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恋愛工学とは非モテを「妄想加害男子」にパワーアップさせる理論である。
2016-09-15 09:1951pt
トイアンナさんの『恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか?』という本を読みました。恋愛に関して色々なトラブルを抱え込みがちな性格が、「恋愛障害」として整理されていて、非常に面白かったです。
この本では男性と女性それぞれの恋愛障害を扱っているのですが、ぼくは男なのでまず男性に絞って見てみると、恋愛障害男子には、大別して「妄想男子」と「加害男子」があるとされています。
妄想男子とは恋愛に関してネガティヴな妄想を抱いていて、そのために恋愛に積極的になれずにいる男性の事。そして、加害男子とは女性をモラハラ(モラルハラスメント)で傷つけたりセックスの道具として利用しつくす男性の事です。
まあ、前者は非モテで後者はヤリチンかな、と思うのですが、ここではそのいずれもが「障害」として定義されています。
ときに女性を傷つけるこのような男性たちもまた、自ら望んでそうしているのではなく、心に負った何らかの傷や認知の歪みのためにそう行動せざるを得ないのだという理屈です。
ぼくはこの本を読んですぐに藤沢数希さんの「恋愛工学」のことを思い出しました。というのも、恋愛工学のロジックとはここでいう加害男子が女性を落とす方法論なのだと感じたからです。
もっというなら、恋愛工学とは、妄想男子(非モテ)を加害男子(ヤリチン)に「成長」させるための理論であるといえるかもしれません。
ただし、妄想男子の妄想を解決してくれる類のものではまったくないので、より正確には妄想男子を「妄想加害男子」にパワーアップさせる理論であるといったほうがいいでしょう。
それでは、その「妄想」とは具体的にどんなものなのか? とりあえず、前回引用した藤沢さんのインタビューにおける発言を再度掲載しておきましょう。
藤沢:女性が、自分のことに夢中になっている男性を嫌うのは、生物学的な理由があります。動物のメスは、優秀なモテるオスの子を生み、その子がさらにモテることによって、自分の子孫が繫栄することを本能的に求めます。だから、非モテコミットに陥っている男性は、他の女性に相手にされない非モテ遺伝子を持った劣等オスにしか見えないのです。劣等オスの子を産んだら、子も非モテになって、子孫が繁栄しなくなるかもしれません。それは、メスにとって、なんとしても避けたいことなのです。
これです、これ。まさに妄想。この思想は世の妄想男子が抱え込んでいる妄想のなかでもかなりメジャーなものではないかと思います(ひょっとしたら藤沢さんのおかげでメジャーになったのかもしれませんが)。
藤沢さんは「生物学的な理由」といっていますが、まあ、ある種の疑似科学ですね。信じちゃう人は信じちゃう類の意見です。
ようするに「女に知性や理性なんてものはない。あるように見えるのは見せかけだけだ。女はより強い男とつがって子孫を残すことしか考えられない。なぜならそれが遺伝子の命令だからだ」という意見であるわけで、これは女性に対する徹底した不信と蔑視であるといっていいでしょう。
いや、恋愛工学理論においては男性もまた遺伝子の欲求に従ってより多くの子孫を残そうと動いているに過ぎないことになっているのですから、恋愛工学の根底には女性というより人間存在そのものに対する不信があるといえるかもしれません。
この種の「妄想」はじっさい非モテ界隈ではよく見かけるもので、恋愛工学のキー概念は本田透さんの著書でも同様のものを見ることができます。
ただ、本田さんはそこで「オタクになること」を選び、自分の萌え妄想のなかで生きていくことを選んだのに対し、藤沢さんはあくまで女性に対してアプローチしていくことを選んだ。その差があります。
それにしても、こうして並べてみると『電波男』と『ぼくは愛を証明しようと思う』の表紙デザイン、そっくりだな。妄想男子の妄想の中身は共通項があるということですかね。
さて、以下に恋愛障害と恋愛工学の関係について書いていこうと思ったのですが、検索してみたらすでにまったく同じことを書いている人がいたので、まずはその記事から引用させてもらいます(ちなみに見出しは再現できないので、省略してあります)。
恋愛工学では、決して、相手方女性の気持ちを考えてはいけない。真剣に考えれば考えるほど、相手が可哀想になって、ためらってしまい、その結果、何も手出しができなくなるからである。したがって恋愛工学の実践者は、自らの心をマシーンにして、ことをなさなくてはならない。
まずはじめにすることは、 「目の前にいる女性をけなすこと」、これである。
見た目、容姿、振舞い、話し方、仕事、趣味、なんでもいいので女性をけなす。けなすことによってまず、自分が相手方に対して優位な立場にあることを植え付ける。相手方女性がそこで傷つくのも、恋愛工学の手続きの一環である。
傷つけることによって女性を動揺させる。
動揺させることによって女性に、「この人は何か普通の男と違う♡」と思わせるのである。
これは、普段けなされる機会の少ない女性、男から「かわいい」「きれいだね」と褒めてもらうことの多い女性、すなわち恋愛偏差値の高い女性に対して、絶大な効果を発揮すると言われている。
けなした後、その次には、ちょっとした褒め言葉を与える。これは本心でなくともよい。あくまで工学的マシーンと化し、適当な点をでっちあげ、相手に心の報酬を与えるのである。
ここで、恋愛工学士は、決して相手に媚びてはいけない。なぜなら女性をつけあがらせるからである。あくまで相手方が男性である自分より下位の存在であり、自分に対して抵抗できない存在であり、人間的に価値の低い人物であることを前提として女性に接する。
すなわち相手方に、人間としての尊厳がないことを前提としたうえで温情主義的に褒める、という点にポイントがある。
傷つけられた後、褒められる、これによって女性は、心が動揺し、ドキドキする。そしてこのドキドキを、男性への恋愛感情であると思い込むのである。
いやむしろ、恋愛工学が説くのは、けなされ、雑に扱われ、傷つけられ、精神的に振り回されることによって生じる感情こそが、真の恋愛感情であるということ、これである。
自分をけなすような権限のある男性が、自分を温情主義的に賞賛してくれる。
これこそ、女性の快楽であり、恋愛感情が芽生える瞬間であり、恋愛工学の肝である。
http://books.nekotool.com/entry/love-affair-disorder
そうなんですよ。どうも恋愛工学では「女性をけなすこと」が重要な戦術とみなされているんですね。けなした上で、褒める。そうすると女性はドキドキして相手を好きになってしまうと。
うん、それモラハラですよね、と思うわけですが、恋愛工学が「妄想加害男子」を生み出すための理論である以上、こういう戦術を用いることは必然です。
ええ、まともなプライドがある女性だったら初対面の男からいきなりけなされたら「ふざけるなバカ野郎!」としか思わないでしょうが、その一方でこの戦術が通用する女性たちはたしかに一定数いると思います。
そうじゃなかったら少女漫画や少女漫画原作の映画でドS男子だの壁ドンだのが流行ったりするわけないもん。最近やたらに見かけるドS男子は典型的な加害男子の一類型であるわけですが、そういう男性に惹かれる女性はたしかにたくさんいるわけです。
で、なぜ、こんなめちゃくちゃな理論が時として通用してしまうのか? それは『恋愛障害』を読めばあきらかなように、女性側もまた恋愛障害を抱えているからです。
『恋愛障害』では、「愛されない女性はパターン化できる」として、「愛されない女性」の特徴をいくつも挙げています。
それは「いつも複数の男性と同時に付き合う」であったり、「恋愛したいが、異常な奥手」であったり、「自分を殺す「尽くし系女子」」であったりするのですが、共通しているのは強烈な「寂しさ」を抱えていることです。
ひとりでいると寂しいから、手近な恋愛を求めてしまう。「愛されているという確信」が欲しくて、それを歪んだ形で叶えてしまう。そういうアダルトチルドレン的な「障害」を抱えた女性が(たぶんたくさん)いるのです。
「寂しさ」というキーワードから、ぼくは例の『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を思い出します。
この本の著者の場合は「さびしすぎ」たときにレズ風俗に行って抱きしめてもらうというなかなかユニークな方法を選ぶのですが、より多くの「寂しい系女子」は異性との恋愛に救いを求めることでしょう。 簡単にセックスをさせてあげる代わりに「愛している」とささやいてもらったり、プレゼントを贈りまくる代わりに力強く抱きしめてもらったりという「取り引き」を恋愛の本質と考える女性はいま、相当数いるのではないでしょうか?
愛されたい――切なる想い。しかし、加害男子たちはそこにつけ入ります。もちろん、妄想加害男子である恋愛工学の信徒たちも。
かれらはそもそも女性と対等な付き合いをしようという気が最初からありませんから(女とは遺伝子情報の命じるままイケメンや金持ちを狙う下等な生き物だということをお忘れなく)、恋愛障害女子はかれらと付き合ってもほんとうに幸せになることはできません。利用されて、いずれ捨てられる運命です。
こういう「不幸な恋愛」をしている女性は枚挙にいとまがないものと思われます。そして、恋愛障害を抱える「寂しい系女子」は何度、だれと付き合っても、同じパターンをくり返すことでしょう。
彼女たちがその不幸な恋愛パターンから抜け出すためには一人前の愛され女子として成長するの「ではなく」、「健全な自己愛」を育て、ひとりでいても寂しくないようになるしかないのですが、なかなかそれはむずかしい。
多くの人は「愛」と「依存」をはき違えたまま、いつまでも「不幸な恋愛」をくり返します。いわゆる「だめんず・うぉーかー」というやつですね。
実はこういう人はたとえ自分に好意を向けてくれるまともな男性と出逢ったとしても、自分を傷つける男性のほうに向かって行ったりします。
妄想男子からすると「不条理だ!」とか「これだから女は!」といいたくなるところかもしれませんが、これも恋愛障害の症状の一種と考えると事態はシンプルです。
「自分を好きになる男なんて気持ち悪い」とかいう女性は、ようするに自分のことが嫌いなんですよ。心の底で自分にはなんの価値もないと思っているから、そんな自分を好きだという人を気持ち悪いと感じる。そして、自分に対して冷たい加害男子に惹かれてしまう。
ここで、加害男子と寂しい系女子の間では、一種の「負のマッチング」が起こっています。無意識に「冷たくしてほしい」と願っている女性と内心で女性を憎んでいる男性は、ある意味、相性がいいわけです。
まあ、世にいう「共依存」というやつですね。恋愛工学が考える「恋愛」とは、この共依存が成立した状態の事だといっていいと思います。
しかし、ぼくはそれを恋愛とは考えません。この場合、「愛してやるよ」と思っている男性も「愛されている自分を確認したい」と考えている女性も、自分のことしか考えていないからです。
ほんとうの恋愛が、自分とは全く考え方の違う「他者」との出逢いに始まる「複雑なコミュニケーション」であるとしたら、恋愛工学における恋愛とは歪んだ自己愛、ペトロニウスさんふうにいうなら、ナルシシズムなんです。
そのことについて、こんなことを書いた記事もあります。
冒頭で、なぜ「ドS彼氏」が人気なのだろうか、と書いた。逆説的ではあるが、凡俗さや迷い、逡巡といった普通の人間としての内面を見せず、相手を支配する強さのみ見せる男に少女たちが心惹かれるのは、彼の中に被支配という形で愛されている自分をうっとりと見つめるためなのではないだろうか。自分を特別な男に愛されるに値する存在だと考えるためには男の凡庸な内面などむしろ邪魔でしかない。
http://mess-y.com/archives/32592/3
まさにその通り。つまりは恋愛障害状態にある男性も女性も、相手の内面など見ていないのです。男性は「いい女とセックスできる強いオスの自分」という自画像を、女性は「格好いい恋人に愛されている自分」というアイデンティティを必要としているだけで、ここに「愛」はありません。双方とも自分しか愛していないわけです。
それでは、双方がいかにしてこの「孤独な牢獄」を抜け出し、「他者」と、「世界」と出逢うのか、その具体的な方法論については『恋愛障害』に記されていますので、そちらを参照してください。
ちなみに、
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