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  • 支出はどこまで減らすことができるか。一生無職で生きていく人生のリアリティ。(2113文字)

    2013-05-17 09:03  
    53pt




     守銭奴という言葉がある。「銭を守る奴」というわけで、一般にはネガティヴな意味で使われる。「銭を守る」ことは世間的には良いこととは思われていないようだ。
     しかし、いまあるお金を守ることはとても重要なスキルである。そのスキルなしにまともな人生計画を立てることはできない。たとえ年間何千万円も稼いだところで、それをすべて使ってしまえば手もとには1円も残らないわけだ。
     それは極端な例としても、支出を適切にコントロールしなければお金は自然となくなるものである。
     よくネットで「貧乏なのに贅沢をしている」と非難されるひとがいるが、かれらもそうしたくて「贅沢」をしているわけではないかもしれない。
     ただ「支出削減スキル」を身に着けていないために、自然と支出が高くなってしまうということもありえると思う。「支出削減スキル」は人生をマネジメントするために必須の技術である。
     さて、それでは、その「支出削減スキル」を極限まで磨いていくとどうなるか。「無職のまま、いまあるお金を守って一生生きていく」というライフプランが見えてくる。
     これは無茶なようでいて現実的な選択肢だ。ひとが生きていくために必要な出費は家賃、食費、光熱費、医療費、衣料費あたりが主なところだろう。そこに通信費(ケータイ、スマホの代金含む)や家具や大型家電などを購入するための資金も必要になる。
     それらすべてをミニマルに削減すれば、たとえば年収100万円程度の収入でも生活していくことは可能になる。じっさいに100万円で生活している「支出削減の達人」の記事を見てみよう(インデントだけこちらで加えさせてもらいました)。

     ぼくの年収は、約100万円。日本新党の立ち上げに関わった一時期を除けば、会社をやめてから、親が遺してくれた古マンションの賃貸料でやりくりしてきた。
     国民年金保険料や国民健康保険料、NHK受信料、住居費などを支払うと、1カ月間で使える食費、光熱費、通信費、交通費などの生活費は、3万円。1日3食の食費は、500円。当初、月の生活費は8万円ほどだったが、それではプータロー生活の継続が難しい。そこで、5万円、3万円と徐々に落とした。
     だが、ムリをして切り詰めているわけではない。ストレスが溜まるほどの節制を自らに強いるなんてもってのほか。月3万円あれば、節制や我慢とは無縁な豊かで楽しい毎日を送ることができる。いま、そう実感している。
    (中略)
     その日食べたい料理を手間暇をかけておいしく作る。月に何度か、ぼくのマンションに友人たちが集まってホームパーティが開かれる。付き合っている女性もいる……。ぼくは、年収100万円の生活に不満もストレスもまったく感じていない。いまの暮らしが、本当に楽しくて仕方ない。
    http://news.livedoor.com/article/detail/7672372/

     このひとの本は以前にも紹介したが、まったく驚きである。年収たった100万円でただ生きていけるというだけではなく、「豊かな生活」を送れるというのだから。
     これもハイレベルなコストカットができているからこそだ。収入こそ年間100万円でしかないが(これは労働報酬ではなく、賃貸物件から入ってくるお金らしい)、「人生の勝ち組」といって差し障りないだろう。
     「格差」というとき、ぼくたちは「収入の差」を思い浮かべる。しかし、考えなければならないのは、同じ収入でも「生活の豊かさの差」は存在するということだ。