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第七章 海の象形文字――シェイクスピアからメルヴィルへ|福嶋亮大(後編)
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第七章 海の象形文字――シェイクスピアからメルヴィルへ|福嶋亮大(後編)

2023-11-28 07:00
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    福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ

    7、愚かさを拡大する新世界――デフォーの『モル・フランダーズ』

     シェイクスピア劇においては、しばしば二つの異質の世界が交差する。それを象徴するのが、地中海世界の中心であるヴェニスにアウトサイダーとしてやってくるアフリカの黒人オセローであり、ミラノから退出して新世界の支配者となったプロスペローである。そのなかで、ハムレットは旧世界の飽和を感じさせる人間である。
     T・S・エリオットが、ハムレットの悩みは「客観的相関物」を欠くと批判したことはよく知られている[18]。ハムレットは自らの悩みに対応する客観的な現実をもたないため、その心は場違いの感覚にさいなまれ、とめどない内部分裂に向かわざるを得ない。この分裂はメタフィクション的な劇中劇――王の犯罪を告発する罠――において、きわめつけに複雑なものとなる[19]。ハムレットは芝居の脚本家となり、父の暗殺を再現し、自らの苦悩の原因を虚構として演じ直す。しかし、彼がどれだけ演技を積み重ねても、らせん状に迷宮化した自らの心から脱け出すことはできない。
     ただ、「デンマークは牢獄だ」(第二幕第二場)と言い放つ閉塞的なハムレットの前には、本来は無限の海が広がっていた。この海との遭遇こそが、煮え切らなかったハムレットに政治的な決断を促す。彼が叔父である国王クローディアスに復讐するきっかけになったのは、デンマークからイギリスに出港したとき、海賊に襲撃されて(ちょうどロビンソン・クルーソーのように)捕虜になり、その際に自らを殺させようとする国王の陰謀に気づいたときである。海上のハムレットは再び陸地に戻って、復讐を決行する。しかし、もし海賊の捕虜となった彼がそのままデンマークを離れ、大西洋につながる「海的実存」に生まれ変わっていたとしたら、内部に向かってとぐろを巻くような彼の心には、別の解放の道筋が開けたに違いない[20]。
     興味深いことに、シェイクスピアの活躍からおよそ一世紀後の一六八九年に、アメリカのカロライナ憲法の制定にも関わった哲学者のジョン・ロックは「最初の頃は、全世界がアメリカのような状態であった」(『統治二論』後篇・四九節)と述べながら、貨幣ももたずに「生存の必要」(同・四六節)だけで動いている初期状態の人間のモデルとしてアメリカ人を描いた。ロックがアメリカを自己流に理想化しているのは否めないとはいえ、飽和したヨーロッパ社会をまとめて初期化できるジョーカー的存在としてアメリカが現れたことは重要である。実際、シェイクスピア以降の近代小説の主人公は、ハムレットのように悩みを内的に自乗する代わりに、むしろその累積したエネルギーを外に振り向け、人生を新たに始め直すようにして大西洋を横断した。
     例えば、ダニエル・デフォーはロビンソン・クルーソーを環大西洋的存在として造形した後、一七二二年のピカレスク・ロマン『有名なモル・フランダーズの運不運』で、新世界アメリカへの旅立ちを物語の核心に据えた。ロンドンのニューゲートの牢獄で生まれた女性主人公――本名を隠してモル・フランダーズという変名を名乗る――は、虚栄心にとりつかれ、自ら破滅への道を歩まずにはいられない。その美貌を駆使して結ばれた二人目の夫は、彼女をアメリカのヴァージニア州のプランテーションに連れてゆく。しかし、この夫が実の弟であったというショッキングな事実が判明し、彼女は一人で帰国するのである。
     当時のヴァージニアは「ニューゲートやその他の牢獄」から流刑になった人間たちで溢れていた。イギリスでは罪人であった彼らは、うまくやればアメリカの植民地で出世することもできた。夫=弟の母(つまりモル・フランダーズの実母)が「ニューゲートにいた連中でえらぶつになっている人がたくさんいるよ。ここには治安判事や民兵団の将校や自分の住んでいる町の判事でも、腕に焼印のある人が何人もいるんですよ」と語るように[21]、ヴァージニア植民地はシェイクスピアのヴェニスにも似たアウトサイダーたちの「共和国」であり、モル・フランダーズも含めた悪人も、統治側の人間に生まれ変わる可能性をもった土地であった。
     この小説のテーマは、犯罪者たちがお互いに秘密を隠しながら、騙し騙される関係を生き延びてゆくことにあった。西洋文学史を振り返っても、モル・フランダーズほど戦略的な女性はほとんどいない。ロビンソン・クルーソーが島を計算づくで経営するのに対して、彼女はむしろ人間関係を巧妙に計算して操作する。しかも、デフォーが画期的なのは、社会の下層のアウトサイダーが人間になろうとするシェイクスピア的なゲームの底面に「愚かさ」を据えたことである。
     実際、モル・フランダーズは愚かしい虚栄心に導かれるままに、新世界の社会に滑り込もうとするが、結局は弟との近親相姦というこれまた愚かしい予想外のエラーによって、その企ては失敗に終わる[22]。新世界アメリカへの渡航は、理性のコントロールの及ばない領域を浮かび上がらせた。『テンペスト』が「眠り」や「夢」として描いた問題は、『モル・フランダーズ』では「愚行」に変換される。後のディドロと同じく、デフォーにとっても植民地の創設は、人間性のひび割れを拡大するものであった。

    8、世界文学は新世界文学である

     デフォーはショッキングな例外状態によって、読者を外部に連れ出す作家であった。彼の近代性の核は、ヨーロッパ社会を動かす法(プログラム)を強制停止し、別の法則を備えた世界へと人間を連行したことにある。『ロビンソン・クルーソー』の漂流、『疫病の年の日誌』のペスト、『モル・フランダーズ』のヴァージニア渡航と近親相姦――これらはいずれも、人間を人間たらしめる理性ではなく、人間をその安全な進路から突き落とすショッキングな不意打ちとして描かれた。
     このデフォーの手法は、演劇から小説へという近代の枢軸のジャンルの変化とも関連する。ヴェニス、デンマーク、大西洋等を舞台としたシェイクスピアは、演劇的空間の弾力性の高さを存分に活用した。プロスペローが放逐された経緯は、彼の一つのセリフのなかに圧縮されるため、地中海から大西洋への移動もSF的なワープのように軽快に処理される。それに対して、ジャーナリストでもあった小説家デフォーは、このような気ままな省略を許さなかった。クルーソーやモル・フランダーズがヨーロッパから離れるプロセスは、動機や行動経路を含めて詳細に記録されるが、その移動の根幹には人間性そのものの揺らぎがある。シェイクスピアが世界を可変的なシアターに仕立てたとしたら、デフォーは世界を激変させるショックの力を利用したのだ。
     では、デフォー以降のヨーロッパの作家は、アメリカにどのような意味を与えたのか。世界文学論の観点から言えば、デフォーからおよそ一世紀後の晩年のゲーテがやはり重要である。
     ゲーテはアメリカを組織的・集団的な起業の場として描いた。彼の『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』(一八二九年)では、主役の一人であるレナルドがアメリカ移住を志す。レナルドは紡績工を募集し、「真に活動的な人間」たちとともに新天地アメリカに工場を設立しようと試みた。彼の長い演説によれば、その企ては土地所有を最善とするヨーロッパ的な価値観を乗り越えて、むしろ最高の理念を「動産」および「行動に富む生」を認めるものである[23]。新世界アメリカに適した人格は、デフォー的な犯罪者からゲーテ的な企業家へと移り変わったが、そのいずれも私的所有よりもオープンな「生」を求めるタイプであったことは注目に値する。
     ゲーテはアメリカに、私的所有制を超克するアソシエーショニズムの理想を投影した(すでに前作の『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』でも、フリーメイソン的な「塔の結社」を主宰するロターリオにアメリカ経験があった)。この理想の背景には、全人類を結びつけるフリーメイソン的な「世界同盟」(Weltbund)のアイディアがあった。世界同盟とは遍歴=さすらい(Wandern)の人間たちの集うアナーキズム的な結社だが、レナルドがその樹立を試みるとき、ヨーロッパの土地所有制度から脱出することが必要であった[24]。
     レナルドの壮大なプロジェクト(人類補完計画?)は、明らかにゲーテの世界文学論――各国が文学を所有するのではなく、活発な翻訳と相互浸透を通じて世界規模の文化的コモンズを創設しようとする企て――と通底している。ゲーテの世界文学論は、私的所有制を批判する一種のアソシエーショニズムとつながっていた。しかも、このアソシエーションが機能するには、ヨーロッパとは異なる人間的結合を実現する《新世界》が欠かせなかった。レナルドとその生みの親ゲーテは、ともに同じ問題を抱えていたと言えるだろう。
     こうして、『ファウスト』でポストヒューマンの領域へと踏み込んだゲーテは、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』および世界文学論では、ポストヨーロッパの時代の到来を予告した。すでに『テンペスト』というアメリカ文学の序論に先取りされていた問題が、ゲーテによってくっきりと輪郭づけられた。一七世紀のシェイクスピア、一八世紀のデフォー、一九世紀のゲーテの三人を並列するとき、そこには世界文学とは新世界文学であるというテーゼが浮かび上がってくるだろう。

     
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