• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 4件
  • 個人の立場が平等になればなるほど、幸福になる才能の格差があきらかになる。

    2016-07-02 18:36  
    51pt

     いまさらながら永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を読みました。
     すでに各所で話題のこの本、人気のあまり品切れが続き、電子書籍刊行の予定が早まったそうです。
     読んでみると、じっさい面白い。30歳を目前にして「さびすぎ」る日常を送る著者が、一念発起して「レズ風俗」へ行きちょっとだけ人生を前進するようすがセキララに描かれています。
     セールスポイントは物事を綺麗ごとに落とし込まない点にあるといっていいでしょう。
     自虐と自傷でズタボロになっている自分を分析するところから始めて、それならどうすればいいか? どうすれば「人生の甘い蜜」を啜れるのか? と著者が思索を進めていくようすは事実だけがもつ迫力に充ちています。
     「レズ風俗」という言葉を見て購入をやめる人もいるかもしれませんが、少しでも気になる方はぜひ読んでほしいですね。
     これは歳をとってもまったく大人になれない人間の実
  • 同性愛という概念はいつ頃生まれたのか知っていますか?

    2016-04-27 12:10  
    51pt

     牧村朝子『同性愛は「病気」なの?  僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル』を読みました。
     『百合のリアル』の著者によるタイトル通りの本です。

     同性愛を「病気」、あるいは「犯罪」とみなし、さまざまな方法で「診断」、「分類」しようとした人々、そしてそれに対抗しようと試みた人たちの歴史を紹介しています。
     あなたは「同性愛(Homosexual)」という言葉、あるいは概念がいつの頃からあったものか、だれが作り出したものかご存知でしょうか?
     おそらくご存知ないでしょう。ぼくも知らなかった。なんとなく太古の昔からあるように思っていました。
     しかし、歴史的に見ればごく最近まで「同性愛」という概念は存在しなかったのだそうです。
     ひとはみな異性を愛するように生まれついているのだと素朴に信じられていて、同性との性行為は「病気」とか「犯罪」とされていた。
     それが「同性愛」という言葉で捉えられるようになるのは、1869年にケルベトニという人物が論文で発表したところから始まるのだそうです。
     つまり、「同性愛」という概念は、わずか150年ほどの歴史しかないわけです。
     そこから同性愛が「人権」として認められるまで、さまざまな人々の、まさにさまざまな苦闘がありました。
     そしてまた、その一方で「同性愛は病気である」とした人々の偏見や決めつけの歴史もまたあったのです。
     この本には、そういったこっけいとしかいいようがないような「同性愛治療法」の数々が紹介されています。
     しかし、ひとつひとつはこっけいであっても、現実にそれが通用してきた歴史があることを考えると、まったく笑えません。
     たとえば、ナチスでは「人工睾丸」を同性愛者に移植するという手術が行われていたという話を聞くと、おぞまさしさに震える思いです。
     「同性愛者」の歴史は、被差別と偏見にさらされてきた歴史でもあるということ。
     しかし、著者は過大な被害者意識に溺れることなく、あくまで淡々と、ときにコミカルに「同性愛」病理化の歴史を追いかけていきます。
     同性愛は生まれつきなのかそれとも後天的に身につけるものなのか? 幾人もの学者たちの多様な論説が紹介され、それらの問題点が現代の視点からつまびらかにされたのち、ついに「伝説の心理学者」エヴリン・フーカー登場に至ったときには大きなカタルシスがあります。
     当時、女性ひとりで男性社会に切り込んでいったこの人物は、友人である同性愛者フロムの頼みによって、当時の「同性愛研究」の権威的な学者たちに対して、こんな形で「挑戦状」を送りつけたといいます。

    ・フロムの人脈を生かし、男性同性愛者を(刑務所からでも病院からでもなく)30人集める。
    ・続いて、男性異性愛者も30人集める。
    ・合計六十人の被験者に、ロールシャッハ・テストなど、当時主流であった心理検査を受けてもらう。
    ・その結果をまとめたうえで、被験者のプロフィールだけ隠して心理学会の権威に提出し、「あなたたちはこの心理検査結果だけで同性愛者を見分けることができますか?」と問う。

     心理学会のお偉いさんたちは、自信満々でこの挑戦を受けて立ち――そして、だれひとりとして正解する者はいませんでした。
     やがて、百数十年に及ぶ長い長い「同性愛」病理化を巡る戦いは終わりを告げることになります。
     1973年、 
  • ひとが「アイデンティティ」を捨て去るとき。

    2016-02-12 12:03  
    51pt

     『同居人の美少女がレズビアンだった件』。
     フィクションとしか思えないようなタイトルですが、これは(いくらかデフォルメされているところがあるらしいとはいえ)ノンフィクションの漫画で、そしてここでいう「同居人の美少女」とは『百合のリアル』の著者である牧村朝子さんのことです。
     この本はその「レズビアンの美少女」を主人公に、彼女の恋の顛末を語った一冊。
     波乱万丈、痛快無類、とても面白い本なので、『百合のリアル』と合わせてオススメです。
     『百合のリアル』と違ってこちらはKindleで買えるのもありがたい。
     まあ、そういうわけで、「レズビアン」に興味がある人にもない人にも、オススメの一冊なのでした。
     このタイトルでレズビアン「だった」と書かれている通り、牧村さんは最終的には「レズビアン」という「アイデンティティ」を放棄してしまいます。
     「自分は自分」。それで十分だと考えるようになるのですね。
     これは社会的にマイノリティに置かれた人がいかにして自分に誇りを持ち、なおかつその誇りすら捨て去るか、というプロセスとして、きわめて興味深いものに思えます。
     社会的に弱者である人間は、社会から身を守るためになんらかの「アイデンティティ」を必要とします。
     それは社会が押しつけて来る「カテゴリ」とは別物で、当事者が自ら選択する「プライド」です。
     「ホモ」と呼ばれていた人たちが「ゲイ」と名乗ったのはその典型的な一例でしょう。
     そして、その「プライド」はしばしば「少数派である自分たちこそほんとうに素晴らしい存在なのだ」という域に達します。
     たとえば「ブラック・イズ・ビューティフル」といった言葉がありますね。
     そういった言葉は社会において弱者の立場に立たされてきた人々がどうしても持たざるを得なかった「プライド」であるに違いありません。
     しかし、社会が変わって行くとなると、必ずしもいつまでもその「プライド」を保ちつづける必要があるわけではありません。
     「自分たちこそがほんとうは優れている」という「プライド」の論理は、逆説的に自分たちを孤立させているわけで、歴史的な過程のなかで必要とされる一プロセスではあるにせよ、どこかの時点で捨て去ることもまた必要なのだと思います。
     これ、「オタクは知的エリートである」といった理屈もまったく同じであることがわかるでしょうか? 
  • モテるためにはどうすればいい? あるレズビアンの答え。

    2016-02-06 01:11  
    51pt

     以前から気になっていた『百合のリアル』という本を読みました。
     これが、とてもとても、とても素晴らしい内容だったので、皆さんにオススメしなければと思っているところです。
     いやー、久々に良い本を読んだ。ジェンダー系の内容に抵抗がなければ、ぜひ読んでほしい本ですね。
     タイトルに「百合」という言葉は使われていますが、ジャンルフィクションとしての「百合」ではなく、「セクシュアリティ」一般について考察している書籍です。
     この問題について、ここまで平明に、かつ明快に書かれている本はちょっと読んだ記憶がない。
     内容的にもっと深遠な本は、フェミニズムやLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)系統の書物を探ればあるかもしれないけれど、このジャンルの入門編としてほぼ文句がない出来といっていいのではないかと。
     むしろ、シンプルすぎるタイトルが内容の奥深さを隠しているようにも思えますが、読み終えてみるとこのタイトルの意図するところもわかってきます。
     とにかくディープかつ明晰な一冊なので、百合に興味がある方もない方もぜひ読んでいただきたいところ。
     未だに電子書籍が出ていない(!)という欠点はあるものの、内容的には満点を付けたいくらい。いや、ほんと、素晴らしい。
     と、空虚な言葉を連ねていても仕方ないので内容を紹介したいと思いますが、ちょっとめずらしい形式の本なのでどう説明したものか迷う。
     基本的にセクシュアリティを巡るさまざまな知見や価値観について書かれた内容なのだけれど、それがとある恋愛セミナーの「マヤ先生」と生徒たちの対話、という形式で書かれている点に特徴があります。
     また、各章の合間には著者からの「手紙」も挟まれていて、読者はそれらを通じて少しずつセクシュアリティの問題について学び、考えていくことができるようになっている。
     著者は女性として女性を愛し、一般に「レズビアン」として「カテゴライズ」されるタイプの女性なのだけれど、自分では自分をそう定義する必要は感じていないらしい。
     ただし、その境地に至るまでには長い葛藤の歴史があったようです。
     また、世間的には「レズビアンタレント」という「カテゴリ」で活動している人物でもあります。
     この人の性格や来歴については、ほかにくわしく語っている本があるのだけれど、その話はまたいずれ。
     さて、一般的には「レズビアン」と呼ばることが多い立場である著者は(こう書いてみても、「一般」ってなんだ?といった疑問は浮かぶわけですが)、「マヤ先生」の講義という形で、セクシュアリティについてのさまざまな知見を紹介していきます。
     必ずしも「レズビアン」に限るわけではなく、もっと広く、人間ひとりひとりの存在と生き方についての話が続きます。
     まず「モテるとは何か?」、「モテるためにはどうすればいいのか?」という話から始まり、しだいに人間の不思議、人間の認識の仕方の面白さへと話が進んで行く構成が秀逸。
     ちなみにこのこの「モテるためにはどうすればいいのか?」には、最後に簡潔な答えが出ます。
     このアンサーが実に目からうろこ。モテるための具体的なテクニックといったものではないものの、ちまたの恋愛指南本を100冊読んでもなかなか出てこないであろう秀抜なものです。
     ネタバレなのでここに書いてしまうのはためらわれますが、あまりに素晴らしいのでぼくなりに解釈して書くと、