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明日からできる「私の働き方改革(My WX)」その3|坂本崇博
2020-11-19 07:00550pt
「働き方改革アドバイザー」の坂本崇博さんが、「My WX(私の働き方改革)」の極意を説く異色のワークスタイル指南、いよいよ最終回です。これまでの「意識が高くない」からこそできるメソッドで見えてきた選択肢を、どうすれば組織の中で行動に移していけるのか。新規事業開発のための「エフェクチュエーション」理論を坂本さん流に変換しつつ、「外道」の実践方法を考えていきます。
坂本崇博『(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革』最終回 明日からできる「私の働き方改革(My WX)」その3
前回は、「私の働き方改革(My WX)」の実践理論として、セルフマネジメント論や心理学(脳科学)的な視点での行動変容アプローチも引用しつつ、「意識が高くないからこそできるやり方」をご紹介させていただきました。
「二次元にしか興味がない」状況から、ちょっとした地名トリビアを調べることで脳内ホルモンを分泌させ、次第に世界のあらゆることにアンテナを張りたいと「ハマる」ための手法。新たに記憶したいことを過去の後悔している体験(もしくはそのリベンジ妄想)と結びつけることで長期記憶領域に残す「クヨクヨ記憶術」。そして、記憶したネタ同士を斬新な組み合わせ方をしてアイデアを生み出す力を育てるためにことあるごとに「私が大富豪ならこのときどうするか?」を考えるFR(虚構現実)発想術。
これらを組み合わせることで、自分がやりたい志事にもっと注力できるようになるために、様々な情報を組み合わせ、過去の慣習・固定概念(王道)に流されずに自分の働き方を変えるための新たな選択肢(外道)が見えてくるようになるわけです。
しかし、私の働き方改革(My WX)の実現にあたっては、こうして浮かんだ選択肢を「実行」できるかどうかが、大きな分岐点になります。そしてその選択肢を実行できるかどうかの鍵が、「Effectuation(エフェクチュエーション)」に代表される新規事業開発・イノベーション理論に隠されていると、私は考えます。 私の働き方改革(My WX)実践理論の最後はこの「行動」のやり方・やる力についてご紹介したいと思います。
5 行動力を高める(前回からのつづき)
Effectuation(エフェクチュエーション)とは、「Effect(効果)」からくる言葉で「効果をあげる・実現する」という意味です。つまり、浮かんだアイデアを「いつかやる選択肢」のまま放置することなく、実際に行動に移し、かつ成果が出るまで試行錯誤したり、やり方を見直したりしてやり続け、最終的に成果をあげることを指します。
この言葉は、米国バージニア大学ダーデン経営大学院のサラス・サラスバシー教授が2008年に発表した『エフェクチュエーション 市場創造の実効理論』の中で新規事業に成功するために求められる「行動原則」の総称として用いられています。 サラスバシー教授は、27人の新規事業創造に成功した人へのインタビュー調査などを経て、新規事業創造(イノベーション)という効果をあげる(Effectuation)ために必要な「5つの行動原理」を見出しました。さらにそれら行動原理は天才的・先天的に備わっているものではなく、誰もが学び実践することができるものであると分析しています。
そして私は、私の働き方改革(My WX)という「改革(イノベーション)」を実行する上でも、この行動原理を意識し取り入れることで、効果をあげられる確率が高まると考えます。 その行動原理とは、次の5つです。
1 手中の鳥(手元にある資源を使ってできることからやる) 2 許容可能な損失(成功したときの利益よりも失敗したときの損失の量に着目し、その損失量が自分の許容範囲ならチャレンジする) 3 クレイジーキルト(一人で進めず周囲の人たちに働きかけ、パートナーとしてコミットしてもらう) 4 レモネード(“レモンをレモネードにする”ということわざの通り、酸っぱい状況(トラブルや予期せぬ事態)に直面しても、発想を転換してそれをテコにして成果につなげる) 5 飛行機パイロット(刻々変化する状況を観察し、目的地すら変更しながら常に状況に応じて自らをコントロールし続ける)
(『エフェクチュエーション(日本語)』(サラス・サラスバシー (著), 加護野 忠男 (翻訳), 高瀬 進 (翻訳), 吉田 満梨 (翻訳),2015,碩学舎/碩学叢書 より)
これら5つを意思決定や判断の際に心がけ実践し習慣化することで、効果をあげられるというわけです。 ただ、この5つ、日本語訳をする際に米国のことわざや慣用句をそのまま訳してしまっているせいか、申し訳ないのですが個人的には「すっと入ってこない」印象を受けます。そこで、私なりに言葉を編み直し、かつ5つを3つに再編して、「私の働き方改革(My WX)流エフェクチュエーション理論 ~3つのシ~」としてみました。
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読書のつづき [二〇二〇年六月中下旬] 万年筆とヒッピーと水流|大見崇晴
2020-11-18 07:00550pt
会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。Zoomでの読書会などが浸透して新しい行動様式が生まれる一方、街にはたがの外れた日常感を帯びる人々が水流のように漂ってもいる梅雨のおり。アウロラ、パイロット、モンブランといった老舗ブランドの万年筆を使い分けながら、手書きとキーボード入力での「書くこと」の感覚の違いを改めて見つめ直します。
大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年六月中下旬] 万年筆とヒッピーと水流
六月十二日(金)
都内に連日の出勤をしたので疲れを覚える。午前中に妙な眠気があった。カロリー不足が原因かと思い、昼食は日高屋で担々麺大盛りを注文。
六月十三日(土)
地元の図書館で以下の本を予約した。
常盤新平[1]『翻訳出版編集後記』
常盤新平『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』
今泉文子『ノヴァーリスの彼方へ ロマン主義と現代』
ピーター・アクロイド『T.S.エリオット』
エリオットの伝記は愉しみだ。彼への関心が増したら全集を買うことにする。
[1]常盤新平 一九三一年生、二〇一三年没。日本の編集者、翻訳者、作家。早川書房の編集者としてキャリアを積み、一九六〇年代ごろには早川書房のほぼ全般を職掌とする。このころにテレビドラマ『探偵物語』の原作などで知られ日本にハードボイルドや犯罪小説を根付かせた第一人者であった小鷹信光と、メディアの内幕を暴くノンフィクションを紹介する書籍を早川書房が多く手掛けるきっかけを作った(このころに翻訳されたものに、ハルバースタムの『メディアの権力』(一九七九)などで参照されていたと思しいジョン・コブラー『ヘンリー・ルース』、フレッド・フレンドリー『やむを得ぬ事情により エドワード・マローと理想を追ったジャーナリストたち』)。このハヤカワ・ノンフィクションの系譜は、ラリー・コリンズとドミニク・ラピエール『さもなくば喪服を』の翻訳を校正した井田真木子がのちにノンフィクション作家として著名になるなど、ニュージャーナリズムを日本に根付かせるものとなった。海外文学の翻訳を手掛けていたころに都会的な文章の彫琢にこだわっていたが、その際に参考にした山口瞳の小説に感銘を受け、私淑することになる。国立に居を構えていた山口瞳のもとに新年会などで通うようになり、いわゆる「山口組」の一員となる。一九八六年には『遠いアメリカ』で直木賞を受賞。その後もエッセイや翻訳、海外文学の紹介など旺盛な活動を続けた。広くは知られていないが、同じ池波正太郎の愛読者でありながら、植草甚一に対しては憎悪と言ってよいほどの恨みを文章にしている。
六月十四日(日)
大塚英志『大政翼賛会のメディアミックス』読書会用のレジュメ、担当分を作り終える。この本の種明かしになる部分と、付論についてもレジュメを作りたいが、後者については体力的に難しいかもしれない。レジュメをクリーム色のノートにまとめているのだが、普通の修正テープでは白が目立ってしまって、見栄えが悪い。なにか良い方法はないものか。
このコロナが終息したらフルハルター[2]でペリカンのM800を一本注文したい。しかし、この場合の終息とはなにをもって終息とするのだろう。
調べ物をしていたら、三島由紀夫全集(一九七〇年代のもの)の三十巻がなくて困る。買うべきか。
[2]フルハルター ドイツ語で「万年筆」を意味する単語。店主である森山信彦氏が一九九三年に開店した万年筆専門店。
六月十五日(月)
オッカム先生が評価されていたのと、兄事していた方が経営されていた古書店──現在は夫人が経営を引き継いでいる──に在庫があったので、ブルース・アッカマン『アメリカ憲法理論史 その基底にあるもの』を注文する。
唯美主義[3]や労働者階級の文化に関心を持っていた十代のころはイギリスにばかり意識していたが、二十代ごろになってボブ・ディランを聴き続けるようになってから以来、わたしはアメリカという国が気になっている。同じ一つの国なのかと疑ってしまうほどアメリカは広くて、キリスト教ひとつをとっても宗派がたくさんあって、もともとヨーロッパを追われたプロテスタントの国なのに、プロテスタントの宗派でもいくつかあって、ボブ・ディラン[4]もアメリカが保守化していく八〇年代にボーン・アゲイン・クリスチャン[5]になっている。それに加えて州ごとに法が異なり、マイノリティ(黒人やヒスパニック、LGBT)に対して明文的に扱いが異なったりもする。それなのに大統領というトップを選ぼうとする。わたしにはアメリカという国がよくわからない。わからないから少しづつアメリカに関する本を買って読んでいて、これもその買い物のひとつになりそうである。とはいえ、いつ読むのだろうか(わたしは積ん読をしがちである)。
有楽町にある三省堂で松苗あけみ[6]先生の新刊『松苗あけみの少女まんが道』を買おうとしたが品切れになっていた。松苗あけみ先生のマンガと先生が挿絵を担当していた文学評論を読む高校生時代を送っていたので、わたしにとって松苗先生は大スターである。西荻窪に引っ越してきたころは、松苗先生のご実家があったのが西荻窪だと知らなかったので、大変に驚いた。当時住んでいた部屋の比較的近所で、ご実家の近くには日本のヒッピーにとって聖地のひとつとも言えるナワ・プラサード[7]があって、その正面の小さな路地を歩くと小物屋さん(昨年ぐらいに閉店してしまった)があって、それは松苗先生のお姉様が経営されているという話を聴いたことがある。その横には二郎系のラーメン屋があって、そこで夕食をとっていたことが肥満になった一因だったのだが、よく席で隣り合わせた萱野稔人[8]さんは『ミナミの帝王』を読みながら勢いよく食べても太っていなかった(それどころかダイエットで有名になってしまった)ので、いま思えば運動不足だったのだろう。
閑話休題。
わたしの西荻窪物語は本筋ではなく、高校生時代「ぶ~け」[9]を愛読していたので、あの伝説的なマンガ雑誌について知りたくて新刊を探していたのである(九〇年代末、まだ休刊していなかった。山内規子[10]先生が連載を持てた最後の新人漫画家だったんではなかったか。最後のスターは稚野鳥子[11]先生だった)。
当てが外れたので、書店にあった西寺郷太『始めるノートメソッド』とロルバーン用修正テープ(これはクリーム色で先日から探していたものだ)、フリクションの蛍光ペン、ボールペンを買う。『始めるノートメソッド』はJ-POP/ロックのコーナーに並べられていて、中々見つからなかった。
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『The Witch/魔女』──キム・ダミという名の感情凶器|加藤るみ
2020-11-17 07:00550pt
今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第10回をお届けします。今回ご紹介するのは、平凡な女子高生が秘められた力を覚醒させ、天才サイキッカーとして戦うアクション映画、『The Witch/魔女』です。2018年に公開され、韓国国内では観客動員数318万人を超える大ヒットとなった本作。洗練されたサイキックバトルの演出と超展開のストーリー、そして新人賞を総なめにした主演女優の名演技が光る本作の魅力を語り尽くします。
加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第10回 『The Witch/魔女』──キム・ダミという名の感情凶器
おはようございます。加藤るみです。
いきなりですが、私、映画で描かれる「水中キスシーン」が大好きなんです。 以前、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』のコラムでもチラッと書きましたが、これはもうフェチの域なんですね。
そんな私が最近、「水中キスシーン」に匹敵するくらいツボに入ったフェチなシーンを見つけてしまったんです。 それは、何かを食べながらのキスシーン。略して「ながらキスシーン」です。 これにハッとしたのは、11月27日から公開の『ヒトラーに盗られたうさぎ』の試写を観た時でした。 この作品は、ナチス迫害を逃れるため、故郷ドイツを離れ、過酷な亡命生活を強いられることになった家族の物語です。貧困や差別、苦しい環境のなかで生きる希望を見出していくんですが、夫婦のささやかな幸せを描いているシーンがとても可愛らしかったんです。 お金がない中、明るく家庭を支える奥さんに旦那さんがチョコレートケーキを買ってあげて、公園のベンチで2人だけの時間を過ごす。そのケーキに奥さんがガブーッとかぶりついて、そのチョコレートケーキを食べながらキスするシーンが、もう最高にロマンチックで……。
そのシーンを見た時、なにかビビビビーッと電流が走ったんです。あ、私が探し求めていたのは「……これだ‼‼」と(笑)。 もう、口周りとかもチョコレートでベタベタなんですけど、それが良い! それが可愛いんです!
さらに、そのシーンを観て記憶の扉が開いて、思い出した作品が『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』('97)。劇中で、マット・デイモン演じる主人公・ウィルが初デートでハンバーガーを食べながら彼女にキスするシーンがあるんですが、そのシーンがたまらなく好きで……!キスしたあと、ミニー・ドライヴァー演じるスカイラーが「I think I got some of your pickle! 」と言う、ザ・アメリカンな返しが最高に微笑ましい名シーンです。 そのシーンを思い出して「ああ! これも『ながらキス』だ!」と、ニヤニヤしてしまいました。 この、しょうもないようで私にとってはとても重要な世紀の大発見「ながらキス」について、これからしっかりと研究していきたいと思います。「水中キスシーン」や「ながらキスシーン」をもし見つけた方は、ぜひ教えてくれると嬉しいです。
さて、今回ご紹介する作品は、『The Witch/魔女』(’18)。 NetflixやAmazon primeなどで配信されている韓国映画で、韓国では観客動員数318万人を突破した超ヒット作品です。
▲『The Witch/魔女』
……なのですが、実はこの作品、日本では全国ロードショーではなく、2018年にシネマートさんなど、一部の映画館の企画上映で上映されたのみ。 なので、私も劇場では観れず、配信で観て、「何コレ⁉ めちゃくちゃ面白いんですけど⁉」と、衝撃を受けました。
なのにこの作品、意外と話題になっていない……!
「WHY⁉⁉」ということで、今回ご紹介したいと思います。 韓国映画好きな方はもちろん、コロナ禍で大流行した韓国ドラマ『梨泰院クラス』(’20)にハマった人には特にオススメしたい作品です。
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野島伸司とぼくたちの失敗(2)──「純愛」から人間の暗部を描く「タブー」破りへ 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉
2020-11-16 07:00550pt
(ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。フジテレビのトレンディドラマ路線を築き上げたヒットメーカー・大多亮プロデュースのもと、坂元裕二とともに頭角を現していった野島伸司。しかしその路線は、1990年代に入ると『素敵な片想い』に始まる「純愛三部作」を機に、大きな転換を遂げていくことになります。
成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(2) ──「純愛」から人間の暗部を描く「タブー」破りへ
1990年の『すてきな片想い』
1989年1月7日に昭和が終わり、翌日から平成がはじまると、少しずつ世の中の雰囲気が変化していき、その影響もあってか、フジテレビのドラマも少しずつ変わっていく。 野島に続く形で坂元裕二も柴門ふみ原作の『同・級・生』(’89)で連ドラデビュー。野島真司も89年に明るい学園ドラマ『愛しあってるかい!』をスマッシュヒットさせるものの、既存のパターンを踏襲したトレンディドラマに大多は手応えを感じなくなっていく。そしてトレンディドラマの集大成と言える90年の『恋のパラダイス』が平均視聴率14.4%(関東地区、ビデオリサーチ社)と不調に終わったことで、次の路線を模索するようになる。その結果、生まれたのが野島伸司脚本の『すてきな片想い』である。
▲『すてきな片想い』
本作は大多にとって初めての単独プロデュース作品。本作のコンセプトについて大多は以下のように語っている。
キーワードは“一途な想い”。 今までのトレンディドラマが華麗な多重恋愛をしながら“よりいい恋”を探していたのに対して、ここでは、届かないかもしれないけど、決して揺れない、一途な恋を描いていこうと思ったのだ。[21]
本作と、その後、作られる坂元裕二脚本の『東京ラブストーリー』(’91)、そして野島伸司脚本の『101回目のプロポーズ』(’91)の三作を、大多は純愛路線だと『ヒットマン』の中で書いている。 この三作はトレンディドラマと混同されて語られがちだが、大多の中では明確に区分けされている。もっとも大多自身も、トレンディドラマを全否定したわけでなくポイントを変えただけで「リニューアル」だと語っているため、ある程度は地続きなのだろう。しかしここでポイントを変えたことが作り手にとっては重要だった。
ではどこが変わったのか?
物語は海苔問屋で働く地味で平凡なOL・与田圭子(中山美穂)と小さなおもちゃ会社で働く野茂俊平(柳葉敏郎)のラブストーリー。二人は友達を介して知り合うのだが、電車の中で野茂に醜態を見られたことがある与田は正体を隠し、本棚にあった小説の作家、林真理子と吉本ばななの名前をもじった、林ナナという名で野茂と話すようになる。 物語はリアルでは与田圭子、電話では林ナナというキャラクターで野茂と接する与田の二重生活がコミカルに描かれる一方で二人の友達を交えた3×3のグループ交際を描いた恋愛ドラマとなっている。 インターネットが登場して以降は複数のキャラクターを使い分けるコミュニケ―ションが当たり前のものとなっているが、そういった感覚をいち早く“電話”で描いていたドラマだと言えるだろう。もちろん、すでにテレクラや伝言ダイヤルは存在しており、1976年の山田太一脚本のドラマ『岸辺のアルバム』でも、間違い電話をかけてきた男と不倫関係になる主婦の姿が描かれていた。そういった先行事例を踏まえると、「嘘」というモチーフをラブコメにうまく落とし込んだ秀作というのが、妥当な評価だろう。 一方、大多が言うような純愛路線として、それ以前のトレンディドラマから脱却していたかというと、当時の筆者の感覚としては、そこまで差があるとは思えなかった。確かに主人公の職業はマスコミ系のオシャレなものでもリッチな金持ちでもないが、華やかさで浮ついた印象は相変わらずだった。
それでも大多にとっては手応えがあったようで、本作について以下のように語っている。
このドラマがコケてたら、もしかしたらトレンディドラマは死んでいたかもしれないし、そうなったら現在のテレビ界におけるフジのドラマ黄金時代というのもなかったような気がする。 ドラマの重心を主人公の一途な想いに集中させることによってトレンディドラマは生まれ変った。それを最も効果的に表現できることができるテーマが“純愛”だった。[22]
大多は「物欲的なトレンディから地味な純愛路線に」[23]路線転換を狙った作品だと本作を解説するのだが、この対比をみていると大多がトレンディドラマの向こう側に、80年代後半に日本で達成された高度消費社会を見ており、その先に来るものとして「純愛」というテーマを持ち出したように見える。 この次に大多が手掛ける『東京ラブストーリー』は柴門ふみの同名漫画が原作だ。当時の柴門は「恋愛の神様」と呼ばれていた。邦楽では90年にKANの『愛は勝つ』が200万枚を超えるヒットとなり、恋愛こそが唯一信じる価値として様々なメディアで語られていた。それを準備したのはトレンディドラマやファッション雑誌が提示した高度消費社会における男女のゲームとしての恋愛カルチャーだったが、そこから発展して恋愛の宗教化が加熱しはじめたのが90年代だったのだろう。その状況を大多は「純愛」という言葉に集約させたのだろう。
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【今夜21時から見逃し配信!】宮田裕章「データサイエンスで共創するニューノーマルの世界」
2020-11-14 12:00今夜21時より、LINEでの「新型コロナ対策のための全国調査」を手がけた慶応義塾大学 医学部教授の宮田裕章さんをお招きした遅いインターネット会議の完全版を見逃し配信します。24時までの限定公開となりますので、ライブ配信を見逃した、またはもう一度見たいという方は、ぜひこの期間にご視聴ください!宮田裕章「データサイエンスで共創するニューノーマルの世界」見逃し配信期間:11/14(土)21:00〜24:00
著書『共鳴する未来』では、ビッグデータで変わりゆく自由、プライバシー、貨幣といった「価値」を問い直し、個人の生き方を原点に共に生きる社会を提言しています。データとはそもそもなにか? 私たちはデータの活用を通じて、どのような新しい社会を築いていくことができるのか? 宮田さんの考える未来のかたちをうかがいました。
※冒頭30分はこちらからご覧いただけます。https://www.nicovide -
『花子とアン』はなぜ「モダンガール」を描き切ることができなかったのか?|中町綾子×宇野常寛(PLANETSアーカイブス)
2020-11-13 07:00550pt
今回のPLANETSアーカイブスは、2014年放送の朝ドラ『花子とアン』をめぐる、中町綾子さんと宇野常寛の対談をお届けします。現在は木曜ドラマ『七人の秘書』脚本を手がける中園ミホ。彼女が『やまとなでしこ』『ハケンの品格』で描いてきた「強い女性」像や、「ハードボイルド」と「乙女ちっく」を両立させることの困難、そして「朝ドラ」というフォーマットの今後について考えます。(構成/金手健市)(初出:「サイゾー」2014年12月号)※本記事は2015年1月9日に配信した記事の再配信です
Amazon.co.jp:連続テレビ小説「花子とアン」
脚本家・中園ミホが追求してきた「ハードボイルド」なヒロイン像
宇野 世間では視聴率的にも内容的にも絶賛が多くて戸惑っているんですが、僕ははっきり言って『花子とアン』がそこまでよかったとは思っていません。確かに、2000年代半ばの本当に朝ドラが低迷していた時期の作品に比べれば数段上です。でも、『カーネーション』(11年後期)、『あまちゃん』(13年前期)、『ごちそうさん』(同年後期)があり、”朝ドラ第二の黄金期”といわれるような最近のアベレージからすれば、二段近く落ちる作品だったことは間違いない。これが名作扱いされるような状況には物申さないといけないだろう、という気持ちがある。
いろいろ言いたいことはあるんですが、まず前提として触れないといけないのは視聴率問題です。いまの”朝ドラ黄金期”って、視聴率があまり意味をなしていないんですよね。ドラマファン以外も巻き込む力の強かった『あまちゃん』が、『梅ちゃん先生』というあまり見るべきところのなかった作品と大して変わらない視聴率しか取れていなかった。結局のところ、マイルド化された『おしん』とでもいうような「昭和の女の一代記」をやると、昭和の日本人がなんとなくいい気分になって視聴率が上がるという、それ以上のものではない。だから視聴率が20%を超えたからといって、それはなんの指標にもならないと思うんですよね、前提として。その上で、中身を吟味するところから始めたい。
中町 正直、私もなかなか熱くはなれないドラマでした。先入観として、中園ミホ【1】さんの脚本のテイストと朝ドラ枠の世界観とは合わないだろうと思っていて、実際そうだったんです。中園さんは、最近の作品でいうと『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(テレビ朝日/12年〜)や『ハケンの品格』(日本テレビ/07年〜)が有名ですが、どちらも決めゼリフがあってキャラ立ちしている人物が主人公。等身大の人物に共感させるのではなく、ヒーロー的な、観ている人をスカっとさせる爽快感のあるキャラ作りが持ち味です。達観しているというか、世を捨てているキャラクターであることも多い。
一方で、朝ドラのキャラクターは、基本的に前向きですし、身近な存在というイメージが強い。感情移入できることも重要ですよね。その点で相容れないと思ったし、やっぱりうまくいっているようには見えなかった。それでも半年間の放送を通して、最後は多少強引にでもひとつのメッセージを伝えるという朝ドラのスタイルはやっぱりすごいな、と思わされました。
【1】中園ミホ 1959年生まれ。88年に脚本家デビュー。手がけた作品は、『やまとなでしこ』(フジ)、『anego』『ハケンの品格』(日テレ)、『はつ恋』(NHK)、ほか多数。女性を主人公にした作品が多い。
宇野 中園さんは、世捨て人的なヒロインの造形を通じて、”女性のハードボイルド”の語り口を探求してきた人だと思うんですよね。そのことによって、地味な題材をリアルに描いてもドラマ全体は地味にならずに済んでいた。これによってある意味、80年代フェミニズムの批判力を通過した後の「強い女性」のイメージをいかに出すのかということを結果的に引き受けたとも言えるはずです。だから、中園さんが『花子とアン』をやるとなったら、絶対にジェンダー的なテーマが前面化してくると思った。村岡花子【2】と白蓮【3】は、当時としてはモダンガール中のモダンガールだったはずですからね。でもそんなテーマは微塵も現れることがなく、「理解ある夫やイケメンにかこまれて、幸せに過ごしました」みたいな話が延々と続いていて。ちょっと意外だったんですよね。
【2】村岡花子 1893年生まれ、1968年没。『花子とアン』の主人公のモデル。山梨県甲府市のさほど裕福でない家に生まれるが、利発だったため父が期待をかけて東洋英和女学校に入学させる。そこで英語を身につけ、同時に文学を学び、英語教師を務めた後に女性・子ども向け雑誌の編集者となる。1932年から41年までラジオ番組『子供の時間』に出演し、「ラジオのおばさん」として広く世に知られた。戦中は大政翼賛会後援団体に参加するなど戦争協力者としての立場を取る。終戦後の52年、『赤毛のアン』の訳書を刊行。
【3】白蓮 1885年生まれ、1967年没。フルネームは柳原白蓮(本名・宮崎燁子)。伯爵の妾の子として生まれ、育つ家庭を転々としたのち、望まぬ結婚をさせられる。離婚して実家に戻った後、東洋英和女学校に編入、そこで花子と出会い、互いを「腹心の友」と呼ぶようになる。卒業後、再び家の意向で年齢・身分共にかけ離れた筑紫の炭鉱王と結婚させられるが、不幸な生活から短歌を詠み始める。その活動の中で知り合った年下の社会活動家と出奔し、「白蓮事件」と称された。
中町 中園さんの描くヒロインは、基本的に”乙女ちっく”なんです。ハードボイルドと乙女ちっくが、違う意味じゃない、というのがすごいところなんですが。『やまとなでしこ』(フジテレビ/00年)でいえば、「私は美貌も持っているしCAだし、ちょっとテクニック使えば合コンでも男性は私のものです。男性なんてそんなもんだとわかっている。だけどね、」っていう、この「だけどね」から始まるところが大事なんです。「私は男性なんてそんなもんだとわかっている」というのはハードボイルドなんですが、クールなだけではダメで、一抹の弱さや優しさ、人間味を持っているのが、乙女ちっくでもあり、真のハードボイルドなんじゃないかと……。
宇野 なるほど(笑)。宇田川先生【4】なんかはまさに、ハードボイルド的な自己完結と乙女ちっくのハイブリッドを体現したキャラクターですよね。
【4】宇田川先生 『花子とアン』劇中に登場する女性作家。花子と白蓮のことを好ましく思っておらず、高慢な態度を取る。戦中は従軍記者として戦地に赴いた。モデルは諸説あるが、宇野千代や吉屋信子ら、原案に登場する当時の人気女性作家たちのイメージが複合されているものと思われる。
中町 『花子とアン』にハードボイルドがあったとすれば、今回は仕事でも恋でもなくて、最後に語られていた「友情」がそうだったんだと思います。わかりやすい助け合いではなく、それぞれが個々の人生を女も男も生きているし、つながっているようなつながっていないような世の中を私たちは生きているけど、一緒の時代を生きるってこういうことなんじゃない?という。
宇野 だとするとなおさら、戦時中にもっと花子と白蓮はやりあっていないといけないでしょう。時節柄、刺激したくないのもわかるけど、村岡花子を主人公にする以上、戦争との距離感についてはもっとシビアに描くべきだったんじゃないのかな。というか、中園さんが本当にやりたかったのは、花子じゃなくて白蓮のほうだったんじゃないか。■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
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アニメとは「真実の器」である~私的アニメ概論|山本寛
2020-11-12 07:00550pt
アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第14回。今回は個々の作品考察から一歩離れて、山本さんにとって改めてアニメとは何か、そしていま「アニメを愛する」とはどういうことかについて考えます。
山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法第14回 アニメとは「真実の器」である~私的アニメ概論
そもそも僕にとってアニメとは何か、を語る機会がこの連載でなかったことに気づいたので、今回は具体的な作品分析をすることなく、概論としてアニメを論じてみたい。 いつもよりさらに観念的・美学的な考察になるかも知れないが、容赦願いたい。
まだ業界に入りたて、木上益治氏に弟子入りしてすぐの頃だ。彼にこう訊かれた。 「君はどんなアニメを作りたいんだい?」 僕はこう答えた。 「作りたいアニメなんかありません」 呆気にとられた師匠に、僕はこう続けた。 「作らなければならないアニメがあるだけです。それが具体的にどんなものかはまだ解りません」。 狐につままれたような師匠の顔を今も覚えている。
僕にとってアニメへの期待は、「ロボットアニメをやりたい!」とか「異世界系!」「萌え!」とか、そんなジャンル論ではもちろんなく、欲望のイメージすらなく、ただ描きたい内容はその都度出る、というか、自然に顕れるものだと、当時から思っていたし、今も思っている。 それを僕は「真実」と呼ぶ。
もうついてこれていない読者のために念のため言っておくが、ここで言う「真実」とは「かくかくじかじかの理由で俺の言っていることは正しい!」とドヤ顔で説明するものではない。 むしろ僕自身が「発見」するものなのだ。 第9回で触れた「ピュシス」に近いものと言ってもいい。
真実は理論化や言語化できるものではなく、体験するものだ、と言ったのはかつての名指揮者、セルジュ・チェリビダッケだが、僕も同様の理由でアニメという職を選んだ。 まぁ選んだ当時(中学三年)はそこまで深くは考えず、ただ無我夢中で憧れていただけなのだが、大学に入って美学・芸術学を学んで、自分の道は間違っていないと確信した。 きっかけとなったのが、哲学者・ヘーゲルが提唱した「芸術終焉論」である。 タイトルの通り「芸術はもう終わりだ!」と宣言するその論には面食らったが、内容は以下の通りである。
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戦略的低クオリティ|高佐一慈
2020-11-11 07:00550pt
お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回は、高佐さんが子供の頃から大好きという「スーパーマーケット」について語ります。スーパーで流れてくる絶妙なBGMについて、思いを馳せてみましょう。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第11回 戦略的低クオリティ
僕はスーパーが好きだ。 スーパースター、スーパーヒーロー、スーパーサイヤ人……。 スーパーと名の付くものには何か特別な存在感があるが、ここでいうスーパーとは、言わずもがなスーパーマーケットのことだ。 なんの特別感もない、むしろ身近な存在として我々庶民のそばに寄り添ってくれるスーパーマーケット。これを読んでる人でスーパーに行ったことのない人はいないだろう。 子供の頃から大人になった今の今まで、ほぼ毎日お世話になっている。 僕は北海道函館市という北海道の中では3番目に大きい街の出身ではあるが、市の中でもだいぶ田舎の町に住んでいたので、子供の頃の遊び場としては、スーパーの中に設置してあるこじんまりとしたゲームセンターくらいしか無かった。 母親とスーパーに行くということになると、ちょっとウキウキした気持ちで車に乗り向かった思い出がある。 カートにレジカゴを嵌め、青果コーナー・鮮魚コーナー・精肉コーナー・惣菜コーナー・お菓子コーナーを母親と一緒にゆっくり見て回る。
「白菜が昨日と比べてこんなに安くなっている!」 「おっとっととハイレモンとチョコフレークでちょうど500円以内に収まるぞ!」 「カレーのルーってこんなに種類があるのか」
飽きたらカートの運転を母親に代わってもらい、僕はゲームセンターへと足を運び、じゃんけんゲームをしたりする。
「ジャンケンポン! あいこでしょ! あいこでしょ! ズコー!」
そして和菓子コーナーに向かい、棚からどら焼きを一つ手に取り、母親が運転しているカートを探しに向かう。探すコツは、スーパーの中央を横切る通りを歩きながら、縦に並んだ棚を左右見ながら進んでいくことだ。あまり歩みが早すぎると、ちょうど棚の死角に隠れてしまっている母親を見落としてしまう。 そうやって母親のカートに合流し、母親が献立を考えている隙を突いて、レジカゴの下の方にどら焼きをそっと忍ばせる。レジでお会計している時に、どら焼きがひょっこり顔を出すけど、もう時すでに遅し。どら焼きは店員にバーコードを読み取られ、受け取りのレジカゴへと入れられる。母親は、「あんた、いつの間に入れたの?」という顔をしている。 そんな微かなスリルを楽しめるのもスーパーの醍醐味だ。
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テレビの発展と『変形金剛(トランスフォーマー)』論争|古市雅子・峰岸宏行
2020-11-10 07:00550pt
北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第2回。1980年に中国初のテレビアニメとして『鉄臂阿童木(鉄腕アトム)』が放送されて以降、中央政府の施策によるテレビ局の増加によって、多くの日本のテレビアニメが堰を切ったように一気に上陸していきます。とりわけ、日米資本が合同した玩具展開とタイアップした1985年の『変形金剛(トランスフォーマー)』の大ブームは、都市部の消費文化に大きなインパクトを与え、中国社会で論争を引き起こしていくことになります。
古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究第2回 テレビの発展と『変形金剛(トランスフォーマー)』論争
中国で最初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』が放送されてから、さまざまなかたちで、日本のアニメが中国で放映されるようになります。そこにはテレビ局の増加とそれに伴うテレビ番組の需要の増加がありました。各省だけではなく、その下の行政単位である県や、直轄市でもテレビ局が設立され、毎日途切れず放送を続けるために手探りで努力を続けるテレビ局において、日本のアニメは重要なコンテンツの一つとなりました。テレビの発展とともに消費経済の洗礼を受けた当時の様子を振り返ります。
1.地方テレビ局の増加と『一休さん』(1975年)による波状放送の始まり
『鉄腕アトム』がCCTVで放送されると、続いて『ジャングル大帝』が『森林大帝』という名前で放送され、すぐにマンガも出版されました。しかしこうした規格外のビジネスモデルは続かなかったのか、CCTVが直接放映権を入手し放映する流れは途絶えてしまいます。代わりに出てくるのが地方局です。
1983年、政府は『四級辦台(テレビ局四級構造)』という新しい政策を打ち出しました。四級とは中央テレビを第一級、各省や北京、上海など国の直轄市のテレビ局を第二級、各省の直轄市を第三級、その下の県を第四級と分け、各地の条件に合わせてテレビ局の設置を許可したのです。それまでは中央、省レベルでしかテレビ局を設立できなかったためごく少ないテレビ局で全国をカバーしていましたが、1983年に北京で開かれた第11回全国広播電視工作会議(ラジオテレビ業務会議)で、中央と各省単位でしか設立できなかったテレビ局が地方直轄市、省の下の県でも設立できるようになり、中国のテレビ局数は一気に増加、そして番組制作も許可されることになりました。
しかしまだCCTVでさえ手探りで運営していた時代です。新設されたテレビ局には番組を制作する設備もノウハウもありません。また初期資金も少なく人材もいなかったので、海外からの番組を買い付けることも、海外番組の字幕を制作したり、吹き替えしたりすることも困難でした。当時はCCTVから配信されたニュースしか放送するものがないという状態の局も多かったようです。 そこでこれらの地方テレビ局は、設立が比較的早かった他局に、すぐに放送できる番組がないか聞いて回ることになります。しかしそれでも番組は足りません。
当時、香港と国境を接し、同じ広東語文化圏である広東省の広東電視台が香港のテレビ局から番組を買い付ける計画を密かに進めていました。1979年に許可が出ると、CCTVと広東電視台は共同で、10本の香港ドラマと1本のアメリカドラマを輸入、まずはCCTV主導で翻訳吹き替えしました。このアメリカドラマは1980年1月に放映開始した『大西洋底来的人(大西洋から来た男:Man from Atlantis;米1977年)』です。ドラマ『大西洋』は大ヒットします。そして翌年、『鉄腕アトム』がCCTVにて放映され大ブームを起こしたのを受け、1983年、新しく香港から日本の大人気アニメを買い付けますが、どうも翻訳がうまくいきません。なんとか2話制作したもののあとが続かない。どこか他の局でやってくれないだろうか。
そんな時、唯一名乗りを挙げたのが、当時、遼寧省広播電視庁副庁長だった晋稻光です。 「我々の省には児童劇団がある、そこでやってみてはどうか。」 なんとか話をまとめると、晋稻光は手に入れたアニメを担いで遼寧に戻り、遼寧児童芸術劇院(以下、遼芸)[※]に持ち込みました。
[※]ここでいう児童劇団は子供の役者が所属する児童劇団ではなく、大人が子供のための劇を演じる劇団のこと。
遼寧電視台は晋稻光に指示されて持ち帰ったフィルムを翻訳吹き替えするために同局スタッフ、張井方を監督に据え、遼芸で声優オーディションを行いました。張監督はオーディションとは一切通達せず、ただ詩と新聞速報の朗読録音テープを役者に提出させ、本当に技術とやる気のある役者を揃えて、遼寧テレビのスタジオで収録を行いました。そして1983年、スタッフの必死の努力の末、吹き替え版が完成します。それが中国で最も知られている日本アニメの一つ、『一休さん(聪明的一休)』(1975年)です。
▲中国で販売されていた一休さんの漫画(1984年)
『一休さん』は日本のお坊さんの話であるため、仏教に関する内容、唯心論に依拠する内容が含まれており、中国での放送にふさわしくない──これが広東テレビが制作を続けられなかった理由でした。日本のお寺での生活や習慣など、香港で翻訳、放送されたものを買い付けても、理解できない部分も多かったのでしょう。しかし、遼寧省はかつて満州国の一部だったところです。幸か不幸か、日本語で教育を受け、日本人の習慣や考え方などに精通した人材が中国で最も多い場所の一つでもあります。遼寧大学日本語学科の教授が翻訳を担当し、チーム一丸となって背景資料に至るまで詳細に調べ上げ、このアニメが中国の子供にいい影響を与える作品であることを確信し、仏教色を減らし、かつ不自然な吹き替えにならないよう一字一句考え抜いて翻訳、吹き替えを行ったのです。
かくして放映された遼寧版『一休さん』は完成度が高く、視聴者からもとても高い評価を得ました。実は遼寧児童芸術劇院は吹き替えの経験などなく、スタジオもなかったのですが、中国人が受け入れやすいように細部まで考え抜かれた翻訳に、海外アニメの吹き替えとして始めて児童劇団の役者を使ったことによって、より質の高い物が出来たこと、そして国内において海外アニメどころかアニメを放送する局がCCTV以外ほとんどなかったことから、これを機に遼寧テレビは一躍、人気テレビ局となります。
アニメの翻訳吹き替えを得意とする遼寧電視台と遼寧遼芸の登場は中国のテレビアニメ放送に大きな一石を投じました。地方局に日本アニメをはじめとする海外番組を翻訳アフレコできる団体が出現したことは大きな出来事です。そして最も重要なのは、「香港等から番組を安く買い付け」、「国内で翻訳吹き替えし」、「自局で放送」、「他地方局で再放送」という、海外ドラマの放送で確立されたビジネスモデルが、『一休さん』を皮切りにアニメでも成立するようになったことです。『一休さん』以降の日本アニメの普及は、全てこの「地方局での再放送」が鍵を握ることとなります。この現象を中国テレビ局の番組「波状放送」と名づけます。つまり、ある地方局が買い付け、吹替版を制作し放送されたアニメシリーズが、波が広がるようにその他の地方局で次々に再放送され、全国に広がっていくのです。
この時期に中国で放送された日本アニメにはほとんど修正は加えられず、そのままの状態で放送されました。朝から晩まで途切れず番組を放送するだけで精一杯だった時代です。厳しい検閲を加える余裕はまったくありませんでした。 この時期、国内で放送されたアニメは中国で吹替版を制作したものだけではなかったようです。1984年に放送された『花の子ルンルン(花仙子)』(1979年)は台湾訛りの中国語だったと当時を記憶している人から聞きました。中国と台湾との関係はまだ緊張が続いていた時代です。台湾で翻訳吹き替えしたアニメが香港に売られ、そこからまた中国に転売されたのかもしれません。もちろん、こうした放映権の二次販売、三次販売時に著作権料が日本に払われたかは定かではありません。改革開放によって、文革の鎖国状態から突然海外の市場経済に接することとなった中国では、そうした行為が許されないことだという認識もなく、また、そもそも正規に放映権を購入する力もないというのが実情でした。
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野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉
2020-11-09 07:00550pt
今月から(ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信いたします。大幅にグレードアップした第1部で取り上げるのは、90年代を代表する脚本家・野島伸司。昭和最終年となった1988年のヤングシナリオ大賞でのデビュー当時、バブル経済下の「トレンディドラマ」の時代とどう対峙していったのかを辿ります。
成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として
転換点としての1995年と「野島伸司の時代」
1995年は、戦後日本の大きな転換期となった年だ。1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、3月20日にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。 戦後、経済発展と共に治安に関しては世界一と言ってもいい平和大国だった日本に初めて不穏な影が差し込んだ。 また、バブル崩壊により1993年から有効求人倍率は1.0%を切り、95年にはついに0.63倍に。終身雇用と年功序列という戦後の経済成長を支えた日本型の家族経営は機能不全に陥り、新卒採用が見送られ就職氷河期が叫ばれるようになる。後に「失われた20年」などと言われる日本の低成長時代がいよいよ本格化しはじめたのだ。 だが一方で、ポップカルチャーは、遅れてきたバブルを謳歌していた。週刊少年ジャンプの発行部数は653万部を達成。小室哲哉がプロデュースしたアーティストの曲は立て続けにミリオンセラーを記録した。中でも大きな存在感を見せ始めていたのが、アニメーションである。 95年には押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』と大友克洋が監修を務めたオムニバスアニメ『MEMORIES』といった劇場アニメが公開された。大友克洋は88年公開の『AKIRA』が、押井は93年公開の『機動警察パトレイバー2 the movie』がそれぞれ海外でカルト的に評価され、それ以降「日本のアニメはクール」という、ジャパニメーションブームが起き、逆輸入的に国内のアニメを評価する動きが起こっていた。その勢いがいよいよ本格化するのも、この年である。 何よりもっとも反響を巻き起こしたのが、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送だろう。 14歳の少年・碇シンジが、エヴァと呼ばれる巨大ロボット(劇中では人造人間と呼ばれている)に乗って、使徒と呼ばれる謎の巨大生物と戦う本作は、『マジンガーZ』以降のロボットアニメや『ウルトラマン』等の特撮ドラマのテイストを盛り込んだ、戦後サブカルチャーの総決算とも言えるような物語となっており、謎が謎を呼ぶストーリーと登場人物のナイーブな心理描写は、アニメの枠を超えて、あらゆる国内カルチャーに影響を与えた。 一方、テクノロジーとコミュニケーションの面で大きかったのはマイクロソフトのOS・Windows95が発売されたことだろう。今まで一部のマニアだけのものだったパソコンが一般層にも普及し、メール、チャット、BBSといったインターネットを介したコミュニケーションが本格的に始まったのもこの年だった。 つまり、戦後日本が積み上げてきた経済発展が終わりを告げ、不況が始まる一方で、文化面では漫画やアニメといったオタクカルチャーを中心とした後にクールジャパンと呼ばれるような流れが誕生し、その一方でインターネットの登場によるコミュニケーションの変容が始まったのが、この95年だったと言えるだろう。
そのような激動の年、テレビドラマは、連日のオウム事件に対するニュース報道の影響もあってか、全体的に不調だったとも言われている。しかし、それでも現在(2020年)とくらべると高い視聴率を誇っており、歴史に名を残す話題作も多数放送されていた。 中でも、もっともこの年を象徴する作品だったのが野島伸司脚本のドラマ『未成年』(TBS)である。本作は93年の『高校教師』、94年の『人間・失格~たとえば僕が死んだら~』に続くTBS制作の野島ドラマ。この三作は、野島三部作と呼ばれており、彼のキャリアにおいてはもちろんのこと、日本のテレビドラマ史においても重要な作品だ。しかしそれ以上に『未成年』には、この95年にしか成立し得ない同時代性が刻印された野島ドラマ最大の問題作だった。
2020年現在、野島伸司はテレビドラマの中心にいるとは言えない存在だ。辛辣な言い方をするならば、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)とコンプライアンス(法令遵守)が叫ばれ、倫理的な振る舞いが一番に求められるテレビドラマにおいて、野島ドラマはとても座りが悪いものとなっている。雑誌等で「今のテレビでは放送できないドラマ特集」を組むと、上位を90年代に野島が書いたドラマが独占することが多いのだが、これは逆説的に彼が時代とズレてしまったことを証明している。 民放プライムタイムで脚本を手掛けたドラマは、2018年の『高嶺の花』(日本テレビ系)が最後の作品となっており、現在は、FOD(フジテレビオンデマンド)で配信されるドラマが活動の中心となっている。 それらの配信ドラマも、表向きは過激な題材を扱っているようにみえるが、かつての求心力があるというわけでもない。どうにも中途半端な立ち位置に今の彼はいる。 しかし、テレビドラマの歴史において「野島伸司の時代」としか言いようがない時代が、かつて存在した。 それは『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)が大ヒットした91年から『未成年』が放送された95年までの5年間である。この時代、なぜ野島ドラマはヒットを連発し、物議を呼んだのか? まずは彼がたどった80年代末から90年代前半の道のりをなぞることで、本書で中心に扱っている1995年以降のテレビドラマを準備した前史について整理しておきたい。
▲『101回目のプロポーズ』
ヤングシナリオ大賞でのデビュー
野島伸司は1963年生まれの脚本家だ。1988年に第二回フジテレビヤングシナリオ大賞を『時には母のない子のように』で受賞し、ドラマ脚本家としてのキャリアをスタートしている。 ちなみに第一回(1987年)のヤングシナリオ大賞を受賞したのは当時19歳だった坂元裕二である。 ヤングシナリオ大賞はフジテレビがトレンディドラマブームの中で、若手新人脚本家を輩出するために設立した新人賞だ。 第一回の坂元裕二、第二回の野島伸司を筆頭に、金子ありさ、尾崎将也、浅野妙子、武藤将吾、安達奈緒子、金子茂樹、桑村さや香、野木亜紀子といった、今も現役で活躍する脚本家たちも、この賞でデビューしている。 応募資格は自称35歳以下。「月刊ドラマ」1987年8月号に掲載された第一回ヤングシナリオ大賞の選評「ヤングの特権」で、シナリオライターの佐伯俊道は、この賞の審査基準について以下のように書いている。
ノッているか、ノリが悪いか。 過去をひきずり、未来を嘱望しつつ、いかに現在に具現化しているか。 『夢に飛べ!!』と銘打つヤングシナリオ大賞の審査の基準はそこにある。[1]
これだけだと「若くて勢いのある作家が欲しい」くらいしか意図がわからないのだが、それ以降には、歴史ある他の賞の最終審査だったら残る水準の作品は、第一次、第二次で落としたと書かれており、以下のような宣言が書かれている。
『文学としてのシナリオ』『テクニックに長けたシナリオ』『完璧に近いが何も新鮮味の感じられないシナリオ』は対象外なのだ。 具体的に言えば、『東芝日曜劇場』や『銀河ドラマ』の線は要らない。 泣かせや笑わせのだけで引っ張ろうとするドラマは要らない。[2]
東芝日曜劇場はTBS、銀河ドラマはNHKのドラマ枠でどちらも80年代後半に良質のドラマを放送していたドラマ枠だ。 70年代後半から80年代初頭にかけて頭角を表した、山田太一、倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家が書いたドラマが文学的な評価を得ており、その拠点となったのがNHKとTBSである。中でもTBSは「ドラマのTBS」と呼ばれていた。 そんな大人向けの文学的なドラマに対してアンチテーゼとして打ち出されたのがフジテレビのトレンディドラマだった。
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