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タグ “ソーシャルゲーム” を含む記事 8件

『Fate/Grand Order』で英雄王を引いたよ。

 ども。いまのところ無課金で『Fate/Grand Order』を遊んでいる海燕です。  無課金でもけっこう遊べる、というかほぼ問題なく遊べる。  いやー、お金をかけずにこんなに遊んでいいのかというくらい時間を費やしていますね。  ストーリーは第二章の序盤まで行きました。例によってTYPE-MOONがシナリオを務めているわけですが、さすがにこなれた展開。  どこまで奈須きのこが手掛けているのかわからないけれど、十分に遊べることはたしか。  ただ、奈須きのこが関わっていると思うと一気に要求水準が高くなってしまうわけで、「もっと、もっとだ……!」と福本信行漫画に出て来るギャンブルマニアみたいに高みを望んでしまう。  実に個性的な面々が関わりあう掛け合いの面白さはとてもとても素晴らしいのだけれど、それを超えた大きな物語のうねりが感じられるかというと、もうひとつ。  「よくできた二次創作」という印象なんですよね。  このくらいなら西尾維新でも書けるぞと思ってしまいます(暴言)。  いや、清姫とエリザベート・バートリーの竜種サーヴァントコンビとか、とても可愛いのですが、それだけといえばそれだけ。  戦力度外視で戦闘に使いたいくらいには魅力的なのですが。  もっとも、「邪竜百年戦争オルレアン」とか「永続狂気帝国セプテム」とかいう中二心をそそる言語センスはさすがのひとこと。  何かめちゃくちゃ面白い物語が始まりそうに思えるものね。  課題だったシステム面も、最近、バランス調整が進んで、だいぶ遊びやすくなっているようです。  まあ、ソーシャルゲームの初期運用期間はどうしても完成度がいまひとつになるようで、いろいろ叩かれたりしているゲームではありますし、じっさい単調なところも多いのですが、シナリオの面白さとキャラクターの魅力ですべて許せてしまうというのがぼくの実感。  超面白いというほどではないけれど、魅力的なキャラクターがびしばしと出て来るところはやっぱり素晴らしい。  特に『Fate』の強みは可愛い女の子だけでなくさまざまな個性を持った老若男女が大量に出て来るところですね。  ダレイオス三世とか、萌え的な意味での人気が出そうなキャラクターではありませんが、強烈な個性がある。  ていうか、背が低かったという伝承のイスカンダルが大男になったために、かれより背が高いというダレイオスは超巨漢になってしまったんだな。  なんといいかげんな、という気もしなくはありませんが、まあ、そこがTYPE-MOONらしいともいえる。  TYPE₋MOONらしさといえば、今回はいままで以上に各キャラクターがデフォルメされていて、「TYPE-MOON世界史」とでもいうべき「もうひとつの歴史」を形作っているあたり、やはり面白いです。  アーサー王やジャンヌ・ダルクといった既出のキャラクターに加えて、カエサルとかカリギュラとか、モーツァルトとか「黒ひげ」ティーチとか、歴史上の偉人がたくさん出て来るのだけれど、どれも萌えフィルターがかかっていて、実にいまふうにデザインされているのがすごい。  ちなみに、戦闘でつまづく人もいるかと思いますが、ぼくは最初のガチャでヘラクレスを引いたので、戦闘にはそれほど苦労していません(自慢)。  あと、フレンドにレベル60のタマモキャットがいるので、非常に活躍してもらっています。  加えて、レベル50のアルトリアさんとか、かなり強い。  いやー、持つべきものはハイレベルのフレンドですね!  さらに自慢させてもらうと、先日、わくわくと二度目のガチャを引いたところ、キャンペーン期間中にのみ出るという英雄王ギルガメッシュが出ました(どやぁ)。 

『Fate/Grand Order』で英雄王を引いたよ。

「『艦これ』がしくじったようだな。しかし、奴は我らソシャゲアニメ化四天王のなかでは――」。

 『アイドルマスターシンデレラガールズ』最新話を観ました。  今回は大規模なフェスを目前に控えた合宿回。前作でもありましたねー。あいかわらず面白いです。  前作『アイドルマスター』は文句なしの傑作だったわけですが、『デレマス』もここまでその路線を踏襲して来ているようです。  ただ、たぶん前作と同じ路線だけで終わりはしないと思うので、二期を楽しみにしたいところ。  一期でほぼ各キャラクターの個別エピソードを(数人まとめながらとはいえ)消化したので、二期で何かチャレンジして来るかもしれません。いまから楽しみ。  今季のアニメでは『デレマス』の完成度は傑出して高いように思われます。  同じくソーシャルゲームのアニメ化である『艦これ』がさんざん叩かれてしまったこととは対照的に感じますね。  『デレマス』と『艦これ』はある程度共通した課題を抱えた作品だったと思うのですよ。  両方とも原作そのものが狭い意味での物語がなくて、それでいて設定はたくさんあるソーシャルゲームだという問題を解決しなければならない作品なんですよね。  で、どうするのかな?と思って見ていたんだけれど、『デレマス』は実にみごとな解決を見せてくれた感じですね。その一方で『艦これ』はこけてしまったようですが……。  もっとも、ぼくはあまりアニメ『艦これ』を叩く気にはなれなくて、まあ、ある程度は仕方ないよね、と思っています。  何といっても原作の設定をあまり開陳しすぎるわけにもいかなければ、破壊するわけにもいかないという「縛り」が大きい。  また、ヴィジュアル的なところも一から想像して設定する必要があったわけだし。  それは『デレマス』も同じかもしれないけれど、『艦これ』のほうがあきらかにむずかしい条件を抱えているよね、と思います。  もちろん、それらすべての条件を無視するという手もあった。たとえばひたすら萌え日常アニメに終始するという手もあったわけですよね。  魅力的なキャラクターはたくさんいるわけだから、それらを使ってひたすら甘ったるい演出の作品を作り出すやり方も考えられたと思う。  結果的にはそれは選ばれなかったわけですけれど、第4話みたいな艦娘キャッキャウフフアニメに終始していたら良かったんだよ、といういうひともいるかもしれない。  ぼくは第4話大好きなんですけれど(笑)。金剛型四姉妹がアイドルやるところが妙に好きでね……。  ただ、そう割り切ってしまうのも寂しい話だという気もしなくもないんですよね。  たぶんそれでもかなり面白いアニメができあがったかもしれないけれど、『艦これ』のポテンシャルを使い尽くした作品とはいえないわけですから。  結局、いまのところ、「ソーシャルゲームをどう映像にするか?」という問いへの完全なアンサーは出ていないと思うんですよね。  漫画とかライトノベルをアニメ化する方法論は長い歴史のなかである程度仕上がってきたわけなのだけれど、ソーシャルゲームをアニメにする方法論はまだうまくできあがっていないんじゃないか、ということです。  まあ、 

「『艦これ』がしくじったようだな。しかし、奴は我らソシャゲアニメ化四天王のなかでは――」。

ニートアイドル双葉杏は「働かなかったら負けだと思っている」人々の限界をあぶり出す。

 『アイドルマスターシンデレラガールズ』最新話を見ました。前回に続いて個別のキャラクターにフォーカスした一話完結のエピソード。  うーむ、中だるみというわけではないけれど、ちょっとテンションが落ちたかな。決して文句をつけるわけではないのですが、とにかく「いい人」しか出て来ない良質なファンタジーは前作で既に見ているので、今回は何かいままでにないことに挑戦してほしいということはあるかも。  ただ、何かしらシビアな設定を持って来てもだれも喜ばないという気もするので、あるいはこのくらいでちょうど良いのだとも考えられる。  とはいえ、このまま終わるようだとぼく的には既視感を感じてしまうことは否めない。ひと通り各キャラクターのエピソードが終わった後にどういう話を持って来るかで評価が決まるかな。  まあ、もちろん、ぼくが評価しなくてもほかに評価する人がたくさんいるので、何の問題もないのですが。  でも、前作『アイドルマスター』のファンとしては、何かしらの形で前作を乗り越えてほしい、あるいは少なくともひと味違うものを見せてほしいと望まずにはいられません。前作が素晴らしかっただけにいっそうそう思うわけです。  ちなみに最新話は「働いたら負けだと思っている」ぼくたちのニートアイドル双葉杏の大活躍の巻でした。  最後まで見ても「この子、どういうふうに騙されてアイドルになったんだろ?」という大宇宙の謎は解けないわけですが、杏のキュートさは堪能できます。こやつ、可愛いな! ダメ人間だけれど、ダメ生物だけれど、とにかく可愛い。  最近、この種のダメ人間キャラクターは色々な作品に出てくるようになりましたが、じっさいには「徹底してだらける」ってそう簡単なことじゃないと思います。  もちろん、一生懸命動いているときには何もしないで済んだらどんなに楽だろうと思うわけですが、それが現実になると苦痛を感じる。  どうにもパラドキシカルな話ではありますが、「一切何もしてはならない」と命令されたら、「頼むから何かさせてくれ」といいだす人が多数派なんじゃないかと思う。  一生何ひとつ成し遂げずにおわるというのもやっぱりちょっとむなしいですしね。そうじゃなかったら、だれも必死になってお金を稼いだりしないでしょう。  ほんとうに何もしないつもりなら、ただ生きていくために必要なお金なんてたかが知れているわけで、そこまであくせく働く必要はない。やはり人間は何もしない生活にほのかにあこがれながら、じっさいそうなってみると苦しむものなのだと思う。  ぼくは普段、水とパンと図書館(とネット)があれば生きていけると公言しているのだけれど、より充実した人生を送るためにはやはりどうしたって「生き甲斐」みたいなものが必要になってくるのかもしれません。  だからこそ、ハイパーニートのぼくですらちゃんと確定申告して税金払わないといけないくらいには働いているわけです。まあ、ぼくの「働く」って、健全な社会人の皆さまの「働く」とは、次元が違うかもしれないけれど。  いやー、しんどいわー、日夜じゃがりこ食べながらアニメを見たりするのしんどいわー。新作のカップヌードルを啜りながらネットで落とした映画を見たりするのもしんどいわー。ふー、楽な人生ってないものだなー。  ――殺意の波動を感じるのでこれくらいにしておきますが、とにかく気楽な人生を絵に描いて灰色に塗りたくったような生活をしているぼくですらそれなりの「労働意欲」みたいなものはあるわけです。  それはようするに 

ニートアイドル双葉杏は「働かなかったら負けだと思っている」人々の限界をあぶり出す。

『艦これ』がプラットフォームになる日。

 『艦隊これくしょん』のアニメ版をまったり見ています。まだ最新話まで追いついていませんが、いまのところなかなか面白いですね。  第1話の時点ではちょっとどうかと思ったんだけれど、しだいに調子を上げて来ている感じ。金剛型四姉妹が楽しいなー。こういう子たちだったのか。  まあ、原作を知らない人にとってはまったくわけがわからない世界設定だろうけれど、それはそういうものなのだと割り切るしかないのでしょう。  ぼくは原作のゲームも一応はプレイしているのですが、あまりハマらずにやめてしまったので、そんなにくわしくない。アニメを見て初めてわかったことも多く、なかなか新鮮です。  それにしても、『艦これ』のことがより詳しくわかるようになると、それだけでネット生活が楽しくなりますね(笑)。Twitterとかに流れて来るイラストとか短編漫画を見ているだけで楽しい。  おそらくみんなこういうものを求めて『艦これ』にハマっている側面も大きいのだろうな、と思わせられます。  そう、『艦これ』のような作品は、もはや単なるひとつのコンテンツではなく、さまざまなコンテンツやコミュニケーションのハブとなるエンターテインメント・プラットフォームなのですね。  オタクはある共通知識を前提にして話をすると昔からいわれているけれど、『艦これ』のことを知っていると、楽しめるコミュニケーションの幅が一気に広くなる。それも含めて「艦これ」の魅力なのでしょう。  その「楽しめるコミュニケーションの幅」を「砂場」に喩えた人もいたけれど、もはや、そういう作品周辺に広がる二次創作やコミュニケーション空間をも含めて作品を楽しむこと、ぼくの造語でいう「砂場消費」は、既存の「物語消費」や「データベース消費」ともまた一風異なる作品消化のスタイルとして定着したように思えます。  まあ、昔から映画について語り合うことは映画そのものより楽しかったりするわけで、何が変わったというわけでもないのかもしれません。ただ、そのコミュニケーション志向がより先鋭化したということは、既に各所で語られている通りです。  じっさい、『艦これ』そのものにはさほどハマれなかったぼくにしても、ネットに落ちている『艦これ』絡みのイラストや漫画、動画、音楽といったものを楽しんでいるだけで十分幸せになれてしまいます。  そこに公式のコンテンツを加えると、もはやそれだけで他のものは何もいらないくらい楽しめるのではないかと思う。  そうなのです、いまのご時世、べつだん『艦これ』じゃなく、『アイマス』でも『ラブライブ!』でも何でもいいのだけれど、何かひとつのプラットフォーム・コンテンツにハマっていると、もうそれだけでエンターテインメント生活が完結するくらいさまざまなことを楽しめるのですね。  これ、ある意味ではユーザーの囲い込みを行っているに等しいんじゃないかと思うくらいなのですが、そういうわけでもないんだろうな。 (ここまで1213文字/これから1364文字) 

『艦これ』がプラットフォームになる日。

絶好調『アイドルマスター シンデレラガールズ』の可能性を問う。

 三月になりました。春の息吹はまだ遠いけれど、真冬はとうに過ぎ去ったようです。ぼくは石田衣良の性愛小説『水を抱く』を読んでいます。あしたかあさってには読み終えて紹介記事を書くことができるでしょう。  石田衣良は何を書かせてもどこか淡白で情緒が薄い作家ですが、こういうダーク&ビターな話を書かせるとさすがにうまい。繊細な儚さと破滅的な魔性を共存させる「運命の女」に惹きつけられます。  が、いまは昏く物憂い物語世界にひたり切れるほど体力がないので、癒やしを求め平行してアニメを見ることにしました。今季の作品のなかでも非常に評価が高い『アイドルマスター シンデレラガールズ』。  録画したまましばらく放置していたんだけれど、ようやく神回と評判の最新話まで追いつきました。いや、これは素晴らしい。  『水を抱く』から世界を切り替えると、冷たい海の底から突然あたたかな海面へ浮上したようでくらくらしますが、まあそれはそれで味わい深い。  それにしてもよくできたアニメですねー。前作『アイドルマスター』もそれはそれは素晴らしい作品で、ぼくは映画監督のフランク・キャプラなんかを例にあげてその善性に満ちた世界を絶賛したものですが、『シンデレラガールズ』はまた一風変わった面白さがあります。  何といっても、物語がよくできている。シナリオレベルでの成果なのかどうかわかりませんが、非常に練られ考えられたストーリーテリングという印象。  正直、じっさいに見るまでは期待と不安が相半ばする心境だったので、第1話の練度の高さには驚かされました。いや、ほんと、ここまでレベルが高いものをテレビで無料で(衛星放送の料金は払っているけれど、それだけで)見られてしまう時代というのは恐ろしいものがありますね。  ハイクオリティなエンターテインメントが次から次へと湧いて出る魔法の壷を持っているようなもので、もうぼくの人生はウハウハとしかいいようがありません。まさにハピハピ☆  これは『艦これ』もそうなんだけれど、『デレマス』は原作がソーシャルゲームであるわけで、そもそも方法論的に困難を抱えていると思うのです。  端的にいうと、制作時点で既にキャラクターがとんでもなくたくさんいるということですね。ゲーム版の『デレマス』には現時点で200名を越えるキャラクターが存在しているそうですが、その全員を物語に絡めようと思ったら大変なことでしょう。  もちろん、べつだん、すべてのキャラクターをアニメに出したり、物語に絡めたりする必要性は必ずしもないんだけれど、でも、それぞれのキャラクターにそれなりのファンは付いているわけで、なるべく多くのキャラクターを登場させたほうがユーザーの満足度が高くなるはず。  しかし、もともと物語的な必然性からキャラクターが生み出されているわけではないということで、必然的に作劇的な問題が発生して来るのですね。  そうなってくるとどうしたって群像劇にせざるをえないんだけれど、アニメで膨大なキャラクターが絡む群像劇をやろうとするとそう簡単ではない。少なくともひと工夫が必要になってくることは間違いない。  で、『デレマス』はその作劇的な工夫がほんとうによくできていたと思うのです。第1話をわずか3人(実質2人)にフォーカスして描き抜いたところも良かったけれど、第2話と第3話で主要キャラクターの顔見世をして、あらためて第4話でキャラクター紹介をやるあたり、エクセレントとしかいいようがない。 (ここまで1430文字/ここから1840文字) 

絶好調『アイドルマスター シンデレラガールズ』の可能性を問う。

アニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』と『艦隊これくしょん』の違いが興味深い。

 最近、ちょこちょこアニメを見ています。何といっても先が楽しみなのは『ユリ熊嵐』ですが、他にもいくつか面白そうな作品があって、なかなか楽しい。  ぼくは地方在住なのですべてをリアルタイムで見るというわけには行きませんが、インターネットと衛星放送を駆使すればほとんど遅延なく大半の作品を見ることができるようです。いやー、ほんとうに素晴らしい時代ですね。それがセクシー。シャバダドゥ。  既に各地で話題が沸騰しているようですが、『アイドルマスターシンデレラガールズ』の初回が素晴らしい出来でした。このまま行けばかなりの名作が仕上がるんじゃないかな、と早くも期待は高まるばかり。  同じくソーシャルゲームをアニメ化した『艦隊これくしょん -艦これ-』のほうはもうひとつの印象が強いだけに、両作品の落差に着目してみたくなります。  そもそもソーシャルゲーのアニメ化、というか物語化にはどこかに無理があっておかしくないと思うのですね。  もともとがひとつの自然な物語を紡ぐように作られているわけではないわけで、それを一本の物語に仕立て上げることは、ある意味ではゼロから物語を作るよりむずかしい作業になるのではないかと。  それをみごとやってのけたように見える『シンデレラガールズ』のスタッフには感嘆するしかありません。それにしてもなぜここまでクオリティの高いアニメーションが仕上がったのでしょうか?  はっきりいって、事前にヒットが見込めるコンテンツだけに単純にお金がかかっているということも大きいのだろうけれど、あきらかにそれだけではない。とにかく仕事が丁寧なんですよね。愚直なまでに基本に忠実に制作されているイメージ。  おそらくこれも既に大きな話題になっていることだと思うけれど、数百人に及ぶ美少女キャラクターが登場している原作ゲームからあえて数人(実質2人)のキャラクターを選んで初回の物語を作り出した姿勢には驚かされました。  前作『アイドルマスター』の初回は主要なキャラクターを全員登場させて、ひとりひとりを紹介していった感じだったので、異なる方法論で作られている印象です。  で、これが実に決まっている。素晴らしい。あえていってしまうならば、『シンデレラガールズ』の初回に特別なケレンは何ひとつないともいっていいでしょう。  まず主人公を登場させ、その動機(モチベーション)を語り、ほかのキャラクターと絡ませ、ひとりひとりその個性を紹介していく――といった、あたりまえといえばあたりまえの方法論。  一切登場人物を紹介することなくいきなり物語を語り始めた『冴えない彼女の育て方』の初回(正確には第0回みたいだけど)あたりと比べても、むしろ地味とすらいえかねないやり方です。  しかし、正統には力が宿り、王道には魔法が生まれる。シナリオ的にはそこまで特別なことは何もやっていないにもかかわらず、『シンデレラガールズ』は強い印象を残す初回を生み出すことに成功しました。  じっさい、あらゆることがハイレベルに仕上がっているということは、ここまで強い印象を残すものであるということには、いまさらながら驚かされます。  もちろん、「シンデレラガールズ」というタイトルからもわかるように、これから膨大なキャラクターが登場するのでしょう。原作にはちょっとテレビアニメの枠に収まり切らないくらいのキャラクターが存在しているのだから当然です。  しかし、それらのそれぞれに魅力的なのであろうキャラクターたちに幻惑されることなく、まずはごく少数のキャラクターにのみ焦点を絞って物語を作り始めた監督以下スタッフの英断には心から拍手を送りたいと思います。  どうやら、この一作はソーシャルゲームを映像化するための方法論を確立させたといってもいいようです。つまり、「何が変わったわけでもない。王道の方法論を丁寧に実践するやり方はこれからも通用する」ということです。 (ここまで1605文字/ここから1475文字) 

アニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』と『艦隊これくしょん』の違いが興味深い。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年生。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼は〈kaien2990@gmail.com〉まで。

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