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  • 吉田尚記×宇野常寛『新しい地図の見つけ方』第3回「TO DO」の働き方(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.565 ☆

    2016-04-15 07:00  
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    吉田尚記×宇野常寛『新しい地図の見つけ方』第3回「TO DO」の働き方(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.15 vol.565
    http://wakusei2nd.com


    「やりたいことや目標を持った人間にならなければ」という「TO BE」の風潮が広まる中、「とにかく楽をしたい」という「TO DO」に流れることが、結果的に世界を広げるのではないか。「TO DO」の働き方について、吉田尚記さんと宇野常寛がそれぞれの経験を交えて語ります。(初出:「ダ・ヴィンチ」2016年3月号(KADOKAWA/メディアファクトリー))
    毎週金曜配信中! 「宇野常寛の対話と講義録」配信記事一覧はこちらのリンクから。
    ▼対談者プロフィール
    吉田尚記(よしだ・ひさのり)
    1975年12月12日東京・銀座生まれ。ニッポン放送アナウンサー。2012年、『ミュ〜コミ+プラス』(毎週月〜木曜24時00分〜24時53分)のパーソナリティとして、第49回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞。「マンガ大賞」発起人。著書『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版)が累計12万部を超えるベストセラーに。マンガ、アニメ、アイドル、落語やSNSに関してのオーソリティとして各方面で幅広く活動し、年間100本近くのアニメイベントの司会を担当している。自身がアイコンとなったカルチャー情報サイト「yoppy」も展開中(http://www.yoppy.tokyo/)。
    ◎取材・文:臺代裕夢
    前回:吉田尚記×宇野常寛『新しい地図の見つけ方』第2回 知のコンテナ
    宇野 この連載の第1回でよっぴー(吉田さん)は「TO BE」ではなく「TO DO」の働き方をしなければいけないという話をしていたよね。
    吉田 アナウンサーになりたいとか、宇野さんのような評論家になりたいとかではなく、「仮面ライダーの素晴らしさを世界に発信しなければ俺は死んでしまう!」みたいな動機でやりたいことを見つけたほうがいいという話ですね。
    宇野 僕もその意見には100%賛成なんだけど、一方でいまの社会は、「人生でやりたいことや目標を持っていないのは駄目なやつだ」という風潮が強すぎる気がする。極端な例だけど、僕が昔働いていた会社は、まわりに金融機関が多いところだったのね。それで昼休みに近くの本屋へ行くと、銀行とかの制服を着た女性が、必ずなにやら思い詰めた表情で語学本コーナーにいるわけ。毎回違う人なんだけど、他には目もくれずそこに向かって、30分ぐらいいろんな本をパラパラ見て、買ったり買わなかったりして戻っていく。これって、特別やりたいことがないのに「なにかやらなくちゃいけない」という強迫観念だけが先行して、とりあえず社会一般で確実に価値があると言われている語学のコーナーに足を運んでいるというパターンがほとんどだと思うんだよ。
    吉田 自己啓発系のセミナーや本なんかも似たようなもので、ある意味、不安を逆手にとられているんですよね。だけどそれは限りなく「TO BE」。「やりたいことや目標をもっている何者かにならなければ」っていう気持ちで動いている。
    宇野 自分の世界を広げているように見えて、確実に狭める行為だと思う。いまの例で言うと、消去法で語学以外の選択肢や可能性を閉じてしまっているということだからさ。もっと気軽に、好奇心を持って本屋をふらふらと歩き回れば、これから夢中になれるものが見つかるかもしれないのに。つまりなにを言いたいかというと、やりたいことがないのなら、人の足を引っ張らない範囲でどんどん楽な方向に流れればいいんじゃないかっていうこと。それが結果として世界を広げることに繋がると思うんだよね。「とにかく楽をしたい」という「TO DO」だってありじゃないかな。
    吉田 そうやって易きに流れることで、自分が予想もしていなかった場所に辿り着くということだってありますよね。僕も大学4年生のとき、卒業に必要な単位は全部とっていて、就職先も決まっていて、卒論もそれほど大変じゃないという状況に置かれたとき、なにをすればいいのか分からなくなってしまったことがあったんですよ。それで『ポケットモンスター』のアニメを1から全部借りて見たりしていたんですけど、結果としていまの仕事にめちゃくちゃ役立ってます(笑)。
    宇野 僕も大学を出て1年ぐらいはなにもせずにぶらぶらしていたよ。ときどきバイトして最低限の生活費を稼ぎ、あとはゲームとかアニメとか、ひたすらオタクコンテンツを消費して生きていた。目の前の快楽にしか興味がなかったね。
    吉田 楽な方向に流れまくった結果、その道のスペシャリストになったと。でも、結果として普通に就職もしているんですよね。どうして会社員をしながら、『PLANETS』をつくろうと思ったんですか?
    宇野 最初に入ったのは大学時代から住んでいた京都の会社。ちゃんと週休二日もらえて、週に一回はレイトショー観られたらいいなと思っていたの。だけど、だんだん同年代の物書きがデビューし始めるじゃない? それを読んでいると、絶対に自分たちがつくっているもののほうが面白いって感じてさ。「俺様が本気出したらこいつら全員蹴散らせるんじゃないか」みたいな(笑)。東京で毎日飲み会をしている業界人や文化人たちには見えていないシーンが自分たちには見えているという確信と、それを思い知らせる必要があるという謎の怒りによって誕生したのが『PLANETS』。ネットで仲間を集めて立ち上げた。
    吉田 最初につくったときは、ゆくゆく『PLANETS』を食い扶持にしていきたいという想いはあったんですか?
    宇野 まったくない。というか、むしろ僕の会社員としての収入で成り立っていた。最低限赤字にだけはしないようにと意識していたし、実際には少し黒字になっていたんだけど、そこで出た利益は全部次の号の制作費にぶっ込んでいたから。そもそも僕が会社員をしていたのは、時間をお金で買うという意識もあったんだよね。安定した収入源を確保しておくことで、本当に自分のやりたいことに時間を費やせる。正直、PLANETSは当時のサブカル批評界隈の人にはウケが悪かったと思うよ。まったく空気読まなかったから(笑)。でもさ、彼らの空気読んでたら僕の考える面白さは表現できない。業界の空気を無視して、自分たちが信じる面白さを追求できたのも、「それが無くても食っていけたから」なんだよね。

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  • エコと効率化のさらにその先へ――痛車・スポコンと〈欲望ドリブン〉の美学(根津孝太『カーデザインの20世紀』第9回 国産スポーツカー・後編)【毎月第2木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.564 ☆

    2016-04-14 07:00  
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    エコと効率化のさらにその先へ――痛車・スポコンと〈欲望ドリブン〉の美学(根津孝太『カーデザインの20世紀』第9回 国産スポーツカー・後編)【毎月第2木曜配信】 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.14 vol.564
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガではデザイナー・根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』をお届けします。今回は前回に引き続き、国産スポーツカーを取り上げます。スポーツカーに託されるカッコよさが変化していく中、意外な場所に花開いた新たなデザインに迫ります。
    ▼プロフィール
    根津孝太(ねづ・こうた)
    1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多く の工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同 した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発 に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。2014年度よりグッドデザイン賞審査委員。
    本メルマガで連載中の『カーデザインの20世紀』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:「速さ」がデザインに宿るとき、伝説が生まれる――誇り高きサムライ、国産スポーツカー【前編】(根津孝太『カーデザインの20世紀』第8回)
    前回ご紹介したのは、世界の自動車史に残るであろう日本のスポーツカーたちでした。これらは車メーカーがその威信をかけて開発したものでしたが、現代においてメーカー主導の国産スポーツカー開発は様々な理由から厳しい状況が続いています。
    一方で、日本のスポーツカー文化は70〜90年代にかけてユーザーたちがカスタムを繰り返しガラパゴス的に進化した結果、2000年代以降はまったく別の文脈で世界から注目を集めるようになっています。第4回でお話しした「バハバグ」のように、「メーカー主導」ではなく「ユーザー主導」で育まれた文化が、オリジナリティの高い独自の文化として受け止められているんですね。
    今回はそんな日本のスポーツカー文化が創り上げたもうひとつの可能性である「スポコン」「ドリフト」、そして「痛車」について掘り下げていきたいと思います。
    ■スポコン:強者に挑む弱者のスポーツカー
    「スポコン」は「スポーツコンパクト」の略で(「スポーツコンバージョン」の略とする場合もあります)、アメリカ西海岸で80年代後半から90年代にかけて流行したスタイルです。日本にも90年代後半から逆輸入され、全盛期には専門の雑誌が発売されるほどでした。基本的には、日本のコンパクトサイズのスポーツカーをベースに、派手なドレスアップを施したカスタムカーのことを指します。アメリカンカーカルチャーの本場とも言える西海岸で日本車ベースの改造が流行した、というのはなんだか不思議に聞こえますが、これには面白い理由があるのです。

    ▲『ワイルドスピード(2001年)』(出典)
    スポコンを描いた映画に「ワイルドスピード」シリーズがあります。これはストリートレーサーたちによるド派手なカーアクションばかりが全編続く、車好きの車好きによる車好きのための映画です。1作目『ワイルドスピード(原題:The Fast & The Furious)』と、2作目『ワイルドスピードX2(原題:2 Fast 2 Furious)』が主にスポコンを取り扱っています。
    「ワイルドスピード」シリーズは、マッチョな男たちが改造車で無謀なカーレースを繰り広げる、ちょっと古臭い美学の映画だと思われているところもあります。しかしそんな映画が2000年代から現在に至るまで、実に8作も作られている人気シリーズとなっているのには、きちんとした理由があると思っています。
    「ワイルドスピード」はアメリカの映画なのですが、主役車は1作目がトヨタ・スープラ、2作目が三菱のランエボとエクリプスと、どちらも日本車となっています。特に日本人が出てくるわけでもなく、日本にゆかりがあるわけでもありません。にもかかわらず、ハリウッドのカーアクション映画で主役が日本車というのは、なかなかの大抜擢です。

    (出典)

    ▲1作目の主役、トヨタ・スープラ。上がオリジナル、下が劇中仕様のカスタムカー。オレンジメタリックのカラーリングと、派手なステッカーが目を引く。(出典)
    1作目の物語は、警官のブライアンが、度重なる貨物車両襲撃事件の囮捜査でストリートレースチームに潜入、しかしチームのリーダーであるドミニクと次第に絆を育んでいく、というものになっています。2作目は引き続きブライアンが登場し、旧友ローマンと共に麻薬密売組織壊滅のため再び潜入捜査を行います。
    興味深いことに、劇中に登場するストリートレーサーたちは世界各国からやってきた移民で、生粋のアメリカ人は主人公・ブライアンぐらいです。そして移民のストリートレーサーたちはみんなバリバリのカスタムカーに乗っているのですが、ベース車はほとんどが日本車で、これが「スポコン」と呼ばれるものです。

    (出典)

    ▲2作目の主役、三菱・ランサー エボリューションVIIと、同じく三菱・エクリプス。エクリプスは当初、スパイダーにちなんで蜘蛛の巣のようなステッカーだったそうだが、搭乗するローマン・ピアース役のタイリース・ギブソンが自らデザインし直したという。(出典)
    アメリカのスポーツカーの主流は、大柄な車体にハイパワーなV8エンジンを載せたマッスルカーです。V8はほとんど信仰と言ってもいいほどの強い支持があります。これは大排気量でとにかくガソリンをたくさん消費して、パワーで押し切ってスピードを出す、というものです。「ワイルドスピードX2」に悪役(?)として登場するシボレー・カマロSSや、ダッジ・チャレンジャーがその典型で、両方ともエンジンはV8です。要するにこういったマッスルカーは、アメリカ社会の中心にいる白人男性たちのカーカルチャーの象徴なんですね。

     

    ▲シボレー・カマロSSとダッジ・チャレンジャー。V8エンジンを搭載する、アメリカンスポーツカーを代表する車種。ロングノーズ・ショートキャビンの典型的なデザイン。(出典)
    一方、外からやってきた移民は貧しく、こうしたスポーツカーを買うことは容易ではありません。でも人間、負けているところがあるからこそ、どこかでは勝ちたいと思うのは前回お話しした通りです。白人のマッスルカーに対抗するために、安くて高性能な車が求められ、そこで日本のスポーツカーが評価されたというわけです。日本のスポーツカーは、パワーで押し切るマッスルカーとは異なり、全体のバランスを整えてテクノロジーでパフォーマンスを引き出すという思想で作られているからなんですね。
    「ワイルドスピード」の劇中でも、スープラでフェラーリに勝つシーンがありますが、こうした小気味よさに、様々な人種の坩堝(るつぼ)であるアメリカの人々も共感したということでしょう。そういった意味で日本車はアンチ白人、アンチV8として、アジア系やラテン系の移民の感情移入の対象となったんです。
    マッスルカーがメインカルチャーだとしたら、日本車はサブカルチャー。アメリカにおける日本車のスポコン文化は、「バハバグ」の回でもお話ししたカウンターカルチャー的な意識に駆動されているんですね。

    ▲『ワイルドスピードX2』冒頭でレースを繰り広げる4人。ラテン系、韓国系、アフリカ系とバラエティに富むメンバーだが、乗っているのは全て日本車。(出典)
    スポコンが面白いのは、改造して速さを追求するだけでなく、競うようにして独特なセンスのグラフィカルなドレスアップが施されるようになったことです。まさに映画に登場するような、蛍光色に近いほどの鮮やかなカラーリングにド派手なステッカーが「スポコンらしい」デザインです。他にも巨大なオーディオユニットを入れたり、ネオン管やLEDで各部を光らせたり、実際の走りとは関係ない部分のカスタムもよく行われます。
    こうした独特の美学は日本にも逆輸入され、ひとつのブームになるほどの盛り上がりを見せました。これまでとは全く異なる文脈で日本車が評価されたことも面白いのですが、ドレスアップへの情熱は、速さを追求することとはまた違った、「魅せる」スポーツカーの魅力を物語っているように思います。

    ▲「ドレスアップカーマガジン」2005年4月号。上部に「SPORTS COMPACT」の文字がある通り、この時期はスポコン専門誌だった。ブーム全盛の雰囲気が感じられる。(出典)
    ■ドリフト:「追い抜く」走りから「魅せる」走りへ
    そして、日本産スポーツカーのこうした「魅せる」という側面を象徴するのが「ドリフト」という文化です。
    「ワイルドスピード」シリーズの3作目は、とうとう日本で、しかも東京で撮影されることになりました。それが『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT(原題:The Fast and the Furious: Tokyo Drift)』です。これはその名の通りドリフトをメインに据えた映画になっており、俗に「ドリ車」と呼ばれるドリフト仕様の日本車が多数登場します。

    ▲『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT』(2006)(出典)
    これまでのシリーズでは、主人公たちはひたすらにスピードを追求していました。「TOKYO DRIFT」でも基本的には同じなのですが、それに加えて、ドリフトの美しさを追求しようとする姿が描かれています。

    ▲映画に搭乗する「ドリ車」、日産・シルビア。「ドリフト界のモナリザ」と呼ばれる。劇中では序盤で廃車になる。(出典)

    ▲同じく映画に搭乗するマツダ・RX-7。外装にも手が加えられ、一見RX-7がベースとはわからない。人気を博したため、続編にも登場する。(出典)
    ドリフトというのは、コーナーで敢えてタイヤ(主に後輪)を滑らせることで高速走行するテクニックです。これによってより速くコーナーを脱出できたり、小回りを利かせてきついカーブをクイックに曲がります。もともとラリーなどで広く使われていたのですが、80年代の日本で、いわゆる「走り屋」と呼ばれるストリートレーサーたちが、タイトなカーブが連続する峠道をより速く走るために、高度に技術が発展していきました。『グランツーリスモ』『リッジレーサー』などのレースゲーム、もしくは『頭文字D』のような走り屋漫画が好きな方であれば、よくご存知かと思います。

    ▲しげの秀一『頭文字D』。「走り屋」を描いた代表作。ドリフトの描写も多い。(出典)

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  • ソーシャル時代のコンシューマーゲームと新世代ハードの応答〜『デモンズソウル』『ダンガンロンパ』『P.T.』〜(中川大地の現代ゲーム全史)【毎月第2水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.563 ☆

    2016-04-13 07:00  
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    ソーシャル時代のコンシューマーゲームと新世代ハードの応答〜『デモンズソウル』『ダンガンロンパ』『P.T.』〜(中川大地の現代ゲーム全史)【毎月第2水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.13 vol.563
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    今朝のメルマガは『中川大地の現代ゲーム全史』をお届けします。前回まではスマホゲーム全盛となった2010年代を分析してきましたが、今回はコンシューマーゲームとハードの最新状況がどのように推移していったのかを概観します。
    ▼執筆者プロフィール
    中川大地(なかがわ・だいち)
    1974年生。文筆家、編集者。PLANETS副編集長。アニメ・ゲーム関連のコンセプチュアルムックの制作を中心に、各種評論・ルポ・雑誌記事等を執筆。著書に『東京スカイツリー論』(光文社)。本メルマガにて『中川大地の現代ゲーム全史』を連載中。
    第11章 デジタルゲームをめぐる地殻変動/汎遊戯的世界への芽吹き
    2010年代前半:〈拡張現実の時代〉本格期(5)
    前回:スマホゲームの時代 「パズドラ革命」は何を変えたか〜『なめこ栽培』『LINE POP』『パズル&ドラゴンズ』〜
    ■グローバルかドメスティックか〜国産コンシューマー作品が歩んだ二つの道
     翻って、コンシューマー機でリリースされた国産ゲームソフトの側に目を転じれば、この時代に人気を集めた新規オリジナルタイトルには、大きく二つの傾向が読み取れる。
     一つには、海外で主流となっているゲームデザインや意匠テイストへと漸近していく「和製洋ゲー」化の流れである。すでに2000年代後半の『モンスターハンター』シリーズの時点で見受けられた傾向であるが、さらなる徹底を見せたのが、フロム・ソフトウェア開発のPS3向けアクションRPG『デモンズソウル』(SCE 2009年)および『ダークソウル』(フロム・ソフトウェア 2011年)のシリーズであった。

    ▲『デモンズソウル』(SCE 2009年)
     両作は、ただ時間を費やしてレベルを上げるだけでは勝てない、プレイヤー自身の技量の向上に大きく依存する高難度のアクション要素を妥協なく投入し、市場の成熟につれてひたすら〝ユーザーフレンドリー〟になる一方だったJ-RPGの傾向に真っ向から反旗を翻してみせる。ストーリーによる誘導ではなく、一般のMORPG等よりもあえて貧弱なコミュニケーション手段しかもたない一期一会のマルチプレイを通じて他のプレイヤーから攻略手段を学ぶというスタイルにも、本作のストイックなスタンスが顕れていた。その硬派な姿勢は、ハードなダークファンタジーを追求した世界観とも相まって、ソシャゲ登場以降の国内ゲーム全体のカジュアル化に辟易していたコアゲーマー層の支持の受け皿となり、テレビCMなど表だった宣伝のなかったタイトルながら口コミで支持を集めてロングラン型のスマッシュヒットへと化けたのである。
     さらに、従来ほとんど海外大作ゲームの謂であったオープンワールドを謳う国産アクションRPGとして、『ドラゴンズドグマ』(カプコン 2012年)がPS3および360向けに登場する。キャラクターの声優にも外国人俳優を起用するなど、一見して洋ゲーと見分けのつかないルック&フィールを持った本作は、全世界で累計200万本という、この時期の新規の日本製タイトルとしては異例のセールスを記録。『The Elder Scrolls V:Skyrim』(ベセスダ・ソフトワークス 2011年)のような、年季を重ねたオープンワールドRPGの定番シリーズの作り込み規模や世界的人気には遠く及ばないものの、巨大な敵に乗り移って攻撃したりすることのできるアクションゲームとしての秀逸さなどで独自性を発揮し、国内外の感性の差を一定程度埋めることには成功したと言えるだろう。
     もう一方では、アニメやライトノベル等の国内キャラクターコンテンツと徹底的に密着しつつ、クラシカルなジャンル表現を洗練させていったタイプのゲームからも、いくつか重要なタイトルが生まれている。とりわけ新しい世代のジュブナイル層に訴求したのが、『STEINS;GATE』(5pb. 2009年)や『ダンガンロンパ  希望学園と絶望の高校生』(スパイク 2010年)といった、テキスト中心のAVG系タイトルであろう。いずれも、2000年代までのノベルゲームや新伝綺ムーブメントなど、AVG発のエンタメ文芸で培われたトリッキーな作劇手法を高度に継承発展させた作品だが、前時代ならPCでのポルノゲームや同人ゲームからブレイクしていったタイプの作風が、はじめからメジャー向けコンシューマータイトルとしてリリースされるようになったわけである。

    ▲『STEINS;GATE』(5pb. 2009年)
     前者の『STEINS;GATE』は、音楽プロデューサーの志倉千代丸が企画原案を務める「科学アドベンチャー」シリーズの第2弾として、360版を皮切りに発売された。マッドサイエンティストに憧れる〝厨二病〟をこじらせた主人公が、偶然開発したタイムリープマシンで意識だけを過去に送れるようになるという仕掛けで、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』『ひぐらしのなく頃に』等で培われた「ループもの」のシナリオのさらなる洗練が追求されたことが、本作の特徴と言えるだろう。
     システム面では、一般的なノベルゲーム等とは異なり、携帯電話でのメールの送受信や通話の内容やタイミングによって自然なかたちで展開が分岐するという仕掛けにより、プレイヤーのリアリティに即した日常性と大がかりなSF的虚構とがいつの間にか接続していく世界観を醸成する。その上で、現実のスポットに取材した秋葉原を舞台に、CERNなどの実在の組織や人物名をアレンジしてシナリオの謎に絡ませたほか、さらに1980年代の架空の8ビットマイコンをキーアイテムと絡ませたり、「電器の街」から「オタクの街」と化した街の変貌を偽史的に改変したりする等、国内のゲームファン層の個人史とピンポイントに照応するエピソードをシナリオに濃密に盛り込んでみせた。こうして虚実の度合いをシャッフリングしていくリアリティレベルの巧みな操作により、本作はクラシカルなAVGタイプの作品でありながら、〈拡張現実〉的な現代性にアプローチすることに成功したのである。

    ▲『ダンガンロンパ  希望学園と絶望の高校生』(スパイク 2010年)
     後者の『ダンガンロンパ』はPSPで発売され、『バトル・ロワイアル』『Fate/stay night』等で00年代に隆盛した「バトルロワイヤル系」ないし「デスゲーム系」と呼ばれるクローズドサークル型の群像劇の類型を、『逆転裁判』を踏襲したケレン味あふれる法廷バトルの様式に接合してみせた変則ミステリーと言える。超高校級のフリーキーな才能を持った生徒たちが、閉鎖された学園内で邪悪なホスト「モノクマ」に誘導されて互いのコロシアイに追い込まれ、その犯人を学級裁判での議論で推理して当てて吊し上げ処刑していくデスゲームに巻き込まれるという骨格は、2001年にアメリカで登場し世界的なブームを引き起こしたパーティーゲーム『汝は人狼なりや?』(人狼ゲーム)のそれにも近い。こうした「ゲーム内ゲーム」を描くストーリーラインに加えて、学級裁判の中にシリアスな状況にそぐわない能天気なミニゲームを遊ばさせられるあたりの不条理さなどは、コンシューマーゲームの成熟時代を対象化する、本作のシナリオライター小高和剛の批評的な作家性を強く感じさせるものだ。
     こうしたゲーム史への批評性は、続編の『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』(スパイク・チュンソフト 2012年)ではさらに強烈に先鋭化され、第8章に取り上げた『moon』などにも通ずる「ゲームを遊ぶ」ことそれ自体のメタ的な捉え直しに至った作品群の文芸的な主題が、空疎な希望を寄せ付けないデスゲーム的なリアリティで同時代を生きる新世代のゲームファンたちに向けたメッセージを伴うかたちで、改めて問われていくことになる。
     以上のように、片や3DCGでのリアルタイムアクションをベースに、ローコンテクストなグローバルゲームを目指していく動きと、片や2Dキャラクターイラストと膨大なテキストをベースに、ハイコンテクストなドメスティックゲームを突き詰める動きとが両輪をなし、比較的熱心なゲームファンたちの嗜好の牙城となった。かくしてコンシューマーゲームのカルチャーは、一種の教養主義的な装いをも帯びつつ、かろうじて受け継がれていったと言えるだろう。
    ■ コンシューマー各機の〝撤退戦〟〜「Wii U」「PS4」「Xbox One」
     スマホゲームへの潮流を横目にするかたちで、2012年末には任天堂の「Wii U」、13年末にはSCEの「プレイステーション4」とマイクロソフトの「Xbox One」が発売。携帯型ゲーム機に続き、据置型コンソールゲーム機の代替わりも、相次いで進行する。いずれもまずは米欧圏をはじめとする世界での発売が先行し、日本国内での発売が後回しになったことで、世界のゲーム市場における日本の地位の相対的な凋落を人々に印象づけることになった。
     加えて、ソーシャルゲームやスマホアプリゲームへの潮流がますます強まり、据置機への注目がはっきりと失われていく中で、いかにモバイルゲームとの差異化を打ち出してユーザーの目減りを防ぐかという撤退戦的な課題が、とりわけ国内では強く意識されていた点もまた、この世代の機体の特徴と言えよう。
     そうした苦心の跡が、前世代機からの変化として特に見てとりやすいのがWii Uであろう。本機の最大の特徴は、コントローラー内にタッチスクリーン式の6.2インチ液晶ディスプレイや各種モーションセンサーを備えた「Wii U GamePad」にある。基本的な設計思想としては、「We」に由来したWiiに対して「You」のニュアンスを加えた製品名に象徴されるように、リビングの大画面テレビで家族や友人たちと場を共有できる体験に加えて、プレイヤー各自が自分だけのセカンドスクリーンを持つことで、マルチプレイゲームの戦略性を高めたり、テレビのない部屋でも同じゲームをワイヤレスに楽しめるようにするなど、家庭用ゲームの体験をよりパーソナライズする方向に拡張することを狙うものだ。

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  • 体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』 第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」にこそ部活の価値がある? ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.562 ☆

    2016-04-12 07:00  
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    体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』
    第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」にこそ部活の価値がある?

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.12 vol.562
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでは、体育学者・中澤篤史さんへの連続インタビュー第2回をお届けします。
    第1回では現代の体育全体の事情や、アメリカやイギリスの部活がどうなっているのかについて伺いましたが、第2回では、日本の部活が海外ではどう見られているのか、そして運動部活動が抱える本質的な問題点についてお話を伺いました。

    前回:体育学者・中澤篤史インタビュー『AmazingでCrazyな日本の部活』第1回:外国にも部活はあるの?
    ▼プロフィール

    中澤篤史(なかざわ・あつし)
    1979年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科准教授を経て、2016年4月より早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。専攻は体育学・スポーツ社会学・社会福祉学。主著は『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)。他に、『Routledge Handbook of Youth Sport』(Routledge、2016、共著)など。

    ▲中澤篤史『運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』青弓社、2014年
    ◎聞き手・構成:中野慧
    ■ 日本の部活は海外からどう見られているのか
    ――イギリスを含むヨーロッパでは、スポーツ選手の育成は地域クラブが担うという形式が一般的なんでしょうか? 
    中澤 はい、イギリスも含めて多くのヨーロッパ諸国では、学校の部活よりも地域クラブが盛んです。とくにドイツが典型的です。ドイツには「フェライン」(Verein)と呼ばれる地域クラブがあります。フェラインは学校よりはるかに歴史が古くて、街とともに誕生していることが多い。学校や企業とは独立した、地域の人々の生活に溶け込んだスポーツをする場所があります。
    ――そうすると、青少年のスポーツ文化と学校の人間関係は、日本のように紐付いていたりしないんでしょうか。
    中澤 ドイツの場合、長らく学校制度自体が午前授業で、午後は全部放課後というのが一般的でした。地域には学校の隣にクラブがあったりするから「紐付いている」と言えなくもありませんが、時間的には完全に分離している。友達関係も紐付いていないことはちょっと考えにくいですが、学年やクラスのようなまとまりでやっているわけじゃないので、その点では日本と違います。ただ、最近では「やっぱり学校でも鍛えたほうがいいかも」ということになって、14〜15時ぐらいまでは授業をやったりとか、「今まで放課後の部活ってなかったけど、やってみようか」という流れも出てきたようです。そのときの指導員は教師ではなくコーチを雇ったりもしますが、ともかく最近のドイツでは部活がちょっと芽生えだしたという状況です。
    ――先日、文部科学省が「部活などの日本式教育を輸出する」という取り組みを始めることがニュースになっていました。このニュースは日本国内ではポジティブにもネガティブにも捉えられていたと思うのですが、すでにドイツでは日本の部活の事例が参考として取り入れられ始めていたりするんでしょうか?
    (参考リンク)「日本式教育」輸出します 文科省、16年度に新組織 部活や掃除など、新興国にらむ:日本経済新聞
    中澤 いえ、まだほとんど知られていないと思います。日本の部活に対する海外からの反応だと、第1回で話したように「Amazing!」と驚きとともに賞賛してくれている声もあるんですが、一方でむしろ「Crazy!」と非難し批判する声もあります。たとえば、柔道での子どもの死亡事故は大きな話題になり、The New York Timesも、世界中に「日本の部活はこんなに人を殺しているのか!」と厳しく報道しました。2012年に起きた桜宮高校のバスケ部体罰自殺事件のときも、海外のメディアは「なぜ学校の教師が、生徒を自殺に追い込むまでの暴力を振るうんだ!」と厳しく報道しました。
     私が直接取材を受けたものだと、The Japan Timesという日本に住んでいる外国人向けの英字新聞の記者が「外人ママたちが日本の部活に困っているんです」と言っていました。「どこが困っているんですか?」と聞いたら「放課後、夏休み、春休み、冬休みもずっと部活。休みでやっと家族で過ごせると思ったら、毎日部活で子どもが出かけてしまう、部活って何なんですか!?」ということらしいです。その記事のタイトルは「部活は親を困らせている All-consuming school clubs worry foreign parents」というものでした。
    (参考リンク)All-consuming school clubs worry foreign parents | The Japan Times
     部活があることは、一方で、「気軽にスポーツをするチャンスを与えている」という点で良いし、外国人も褒めてくれる。しかし、それに喜んでばかりもいられない。もう一方で、これだけ規模が大きくなって強制的に行わせることになってしまったり、さまざまな問題が山積してくると、やはり悪い部分があるし、外国人はそこも見ています。本インタビュー記事のタイトル通り、「AmazingでCrazyな日本の部活」というわけですね。
    ――ただ、保護者からしたら程度の問題はありますが、部活によって「助かっている」部分もあるような気もするのですが。
    中澤 実際、日本の保護者にとっては、部活で「助かっている」部分はあります。2000年に文部省がスポーツ振興基本計画を作ったとき、「土日は部活をやめましょう」という案も議論されました。週休2日制の段階的な施行と合わせて、学校だけが子どもの居場所になるのではなく、家庭や地域にも開いたゆとりのある生活にしていくことを目指して、土日の部活を禁止にしようとしたわけです。しかし、反対したのが保護者でした。「土曜にまで家にいられちゃ困ります。ウチの子たちはもっと先生たちに部活で鍛えてもらわないと困るんです」と。
     教師にとっても部活は、「負担はあるけど、やはり必要」でした。教師が部活指導に熱心の取り組んできた実践上の理由は、生徒指導のためです。もし部活が無くなってしまうと、生徒は非行に走るんじゃないか。放課後に良からぬことに巻き込まれたり、ゲームセンターにたむろしてトラブルを起こすんじゃないか。だったら生徒は部活に一生懸命になった方が良い。学校にとって生徒指導にとって部活は必要だ。だから負担はあるけど、教師は部活を指導しようじゃないか。というように、部活指導を生徒指導の一環として意味づけてきたから、教師は部活にかかわってきました。部活を地域に移行すべきと喧伝されながらも、結局は学校が抱え込むことになってしまったのは、そういう背景があります。
    ■ 全国大会なんていらない?
    ――第1回でも触れたアメリカと日本との比較という点で気になったことがひとつあります。元セントルイス・カージナルスの田口壮さんが著書『野球と余談とベースボール』のなかで、「アメリカにいると『日本って高校野球の全国大会があるんでしょ?それってすごくうらやましい』と言われるんだ」と書いていらしたんですね。
    中澤 アメリカでは高校段階でどの競技も全国大会がなくて、州大会が最高レベルです。そのように規制されています。お金がかかるし、大変だし、高校生なんだからそこまでしなくていい、という理由です。
     他方で、日本では、高校生はもちろん、中学生も全国大会を行っています。昨年、北海道で開催された中学校の全国大会である「全中」を視察してきました。北海道開催と言っても、種目ごとに地域はばらばらで、私は帯広でサッカーの全国大会を見て、札幌で陸上の全国大会を見て、旭川でバレーボールの全国大会を見てきました。それぞれたいへん盛り上がっているし、生徒にとって大きな目標になっています。でも実は、日本でも1960年代ぐらいまで、中学生の全国大会は禁止されていました。理由はアメリカと同じように、お金がかかるし、大変だし、中学生なんだからそこまでしなくいい、と。当時から高校生は全国大会をしていたわけですが、中学生には全国大会はまだ早い、という教育的な配慮があったわけです。
    ――野球の甲子園も最近、大会期間中の選手たちの滞在費が問題になっていたりしますね。あとは例えば「わざわざ8月の一番暑い時期に開催するのはどうなんだ」という疑問も上がっていたりしますが、8月に開催するのは学校が夏休みで全国的に集まれるから、というのが理由ですよね。
    中澤 はい、全国大会への出場には、交通費や滞在費の問題があります。たとえば甲子園出場が決まったら、それぞれの高校がOBや保護者や地域から寄付金を集めることが慣例となっています。結局、その寄付金に頼って大会が成立しているので、成立基盤が危うい。
     アメリカでも交通費や滞在費や日程の問題は同じですが、その問題解決のために、民間のスポンサーをつけたりします。部活の商業主義化です。たとえば、バスケットボールの強豪チームがあったとする。そのチームには観客やファンも多いから、バスケットボールのグッズを展開している会社にとって、恰好の広告宣伝材料になります。すると、ユニフォームやシューズを用意するかわりに、そこに企業ロゴをつけてもらって宣伝する、といった契約を持ち込んできます。極端なケースになると、長距離遠征用の飛行機まで用意する企業も出てきたようです。で、チームが強くなって大会で優勝したりすると会社も喜ぶんですが、もし負けたりしたら、すぐ撤退して別のチームのスポンサーに移る。そうすると、部員や保護者から「スポンサーがいてしっかりお金をかけてもらえるから、この高校に入ったのに、話が違うじゃないか」と怒りの声が寄せられる。さらに怒りの収まらない生徒や保護者は、その高校を辞めて資金の潤沢な別の高校に転校したりすることもある。もしくはコーチが選手を連れて移動したりする。お金を求めて彷徨い歩く、みたいなこともあるようです。
    ――日本でも高校や大学のスポーツ選手に企業が用具提供をしたりしていますが、アメリカではそれがさらに極端になっているんですね。
    中澤 いわゆる商業主義の弊害です。教育的にどうなのかも含めていろんな問題が起きていると指摘されています。さらに言うとお金の問題だけではなく、アメリカではドーピングの問題も根深い。たかが部活でそこまでして勝ちに行くのかと驚きますが、高校の州大会に出て勝ったりすると、奨学金を貰いながら大学に進学できたりもするので、生徒や保護者にとっては人生を賭けた闘いにもなっています。そこに大人たちのいろんな思惑が絡んだりして、闇の深い世界といえるかもしれません。だからアメリカでも「教育の側から商業化を規制しよう」とする意見があります。
    ――PLANETSにもときどき出てくださっているライター/リサーチャーの松谷創一郎さんが昨年夏に、Yahoo! 個人の記事で夏の甲子園の日程分散案を提案していました。甲子園ではそもそも入場料がとても安く、一番高いバックネット裏ですら2000円で、外野席は無料で入れたりするんです。それは安すぎるから少し値上げをして、余った収益の分を滞在費に回そうというものです。
    (参考リンク)高校野球を「残酷ショー」から解放するために――なぜ「教育の一環」であることは軽視され続けるのか?(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
     この松谷さんの提案はとても意義のあるものだと思うのですが、一方でこういった「商業化」に対して運営主体の高野連(高等学校野球連盟)は頑なに抵抗し続けています。たとえば高校球児の使う用具には強い規制をかけていて、スポーツメーカーのロゴが大きく表示されているものは禁止だったりします(甲子園のテレビ中継などでロゴが大写しにされたときに「広告価値」が生まれてしまうため)。なのですが、高野連も戦後日本の教育理念に強い影響を受けていて、「商業化」の負の側面を警戒しているとすると、彼らが商業化を拒否するのも理解できないでもないですね。
    中澤 アメリカの場合、お金は重要問題で、同級生や保護者が学校のスポーツチームの試合を見に行くにのにも入場料を取る場合があります。また保護者会も、寄付金を集めたりして、観客席を整備したり、優秀だけど経済的に恵まれない子に独自の奨学金を与えたりしています。部活でお金を集めること自体がひとつの論争点になるのですが、もうひとつの論争点は「集めたお金をどう使うか」です。もし、みんなが納得できるいい使い方があるならば、日本でも「部活でお金を集める」ことは一つの手段として議論されてもよいかもしれません。
     他方で、お金を使わずに大会はできないかを考えた時に、過去の日本に面白い事例があります。先ほど、中学生の全国大会が禁止されていた時代について触れましたが、実は当時から陸上競技連盟や水泳連盟は全国大会をしたがっていました。1964年に東京オリンピックが開催されることになって、ぜひともメダルを獲れる選手を育成したかったからです。しかし、全国大会は禁止されている。では、どうしたか。陸上競技連盟は、全国のNHKに協力してもらって「放送陸上競技大会」を開催しました。各都道府県の競技場に生徒がそれぞれ集まって、「よーい、ドン!」で走る。その記録を集めて東京で集計して、「全国一位は栃木県の◯◯君でした」というランキングを作りました。水泳連盟は、全国の朝日新聞社に協力してもらって「通信水泳競技大会」を開催しました。これも同じように都道府県のプールの会場で「よーい、ドン!」で泳いで、各都道府県の記録を集めて、東京でランキングを作りました。陸上や水泳は記録の勝負なので、サッカーや野球みたいに相手が目の前にいなくても大会ができる可能性があります。実はこの方法は、国土の広いアメリカでも採用されていたりしています。交通費や滞在費などのお金をかけないで大会を開催する、ひとつのやり方です。しかし、そんな時代もあったけど、「やっぱり人を集めてしよう」ということになって、70年代以降、全国大会は中学校レベルでも行われるようになって今のかたちに落ち着いています。
    ――もしかしたら、今ぐらい通信技術が発達した時代であれば、ホログラムなどの立体的なテクノロジーを使って遠隔地をつないで全国大会をやるということを検討してみてもいいかもしれないですね。これは本誌の『PLANETS vol.9』で猪子寿之さんが提起されていたホログラムによる体感型オリンピック構想や、犬飼博士さんの「スポーツタイムマシン」の議論とも繋がってくる気がします。
    ■ 教育的理念が抜け落ちたいまの部活
    ――日本のスポーツ文化には、「部活」というものが大きな影響を与えていますよね。そんな中で、今は「ブラック部活」と言われたりもしますが、生徒の側は拘束時間が長すぎて他の活動ができなかったり、体罰やセクハラに遭ってしまったりすることが問題視されています。その一方で、教師も大きな負担を抱え込むことになっている。教師は通常の授業準備・運営や校務に忙殺されているなかで、さらに放課後や休日に部活の指導にも携わっても、わずかな手当しか支給されない。そういう従来の在り方を見直すべきだ、というわけですが、こういった問題についてはいかがですか。

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  • 月曜ナビゲーター・宇野常寛 J-WAVE「THE HANGOUT」4月4日放送書き起こし! ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.561 ☆

    2016-04-11 18:00  
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    月曜ナビゲーター・宇野常寛J-WAVE「THE HANGOUT」4月4日放送書き起こし!
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    2016.4.11 vol.561
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    大好評放送中! 宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。前週分のラジオ書き起こしダイジェストをお届けします!

    ▲先週の放送は、こちらからお聴きいただけます!


    ■オープニングトーク
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。みなさんこんばんは。松岡茉優さん、初回の生放送、本当にお疲れ様でした。これから毎週、仕事前に松岡さんの声が聞けるなんて! もうこんなに幸せなことはありません。自己紹介が遅れました、私、評論家の宇野と申します。評論家である以前にあなたの大ファンです。……ちょっと、いま僕、投げキッスもらいましたよ! うわー、J-WAVEに来て今までで一番嬉しかったかもしれない(笑)。これから毎週よろしくお願いします! いやー、ラジオナビゲーターって意外といい仕事だったんだね。なんか、ちょっと感動しています。僕は今、松岡さんにガラス越しの投げキッスをもらって確信しました。リスナーのみんなはもらってないでしょ? 僕はもらってるからね。だから150%わかりました。松岡茉優の一挙一動が表現する美しさは、確実に僕が書く文章1万字以上の情報力と説得力がありますね。もう、あなたの美しさの前では、普段の僕が何をやっているかなんてどうだっていいことですよ。
    僕が最初に松岡さんを意識したのは、みんなそうだと思うけれど『桐島、部活やめるってよ』ですね。そのときは「あっ、この子うまいなー」ぐらいに思っていたんだけれど、その後『あまちゃん』で再会して、そして『限界集落株式会社』でもう心を掴まれました。『限界集落株式会社』が放映していた時期って、『問題のあるレストラン』も放送されていたじゃないですか。僕は東新宿のすしざんまいをたまり場にしていて、30代の既婚男性、および一部バツイチ男性で毎週のようにいろいろと話をしているんですが、あるときそこで「もし付き合うなら、二階堂ふみちゃんか、高畑充希ちゃんか、それとも松岡茉優ちゃんか」という、今世紀最大の難問について朝まで議論になったんですね。もちろん僕が急進的「松岡茉優」原理主義者として熱弁をふるったことはもう言うまでもないですね。そんな松岡茉優原理主義者であるところの僕と、その松岡さんが、こうやって月曜日の夜に出会う。これはね、まあ運命ですよね。というか、これを運命と呼ばずしてなんと呼べばいいのか、僕は本当にわからない。


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  • 【緊急対談】石川善樹 × 安宅和人 人間は臨死体験せずに根性論を突破できるのか? 前編 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.560 ☆

    2016-04-11 13:55  
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    ※本記事は、配信時に編集部の校正ミスにより、不正確な記述がありましたことをお詫び申し上げます。【4月11日13:30訂正】
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    【緊急対談】石川善樹 × 安宅和人人間は臨死体験せずに根性論を突破できるのか? 前編
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.11 vol.560
    http://wakusei2nd.com


    今朝は、先日終了した人気連載「〈思想〉としての予防医学」著者の石川善樹さんと、『イシューからはじめよ』著者にしてヤフー・ジャパンCSO・安宅和人さんの対談記事をお届けします。
    ビジネスと学術を股にかけて活動する気鋭の二人が語り合うのは、日本社会にはびこる「根性論」の撲滅について。対談の前編では「そもそも私たちは根性が好きなのだ」という仮説から始めて、その具体的な解決策を論じていきます。
    ▼プロフィール

    安宅和人(あたか・かずと)
    ヤフー株式会社チーフストラテジーオフィサー。データサイエンティスト協会理事。応用統計学会理事。東京大学大学院生物化学専攻にて修士課程修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経化学プログラムに入学。2001年春、学位(Ph.D.)取得。ポスドクを経て2001年末、マッキンゼー復帰に伴い帰国。マーケティング研究グループのアジア太平洋地域における中心メンバーの一人として、飲料・小売り・ハイテクなど幅広い分野におけるブランド立て直し、商品・事業開発に関わる。2008年9月ヤフー株式会社へ移り、COO室長、事業戦略統括本部長を経て2012年7月より現職。幅広い事業戦略課題の解決、大型提携案件の推進に加え、市場インサイト部門、Yahoo! JAPANビッグデータレポート、ビッグデータ戦略などを担当。著書に『イシューからはじめよ』(英治出版)がある。

    石川善樹(いしかわ・よしき)
    (株)Campus for H共同創業者。広島県生まれ。医学博士。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして学際的な研究を行う。専門分野は、行動科学、マーケティング、計算創造学、計算社会科学等。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。著書に『疲れない脳をつくる生活習慣』、『最後のダイエット』、『友だちの数で寿命はきまる』(マガジンハウス)など。
    ◎司会:宇野常寛
    ◎構成:稲葉ほたて
    本メルマガで連載していた『〈思想〉としての予防医学』これまでの記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:「幸福」を再定義するための覚書(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第十回)
    宇野 今日は石川さんと安宅さんのお二人に「日本社会にとっていかに根性論が有害であり、いかに撲滅すべきか」を徹底的に討論していただきたいと思っています。きっかけはある新年会での雑談なのですが、僕はお二人の話を伺っていて、これは日本の起業社会批判であると同時に、知的生産の効率を突き詰めていくと、どうも僕達が前提にしている人間観や知のイメージ自体の大幅な修正を要求するような、大きな話につながるように感じました。
    そこで改めてお二人に対談をお願いした次第ですが、話の取っ掛かりにしたいのは、安宅さんが『イシューからはじめよ』の帯に「根性に逃げるな」と書いていることなんですよ。まず、安宅さんが「イシュー本」を書くときに、根性論をひとつ標的に定めようと思った理由を聞いてみたいんですね。
    安宅 こと仕事という観点で、なぜ根性論がそんなに嫌なのかという話をするなら、やっぱり労働時間で勝負しようとするようになるからですね。で、根性があったからアイツは成功したんだ、みたいな言い方が世の中にまかり通っている。
    これの何が良くないかというと、実際に根性出して頑張ると、成功してしまうんですよ(笑)。
    ただ、そういう人たちはだいたい一度は身体を壊している。で、身体を壊したところで、はたとマズかったと気づく(笑)。逆に気づかなかった人は成功していません。つまり、成長したのは根性でやっていたからではなくて、途中で「あれ、もしかして重要なのは根性じゃないのかな?」と気づくことにあるわけです。大事なのは、根性を出して頑張る過程で気づくことにあるんです。
    石川 なるほど。
    安宅 でも、それって実にバカバカしい話だと思うわけですよ。
    あともう一つ言うと、根性論というのがあんまり役に立たないというのもあるんですよ。例えば、この国の人は習い事が好きですよね。なんとか検定とか。
    石川 まさに資格なんて根性論の最たるものだと思いますけど、本当に日本人は好きですよね。休日にカフェに行くと、資格の勉強をしている社会人が実に多い。
    宇野 サラリーマン時代、勤めていた会社の近くにある本屋に、昼休みなんかに行くじゃないですか。そうすると、近所の金融機関に務めているOLたちが、制服を着たまま思いつめた表情で語学のコーナーにいるんですよ(笑)。
    たぶん彼女たちは、なにか変わった自分になりたくて、とりあえず価値のあることをやろうと思った結果、その語学勉強テキストのコーナーにいたんだと思うんです。でも、本当にそうだったら、そんな語学や資格のコーナーになんていないで、むしろその周囲にある本をもっと立ち読みすればいいのに、と当時の僕は思っていましたね。
    安宅 僕が出席している集まりでも、とにかく「データサイエンティストの資格化はできないだろうか」みたいな話が繰り返し出てきます。ただ、例えば10億単位のデータの環境を構築する、あるいはそのレベルのデータをキレイにする、これらを使って意味合いを出す、というようなスキルが、試験で分かると言うのはいくらなんでも難しい、と思うのです。そもそも能力を見るために、特別な環境とデータハンドリングにかなりの時間が必要なスキルですので……。
    石川 結局、資格の勉強って、いま自分が着実に前に進んでる感じがあるんじゃないですかね。
    安宅 ですね。それはわかります。
    ■ 人間はなぜ根性論が好きなのか
    宇野 でも、今の話は、今日の「根性論」の話の結構重要なポイントなんじゃないでしょうか。
    そもそも根性論を撲滅するためには、なぜそれが世の中にこれほどはびこっているのかを考えなければいけないと思うんです。それで言うと、どうも僕が見るに「根性論」には、独特の快楽があるんですよ。
    つまり、イシュー本で安宅さんが「犬の道」と呼んだような道を人々が歩くのは、適度に刺激や負荷がかかった状態で、ダラダラと同じことを反復するときの、あの“ぬるま湯”に浸かるような麻薬的な快楽があるというのが大きいんだろうと思うんです。まずは、そこから議論を始めるべきなんじゃないかと思いますね。
    安宅 そういう側面はあると思います。
    特に日本人にそういう傾向があるのは、一つは幼少時の教育ですね。結果じゃなくて努力を褒めるように指導する教育論があるでしょう。もちろん、教育学的に正しい面も多々あると思いますが、あれをやられすぎると「何かをやること自体に価値がある」という価値観に近づいていくんです。
    宇野 でも、それはいわば工業社会下において、そういう教育が最適解だったからという話でしかない気もしますね。むしろ、今後の社会に対応した教育をしていく中で自然に解消していくような気もします。
    石川 もう一つ、そこに「レールの議論」というのもあるんだと思います。
    日本という国は社会にレールを敷いているじゃないですか。そこに乗れば、20年学んで、40年働いて、その後20年休めばいい、という安全な人生が一つあるわけですよ。その世界観の中では、人生は一本の細いレールであって、その上で努力しさえすればいい。
    でも、そのレールから外れたらヤバイことになる。どのくらいヤバイかというと、Googleで「日本 レール」と調べると、サジェスチョンに「外れる」と出てくるんです(笑)。
    一同 (笑)
    宇野 鉄道関係を検索している人よりも、それを検索する人のほうが多いってことですよね(笑)。
    安宅 マシンラーニング(機械学習)の結果にそれが現れているというのは、実に暗い結果ですね(笑)。
    ところが、本当は色々なレールが人生にはあるわけですよ。
    よく僕は事業戦略の講義なんかをやるんですが、そこで「戦略なんて手段にすぎないのであって、目的地に行く方法なんていくらでもあるんだ」と言うと、みんなビックリする。
    でも、そんなのは当たり前の話でしょう。人生だって同じことだと思うのだけど、「目的地に向かうレールは何本もあってもいい」という発想が出てきにくい社会になっているんでしょうね。でも、これは(かつて10年あまり過ごした)マッキンゼーのような会社のヒトでも、そういうところがありましたからね……。
    石川 前に映像作家の蜷川実花さんと話したときに、「数学なんて0点だったし、勉強なんてしたくなかった」と言っていたんですよ。ところが、話している最中に彼女が「私、今日息子に怒っちゃったんです」と言うから、理由を聞いてみたら「公文式をちゃんとやってないから」と言うんです(笑)。
    安宅 あなた、自分が数学は0点だったと言ってたじゃないか、と(笑)! ちなみに僕、蜷川さんの写真、大好きです。
    石川 彼女はアーティストして大成功した人ですけど、その道がいかに険しい道であるかもよくわかるわけです。周りの人がどんどん落ちていった姿も見ていたわけですし。そのときに、子供には「やっぱ公文やらせた方がいいのかな」となったんだと思います(笑)。やっぱり蜷川さんほどの人でも、レールから外れてアーティストの道を行ったあげくに、そこで失敗してしまうことには怖さがあるということだと思うんです。そのとき、レールに上手く乗って、あとは根性で努力を積み重ねるのが確実だという発想になったのだと思うんですよ。
    安宅 まあ、人間は無意味な時間を過ごしたくないというのはあるんです。
    そういう意味では、ちょっとずつ確実に前に進んでいる幸せというのはありますよね。真剣に考えれば、この場所に真っ直ぐ向かうことに価値があるという場合でも、なんとなく目の前の遠回りの道をコツコツ歩む、あるいは実はゴールから離れていく道を、そのことを意識することなく進んでいくことを選んでしまう。
    石川 遠くに目標を置くのは、人間は苦手ですからね。
    ■「根性論」の歴史学
    石川 少し歴史的な話をすると、「根性」という概念が初めて登場したのは近代のイギリスなんです。
    というのも、19世紀までの世界はほとんどが田舎で。田舎では「根性」よりも「規範に従うこと」の方がよっぽど大事だったんですね。根性論に通ずるような努力の概念は、そういう場所では生まれないんです。ところが、産業革命が起こって、都市が生まれると状況は変わってくる。
    都市というのは「頑張った者勝ち」の世界なんですよ。そうなると、人間は「規範」から抜け出して、そこで相手を出し抜こうとする。そういう状況下で登場したのが、サミュエル・スマイルズの『自助論』という本です。この『自助論』には偉人たちが300人ぐらい出てくるのですが、彼らが偉人になった理由の説明は、すべて「頑張った」から(笑)。
    安宅 (笑)
    石川 例えば、「どうしても朝起きられなかった人が、召使いに毎朝水をバシャーっとかけて起こしてもらうようになって、それで朝活の勉強を頑張ることで偉くなった」とか、もうそんな話ばかり(笑)。ちなみに、この本は日本にも『西国立志編』という題名で訳されて、明治時代の『学問のすゝめ』と並ぶ二大ベストセラーになっています。これはいわば日本人の道徳の教科書になった本でもあって、スマイルズの根性論は直接的に日本にも届いているんですね。
    安宅 でも、それって平和な時代の思想でしょう。
    頑張ればなんとかなるように道が見えているときは、それでもいいですよ。正しいあり方が一個しかないときは、まさに「頑張れ」で行けるんだと思うんですよ。でもイノベーションが起きて、変化が起きていく時代には、そういう発想は通じないでしょう。万単位のデータ処理がスプレッドシートで一瞬ででき、人工知能が高速で情報の自動処理をしていく時に、丁寧に人手で頑張っても勝ちようがないというか。
    石川 まさに、そうなんです。その意味で、この「根性論」のマズさに最初に気づいたのは旧ソ連でした。
    ナチスドイツの「スポーツ」「セックス」「スクリーン」という3Sがあって、国家の威信のためにスポーツを頑張るという文化が国際的に広まってから、かなりの長いあいだ「長時間、一生懸命練習して、たくさん競争すれば強くなる」というパラダイムが続いていたんです。でも、それをやると、けが人や燃え尽きる人が続出するんですね。
    そこで旧ソ連では1950年代に「スポーツサイエンス」の分野を始めたんです。そこで彼らが発見したのは、トップアスリートとそうでない人の違いは、実は根性論でストレスをいかにかけるかにはなくて、むしろ「リカバリー」の仕方にあるという事実だったんです。
    たとえばテニスって、一試合のうち実際にプレイしている時間は35%ぐらいなんですよ。
    安宅 残りの65%はなにをやっているんですか?
    石川 ポイントとポイントの間で、次のプレイの準備をしてるんですよ。
    そして、その間が実は一番長いんですね。そして、トップランクとそうでない人の違いは、このポイントの間にうまくリカバリーできているかなんです。ポイントで一喜一憂するのは仕方ないとして、どうやって元に戻るのか。そこでリカバリーのルーティンを持っている人は強いんです。
    宇野 なるほど。
    石川 たぶん、これって仕事でも同じなんですよ。我々が実際に仕事をしている時間も短くて、実は次の仕事をするための準備の時間のほうが長いでしょう。だからこそ、仕事の疲れのリカバリーをそこできちんと取っている人はパフォーマンスが高くなっていく。
    安宅 実際のところ知的ワークだと、いっぱい休んでいて、何に時間を使ってるかわからないヒトの方が生産性が高かったりするのはザラですよね。逆に、朝から晩まで働き詰めのタイプのヒトが知的にプロダクティブなのは見たことないです。

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  • 【特別対談】落合陽一×田川欣哉 〈人間〉という殻を脱ぎ捨てるために(後編) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.559 ☆

    2016-04-08 07:00  
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    【特別対談】落合陽一 × 田川欣哉 〈人間〉という殻を脱ぎ捨てるために(後編)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.8 vol.559
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは、takram design engineeringの田川欣哉さんと『魔法の世紀』で知られるメディアアーティスト落合陽一さんの対談の後編です。デジタルネイチャーの到来によって、私たちの社会と価値観はどのように変容するのか。統治機構や経済の脱人間化から、情報技術の発達が生み出す新しい自然観・宗教観まで、来るべき世界のビジョンを徹底的に語り合います。

    【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
    ☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
    (紙)http://goo.gl/dPFJ2B/(電子)http://goo.gl/7Yg0kH
    取り扱い書店リストはこちらから。http://wakusei2nd.com/series/2707#list
    ▼プロフィール
    田川欣哉(たがわ・きんや)

    ハードウェア、ソフトウェアからインタラクティブアートまで、幅広い分野に精通するデザインエンジニア。主なプロジェクトに、トヨタ自動車「NS4」のUI設計、日本政府の「RESAS-地域経済分析システム-」のプロトタイピング、NHK Eテレ「ミミクリーズ」のアートディレクションなどがある。日本語入力機器「tagtype」はニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定されている。東京大学機械情報工学科卒業。英国Royal College of Art修了。LEADING EDGE DESIGNを経て現職。2014年より英国Royal College of Art, Innovation Design Engineering客員教授を兼務。
    落合陽一(おちあい・よういち)

    1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
    音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞その他国内外で受賞多数。
    ◎司会:宇野常寛
    ◎構成:神吉弘邦
    前回:【特別対談】落合陽一×田川欣哉 〈人間〉という殻を脱ぎ捨てるために(前編)
    ■ テクノフォビアと訣別せよ
    落合 この前、電車の中でぼおっと、交通事故について思考実験してたんです。自動運転のクルマ同士がぶつかるんですよ。そこへお巡りさんが「じゃ、ちょっと現場を物証しまーす」ってやって来る。「ログデータ見ないとわかんねーな」って、「ログを出してください」って言うんですよ、2台の自動車に(笑)。
    で、ログを出してもらうんだけど、それでも分からないから「説明してください」と。「5ミリ秒でここにぶつかりました」「で、こっちのオートシステムが作動しなくなったので当たっちゃいました」みたいなやりとりがあって。「ああそうですか!」ってその通りに調書作ってたら、警察機構の検証なんて存在しないのと一緒ですよね(笑)。
    田川・宇野 (笑)。
    落合 自動運転車同士の衝突を想定すると、警察機構が形骸化するんですよ。その辺りから、世間の人々はやっとひずみに気が付くんだと思う。「じゃあ、お巡りさんって一体何のためにいたんだろう?」って。
    田川 調停者(笑)。
    落合 そう、調停者だった。でも、お互いの言い分が食い違わない世界が存在していて、タイムスタンプが押されたデータを交換し合って、「センサーデータはそう反応していた」だけで問題が解決するようになったとき。
    その世界における巡査のおじさんの気分って、「自分って関数だな」って思う以外ないですよね。
    田川 結局これまでは、人間の振る舞いを機械側が捕捉しきれなかったんだと思うんだよね。例えば「入浴」にしたって、人間って変なこといろいろやるよね。コンピュータ側が人間の多様な振る舞いを捕捉しつくして、理解しにかかってるのが自動運転とかなんだよね。そこでは必ずインとアウトが対応してくる。
    落合 関数から出力されたものを関数に入力するループが形成されると新しい関数が生まれるに決まってる。
    田川 そう。関数の処理がステップで進んでいく過程を受け切る体勢が、機械側でセンシング的にもアクチュエータ的にも担保され始めると、人間の関数化って一気に進むと思うんだ。
    落合 それは超進みますよね。人間はもうデジタルネイチャー化,脱構築化するんだろうなと思うよ。でも、それって幸せなことですよね。「奴隷の世紀」ではなく「魔法の世紀」って名づけることが重要なのであって、ようは心の持ちようの問題なんですよ。本当に「魔法化」っていう言葉が嫌いな人たちがすごくいるんです。「魔法に覆われると人間は退化するんじゃないか」って。そりゃあ魔法使ってるだけの人たちは退化するに決まってんだろ!(笑)。でもそれでいいんじゃないかってことなのに。
    田川 そういう人を、英語で「テクノフォビア(テクノロジー恐怖症)」って呼ぶんだよ。講演会とかで話をしていると、よく「社会がそういう方向に進んでしまうことに不安はないのでしょうか?」とか言われるんだけど。
    そういうときにはちょっと意地悪に「じゃあ聞きますけど、あなた今、裸足で生活してますか?」と。「靴下と靴を履いている時点で人間機械系なんだけど、それに日々悩んでますか? 『祖先と比べると私の足裏はなんて退化してしまったのか』と日々嘆きながら暮らしていますか?」って言うとさ、反論できる人いないんだよね(笑)。
    宇野 それは反論できないですよね。
    田川 自動車が世の中に受け入れられていく過程で「馬なし馬車」と呼ばれたり、テレビが普及するときに家具調の箱の中に入れてみたり、これはテクノロジー恐怖症の典型的な現れですよね。
    僕の仕事でやっているのは、これから来るテクノロジーをどうやって社会に接続していくかで、そこにデザインの芽生えもあるはずです。
    ■ 人間中心主義のまやかし
    落合 2011年以降、デザインを巡る流れがガラッと変わったじゃない。ちょっと外れたアーティスティックなデザインで評価されていた時代が終わって、takramのようなデザインエンジニアリングに注目が集まるようになった。
    今は「デザイン」っていう呼称は本質的にはなくなっていて、ストラテジックなエンジニアリングが美学を持って現れたものを「デザイン」と呼んでいるだけなんだと思う。
    田川 『魔法の世紀』には結構デザインの話が書いてあるじゃない。デザインの歴史とか。
    落合 第二次世界大戦前後のデザインとか。
    田川 純粋に一読者としての興味なんだけどさ、落合くんの話を表層的に聞いていると「この人は人間に関心がなくて、機械にしか興味ないのかな」と思っちゃうよね。でも、デザインについて、あれだけ論じていることを考えると、そんな単純な話じゃない。落合くんの眼差しは、ピンポイントに一点に向かうというよりは、いろいろな分野を多方面的に見てると思うんだけど、本当のところどうなってるのかって気になるんだ。
    落合 コンピュータのことをやっていたら、生物がコンピュータにしか見えなくなってきて、それが面白いと思ってるんですよね。森羅万象わりと興味あるし、人間っていう非合理タンパク質機械には心惹かれます。
    田川 (爆笑)あぁ、わかったわかった。機械っていう動物園があったら、ヒト科ってのがあって、それはそれでなかなかいいものだ、みたいな話ね(笑)
    宇野 人間中心主義とはここ2、300年ぐらいの「流行」に過ぎない、みたいなね。
    落合 それまで自然と向き合ってきた人間たちって、そんなに人間中心主義ではなかったような気がするんですよね。
    田川 そう思うよ。人間中心主義なんて、完全に機械化の歴史と符号してるからね。「個人」って概念もそうだよね。民主主義の成立の過程で個人という感覚が芽生えたという歴史があるじゃない。
    宇野 工業化と市民社会の作った幻想が、カギかっこ付きの「人間」か……。
    落合 「人間」イコール映像、イメージの共有文化によって生み出され一人歩きした幻想ってことですよね。
    ■ 神が死に、今度は人間の番が来た
    宇野 恐らくリベラルアーツ的な訓練をしっかり受けた人であるほど、テクノフォビアの傾向が強いと思うんですね。それは間違いなく統治の問題が関わっている。
    人間機械系の発想でいくと、今の世の中で代表的なのが民主主義だけれど、それによる統治がうまくいかないのはほぼ明らかになってしまっている。文化的な装置で大衆の内面にアプローチして、熟議に耐えうる「市民」を養成するというビジョンが事実上破綻した今、さっきの自動運転の話のような機械人間系のアプローチの方が、統治の「効率」でいえば圧倒的にいい、という事実への評価ってまた変わってくると思うんですよね。賢い人ほど、薄々それがわかっているから怖いんだと思う。テクノフォビアって言い換えれば今までの自分をかたちづくってきた人間中心主義、民主主義、アート、「個」という幻想。この4点セットを根本から否定されてしまうことへのフォビア(恐れ)だと思うんですよ。
    田川 あらゆる思想や思考の土台が溶けちゃうような感じがするから、すごく不安にはなるだろうね。
    落合 たしかに。でも、歴史を知っていればそんなに怖くはないような気がするんです。だってコペルニクスが出てきて、キリスト教イデオロギーやばい! 俺たちどうやって思想と思考の土台を保っていこう?! ってなって、デカルトが登場して、ニュートンが登場して、みたいな話でしょう。
    田川 そうそう。そこまで引いてみるとね、そうやって人間って進化してきたはずなんだよね。
    宇野 逆にお二人に聞いてみたい。そのとき必要なのは、一度民主主義をちゃんと正面から否定した上で次を考えることなんじゃないかと思う。機械人間系の発想で考えると、全体の最適化はそれほど難しくない、だからいつヒトラーが大統領に選ばれるかわからない民主主義よりも、技術的な安全弁をあちこちにつけてマイルドな全体主義やっていく方がいいんじゃないか、って思想は良くも悪くも絶対に力を持ってくる。この問題に思想や文化の言葉の使い手はディストピアSF的な語り口でもいいから向き合うべきだと思う。「テクノロジーは時に人を不幸にする」なんて常識論をドヤ顔で言って満足していないで、自分たちの前提としている人間観のゆらぎ、社会観のゆらぎに向き合わないと誰からも相手にされなくなる。
    落合 うん、それはその通りだと思っていて。俺は最近トマス・モアにはまっているんですよ。トマス・モアはキリスト教が宗教改革に覆われていく時期の人で、彼の主著『ユートピア』はルターが95カ条の論題を出す直前に書かれた本です。ヨーロッパの歴史って、キリスト教が死んだことで人間中心主義になっていったんですよね。そのキリスト教が死にかけていたときの人たちは、なにを考えていたのだろうと。
    俺はデジタルネイチャー派として、今は「神」の次に「人間」が死にかけていると思ってる。そこでもう一度、過去に戻ろうとしているんだけど、それが宗教に行くのかネイチャーにいくのか、どっちなのかがまだ判別しきれていない。
    デジタルネイチャーまでいっちゃうなら、人間の自然観そのものが機械人間系に変わってしまうから、そうなったら俺たちは「機械様」とくっつくことなく離れることなく仲良くやっていけばいいし、むしろ変なルサンチマンは存在しない世界観になっていくと思うんですよ。

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  • 「英国型プラットフォーム」と2つのキャピタリズム――「プロデュース理論」で比較する日英のイノベーション環境(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第6回)【毎月第1木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.558 ☆

    2016-04-07 07:00  
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    「英国型プラットフォーム」と2つのキャピタリズム――「プロデュース理論」で比較する日英のイノベーション環境(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第6回)【毎月第1木曜配信】 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.7 vol.558
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは橘宏樹さんの連載『現役官僚の滞英日記』をお届けします。今回は、「知」の集積を中心とした「英国型プラットフォーム」の堅牢性を分析しつつ、イノベーションを起こしやすい環境を作り出すために必要な条件について論じました。
    ▼プロフィール
    橘宏樹(たちばな・ひろき)
    官庁勤務。2014年夏より2年間、政府派遣により英国留学中。官庁勤務のかたわら、NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。
    本メルマガで連載中の橘宏樹『現役官僚の滞英日記』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:僕たちは「シンギュラリティ」をどう迎えるのか? オクスフォードで出会った人工知能研究者・江口晃浩氏にインタビュー(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第5回)
    ※本稿の内容(過去記事も含む)に関して、皆様からのご質問や、今後取材して欲しいことを受け付けたいと思います。こちらのフォームまたはTwitter(@ZESDA_NPO)にお寄せいただければ、できるかぎりお応えしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

    ▲議会内で開催された国際女性デーを記念したイベントの様子。関連の各種国際NGO団体の活動家たちが一堂に会しています。主催者は壇中央の男性、トム・ブレイク下院議員(自由民主党)。
    こんにちは。橘です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。オクスフォードでは花々も綻び始めて、段々と暖かい日和の日も増えては来ていますが、まだまだ寒い日も多く、朝晩は冷え込みますし、4月も近いのにコートにマフラー、手袋が未だに手放せません。学校のほうは9週間の2学期があっという間に終わり、間もなくイースター休暇に入ります。多くの友達が、休暇や学位論文のフィールドワークのためにイギリスを離れていきます。ときに、日本ではクリスマスやバレンタインやハロウィンのように、イースターでも関連ビジネスが流行っていると聞いていますが、本当なのでしょうか(笑)?
    さて今回は、尾原和啓さんのプラットフォーム(「配電盤モデル」)という概念をお借りしながら、「インテレクチュアル・キャピタリズム(intellectual capitalism)」とも呼べそうなオクスフォード大学の知的活動を分析してみようと思います。
    さらにその上で「英国型プラットフォーム」の描写を試み、その内部で展開する「プロデュース活動」と「ソーシャル・キャピタリズム(social capitalism)」の存在を指摘したいと思います。これらの長所や日英のイノベーション環境の相違点を説明するために、「プロデュース理論」を考えてみました。プロデュース理論は、連載第10回で言及した「媒介者(カタリスト)」が果たす機能について詳述しつつ、システムの形に整理してみたものです(なお、インテレクチュアル・キャピタリズムもソーシャル・キャピタリズムも、いわゆる「お金」の資本主義(キャピタリズム)を補完する新概念としてすでに巷にある単語です。それらの定義は必ずしも一定していないと認識していますが、本稿での僕の用い方は一般的な用法から概ね外れていません)。
    よろず、いつにも増して覚束ないところが多々ある論考で、お恥ずかしい限りですが、試論としてご参考いただけましたら幸いです。
    その異業種交流会はなぜイケてないのか~オリンピックからイノベーションまで地下鉄4駅!?~(橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第10回)
    1.インテレクチュアル・キャピタリズム
    ■「配電盤モデル」としてのオクスフォード大学
    学期が終わって一息つくなかで、遅ればせながら、我らがPLANETSの連載から生まれた尾原和啓さんの『ザ・プラットフォーム:IT企業はなぜ世界を変えるのか』を読了しました。大変に明解でありながらも深遠な示唆に富む内容で非常に勉強になりました。本書において尾原さんは、プラットフォームを、参加者が増えれば増えるほど価値が増すもの(主にはSNS等のITサービス)であり、共通価値観によって運営されるものとして定義しつつ、「日本型プラットフォームの例として、リクルートの「B to B to C」サービスを提供する「配電盤モデル」の強みについて描写しておられました。
    これは、ホットペッパーやゼクシィ等の情報誌に広告を出す企業(サプライヤー)とユーザーの間に介在し、サプライヤーが増えれば増えるほどユーザーが増え、そしてユーザーが増えれば増えるほど、サプライヤーが増えるというループを回転させていくモデルです。そして、このループはユーザーの「幅」や「質」をも向上させていくことで、サプライヤーの増加をさらに加速させていきます。よって、持続的に儲かるビジネスモデルとして成立していくとのことでした。
    このモデルを大学教育に応用するならば、サプライヤーは学者・研究者、ユーザーは学生・一般市民に当たり、オクスフォードのような世界のトップ・ブランド大学にも、「配電盤モデル」のアナロジーが当てはまるように思われました。学生/研究者の幅と質が向上すればするほど、世界中から研究者/学生が集まってきます。共有価値観は探究心、好奇心、進取の気性、多様性、論理性などになるでしょう。
    ただし、サプライヤーとユーザーには既存の参加者側が設定する入学基準という質のフィルターがかかっており、同窓会はともかく現役の在籍者数に天井がある点では変則的かもしれません。
    また、大学というプラットフォームが「配電盤モデル」を運営して永続的に生み出しているのは、お金ではなく「知」だということが重要ではないかと思います。知とは、発想や解釈、テクノロジーなど人類にとって価値のありそうな情報です。オクスフォード編第2回でも触れたように、毎日毎日この街のそこかしこで異常な数のセミナーやイベント、フォーマルディナーが催されています。面白そうな催しが同じ時間帯に何件も重なり、もはや飽和していると言えるほどで、それでもなお果てしなく積み上がっていきます。知の集まる場所に知がますます集まっていく無限ループが回転しているように見えるのです。
    学園都市の異常なる日常 〜人文系軽視なんてとんでもない⁉︎~ (橘宏樹『現役官僚の滞英日記:オクスフォード編』第2回)
    ■ 圧倒的な豊かさのなかで
    おびただしい数のイベント告知が届くメールボックスやFacebookをチェックしていて、いくつか思うことがあります。
    ひとつは、圧倒的な豊かさのなかで初めて育まれる何か、至れない心境というものがあり、それが学究活動のバックボーンになっているのだな、という実感です。オクスフォード大学の学生はみなが必ずしも金持ちの子弟であるというわけではありません。しかし、オクスフォード大学という組織と施設には、この国の支配階級が800年かけて築いてきた富があります。これまでこちらに掲載してきた写真などでもお分かりになるとおり、カレッジの建物は、古いものは貴族の邸宅のよう、新しいものは会員制高級ゴルフクラブのクラブハウスのようで、それぞれに趣と高級感があります。そこかしこに趣味の良い絵画や彫刻が飾られており、寮の掃除も週に一回、業者がしてくれます。カレッジによっては、ジムもサッカー場もテニスコートもBBQ場もバーもあり、最高級のピアノを据え付けた音楽堂ではプロの音楽家を招いたリサイタルが催されます。受付には優秀なポーターが常駐しワンストップで多くのサービスを捌いてくれ、お茶の時間には給仕さんが談話室でお茶を淹れてくれます。
    特に古いカレッジのフェロー(教職員)専用の談話室の家具はひときわ高級感が漂います。テレビや映画で断片的に見かけた「昔の英国貴族ってこういう感じなのだな」というイメージ通りの世界で、行き届いた設備やサービスがあります。学費を収めればそれっきり、ほぼすべてが無料で利用可能なのです。
    もちろん少しの不便はありますし、学費も決して安くはありません。しかし、日本の中流の家に育ち、財政逼迫の昨今、出張の際には時折、旅費から足も出るような公務員生活を送ってきた僕からすると、ここに蓄積されてきた富や享受できる豊かさには、しみじみと驚嘆させられてしまいます。「ここには金があるなあ。日本には金がないなあ。」と(もちろん日本にもお金持ちはいますし、オクスフォードの財政も楽ではないようですが)。
    そして、学生たちは生活「感」から解放されて、深々とソファに足を組んで思索に耽る余裕が与えられ、教授らに知性を厳しく磨かれる時間に多くを充てられる、という恩恵にあずかっています。カツカツ、せかせかしていてはダメ。ここでは「深遠なる知性を育むには、心を落ち着いて研ぎ澄ます余裕がないといけない」と考えられているようです(道理で学者になった僕の日本の同級生には、お金持ちの家の子が多いわけですね)。
    そういう意味ではオクスフォード大学は、奨学金を得て入学してくる必ずしも裕福ではない層の世界中の学生へ、知性を育む機会と環境を再配分する機能を果たしているとも言えるように思います。
    ■ 加速する知の集積(インテレクチュアル・キャピタリズム)
    また、知的刺激を受けられる機会や発表される知が、個人が消費できる量を物理的に超えて積み上がり続けていく環境を目の当たりにしていると、この営みはどこまで続いてくのだろう……と呆然とするときがあります。その圧倒的なスピードと量に、もはや恐ろしさというか、非人間的な何かを感じるときすらあります。知の集積という営みの眼中に、知を消費するユーザー(学生・研究者)は、とうの昔から入っていないのではないか、と。
    もちろんこれは、単に僕があちこちに登録しすぎて、手元の告知情報が氾濫しているだけだとお笑いの方もおられるかもしれません。それは否定できませんが、知が集積していく流れそのものが、ITによってかなり可視化される時代になって、僕はある種の圧迫感も感じています(僕が若さと元気を失っているからかもしれませんが)。
    例えば、加速する資本主義経済を評して、人間がその欲望によって富を集積しているというよりも、お金それ自体が集まるところに集まって果てしない自己増殖を望んでおり、銀行や投資家などの活動はその意志に傅(かしず)いているに過ぎないように見えてくる、という人がいます。オクスフォードに限らず、全世界の大学・研究機関・学者の知的活動の全体に思いを巡らせたとき、僕はそれに似た感覚を覚えることがあるのです。
    もしかしたら、大学という「配電盤モデル」とは、知が新たな知を産む自己増殖のために、世界中から最良の脳を選別して大量に掻き集めるシステムなのではないか。
    サプライヤーもユーザーも、もはや人間ではなく、参加主体は知そのものなのではないか。
    人間の脳はそれを運んだり加工したりするサブシステムに過ぎないのではないか。
    より良い脳を掻き集めるために、知が富や名声を集積しているのではないか。
    ……という「錯覚」に囚われる瞬間があります。これは前回の記事で取り上げた、人工知能がより優れた人工知能を自ら生産することにより、人間のコントロールを超えてしまう「シンギュラリティ」に対する漠たる恐怖感にも通ずるところがあるかも知れません。
    僕たちは「シンギュラリティ」をどう迎えるのか? オクスフォードで出会った人工知能研究者・江口晃浩氏にインタビュー(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第5回)
    オクスフォードで暮らして半年が経つなかで、怒涛の如く「知」が集積を続けるプラットフォームから享受できる恩恵を満喫する一方で、ある種の疎外感・圧迫感も感じたりもしています。近年、「お金の蓄積だけではダメで、知の集積も大事」という文脈で、インテレクチュアル・キャピタリズムという概念が語られることがあります。僕は、インテレクチュアル・キャピタリズムに、非人間的、脱・人間本位主義(ポスト・ヒューマニズム)な側面を感じている、ということなのかもしれません。

    ▲上から見たオール・ソウルズ・カレッジ。数名の大学院生と研究者(フェロー)のみが所属しています。38のカレッジの中でもトップクラスに裕福です。本当に選ばれた天才的頭脳しか受け入れないとされており、後のノーベル賞受賞者も不合格にされたとか。一方で、その超然主義は度を逸しているとの批判も受けているようです。
    2.英国型プラットフォーム
    ■ 英国型プラットフォームとその共通価値
    さて、尾原さんのプラットフォームという概念をまだまだ借用しつつ、この1年半、僕がイギリスで見聞したものを総合しながら、考えてみたいことがあります。それは、イギリスにも「英国型プラットフォーム」というものがあるとすれば、それはどういうものか、その競争力はどういうところにあるのか、ということです。
    英国型プラットフォームなるものがあるとすれば、その特徴は、まずサプライヤーとユーザーが増えれば増えるほど価値が増す構造と流れを維持しつつも、プラットフォームへの参加資格に絶妙なフィルターをかけている点にあるでしょう。
    たとえば、上記の通り世界的に有名な英国の大学、様々な資格基準を共有し移民要件において優遇されているコモンウェルス(旧大英帝国植民地。53ヵ国に及び、そこで22億人が暮らす)や、既存会員の推薦状がないと入れず会費も高額な各種のクラブやソサエティ、大学の同窓会、ロンドン中心部のシティと呼ばれる金融街のコミュニティがその典型例だと思います。境界と選別(フィルタリング)をコントロールしつつ、参加者に与えられる特権によって、プラットフォーム外の人々を誘引すると同時に、内部からの離反を防ぎます。プラットフォームの運営者は、優れたバランス感覚と先読み能力、スピード感によって、プラットフォーム内部のイノベーション力や評判を維持し、内外に対してプラットフォームの魅力を保とうとします。
    それから、英国型プラットフォームの共通価値は、おそらく「信用と献身」だと思われます。プラットフォームに参加を許された者は、みな信用のおける人物とみなされてお互い安心して交流を深めていくと同時に、各自コミュニティへの貢献が求められます。「信用があるから貢献を求められ、貢献によって信頼が高まる」というループもあります。何が信頼に足り、何が貢献と認められるかの判断基準は、ためらわず言ってしまえば、伝統的に、オックスフォードまたはケンブリッジ大卒の高学歴白人男性(「ジェントルマン」)らのモラルや知性のバイアス下にあると言っても良さそうです。

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  • 『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第9回 大長編考・後編 リメイク問題とオリジナル問題【毎月第1水曜日配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.557 ☆

    2016-04-06 07:00  
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    『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第9回 大長編考・後編リメイク問題とオリジナル問題【毎月第1水曜日配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.6 vol.557
    http://wakusei2nd.com


    今朝は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。藤子Fの死後も、大人の事情から製作され続けた大長編ドラえもん。目を覆いたくなるオリジナル脚本の駄作が連なる中、唯一輝きを放った『のび太のひみつ道具博物館(ミュージアム)』に秘められた、ドラえもんらしからぬ批評性とは?
    ▼執筆者プロフィール
    稲田豊史(いなだ・とよし)
    編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『押井言論 2012-2015』(編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
    http://inadatoyoshi.com
    PLANETSメルマガで連載中の『ドラがたり――10年代ドラえもん論』配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第8回 大長編考・前編 ふたつの「ドラえもんコード」
    ●新ドラの迷走・リメイク問題
     
     声優リニューアル後のドラえもん(新ドラ)まわりでよく話題にのぼるのが、映画版のリメイク問題である。前回(第8回参照)でも触れたが、2006年以降の映画ドラえもんは、11本中6本が過去作品のセルフリメイクだ。

    2006年『のび太の恐竜2006』
    *『のび太の恐竜』(80)のリメイク
     
    2007年『のび太の新魔界大冒険  〜7人の魔法使い〜』
    *『のび太の魔界大冒険』(84)のリメイク
     
    2008年『のび太と緑の巨人伝』
    *オリジナル。原案はてんコミ26巻「森は生きている」とてんコミ33巻「さらばキー坊」
     
    2009年『新・のび太の宇宙開拓史』
    *『のび太の宇宙開拓史』(81)のリメイク
     
    2010年『のび太の人魚大海戦』
    *オリジナル。原案はてんコミ41巻「深夜の町は海の底」
     
    2011年『新・のび太と鉄人兵団  〜はばたけ 天使たち〜』
    *『のび太と鉄人兵団』(86)のリメイク
     
    2012年『のび太と奇跡の島  〜アニマル アドベンチャー〜』
    *オリジナル。原案はてんコミ17巻「モアよ、ドードーよ、永遠に」
     
    2013年『のび太のひみつ道具博物館(ミュージアム)』
    *オリジナル
     
    2014年『新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』
    *『のび太の大魔境』(82)のリメイク
     
    2015年『のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)』 
    *オリジナル
     
    2016年『新・のび太の日本誕生』
    *『のび太の日本誕生』(89)のリメイク

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  • 猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第7回「ウォーホルのように〈美の基準〉を変えることで、世界を変えたい!」【毎月第1火曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.556 ☆

    2016-04-05 07:00  
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    猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第7回「ウォーホルのように〈美の基準〉を変えることで、世界を変えたい!」【毎月第1火曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.5 vol.556
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは、チームラボ代表・猪子寿之さんによる連載『猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉』の第7回です。チームラボがシリコンバレーで開いている展覧会が現在、大盛況。アメリカでは「“文化砂漠”のはずのシリコンバレーでなぜ?」という声があがっているそうです。Googleの経営陣やNetscapeの創業者などのシリコンバレーの伝説的な起業家、さらにはスティーブ・ジョブズの奥さんまでが足を運んできたというその展覧会。なぜチームラボの作品はそれほど熱狂的に受け入れられたのでしょうか。
    ▼プロフィール
    猪子寿之(いのこ・としゆき)
    1977年、徳島市出身。2001年東京大学工学部計数工学科卒業と同時にチームラボ創業。チームラボは、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、絵師、数学者、建築家、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、編集者など、デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されているウルトラテクノロジスト集団。アート・サイエンス・テクノロジー・クリエイティビティの境界を曖昧にしながら活動している。
    47万人が訪れた「チームラボ踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」などアート展を国内外で開催。他、大河ドラマ「花燃ゆ」のオープニング映像、「ミラノ万博2015」の日本館、ロンドン「Saatchi Gallery」、パリ「Maison & Objet 20th Anniversary」など。2016年はカリフォルニア「PACE」で大規模な展覧会を予定。
    http://www.team-lab.net
    ◎構成:稲葉ほたて
    本メルマガで連載中の『猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉』配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第6回「もう一つの“体育”で、『身体的知』(身体を固定しない“知性”)を鍛えたい」
    ■ チームラボ、シリコンバレーに乗り込む
    猪子 チームラボは今、シリコンバレーのPACE ART + TECHNOLOGYっていう新しいギャラリーで展覧会をやってるんだよね。今年の2月にスタートして7月までやっているんだけど、僕は宇野さんに一度来て欲しいと思っているんだよ。

    ▲2016年2月6日から7月1日にかけて、チームラボは、Pace Art + Technology(シリコンバレー)のオープニングエキシビジョンとして大規模個展を開催している。新作含む全20作品を展示。(参照1)(参照2)
    このPACE ART +  TECHNOLOGYっていうのは、ニューヨークを拠点とするPACEというアートギャラリーがはじめた新しい試みなんだけど、今回の展示はそのオープニングエキシビションにあたるのね。2014年からペースギャラリーがチームラボを取り扱うようになったんだけど、チームラボの活動を見てはじまった試みなんだ。だから、向こうとしてもめちゃくちゃ力が入っている企画なんだよね。
    で、チームラボの展示は「Living Digital Space and Future Parks」というタイトルで、内容としては去年東京でやった「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」の超バージョンアップ版みたいな感じだと思えばいいかな。この連載でも以前触れた「境界のない群蝶+増殖する生命II+花と人、コントロールできないけれども、共に生きる」とか、「クリスタルユニバース」も、会場が大きくなったぶん超巨大な空間になってて、とにかくスケール感がすごいのよ。あと、新作も3つくらい増えてるの。

    ▲「Light Sculpture of Flames」(参照)
    人に反応して火がリアルタイムで動く立体作品。
    【動画(YouTube)】

    ▲「Black Waves in Infinity」 (参照)
    水の動きをシミュレーションして波の動きを再現し、それを線の集合で表現した作品。
    【動画(YouTube)】

    ▲「Black Waves」(参照)
    宇野 なるほどね。生放送の仕事が抜けられなくて……と思って先日は行かなかったけど、そう聞くと行きたくなるね。というか、J-WAVEにかけあって、いっそシリコンバレーで猪子さんとラジオ収録しても面白いかもしれないね。
    猪子 なにせ『ウォール・ストリート・ジャーナル』では「シリコンバレーが初めてアートを買った」という記事を書いて、事件として扱っているんだよ。
    しかも、『ガーディアン』なんて凄くて、The cultural desert――つまり、「文化的な砂漠」とシリコンバレーのことを呼んでいて、その彼らがチームラボのデジタルアートを受け入れたことを驚いている。そのほかにも、『ニューヨーク・タイムズ』なんかでも記事になった。

    ▲”Silicon Valley’s Wealthy Finally Buy Art (When Not for Sale)”(THE WALL STREET JURNAL, Feb 10, 2016)(参照)

    ▲”The 'cultural desert' of Silicon Valley finally gets its first serious art gallery”(THE GARDIAN, Feb 6, 2016)(参照)

    ▲”A Very Different Kind of Immersive Art Installation”(THE NEWYORK TIMES, Feb 4, 2016)(参照)
    宇野 それ、すごい話だと思うんだけど、こういうチームラボの動きは日本国内ではほとんど報道されないよね。もしかして猪子さん、嫌われてるの?
    猪子 いや、嫌われてないと思うんだけど……最近、話が難しいからじゃないかなあ。
    宇野 今の話って、第二次世界大戦後になって、それもかなり政治的な都合で生まれたニューヨークのギャラリーを頂点とするアートマーケットに対して、まったく違うヒエラルキーが西海岸を中心にして生まれていく可能性を示唆していると思うんだよね。
    猪子 例えば、オフィスのエントランスにウチらのアートを飾ってるのは、マーク・アンドリーセンという、まさにインターネット(モザイクやNetscape)を創った人なんだよね。
    宇野 なるほどね。興味深いね。
    猪子 それなのに、ガーディアンはシリコンバレーを「The cultural desert=文化砂漠」だと書くわけだよ。つまり、彼らは本気で「シリコンバレーの連中は文化に興味がないんだ」と思っていたんだと思う。
    ところが、実際に蓋を開けてみたら、オープニングにすごい来てくれた。展覧会には社長の奥さんも、Googleの経営陣や社長の奥さんも、家族を連れてやって来てくれたからね。Vimeoの共同創業者はツイッターで絶賛してくれているし。
    しかもさ、僕が会場で歩いてたら、「私、これ二回目なのよ!」とか叫んでる凄いテンションの高いお姉さんに会ったんだよ。僕に会うなり「あなたは天才だわ!」とか言いだすもんだから、僕も「お、おう。僕たちは天才なんだ」みたいな感じになっちゃって(笑)。で、「もう一回見に行くわ!」と言うから「楽しんできてねー」と見送ったの。
    ところが、それから一時間くらいして「ジョブズの奥さんが来ているから紹介する」という話が来て、会いに行ったら――さっきのテンションの高いお姉ちゃんが立ってるんだよ(笑)。「いやいや、あなたの隣には真に偉大な天才がいたでしょう」と、なんだか複雑な気持ちになっちゃった。
    宇野 猪子さん、珍しくちょっと照れながら話してるね。
    猪子 まあね(苦笑)。でも、あの人たち、みんなオープンでフラットだから、なんか、いいよね。
    ■ シリコンバレーは本当に“文化砂漠”なのか?
    宇野 でもさ、ああいう西海岸の人たちは、どれくらい明白に自分たちの世界を構築するために文化、ないしはアートが必要だという意識があるのかな。例えば、もうちょっと単純にミーハーな気持ちでやっている可能性もあるわけだよね。
    猪子 まさにさっきの『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、「今まではどんなにお金を持っていてもアートに興味なかった」という前提には立っているけど、やはりみんながアートを購入したことそのものはニュースとして衝撃を持って受け止めているんだよね。
    ただ、そのときの『ウォール・ストリート・ジャーナル』の分析は、「ギャラリーでは異例のチケット制で、買うつもりがなくても自由に見られる状態を作ったからこそ、彼らも買い始めたんだろう」みたいな感じで、心理学的な切り口の説明なんだよね。
    宇野 その記事を書いた人って、たぶんシリコンバレー的な価値観に共感していないんじゃないかな。つまり、東海岸の人が「あいつらがなんか美術っぽいことに興味を持ちだしたけど、やっぱりちょっと違くない?」みたいな感じで取り上げた記事なんでしょ。
    猪子 うーん、どうなんだろうか。『ウォール・ストリート・ジャーナル』も展覧会に対してはすごく評価してくれていて、でも、衝撃的な事件に対して、何か彼らなりに解明して解説を書きたかったんじゃないかな。
    宇野 結局、そういう「距離感の表明」にすぎない文章のように見えるな。
    猪子 でも、そこで起こっていることはそうじゃないと思う。
    きっとシリコンバレーの連中は、自分たちの新しい生き方とか信念とか、そういうものを表現するアートとして受け容れてくれたんじゃないかな……と思ってる。
    だってさ、彼らがお金を持ったからといって、彫刻なんかを買うとは思えないじゃない(笑)。たまたま、これまで存在してきた文化に対して興味がなかったというだけで、当たり前だけど、彼らが文化やクリエイションに本質的に興味がないわけではなかったと思うんだよ。
    宇野 今、猪子さんはとても大事なことを言っているね。
    よく「カリフォルニアン・イデオロギーには文化がない」みたいな批判をしてくる人は多いじゃない。たしかにその劣化コピーである意識高い渋谷・六本木のITベンチャーの経営陣の人にはそういう批判が当てはまるひとが多いのかもしれない(笑)。でも、その大体は誤解なのであって、単純に歴史的な経緯を知らなかったり、「文化を理解しない人々だ」というふうに思いたがっているだけなんだよね。
    でもさ、単純に西海岸の人たちは、既存のアートシーンにある「彫刻」や「絵画」を美術館に収蔵することが、本当に自分たちの世界観を表現することだとは、どうしても思えないというだけなんだと思うんだよね。
    猪子 そう、そう!
    宇野 でもさ、これって「歴史は繰り返す」でしかないんだよ。
    だってさ、ハッキリ言ってしまうと、第二次世界大戦後にニューヨーク中心のアートシーンができた理由そのものが、当時のヨーロッパから見たときに「文化がない」とバカにされていた、アメリカのある種のコンプレックスの裏返しだったわけじゃない。
    当時のアメリカは、ついに西側諸国の、いや世界のリーダーになって、圧倒的な経済力と軍事力を持つことになった。そのときに彼らはナチスを倒して集めてきた美術品をニューヨークのギャラリーに全部入れて、「ここがアートの中心で、文化の発信源です」と言い張ったわけだよね――ざっくりと言うと。
    それってつまり、70年前にはこういう海外の彫刻や絵画を集めて美術館に入れることが、彼らのいわば歴史の終着点としての「パックス・アメリカーナ」の物語を作ることと深く結びついていて、彼らのアイデンティティーの記述たりえていたということだと思うんだよね。
    猪子 なるほどね。
    宇野 でも、それから70年経った西海岸には、もう当時の東海岸の文脈は残っていない。彼らはまったく新しい自らの世界観の表現を必要とした。そこで彼らが辿りついたものの一つがチームラボだった――ということなんじゃないかな。
    でね、そのときに実はチームラボの作品が美術館に収蔵したり、ギャラリーで売られたりするような、伝統的なアートの形式に必ずしも則っていなかったことこそが、とても重要だった気がするんだよね。
    猪子 まあ、買ってくれた人もいたからね(笑)。
    ただ、確かにすごく単純に言ってしまうと、僕たちがデジタルによる新しいアートの可能性を模索していたところに、そういう本質的な部分まで含めて賞賛してくれたところはあると思ってる。
    宇野 実際、そういう印象を受けた場面はあったの?
    猪子 もう超“ウェルカム”な状態だもん!
    だって、ある意味でチームラボのために建造物をみんなで建ててくれたようなもんなんだよ。
    実は、普通は建物を建てるときって、先に消防法を取ってから展示の内装を行うんだけど、スケジュールが遅れてしまって、今回は両方を同時進行しなきゃいけなくなっちゃったの。でもさ、そうなると消防法の審査に入る頃には、もう建物はLEDだらけ。それでは、通らないんだよね。たぶん、10回くらい審査やり直しをしたんじゃないかな。
    ペースギャラリーも、今回の展覧会に過去最大にお金をかけてくれたらしいんだよね。
    宇野 いやあ、猪子さん惚れられてるね。
    猪子 というよりも、賭けに出てみたんだよね。シリコンバレーには元々ギャラリーがなくて、「絶対にギャラリービジネスなんて上手く行かない」と言われていた。でもペースギャラリーは「チームラボと共にシリコンバレーに行くんだ」と言って、ギャラリーを建てちゃったのよ。
    宇野 単純な疑問なんだけど、ギャラリービジネスが西海岸で上手く行かないと思われていた理由ってなに?
    猪子 いやあ、シリコンバレーの人たちはアートに興味がないと思われていたんだと思うよ。「文化砂漠」とか書かれるくらいだしね……でも、実際には興味があったということだと思う。
    宇野 つまりは、彼らの古い感覚からすると「文化砂漠」に見えていただけなんだということだよね。

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