行ったとしても「カチューシャなんて頭が痛えよ」なんて思っていたのだから。 夫のおかげかわからないですが、今ではパンケーキを食べる時は思いっきり笑顔になれるし、夢の国へ行ったら舞浜駅過ぎてもカチューシャ外さないレベルに人間らしくなれたとは思っています。 長くなりましたが、何が言いたいかと言うと、結婚して変わったことは、「お花を映えのためだけでなく、人のために飾りたいと思えるようになったこと」なんだと思いました。 これからの私に言っておきたいことは、自分にどんなに精一杯でも、一輪の花を気にかける心の余裕を持って生きなさいということです。 これからも人生がんばれ、私。
    さて。
    今回紹介する作品は、『ザ・ホワイトタイガー』('21)です。
    インド出身の作家アラヴィンド・アディガによる、『グローバリズム出づる処の殺人者より』というベストセラー小説が原作で、Netflixが映画化した作品です。
    私はインド映画をオススメすると、「歌って踊るのがあんまり好きじゃない」と言われることが多々あります。 確かに、インド映画といえばいきなり歌って踊り出すイメージがありますよね。 約25年前に上映された『ムトゥ 踊るマハラジャ』('95)をはじめ、最近のヒット作では『きっと、うまくいく』('09)や『バーフバリ』('15)など。 ちなみに、そのようなインド映画のことをボリウッドムービー(ムンバイの旧称ボンベイの頭文字"ボ"を取り、"ハリウッド"をモジった造語)というのですが、そもそもインド映画は「なんで歌って踊る映画が多いの?」と思う方がいるかもしれません。 その理由は、インド都市部では"マサラ上映"といった、上映中に歌ったり、踊ったり、手を叩いたり、歓声を上げたりと、自由に映画を鑑賞するスタイルが当たり前とされているからなんですね。 いわゆる、日本で言う"応援上映"です。 歌って踊り、一喜一憂しながら映画に"参加"するのがインド流の映画の見方なんです。
    しかし最近では、そういったボリウッドムービーに加え、新たな魅力を発揮するインド映画も観られるようになりました。 最近、いや結構前から、もうインド映画は歌って踊る"だけ"じゃないんです。 なんていったって、映画の年間制作本数は世界ナンバーワンの映画大国インド。2017年のデータですが、年間約1900本ほどの映画を製作してるんですね。 歌って踊るだけのインド映画のイメージを抱えている人は、早急にインド映画のアップデートをしてください。
    まさに、今回紹介する、『ザ・ホワイトタイガー』は、"歌って踊らない"インド映画なんです(アメリカとの合作ではありますが)。
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  • 働き方改革とは、働く制度を変えることでもない ──(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革 第4回〈リニューアル配信〉

    2021-06-07 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、大手文具メーカー・コクヨに勤めながら「働き方改革アドバイザー」として活躍する坂本崇博さんの好評連載「(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革」を大幅に加筆再構成してリニューアル配信しています。「働き場所」の改革に加えて、多くの企業の働き方改革の現場で行われたのが、在宅勤務やフレックス、はたまたMBO型の評価スキームなど、制度を作ることでした。そうした「型」から入っていくやり方が機能しない場合が多いのはなぜか、改めて検証していきます。
    (意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革〈リニューアル配信〉第4回 働き方改革とは、働く制度を変えることでもない
    あらすじ
     前節では働く「場」の改革だけでは、本質的な働き方改革(私の働き方改革)は進まないことが多いと解説しましたが、この節では「型」を変えるだけでも同様に私の働き方改革は進みづらいということを、事例を示しながら解説したいと思います。 「型」とはすなわち、制度やルール、仕組みのことです。 多くの企業がコロナ禍前から在宅勤務制度やフレックス制度を導入していましたが、自ら進んで「やる事・やり方・やる力の見直し」に向けてそれらの制度を活用する人は少なかったと思います。 また、評価制度の欧米化についても、「型(外見)は変われど中身(運用)は変わらず」で、その成果を実感できている人は限られています。 こうした状況を整理しながら、なぜこうした状況に陥りがちなのか? についての考察につなげていきたいと思います。
    働く制度の改革も、働き方を変えるには至っていない
     働く場所についてと同じく、この数年新たに作られた制度たちも、「お蔵入り」状態もしくは、「特定の人だけのためのもの」となっている事例が見受けられます。フレックス制度、在宅勤務制度、副業制度などがそれに該当します。 ただし、コロナ禍によって、「在宅勤務」は当初想定していた狙いを超えて、フル活用されるようにはなりました。しかしこれは、「在宅勤務制度」を社員一人ひとりが進んで活用した結果在宅勤務が増えたわけではなく、感染拡大防止のために上からの強制によって実現したまでであり、制度改革によって働き方が変わったわけではありません。 ちなみに数年前、コロナ禍発生前のことですが、某通信会社さんから、「社員が在宅勤務制度を使ってくれない」というお悩みをいただいたことがあります。当時の私としては、「別に、在宅勤務の必要性がないなら、制度を使わなくってもいいんじゃないですか?」と疑問に思ったのですが、さすが通信会社さん、一歩先を見据えていらっしゃいました。 「もし誰もが在宅勤務を当たり前のように使える組織になっていなければ、どうしてもその制度を使わなければならないときにも、おそらく不安になり、堂々と活用できないかもしれない。これからの介護問題や震災などでの通勤困難に備えて、今のうちから家でも働けるような慣習を染みつけることが大事だ」とのことでした。今になって思えば非常に先見性のある課題提起です。コロナ禍によって多くの企業が在宅勤務を余儀なくされ、少なからず混乱が発生していましたが、もし多くの企業がこうした視点に立って、コロナ禍の前から全員で在宅勤務に慣れていることができていたら、そうした混乱は抑えることができたのかもしれません。 ではなぜコロナ禍前に、多くの社員は在宅勤務制度を活用しなかったのでしょうか。 この答えも簡単です。「現状のやり方でも仕事が回っていて、あえて働く場所を変えて在宅勤務にしなくてもただちには困らないから」です。
    評価制度やコミュニケーション改革も、型の変化だけに留まっている
     バブル崩壊以降、企業・組織における評価制度やそれに伴う上司と部下のコミュニケーションのあり方もある意味強制的に変化しています。 評価制度については、成果主義に始まり、評価の視点はますます「個別的」「短期的」になっています。個々人のスキルやキャリア意識に応じて、部署のミッションとすり合わせ、MBO(Management by Objectives:客観的に測定できる目標設定管理)に落とし込まれ、「今年は〇〇を何件やります」といった宣言が行われるようになりました。 合わせて、上司は毎期1~2回、「1on1」と称した個別面談を部下と二人きりで行うことが求められ、部下は評価面談実施後に、その面談が有意義だったかを人事部に報告しなければならなくなりました。 これらは決して悪いことではなく、従来の曖昧で不透明、画一的で横並びの評価制度を改革する大歓迎な変化であるはずでした。 しかし、ふたを開けてみると、ぱっと見では1on1がまじめに行われているものの、内容としては「上司からの指導タイム」だったり、上司に腹を割って話すことに抵抗のある部下は、当たり障りのない仕事の会話に終始したり、目標設定シートの体裁は変われど、なるべく従来の記載内容を踏襲しようというパワーが働いていたりと、形は変われど中身は変わらずといった状況の企業さんのお悩みが後を絶ちませんでした。 また、MBOや成果主義などの評価制度についても、結局運用するのは職場の上司と部下一人ひとりであり、彼らの意識・行動が変わらなければ「これまでの評価視点、これまでの評価方法」で運用することは十分に可能であり、従来の働き方に飲み込まれてしまうケースもよく見受けられました。 私は働き方改革アドバイザーとして長年直面してきたこれらの経験から、型を変えるだけでも、「私の働き方改革」を促すには至らないようだと考えるようになったわけです。
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  • Daily PLANETS 2021年6月第1週のハイライト

    2021-06-04 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    坂本崇博さんの働き方改革をめぐる人気連載、書籍版も好評の「グローカルビジネスのすすめ」、井上明人さんによる「異世界転生」批評、中国コスプレ文化史と、国内外のビジネスやカルチャーに深く切り込みました。
    全国的に早い梅雨入りに緊急事態宣言の再延長と気の重い月明けになりましたが、6月もPLANETSをよろしくお願いします!
    今週のハイライト
    5/31(月)【連載】(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革〈リニューアル配信〉第3回 働き方改革とは、働く場を変えることでもない

    (ほぼ)毎週月曜日は、大手文具メーカー・コクヨに勤めながら「働き方改革アドバイザー」として活躍する坂本崇博さんの好評連載「(意識
  • コスプレカルチャーの中国独自進化|古市雅子・峰岸宏行

    2021-06-03 07:00  
    550pt

    北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第7回。今回は、2000年代半ばごろから独自進化を遂げた中国のコスプレ文化について。アジア最大のゲームショウ「ChinaJoy」を頂点に、中国全土でトップ・コスプレイヤーを競うコンテストが開催されるほか、大がかりな創作演劇やライブパフォーマンスなども上演。閉じた場でこっそり楽しむ趣味という印象の強い日本とは異なり、オープンなショービジネスとしても発展していきます。
    古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究第7回 コスプレカルチャーの中国独自進化
     ここまで、日本のマンガやアニメがどのように中国で受容されていったのか、時系列に述べてきました。2000年代、パソコンとインターネットの普及により、各地に点在していたファンがインターネットを介してコミュニティを形成し、インターネットを通して日本のオタク文化に触れ、「アニメファン」からいわゆる「オタク」へと変化したわけですが、今回はその「オタク文化」の一つでもあるコスプレに注目し、今や独自の文化を持つ中国のコスプレについて、その歴史と今後の発展についてお話ししたいと思います。
    1.コスプレの最高峰「ChinaJoy Cosplay嘉年華(カーニバル)」とは
     中国でコスプレといえば、まず触れなければいけないのは中国最大のゲームショウ「ChinaJoy」で開催される「ChinaJoy Cosplay嘉年華(カーニバル)」です。
    ▲ChinaJoy Cosplay Carnivalの様子
     「ChinaJoy」は正式名称「中国国際数碼互動娯楽展覧会」といい、国家出版総署と上海市人民政府が主催、全国の映像デジタルメディア運営事業者が集まって結成された「中国音像与数字出版協会」が共催する国営のイベントで、2004年第1回は北京、同年に行われた第2回以降は上海で開催しています。  会場である上海新国際博覧中心は室内展示面積10.35万㎡と東京ビックサイト(総計9.5万㎡)を上回るほどの規模で、来場者数も第1回こそ1.5万人だったものの、2019年の第17回にはのべ36万人となり、アジア最大のゲームショウと呼ばれています。日本の「Tokyo Game Show」(以下TGS)と同じように、ビジネス向けと一般ユーザー向けの公開日がそれぞれ分けられ、ビジネス向けはビジネスエリアでの商談が主ですが、一般公開日には30万人に及ぶ来場者とオンライン配信を見る無数のユーザーに自社のゲームや会社の勢いを広く宣伝する絶好の機会となります。その「ChinaJoy」において、「ChinaJoy コスプレカーニバル」(以下「ChinaJoy」)は、特に注目されるメインイベントのひとつです。 「ChinaJoy」はコンテスト形式で行われますが、2007年からは北京・上海・広州を始め、中国全土10を超える都市で予選を行い、海外からの参加者も増えています。コンテストにはサークル単位での参加となり、金、銀、銅賞からなる優秀団体賞、そして演技賞、脚本賞、道具賞、ビジュアル賞、アクション賞、またその時々の状況に合わせたいくつかの賞によって構成され、受賞者には賞金が出ます。 コスプレのコンテストは今も大小様々、各地で行われていますが、この「ChinaJoy」で優勝することは、中国全土のコスプレイヤーの頂点に立つことを意味するのです。
    2.中国におけるコスプレの始まり
     マンガやアニメと同じように、コスプレもやはり香港、台湾から伝わってきました。香港では1993年、「四百尺」というサークルが『銀河英雄伝説』の同盟軍の制服を着てアートフェスに参加したのが最初だと言われています。その後、徐々にコスプレをするサークルが増え、1998年には香港初のコスプレ大会が開催されました。また台湾では、1995年に台湾南部にある高雄市のSEGA WORLDという現地最大のゲームセンターで行われたイベントが、初のコスプレイベントと言われています。台湾、香港で徐々に広がっていったコスプレは、両地に親戚や友人がいたり、地理的に近い環境にあった中国のアニメやゲーム好きに少しずつ広がり、中国大陸にもコスプレイヤーが少しずつ出現していきます。
    ▲「電子遊戯軟件」1997年12月号に掲載されていたコスプレ写真
     興味深いのは、コスプレにおいては早くから日本のマンガ、アニメの枠を超えていたということです。香港ではすでに現地のマンガが育っていたこともあり、初期の段階から現地のマンガ作品のコスプレも一定数存在していました。擬人化コスが最初に現れたのも香港だと言われています。また台湾は、最初のイベントがSEGA WORLDだったこともあり、その会場ではゲームキャラクターのコスプレがほとんどだったと言われています。  中国のコスプレは、ゲームと切っても切り離せない関係にあります。中国初のコスプレイベントがいつどこで行われたのか、記録がないので正確な情報はわかりませんが、2000年には広州でコスプレコンテストが開かれたのが最初だという説が多く聞かれます。現時点で、最初の大型イベントであると認識されているのは2001年、台湾のゲーム会社が行った中国初のオンラインゲーム『石器時代』のPRイベントであるゲームキャラクターのコスプレ大会です。  『石器時代』とは、日本サプライシステムが1999年に開発したオンラインゲーム『ストーンエイジ』のことです。日本では認知度も低くヒットに至らなかった作品ですが、台湾のゲーム会社、華義国際が『石器時代』として台湾、中国で発売し、爆発的にヒットしました。今も中国ではオンラインゲームを切り開いた作品として記憶されています。そのヒットの要因の一つが、コスプレコンテストを含んだPR戦略でした。  『石器時代』はオンラインゲームですが、この頃はまだ雑誌も主要な情報源の一つで、華義はゲーム雑誌でコンテスト出場者の募集を出し、ゲームを楽しむ新しい方法としてコスプレコンテストを開催しました。ここから、コスプレは急速に広まっていきます。2003年、大手検索サイト「百度」がBBS「百度貼吧」のサービスを開始したことで情報交換が劇的にスムーズになり、コスプレ専門サイトも開設され、3年後の2004年には「ChinaJoy」第1回が開かれるにいたります。その後、1997年創刊のマンガ・アニメ情報誌「漫友」が2005年に増刊号「漫友COSPLAY100」を出版、日本のコスプレ雑誌の海賊版なども多数出ていたようです。こうしてコスプレは急速に広まり、「ChinaJoy」の出場者も加速度的に増え、2006年に行われた第4回で8000人を突破しました。驚くほどの熱量とスピードで、コスプレは広まっていきました。
    3.独自の文化を持つ中国のコスプレ
     当初、コスプレは「角色扮演」と翻訳されていました。「角色」はキャラクター、「扮演」は演じるという意味で、『石器時代』を通して使用された台湾の訳語です。「ChinaJoy」も最初の数年は「角色扮演カーニバル」と題していました。香港に近い広州などでは、香港の訳語「服飾扮演」を使用していた人が多かったようです。ところがRPGの訳語としても「角色扮演」が使用されるようになり、2007年あたりからコスプレの訳語は「COSPLAY」として定着しました。英単語が漢字表記に翻訳されず直接使用されるのは非常に珍しいことで、コスプレに関わる人たちが、ある程度の教育を受けている人たちだということが推察できます。そして「COSPLAY」のCOSを動詞として捉え、「COS」という言葉も単独で使われるようになりました。台湾を通して日本語の影響を受けているのかもしれません。そこから、コスプレをする主体、コスプレイヤーのことを「Coser」と呼ぶようになりました。  本稿では以降、中国のコスプレイヤーは「Coser」と表記します。現在、中国のWikipediaである「百度百科」で「角色扮演」を検索すると、「Roll Playng」の訳語であるという解説が出てきます。
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