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記事 12件
  • 萌え日常系ラノベに「リア充主人公」が登場する日は来るか?

    2016-12-22 20:21  
    50pt
     平坂読『妹さえいればいい。』最新刊を読み上げました。前巻で一気にストーリーが進んだのでこの巻ではどうなるかと思っていたのですが、物語は停滞することなく先へ進み、ひとつのターニングポイントへたどり着きます。
     同じ作者の前作『僕は友達が少ない』では、物語は主人公が決断を避けることによって徹底的にひきのばされたのですが、この作品では正反対の方法論が採用されているように思えます。
     主人公はあっさりと決断を下しつづけ、物語はどんどん進んでいくのです。こうも真逆の方法論を続けざまに使いこなす平坂読の実力には驚かされます。すごいや。
     ネットで平坂さんの作品を取りあげてラノベ批判を行っている人たちのばかばかしさがよくわかります。どうして平坂読の次代を読む力量がわからないかな、と思うのですが、わからないんだろうなあ。
     もちろん、作品の評価は人それぞれではありますが、あまりにも議論のポイントがずれて
  • 作家は読者の奴隷ではないし、そうなってはいけない。

    2016-07-25 02:59  
    50pt

     『妹さえいればいい。』最新刊を読み終えました。
     前巻はほぼギャグ一辺倒で、面白いことは面白かったのですが、お話そのものは何も進んでいない印象がありました。
     しかし、この巻では劇的に物語が進行します。いやー、面白いですね。ぼくはこういうものをこそ読みたいのだと思う。
     物語が進むとは、ただ状況が変化することではありません。状況が「二度と元には戻らない形で」変化すること、それを物語が進むというのです。
     この巻で、主人公たちの恋愛状況はドラマティックに変わり、そしてこの先、もう決して元に戻ることはありません。
     それは幸せなことではないかもしれないけれど、しかしとても印象的なことです。
     こういうものを読むとぼくはやはり「物語」が好きなんだなあと思いますね。
     平和で幸福で、どれだけ読み進めても何ひとつ変化がないようなお話もいいけれど、でも次の瞬間何が起こるのかわからないようなサスペン
  • 平坂読『妹さえいればいい。』はリアルな人間関係を綴るライトノベル。

    2015-11-18 17:51  
    50pt

     きょう発売の平坂読『妹さえいればいい。』の第3巻を読み終わりました。
     現在継続中のシリーズもののなかでは最も楽しみにしている作品なので、今回も手に入れるやむさぼるように読み耽ったわけですが、期待に違わず面白かった。素晴らしい。実に素晴らしい。
     いろいろな意味で現代エンターテインメントの最前線を突っ走っている作品だと思います。非常に「いま」を感じさせる。
     この巻まで読むと、この作品の特性がはっきりして来ますね。
     紛れもなくある種のラブコメではあるのだけれど、普通のラブコメみたいにすれ違いで話が停滞することがあまりない。
     各々の登場人物たちは自分が好きな相手の気持ちをはっきり悟ってしまうのです。
     だから、関係性はどんどん変化していく。
     しかし、悟ってもなおかれらはどうしても関係を変えることができずに悩むことになります。
     ここらへん、人間関係にリアリティを感じます。あまり都合のいいファンタジーが入っていないのですね。
     いや、このいい方は誤解を招くかな。
     もちろんファンタジーではあるのだけれど、ここでは「ひとを好きになったら、相手も好きになってくれる」といったご都合主義の法則がありません。
     いくら純粋な想いをささげていてもそれを表に出さなければ相手は気づかないし、反対に積極的なアプローチを続ける人物は相対的に高い確率で相手に好かれるという、あたりまえといえばあたりまえの現実があるだけです。
     ここがあまりラブコメらしくないというか、ライトノベルらしくない。
     ラブコメの法則といえば、「ツンデレ」などが象徴的だと思うのですが、相手がいくらいやな態度を取っても主人公は好意的でありつづけたりするわけです。
     でも、それはファンタジーであるわけで、現実にはいやな態度を取られたらその相手のことは嫌いになる可能性が高い。現実はラブコメのように甘くないのです。
     そういう意味で、この作品は現実的な人間関係の描き方をしていると思う。
     平坂さんは前作『僕は友達が少ない』の結末で、「表面的には仲が悪く見えるが、じっさいには仲良しの関係もある」という描写を裏返して、「表面的に仲良くしていても、ほんとうは嫌い合っている関係もある」という事実にたどり着いてしまったのですが、『妹さえいればいい。』でもそういうシビアな認識があちこちで顔を覗かせます。
     はっきりいってライトノベルの快楽原則から外れていると思うので、人気が出るかどうかはわかりませんが――現時点でそこそこ売れているようなのでまあよかった。
     この作品にはぜひヒットしてほしいですね。
     それはまあともかく、そういうわけでこの小説はあまりわざとらしく関係性がすれ違いつづけ、ご都合主義的に好意が操作されることがありません。
     その意味ではわりにむりやり関係性を停滞させようとしてあがいていた『僕は友達が少ない』とは全然べつの方法論で書かれた作品であることがわかります。
     同じ作家がたった一作でこうも違う価値観を提示できていることには、素直に感嘆するしかありません。
     平坂読すげー。ちゃんと前作から進歩しているんだよね。
     しかし 
  • プレイヤー全員が「自分以外はバカ」と信じるゲームの滑稽さ。

    2015-08-31 01:29  
    50pt

     平坂読の代表作『僕は友達が少ない』、通称『はがない』の最終巻を読み終わりました。
     面白かった! ライトノベルの一時代を画した作品として迎えるべき終幕を迎えたように思います。ありがとう、ありがとう。
     シリーズ通して素晴らしく面白かったです。
     それにしても、Amazonレビューのあの酷評の山はなんなのだろうな。
     読んでいるとげんなりしてくるので途中で読むのをやめてしまったけれど、あれはさすがに不当な評価が多いのではないかと思う。
     いつも思うことだけれど、ネットでレビューを書く読者層ってほんとうに保守的。
     ほとんど冒険も実験も許さないように見える。
     もちろん、個々の意見としては素晴らしいものもいくらでもあるのだろうけれど、総体として見ると、やたらに保守的だなあという意見になりますね。
     まあ、一般の読者はこんなものなのかな……。
     平坂読さんは世間に認められづらい作風で実に可哀想です。
     だれにでも書けそうに見えるんだろうなあ。じっさいにはものすごい才能と修練の結晶なのだろうけれど。
     この「「このくらい自分にだって書ける」と思わせる小説がベストセラーになる」という事実は何十年か前に中島梓が『ベストセラーの構造』で指摘していまして、けだし慧眼だったな、といまにして思います。
     まあ、このレビュー群だけではなく、最近、ネットでひとの意見を読みつづけることに神経が耐えられなくなって来ているぼくがいるのですけれど。
     あるいは退歩なのかもしれませんが、読めば読むほどにげんなりしてしまうのですね。
     なんだか何もかもどうでもいいように思えて来てしまう。
     だれもが自分だけは正しいと考えて、他人の非を鳴らしてばかりいる。そんなふうに見える。
     いや、べつだんぼくひとり高みに立つつもりはなくて、ぼく自身が何かひとことでも言葉を口にした途端に、そのどうでもいい正当性の競争に巻き込まれているのです。
     うんざり。
     それではどうすればいいのかというと、結局、沈黙するしか方法はないのかもしれない。
     無言の者だけが賢者でありえる。何であれ口にした瞬間に、その言葉の成否を巡っていさかいが始まる。
     どうでもいいといえばどうでもいいが、どうにも疲労させられる話です。
     ほんとうに自由でありたいのなら、黙るしかないということ。
     うーん、憂鬱な結論だね。
     もちろん、そうだからといってぼくなどは黙り込むわけにもいかないので、自分の責任のとれる範囲内で発言していくつもりであります。
     しかし、自分のいっていることがすべてではないということはどうにか自覚しておきたい。
     これがじっさい、むずかしい。
     世の中には、たしかに間違いなく正しいと思えることがあって、そういうことですら意見は四分五裂する。
     そしてまた、どうしようもなく間違えていると思えていることもあるけれど、そういうことさえ正しいと主張する人がいる。
     1000人いれば、1000通りの意見があるのが現実。
     しかし、ぼくも含め、ひとはそれを単色に塗りなおさなければ気が済まない性質があるようです。
     ひとが何か間違えたこと(と、自分には思えること)を主張するのが気に食わない。
     原発を停止しつづけるべきなのは(あるいは、再稼働させるべきなのは)あきらかなのに、それがわからない人物の愚かさが気に入らない。
     それが有名人だったりするとなおさらいやになる。だから、その意見を否定して、世界を正常に戻してやらなければならない。
     そういうふうに信じて、どれだけの人が泥沼の論争にひき込まれていったことでしょう。
     何がいいたいかというと、もうネットで自分の意見の正当性を巡っていい争うのはやめようということなんですけれどね。
     自分は正しい、正しい、正しい、お前は間違えている、間違えている、間違えている。
     そんなことを繰り返しいいあって何になるというのか? 
  • ライトノベルの主人公みたいに楽しく人生を過ごしたい。

    2015-07-20 01:11  
    50pt

     敷居さん(@sikii_j)がこんなツイートをしていました。

     読み損ねていた平坂さんの『妹さえいればいい』の一巻を電子書籍で買って読んでいるのだけど、めっちゃくちゃ面白い上になんか色々と共感する部分があってやばい。中高ぼっち気味で大学辞めてしばらく経ってからやたらと仲間が増えて家にわらわらと人が集まってくるとかそれは
    https://twitter.com/sikii_j/status/622647824845402113


     ツレの影響で海外産のビールにはまったりうちに遊びに来た人が家主が漫画読みながらダラダラしている横で勝手に台所使ってなんか用意したりなんか気が付いたら勢いで旅行してたりとかもうなんなのこれ。全部やっとるぞw
    https://twitter.com/sikii_j/status/622649056217567232

     ……時代とシンクロしていやがるなー。
     えー、ここでうらやましいとか妬ましいとかばくはつしろとかいいたいところなのですが、仮にぼくが同じことをやったら3日目くらいで精神がパンクして廃人になることが容易に予想できるので、実のところ特にうらやましくはありません。
     ただ、世間は広いなー、世の中には大変な人がいるなー、と詠嘆するばかり。
     思いつきで旅行するくらいはぼくにもできそうなので今度やろうっと。
     でも、新潟からだと飛行機がいくらか高くつくんだよね。羽田とか成田からだといまはほんとうに安くあちこちへ行けるようなのだけれど。博多行って屋台でラーメン食べたいなあ。
     それはさておき、とにかく『妹さえいればいい』が面白いです。
     昔々、敷居さんに奨められてハマった『らくえん』もそうなのだけれど、これって「学校生活を謳歌できなかった人間たちの第二の青春」の話なのですよね。
     そりゃ、ぼくとか敷居さんがハマるのも当然だわ。
     ぼくも敷居さんほど極端な生活をしているわけではないとはいえ、成人してからネットを通して仲間ができてわいわい騒いで楽しんでいるという点はいっしょ。
     それもだんだんレベルアップしてきていて、最近は自分でも「……いいのかな、こんなに恵まれていて」と思うくらいの域に達しています。
     このあいだ、日本に一時帰国したペトロニウスさんを祝うために某高級レストラン(食べログランキング4.0以上)でランチを取って、その後、友人の家に転がり込んで鍋をつつきつつラジオを放送したりしたんですけれど、そのときの幸せ具合は半端なかったですね。
     広大な邸宅を食事が取れるよう改装したというスペイン料理のレストランも素晴らしかったけれど、友人宅の鍋(と釣りたてのイカ)がとにかく美味かった。
     ペトロニウスさんなんか「和食うめー」、「イカうめー」と涙を流さんばかりの勢いで食べたあと、ラジオの途中で寝てしまうし。
     いやー、幸せでした。何年かに一回ああいうことがあると、それだけで暮らしていけるかもな、というくらい。
     まあ、それはあまりにスペシャルな体験なので、「日常の豊かさ」という文脈とは少々離れているかもしれないけれど、でも、こういうイベントが時々あることじたい、ぼくの現状を示していると思う。
     普段はプアだニートだといっているぼくだけれど、結婚とかしようと思わなければ十分に楽しく暮らしていけるくらいの収入はあるんですよね。
     ええ、それもこれも皆さまのおかげなんですが、それもあって、とにかく最近、あたりまえの日常のクオリティ・オブ・ライフが格段に上がっている気がします。
     それはもう、ひとを妬もうとかうらやもうとかほとんど思わない、思う必要がないくらいです。
     まあ、もともとぼくはひとを妬む気持ちがほとんどない人間なんですけれどね。
     それにしても、最近のぼくの人生は妙に充実してきているなあ、と思いますよ、ほんとに。
     そういえば、 
  • オタクとリア充の境界線を超えていけ。平坂読『妹さえいればいい』が日常ものの新境地を切り拓く。

    2015-07-19 02:28  
    50pt

     待ちに待った平坂読『妹さえいればいい』の第2巻を読みました。
     面白かった!
     ぼくの場合、現在刊行継続中のライトノベルで続きを楽しみにしているのはこれくらいなのですけれど、じっさい待つに値する面白さ。
     第1巻の要素を発展的に継続させているところが素晴らしい。
     ライトノベルの第2巻としてはお手本にしたいような出来といっていいでしょう。
     この巻のあらすじはこんな感じ。

     俺達はアニメの原作を書いてるんじゃない!
     妹バカの小説家・羽島伊月は、人気シリーズ『妹法大戦』最新巻の執筆に苦戦していた。 気分転換のためゲームをしたり混浴の温泉に行ったりお花見をしたり、担当への言い訳メールを考えたりしながら、どうにか原稿を書き進めていく伊月。彼を取り巻く可児那由多やぷりけつ、白川京や義弟の千尋といった個性的な面々も、それぞれ悩みを抱えながら日々を生きている。そんな中、伊月の同期作家で親友・不破春斗の『絶界の聖霊騎士』のテレビアニメがついに放送開始となるのだが――。
     妹と全裸に彩られた日常コメディ、第2弾登場!!

     そういうわけで、この巻のメインイベントは不破くんの作品のアニメ化ということになります。
     紛らわしい帯の文句のおかげで『妹さえいればいい』そのもののアニメ化が決まったと思い込んでいる人も散見されますが、残念ながらそうではない、あくまで「アニメ化のエピソード」が挟まれているというだけのことです。
     この巻のクライマックスではそのアニメ化の顛末が描かれることになります。
     具体的な内容に関するネタバレは避けますが、さすがというか、非常に攻めている印象が残りました。ここまで踏み込んでくるとは思わなかった。
     さらなるラブコメ展開への伏線も張りつつ、物語は進んで行きます。
     もちろん、そのあいだにテーブルトークRPGをしたり、お花見を開いたりと楽しいイベントは目白押し。お色気もあるよ☆
     ここらへんの日常描写のさじ加減はさすがに『はがない』の作家というべきか、まったくそつがありません。
     よくこの小説が売れるのはエロが多いからだといういい方をされるのだけれど、エロいラノベなんて掃いて捨てるほどあるわけで、その点はほかの作品との差別化になってはいないでしょう。
     『妹さえいればいい』がヒットしているとすれば(Amazonを見る限り相当売れているようですが)、それは純粋に作者の技量のたまものです。
     ライトノベル作家を主人公に楽しい日常を描く、それだけならきわめてありふれた素材であり、料理であるといえるでしょう。
     しかし、料理人の技量の差は細部に表れます。 
  • 平坂読『妹さいればいい。』は動機がない時代のバイブルとなるのか。

    2015-07-02 04:00  
    50pt

     七月です。今年ももう半分終わってしまいましたね。
     この半年、いろいろありましたが、厭なことは忘れてゼロからスタートしたいと思います。よろしくお願いします。
     さて、当然、厭なこともあれば良かったこともあるわけで、上半期はたくさんの面白い作品と出逢えました。
     そのなかでも個人的に高い評価を与えたい作品といえば、平坂読『妹さえいればいい。』がまず挙がります。
     一見するとライトノベル作家の他愛ない日常を綴っただけの作品とも見えかねないものの、じっさいには壮絶に計算されつくした一作とぼくは見ました。
     日常系ライトノベルもここまで来たのかと感嘆せずにはいられないという意味で、今年のベスト候補です。
     もちろん、シンプルに一本のラブコメディとして読んでもめちゃくちゃ面白い。
     ただ、これをぼくのようなすれっからしの読者ではない、いまの若い層が読んで面白いと思うかというと、それはよくわからない。
     Amazonなどでくり返し指摘されている通り、「一本の小説としての起承転結が構成されていない」作品だからです。
     物語はなんとなく始まりなんとなく終わっているように見えます。
     おそらくじっさいには見た目に反して精密な計算があるものと思われますが、それにしても一貫したストーリーは存在しないといってもいいくらい極端な構成に仕上がっている。
     一般的な意味での「物語」がないのです。
     そのかわり、くり出されるネタの「手数」で勝負している印象。
     いわば一撃入魂の必殺パンチではなく、計算ずくのコンビネーション・ブローで戦っている作品といえるかと思います。
     それでは、なぜ極端に「物語らしさ」を欠いたプロットになっているのか?
     もちろん、 
  • そこに童貞マインドはあるかい? 日常系ラノベがオタクファンタジーを捨てるとき。

    2015-04-03 12:46  
    50pt


     いまペトロニウスさんとLINEで話していた内容がちょっと面白かったのでメモ。
     平坂読『妹さえいればいい。』の話なのですが、これ凄いよね、さすがだよね、でも単純に面白いかというとどうなんだろう――という内容だったのでした。
     というのも、『妹さえいればいい。』は「あまりにも成熟しすぎている」作品に思えるからです。
     すべての登場人物がバランスよくトラウマとかコンプレックスを抱えていて、「特権的なリア充」とか「特権的な非リア」とかが存在しない。
     しかも各人物はみな自分の人生に責任をもてる大人で、特別大きな「欠落」といったものはない。
     したがって、極端な行動に出る動機がない。「いまこのとき」をひたすら幸せに過ごす――ただそれだけといえばそれだけの物語になっている。
     それは中高生向きの作品としてどうなのか、ということです。
     さすがペトロニウスさんはクリティカルなポイントを突いてくるなあ、と思うのですが、そうなのです。
     『妹さえいればいい。』は恐ろしくよくできた作品なのですが、それでもあえてひとつ足りないところを挙げるとすれば、「童貞マインド」が足りないとはいえると思うのです。
     世界が成熟しすぎている。童貞くささがない。中二病もない。
     いかにもそれっぽく装ってはいるけれど、じっさいはそこからは遥かに遠い。
     これは大人の小説なのです。
     前作『ぼくは友達が少ない』は「友達がいない自分たち」と「友達がたくさんいるリア充」を比較することによって、その「落差」でドラマを駆動していました。
     そう、面白い物語には必ず「落差」があります。
     王子とこじきでもいいし、光の鷹と狂戦士でもいいのですが、とにかく極端なコントラストが描けていればいるほどその物語は面白くなります。
     しかし、社会が成熟していけばいくほどに、そういう「格差」は失われていくのですね。
     『妹さえいればいい。』はあきらかに意識して「友達さがし系」の「次」を狙って来ているわけなのですが、そしてそれはきわめて考え抜かれた計算の結果だということもわかるのですが、「ぼくは友達が少ない」という呟きに続く世界は「ぼくは何もかも満たされている」としかいいようがないものだったのではないか、と思わざるを得ません。
     いや、正確にはちょっとした「欠落」は全員が抱えているのだけれど、もはや大騒ぎしてそのトラウマを叫びださないくらい状況が洗練されている。
     なぜなら、だれもが何かしらのことは抱えているということはわかっているのだから。
     それでどうなるかというと、もうほんとうにただ楽しいだけ、の世界にたどり着いてしまったのですね。
     悪くいうなら、ここには確固たるドラマツルギーがない。なぜなら、ドラマを牽引するモチベーションが存在しないからです。
     「何も欠けていない」のだから、あえて現状を変革する必要もないということ。
     あたりまえといえばあたりまえのことですが、しかし、ここには「それでは物語が存在する意義は何なのか?」という深刻な疑義が挟まれる余地があります。
     伏見つかささんの『エロマンガ先生』なんかもそうなんですけれどね。
     ある意味で、もはや「問題は解決してしまっている」のです。必死になって解決しなければならない問題は、もはやべつにない。
     したがって、 
  • 『僕は友達が少ない』、『妹さえいればいい。』の平坂読はなぜ批判されつづけるのか?

    2015-03-21 19:53  
    50pt


     平坂読の最新作『妹さえいればいい。』をくり返し読み返している。
     面白いなー。面白いなー。
     一般文芸とはまったく異なるライトノベル特有の世界なのだけれど、ぼくとしては非常にしっくり来る。
     作中では主人公がAmazonレビューを罵倒していたりもするのだが、じっさい、この小説のAmazonレビューを見ると「まあ、罵倒したくもなる気持ちもわかるよな」と思えて来る。
     もちろん、普通に読んで評価している人もいるのだけれど、★ひとつ付けているレビュアーとか、あきらかに本編を読んでいないものなあ。
     まさに「アマゾンレビューは貴様の日記帳ではない!」といいたいところ。
     一方で「小ネタの連続ばかりでストーリー性が薄すぎる。その割には変な商売っ気だけはやたらと豊富」という★★の評価もあって、これは非常によく理解できる。
     普段からライトノベルを読みなれていない人が読むとこういうふうに思うだろうな、と。
     ただ、ある程度この手の小説に慣れている人間から見ると、やはりいくらか筋違いに思えるのもたしか。
     「普通の小説であれば、おそらく必要不可欠の要素である一冊の本を通してのストーリーと言うべき物が全く無いのである」ということなのだが、すいません、平坂読の作品は「普通の小説」ではないのです。
     『妹さえいればいい。』をあえてジャンル分けするなら、いわゆる「日常もの」にあたるだろう。
     この作品に「一冊の本を通してのストーリー」がないという指摘は正しいが、そういう物語は既に膨大な数が出ており、しかも読者に受け入れられているのだ。
     『ゆゆ式』にも狭い意味での「ストーリー」らしきものはほとんどないが、いまさらそれを問題視する人はほとんどいないと思う。
     たとえば『To Heart』あたりから数えるとすれば、オタク文化はもう既に20年くらい日常ものを描いている。
     『あずまんが大王』から数えると15、6年かな。
     一般的な意味での「ストーリー」がほとんど存在しないように見えるプロットは、ラノベ慣れしていない人にはさぞ奇妙に見えるだろうが、実はそれなりの歴史と伝統を背負っているのである。
     また、作中にオタクネタをやたらと散りばめるのも、既に何年も前に確立された方法論だ。

    そのストーリー性の薄さの代わりにやたらと詰め込まれていたのがラノベネタである
    ラノベ作家を主役にした作品なのだから当然だろうという方もいるだろうけど、ここで言う「ラノベネタ」というのが現実に出版されたラノベなのだから仰天させられた

     とあるのだけれど、これはべつに『妹さえいればいい。』の独創ではなく、いまのライトノベルにおいてはむしろスタンダードな方法論であるわけなのだ。
     そしてそういうやり方が採用されているのは「商売っ気」というより、単純に読者が喜ぶからだろう。
     じっさい、ぼくは217ページ5行目のネタで死ぬほど笑った。
     この種のジャンル自己言及はジャンルを狭いターゲットに向けて閉じていくから良くないという評価もあるとは思う。
     しかし、それをいいだしたらSFとかミステリが自己言及を重ねながら進歩していった歴史も否定されなければならないことになる。
     新本格ミステリなんて全部ダメになるんじゃないですかね?
     綾辻行人のクリスティネタとか有栖川有栖のクイーンネタは良くて、平坂読の『Fate』ネタ、『ソードアート・オンライン』はネタは良くない、という理由もないだろう。
     まあ、そんなことばかりやっていたから本格ミステリは商業的に衰退したんだ!といわれると一理ある気はしますが……。
     ここらへんはもうちょっと深堀りしないといけないテーマかもしれない。
     そういうわけで、このレビューの批判的な「読み」は、何をいいたいかは非常によくわかるのだけれど、あまりにもいまさらな指摘に思える。
     ラノベを読みなれていない人がそういうふうに感じることは非常に無理がない話ではあるのだが、現在のラノベではこの程度のことは善かれ悪しかれ常識なのである。
     つくづく思うけれど、ライトノベルを読むためにはライトノベル特有のリテラシーが必要なんだよなあ。
     「タイムパラドックスって何?」という人がSFには向かないように、「密室殺人ってどういうこと?」という人がミステリには適さないように、ライトノベルを読むためにはそれなりの知識と感性が必要になるということなのだろう。
     まあ、それが良いことなのかどうかということは、先述したようにたしかに議論の余地があるだろうけれど……。
     しかし、一方で『妹さえいればいい。』は非常に間口が広い作品でもあると思う。
     たしかにラノベ特有の異色の方法論を用いて入るのだが、見方を変えればほんとうにただの青春小説だからだ。
     オタク版『ハチミツとクローバー』だよなあ、と思うくらい。
     たしかに 
  • そしてぼくたちはリア充にたどり着いた。『はがない』平坂読の最新作がマジで新時代を切り開いている件。

    2015-03-20 11:02  
    50pt


     天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずというけれど、しかし現実には人間は平等なんかじゃないよね――と一万円札のおっさんは言った。 そのとおりだなーと京は思う。 人間は平等なんかじゃない。 可児那由多は、あたしよりも価値がある。
     平坂読といえばベストセラーシリーズ『僕は友達が少ない』(通称「はがない」)で知られているライトノベル作家だが、先日、その平坂の最新作が出た。
     「妹さえいればいい。」というわかりやすいタイトルに「日常ラブコメの到達点」というコピーが付いている。 『はがない』がわりと好きなぼくは「またまたまたまた」と思いつつ、読んでみた。
     ――素晴らしい。
     ぼくはブロガーとして、小説や漫画や映画についての意見を文章にまとめあげることを仕事にしていて、どんな作品のことであれ一応は饒舌に語り上げるテクニックは身につけているつもりだ。 だが、ほんとうに凄い作品と出逢ったときは「やばい」しか言葉が出ず、「やばいやばいやばいやばい」と書いては消し去る作業をくり返すことになる。
     『妹さえいればいい。』はまさにそんなやばい一作。 読み進めるほどに幸福感がつのり、「これはすごいのでは……?」という思いが「すげえ!」に変わっていった。
     いやあ、これはほんとすげえっすよ。 「やばい」とか「すげえ」とか抽象的な言葉ばかり使って内容がない書評はろくなものではないが、ついついそういう表現をしてしまうくらい面白い。
     2015年で接したすべての創作作品のなかで暫定1位。 べつだん、ぼくはライトノベルの栄枯盛衰自体はどうでもいいのだけれど、こういうものを読むと「ラノベ、まだまだいけるじゃん」と伊坂幸太郎作品のコピーみたいなことを思う。
     そういうわけなので、このブログの読者の皆さん及びどこからかリンクで飛んで来た方々はぜひ読んでみてください。とってもオススメです。
     あ、ライトノベルそのものに特に興味のない方はけっこう。 あらゆる意味でライトノベルでしかありえない表現をまとめあげた特濃の一作なので、ラノベ初心者は内容のクレイジーさに付いていけない危険がある。
     というか、そういう人は冒頭2ページくらいで読むのをやめると思う。ためしにそのあたりをちょっと引用してみよう。

    「お兄ちゃん起っきっき~」
     そんな声が聞こえて目を開けると、俺の目の前に全裸のアリスが立っていた。
     アリスというのは今年14歳になる俺の妹で、さらさらの金髪にルビーのような真紅の瞳が印象的な、文句のつけようのない美少女だ。
    「ん……おはようアリス」
     頭がぼんやりしたまま俺が挨拶をすると、アリスはくすっと笑って、
    「眠そうだにゃーお兄ちゃん。そんなねぼすけなお兄ちゃんには――」
     アリスの顔が俺に急接近してきて、そのまま――チュッ。
    「……!」
     アリスの柔らかい唇が俺の唇に押し当てられ、眠気が一瞬で吹き飛んだ。
    「目が覚めっちんぐ? お兄ちゃん」
     唇を離し、アリスは悪戯っぽく微笑む。その頬は少し赤い。
    「今日の朝ご飯はアリスの手作りだりゃば。冷めないうちに早く来てにゃろ」

     うん、頭おかしいですね。 大成功を収めたシリーズものの次の作品を、「お兄ちゃん起っきっき~」で始める平坂先生のアグレッシヴさにはマジで尊敬を覚える。
     ほんとうはこの先にさらなる狂気の世界がひろがっているのだが、それはゲンブツで確認してほしい。
     もちろん、すべてはあくまでネタであり、上記は主人公が書いた小説の一節という設定なので、この一節を見て「やっぱり読むのやめておこうかな」と思った人もどうか読んでやってください。
     いや、この種のギャグをまったく受け付けないという人は無理をしなくていいけれど、たぶんこれがこの小説における最初にして最大の障壁なので、ここで挫折してしまうのはもったいない。 繰り返すが、ぼく的には年間ベストを争う傑作なのだ。
     どこがそんなに面白いのか? 色々あるけれど、ようするにこの小説、才能と実力を兼ね備えたリア充連中がキャッキャウフフしている描写がひたすら続くリア充小説なのだ。そこがいちばん凄くて面白い。
     主人公は妹萌えが狂気の域に達しているライトノベル作家・羽島伊月。 かれとかれのまわりに集まってくるライトノベル業界の残念な奴らがたまに仕事をしながらひたすら遊んでいるという、それだけといえばそれだけの内容である。
     しかし、これが面白い。ほんとうに面白い。 ライトノベルの主人公をライトノベル作家にするのも、有名無名の実在作品を取り上げて作中に散りばめるのも、過去に作例があり、特に新しくはないのだが、この衒いのないリア充感は確実に新境地をひらいている。
     この小説のテーマはそのまま「メインテーマ」と題された一章に記されている。

     才能、金、地位、名誉、容姿、人格、夢、希望、諦め、平穏、友だち、恋人、妹。
     誰かが一番欲しいものはいつも他人が持っていて、しかもそれを持っている本人にとっては大して価値がなかったりする。
     一番欲しいものと持っているものが一致しているというのはすごく奇跡的なことで――悲劇も喜劇も、主に奇跡の非在ゆえに起きるのだ。
     この世界(ものがたり)は、だいたい全部そんな感じにできている。

     ここには「容姿」や「才能」や「金」に恵まれた人間が特別で、そうでない人間は不遇だという価値観がない。 「リア充」対「非リア」といったわかりやすい対立軸がさりげなく、しかし明確に解体されている。
     これはリア充を仮想敵にした上で、その実、かぎりなくリア充的な日常を描いていた『はがない』から確実に一歩を踏み出しているといっていいだろう。 もはや