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  • 東京オリンピックを痛快に破壊――アナウンサー吉田尚記はなぜ"テロ計画" を考える?(無料公開)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外☆

    2015-09-14 17:00  
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    東京オリンピックを痛快に破壊――アナウンサー吉田尚記はなぜ"テロ計画" を考える?(無料公開)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.9.14 号外
    http://wakusei2nd.com


    2020年の東京五輪計画と近未来の日本像について4つの視点から徹底的に考えた一大提言特集『PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』(以下、『P9』)。その『P9』の中から、特に多くの人に読んでほしい記事をチョイスし、本日より毎日夕方17時に無料公開していきます!
    第1弾となる今回配信するのは、「よっぴー」ことニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さんによる、本誌内の特集「セキュリティ・シュミレーション オリンピック破壊計画」に寄せた序文です。
    ※無料公開は2015年9月24日 20:00 で終了しました。
     この企画を私が初めて耳にしたのは、ラジオ
  • サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(後編)/井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.347 ☆

    2015-06-18 07:00  
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    サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(後編)井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.6.18 vol.347
    http://wakusei2nd.com


    本日は、『PLANETS vol.9』刊行記念イベント「サイボーグ化する身体と社会」の内容の後編をお届けします。サイボーグ的な義肢装具が普及することで社会制度や、私達の「人間観」はどう変わるのか――? 前編では義肢装具開発や光学迷彩研究、ゲームデザインなど様々な立場から議論しましたが、後編はさらに掘り下げて「サイボーグ化時代に人間の美意識はどう変わるのか?」について考えました。
    前編はこちらから。
     
     
    ■ 「人々がフェアだと感じられる楽しいゲーム=社会」をどう設計するのか
     
    宇野 『PLANETS vol.9』で僕らは、井上くんを中心にいろんなプランを考え、いろんなところに取材に行きました。そこで思ったのは、handiiiのように「高い技術による義肢装具を作っていく」のももちろん大事なんだけれど、それと同じぐらい「多様化する身体を受け入れられる社会のルールを整備する」ということについてしっかりと考えなければならいということだったんです。
     近代スポーツがそうですが、現代社会のルールってどこかで「健康な成人男性」を標準にしているんですよね。実はこれは民主主義にも同じようなことが言えて、「教育を通過した人間にはある程度の判断力が宿る」という幻想をもとにして動いているんです。その幻想をみなが共有していたから、何となく世の中がフェアに回っていると思っていた。
     でも今はその幻想が壊れつつあるわけですよね。「健康な成人男性」中心主義はマイノリティを抑圧してしまうし、「意識の高い市民」を前提にした民主主義はこの規模と複雑さをもつ社会に対応できなくなってきている。そのときに、どういったルールであれば人々に納得感を与えることができるのか――そういった議論を、僕らはこの本のなかでずっとしているんです。
     井上くんは、自分が関わってないページも含めて、この本のなかの議論を読んでどんなことを思いましたか?
    井上 僕が直接関わってないページで「おぉー!」と思ったのは、実際のパラリンピックの選手のインタビューですね。僕自身の原稿で「パラリンピックではこういう問題が起こっている」という話をしているんですが、どういう問題かというと「クラス分けを雑にしてしまうと、不利益を被る選手がたくさん出てきてしまう」という話だったんです。インタビューのなかでパラリンピックの選手の皆さんは、このこと問題について競技者として深く認識しつつも、それでも受け入れざるを得ないという話をしていて、すごく複雑な気持ちになりました。「その不平等を受け入れる事がリアリストなんだ」、というような認識が出てきてしまっているわけです。
     「良くない」と思っていてもそれを受け入れざるを得ないのはなぜかというと、その摩擦を調整する仕組みを動かす人が、現時点ではまだあまりいないからだと思います。このままだと不平等な状態がリアリズムによって維持されるという逆説的な状態が続いていってしまうので、『PLANETS』みたいな雑誌で新しい法則を打ち立てることを、とにかく何度もやっていくことが重要だと改めて思いましたね。
    小笠原 要するに「諦め」の境地に至ってしまっているわけですよね。でも一方で、義手はその「諦め」を無くすために作っていたりするわけですよね。諦める人がいるから逆に諦めない人も生まれる、そういうバランスもあると思うんですが、どうなんでしょうね。
    宇野 これは「フェアである」ことと「フェアと感じられる」ことの差の問題だと思います。人間が幸福だと思えるために必要なのは後者なんですよ。
     本当にフェアなゲームというのは、強い奴が勝ってしまう。それだとみんな嫌なんです。ゲームのルールって、裏技があったり運に左右される要素が多いほうが人々はフェアだと感じるし、もっと言うと幸福だと思えるわけですよね。現代の社会は残念ながら三歩手前くらいにいて、スポーツでいえば健康な成人男性以外はマイノリティとして不利になってしまう。
     これはスポーツだけではなく社会そのものにも当てはまる。仮に今日山浦さんや稲見先生が仰ってるようなサイボーグ化が身体的な条件を覆す――少なくともハンディキャップが単なる不利な条件ではなく、個性になるレベルまでは行ったとしたとき、その上で人々がフェアだと感じられる楽しいゲーム、面白いゲーム、やり甲斐を感じるゲーム=社会をどう設計するのか、という問題が浮上するのだと思うんです。
     この問題に対する井上くんの今回の本での回答は、「集団戦にすることによって運の要素を拡大すると皆フェアに感じやすいですよ!」ということだったと思います。この件に関して、他の三人がどう思うか聞いてみたい。稲見先生どうですか?
    稲見 まず、強い人が勝ってしまう、戦う前から結果が見えてしまうのはゲームをする意味がない、というのはその通りだと思います。何か不確定な要素を残しておくことが良いゲームデザインだと率直に思いますね。
     先日、「リアリティってなんだろう?」という話になって、色んなリアリティの考え方の一つとして、「パーフェクトじゃないものがリアリティかもしれない」という話をしました。つまりアイディアルな平面や直線は現実世界には存在しないわけじゃないですか。パーフェクトに予測された通りにならない部分を残しておくこと自体を、我々はリアルだと感じるのかもしれない。その部分では井上案に賛成します。
     また、そこまで制度を頑張って考えなくてはいけないのは移行期だからですよね。なぜならパラリンピックで「近視部門」なんてないわけでしょう。たとえば今日、この会場に来ている人で近視で眼鏡をかけている人はマジョリティですよね。
    宇野 そうですね。この場は圧倒的に眼鏡が多いですね。
    稲見 私はもともと小学生のときは宇宙飛行士になりたかったんですが、当時のスペースシャトルに関する本には「視力の悪い人は宇宙飛行士になれない」と書いてあって、諦めたんです。
     でも眼鏡やコンタクトが普通に存在する現代のスポーツでは、決して何か諦める必要はないですし、眼鏡をかけるようになったから別のカテゴリーでスポーツをやらないといけないということもありません。つまりサイボーグ技術や義手義足の技術がきちんと実装されたときには、眼鏡と同じぐらいの扱いになるべきですし、コンタクトレンズぐらいになった時に我々はそんな区別は気にしなくなるものだと思います。
     逆に言うと「眼鏡のためのスポーツ」が作られてきたわけではありませんし、「眼鏡をかけている人のための社会制度変革」も今まで行われてきませんでした。そう思うと私はあまり心配しなくてもいいのかなと、楽観的に考えています。
    山浦 総得点方式などの競い方をしたらいいんじゃないか、という提案についてですけど、私が義手を作っていてよく思うのが本当に義手義足ってパラメーターの振り分けだと思うんですよ。とにかく力が強い義手というだけなら、ただただ重いモーターを積めばできるんですけど、そうすると持続時間が短くなる。逆にただ持続時間の長い義手にすると力も弱くなる。そのトレードオフがあるんです。だから開発する上ではそのパラメーターの振り分けがキモになってくる。
     何かを競うときに、総得点方式にしてパラメーターの振り分けの上手さを競うというのは見ていても面白いと思うんですね。そういう意味で義手義足を使う人と、そうじゃない人も含めて競うという形はすごくアリですし、私自身、面白いなと思いました。
    小笠原 僕は「強い奴が勝つ」というのは、強くなるところまでがその人の努力であるということも含めてルールだと思っていて、その代替手段として例えば違う道具を使うというのはいいかもしれない。
     一方で、総得点方式はゲームとして面白いですけど、ルールに慣れてしまうと攻略法やパラメーターの振り分けの話だけにフォーカスしてしまう気がしていて、僕はそんなに長く楽しみにくいかなと思ってしまいましたね。
    宇野 つまり集団戦にするところまでは良いんだけれど、総得点方式のようなやり方でいくと意外と早くハックの方法が分かってしまって、ヌルゲーと化すんじゃないか、という疑問ですね。井上くんはお三方の反応を見てどう思いました?
    井上 小笠原さんの「ハックしやすそうだな」という話は最初のざっくりとしたルール案を作って当てはめた段階では、その通りだと思うんです。ただ、将棋などが典型的ですが、対人のルールの面白さは千年ぐらいかけて少しづつルールを修正しながら進化していくものです。「ズルされてつまんなくなる部分をもっているけど基本構成はすごくいいよね」という人が一定数いたら、どんどん修正パッチが作られてルールが洗練されていくと思うんですね。修正パッチを入れていく構造みたいなものまで含めて作れたら、そこで初めて成功だと言えるんだろうと思っています。
     山浦さんには基本構想に同意していただけたので、是非何か一緒に考えていければいいなと。稲見先生の眼鏡の話がありましたけれど、半分はおっしゃる通りだと感じました。ただ、眼鏡の基本的なコンセプトって、「普通の人よりも目がよく見えるようになる」道具ではなく、「普通の人のように目が見えるようになる」道具だと思うんです。その眼鏡が例えば、「この眼鏡を付けると透視能力が発現する」となってしまうとまた話が違ってしまうのかなと。
    稲見 最近コンタクトレンズ型デバイスで、ウィンクするとズームと普通とを切り替えられるのが出てきましたよね。市販はされていませんが、研究としては出始めています。
    (参考リンク)ウィンクでズーム! 望遠鏡機能つきのコンタクトレンズ : ギズモード・ジャパン 
    井上 あ、そうなんですか! ではその望遠鏡レベルの機能が付いたコンタクトや眼鏡が社会に普及して、普通に歩いている人が「実は500m先のマンションで何のテレビ見てるとかもう丸見えです」というような状態になってきたら、それは法制度なりの規制を入れなきゃいけないと思うんですね。現在の眼鏡と同様に上手く調和できれば話は早いと思うんですけど、オーバーテクノロジーつまり普通の人のさらに先を行ってしまったときにどうするかという問題が生まれます。社会的な身体ということで宇野さんが整理してくれましたが、そこで単に物理ではないところで対応していかなければいけないのかなという風に思いますね。
     

     
     
    ■ 稲見昌彦は、超身体を活用する為の脱身体をどう位置付けているのか?
     
    宇野 何となく対立点が明らかになってきたと思います。この五人の中では僕と井上君が、どちらかというとエンターテインメント的な考え方をしていますね。人々が幸福になるため、あるいは面白く参加するためにはゲームに運や偶然性の要素が大きく作用している必要がある。人々は単にフェアなだけでは参加してくれない、「フェアに思える」ということが大事なんだという発想をもっている。これはゲームデザイナー的な発想ですね。
     それに対してお三方、特に稲見さんや小笠原さんは、そんな単純な立場ではないことを承知で大雑把に言うと「そんなものはテクノロジーの進歩で基本的に打ち砕くことができるのだ」という立場ではないかと思います。稲見さんの冒頭のプレゼンの中で人間の身体の拡張のマップがありましたね。
     

     
     これって要するに、超身体と脱身体の関係の問題だと僕は思っているんです。要するに、僕や井上くんはゲームデザインの思想を背景に、超身体を社会が受容するためには脱身体のレベルにフォーカスした社会設計が必要だと考えていることになる。
     だから僕がここで聞きたいのは「稲見昌彦は超身体を活用するための脱身体をどう位置付けているのか?」ということなんです。
    稲見 たしかに、現代は〈脱身体〉の時代という言い方をしますが、今の技術レベルで実現できるオンライン上の身体ってまだそこまで発達しきっていないと思っていて、そういう脱身体的なテクノロジーが進化する前に、物理的な身体のほうを拡張しておこうという発想です。
     オンラインでアバターを使っているよりも物理的な身体のほうが楽しくなるのであれば、わざわざオンラインに行かなくてもいいわけじゃないですか。肉体だと食べ物も美味しいですし。『マトリックス』にも食べ物のシーンが出てきますが、それは大切なことです。そういう段階を経た後に、最終的に行くのが「分身体」「融身体」かなと思っています。ですから、いま私がやっているのはもしかすると「いったん脱身体から超身体に戻す」という作業なのかもしれません。
     
    【ここから先はPLANETSチャンネル会員限定!】
    PLANETSの日刊メルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」は6月も厳選された記事を多数配信予定!
    配信記事一覧は下記リンクから。
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201506

     
  • サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(前編)/井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.318 ☆

    2015-05-08 07:00  
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    サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか(前編)井上明人×稲見昌彦×山浦博志×小笠原治×宇野常寛
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.5.8 vol.318
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは、『PLANETS vol.9』(以下、P9)刊行を記念しDMM.make AKIBAで行われたイベント「サイボーグ化する身体と社会」の内容をお届けします。
    『P9』ではパラリンピックで進む義肢のサイボーグ化にヒントを得て、人間の身体をより拡張的に使用することの可能性を議論しました。一方で、そのためのルール設計はこれからの社会にとっての課題でもあります。
    そこで今回は、実際にテクノロジーの開発に従事する研究者、そしてアカデミックなゲーム設計を考える専門家が集い、サイボーグ化で社会の在り方がどう変わっていくのかを考えました。
    ※今回は前半部分を配信します。後半は近日中に公開予定です!
      
    ▼出演者プロフィール
    稲見昌彦(いなみ・まさひこ)
    バーチャルリアリティ、ロボット工学を背景とし、拡張現実感(AR)や強化人間(AH)など、コンピュータや最先端の技術を誰もが自在に利用するための「自在化技術」を研究。人の「生理」に根ざして生じる「現実感」に着目し、五感をはじめとする感覚・知覚、および筋肉による運動という人間の入出力機能の特性に根ざしたシステム研究開発を手掛ける。現在まで光学迷彩、触覚拡張装置、吸飲感覚提示装置、動体視力増強装置など、人の感覚・知覚に関わるデバイスを各種開発。情報処理学会EC研究会主査、日本VR学会理事、コンピュータエンターテインメント協会理事、CEDEC運営委員等を歴任。米「TIME」誌Coolest Inventions、文化庁メディア芸術祭優秀賞、文部科学大臣表彰若手科学者賞など各賞受賞。
     
    山浦博志(やまうら・ひろし)
    1984年、千葉県生まれ。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。パナソニック株式会社でデジタルカメラの設計開発に従事し独立。exiiiの共同創業者として筋電義手「handiii」の開発にあたる。おもな受賞歴に東京大学大学院工学系研究科長賞、James Dyson Award 2013 国際準優勝、Gugen2013 大賞、第18回文化庁メディア芸術祭優秀賞など。
     
    井上明人(いのうえ・あきと)
    1980年生まれ。関西大学特任准教授。専門はゲーム研究。2005年慶應義塾大学院政策・メディア研究科修士課程修了。2010年に日本デジタルゲーム学会第一回学会賞(若手奨励賞)受賞。2012年CEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞を受賞。論文に「遊びとゲームをめぐる試論―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」など。2011年より#denkimeterプロジェクトを提唱。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。
     
    宇野常寛(うの・つねひろ)
    1978年、青森県生まれ。評論家として活動する傍ら、文化批評誌『PLANETS』を発行。主な著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、ほか多数。
     
    【コメンテーター】
    小笠原治(おがさはら・おさむ)
    1990年、京都市の建築設計事務所に入社。データセンター及びホスティング事業のさくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、モバイルコンテンツ及び決済事業を行なう株式会社ネプロアイティにて代表取締役を努め、インターネット・インフラとモバイルサービスにそれぞれ黎明期から取り組む。以降、「Open x Share x Join =∞」をキーワードにスタートアップ向けシード投資やシェアスペースの運営などスタートアップ支援事業を軸に活動。2013年より投資プログラムを法人化し株式会社ABBALabとしてIoTプロダクトのプロトタイピングへの投資を開始。同年、DMM.makeのプロデューサーとしてDMM.make 3D PRINTの立ち上げ、2014年にはDMM.make AKIBAを立ち上げている。他、経済産業省 新ものづくり研究会 委員、福岡市スタートアップ・サポーターズ等。1971年京都府京都市生まれ。
     
    ◎構成:大井正太郎
     
     
    ■ SF的思考実験の「サイボーグ化」を、社会的身体の再定義という観点から問い直す
     
    宇野 本日は、昨年11月にオープンしたばかりの「DMM.make AKIBA」(以下make)に場をお借り致しまして、PLANETS初となるトークイベントを開催させていただいきたいと思います。テーマはこの場にふさわしく『サイボーグ化する身体と社会――〈人間〉はいかに拡張し得るのか』です。
     簡単に、このイベントに至る経緯をお話ししたいと思います。ここmakeのプロデューサーである小笠原さんには、日本版のメーカーズムーブメントとインターネット文化の関係を解説する役として、PLANETSにもよく出ていただいています。
     
    ▼参考記事
    ・過剰を抱えた人間のためのフロンティア――DMM.make AKIBAが目指す次のインターネット(プロデューサー・小笠原治インタビュー)
     
     小笠原さんには、僕が毎週月曜日に担当しているJ-WAVEのラジオにゲストに来ていただいたり、たびたびこのmakeを中心に何が起こっているのか話してもらっています。日本人の大半はこのmakeを中心にして何が起こっているのかにまだピンと来ていないので、その解説をお願いしているわけです。
     しかし、今回のイベントは趣旨が違います。今回のテーマは「サイボーグ化」です。これから情報技術の進化の恩恵を最も強く受けるジャンルの一つと言われており、これまではSF的想像力を媒体とした思考実験としてしか捉えられなかったこの問題を、どちらかというと「社会的身体の再定義」という観点から問い直そうと考えています。要するにサイボーグ化というのは、身体の多様性を前提とした社会設計の問題であるというところまで、今日は話していけたらいいなと思っています。今日はそのことを議論するために最適なメンバーを集めました。まずは真ん中に座っていらっしゃる、慶應義塾大学の稲見昌彦先生です。
    稲見 よろしくお願いします。
     

    ▲左から井上明人さん(Skype参加)、稲見昌彦さん、山浦博志さん、小笠原治さん、宇野常寛
     
    宇野 稲見さんは光学迷彩やバーチャルリアリティの研究で知られている方ですね。僕の知る限り、社会的身体としてのサイボーグ化という問題に最もアクチュアルに取り組んでいる研究家の一人だという風に思っております。稲見先生にはこの問題の見取り図の提示を定義してもらいたいと個人的には考えています。
     お隣が株式会社exiiiの山浦博志さん。このDMM.make AKIBAのCMにも登場する「筋電義手handiii」の開発スタッフの一人です。どちらかというと、エンジニアとしての実践から見える課題について今日はお話ししていただいきたいと思っております。
     最後にSkype参加になっている、ゲーム開発者の井上明人さんです。今は京都にある立命館大学のオフィスにいらっしゃいます。本業はゲーム研究者です。PLANETS vol.9ではその知見を活かしてオリンピックをサイボーグ化した身体を前提として、多様な身体を持つプレイヤーが同じルールで競い合うことが出来る新しいゲームにスポーツをアップデートするということを提案しています。なので今日は、そんなゲーム研究者の立場からサイボーグ的身体の社会へのアダプテーションの問題を主にお話ししていただいきたいと思っております。
    井上 よろしくお願いします。
    宇野 そしてコメンテーターを、小笠原治さんにお願いしています。
    小笠原 よろしくお願いします。
    宇野 本日のイベントはニコニコ生放送でも放送されています。コメントをいただいたら、僕の方で議論の途中に取り上げると思いますので、ばしばし投稿してください。Twitterハッシュタグ「#PLANETS9」の方も同時にチェックしております。
     
     
    ■ 拡張スポーツの先に、「身体と魂が一対一対応ではない未来」がある
     
    宇野 ということで、まずはゲストの皆さんに簡単な自己紹介とプレゼンをお三方にしていただいきたいと思います。それではまず稲見先生からお願い致します。
    稲見 ご紹介いただきました稲見でございます。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科という所で研究しております。私の比較的有名な研究としましては、光学迷彩があります。再帰性反射材と言う特殊な反射材で出来たスーツを着ているんですけれども、それとプロジェクター技術をうまく組み合わせることで透明になったかの様な効果を出すことができます。
     なぜこれを作ったかと申しますと、博士課程の研究室に入ったときに当時助手(現阪大教授)の前田太郎先生から、必読書として『攻殻機動隊』という本を出されたんです。普通は論文とかが出されますよね? なので「これが教科書ですか?」という感じで、最初はすごい苦労しながら読んだんですけど、そのうちいつか、自分の研究に繋がることがわかって作らせていただいた。『攻殻機動隊』にはだいぶインスパイアされているんですけど、今恩返しもしてまして『攻殻機動隊』のリアライズプロジェクトに関わっております。例えばロジコマの熱光学迷彩をリアルにしていくなど、『攻殻機動隊』の世界をどう現実化していくかという研究を行っております。
     

    ▲士郎正宗『攻殻機動隊』講談社、1991年
     
     今日、まさに秋葉原でこういう話ができるのは非常に意義深いことだと思っています。私も高校の頃からだいぶ通ってはいるんですけど、やはり秋葉原というとテクノロジーとサブカルチャー、その二つの日本における中心地と言えると思います。その二つがうまく混じり合うことによって、日本は世界の中でも非常にユニークな研究をリードできていると、日頃から感じております。
     最近の研究としては、メガネ屋さんのJINと一緒に「JINS MEME(ミーム)」というメガネ型のウェアラブルデバイスをつくっています。これ、何か映像が出るというわけではないです。その代わりに、電極がメガネの鼻の所についておりまして、眼の動きや頭の動きをリアルタイムに計測できます。生活の中で、皆さんが今集中しているのか、そろそろ眠いのか、ということが、例えば瞬きのパターンでクリアにわかるんです。それらをうまく計測しながら我々の普段気が付いていない自分を見守ったりとか、もしくはそろそろ眠くなったから休んだ方がいいんじゃないかということを行おうとしております。
     

    ▲JINS MEME
    https://www.jins-jp.com/jinsmeme/
     
     これは私が学部一年生の頃からの一貫したテーマなんですけど、「人機一体」ということをなんとか実現したい。「人馬一体」という言葉がございますよね。人と馬が一緒になる。我々がやりたくないことを機械にやらせるのは自動化ですが、人間が馬ではなくコンピューターやロボットと一体になることによって、我々がやりたいことを自由自在にやることができる自在化ともいえる物を実現していきたいと思っております。こういう考え方というのは、決して私がオリジナルではなくて、1945年にヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)という元MITの副学長の方が、「私たちが考えるように(As We May Think)」というエッセイの中で、頭の上にカメラがついている絵を紹介しています。これは1945年の絵で、この頃にもうコンセプトは出ていたんです。「Google Glass」とかもう古い感じですよね。
     

     
     戦争が終わったとき、彼は「科学者たちは軍事技術だけじゃなくて我々の能力を拡張するためにテクノロジーを使うべきだ」と主張しました。そのプロトタイプとして、GEが1960年代に「ハーディマン(Hardiman)」というエクソスケルトン型のスーツを作り始めました。私自身も1990年頃から、家電やアームロボットにパッと指さすとと動いたりする「データグローブ」というものを自作していました。人には橈骨神経という指を動かしている神経があるんですが、ここを電気刺激してあげることによって自在な手の形、握った感覚を出したりと、一種の人間の身体をハックする――そういうことを継続的にやってきて今に至ります。
     今私のやっていることは、今回のPLANETSでも紹介していただいているように、2020年がアジェンダになっています。最初、2020年の東京オリンピックが決まったのを見たとき、私も「自分には関係のないことだな」と思ってました。小学生の頃から運動は苦手で、どちらかというとのび太みたいな生活をずっとしていて、ドラえもんを待っていた。そして、待ちきれないから道具を作り始めたんです。
     ですが、もしかすると自分がやってきた人機一体の技術が、2020年に活かせるかもしれないと思い至りました。それが「超人スポーツ」というコンセプトです。身体とテクノロジーを融合することにより、誰もが身体的制約や空間的制約を越えて楽しむことができる。そんな新しいスポーツを日本発で出せないかと考えています。
     
     これまでのスポーツは、一つルールが決まってしまうとそれがすべてでした。ルールのなかでがんばって業績を出していく、レコードを出していくんですけど、そうではなくテクノロジーと共に進化し続けるということができるかもしれない。それを誰もがオリンピックとパラリンピックの区別が意味不明になるくらいまでにして、しかもみんなが見るときも非常に楽しめるものにできるのではないか。それをテクノロジーが支える、というのが私の目標です。
     私もプレイしてみて非常に面白かったんですが、聴覚でプレイする「ブラインドサッカー」というスポーツがあります。これもテクノロジーの力で、もっと鋭敏にコウモリの耳を持ったかのようにできるかもしれない。あるいは車いすを拡張したチームスポーツもあるかもしれない。身体を拡張したり、道具を拡張したり、フィールドを拡張したり、トレーニングを拡張したり、そしてプレーヤー層を拡張したり、観戦を拡張したりと、拡張スポーツにはさまざまな方向性が考えられます。そういうことを行うための組織として、超人スポーツ協会を6月に立ち上げます。
     また、似たような試みとして、スイスのETH(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)でロバート・ライナー先生が「Cybathlon(サイバスロン)」というのを2016年に開催しようとがんばっておられます。そういったところとも2020年にうまく連携できたらと思っています。ポイントとなるのが、スポーツを発明するということ。我々が小学生の頃は自分たちで遊びをさんざん発明してきたはずなのに、いつの間にか部活になってからいいレコードを出すことだけに集中することになってしまっています。でも、もう一回ルールごと発明することがあってもいいんじゃないか。つまりスポーツ工学というものがこのチャンスにできるかもしれない。そういう意味で超人スポーツを盛り上げていきたいと思います。
     
     プレゼンの最後に、「身体がどうなっていくか」という私の考えのロードマップをお話しします。実はここまでお話ししてきた取り組みは身体を再定義していく第一歩にしかすぎないと思っております。いわゆる人機一体化、超人化というのは、今ある身体を超身体に拡張していくという話です。私は平行しながら、もしくはその次の段階として脱身体という時代が来ると思います。これはSFとして言っているわけじゃなく、例えばテレイグジスタンス、テレプレゼンスといわれている技術は、自分がいる場所をロボットにして飛ばすことができるということです。もしくは、バーチャルリアリティは自分の身体像をサーバー空間に飛ばすことができるということ。そういった技術をきちんと進めていくと、脱身体、肉体と魂の分離が可能になるはずです。最終的に何がやりたいかというと、分身体、融身体、つまり「人類補完計画」みたいなことです。
     我々の身体と魂は一対一対応であるか? 決してそうではない。1人が複数の義体を操作したり、複数の人が一つのロボットを操作したりという時代もあるかもしれない。そうしたときに、今我々が想像した身体像が変わるかもしれない。そんな議論が出来たらなといいつつ、私の紹介を終わらせていただいきます。
    宇野 ありがとうございました。短い間にエッセンスがぎゅっと詰まっていましたが、今の身体拡張の問題やどのあたりまで射程に入っているのかについて、非常にコンパクトにまとめていただいたと思います。
     
     
    ■ 筋電義手「handiii」は安くてデザインも選べる「気軽な選択肢」
     
    宇野 続きまして、山浦さんにプレゼンをお願いします。
    山浦 はじめまして。exiiiという会社で義手の開発しております、山浦と申します。元々、大学でこうした義手やパワーアシストの研究をしておりましたが、その後はメーカーに就職をして、デジタルカメラの機械設計をしておりました。
     その時期に家庭用の3Dプリンターが出始めて、早速買ってみたら、1人でもいろいろ出来そうだなということで、昔の研究の義手を試しに作ってみようと2013年頃からスタートしました。そのときは本業の片手間というかたちだったんですけど、やっていくうちにだんだんのめり込んでいって、会社を辞めてこっちをメインにしようと、2014年10月にexiiiという会社を仲間と一緒に起こして、今は義手の開発をメインに行っているところです。
     僕たちが開発している筋電義手というのは、人間の筋肉の動きを読み取って、それを手先のメカの動きに伝える義手です。実際に手がない方でも筋肉は残っていますので筋肉に力を入れると手が動く。これをはめてしまえば、自分の手のように扱うことができるようになります。
     筋電義手はすでに世の中にあるんですが、非常に高価で、買おうとすると150万円以上します。実際に普及率が1%しかありません。デザイン面でも、人の手を模したものしかない。そういう事情があり、欲しい人が買えない状況が今の問題になっています。それに対し、欲しいなと思っている人が気軽に買えてデザインも選べるものを私たちは作ろうとしています。開発のコンセプトは「気軽な選択肢」です。
     

    ▲handiiの動作を実演する山浦さん
     
     私たちのつくっている「handiii」という筋電義手は、筋肉からの信号を電気信号にしてBluetoothでスマートフォンに送信し、スマートフォンがそれを解析してどんな動きをしたいのかを見て動かす仕組みです。なぜスマートフォンでやるかというと、スマートフォンで置き換えることができて、他の既存のシステムはいらなって価格を安く抑えられるという考えからです。
     そして次に中のメカも工夫して、少ないモーターでもいろんな物を握れるようにしています。これも、モーターが少ないことが低価格化に繋がるからですね。
     あとは3Dプリンターを活用して製造します。一個一個デザインの違ったものを安くするために3Dプリンターはすごく有利です。製造方法を見直して、部品を付け替えられるようにしてしまおうというわけです。そして現在のところは、ユーザーの方と協力しながら実用化を目指しながら開発を行っています。というところで、私の自己紹介を終わらせていただいきたいと思います。
    宇野 ありがとうございました。ニコ生のコメントを見ていたら、このサイボーグの手だとスマートフォンが操作できないんじゃないかという、ぬるいツッコミがあったんですけど、これは答えるべきじゃない(笑)? 
    山浦 そうですね(笑)。ツッコミに答えさせていただいくと、義手ではないほうの手でいろいろ出来ることは多いんですね。ただ、二本ないと、例えば傘や買い物袋を持ってしまうと出来ることが少なくなってしまう。そういう最低限の状況をカバーしたいと思っているので、「スマホは反対の手で動かしてください。買い物袋は義手で持てるようにしましょう」というイメージです。
    宇野 最初に稲見先生と山浦さんのプレゼンを見ていただいたんですが、小笠原さんはこのお二人の発表を見ていただいて産業側の人間の立場からどう思われましたか? 
    小笠原 僕はexiiiを最初の頃から見ているんですが、みんな同時に同じ様なことを考え始めているので、この5年10年くらいにアイデアを実現していくための動きがどんどん起こっていくんだろうなと想像しております。
    宇野 最初に僕と小笠原さんとでこのイベントを企画したときには、こんなに人が来ると思わなかったんですよね。実際には僕らの予想の2倍くらいの人がやってきていて、これも何かが動き始めている証明なのかなという気はしますね。
     

    ▲当日は100人以上もの方にご来場いただきました…!
     
     
    ■ ルールを見直すことで老人も障害者も混ぜこぜの新しいスポーツイベントが生まれる
     
    宇野 プレゼンの最後は、『PLANETS vol.9』でサイボーグ技術を使ったスポーツのアップデート、パラリンピックのアップデートのアイディアを考えてくれたゲーム研究者の井上明人さんです。
    井上 はい、よろしくお願いします。ちなみに稲見先生と山浦さんのプレゼンを聞いていて、人機一体と魂と身体の分離の話があったんですが、Skypeで参加している僕は今一番魂と身体が分離した状態だと思います(笑)。
     

    ▲Skype経由でプレゼンを行う井上明人さん(左のディスプレイ内)
     
     いま皆さんのお話を聞いていて確かに、人機一体ではないなと感じていました。というのも、Skypeだと自分で首を動かして視点を変えられないのが辛いですね。会場の方を見てしまうと、Skypeだとどうしてもプロジェクタで投影されている画面の方が見えないので、スタッフさんにLINEで「俺の首を動かしてください!」とお願いしながらパワポをなんとか見ているんですけど。これが終わったら、スタッフさんに僕の首になってもらって、逆側が見えるようにしてもらわないといけないですね。
     Skypeは素晴らしいですけど、まだまだこういうときに距離が感じられるなと改めて感じます。前置きはさておき、改めましてゲーム研究者の井上です。よろしくお願いします。
     
     PLANETSはvol.7の頃から5年くらい関わらせてもらっています。基本的に僕はゲームばっかりやっている人間なんですけど、「ゲームのデザインや何がゲームの面白さなんだろう?」ということだったり、あるいはゲームの面白さを突き詰めて「ゲームとして多くの人が楽しむ」ためにはいろいろなルールの調整をやらなければならない――そういったことを考えてきました。
     それが4年前にゲーミフィケーションというブームが国内で起こった時に、たまたま節電のゲームをつくったりして遊んでいて、それ以降ゲームの社会応用に関わるようになりました。
     今回の『PLANETS vol.9』では宇野さんがオリンピック、パラリンピックの話をやりたいということで、ぜひ、パラリンピックのルールの話をきっちりやってみたいということで、今回パラリンピックの拡張について書きました。
     
     僕がどういった原稿を書いたかを簡単に説明したいと思います。
     話はシンプルで、パラリンピックの基本ルール変えませんかということですね。パラリンピックで今、いろいろな問題が起こっています。パラリンピックのルールってけっこう複雑で、障害が重い人、軽い人というのが、競技によって5クラスとか10クラスに分かれています。その一番障害が重いクラスと障害がちょっと軽いクラスと、ボーダーラインのあたりにいる人が妙に不利になってしまう現象がたくさんあります。
     実際に、水泳で金メダルをたくさん取った選手がいるんですけど、選手が一つ級を変えられたとたんにメダルに絡むことが難しくなったことがありました。この単純な解決策は、級を細かくしていくことですね。パラリンピックの公平性はそうすれば増します。ただ、そこを細かくしようとすると、今度はパラリンピックの開催期間を延ばしたり、場所を増やしたりとさまざまな問題などが絡んできて、トレードオフの問題がある。なので、今はパラリンピックの級をそこまで増やさないようになってきています。
     ただ、この問題は実は「パラリンピックとオリンピックの間の行き来をどうするか」というさらに大きな問題にも絡んでいて現状のあり方でよいのかどうかが問われています。
     例えばオスカー・ピストリウスという義足の選手で、オリンピックに出場した方がいます。彼がオリンピックに出ることになったときに、義足の性能が問題になって一旦ストップがかかりました。というのも「義足の性能が普通の身体を持っている人よりも20〜30%いいんじゃないか?」ということが問題になったんです。これでオリンピックに出てしまうと、オリンピックの選手にとって不公平になり、ピストリウスが有利になるだろうということで揉めに揉めました。結局ピストリウスは最終的に出場できましたが、同じような話は他にもたくさん出てきています。
     ルール設計を「クラス分け」という発想でやっていると、サイボーグ的な身体を持った人、あるいは障害者の人を、一緒の場所に混ぜてなにかをやることは難しくなります。
     
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  • 【再配信】これからの「カッコよさ」の話をしよう ——ファッション、インテリア、プロダクト、そしてカルチャーの未来(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2015-02-14 17:30  
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    【再配信】これからの「カッコよさ」の話をしよう――ファッション、インテリア、 プロダクト、そしてカルチャーの未来(浅子佳英×門脇耕三×宇野常寛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.2.14 号外
    http://wakusei2nd.com


    「ほぼ惑」では不定期で過去の好評記事を再配信中! 今回は昨年8月に配信した、建築家の門脇耕三さん、インテリアデザイナーの浅子佳英さん、そして宇野常寛を交えた鼎談をお蔵出しします。
    テーマはこれからの「カッコよさ」について。ユニクロを代表とするファストファッションに隠されたイデオロギーとは? そして、男子のカッコよさが向かう未来とは――?
    なお、この「カッコよさ」鼎談シリーズの第3弾「住宅建築でめぐる東京の旅」が今月末に配信予定です。戦後の住宅建築の名作をまわりながら、「住まい」のデザインと機能について考えます。そちらもお楽しみに!
     
    ▼プロフィール 門脇耕三(かどわき・こうぞう)
    1977年生。建築学者・明治大学専任講師。建築構法、建築設計、設計方法論を専門とし、公共住宅の再生プロジェクトにアドバイザー/ディレクターとして多数携わる。
     
    浅子佳英(あさこ・よしひで)
    1972年生。インテリアデザイン、建築設計、ブックデザインを手がける。論文に『コム デ ギャルソンのインテリアデザイン』など。
     
    ◎構成:池田明季哉、中野慧
     
     
    ■六本木には「カッコよさ」が必要だ――文化を更新するために
     
    宇野 今日は「これからのカッコよさの話をしよう」ということで、ごく私的に声をかけてお二人に集まってもらいました。なんでいきなりこんなことをはじめたかという話からしたいのですが、きっかけは先日僕が登壇したイベントのあるパネラーの発言です。それはどんな発言かというと、「身体自体を鍛えるのが真のオシャレであり、自分の身体さえしっかり鍛えていれば着るものはなんでもいい」というものなんですよね。
    僕はこの発言を耳にしたとき、正直愕然としたんですよ。その人は「痩せっぽちな人間や太った人間がどんな服を着ても似合わない」とか言うわけですが、それってほとんどナチスの五体満足主義と変わらない。自分が障害をもっていたり、健常者でも60代や70代になって筋力が落ちてきたら絶対にそんなことは言えないと思うんですよね。こんな発言が「リベラル」を自称する知識人から出てしまったことに、軽いめまいがした。
    そしてもうひとつ。この五体満足主義的なナルシシズムは文化的にあまりにも貧しい発想なんですよね。だってどんな体形の人間でも工夫次第でカッコよく、かわいく、あるいは気持ちよく過ごせるということがファッションの本質だし、それがなければファッションというか、文化自体が無意味なはずでしょう。でも、その場ではみんな「なんていいことを言うんだろう」みたいに頷いていた。それを見て、これは本当にどうにかしないといけないと思ったんです。
    最近、僕は自分のお客さんが、比喩的に表現して中央沿線や代官山、中目黒といった東京西部と六本木が代表する都心のど真ん中、どちらにいるのかをすごく考えているんです。中央沿線や代官山というのは、戦後的な中流文化の、とくに90年代以降の「文化系」の象徴ですね。こうした東京西部の「いい街」には戦後的な文化が残っているけれど形骸化して久しい。仕事ができない編集者ほどゴールデン街で飲みたがる。「本や映画が好き」なんじゃなくて、「本や映画が好きな自分が好き」なだけな人たちですね。
    対して六本木側に集まっているのはITや外資など、この二十年優秀な人たちがどっと流れ込んでいったジャンルが強い。彼らは、地頭が良くてポジティブで学習意欲も高くいけれど、壊滅的に話がつまらない(笑)。学習意欲も高くて、セミナーや勉強会が大好き。とにかく「自分のパフォーマンスを引き上げる」ことには一生懸命だけど、引き上げたパフォーマンスで何をやっていいかわからない。なんでそうなるかというと、彼らは効率化が得意だけれど、文化がないからですよ。
    そしてあの日、例のイベントで例の五体満足主義発言にうんうん肯いていたのは、見事にこの六本木クラスタだった。要するに、自分の外側に大事なものがない空疎なナルシシストは、あっさりと五体満足主義的な差別者になってしまうってことなんですよね。
    実は僕が東京で7-8年活動して出した結論は、自分の読者層としてはとりあえず後者に賭けようということなんです。前者は底に穴の開いた洗面器のようなものなので、いくら水を注いでも意味がない。だから今は文化的に貧しくても、後者の高い学習意欲に応えようと思って、そのイベントも意図的に六本木系が集まる場所とパッケージングで開催したのだけど、彼らが単に文化的にスカスカなだけじゃなくて、諸手を挙げて、先述したような排他的なナルシシズムに結びついてしまうことがわかって、正直ぞっとしたんですよね。
    少し解説を加えると、六本木的な、あるいはその参照元のアメリカ西海岸的な文化というのは、計算で設計主義的に「良い生き方」や「正しいあり方」を規定できると考えているところがある。でもそんなことは本当はありえなくて、究極的にはオカルトと結びついてしまい、五体満足主義や優生思想と結びついた危険なイデオロギーに至ってしまう。これは彼らのルーツにニューエイジ思想があるから。ニューエイジというのは要するに疑似科学で複雑化して拡散した社会の全体性を記述できる、という発想ですからね。それがテクノロジーを根拠に「よい生き方」を規定できるという発想に結びついている。先日のイベントでの五体満足主義への支持も、これに近いものがある。
    ただ、こういったものに対抗する言論として「文化というのは計算不可能なものだ」「計算不可能な他者に出会うためにリアルに回帰せよ」という東京西部的なアナログ懐古主義は頭が悪すぎる。どう考えても、この10年余りのデジタル文化はアナログな人間のコミュニケーションや自然環境を究極の乱数供給源としてむしろ積極的に利用することで、文化的多様性を育んで発展しているわけでしょう? アナログとデジタルがむしろ結託している今、東京西側的な考え方に戻っても意味がない。
    問題はむしろ、現代のデジタル文化がもつ文化的な多様性を、西海岸カルチャーを歪めて受け取った六本木の意識高い系たちがきちんと消化できずに、五体満足主義に傾いて文化を否定する方向に傾いていることだと思うんですよね。
    浅子 僕は「効率を求めること」自体は間違っていないと思うんです。実際にそれで豊かになるということもある。でも計算可能であるというスタンスのどこかに、自分はこれが好きだとか、カッコいいと思えるものがないと、結局は保守的なものに回帰してしまう。すごく古い肉体的な価値というか、たとえば「顔が男前なやつがかっこいい」といった観念に囚われてしまう。僕は宇野さんの言うニューエイジ的な考え方が、保守回帰に繋がるのが怖いんですよね。そうなると文化的にも面白くなくなってしまうから。
    宇野 一応、断っておくと僕は六本木系のスタイル、つまりシンプルで効率的なライフスタイルの美学というのはよくわかるんです。僕自身、いつも夏はTシャツと短パンで過ごしているし、その服も基本的には無印良品とユニクロとH&Mでしか買わない。それも安いからではなくて、飾り気のない、シンプルなデザインのものが好きだからですしね。交通事故にあってやめてしまったけれど自転車ももともと好きだし、生で食べてもおいしい野菜を取り寄せて食べるのも大好きで、そういった生活を気持ちがいいと思っている。ただその美学を肯定するロジックが、身体論というマジックワードを盲目的に振りかざす五体満足主義や優生思想しかないというのは、非常に問題だと思うんです。もっとそういったシンプルライフを、カッコよさとか、気持ち良さの次元で肯定する言葉が必要なんですよ。つまり「(身体を鍛えることこそが究極のおしゃれなので)ユニクロでもいいんだ」というのではなく、「(シンプルな)ユニクロのデザインがカッコイイんだ」という論理じゃないといけないと思う。実際に、僕はそう思っているし。
    門脇 いまの話は時代的な位置付けも踏まえて理解した方が良いんでしょうね。いまのカジュアルとかつてのカジュアルはだいぶ違った状況に置かれていると感じます。かつては「フォーマル」というものが厳然として成立していたからこそ、敢えてカジュアルな格好をすることがカッコ良かった。でも今は、「絶対にフォーマルな格好をしなくてはならない」という場面がどんどん少なくなっています。現在のユニクロ的なるものの隆盛は、「フォーマルが瓦解している」という状況とも関係しているのではないでしょうか。
    浅子さんは、スーツはあと十年以内に滅びるってよく言っていますよね。「滅びる」というのは比喩的な表現だとは思いますが、スーツを着なくてはならない場面が極端に少なくなるだろうことは間違いない。スーツはある意味での様式であって、「クールビズ」といった考え方に代表されるように、それを着ることが必ずしも合理的ではないからです。シンプルライフ的な志向は、スーツのような封建的でフォーマルな形式から「より合理的に、自由に生きよう」というマインドへとシフトしたことによって起こっている側面があるのは間違いないと思います。「ノームコア」(※ノーマル+ハードコアという意味の造語。スティーブ・ジョブズの「いつも黒のタートルニットにジーンズ」というスタイルに代表されるような、極めてシンプルなファッションのこと)のような、シンプル・イズ・ベストを極端に進めたトレンドの存在もそうした流れの上にあるのでしょう。でも、それは宇野さんが指摘するように、優生学的な流れに合流しかねない危険も孕んでいる。一方でモード・ファッションでは、「ありのままの身体」を肯定する動きが主流で、「理想的な身体」を仮定することに警鐘を鳴らすような試みが常にありましたよね。
    浅子 有名な話ですが、コム・デ・ギャルソンの服に、瘤(こぶ)のついたドレスがあったんです。囚人服みたいで背中や腰に瘤がついているんだけど、ドレスになっているというもの。あとは背の低い人やおじいちゃんのモデルを使ったりもしていました。それ以外にも当時アヴァンギャルドと呼ばれていたファッションブランドは、普通だったらファッションの俎上に上がらないような肉体に対して美を見出す方法論を構築していた。でも今は、そういった流れがスコーンと全部抜けてしまっていますよね。
     

    ▲コム・デ・ギャルソンの「こぶドレス」
    出典:http://munstylisti.jugem.jp/?month=201101
     
    門脇 今はモードの影響力が小さくなっているように感じますね。
    浅子 売れなくなってしまったんですよね……。だから結構いろんなことが重なってこういう状況になっている、というのはあるかもしれません。
    僕は最近、インテリアツアーというのをやっているんですよ。そこでいろんなお店を一年間くらい見て回りました。高級なアパレルブランドや、高級な家具屋さんも見に行ったのですが……90年代やゼロ年代の初頭に比べると、全然お客さんがいないんです。こういった場所も、それこそスーツと同じように、20年くらいでほとんどが市場から退場してしまうんだろうなと肌で感じました。
    宇野 昔だったらボーコンセプトで買わなければいけなかったものが、全部イケアとニトリで買えるようになってしまいましたからね。
    浅子 しかもイケアとニトリの商品がそれほど粗悪なものかというと、そうではない。確かに比べればモノとしては高級な家具屋さんの方がいいけれど……。
    宇野 価格が1/6とか1/8ですからね。
    浅子 そう、だからそれはそれで構わないのではないか、というのも一方ではあります。でも自分の好きな文化ですからね。以前はそういうお店のダメな所を見ても「こいつらダメだな」と言っていられたんですが、今はこのままだと本当に滅んでしまうという危機感が強くて、どう守るかという方に考えが反転しています。
     

    ▲ニトリの家具
    出典:公式サイトより
     
     
    ■空虚なパロディとしてのカフェ風デザイン――FABが作るべき未来
     
    浅子 あと、つい最近、「インテリア特集」という小さな冊子を作ったんです。その序文に、90年代以降のインテリアデザイン、特にブティックのデザインについて書いたんですが、インテリアデザインの流れを90年代から整理してみたんです。
    まず90年代の最初は、80年代のバブルやポストモダンへの反動からミニマルが流行りました。今も建築家として活躍しているジョン・ポーソンの作品や、カルバン・クライン、ジル・サンダーのような、線が少なくてシンプルなデザインが流行したんです。
    それが90年代の半ばから大きな変化があるんです。ミレニアムという世紀の変わり目であることから近未来的でフューチャリスティックなデザインが求められたことに加えて、90年代の不況がITバブルなどの影響で回復したこと、さらにそこに大流行したミニマルの反動で少し面白いデザインが欲しいという流れが合流して、90年代半ばから2000年代の半ばにかけて、すごく多種多様な面白いデザインのブティックが一気に出てくるんです。フューチャー・システムズが手がけたコム・デ・ギャルソンのインテリアもそうだし、ルイ・ヴィトンもそうだし、ヘルムート・ラングもそうです。
    なぜ急にブティックのインテリアデザインが多様化したかというと、やはりインターネットの登場が大きかった。それまでブティックというのは、実際に足を運べる人だけが見られるものでした。でもインターネット以降は、ブティックを作るとそれがプレスリリースや雑誌やオンラインの記事になって、写真がその日のうちに世界中で見られるようになった。だから空間を作ることそのものが、そこに行ける人だけでなく、そこに行けない人たちへの広告にもなるようになったんです。だから各メゾンはこぞって大きな投資をして、自分のブランドの価値を上げるためにいろんな実験を行った。
    でも悲しいことに、2001年に9.11が起きてしまった。非常に社会が不安定になり、旧来の価値が破壊された結果、反動で価値観自体が保守化してしまうんです。さらにリーマンショックなどで景気が悪くなったこともあって、雑多な多種多様なデザインというものを、だんだん許容することができなくなっていく。だから2003年くらいまではすごく面白いのに、ゼロ年代後半にかけてインテリアデザインは不毛の時期を迎えて、すごくつまらなくなっていくんですよ。
    門脇 それはファッションそのものの流れとも連動しているんでしょうね。同時多発テロ以降のファッションは、「安心感を求める人々の心を反映するように、天然繊維、手仕事への傾倒、あるいはTシャツを代表とする合理的な定番服など、人々の見慣れたファッションを提示し、ファスト・ファッションと呼ばれる合理性に基づいた安価なコピー服を世界規模で広げた」という指摘もあるようです(※新居理絵「ヘルムート・ラングとその創造的世界」(『ドレスタディ』Vol.56)参照)。
    浅子 そうなんです。ではその流れで今のインテリアデザインを見るとどうか。街を見て貰えればわかると思うのですが、Tシャツやチノパンと共に食器を売るような、「ライフスタイルショップ」というのがすごく増えています。でもそれらのインテリアのデザインは、躯体を残して仕上げを剥がし、足場板をどこかに貼って、手描きの金文字のサインをガラスに書き、最後に工場で使われていたようなアンティークのスチールのペンダントライトをぶら下げて終わり、みたいなものばかりです。結局これらは全て、「輝いていた50年代のアメリカを取り戻そう」というパロディで、本当にパッケージが保守化しているんです。そういうことがブティックやカフェで同時に起きている。これは価値観自体が新しくないし、さすがに不毛だと思います。
    門脇 日本の今の流れも長引く不況や東日本大震災から来る保守化の流れに位置付けられるのでしょうか。
    浅子 この先10年くらいこれが続くと思うと、デザイナーとしては正直うんざりしますね。
    宇野 荻上直子監督の『かもめ食堂』の世界ですね。言わば「北欧おばちゃんニューエイジ」というか……。なんだろうなあ、僕自身はスローフード的な暮らしはすごく憧れる。でもあの映画を支配する強烈なイデオロギーというか、無言の排他性がどうしても苦手で……。ライダーキックで破壊したい(笑)。
    浅子 でもあれが中目黒とかでは強いんですよ。まさにああいうカフェが山ほどありますから。
    門脇 カフェ風というか、ああいった自然素材や古びたものを適当にパッチワークしていくものって、すごくまずいと思うんですよ。
    あるとき赤坂の草月会館であった建築界の重鎮たちのパーティに呼んでもらったことがあったんですが、それがすごく80年代的な空気だったんですよ。天井はミラー張りだし、カウンターにはシャンパンが注がれたシャンパングラスがきれいに並んでいるし、「ああ、バブルってこういうことだったのか」みたいな感じ(笑)。
    でもそのスタイルが、すごくかっこいいなと思ったんです。もちろん今の時代とは感覚がズレています。でも、そこには彼らの世代が何をカッコイイと思っているのかがしっかりと表象されている。それは空間のデザインばかりでなく、来ている人のファッションや、パーティでの振る舞いなども含めて、あるトータリティを持っていて、「人はこうやって生きるのがカッコイイ」という人生観というか、哲学のようなものを感じさせるものでした。だからああいう空間を含めたトータルなカッコよさを、僕たちの世代が残せないと負けだなと思いました。そう考えたときに、古びたもので安心してしまうのはまずいだろうと。
    浅子 そう、だから今こそ「これがカッコいいんだ!」というものが必要なんですよね。
    僕がいますごく重要だと思っているのが、80年代に活躍したフランス人のフィリップ・スタルクというデザイナーです。彼はホテルのインテリアデザインなどを手がけたのですが、僕は彼のやったことの本質って「デザインの民主化」だったと思うんです。
    スタルクの手がけたインテリアデザインがどのようなものだったかというと、ものすごく大きい4mくらいあるようなわざとらしいぐらい豪華な鏡を立てかけるとか、必要ないくらい大きなドレープのカーテンをぶら下げてみるとか、あるいはそれまでは同じ椅子を並べるのがセオリーだったホテルのロビーに、全て違うデザインの椅子を並べる、というようなものだったんです。そこでは世界各国の有名デザイナーの椅子と、土産物屋で買ってきたような椅子が等しく並べられていた。
    インテリアデザインというのは、突き詰めると、どうしてもどこかで権威的になってしまうものです。でもスタルクはその価値を転倒させて、民主化しようとした。そういった意味で、すごく重要な役割を果たしたデザイナーです。
    これを踏まえた上で今後のことを考えると、デザイナーの役割が見えてくると思うんです。今、レーザーカッターや3Dプリンターの普及によって、FABと言われるようなムーブメントが流行していて、デザイナーでない一般の人たちが、自分でモノを作れるようになっている。これはスタルク以降のデザインの民主化の流れにある運動だと言える。この流れは止められないし、今後の大きな流れのひとつになるのは間違いない。でも、一般の人たちというのは、ともすると「これがカッコいい」という思想がないまま、例えば雑誌で見たものをそのまま作ってしまうので、価値観の転倒どころか逆に保守回帰してしまう。これは非常に問題です。だから今こそ「一般の人たちがカッコいいと思えるようなもの」を、デザイナーは作らないといけないんじゃないかと思うのです。
     

    ▲スタルクによるインテリアデザイン
    出典:Stark.com
     
     
    ■「もしデザイナーズブランドとユニクロの服が同じ価格だったら、ユニクロを買う人のほうが多いのではないか?」
     
    宇野 さっきも言ったけれど、僕はユニクロや無印良品、H&Mをなぜいいと思うかというと、そこに美学を感じるからなんです。ファストファッションは効率化と最適化の産物だと思われているけど、当然そこに実は美的なイデオロギーが存在する。ファストファッションをデフレカルチャーの一端として切り捨てるのではなく、その明確な思想に基づいたデザイン自体をしっかりと分析することが必要なんじゃないかと思うんですが。
    門脇 まず無印良品に関して僕の雑感を言うと、男子のファッションはきれいめなお父さんスタイルという感じで、まったく惹かれません。でも女子は意外といい。ファッション雑誌でいうと90年代のオリーブ・anan系の価値観を色濃く受け継いだような感じがして、ある種のコスプレとして成立している。無印好きそうな女子のスタイルって想像できますよね? ちゃんとスタイルになっているんです。
    宇野 無印良品には、高度消費社会に対してこれくらいの中距離で行きましょう、という明確なメッセージがありますよね。あの白と黒とネイビーしか使わないデザインが、そうした強力なイデオロギーに基づいていることは誰の目にも明らかです。あれは非常に分かりやすいでしょう?
    無印良品だけではなく、ユニクロにもそういったイデオロギーがあると思うんですよ。だからデザイナーの固有名詞で語るようにユニクロを語ることだってできるはずなんです。そういった視点を持てずに、デザイナーズブランド対ファストファッションみたいな問題の立て方をしてしまうところに弱さがあるのではないか。
    浅子 ただ、一応言っておくと、ファストファションについては剽窃、パクリの問題がありますよね。あるファストファションはコレクションでめぼしいものをピックアップして彼らが売る前に店頭に出してしまうというのも言われています。これは流石に問題です。
    また、ユニクロはTシャツとかフリースとか、どちらかというと生活必需品に近い、生活に必要な洋服で売り上げを伸ばしたブランドというイメージはありますけどね。だからカラーバリエーションがあるということ自体が圧倒的に重要で、必要なものしか買わない人たちにも色を選ぶという意味でファッションに必要な喜びを与えたからすごく成功した。
    宇野 色の問題一つとっても、ユニクロにせよH&Mにせよ、日本だとそれまでスポーツウェアとかアウトドアウェアでしか使わないようなのような蛍光色や派手な色を取り入れているわけでしょう? 単に安いからではなくて、僕はユニクロにしかないものを求めているつもりなんですよね。色合いだけじゃなくて、デザインや着心地にも同じことが言えるんじゃないかと思う。要するに固有名詞のデザイナーが、ユニクロのデザインに、単に勝てていないだけなのではないでしょうか。実は同じ価格でもユニクロを買う人が結構いるんじゃないかというのが僕の仮説です。ユニクロのデザインも、単にデフレジャパンのスカスカのものとしてではなく、イデオロギーとして支持されているんですよ。
    門脇 僕は服を見るとき発色とかをけっこう気にする方なんですが、ユニクロはよく見るとかなり独特の色使いをしているせいだからなのか、そんなに気にならないんですよね。
     
  • 2020年の挑戦 カルチャー・メタボリズムとしての“裏オリンピック” (安藝貴範×伊藤博之×井上伸一郎×夏野剛) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.254 ☆

    2015-02-03 07:00  
    220pt
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    2020年の挑戦カルチャー・メタボリズムとしての“裏オリンピック”(安藝貴範×伊藤博之×井上伸一郎×夏野剛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.2.3 vol.254
    http://wakusei2nd.com


    いよいよ発売となった「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」。メルマガ先行配信の第3弾は、グッドスマイルカンパニー代表・安藝貴範さん、KADOKAWA代表取締役専務・井上伸一郎さん、クリプトン・フューチャー・メディア代表・伊藤博之さん、そして慶應義塾大学特別招聘教授の夏野剛さんをお招きした座談会です。サブカルチャー産業のキーパーソン4人が、「オリンピックの裏で開催されるサブカルチャーの祭典」計画についてとことんアイデアを出し合いました。
     
    体育祭としての東京オリンピックに対して、文化祭としての“裏オリンピック”はどうあるべきなのか。2020年までの間に、サブカルの担い手たちはどのように世代交代すべきなのか。その議論にうってつけの4人がここに集結した。
    「ねんどろいど」をはじめとしたフィギュアの制作・販売を行うグッドスマイルカンパニー代表取締役・安藝貴範氏。ゼロ年代の音楽業界に一石を投じた「初音ミク」の生みの親、クリプトン・フューチャー・メディア代表取締役・伊藤博之氏。出版人としてアニメやマンガと関わり続けてきたKADOKAWA代表取締役専務・井上伸一郎氏。「iモード」「おサイフケータイ」など数多くのサービスを立ち上げ、現在はKADOKAWA・DWANGO取締役などを務める夏野剛氏。現在の国内ポップカルチャーシーンを「実業家」の立場から牽引する4氏が描く青写真とは?
     
    ◉司会:宇野常寛
    ◉構成:稲葉ほたて
     
    ▼プロフィール
    安藝貴範〈あき・たかのり/写真左から2人目〉
    1971 年生まれ。グッドスマイルカンパニー代表取締役。01年創業。「ねんどろいど」をはじめとしたフィギュアや玩具などの企画・制作・販売業務ほか、近年は『ブラック★ロックシューター』『キルラキル』といったアニメーション作品への出資も行っている。GSC傘下にアニメ制作HD会社ウルトラスーパーピクチャーズ保有し、直下に4社のアニメ制作会社を持つ。
    伊藤博之〈いとう・ひろゆき/写真右から2人目〉
    1965年生まれ。クリプトン・フューチャー・メディア代表取締役。95年、世界のサウンドコンテンツを日本市場でライセンス販売する同社を北海道札幌市に設立。04年からヤマハの音声合成エンジン「VOCALOID」を搭載した音声合成ソフトの開発・発売をスタートする。07年8月、「VOCALOID2」を搭載した「初音ミク」を発売。2013年には藍綬褒章を受章した。
    井上伸一郎〈いのうえ・しんいちろう/写真中央〉
    1959年東京生まれ。株式会社KADOKAWA代表取締役専務。87年4月、ザテレビジョン入社。アニメ雑誌『月刊ニュータイプ』の創刊に副編集長として参加。以後、情報誌『ChouChou』、マンガ雑誌『月刊少年エース』などの創刊編集長などを歴任。07年1月、角川書店 代表取締役社長に就任。13年4月、角川グループホールディングス(現KADOKAWA)代表取締役専務に就任。
    夏野 剛〈なつの・たけし/写真右端〉
    1965年生まれ。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特別招聘教授。KADOKAWA・DWANGO取締役。97年NTTドコモ入社、99年に「iモード」、その後「iアプリ」「デコメ」「キッズケータイ」「おサイフケータイ」などの多くのサービスを立ち上げる。05年執行役員、08年にドコモ退社。現在は慶應大学の特別招聘教授のほか、ドワンゴ他複数の取締役を兼任する。
     
    ▼これまでに配信した、関連インタビュー記事はこちら。
    ・アニメが世界を征服するために必要なのは〈デザイン〉の力――グッドスマイルカンパニー代表・安藝貴範インタビュー
    ・東洋の〈個人〉の在り方に根差したアートのかたちとは――?「初音ミクの生みの親」クリプトン・フューチャー・メディア伊藤博之インタビュー
    ・「Newtype」で振り返るオタク文化の30年、そして「2020年以降」の文化のゆくえ――KADOKAWA代表取締役専務・井上伸一郎インタビュー
     
     
    宇野 ここでは2020年の東京オリンピックを「表の体育祭」と位置づけ、そういう「リア充」たちの表の祭典に対抗して、どうせなら僕たち「非リア充」の裏の文化祭を東京で開催できないだろうかと思い、皆さんをお呼びしました(笑)。
    夏野 素晴らしいね。ちなみに私、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の参与なんです。だから裏とか言わずに、両方でやっちゃったらいいんじゃない。
    宇野 もちろん、「裏」とは言っていますが「表」の、つまり正規の文化プログラムに入り込めたらそれに越したことはないと考えています。ここで重要なのは、その気になれば僕ら民間の人間の手で、つまり「裏」で実現可能なプランを出せることですね。
     戦後のオタク系文化にはどこか現実とは遊離したことを主張して、遊離しているがゆえにロマンティックな価値がある、と考える傾向がある。これってたぶん戦後民主主義の間接的な影響で、理想は現実と遊離していなければならない、というイデオロギーが働いている結果です。だから被害者意識も強いし、何かを実現することに対してみんな臆病なところがある。しかし一方ではオタク系文化は科学の作るワクワクする未来へのあこがれを原動力にもしているのも確かです。だから、このタイミングで、僕たちの妄想や理想を現実にしていくことができたら、日本のサブカルチャー、特にオタク系文化は次のステージに行けるように思うんです。
    伊藤 そういう機会を用意するのは大事だと思いますね。お祭りがキッカケを与えて、みんなにパワーを提供することはあると思います。
    宇野 現実的な話をすると、会期中に東京にやってくる観光客が競技を観戦できるのは一瞬だけで、あとは街をぶらぶらしているわけですよ。そのときにサブカルチャー都市・東京を満喫してもらえればいいのでは、という発想が根底にはあります。
     
     
    街にサブカルチャーをインストールする
     
    宇野 まず考えられるのは、既存のイベントを誘致することです。例えば、2020年のオリンピック期間中(7月24日から8月9日)は東京ビッグサイトが使えないので、コミケが通常とは違った開催になるはず。それを中心に他のイベントを配置していくのは、一つのアイデアですね。例えば、ニコニコ超会議をやって、お盆にコミケをやって、その間にJapan Expoやアニメフェアがあるというように。ただ、そもそもの話として、湾岸の大きい箱がオリンピックに使われてしまうんですよ。
    伊藤 我々がやるべき「裏オリンピック」って、そもそも予算がない(笑)。だから、国家のようにどこで競技をやるかみたいなハードウェアから考えない方がいいと思います。要は、ハードウェアにいかに便乗して、ソフトウェアをインストールするか。だから、東京でやってもいいのだけど、そのときには「街を面白くする」とか「ホコ天を始める」とかみたいな発想がいいと思いますね。そうして、街に何かしらのソフトウェアをインストールして、残していくことが大事ですよ。
    夏野 その「街に日本のサブカルチャーをインストールする」という発想はいいですよ。
    安藝 徳島のマチ★アソビとか、札幌の雪祭りみたいな感じですね。
    夏野 実は、ドワンゴが池袋で歩行者天国をやろうと仕掛けてるんです。そうすれば、歩行者天国で常にコスプレができる。そういう広場が、いまの日本にはないんです。本当は、そういう機能を銀座だけじゃなくて、東京の各所に埋め込みたいんですよ。
     そう考えると、これを機会に日本の都市機能の中にサブカルチャーがビルドインできるんだね。オリンピックの期間だけで終わらせるのはもったいない。表のオリンピックは、その夏で終わりでいいよ。でも、この裏のオリンピックは、そこから日本が始まるようなものにしたい。例えば、駅ごとにキャラがお出迎えする機能を作って、ずっと東京のシンボリックなものにしちゃうとかね。そこから、日本が変わったということにしたいな。
    伊藤 つまり、東京オリンピックという国家的な行事に便乗して、アンダーグラウンドまでひっくるめた、趣味的なポップカルチャーのアイコンを都市に埋め込むわけですよね。
    井上 今、日本は2020年までのビジョンは見えますが、2021年以降が見えづらい。これを機に2021年以降に残るアイコンを作りたいですね。
    宇野 なるほど、東京という都市の「どこを」ハックして裏オリンピックを忍び込ませるかという話ですよね。たしかにそこは競技会場の少ない、旧市街を中心に考えたいです。
    夏野 あとは、寺と神社とかね。文化遺産ですから、これは使えますよ。KDDIは増上寺でプロジェクションマッピングをやっていたし、築地の本願寺でもコンサートをやってますからね。
    伊藤 去年の「TEDxTOKYO」の打ち上げが渋谷の神社でした。案外貸してくれるんですよ。
    安藝 去年、平安神宮で水樹奈々ちゃんがコンサートをやりましたからね。寺を見に来た観光客は嫌がるかもしれないけど。
    宇野 今流行っているスマホの位置ゲー『Ingress』をやっていると、いかに日本に寺社仏閣が多いかがわかるんですよ。もはや東京は、駅と寺社仏閣が延々と並んでいる街に見えるくらいです。
    夏野 そういう外国人向けガイドブックに載っていないところをネットワークで繋げばいいんじゃない。
    宇野 神社や寺社仏閣は狭いところも多いですし、コレクション性で勝負するのはいいですね。それこそ、全部周ることに意味があるとか、行ったぶんだけキャラクターが集まるとか。
    井上 44カ所を巡るとかね。
    夏野 最近は代替わりしていて、若い神主さんも多いんだよ。俺なんて最近、真言宗の若手の僧侶の勉強会に呼ばれて、ITの話を頼まれたからね。「こういう企画を通じて宗教を理解してくれればいい」くらいに考えてくれると思うな。しかも、神社の巫女なんて、サブカル的にはたまんないじゃない。
    伊藤 神社は暗くて、空間的にもいいですよね。
    安藝 プロジェクションマッピングができますね。ホログラムの映像が出てきても、おかしくない。
    伊藤 「リアルお化け屋敷」という感じです。
     
     
    「点」ではなく「線」で考える
     
    夏野 ニコニコ超会議くらいの大きなイベントでやっと十数万人の集客なのだけど、実は一日に公共交通機関を利用する人数となると、渋谷駅だけでも何十万人という数なんだよね。そう考えると、「点としてのイベント」みたいなものはメインにしなくていい気もする。むしろ、そんなことは勝手に興行側が考えればいいんであって、点と点を繋ぐ公共交通機関をハッキングできるように、政府に働きかけた方がいいんじゃないかな。
    安藝 外国や地方から東京に来る人は、タクシーを使わずに電車とバスで移動するのが楽しいとよく言いますね。「あそこにどれくらい早く、安く行けるのか」とか。クエストみたいに楽しめるわけです。
    井上 やはり、街とか道のような空間を大事にした方がよさそうですね。
    宇野 それはキーワードかもしれません。表のオリンピックはなんだかんだで「点」で考えているから、湾岸の大きな競技施設に集中するでしょう。でも、それに対して、この裏のオリンピックは通りや旧市街を中心に「線」で考えていく。
    夏野 であれば、意外とバスが面白いんじゃないかな。ラッピングが50万円くらいでできるんだよね。もう、この時期のラッピングは全て牛耳らせてもらって、サブカルをテーマにしちゃえばいい。
    宇野 位置情報を組み合わせると、重層的なゲームのようなものが作れるんじゃないですかね。5年後にはトレンドが過ぎている可能性もありますが、地図情報を上手く使ったゲームもあり得ますよね。
    夏野 都営バスは既にGPSで各車両の位置情報を公開してるんです。「次の停留所まであと何分」というのも公開していて、そこから類推するゲームもできると思う。壮大なスタンプラリーをやるのも面白いよ。しかも、山手線圏内でいうと、都営バスの本数が一番多いんですよ。オリンピックの主催は東京都なわけだから、話は早いですね。
    宇野 キャラクターと組み合わせれば、東京全体が巨大なゲームボードになるんじゃないですか。スカイツリーに行くと『妖怪ウォッチ』のジバニャンが出てくるとか、不忍池に行くと『ポケットモンスター』のゼニガメが出てくるとかね。東京の地理とキャラクターが連動するようなサービスは面白いと思います。そうなると、オリンピックのチケットを持っていないような、夏休みで単に暇なだけの小学生にとっても、東京が特別な空間に変わるわけです。
    安藝 キャラクターがついたバスが走っていて、それに乗れるのもいいね。電車は駅しか見えないけど、バスは街を観光できますから。
    宇野 実際、これから湾岸開発が進むとして、あそこは電車網がしょぼいので車メインの移動になるはずなんです。そうなると、2020年の街づくりで公共の車をどう使うかはテーマになります。僕らは東京を把握するとき、つい電車網で切ってしまいがちだけれども、自動車網で考えることでもう一つの東京像が見えてくるはずなんですよ。
    井上 でも、電車だって使えますよ。昔はプロ野球の球場を作ってそこに電鉄を通したものですが、今は街に人を運ぶためにキャラクターを利用しています。鉄道会社にもコンテンツホルダーにもメリットがあって、KADOKAWAの『ケロロ軍曹』なんかもずっと西武新宿線でやらせていただいています。
    夏野 地下鉄やJRの駅に行くと、各駅ごとに違うキャラがいて、そのフィギュアがドーンと並んでいるのとかも良くないですか? 僕は六本木ヒルズで66体のドラえもんを見たとき、なんとも言えないリアリティを感じたんです。あれは何かのヒントになるなと思いましたね。
    安藝 僕らは、すぐ都道府県とか擬人化しちゃいますからね。「足立区ちゃん」みたいな。
    井上 そこは、美少女でしょう(笑)。鉄娘や23区コレクションみたいなのもありますしね。駅の構内のベンチに誰かが座っていて……。
    伊藤 「本物の人間かな」と思って覗きこんだら、実は大きなフィギュアだったとかね(笑)。これはもう安藝さんのところで受注ですね(笑)。
    夏野 本気でやりたいですね。構想に4年かけて、1年前か2年前の開発でイケるでしょう。
     
     
    東京中心主義からの脱却
     
    夏野 ただね、この宇野さんの企画は面白いのだけど、警備の面で考えるとオリンピック期間中に裏文化祭をやるのは現実的に厳しいと思うんです。やはり開催の直前や直後とか、オリンピックとパラリンピックの間の期間を狙う方が妥当なんです。やっぱり期間中にぶつけるって、悪ノリしてる感じがあるじゃないですか。
    安藝 ゲリラっぽい印象はありますね。それに、この期間のホテルなんて、ほとんど確保できません。
    伊藤 もっと違うところでやればいいんじゃないですか。東京である必要はないでしょう。
     
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  • 新しい読者のための「PLANETS vol.9」その読み方ーー宇野常寛インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.252 ☆

    2015-01-30 07:00  
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    新しい読者のための「PLANETS vol.9」その読み方ーー宇野常寛インタビュー
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    いよいよ発売となる新刊「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」(以下、P9)。本日のほぼ惑は「P9」発売を前に、編集長・宇野常寛がこれまでの「PLANETS」の歩みを振り返りつつ、完成した「PLANETS vol.9」のコンセプト・制作秘話を語ります!
    ▼参考記事
    ・宇野常寛ロングインタビュー 「2020年東京五輪に向けて、僕たちはどんな未来を構想し、そして実行していくべきか?
    ◎聞き手・構成:真辺昂
    理想のサブカルチャー総
  • 東京2020への道筋――五輪は都市をどう変えてきたか(白井宏昌)【PLANETS vol.9先出し配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.250 ☆

    2015-01-28 07:00  
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    東京2020への道筋――五輪は都市をどう変えてきたか(白井宏昌) 【PLANETS vol.9先出し配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.28 vol.250
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    いよいよ1/31(土)に発売となる「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」。メルマガ先行配信の第2弾は、建築家の白井宏昌さんによる「オリンピックと都市開発の歴史」です。
    五輪は都市をどう変えてきたのか? そしてその歴史の蓄積は、どのようにして2020年の東京五輪に結実していくのか――? 60年代以降の各大会の施設配置を「分散型」と「集約型」に分類しながら、大会後の施設活用や財政面での課題など、より俯瞰的な視点から分析します。
     

    ▲実際の「PLANETS vol.9」の誌面から。
     
     「世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典」は、その歴史を重ねるに従い、開催都市の景色を一変させるまでの影響力を持つようになった。スタジアムをはじめとした競技施設、選手村の建設、交通インフラの整備など、オリンピックは都市開発の「またとない機会」である反面、“その後”に大きな負の遺産を残すこともある。これまでの開催都市の“その後”から、2020年の東京が目指すべきものを考察する。
     
    ▼執筆者プロフィール
    白井宏昌〈しらい・ひろまさ〉
    1971年生。建築家、H2Rアーキテクツ(東京、台北)共同主宰。博士 (学術)明治大学兼任講師、東洋大学、滋賀県立大学非常勤講師。2007-2008年ロンドン・オリンピック・パーク設計 チームメンバー。2008年度国際オリンピック委員会助成研究員。現在も設計実務の傍ら、「オリンピックと都市」の研究を継続中。
     
     
    1960年以前――「都市の祭典」への道程
     
     オリンピックは「スポーツの祭典」であると同時に「都市の祭典」である――。
     これまでのオリンピックが開催都市に与えてきた影響を振り返ると、社会学者ハリー・ヒラーが発したこの言葉に大きく頷いてしまう。特にその舞台が都市の中心部となる夏季大会では、政治家、企業家が長年温めてきた都市再編の野望を実現する「またとないチャンス」を開催都市にもたらしてきた。
     とはいえ、このようなオリンピックと都市再編の密接な結び付きは、19世紀の終わりに、フランス人教育者ピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピックの復興を唱えたときには存在しなかった。1896年に最初の近代オリンピックがアテネで開催されてからしばらくは、オリンピックはその存続を確固たるものとすべく、紆余曲折を経ることとなる。当初は、別の国際的イベントの一部として開催することで、何とかグロール・イベントとしての体裁を維持してきた経緯もあり、当然この時代にはオリンピックが開催都市の再編に大きな影響を及ぼしたとは言い難い。
     しかしながら、1908年にロンドンが世界初の「オリンピック・スタジアム」を建設すると、これに続く都市は「オリンピック・スタジアム」を都市あるいは国家を表象するものとして捉え、その後の遺産として都市に永続的に残るものとして計画するようになる。もちろんその具体的な利用に関してはどの都市も苦労することになるのだが、時代はオリンピックが建築と結びついた時代だったのである【図1】。
     

    【図1】夏季オリンピック都市開発の変遷
     
     
     そしてオリンピックに必要とされる競技施設やアスリートのための宿泊施設である選手村を集約することで、オリンピックをきっかけに作られるのは、「建築」から、ある広がりを持った「地区」へと展開していく。
     この流れを作り出したのが1932年に第10回大会を開催したロサンゼルスであり、このオリンピック地区をさらに象徴的に作り上げたのがその次の1936年大会を開催したベルリンである。ナチス主導により政治的な意図を持って開催されたベルリン大会はベルリン郊外に複数の競技施設を集約し、象徴的なイベント空間を作り上げた。それは今日も、ナチスドイツの残した歴史的遺産として存続している。
     
     
    1960年以降――オリンピック都市の彷徨
     
     そしてこれらのオリンピック地区を戦略的に複数に作り、それらを結び付けるインフラを整備することで、オリンピックによる都市再編の影響を都市全域にまで広げたのが、1960年のローマ大会だったのである。この大会をもってして、初めて「オリンピック都市」の誕生とすることも可能であろう。
     ただ、この流れは当時すべての人々に好意的に受け入れられたのではない。特にスポーツの振興を最大の活動意義とする国際オリンピック委員会(IOC)にとっては、スポーツを都市再編のために「利用された」と捉える動きもあり、その是非は次大会の1964年の東京に持ち越された。
     ここで東京は、ローマをはるかにしのぐ規模でオリンピックを都市再編のために「利用する」こととなる。そして、その世界的アピールが後続の開催都市にオリンピックとは都市再編あるいは都市広告のための「またとない機会」というイメージを作り上げる。
     この流れは1976年のモントリオールでピークに達する。フランス人建築家ロバート・テイリバートによる象徴的なオリンピック・パークは当時のモントリオール市長による「フレンチ・カナダ」のアピールの場となるはずだった。
     だが、オリンピック・スタジアムは大会までに完成せず、その後30年にも及ぶ借金返済という大きな負の遺産を残すこととなる。オリンピック都市の「野望」が「苦悩」へと変容した事例であり、モントリオール大会は、オリンピックは「リスク」であるという新たな警笛を世界に発したマイル・ストーンとなったのだ。
     これと対極をなすように、次の1980年大会を開催したモスクワは、社会主義政策に基づく徹底した合理主義にのっとりオリンピックを開催する。さらに、その次のロサンゼルスは、徹底した既存施設の転用と公共資金の不投与という戦略で、経済的なリスクを回避。民間資金によるイベント運営という手法を導入することで、大会運営の黒字化にも成功する。
     このことが、オリンピック=チャンスというイメージを与えることとなり、再び開催都市にオリンピックを都市再編のきっかけとする機運を作り出す。イデオロギーの差こそあれ、モスクワもロサンゼルスも、その合理的な手法により、モントリオールの悪夢を払拭したのである。都市の美化と新たな公共拠点作りを目指した1988年のソウルや、地中海都市の復活をかけ、長期的な都市再編キャンペーンの一つとしてオリンピックを取り込んだ1992年のバルセロナにより、オリンピックは再度、都市再編の道具と化していくのである。
     
     
    2000年以降――オリンピック・レガシーの時代
     
     2000年代に入ると、オリンピックと都市の関係はさらなる変容を遂げることとなる。これまではオリンピックに向けて何ができるかに大きな注目が集まっていたのに対し、オリンピック後に何が残るか、あるいはそれらをどのように維持していくことができるかが重要視されてきたのだ。いわゆるオリンピック・レガシー(遺産)の問題である。
     これを主導したのが2001年よりそれまでIOCを率いてきたサマランチから会長の座を引き継いだジャック・ロゲである。商業化による拡大路線を追求してきたサマランチと異なり、ロゲが求めたのは巨大化したオリンピックの見直しと、オリンピック後の施設運営も視野に入れた施設計画の指針作りである。
     新旧IOC会長の視点の違いは、2000年大会の開催都市シドニーで、11万席を擁するオリンピック史上最大のオリンピック・スタジアムを眼にしたときの反応に如実に現れる。「これまで見た中で最高のスタジアム」と称賛したサマランチに対して、ロゲはその後の利用に大きな懸念を示したのだ。かくしてロゲの新たな戦略はオリンピック憲章や招致ファイルでの必要記載事項に「オリンピック・レガシー」が盛り込まれることで現実化していく。
     それに建築・都市計画のレベルで応えたのが、ロゲがIOC会長として仕切った2012年の開催都市ロンドンである。ロンドンは招致の段階から当時のIOCの最大関心事項「オリンピック・レガシー」をキーワードに招致活動を行い、競技会場の中心となったロンドン東部の「オリンピック・パーク」の長期的展望を具体的に示すことで、ニューヨーク、パリといった世界の強豪都市を抑えて勝利したのだ。招致後も仮設施設の積極的な利用や競技施設の減築など、「オリンピック期間中よりオリンピック後」を見据えた建築・都市計画を進めていくことになるのだが、その際「レガシー」という言葉がオリンピック開催による莫大な公共資金の投与を正当化するものとして使われた。
     当然のことながら、2020年に夏季オリンピックを開催する東京も、これまでのオリンピック都市の変遷、特に2000年以降IOCが取り組んできた「オリンピック・レガシー」重視の政策を取り込んだ都市再編の延長にあるものと捉えることができる。特に2020年夏季オリンピック招致を、レガシーの流布に尽力したジャック・ロゲの12年の任期の総決算として捉えた場合、その意義はとてつもなく大きい。
     この問いかけに、東京は1964年オリンピックのレガシーを再利用するヘリテッジ・ゾーン(代々木地区)と2020年後の新たなレガシーとなるベイ・ゾーン(湾岸地区)を想定し、異なる時間軸を持った「オリンピック・レガシー」を都市に作りだすというコンセプトで応えることなった。ロゲ体制のもと、2回目のオリンピック開催を目指す都市でこそ作りえた優等生的なコンセプトだと言えよう。
     
     
    2020年のトーキョー:分散型施設配置
     
     かくして、東京は56年の歳月を経て2度目のオリンピックを2020年に開催することとなるが、もちろんのことながらその空間作りは1964年とはかなり異なるものとなる。まず施設配置に関して、1964年の東京オリンピックでは代々木公園、神宮外苑、駒沢公園の3つの地区に競技施設を集約させたが、2020年では代々木、神宮外苑を含むヘリテッジ・ゾーンと湾岸のベイ・ゾーンの2つのエリアにイベントに必要とされる施設を「コンパクト」に配置すると招致時から一貫して強調されてきた。
     しかし、この「コンパクト」という言葉に惑わされてはいけない。というのも、2020年の東京が提唱する「コンパクト」な施設配置は歴史的には「コンパクト」と言えない節があるからだ。 
  • パラリンピアンはインターフェイスである――パラリンピックの歴史と現状(浅生鴨)【PLANETS vol.9先出し配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.249 ☆

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    パラリンピアンはインターフェイスである ――パラリンピックの歴史と現状 (浅生鴨) 【PLANETS vol.9先出し配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.27 vol.249
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    いよいよ1/31(土)に発売となる「PLANETS vol.9 東京2020 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」。ほぼ惑では一足早く本誌の記事を先行配信していきます! 初回は浅生鴨さんの解説による「パラリンピックの歴史と現状」です。
    「福祉」から「競技スポーツ」へと次第に変貌を遂げ、ますますオリンピックとの違いが失われつつある現代のパラリンピック。こうした障害者スポーツの進化が、今まで私たちが自明のものとしてきた「人間観」や「公平性」の概念を揺るがしつつある現状をリポートします。

    ▲実際の「PLANETS vol.9」の誌面から。
     世界最高峰の障害者スポーツ大会、パラリンピック。治療の一環、あるいは社会復帰のための活動として、その歴史を刻み始めたパラリンピックは、回を重ねながら「競技スポーツ」として進化を遂げてきた。そして、ここ数年の義肢装具の飛躍的な進歩によって、パラリンピックのあり方そのものが変わろうとしている。そこで競われるべきは鍛え抜かれた身体なのか、装具の性能技術なのか? パラリンピアンにつきつけられる問題について、我々もただの“観客”ではいられない。その先を見据えるために、本稿ではパラリンピックの歴史をひも解いていく。
    ▼執筆者プロフィール
    浅生鴨〈あそう・かも〉
    作家・クリエイティブ・ディレクター。名前は「あ、そうかも」という口癖が由来のダジャレ。著書に『中の人などいない@NHK_PRのツイートはなぜユルい?』NHK_PR1号名義(新潮社)、「エビくん『」日本文藝家協会・文学2014』収録(講談社)など。『yomyom』(新潮社)で「終焉のアグニオン」を連載中。@aso_kamo
     現在の日本で、パラリンピックを全く知らないという人は、ほとんどいないだろう。あえて説明するなら、4年に一度、オリンピックの終わった後に開催される障害者のスポーツ大会だと言えば、たぶん、誰もがすぐにわかるはずだ。2012年に開催されたロンドン大会には、164の国と地域から、およそ4300人もの選手が参加。参加者数だけでなく、競技レベルの高さからも、パラリンピックはまちがいなく世界最高峰の障害者スポーツ大会だ。
     とは言うものの、日本では長い間、障害者によるスポーツは福祉政策の対象として扱われてきたわけで、今でもそう考えている人は、案外と多い。走り幅跳びの佐藤真海選手が、東京オリンピック・パラリンピック招致活動の最終プレゼンテーションで心に残るスピーチをしたことから、今はパラリンピックにも少しは関心が集まっているようだし、単なる社会参加やリハビリテーションを目的としたものじゃなく、トップアスリートたちによる本格競技スポーツなのだという考え方も広まり始めてはいるものの、それでも、まだ多くの人には、障害者が足りない何かを補いながら一生懸命にがんばっているスポーツなんだよね、障害者にしてはなかなかやるよね、といった程度の認識しかされていないのが現状だ。実際、テレビ放送の視聴率はゼロに近い数字だし、放送してもほとんど反響はないというのが現実で、まだまだ純粋な競技スポーツとして認めてもらえているとは言いづらいところがある。
     確かにパラリンピックは医療や社会福祉を目的として始まったものだし、今でもそういった側面がないわけじゃない。それでも、およそ70年近くの間に、多くの関係者が尽力し、少しずつ競技スポーツとしての地位を確立してきたのだ。本稿では、そうしたパラリンピックの歴史をおさらいしておこうと思う。
    障害者スポーツ大会の成立
     第1回パラリンピック大会とされているものは、今から55年前、近代オリンピックの開始から半世紀ほど遅れた1960年に開かれた。これは、もともとイギリスのストーク・マンデビル病院の医師、ルードヴィッヒ・グッドマンが、戦争で脊髄などを損傷した兵士たちのために開催したスポーツ大会から始まっている。もちろん、ストーク・マンデビル病院よりもずっと以前から、障害者がスポーツをすることはあった。でも、それはやっぱり社会復帰や治療を目的にしているものが中心で、19世紀後半になるまでは、純粋な競技スポーツとして扱われたものは、どうやらほとんどなかったようだ。
     本格的な障害者スポーツ競技の出発点は、20世紀初めのドイツ。聴覚障害者のためのスポーツ団体が創立、以降、ヨーロッパの各国でも障害者によるスポーツクラブや競技団体が数多く作られるようになる。1924年には、現在のデフリンピックの基になった国際ろう者スポーツ競技大会がパリで開かれるなど、国際的な大会も開催されている。
     そして、第二次世界大戦後の1948年7月28日、前述のストーク・マンデビル病院で「手術よりスポーツ」という理念の基に、患者たちのためのスポーツ大会が開かれた【写真1】。実は、この翌日にロンドンではオリンピックの開会式が行われている。わざわざこの日に大会を企画したグッドマン医師は、おそらくオリンピックのことを意識していたのだろう。「失われたものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」という言葉を残したグッドマン医師は、後に障害者スポーツの父と呼ばれるようになる。

    【写真1】1948年にストーク・マンデビル病院で開かれた車椅子アーチェリー大会
     この後、ストーク・マンデビル病院のスポーツ大会は毎年開かれ続けるが、1952年にオランダの選手たちが参加したことから、この年の大会を第1回国際ストーク・マンデビル大会と位置づけることになった。記録によれば、この時には、およそ130の選手が、6種目を競ったようだ。
     ストーク・マンデビル大会は回を重ねるごとに参加する国が増え、1960年にISMGC(国際ストーク・マンデビル大会委員会)が創設された。
     ところが、ストーク・マンデビル大会は車椅子を使用している障害者だけのもので、それ以外の障害者は参加できなかった。そこで1961年に、他の障害者スポーツのための国際機関の設立が準備され、1964年にISOD(国際身体障害者スポーツ機構)が創られた。車椅子を使うか使わないかによって、二つの国際的な障害者スポーツ機関が存在することになったのだ。
     ISMGCは、毎年開かれる大会のうち、オリンピックのある年だけはオリンピックの開催国でストーク・マンデビル大会を開こうという方針を定めた。この方針に則り、1960年のオリンピック開催国イタリアのローマで、第9回国際ストーク・マンデビル大会が開かれた。この大会に参加したのは23か国からの選手、およそ400人だとされている。
     このローマ大会が、後に第1回パラリンピックとされるのだが、当然ながらこの大会は、車椅子を使用している障害者のためだけのものだった。
    東京大会から始まった「パラリンピック」
     だから、そういう意味では1964年の東京大会が、本質的なパラリンピックの始まりだったと言えるのかも知れない【写真2】。

    【写真2】1964年パラリンピック東京大会のポスター
    (写真提供/日本障がい者スポーツ協会)
     
  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第8位】都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-28 11:00  
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    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第8位】都市生活とスポーツの融合が生み出す”新たなライフスタイル”とは!? ――「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズを取材してみた
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.28 号外
    http://wakusei2nd.com




    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。第8位は、「アメリカ生まれのスポーツショップ」オッシュマンズへの取材記事です!(2014年10月28日配信)これまでのベストセレクションはコチラ!
     
    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    僕はネット以外で買い物をするときは新宿に行くことが多い人間です。で、たとえば新宿伊勢丹のメンズ館が前提としている「都市の大人の男のライフスタイル」より、東南口のオッシュマンズが提示している都市生活の方が圧倒的に気持ちよく格好いいものに見える。そういう感覚を言語化しようということを最近ずっと考えていて、「だったらとりあえず取材してみよう」と思って行ってきたのがこの記事です。
    取材に行ってみてわかったのは、予想以上に売り場の人たちにも僕と同じような風景が見えているということ。いま日本の都市部に立ち上がっている、エクササイズやスポーツを取り込んだホワイトカラーのライフスタイルって、グローバルなクリエイティブ・クラスのライフスタイルと似ているようでどこか違っていて、日本の、東京の独特の文脈を帯びている。そういう「ポスト戦後」の日本のホワイトカラーのライフスタイルに、言葉によって輪郭を与えていく仕事を、来年は追求したいと思っています。
    1985年に日本に登場して以来、都市生活者のスポーツライフを支えてきた「オッシュマンズ」。以後30年に渡り、ランニングやヨガ、サーフィン、トレッキングなど、あらゆるスポーツブームのニーズに応えてきたセレクトショップです。85年の原宿店を皮切りに、町田、新宿、吉祥寺、千葉、池袋、二子玉川、そして最近ではアウトレットの軽井沢と、少しずつ店舗を拡大しています。
     
    今回、宇野常寛とPLANETS編集部はこのオッシュマンズ発祥の地である原宿店を訪問。同店の魅力と歴史に加え、スポーツを取り込んだこれからのライフスタイルについて、株式会社オッシュマンズ・ジャパン営業計画・販売促進担当マネージャーの角田浩紀さんにお話を伺ってきました。
     
    ◎聞き手・構成:小野田弥恵、中野慧
     

    ▲オッシュマンズ原宿店
     
     
    ■西海岸とNYのライフスタイルが合流して生まれた、東京独特のアウトドアウェア文化
     
    ――原宿にたくさんある他のお店と比べると、オッシュマンズさんの立ち位置って独特だと思うんです。ファッションとして考えると、例えば原宿界隈にあるセレクトショップやデザイナーズブランドとは明らかに系統が違う。かといって、たとえばB&Dなどのような、機能性を重視したスポーツ店というわけでもない。そこで、まずはお店づくりのコンセプトについてお伺いしたいのですが。
     

    ▲オッシュマンズ・ジャパン営業計画・販売促進担当マネージャーの角田浩紀さん
     
    角田 オッシュマンズは元々、1932年にアメリカ・テキサス州のヒューストンで生活雑貨店としてスタートしました。その後、経済成長とともに人々の間に芽生えた「スポーツを取り入れた快適なライフスタイル」へのニーズに応える形で、スポーツショップへと進化していきます。
     
    オッシュマンズが日本に進出したのは1985年で、株式会社イトーヨーカドー(現:セブン&アイホールディングス)と業務提携した当初から「アメリカ生まれのスポーツショップ」というコンセプトが前提としてありました。ここでいうスポーツというのは、ランニングやサーフィン、トレーニング・フィットネスなどの生活に組み込めるスポーツのことですね。
    日本では90年代にアメカジブームが起きたこともあり、“アメリカのショップにありそうなもの”というのは重要な基準だったんです。2000年代半ばからは視野を広げて、カナダやヨーロッパのメーカーも幅広く扱うようになり、アメリカだけにこだわらなくなりました。しかし今でも、アメリカのカルチャーを発信するという部分は根強く残っていますね。
    ――ここでいう“アメリカのカルチャー”って、具体的にはどういうものなんですか? 発祥の地のヒューストンがあるアメリカ南部の文化ともだいぶ違うように思うのですが。かといって、サンフランシスコやポートランドのような西海岸の文化とも少し違うような気がします。
    角田 意識しているのは、アメリカの「西と東の文化」ですね。西はワシントン州からカリフォルニアまでのいわゆる“西海岸沿い”、東はニューヨーク。特にニューヨークは東京と似ているんです。オフィス街があって生活意識が高い人たちが住んでいて、公園はランナーで溢れかえっていて、ヨガをやっている人もすごく多い。西海岸では上半身裸でランニングをしている人も多いので、ランナーのスタイルもニューヨークのほうが日本にはなじみ深い。この、都市とスポーツが融合したニューヨークのライフスタイルと、いわゆるアメリカを象徴するような西海岸のサーフィン文化やアウトドア文化、大きく分けてこの二つのカルチャーを取り込んでいます。
     

    ▲店内にはアウトドアグッズがいっぱい。
     
    ――なるほど。つまりここ東京で、アメリカの西と東、両方の文化とスタイルを融合させた、独特な流れが作られてきているということなんでしょうか?
    角田 バイヤーも、東海岸に買い付けにいくときはニューヨーク経由で行くことが多いので、ニューヨークのランナーが集まる公園だったり、付近のランニングショップの様子はチェックしています。ニューヨークはランニングの文化が非常に盛んですから、定点観測の場所として非常に重要ですね。
    ちなみに当店では最近、ナイトラン向けのマナーグッズを展開しているんです。なぜかというと、東京のランナーは社会人の方が多いので、夜遅くに走る人が多いからです。そのため、安全面やドライバーへの配慮として、反射板や光るものをつけるのもひとつのマナーなんじゃないか、という提案ですね。例えばこの「POWER Stepz」はシューズの紐部分に装着すると、ランニング中に足が地面に着地するたび、光るようになっているんですよ。こういった商品をアメリカから直輸入しているんです。
     

    ▲「ナイトラン」向けのグッズコーナー。
     

    ▲「POWER Stepz」。叩いて衝撃を与える(=ランニング中に靴が地面に着地する)とそのたびごとに光ります。
     
    ――シューズと合わせて紹介することで、マナーを啓蒙していくんですね。
    角田 ヨガコーナーでも、ウエアやグッズを販売するだけでなく、ヨガがどのようなものなのかを知って頂くために、開店前に先生を呼んで朝ヨガ教室を行うなどしています。また、「いつでも・どこでも・だれでも」をキーワードに無料のヨガアプリも作成して、気軽にヨガが行える環境も提供しています。今後はヨガグッズから派生する、オーガニック食品やスムージーを作るミキサー、アロマなど、ヨガから広がる生活様式の提案も視野に入れていますね。
     

    ▲「朝ヨガ」の様子
     
    ――ヨガを取り入れたライフスタイルの提案、ということですね。
    角田 そうですね。“スポーツショップで展開している”という説得力を活かせればいいなと。例えばこの「Backjoy」という腰カバーも非常によく売れているんですよ。オフィスなどで椅子とおしりの間に敷くことで、骨盤と背骨が自然な状態で座れるようにしてくれるんです。
     

     ▲「Backjoy」
     
    ―― 一見スポーツと関係なさそうですが、確かに“スポーツショップに置いてある腰カバー”ってすごく効き目がありそうな感じがします。先ほどもお話されていますが、確かにいずれも生活のなかに取り込まれたスポーツや、その延長線上にあるライフスタイルを提案しているという印象を受けました。 
     
     
    ■ヨガブーム、ランニングブームはどのようにして起こっていったのか
     
    ――長年このお仕事をされている角田さんからは、これらのライフスタイル型のスポーツのブームやトレンドがどう移り変わってきたように見えているんでしょうか?
    角田 一号店である原宿店がオープンした1980年代中頃は、ちょうどアメリカで起きたフィットネスブームが日本にも到来していたころでした。当時はエアロビクスと呼ばれていて、原宿にはスタジオや専門店がたくさんあったんです。このころ、爆発的に売れたのがReebokのフィットネスシューズ「フリースタイル」ですね。もともとエアロビをする人たちから支持されて、ファッションとしても人気に火がついた。で、90年代になるとサーフィンブームが到来する。男性はショートのサーフボード、女性はボディーボードで海に入るようになった。このころは「QUIKSILVER」というサーフブランドから登場した女性向けの「ROXY」が大人気でした。茶髪のロングヘアをくくって、シープスキンのブーツを合わせるのが流行っていましたね。
    ヨガブームが始まったのは2000年代前半ですね。フィットネスブームのときの「体づくり」の延長として始めた人が多かったんじゃないでしょうか。一時は爆発的ブームになって、ナイキのヨガマットが飛ぶように売れた時期が2000年代半ばです。それまではヨガをやるスタジオもそれほど多くなかったですし、ウェアやマットがどこでも売っているわけではなかったので、すごく売れましたね。今はネット通販はもとより、ファストファッションのお店や、ホームセンターでもヨガグッズが売っていますので、ブームというよりは完全に定着していますね。
    さきほどお話しした「朝ヨガ」は、「やってみたいけどどこでやればいいかわからない」という人への入り口としてやっている部分があります。やっぱりヨガスタジオやスポーツクラブのヨガ教室にいきなり行くのは、初めての人にはハードルが高かったりしますからね。
    ――そうなんですね。ランニングブームに関してはどのように見ていらっしゃいますか?
    角田 ランニングブームが始まったのは、ヨガブームよりも少しあとの2004、5年ぐらいでしょうか。最初にバイヤーが、東海岸で「ランスカートというものがある」という情報を持ってきたんですが、最初は「さすがにこれはちょっとないかなぁ」と我々も思っていたんです。でも、いまはランスカートもすっかり市民権を得ていて、ランニングでオシャレも楽しむというスタイルが定着していますよね。
    そういった流れが大きくなってきたタイミングで東京マラソンも始まったりして、ランニングを生活のなかに取り入れている人がすごく多くなっていますね。
    ――ランニングブームはなぜこんなにも定着したんでしょうか?
    角田 やっぱり健康意識が高まってきたからでしょうね。それと、これはまったく個人的な意見なんですが、消費の仕方そのものが変わってきているように思います。「モノを買ってそれを所有して満足する」というよりも、生活の中身のクオリティに対する意識が強くなってきているように感じていて、その表れのひとつとしてランニング文化の定着があるのかなと思います。
     
     
    ■アウトドアウェアをファッションとして着る文化は日本特有のものだった!? 
     
    ――アウトドアのブームに関してはいかがでしょうか。
    角田 アウトドアブームが起きたのは2006、7年ごろからでしょうか。もちろん80年代後半から90年代ごろにもブームになっていて、L.L.Beanなどが流行りましたが、当時は実際にそれを着て登山に行く人はそこまで多くなかったんじゃないでしょうか。
    本格的にブームになってきたのは、男性向けアウトドアファッション誌の「GO OUT」(2007年創刊、三栄書房)が創刊されたころでしょうね。その頃から「アウトドアウエアを街でも着る」というのが流行り始めた。
     

    ▲「GO OUT」創刊第2号(2008年3月28日発売、三栄書房)この時期が面白かったのは、アウトドアウエアのトレンドを受けて、実際に登山に行く人が増えたことですね。それまで中高年の聖地だった高尾山が、カラフルなウエアを着たいわゆる「山ガール」でいっぱいになった。
    そうそう、「山ガール」文化に関しては女性向けアウトドア誌の「ランドネ」(エイ出版社)の影響も大きかったと思います。 
  • アニメが世界を征服するために必要なのは〈デザイン〉の力――グッドスマイルカンパニー代表・安藝貴範インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.223 ☆

    2014-12-16 07:00  
    220pt

    アニメが世界を征服するために必要なのは〈デザイン〉の力――グッドスマイルカンパニー代表安藝貴範インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.16 vol.223
    http://wakusei2nd.com


    来年1月末に発売予定の『PLANETS vol.9(特集:東京2020)』(以下、『P9』)。オリンピックの裏側で開催する文化祭を提案する「Cパート=Cultural Festival」メイン座談会では、グッドスマイルカンパニー代表取締役社長、安藝貴範さんが登場します。今回は『P9』に先駆けて、2020年のキャラクター文化やアニメ文化がどうなっていくかについて、安藝さんにたっぷりとお話を伺いました。

    ▼プロフィール
    安藝貴範(あき・たかのり)
    国内キャラクター可動フィギュアの代表である「figma」シリーズ、独特のディフォルメの魅力で大人気を博している「ねんどろいど」の展開で有名な「グッドスマイルカンパニー」代表取締役社長。”グッスマ”の事業はホビー以外にも、カフェやアーティストマネジメント、アニメの製作会社運営と多岐にわたる。カーレース事業「グッドスマイルレーシング」では、初音ミクをプリントしたいわゆる痛車で、SUPER GTのチャンピオンになったことも記憶に新しい。
    ◎聞き手:宇野常寛/構成:池田明季哉、中野慧
     
    ▼前回の幣誌インタビュー記事はこちら
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar503684
     
     
    ■世界観が映像の外に染み出していく――アートディレクターの役割
     
    宇野 前回のインタビューでは、西海岸的なギークカルチャーと、東京的なオタクカルチャーをミックスすることによって、新しい21世紀のグローバルなホビー文化が作れるんじゃないか、というお話を伺いましたよね。
    さらにその後に『PLANETS vol.9』掲載予定の、「2020年に向かって日本のオタクカルチャーがどうなっていくのか」をテーマにした座談会(他にKADOKAWA井上伸一郎さん、クリプトン伊藤博之さん、夏野剛さんが参加)にも出てもらいましたが、今回はまず、安藝さんが日本のアニメやキャラクター文化の現状をどう捉えられているかについてお聞きしてみたいと思います。
    安藝 日本のアニメのクリエイター側に足りないことって、実はあんまりないと思うんです。デザイナー、シナリオライター、絵描きさん、監督まで含めて強力な面子が揃っていて、海外と比べてもすごく人材が豊富じゃないですか。
    「作る側の質の問題ではなく、そもそも需要が少ないんじゃないか!?」というとそうでもない。最近では海外から「日本のアニメがほしい」という話を今までよりたくさん聞くようになりました。特に日本のいわゆる深夜アニメは向こうのオタクやアーリーアダプターの人たちに相当浸透しているし、子供たちも『NARUTO』や『ONE PIECE』を経由してよく見ている。
    最近Netflix(ネットフリックス)やHulu(フールー)などの定額動画配信サービスが大流行していますが、全視聴時間の2割ほどが日本のアニメだと言われているんですよ。彼らは5000万人の有料会員を持っていて、かなりのビッグデータで誰が何を見ているのか完全に把握しているからオーダーにも迷いがないんです。「これとこれとこれを、幾らでくれ!こんなのを作った方がいいよ!」とかなりストレートに言ってきますし、値付けもかなり派手なんですよね。
    要するに日本のアニメ業界の制作内部に才能がないわけでもないし、外部の需要がないわけでもない。しかし、ちょっとしたタッチやルックとか、宗教観、デザインのまとめ方だったりが、英語圏の市場に「ほんの少しだけ届かない」であるがゆえにビッグヒットにつながらない。そこがもったいないなと思います。
    じゃあどうするかというと、作品をトータルでグランドデザインできるアートディレクターやプロデューサーのような人たちが必要だと思っているんです。あえて個人名を挙げるなら、メチクロさん、コヤマシゲトさんや草野剛さんのような人たちです。例えばメチクロさんは『シドニアの騎士』の装丁やパッケージデザイン、マーチャンダイジングなんかを手がけているんですが、作品の空気感をちゃんと外に出していくために、パッケージのデザインをどうするかとかいうことまで含めて考えてやっているんですよね。他にもコヤマシゲトさんは、『キルラキル』や、今度公開されるディズニーの『ベイマックス』のコンセプトデザインをやっていて、非常に重要な役割を果たしているアートディレクターです。現場のコントロールも上手ですし、アウトプットへの影響力の示し方も的確です。
     

    ▲「シドニアの騎士」BDパッケージ。
     
    宇野 アートディレクターというのは、映像の中身だけでなく、その作品の世界観やBDパッケージのようなプロダクトのデザイン、もしくはイベントのディレクションなんかも含めてビジュアルをトータルに管理する人たちですよね。キャラクターが映像作品の中に閉じこもっていられない時代に対応するには、そういうプレイヤーが必要だと。
    安藝 監督が意識的にやっていない部分も含めて、「この作品のどこが売りなのか」をピックアップしてアウトプットするアートディレクターがいた方が、外にちゃんと伝わるということだと思います。マーチャンダイジングの担当がチェックすることもあるんですが、それは単に間違いがないかどうかを見ているだけで、デザインがいいかどうかを見ているわけではない。そういう部分をいいディレクターが補ってくれるだけでだいぶ違ってくるんです。
    来年あたり、有能なアートディレクターや映像チームが集まってずっと議論をしているようなスタジオをつくりたいと思っているんです。例えばさっき名前を挙げた、メチクロさん、コヤマシゲトさん、草野剛さんなんかが同じところにいたら衝撃的だと思うんですよ。一階は誰でも立ち寄れるように、原画とか、他のメーカーとコラボしたスニーカーのようなグッズも売っているお店にして、ちょっとしたギャラリーとしても使いたい。その建物全体を、外国人観光客にも「ここおもしれえな!」って思ってもらえるクールな場所にしたいと思っているんです。
    宇野 安藝さんの最終目標って「日本のオタクカルチャーによって、ホビーや体感型のエンターテイメントも含めたディズニー的な総合性を実現する」ということじゃないかと思うんです。この先グッスマがどんどん成長していったときに、行き着く先は「グッスマランド」じゃないですか? そこでアニメがたくさん上映されていて、グッズもフィギュアもいっぱいあって、もちろんレースもやっている、という。
    安藝 グッスマランド! それいいなぁ(笑)!
    宇野 さっきの「映像の外側を含めてアートディレクターが管理していく」という話にも通じると思うんですけど、USJとかって今すごく調子がいいですよね。大金をかけて「ハリー・ポッター魔法の世界」をつくって、それが大人気になっている。今って「体験」しか意味がない時代だと思うんです。そこで、「映像」という体験の種をバラ撒いてグローバルにヒットを出して、それを体験としてもう一度与えるモデルが一番強くなっていくんじゃないか。
    安藝 そうなるためにはやっぱり、「10年、20年と長期にわたって長く愛される作品をつくる」ということが必要だと思うんですよね。『トイ・ストーリー』シリーズって第1作は20年前なんですが、いま見ても本当によくできていて素晴らしいですよね。そして『トイ・ストーリー』シリーズの強みは、衒いなく続編をつくれるところ。もともと作品をチームで作っているから、ヒットして続編をつくろうというときに、クリエイターが何人か変わっても、ちゃんとしたものができる。
    一方でたとえば日本のジブリは一本一本で完結させて作るという考え方が強いし、制作にあたって属人性が強すぎるのでそれが難しい。もの凄いパワーでやりきっているので、そもそもあまり続編を作る気がもなさそうですしね。悲しいけれど、作品の長期化というのはそういったチームのマネジメントも含めて、考え直していかないといけないのかもしれないと思います。
     
     
    ■思春期を終えて、成熟するために――アニメ産業の現在と未来宇野 ちょっと角度を変えてお聞きしたいのですが、このあいだ福田雄一監督の『アオイホノオ』(原作:島本和彦/庵野秀明や山賀博之の大学時代を描いている)が放送されていたじゃないですか。あの作品を見たときに、30年前に生まれた日本のオタク文化、キャラクター文化が、今はもう思春期から熟年期に入ってきていると思ったんですね。ただ、必ずしも「キャラクター文化はこれからおじさんたちのものになっていく」というわけでもない気がしています。アニメ文化の成熟を受け入れながら、どうやって新鮮なものを出し続けていくのかが課題になっているのかなと。
    安藝 それはみんなすごく悩んでいるポイントで、いろいろな要因があると思うんですが、深夜アニメって数が多くてチャンスは増えている割に、新人の活躍の機会が逆に減っていたりするんですよ。
    たとえば作品の本数が増えて監督がたくさん必要になると、人気監督は4年ぐらい先まで予定が埋まってしまう。当然、監督が足りなくなるから、演出の人たちがすぐ監督になってしまって、演出で本来鍛えられるべき期間がなくなってしまう。そして演出がすぐ監督になると、今度はテレビシリーズで必要な各話演出のスタッフが足りなくなって、結局は経験の浅い監督が一人でやるか、もしくはまだ経験不足の新人の子たちがやらざるを得なくなっているんです。
    作品が多い環境というのは一見豊かに思えるけれど、実はスタッフがスムーズに育っていく環境ではなくなっている。現場が地獄絵図のようになっていくと、働くこと自体が辛すぎるし、自分の成長過程もイメージできないからすぐに辞めてしまう。理想的には新人にきっちり時間をかけて育ってもらって、新しい作品を出していかないといけないんですけど、そこをうまく巻き取れていないしケアできていない。構造的に人が育たず、新たなチャレンジもし辛いというネガティブな状況になっています。
    宇野 普通に考えれば、現状ではアニメの数が多すぎるので、適正な数に戻ればその状況も改善されていくかと思うのですが、そうではないんでしょうか?