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あなたは岡田斗司夫を「仲間」とみなしますか?
2015-01-28 06:2551pt
いま、岡田斗司夫さんの『僕らの新しい道徳』という本を読んでいます。「道徳」をテーマにした対談集で、この本のなかに『週刊少年ジャンプ』が道徳の記事として良いのではないか、という話が出て来ます。
たとえば、1980年代の『週刊少年ジャンプ』は「友情・努力・勝利」をテーマにしていましたが、この場合の「友情」は、フランス革命でいうところの「友愛(フラタニティ)」に近い。フランス革命はスローガンとして「自由・平等・友愛」を掲げていたけれど、これはあくまで目的を同じくするメンバー間の友愛であり、平等でした。フランス革命は全人類の平等を訴えたのではなく、共同体に属しているメンバーが平等であって互いに助け合おうと訴えたのです。
道徳には、有効範囲が設定されています。自分が共感できる仲間の範疇でしか道徳は共有できませんし、時代によっても変化します。1980年代の『週刊少年ジャンプ』読者と、2010年代の読者では、道徳観は違って当然。普遍でも不変でもなく、流行がある。だからこその『週刊少年ジャンプ』です。
この話は非常に面白い。ここでちょっと余談に走ると、個人的に「努力・友情・勝利」というスローガンから「努力」が抜け落ちて「友情」と「勝利」のみが強調されるようになったのがいまの『週刊少年ジャンプ』なのかな、と思っています。
仮に「努力」が抜け落ちたところに何か言葉を入れるとしたら「個性」とか「工夫」といった表現が入るのではないでしょうか。これはやっぱり「努力すればそのぶん成功するものだ」という幻想が説得力を失った結果なのではないかと思うわけなのですが、まあそれはいい。
重要なのは、ここで岡田さんが「道徳には有効範囲がある」として『ONE PIECE』を例に挙げていることです。これはすごくよくわかる話です。
『ONE PIECE』の主人公である海賊少年ルフィは「仲間」を強調し、仲間のためなら命をも惜しまない姿勢を強調します。
それが読む者の感動を呼ぶわけですが、一方でルフィは「敵」とみなした人間に対しては容赦しません。徹底的に暴力を振るうことでかれの考える正義を実行します。
「仲間」とみなした人間には最大の共感を、「敵」とみなした人間には最大の攻撃を。これがルフィの道徳だといっていいのではないでしょうか。
その態度は物語中ではポジティヴに描かれていますが、一面で独善性を伴うことも否定できない側面があり、だからこそ、『ONE PIECE』は超人気作でありながら賛否両論が分かれるところがあります。
で、ぼくは『ONE PIECE』の話は裏返すと『HUNTERXHUNTER』の話になると思っています。つまり、ルフィの海賊団の話はそのまま幻影旅団のスライドするわけです。
幻影旅団もルフィ海賊団と同じ道徳観を備えた集団です。仲間には絶対の忠誠を、敵には究極の無慈悲を。しかし、ルフィの海賊団と比べると、「仲間」と「敵」を明確に分けることのネガティヴな側面が強調されているように思います。
ルフィが、いくらか身勝手ながらも「正義」に拘っているのに対し、幻影旅団は「仲間の利益」だけしか考えない、そんな印象がある。
しかし、そのルフィにしても、自分にとって不快な人間の権益を代弁しようとは考えないでしょう。この世の何よりも「仲間」が大切。「仲間」の敵は自分の敵。ルフィはそう考えているように思えます。
いずれにしろ、「道徳には、有効範囲が設定されてい」る以上、どこかで「仲間」と「それ以外」を区切らなければならない。
そうなると、当然、それではどこまでを「自分が共感できる仲間の範疇」とみなすかという問題が出て来ます。つまり、どこまでを道徳的に共感できるフラタニティの友と考えるかということ。
『HUNTERXHUNTER』の作中では、この問いは人間ですらないキメラアントをも「仲間」とみなすか否か、という形できわめて先鋭的に展開することになりますが、ここではもっと現実的な問いを考えてみましょう。
つまり――「あなたは岡田斗司夫を「仲間」とみなしますか?」と。ぼくがいままでずっと書いて来たことは、あなたにこの問いに答えてもらうためなのです。
これまで縷々と述べてきたように、岡田斗司夫という人はかなり個性的な人物です。最近は「いいひと戦略」に則ってなのかどうなのか、わりと社会道徳に適合するよう振る舞っているように見えますが、本質的にはあまり道徳を尊重しているようには思えません。
というか、ぼくは岡田さんは内心では型通りの道徳なんて深く軽蔑しているに違いないと信じているんですけれど、まあ、まず「いいひと」とはいいがたいでしょう。
そしてまた今回あきらかになったことは、岡田斗司夫という人は女性を人間として尊重せず、ほぼモノ扱いするタイプの人物だということです。
何人愛人を作ろうと本人の自由ではありますが、それにしても相当共感しづらいパーソナリティというべきでしょう。
しかし、相当に豊かな才能を持っていることはたしかで、その能力は社会的に有用だといえそうです。
何といっても、岡田斗司夫がいなければGAINAXもなかったかもしれず、『トップをねらえ!』とか『ふしぎの海のナディア』といった作品もなかったかもしれないわけです。その能力は一定の評価に値します(もっとも、仮に『トップ』や『ナディア』がなかったとしても、ほかの作品が生まれただろうことは間違いありませんが)。
さて、あなたはそんな岡田斗司夫に共感できますか? 岡田斗司夫を「仲間」だとみなすことができますか? ご一考ください。
結論から書いてしまうと、「ぼくはできます」。岡田斗司夫さんのような人物もまた、同じ共同体の「仲間」として権利を与えられてしかるべきだと考えます。
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イケダハヤトさんの有料メルマガを購読したはじめたのですが……。
2014-07-29 07:0051pt「かわんごのブロマガ」でぼくの記事が取り上げられていることに気づきました。
http://ch.nicovideo.jp/kawango/blomaga/ar580829
アクセス解析とかほとんど見ないので、ひとが自分の記事にどういう意見を持っているのか気づかないことがほとんどなんですけれど、今回は運良く把握できました。
いや、取り上げていただきありがとうございます。ここで取り上げられている「新世界」の記事は、ぼく的にはすごく面白い内容だと思っていたので、たくさんのひとに読んでいただけたことはありがたいです。
たぶん、ぼくの書くことをずっと追いかけているひとのなかには、「そういうことだったのか!」と膝を叩いたひともいると思うんですけれどね。最近、いままで曖昧なまま書いてきた諸々が整理されてきていて、個人的には気持ちいい感じがします。
で、まあタイトル通りなんですが、イケダハヤトさんのメールマガジンを購読しはじめました。ぼくはこの他にアルテイシアさんのメルマガと、渡辺文重さんのメルマガを購読しているので、これで三本目の有料メルマガということになります(公言しておくと何か良いことがあるかもしれないので、はっきり云っておきますが、アルテイシアさんに関しては著書はほとんど読んでいるくらいのファンです。ええ)。
迷った挙句に「まあ、お試しで」ということで始めたんだけれど、んー、個人的にはもうひとつかも。正直、無料のブログのほうが内容的に充実していて、ほんとうに「ファンクラブ」的な中味しかないので、あまり読みつづける気になれない感じ。
いや、もちろん、膨大な量のブログ記事の更新と並行して、ほとんど儲けにならないと思われる(現在、会員数が86人なので、そこからの収入は良いところ月数万円のはず)有料メルマガに力を注ぐことはむずかしいことはよくわかるんだけれど、これだけだと「ブログ読んでいればいいや」になってしまうなあ。
ここらへん、イケダさんのやり方に問題があるというよりは、有料メルマガ全体の問題であって、やっぱり労力の割にお金にならないんですよ。
もちろん、会員数数千人ということになれば、非常に安定した収入源を確保することができることになるわけですが、そこまで行くのはめちゃくちゃ大変なんですね。
じっさい、ネットの有名人もチャレンジしては失敗しているのが現状です。数百人単位で会員がいるぼくはそれなりに偉いのです。もちろん、「ブロマガ」というシステムがバックにあってこそだけれどね……。
まあとにかくせっかく入ってみたのでもう少し購読を続けてみますが、うーん、ちょっと微妙かも。
ちなみにこのブロマガは月末と月初めに退会するひとが多いのですが、その心理は非常にわかりやすいですよね。月末にやめるひとは当然、 -
プロブロガーイケダハヤトに見る「炎上の作法」。
2014-03-31 20:3953pt
イケダハヤトさんの『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか ~年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術~』を読みました。
駅前のジュンク堂までわざわざ買いに行ったんだけれど、よく考えてみれば当然、電子書籍が出ているよね……。しまった。Kindleで買うべきだった。まあいいや。
どういう内容かと云うと、まあ、タイトル通りの話です。テーマは「炎上」。ひょっとしたら日本一炎上しているかもしれないプロブロガーであるところの著者が、「なぜ、炎上を恐れず挑発的な記事を書きつづけるのか」を語った一冊。
その内容をひと言で表すと、「空気なんて読むな! 炎上を恐れず自分が考えたことを発信しつづけよう」に尽きます。このひと言を心から得心できているなら、この本は読む必要がないんじゃないかな。
しかしまあ、いかにインターネット時代といえども、大半のひとは「炎上」とは無縁の人生を送っているはず。とにかくやたら炎上させまくって悪口を云われまくっている(ように見える)イケダハヤトさんのお言葉に耳を済ませてみるのも悪くないのでは?
まあ、内容的には自慢話とも自己正当化とも受け取れるものが延々と続くので、ひとによってはただそれだけのものだと云って切って捨てるでしょう。
でも、ぼくは自慢話を聞くのは嫌いじゃないし、「しょせん自己正当化に過ぎない」とか「自己正当化だからダメ」といった意見にはそれほど価値を見いだせません。
じゃあ、あなたは自分の意見は正当じゃないと思っているんですか、という話ですよね。もし正当だと信じているなら、そのひと自身も自己正当化していることになるし、そうじゃないなら自分は正当だと思っていないくせにひとを非難するってどうよ?となる。
つまりは「自己正当化しやがって」とは、あまり意味がある批判ではないと思うのです。よりまっとうな批判としては「あなたの発言内容は正当ではない」と云うべきであって、「自己正当化」そのものを問題視するのは違うんじゃないかな。
それはつまり自分が正当だと信じていることを主張することそのもの自体が問題だ、と云っているに等しい。少々露悪的な表現を選ぶなら「自分が正しいと思っているなんてバカじゃないの」というたぐいの云い方です。まあ、いかにも日本人的な発想ではありますけれどね。
話が逸れた。自身を日本でトップクラスのポジションにいるブロガーと位置づけるイケダハヤトさんは、どうすればその地位にたどり着くことができるかをつらつらと解説しています。
といっても、具体的なブログ執筆の戦略はここには書かれていない。そのかわり縷々綴られるのは、いわば精神論です。
イケダさんは、ブログやその他の分野において、トップに至るために何より大切なものは「情熱」であると語っています。何であれひとに差をつけるためにはかれらに増して圧倒的に時間をかけることが必要なのであって、そのためには情熱が欠かせないのだと。
イケダさんはブログにも絶対的な時間をかけているそうです。わりに頑張っている日でも1日3時間程度しか書かないぼくとしては耳が痛い話です(インプットの時間を入れるともっと長い間「働いている」ことになりますが。でも、いくらぼくが厚顔でも、萌え漫画読んでいる時間を労働時間に入れられないわー)。
で、でも、大切なのは時間だけじゃないと思うよっ。いやまあ、見ていればわかると思いますが、ぼく、あまり情熱がない人間なんだよね。
徹底的に気分屋なので、安定して更新しつづけるということができない。いや、ほんとうはできるんだろうけれど、あまりその必要性を感じていないというか……。
このブロマガ、平均してみれば1日に2,3本は更新している計算になるのですが、1日7、8本も更新される日もあれば、「0」の日もあるのは御存知の通り。
いやー、プロフェッショナルとしてあるまじき話ですね。毎日必ず3本ずつ更新していたら、会員数はいまの倍くらいは行っていたと思う。無理だけれど。
それにしてもネットだけで年収500万円稼いでいるというイケダさんの技術は驚異的なものがあります。この話を聞いて「それくらいおれだって稼げる」と思うひともいるかもしれませんが、おそらく無理です。
まあ、絶対に無謀とは云わないけれど、ネットでお金を稼ぐことは、やってみるとわかりますが、相当大変ですよ。それこそ過激な内容であおって炎上を誘えばすぐに会員が増えると思っているひともいるだろうけれど、いや、それ、無理だから。
特にメルマガみたいな会員制システムではまず無理。仮にそれで会員を増やすことができたとしても、すぐにやめていきますからね。だれもそういう価値がない情報にお金を払いつづけたりしないのです。
イケダさんはアフィリエイトで収入を得ているようだけれど、 -
ネットの議論が不毛な理由をパンケーキで考える。(2455文字)
2013-10-25 07:0053pt
【パンケーキの値段】
ブロマガ「未来の普通」でイケダハヤトさんの「野暮ですが、パンケーキって原価1枚10円くらいですよね」と題する記事が取り上げられています。
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/28057 http://ch.nicovideo.jp/normahead/blomaga
で、こんなことが書かれている。
この記事って結局「うちは、妻の作るパンケーキが絶品過ぎて、外で700円も出して食べるなんてありえない」って言いたいだけだと思うんです。
なのに、タイトルがタイトルですから、読み始めた瞬間「ihayato.書店の記事って原価0円ですよね」というブーメラン突っ込みが浮かびます。同じ突っ込みがツイッターにもありました。(購入した本の書評とかは0円ではないですけど)
妻のバンケーキは絶品ということ言いたいのに、パンケーキ屋さんの創造力を無視してその価値を貶めてるし、ブーメランで自分自身の創造性の価値も貶めてるし、さらには、「毎回工夫を凝らした作品を提供してくれる」妻の創造性まで貶めています。書き手はそんなつもりはないのでしょうが、タイトルから一貫してそう読まれても構わない書き方です。
さて、ぼくもその記事を読んでみました。で、思うに、「タイトルから一貫してそう読まれても構わない書き方」かどうかは微妙かな、と。
【文意の判断はむずかしい】
いやまあ、「そう読まれても構わない書き方」と云えばそうかもしれません。しかし、「そうとしか読めない書き方」ではないのではないか。
「未来の普通」では、イケダさんが -
「(笑)」を付けないと話せないひとたちは、何を恐れているのだろう。(2061文字)
2013-10-17 07:0053pt
【乱用される「(笑)」】
最近、Twitterでイケダハヤトさん(@IHayato)をフォローして、時々ツイートを追いかけている。かれはよく自分への批判に応えて、外から見ると不毛としか見えないやり取りを行っているようだ。
よくやるなあ、と思いつつ見ているのだが、そのうちかれが相手をしているひとに端的な特徴が見て取れることに気づいた。気づかざるを得なかった、というべきか。
やたらと語尾に「(笑)」や「www」を付けている割合が高いのだ。はっきり確認したわけではないが、全体の半分以上がそういう語尾を用いているんじゃないか、と思うくらい。
その様子を観察していて、ぼくはしじみと思うようになった。いったいこのひとたちは、何がこわくてこんなことをしているのだろう、と。
語尾に「(笑)」を付けるのは、自分は本気で相手をしているわけではない、という「半笑い」のアピールだろう。相手を嘲笑っているニュアンスも含まれていると思う。
それはいい。問題はなぜそのような態度を取るのかということだ。相手の発言に文句があるなら正々堂々そう主張すればいい。なぜそうしないのか?
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文章力は「実戦」で鍛えよう。(2294文字)
2013-10-09 07:0053pt
【イケダハヤトの文章術】
次回配信予定が「未定」ばかりでかっこ悪いので急いで記事を書かなくては!
ちょうど手もとにイケダハヤト『武器としての書く技術』があるので、この話をしましょう。まあこの本については一度書いたわけですが、もう少し語りたいことがあります。
というのも、いい本なんですよ。ネットでいかにひとを惹きつける文章を書くかというテーマなんですが、ぼくもネットを使い始めてから十数年、この分野については一家言あります。そのぼくの目から見ても、相当に的確な「入門書」だと思います。
ネットで文章を書いて人生を変えようと思っているひとは読んでみても損はないでしょう。
ただ、一定以上の経験と技量を持っているひとにとっては「あたりまえのこと」ばかり書いてある本かもしれません。
書けるひとは、この本に記されてあるようなことは「本能」でわかっているんですよね。
あるいはそれをひとは才能と呼ぶかもしれません。しかし実は必ずしもそうではなく、子供の頃からの読書体験などを通して知らず知らずのうちに作法を身につけているのだと思います。
当然ですが、一定の読書量があるひととそうでないひとでは、文章力に歴然とした差が出ます。
たしかに「読んでいないけれど、書ける」というひともいますが、それはやはり例外的だと思う。すらすらと読みやすい文章を書けるひとは、大抵、それなりに本を読んでいるものです。
文章力を向上させようと思ったら、迂遠に思えても、やはり良い本を読むことは重要ですね。ただこれは「基礎体力アップ」みたいな話なので、なかなか効果は出ないでしょうが……。
【実戦で鍛える】
それでは、最も早く文章力を向上させるにはどうすればいいか? これは簡単で、 -
「プロブロガー」イケダハヤトが語るブログ文章術がなんだかまっとう。(2245文字)
2013-09-27 21:2353pt
【『武器としての書く技術』】
最近、Google Chromeでブロマガ管理ページを見るとデザインが崩れているんだけれど、何とかならないのだろうか……。もし読んでいたら対策をお願いします>ドワンゴの中の人。
さて、ヒマだから記事を書こうかな。きょう読み終えたイケダハヤト『武器としての書く技術』に「情熱が持てることを書きなさい」という意味のことが書いてあったのですが、ぼくの場合、どうも情熱よりも暇つぶしで書いている気がしないでもない。
イケダさんほどではないにしろ、ぼくも相当の量を書いているほうだと思うのですが、情熱があるかというと微妙。あるときもある気もしますが、ないときはないような。
まあ、ぼくはイケダさんと違ってやる気がないときは書かないからそれで済んでいるんですけれどね。
毎日更新したほうがいいという理屈はわかるのだけれど、やる気がないときは書くことが億劫。
そういうときは何もしたくないので、ただひたすらだらだらごろごろとしています。ひきこもりのお手本のようです。ごろごろごろごろ。
イケダさんはブログで40~50万円程度の収入を得ているそうですが、それは素直にすごいと思いますね。ぼくはまだ月収十数万くらいしかないですから。
ただ、ブロマガの場合、長期的に続けていれば確実に会員は増えていきますから、あと何年かやり続けていれば追いつくかもしれません。
まあ机上の空論だし、何かシステムが変わればそれまでなんだけれどね。
【マネタイズ道、険し】
で、その『武器としての書く技術』なのですが、 -
「豊かさ」を再定義しよう。『年収150万円で僕らは自由に生きていく』に見る未来。(2429文字)
2012-11-27 19:3753ptイケダハヤトさんの著書『年収150万円で僕らは自由に生きていく』の書評(のようなもの)です。イケダさんによるとタイトルは釣り的な側面が大きいらしいのですが、タイトルに釣られて読んでも十分損がない本だといえると思います。しかし、その内容は賛否両論を呼ぶでしょう。ぼく自身、半信半疑というスタンスで、この本が示す革命的な未来像を分析しています。 -
嫉妬と呪いの時代が終わる。ルサンチマンと決別し楽しい人生をデザインしよう。(2291文字)
2012-11-24 16:0253pt本日の「嫉妬三部作」最後の記事です。ひとはなぜ他人を妬んでしまうのでしょう。妬んだところで幸せがやってくるわけではないことは理屈ではわかっているはずなのに、どうしても嫉妬の気持ちを抑えられない。そういうことは一般にあるようです。しかし、もうそんなことはやめにしよう、と提案したいと思います。嫉妬から自律へ。そうして幸せを見つけ出すのです。 -
ひとりきりの電子出版ビジネスは無謀なのか。ネットにおける個人の限界を問う。(2433文字)
2012-11-23 15:3453pt家入さんのメールマガジン未配信の件は「個人」ですべての責任を持ち、定期的にやってくる締め切りをクリアしていくことの困難さを浮き彫りにしました。それでは、ネットビジネスにおいてすべてのことをひとりでやり、利益を独占することは不可能なのでしょうか。そうとは限らないでしょう。それでは、ひとりきりでやっていくにはどうすれば良いのか。考えました。
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