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結婚相手には「ゆるオタ君」がいい? 女性向けの婚活本を読んで非モテの暗黒面がめらめらと燃え上がった件。
2016-04-25 21:4351pt
牛窪恵『「ゆるオタ君」と結婚しよう』読了。
「ゆるオタ君」に偏見を抱いているであろう世の女性たちに、実は「ゆるオタ君」は条件がいいよ、と教示する本です。
そのほかにも色々な意味で「圏外」と見られていた男性たちが出てきて推薦されるのですが、まあ、基本的にはそういう内容。
何を読んでいるんだお前はといわれるかもしれませんが、だって、タイトルが気になったのだもの。
女性目線で「ゆるオタ君」がどのように見られているか、皆さんも知りたいとは思いませんか?
ぼくは知りたいと思ったのだけれど――うーん、結論からいうと知らないほうが良かったかも。
ひさびさに読んでいて苛立ちが募る一冊でした。
いや、このタイトルから内容を推察しきれなかったぼくが悪いのだろうけれど、さすがにげんなりしましたね。
あくまで女性向けの本だと思われるので、男性が読むのがそもそも間違えているのかもしれません。
では、具体的にどういう中身なのかというと、「ゆるオタ君(アイドルオタク含む)」がいかに結婚相手として適切か、縷々綴ってある。
まあ、それはいいとして、ほんとうに「ただそれだけ」であるところがいかにも辛い。
曰く、AKB男は、真面目で博識、ピュアで浮気しない、女性をリスペクトしてくれるし、家事やイクメンに抵抗がない。だから、結婚するならそういう男を守備範囲に入れるべきだ、うんぬん。
一から十まで、条件、条件、条件。相手の個性や人格などまったく問題にしていないように思われてなりません。
当然ながら「AKB男」も人それぞれで違っていて、色々な人がいるはずなのだけれど、この本ではそういうことはまったく問題にされていません。
どこまでもかれらの結婚相手としての条件のよさがくり返されるだけ。
ぼくはひとりの「ゆるオタ」として、褒めてもらえてありがたいと感じるべきなのでしょうか?
ところが、どうしてもそういう気にはなれない。
というのも、結局のところ、ゆるオタだろうがなんだろうが個々人でそれぞれ違っているというあたりまえの認識を一足に飛び越えて、ある種のバイアスを押しつけているように思えてならないからです。
ただ、そのバイアスの種類が「ネガティヴな偏見」から「ポジティヴな偏見」に塗り替えられているところがいまふうではあるのだろうけれど。
「オタク」という言葉が一般化し、「オタク・イズ・デッド」が叫ばれ、「ライトオタク」が増えた結果として、かつて敬遠された「ゆるオタ」もまた結婚相手の条件として妥協できるところまで入ってきた、という話なのだと思います。
妥協。
そう、ぼくのひがみかもしれませんが、どうにも「イケメンとか三高は無理そうだから、妥協してこういう人で満足しておくといいですよ」といわれているようにしか思えないのですよね。
読書メーターにはこんな感想もあります。
よんでいて「とりあえずオタクetcみたいなので我慢しときましょう」「一応は結婚するけどこれは妥協ですよ」的、上から目線でコイツは何様!?と思った。まぁ女性対象の本だからそういう煽り方なのかもしんないけど、世の中の考えが「妥協」という言葉に向かうのは嫌だ。少なくとも男性陣は読まない方がいいかも。
http://bookmeter.com/b/4062176882
これはこれでおそらく偏った感想でしょう。著者にはそんな意図はないのかもしれません。
でも、 -
『ファイアーエムブレム』への同性婚システムの導入にまずは大きな拍手を送ろう。
2015-06-25 02:2051pt
任天堂は6月24日、ニンテンドー3DS向けソフト「ファイアーエムブレムif」(25日発売)で、主人公キャラクターの同性婚が可能になっていることを明らかにした。同社が昨年発売した「トモダチコレクション」欧米版では同性婚ができないことで批判を受け、「次作では努力する」としていた。同社は今回の対応について「ゲーム体験は、当社が事業活動を行う地域社会における多様性を反映させたものであるべき」とコメントしている。http://news.nicovideo.jp/watch/nw1659408
というわけで、『ファイアーエムブレム』の最新作で同性婚が可能になったようだ。
『ファイアーエムブレム』の結婚システムはスーパーファミコンの『聖戦の系譜』以来のものであるわけですが、ついにそこに同性同士の関係が導入されたわけで、長年のファンとしてはなかなかに感慨深い。
より保守的であることも可能であろう局面で、革新を選んだ任天堂の判断にひとまずは拍手を送りたい。
じっさいにゲーム内でどのような描写になるのかはやってみないとわからないところだが、プレイしてみたいという意欲は増した。
ただ、「ゲーム体験は、当社が事業活動を行う地域社会における多様性を反映させたものであるべき」といわれると、一抹の違和感を覚えないこともない。
いや、文言としてはもちろん正しいのだが、多様性を反映させる方法が「主人公を異性、同性ともに結婚させることができるシステムを導入する」ことであるのかどうか、ぼくとしては微妙に迷うところだ。
というか、『ファイアーエムブレム』一作がその手法を導入することは問題ないのだが、それがスタンダードとして今後のゲームにおいても活かされるべきかというと、そうとは思えない。
あくまで『ファイアーエムブレム』一作の手法としては高く評価するというのがぼくの判断になる。
とはいえ、任天堂のテレビゲームに同性愛の描写が導入されることはやはり画期的であり、その判断は偉大な英断であるといえる。
ぼくとしては、それがなんらかの政治的な強制力を持たない限り、コンピューターゲームに同性愛の描写を増やしていくことには無条件で賛成だ。
なんといっても、現在の状態が社会の実情を反映していないことは明白だからである。
敵、味方の双方に一定の割合でLGBTがいることを前提としてシナリオが組まれてもいい。
というか、そうなることが自然ではないだろうか。
ただ、そういった配慮をシステムに落としこむときに、同性結婚を許容するという形が唯一の正しいあり方かというと、ぼくはそうは考えないということだ。
ほかにもいろいろな方法論が考えられるだろうし、「恋愛/結婚描写が存在するゲームの主人公はバイセクシュアルであるべき」といえるかというとそうではないだろう。
『ファイアーエムブレム』の方法論はひとつのやり方として尊重されてしかるべきだが、ほかのゲームはほかのやり方を考えてもいいと思う。
LGBTを含む多様性の描写が「唯一の正しいあり方」に収斂していくのではなく、「無数の多様なあり方」に拡散していくことこそが、最も重要だと考える。
ただ、いままでの国産ゲームでは「異性愛を前提とした異性婚に限定したシステム」以外がほとんどない状況だったのだから、それに比べれば一歩進んだとはいえるだろう。
まあ、じっさいにプレイしてみないとその革新性についてはなんともいえないということも事実だが。
いまの時点でああでもないこうでもないということは早計であるかもしれない。
しかし、
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