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  • 【ほぼ惑ベストセレクション2014:第10位】人間の意識を変革するECサイトは可能か?――理論物理学者・北川拓也が楽天で得た「哲学」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 号外 ☆

    2014-12-27 11:00  
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    【ほぼ惑ベストセレクション2014:第10位】人間の意識を変革するECサイトは可能か?――理論物理学者・北川拓也が楽天で得た「哲学」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.27 号外
    http://wakusei2nd.com




    2014年2月より約1年にわたってお送りしてきたメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」。この年末は、200本以上の記事の中から編集長・宇野常寛が選んだ記事10本を、5日間に分けてカウントダウン形式で再配信していきます。最初の配信となる今回は、楽天執行役員・北川拓也さんのインタビューです!(2014年6月18日配信)




    ▼編集長・宇野常寛のコメント
    「ほぼ惑」のベスト記事を10本選ぶにあたってまず第10位はこの楽天執行役員・北川拓也さんのインタビューを選んでみました。
    僕はほとんど楽天やAmazonでしか買い物していないし、毎日仕事が終わったらYahoo!オークションをいろんな検索クエリをかけて眺めていたりして、たぶんFacebookやTwitterより見ている時間が長い(笑)。インターネットは「人間と人間のコミュニケーションを可視化する」と言われてきましたが、それはインターネットの本質の半分ぐらいでしかないんじゃないかと思っています。実はそれ以上に、人間と「モノ」をマーケットを通じて繋げている気がしている。つまり、ソーシャルメディアよりもECサイトのほうが、今まで見えなかった人間性の本質のようなものに迫っているんじゃないかという問題意識があるわけです。そんな中で、ある勉強会で北川さんと出会って「この人の話は面白い」と思って、彼とじっくり腰を据えて話してみたのがこの記事です。
    名門・灘の中高を卒業後に、ハーバード大学に進学して数学・物理学をダブルメジャー、ともに最優等の成績を収めて卒業。研究者としては15本以上の論文が『Science』をはじめとする国際雑誌に取り上げられた――そんな理論物理学の日本人研究者が、いまネットビジネスの世界に転身してデータサイエンティストの仕事をしている。弱冠29歳の楽天株式会社執行役員・北川拓也氏である。メディアで彼を見かけたことのある人も多いかもしれない。
    今回、PLANETS編集部は品川の楽天株式会社を訪問して、そんな華々しい経歴ばかりが語られがちな北川氏が、一体どんな思想を背景に現在の仕事に取り組んでいるのかを聞いた。宇野が興味をいだいた「行動変容」という概念をキーに、現代のウェブサービスの「プラットフォーム主義」の背景にある知の潮流、「"意識高い"系現象」の背景にある問題、そしてウェブサービス事業者はその中で何が成しうるのかなど、議論は様々に広がりを見せた。

    ▲北川拓也


     
    ◎聞き手・構成:稲葉ほたて

     
     

    ■理論物理学からeコマースへ

     
    宇野 北川さんって、ビジネス誌のインタビューなどでは、とにかくすごい人という扱いで出てますよね。ただ、今日はそうではない、哲学者・北川さんの側面を掘っていこうと思うんです。
    北川 なんと……。まあ、宇野さんと話したら、勝手にそうなる気がします(笑)。
    ――まずは、北川さんが理論物理学からビジネスの世界に飛び込んだ理由を聞きたいです。学術で華々しいキャリアを築いていながら、実業界に飛び込んでくる人ってあまり日本ではいないので、何か考えがあったのではないかと思います。
    北川 物理学って、いい意味でも悪い意味でも非常に成熟した学問です。明確に考えたわけではないですが、この時代における物理は存分に楽しめた、という思いがあったんだと思います。同時にニュートンが活躍していたような黎明期の発見の喜びというのに憧れるところもありました。
    だから、今の時代だからこそ出来ることを満喫しようと思ったんですね。そこで気になったのが、AppleやTwitterのようなイノベーションを起こしている企業たちでした。こういう世界に飛び込んで、そこを理解してみたくなったんです。
    実際に飛び込んでみると、やはり知的刺激にあふれた世界でした。発見できるものの量が全く違うんです。僕は研究者時代に、他の研究者と共同でとある物質の非常に稀にしか存在しない状態を全く違った方法で実現する手法を提案したんですよ。その提案を証明しようという実験が行われたりしてこの研究分野は盛り上がっているのですが……黎明期に比べてやはりそういう発見はレアだと思います。哲学的な広がりという意味でも、物理学はあまりにも世界観が完成されすぎていました。そうなると正直に言って、「僕がやらなくてもいいんじゃないか」という気になりますよね。
    宇野 なるほど、では北川さんがネット屋になって得た、最も大きな哲学的な広がりは何なんですか?
    北川 「人間が物を買うこと」への理解ですね。具体的には、「人間はブランド服をサイト上でどういう風に探すのか」などの問いになるのですが、それへの解答の裏に哲学が隠れています。
    例えば、水を3日間飲んでいない人が、「君の目の前にある3つの箱のどれかに水が入っている」と言われたら、その人は水が出てくるまで箱を開けるはずです。でも、単に可愛いiPhoneケースが欲しいだけの人は、おそらくそれほどの欲望で選ばないでしょう。要は「衝動買い」と「必然買い」の差なのですが、それがどう行動に現れて、どういう数値で見ていくかを考えていく作業は、人間の欲望とは何かを考えることそのものです。
    そうすると、既存の購買の理論について、自分なりに思うことが出てきます。例えば、経済学の需給曲線って「人間はなるべく安い価格で買いたい」という前提で作られている理論ですが、本当にそうなのか。むしろ、みんなお金を払うことで幸せになっている気がする。
    宇野 いやあ、僕も今回の選挙で50枚買いましたからね(笑)。例えば、自分が応援したい人のためであれば、お金を遣うのはとても楽しいことですよ。
    よく広告代理店の人が、「この商品を宣伝してくれたらクーポンをあげます」みたいな企画をやってるでしょう。僕はあれって逆だと思いますね。むしろ、「お金を払ってくれれば素材を貸すから、好きに遊んでいいよ」が正解だと思うんです。人間は自分の好きなもののためにはお金を払いたいんです。そういう消費を快楽と結びつける議論は、既存の理論では弱いと思いますね。
    北川 そういう消費にまつわるような哲学的な問いかけや疑問が、こういうウェブビジネスの中で一歩進んだ形で数値的に理解されていくんだと思います。
     
     
    「行動変容」から「意識変容」へ
     
    宇野 以前にお会いしたとき、北川さんがおっしゃっていた「行動変容」という概念について考えてみたいんです。
    北川 ありがとうございます。ただ、「行動変容」そのものは、ビジネス寄りの発想から出てきたものです。僕らのような科学者は、つい物事の理解それ自体に一生懸命になってしまうけど、ビジネスバリューという点で重要なのは「行動変容」――つまり、人間の行動をどう変えていくか――に焦点を当てて問題を解いていくことなのだという話です。
    例えば、人間は服とアクセサリーを一緒に買う傾向があると単に理解しても仕方ない。重要なのは、「どうすれば服とアクセサリーを一緒に買わせられるか」と問いを立てることです。そういう「行動変容」の問いを立てた瞬間に、ビジネスバリューが生まれるんですよ。そう考えると、マーケティングの本質は「行動変容」を考えることだとさえ思うんです。
    宇野 行動にアプローチすることは個人の意識にアプローチすることだという発想、たとえば成熟した市民を育てて投票行動を変えていこう、みたいな「市民化」の議論が今でも社会の主流ではあると思うんですよ。そしてこれもさんざん議論されてきたことだと思うのですが、意識に訴えるプロセスを飛ばして人間の行動変容に直接アプローチするような社会設計の考え方が、情報技術の発展を背景に再検討されはじめている。しかし逆に人間の意識の領域にアプローチしないとどうしようもないことや、意識を変えたほうが早い問題にアプローチすることが苦手になってしまったのが、今のプラットフォーム主義の限界のようにも思うんです。
    北川 そういう点では、僕が本当に訴えたかったのは、「行動変容」が人間の「意識変容」を生むのではないかということなんですよ。
    例えば、現在の日本は物質的に豊かですよね。だけど、そうであるが故に意識を少し変えるだけで、一気に幸せの度合いが上がる気がします。実際、質量保存の法則がある以上、物って増えないわけですよ。でも、昔の人が「お腹が空いても、想像力で人間は幸せになれる」と言ったように、物の見方を変えるのはいくらでもできる。そして、その先には「幸せの度合いの違い」のようなものが現れてくる気がして、僕が本当に興味があるのは、実はここなんです。
    ――順番が逆なんですね。「意識変容」から「行動変容」に落とすのが従来の人文系の考え方なら、むしろ「行動変容」を「意識変容」に落とす方法を考えたい、と。で、その先で本当に興味があるのは、「人間の幸せとは何か」という問題である……。
    北川 物事の捉え方を変えることで、人間は幸せになれるというのは僕の基本的な考え方です。まあ、宗教家みたいですが(笑)、例えば髪型を変えれば周囲の見方も変わって、自分の意識も変わる……みたいな話だと思えば、実践的な話だと思いませんか。そういうことが、実はeコマースで出来るんじゃないかと思うんですね。
    ただ、やっぱり成功例がない。結局、宇野さんの言うように「行動変容」の自己目的化に留まっていると思います。上手く技術モデルを作れたら面白いのですが。日本の漫画業界なんかは、そういう雰囲気がある気もしますが……。
    ――漫画業界ということでは、ジャンプ編集部はそうかもしれないですね。アンケートシステムを上手く利用しながら、独自色の強いクリエイターを育てていますよね。
    宇野 ただ、僕がサブカルチャーの評論家だからそう思ってしまうのかもしれないけど、結局そういう発想が上手く行ってるのは、サブカルチャーの世界だけな気もするんですよね。
    今までの話は、『ウェブ進化論』の梅田望夫と『アーキテクチャの生態系』の濱野智史の違いという言い方もできるんです。僕らに近い界隈では、尾原和啓とけんすうの違いと言ってもいいかもしれない。やはり尾原さんは、どこかでエリートの運営者が先導するプラットフォーム主義を信じているし、けんすうは「行動変容」から「意識変容」の流れだけに価値を見出している。二人ともやりたいことは似ているけど、方法論は対照的だと思うんです。
    北川 僕も、わざわざ物理学みたいな一握りのエリートが先導する世界を抜けだしてここに来たわけで、けんすうさん的な発想はありますね。それに、世界的な潮流そのものがけんすうさん的な方向に進んでいる気もします。
    宇野 言ってしまうと「行動変容」はサイコロを振って出た目から、その意味を考えるような発想なわけですよね。
    北川 そう、そうなんです! 例えば、僕のいた理論物理学というのは、ニュートン以来、ひたすら理論のデザインを更新し続けてきた世界なんですね。でも、僕が一番好きな物理学者はそういう伝統から少し外れた人で、ロシアのランダウという天才物理学者なんです。
    彼の凄いところは、その思想の柔軟性ですね。彼は、超電導のような未知の現象を説明するときに、まずは起こったことから現象論を作りあげて、そのあとに背景にある理論を構築してみせたんです。超電導の仕組みは、本当は非常に難しい話だったのですが、彼の見出した現象論によって理解が50年は早まったと思います。
    ――ランダウの相転移論の話ですよね。ああいう風にランダウが現象論から一種の物理的直感でシンプルなモデルを作り上げたようなことを、ECサイトでやってみたいということですか?
    北川 まさにそうですね。それは、「行動変容」を「意識変容」に変えていくという話そのものだと思うんです。
    宇野 こういう話を楽天の役員がするのは、大きな皮肉のように僕は思いますね(笑)。ここまでの話は、「行動変容」を自己目的化しているプラットホームの常識に対する懐疑ですよね。
    北川 それは良いポイントです。だって、このビジネスモデルのままだと、僕らはいつか負けるんですよ。プラットフォームで勝ちに行く事業者は、それより下のレイヤーでプラットフォームが変わったときに乗り換えられてしまうんですよ。今なら具体的には、PCからスマホへのシフトですよね。だからこそ、もっと本質的なレベルで「売買」とは何かを問う戦いに持ち込む必要があるんだと思います。
     
     
    日本人は行動と感情が乖離している
     
    宇野 「行動変容」の自己目的化に話を戻すと、六本木のあたりにいるIT関係者の人たちって、「行動変容」が自己目的化して「意識変容」につながっていなくて、その結果として自分探しをしてしまっている気がします。おそらく、これは非常に新しい現象だと思うんです。彼らは自分のパフォーマンスを引き出すための方法論にはどん欲だけど、その能力を使ってやりたいことがない。自分以外に好きなものがない人が多いでしょう?
    北川 日本人に独特な状況ではないでしょうか。僕がいつも強烈に感じるのは、日本人は行動と感情が乖離しているということです。普通は行動を起こしたとき、もっと感情を伴うはずなんです。でも、日本人はなぜかそうならない。「意識変容」が上手く起きないのもその結果ではないかという気がするんです。
    ――西海岸ではどうなんですか?
    北川 僕の経験では、アメリカ人は基本的にそんなことはありません。やっぱり、彼らはもっと素直なんですよ。これはずっと考えている問題なのですが、やはり究極的には、よく言われる「建前と本音」の文化が根底にある気がします。
    宇野 つまり、「意識変容」というのは本来、気持ちいい行動によって、自然と"パッション"が湧き出てくるという話なのに、それが単なる"ファッション"になっている。「勝間和代現象」とか、その典型だったと思いますね。本来は「自分を向上させて、年収を上げたり家族と幸せになろう」という話だったのが、いつの間にか「向上している私が好き」という話になっていた。
    北川 まさにそういう構造があると思うんですよ。 
  • 『ゼノギアス』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『メタルギアソリッド』 ——国産3Dストーリーゲームが築いた文法(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.230 ☆

    2014-12-26 07:00  
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    『ゼノギアス』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『メタルギアソリッド』 ――国産3Dストーリーゲームが築いた文法(中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.26 vol.230
    http://wakusei2nd.com



    今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は1990年代後半に登場した名作タイトル『ゼノギアス』『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『メタルギアソリッド』について解説します。3Dストーリーゲームを考える際に常に参照されるこれらの作品は、それぞれどのような画期性をもっていたのか――?



    「中川大地の現代ゲーム全史」
    第8章 世紀末ゲームのカンブリア爆発/「次世代」機競争とライトコンテンツ化の諸相
    1990年代後半:〈仮想現実の時代〉盛期(5)
     
    ▶前回までの連載はこちらから。
     
     

    ■『FFVII』後の3D物語ゲームの展開
     
     『FFVII』をひとつのメルクマールとして、3D表現による大作物語ゲームは、一気に成熟期に達した感がある。模索期には不安定だった3D空間での操作系において、UIの完成度を高めて作品ごとの表現ポイントをはっきりさせることで、ゲームとしてのプレイングや物語に快適に没入できる度合いが高まった。3D描画技術の向上とともに、中小デベロッパーにありがちだった「クソゲー」寸前のアングラカルト感と、それを逆手に取った「不気味の谷」型のホラー演出からの脱却傾向が顕著になる。
     実際、『バイオハザード2』は、1作目の心理的な恐怖演出よりも、シリーズ化の必然として戦闘のバラエティや、アンブレラ社の謎をめぐる世界観のスケールアップなどによって、体験性が微妙に変わった。ザコ敵を障害として倒しながら謎解きをしてイベントを進めて中ボスを倒していき、最終的にラスボスを倒すという、本質的にはホラー的でないストーリーゲームの文法が、よりくっきりと前面化してきたのである。
     そうしたストーリーテリングが、むしろシリーズをホラーとしてよりヒーローアクション映画として捉え返させることになり、のちに『バイオハザード』はミラ・ジョヴォビッチの主演でアメリカ映画化されることになる。洋画への憧れからのコスプレとして作られたゲームが、実際に洋画化されるに至ったわけで、これは従来の日本のコンテンツ分野ではありえなかった展開であった。プレイステーションのホラーゲーム文脈をくぐることによって、邦画界が羨んでやまなかったハリウッドへのパスコースをつくることができたこともまた、『バイオハザード』を代表とする映画的なホラーゲームの特筆すべき功績であったと言えるだろう。
     
     『FFVII』以降の3D物語ゲームの流れの一例としては、同じくスクウェアからリリースされたSFロボットRPG『ゼノギアス』が挙げられる。裏『FFVII』をコンセプトとしていた本作は、フィールド画面が2D固定の書き割りだった『FFVII』とは逆に、フィールド全体をアングル操作可能な3Dマップとして描画する一方で、キャラクターグラフィックやストーリームービーなどは2Dアニメ調で進行。さらにはファンタジーRPG的な人物キャラクターと、それぞれのキャラクターが乗るポリゴン描画の巨大ロボットが場面に応じてバトルに登場するなど、日本アニメが培ってきた典型的な想像力を節操なく継ぎ合わせるかたちで構築された作品であった。
    ▲『ゼノギアス』(1998年・スクウェア)
     
     シナリオ面では、旧約聖書やユング心理学の俗流解釈的なモチーフによってスケール感と深遠さを演出しようとするあたりなど、ちょうど同時代にアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が引き起こした分野を越境したブームを、ゲーム側でかなり直截に反映した作品としての性格が顕著であった。終盤には突如として主人公の心象風景に重ね合わせてのモノローグでストーリーが駆け足で語られるシーンが差し挟まれるなど、制作スケジュールの破綻を想像させる部分もままあったが、そうした事故性も含めて文芸的な読み解きや批評心を喚起し、コアなファン層を獲得。
     こうしたカルト性と大作性が大手メーカー作品でも平然と同居するあたりが、この時期の特徴だったと言えるだろう。
     
    ■『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が示した3Dゲームの完成像
     
     3DCGの描画とそこに乗せて表現すべきストーリーの試行錯誤が、過剰だったりアンバランスだったりする表現を数々生みだす中、ひとつの完成形と呼べるバランスを生み出してみせたのが、N64のキラータイトルとして登場した『ゼルダの伝説 時のオカリナ』であった。
     同ハードの看板タイトルとしては『スーパーマリオ64』があったが、こちらは3Dアクションとしての完成度の高さと裏腹に、右方向に進むシンプルな2Dジャンプゲームだった『スーパーマリオ』からの飛躍が大きく、「マリオ」であるがゆえの違和感を与えてしまっていた。対して、もともと四方に随意スクロールする剣戟ベースのアクションRPGだった「ゼルダ」の場合、シリーズのアイデンティティに対して、より親和的に3D化できたのだと言える。
     

    ▲『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(1998年・任天堂)
     
     その操作性のポイントとなったのが、普段は主人公リンクの背後に設定されている三人称視点のカメラアングルを、コントローラー背後中央に設置されているZトリガーボタンを押下している間だけ主観視点に切り替えて注目対象をロックオンすることのできる「Z注目」であった。これにより、自由度の高い3Dフィールド内で攻撃やアクションの対象を任意のタイミングで絞り込み、自然な身体感覚での操作感が得られるようになった。このようにゲームの局面が要求するコンテクストに応じて、最適な視点を切り替えながらアクションをナビゲートする操作系は、のちの多くの3Dアクションゲームで標準に近いものになるが、Z注目はその基礎を築くものだったと言える。
     のみならず、状況に応じて3つのグリップのうちで握る場所を変えるN64コントローラーの独特の形状とも相まって、Z注目は2Dアクションの金字塔である『スーパーマリオ』の「Bダッシュ」とも対比可能なプレイヤーの自然な手癖になった点は、宮本茂デザインの面目躍如であろう。
     このほか、ジャンプのタイミングや壁の登攀など、フィールド環境がアフォードするアクションへの切り替えを半自動化することで、『時オカ』のリンクは擬似的な「無意識」を獲得していたとも言えるだろう。ゲームが3D時代に入って、プレイヤーが自分自身の身体を動かすことによって本質的には自分と同じ次元での行動自由度をもつキャラクターの身体を動かさなければならなくなったとき、もはやキャラクターの行動を完全に意のままにすることはできない。その場合、どこまでを意識下に置き、どこからを無意識の範疇にするか。そこでの身体制御の余分なストレスを削ぎ、プレイヤーがゲームとして楽しめるレベルのままならなさを残すという最適な感覚の追求が、ここでは行われていたわけである。 
  • 【対談】國分功一郎×宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.229 ☆

    2014-12-25 07:00  
    220pt

    【対談】國分功一郎×宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.25 vol.229
    http://wakusei2nd.com



    今日のほぼ惑は、『帰ってきた「哲学の先生と人生の話をしよう」』が好評連載中の哲学者・國分功一郎さんと、宇野常寛の1万字に及ぶ対談のお蔵出しをお届けします。『暇と退屈の倫理学』から、現在連載中の人生相談まで、國分先生の活動に通底するテーマを掘り下げて語っていきます。


    ▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
    (※連載第1期の内容をまとめた単行本です。) 
    好評連載中の國分先生による人生相談『帰ってきた「哲学の先生と人生の話をしよう」』、今月末の配信はお休みで、次回掲載は1月下旬を予定しています。
    次回の人生相談のテーマは…「逃げること」。
    國分功一郎×宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」初出:『PLANETS vol.8』
     
    ◎インタビュー:宇野常寛/構成:中野 慧
     
     〈浪費〉とは、必要を超えて物を受け取ること、吸収すること。必要を超えた支出であるから、それは贅沢の条件になる。そして、豊かな生活に欠かせないものである。物を受け取ることにも、吸収することにも限界があるから、〈浪費〉は満足をもたらし、どこかでストップする。しかし、〈消費〉は限界がないので止まらない。〈消費〉は満足をもたらさない。つまり、〈消費〉は退屈をまぎらわすために行われるが、同時に退屈を作り出してしまう。
     ――哲学者・國分功一郎が『暇と退屈の倫理学』で展開した議論は、その穏当な語り口とは裏腹に過激で、そして野心的なものだ。
     形骸化し、それ自体が商品となることで陳腐化した左翼的消費社会批判を葬り去り、歴史的な視座から人間性それ自体を問い直す……哲学的思考のもつダイナミズムを存分に味わせてくれる同書の登場は圧倒的だった。
     そんな國分はその一方で「哲学とは究極的には人生論でなければならない」と断言する。これはむろん、アイロニーではない。國分功一郎にとっての「哲学」はすなわち人生について正面から考えることだ。「メルマガPLANETS」の人生相談(「哲学の先生と人生の話をしよう」)を読めば一目瞭然だ。家族の問題、恋愛の悩み、仕事のトラブル……國分はどんな悩みも常にその人にとっての運命とは何か、性とは何か、社会契約とは何かという問いを交えながら答えてゆく。言いかえれば大きな人類の歴史と、小さな個人の人生のあいだをつなぐものとして、歴史から人生を考えるものとして國分の哲学は存在する。
     だから、というわけではないのだろうけど、この日の議論はおもに「中間のもの」について交わされることになった。そこでは〈市民〉と〈動物〉、という概念がおもに取り上げられているが、それは同時に個人と世界をつなぐもの、歴史と人生をつなぐものでもあるだろう。
     〈消費社会〉に〈情報社会〉としての顔が加えられたとき、この〈中間のもの〉はどう変化してゆくのか。〈消費〉と〈浪費〉のあいだにあるものをめぐるこの日の議論は、そんな新しい問いを浮き彫りにしたように思える。(宇野常寛)
     
     
    ■「消費社会」の可能性の中心はどこか
     
    宇野 今日訊きたいことは、國分さんはなぜ消費社会批判にこだわるのか、ということなんですね。消費社会論のブームは、1980年代のニューアカデミズム以来、すでに一巡した感があります。でも國分さんの『暇と退屈の倫理学』(以下『暇倫』)って、その終わったはずの議論に独特の手つきで戻ろうとするものだったと思います。そして、その射程はたぶんものすごく長い。
    國分 「なぜ再び消費社会論なのか?」という疑問はもっともだと思います。しかし、僕にとっては必然性がありました。簡単に言うと、かつての消費社会論や消費社会批判がまったくもって不十分であったというのがその理由です。僕は1993年に大学に入学していますが、当時はバブル時代への反省から「本当の豊かさとは何か?」という問題が、やたらと大袈裟に、そして説教口調で論じられていました。僕はそれに猛烈な反発があった。保守的な層の逆襲にしか思えなかったからです。あの頃の結論は結局「質素なのがいい」という話だったと思います。「清貧の思想」とかいうものも流行りましたし。
     僕の出発点には「自分が自分の楽しみを肯定できないなら、何のために生きているのか」という思いがあります。「みんな我慢して質素に生きなさい」というのはライフスタイルとして絶対に許容できないし、そもそもこういう物言いには権力のにおいがします。既成の秩序に人を従わせようという気持ちが見え見えの言い方です。僕はそれに猛烈に反発していました。しかし、それにどう対抗したらいいのかがまだわからなかった。ずっと考えていたのです。
     『暇倫』で提示した〈消費〉/〈浪費〉という概念は、そうした長い熟考の末に至りついたものです。この概念がボードリヤールから来ていることの意味を改めて考えていただきたいです。あれだけ騒がれた思想家を誰もきちんと読んでいなかった。そもそも彼についてのイメージが間違っています。彼はゴリゴリの左翼です。フランスによくいる古き良き左翼。そんなことは彼の本を読めばすぐにわかる。そんなことすらわからない連中が、1980年代あたりでしょうか、偉そうに「ボードリヤールがどうのこうの」とか言ったり、「ボードリヤールは消費社会の擁護者だ」というイメージを流布していたのです。僕は敢えてボードリヤールを使うことで、思想における消費社会批判なんて日本では誰もきちんとやっていなかったんじゃないかと問題提起したかった。もっと言うと、ボードリヤールへの愛着はそれほどなくて、ボードリヤールを使っていた連中に対する批判的意識が猛烈にある。
     あと、僕自身は意外とエコなので(笑)、やっぱり消費社会の大量生産・大量消費・大量投棄は何とかしなければならないとずっと思っていました。これまでは理念として「消費か質素か」の二者択一しかなかったから、新しい軸を入れたかったんですね。この思いは3・11以降は強まっています。あの本を書いている時に福島の原発事故が起こりましたが、僕は自分の議論に全く訂正の必要性を感じませんでした。ボードリヤールの消費社会論に依拠する〈消費〉/〈浪費〉の概念をむしろもっと強く社会に訴えかけないといけないと思った。
    宇野 1980年代の消費社会論はエコと質素が結びついていた。ところが國分さんの『暇倫』を中心とした消費社会論って、そこを反転したおもしろさがあると思うんですよ。
    國分 そうかもしれない。とにかく「一生懸命やっていればいい」とか「質素にやっていればいい」というのがすごくイヤなんです。「楽しく真剣に難しいことを考えよう」というのが僕のモットーだから。
    宇野 エコを倫理の問題から快楽の問題に読み替える、ということですよね。
    國分 そうですね。ただ、あれだけでうまくいくとは思っていません。まずは〈消費〉と〈浪費〉を区別し、現在の事態と議論を整理し、その上で、どこに「最適解」があるのかを具体的に考えていかないといけない。この「最適解」というのは中沢新一さんの言葉です。欲望やモノの流れなど様々な流れがうまく収斂していって落ち着く地点というものをイメージするための言葉なんだけど、僕はこれが放っておいてもやって来るとは思えない。『暇倫』でも論じたハイデッガーは1950年代ぐらいから「放下(Gelassenheit)」ということを言い出して、これは第一には「落ち着き」という意味なんですけど、最近、ハイデッガーの中にも「最適解」がおのずとやって来るというイメージがあったのではないかと考えています。僕はどうもそこは違って、不均衡と揺り戻しが常にあるように思われるんですね。人々が〈浪費〉を楽しめるようになったら様々な流れはある程度落ち着いていくとは思いますが、おのずと「最適解」がやって来るとは思えない。ここは引き続き考えていきたいところなんです。
    宇野 『暇倫』の続編を書くとしたらおそらくこの「エコを快楽に読み替えていく」回路の理論的整備に重点が置かれるような気がするんです。このとき僕がどうしても気になるのは前の対談(宇野常寛×國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」『すばる』2012年2月号、集英社)でも指摘しましたが、情報社会の問題なんですね。國分さんが映画『ファイト・クラブ』を引いて論じているような、マスメディアとコマーシャリズムが人間に画一化された欲望を植え付けて「ほんとうの豊かさ」を奪っている、という状況は端的に言えばインターネット以降の情報社会の拡大で大きく揺らいでいる。現に、テレビ、広告といったオールドメディアはそのせいで従来通りのビジネスモデルが揺らいで、四苦八苦している。
     逆に、ボーカロイドでもクラウドファンディングでもいいのだけど、自分で発見したものや自分が参加したもの、あるいは自分が応援したい人に対して発信することはとても気持ちのいいことなので、お金を払ってでもやりたい、という消費者像が台頭してきている。こうして考えると『暇倫』は消費社会批判のようでいて、同時に消費社会の可能性の中心を論じているようにも読めると思うんです。
    國分 一応確認しておくと、僕はロハス派じゃないんですね(笑)。まぁ、そのように誤解されたことはないので、これは『暇倫』の論述が成功したということかもしれません。僕は情報化社会の肯定的側面を様々な場面でかなり強調している方だと思います。僕自身がTwitterやFacebookに大いに助けられているし、それに特に政治に関しては情報技術は革命的な変化をもたらしましたね。新しい人間の絆が情報化社会の手段を使って人工的に組み立てられるということもすごく大切だし、新しい可能性でしょう。
    宇野 言ってしまえば、「資本主義の可能性をしゃぶりつくせ」ということでしょう?
    國分 そこまで言えるかはわからないけれど、とにかく一人ひとりが〈浪費〉できる対象を発見していけることが何より大切で、もちろんその中には資本主義経済によって提供されるものもたくさんあるでしょう。当たり前です。これはあまり適切な例じゃないかもしれないけど、確か昔、「コンピューターゲームでオナニーしているようなヤツはアホ」みたいな議論に対して、浅田彰が、「しかし、もしかしたら彼らはマウスを握る“この手”に何か快楽を感じているかもしれない。それは簡単なイメージの問題じゃないんですよ」とか言っていた(笑)。テキトーな引用で申し訳ないんですが、確かにどこにどういう快楽があるかなんて、わからないんですよ。
    宇野 バーチャルを〈消費〉している行為は現実でもあるわけですからね。
    國分 そのバーチャル/リアルの区別は僕の次の本のテーマに深く関わってきます。たとえば性行為だったら「肉体と肉体がぶつかるリアルなものが良くて、バーチャルはくだらない」という語り口があります。でもバーチャルなものが関わらない性のあり方なんてありえるんだろうか? 妄想まったくなしで気持ちよくなるなんてありえない(笑)。妄想がまったくない性的快楽というのは、男性の場合だったら、単に身体の中の管を液体が通るという快楽ですけど、それで性的〈快楽〉が語り尽くせるわけがない。
     つまり、〈快楽〉って、バーチャルなイメージと完全には切り離せない、不純なものだと思うんです。そうすると、〈快楽〉に不純物として入り込むバーチャルなものは、〈消費〉的なロジックとどう関係があるのかを考えないといけない。 
  • 「動と静のパースペクティブ」(現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』第5回) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.228 ☆

    2014-12-24 07:00  
    220pt

    「動と静のパースペクティブ」(現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』第5回)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.24 vol.228
    http://wakusei2nd.com



    今日のほぼ惑は、落合陽一さんによる好評連載『魔法の世紀』第5回をお届けします。「動」と「静」という対比関係から生み出される"魔法の世紀"の美意識とは――? 人間のエクスペリエンスを規定する「場」をデザインするための、この2つの概念について考えます。
    落合陽一『魔法の世紀』連載記事一覧はこちらから。 

    ここまで、僕はコンピュータ思想やアート、デザインとエンジニアリングの観点から、「魔法の世紀」の表層/深層の問題を語ってきました。その結論は、アーツ&クラフツ運動のように、そのニつが再び一つになるということでした。
    今回は、そんな「魔法の世紀」のパースペクティブを、さらに深く掘り下げます。ここからは「場」の考えを導入します。そこでは「動」と「静」が同時に取り扱われ、モノの問題は空間の問題へと変容します。
     
     
    ■ゆく川の流れは絶えずして
     
    1950年以後、第二次世界対戦の終結とともに、軍事研究という「山」で湧き出た水は、大きな速度で社会へ向けて駆け抜けていきました。ここでいう「川の流れ」は「情報技術の進歩」と思ってください。しかし、まだこの当時のコンピュータコミュニティへの参加者は研究者に限られていました。その数を川幅に喩えるなら、まだまだとても狭いものでした。
    続いて、川底を覗きこんでみましょう。そこに転がる石は、まだゴツゴツした岩ばかりです。ここでいう石は、「コンテンツ」だと思ってください。この時代のコンテンツは、まだパンチカードで書かれたコードやシステムなどの、とても扱いづらいものばかりでした。
    しかし、川の流れを少し下るにつれて、みるみる石は砕かれていきます。なぜなら、川の流れ(=情報科学の進歩)がとてつもない速度だったからです。具体的には、連載の第2回でも説明したように、我々とコンピュータの関わりを規定するユーザーインターフェースの研究――GUI、マウス、ダイナブック構想など――が発展したのは、たった10年足らずの時間でした。
    やがて、川の流れは中流に広がっていきます。この頃になると、汎用コンピュータ技術は産業への応用が見込まれ始めました。Macintoshが生まれ、現代的なパソコンやOSが社会に普及して、多くの人が使い始めて、「情報革命」という言葉がメジャーになっていきました。川幅(=コンピュータ文化に参加する人数)は広がり、みるみる流域面積を拡大しています。
    この流域面積は、インターネットでさらに広がりました。川の底を覗きこむと、もう地面は中程度の石に覆われています。ブログや動画などがWebに上がっていきました。一方で川幅の総量は広がり、水量も大分増えています。
    そして、今や水流は下流へと広がり、海の直前です。川幅の総量は、もう海に近づくほどの広さになり、いまも一気に広がり続けています。コンピュータ研究の最後の大きな進歩と言えるディープラーニングも盛んに研究されるようになり、コンピュータの進歩はシンギュラリティ(技術的特異点)に近づいています。その進歩が人間の手を離れたとき、海流のように世界を大きく技術の進歩が駆け巡っていくことでしょう。
    一方で、川の底はほぼ砂です。
    すっかり石=コンテンツの粒度は小さくなりました。マイクロブログやSNSの投稿、個人情報の不随意的な発信などで、コンテンツの数は増え、頻度も上がり、一つ一つの粒度も小さくなっています。
    しかし、大海を目前とした今も、不思議なことに情報は「流速」をあげる方へと動き続けています。ブログからマイクロブログになって更新頻度は上がり、動画の共有もVineなどが登場して小さくなっています。その分だけ流れる速度が上がっていくのが、情報の広がる仕組みです。
    そして今、社会をドライブしているものの正体は、この「情報流速」であると僕は考えています。我々の世界は前世紀に比べて数万倍の勢いで情報のフローが流れています。それらは目には見えないですが、この世界のありとあらゆるものを支配しています。例えば我々のコミュニケーション、経済的なやりとり、金銭の決済、ありとあらゆることが電子的な情報のやりとりで行われています。映像の世紀では物理的なやりとりだったものが、信用で担保された情報空間のやり取りに代わりました。経済、表現、コミュニケーション……そのどれにおいても情報の流れそれ自体が全てをリンクして、駆動させています。
    つまり、バックグラウンドで絶えず流れ続ける情報に、物理世界も引っ張られてしまい、一緒に動きたがっているのです。それが究極的には、動的コンテンツや動的表現が増えている原因でしょう。では、その動的コンテンツの指針とは、一体どんなものなのか。結論から言えば、それは「静」との対比関係で評価され、美意識を形成していくことになるでしょう。
     
     
    ■美意識の「テクノロジードリブン」
     
    最近、CMY(シアン・マゼンダ・イエロー)のべた塗りを使ったポスターやカラフルなロゴが増えたのに、皆さんは気づいていますか。実は、これらは紙への印刷で綺麗に出なかった色が、印刷技術の進歩によって高精度の色再現が可能になったために、増えたのです。
    しかし、LEDや液晶のような光の表現では根本的に、そうした色を作るのは難しいとされています。これは、アナログにおける色の表現が「減色混合」と呼ばれる手法であり、デジタルにおける色の表現が「加色混合」であることに起因しています。その一方で、逆に光では、赤・緑・青は非常に綺麗に出ますが、印刷では混色してしまい、綺麗に色を表現できません(本当に赤や青を印刷したい場合は、「特色」と言われる特別な印刷をします)。
    昨今、DTPやCADが普及したことで、こうした液晶ディスプレイと印刷の発色の違いが、デザイナーの間で話題になることが増えています。例えば、「デジタルの色味で育った最近の世代は、綺麗な青と赤に慣れすぎている」という話などが、デザイナー界隈で話題になります。やはり、印刷に適した表現、液晶に適した表現というものがあるのです。
    この話から分かることは2つあります。一つは、実は人間の美意識というものは、技術における制約条件によって規定されている事実です。そして、色と形のデジタル/アナログの差異は、図版の形については、ディスプレイが高精細になっていくにつれて、解消されていくでしょう(特に、反射色のディスプレイはさらにその傾向を強めると思います)。
    一方で、デジタルメディアの普及で、画面で美しく発色する色味が使われていくように、メディアの変化が我々の感性をアップデートしていく事実です。明らかに私たちは、アナログ的な表現もデジタル的な表現も可能なのに、デジタル寄りの美意識の表現を好み始めています。 
  • 「それは、罪悪感の共有」宇野常寛が語る"夜食論" ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.227 ☆

    2014-12-22 07:00  
    220pt

    「それは、罪悪感の共有」宇野常寛が語る"夜食論"
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.22 vol.227
    http://wakusei2nd.com



    大好評放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。毎週月曜日は、前週分のオンエアの全文書き起こしをお届けします!

    ▲前回放送はこちらでもお聴きいただけます!
     
     
    ■オープニングトーク
     
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。皆さんこんばんは、宇野常寛です。一昨日12月13日土曜日は、PLANETS Festival 2014っていう僕の雑誌のイベントがあったんですけど、もう沢山の人にご来場いただき本当にありがとうございました。場所は、池袋のニコニコ本社っていうイベントスペースでした。入れ替わり立ち替わりで、のべ200人くらいの方に来ていただいて、非常に手応えを感じる会でした。うちの雑誌が扱っている、まさに政治からサブカルチャーまで幅広い話題を、7時間ぶっ通しで5本の連続トークショーをするっていう、結構ぶっ飛んだイベントで、我ながらエクストリーム感満載なイベントだったんですけど、非常に好評でホッとしています。
    個人的には「HANGOUT聞いて来ました!」って話しかけてくれた人が何人かいて、それがすごく嬉しかったですね。僕の持っている世界観みたいなものがイベントで再現できる機会って、なかなかないんですよ。メールマガジンとか、自分の作っている紙の雑誌では、僕から見えている風景を総合的に、まさに文化の問題から社会の問題まで見せていこということは心がけているんですけどね。それを1日で凝縮してやるのって、1年に1回のこの機会ぐらいしかないんですね。選挙の前日だったこともあって――誰が登壇したかはあえて言いませんが――ジャーナリストが盛り上がったり、クラウドソーシングサービスとか、あるいはデジタルテクノロジーの最先端の研究者とか開発者を集めて、これからの産業とかカルチャーの未来について議論したりとかしましたね。
    こうやって実際に読者の人たちと一緒に視線を共有するっていう体験は、僕は非常に貴重だったなと思っています。なので、せっかくこの番組をきっかけに会場まで来てくれた人がいるので、来年はぜひこの月曜HANGOUTでイベントをやりたいなっていうことを思っているんですよ。っていうことで、じつは今日打ち合わせの時に日浦プロデューサーとすこし話していてね。(スタジオ外の)日浦プロデューサー、やれたらいいですよね!? はい、深く頷いてますね(笑)。ということで、日浦プロデューサーの言質もとれたところで、来年のイベント開催を目指してJ-WAVE 「THE HANGOUT」今夜もスタートです。
    〜♪
    宇野 J-WAVE深夜のたまり場「THE HANGOUT」月曜担当ナビゲーター、宇野常寛です。五つのステージではそれぞれいろんな話題を扱っていたんですけど、一番盛り上がったのはなんだかんだ言って先週ゲストにやって来た落合陽一のステージですね。彼は「現代の魔法使い」って言われていて、ディスプレイの次みたいなものを研究している若手研究者にして、アーティストです。彼と、あと僕とずっと一緒に仕事している美術評論家の人とか、ピタゴラスイッチとかをやっている映像ディレクターの人もぶつけて、落合くんの唱えている「魔法の世紀」、つまり情報テクノロジーが画面の中のイメージではなくて、リアルの空間を変えていく21世紀の時代に人間がどんなモノに感動するのかってことを、ずっと議論していた回が一番ステージの熱量が高かったんじゃないかなっていう風に思います。
    それで、壇上にいる人たちが興奮してきて、特に落合くんがすごく興奮していて、よく分からないこと口走っていた記憶がありますね。なんか、しまいには「俺がアートだ!」とかよく分からないこと言っていましたね。「この先、アーティストっていうものは消えてなくなって、人間の存在自体がアートになる」っていう謎のロジックを展開しはじめて。これ、元ネタ分かんない人は本当に意味が分かんないと思うんですよ。僕はね、分かるんです。なぜならばアニオタだから(笑)。彼は27歳とかなんで、見ているアニメが若いんですよ。で、元ネタは『機動戦士ガンダム00』っていう、2008年くらいのアニメですね。どういうアニメかというと、不幸な過去を持ったイケメン達が、名台詞を吐きながらガンダムに乗ってテロをしまくるっていうそういうアニメです。超ぶっちゃけて、超かいつまんで言うとそういうアニメです(笑)。
    そのアニメに出てくる主人公の刹那・F・セイエイっていう、藤子・F・不二雄みたいな名前の、でもベレー帽とかは被っていなくて、超細めのイケメンで、声が宮野真守ですね。その彼が決め台詞で言うのが「俺がガンダムだ!」なんですよ。全くよく分からないんだけど、とにかく彼は、「俺がガンダムだ!」っていうのが決め台詞なんですよね。なので、会場にいた人間の何パーセントがその落合くんの「俺がアートだ!」発言の背景にあるコンテクストを理解していたかは不明ですね。もしかしたら、僕らは全般的にリミッター解除で、会場にいる人を置き去りで、専門用語全開で議論していたんで、もしかしたら彼の「俺がアートだ!」発言に、何かアカデミックな文脈とか、専門的な文脈があるんじゃないかと誤解していた人もいるかもしれませんけど……ありません。あるのは、「ガンダム00」的な、しいて言うならソレスタル・ビーイング的な事情があるだけなので、Wikipediaとかで随時フォローするようにしておいてください。
    この番組は夜更かし族のみなさんのたまり場です。ツッコミや質問も大歓迎。今日はたくさんメールを読みたいと思っています。皆さんの積極的な番組参加をお待ちしております。ハッシュタグは#hang813です。メールの方はこの番組のHPのメッセージボタンから送って下さい。番組HPではYouTube Liveで、このスタジオの様子を同時生配信中です。
    と、いうことで、宇野常寛が今夜もナビゲートJ-WAVE「THE HANGOUT」
    今夜の1曲目は、先週のゲスト落合陽一くんも大好きなソレスタル・ビーイングの皆さんが大活躍するこのアニメの主題歌を選びました。それでは聴いて下さい。『機動戦士ガンダム00』のオープニングテーマです。L'Arc~en~Ciel で「DAYBREAK'S BELL」。
    〜♪
     
     
    ■フリートーク
     
    宇野 お送りしたのは、L'Arc~en~Ciel で「DAYBREAK'S BELL」でした。
    改めましてこんばんは、深夜の溜まり場「THE HANGOUT」月曜日担当の宇野常寛です。
    PLANETSフェスについてメールいただいています。これはラジオネーム、田中カンタービレさん。
    「宇野さんこんばんは、土曜日にPLANETS Festival 2014に参加して、すべてのステージを拝見させていただきました。どれもとても刺激的な内容でワクワクしました」っていうことは、この人は7時間ずっといたわけですね。ありがとうございます。
    「会場で来たお客さん一人一人に本当に親切に接する宇野さんとスタッフさんを見て、あらためて本当にこの人は優しい人なんだなと感じました」はい、もっと言ってください(笑)。
    「会場には構成作家の戸田さんもいらして……」いま僕の隣に座っているトニーさんですね。
    「『いつもHANGOUT見てます』と、当たり前のことしか言えず、反省」反省しないでください。
    「今週末は選挙や『PLANETS vol.9』の追い込みとまだまだ課題が山積みな年内だと思いますが、体調を崩されないよう頑張ってください。『PLANETSvol.9』の完成を大いに期待しています」
    っていうか、じつは今週末に「PLANETS vol.9」の入稿なんですけど、たぶん伸びますね。っていうか伸ばさなきゃいけないくらい遅れていて、あの時期にイベントやるんじゃなかったってちょっと後悔しているんですが! こんなメールを貰ったら僕はね、むしろやってよかったなって思いますよ。本当に、後悔と興奮の繰り返しですね、人生は。
    はい、この番組はですね、皆さんからの積極的な参加をお待ちしております。Twitterのハッシュタグは#hang813です。メールの方はこの番組のHPのメッセージから送って下さい。毎週月曜日は番組終了後、ニコニコ生放送のPLANETSチャンネルで延長戦をやります。番組内で語りきれなかったこと、読みそびれたメールなどを取り上げて、ディープに語っていきます。はい、それでは、宇野常寛が深夜1時まで生放送でお送りします、深夜のたまり場「THE HANGOUT」ここでいったんお知らせです。
    〜♪
    宇野 J-WAVE深夜のたまり場「THE HANGOUT」六本木ヒルズ33階J-WAVE Bスタジオから生放送、月曜日は宇野常寛がお届けしております。メールいただきましょう。これもPLANETSフェスの感想ですね。ラジオネームの#6さん
    「宇野さんこんばんは、そして先日のニコニコ本社でのPLANETSフェス、お疲れ様でした。7時間ぶっ通しのステージ全てに参加してしまった暇人です」ありがとうございます!
    「吉田浩一郎さん根津考太さんとのステージでは、救いようのないツイートも取り上げていただきありがとうございました。身近には選挙の話を出来るような人間もいないので、『東京12区がジハードだ』と言って爆笑が起こる空間が心地よかったです。またイベントがあればぜひ、ぼっち参加させていただきます」
    東京12区ね、意外とあっさりケリがつきましたね。やはり年季が違いますからね、同じそっち系でもね。詳しいことは言いませんけどね(笑)。はい、じゃあ次行きましょう。これはですね、ラジオネーム惰弱野郎さん。
    「宇野さんこんばんは、昨日の衆議院選はほぼ予想された通りの結果になりましたね。私は現政権を消極的に支持せざるを得ない人の気持ちも分かるし、一部でまことしやかに囁かれていた自民単独での300議席越えも、3分の2確保も実現しなかったことや、次世代の党がぼろ負けしたことを考えれば、日本が末法の世に陥るまではまだ猶予があると思います。自民圧勝と言っても、首相が『この道しかない』という『この道』以外の道を明示出来なかった野党の自滅とも言えるので、それ以外の道を探る宇野さんたちのお仕事の重要さが、より身に沁みてわかる気がします」
    そうですね。僕の考えだと、まず、みんなこの選挙の争点が分からなかったって言っているじゃないですか。でも、本当の争点を表面化したら、それはもう選挙で負ける道にしかならないんですよね。例えば世代間格差の問題は、その道の一つですよね。それを口にした瞬間にもう負ける道なんですよ。だって「世代間格差を直せ」って言ったら、それはつまり「高齢者の金を若者にやれ」って言うことと同じなだからその時点でもう選挙では負け決定なんですよ。こうして、選挙というものがゲーム設計的に、糞ゲーになってしまっているという現実があるんですよね。これを覆すにはもう日本全体のゲーム設計をやり直すか、それとも日本を分断してしまうか、そういった大手術みたいなことがいると思うんですよ。それももちろん、クーデターを起こすとか、独立戦争を起こすとかそんなSFみたいな話をしても仕方ないので、5年や10年っていう単位で、確実に変えていく方法を考えるべきだと思います。
    はい、ちょっとこの話をすると長くなっていくんでね、引き続きみなんさんからの参加をお持ちしております。Twitterで皆さんからいろいろとツッコミや質問もください。ハッシュタグは#hang813です。メールの方はこの番組のHPのメッセージから送って下さい。番組HPではYouTube Liveで、このスタジオの様子を同時生配信中です。J-WAVE「HANGOUT」この後は南沢奈央ちゃんがお送りする、NIPPON SEKIJUJISHA “GAKUKEN” The Reason Whyのお時間です。僕はまた後ほど戻ってきます。それでは、南沢奈央ちゃんにバトンを渡す前に1曲お聴き頂くことになっているのですが、毎週この時間はですね、南沢奈央ちゃんの優しく繊細なイメージにピッタリな曲を僕が選んでいるんですよ。今週はね、今まさに、少女から大人の女性へ……サナギから蝶へと脱皮しつつある彼女をイメージしました。それでは聴いてください。僕から捧げる今週の南沢奈央ちゃんのテーマです。子門真人&コロンビアゆりかご会で「戦えイナズマン」。
    〜♪
    宇野 J-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」。あらためましてこんばんは、月曜担当ナビゲーターの宇野常寛です。今日はメールをたくさん読んでいこうと思っています。これはですね、ラジオネームのガッツさん。
    「宇野さんこんばんは、宇野さんは大学卒業後1年くらいフラフラしていた時期があったと、以前どこかのお話で聞いたことがありますが、どのようなことを考えてその時間を過ごされていましたか? そのとき、焦りなどはありませんでしたか? あと、何をモチベーションに生活されていましたか?」
    いやー、当然ね、「俺何やってるんだろう?」とか、焦りはありましたけどね。そのとき結構、実家がごたついていて、というか、父親が死ぬか死なないかみたいなことになっていて、わりと実家に帰ってこい圧力とかもあってね。札幌の実家と、京都の下宿を行ったり来たりしてたんですけどね。他にもいろんな方面も大変で、対処してるうちに過ごしたっていうのが、すっごくつまらない普通の回答ですね。ただ、その頃、僕は割のいいバイトみたいな事をやっていて、全然贅沢な生活とかではないんですけど、学生レベルの生活をする程度には十分なお金を持っていたんですよ。それで午前中だけ働いて、午後からはずっと自転車で古本屋巡ったりとか、中古フィギュアショップ巡ったりして、帰りに京都の右京区図書館――昔、映画村の前にあったんですけど――あそこに寄って帰ってきて、野球のナイター観て寝る、みたいなことを繰り返していて、実家に返っていないときは、ある意味で、何か自由だったんですよ。なので、あの頃のことは、自分にとって必要な時間だったなって感じはするんです。今だから言えるのかもしれないですけどね。
    まあ、横から見たら単にダメなやつですよね(笑)。本当に、ただ朝起きて円町のコロッケ屋で弁当買って古本屋とか図書館とか巡って帰ってきて、本を読みながらナイター観て寝るみたいなことをずっと繰り返していた時期なんですけど、何かすごく楽しかったなっていう気がしているんです。何というか、人生に夏休みって必要なんだな、っていうことを、1年前まで単に私立文系のバカ学で、どっちみち週に何コマしか授業がなかったような生活から授業がゼロになっただけで、自分がすごく解放された気になっているっていう、わりかし本当に終わっている男でしたね、僕は。なので、フラフラしていた時のモチベーションは、やっぱり楽しかったことですかね。実家のことはわりと大変だったから、京都いる間はすごく単純に僕は「ああ、意外と人間って食ってけるんだ!」みたいな感じで、よくよく考えたらそんなの長く続けられるわけないんだけど、世捨て人や高等遊民みたいな生活をしているみたいな、一瞬そういった錯覚があって、その時はすごく楽しかったですね。ケーブルテレビとかも入っていたから、漫画とかアニメとかドラマとか、昔の作品が見放題だったし、「俺このまま、これぐらいの収入があったらずっと年老いていく事が出来るんだな」みたいなことまで思って、アレはヤバかったですね(笑)。流石にやめましたけどね、1年ぐらいでそんな生活はね。
    はい、ここでね、ひとつ皆さんにお願いがあるんです。冒頭からちょくちょく話題に出ていると思うんですが、僕が作っている雑誌「PLANETS vol.9」が来年の1月31日に発売になります。いまも超制作中で、入稿といってデザインまで作った紙面を一回印刷所に入れてゲラを出してもらうっていうか、試し刷りしてもらうタイミングで、それが今週末くらいなんですよね。なので、うちの事務所はいますっごくわちゃわちゃして忙しい時期なんですよね。そうやっていま本を作っているんですが、内容はというと、今回はオリンピック特集を考えています。5年後にやってくる2020年の東京オリンピック、それを僕の仲間たち、例えば同世代のチームラボの猪子寿之くんだったりとか、あるいはスポーツライターの乙武洋匡さんだったり、そういった人たちと一緒に、5年後にこんなオリンピックをやれたらいいなっていう夢のプランを考えた一冊を作っています。
    例えば、最新の情報テクノロジーを駆使した開会式の中継とかもできると思うんですよ。単にアスリートが一生懸命頑張るのをテレビで見て応援するのも楽しいけど、それだけだとなにか、「別に俺が頑張れって応援しても、アスリートの足って速くなんねーじゃん」みたいな事を思うわけじゃないですか。あの、僕は思うんですけどね。そういった、単に見ているだけじゃ面白くないからもっと参加型にしようとか、あるいは1964年の東京オリンピックでは、それに向けて新幹線を引いたりとか、首都高作ったりとか、東京も地方も日本全体を大改造したわけですよ。それと同じように、このオリンピックにかこつけて東京という都市を、あるいは東京と地方との関係をこういう風に変えていこうっていう都市計画でも、僕らなりのアイデアを出したりしています。あとは文化プログラムの面でも、クールジャパンとかサムいこと言ってないで、もうちょっと日本のサブカルチャーを外国の人にアピールできるような具体的なプランを提案しようと考えていて、最後はオリンピックのセキュリティ対策を考えるために「オリンピック破壊計画」まで載ります。オリンピックをテロで潰すならこれだ! って、そういうことを雑誌でやると、セキュリティ対策になるじゃないですか。そんな本を作ってるんですよ。
    これが、僕が時間とお金をかけすぎて、いま定価2,000円以上になる計算なんです。そこで、学生さんとかでも買えるような、もうちょっと常識的な値段にしようかなと思っていて、2,3週間前からクラウドファンディングをやっているんです。皆さんのおかげで既に当初の目標金額はクリアしていて、なので、1,700円以下になるのは決定しました。のこり3日なんですけど、残り3日でどこまで集まるのかで定価が決定します。もうちょっと頑張ったら1,500円くらいにできると思うんですよ。なので、特に社会人の皆さんに僕お願いしたいです。忘年会シーズンで、飲み会に1回行くと、5,000円とか特に都内だと平気で使うじゃないですか。そのお金をね、こちらに一回だけ回してもらって、学生さんとかあとお金ない人とかに安く買ってもらえる、ある種の奨学金みたいなものと思って、そんなつもりで是非ともこのクラウドファウンドに参加してもらえばと思います。もちろんね、単にお金をくださいとは言いません。特典いっぱい用意しています。もらったお金の分だけ、僕らは返します。イベント参加券やバックナンバーを進呈したり、僕の主催する読書会に参加できるとかですね。もちろん本誌は大体のプランでプレゼントすることになります。普通に買い物するよりお得な設計にしてあるので、ぜひともよろしくお願いします。もちろんリンク先は日浦プロデューサーが絶対パパッと素早くTwitterに投稿してくれるはずなんで……って、スタジオにいないや……やっば! ああ、もう僕と日浦さんの友情ってこの日を境になくなってしまうのかなぁ……。まあ、日浦さんはまたたく間に戻ってきて投稿してくれるはずなので、皆さんぜひともそちらをチェックしてください。
     
    (編註:クラウドファンディングは12/17(水)24:00に、323名の方から3,331,500円におよぶ支援をいただき終了しました! これにより、「PLANETS vol.9」の本体価格は1,400円(+税)に決定しました。皆さま、本当にありがとうございました)
     
    本当にね、あと3日にいくら集まるかで定価が決まりますんでね。僕は、人生で初めてお金をせびっていますね、「これが歳をとるってことなんだな」と思っているんですよ。なんというか、お金の話するとかカッコ悪いと思っていたんですよね。でも、本当に面白いものを充実したものを安い価格で提供しようと思ったら、いろんな手を使わなきゃいけないんですよ、はっきり言ってね。コネクションを使っていろんなところからお金集めて、限られた時間と限られた予算の中で最高のものを作るっていうことをやるためには、何でもしなきゃいけないんだなっていうことに今更気づいたんですよ。今までも、僕なりにベストは尽くしてきたけど、自分ではじめから持っている手持ちのカードのなかでベストでやってた気がするんですよ。ですが今回はもう、自分が最初から持ってないカードをいっぱい山札から引いて、そして、引くためにすごく時間とお金を投資して作っているんで、皆さんもし興味を持つことがあったら、是非ともご協力ください。
    はい、ここで一曲お聴きください。Not yetで「海鳴りよ」。
    ~♪
    宇野 はい。お届けしましたのはNot yetで「海鳴り」でした。J-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」。月曜日は宇野常寛がお届けしております。今日はメールたくさん読みます。えー。これはですね、ラジオネーム、名前はまだないさん。
    「PLANETS Festival参加しました。2つめの公演での質問に、宇野さんが『能力がある人だけが生き残る世界はおかしいでしょう』という回答をしていたのが、衝撃的でした。天下一武道会の後半まで残った超人たちの話を、自分はモブとして見ていたわけですが、天下一武道会ですごいのは超人だけで、モブの存在はどうでもいいわけです。その中で、宇野さんの言葉の中に超人とモブはまあ関わりないとしても、天下一武道会というものの価値はモブの存在も含めたものなのではという思いに至り、超人を目の当たりにして、モブとして背景していろよということかと打ちひしがれていた自分は救われたのでした。余談ですが宇野さんって背が高いのですね。ネットでは知りえないことを知れるのも生のイベントならではですね」
    はい、僕なぜかwikipediaに「身長181cm」って書いてあるんですよ。どこの誰が書いたか分からなくて、全く必要な情報だとも思わないんですけどね。で、僕自身は、他のパートの質問コーナーでは、「ロボットが発達するとクリエイティブな人たちに仕事が集中していって、才能を持っていない人は仕事が無くなっていくんじゃないか」っていう質問があったんですけど、それに対して僕は「それでいい」って答えているんです。ただ、そういった人たちは単に切り捨てるんじゃなくて、ベーシックインカムで生きていけばいいんだというふうに付け加えて言っていて、僕はもちろん当日言ったように、能力がある人間だけが生き残れる世界っていうのはクソだということを、明確に思いますよ。ただ、僕は全ての人間が自己実現すべきだとも思ってないんですよね。
    で、もっと言ってしまうと、人間は自己実現が無くても生きていけますよ。ただ承認は必要なんです。誰かに認められるとか、誰かに必要とされるとか。逆に言うと、承認さえあれば、自己実現が無くても生きていけると思ってるんですよ。僕がアイドルカルチャーにすごく興味を持っているのは、そういう文脈もあるんですけどね。はい、もう1枚くらい行きましょうか、これはですね、ラジオネームの、影絵ウエストさん。はい。
    「宇野さん、スタッフの皆さんこんばんは。自分はもうすぐ40代なのですが、経済的に、結婚出来そうにありません。1人で生きて1人で死ぬ。親の最期を看取れるかも自信がありません。ただ生まれて死ぬだけです。どうにも寂しい気持ちです。宇野さんはどうにも逃げられない時にはどういう事を考えて夜寝ますか?」
    うーん、まず前提としてですね、経済的に結婚出来ないということですが、これってパートナーが自分と同じくらい稼いでいれば問題なくないですか?この方はたぶん男性だと思うんですが、パートナーを養わなければいけないという、昭和的な価値観に毒されていますよ。今こうやって生きているということは、奥さんが同じくらいの経済能力があれば何の問題もないですね。で、親の最期は看取る必要はありません。人間というのは、そんな義務を全く負っていないのでね。気持ちがあれば看取ればいいし、無ければ看取らなければいいだけの話で、義務ではありません。なので、逃げられない時にはどういうことを考えて夜寝ますか、という質問ですが、逃げ道はあるはずです。人間ひとりを決定的に追い詰めるには、世界っていうのは複雑で広すぎるので、基本的に逃げ道はあります。そして、逃げ道を具体的に書いてきてくれたら僕はいくらでも知恵を絞ります。
    はい。この番組はあなたの参加の方をお待ちしています。ハッシュタグは「#hang813」です。メールの方は、番組ホームページのメッセージから送ってください。番組ホームページではYouTube Liveでスタジオの様子を同時生配信中です。はい。ではここでもう1曲お聞きください。NMB48で「星空のキャラバン」。
    ~♪
    宇野 お送りしましたのはNMB48で「星空のキャラバン」 でした。月曜日は宇野常寛がお届けしております。J-WAVE深夜の溜まり場「THEHANGOUT」ここで一旦お知らせです。
     
     
    ■シェア・ザ・ミッション 今週のテーマ:「夜食」
     
    宇野 J-WAVE「THEHANGOUT」ここからは各曜日のナビゲーターが毎週共通のテーマを語る、シェア・ザ・ミッションのコーナーです。今週のテーマは「夜食」。いやー、ついにこのテーマがきてしまいましたね。僕ね、夜食には結構うるさいですよ。夜食って、一言で言うと「罪悪感の共有」だと思うんですよ。この時間に食べると太るし、翌日絶対に後悔するって分かっていてもつい食べてしまう。で、その気持ちが分かるっていう共感をソーシャルメディアとかで確認するっていう儀式を経ることによって、普通に食べたら10おいしいものが100おいしいくらいになるんですよ。10倍美味しくなるんです。
    これ、僕は昔本当に議論したことがあるんですけど、僕の友達にすごくセックスフレンドというものに対して意見を持っている人がいるんですよ。独自のセフレ論を展開している人がいて。彼が「宇野さん、セフレっていうのはですね、コンプレックスの共有なんですよ」とかよく分からないこと言い出して、 
  • 宇野常寛がこの一年半の「ダ・ヴィンチ」連載を振り返る!――『楽器と武器だけが人を殺すことができる』発売記念メタコメンタリー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.226 ☆

    2014-12-19 07:00  

    宇野常寛がこの一年半の「ダ・ヴィンチ」連載を振り返る!――『楽器と武器だけが人を殺すことができる』発売記念メタコメンタリー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.19 vol.226
    http://wakusei2nd.com


    本日、「ダ・ヴィンチ」誌での宇野常寛の批評連載「THE SHOW MUST GO ON」をまとめた単行本第2弾、『楽器と武器だけが人を殺すことができる』が全国の書店・Amazonで発売されます。
    チームラボ、ドラ泣き、風立ちぬ、多崎つくる、UC……数々の作品を扱ってきたこの連載。本日のほぼ惑では、裏話なども交えながらこの一年半を振り返るインタビューをお届けします。


    ▲宇野常寛『楽器と武器だけが人を殺すことができる』 (ダ・ヴィンチBOOKS)
    2014年12月19日発売
     
    ◎聞き手・構成:中野慧 
     
     
    ■01.〈失われた未来〉を取り戻すため
  • どこまでも遠くへ届くもの―― 宇野常寛、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論』を読む ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.225 ☆

    2014-12-18 07:00  
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    どこまでも遠くへ届くもの―― 宇野常寛、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論』を読む
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.18 vol.225
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    本日のほぼ惑は、「ダ・ヴィンチ」に掲載されている宇野常寛の批評連載「THE SHOW MUST GO ON」のお蔵出しをお届けします。今回は『おぼっちゃまくん』『ゴーマニズム宣言』などで知られるよしりんこと、小林よしのりという作家について考えます。「ネトウヨ」が存在感を増しているいま、「物語」の復権に力を尽くしてきた小林氏が取り組む新たな試みとは――?

    初出:『ダ・ヴィンチ』2014年12月号(KADOKAWA)
     
     先日、小林よしのり氏の勉強会(ゴー宣道場)のゲストに招かれ、登壇してきた。
     僕たちの世代にとって、よしりんは、小林よしのりという作家は避けては通れない存在だ。『おぼっちゃまくん』がテレビアニメ化もされ大ヒットしたとき、僕のクラスの男子はたいてい朝学校で顔を合わせると「おはヨーグルト」と挨拶を交わしていた。こうした「茶魔語」の流行にたいていの親と教師は眉を顰めていた。僕たちは、あのマンガの根底に当時のバブル的なものへのアイロニカルな風刺精神が横たわっていることになんか、まるで気づいていなかった。ただ、大富豪の息子と設定された主人公の自分の欲望に正直すぎる言動(そしてそれを実現し得る財力)と、そこから生まれるグロテスクな笑いに、とにかく圧倒されていた。
     そんな小林よしのりという作家が『SPA!』で時評マンガをはじめたときもやはり、僕たちは気がついたらすっかり目が離せなくなっていた。ある社会問題を考えるときに、人間がたどる思考の一歩一歩と、その原動力となる感情のゆらぎのひとつひとつを、小林よしのりは恐ろしいほど繊細なセンサーで捉え、そしてそれを卓越した力量で戯画化していった。ギャグ漫画家ならではのユーモアも交えて描かれるその誌面は、やはりグロテスクだった。グロテスクに誇張されることで、ものごとの本質を露呈させる力をもっていた。もちろん、その主張には同意できることもあるし、できないこともある。ただ、ここで僕が訴えたいのは、小林よしのりという作家の力は、何よりその高い表現力とそれを下支えする、人間の心情や業を捉える鋭敏なセンサーに支えられている、ということなのだ。僕の知る限り、小林よしのりはもっとも繊細な作家のひとりだ。
     さて、その日の「ゴー宣道場」のテーマは「幼児化する大人たち」と設定されていたが、議論は次第に現代における公共性をめぐるものへと進んでいった。小林氏が1990年代後半に参加した(そして後に決別した)「新しい歴史教科書をつくる会」の運動、そしてその流れで発表されベストセラーになった『新・ゴーマニズム宣言 戦争論』シリーズは、団塊ジュニア以下の世代の言論空間に絶大な影響を与えた。いわゆる「ネット保守」「ネット右翼」と呼ばれる層は、その後の2002年、日韓同時開催のワールドカップを契機に活性化し、現代においては一定の集票力を持つ政治勢力と言えるまでに成長している。そして、そのヘイトスピーチや、反社会性がたびたび問題視されるこの「ネトウヨ」のルーツと言われているのが、当時若者たちに絶大な影響力をもっていた小林よしのり氏の活動だっだ。もちろん、小林氏はヘイトスピーチを肯定していないし、するはずもない。むしろ、近年は戦前から続く正統派保守の立場から「ネトウヨ」的なヘイトスピーチ、カルト志向を徹底的に批判し、「ネトウヨ」たちの最大の標的の一人になっているくらいだ。
     しかし、いやだからこそ、小林氏は責任を感じているようにも思う。それが間接的な影響であったとしても、そしてそのメッセージが大きく誤解されていたとしても、結果的に自分の仕事が現在の「ネトウヨ」たちに結びついているのなら、自分が先頭に立って批判しなければならない、そんな覚悟のようなものを僕は小林氏から感じるのだ。僕は「ネトウヨ」たちのそれはもちろん、小林氏の語る歴史観や「公」の概念にも同意できないことのほうが多い。実際、僕も「左翼」「リベラル」として(!)何度か氏の批判の対象になったことがあるし、僕が反論を書いたこともある。しかし、それでもこの人の言論人としての、作家としての責任の取り方、時代の引き受け方にはどうしようもなく惹かれている、と言っていい。
     当時、小林よしのりという作家は「物語を語れ」と主張していた。 
  • アニメが世界を征服するために必要なのは〈デザイン〉の力――グッドスマイルカンパニー代表・安藝貴範インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.223 ☆

    2014-12-16 07:00  
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    アニメが世界を征服するために必要なのは〈デザイン〉の力――グッドスマイルカンパニー代表安藝貴範インタビュー
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.16 vol.223
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    来年1月末に発売予定の『PLANETS vol.9(特集:東京2020)』(以下、『P9』)。オリンピックの裏側で開催する文化祭を提案する「Cパート=Cultural Festival」メイン座談会では、グッドスマイルカンパニー代表取締役社長、安藝貴範さんが登場します。今回は『P9』に先駆けて、2020年のキャラクター文化やアニメ文化がどうなっていくかについて、安藝さんにたっぷりとお話を伺いました。

    ▼プロフィール
    安藝貴範(あき・たかのり)
    国内キャラクター可動フィギュアの代表である「figma」シリーズ、独特のディフォルメの魅力で大人気を博している「ねんどろいど」の展開で有名な「グッドスマイルカンパニー」代表取締役社長。”グッスマ”の事業はホビー以外にも、カフェやアーティストマネジメント、アニメの製作会社運営と多岐にわたる。カーレース事業「グッドスマイルレーシング」では、初音ミクをプリントしたいわゆる痛車で、SUPER GTのチャンピオンになったことも記憶に新しい。
    ◎聞き手:宇野常寛/構成:池田明季哉、中野慧
     
    ▼前回の幣誌インタビュー記事はこちら
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar503684
     
     
    ■世界観が映像の外に染み出していく――アートディレクターの役割
     
    宇野 前回のインタビューでは、西海岸的なギークカルチャーと、東京的なオタクカルチャーをミックスすることによって、新しい21世紀のグローバルなホビー文化が作れるんじゃないか、というお話を伺いましたよね。
    さらにその後に『PLANETS vol.9』掲載予定の、「2020年に向かって日本のオタクカルチャーがどうなっていくのか」をテーマにした座談会(他にKADOKAWA井上伸一郎さん、クリプトン伊藤博之さん、夏野剛さんが参加)にも出てもらいましたが、今回はまず、安藝さんが日本のアニメやキャラクター文化の現状をどう捉えられているかについてお聞きしてみたいと思います。
    安藝 日本のアニメのクリエイター側に足りないことって、実はあんまりないと思うんです。デザイナー、シナリオライター、絵描きさん、監督まで含めて強力な面子が揃っていて、海外と比べてもすごく人材が豊富じゃないですか。
    「作る側の質の問題ではなく、そもそも需要が少ないんじゃないか!?」というとそうでもない。最近では海外から「日本のアニメがほしい」という話を今までよりたくさん聞くようになりました。特に日本のいわゆる深夜アニメは向こうのオタクやアーリーアダプターの人たちに相当浸透しているし、子供たちも『NARUTO』や『ONE PIECE』を経由してよく見ている。
    最近Netflix(ネットフリックス)やHulu(フールー)などの定額動画配信サービスが大流行していますが、全視聴時間の2割ほどが日本のアニメだと言われているんですよ。彼らは5000万人の有料会員を持っていて、かなりのビッグデータで誰が何を見ているのか完全に把握しているからオーダーにも迷いがないんです。「これとこれとこれを、幾らでくれ!こんなのを作った方がいいよ!」とかなりストレートに言ってきますし、値付けもかなり派手なんですよね。
    要するに日本のアニメ業界の制作内部に才能がないわけでもないし、外部の需要がないわけでもない。しかし、ちょっとしたタッチやルックとか、宗教観、デザインのまとめ方だったりが、英語圏の市場に「ほんの少しだけ届かない」であるがゆえにビッグヒットにつながらない。そこがもったいないなと思います。
    じゃあどうするかというと、作品をトータルでグランドデザインできるアートディレクターやプロデューサーのような人たちが必要だと思っているんです。あえて個人名を挙げるなら、メチクロさん、コヤマシゲトさんや草野剛さんのような人たちです。例えばメチクロさんは『シドニアの騎士』の装丁やパッケージデザイン、マーチャンダイジングなんかを手がけているんですが、作品の空気感をちゃんと外に出していくために、パッケージのデザインをどうするかとかいうことまで含めて考えてやっているんですよね。他にもコヤマシゲトさんは、『キルラキル』や、今度公開されるディズニーの『ベイマックス』のコンセプトデザインをやっていて、非常に重要な役割を果たしているアートディレクターです。現場のコントロールも上手ですし、アウトプットへの影響力の示し方も的確です。
     

    ▲「シドニアの騎士」BDパッケージ。
     
    宇野 アートディレクターというのは、映像の中身だけでなく、その作品の世界観やBDパッケージのようなプロダクトのデザイン、もしくはイベントのディレクションなんかも含めてビジュアルをトータルに管理する人たちですよね。キャラクターが映像作品の中に閉じこもっていられない時代に対応するには、そういうプレイヤーが必要だと。
    安藝 監督が意識的にやっていない部分も含めて、「この作品のどこが売りなのか」をピックアップしてアウトプットするアートディレクターがいた方が、外にちゃんと伝わるということだと思います。マーチャンダイジングの担当がチェックすることもあるんですが、それは単に間違いがないかどうかを見ているだけで、デザインがいいかどうかを見ているわけではない。そういう部分をいいディレクターが補ってくれるだけでだいぶ違ってくるんです。
    来年あたり、有能なアートディレクターや映像チームが集まってずっと議論をしているようなスタジオをつくりたいと思っているんです。例えばさっき名前を挙げた、メチクロさん、コヤマシゲトさん、草野剛さんなんかが同じところにいたら衝撃的だと思うんですよ。一階は誰でも立ち寄れるように、原画とか、他のメーカーとコラボしたスニーカーのようなグッズも売っているお店にして、ちょっとしたギャラリーとしても使いたい。その建物全体を、外国人観光客にも「ここおもしれえな!」って思ってもらえるクールな場所にしたいと思っているんです。
    宇野 安藝さんの最終目標って「日本のオタクカルチャーによって、ホビーや体感型のエンターテイメントも含めたディズニー的な総合性を実現する」ということじゃないかと思うんです。この先グッスマがどんどん成長していったときに、行き着く先は「グッスマランド」じゃないですか? そこでアニメがたくさん上映されていて、グッズもフィギュアもいっぱいあって、もちろんレースもやっている、という。
    安藝 グッスマランド! それいいなぁ(笑)!
    宇野 さっきの「映像の外側を含めてアートディレクターが管理していく」という話にも通じると思うんですけど、USJとかって今すごく調子がいいですよね。大金をかけて「ハリー・ポッター魔法の世界」をつくって、それが大人気になっている。今って「体験」しか意味がない時代だと思うんです。そこで、「映像」という体験の種をバラ撒いてグローバルにヒットを出して、それを体験としてもう一度与えるモデルが一番強くなっていくんじゃないか。
    安藝 そうなるためにはやっぱり、「10年、20年と長期にわたって長く愛される作品をつくる」ということが必要だと思うんですよね。『トイ・ストーリー』シリーズって第1作は20年前なんですが、いま見ても本当によくできていて素晴らしいですよね。そして『トイ・ストーリー』シリーズの強みは、衒いなく続編をつくれるところ。もともと作品をチームで作っているから、ヒットして続編をつくろうというときに、クリエイターが何人か変わっても、ちゃんとしたものができる。
    一方でたとえば日本のジブリは一本一本で完結させて作るという考え方が強いし、制作にあたって属人性が強すぎるのでそれが難しい。もの凄いパワーでやりきっているので、そもそもあまり続編を作る気がもなさそうですしね。悲しいけれど、作品の長期化というのはそういったチームのマネジメントも含めて、考え直していかないといけないのかもしれないと思います。
     
     
    ■思春期を終えて、成熟するために――アニメ産業の現在と未来宇野 ちょっと角度を変えてお聞きしたいのですが、このあいだ福田雄一監督の『アオイホノオ』(原作:島本和彦/庵野秀明や山賀博之の大学時代を描いている)が放送されていたじゃないですか。あの作品を見たときに、30年前に生まれた日本のオタク文化、キャラクター文化が、今はもう思春期から熟年期に入ってきていると思ったんですね。ただ、必ずしも「キャラクター文化はこれからおじさんたちのものになっていく」というわけでもない気がしています。アニメ文化の成熟を受け入れながら、どうやって新鮮なものを出し続けていくのかが課題になっているのかなと。
    安藝 それはみんなすごく悩んでいるポイントで、いろいろな要因があると思うんですが、深夜アニメって数が多くてチャンスは増えている割に、新人の活躍の機会が逆に減っていたりするんですよ。
    たとえば作品の本数が増えて監督がたくさん必要になると、人気監督は4年ぐらい先まで予定が埋まってしまう。当然、監督が足りなくなるから、演出の人たちがすぐ監督になってしまって、演出で本来鍛えられるべき期間がなくなってしまう。そして演出がすぐ監督になると、今度はテレビシリーズで必要な各話演出のスタッフが足りなくなって、結局は経験の浅い監督が一人でやるか、もしくはまだ経験不足の新人の子たちがやらざるを得なくなっているんです。
    作品が多い環境というのは一見豊かに思えるけれど、実はスタッフがスムーズに育っていく環境ではなくなっている。現場が地獄絵図のようになっていくと、働くこと自体が辛すぎるし、自分の成長過程もイメージできないからすぐに辞めてしまう。理想的には新人にきっちり時間をかけて育ってもらって、新しい作品を出していかないといけないんですけど、そこをうまく巻き取れていないしケアできていない。構造的に人が育たず、新たなチャレンジもし辛いというネガティブな状況になっています。
    宇野 普通に考えれば、現状ではアニメの数が多すぎるので、適正な数に戻ればその状況も改善されていくかと思うのですが、そうではないんでしょうか? 
  • 現代の魔法使い・落合陽一。「彼だけが、本物の中二病である」――宇野常寛「THE HANGOUT」12月8日オンエア書き起こし ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.222 ☆

    2014-12-15 07:00  
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    現代の魔法使い・落合陽一。「彼だけが、本物の中二病である」――宇野常寛「THE HANGOUT」12月8日オンエア書き起こし
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.15 vol.222
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    大好評放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめるJ-WAVE「THE HANGOUT」月曜日。毎週月曜日は、前週分のオンエアの全文書き起こしをお届けします!

    ▲前回放送はこちらでもお聴きいただけます!
     
     
    ■オープニング・トーク
     
    宇野 時刻は午後11時30分を回りました。皆さんこんばんは、宇野常寛です。今夜はスペシャルウィークということで、まあ他の番組だったら、誰もが知っている有名人を呼んでガッポリ数字を稼ぐところなんですが、この番組はそんなぬるいことはしません! むしろ、今は無名でもこれからの時代を作る人間を呼びたい! まだ誰も知らなくてもいいから、この先ブレイクしていく人間を呼びたい。そう考えまして、いま僕が最も注目している若手作家をゲストに呼びました。現代の魔法使い、メディアアーティスト、落合陽一くんが登場します。まあね、誰だコイツって思う人も多いと思うんですけど、なんて言ったらいいのかな、一言で言ったらマッドサイエンティストですね。なんか、魔法使いとかマッドサイエンティストとか、この時点でこいつは何を言っているんだと思われるかもしれませんが、まあたぶん、本人が登場したらもっとそう思うことでしょう(笑)。それでは、J-WAVE「THE HANGOUT」、今夜もスタートです!
    ~♪
    宇野 J-WAVE深夜の溜まり場「THE HANGOUT」。月曜担当ナビゲーターの宇野常寛です。さあ、落合陽一とは果たしてどんな人物なのか。さっき僕はね、マッドサイエンティストとか現代の魔術師とかそんなことを言いましたけど、まあオフィシャルな説明を言うと、普通に研究者なんですよね。っていうか、科学者ですね。この説明はちょっと語弊があるんですけど、ディスプレイの次の形を研究している人ですね。本人いわく、ディスプレイの次を研究しているというと、わかりやすいけど実は正確には違うらしいんですけどね。で、そういった研究を使って、アート作品をどんどん発表しているという、科学者とアーティストの二足のわらじを履いている男です。喋り方っていうかね、挙動みたいなものが、一言で言うとこれ、『DEATH NOTE』のLなんですね。ほんとにこういう人間いるんだ、っていう。むしろ、『DEATH NOTE』の作者、もしくはジャンプ編集部の誰かは、どこかで落合陽一の存在を知ってあのキャラクターを作ったんじゃないかって思うくらい、Lっぽいですね。
    初めて会った時に、全身ヨウジヤマモトの真っ黒の服装をしていて、首からカメラをぶら下げていたんですよ。で、なんでそんなことしているんですかって聞いたら、実験的に自分の視界に入るもの全てを記録している、みたいなことを言っていたんですよ。で、最初は美大くずれ系のアーティストか何かかな、みたいな失礼なことを思ったんですよ。でもね、話してみると、いちいち発言がぶっ飛んでいるんですよね。それも、ただぶっ飛んでいるんじゃなくて、僕が普段文化やメディアについて考えていることとすごく近い気がしたんです。僕が考えているようなことを、理系のジャンルというか、科学テクノロジーのジャンルでやっているような気がしたんですよね。そこからちょっと興味を持って、時々一緒に仕事をするようになったっていう。まあそんな関係ですね。
    はい、というわけですね、宇野常寛がナビゲート致します、J-WAVE「THE HANGOUT」。今夜の1曲目はですね、そんな落合くんの登場にふさわしく、この曲を選びました。映画『DEATH NOTE』のイメージソング、Red Hot Chili Peppersで「Dani California」。
    ~♪
    宇野 宇野常寛がナビゲート。J-WAVE「THE HANGOUT」。今夜の1曲目は、映画『DEATH NOTE』のイメージソング、Red Hot Chili Peppersで「Dani California」でした。
    この後、現代の魔術師、メディアアーティストの落合陽一さんが登場します。落合さんへの質問も受付中です。ハッシュタグは「#hang813」です。メールの方は、この番組のホームページのメッセージボタンから送ってください。番組ホームページではYouTube Liveでスタジオの様子を同時生配信中です。そして、11時55分からは、南沢奈央ちゃんのNIPPON SEKIJUJISHA “GAKUKEN” The Reason Whyのコーナーがあります。そして、J-WAVE「THE HANGOUT」各曜日のナビゲーターが毎週共通のテーマを語る、シェア・ザ・ミッションのコーナー。今週はアイドルについて語ります。J-WAVE WACORDSのメンバーがさまざまなベンチャー企業をリポート、ワーカーズ・ディライトのコーナーもお楽しみに。そして、毎週月曜日は番組終了後、ニコニコ生放送「PLANETSチャンネル」で延長戦を行います。番組内で語り切れなかった話題、そして、読みそびれたメールなどをディープに追及していきます。
    はい、それでは宇野常寛が深夜1時までナビゲートします、深夜の溜まり場「THE HANGOUT」。このあと現代の魔術師、落合陽一さんが登場します。
    〜♪
     
     
    ■ゲストトーク1
     
    宇野 J-WAVE 深夜の溜まり場「THE HANGOUT」。月曜日は宇野常寛がお届けしております。早速、今夜のゲストをご紹介いたします! 現代の魔法使い、落合陽一さんです。
    落合 はいどうもこんにちは!
    宇野 こんにちはー、ラジオの生放送とかってもしかして初めてですか?
    落合 実はJ-WAVEに来たのも初めてです。ニコラジとかは出たことありますけどね。
    宇野 そうだね、僕のニコニコ生放送とかにも。
    落合 あとなんか、やまだひさしさんのやつとか。
    宇野 この番組ではたびたび落合くんの話題をしているんだけども、具体的に何をやっている人なのかっていうところを最初に説明した方がいいと思うんですよ。一言で言うと、落合陽一とは何者なのか。魔法使いとは何ぞや、ってところからいきたい。
    落合 そうですね、なんか、俺はコンピューターが……俺はコンピューターになりたいんですけれども。
    宇野 コンピューターになりたい!?
    落合 はい。コンピューターを使って何をするかっていうのが、アートだったりテクノロジーだったり、まあ今の世の中は、出し方としてはメディアアートって言葉で表現されたりとか、例えばメディア技術で表現されたりするんですけど。なんか、コンピューターの出現によって、そもそもアートとテクノロジーを分ける意味がなくなってしまった今、俺はコンピューターを使って、次の時代に通じる思想を作りたいっていうのが主なモチベーションなんです。次の世界って、たぶん、スマホだとかPCだとかっていう存在は全部隠れていって、俺たちは俺たちの身体のまま、この世界に直接アクセスできるような世界にしたいんですね。っていうのを、例えば物を作って、物を浮かせて、動かしてみたりとか、物の質感を実際変えてみたり、俺たちの頭をハックするんじゃなくて、世界自体をハックすることでどうにかして変えてやりたいっていうことをずっとやっています。
    宇野 なるほどね。それって要するに、コンピューターっていうものが空気のようなものになるっていう理解でいい?
    落合 そう、空気のようなものになるっていうのと、あと俺たちが脳みそをハックすることなく、この世界をハックしたいっていうことですね。
    宇野 なるほど。これ、聴いているみなさんわかりました? つまり彼は二つのことを言っているわけですよね。一つはコンピューターというものが当たり前のものになる。なんか僕らって、生まれてからコンピューターがどんどん発達していっているから、「コンピューターでこんなことができるようになったよ」っていう驚きとともに生きてきていますよね。だから、世の中を語るときはメディアを語ると大体のことが語れちゃう。今の時代を象徴するのはメディアだってわけですね。テレビとかインターネットとか。で、そういった時代がコンピューターが当たり前になるとなくなってきて、メディアを語ることが社会を語ることじゃなくなっていくっていうことがひとつと。で、もう一つが、僕たちがバーチャルリアリティというか、情報技術の最先端っていうと、脳に電極を刺して幻覚を見せるとか、コンピューターの中でもう一つの世界を作っちゃうとか考えるけど、そうじゃなくて、コンピューターの力でこの現実自体を変えていくっていうね。この二つのことをたぶん言っていたんだと思うんだよね。
    落合 まさしくその通りですね。さすが宇野さん。
    宇野 っていうか落合くんには、僕が編集長のメルマガで連載してもらっているからね(笑)。なので、たぶんいま日本で一番、君の書いた論文以外の文章を読んでいるのは僕だと思うんですよね。
    落合 確かにその通り(笑)! そう、僕の毎回難解なこの言い回しをすべて宇野さんが編集して直していただいているんですけれども。
    宇野 で、具体的には、どういう研究をしているわけ?
    落合 最近では、去年は音のシーズンだったので、見えない音のエネルギーを使って、物質、物体自体をどうやって三次元的に空中に浮かせたり、並べたりして操るかっていうこととか。あとは音の力を使って、例えば、物体の表面に当たる光の反射質感を変えて、リアリティーのある物体を描くディスプレイを描くディスプレイを作ったりとか。あとは、そうですね、物体の触り心地とかのテクスチャーを、音波レベルの振動で変えてやると、あたかも鉄から木に変わるとか、木から紙に変わるみたいな、触覚質感を変えたりとか。どうやって物体自体をハックしないで外力で違うものに変えてやるかみたいなことをずっとやっていました。
    宇野 なるほど。たぶん聴いている人たちは、電波で物を浮かせるってわかったと思うんだけど、たぶん他の二つが、今の説明だけだとたぶん脳みそがついて行かなくてわかってないと思うんですよね。
    落合 ですねー。
    宇野 で、二つめはなんだっけ?
    落合 二つめはね、要は大体触覚で物を変えるとか、光の量を変えるとか。手触りを変える。
    宇野 物事の手触りを変えると。で、三つめが、物の反射を変える。
    落合 そうですね。要は液晶ディスプレイって一定の反射しか持ってないじゃないですか。そうじゃなくて、なんか本物の質感と同じような反射を持つディスプレイってどうやったら作れるの、みたいなことをやったり。
    宇野 皆さんわかりましたか? つまり、今までは錯覚を見せようとすると、それこそ薬とか、脳に電極を刺して、幻覚を見せていたんですよ。でも、落合くんがやっている研究っていうのは、要は、物がある、鉄板がある、シャボン玉があると。で、光の反射を変えることによって、シャボン玉や鉄板の質感を変えて別のものに見せるとか、あるいはそこに情報を、プログラムを走らせて描画する、映像を出したりとか、絵を描いたりするということを言っているっていうことなんだよね。
    落合 そうですね。今までコンピューターってコンピューターの中に閉じていたんですけど、コンピューターから外に出てきて、物理世界をどうやってハックするかっていうことをやっています。今年は(落合さんのテーマが)光のシーズンなんで、光の波の研究がいっぱい出てきます。
    宇野 なるほどね。三つめのテクスチャーが変わるっていうのは、たぶん手触りが変わるっていう理解がわかりやすいかな。
    落合 そうですね。見た目と手触りとどっちもやっています。物には物の固有の手触りがあるじゃないですか。ディスプレイを触って手触りが変わるみたいなのはすごく研究者がやってきたんだけど、この世界にある物を、そのまま手触りをトランスフォームする、変換するみたいなことをやっています。
    宇野 なるほどね。落合くんの研究っていうのを最初に僕が聞かされたときに、ああ、これは、この先に人間と情報の関係が変わっていくことの本質だと思ったわけ。つまり、この10年でも、僕らっていうのは、情報技術っていうのが、随分ディスプレイの外に出て行っているっていう感覚がすごく強いと思うわけですよ。
    落合 そうですね。
    宇野 実際に今までインターネットとか、情報技術って主にインターネットのことを指していて、どんどん新しいメディアが生まれていく。で、ソーシャルメディアが生まれていったりとか、YouTubeが生まれていったりとかでみんな感動して、おおすごい、ディスプレイの中のメディアがどんどん面白くなっていく。ところが、ここ数年話題なのって、例えば3Dプリンターだったり、あるいはIOT(internet of things)、物のインターネットですよね。いろんなものにセンサーが入っていて、ネットワークでつながっていくっていうね。あっちの方がだんだん面白いって注目されるようになっていて。
    落合 まあ、あとライブ演出だとか、実際に起こるもの、みたいな。コンピューターグラフィックスも98年くらいでみんな飽きてきて。ジュラシックパークできるなら、恐竜くらい描けるんだから、コンピューターの中でなんでもありなんだろう、っていうのがみんなの理解だと思うんですけど。まあ、実際に恐竜が歩いたらすごいですよね。
    宇野 うん(笑)。なので、なんか90年代は情報テクノロジーに詳しい人、あるいはコンピューターオタクっていうのは、画面の中のもう一つの世界に逃げ込んでいる人ってイメージだったのが、今はたぶん、情報テクノロジーに明るければ明るいほど、情報テクノロジーを使って現実を面白くするっていう方向にどんどん行っている。その流れの先にあるものは、まさにこの落合くんが行っているような研究の世界なんじゃないかっていうね。そういうふうに僕は感じたんだよね。すごく。
    落合 いや、ありがとうございます。僕は、そこにどうやってこの世界を持っていくかっていうのを、たぶん言っているだけじゃわからないので、物を作って示していくっていうのがモチベーションなんです。だから最初思想を作るっていったんですけど、今までの、20世紀の思想家って、こんな考え方すげーぜ! って喋っていたんだけど、もう今の時代、コンピューターのアシストがあるから、俺たちは物を作りながら語れるわけじゃないですか。物と語りがミックスされないと、タンジブルな、触れる価値がないと、認識できないんですよね。未来への変化を。それをどうやって作っていくかっていうのがかなりモチベーションで。
    宇野 でもさ、ちょっといきなりつっこんだ質問をするけど、それって研究者・落合陽一としてのモチベーションだよね。メディアアーティスト・落合陽一はそこにどう絡んでくるの?
    落合 そこはいい質問ですね。僕のモチベーションとしては、メディアアートの方はもっと大きいことがテーマです。つまり、研究は一歩前に進めればいいんだけど、アーティストとしては、美意識とか、もっと漠然とした、人間とコンピューターの関係性っていうのを記述したりしたいんですよね。 
  • ネトウヨ時代の「二重の卑しさ」にどう抗うか――「ナショナリズムの現在」に寄せて ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.221 ☆

    2014-12-12 07:00  
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    ネトウヨ時代の「二重の卑しさ」にどう抗うか――「ナショナリズムの現在」に寄せて
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.12 vol.221
    http://wakusei2nd.com




    今年2月に萱野稔人さん・小林よしのりさん・朴順梨さん・與那覇潤さんをお招きして大好評だったイベント『ナショナリズムの現在』の内容が、電子書籍化に続いて、ついに新書になりました! そこで今日のほぼ惑では、宇野常寛による書き下ろしの「あとがき」をお届けします。紙書籍版『ナショナリズムの現在』は、本日12/12(金)より全国の書店・Amazonで発売されますので、ぜひ覗いてみてください!
     

    ▲左=紙書籍版『ナショナリズムの現在』(朝日新聞出版)/右=電子版『ナショナリズムの現在』(PLANETS)
    ※紙書籍版には、電子版『ナショナリズムの現在』の内容に加えて、宇野常寛と萱野稔人さん、與那覇潤さんとの対談がそれぞれ収録されています。
     
     
    ■あとがき
     
     本書は今年2月に行われたシンポジウム「ナショナリズムの現在─〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来」の再録に大幅な加筆修正を加えたものを中心に、その前後に行われたふたつの対談によって構成されている。
     最後の収録から数カ月が経ったが、この間僕がずっと考えていたのはいったいいつの間にこの国は、こんなに卑しくなったのだろうか、ということだ。
     議論のなかで、僕たちはヘイトスピーチ的なものへの対決と、そのために必要な現実的なリベラルの構築を、そしてカルト化する保守勢力の歯止めの必要性を確認し合ったはずだ。その結論に、修正を加える必要はとくに感じていない。ただ、ほんとうにそれだけでいいのか、問題はもっと見えづらく、そして厄介なところにあるのではないか、という思いが今の僕の頭の中には渦巻き続けている。
     自衛官だった僕の父親は生前、中国の覇権主義的な外交に違和感を示すことが少なくなかった。しかし、その一方で大陸の文化には深い敬意を抱いており、僕は小さい頃からその精神と歴史を学ぶようにと言われて育った記憶がある(怠惰な僕はせいぜいビデオゲームの「三国志」シリーズにハマった程度だったが……)。僕の父親は専門家でもなんでもなく、これはごくごくありふれた、単に間違っていないだけの凡庸な見識にすぎないと思う。しかしこのような最低限の「凡庸な妥当さ」さえも成立しなくなっているのが現代の日本なのだ。
     そしていま本屋に足を運べば、隣国を蔑み、敵視することで読者を満たそうとするサプリメントのような見出しが並び、ネットを覗けばとめどなくヘイトスピーチが流れてくる。
     もちろん、こうした排外主義や民族差別に対しては決然と対応するしかないのだが、たぶんモグラ叩きのようにこれらに対抗するだけでは、対症療法だけではダメなのだという思いも日に日に強くなっている。
     いま、この国の社会には隣国の人々を蔑まないと自信がもてない、卑しい人々が増えている。その背景にはたとえば、経済的なものもあるのだと思う。貧すれば鈍する、というのも間違いないし、その一方で結局日本の実情に即した市民社会を構築できなかった政治文化的な問題もあるだろう。
     そしてその結果、いま僕がいちばん怖いなと思うのが、この卑しさが「ネトウヨ」たちの外側にも広がりつつあることだ。
     たとえば僕は、2012年に自民党の石破茂氏と対談本を出版した。同書に収録された対話のなかで、氏と僕とのあいだには当然、意見が合うものもあれば合わないものもあった。しかしある日、僕はTwitter上で「自民党の国会議員と本を出したあいつは敵だ」と罵倒する投稿が何百回もリツイートされているのを見て愕然とした。自民党の幹部とは、話し合いのテーブルにさえついてはいけないのだろうか。それでは、少しでも親中、親韓的な発言をした人間を「サヨ」と決めつけ、言動の内実も吟味せずに罵倒する「ネトウヨ」たちと変わらないのではないか。