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記事 24件
  • ちろうのAKB体験記:第14回 脳内パラダイス公演はじまる

    2013-08-30 20:29  
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar305077第14回 脳内パラダイス公演はじまるチームKの青春ガールズ公演が千秋楽を迎えると、1ヶ月間「K1st Partyが始まるよ」リバイバル公演が行われた。その後も、次の公演の準備期間や節目の公演にサプライズ的に過去のリバイバル公演が行われることが度々あった(前述の1周年記念公演はチームAの「Partyが始まるよ」リバイバル公演だった)。そして12月17日、ついに「K3rd 脳内パラダイス公演」が封切られた。これも「青春ガールズ公演」に負けるとも劣らない神公演と評しても良いものだった。高校生の軽音楽部を彷彿とさせるバンド演奏「友よ」から始まり、表題曲「脳内パラダイス」、「気になる転校生」で一気に劇場の盛り上がりは最高潮に達する。アンコールはダンスが特徴的で男らしい振り付けでチームKらしさを存分に出した「花と散れ!」で始まり、青春ガールズ公演でも好評だった「Virgin Love」、「シンデレラは騙されない」、「転がる石になれ」のメドレー。ラストで披露される「草原の奇跡」ではメンバーと一緒に、ファン同士も肩を組んで合唱するのがお決まりとなった。「草原の奇跡」はプロデューサーである秋元康が自ら「不朽の名作」であると評するほどである。さらにはユニット曲で、大島優子がソロで歌う「泣きながら微笑んで」を与えられたのもこの公演だった。「渚のCHERRY」では前田敦子一人がマイクで歌うことが話題となったが(バックダンサーが3人いた)、「泣きながら微笑んで」は完全に一人でのパフォーマンス。後に劇場公演では高橋みなみ、秋元才加、柏木由紀、松井玲奈(SKE48)といったメンバーがソロ曲を与えられるが、その流れの始まりとも言える曲である。ユニット曲でソロを任されるのは、人気と実力を認められていることの明確な証だと言えるだろう。 
  • ちろうのAKB体験記:第13回 mixiについて

    2013-08-02 12:01  
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar299184第13回  mixiについてまもなくするとK2nd「青春ガールズ公演」は千秋楽を迎えることが決まり、新公演が発表された。その際に劇場支配人のtgsk氏が自身のブログで次の公演名をフライングで告知してしまい、ブログ上で土下座をしている画像をあげるということが起こった。今となってはなかなか微笑ましいエピソードである。そこで発表された公演名は「脳内パラダイス公演」だった。この「脳内」という言葉こそ、AKBヲタが好んで使っていたジャーゴンであり、それを公式の公演名に取り入れてきたのには驚いた(AKB以前にも元々アイドルファンの間では使われていたらしいが)。それこそ2ch等の匿名掲示板で頻繁に使われていた言葉で、つまりはAKB48の総合プロデューサーである秋元
  • ちろうのAKB体験記:第12回 チームC、Cヲタについて

    2013-07-26 19:02  
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar293001第12回  チームC、Cヲタについて前述の篠田麻里子にも関連することであるが、やはりこのことは語っておきたいと思う。AKBヲタの中でそれほど存在を認知されることはなかったが、しかし確実にそこに存在していたムーブメントについて。それはチームC、Cヲタの存在についてだ。Cとはもちろんカフェのこと。AKB48劇場に併設していたカフェ(48'cafe)で、劇場がOPENしている間、ジュースやアイス、軽食を注文しテーブルで食べたりすることができた。そこで篠田麻里子が働いていたことは有名な話であるが、チームKの大堀恵、また4期研究生としてデビューする小原春香もそこで働いていた経験がある。当時のカフェの店員はAKB48のメンバーになりたい人が働く場所、という認識であったらしい。そして、そこで働いている子をカフェっ娘と言った。つまりはその子たちをアイドルと見立て、チームA、チームKなどの呼称にちなんでチームCと名づけ、さらにはその子たちのファンのことをCヲタと半ば自嘲気味に名づけて遊んでいたのだ。AKB48劇場が始まった当初からCヲタはいたという。カフェっ子のヲタなどAKBヲタにあらずという風潮はあったが、しかし確実にAKBの歴史において無視はできない存在であると個人的には思う。今回はぼくの古くからのヲタ友であり爆笑必至な2人のCヲタを紹介したいと思う。一人目はN氏。2005年12月8日、彼は秋葉原ドン・キホーテ8階にいたのである。しかし劇場には入らなかった。得体の知れぬアイドルグループにお金を払って公演を見るほどではなかったのだろう。しかし次の日もその次の日も毎日劇場に足を運ぶことになる。何故ならそこにカフェっ子がいたからであった。 
  • ちろうのAKB体験記:第11回 1周年記念公演 秋葉原大運動会

    2013-07-19 19:08  
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar287061第11回  1周年記念公演  秋葉原大運動会2006年12月8日はAKB48劇場が始まって1周年である。この頃は前にも触れたように初日・千秋楽といった節目の公演は混雑が予想されることから完全メール抽選となっていた。しかしこの1周年公演にはそういうアナウンスはない。それでも何かしらのサプライズはあるという予想がファンの中で共有されていたので、この日のチケット争奪戦は熾烈なものになりそうだった。それを察知した運営側は、変わった策に出る。チケット販売の10時の1時間前、午前9時にチケット販売のための整理券を配る列を作る場所を発表するというのだ。よくよく考えれば、その程度のことで混雑が解消されるわけはないと思うが、これが後に伝説となる秋葉原大運動会の始まりである。整理券配布場所を変えるといっても、ドンキホーテからそう遠くないことは予想されたから、200人ほどのファンが午前9時前にはすでにドンキホーテの裏に集結していたのだった。整理券の配布場所はトガブロで発表されるということだったので、そこにいたほぼ全員が携帯電話の画面とにらめっこをしていたが、ぼくはただ周りのファンの動きに合わせれば良いと気楽に構えていた。それはほんの一瞬だった。誰かが走り始めたのだろう。堰を切ったようにその場にいた全員が一方向に走り始めたのである!それはまさに大運動会の号砲、お祭りの始まりだった。果たして整理券のための列はドンキホーテの裏通りからさらに一本裏、万世橋消防署のある通りのJR高架のすぐ脇だった。そこに先頭のスタッフが立っていたらしく、ファンが雪崩のように突撃していく。これまで見たこともないような異様な光景だった。後に、運動会のコース上にたまたま居合わせた一般人が怪我をしたなどの情報があったし、その運動会に参加していたぼく自身、ヘタをしたら命の危険に関わるよなという恐怖に駆られた。列もあってないようなもので、徐々に先頭から整列していくわけだが、後からそこにやってきたとしても律儀に後ろの方に回り込まずに、前の方に突撃していけば列に吸収されるという無法地帯だった。しかしその光景を、目の前の万世橋消防署の人たちはどんな気持ちで見ていたのだろうか(笑)。 
  • ちろうのAKB体験記:第10回 初めての2ショットポラ

    2013-07-12 19:36  
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar138335第10回  初めての2ショットポラ人の欲というものは止まらないもので、ぼくも「2ショットポラ」というものを撮りたくなってきた。2ショットポラは基本的に劇場公演のあとに劇場内に呼び出され、指定のメンバーと2ショット写真を撮れるというものだ。その写真にはサインとメッセージを書いてもらい、当日あるいは後日に受け取るのだが、何といっても好きなメンバーと3~5分直接しゃべることができるということが魅力だった。(補足だが、通称「ポラ」は商品名(ポラロイド)で、後に生産中止になり現在は存在していない。今あるのは一回り小さな「チェキ」、あるいはポラロイドと同程度の大きさの「ワイドチェキ」である)【※1】2ショットポラの始まりはインディーズシングル「桜の花びらたち」。1期生20人、それぞれのジャケットのCDがセットになった20枚入りのBOXを購入すると、その購入特典として与えられる権利であった。その価格が2万円である。もちろんそれはあくまでも「おまけ」であるのだが、今現在個別握手券が「1枚1,000円(正しくはCDが1,000円であり握手券はおまけだが)」と換算されるように、「2ショットポラは2万円」という暗黙の基準が制定されたのであった(後にあくまでもファン同士の中で5万円、3万円、10万円以上と変動する)。次のインディーズシングル「スカート、ひらり」でも20枚セットのBOXが販売される。さらには当時劇場のカフェで販売していた「AKB浴衣(販売価格24,000円)」にも2ショットポラの権利は特典としてついてきた。そのような2ショットポラ券が乱発されていた時代を、ぼくは経験していない。正確に言うと、撮ってはみたかったがしかし、本来はおまけでしかないはずのものを2万円や3万円も出して買うことは躊躇われた。だからまあ「機会があればそのときで良いだろう」というくらいの気持ちだったのである。しかしメジャーデビューも果たした2006年11月ころ、2ショットポラを撮る権利はしばらく提供されておらず、3万円でも5万円でも出して撮りたいという人が現れ始めていた。そんな中、tgskこと劇場支配人の戸賀崎氏が平日の昼間にAKBカフェスペースに現れ、事務所から「スカートひらり」の20枚BOXセットを持ってきて、ドカドカと物販スペースに並べ始めたのである。 
  • ちろうのAKB体験記:第9回 初めてのコンサート、日本青年館

    2013-07-05 18:46  
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar273800第9回  初めてのコンサート、日本青年館メジャーデビューを果たすと、すぐに次のイベントはやってきた。初めての劇場外でのコンサート、日本青年館コンサートが2006年11月に行われたのである。この頃すでに劇場公演は常に満員、キャパシティ不足である感じが否めなかったから、1000人規模の会場でコンサートをやることは必然であったと思う(この頃ですでにこうなのだから、2013年現在まで同じ劇場を使っているというのは驚きだ)。とにかくこの頃のAKB48が打ち出すイベントには参加しないという手はなかった。AKB48がついに秋葉原の劇場を飛び出すという触れ込みで、当時はAKBヲタであればこの日本青年館のチケットを取ることは必須であった。公演のタイトルは「会いたかった~柱はないぜっ!」。1曲目は「Partyが始まるよ」。幕が開くと、劇場の2本の柱を模した巨大なセットがステージ上に置かれている。それによって、ステージ全体が見わたすことができず邪魔である。しかし、メンバーがステージ両サイドに柱を押し出すような格好を取ると、その2本の巨大な柱がステージ横に押し出され、ステージ全体が見渡せるようになるのだ。このコンサートは2日間にわたって行われ、1日目は通常のチームの公演、そして2日目はチームAの楽曲をチームKが、チームKの楽曲をチームAが歌うというシャッフル公演だった。これはとても興奮させられた。いつも見ている公演とは違う、まったく別のものを見ているような気がしたからだ。特に小林香菜が歌う「投げキッスで撃ち落とせ」「ガラスのI Love You」は最高だった(そこに抜擢されていることも含めて!)。チームAが「転がる石になれ」で歌詞を「We are the TEAM A」と改変して歌っているのも印象的だった。もちろん現場では、チームK以外に歌わせるべきではないという意見もあり、イントロが流れた瞬間に「やっちゃったよ」という空気もあった。しかしそんなことを言っているのも一部のKヲタだけであった。AKBにおいて、普段の劇場公演では見られないユニット構成でパフォーマンスを見られるというのは、今では重要な楽しみとなっている【※1】。また有名な話だが、メンバーたちにとってもお互いのチームの曲を演じるのは初めての経験で、この時にチームの枠を超えた絆が生まれたというのである。これまでなんとなく敵対チームとして認識していたメンバーと、お互いの曲の振り付けを教え合うことによって初めて仲間意識が芽生えて、AKB48としての団結が深まったという。 
  • ちろうのAKB体験記:第8回 メジャーデビュー、初めての握手会

    2013-06-28 20:57  
    第8回  メジャーデビュー、初めての握手会新曲発売イベントはAKB48劇場があるドンキホーテの裏にある、秋葉原UDXで行われた。デビューシングルである「会いたかった」のCDをその場で買うと、CD1枚につき握手券が1枚もらえるというものだった。握手できるのは1枚につき、好きなメンバー一人だけ。その時の緊張と興奮は今でも忘れられない。アイドル現場というもの自体初めての経験で、初めての握手会。相手は小林香菜だ。ぼくが初めてAKB48劇場に訪れてから「会いたかった」発売イベントまでの時期は、インディーズシングル「スカートひらり」の発売イベントが一通り終わった時期で、握手会のなかった時期であった。だからぼくも初めてAKBにハマった7月末から、この10月25日まで実に3ヶ月の間、握手会を経験することができなかったのだ。いずれやってくるとは思っていたが、ついにこの時がやって来てしまった! という気持ちだった。公演では前述のようにはっきりとそれとわかるようなレスをもらい、この時すでに毎公演後に必ず手紙を書いてインフォ【※1】に提出するということをやっていた。しかし話したことはただの一度もない。果たして彼女はぼくのことをどの程度認識しているのだろうか?握手会が始まり、しばらく様子を伺っていた。当然の如く、ファンがたくさん並んでいるメンバーもいればそうでないメンバーもいる。初めは賑わっていた握手列も次第にまばらになり、小林香菜の列は列が出来たり途切れたり、ということを繰り返す程度になった。いよいよ決心を決めて、列に並ぶ。ついに順番が回ってきた。ぼくは高なる鼓動を抑えながら、小林香菜に初めて対峙した。手には手紙を持っていった。それは過去に4回ほどインフォを通して送った手紙と同じ封筒で、キディランドで買った「アポロチョコ」のイラストがあしらわれた封筒だった。ちろう「は、初めまして。いつもこの封筒で手紙を送っているんだけど・・・」 
  • ちろうのAKB体験記:第7回 チームA3rd『誰かのために公演』始まる

    2013-06-21 18:06  
    第7回  チームA3rd『誰かのために公演』始まるチームKの「青春ガールズ公演」が盛り上がり始めると、間もなくA2nd「会いたかった公演」は千秋楽を迎えることとなった。結局会いたかった公演が上演されたのは4ヶ月ほど。この頃はだいたい4ヶ月、早ければ3ヶ月といったペースで新公演が発表された。後に「A6th 目撃者公演」であれば2年以上、「S3rd制服の芽公演」であれば3年以上も同じ公演をすることになること等からも考えれば、驚くべきペースだが、こんなに素晴らしいセットリストが過去のものとなっていくことがとてももったいないと感じた(後に姉妹グループや新チームの登場によって再演【※1】される未来が待っているわけだが)。そして2週間程度のレッスン期間を終えて、ついにA3rd公演「誰かのために公演」が幕を開けることとなった。これも後にリクエストアワーでは定番となる、高橋みなみがセンターを務めるユニット曲「Bird」や、東日本大震災を受けて立ち上げたプロジェクトでも取り上げられる「誰かのために」等が名を連ねる神公演だった。季節は夏真っ盛り。しかしセットリスト終盤には「夏がいっちゃった」があり、このあと夏から秋にかけて季節が移り変わって行くことを予感させた。「小池」は篠田麻里子のセリフが印象的だった。篠田麻里子は滑舌が悪いので聴く度に失敗しないかとドキドキした。この頃には既に初日・千秋楽といった節目の公演は人気が集中していたことから(青春ガールズ公演初日にはすでに徹夜でなければチケットが取れなかった)、完全メール抽選という形をとっていた。それでぼくはチケットを取ることができず、カフェ観(当時の呼称、現在はロビ観【※2】という)していたのだが、驚くべきというか、印象的な光景を目の当たりにする。前田敦子がいない。それは当時すでに前田敦子をはじめチームAの主要メンバーは、映画やバラエティの撮影など外の仕事をしているようだったから、なにか他の仕事が重なったからだろうと思ったのだが、驚いたのはその前田敦子のポジションにチームKの河西智美が入っていたことだった。河西智美はその時すでにチームKのエースとなっていたが、選抜メンバー同士がレギュラーとアンダーを務めるというのは、現在ではほとんど見ることのない光景である(この時点ではまだ選抜と言う概念はなかったが)。 
  • ちろうのAKB体験記:二人だけの時間

    2013-06-14 20:32  
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar253287第6回  二人だけの時間ぼくは手持ちのカバンにスケッチブックとマジックを忍ばせては劇場公演に臨み、機を伺っていた。なかなか最前に座れる機会はなかったが、ついにその時はやってきた。抽選で4巡目に入場することができたのだ。狙ったとおり、下手側最前列・柱外4つめの席に座ることができた。それはオープニング、「青春ガールズ」イントロで一気に劇場が明るくなる瞬間である。この時、本当に目と鼻の先とも言えるような距離で小林香菜と対峙するのだ。そこで前もって準備したスケッチブックを見せる。そこには「香菜ちゃん、また来ちゃった」と書いた。まあ今思えばどうしようもなく恥ずかしいが、いい加減ぼくのこと知ってるでしょ?という確認や、香菜のことが好きすぎてまたこの場所に来ちゃったよ(でもそんな自分が嫌いじゃない)というアピールとを含んだ渾身のメッセージだった。名前を書いたことも重要であった。ひと目で自分宛のメッセージだと分かるし、他の誰に見せるつもりもない、長く掲げるつもりもない。ほんの2~3秒掲げるだけの作戦だったからだ。目の前の小林香菜はそのボードに気づき視線を下げ、その文字を一瞥すると、ぼくの顔を見ながら笑顔でこくっと頷いた。初めての確信の持てるレスだった!幕が空いた瞬間からピンポイントのボードプレイである。その瞬間・その場所に小林香菜がいることを知っていての綿密な準備。彼女にとって、その目の前のファンが間違いなく自分のファンであることを、疑う道理があろうか!(いや、無い。)これでぼくはこの公演の初っ端に、香菜ヲタがここに居るという認識を与えることに成功したのだった。そこからは、それはそれは最高に興奮する2時間だった。小林香菜が近くに来れば、何度も視線をもらえた。その余裕から、小林香菜が遠くに行っているときは目の前にいる他のメンバーにも手当たり次第ガッツク【※1】という有様だった。困るのは少しラインのずれた、斜め前に小林香菜がいる時だ。目の前にいる他のメンバーを見ていれば目が合うかもしれない、しかし万が一、小林香菜が斜めからこちらを見ていたら・・・浮気を疑われる、なんて野暮なことは考えない。単純に、視線が結合するチャンスを逃してしまう。それだけは避けなければならない。こんな葛藤は、AKB48劇場以外で味わったことはなかった。この時ほど「なぜ二方向を同時に見られないんだ!」と思ったことはない【※2】。目が二つあればいいと思った。目は二つあるのだが。 
  • ちろうのAKB体験記:レスがほしくなる

    2013-06-07 13:43  
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar49972第5回  レスがほしくなる青春ガールズ公演を見るのは至福の楽しみだった。自分でも香菜推しになったと自覚し、さらに数回公演に入っていると見えてくることがあった。個性豊かで、かついつも見かけるファンというのはたくさんいたが、そういう人はファン目線からも「あの人は○○推し、あの人は○○推し」、といったことが明確に分かってくるのだ。すると必然的に、メンバー側からも「その人が誰のファンか」ということは理解されているだろうということは容易に想像された。つまりは認知されているという状態である。それくらい狭い空間だったのだ。舞台に立っているアイドルが、客席にいるファンのことを認識している。これはすごいことだと思った。メンバー、つまりは小林香菜にぼくが認知されるなどということはまだ考えられなかったが、とある欲求が湧き出てくるのである。ぼくも小林香菜に対して、自分がファンであるということを認識してもらいたい。【※1】そしてそのためにも第一段階として、何らかのアクションを起こして反応を引き出す、つまりはレスをもらいたいと思い始めたのだ。レスとは、推しメンやあるいはどのメンバーでも良いのだが、自分に対して何かしらのアクション(レスポンス)をくれるということだ。目線を合わせて微笑むものから、ダンスの振り付けの流れでビシッと指を指す「指差し」や、おもに「AKB48」という楽曲の「♪明日も見に来るでしょ?必ず~」のところで人差し指を指してクルクルまわす「ybkr(ゆびくる)」など様々なパターンがあった。もしそれが自分に向けられていたら、しかも推しメンからのものであれば・・それは言葉がなくても確実にコミュニケーションが成立する至福の瞬間【※2】だ。しかし「レス」というのはまた、「脳内(=勘違い)」という言葉と常にセットにされる、危ういものだった。