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高須正和×落合陽一 〈カオス近代〉からコンピューテーショナルな生態系へ・前編(魔法使いの研究室)
2017-10-10 07:00550pt
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピューテーショナルな社会に向けた思想を考える「魔法使いの研究室」。今回はチームラボMake部の発起人にしてMakerFaire深圳・シンガポールで実行委員を務める高須正和さんとの対談をお届けします。前編では、〈近代〉というパラダイムの超克をキーワードに、「100年後のキャズムを超えられない男」であるエジソンの業績を振り返りながら、今、中国で進みつつあるテクノロジーによる社会の変容について議論します。 ※この内容は2017年4月27日に行われたイベントの内容を記事化したものです。
人類にとっての〈近代〉をいかに終わらせるか
落合 今回のテーマは一見、難しい話に見えるかもしれませんが、ある種の生態系を成り立たせるイメージ、自分たちのモチベーションやそこから生まれた表現をチームで走らせるために必要な妄想というものがある。今日はそういう話を高須さんと話していけたらと思います。僕は「日本のイケてない部長さんがいなくなる会」を作りたいと思っているんですよね。
高須 そうそう。そこでは「超合理的」がキーワードになるよね。
落合 超合理的に考えて、「うちの会社はメーカーなんだけど、イノベーションないんだよね……」ってときに「いや、そんなことはしなくていいんです」「Kickstarterになる必要はないんです」というような話を、中国の深圳から来た高須さんと……深圳でいいんですよね?
高須 シンガポールですね(笑)。
落合 シンガポールから来た高須さんと話していきたいと思います。最初に僕から自己紹介を簡単にしていきます。
落合 僕がやろうとしているのは「人類にとっての〈近代〉を終わらせる」ということです。皆さんは今は〈現代〉だと思ってるかもしれませんが、〈近代〉です。「国民国家」や「法律」といった概念は、近代的な枠組みの一部で、それをどうやって終わらせるか、ということを考えています。そのために人間や環境を拡張・補完する。コンピューテーショナルに操作された光や音、波動によって「新しい自然」を構築し、〈近代〉というスタイルを更新するのが、僕の目指しているところです。
この〈近代〉を象徴する人物が、エジソンとフォードです。米国の巨大企業、ゼネラル・エレクトリック社とフォード社の創業者ですね。彼らは〈近代〉を規定することによって、20世紀という時代を作りました。たとえば、「T型フォード」は史上2番目に多く生産された四輪車ですが、そのために開発された工場による大量生産方式は、人間の労働単位を「時間」に定義しました。研究開発によってイノベーションを生み出し、大量生産によって低コスト化した製品を一般大衆に普及させる。このフォード方式の体制下では、人間の画一化が求められます。そこで要請されたのが、現在まで続いている集団教育と、「問い」と「答え」を前提とした学習方式です。この方式の教育を大学まで続けて、最終的にサラリーマンになることが、最も幸せに生きる方法であるという社会様式。その最大到達点が現在のトヨタでありAppleのiPhoneです。確かに、このやり方は21世紀初頭までは正しかったかもしれません。しかし、今後訪れる新しい社会では、エジソン・フォードの作った〈近代〉は更新されなければならない、というのが僕の考えです。たとえば、健常者と障害者という区分は、〈近代〉が規定した枠組みです。そもそも「標準的な人間」という発想がなければ、人間に障害なんてないんですよ。それはパラメーターの一部にしか過ぎない。たとえば身長が低い人がいたとします。重力が500倍くらいある環境で棚に手が届かないとなれば、それは圧倒的な障害です。でも、地球の1Gの重力下では、そんなことはないですよね。本来はパラメーターの問題でしかないことを、「障害」と規定したのは〈近代〉の枠組みです。それをどうやって破壊するか。そんなことばかり考えながら、僕はものを作っています。
高須 単純な一つの回答じゃなくて、いくつも答えがあるということがキーワードになる気がします。今はすごくたくさんの答えがある時代です。いろいろな仕事があるから、いろんなことができる。答えがひとつではない、というのが脱近代だと思う。
未来の製品をコミュニティベースで生み出す
高須 では、僕の自己紹介をします。「MakerFaire」という世界的なDIYの祭典があって、僕は「MakerFaire 深圳」と「MakerFaire シンガポール」の運営をしているグループの一員です。アジアのMakerFaireに世界で一番多く参加して、プレゼンしたり出展したりしています。
さきほどのお話でも〈近代〉と〈現代〉の対比がありましたが、ここでは「従来の発明家」と「メイカー」をの2つを、ぱきっと切り分けて語ってみたいと思います。 伝統的な発明家は大学や大企業の研究所にいますが、発明以外のことはほかの人がやっています。企業であれば、企画部が企画して、技術部が研究して、広告代理店が宣伝して、セールスマンが売ります。それに対して、メイカーと呼ばれる人たちは、仲間と一緒に学んで作りながら、お互いに評価しあうことで、イケてるものとイケてないものを決め、お金を出して仲間たちから買うという形で、イノベーションを生み出しています。
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猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉 第24回「人類を全員踊らせたい!」
2017-09-06 07:00550pt
チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、日本文化を現代にアップデートするプロデューサー・丸若裕俊さんとコラボした新作や、渋谷ヒカリエで開催中の「チームラボジャングル」について話しました。丸若さんの活動との対比で見えた、ジョン・ハンケ的なものとは異なるアプローチを試みる、チームラボの思想とは。そして「チームラボジャングル」で提示された新たなビジョンとは?(構成:稲葉ほたて)
モノとコトの間にある「お茶」
猪子 9月8日(金)からパリで開催されるインテリアデザインの見本市「MAISON&OBJET PARIS」にチームラボが招かれて、作品を展示するんだけど、それが丸若裕俊さんという人が手がけるお茶とのコラボ作品なんだよね。彼は色々なものをプロデュースしているんだけど、最近はお茶をプロデュースしていて、そのお茶とチームラボの作品を組み合わせようと思ってるんだ。今日はその話からしようか。
▲フランス・パリで、9月8日(金)から9月12日(火)まで、インテリアデザインの見本市「MAISON&OBJET PARIS」が開催。チームラボは、招聘作家として、肥前でつくられた新しい茶「EN TEA」とコラボレーションしたインタラクティブなデジタルインスタレーション作品『Espace EN TEA x teamLab x M&O: Flowers Bloom in an Infinite Universe inside a Teacup』を本会場にて展示。(プレスリリースより引用)
猪子 チームラボではお茶を使った作品は、これまでにもやったことがあって、KENPOKU ART 2016では『小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々 / Flowers Bloom in an Infinite Universe inside a Teacup』という作品で、天心記念五浦美術館に茶室を作ったこともある。実際にお客さんがお茶を飲めるんだよね。
で、今回の作品では、お茶を淹れるとそこに花が咲いて、動かすとお花が散っていく。空間には何も存在しないんだけど、お茶が入るとそこにだけ作品が現れる。そして飲み干すと、お茶と共に作品もなくなる。
宇野 シンプルだけど面白いね。
猪子 これで、茶の中にだけ存在するアートで、そしてアートそのものを飲むような体験にしたいと思ったんだよね。
宇野 なるほどね。それはお茶を飲むという行為に対しての批評になってると思うよ。お茶もそうだけど、飲み食いってこれから批判力が強くなると思ってて。食というのは、モノでもあるしコトでもあるじゃない?
この先、モノは、個人に対するオーダーメイドもしやすくなって、大量生産されたものに人間が合わせていかなくなる中で批判力が落ちてくる。一方、コトは、ソーシャルメディアの自分語りに回収されて、なかなかその消費から文化が生まれにくい。そんな中、食はその中間にあって、物質であり非物質的な体験なんだよね。モノとして存在する一方で、実際に食べたり飲んだりして味わうと消えてしまう「コト」でもある。この作品は、まさにデジタルアートという、物質であり非物質的なものによって、そんなお茶という食の文化を表現しているところが面白いと思う。
つまり、この作品では、「食べる」という行為が、メタファーとしてすごくよくできていると思うわけ。モノでありコトでもあるお茶を飲むという行為と、実体のないデジタルアートを鑑賞するという行為が重なりあっている。お茶を通したデジタルアート批評だし、同時にデジタルアートを通したお茶文化の批評でもある。
猪子 あと、この作品は、自分に淹れられた非常にパーソナルなお茶が、飲もうとした瞬間に散って、他者のためのパブリックなものになるんだよ。
宇野 お茶を飲むというのは、社交場への接続の行為なわけで。
猪子 どこの文化でも、究極的にはお茶というのは社交だよね。
宇野 そうしたときに、例えば今の消費社会ではお茶を飲むという行為が社交から若干切り離されているわけじゃない? ペットボトルを買えば一人でガンガン飲めるようになっていったわけで。
猪子 そうだね。
宇野 それに対してこの作品は、伝統的なお茶を飲むという行為を思い出させるものになっていると思う。言ってしまえば、お茶を飲むとことで人間は日常の中にいながら、ちょっとした非日常な空間に接続する。プライベートな時間が半分だけパブリックな時間になる。この作品はそういうお茶という文化の面白さを、アートとの組み合わせでつくりだすことに成功している。
猪子 この『Flowers Bloom in an Infinite Universe inside a Teacup』というタイトルも気に入ってるんだよね。これは僕の言葉というより、岡倉天心的な茶の解釈から来ているんだけど。
宇野 当時の中世の日本では、茶の湯という文化で、禅を通過したある種の仏教的な宇宙観を表現してたわけじゃない? それを、今のコンピューターテクノロジーを使うと、よりわかりやすく、しかしより繊細にコントロールされたかたちで光と音で表現できるということだよね。
猪子 言ってしまえば、昔は掛け軸をかけて、お香を焚いて……みたいなことで宇宙を表現していたわけだからね。そうした茶の湯の文化を、現代のデジタルアートで再解釈しようとしているんだよ。
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猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉 第23回「デジタルアートの可能性について語りたい!」
2017-08-02 07:00550pt
チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、長崎県・大村市で行われた猪子さんの講演をお届けします! 近年の作品を振り返りながら、チームラボ作品にこめられたコンセプトについて、4つのキーワードをもとに語ります。(構成:稲葉ほたて、収録日:2017年6月1日)
作品に没入することで、世界と自分の境界をあいまいにしたい
猪子 みなさんこんばんは。チームラボ代表の猪子寿之です。今日は、チームラボのつくるデジタルアートによって、人々の関係性がポジティブになったり、境界のない世界の可能性について話したいと思います。そのために、今日は最近つくった作品のコンセプトを紹介していければと思います。
1つめのキーワードは「Body Immersive」です。
このキーワードを説明するために、2016年の夏にお台場でやった「DMM.プラネッツ Art by teamLab」(以下、「DMM.プラネッツ」)という展示会の作品を紹介していきたいと思います。
▲『Wander through the Crystal Universe』
この作品は『Wander through the Crystal Universe』です。これは、空間を埋め尽くしている光源を、3次元的に動かす作品です。点描という、点の集合で行う絵画表現がありますが、これは光の点の集合で彫刻を点描みたいに創っているんですね。光でできているので、デジタル制御でその場にいる人によって創られていきます。これは立体物が動くことによって、身体が立体物に没入するような感覚になります。すると、作品と身体の境界がないような感覚になるんですね。
▲『人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング – Infinity』
これも「DMM.プラネッツ」から、『人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング – Infinity』という作品です。鑑賞者はプールの中にはいるんですが、その水面に魚が泳いでいます。その魚たちは人の場所を感知していて、もし人を避けきれずにぶつかると魚が死んで花となって散っていくんですね。そのインタラクティブな魚の動きによって、ただ身体的にプールに入るだけじゃない、作品への没入感が生まれるんです。
▲『Floating in the Falling Universe of Flowers』
そして、『Floating in the Falling Universe of Flowers』という作品です。これは、ドーム状の空間に、1年間の花々が時間と共に刻々と変化しながら咲き渡る宇宙の映像が投影されているんですが、花々は立体的に空間に浮遊しているかのように見えます。寝っ転がりながら見ていると逆に自分の身体が浮いているような感覚になるんですね。そして自分が浮いているのか、花が落ちてきているのか、そもそも空間そのものが動いているのかわからなくなってきます。
まずは「DMM.プラネッツ」の作品を紹介してみましたが、チームラボでは鑑賞者が身体ごと作品の中に没入することで、自分と世界との境界がなくなっていくような感覚を創るコンセプトの作品たちがあります。これらの作品は「Body Immersive」というコンセプトで呼んでいます。
物質から解放されたデジタルアートでは、作品の中により没入できるようになると考えています。それによって世界との境界をなくしたいと思っているのです。
人間って、普段から肉体の境界を意識しすぎていると個人的には思ってて。物理的には自分の肉体と世界には境界があるけれども、でも本当は、世界や他者と自分は連続しているものです。そういう感覚をアートを通じて創れたらと思っています。
▲『HARMONY, Japan Pavilion, Expo Milano 2015』
これもそんなコンセプトの作品のひとつで、2015年のミラノ万博の日本館で展示制作を担当した『HARMONY, Japan Pavilion, Expo Milano 2015』という作品ですね。棚田をイメージしてつくられた腰まで生えている柔らかいスクリーンを使って、身体ごと作品の中に入っていけるようになってます。稲穂を分け入る感じで映像空間の中を歩き回りながら、四季を表現した象徴的な日本の自然を体感するようになっているんですね。この作品は「BEST PRESENTATION賞」というのをもらったりして、最終的には10時間待ちになるぐらいの盛況でした。
▲『Floating Flower Garden; 花と我と同根、庭と我と一体 / Floating Flower Garden; Flowers and I are of the same root, the Garden and I are one』
これも2015年に、東京やパリで展示した『Floating Flower Garden; 花と我と同根、庭と我と一体』という作品です。この花は2300本以上あって空間に浮かんでいるんですが、実際に生きているものを使っていて全体が庭園になっているんです。人間の位置を感知していて、歩いていくと自分の周りを避けてくれるので、空間全体を覆う庭園と一体化できるようになってます。
元々、日本の禅の庭園って、森の中で大自然と一体化して修行を行っていた禅僧が、集団で修行をするために仕方なく生まれたと言われているんですね。この作品はそうした一体化をすることから生まれた古典的な禅の庭園を、現代に合わせてもう一度作ろうとしたものです。
▲ミュージックフェスティバル チームラボジャングル
これは、2016年から2017年の年末年始にかけて、大阪で開催したミュージックフェスです。新しい実験的な音楽フェスをやりたいと思ったんですが、ミュージシャンが出演するのではなくて、参加者みんなで音楽を奏でていくんです。例えば、弦に見立てられた光の線に触ると音が出たりして、この空間にいる人たちが主体となって音楽や空間を作っていく。そして、光の線が組み合わさることでまるで彫刻のような、別の立体物をつくりだしています。光の線で、空間を立体的に再構築しているんです。この立体的な光で満たされた空間に身体ごと没入していくんですね。踊りながらアートを知覚するという、頭ではなく身体によるアート体験、身体的知への試みでもあります。ちなみにこの夏に東京(渋谷ヒカリエ)でも開催しているのでぜひ遊びに来てください。
ここまで、「身体ごと作品に没入することで、作品と自分の境界をなくしていく」というコンセプトの作品を紹介しました。空間全体を没入可能な作品にすることによって、境界というものはそもそも絶対的に必要なものではないということを表現しているんですね。
作品と作品の境界をあいまいにしたい
猪子 次に紹介していきたい作品も「境界」をテーマにしたものですが、今度はどちらかと言えば「作品同士の境界」をあいまいにするというコンセプトになります。
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落合陽一「魔法使いの研究室」直方体型人類とタイムマネジメント時代の終わり(後編)
2017-07-06 07:00550pt
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピューテーショナルな社会に向けた思想を考える「魔法使いの研究室」。今回は、「直方体型人類とタイムマネジメント時代の終わり」の後編です。経済格差・文化格差に次ぐ第三の本質的格差とは。そして、SF映画で描かれるAIやUI環境を現実にするための具体的課題について語ります。※この内容は2017年3月25日に青山ブックセンターで行われた講演の内容を記事化したものです。
格差の本質は「資本」ではなく「文化」にある
落合 最近「格差についてどう思いますか?」いう質問をよくされます。もちろん、格差の問題は重要ですが、いま最も大きな格差になっているのは、実は資本格差ではありません。僕は文化資本の偏りの方が、本質的な格差だと思っています。現に富を持っている人は、得てして賢く、教養があることが多い。今はこの三つの要素が固まってしまっているのです。
お金自体は、起業して投資を受けたり、ベーシックインカム的な仕組みによって社会に配分することができます。これは両方ともありうる形で、つまり、チャレンジする人がお金を得やすい社会にするか、チャレンジしなくてもお金を得られる社会にするか、どちらを選ぶかということでしかありません。もし、それを国全体の方針として選択できないのであれば、地方分権によって対応するという方法もあります。
たとえば、日本を40くらいの区域に分けて、ある区画ではベンチャーキャピタルを優遇し生活保護は設けない。また、ある区画ではベーシックインカムを全面的に導入するというように制度に差を付けて、どちらに定住したいかを人々が選べるようにする。
もちろん、このようなドラスティックな改革がすぐに実現できるとは思いませんが、シンガポールのような小さい国では、既にそういう動きが始まっています。地方自治の規模であれば日本でも恐らく成立するでしょう。
そうなったとき、経済の持つ意味は相対的に軽くなります。なぜなら、お金は簡単に送金できますが、文化資本は簡単には伝達できないからです。世阿弥の能を理解したり、クラシック音楽を楽しめる教養を伝えるのは、一万円札を渡すことよりもはるかに難しい。この経済資本と文化資本の関係性を考えることは重要ですが、しかし、その制約すらテクノロジーが変えていくと僕は思っています。
Demis Hassabis, CEO, DeepMind Technologies - The Theory of Everything - YouTube
たとえば、最近のYouTubeには字幕を表示するボタンがあります。この動画はGoogle DeepMind社のCEO、デミス・ハサビスのプレゼンテーションです。イ・セドルを倒した囲碁ソフトを作った会社の社長ですね。この人は紛れもない天才ですが、彼の発言が英語字幕で表示されています。中学レベルの英語なので、辞書を引きながらであれば誰でも言っていることが分かります。
昔は、同時代の天才の最新の思考をトレースするには、学会に参加するか、本人と友達になるか、あるいはその思考を理解した人から人づてに伝えてもらうしかなかったのですが、それがYouTubeと自動翻訳で誰でもできるようになった。これは文化資本の伝達性において、非常に重要です。
これはデミス・ハサビスが実際に使っているスライドです。「From Pixels to Actions」とありますが、これは前編の「現在のディープラーニングの本質はピクセル的な視覚野的演算である」と同じ話です。情報は二次元にピクセル化されることで非常に計算しやすくなる。それをどうやってアクションに変えていくか。たとえば、AIのアルゴリズムを使ってゲームを解いたり、マシンラーニングを使ってロボットを動かしたり、そういった研究が重要になると彼は言っています。
このように、次の時代に価値を生み出すであろうポイントを、誰もが共有できるようになったことは非常に大きい。彼らが投資しているのなら、そこが一番お金が儲かることは明らかで、それをYouTubeを通じて僕らが知ることができるようになったのは、大変大きな意味を持つわけです。
Large-scale data collection with an array of robots - YouTube
これはGoogleの研究で、画像で認識した物体をつまんで左の箱に移す動作ををロボットアームに学習させています。従来の自動車の組み立て作業などに使われていた工業用ロボットアームは、人間が挙動をプログラミングすることで動作していましたが、それを自分で覚えられるようにするための研究です。大量のロボットアームを同時に稼働させているのはなぜでしょうか? データの世界では一秒間に何万回も実行できます。たとえば、アルファ碁の強さは、自分自身と3600万回も戦うような、とんでもないことしているからです。しかし、現実世界ではそれができないので、マシンを何十台も並べて、同時並列的に学習させています。
こういった先端的な研究や知見を、誰もがリアルタイムに享受できるようになりつつある。つまり、文化的な価値の再配分がテクノロジーによって進みつつある。
また、再配分された文化資本をどうやって経済的に還元するかについても、たとえばGoogleは月面無人機探査レース「Google Lunar XPrize」に出資していて、このプロジェクトには3000万ドルもの賞金が設けられています。このようにテクノロジーを主体としたお金の再配分の流れは、既に生まれてきているわけです。
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猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第22回「デジタルアートの力で“近代以前の歴史”を可視化したい!」(後編)
2017-07-05 07:00550pt
チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、現在チームラボの作品を展示している、佐賀県の御船山楽園へと宇野常寛が実際に訪問し、猪子さんと語り合った対談の後編です。50万平米の庭園と森に迷い込むような展覧会の全貌とは? そして、町の歴史や自然にデジタルアートが介在できる可能性とは?(構成:稲葉ほたて)
御船山楽園には「いい岩」がたくさんある!
猪子 そして、「資生堂 presents チームラボ かみさまがすまう森のアート展」の話もしたいな。7月14日(金)から10月9日(月)までやっている展示で、佐賀県武雄の御船山楽園の古池の水面に鯉が泳ぐ『小舟と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング』を一昨年と昨年と行ったんだけど、今年は、50万平米にも及ぶ御船山楽園の庭園と森を使って、14作品にも及ぶ大展覧会をするんだよ。
▲『岩割もみじと円相』
宇野 御船山楽園での展示は今年で3年目だけど、今回はどういうコンセプトなの?
猪子 今回は、実は「石」が裏テーマなんだよね。元々は、一昨年あたりからずっと巨石や岩に興味があって探していたんだけど、田舎に奇跡的に残っている自然の石を売る石屋になんかに行ったり山に入ったり。そうこうしているうちに、「やっぱり石を買うなんておこがましいよな」と思いはじめて(笑)。むしろいい巨石がある場所に人間の方が出向くべきだなと。
そういう興味の流れがあって、この展示では、御船山楽園内の森の中にある正一位稲荷大明神にそばにある巨岩(高さ3m、幅4.5m)に滝をプロジェクションで降り注ぐ『かみさまの御前なる岩に憑依する滝』や、苔生す巨岩(高さ4.5m、幅3.8m、奥行き7m)を使った『増殖する生命の巨石』などの、多くの「巨石」を使った作品がたくさんあるんだよね。
▲『かみさまの御前なる岩に憑依する滝』
▲『増殖する生命の巨石』
猪子 この正一位稲荷大明神というのは、最高位の神社なんだけど、祀られている場所は素晴らしい巨石に囲まれているの。だからおそらく、巨石が自然に積み上げられたような神秘的な場所を見て、その巨石を祀り始めて後から祠ができたんじゃないかと思うんだよね。
そう考えると、こうした神社とか祠って、自然と人間が共作した遺産だなと思うんだよ。何億年もの自然の時の流れで岩の形は作られて、そこに何千年もの時間をかけて人々が意味を見出していく。ときには直接岩肌に仏を彫ってみたり、ときには神社を祀ってみたりする。
宇野 もう、その岩が今ここに至るまでの経緯なんてわからないわけだよね(笑)。そして人間の側の意図も、今の人間社会の文脈とかでは到底理解ができない。おそらく文献だってそんなに残っていなくて、想像するしかないわけだよね。そう考えると、あまりにスケールの大きい人間の歴史って、「ほとんど自然」と言えるかもしれないね。
テクノロジーが介在することで、はじめて自然の魅力を知覚できる
宇野 一般的な日本庭園と比べて、この御船山楽園は独特の魅力がある気がするね。
猪子 御船山楽園は、今から172年前、1845年(江戸後期)に50万平米にも及ぶ敷地に鍋島茂義よって創られたんだ。敷地の境界線上には、日本の巨木7位、樹齢3000年以上の武雄神社の神木である大楠があったり、庭園の中心には樹齢300年の大楠がある。つまり、そのことから想像するに、御船山を中心とした素晴らしい森の一部を、森の木々を生かしながら造った庭園なんだと思うんだ。だから、庭園と自然の森との境界線はとても曖昧で、回遊していく中で森を通ったり、けもの道に出くわしたりする。森には、稲荷大明神以外にも、洞窟には、名僧行基が約1300年前に岩壁に直接彫ったと伝えられる仏や五百羅漢があるんだ。
つまり、何百万年もの時間の中で形作られた森や巨石や洞窟、そしてそこに千年以上もの時間をかけて人々が意味を見出してきた上に、鍋島茂義がまた意味を見出し、庭園を創ったんだと思う。そして、今なお続く自然と人との営みが、森と庭園の境界が曖昧な、この居心地の良い御船山楽園を生んでいるのだと思うんだ。
▲御船山楽園(撮影:宇野常寛)
猪子 ずっと本当の森で展覧会をやりたいと思っていたけれど、千年以上も人々が意味を見出してきた自然、つまり人の営みの歴史がある自然で、やりたいと思ったんだ。御船山楽園で探索していた時に、庭園と森との境界の曖昧な場で道を失ってさまよった時に、長い自然と人との営みの、境界のない連続性の上に自分の存在があることを少し感じたの。だからこの広大な庭園と森の中で迷い込んでしまい、自分がまるで何かの一部であるかのような感覚になっていくような展覧会をやりたいと思ったんだ。
宇野 (この収録の直前に)実際に御船山楽園を猪子さんと一緒に歩いたけどさ、普通に昼間歩いているだけも抜群に美しい庭園全だよね。だから、僕は思うんだけど、猪子さんはこの昼の御船山楽園に夜の御船山楽園で勝たなきゃいけないよね。
猪子 いやいや、そんなおこがましいこと……。
宇野 いや、猪子さんはそれをやらなきゃダメなの(笑)。そもそもこの作品って、コンピュータの力を借りて初めて、目で見て耳で聞くことができる自然の要素があるんだというコンセプトだよね。前も少し話したかもしれないけれど、人間の五感は実は自然の全てを把握できていない。それに対して、猪子さんは例えば四国の山奥でやった『増殖する生命の滝』は、人間は把握できない長い生命の連続性を、デジタルアートを当てることで把握できるようにしたわけだよね。昼ではなく夜の世界、その暗闇の中に現代のテクノロジーをぶつけることで、初めて浮かび上がって認識できる自然の側面があるんだということでしょ。
猪子 まあ、そうなんだけど(笑)。日常に生きていると、自分の生命が40億年もの間、数え切れない数の生と死の連続性の上に存在していることって、絶対に認識できないと思うんだよね。四国での作品は、滝によって圧倒的に長い時間によってできた岩の造形を使って、何か長い生と死の連続性の上に生命が存在していることを少しでも感じるような塊を創りたかったんだ。今回の御船山楽園も、岩や洞窟、もしくは森そのものの造形を使って、作品を創っているんだ。普段は誰も岩なんて見向きもしなくて、存在は忘れ去られていたんだけど。基本、桜やツツジが咲いた時と紅葉だけに注目が当たるから。
宇野 市民にとってはそういう存在なんだよね。さっきも言ったとおり、大村公園も全く同じで、桜が咲いたときにしか市民たちは興味をもっていなかったかもしれないけど、今回の展示によってその場所の魅力を再発見してもらえると嬉しいね。
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猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉 第21回「デジタルアートの力で“近代以前の歴史”を可視化したい!」(前編)
2017-06-29 07:00550pt
チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、現在チームラボの作品を展示している、北京や長崎県大村市、佐賀県の御船山楽園へと宇野常寛が実際に訪問し、猪子さんと語り合いました。前編では、「DMM.プラネッツ」とは別のアプローチで集大成となった北京での展示の全貌と、宇野の故郷の一つである長崎県大村市で開催中の展覧会について語り合います。(構成:稲葉ほたて)
北京の個展はチームラボの集大成?
宇野 今日は、先日僕が訪問した、北京のPACE BEIJINGで開催中の個展「teamLab: Living Digital Forest and Future Park」の話から始めたいな。僕の感想を言う前に、まずは現地の人たちのリアクションを聞いてみたいのだけど。
▲チームラボは、10月10日までPACE BEIJING (北京)にて個展「teamLab: Living Digital Forest and Future Park」を開催している。画像は展示作品の一つ「花の森、埋もれ失いそして生まれる」。
猪子 それがすさまじかったの! オープン前に前売りが2万枚も売れて、連日すごい行列になっているんだよ。中国のメディアもすごい来てくれたし、ロイター通信やCNNのような国際的なメディアも来てくれて!
▲『菊虎』
猪子 それに、中国で最も作品が高いアーティストの一人と言われている人も来てくれて、『お絵かき水族館』で絵を描いて遊んでるわけ! 自画像つきで、魚を描いてくれたりして、とても嬉しかったな。
宇野 僕が今回、なによりも話したいのは、展示会場の空間全体を包んでいた新作『花の森、埋もれ失いそして生まれる』についてなのだけど、猪子さんとしては、どういう感触なの?
猪子 これは、展覧会全体の空間そのものが一つの作品になっていて、複数の季節が空間全体に同時に存在しているんだよね。そしてその季節の移り変わりに合わせて、花々が、ゆっくりと場所を移り変わっていく。だから、自分のいる場所がさっきまでいた同じ場所なのか、わからなくなるんだよね。
だから、「森で迷子になる感覚」って前回話したけど、方向感覚を失って作品に埋没することによって、まるで自分が大きな世界の一部であるかのような感覚を創りたかったんだ。そして、迷いながら個別の作品を見て行ってほしかったんだ。タイトルの「埋もれ失いそして生まれる」には、そういう意味を込めたんだよね。
正直、この新作は実験作だったから不安もあった。というのも、そのコンセプトのわりに実は敷地面積があまり広くなくて、同時開催の遊園地まで合わせて1500平米だったの。「 DMM.プラネッツ Art by teamLab」(以下、「DMM.プラネッツ」)は3000平米とかだから、半分にも満たないんだよ。
ただ、いざやってみると想定していたよりもうまくいったと思ったんだけど……宇野さんはどうだった?
宇野 まず僕はこの企画自体がちゃんと成功していることにびっくりした。前回、コンセプトを前もって聞いてたんだけど、正直どうなるかが全然想像できなかったんだよね。というか、ぶっちゃけコンセプト倒れの可能性もゼロではないと思っていたんだよ(笑)。でも、いざ入ってみたら、完全に再現されていて驚いた。猪子さんの狙い通り、方向感覚を失って本気で迷ってしまったよ。
猪子 でも実際は、それほど大きな空間ではないんだけどね。
宇野 いや、実感としては「DMM.プラネッツ」よりも全然広く感じたね。歩きだすと、すぐにどこが入り口だったか、本気でわからなくなる。そして気がつくと、またいつのまにか同じ場所に戻ってしまう。「あれ、この作品さっきも観たな」って感じで何度もループしてしまったよ。
人間って、方向感覚を意外と明るさや色彩とかで判断してるんだな、と実感したね。この作品では周囲の四季が移り変わっていくじゃない? 目の前に秋のゾーンがあったはずなのに、10分後には季節が移り変わって他の季節に変わっている。で、そのことを頭ではわかっているはずなのに、ついついどの花が咲いてるかを基準に空間を把握しちゃうから、時間が循環するとすぐに位置関係を見失ってしまう。前もってコンセプトを聞いておいて、タネも全部知ってたのに迷ったのは、逆にすごいよね。
猪子 いやあ、嬉しいよ(笑)。
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落合陽一「魔法使いの研究室」直方体型人類とタイムマネジメント時代の終わり(前編)
2017-06-06 07:00550pt
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピューテーショナルな社会に向けた思想を考える「魔法使いの研究室」。今回は、普遍性と画一化によって規定された〈近代〉を更新し、人類を直方体型から解放する、コンピュータの個別最適化に基づいた新しい社会のあり方を説きます。※この内容は2017年3月25日に青山ブックセンターで行われた講演の内容を記事化したものです。
タイムマネジメントからストレスマネジメントの時代へ
落合 こんにちは、落合です。最近『超AI時代の生存戦略』という本を出しました。仰々しいタイトルがついているんですが、この本は最初は『ワーク・アズ・ライフ』というタイトルになる予定でした。どういう意味かというと、コンピュータが発達するにしたがって、人間の生活も見直されなければならない。ワークライフバランス、つまり、仕事とそれ以外の時間をどう切り分けてバランスを取っていくか。
たとえば、1日のうち7割の時間で仕事をして、残りの3割で、遊んだり寝たりする。これが近代の人間の働きかたの基本になります。この「労働」と「時間」の関係に最初に着目したのはカール・マルクスです。人間は時間あたりの労働によって価値を生み出すので、時間を労働力の単位として考えていく。13世紀にトマス・アクィナスが神性との関係の中で基礎付けて以来、「時間」は重要な価値基準のひとつとされ、その考え方は近代のマルクスの労働価値説にまで受け継がれてきました。
しかしながら、我々の労働の多くはコンピュータによって下支えされています。そこでは人間の能力が必要な仕事・不要な仕事が混在していて、時間ベースで区切るのには無理が出てきます。そのような社会において、僕たちの労働観はどのようなものであるべきなのか。
以前、堀江貴文さんと「仕事」をテーマに対談したとき、「機械に仕事を奪われた人間は遊ぶしかない」という話になりました。これは「人生のすべてを仕事にするしかない」ということで、我々は人生そのものを仕事と捉える事もできるし、同時に仕事そのものを遊びと捉えることもできる。この本はそういう「ワーク・アズ・ライフ」という考え方から生まれていて、その内容を一言で要約するなら「近代はタイムマネジメントの時代であったが、現代はストレスマネジメントの時代である」という問題提起です。
近代のベースとなった工業社会において安定した生産を行うには、労働者は全員クロックを合わせなければなりません。朝は何時に出勤して何時から仕事を始める、といった1日のスケジュールを常に考えながら行動する。そのため、近代以降の人間は、時計やスマートフォンといった時間を確認する手段を身に付け、今日が何月何日であるかを常に気にしながら生きています。これが近代のコレクトで、それに都合のいい人間を学校教育では育ててきたわけです。
日本の小学校では、朝礼で全員が並んで「前ならえ」をさせられます。これは工業製品の検品検査と同じようなもので、配置が終わったら、声を合わせて挨拶をすることで、クロック同期を行い、時間感覚が狂っていると「先生、あの子がずれています」とはじかれるわけです。ここで行われているのは、人間を生産性の高い工業製品に変えることです。決められたマス目の中に名前を書ける人間を育てることが学校教育の本質であり、その指示に従えない人がいると、社会システム全体が成り立たないわけです。
しかし、社会システムが成り立つかどうかは、コンピュータ至上主義の現在の世界では、全く問題になりません。社会システムに関わる作業は機械がやってくれるから、人間はそれ以外の領域で価値を生み出さなければならない。それに合わせて、工業製品のような人間を生産する教育も変わらなければならないはずですが、社会の変化に対応しきれず、しどろもどろな状態になっているわけです。
画一化の概念を持たない近代以前の社会――江戸・インド
近代以前において、人々はそこまで厳密にクロックを合わせてはいませんでした。
たとえば江戸時代。当時の社会はごみが出にくかったと言われています。なぜなら、職業が極めて細分化されていて、その職業から発生した不要物の処理系統が厳密に決められていたからです。つまり、「ごみ」という概念のラベル付けがないから、ごみが生じにくかった。我々にとって使い終わったペットボトルは「ごみ」です。それを「空いたペットボトル」という概念で捉えればリサイクルが可能ですが、「ごみ」としてまとめてしまうとリサイクル不能になります。この考え方はすごく重要で、あらゆる不要物を「ごみ」という単一の概念に包括して、まとめて燃やしたり埋め立てたりする。これは近代における合理化のひとつですが、江戸の町はそういうことをしなくても社会がまわるようなっていました。その代わり、一人当たりの生産性は低く、経済発展も望めません。移動に制限があり、幼児の死亡率が高く、餓死や伝染病による大量死も隣り合わせの社会です。
一方、インドでは日本とは違ったかたちで非近代的な社会システムが成立していました。インドの職業はカースト制度によって細分化されています。たとえば、トイレのドアを開ける職業、川で洗濯する職業、道端にいる牛糞を拾う職業までありました。それによって近代的な合理化をしなくても、細部が絡み合って全体を構成するような社会が成立していたわけです。一見、カオティックに見えますが、近代のように、既存の枠組みに当てはめるがゆえに生じる余剰はありません。
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猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第20回「都市生活者が忘れてしまった時間感覚・位置感覚を取り戻したい!」
2017-05-19 07:00550pt
チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、まもなく北京で開催される大規模な展覧会での新作から、現在計画中という「森のアート展」についてまで語りました。彷徨いながら、自分すら失うアート体験とは?(構成:中野慧)
「彷徨(さまよ)って、そして自分すら失う」展覧会
猪子 この5月から10月までの5ヶ月間、北京で大規模な展覧会をやるから、今回はその紹介をしたいのね。中国語でのタイトルは「花舞森林与未来游乐园」。つまり、花舞森林と、未来の遊園地の展覧会。
今回初公開の『花の森、埋もれ失いそして生まれる』(以下、『花の森』)が、会場全体を、まるで覆うように花が咲いている。場所によって咲いている花が異なっていて、とある場所では最初は5月の花が咲いているけれど、やがて6月、7月の花になり、逆に手前の空間が5月の花になり……というふうに、空間全体で花の分布が変わっていくの。
▲『花の森、埋もれ失いそして生まれる』
猪子 会場では、『花の森』が全体に展示されているなかに、他の作品が展示されている小さな空間や大きな空間があるの。花の分布は移り変わるから、ある作品の空間に入って、そこから戻ってきたら、景色が変わっているのね。さっきまでは目の前に咲き渡っていたヒマワリが、いまは向こうの方で咲き渡っている、といったような。
全体の花の分布が動いていくことによって、鑑賞する人は方向感覚を失って森に迷い込んでしまったようになる。まるで彷徨うように、そして彷徨っていくなかで、自分と作品の境界すら失っていく中で、いろいろな作品を見たり体験したりしてほしい、と思っているんだ。
宇野 なるほど。展示自体をひとつの作品で包み込むって、チームラボの作品では意外と今までやってこなかったよね。複数の作品を同じ空間に展示するもの(『teamLab: Transcending Boundaries』(London, Jan 25 - Mar 11, 2017))はあったけれど。
猪子 『花の森』が、その他の作品たちをゆるやかに包み込んでいて、鑑賞する人はその世界を彷徨いながら、作品の中に埋もれていくようなかたちにできたらいいな、と思う。
それと今回のメインになる新作は「Fleeting Flower」シリーズといって、『菊虎』、『牡丹孔雀』、『向日葵鳳凰』、『蓮象』という4つの連作なんだ。
▲『菊虎』
▲『牡丹孔雀』
▲『向日葵鳳凰』
▲『蓮象』
猪子 たとえば『菊虎』は、小さな菊の花がびっしりと咲ていくの。咲いていく菊の花々の中に、虎のイメージが描かれていく。花が咲き渡るにつれ、虎のイメージが明瞭に浮かび上がってくる。そして、花はやがて散るんだけど、それぞれの花は、散る瞬間にそのイメージを固定し、イメージの一部ごと散っていく。散った花とともにイメージの一部は消えんだけど、再び咲いてくる花によってイメージの部分は再び補われて、他の花々とともに、イメージ全体を描き出していくんだ。
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【最終回】落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第6回 インターネット時代の新帝国主義(後編)【毎月第1木曜配信】
2017-05-11 07:00550pt
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピュータに規定された社会とその思想的課題を描き出す『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』。〈物質〉と〈実質〉の境界が失われ、人間中心主義ではなくなっていく世界の中で、GoogleやFacebookに代表される新帝国主義に対抗する、オープンソース的な「穏やかな世界」の実現を考えます。(構成:長谷川リョー)
働かずして富を得るか、働かずして貧しくなるか
インターネット以降の世界の覇権争いにおいて、勝利国家となったのはアメリカでした。そして現在、唯一それに対抗しうる国家といえるのが中国です。
中国のインターネットといえば、中国共産党にとって不都合な情報へのアクセスを遮断する国家規模の巨大なファイアウォール「金盾」がよく知られています。当初、この施策は「グローバリズムに乗り遅れている」と揶揄されていましたが、しかし彼らは、このファイアウォールを築いたことにより、インターネットにおける米国の植民地支配から逃れることができました。アメリカで生まれたインターネットですが、中国国内のインフラはすべて中国製品によって代替されています。その巨大な市場によってAlibabaなどの中国企業は、一大勢力を築くに至りました。
翻って日本では、FacebookやTwitterを受け入れたことにより、結果的に国産SNSのmixiを潰してしまいました。日本人は気質的にソーシャルネットワークサービスと親和性の高い民族であるにも関わらず、グローバリズムの波を受けて、その全てがアメリカナイズされてしまったことは、残念といえば残念です。
ソフトウェアはハードウェアとは異なり、人間の内面にまで入り込んで影響を与えます。その「見えない檻」によって僕らは周囲を取り囲まれ、制御されている。その環境のことをユビキタス・コンピューティングと呼んだりもしますが、その「見えない檻」の向こう側、デジタルネイチャーに辿り着いたときに僕達が遭遇するのは、新しい自由なのか、あるいはさらなる争いでしかないのか。
そこで重要なトピックとなるのが「労働」についての議論です。今後は、最低限の労働で収入を得られる社会、いわば「楽園」に暮らす層と、それ以外の貧困層に分かれてくでしょう。前者では帝国的なプラットフォームが世界中からコミッションを徴収する仕組みによって、人々は働かずに豊かな生活を送ることができます。一方、それ以外の世界では、ロボットの普及によって人間の仕事は大幅に減っていますが、そこに暮らす人々は貧しい。
『銃夢』というSF漫画では、「ザレム」と「クズ鉄町」という2つの未来社会が描かれています。「ザレム」はカリフォルニア連合国のような様相を呈しており、クズ鉄町がそれ以外の全てとなっている。この世界ではロボット技術が普及し、人間は働かなくてもいいように統治されていますが、それでも「持たざる者」は仕事をせざるをえない。私たちを待ち受ける未来も、これと似たようなものになるでしょう。
しかし、こうした格差をテクノロジーのせいにするのはお門違いです。人類社会がテクノロジーに支えられていることは厳然たる事実であり、それ以前の生活に戻ることは不可能です。事実「植民地支配だ!」と言って、スマホを手放す人はいないわけで、今後も我々はこの世界で生きていかなくてはなりません。
ロボットによる労働の代替が進むと、お金よりも人間の時間をいかに占有するか、すなわち可処分時間でしか物事の価値を測れなくなるでしょう。たとえば、Facebookに1時間、Twitterに1時間、国産アプリに1時間、テレビに2時間使っている人がいるとします。すると、日本国に滞在している実質的な時間は3時間ということになり、3時間分の上がりを国家が、それ以外の2時間分の上がりを帝国が持っていくということになります。このように、可処分時間の割り当てが重視されるようになると、人々はアビリティ(才能、能力)ベース、もしくはアクションベースの発想になります。個々人のアビリティやアクションを、どのような配分で切り出して仕事にするのか、あるいはオープンソースに貢献するのか、ということを考えていくようになるでしょう。
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落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第6回 インターネット時代の新帝国主義(前編)【毎月第1木曜配信】
2017-04-06 07:00550pt
メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピュータに規定された社会とその思想的課題を描き出す『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』。今回は、〈物質〉と〈実質〉の境界を突き崩すデジタルネイチャーラボの研究、そしてGoogleとAppleによって成立した新しい帝国支配の核心に迫ります。(構成:長谷川リョー)
ヴァーチャル・リアリティに欠けている感覚を補完する
ここまでの連載では、「ネットワークに住み着いた人間と機械の共進化関係」という概念について論じてきました。
これまでの世界は、〈人間(生物)〉と〈機械〉、〈物質〉と〈実質〉という4象限に分割されていました。しかし、ネットワークによってあらゆるものが接続された現在、〈人間(生物)〉と〈機械〉、〈物質〉と〈実質〉の区分はあいまいになりつつあります。この4象限の中間地点に「オルタナティブ」が生成され、そこを中心に新たな価値基準が形成されていく。デジタルネイチャーラボでは、こういった変化が作り出す新しい世界について、日夜研究を進めるため、各象限の変換法や相転移を目指す研究を行っています。
たとえば、現在のヴァーチャル・リアリティに不足している要素に「触覚」があります。その例として、僕たちが朝、目覚めてから触るものを考えてみましょう。まず、パジャマやパンツといった衣服に触りますよね。朝食を食べるとき食べ物にも触る。あとは家から出るときにドアノブを触るし、出勤のために自動車のハンドルに触るかもしれない。会社に着いたらパソコンのキーボードにも触ります。
だけど、自動ドアになればドアノブは不要だし、ハンドルも自動運転車になれば触らなくてもいい。キーボードも音声認識になれば触らなくなります。そう考えていくと、一日中VRゴーグルを被ってヴァーチャルの世界で暮らしたときに不足する触覚というのは、実はかなり限られてくる。そうすると「人間が直接触るところはアナログでマテリアルなものが欲しいけど、それ以外はヴァーチャルでいい」という発想も出てきます。人間が触ることのない箇所は、マテリアルであるべきか、それともヴァーチャルでいいのか。これは各人の趣味嗜好の話でしかないし、突き詰めていくと「〈物質〉と〈実質〉のどちらを信じるか」という宗教的な情念に近づいていくでしょう。その世界では、私たちの考え方は今とはまったく違ったものになっているはずです。
ここでデジタルネイチャーの世界観を実現するための重要なテーマを3つ挙げてみましょう。
・「拡張現実/現実拡張」――存在しないものをあるかのよう見せる、存在しているものをさらに拡張する
・「データ化/物質化」――〈モノ〉をデジタル化する、〈モノ〉をコンピュータが操作する
・「人間機械化/機械人間化」――コンピュータによって〈人間(生物)〉を制御する、〈人間(生物)〉がコンピュータやロボットに乗り移る。
この3つのアプローチによってデジタルネイチャーという新しい世界観を実現するのが、我々のラボの目指すところです。
「拡張現実/現実拡張」――存在しないものをあるかのよう見せる、存在しているものをさらに拡張する
まずは「ディスプレイ」の研究から紹介していきましょう。弊ラボでは、プリンティング・マテリアル(刷版材料)の反射を自在に制御する研究を行っています。これは高澤和希くんという学生の卒論で、「Leaked Light Field」という技術です。皮財布や木製のボードの表面にドットが浮き上がっていますね。
▲Leaked Light Field at LAVAL Virtual Award
皮や木材といったアナログ素材の表面を発光させてデジタルな表現を可能にする。具体的には、マテリアルな素材の質感を損なわずに光を透過する、微細な穴を開ける加工技術を開発しているのですが、これはいわば、「物質的な素材」と「実質的な存在」の間を埋めるための研究です。
同様の技術で、光の反射を自在に制御することで、見る方向によって映る内容が違う鏡を作るという研究も進めていて、そこでは「視覚的な見た目」と「投影される事象」の間に、新しい関係を作り出すということを考えています。
この研究は後で紹介する素材研究の一面も含んでいます。
〈物質〉と〈実質〉の中間の研究の例としてもう一つ、これはタッチパット上で「動く心臓」を表現する技術です。
▲Cross-Field Haptics - SIGGRAPH Asia 2016 Emerging Technologies
タッチパットの画面に流体が敷き詰められていて、導電性幕により表面が凹んだり出っ張ったり変化することで、見た目だけでなく触り心地を再現できます。これは弊ラボの橋爪智くんの「Cross-Field Haptics」という研究ですが、液晶による見た目の表現と、触覚による感触の表現の間を埋めることで、独特の感覚を出現させています。
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