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落合陽一「魔法使いの研究室」直方体型人類とタイムマネジメント時代の終わり(前編)
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落合陽一「魔法使いの研究室」直方体型人類とタイムマネジメント時代の終わり(前編)

2017-06-06 07:00
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    メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピューテーショナルな社会に向けた思想を考える「魔法使いの研究室」。今回は、普遍性と画一化によって規定された〈近代〉を更新し、人類を直方体型から解放する、コンピュータの個別最適化に基づいた新しい社会のあり方を説きます。※この内容は2017年3月25日に青山ブックセンターで行われた講演の内容を記事化したものです。

    タイムマネジメントからストレスマネジメントの時代へ

    落合 こんにちは、落合です。最近『超AI時代の生存戦略』という本を出しました。仰々しいタイトルがついているんですが、この本は最初は『ワーク・アズ・ライフ』というタイトルになる予定でした。どういう意味かというと、コンピュータが発達するにしたがって、人間の生活も見直されなければならない。ワークライフバランス、つまり、仕事とそれ以外の時間をどう切り分けてバランスを取っていくか。
     
    たとえば、1日のうち7割の時間で仕事をして、残りの3割で、遊んだり寝たりする。これが近代の人間の働きかたの基本になります。この「労働」と「時間」の関係に最初に着目したのはカール・マルクスです。人間は時間あたりの労働によって価値を生み出すので、時間を労働力の単位として考えていく。13世紀にトマス・アクィナスが神性との関係の中で基礎付けて以来、「時間」は重要な価値基準のひとつとされ、その考え方は近代のマルクスの労働価値説にまで受け継がれてきました。
    しかしながら、我々の労働の多くはコンピュータによって下支えされています。そこでは人間の能力が必要な仕事・不要な仕事が混在していて、時間ベースで区切るのには無理が出てきます。そのような社会において、僕たちの労働観はどのようなものであるべきなのか。
     
    以前、堀江貴文さんと「仕事」をテーマに対談したとき、「機械に仕事を奪われた人間は遊ぶしかない」という話になりました。これは「人生のすべてを仕事にするしかない」ということで、我々は人生そのものを仕事と捉える事もできるし、同時に仕事そのものを遊びと捉えることもできる。この本はそういう「ワーク・アズ・ライフ」という考え方から生まれていて、その内容を一言で要約するなら「近代はタイムマネジメントの時代であったが、現代はストレスマネジメントの時代である」という問題提起です。
    近代のベースとなった工業社会において安定した生産を行うには、労働者は全員クロックを合わせなければなりません。朝は何時に出勤して何時から仕事を始める、といった1日のスケジュールを常に考えながら行動する。そのため、近代以降の人間は、時計やスマートフォンといった時間を確認する手段を身に付け、今日が何月何日であるかを常に気にしながら生きています。これが近代のコレクトで、それに都合のいい人間を学校教育では育ててきたわけです。
    日本の小学校では、朝礼で全員が並んで「前ならえ」をさせられます。これは工業製品の検品検査と同じようなもので、配置が終わったら、声を合わせて挨拶をすることで、クロック同期を行い、時間感覚が狂っていると「先生、あの子がずれています」とはじかれるわけです。ここで行われているのは、人間を生産性の高い工業製品に変えることです。決められたマス目の中に名前を書ける人間を育てることが学校教育の本質であり、その指示に従えない人がいると、社会システム全体が成り立たないわけです。
     
    しかし、社会システムが成り立つかどうかは、コンピュータ至上主義の現在の世界では、全く問題になりません。社会システムに関わる作業は機械がやってくれるから、人間はそれ以外の領域で価値を生み出さなければならない。それに合わせて、工業製品のような人間を生産する教育も変わらなければならないはずですが、社会の変化に対応しきれず、しどろもどろな状態になっているわけです。

    画一化の概念を持たない近代以前の社会――江戸・インド 

    近代以前において、人々はそこまで厳密にクロックを合わせてはいませんでした。
    たとえば江戸時代。当時の社会はごみが出にくかったと言われています。なぜなら、職業が極めて細分化されていて、その職業から発生した不要物の処理系統が厳密に決められていたからです。つまり、「ごみ」という概念のラベル付けがないから、ごみが生じにくかった。我々にとって使い終わったペットボトルは「ごみ」です。それを「空いたペットボトル」という概念で捉えればリサイクルが可能ですが、「ごみ」としてまとめてしまうとリサイクル不能になります。この考え方はすごく重要で、あらゆる不要物を「ごみ」という単一の概念に包括して、まとめて燃やしたり埋め立てたりする。これは近代における合理化のひとつですが、江戸の町はそういうことをしなくても社会がまわるようなっていました。その代わり、一人当たりの生産性は低く、経済発展も望めません。移動に制限があり、幼児の死亡率が高く、餓死や伝染病による大量死も隣り合わせの社会です。
    一方、インドでは日本とは違ったかたちで非近代的な社会システムが成立していました。インドの職業はカースト制度によって細分化されています。たとえば、トイレのドアを開ける職業、川で洗濯する職業、道端にいる牛糞を拾う職業までありました。それによって近代的な合理化をしなくても、細部が絡み合って全体を構成するような社会が成立していたわけです。一見、カオティックに見えますが、近代のように、既存の枠組みに当てはめるがゆえに生じる余剰はありません。


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