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  • 新世代ハードはいかに現実空間を拡張したか 〜「Kinect」「ニンテンドー3DS」「PlayStation Vita」〜(中川大地の現代ゲーム全史)【毎月第2水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.493 ☆

    2016-01-13 07:00  
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    新世代ハードはいかに現実空間を拡張したか〜「Kinect」「ニンテンドー3DS」 「PlayStation Vita」〜 (中川大地の現代ゲーム全史)【毎月第2水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.1.13 vol.493
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでは、『中川大地の現代ゲーム全史』をお届けします。2010年代前半の「Kinect」「ニンテンドー3DS」「PlayStation Vita」といった新世代ハードの登場は、ゲーム市場にどのようなインパクトをもたらしたのか? ハードに実装されたAR(拡張現実)性に着目し考察します。 
    第11章 デジタルゲームをめぐる地殻変動/汎遊戯的世界への芽吹き
    2010年代前半:〈拡張現実の時代〉本格期(2)
    ▼執筆者プロフィール
    中川大地(なかがわ・だいち)
    1974年生。文筆家、編集者。PLANETS副編集長。アニメ・ゲーム関連のコンセプチュアルムックの制作を中心に、各種評論・ルポ・雑誌記事等を執筆。著書に『東京スカイツリー論』(光文社)。本メルマガにて『中川大地の現代ゲーム全史』を連載中。
    前回:スマホ時代の到来と日本的ソーシャルゲームの展開 〜『ドラゴンコレクション』『探検ドリランド』『神撃のバハムート』〜
    ■ "未来"へのショートカットをもたらした「Kinect」の衝撃
     ソーシャルゲームという思わぬ隣接産業の登場で、日本国内の据え置き・携帯型ゲーム専用機の市場は脅かされ、右肩上がりの成長を続けている海外市場との乖離はますます拡がっていく。
     とりわけ大きな格差が生じていたのが、セガに替わって業界三国志の一角を担う立場にあったマイクロソフトのハードが占めるシェアである。前章でも述べたように、Xboxおよび後継機Xbox360の投入を通じて、同社のハードはWindows系の開発環境との相性の良さから、ベンチャー的なPCゲームのディベロッパー群を裾野として、海外市場ではプレイステーションシリーズに匹敵するシェア規模を獲得していたのに対し、国内ではセガ以上にニッチな「洋ゲーファン向けハード」としての位置に留まっていた。
     この状況は、2000年代を通じて日本のゲーム市場が急激に「ガラパゴス化」していた事態の最も端的な指標でもあったが、2010年に登場した360用のある周辺機器への応答においても、きわめて鮮明に顕れている。モーション式の統合入力デバイス「Kinect」の登場である。

    ▲Kinect(出典)
     本機は、プレイヤー動作をキャプチャリングするためのカメラや深度センサー、音声認識用のマイクなどの機能を組み合わせることで、Wiiリモコンが切り拓いた身体動作によるゲーム体験を、さらに高度な水準で実現するための機器であった。Wiiリモコンの場合は、物理的なコントローラーを握って振り回すという操作系によって、間接的に腕や上体の運動を促すものであったが、Kinectはデバイスをモニター画面の前に設置し、ユーザーの全身運動を直接取り込む点が決定的に異なる。前者の発想は、あくまで任天堂が横井軍平の薫陶のもとに築き上げてきた玩具屋としての触覚的な手遊びギミックの工夫の延長線上に生まれたものであったが、後者はデバイスをモニター画面の前に据え置き、映像として人間の運動を解析するという、徹底して視覚的なアプローチによって生まれた機器であった。言うなれば、従来は一方的に画面上に生成される仮想世界をまなざすだけだったプレイヤー自身が、ゲーム機の側からまなざし返されるという視座が生まれたわけである。
     これにより、四肢を動かしたりジャンプしたりといったプレイヤー自身の全身運動がデータ化され画面上のアバターにリアルタイムで反映されるという、現実空間と仮想空間の垣根を大きく超えるインタラクティブ体験が可能になり、同梱ゲームソフトの『Kinectアドベンチャー!』では、ボートに乗っての激流下りや自然の中の障害物コース探険、宇宙空間での無重力体験といった5種類のアスレチックゲームを楽しむことができた。
     当面、最先端の研究機関や映像制作業務の現場でもなければ実現できないだろうと思われていた水準の体験を、誰もが手軽に享受できるものとしたKinectのテクノロジカルなインパクトは非常に大きく、発売4ヵ月ほどで1000万台の売上げを突破。ギネスレコードが「最も速く売れた家庭用電子機器」に認定するほどの勢いをもって、世界市場での成功を果たしたのである。
     Kinect対応のヒット作としては、『Kinectアドベンチャー!』の他にもローンチタイトルの『Kinectスポーツ』(マイクロソフト)や『Dance Evolution』(コナミ)といったソフトが、家庭の屋内空間をスタジアムやダンス場に変えてしまうような体験性をもたらし、新時代のスポーツレクリエーションの先取りとして、驚きをもって迎えられた。
     ただし、Kinectの真価をより深く受け止めたのは、ゲームを楽しむコンシューマー層というよりも、むしろ様々な分野の研究者やハッカーたちのコミュニティであったと言うべきだろう。汎用規格のUSB2.0で接続可能なKinectは、発売当初から360以外の機器で利用する画期的な汎用モーションセンサリングツールとして解析され、各種のメディアアートや映像制作、教育、人流計測、医療・障害者支援の現場など、デジタルゲーム以外の分野でも活用された。この自然発生的なムーブメントをマイクロソフト自体も追認し、12年にはWindows版のリリースや開発ツールの公開が行われ、やがて「The Kinect Effect」と名づけて奨励するに至る。
     一方、欧米圏でのビビッドな反応に比して、360自体の普及度が低く、手狭な住宅事情の上でもKinectを活用したゲーム等を楽しむのが困難な日本では、そのインパクトが限定的な領域に限られている感は否めない。
     ただし、特筆すべき事例としては、山口市でのアートイベント企画として、犬飼博士らが地元有志とともに13年に市内の商店街に設置した『スポーツタイムマシン』のようなケースが挙げられる。これは12台のKinectを並列・同期させて25m分のセンサリングを行い、この距離を折り返して50m走を行うプレイヤーのシルエット映像を記録、プロジェクション再生することで、過去の自分や他人との時空を超えた徒競走が可能になるという試みである。

    ▲スポーツタイムマシン [Sports Time Machine] 紹介ビデオ
    https://www.youtube.com/watch?v=TYAA-6wE5VI
     この前身として、犬飼らはモーションセンサーで読み取ったプレイヤーの動きと地上に投影された等身大のCG映像とのインタラクションにより、デジタルゲームのような競技を現実空間上でプレイすることのできる『eスポーツグラウンド』(エウレカコンピューター 2010年)を開発し、各種レジャー施設やフィットネス施設等で事業展開されていたが、Kinectの登場により、こうしたシステムが地域コミュニティレベルでも実装可能になったのである。
     そして、ここでの成功をステップに、犬飼らは2020年の東京オリンピックを視野に、情報技術やデジタルゲームからのフィードバックによる近代スポーツそのものの柔軟な再設計や拡張を目指す「未来の運動会」のムーブメントを始動させている。
     いわばKinectは、現実空間とデジタル空間の垣根を超えていく〈拡張現実の時代〉のさらに先を発想するためのインフラとして、進歩の速度を少なくとも数年は早める役割を果たしたと言えるだろう。
    ■「ニンテンドー3DS」の引き裂かれたコンセプト
     マイクロソフトのKinectが室内空間における先進的な現実性拡張の可能性を大きく切り拓く一方で、とりわけ屋外空間に持ち出せる〈拡張現実〉デバイスの進化を積み重ねてきた日本の任天堂とSCEは、前世代機と同様に携帯型ゲーム機の代替わりを、据え置き機に先行して行っている。2011年登場の「ニンテンドー3DS」、および「PlayStation Vita」である。
     いずれも前世代機のニンテンドーDSとPlayStation Portableが確立した国民的普及機とグラフィカルなハイクオリティ機としてのニッチを継承しつつも、スマートフォンの脅威を意識し、ゲーム専用機ならではのギミックの先進性を演出するための差別化に腐心している点が特徴的だ。

    ▲ニンテンドー3DS(出典)
     3DS最大の特徴は、その名の通り裸眼立体視可能な視差バリア方式の3D液晶ディスプレイである。
     これはちょうど、地上アナログ放送停波前後の時期のテレビの買い替え需要を狙って、国産テレビメーカーがこぞって高付加価値な3Dテレビの新製品を売り出していたことが、機能搭載の背景となっていた。2009年の映画『アバター』などを皮切りに劇場映画ソフトの3D化が進んでいたことや、いくつかの衛星放送局がスポーツ中継などの立体テレビ放送を開始しており、2000年代末から2010年代初頭にかけては家電業界を挙げての3Dブームが引き起こされ、新たな標準機能としての定着が期待されていた時宜があったわけだ。
     そして、多くの3Dテレビと違って専用眼鏡を必要とせず、アナログスライダーで立体視の深度を好きな程度に調節できる3DSの仕様は、手軽に立体映像を楽しめる機器としては群を抜いた完成度とポピュラリティを持っていた。それゆえ、消費者の需要ではなく供給側の事情によって作られた時代錯誤なブームでしかなかった3Dテレビのブームがわずか2〜3年で霧散する中で、結果的に3DSだけが唯一「標準」と呼びうる規模での普及を果たすことに成功した家庭用立体映像表示機器としての地位を獲得することに成功したと言えるだろう。

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  • スマホ時代の到来と日本的ソーシャルゲームの展開 〜『ドラゴンコレクション』『探検ドリランド』『神撃のバハムート』〜(中川大地の現代ゲーム全史)【毎月第2水曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.468 ☆

    2015-12-09 07:00  
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    スマホ時代の到来と日本的ソーシャルゲームの展開 〜『ドラゴンコレクション』『探検ドリランド』『神撃のバハムート』〜(中川大地の現代ゲーム全史)【毎月第2水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.09 vol.468
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガでお届けするのは『中川大地の現代ゲーム全史』最新回。ついに2010年代に突入します。プロローグにあたる今回は、情報技術が世界を覆い尽くした状況を概観しつつ、スマートフォンを媒介としたソーシャルゲームの大発展時代を振り返ります。
    第11章 デジタルゲームをめぐる地殻変動/汎遊戯的世界への芽吹き
    2010年代前半:〈拡張現実の時代〉本格期(1)
    ▼執筆者プロフィール
    中川大地(なかがわ・だいち)
    1974年生。文筆家、編集者。PLANETS副編集長。アニメ・ゲーム関連のコンセプチュアルムックの制作を中心に、各種評論・ルポ・雑誌記事等を執筆。著書に『東京スカイツリー論』(光文社)。本メルマガにて『中川大地の現代ゲーム全史』を連載中。
    前回:デジタルゲームを変えた「ソーシャルゲーム」市場の勃興〜『釣り★スタ』『サンシャイン牧場』『怪盗ロワイヤル』〜
    ■深化してゆく〈拡張現実の時代〉
     2010年代を〈拡張現実の時代〉の本格期と呼ぶに足る実感を、多くの人々にもたらしたのが、スマートフォン普及の本格化であった。前章で述べたように、これは2007年のiPhone登場を嚆矢に、グーグルが開発した汎用OSであるAndroidを搭載した機器が登場して二大陣営を形成することで、様々な機種を擁する一般的なカテゴリーとしての成立を見るに至った結果の出来事だ。その世界的な潮流は、「ガラパゴスケータイ(ガラケー)」という蔑称さえフラットに定着してしまった国産フィーチャーフォンのシェアを、急速な勢いで置き換えていくことになる。
     その使用感はもはや「電話」のそれではなく、インターネット端末としてのパソコンの役割をほとんどカバーすると同時に、携帯型ゲーム機が追求してきたタッチパネル式の操作系や、GPSと連動して自らの位置情報がリアルタイムに把捉される機能など、現実空間におけるユーザーの視聴触覚的な認知が拡張されていく経験を、広範な層に提供するものだったと言える。手帳や地図、時刻表に文庫本、カメラや音楽プレイヤー、それにゲーム機と、およそ現代人が外出先で必要とするであろう、あらゆるタイプの実用的・娯楽的なコンテンツの享受方法が手元の小さなデバイスに統合・ネットワーキングされたことで、人々の日常の時間と空間、そしてお金の使い方が大きく変化していったのである。
     様々な生活シーンに密着した機器が登場したことで、グーグルやアップルをはじめとする巨大プラットフォーマーや行政機関が、人々のネット上での検索履歴や消費行動など日々生成されるライフログを中心にした「ビッグデータ」を容易に収集することが可能になり、その解析を通じた新サービスやAIの開発、統治の効率化といった応用が進むことへの期待と不安が取り沙汰されるようになる。
     より先端的なテクノロジーの領域では、汎用的なヘッドマウントディスプレイ「Oculus Rift」や、スマホのコンセプトをさらにウェアラブル化したデジタル眼鏡「Google Glass」のような、VR・ARのコンセプトを直截に具現化する民生プロダクトが登場。さらには、可塑性の高い樹脂素材などによって3DCGデータを物体化する3Dプリンターのような技術が次代のイノベーションをもたらす「IoT:Internet of Things(モノのインターネット)」の象徴として注目されるなど、デジタル世界と現実空間との垣根を引き下げる事象が注目され始めたことも、いよいよ〈拡張現実の時代〉が深化していく指標に数えられよう。
    (関連記事)
    Cerevo岩佐琢磨インタビュー「ものづくり2.0――DMM.make AKIBAとメーカーズ・ムーブメントの現在」(前編)
    Cerevo岩佐琢磨インタビュー「ものづくり2.0――DMM.make AKIBAとメーカーズ・ムーブメントの現在」(後編)
    過剰を抱えた人間のためのフロンティア――DMM.make AKIBAが目指す次のインターネット(プロデューサー・小笠原治インタビュー)
     こうした情報環境下で顕著になっていったのが、「コンテンツ消費からコミュニケーション消費へ」という動向だ。音楽や書籍、映画といったエンターテインメント作品の流通経路や摂取手段が、もはやジャンルを問わずにパッケージメディアから解放されてネットに移行し、スマホやパソコン、ないしスマートテレビ等で気軽に受容できるようになったことは、前時代における文化愛好者の夢の実現であるはずだった。
     しかしながら、ビジネスの現場で実際に起こったことは、各コンテンツの接触体験が基本的に無料で摂取可能なSNSや動画サイト等と並置されるようになったことで、それらのコミュニケーションに費やされる可処分時間の競合に晒され、かえってユーザーの財布の紐が堅くなるという事態であった。ウェブ2.0的なデジタルメディアの双方向化が行き着いた結果、プロのエンターテイナーが一斉供給する拘束時間が長く完結性の高い「作品」よりも、アマチュア同士が刹那に交換する個別的なメッセージやちょっとしたUGCを共有する「体験」の方が、より時間を費やす価値のある体験として選好されるようになっていったのである。
     同様の傾向は、ソーシャルメディアの土俵内における支配的なプラットフォームの変遷という局面においても見出すことができる。例えば2000年代後半に隆盛したmixiのような蓄積型の日記コンテンツと相互承認式のコミュニティ形成をベースにしたSNSは、運営サイドによる仕様変更の迷走もあって、2010年代には廃れていく。かわりに140文字制限式のミニブログをユーザー同士が一方的にフォローしあうTwitterや、「いいね!」ボタンによる気軽な共感表明が可能なFacebookといった、より刹那的でライトな交流手段を持つフロー型SNSが国内でも台頭。
     多くの国産サービスはiモードなどのケータイ特化型のインターネット利用形態に適応しすぎていたため、スマホ対応がいまいちこなれなかった。対して海外サービスの方は、もともと世界標準のPC用インターネットをそのまま利用する前提のスマホにおいても完成度の高いクライアントアプリを早期にリリースすることができた。デバイスハードの移行が、そのまま支配的なサービスの移行をも帰結したわけである。
     そして、このようなきめ細かなコミュニケーション環境の確立は、国内外における人々の社会レベルの現実的事象との関わり方を、良くも悪くも左右していくことになる。
     スマートデバイスやソーシャルメディアによる個人の情報発信力の拡大は、元をたどれば第2章に述べたように1960年代のアメリカ東西両海岸におけるハッカーたちの反体制的な社会変革のマインドが、スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグといったイノベーターたちのパーソナリティを介して具現化したものに他ならないが、その直接的な継承者として名を馳せたのがジュリアン・アサンジ率いる情報リーク運動「ウィキリークス」や、仮面姿の匿名ハッカー集団「アノニマス」といったハクティビズムのムーブメントであった。時には非合法的なハッキング手段に訴えてでも国家機関や大資本に巣くう腐敗を詳らかにし、サイバー攻撃で懲らしめようというのが、その正義感の内実だ。
     彼らの活動は欧米先進国型の形態と言えるが、アフリカや中東、アジアの途上国における「ジャスミン革命」や「アラブの春」といった民主化要求運動における大衆動員のツールとしてもソーシャルメディアの役割が注目され、半世紀前の〈夢の時代〉における世界的なカウンターカルチャーの隆盛を彷彿とさせるような同時代性さえ醸成されていく。
     しかしながら、リベラルな理念先行だった〈夢の時代〉のハッカーマインドとは異なり、ソーシャルメディアの普及と活用が単に人間の生々しい現実と結託する価値中立的な道具となっている〈拡張現実の時代〉にあっては、母体である欧米的価値とは、まるで相容れないベクトルへの動員に使われることもままあった。その最大の鬼子が、アメリカによるイラク戦争の矛盾が生んだイスラム原理主義勢力「イスラム国」のような存在であろうことは論を待つまい。
    (関連記事)
    ソーシャルネット時代のリアリティと「イスラム国」――日本人は"ヤツら"とどう向きあうべきなのか(軍事評論家・黒井文太郎インタビュー)
     このような功罪両面を持った「動員の革命」は、日本にあっても大きな変動をもたらしていく。転機となったのが、戦後最大の天災となった2011年3月11日の東日本大震災と、それによってもたらされた福島第一原発の深刻な事故であった。発生当時、東北から関東にかけてのインフラが広範に麻痺する中、様々なデマや風評といったノイズを伴いながらも、被災者救助などに携帯情報端末やSNSが概ね有効に機能したという経験や、脱原発運動を皮切りに久しく日本では沈静化していた大規模デモなどの社会運動が復活を遂げたりと、世界的動向に同期するソーシャルメディアの政治社会的動員が顕在化したのである。

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  • デジタルゲームを変えた「ソーシャルゲーム」市場の勃興〜『釣り★スタ』『サンシャイン牧場』『怪盗ロワイヤル』〜(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.448 ☆

    2015-11-11 07:00  
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    デジタルゲームを変えた「ソーシャルゲーム」市場の勃興〜『釣り★スタ』『サンシャイン牧場』『怪盗ロワイヤル』〜(中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.11.11 vol.448
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは『中川大地の現代ゲーム全史』最新回です。オンラインゲームの影響を受けつつ2000年代後半に登場したSNSと、そこから派生したソーシャルゲームがゲームシーンに与えたインパクトを振り返ります。
    「中川大地の現代ゲーム全史」(これまでの配信記事一覧はこちらから )
    第10章 「ゲーム」を離れはじめたゲーム/コミュニケーション環境が変えたもの
    2000年代後半:〈拡張現実の時代〉確立期(6)
    前回記事:現実空間を変容させるウェアラブル・ゲームの胎動〜「iPhone」ゲームと『ドラクエⅨ』〜
    ■ SNSとケータイ文化が準備した新たなゲームプラットフォーム環境
     そして『ドラクエⅨ』が発売された2009年は、デジタルゲームの在り方そのものが揺るがされていく、巨大な変化が決定的になった年でもあった。インターネット接続されたパソコンや携帯電話のウェブブラウザ上のソーシャルネットワーキングサービス(SNS)で動作する、いわゆるソーシャルゲームの勃興である。
     04年にマーク・ザッカーバーグが立ち上げた「Facebook」や、同年に日本で登場した「GREE」「mixi」といったSNSの登場により、人々のインターネット利用形態は大きく様変わりしていた。本来世界中に開かれているはずのインターネットの大海の中に、あえて敷居を設けて会員制の閉域が築かれることで、それまでのテキストサイト制作やブログ等に比べ、突出したスキルを持たない個人の情報発信の情報発信へのハードルが大幅に引き下げられたのである。
     サービス利用のためのアカウントは実名登録、実生活での知人同士など近しい関係であることを原則として、招待や相互承認によって「友達」として繫がっていくSNSの特質は、ネット上でのコミュニケーションを現実とは切り離された〈仮想現実〉と捉えるのではなく、現実の人間関係そのものをソーシャルグラフとして転写しつつ、質的・量的に補完・拡張していくものと言えた。
     SNSの基本的な構成は、アカウントを取得したユーザー各位が、まずは個人情報や写真を載せて作成するプロフィールを登録し、交流のメインコンテンツとして更新されていく日記やミニブログ、同好の士や同郷・同校の出身者といった特定テーマごとにスレッド式の交流掲示板を立てられるコミュニティ機能など、ウェブブラウザ上で利用できるサービスにアクセスするといったものだ。このサービス形態は、ちょうどMMORPGやマルチプレイ型のブラウザゲームで、自らの分身となるプレイヤーキャラクター(PC)を登録・作成してサービスにログインし、ゲーム上で知り合った仲間同士が継続的に遊べるようにフレンド登録したり、「ギルド」や「クラン」と呼ばれるコミュニティでチャットやBBSをするような感覚に近い。言うなればSNS自体が、オンラインゲームが培ってきたPCのステータスシートやアバター作成などのノウハウを、ユーザー自身に置き換え、ゲームを楽しむためのオプションだったコミュニケーションサービスだけを抽出し、専用アプリケーションを使わずに利用できる形態へと最適化させたサービス形態だという規定の仕方もできるだろう。
     結果として、SNSないしソーシャルメディアは、ITリテラシーの高い層から裾野に向けて急速に普及し、ウェブ2.0時代の情報環境を最も端的に体現する社会インフラの域にまで到達してゆく。このプロセスは、ちょうど日本のデジタルゲーム市場において、見知らぬ他者と接するオンラインゲームよりも『モンハン』や『おいでよ どうぶつの森』(任天堂 2005年)のような現実空間での身近なレクリエーションの活性化に寄与するタイトルが大きくブレイクを遂げていったのと、同じ意味を持つ社会変化だったと言える。
     こうして敷居の下げられた個々人からの情報発信の集積と、それによって張り巡らされた半実名的なソーシャルグラフの構築により、ネット上には現実と地続きの新たな〝世間〟が立ち現れることになった。それは効果的に用いれば、例えば個人主催のニッチな趣味のイベントへの人集めや、マスメディアや広告資本によらない報道・PR、地域活動や社会運動の組織化など、前時代とは桁違いの口コミ集積力によって「動員の革命(津田大介)」を引き起こすことになるのと同時に、日常的な相互監視の感覚や「自分の情報発信を承認されたい」という欲望が強迫的に肥大する、ある意味ではストレスフルな情報環境が現出したとも言える。
     そのようにソーシャルメディアの普及が一段落し、一部では「SNS疲れ」といった現象までが取り沙汰され、mixi日記にコメントをつけたり、Facebookで「いいね!」ボタンを押したりといったコミュニケーションの魅力が登場から数年を経て倦み始めていたおり、ゲームに新たな役割が発生する。SNSをプラットフォームとするプラグインアプリケーションとして、各種サービスで会員がプレイすることのできるゲームの投入が始まったのだ。大きな契機としては、07年にFacebookがサードパーティ向けのアプリ開発用API「Facebook Platform」を公開したことで、テーブルゲームや簡易なパズルゲームなど、ブラウザ上で手慰みにプレイ可能なカジュアルなゲームアプリの開発が、ベンチャー系のITディベロッパーなどの間で本格化していったのである。
     一方、日本の場合の特殊状況として、すでに00年代初頭からNTTドコモのiモードなど、各携帯電話キャリアによる独自のインターネット利用サービスが過剰発達し、さらに各キャリア会社がユーザーからの料金徴収を代行するかたちで、携帯電話端末で利用可能なiアプリなどのJavaアプリケーションサービスが普及していた。こうしたプラットフォーム環境下で、コナミやカプコン、スクウェア・エニックスといった大手ソフトウェア・デベロッパーが名作タイトルの簡易版やスピンオフ作品などで参入していたのをはじめ、中小の独立系ベンダーが買い切り型のオリジナルタイトルを配信。家庭用ゲームに比べれば、ごくごく小さな市場規模ではありながら、ガラケーと呼ばれた日本市場向けのフィーチャーフォン端末の日進月歩の進歩に合わせ、00年代初頭から中盤にかけて、携帯電話ゲームの数々がそれなりの発展を遂げていたのである。
     代表的なタイトルを挙げれば、「100円RPG」として人気を博した『mystia』(ジー・モード 2002年)や、携帯電話離れしたシナリオ容量を誇った恋愛SLG『ケータイ少女』(ジー・モード 2005年)、口コミで話題を呼んだホラー系テキストアドベンチャー『歪みの国のアリス』(サンソフト 2006年)、「勇者が魔王と相打ちになって死した勇者が、神に与えられた5日間で世界の行く末を見守る」という、桝田省治らが手がけた作家主義的なマルチシナリオRPG『勇者死す。』(ジー・モード 2007年)など、小さな画面とテンキーでの操作系に最適化しつつ、最大限リッチな体験性を提供しようという方向での挑戦が続けられていた。
     言うなればこれは、携帯電話を「さらに小さなスタンドアローン型の携帯ゲーム機」として扱うアプローチであった。
     こうした携帯アプリゲームの模索に加えて、PC由来のSNSの方法論が導入されることで、大きな変化が訪れる。先行する大手SNSであるmixiでも携帯電話端末から利用できるモバイル版のサイトは提供されていたが、最初からケータイに特化し、アプリを要さずモバイルブラウザ上で動作するカジュアルなゲームを付加価値としたSNSが現れたのである。
     そのサービスこそ、06年にDeNAがキャリア非公認の「勝手サイト」の一種として立ち上げた「モバゲータウン(現:モバゲー)」であった。

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  • 大規模集団フィクション創作「プレイ・バイ・ウェブ」の来歴と未来(後編) 新作PBW『ケルベロスブレイド』運営トミーウォーカー社インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.429 ☆

    2015-10-14 07:00  
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    大規模集団フィクション創作「プレイ・バイ・ウェブ」の来歴と未来(後編) 新作PBW『ケルベロスブレイド』運営トミーウォーカー社インタビュー 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.10.14 vol.429
    http://wakusei2nd.com


    前回に引き続き、「現代ゲーム全史」番外編として、「プレイ・バイ・ウェブ(PBW:play by web)」業界最大手のトミーウォーカー代表取締役・上村大氏、同社取締役・一本三三七氏へのロングインタビュー後編を掲載します。
    インターネット時代に入って、郵便を利用した「プレイ・バイ・メール(PBM:play by mail)」とは大きく様変わりを遂げたPBWサービス。
    後編では、トミーウォーカー社の創業から、去る8月16日に稼働開始した最新作『ケルベロスブレイド』に至るまでの作品の変遷を追いながら、創作カルチャーとしてのPBWが担いうる役割とポテンシャルを展望しました。
    前編の記事はこちらから。
    ▼プロフィール
    上村大(うえむら・だい)
    1975年長野県生まれ。大学中退後テラネッツ(現:クラウドゲート)に入社してから、独立してトミーウォーカーを創業後も、一貫してPBM・PBWのワールド設定・システム開発を担当する。
    テラネッツでは『学園退魔戦記ZERO』『武神幻想サムライキングダム』『東京怪談』『ミストラルージュ・グランバスターズ』『サイコマスターズ・ラストリゾート』等を担当。
    トミーウォーカーでは『無限のファンタジア』『シルバーレイン』『エンドブレイカー!』『サイキックハーツ』『ケルベロスブレイド』の全作品の世界とシステムを制作している。
    一本三三七(いちもと・しめた)
    1972年北海道生まれ。1995年、MT3『竜創騎兵ドラグーン』でPBMのマスターになる。同ゲーム運営中に不動館(現:クラウドゲート)に入社、交流誌の編集及びPBMの発送管理業務等を担当する。
    1998年のMT9『真退魔戦記・伝承妖魔降臨』のCW(コンセプトワーカー)を担当した後、2000年のMT11『竜創騎兵ドラグーンBLADE』の立ち上げ及び運営を行う。同時期、TCG『エターナルヴォイス』の開発等も行なっている。
    2001年に初のPBWとなる『学園退魔戦記ZERO』と、続く『武神幻想サムライキングダム』を企画運営。その後独立し、2003年からトミーウォーカーで、PBW全作品の運営総指揮を担当している。
    2015年、新作PBW『ケルベロスブレイド』を発表。
    ◎聞き手・構成:中川大地
    ◎構成協力:籔 和馬
    ■ トミーウォーカー創業と00年代のTRPGルネサンス
    ――トミーウォーカーのPBWサービスが始まったのは2003年ですね。このきっかけは、どういう状況だったのでしょう?
    上村 私はふつうに、テラネッツをクビになりました(笑)。生意気なやつだとかそんな理由です。で、休眠状態の会社を買い取ったところからトミーウォーカーとしての活動を始めました。
    一本 自分の方は、最終的に給料が期日通りに払われない状況が常態化したからですね。
     その状況で、お客様から事前にお金を集めるコンテンツを優先して作れみたいな命令が来るので、これはダメだなと。
    ――PBW事業と同時に同タイトルのTRPGのリリースも行われていますが、かつての遊演体における『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』のように、TRPGの販促のためのPBWという位置づけだったんですか?
    上村 いや、むしろPBWの知名度アップのためにTRPGの企画を立てた感じです。ちょうどこの時期にTRPG専門誌「ロール&ロール」が創刊されて、グループSNE制作の新作TRPG『六門世界RPG』の特集記事が載っていて、その記事に触発されて第1作目のPBW『無限のファンタジア』(2003〜2009年)と連動してTRPG版を作り始めました。
    一本 プログラムが判定をするにはシステムがなければいけません。コンピューターのためのルールとマスターさんが理解して判定するルールの両方を満たすものが、優れたTRPGシステムだったのです。
    上村 細かいプログラムは、マスターは理解できない。ファジーなやつはコンピューターが理解できない。そこでTRPGがちょうどよかったという感じです。だから、TRPGのルールを作ってからPBWを作りました。せっかく作ったので、創刊号の出たばかりの「ロール&ロール」にお願いしました。ちょうどTRPGを扱っている雑誌もなかったことですし。「JGC」というTRPGのイベントを始めた時期でもありましたので、それの機関紙の役割も果たしていました。
    ――「ロール&ロール」の創刊タイミングは、個人的には不思議な符合を感じました。実は同じく2003年、公式BBS上でPBW的な「世界の謎」ゲームなども派生して盛り上がった『高機動幻想ガンパレード・マーチ』などのアルファ・システム作品のヒットを受けて、自分も『アルファ・システム サーガ』という本を作りました。この中で付録として、芝村裕吏さんがデザインしたオリジナルTRPG『Aの魔法陣』のルールを掲載していて、「ロール&ロール」さんの取材も受けたんですね。
     つまりこの年、トミーウォーカーさんの同時多発的な動きが色々あって、TRPG文化がインターネット普及による情報環境の変化を受けて、何というかTRPGルネサンスみたいなことが起こっていた印象があるのですが、いかがでしょうか。
    上村 TRPG業界は、安田均さんなど数人のキーパーソンの鶴の一声で動くところもあるので、そういう個別の人脈からの動きが波及した面があるかもしれません。
    ――ネットがあることで、TRPGのプレイが活性化した面はありますか?
    上村 特に大きかったのは第2作目の『シルバーレイン』(2006〜2012年)の時、ユーザーさんがネットにTRPG版のリプレイやセッションレポートなどを上げていました。こちらとしても、無料のチャットプログラムを作ったり、とものさんの連載記事を作ったり、1ページで始められるシナリオを80個くらい掲載したり、サンプルキャラクターを100人くらい出したりと、サポートを充実させていました。効果は測定していなかったので確証は持てませんが、TRPGユーザーの人がインターネットに来てくれるきっかけの一つになったのではないでしょうか。
    ――『シルバーレイン』開始後にニコニコ動画が登場して実況文化が根付いたことで、かつて冴島鋭士さんたちが過去、公民館などでやっていたような公開セッション的なものが、誰でも手軽にできる環境になりました。そのことによって、近年TRPGのカルチャーが再活性化したような印象も受けるんですが、いかがでしょうか?
    上村 ネット動画文化によってTRPGが見直されるようになったのは、ここ2〜3年の話ですね。率直に言えば、『クトゥルフ神話TRPG』がブレイクしたからです。昔から『クトゥルフ』はどこのコンベンションにも行かない人たちがひたすらやり続けるものだったんですよ。当然、中高生が始めるものだし、昔からプレイしている大人は誰とも話をしませんでした。コンベンションに行って広くいろんな人とプレイする必要性を感じていなかったんだと思います。
    一本 ラブクラフト愛好家という、また別種のグループも存在しましたしね。
    上村 俳優の佐野史郎さんなども、その流れでクトゥルフだけをプレイしていらしたらしいですね。
    ――『シルバーレイン』の頃、TRPGをする人も盛り上がりつつ、PBWとの相互作用というものあったのですか?
    上村 TRPGからPBWにきてくれた人は、他のところからPBWを知った人より残りやすかったです。
    一本 TRPGのセッションで『シルバーレイン』の時だけ、卓に女の子がいましたね。
    上村 半分以上のプレイヤーやマスターが女性でした。PBMは男性主導のゲームだったのですが、PBWは女性がプレイヤー全体の半分を占めます。我々はテラネッツ系から入っているので、やはりどこかにファンジン気質はあるのかなと思います。特に女性向けのゲームを意識して作っているつもりはないんですけど。
    ■ 第1作『無限のファンタジア』での試行錯誤
    ――これまで運営されてきた具体的な作品史について、うかがっていきたいと思います。独立第1弾のTW1『無限のファンタジア』は、王道のファンタジーものという印象ですが、ストーリーや世界観にはどういった狙いがありましたか?
    上村 自分ではオーソドックスなつもりで作りました。私が普通のファンタジーものに関わったことがなかったことと、一本から「最初はファンタジーでいこうよ」と提案されたからです。一見とっつきやすいものでいて、解決しないテーマのものにしようという目論見がありました。
    一本 多くのお客様は「戦闘」は好きでも「争いごと」は好まないので、負けたら国の民が全員死ぬくらいの設定をつけましょうということになりました。
    上村 戦うことにはしたかったのですけど、MT9のときに、「仲良くした方がいいに決まってるじゃん」という結論が自明になってましたので、そこにもっと葛藤を引き起こすようなテーマがなければならない。
     そこで、負けたら死んでモンスター化するというルールが盛り込みました。プレイヤーの国は小国なので、とにかく戦わなければいけません。自分たちが勝利した場合、相手を救うこともできるようになる。このように、すぐには答えが出ないテーマを出しました。
    ▲『無限のファンタジア』トップ画面 (c)トミーウォーカー
    ――つまり、意味のあるかたちで、いかにプレイヤー間のドラマチックな葛藤や戦いを発生させるか、という点に腐心されたわけですね。
    上村 そうです。敵のことを仮に可哀想だと思ったとしても、戦う理由づけをする必要がありました。グリモアという宝石があるんですけど、これに誓いを立てると冒険者は強い存在になります。各国は、冒険者を兵士かつ政治の中心として使っています。一般人と違ってレベルの上がる能力を持っているので、とても強いんです。
     ただし、グリモアを敵国に取られてしまうと、冒険者はモンスターになってしまいます。グリモアを使った国を作った以上は、殺し合わないといけません。ただ、PCたちの国は相手をモンスターにせず仲間にできます。自分たちが世界を攻め上るのは、みんなのためになります。
    一本 しかし、相手国はそんな話を信じません。
    上村 絶対に和平が成り立たない状態です。最初の3ヵ月くらいは、テロで占拠される話を入れています。たまたまそいつらがグリモアを取れないドラゴンだったのでよかったのですが、グリモアを取られたらゲームオーバーであることを説明します。
    ――そういう状況設定を踏まえて、プレイヤーのアクションによって当初の予定と変わったことってありますか?
    上村 最初の敵であるリザードマンを仲間にするか否かが選べたんですね。当初は世界観を説明するための噛ませ犬的な存在に考えていた、こいつらが仲間になってしまうという波乱の展開で、いきなり予定が狂いました。
    一本 リザードマンを味方にしたことで、当初味方になるはずのライオン獣人が敵になってしまった(笑)。
    上村 この件で、1年以内にゲームを終了する計画は破綻しました(笑)。他には、この世界にはいくつかの大陸があります。最初の大陸、ランドアースの東に楓華列島というところが見つかったのは、あるキャラクターが「東の方には何があるのだろう」と船で行ったからです。元々あったのですが、出なくてもいいやくらいの認識でした。また、中世風のマップを使用しているので、マップの海の隅っこによくわからない怪物が描いてありした。「これって何かいるんじゃない?」と言い出したやつがいて、そこに向かいました。そしたら、本当に地図そのまんまの大きさの怪物がいて(笑)、新しい冒険のきっかけになったりしました。
    ――PBMではそこまでガラッと変わることは、あまりなかったですよね。
    一本 PBMは10回程度で終わらなければいけないので、プロットはガチガチに決まっていました。
    上村 これはどの会社でも同じでした。PvPをやるところでもだいたい決まっていました。
    一本 PvPの多くは協力しないと倒せない敵が出てきます。
    上村 よって、これまでガラッと変わるのはPBWならではの特性だと思います。一本さえどうにかまとめれるのならば、どうにかなるということです(笑)。
    一本 時間さえあれば、そのうちなんとかなります。
    上村 マスターを全員呼んで打ち合わせというよりは、我々2人の間でなんとかなれば回ります。
    ――マスターさんの中で、シナリオの中核を担う人はいないのですか?
    上村 『無限のファンタジア』では他のマスターさんより権限を持っているマスターさんがいました。ただ、この方がたくさんシナリオを書くかと言えばそうではありません。
    一本 グリモアガードという特務部隊を作り、その掲示板を担当マスターが運営しつつ、掲示板に参加している人だけが参加できるシナリオを運営する事ができるという形式でした。
     重要な国境地帯を守ったり、敵国の奥深くまで探索のために潜入したりといった特殊な任務を行う部隊でしたね。
    上村 グリモアガードにいる間は、他のゲームに参加できませんでした。今思うとやっぱり負担が大きかったかなと反省しています。
    一本 掲示板の運営が負担になって、シナリオを運営できなかったり、お客様のやろうとしている事を、うまくシナリオに落とし込めなかったりで。それが原因で、マスターをやめてしまった人も出てきました。
    上村 この単位までミニマムにしても、やはりPBM時代にあった構造的問題は発生するんだなと思いました。
    一本 掲示板の運営だけでは仕事になりませんし、マスターにとっても良いことは無かったと思います。
    上村 反省点は多いのですが、問題点がわかったのでやっておいて良かったと思います。
    一本 やっていなかったら、ずっと「これをやったら面白いのではないか」と言い続けていたような気がします。
    ――本作以来、だいたい1作品の運営期間は6年前後になっていますが、これは何故ですか?
    上村 最初に考えた話が終わるのが、今までたまたま6年程度だったんです。どうせストーリーは変わるので、最初にエンディングだけおおまかにストーリーを考えておきます。『無限のファンタジア』の場合は、次元の狭間からドラゴンがやってきて、それを全部やっつけたら終わりと考えていました。最初は1年で終わるつもりでした。大陸を半年で平定して、残り半年ドラゴンと戦ってエンディング。しかし、ちゃんと掘り下げていくと全然終わりませんでした。そこから6年かかってしまいました。
     以来、6年間ユーザーがついてきてくれるのだったら、次作以降もそれくらいのスケール感の世界観と内容で作ろうということになりました。
    ――期間が長くなると、ユーザーがどれだけストーリーの流れを把握しながらプレイできるのかが気になりますが。
    上村 我々は一貫して把握しないでくださいと言っています。詳しくなってから調べればいいんですよ。PBMの場合、ストーリーを全部把握していないと有効なプレイングができませんでしたが、PBWは依頼単位なので、簡単な世界観をわかっていればいいんです。
    一本 参加した結果、知りたくなって調べるのは大歓迎です。ですが、最初から全部知っていなければ参加できないという風潮は、よろしくないですよね。
    上村 世界観の謎とかを深く考察する楽しみ方もあってしかるべきだと思うし、我々的にもそういう人たちに楽しみを提供できるのは嬉しいという気持ちはありますけどね。
    ■ 現実世界との同期を試みた第2作『シルバーレイン』
    ――次にTW2『シルバーレイン』についてお聞きしたいんですが、この作品は現代日本を舞台にした学園伝綺ものですよね。これについての意図も教えてください。
    一本 もっとみんながロールプレイングしやすいように、現代ものになりました。現代世界を舞台にすると途中参加の人や一度やめて戻ってくる人がゲームの世界に入りやすくなります。また、お客様から現代ものをしてほしいという意見も多かったんですよね。
    上村 学園ものにした意図は、『無限のファンタジア』が「股旅もの」だったからです。そこで今回は「拠点もの」にしようということになりました。股旅ものであるがゆえの問題として、『無限のファンタジア』では「ラスダン(ラストダンジョン)前現象」が起きました。要は『FF』などでよくある、ラスボスを倒す前に隠しイベントを探し始めて、なかなかクリアしないという現象ですね(笑)。この状態が約1年間くらい続いたのです。
    ▲『シルバーレイン』トップ画面 (c)トミーウォーカー
    ――マスターがクリアするように仕向けることはできなかったんですか?
    一本 この場合、常にお客様のキャラクターの方が偉いので、お客様の想像を覆せるNPCはいません。
    上村 選択肢をきちんと用意しないと、運営の誘導になります。そこで我々が思いつく選択肢を全部並べます。で、いちばん攻めない選択肢が常に選ばれ続けました(笑)。ラスダン行かない問題に結構悩まされました。
    ――プレイヤーさんが終わらせたくない気持ちがあるってことですか?
    上村 キャラクターをその世界に住んでいる人間として考えると、基本的には冒険者という設定ですが、プレイヤーさんは冒険者ではありません。日常生活を送る方が楽しいという思考にロールプレイにハマればハマるほどなります。この日常を守るためにプレイしている方が多かったんです。
    ――「冒険者の酒場」型のPBWの構造だと、否応なく状況が動くというシナリオが作れなさそうですね。
    上村 難しいけど、まったく不可能というわけではありません。無理やり状況を動かすことはできますが、それは敵の秘密兵器が発動するパターンに絞られます。
    一本 しかし、あまりシナリオ通りにプレイさせようとすると、お客様の喜びを減少させるので、なるべく避けます。
    上村 最終手段として、ずっと仕込んでおいた伏線を発動させるなどですね。このように股旅ものの問題点が解決していなかったので、拠点ものに決定しました。要するに『水戸黄門』ではなく、『必殺仕事人』スタイルでいきましょう、ということです。
     拠点ものでは、拠点に愛着を持てなくてはいけません。しかし、拠点ものでディティールを細かく書くことはできないと判断しました。細かく書くと、それを読んでいない人をスポイルしますし、そもそもそんなに細かく書けません。となると、現代に設定するしかなくなりました。
     舞台が学園になったもうひとつの理由は、現代もので大人のキャラクターが偉そうにならないように描く自信が、当時はなかったからです。それにプレイしてくれるのは学生が多いだろうということもありました。年寄りを演じるのができないのは残念なことですが、年の功がプレイングの不平等にならないよう、全員学生ということになりました。
    ――『シルバーレイン』の学校はどこにあるんですか?
    上村 鎌倉ですね。鎌倉を舞台に選んだのは、最終的に大きな戦争になった時に防御力が高い、おしゃれで寺社仏閣が多い、海があるので自然に水着が出せるという点からです。あと、方言ではないところもです。方言を文章化するのは大変なので。逆に、世界設定で東京などとてつもない大都市を舞台にするのは難しいですし。
    ――PCが学園の生徒である設定だと『蓬莱学園』がそうであったようにマンモス校にならざるを得ないですよね。『シルバーレイン』ではいかがでしたか?
    上村 巨大学園にはしたくなかったです。巨大にすると情報量が莫大になるからです。『蓬莱学園』は学園内で全てが完結するじゃないですか。それではシナリオに出発できなくなります。そこで、たくさんのキャンパスがあるという設定にしました。
    一本 巨大学園だと軍隊っぽさがでてしまい、組織力を後ろ盾にしてしまうのでよくないと判断しました。
    ――部活動などはプレイヤーに委ねる感じですか?
    上村 コミュニティの名前が結社だったんです。学校のクラブを偽装して魔術クラブを作っているという設定でした。これが部活動となっていました。掲示板のロールプレイで空手の練習をしたり、サッカーの練習をしたりしていました。
     ただ、現代学園ものの設定でひとつ難しかったのは、宝箱がないということです。ダンジョンを探索するイベントがあるのですが、洞窟に潜っていって宝箱を取るという展開は、現代ものではありえません。では「現代において人々がダンジョンのように行くところはどこか」という話になり、心霊スポットが導き出されました。心霊現象に逢うと、宝が落ちるという設定にしたのです。
     そこに「これはゲームではなく、人知れず現実に起きている出来事です」というフレーバーを入れ、『シルバーレイン』は完成しました。
    ――現実とのリンクというのは、具体的にはどういうことですか?
    上村 ゲーム内の1秒は現実の1秒と同じで、また日付も同じでした。そのことによって現実で事件が起きれば、ゲーム内でも起こっているだろうということにしたわけです。
    ――『シルバーレイン』も完結するのにやはり6年間かかったんですよね。そうなると、リアルタイム進行だと卒業とか起きますよね。学園もののストーリーの場合、中高の3年間という時限性が世界観の軸になると思うんですが、そういうことにはしなかったんですか?
    上村 しなかったです。最初にも言ったように、年上が偉いとされる問題を解決するための学園設定だったので、学年に意味を持たせることは一切しなかったですね。高2で始めたら2年で卒業してもらうことになります(笑)。卒業後は社会人か大学生になれます。
    一本 小・中・高一貫なので、小6と高3が徒競走で一緒になって走るんですよ(笑)。
    上村 あと無駄に学校の席順表もあったので、そこで学年が上の方が有利になります。それ以外は学年による優位は一切作りませんでした。
    ――システム的な部分で『無限のファンタジア』から変更した点はありますか?
    上村 拠点ものになったのでストーリーの組み立て方が違う点、現実だと信じてもらえる仕組みづくり、外遊している敵が勝手にやってくる設定作りですかね。カードを使って変身する設定を作っていたのですが、作中に出てくるカードを印刷して郵送していました。システム的な面で大幅な変更はありません。
    ――舞台となっている場所が現実に行ける場所ですよね。それによる面白い展開とかはありましたか?
    上村 マスターさんがテレビで観たものをシナリオにするのは『無限のファンタジア』の頃からありましたが、『シルバーレイン』ではファンタジーに翻訳する手間がないので楽であったと聞いています。
     プレイヤーさんでは、ロケ地を写真撮影しに行った人もいましたし、最後のオフ会で『シルバーレイン』の大きな戦争の舞台となった場所を10回連続企画で回りました。ゲーム内でイベントがあったと理由だけで、奈良の葛城山を登り、山頂の山小屋でオフ会をしたりしました(笑)。
    一本 とは言っても、震災や台風など、被害者がいる事件や、いじめや幼児虐待のようなナイーブな問題はシナリオでは扱わないようにしていました。
    上村 『シルバーレイン』は東日本大震災の前にちょうど終わりました。ただ、震災の3〜4ヵ月前にもんじゅを暴走させて爆破するのを食い止める戦争をしていました。震災後なら絶対にできなかったことですよね。
    一本 当時は原子力発電所が事故を起こすなんて想像だにしませんでした。
    上村 私たちも当時は『太陽を盗んだ男』の沢田研二の気分で書いていました。

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  • 大規模集団フィクション創作「プレイ・バイ・ウェブ」の来歴と未来(前編) 新作PBW『ケルベロスブレイド』運営トミーウォーカー社インタビュー ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.410 ☆

    2015-09-15 07:00  
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    大規模集団フィクション創作「プレイ・バイ・ウェブ」の来歴と未来(前編) 新作PBW『ケルベロスブレイド』運営トミーウォーカー社インタビュー 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.9.15 vol.410
    http://wakusei2nd.com



    かつて80年代〜90年代にかけて『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のようなテーブルトークRPG(TRPG)が流行し、そのプレイヤーたちの中から数々の著名クリエイターが輩出されていきました。そのTRPGの流れを汲み、現在「人力RPG」として若い層からも注目を集めるているのが「プレイ・バイ・ウェブ(PBW)」というジャンルです。
    今回配信するのは、PBWの業界最大手トミーウォーカー社の上村大氏、一本三三七氏へのインタビュー。本誌で『現代ゲーム全史』を連載中の中川大地が、TRPGからPBWへと至る「知られざるゲームクリエイションの歴史」に迫りました。

    インターネットを利用した数ある「ネットゲーム」の中に、「プレイ・バイ・ウェブ(PBW:play by web)」という特異なサービス形態が存在する。
    これはオンラインRPGやソーシャルゲームなどと異なり、参加プレイヤーが自分の分身となるキャラクターを創作し、その行動を文章で書いてウェブ上のフォームから運営会社に送り、ゲームマスターと呼ばれる判定者が小説形式でプレイヤーキャラクターたちの活躍する物語をまとめてサイト上で公表していくという、いわば「人力RPG」だ。
    PBWは、そもそもはテーブルトークRPG(TRPG:紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ対話型のRPG)の発展形とも言えるゲームジャンルである。
    日本にTRPG文化が根を下ろした1990年代、遠隔地のプレイヤー同士が、郵便などの通信媒体を用いてひとつのフィクション世界を共有してプレイする多人数同時参加型RPG「プレイ・バイ・メール(PBM:play by mail)」のジャンルが隆盛したが、2000年代のインターネット時代に入り、通信手段を郵便からウェブに置き換えたものが、日本における商業PBWサービスのあらましだ。
    つまりTRPG〜PBM〜PBWへの発展を通じて、数百〜数千人規模でひとつの巨大なフィクション世界と物語を協同構築していく集団創作システムの実験が、非電源系ゲーム市場の一角で、四半世紀にわたり積み重ねられてきたのである。
    そして去る2015年8月16日、PBW業界最大手のトミーウォーカー社の第5作目にあたる新作ゲーム『ケルベロスブレイド』(http://tw5.jp)が稼働を開始した。
    本作は、PBWとしては初めて、若年層の自己表現の総合的なプラットフォームとなっているniconicoとの提携が行われ、ネットカルチャーの表舞台に露出したことが話題を呼んでいる(http://www.4gamer.net/games/300/G030053/20150507012/)。
    さしずめ“厨二病支援システム”とでも言うべき特異な発展を遂げてきた集団創作エンジンとしてのPBWは、人々のコミュニケーションとクリエイションの在り方をいかに変えてきたか。
    本稿では「現代ゲーム全史」番外編として、トミーウォーカー創業者の代表取締役・上村大氏、同社取締役・一本三三七氏に、PBMからPBWに至るムーブメントの来歴と可能性をうかがうべく、同社の所在する札幌の地を訪ねた。
    ▼プロフィール
    上村大(うえむら・だい)
    1975年長野県生まれ。大学中退後テラネッツ(現:クラウドゲート)に入社してから、独立してトミーウォーカーを創業後も、一貫してPBM・PBWのワールド設定・システム開発を担当する。
    テラネッツでは『学園退魔戦記ZERO』『武神幻想サムライキングダム』『東京怪談』『ミストラルージュ・グランバスターズ』『サイコマスターズ・ラストリゾート』等を担当。
    トミーウォーカーでは『無限のファンタジア』『シルバーレイン』『エンドブレイカー!』『サイキックハーツ』『ケルベロスブレイド』の全作品の世界とシステムを制作している。
    一本三三七(いちもと・しめた)
    1972年北海道生まれ。1995年、MT3『竜創騎兵ドラグーン』でPBMのマスターになる。同ゲーム運営中に不動館(現:クラウドゲート)に入社、交流誌の編集及びPBMの発送管理業務等を担当する。
    1998年のMT9『真退魔戦記・伝承妖魔降臨』のCW(コンセプトワーカー)を担当した後、2000年のMT11『竜創騎兵ドラグーンBLADE』の立ち上げ及び運営を行う。同時期、TCG『エターナルヴォイス』の開発等も行なっている。
    2001年に初のPBWとなる『学園退魔戦記ZERO』と、続く『武神幻想サムライキングダム』を企画運営。その後独立し、2003年からトミーウォーカーで、PBW全作品の運営総指揮を担当している。
    2015年、新作PBW『ケルベロスブレイド』を発表。
    ◎聞き手・構成:中川大地
    ◎構成協力:籔 和馬
    ▼『ケルベロスブレイド』プレイを始めるにはこちらの公式ページから!
    http://tw5.jp/
    【お知らせ】
    『ケルベロスブレイド』が人気ゲーム実況グループ「いい大人達」とコラボした連続ニコ生の最終回&公式オフ会は来週9/21(火)21:00から放送! こちらもお見逃しなく!
    http://live.nicovideo.jp/watch/lv230841312
    ■札幌TRPGシーンからの始動
    ――今回、トミーウォーカーさんをお訪ねさせていただいたのは、去る5月、御社の新作PBW『ケルベロスブレイド』の記者発表イベントが、東京・池袋のニコニコ本社で行われていたのを見たことがきっかけでした。
     実は僕は黎明期のPBMプレイヤーで、日本での商業PBMの草分けである遊演体の『ネットゲーム'88』(1988年)や『蓬莱学園の冒険!』(1990年)、ホビー・データの『クレギオン』シリーズ(1991〜2003年)の初期作品を体験しています。その経験を踏まえて、本メルマガ連載の「現代ゲーム全史」でも初期のPBM事情についてまとめているのですが、自分の勝手な印象では、以後のPBM自体が存在感を失って、きわめて細々としたジャンルになっていたのかなという印象でした。それが突然、niconicoという日本のインターネット文化の中心に近いところで、新作PBWとの提携が行われると知り、非常に驚いたのです。
    上村 多分、PBMについては、20年くらい前にオワコンになっていたと皆さん認識していらっしゃったと思います。今回のニコニコさんとの協業そのものは、先日の記者発表の通り、ドワンゴの伴龍一郎さんの奥様が、以前のうちのゲームでイラストマスターをされていたのがきっかけでした。
     ただ、ここに至るまでは、いわゆるバナー広告も出していませんでしたし、インターネットの世界ではサブマリン的な立ち振る舞いを通してきましたからね。

    ▲2015年5月3日 ニコニコ本社(東京・池袋)にて行われた『ケルベロスブレイド』記者発表会
    ――はい、まさに。しかし自分としては、プレイヤーだった四半世紀前から、虚構と現実のあわいを衝くような集団的なフィクション創作法の極致とも言えるこのジャンルが、いつか日の当たるものになってくれるといいなと思ってました。
     そこで今回は、自分の「現代ゲーム全史」の基礎取材も兼ねて、PBM時代からの脈絡を踏まえつつ、去る8月16日にサービス開始した『ケルベロスブレイド』に至るまでの、トミーウォーカーさんのPBW事業の来歴について、お話しを聞かせてもらえればと思います。
     まず、トミーウォーカーさんの出自について整理しておきたいんですが、元々は遊演体、ホビー・データに続く第3の商業PBM企業だったテラネッツ(現:クラウドゲート)での業務経験を元に、独立されるかたちでPBW事業を開始されたわけですね。
    上村 そうです。正確にはテラネッツは、元々は北海道のコスモエンジニアリング社の一部門として1990年代前半にTRPGとPBMの事業を開始し、途中で独立して不動館、テラネッツと社名を変えながら、「メイルトークRPG(MT)」と称したPBM事業をMT1『サイコマスターズ』(1993年)からMT14『PSYCHOMASTERS AD2058 “ラスト・リゾート”』(2003年)までの計14作品を、だいたい半年おきくらいに運営していました。
     インターネット時代の2001年からは、テラネッツのPBW事業である「ウェブトークRPG(WTRPG)」が立ち上がり、WTRPG1『学園退魔戦記ZERO』が始動します。私と一本は、このWTRPG事業の立ち上げに携わった後にテラネッツを離れて、2003年からトミーウォーカーを創業して独自のPBW事業を始めました。
    一本 私は不動館時代の1995年に入社して、MT3『竜創騎兵ドラグーン』のゲームマスターや公式情報誌「ニュージェネレーション」の編集員をやったのが最初です。もともと会社に入社する前の学生のうちから、バイト扱いで同社のゲームのルールブック編集を手伝っていた流れですね。MT11では開発から全て通して運営を行い、上司が役員になった後は、PBM部門の責任者をしていました。
    上村 私自身がテラネッツに入社するのは2001年で、MT12『エターナルヴォイス』の時期です。それまではプレイヤーでした。
    ――コスモエンジニアリング時代以来、北海道が拠点になっているのは何故ですか?
    一本 全員、北海道の出身だっただけです(笑)。あと、1980年代後半のTRPGブームの時点で、北海道にはTRPGの会社が2つありました。だから、自然にそういう仲間が集まり、他から圧力もこないので好きなことができる部分もありました。よそを知らない負け惜しみかもしれませんが(笑)。
    上村 北海道の人は島国根性が強いということと、そもそもTRPGはカルチャーとしてマイナーだったので、そんなに東京一極集中型ではなかったんですよね。実際、当時の一番の主流は、神戸に所在地のあった「グループSNE」でした。よって、東京にわざわざ行く必要はなかったのではないかと推測します。
    ――当時、TRPGの裾野を全国的に広げたのが、「コンプティーク」誌に連載されていた、グループSNEによる『ロードス島戦記』のリプレイでしたね。1988年に同グループの水野良さんが小説化して、今で言うライトノベルの源流の一つにもなるわけですが、元々はTRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』のルールでプレイしていたセッション風景を文字起こしした、会話調の記事でした。
    上村 その通りです。あと、TRPGにおけるエポックメイキングとしては、1990年に富士見ファンタジア文庫で出た神坂一さんのライトノベル『スレイヤーズ』シリーズがあります。『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ』がヒットしてアニメ化したことで、ファンタジーは知っていて当たり前という空気になりました。
    一本 そのもうちょっと前のマイコンブームの時期、FM-7やX1といった8ビットのパソコンを持ってる人たちも、TRPGをプレイする風潮がありました。『ローグ』とかのコンピューターRPGから入って、学校のパソコン部でTRPGをしていた人も多かったですね。
    上村 そう。それくらいの時代から、札幌ではコスモエンジニアリング時代からの初期メンバーにあたるゲームデザイナーの冴島鋭士さんや九条巧さんたちのサークルが、公民館などの施設を借りて、自分たちの作ったTRPGを皆に披露するという活動をやっていたんですよ。「俺たちはすごい面白いから、みんな見に来るはず」と言って会場を借りて、ただTRPGのセッションをしていました。このような謎の会にけっこう人が来ていたので、冴島さんが自分たちの人気を確信したのが、そもそものきっかけです。
    ――えええ、そんなカルチャーがあったんだ!
    上村 ないです、冴島さんが作り出したものです(笑)。冴島さんが自作したTRPGは、アニメ『聖戦士ダンバイン』をモチーフにしたものでした。『ロードス島』『スレイヤーズ』の時代以前に日本で人気のあったファンタジー作品と言えば『ダンバイン』でしたから、それをRPG化したセッションを冴島さんが行って、人気を獲得したんですね。
    一本 もともと冴島さんは『宇宙戦艦ヤマト』がきっかけで、この業界に入った人で、その後自作のダンバインTRPGを遊びながらバージョンアップして、後に発表する「ASURAシステム」の原型を作ったと聞いています。
     ダンバインTRPGは遊ばせてもらいましたけど、良く出来ていたんですよ。
     MT3『ドラグーン』は、そのダンバインTRPGをPBM版に作り替えたもので、世界設定の説明を聞いていると「ジャコバ・アオン的な存在が……」といった話が良く出てきました。
    ■「メイルトークRPG」のビジネスモデルと作風の変化
    ――なるほど。TRPGやPBMカルチャーの母体というと、「タクティクス」誌などが扱っていたようなウォーSLG(シミュレーションゲーム)系の系譜の方が正統視されがちですが、そっちのガチゲーマーというよりはアニメ同人誌のカルチャーに近かったわけですね。
    上村 そうです。遊演体やホビー・データは、当初ウォーSLG系の層に訴求したわけですが、我々のルーツは違っていました。
     で、その冴島さんや九条さんたちが、たまたま知り合いだったカメラ機器や警備機器を卸していたコスモエンジアニアリングの社長に、TRPGの企画を持ち込んで「俺たち、TRPGの世界ですごい人気者なんですけど、TRPGやそれと連動したPBMを売り出しませんか?」と言い出したんです。テラネッツ系はそういう感じで、まったく無関係な業種だったコスモエンジニアリングの一部署から始まってます。
    ――コスモエンジニアリングって、そういう会社だったんですね……。それは同社に、コンテンツ系の事業に進出していこうという欲目があったということですか?
    一本 普通にありました。MTやWTRPGは、表向き最先端のデジタルネットワークゲームのように見えました。だから、「今のうちに始めておけば、ゆくゆくは『リネージュ』のようなMMORPGの日本版みたいな立ち位置に成長するぞ」的なプレゼンができたわけです(笑)。
    ――確かに、出版に比べてもPBMって、プリントアウトされた紙を売っているだけの事業でしたからね。
    上村 出版面でもマニュアルを刷らなければいけないのですが、それはお客様からのお金が入ってからやればいいという考えでした(笑)。のちのPBWだと、初期にお金を取ることはないんですけど、PBMはほぼ全額最初にいただく感じでした。
     このようにして、いただいたお金を利用してPBMを運営していました。運営側はプレイヤーから締め切り直前に送られてくる山のようなプレイヤーキャラクター(PC)たちのリプライ(行動を記入したアクションシート)葉書を手作業で分けて、マスターさんに郵便とファックスで指示を出します。
     で、マスターさんが執筆したリプレイ(複数のPCたちの行動結果を処理して小説形式にまとめたもの)は、パソコン通信の時代だったのでニフティーサーブの独自システム「ヤギネット」を使って回収。そして会員全員分のリプレイをプリントアウトして封筒に入れて、消印ギリギリに中央郵便局にコンテナで持っていくという作業をしていました。
    一本 私はMT3の頃のマスターをしていましたが、あの当時、マスターになった人は全員、パソコンとモデムを無料で貸してもらえました。
    上村 母体が機材屋さんであることがプラスになったということです(笑)。
    一本 パソコンを持っている人が当時少なくて、笑い話として「電源が入りません」とマスターさんから電話がかかってきたんです。そして「この3本線がついているコードが怪しいと思うんです」と言われました。なんとアースのついているコンセントを見たことがない人で、電源コードを差していなかったのです(笑)。そのくらいのマスターさんが入る時代でした(笑)。
    ――コスモエンジニアリングの参入あたりから、PBMのカルチャーはだいぶ様変わりしてきましたよね。初期の遊演体やホビー・データの時代には、PCの行動にボツがありました。つまり、能動的に情報収集をしてシナリオで提示された入り組んだ謎を解き明かしたり、全体の状況に貢献して面白い物語展開を起こすような優れたプレイングをすることが「ゲーム」として競われていて、その能力によってプレイヤー間に格差が生まれるのが当然でした。
     対して、テラネッツ系ではそのへんがカジュアル化して、全体シナリオに対するプレイの成否判定をするというよりは、登録PCの個々の世界の中での居場所を承認して描写を与えてあげる、創作支援システム的なものに近づいていった印象があります。
    上村 その通りです。最初のMT1『サイコマスターズ』での謳い文句を見ると、「遊演体やホビー・データと違い、もらったプレイングは全員登場させます。そして全員、物語で活躍させます」という提言から始まっていたので、たぶんファンジンの流れが大きかったのではないかと考えています。そのせいか、当時プレイヤーに占める女性比率も高い方ではなかったかと思います。
    一本 ガチで戦わない感じが、女性ウケをよくしたんでしょうね。
    ――それまでのプレイングの花形は、プレイヤー同士が連絡を密に取り合って大規模な共同作戦を組織して、対立する他のプレイヤー陣営との抗争を競ったり、シナリオをめぐる知恵比べでマスターを唸らせて世界の状況を大きく動かしたりすることでした。そういう大きなダイナミズムは、MT時代にはあったのでしょうか?
    一本 はい。元々ファンジン系の争わない文化が強かったのですが、MT9『真・退魔戦記 伝承妖魔降臨』は違いました。
    上村 これはプレイヤーが妖魔と退魔師側に分かれて対戦するPvP(Player v.s. Player)型のゲームでした。要するに大規模で勝ち負けのある戦闘です。売り上げは良かったのですが、運営側はみんな疲弊しました。心ない手紙をたくさんもらい、マスターは書いていても楽しくないリプレイを書きました。そりゃそうですよ、敗者には死んだというメールを書かなくてはいけないので、書いたって満足してもらえないわけです。それで文句の手紙が山のようにきました。MT9終了後はベトナム戦争が終わった時と同じ空気がありました(笑)。
    ――なるほど、『蓬萊学園』の時の内戦後もそんな感じでした。よくわかります(笑)。
    一本 ファンレターに磁石チェックがあったのはこのゲームだけです(笑)。その流れから、MT11はみんなで仲良くプレイするということになりました。
    上村 あそこで荒れて、傷を舐め合った経験が、以後に活きてますよね。
    ■斜陽化するPBM時代に顕在化した構造的問題
    ――市場規模的に、PBM事業の最盛期はいつ頃になるのでしょうか?
    上村 1994〜95年ごろだったと思います。
    一本 MT3の頃ですね。当時は初月入金が1億円あったと聞いています。
    上村 メールゲームはどこの会社もそうだと思いますが、前作を超えることはありませんでした。やっぱり最初にお金を集めているので、よほどなことがない限り、だんだん入金額は高くなっていくし、間口は狭くなっていきます。
     だんだんプレイヤーは減少していき、会社的にも窓際部署になっていきました。僕が入社したMT12当時は、『エターナルヴォイス』のトレーディングカードゲームで回収しようとしてましたね。ちょうどブームだったので。
    ――やはり、業界全体がどんどん斜陽化していた、と。
    上村 この時点で、遊演体もかなり厳しい状況にあったようです。
    一本 うちは2作くらいしかありませんでしたが、ホビー・データは3〜4作を一気に公開したりしていました。1作での儲けが少なければ、たくさん出せばいいという考え方です。発売数が少なくなると、小さい会社が増えてきました。
    上村 ふわっと参入してきて、プレイヤーからお金をもらって最後まで運営しない会社の乱発ですね。そういう小さい会社の影響で、業界自体が信用を下げるところが結構ありました。
    一本 逃げた小さい会社のゲームをプレイしていたお客様が、PBMを辞めていくという悪循環です。
    上村 それだけ当時のPBMでは、マスターさん一人一人にかかる負担が大きかったのです。もらえる給料が少ないのはもちろんなんですが、ゲーム期間中は継続して同じお客様の面倒を見なければいけないという縛りがきつかった。
    一本 1ヵ月単位のターンで動くために、プレイヤーからのプレイング締切後、全体の整合性を取る打ち合わせをしながら、10日くらいのうちに膨大な執筆作業をこなさなければなりませんでした。あとの20日は農閑期のようになるんですが。
    ――全体の整合性を持たせるための基本的なPBMの構造は、グランドマスターとかコンセプトワーカーと呼ばれる統括者がいて、その統括の下にブランチとかディヴィジョンと呼ばれる中間的なストーリー単位を処理するリーダーマスターがいて、というツリー構造で運営されてましたよね。それを毎月やっていた。
    一本 個々のマスターからすれば、プレイングを見てリーダーに報告し、リーダーがそれを取りまとめて方針を決めるのを待って……ということをしていると、リプレイをいつ書くんだよ、という話になるわけです。
    上村 結局のところ、ディヴィジョン制度がPBMの構造的な問題だったわけです。リーダーは本質的には中間管理職なので、運営の権限はありませんが、命令をしなければならず、当然、命令されても聞かないマスターもいた。社員とかではないですからね。逆にリーダーが、自分の言っていることが間違っているということがわかって揉めたりもしました。
    一本 マスター間で派閥みたいなものもできましたね。
    上村 その辺が一番大変でした。全てのPBM関連企業について言えますが、斜陽になってきて、そうなると一番コストがかかっているのはマスターであるという話になってきます。そこでマスターがいなくてもメールゲームのようなものが作れないのかということから、1990年代末から2000年代初頭にかけては、マスターなしのコンピューター処理で機械的にアウトプット的な文章がちょこちょこっと出てくる、というようなシステムを各社が試し始めました。
    一本 ただ、私はその流れには反対でした。人間がマスタリングしてくれるからメールゲームは面白いわけで、機械で処理するなら、はじめからコンピューターゲームの方がいいに決まっています。マスターは、お客様のちょっとした機微を何気なく読み取ることもできますが、例えばこのなにげない行為ひとつでも、面白さを生むとても大事な要素だと考えています。
    上村 しかし、機械処理なら100万人のお客様が来ても対応できる、という考えの経営者が多かったんです。運営している人もそうだし、お客様もそういう考えの人が多かったような気がします。TRPGもそうなんですが、年季の入ったお客様は業界のことを考え出すので。マスターが必ず必要であるという考えは、本当に一本くらいしかいませんでした。
    ■「ウェブトークRPG」事業の立ち上げへ
    ――それは、PBW事業が始まる前夜くらいの時期ですね。
    上村 ちょうどこの時期、ごく一部の人がインターネットをやりだすようになったんです。インターネットがあれば、郵便代の問題がクリアできるし、執筆期間が長くなります。また、一本が元々考えていた、インターネットを利用するメールゲームの仕組みがありました。インターネットのホームページを使うことでいらない作業を極限まで減らすことによって、運営側の一人が電話の指示ではできなかったレベルで、中間的なリーダーなしに全てのマスターに指示を出すというシステムを作れるんじゃないかということです。
    一本 予算が無いがシステムは必要ということで、当時の部下に誰かいないかと聞いた所、その部下が、大学の頃に所属していたアニメサークルから、上村を連れてきたんです。
    ――上村さんにはプログラマーとしてのバックグラウンドがあったのですか?
    上村 大学時代、私はアニメサークルに所属していたのですが、先輩達がサークル内に別途プログラマー集団を作って勉強会をしていたんですよ。この先輩達が会社を立ち上げたいと考えていると伺ったので、じゃあどこかの会社に入って仕事を斡旋しようかなと思い、テラネッツに入社しました。そこから、MT13の運営と並行して、最初のPBW事業であるWTRPG1『学園退魔戦記ZERO』のためのシステム開発が始まります。
     最初のシステムは簡単なもので、ほぼ手動でした。基本的にプレイヤーにフォームに入力してもらって、それがメールで到着する。そこにあるパラメーターや項目類をExcelで整理したり、手でHTMLを書いて公開したりといったものです。
    ――つまり、当時多くのPBM運営者が考えていたように、リプレイの文章作成自体をAI的なシステムで機械処理するのためにコンピューターを使うのではなく、例えばプレイヤーが作ったキャラクターの一人称とか口調とかの様式を規格化して共有するなど、とにかくコミュニケーションコストを削減してマスターの人力処理を徹底的に効率化するためにITを駆使する、という発想だった。
    一本 そうです。キャラクターデータやプレイングを、うまいことテキストで見やすいようにしていました。
    上村 一本からWTRPGの構想を聞いた時点で、「もうどうやっても面白くなるなこれは」という実感がありました。ですが会社の人間は皆まったく理解せず、予算も出なかったので、当時僕は平社員でしたが、「お前ら全員バカか、コイツ(一本)の方が絶対正しい!」と言い続けて、半分無理矢理に始めた感じです(笑)。
    一本 開始すると、生々しい話、当時としては驚くほど利益も上がりました。1ヵ月程度と予定していた目標も10日程で達成した時に、ようやく他の人達も理解してくれました。
    上村 WTRPG1は、郵便でのPBMよりだいぶ儲かりました。それを踏まえたWTRPG2『武神幻想サムライキングダム』も良かったです。ただ、テラネッツで我々が関わっていたのは、この2作目くらいまででしたが。
    ■PBMとPBWで何が変わったか
    ――WTRPGの時代に入って、参加者数は増えましたか?
    一本 増加はしたのですが、PBM最盛期のMT3を超えることはありませんでした。それに売上げ的にも、一人当たりの課金も安くなったのもありますね。
    上村 インターネットの普及は始まっていましたが、当時は年齢層高めのユーザーさんに限られていたので、運営側はともかく、ユーザー間ではインターネットは普及していませんでした。
    ――大きく変わったシステムとしては、PBM時代は月単位のサイクルだったじゃないですか。WTRPGになった時、プレイスパン的にはどうなりましたか?
    上村 現在のPBWは、PBMの月単位で全体が同期するフローに拘束される点を反省して作られました。要するにディヴィジョン制度のように、マスター陣が打ち合わせをして、上の人の命令を受けて、それを咀嚼して、という時間がないように作っています。
     具体的には、マスターさんがシナリオを思いついたとしたら、まずは『ソード・ワールドRPG』でいう「冒険者の酒場」みたいなところで、前後のつながり関係なしにシナリオを1本出します。「こんな状況があります、どうしますか」という初期条件を書いて、この依頼を受ける参加者を募集して、リプレイを書く。
     この依頼を受けるたびに、プレイヤーがその都度課金される、というシステムになりました。
    一本 PBM時代はあらかじめ7〜12ヶ月間のプレイ期間中のスケジュールが拘束されてしまうので、途中で転職したり結婚したりすると、マスターさんがもう書けなくなってしまう。こういう、マスターの都合以外の事情でスケジュールが決まってしまう仕組みをやめました。マスターもプレイヤーも、好きな時に始められるようにした上で、マスターがリプレイを書く時間とプレイヤーがプレイングを考える時間を、変わらず1週間ずつ確保しました。
    ――1つの依頼では、どれくらいのプレイヤーさんが参加するのですか?
    上村 1依頼につき、抽選で選んだ8人です。
    一本 なぜ8人かというとマスターがリプレイを書くとき、楽しめる適正人数だからです。
    上村 多くても10人ですね。それ以上だと仕事感が出ます。どうせならマスターがリプレイを書くのも楽しいほうがいいよねということからです。
    一本 色々試してみた結果、11人以上だと執筆が大変で楽しくなくなり、6人以下だとプレイングの分量が不足したり、お客様が余分な遊びを入れる余地が無くなってしまったりしたので、今のところは、8人ぐらいが一番いいのかなと考えています。
    ――PBM時代には、リプレイなどで同じシナリオに参加したプレイヤーの連絡先がリプレイシートなどに載っていて、そこから交流が発生しました。そういうプレイヤーグループの形成のようなことは、依頼シナリオレベルでは起こるのでしょうか?
    上村 基本的にメールアドレスを知らなくても、どんな相手にも「お手紙」を出せるようになってます。ただ、同じ依頼そのものではグループ形成はされないですね。解散して「お手紙」を出し、どこかのコミュニティに集まることで形成されます。そこでコミュニティ同士を友好関係でつなげば、お互い行き来できるようになるので、そこで仲良く喋ったりすることはあります。
     しかしシナリオが終わった後、そのシナリオについて話す場を我々は用意しません。なぜならモメるからです(笑)。あくまで一期一会です。

    ▲「依頼」シナリオのオープニング画面  『ケルベロスブレイド』(c)トミーウォーカー
    ――そうした「酒場での依頼」型の構造を、先ほど『ソード・ワールド』になぞらえていらっしゃいましたが、TRPGのトレンドの変化からのフィードバックという側面があるのでしょうか。
    上村 TRPG的な考え方から言っても、『D&D』をみなさんがシステム的なガイドなしに遊んでいた頃と『ソード・ワールド』が普及した頃では、明らかに考え方が変わっています。『D&D』の頃は、依頼を酒場で受けるのはそれほど主流ではありませんでした。「道を歩いていたらお姫様が出てきて助けてくださいと言ってきた」とか、「戦乱があって君たちは傭兵としてここに参加するのだ」など、ゲームマスターが任意のストーリーテリングで決めていました。それに対して、『ソード・ワールド』は「冒険者の酒場」があり、ここで依頼を受けるというフォーマットを導入することで、プレイヤーの裾野を広げたことは、とてつもない発明です。
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  • 現実空間を変容させるウェアラブル・ゲームの胎動〜「iPhone」ゲームと『ドラクエⅨ』〜 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.405 ☆

    2015-09-08 07:00  
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    現実空間を変容させるウェアラブル・ゲームの胎動〜「iPhone」ゲームと『ドラクエⅨ』〜(中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.9.8 vol.405
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    今朝のメルマガは『中川大地の現代ゲーム全史』の最新回です。今回の舞台も引き続き2000年代後半。のちにゲーム市場の地図を大幅に書き換えていくことになる「iPhone」の登場、そして日本的なネットワークゲームのひとつの雛形を示した『ドラクエIX』の発売とその意義を振り返ります。
    「中川大地の現代ゲーム全史」(これまでの配信記事一覧はこちらから )
    第10章 「ゲーム」を離れはじめたゲーム/コミュニケーション環境が変えたもの
    2000年代後半:〈拡張現実の時代〉確立期(5)
    前回記事:国内アーケードの変容と海外オープンワールドの拡大〜『アイマス』『戦場の絆』『GTAⅣ』
    ■コンシューマーゲームの本当の「敵」〜iPhoneが切り拓いたスマホゲームの胎動
     しかしながら、日本ゲームにとっての本当の脅威は、コンシューマー機での海外ゲームの発展などではなかった。それよりもはるかに大きなスケールのインパクトをもたらしたのが、2007年の「iPhone」発売に他ならない。かつてMacintoshがGUIの導入によってパソコンという道具を万人に解放したのと同様、再びアップル製品の先導によって、「スマートフォン(スマホ)」と総称されることになる新たなウェアラブルデバイスのカテゴリーが生み出されることになったのである。

    ▲iPhone(出典)
     01年登場の携帯型音楽プレイヤー「iPod」シリーズの系譜上に、携帯電話機能を付加することで成立したこのデバイスは、常に「他の用途」からの副産物の領域が肥大するかたちで発展を遂げてきた。初代iPodは、元々はビデオCD用の音声圧縮規格だったmp3を純粋な音楽ソフトのためのファイルに、汎用のハードディスクをジュークボックス的な楽曲ストレージに転用した、いわば「AV機器の真似事をするPC周辺機器」に過ぎなかった。しかし、ここにモノクロ液晶の表示画面とホイール型の操作系によるゲーム機的な触感のインターフェースを加えることで、横井軍平の「枯れた技術の水平思考」のお株を奪うようなプロダクトデザインとして結実し、同様の製品とは決定的に差別化されたブランド価値に繫がってゆく。実はこの時点で、液晶画面上に「ブレイクアウト(ブロックくずし)」がオマケとしてUIプログラムの片隅にプリセットされており、若き日のスティーブ・ジョブズがウォズニアックとともにアタリで手がけた、ゲームの遺伝子が刻まれていたのである。
     加えて、テクノロジーのコスト対効果がこなれないうちは音楽のような単独のコンテンツ分野に特化した単機能機として地盤を固め、そこから徐々に多機能化させてマルチメディア機器化していくというロードマップは、かつてSCEがプレイステーション・ブランドで成功した方法論を徹底化させたものでもある。
     その意味でiPhoneは、タッチスクリーン式のインターフェースで携帯ゲーム機にPDA的な機能を取り込んだDSと、AV機器的な機能を取り込んだPSPのそれぞれの特徴を、あたかも統合していくようなデバイスだったとも言える。
     あるいは事態を逆に捉えるなら、Wi-Fiでの無線インターネット接続が標準化され、様々なアプリケーションを利用可能なコミュニケーション端末になっていたDS・PSP世代の携帯型ゲーム機は、期せずしてスマホによって実現されるユーザー体験の先行実験になっていたのだとも言えるだろう。
     実際、iPhone発売初期には、画面タップ式のリズムアクション『Tap Tap Dacce』(Tapulous 2008年)や、加速度センサーで本体の傾きを検知させることで画面上の円形のキャラクターを横方向に転がしていくパズルアクション『Rolando』(ngmoco 2008年)、半自動で跳躍するキャラクターに画面タッチと傾きで最低限の干渉操作を加えて上方に導いていくジャンプアクション『Doodle Jump』(Lima Sky 2009年)など、中小のデベロッパーが制作したカジュアルなゲームアプリがダウンロード販売され、大いに人気を博した。これらのタイトルの方向性は、タッチスクリーン入力を活かした触覚的な体験性を全面に打ち出し、幅広い層にプレイされたという意味で、DSのそれに近い。
     ただしDSの場合は、あくまでも両手で把持して方向キーやボタンで間接操作する従来型ゲーム機としての操作系を維持した上でタッチスクリーン操作をプラスしていたのに対し、iPhoneの場合は手指でのアバウトなタッチスクリーン操作しかできない。したがって精密なシンボル操作は困難ながら、画面全体と本体そのものを動かすアバウトな直感的操作で楽しめる、アイディアを凝らしたゲームデザインの考案が促進されていったのである。
     加えて、ゲーム機のようなパッケージメディアの場合はゲーム内容に一定以上のボリューム感をもった数千円の価格帯でないと流通網に乗せることが難しいが、アップルが胴元の「App Store」でなら、ワンアイディアを活かしたインディーズ的な小品を数百円以内で販売できる。そして人気ランキングが可視化されることによって、パブリッシャーの広告宣伝力によらずにゲームアプリが対等な競争条件で評価を集めることが可能になり、中小デベロッパーや個人制作者の作品がブレイクを果たすというサクセスストーリーが、次々と生まれえた。
     こうしたエコシステムが、iPhoneに対抗してグーグルが汎用の携帯情報端末向けOSとして08年から投入した「Android」においても踏襲され、2大陣営による世界的なスマートフォン市場の拡大が、そのまま新たなゲーム・プラットフォームの台頭となって、ゆくゆくは日本ゲームの強みだった携帯ゲーム機の存在意義をも脅かしていくことになるのである。
    ■『ドラクエIX』がもたらした「多生の縁」
     もっとも、00年代後半時点にあっては、国内の携帯電話キャリアとメーカーが築いたフィーチャーフォンの市場が強固だったため、スマートフォンに移行する層はまだアーリーアダプター層に限られており、ただちに携帯ゲーム機の市場に影響することはなかった。
     この時期には、あくまで国内コンシューマーゲーム市場における据え置き機から携帯機への趨勢の移行として、象徴的なトピックが発生していた。国民的RPGシリーズのナンバリングタイトル『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(スクウェア・エニックス 2009年)が、ニンテンドーDSでリリースされたことである。かつて『FFⅦ』や『ドラクエⅦ』が発売されたことで「国民機」の座がPSに移行したと見なされたように、この発売は再びその座が任天堂機に奪還されると同時に、マス向けの家庭用ゲームの主戦場が、もはや据置機ではないというメッセージを、業界内外に知らしめる事象となったのである。

    ▲『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(スクウェア・エニックス 2009年)
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  • 国内アーケードの変容と海外オープンワールドの拡大〜『アイマス』『戦場の絆』『GTAⅣ』 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.396 ☆

    2015-08-26 07:00  
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    国内アーケードの変容と海外オープンワールドの拡大〜『アイマス』『戦場の絆』『GTAⅣ』(中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.8.26 vol.396
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    今朝のメルマガは『中川大地の現代ゲーム全史』の最新回です。携帯型ゲーム機や携帯電話向けゲームアプリの優勢で存在意義を奪われていったアーケードゲーム。そんななか「アーケードならでは」のゲーム体験を提供し成功した『アイマス』『戦場の絆』のゲーム史的意義とは? そして、現在も世界のゲーム市場の主流を占める「オープンワールド」の雄、『グランド・セフト・オート』登場のインパクトを振り返ります。
    「中川大地の現代ゲーム全史」(これまでの配信記事一覧はこちらから )
    第10章 「ゲーム」を離れはじめたゲーム/コミュニケーション環境が変えたもの
    2000年代後半:〈拡張現実の時代〉確立期(4)
    前回記事:「ガラパゴス」と「グローバルスタンダード」の狭間で〜PSP・PS3におけるソニーの生存戦略と『モンハン』〜
    ■『アイマス』『戦場の絆』が拓いたアーケード文化の昇華の道
     『モンハン』が街中どこにでも現出する〈拡張現実〉型のゲーム風景を切り拓くのと対応して、ゲームセンターという特定の空間に足を運ばせる工夫を宿命づけられているアーケードゲームの領域でもまた、ネットワーク技術の力を援用しながらロケーションの価値を高めるための飽くなき追求が続けられていた。
     前章に述べたアーケードTCGに続き、新たに登場した通信型マルチプレイゲームのスタイルが『THE IDOLM@STER(アイマス)』(ナムコ)であり、『機動戦士ガンダム 戦場の絆』(バンダイナムコゲームス)であった。
     05年に稼働を開始した『アイマス』は、プレイヤー各自が新米プロデューサーとなり、トゥーンレンダリングによって二次元描画のアニメ風に描画されたフルボイスの3Dキャラとして描かれる10人のアイドル候補生の中から好みの1〜3人を選び、アイドルユニットを組ませてプロデュースするという趣向の、育成SLGの一種だ。ゲームとしての基本構成は、自ら決めたユニット名で活動するアイドルたちの歌唱力やダンス力といったパラーメーターを各種のミニゲームによって向上させていく「レッスン」と、恋愛SLG風の会話によってメンタル状態の好転をはかる「コミュニケーション」の繰り返しによる育成である。そしてテレビ番組への出演を目指した「オーディション」を行い、その合否などによって増減するファン獲得数を得点として、アイドルランクの上昇を目指していく。
     この時代のアーケードゲームの特徴として、自身のプロデューサーとしてのランクやプレイ履歴を記録するものと、アイドルユニットの成長状態を記録するものとの2種類のリライタブルカードが発行され、家庭用ゲームと同様に継続的にプレイすることが前提となっている。さらにオーディションは、基本的に全国でリアルタイムにプレイしている他のプレイヤーたちの作成ユニットとのオンライン対戦での競い合いとなっており、番組出演を勝ち取ることができると、報償としてライブタワーと呼ばれる筐体のモニターにて育成ユニットの出演ステージの3Dアニメーション映像が流される。こうした仕掛けにより、ロケーションに何度も足を運ばせつつ、アーケードならではのライブな体験共有ができるような仕様が実現されていたのである。
     この仕掛けが奏効し、 CVを担当した声優陣による劇中アイドル名義での楽曲サウンドトラックの発売や、07年の360など家庭用ゲーム機への移植、本作を原案とするテレビアニメの制作といったメディアミックス展開に発展。ゲーム/アニメの領域でグループアイドルもののコンテンツが活況を呈していく潮流の先駆けともなった。

    ▲『THE IDOLM@STER(アイマス)』の筐体
    (出典)https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_IDOLM@STER
     本作におけるグループアイドル像は、1990年代後半から2000年代前半にかけて一世を風靡した「モーニング娘。」と中核とするつんく♂プロデュースのハロー!プロジェクトのそれを彷彿とさせる。モーニング娘。は、テレビ東京のバラエティ番組「ASAYAN」内でのオーディション企画から発足したグループであったが、アイドル候補たちのキャラクター性や成長過程を舞台裏含めて見せていくリアリティショー的な手法や、10数人の女性メンバーから順列組み合わせのユニットを形成してテレビ番組向けにプロデュースするといった構造を、誰にでも疑似体験できるかたちで開放したのが『アイマス』だったとも言えるだろう。
     おりしも同じ05年には、ハロプロ的なアイドルプロデュースの方法論をさらに徹底化し、東京・秋葉原の専用劇場での定期公演をベースに、「会いにいけるアイドル」をコンセプトに掲げた「AKB48」が誕生していた。これを契機として、以後は地下アイドルやライブアイドルのブームが盛り上がっていくことになるが、ロケーションベースでの現場の臨場感と、ネットを利用したユーザー体験のシェアとを車の両輪にしているという意味で、『アイマス』とAKBのムーブメントの在り方には少なからず通底するものがあった。
     とりわけ360移植後の『アイマス』は、ニコニコ動画などの動画共有サービスにて、パフォーマンスシーンを流用したMADムービーなどのn次創作型UGCの人気供給源にもなっていくが、これはAKBがプロデューサーである秋元康の意図をも超え、現場とネットの結託によるユーザーコミュニケーションをフィードバックすることで巨大な潮流を生み出していったことと、完全に要因を同じくする出来事だ。つまり、二次元か三次元かの別を超えて、アイドル文化が大きく〈拡張現実〉型に更新されていく同時代現象として、『アイマス』とAKBはそれぞれのムーブメントを引き起こしていたのである。
     他方、06年稼働の『戦場の絆』もまた、以後のゲームセンターの風景を大きく変えていくことになる。本作は、1980年代以降の日本アニメを観て少年期を過ごした層にとっての擬似戦記的な共通体験となっている『機動戦士ガンダム』に登場する地球連邦軍とジオン軍の両陣営の各種モビルスーツ(巨大ロボット兵器)への搭乗体験を、コクピットを模したP.O.D.と呼ばれる大型筐体によって再現し、4〜8人ずつのチーム対戦ができるという趣向の体感型バトルシミュレーターである。
     似たようなスタイルで巨大ロボット兵器に搭乗しての戦闘を擬似体験させようとしたアミューズメント施設としては、1990年代初頭にアメリカや日本で専用施設を設けて営業していた「バトルテックセンター」のような先行例があった。その後の15年以上のテクノロジーの進歩を受け、一般的な都市型ゲームセンターでも充分に展開可能なかたちで登場した点が、『戦場の絆』の特徴と言える。その設計趣旨どおりにチーム対戦ができる規模でP.O.D.筐体を設置できるロケーションは、資本力のある大きな集約型施設に限られていたが、アーケードゲーム業界全体が選択と集中を迫られていた趨勢を前提に、初めて実現したタイプのプロダクトだったわけである。

    ▲『戦場の絆』のコックピット
    (出典)公式サイト 
     ここに、プラモデルを中心とする立体造形化のノウハウを3DCG化以降のデジタルゲームの領域にフィードバックするかたちで、その時々の最新テクノロジーを駆使して劇中世界の手触りをリアリスティックに再現しようと試み続けてきた『ガンダム』ゲームの文脈が加わる。アーケードでのモビルスーツ対戦ものとしては、すでにカプコン開発による三人称視点のバトルゲーム『機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン』(バンダイ 2001年)が大きな成功を納めていたが、だいたいこの時期までに「ザクやジムのような量産型機体ならこの程度、ガンダムやシャア専用ゲルググのようなワンオフ型なら高コストながら段違いのジャンプ力やスピード感が味わえる」といった、機体ごとの〝らしさ〟をファンに納得させるだけの個性が確立されていた。そんなプレイヤーの体感レベルでの操作性の傾向を、一人称視点でより臨場感あふれるかたちで擬似体験できるようにさらに一歩押し進めたのが、『戦場の絆』であった。
     言うなれば、ナムコ時代最終期の『アイマス』から1年を隔て、バンダイナムコゲームスからリリースされた本作は、キャラクター玩具の版権に強いバンダイが蓄積してきた『ガンダム』ゲームの連綿たる系譜と、『ギャラクシアン3』(1990年)や『ソルバルウ』(1991年)のように、テーマパークや大型アミューズメント施設でのライド型アトラクションを展開してきたナムコの長所を高度に結晶化させ、両社の企業統合の面目躍如を示してみせたわけだ。
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  • 「ガラパゴス」と「グローバルスタンダード」の狭間で〜PSP・PS3におけるソニーの生存戦略と『モンハン』〜(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.383 ☆

    2015-08-07 07:00  
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    「ガラパゴス」と「グローバルスタンダード」の狭間で〜PSP・PS3におけるソニーの生存戦略と『モンハン』〜(中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.8.7 vol.383
    http://wakusei2nd.com


    本日は好評連載『中川大地の現代ゲーム全史』最新回です。今回のテーマは2000年台後半、当初は「失敗ハード」ともされたPSPやPS3がどのような思想をもとに制作され、そして大ヒットゲームシリーズ『モンハン』を軸にどう巻き返しを図っていったかを振り返ります。
    「中川大地の現代ゲーム全史」(これまでの配信記事一覧はこちらから )
    第10章 「ゲーム」を離れはじめたゲーム/コミュニケーション環境が変えたもの
    2000年代後半:〈拡張現実の時代〉確立期(3)
    前回記事:稀代のプラットフォーマー・岩田聡が目指したもの:〈遊び〉の力で現実世界を拡張したDS・Wii〜『ニンテンドッグス』『Wii Sports』『Wii Fit』〜
    ■「PSP」「PS3」が追求した〝標準〟への野心
     家庭用ゲーム機の世代交代期にあって、DSとWiiを投入した岩田任天堂の追撃を受け止める格好になったのが、PS・PS2と2世代にわたって「国民機」の座を守ってきたSCEであった。
     DSが発売された04年末、同社もまた初の本格的なソフト交換式の携帯型ゲーム機「プレイステーションポータブル(PSP)」を投入。GBAの時点で圧倒的な優位にあった任天堂に対し、携帯ゲーム市場においても勝負を挑みはじめる。また、2年後の06年末にはWiiに対してもほぼ同時期に据え置き型の後継機「プレイステーション3(PS3)」を発売。先行して05年末に登場していたマイクロソフトの「Xbox 360(360)」と合わせて、世界ゲームハードの〝三国志〟状況を更新することになる。

    ▲プレイステーションポータブル(PSP)

    ▲プレイステーション3(PS3)
     任天堂機と比較した場合の両機の特徴としては、ハイスペックなCPUやグラフィックチップを搭載し、視聴覚表現上のベース性能の優位を追求したことが第一に挙げられる。そしてPS2が「安価なDVDプレイヤー」としての性格を持っていたのと同様、PSPには独自開発メディアの「UMD(ユニバーサルメディアディスク)」を、PS3には「BD(ブルーレイディスク)」を採用。ゲーム機としてだけでなく新世代の映像メディアの普及機としての役割を複合させている点が、前世代機から引き続く共通の性格づけとなっていた。
     ここに見受けられるのは、03〜05年にかけてソニー本体を副社長として率いていたPS事業の立役者・久夛良木健の主導のもと、PS2が確立したデジタルAV機器としての性格を敷衍し、ゲーム機というよりも総合的なコンテンツメディア体験の提供機としての標準性を確立しようという姿勢である。すでに久夛良木は、PS2の機能を包含したDVD・HDDレコーダー「PSX」でゲーム機とAV家電の融合のビジョンを一歩進めており、アップルやウィンテルのような汎用IT側からの挑戦に対抗するプラットフォーマーたらんとする意志を鮮明にしていた。
     その先のビジョンとして、PS3には2500億円を投じて東芝やIBMと共同開発した高性能プロセッサ「Cell Broadband Engine」が搭載されている。ここには、単なる一エンターテインメント機器のCPUという性格に留まらず、LANやインターネットによってCell搭載機器同士をピアツーピア接続し、リアルタイムに分散処理を行うことでスーパーコンピューターを超えるパフォーマンスをも発揮可能だという「Cellコンピューティング構想」なる大風呂敷への第一歩としての位置づけが与えられていた。久夛良木ソニーもまた、岩田任天堂とは異なる経路で、ゲーム機がもつ「遊び」の役割を橋頭堡に実用/汎用の世界への浸透をはかり、人々のライフスタイルを変えていくためのパラダイムシフトを提起していたのである。
     しかしながら、そうした先進的な可能性は、単体機器としてのPS3やPSPが持っていたレガシーな性格ゆえに、当初の構想通りに顕現することはなかった。すなわち、コンテンツの基本流通経路が、BDやUMDといった物理的なパッケージメディアの小売りに拘束されていたことである。すでにDVDが映像メディアとして多くの消費者にとって必要充分な体験を提供していた中で、新規のパッケージメディアの流通に依存したビジネスモデルには、やはり限界があった。
     まず、PSPという単一の機器でしか使用できないメディアとしてスタートしたUMDについては、DVDレンタルという選択肢がある中で、わざわざパッケージソフトを買ってまで携帯型ゲーム機の小さな画面で映画を観たいと考えるユーザー層を、さほど広範に得られるはずがなかった。UMD版とDVD版が同時発売された『ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン』(スクウェアエニックス 2005年)のように「PS時代の人気ゲームの続編」という特異な性格を打ち出すことで映像作品としては異例の売上げを果たしたオリジナルタイトルも登場したものの、それはあくまでPSP登場初期の物珍しさが手伝っての例外的な事例に留まり、持続的な市場を築くには至らなかった。
     また、BDについては、もともとDVDの後継となる汎用大容量メディアとしての座を、競合する「HD DVD」方式との間で争っている状況があった。そのため、PS3の制式メディアに採用されたことはHD DVDに対するアドバンテージとなり、BDが新たな大容量メディアのデファクトスタンダードを確立する一助にはなった。ただしそれは、あくまでDVDが現役を維持する中での上位規格の提供に過ぎず、PS2時代におけるVHSビデオテープからDVDへの切り替えのような、全面的な移行ニーズを喚起する規模のものではなかった。
     そのため、PSPもPS3も、DSとWiiが提示したイノベーショナルなゲームの概念の拡張に伍するほどのインパクトを残すことができず、シェア競争面では任天堂機の後塵を拝する結果となった。DSやWiiはゲーム人口そのものの拡大をもたらすことができたが、PSPとPS3は従来のマニアックなゲームファンや比較的ハイエンドなAVファン向けの機器というニッチな選択肢に留まったためである。
     言うなれば岩田聡の任天堂が〈拡張現実の時代〉を切り拓く攻勢の破壊的イノベーションを実現したのに対して、この時点のSCEが、あくまで〈仮想現実の時代〉に確立された過去の成功体験を敷衍する漸進的イノベーションしか示せていなかったのは明らかであった。
     ただし、登場当初はオーバースペックなニッチの追求とも受け止められたPS3の仕様は、世界的にテレビ放送規格のデジタル化が進行し、HD画質やHDMI端子の搭載を標準とする大型液晶テレビが一般家庭に普及していくとともに恩恵が認識され、徐々に存在感を増してゆくことになる。
     加えて、マイクロソフトがXbox時代から展開していたユーザーアカウント制のオンラインサービス「Xbox Live」や任天堂の「ニンテンドーWi−Fiコネクション」に対抗するかたちで、ソニー側もPS3の発売とともに同様の「PlayStation Network(PSN)」を開始。ソフトウェアのダウンロード販売や、オンラインプレイのマッチング、ゲームソフトのやり込み度合いを示す「トロフィー」システムなどを徐々に充実させてゆく。
     こうしたゲーム発のオンライン流通サービスの拡充は、ちょうどアップルが03年からiPod向けの音楽ソフトを皮切りに「iTunes Store」を立ち上げ、映像ソフトやゲームを含むアプリケーションなど、総合的なデジタルコンテンツの配信サービスとして躍進していた状況を追撃していく動きにも他ならない。
     さすがにPCやiPhoneのような汎用端末をベースとするアップルの先行サービスには及ぶべくもないが、AV環境のIT化とパッケージメディアに依存しないコンテンツ流通のプラットフォーム化が整うことで、世界ゲーム市場の範囲では、PS3が360と拮抗しつつWiiをじわじわと追い上げていく格好となった。
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  • 稀代のプラットフォーマー・岩田聡が目指したもの:〈遊び〉の力で現実世界を拡張したDS・Wii〜『ニンテンドッグス』『Wii Sports』『Wii Fit』〜(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.371 ☆

    2015-07-22 07:00  
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    稀代のプラットフォーマー・岩田聡が目指したもの〈遊び〉の力で現実世界を拡張したDS・Wii〜『ニンテンドッグス』『Wii Sports』『Wii Fit』〜(中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.22 vol.371
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは『中川大地の現代ゲーム全史』最新回をお届けします。先日、わずか57歳という若さで亡くなった任天堂の岩田聡社長。今回は、2000年代を通してDSやWiiなどを世に送り出し、「ゲーム人口の拡大」に尽力してきた岩田任天堂の軌跡を振り返ります。
    「中川大地の現代ゲーム全史」(これまでの配信記事一覧はこちらから )
    第10章 「ゲーム」を離れはじめたゲーム/コミュニケーション環境が変えたもの
    2000年代後半:〈拡張現実の時代〉確立期(2)
    前回記事:〈拡張現実の時代〉を幕開けたニンテンドーDSの設計思想 〜DS『脳トレ』『レイトン教授』〜(中川大地の現代ゲーム全史)
    ■ 日常世界を〈拡張現実〉化した「DS」擬似生命ゲーム
     『脳トレ』とならび、初期のDSらしさを演出したもうひとつの牽引作としては、様々な犬種の子犬とのコミュニケーションが楽しめる『ニンテンドッグス』(任天堂 2005年)が挙げられる。「ダックス&フレンズ」「チワワ&フレンズ」「柴&フレンズ」と、それぞれ5犬種の中から愛犬を選べる3バージョンのパッケージがリリースされた。

    ▲『ニンテンドッグス 柴&フレンズ』(任天堂 2005年)
     常日頃から肌身離さず持ち歩ける携帯型ゲーム機の特性を活かして、プレイヤーの日常時間の中でバーチャルな擬似生命の世話をするという趣向自体は、前時代の「たまごっち」や『どこでもいっしょ』等と同様の発想だ。これらの過去の携帯バーチャルペットは、あくまで貧弱な表現力で描かれるディフォルメチックなキャラクターを、小さなキーホルダーのようなデバイス自体の愛らしさ込みで愛玩させるというものだったが、本作の場合は3DCGによって格段にリアリスティックに子犬たちを表現することができた。加えて、タッチペンでの愛撫や音声入力による声かけなど、DSの多様な入力方式によって、より身体的な接触性の強い愛玩の体験性を構成できたことが、際立った特徴になっていた。
     このように、通常の意味での「ゲーム」とは異なる、ユーザーの日常に溶け込む擬似コミュニケーションの体感性を増していく作品においてもDSの仕様は有利に働き、『ニンテンドッグス』はいわゆるゲームファンではない層への普及に大きく貢献することになった。
     そして『脳トレ』に対する『レイトン』と同様、後年『ニンテンドッグス』的な擬似コミュニケーションのデザインが、より従来のゲームジャンル寄りの脈絡に回収されていったのが、『ラブプラス』(コナミデジタルエンタテインメント 2009年)だったということになるだろう。15犬種の子犬を3タイプの高校生美少女に置き換えて、プレイヤーの生活時間と同期する疑似恋愛に耽溺するという趣向は、かつてコナミが初めてコンシューマーゲームタイトルとしてヒットさせた恋愛SLG『ときめきメモリアル』の進化形に他ならない。

    ▲『ラブプラス』(コナミデジタルエンタテインメント 2009年)
     プレイヤーたちが「彼氏」を自称し、バーチャル彼女に入れあげる自らのキモさを自虐的にネタ化するというプレイヤーコミュニケーションの在り方も少なからずメディアの注目を集め、この時代にはニッチ化してほとんど一般のゲームファン層が触れるケースのなくなっていた恋愛題材ゲームの中で、本作は久々に広範な話題を呼ぶヒット作となった。
     おりしも同時代のアニメ分野では、『涼宮ハルヒの憂鬱』で頭角を表した京都アニメーション制作の『らき☆すた』や『けいおん!』といった作品群を中心に、劇的なストーリー性よりも、美少女キャラクターたちの他愛ない日常的なコミュニケーションの様態を子細に描く「日常系」ないし「空気系」と呼ばれるサブジャンルが人気を博していた。『ラブプラス』もまた、波瀾万丈のラブロマンスというよりも、安定した恋人関係の中での他愛ない会話やスキンシップの充実を追求した作品であり、同様の心性が通底していたと言えるだろう。
     加えて、こうした「日常系」作品では、実在の地方都市などをロケハンして背景のディテールが忠実に描かれることが少なくなく、『らき☆すた』でモデルとなった埼玉県の鷲宮神社を代表例に、ロケ地を訪問して作品世界を疑似体験する「聖地巡礼」と呼ばれるファン活動を自然発生的に誘発した。こうした特性は地方の観光振興の手法としても注目され、地方自治体や商工会などが予めコミットしてコンテンツとのタイアップを行うというケースも登場する。この流れを取り込み、2010年発売のバージョンバップ版『ラブプラス+』では、熱海市との提携のもとで1泊2日の温泉旅行に行くというイベントがゲーム内に盛り込まれ、実際にソフト持参で市内の旅館に宿泊すると割引サービスなどが受けられるといったキャンペーンも行われている。
     以上のようにDSは、〝遊び〟と〝実用〟、ゲームソフトが生成するデジタル表現とハードが持ち運ばれる現実のロケーションとを媒介する仕掛けを様々に盛り込み、まさに〈拡張現実〉的な体験性を先取りしてみせたのであった。
    ■ゲーミフィケーションを先駆けた「Wii」の世界像
     DSと同じく、岩田任天堂の哲学を示す新たな据え置き型ゲーム機として登場したのが、06年発売の「Wii」であった。その筐体は、スーファミからゲームキューブにかけての任天堂のテレビゲーム機が、ライバル機に比べると相対的に年少層向けにターゲッティングしたSF的な玩具っぽさを持っていたのとは一転。PS2がそうだったように、縦置き・横置きのどちらにも対応できるシンプルなスクウェア型を採用し、従来機が持っていた非日常的な「ゲーム機」としての主張を排除した、リビングに溶け込みやすい装飾性のないデザインとなった。

    ▲Wii
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  • 〈拡張現実の時代〉を幕開けたニンテンドーDSの設計思想 〜DS『脳トレ』『レイトン教授』〜(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.357 ☆

    2015-07-02 07:00  
    220pt


    〈拡張現実の時代〉を幕開けたニンテンドーDSの設計思想
    〜DS『脳トレ』『レイトン教授』〜
    (中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.7.2 vol.357
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは好評連載『中川大地の現代ゲーム全史』最新回。いよいよ2000年代後半、〈拡張現実の時代〉に突入します。今回お届けするのはそのプロローグ。ゲーム市場の存立基盤を揺るがしはじめた情報技術の変容と、それにビビッドに応答した王者・任天堂の「ニンテンドーDS」の設計思想について振り返ります。
    「中川大地の現代ゲーム全史」(これまでの配信記事一覧はこちらから )
    第10章 「ゲーム」を離れはじめたゲーム/コミュニケーション環境が変えたもの
    2000年代後半:〈拡張現実の時代〉確立期(1)
     
    前回記事:「同人ゲーム」と「アーケードTCG」が告げた〈拡張現実の時代〉の足音〜『東方Project』『月姫』『ムシキング』『ラブandベリー』〜
     
     
    ■〈拡張現実の時代〉を招来したもの
     
     2000年代も半ばを折り返すと、社会の様々な領域で、明らかに時代のモードの変化を感じさせる徴候が目立つようになってくる。9.11を境に始まったアメリカ主導の一連の対テロ戦争は、03年に開戦したイラク戦争によってピークを迎えるが、圧倒的な戦力差で全土の制圧に至るも、開戦の大義名分であった大量破壊兵器は結局発見されず、全世界にその「正義」の凋落を印象づける結果に終わった。国内政治においても、構造改革の大義を掲げて激しく「抵抗勢力」を攻撃することで怪物的な支持を得た小泉純一郎政権の熱狂もまた、05年の郵政民営化をめぐる空騒ぎをピークに終焉を迎える。
     以降は1年おきに首相のクビがすげ変わるという自民党政権のグズグズで反動化が進行。デフレ不況からの脱却の道も見出せない中で、政治的にも経済的にも日本がますます二流・三流の国へと凋落していくというシニカルな停滞感が時代を覆うようになる。
     とりわけ、08年にはアメリカでのサブプライム問題を火種としたリーマン・ショックによって世界的な金融危機が引き起こされたことで、諸外国と同様に日本経済はさらなる打撃を受け、特に若年層の貧困や社会的格差の拡大・固定化が、誰の目にも明らかな問題として前景化してゆく。その結果、国内外で新自由主義的とされる政策運営を行ってきた政権への不満が高まり、09年にはアメリカ大統領選でのバラク・オバマ大統領の選出、日本では衆院選での民主党圧勝を受けて、米日でリベラル勢力への政権交代がもたらされるに至った。
     
     こうした時代精神の潮目の変化を孕んだ00年代後半の5年間を、宇野常寛『リトル・ピープルの時代』における時代区分に倣い、〈拡張現実の時代〉の確立期と位置づけたい。言うまでもなくこの命名は、情報技術の分野におけるVR(ヴァーチャル・リアリティ:仮想現実)よりも時系列的に新しいカテゴリーであるAR(オーギュメンテッド・リアリティ:拡張現実)の勃興に対応する。すなわち、ユーザーが現実空間での活動を行う際、何らかのデジタルデバイスを用いて「アノテーション」と呼ばれる有益な視聴覚情報をその環境知覚に重畳させることで、〝素のままの現実〟を〈拡張〉しようというタイプの技術の総称である。
     発想そのものは、航空会社ボーイングの研究職であったトーマス・コーデルらが1992年の論文で発表したHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を用いるエンジニア向け作業支援システムを嚆矢とするので、VRに比べて先進的だったわけではないが、99年に奈良先端科学技術大学院大学の加藤博一が開発したミドルウェア「ARToolKit」のリリースなどを機に、コンピューターサイエンスやITビジネスのホットテーマに浮上する。さらに2007年にはAR機能を持つ「電脳メガネ」の普及した近未来世界を舞台としたアニメ『電脳コイル』が放映されて、SF的なイメージを広範な層に惹起。また、アップルが同年に発売した「iPhone」によってスマートフォンという汎用的なウェアラブルコンピューティングデバイスの普及が始まり、09年にはそのカメラ機能とGPSを活用して付加情報を表示するロケーションベースのARアプリ「セカイカメラ」が登場。こうした動向によって、00年代後半を通じて大きく民生的な浸透を果たしたコンセプトだったと言えるだろう。
     

    ▲2007年の初代iPhone発表の様子(今日で初代iPhone発表から8年!動画で当時の興奮がよみがえる! - iPhone Maniaより)
     
     この語が時代全体のムードを言い当てる比喩として相応しいのは、人間の現実感を構成する環境情報すべてを人工生成しようとするVRに比べ、補助的な情報生成に留まるARのハードルは相対的に低く、デジタルテクノロジーとして目指す理念的な到達点上は、ある意味で〝妥協的な現実主義〟とも呼べる側面を持っていることである。
     情報環境の面では、1990年代後半から2000年代前半にかけての劇的なIT革命のインパクトは一段落し、SF的な〈夢〉を孕んでいたインターネットは、もはや珍しくもない日常的な生活インフラとなった。確かにティム・オライリーが「ウェブ2.0」というビジョンを掲げたように、それまで情報の一方的な受け手だったユーザーが双方向的に発信していうという利用形態の進化は絶えることなく続いていた。具体的には、04年には「Facebook」や「mixi」といったSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が始まり、翌05年には「YouTube」、さらに翌06年には「ニコニコ動画」といった動画投稿サイトが登場。こうしたソーシャルメディア環境の勃興が、個人のコミュニケーション活動やUGC(ユーザー生成型コンテンツ)制作をエンパワーメントし、インターネット本来の解放的な理念性をますます顕現させるものだったことは間違いない。
     ただ、そこで開花した実際のユーザー文化の在り方は、〈夢の時代〉から〈仮想現実の時代〉にかけて漠然とイメージされていたような「無限の可能性を秘めた広大なサイバースペースにおける未知なる出会いや体験」といったオープンな描像とはいささか異なる。ソーシャルメディアの本質は、パソコン通信時代のような会員制アカウント化を行ったり、情報発信のフォーマットを規格化したりと、理念的には全世界に開かれているはずのインターネット内に、あえて敷居を築くことにあるからだ。これにより、00年代後半のネットサービスは、おおむね限られた知人や同好者との小さなコミュニティ内での交流を充実させる方向へと向かっていく。かつてのカリフォルニアン・イデオロギーが想定していたほどには、一般ユーザーの社交能力や創造性の水準は高くはなかったわけだ。
     つまりは、「ここではないどこか」への到達を目指すテクノロジーの単線的な進歩の方向性を見直し、「いま・ここ」に暮らす人々の現実性に即したユーザーニーズへの最適化を図ることが、〈拡張現実の時代〉におけるイノベーションの基本トレンドとなっていったのである。
     
     そんなコミュニケーション・プラットフォームの整備に呼応するかたちで、新たな環境に適応したカルチャームーブメントもまた勃興してゆく。日本のおけるその最大級のケースが、07年の「初音ミク」の登場を機とした歌声合成ソフト「ボーカロイド」シリーズのブレイクであろう。これは声優やミュージシャンからサンプリングした音声アーカイブによって、任意のメロディを歌わせるといった仕様のボーカル制作ツールだが、パッケージングに「バーチャルアイドル」としてのキャラクター性が施されたことで、ユーザーの作品制作に「P(プロデューサー)」としてのロールプレイ性が発生し、強烈な創作モチベーションを喚起することに成功。従来のDTMファンの裾野をはるかに超える規模での膨大な楽曲や動画コンテンツがニコニコ動画などで発表・共有され、「東方Project」などと並んで日本のn次創作カルチャーの特質を代表する一大人気カテゴリーへと発展する。さらにはそこからの商業的ヒットも生まれ、初音ミクとボーカロイドは、音楽シーン全体を揺るがすほどのインパクトをもたらした。
     こうした潮流について、音楽ジャーナリストの柴那典は、1967年にアメリカ西海岸のヒッピーカルチャーを母体に起きたロックムーブメント「サマー・オブ・ラブ」、1980年代後半にイギリスを中心に盛り上がったレイブカルチャーのムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」を引き合いに、ポピュラーミュージック史における「サード・サマー・オブ・ラブ」の位置づけを与えている(『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』)。〈拡張現実の時代〉をもたらしたテクノロジー環境の変化は、様々なジャンルの文化史を横断して、ドラスティックな画期を刻んでいったのである。
     

    ▲柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』太田出版 2014年
     
     
    ■「DS」ブームが牽引した任天堂復活劇
     
     そして当然ながら、デジタルテクノロジーとカルチャーが最も直接的に結びつくゲームの分野にあっても、それまで築かれてきた市場や文化のありようを大きく塗り替える変容がもたらされることになる。業界の既存プレイヤーの中で、〈拡張現実の時代〉への応答を最もビビッドに示したのが、かつての王者・任天堂であった。
     捲土重来を期する最初の一撃となったのが、2004年末に発売された携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」である。従来機であったゲームボーイアドバンス(GBA)が01年に登場してからわずか3年余、さらに前世代機のゲームボーイからの間隔が12年もあったことを鑑みるなら、それはあまりにも早すぎる「代替わり」だった。
     このような攻勢のリリースが行われた背景にあったのが、02年に行われた任天堂社内での体制刷新である。同社のルーツにあたる任天堂骨牌を創業した山内房治郎の曾孫である山内溥が、実に半世紀にわたって務めてきた社長の座を退き、後継者としてHAL研究所出身の取締役・岩田聡を大抜擢したのである。
     
    ▲ニンテンドーDS
     
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