• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 23件
  • Daily PLANETS 2021年7月第3週のハイライト

    2021-07-16 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    またもや発令された緊急事態宣言など不安定な情勢は続きますが、ステイホームに挫けずPLANETSのコンテンツを活かしていただければ幸いです。
    今週のハイライト
    7/12(月)【連載】(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革〈リニューアル配信〉第9回  私の働き方改革実践の最後のピース=「私」の改革

    (ほぼ)毎週月曜日は、大手文具メーカー・コクヨに勤めながら「働き方改革アドバイザー」として活躍する坂本崇博さんの好評連載「(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革」を大幅に加筆再構成してリニューアル配信しています。働き方を改革する上で最後の障壁となるのが個々人の「性質(キャラクター)
  • ノンアルコールから考えるあたらしい都市生活のかたち|播磨直希×鯉渕正行

    2021-07-15 10:35  
    550pt

    ノンアルコール飲料が流行し始めている昨今。「ノンアル」が文化として根づき、お酒を前提とした既存の食生活やコミュニケーションのあり方をアップデートするためには何が必要なのでしょうか。今回はノンアル文化の普及を進めるため実際に現場の最前線で活動されている、ノンアル飲料ブランド「YOILABO」代表の播磨直希さん、クラフトコーラマイスターの鯉淵正行さんに、これからのノンアルコール業界と人々のライフスタイルについてお話ししていただきました。(※現在PLANETSでは「飲まない東京」プロジェクトと称してノンアルコール業界を特集する企画を進めていますが、これは酒類の提供を行う飲食店への営業自粛を強いる政策を支持するものではありません。また、本誌編集長・宇野常寛は一連の政策に対して極めて批判的です)※本記事のタイトルに誤記があったため、修正して再配信いたしました。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【7月15日10時 30分追記】
    ノンアルコールから考えるあたらしい都市生活のかたち
    ノンアルコール業界でのこれまでとこれから
    ──現在PLANETSでは「飲まない東京プロジェクト」と題して、これからのノンアルコール文化を考えていく企画をさまざまな切り口から進めています。もちろん僕たちは飲食業についてはまったくの素人なので、いろいろと試行錯誤しながら考えているのですが、今日は実際にノンアルコール文化の普及の現場に携わる最前線の方々のお話を伺いたく、ノンアル飲料ブランド「YOILABO」を運営されている播磨直希さん、クラフトコーラマイスターの鯉淵正行さんのお二人をお招きして、この対談を企画させていただきました。
     まずはお二人のこれまでの取り組みについてお伺いしてもよろしいでしょうか。
    播磨 はい。僕らのYOILABO株式会社では、「世界からお酒の不公平をなくす」というミッションのもと、ノンアルコールドリンクのことを「ミドルドリンク」と銘打ってブランドを展開しています。もともと僕はお酒がすごく好きで、たまに飲むとかいった程度ではなく、365日毎日飲むくらいのレベルで好きなんですよ。「じゃあなんでこの事業やっているのか」というと、やはりお酒が飲めない人とも気兼ねなく食事に行きたいというのが一番大きいです。たとえば僕の友人は飲めない人がほとんどなので「久々に会おうよ」とか「飲みに行こうよ」とか言っても「いやーちょっとお酒飲めないからいいや」と断られる機会がしばしばあります。誘い方や僕の人望が原因のときもあるかもしれないですが(笑)。
     また行ったら行ったで、飲んでいいよ、飲まなくていいよ、と遠慮のし合いに。僕としてはやはり飲めない人たちとも一緒に美味しいものを食べ、気兼ねなく会話が生まれる場を楽しみたいんです。せっかく楽しいことをしているのに、そこに少しも負い目を感じてほしくないですし、負い目を感じたくない。
     ではなぜそのような状況になってしまうのかというと、お酒を飲めない人が楽しめるもののバリエーションが少ないというのが現状です。「じゃあなんで少ないのか」という点を深堀りしていまの事業が始まったのですが、僕らの活動を一言でいうと「食中専用設計」のノンアルコール飲料を開発しています。食中、つまり食事の間に楽しめるように設計されたクラフトノンアルコールの飲料を、中価格から高価格帯くらいのレストランやホテルに販売していて、最近では誰もが知っているような、多くの著名な店舗様にご利用いただいています。なぜそういったお店から始めたかというと、僕たちはビジネスにペインベース、マーケットインの発想で取り組む意識が強く、お酒を飲めない人たちが一番ペインを抱えているところから解決していきたいという思いがあったからです。やはりお酒を飲めない人が最も不満を抱えているのは、そういったお店に行ったとき、お酒を飲む人は数十種類のワインリストの中から安いワインもあれば高いワインもある中から選んでいるのに、「飲めない私にはスパークリングウォーターやウーロン茶しかない」といったようなケースに直面することです。最初の商品開発をするときにヒアリングした限りではそういった不満が一番多かったので、少し高めのレストランから取り組んだというわけです。
     具体的にはいま2ブランドを展開させていて、ひとつは「PairingTea」といって、ペアリング専用に設計された飲料です。ペアリングというのはひとつの料理に対してひとつのお酒をあてる行為のことですが、そこでお酒の代わりにお茶を使い、ハーブやスパイスでアレンジを加えて食材の特徴に合わせて楽しめるドリンクを作るというものです。もうひとつの「THE MID」というブランドは、果汁をベースにしたものです。果汁といっても、食中に普通のジュースを飲むと甘すぎるという声が多いので、甘さを控え、かつスパイスやハーブを加えることで嗜好性を高めた商品になっています。
    「PairingTea」
    「THE MID」
     こうした活動を通して、お酒を飲む人が当たり前に享受できている体験を、お酒が飲めない人にも受け取ってほしいなと思っています。お酒を飲むとしたら、たとえばバーや居酒屋、あるいはレストランなどいろいろな場所があり、場所によってウィスキーや日本酒、ビールや酎ハイなどいくつも種類があります。その中には価格の高低や、熟成の有無、味の強弱など、いろいろなお酒があるはずです。ところがノンアルコールになった途端、極端に選択肢が減ってしまいます。たとえばソフトドリンクの中に「オレンジジュース」があったとしたら、オレンジジュースはそれしかない。単一ブランドしか扱っていないことがほとんどです。そういった選択肢が極端に少ないことがそもそもよくないと思っていて、お酒と同じくらいの選択肢をノンアルコールの中でも増やすことで、いろいろな嗜好性が反映されて楽しんでいける状況にしたいと思っています。
     そもそも「お酒」と「ノンアルコール」に優劣がない状況になっていくのが望ましいと思っていて、現状ではどうしても価格差や扱いの差があらゆるお店で目立つ状況にあります。もちろん一部のトップクラスのお店、たとえば一食でお客さんが3万円や4万円も使うようなお店では、自分たちでノンアルコールメニューを作ることでそうした優劣を解決しているお店もありますが、やはり全体としては相当優劣がついてしまっている状況なので、少なくともそれらがイーブンになる状況まで持っていくべきだと思っています。
    鯉淵 僕がクラフトコーラマイスターとしての活動を始めるに至った背景には、僕もお酒を飲まない、飲めないに等しい体質で、お酒を前提とした価値観やコミュニケーションが苦手だったという事情があります。働き始めてからも数年間は飲み会に顔を出していましたが、それ以降はやめてしまいました。僕にとって飲み物といえばずっと「コカコーラ」だったので「飲み会になじめなくてもコカコーラさえあれば楽しいからいいや」とコカコーラに救われつつ、どこか一抹のさみしさも抱えて過ごしていました。
     そんななか、2018年の末くらいに、「クラフトコーラ」が都内のマーケットイベント(ファーマーズマーケット)に出店していると聞きつけ、すぐに訪れたんです。それが「伊良コーラ」との出会いだったのですが、実際に飲んでみて大好きになり、その直後に今でも有名な「ともコーラ」のことも知りそれらを愛飲していました。
    「伊良コーラ」
    「ともコーラ」
     それからいろいろなクラフトコーラを飲み比べてSNSでも発信していくうちに、徐々に評判が集まるようになってきて「全国厳選クラフトコーラ飲み比べ」というイベントを開催したんです。そこでの反響を目の当たりにしたことで「もっと活動の幅を広げ、クラフトコーラの存在感を高めていきたい」と強く思うようになり、この半年で本格的に活動し始めました。
     僕が主に伝えていることは、クラフトコーラでは作り手の方々それぞれの生い立ちやルーツ、あるいは地域性などが素材や作り方に反映されているということです。たとえば今は全国各地でさまざまなクラフトコーラが出てきていますが、地域の素材を使っているだけでなく、地域に根付いている文化までがクラフトコーラ作りに落とし込まれています。そういった作り手さんの話を聞いて自分がそれまで知らなかった世界に出会えることは、僕がたくさんのクラフトコーラを飲み比べ、調べていくなかで体感してきたことなので、ある意味では飲み物として楽しむだけではなく、その先にあるいろいろなメッセージに好奇心を持って触れられるメディアとしての魅力があると思っています。
     また、スパイス(シナモンやカルダモン、クローブ等)と、甘味素材(砂糖や蜂蜜等)、柑橘といった基礎的な組み合わせと製法をおさえれば、さらに+αの素材を入れても、コーラとして成り立つんですよね。なので素材の幅が広く、作り手さんの表現の余地が大きいのかな、と。だからこそ、いくつかの銘柄を飲み比べても一つひとつの個性が分かりやすく、日によって味わうものを変えたりして長く楽しみ続けられるところも魅力のひとつだと思っています。
     さらに言うと、クラフトコーラではそうしたメッセージが味わいや香りにわかりやすく表れて、コーラならではの清涼感と刺激とともにダイレクトに伝わってくる。「こんな良い天然素材を使っています」「こんな想いで作っています」という丁寧な文脈をパンチを持って受け止められる、丁寧さとジャンクさが両立された価値があると思います。「クラフト製品」というと、少し小難しい印象もあると思うんですよね。「知識がないと楽しめないんじゃないか」とか「こういうことを守ってないといけないんじゃないか」とか。僕としてはそういったメッセージ性も存分に味わってほしいですが、クラフトコーラなら、ただ飲むだけでもすぐにそのおいしさや刺激をわかりやすく享受できる。そういった敷居の低さはコーラという飲み物がもともと持っているポップな雰囲気や、ノンアルコールであることならではの魅力ではないでしょうか。
     もちろん体感してもらわないと伝わらないこともあるかなと思っているので、実際に僕がクラフトコーラをふるまう機会も作っています。たとえば、月一でふたつ営業の場を作っていまして、ひとつはKiKi北千住にて、営業後にクラフトコーラバーのようなものを開いています。もうひとつはPORTO品川というお店をお借りして「角打ちクラフトコーラ」と題し、さまざまなクラフトコーラを飲み比べられる場を作っています。クラフトコーラは種類によって本当にいろいろな味わい・香りがあるし、原液で入手できるからこそ、炭酸以外の飲み物で割ったりとさまざまな飲み方を楽しめるようメニューを工夫しています。そういったクラフトコーラの多角的な魅力を体験してもらえる場を提供しています。
    クラフトコーラバー(KiKi北千住)
    「角打ちクラフトコーラ」(PORTO品川)
     ゴールデンウイークには高円寺の小杉湯とコラボし、日替わりでいろいろなクラフトコーラを湯あがりに飲めるような場を作っていました。そのときは「湯あがり」というシチュエーションでしたが、ほかにも日常の中のいろいろなシチュエーションでクラフトコーラを体験してもらうことができれば、その人にとってクラフトコーラに親近感が沸くかなと思うので、今後もいろいろなシチュエーションと絡めたイベントを開いていきたいと思っています。
    ノンアルコール飲料が消費者に与える体験
    鯉淵 ここで播磨さんにお伺いしたいのですが、「ノンアル」を業界として俯瞰して見ている立場からだと、クラフトコーラはどういうふうに見えているのでしょうか?
    播磨 「ノンアル市場の中でのクラフトコーラ」という見方はしたことがありませんでした。なぜかというと、大手飲料メーカーなどもブーム的に参入するノンアル飲料の一カテゴリーというよりも、クラフトコーラはもっと独立系の動きというか、独自のブランド性を打ち立てて市場ができあがっている途中だという気がするからです。たとえて言えば、「アルコール市場」というよりは「ビール市場」のような形で市場ができているイメージでしょうか。競合としてみていないわけではないですが、クラフトコーラはクラフトコーラ独特の文化や嗜好性があり、先ほど触れられていたようにスパイスを使ったり香りを変えたり、少しほかの飲料とは一線を画するような、独特な進化を遂げているのかなと思います。
     その延長で僕からの質問を被せてもいいですか? 僕らの事業はどちらかというと「マイナス100」を「ゼロ」にする取組みで、とりあえず「ノンアル」を「お酒」の地位に持っていこう、というやり方をしているわけですけれど、クラフトコーラに関しては10を100にしたり、200にしたりという事業展開だと思うんです。そうしたなかで、たとえばクラフトコーラの飲料市場での地位をどこまで大きくしたいのかというような目標があるのかお聞きしたいなと思いました。
    鯉淵 僕自身は作り手ではなく、第三者目線からクラフトコーラのよさを発信する伝え手という立場なので、まずはただ自分の活動をどんどん拡大していきたいなとは思っています。
     その先に実現したいクラフトコーラの形としては、街のインフラのようなものにしたいということでしょうか。たとえば自分が住んでいる街に実店舗を構えたいと思っているのですが、そこでただカフェと同じようにドリンクを楽しむということだけではなく、クラフトコーラの可能性を最大限に反映した店舗にしたいんですよ。どういうことかというと、たとえばクラフトコーラは原液で入手できることも大事な魅力なので、シロップ瓶の販売もしたい。そのうえでたとえば毎月テーマを決めて豊富な銘柄の中から品揃えを変え、それをオンラインでサブスクのように展開して銘柄紹介のZINEを添えてみるのもおもしろいかなと思っています。また、さまざまな割り方やデザート・料理への使い方を、実践的に楽しめるイベントもお店で開催したいですね。
     こういったことを通じて、その街の住人から少し離れたところに住む人まで、ふらっと立ち寄ってその場で美味しいドリンクを飲めるだけではなく、クラフトコーラの幅広さやいろいろな楽しみ方を体感してもらい、自身の生活に持ち帰ることで日常での選択肢が増えるというようなことが実現できればと思っています。
    播磨 クラフトコーラの中には、たとえば多いものではスパイスや原料が10種類も20種類も使われているものもあって、その中で特定のスパイスを多く使って尖らせるとか、柑橘類を多くするとか唐辛子を多くするとかさまざまなバリエーションがありうるように、それぞれのメーカーやブランドの個性を出しやすいのかなと思います。たぶんそこで好き嫌いが分かれてファンになるかどうかが決まると思うんです。僕はともコーラがすごく好きなのですが、友達にそれを話したら「いや俺は伊良コーラだ」というようなこともありました。たとえばこういったケース以外で好みが分かれるパターンはあるのでしょうか。
    鯉淵 本当におっしゃる通りで、クラフトコーラではスパイスや柑橘などどの素材を使うのか、それらをどう配合させるかによっていろいろな味や香りの違いを生み出すことができます。かつ、クラフトコーラにおいてはその違いが伝わりやすい。
     おもしろい例で言うと「TETOTARO COLA」という商品があるのですが、ここでは自家製のカラメルが使われています。ただの砂糖ではなく、モラセスシュガーという、簡単にいうと焦がした状態の砂糖を使っているらしく、このコクと苦味たまらなくて。こういったように、甘味素材の使い方を追求して、個性を出しているケースもあります。
     あるいは柑橘を使うにしても、無農薬のライムを皮ごと使って苦みをしっかり主張させる「NARA COLA」というものもあったり、本当に銘柄によってあらゆる選択肢を楽しめるので好みもすごく分かれますし、違いを享受しやすいのかなと思っています。
    「TETOTARO COLA」
    「NARA COLA」
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • ノンアルコールから考えるあたらしい都市生活のかたち|播磨直希×鯉渕正行

    2021-07-15 07:00  
    550pt

    ノンアルコール飲料が流行し始めている昨今。「ノンアル」が文化として根づき、お酒を前提とした既存の食生活やコミュニケーションのあり方をアップデートするためには何が必要なのでしょうか。今回はノンアル文化の普及を進めるため実際に現場の最前線で活動されている、ノンアル飲料ブランド「YOILABO」代表の播磨直希さん、クラフトコーラマイスターの鯉淵正行さんに、これからのノンアルコール業界と人々のライフスタイルについてお話ししていただきました。(※現在PLANETSでは「飲まない東京」プロジェクトと称してノンアルコール業界を特集する企画を進めていますが、これは酒類の提供を行う飲食店への営業自粛を強いる政策を支持するものではありません。また、本誌編集長・宇野常寛は一連の政策に対して極めて批判的です)
    ノンアルコールから考えるあたらしい都市生活のかたち
    ノンアルコール業界でのこれまでとこれから
    ──現在PLANETSでは「飲まない東京プロジェクト」と題して、これからのノンアルコール文化を考えていく企画をさまざまな切り口から進めています。もちろん僕たちは飲食業についてはまったくの素人なので、いろいろと試行錯誤しながら考えているのですが、今日は実際にノンアルコール文化の普及の現場に携わる最前線の方々のお話を伺いたく、ノンアル飲料ブランド「YOILABO」を運営されている播磨直希さん、クラフトコーラマイスターの鯉淵正行さんのお二人をお招きして、この対談を企画させていただきました。
     まずはお二人のこれまでの取り組みについてお伺いしてもよろしいでしょうか。
    播磨 はい。僕らのYOILABO株式会社では、「世界からお酒の不公平をなくす」というミッションのもと、ノンアルコールドリンクのことを「ミドルドリンク」と銘打ってブランドを展開しています。もともと僕はお酒がすごく好きで、たまに飲むとかいった程度ではなく、365日毎日飲むくらいのレベルで好きなんですよ。「じゃあなんでこの事業やっているのか」というと、やはりお酒が飲めない人とも気兼ねなく食事に行きたいというのが一番大きいです。たとえば僕の友人は飲めない人がほとんどなので「久々に会おうよ」とか「飲みに行こうよ」とか言っても「いやーちょっとお酒飲めないからいいや」と断られる機会がしばしばあります。誘い方や僕の人望が原因のときもあるかもしれないですが(笑)。
     また行ったら行ったで、飲んでいいよ、飲まなくていいよ、と遠慮のし合いに。僕としてはやはり飲めない人たちとも一緒に美味しいものを食べ、気兼ねなく会話が生まれる場を楽しみたいんです。せっかく楽しいことをしているのに、そこに少しも負い目を感じてほしくないですし、負い目を感じたくない。
     ではなぜそのような状況になってしまうのかというと、お酒を飲めない人が楽しめるもののバリエーションが少ないというのが現状です。「じゃあなんで少ないのか」という点を深堀りしていまの事業が始まったのですが、僕らの活動を一言でいうと「食中専用設計」のノンアルコール飲料を開発しています。食中、つまり食事の間に楽しめるように設計されたクラフトノンアルコールの飲料を、中価格から高価格帯くらいのレストランやホテルに販売していて、最近では誰もが知っているような、多くの著名な店舗様にご利用いただいています。なぜそういったお店から始めたかというと、僕たちはビジネスにペインベース、マーケットインの発想で取り組む意識が強く、お酒を飲めない人たちが一番ペインを抱えているところから解決していきたいという思いがあったからです。やはりお酒を飲めない人が最も不満を抱えているのは、そういったお店に行ったとき、お酒を飲む人は数十種類のワインリストの中から安いワインもあれば高いワインもある中から選んでいるのに、「飲めない私にはスパークリングウォーターやウーロン茶しかない」といったようなケースに直面することです。最初の商品開発をするときにヒアリングした限りではそういった不満が一番多かったので、少し高めのレストランから取り組んだというわけです。
     具体的にはいま2ブランドを展開させていて、ひとつは「PairingTea」といって、ペアリング専用に設計された飲料です。ペアリングというのはひとつの料理に対してひとつのお酒をあてる行為のことですが、そこでお酒の代わりにお茶を使い、ハーブやスパイスでアレンジを加えて食材の特徴に合わせて楽しめるドリンクを作るというものです。もうひとつの「THE MID」というブランドは、果汁をベースにしたものです。果汁といっても、食中に普通のジュースを飲むと甘すぎるという声が多いので、甘さを控え、かつスパイスやハーブを加えることで嗜好性を高めた商品になっています。
    「PairingTea」
    「THE MID」
     こうした活動を通して、お酒を飲む人が当たり前に享受できている体験を、お酒が飲めない人にも受け取ってほしいなと思っています。お酒を飲むとしたら、たとえばバーや居酒屋、あるいはレストランなどいろいろな場所があり、場所によってウィスキーや日本酒、ビールや酎ハイなどいくつも種類があります。その中には価格の高低や、熟成の有無、味の強弱など、いろいろなお酒があるはずです。ところがノンアルコールになった途端、極端に選択肢が減ってしまいます。たとえばソフトドリンクの中に「オレンジジュース」があったとしたら、オレンジジュースはそれしかない。単一ブランドしか扱っていないことがほとんどです。そういった選択肢が極端に少ないことがそもそもよくないと思っていて、お酒と同じくらいの選択肢をノンアルコールの中でも増やすことで、いろいろな嗜好性が反映されて楽しんでいける状況にしたいと思っています。
     そもそも「お酒」と「ノンアルコール」に優劣がない状況になっていくのが望ましいと思っていて、現状ではどうしても価格差や扱いの差があらゆるお店で目立つ状況にあります。もちろん一部のトップクラスのお店、たとえば一食でお客さんが3万円や4万円も使うようなお店では、自分たちでノンアルコールメニューを作ることでそうした優劣を解決しているお店もありますが、やはり全体としては相当優劣がついてしまっている状況なので、少なくともそれらがイーブンになる状況まで持っていくべきだと思っています。
    鯉淵 僕がクラフトコーラマイスターとしての活動を始めるに至った背景には、僕もお酒を飲まない、飲めないに等しい体質で、お酒を前提とした価値観やコミュニケーションが苦手だったという事情があります。働き始めてからも数年間は飲み会に顔を出していましたが、それ以降はやめてしまいました。僕にとって飲み物といえばずっと「コカコーラ」だったので「飲み会になじめなくてもコカコーラさえあれば楽しいからいいや」とコカコーラに救われつつ、どこか一抹のさみしさも抱えて過ごしていました。
     そんななか、2018年の末くらいに、「クラフトコーラ」が都内のマーケットイベント(ファーマーズマーケット)に出店していると聞きつけ、すぐに訪れたんです。それが「伊良コーラ」との出会いだったのですが、実際に飲んでみて大好きになり、その直後に今でも有名な「ともコーラ」のことも知りそれらを愛飲していました。
    「伊良コーラ」
    「ともコーラ」
     それからいろいろなクラフトコーラを飲み比べてSNSでも発信していくうちに、徐々に評判が集まるようになってきて「全国厳選クラフトコーラ飲み比べ」というイベントを開催したんです。そこでの反響を目の当たりにしたことで「もっと活動の幅を広げ、クラフトコーラの存在感を高めていきたい」と強く思うようになり、この半年で本格的に活動し始めました。
     僕が主に伝えていることは、クラフトコーラでは作り手の方々それぞれの生い立ちやルーツ、あるいは地域性などが素材や作り方に反映されているということです。たとえば今は全国各地でさまざまなクラフトコーラが出てきていますが、地域の素材を使っているだけでなく、地域に根付いている文化までがクラフトコーラ作りに落とし込まれています。そういった作り手さんの話を聞いて自分がそれまで知らなかった世界に出会えることは、僕がたくさんのクラフトコーラを飲み比べ、調べていくなかで体感してきたことなので、ある意味では飲み物として楽しむだけではなく、その先にあるいろいろなメッセージに好奇心を持って触れられるメディアとしての魅力があると思っています。
     また、スパイス(シナモンやカルダモン、クローブ等)と、甘味素材(砂糖や蜂蜜等)、柑橘といった基礎的な組み合わせと製法をおさえれば、さらに+αの素材を入れても、コーラとして成り立つんですよね。なので素材の幅が広く、作り手さんの表現の余地が大きいのかな、と。だからこそ、いくつかの銘柄を飲み比べても一つひとつの個性が分かりやすく、日によって味わうものを変えたりして長く楽しみ続けられるところも魅力のひとつだと思っています。
     さらに言うと、クラフトコーラではそうしたメッセージが味わいや香りにわかりやすく表れて、コーラならではの清涼感と刺激とともにダイレクトに伝わってくる。「こんな良い天然素材を使っています」「こんな想いで作っています」という丁寧な文脈をパンチを持って受け止められる、丁寧さとジャンクさが両立された価値があると思います。「クラフト製品」というと、少し小難しい印象もあると思うんですよね。「知識がないと楽しめないんじゃないか」とか「こういうことを守ってないといけないんじゃないか」とか。僕としてはそういったメッセージ性も存分に味わってほしいですが、クラフトコーラなら、ただ飲むだけでもすぐにそのおいしさや刺激をわかりやすく享受できる。そういった敷居の低さはコーラという飲み物がもともと持っているポップな雰囲気や、ノンアルコールであることならではの魅力ではないでしょうか。
     もちろん体感してもらわないと伝わらないこともあるかなと思っているので、実際に僕がクラフトコーラをふるまう機会も作っています。たとえば、月一でふたつ営業の場を作っていまして、ひとつはKiKi北千住にて、営業後にクラフトコーラバーのようなものを開いています。もうひとつはPORTO品川というお店をお借りして「角打ちクラフトコーラ」と題し、さまざまなクラフトコーラを飲み比べられる場を作っています。クラフトコーラは種類によって本当にいろいろな味わい・香りがあるし、原液で入手できるからこそ、炭酸以外の飲み物で割ったりとさまざまな飲み方を楽しめるようメニューを工夫しています。そういったクラフトコーラの多角的な魅力を体験してもらえる場を提供しています。
    クラフトコーラバー(KiKi北千住)
    「角打ちクラフトコーラ」(PORTO品川)
     ゴールデンウイークには高円寺の小杉湯とコラボし、日替わりでいろいろなクラフトコーラを湯あがりに飲めるような場を作っていました。そのときは「湯あがり」というシチュエーションでしたが、ほかにも日常の中のいろいろなシチュエーションでクラフトコーラを体験してもらうことができれば、その人にとってクラフトコーラに親近感が沸くかなと思うので、今後もいろいろなシチュエーションと絡めたイベントを開いていきたいと思っています。
    ノンアルコール飲料が消費者に与える体験
    鯉淵 ここで播磨さんにお伺いしたいのですが、「ノンアル」を業界として俯瞰して見ている立場からだと、クラフトコーラはどういうふうに見えているのでしょうか?
    播磨 「ノンアル市場の中でのクラフトコーラ」という見方はしたことがありませんでした。なぜかというと、大手飲料メーカーなどもブーム的に参入するノンアル飲料の一カテゴリーというよりも、クラフトコーラはもっと独立系の動きというか、独自のブランド性を打ち立てて市場ができあがっている途中だという気がするからです。たとえて言えば、「アルコール市場」というよりは「ビール市場」のような形で市場ができているイメージでしょうか。競合としてみていないわけではないですが、クラフトコーラはクラフトコーラ独特の文化や嗜好性があり、先ほど触れられていたようにスパイスを使ったり香りを変えたり、少しほかの飲料とは一線を画するような、独特な進化を遂げているのかなと思います。
     その延長で僕からの質問を被せてもいいですか? 僕らの事業はどちらかというと「マイナス100」を「ゼロ」にする取組みで、とりあえず「ノンアル」を「お酒」の地位に持っていこう、というやり方をしているわけですけれど、クラフトコーラに関しては10を100にしたり、200にしたりという事業展開だと思うんです。そうしたなかで、たとえばクラフトコーラの飲料市場での地位をどこまで大きくしたいのかというような目標があるのかお聞きしたいなと思いました。
    鯉淵 僕自身は作り手ではなく、第三者目線からクラフトコーラのよさを発信する伝え手という立場なので、まずはただ自分の活動をどんどん拡大していきたいなとは思っています。
     その先に実現したいクラフトコーラの形としては、街のインフラのようなものにしたいということでしょうか。たとえば自分が住んでいる街に実店舗を構えたいと思っているのですが、そこでただカフェと同じようにドリンクを楽しむということだけではなく、クラフトコーラの可能性を最大限に反映した店舗にしたいんですよ。どういうことかというと、たとえばクラフトコーラは原液で入手できることも大事な魅力なので、シロップ瓶の販売もしたい。そのうえでたとえば毎月テーマを決めて豊富な銘柄の中から品揃えを変え、それをオンラインでサブスクのように展開して銘柄紹介のZINEを添えてみるのもおもしろいかなと思っています。また、さまざまな割り方やデザート・料理への使い方を、実践的に楽しめるイベントもお店で開催したいですね。
     こういったことを通じて、その街の住人から少し離れたところに住む人まで、ふらっと立ち寄ってその場で美味しいドリンクを飲めるだけではなく、クラフトコーラの幅広さやいろいろな楽しみ方を体感してもらい、自身の生活に持ち帰ることで日常での選択肢が増えるというようなことが実現できればと思っています。
    播磨 クラフトコーラの中には、たとえば多いものではスパイスや原料が10種類も20種類も使われているものもあって、その中で特定のスパイスを多く使って尖らせるとか、柑橘類を多くするとか唐辛子を多くするとかさまざまなバリエーションがありうるように、それぞれのメーカーやブランドの個性を出しやすいのかなと思います。たぶんそこで好き嫌いが分かれてファンになるかどうかが決まると思うんです。僕はともコーラがすごく好きなのですが、友達にそれを話したら「いや俺は伊良コーラだ」というようなこともありました。たとえばこういったケース以外で好みが分かれるパターンはあるのでしょうか。
    鯉淵 本当におっしゃる通りで、クラフトコーラではスパイスや柑橘などどの素材を使うのか、それらをどう配合させるかによっていろいろな味や香りの違いを生み出すことができます。かつ、クラフトコーラにおいてはその違いが伝わりやすい。
     おもしろい例で言うと「TETOTARO COLA」という商品があるのですが、ここでは自家製のカラメルが使われています。ただの砂糖ではなく、モラセスシュガーという、簡単にいうと焦がした状態の砂糖を使っているらしく、このコクと苦味たまらなくて。こういったように、甘味素材の使い方を追求して、個性を出しているケースもあります。
     あるいは柑橘を使うにしても、無農薬のライムを皮ごと使って苦みをしっかり主張させる「NARA COLA」というものもあったり、本当に銘柄によってあらゆる選択肢を楽しめるので好みもすごく分かれますし、違いを享受しやすいのかなと思っています。
    「TETOTARO COLA」
    「NARA COLA」
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 「ポストモダン」が生んだ想像力 -『千と千尋の神隠し』|山本寛

    2021-07-14 07:00  
    550pt

    アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第22回。前回の『もののけ姫』に続き、宮崎駿監督の新境地を見せた国民的ヒット作『千と千尋の神隠し』を振り返ります。長らく日本での映画興行収入記録のトップを誇り続けた本作が開花させた「ポストモダン」ならではの解放とは?
    山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法第22回 「ポストモダン」が生んだ想像力 -『千と千尋の神隠し』
    今回は前回に引き続き、宮崎御大の作品を取り上げようと思う。彼個人の中での「モダニズム」から「ポストモダン」への移行にさらに注目し、細かく読み解けば、アニメの現状を打開する策があるかも、と思ったからだ。 かつ、前回はかなりネガティブな締め方をしてしまい、このままでは僕自身がアニメそのものに希望を見失ってしまう、そんな危機感を抱き、そういう意味でも、アニメ界において大きな分水嶺となった『もののけ姫』(1997)の次に生み出されたこの『千と千尋の神隠し』(2001)はどういう意味があるのか、改めてじっくり考えてみようと思う。 実はこの作品、僕は計3回ほどしか観ていない。『もののけ姫』は卒論を書くためもあるが、封切直後劇場に通っただけでも13回を数えるのに、だ。それくらい、ある意味本作を軽視し続けていたことは確かだ。
    さて、議論を前回と接続するため、アニメの「モダニズム」崩壊の契機と僕が推測した、制作現場のガバナンス・マネジメントの問題から切り込んでいこう。
    『もののけ姫』を作り終えたスタジオジブリは、続いてすぐさま『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)の制作を開始した。しかし、これがとんでもなかった。 高畑勲の要求に現場が耐え切れず、悲鳴を上げたのだ。

    「お金もかかりますし、締め切りを守らないということもありますが、問題は作り方。まわりの人間を尊重するということがない人なんで、スタッフがみんなボロボロになる」「おまけに、ジブリはこうやって作るんだという、これまで培ってきたスタイルにまで手をつける。自分で作った方法論を否定して、新たに作り直す。創造と破壊と再生。スタッフは次々に倒れ、消えていきました」 それを知った宮崎駿氏は「鈴木さん、どうなってるんだ!」と激怒していたという。(文春オンライン「『なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか』──鈴木敏夫が語る高畑勲#1」)

    思えば高畑も、宮崎同様に時代の節目を感じていたように思える。二人は共に東映動画の労働運動を戦った仲であり、共産主義者であった。故にソ連崩壊は高畑にとっても相当堪えたに違いない。 そんな彼はこの頃から、セルアニメの否定を盛んに口にし出している。 詳しくは叶精二氏の「『かぐや姫の物語』作品論 「弁証法の人」高畑勲監督の到達点」(参照)などを参照にしてもらいたいのだが、ここに来て、高畑に一種の踏ん切りができたのではないかと思えるのだ。 「もう共産主義は泡と消えた。ならば、宮さん(宮崎)と自分主導でずっと共産主義的コミュニティとしてやってきたスタジオジブリがなくなるのも時間の問題だろう、じゃあもういい、好き勝手やらせてもらおうじゃないか!」 そんな思いが高畑の胸を過ぎったかどうかは確かめようがないが、僕はさもありなんだと思う。 つまりもう、ヤケだったのだ。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 『少年の君』── 事件的傑作、優等生とストリートチルドレンのボーイミーツガール|加藤るみ

    2021-07-13 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第18回をお届けします。今回ご紹介するのは中国映画『少年の君』。受験戦争やいじめ、ストリートチルドレンなど現代の社会問題に切り込みながら、高校生男女のボーイミーツガールが描かれます。すでに「2021年No.1」と言えるほど本作にハマってしまったというるみさんに、その魅力をたっぷりと語っていただきました。
    加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第18回 『少年の君』── 事件的傑作、優等生とストリートチルドレンのボーイミーツガール
    おはようございます。加藤るみです。
    私はレモンパイが好きです。
    上にはふわふわのメレンゲが乗っていて、下にはレモン風味のカスタードがぎっしり敷かれている二層のあのケーキは、私が産まれる前からやっている地元の小さな喫茶店に名物的な感じで置かれていて、小さい頃からよく食べていました。
    この前岐阜に帰ったときに、よく行っていたその喫茶店で母が買ってきてくれたみたいで、久しぶりにそのレモンパイと再会することができました。

    小さい頃は、おばあちゃんや母とよく行っていた喫茶店だったけど、大きくなればなるほど地元の店に行くことが減って、あまり行かなくなったんですね。 私自身が岐阜から名古屋〜東京〜大阪と離れていったという理由もあるけれど、ホントに町の人しか来ないような喫茶店だからこそ、ちゃんとしてなきゃいけないみたいな小っ恥ずかしさがあって、地元に帰ってもほとんど出歩けなくて。それ以前に、お店自体が営業しているかどうかもわからないくらいの静けさで、「もう閉めちゃったのかな」とも思っていたので、おそらく15年はそのレモンパイの味を忘れていたと思います。 母がたまたま、「あそこのレモンパイ買ってきたわよ」と、お店の名前を聞いたときは、強烈な懐かしさに加えて、埃をかぶっていた宝物を見つけた時のような嬉しさもあり、なんだかじーんとしてしまいました。
    どうやらそのお店はまだやっているみたいで、昔みたいにショーケースにケーキは並んでいないけど、注文したら1ホールから作ってくれるとのこと。 子供の頃だったら、マリオがスーパーキノコを手に入れた時のように興奮が止まらず完全無敵状態になってしまうであろう、レモンパイの1ホール食い。 母と姉と私で、それも深夜に、むしゃむしゃ食べるレモンパイの味は、とってもとても美味しくて。 子供の頃のように、おばあちゃんと母とあの喫茶店に行くことはもう二度とないんだろうなあと思うと、なんともいえない気持ちで胸がいっぱいになり、涙がこぼれそうでした。 さすがに泣いてる姿を見られるのは、恥ずかしいし病んでるのかと思われそうだからぐっと堪えましたが……。 涙を堪える力がついたあたり、私も大人になったなと思いました。
    ちなみに、そのレモンパイを超えるレモンパイには未だ出会えていないですが、京都にあるイノダコーヒーのレモンパイもお気に入りです。 京都へ行ったら、レモンパイ目当てに必ず行きます。
    さて。
    今日紹介するのは、中国映画『少年の君』です。
    この作品は、気が早いですが2021年No.1といってもいいほどでした。 ちょっとこれは事件レベルの傑作で、最近観たなかで群を抜いて良かったです……。 心から観てほしいと思える、中国映画の力強さを見せつけられた一本でした。
    この作品、中国では250億円近い興行収入を叩き出す大ヒットをおさめ、青春映画のジャンルとしてみれば歴代1位の記録を樹立したそうです。 しかも、ほとんど宣伝が行われないまま公開されたのにも関わらず。 第93回アカデミー賞では、国際長編映画賞にノミネートされ、世界的にも称賛されています。 ちなみに本作について、『ベイビー・ドライバー』('17)など、ヒットメーカーであるエドガー・ライト監督に「ノミネートが心から嬉しい」と言わしめたそうです。 (エドガー・ライト監督は『カメラを止めるな!』('17)公開時にTwitterで褒めていたり、10代の時に『HANABI』('97)や『ソナチネ』('93)、『その男、狂暴につき』('89)など北野武の作品を観ていたとインタビューで語っていたりとアジア映画のチェックがぬかりない……。)
    進学校に通う成績優秀な高校3年生のチェン・ニェン。 全国統一大学入試(=高考)を控え殺伐とする校内で、ひたすら参考書に向かい息を潜め卒業までの日々をやり過ごしていた。 そんな中、同級生の女子生徒がクラスメイトのいじめを苦に、校舎から飛び降り自らの命を絶ってしまう。 そのことをきっかけに、次のいじめの矛先は、チェン・ニェンへと向かうことに。 同級生たちの悪意が日増しに激しくなる中、下校途中の彼女は集団暴行を受けている少年を目撃し、とっさの判断で少年シャオベイを窮地から救う。 辛く孤独な日々を送る優等生の少女と、ストリートに生きるしかなかった不良少年。 孤独な二人はいつしか互いに引き合ってゆくのだが……。
    もう、心痛が止まらない……。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 私の働き方改革実践の最後のピース=「私」の改革 ──(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革 第9回〈リニューアル配信〉

    2021-07-12 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、大手文具メーカー・コクヨに勤めながら「働き方改革アドバイザー」として活躍する坂本崇博さんの好評連載「(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革」を大幅に加筆再構成してリニューアル配信しています。働き方を改革する上で最後の障壁となるのが個々人の「性質(キャラクター)」。実際に仕事との関わり方を変えていった人々の調査から、自らの「性質」を変え働き方を改革していく糸口を探ります。
    (意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革〈リニューアル配信〉第9回 私の働き方改革実践の最後のピース=「私」の改革
    あらすじ
     ここまで、私の働き方改革とは何か、そしてそれを組織的に進めるための課題と成功の鍵についてご紹介しました。これらの取り組みによって、一定数の組織メンバーは自らの「私の働き方改革」に注目し、動き出すことができると思います。 しかし、組織メンバーの意識・価値観が確実に変化し、フル活用できる制度や環境が整った中でも、全員が一斉に働き方改革に挑み始めるかというと、そうもいかないでしょう。 私の働き方改革に向けた一歩を踏み出す上で最後のボトルネックは「一人ひとりの性質(キャラクター)」であると考えます。 ここでいう「性質」とは、意識・価値観といった「なんらかのきっかけで大きく変わる」ことができるものよりももっと深い部分、「無意識」の領域に近い行動習慣や意思決定の傾向といったものです。 ここからは、この「性質」を変える(もしくは上書きする)上での考え方やアクション例をご紹介していきます。
    私の働き方改革の最後のピース
     ここまで、働き方改革とは自分で自分の働き方をアップデートする、いわば「私の働き方改革」であるべきと解説してきました。そしてそれを組織的に推進する上では、単に場や型をつくるだけでなく、技づくりにも着目するべきであると整理し、そのためには政治的・論理的・心理的なアプローチを組み合わせて、一人ひとりが「私の働き方改革」に着手できるような後押し施策に取り組むことが必要であるということを、事例も交えながらご紹介しました。 しかしながら、「私の働き方改革」はあくまで「私自身」の一人ひとりの意識・行動変容がゴールであり、どんなに周りからお膳立てをされても、それを機会として生かして一歩踏み出さなければ働き方改革は実現しません。 私がアドバイザーとしてお手伝いさせていただいているお客様からも「結局は社員一人ひとりが坂本のように、自分で自分の働き方改革を見直せる『意識の高い人』にならないと変わらない」「たとえ型・場・技づくりを進めても、そんな意識の高い人間に変わってもらうことは無理な話なのではないか?」といった問いかけをいただくことも少なくありません。 この問いかけに対しては助走をつけて全力で「そうではありません」とお答えしています。 なぜなら、私自身、意識が高くない人間であり、世の中の「意識高い系」には嫌悪感すら覚える「非リア充」なオタクだからです。 私は長年自分の働き方改革に取り組んできていますが、実のところそのモチベーションの源泉は「アニメを観たい」からですし、組織や周囲に働きかけて新しいやる事・やり方に挑戦しているように見えるのは、「空気を読めないから」です。 「意識高い」と言われている人によくあるような「自分を成長させたい」とか「社会や会社に貢献したい」「働き方改革というキーワードで色々な人とつながりたい」といった欲求はひとつもありません(それはそれで問題かもしれませんが……)。それなのに「坂本は意識が高い」なんて言われると、自分のアイデンティティを否定されているような気すらしてしまうくらいです。
     ……と、「坂本は意識が高いかどうか?」の水掛け論はともかくとして、私自身がこれまでにコクヨという組織の中で「私の働き方改革」を実践してきたことは事実です。そして、弊社の中でそうした「私の働き方改革」をまだ実践できていない人がいることも事実です。 また、私がお手伝いさせていただいている企業でも、型・場・技づくりが進むにつれ、自ら働き方改革に取り組む人が発生し始める一方、なかなか行動には現れてこない人もいることも事実です。 つまり、「私の働き方改革」を組織的に進めていく上でも、個人として勇気をもって一歩踏み出して私の働き方改革に挑戦できるようになるためにも、何かもう一欠片足りていないピースがあることは間違いありません。 ここからは、この「最後のピース」は何なのかという問いに着目し、「できている人は意識が高いからだ。どんなにお膳立てをしてもできない人はできない」という単純かつ解決策のない答えで終わらせずに、「たとえ今できていなくても、いつかできるようになるには何をすればよいか?」について、深く考察を進めたいと思います。
    最後のピースとは「人の性質(キャラクター)」
     先述したように、私がお手伝いさせていただいている政治的・論理的・心理的アプローチを駆使して型・場・技づくりを進めている企業内でも、「私の働き方改革」に挑み始める人(実践者)とそうでない人(非実践者)に分かれています。 しかし、この非実践者についても、型・場・技づくりの効果がまったくないということではありません。 つまり、働き方改革に無関心・無理解だったり否定的というわけではなく、働き方改革の本質について理解し、その取り組みの必要性も実感していることが多いにもかかわらず、「行動に移す」ステップには至っていないという状況が多いのです。
     ここで、人が行動変容に至るまでの段階についてモデル化した「行動変容段階モデル(トランスセオレティカルモデル)」に照らし合わせて整理してみると、図にあるように、多くの人は働き方改革というものに次第に関心を持つようになり(関心期)、かつ必要性も実感して「取り組みたい」と周りにも言い始めてはいるのです(準備期)。
     
     これは社内で改革意識アンケートをとってみても明らかでした。組織的な型・場・技づくりを進める前と後では、確実に働き方改革について正しく認識し、その必要性を感じ、「なんらかの動きをしたい」と考えている層が増えていたのです。 こうした「意識は高まっているがまだ行動に移せていない層」にヒアリングを行ったところ、こういうセリフをよく耳にしました。 「やりたいし、やれそうなんだけれども、キャラ的に難しい」と。 すなわち、型・場・技づくりによる意識改革や行動変容の後押しが功を奏して、一人ひとりが自らの行動を変えるかどうかには、「本人の性質(キャラクター)」も少なからず影響しているということです。 そして、その「人の性質」というものがもしどうやっても変われないとするなら、ここまでせっかく解説してきた「私の働き方改革」も最後は本人の生まれ持った性質次第ということになってしまいます。 もちろん、この連載をそんな結論で終わらせたくはありません。そこで、ここからは本人の性質は決して「不変のもの」ではなく、自分自身で変えることができるということを示していきたいと思うのです。 本連載の読者の皆様も、たとえ組織的に働き方改革を推進する担当者であっても、「頭ではわかっていても、自分自身、自分の働き方を変えることに不安がある」「最後の一歩が踏み出せない」という方も多いと思います。 この先の解説をお読みいただくことで、そうした最後の一歩を踏み出す後押しにつながれば幸いです。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • Daily PLANETS 2021年7月第2週のハイライト

    2021-07-09 07:00  
    おはようございます、PLANETS編集部です。
    今朝は今週のDaily PLANETSで配信した4記事のハイライトと、これから配信予定の動画コンテンツの配信の概要をご紹介します。
    坂本崇博さんの働き方改革指南や、お笑い芸人ザ・ギース高佐一慈さんのエッセイ、中野慧さんによる日本野球界への考察など人気連載記事に加え、「石巻2.0」代表松村豪太さんへの特別インタビューをお届けしました。
    今週のハイライト
    7/5(月)【連載】(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革〈リニューアル配信〉第8回「私の働き方改革」の具体的な推進施策

    (ほぼ)毎週月曜日は、大手文具メーカー・コクヨに勤めながら「働き方改革アドバイザー」として活躍する坂本崇博さんの好評連載「(意識が高くない僕たちのための)ゼロからはじめる働き方改革」を大幅に加筆再構成してリニューアル配信しています。上からお仕着せられる、
  • 石巻の10年で変えられたことと、変えられなかったこと|松村豪太

    2021-07-08 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、宮城県石巻市で単なるボランティア活動にとどまらないユニークな取組みで注目されてきた団体「石巻2.0」代表の松村豪太さんへのインタビューをお届けします。東日本大震災から10年。石巻で地道に活動をつづけてきた松村さんに、石巻のこれまでとこれからについて伺います。
    石巻の10年で変えられたことと、変えられなかったこと
    「震災以前には戻さない」──「闇鍋」から始まったまちづくり
    ▲石巻2.0が運営する「IRORI石巻」。コワーキングスペースとしても、カフェとしても利用できる。(撮影:蜷川新)
    宇野 僕が今回石巻を訪れたのは2度目で、1度目は10年前の6月あたりでした。区画によってはまだ瓦礫のようなゴミのようなものが積まれていて残っていて、商店街も、津波の影響で損傷しているところが多くて、商業地としては機能していない状態でした。  友達と二人で仙台でタクシーをチャーターして案内してもらったんですが、偶然タクシーの運転手さんがこの辺の出身の人だったんです。その運転手さんが石巻のひどい状態だった商店街を通ったときに、「この街は津波が来る前からどこも潰れているようなもんだったんだよ」と、自虐的に話していたのが記憶に残っています。  東京の学者先生なんかがわかったふうな口でそんなことを言うのではなく、こうやって地元のおっちゃんが普通に言うのだから説得力があるな、と思いましたね。僕も地方出身で、それなりに地方の現状は知っていたつもりで、やっぱり石巻も例外じゃないんだな、と思いました。要するに震災は既にひどい状態だった地方の現実をむき出しにさせたものでもあったわけですね。
    松村 2011年の6月というと、石巻2.0のコアメンバーが集まって、団体の名前がついたくらいですね。この辺りは中心部の瓦礫は一応片付けられたものの、まだ船が突っ込んで穴が空いたりした建物が町中に溢れていたと思います。僕はまさにタクシーの運転手さんが言っていた「津波が来る前から潰れているような街」というふうにこの街をみていた代表で「絶対に震災以前には戻さないぞ」と言っていた頃です。
     僕はもともと震災以前、NPO団体で総合型地域スポーツクラブのマネジメントをやっていて、夜はバーテンダーとして働いたりなんかして、活発なニートみたいな感じで(笑)活動していました。そんなときに地震ですべてが壊滅するような状態になってしまって。誤解を恐れず言えば、この靄がかかったようなつまらない世界を変えられるんじゃないかと思って、わくわくした部分もあります。
     最初の頃は本当にいわゆる復興ボランティア的なことをしていて、被災地の情報を発信していたブログを通じてアクセスしてくれた方を中心に一緒に泥かきをするプチボランティアセンターみたいなかたちで活動していました。石巻は石巻専修大学という大学があるんですけれども、そこの敷地を開放していてボランティアが集まりやすかったんです。当時もピースボートさんや、オン・ザ・ロードさんのような大きな組織は動いていたんですけれども、活動していく中でもっと細かいニーズ……たとえばヘドロにまみれた中華料理屋で大型冷蔵庫を起こすみたいなことにスピード感を持って対応する必要性を感じて活動していました。
     こうしていろんな人が集まってくる中で、建築家や、都市計画の研究者や、広告代理店のプロデューサー、ITやデザインを仕事にしているような、クリエイティブな職能を持った人たちと意気投合するようになりました。昼間のガレキ撤去や泥かき、物資の配布といった労働的な仕事の合間に、夜な夜な「闇鍋」と称して石巻を好き勝手に面白く、ある意味つまらなかった地方都市をここから面白く変えていこうという作戦会議をしていました。これが「石巻2.0」の原点です。
    ▲2011年、オンデザインの西田司さんとそのスタッフさん、学生さんたちと一緒に中華料理店の泥かきをしたときの様子。
    ▲石巻2.0の原点、2011年の闇鍋のようす。石巻2.0最初のコアメンバー・石巻工房の芦沢啓治さん、ワイデン+ケネディトウキョウ(当時)の飯田昭雄さん、建物の持ち主の阿部久利さんなど。
     「闇鍋」を開催している場所は、津波で船が突っ込み全壊する前は旅館でした。だから、泥に埋まった1階からお酒を掘り起こして、東京のメンバーが石巻に来る途中のスーパーでお肉や野菜を買ってきて、発電機の明かりで鍋をつつきながら「フリーペーパーかっこいいの作りたいね」とか、「自分たちでバー作ったら面白くない?」とか、「フェスをやりたい!」とか、自分たちが面白いと思えることを思い思いに語り合って、ひたすらブレストをしていました。
     そして7月には「STAND UP WEEK」という、街のいろんな場所を使った、実験的な文化祭のようなイベントを開催しました。テーマごとにさまざまなスピーカーを連れてきて語り合う「まちづくりシンポジウム」や、「野外上映会」、「フリーペーパー」、「復興バー」など、ブレストで上がったものをかたちにしていきました。もう先にポスターを作って街中に貼り出してしまって、見切り発車的にすべてを進めていった感じでしたけど……(笑)。
     「太陽光カフェ」という、ちょっと変わったカフェもやりました。並べられたペットボトルに入れた水が太陽光で温かくなって、子ども用のビーチプールでシャワーを浴びることができるというカフェで、今思うとよくあれをかたちにできたなと思いますね(笑)。今はコーヒーショップをやっている方が発起人だったんですが、もともと学生服なんかを扱う洋品店のオーナーさんで、ご夫婦ともに相当な「デッドヘッズ」で(笑)。古き良きアメリカのフェスがすごく大好きな方だったのでああいう企画を思いつかれたんだと思います。今はラスタカラー調の素敵なカフェをやっているんですが、そんな地元の面白い人たちにも参加してもらえました。  石巻市には2011年の1年だけで延べ28万人以上がボランティアで訪れていただいていますが、我々のイベントにはその中でも特に学術系のバックグラウンドを持った人や、まちづくりに興味のある建築系の人が多く参加してくれました。街の人もまったくいなかったわけではなく、新しい若者たちを歓迎する老舗の商店さんなんかももてなす側になって応援してくれましたね。
    宇野 活動資金はどうされていたんでしょうか? 
    松村 はじめは東京のメンバーを中心としたポケットマネーですね。僕ら現地の人間も当然なにか対価を得るわけでもなく、国から助成金をもらっていたわけでもありません。基本的に自分たちが勝手にやりたいからやっていたし、自分たちのものは自分たちで賄っていました。ちょっと経営者寄りのお仕事をしていて、ある程度自由に使えるお金がある人たちが手弁当でやっていた面もあります。  公の紐がついていない分好き勝手できたのと、早くから他の団体よりもボランティア寄りではない、おもしろいことができたことで、注目してもらったり、これから組んでいきたいと思えるような仲間が見つかったのは、とても大きかったと思います。
    ▲「STAND UP WEEK 」野外上映会の様子(出典)
    石巻2.0の10年間
    宇野 それが始まりというわけですね。その後からこの10年間、どのように活動を広げていったんでしょうか。
    松村 最初の年の好き勝手やった成果をもとに、2012年から復興系の助成金が取れたり、またその後県からの委託事業としてPR用の冊子をつくったり、調査事業やコミュニティ形成支援を市の委託事業として手掛けるようになりました。  はじめは持ち込まれた企画はとりあえずすべてやるという気持ちで、最初の1年だけでもいろんな方と組んで50ほどの事業をやりました。楽しくいろんな広がりを持てたのは狙い通りだったんですが、2〜3年目くらいから入ってくる若手のスタッフ・メンバーが疲弊していきました。「なんで自分はこんなことをやっているのかわからない」というような、フラストレーションと摩擦が大きくなっていって……。そこで3年目からは選択と集中を意識して、特にリソースを集約すべきニーズと、僕らがやりたいことで集約していきました。
     今もつづけて行っているのは、大きく分けると三つの柱+1です。
     一つは教育事業、二つめはコミュニティ事業、三つめはいわゆる地方創生的な移住促進やベンチャービジネスの創出。そしてプラスαとして、この「IRORI石巻」や「復興バー」、「まちの本棚」という本のコミュニティスペースなどに代表されるような、場の運営です。
     コミュニティ事業は、大きく2種類の属性があります。一つは言うなれば「守り」のコミュニティで、「誰もやりたくないけどやらなきゃいけないよね」というようなコミュニティ運営です。具体的に言うと、石巻はお家がなくなった人たちがまずは仮設住宅に移り住んで、その次に復興公営住宅に移り住む……といった具合に、どんどんコミュニティがシャッフルされていくような状態でした。そうなると必然的に、新しい地域の班長さんや、動けない人の見守りとかを誰かがやらなきゃいけなくなってしまった。そういったことを誰がやるのか決める話し合いなどのサポート活動を市の受託事業として我々がやっていました。
    ▲復興公営住宅入居におけるコミュニティ形成支援業務のようす(出典)
     もう一つは「攻め」のコミュニティです。全国的には「小規模多機能自治」、石巻では「地域自治システム」と呼んでいるんですが、要は従来の町内会単位ではなく、小学校区単位くらいで地域住民たちが自分たちの地域を経営していきましょう、という制度ですね。これは全国的に見てもあまりうまくいっている例が少ない制度で、石巻は当時の市長が公約として掲げていたんですが、なにをやったらいいか、本当に誰もわからなかったんです(笑)。「ちょっと若くて元気なやつらがなにかやっているから、あいつらにやってもらおう」ということで、僕らが受託することになりました。
     そこで、二つの地域で自治組織を立ち上げました。一つは市街地・住宅地エリアに近い山下地区。ここでは、「子育て部会」や「街歩きマップつくり部会」といった部会を立ち上げて活動しました。60代〜80代の人から若い人が一緒になって街を歩いて、濠とか、危ないところとか、子供が集まれそうなところとかを、あとで集まってから模造紙を広げてマッピングしていくような活動です。
     もう一つは農村エリアの桃生地区です。地域のことがより広く知られるように、広報誌を作ったり、「お嫁さん問題」を解決するために「恋活事業」と称して、みんなでお見合いパーティーを楽しく企画するといった活動をやっていました。
    ▲地域自治システムサポート事業のようす(出典)
    ▲ワークショップのようす
     とはいえ、もともと小規模多機能自治は、もともと後ろ向きな政策と言えます。国にお金がなくなって今までのような手厚い行政のサポートができないから、住民になんとかしてください、と丸投げしていくという発想から作られている。うまくいけば、たとえばもともと行政のルールで公園では火を焚いちゃいけない場所でも「住民の自治組織がやるという大義名分があれば火を焚いていいよ」とか「このエリアで商業活動していいよ」といった権限移譲ができて、稼げる状態をつくることができる。これが理想とされていると思うんですが、全国でもあまりうまくいっている事例はないんじゃないでしょうか。
    宇野 お役所の側の見回りや共有地の管理などの人的リソースがかかるところを住民に投げてしまえ、という発想をハックするところから始まっているわけですよね。  ちなみに、教育事業では、具体的になにをやられているんですか。
    松村 最初の1年は慶応義塾大学のSDM(システムデザインマネジメント学科)の方たちと一緒に、東京のビジネスマンや、大学の研究者をお客さんとして、課題解決をするプログラムを実施していました。当時の被災地はとにかく課題だらけだし、もともと斜陽産業がたくさんあったので、課題ホルダーがたくさんいました。そういう課題ホルダーがお題を提示して、デザイン思考、システム思考で事業化していくという内容でした。  ただ、やはり絵に描いたようにはうまくいかなくて……。地元の課題ホルダーの方に来てほしかったんですが、みんな復興でそれどころじゃなかったんです。相当がんばって頼み込んで来てもらったりしたんですけど、疲弊してしまって。
     そこで途中から方針を変えて、むしろこれから街の未来を担うのは高校生や大学生だ、ということで、ターゲットをがらっと変えました。教育分野では、当時NPO団体がすごく活躍されていて、お家が流されて教育を得る機会がなかった子に私塾的な学習の機会をプレゼントするとか、宿題をサポートするといった活動をしていました。  でも、僕らはどちらかと言うとクラスの隅の方で「こんな街出ていきたい」「こんななにもわからない周りのやつらは嫌だ」みたいな、いわゆる悪い意味で意識の高い、「出る杭」的な生意気な若者をターゲットにしたかったんです。彼らを集めて、東京から来ているカメラマンやライター、プロデューサーなどの専門的な技術を持つ人と交流することで、お題に対して表現する力、アウトプットする力を養う。こういったクリエイティブな能力を磨くための場として、「いしのまき学校」というプロジェクトを立ち上げました。
     だいたい1年あたり10人くらいの少数精鋭でやったんですが、もともと偏差値はそれほどでもない子がSFCにAO入試で合格する、といった成功事例はいくつか生み出すことができました。
    ▲「いしのまき学校」の様子(出典)
    宇野 三つめの地方創生事業では、具体的になにをされているんでしょうか?
    松村 まず一つに「石巻らしい移住の推進」ということで、移住コンシェルジュをやっています。僕らとしてはリタイア層がほっこり田舎暮らしをするために来るよりも、東京で居場所がなくて「自分はもっと自己実現できるはずだ」という人がチャレンジする場として石巻を選んでほしい、というコンセプトでPRしていますね。  もう一つがローカルベンチャーの立ち上げです。これは地域資源を活用して、ベンチャー的な思考とリテラシーで、おもしろおかしく事業を起こしていく人たちを外に向けてPRしたり、そういう新しい担い手を作っていくワークショップをやったり、リサーチ事業や、東京でトークイベントをやることで盛り上げていく、といったことをやっています。
    石巻から考える地方創生の鍵とは
    宇野 震災から10年というのはいろいろな意味で節目にならざるを得ないと思うのですが、これからの活動についてはどう考えていますか。
    松村 想定はしていましたが、今は大きなターニングポイントですよね。国の地方創生推進交付金を石巻市がもらい、我々が委託事業として活動資源としていたのですが、ちょうどこの3月で当初予定の5年事業が一旦終了したかたちになります。
    宇野 今後も持続可能な運動をしていくために、一番の踏ん張りどころですね。
    松村 良くも悪くも「復興」という色が消えていくのを感じています。そもそも本来僕らは「復興」というよりも、震源地に近い、なにもなくなったところで、全国的に地方が疲弊していた中で面白い地方都市のモデルを作っていこうとしていたので、この10年のいろんなアイディアを他の自治体を含めて横展開してスケールしていきたいという大まかなプランを持っていますが……なかなか難しいとは思います。
    ▲松村さん(撮影:蜷川新)
    宇野 ずばり、今の日本における地方創生の秘訣については、どうお考えでしょうか。たとえば石巻でも、松村さんたち以外のプレーヤーがいますし、女川や気仙沼、陸前高田にも、志は近いけど別のやり方をしている人たちがいると思うんです。その中で松村さんたちの特徴はどこにあるとお考えですか。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 戦後日本を代表する作詞家・阿久悠が描き出した”高校野球と日本人”の関係|中野慧

    2021-07-07 07:00  
    550pt

    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第‌10回‌「‌戦後日本を代表する作詞家・阿久悠が描き出した”高校野球と日本人”の関係」です。‌ 「若者の青春」の代名詞ともいえる高校野球ですが、日本人のそうした青春観が野球界の歪みを招き、社会の幸福度にも影響を与えているのではないか。阿久悠の掌編小説を引きながら、日本社会における高校野球の位置づけについて考察します。
    中野慧 文化系のための野球入門第10回 戦後日本を代表する作詞家・阿久悠が描き出した”高校野球と日本人”の関係
    ユースが登場すれば特待生問題も自動的に解決される
     本連載を通じて、すでに述べたように、これまでのプロ野球は高校生年代の育成においてアマチュア野球にフリーライドしてきたわけですが、ユース制度の導入はいわゆる「野球留学」「野球特待生」の問題の解決となる可能性もあります。  故・野村克也氏は著書『高校野球論』のなかで、高校時代に家庭が困窮しており、高校に進学するのがやっとだったことを語っています。

     いまの時代、私のような中学生は少なくなったかもしれない。しかし、才能がありながら経済的な理由で進学できなかったり、希望する学校に行けない生徒はいるはずだ。まして野球は想像以上に金のかかるスポーツである。私など、軟式用のグラブやバットすら買うお金がなかったので、卒業していく先輩のお下がりをもらったものだ。  そうした環境に恵まれない生徒を援助する制度がどうして後ろ指を指されなければならないのか[1]。

     高校野球の「特待生」という手法が「貧しいけれども野球の実力がある生徒のバックアップ」を目指していたかは疑問ですが、結果的にそういった意義はあったと考えられます。  これまでプロ野球チームが「高校生年代の育成」という側面において高校野球にフリーライドしてきたこと、また高校野球においては、学校制度を裏側からハックするゲームズマンシップ的なやり方で選手の育成を行なってきたことは確かです。そうしてエリート高校球児たちは歪んだエリート意識を持ち、それゆえに野球部以外の生徒から野球が嫌われる、という事態を招いてきたわけです。  しかし、ユース制度を作れば堂々と、プロは高校野球にフリーライドせず、自分たちの責任のもとに選手の育成を行うことができるようになります。そして高校生年代の選手たちは、何も後ろ指を指されることなくプロを目指すことができます。  現時点では、NPB・独立リーグ問わず、プロ野球チームは次第に「育成」へと進出し始めています。NPB12球団は小学生年代のジュニアチームで戦う「NPB12球団ジュニアトーナメント」を2005年から毎年開催し、12球団ジュニアの経験者からは松井裕樹(楽天)や森友哉(西武)などのスター選手も出ており、現在も毎年何人もプロ入りしています。  中学以上のカテゴリーでは楽天が、中学生の硬式野球チーム「東北楽天リトルシニア」を持っており[2]、関西独立リーグの兵庫ブルーサンダースは芦屋学園と提携して独自の高野連に所属しない高校野球チームを持っています。  NPB球団がいまだユースチームを持っていないのはアマチュアからの反発を恐れているからだと考えられます。しかし、ここまで述べてきたように、NPB球団がユースチームを持つことによって、日本の野球文化自体が、これまでのインフォーマルなやり方に頼らずに、社会と調和しながらポジティブな形で発展していけるはずです。
    野球は「社会に役立つ」ものであるべきか
     「頂上」の問題は、ユースの導入によりだいぶ見通しが開けてくるわけですが、野球文化全体で見たとき、「裾野」も重要です。こうした視点は、近年、野球界の改革論を数多くメディア上で述べている桑田真澄氏の論にも見られる視点です。桑田氏は、「野球道を通じて社会に役立つ人間を育成」することを主張しています。つまり、野球をやっていてたとえプロ野球選手になれなかったとしても、野球で培われた経験をもとに社会に役立つ人間になってほしい、という願いがそこには込められています。そして、ここでいう社会に役立つ人材というのは、基本的には資本主義社会に貢献し、売上を上げるビジネスマンになるということが想定されてます。  しかしこの野球観は、すでに述べたように「スポーツによって人間形成が行われる」という非常に問題の多いテーゼを内面化してしまっています。  そもそもスポーツというものの語源が「気晴らし」であることからも明らかなように、何か外側の「社会」に役立つ必要は、実はまったくないはずなのです。  また、たとえ直接的に社会の役に立たなくとも、『もしドラ』のように野球を通じた「感動の創造」に寄与できればよいという考え方もあるかもしれません。しかし、「コンテンツによって感動を届ける」というのもまた転倒した論理です。こういった考え方に関して、ロックバンドGRAPEVINE(グレイプバイン)の田中和将氏が、エッセイにこんなことを書いていました。

     幼少期の私の家庭事情は複雑で、かなりの社会的弱者と言ってよい環境で育った。物心がつき、少しは人並みに暮らせるようになった少年期に音楽に出逢ったが、前述のような「勇気を与えたい」という作為を少しでも感じさせるもの、ましてやそれを口に出してまで主張するものには全く心が動かなかった。音楽は、いや音楽に限らず全ての作品やパフォーマンスは、受け取る側が自らの解釈で咀嚼して初めて「勇気」や「元気」に変換されるものだと考えている。その意味では私も音楽に救われた人間の一人であるが、「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」という、烏滸がましく傲慢な動機でものを作ることを今も自分に禁じている。 (中略)  私は自分の作るものが芸術だとも娯楽だとも、人の役に立つとも思っていない。あるとすれば、私以外の手が入って、バンドの何かが作用して、聴き手の何かが作用して、やっと有意義なものが産まれるかもしれないという期待である。私と似たような者の居場所が生まれるかもしれないと[3]。

     野球に関しても、これと同じ感覚でよいのではないでしょうか。何より自分たちの「楽しさ」を最大化すること、それがもしかしたら「自分たちの成長」や「他者の感動」を促すかもしれませんが、それを目的として掲げてしまった瞬間に、大事な何かが失われてしまうように思うのです。
    ライフスタイルスポーツとしての野球
     自分の話になりますが、私は高校・大学と野球を続け、大学4年秋のリーグ戦が終わる頃には、「もう二度と野球はいいかな」という気持ちになっていました。しかしそれから、この連載を書き始めたこともきっかけになって社会人の軟式野球、つまり「草野球」を始めてみたところ、改めてこのスポーツの魅力を感じるようになったのです。  「草野球」という言葉からは、真面目にやっていない、エラーばかりのしまらない試合をしているのかと思っていたのですが、全然そんなことはありません。経験者も初心者も共存でき、足りない部分は補い合い、相手の素晴らしいプレーには拍手を送るという、まさに野球の「楽しさ」を存分に引き出そうとする姿勢がありました。  草野球は、青年男性ばかりでなく、女性もご高齢の方も、老若男女関係なく参加しています。そもそも野球は体力もそこまで必要なく、運動強度としてはゴルフよりは高く、サッカーやバスケットボールほどではない、ぐらいのものです。「きつい」よりは「楽しい」が多く、打ったり投げたりでプレーの激しさはそれなりにありますがボディコンタクトがないのでケガの危険性が低いという、ライフスタイルスポーツ(生涯スポーツ)としては極めて「ちょうどいい」ものなのです。元ロッテのエースだった村田兆治さんが、60歳を過ぎても始球式で時速130km/hを超えるスピードボールを投げ続けていることで話題になっていましたが、他にも元気にプレーしているご高齢の方は実はとても多くいらっしゃいます。また、学生野球の経験者に関しては、野球の技量だけでなく、コーチングやチーム運営、雰囲気づくりなど、これまで自分たちが野球部で経験してきた「楽しくなさ」を反面教師にして、良い方向に活かすこともできます。  しかしあるとき、はたと気づきました。自分がこれまで学生野球で出会ってきた野球仲間はおそらく数百人に上るはずですが、見渡すと大人になっても野球を続けている人がほとんどいないのです。学生時代の仲間を「草野球」に誘っても、「野球は、もういいかな」「草野球って真剣勝負じゃないでしょ」「それよりも今はゴルフにハマってるんだよ」という雰囲気が出ています。たしかに私自身も「草野球」を始める前はそう思っていました。
     この背景には、日本には「野球は若いときにするもの」という価値観が強くあるのではないでしょうか。そして、その観念の形成には「甲子園」が強く影響していると考えられます。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 睡眠銀行|高佐一慈

    2021-07-06 07:00  
    550pt

    お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回は、誰しも経験したことがあるだろう「寝溜め」について。休日になるとつい普段より長く寝すぎてしまう高佐さんが、理想の睡眠環境を語ります。
    6/30に開催されたザ・ギースの「60分漫才ライブ」はアーカイブでも配信中だそうです(本日までチケット販売中)。詳しくはこちら。
    高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第19回 睡眠銀行
     次の日が休みの時は、自然とお昼まで寝てしまうことがよくある。  9時間とか10時間とか平気で寝てしまう。僕の平均睡眠時間は7時間だ。  なので2時間から3時間、余分に寝てしまっている。寝ること自体はとても好きなのだが、9時間も10時間も寝てから起きた後は、いつも「しまった! こんなに寝てしまった!」と思ってしまう。寝ていた時間がもったいないという感覚だ。  「この3時間があれば、あんなことやこんなこと、あれもできたしこれもできたではないか!」と自己嫌悪に陥り、気分が落ちてしまう。まあでも失った時間ほど輝いて見えるだけで、結局は起きていたとしても大したことはしない。どうせボーッとテレビでも見て無為に時間が過ぎていくだけだ。
     逆に、全然寝られない時もある。  次の日大事な仕事がある時などは、そのことについてあーでもないこーでもないと、色々と考えを巡らせたり、うまくいかなかったらどうしようと緊張して眠れない。いつの間にか小鳥のチュンチュンという声が聞こえてきて、窓の外が明るんでくる。そして寝不足のまま仕事に行く時間になる。  そんな時にいつも思う。ただ無駄に寝てしまった時の睡眠時間をここに持ってこれればなぁと。皆さんもこう思うことは一度や二度じゃないはずだ。
     「寝溜め」という言葉がある。予想される睡眠不足にそなえ、ひまを見計って寝ておくことだ。  ただ、これは超短期的な範囲の中での有効な手だ。明日は徹夜で仕事をするハメになるから、今のうちにできるだけ寝ておこう、とか。
     いつも思う。睡眠銀行というものがあればなぁと。そしてそれは24時間いつでも預眠できたり、引き出したりできるのだ。預眠額に応じて利子もつく。残高を見て、まだこんなにあるぞとニヤつくこともありそうだ。  逆に消費者眠融というのも出てくるだろう。後で返眠する代わりに、先に借眠することができる眠融機関だ。ただし借眠が重なって、他の消費者眠融にも手を出してしまい、あれよあれよという間に多重債務者になり、借眠の取り立てに追われ、首も回らなければ、目も瞑れない日々を過ごすことになるのは避けなければならない。
     このシステムがあれば、たとえば、10時間寝てしまった時に、睡眠銀行に行き、窓口でもATMでもいいが、3時間だけ預眠する。すると3時間分の睡眠を削られることになるので、少しだけ眠くなったり、ちょびっとだけ疲労がのしかかってきたりするが、平均睡眠時間7時間の僕にしてみれば、別に大したことはない。むしろこれが普通だ。  これで4時間しか寝られなかった時に、預眠した分の3時間を引き落とすことが可能となる。  想像する。  今日は大事な仕事だ。でも眠い。ボーッとしてパフォーマンスが低下しそうだ。非常に眠すぎる。あれこれ考えすぎたせいだ。いや、それはウソで、本当は昨日徹夜でゲームしてしまったせいだ。でも大丈夫。わざと徹夜したのだ。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。