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記事 2件
  • 物語づくりとは、ただ情報を整理するだけの作業ではない。

    2015-10-05 01:48  
    51pt
     うー、昼間寝まくってしまったおかげで夜になっても眠れない。
     完全な昼夜逆転状態で、ちょっと困ったものなのだけれど、まあいくら嘆いても眠くはならないので記事を更新しましょう。
     先月、先々月とあまりに記事数が少なかったので、今月はちょっと真面目に更新したいと思います。
     さて、前の記事で『鉄血のオルフェンズ』のシナリオについていくつか注文めいたことを書きましたが、じっさいの話、どう直せば良くなるのかということはよくわからないんですよね。
     それがわかったらぼく自身が作家か脚本家になっているわけで、しょせん外野から文句を垂れているに過ぎないわけです。
     ここらへん、いつも非常に申し訳なく思ってはいるのですが、だからといって沈黙するわけにもいかないので、あくまでアマチュアの戯言とでも思って読んでいただければいいかと。
     まあ、こうしてお金をもらっている以上、ぼくも何かのプロではあるのでしょうが、でも、創作のプロじゃないものね。
     閑話休題。
     さて、ひとが何か物語を作るとき、必然的に「何を」「どのように」語るのか、という問題が発生します。
     何を語るのかはそれぞれの作家がそれぞれの意図で選ばなければならないところであるわけですが、いまぼくが注目したのは「どのように」語るのか、という問題です。
     一般的にいって、同じ物語を語るにしても、より効率的に語れたほうが良いと考えられるわけです。
     したがって、小説であれアニメであれ映画であれ、作家は意図して物語を「構成」する必要があり、その物語を構成する力量を「構成力」といいます。
     構成力にはどうやら年齢的なピークがあり、歳を取るとタイトな物語を紡ぐことはむずかしくなって来るということは以前書きました。
     しかし、ここではとりあえず、そもそも良い構成とはどのようなものか、ということを書きたいと思います。
     あとまあ、世の中には初めから終わりまで完成した物語がひと塊で降りて来るという天才もいるらしいですが、そういう化け物のことを話しても仕方ないので、とりあえず一般常識の範疇で話しましょう。
     良い構成とは何か。ごく常識的に考えると、それは無駄のない構成のことだといえるでしょう。
     物語とは、つまりひとつながりの連続した情報のことです。
     したがって、それらの情報をなるべく整然と語っている作品が良い物語であるということができます。
     『鉄血のオルフェンズ』を例に取るとわかりやすくなると思うのですが、このとき、この物語にはどうしても果たしておかなければならない使命(ミッション)がいくつかあります。
     たとえば物語の背景世界がどうなっていて、主人公たちがいまどういう状況に置かれているのかをさりげなく説明すること、主人公たちを巻き込む戦闘を起こして最後に主役ロボット・ガンダムを動かすこと、などが挙げられるでしょう。
     これらのミッションをどう合理的にクリアするのかということが作家に与えられた課題です。
     下手に並べるとエピソードとエピソードがうまく繋がらず、無駄が発生してしまう。
     どうやってきれいにエピソードを並べたら良いのか、まさに腕が問われるところです。
     これはエモーションというよりはロジックのレベルの問題なので、やはり歳を取るとなかなかうまくこなすことができなくなる気がします。
     歳を取っても良い物語を書いている作家はよほど自分をきびしく律しているのでしょうね。偉いものです。
     さて、ここで注意しなければならないのは、ただ整然と情報を並べられればそれでいいというものではないということです。
     ただ 
  • 作家は面白い物語を生み出すため非情に徹しなければならない。

    2015-09-27 01:56  
    51pt

     前々回の記事「なぜ作家は衰えるのか。」の続きです。
     あの記事は、結局のところ、作家は歳とともに「窮屈さ」に耐えられなくなっていくから衰えるのだという話でしたが、それではその「窮屈さ」の正体とは何なのか話したいと思います。
     作家を縛る「窮屈さ」。それは結局、エモーション(感情)に対するロジック(論理)の束縛だとぼくは思います。
     つまり、作家は自分の内なるエモーションに従って作品を書こうとするけれど、良い作品を書くためには精緻なロジックに従う必要がある。
     そこで湧き上がるエモーションを管理しつづける作業は窮屈だといえます。
     その窮屈さがしだいに耐えられなくなっていくというのが「作家衰退」の真相なのではないかと。
     もちろん、エモーションそのものが枯れ果ててしまうこともありますが、そういう人は大抵が作家を辞めてしまうので「衰えた」という印象は与えない。
     やはり問題はエモーションの暴走をどう止めるか、というところにある。
     ここでむずかしいのは、作家本人にとってはエモーションが暴走している状態のほうが楽しいということです。
     あるいはロジックという窮屈な枷のなかで書いているより、面白いものを書けているという実感を持てるかもしれない。
     しかし、ぼくが岡目八目で見る限り、やはりエモーションを優先させすぎた作品はダメですね。
     なんというかこうキャラ愛あふれる同人誌みたいなものになりがちです。
     そう――ロジックによって管理しなければならないエモーションの第一が「愛情」なんですね。
     キャラクターに対する、あるいは物語に対する愛情を的確にコントロールできなければ、面白い物語(「読者にとって」面白い物語)は作れない。
     このあいだ、Twitterで話していて偶然、椎名高志『ゴーストスイーパー美神極楽大作戦‼』の「ルシオラ事件」の話になりました。
     いまとなっては「ルシオラ事件」について知っている方のほうが少ないかもしれませんが、ようはこの漫画の脇役のひとりであるルシオラというキャラクターが人気が出すぎてしまい、また作者が愛着を抱きすぎて物語が破綻しかけるところまで行ってしまったという「事件」です。
     最終的には一応、ルシオラは物語から退場して終わるのですが、かなり苦し紛れともいえる結末に多くの読者は不満を抱きました。
     これなどは物語空間に横溢するエモーションを冷徹なロジックによって管理し切れなかった典型的な一例だと思います。
     ルシオラなー。可愛いんだけれどなー。
     でも、そのおそらく作者にとっても可愛い、愛しいキャラクターを、作劇のための「駒」として割り切る視点がなければ面白い物語は書けないのです。
     シナリオメイキングとは