• このエントリーをはてなブックマークに追加

タグ “ナンパ” を含む記事 3件

どうすればコミュニケーションの達人になれるのか?

 きょうのエッチな漫画レビューです。  このコーナー(いつコーナーになったんだろ)は、18禁ではないエッチな漫画を紹介することを目的としています。  好評なのか不評なのかまったくわかりませんが、最近、ダンボールにひと箱その手の漫画を注文したので(笑)、もうしばらく続けるつもりです。  いやさ、この手のぬるいエッチ漫画って、何か妙に心癒やされるものがあるんだよね。  たくさん読んでいると、わりと幸せ。ダメ人間だなー、おれ。  独身だからこそできることだとも思う。このままシングルで生きていこ。  さて、きょう取り上げる作品は『クロスエッチ』。ナンパネタの漫画です。  初めて愛した女性から「100人とセックスして、それでもわたしのことを好きだったら交際してもいい」といわれた主人公が、ストリートに出てナンパ師として成長していくさまを描いています。  が、正直、あまり面白くない。もうちょっとナンパのテクニックとか詳細に描いていたら読む価値があるかもしれないけれど、この手の漫画の常であっけなく成功してしまうので、読みごたえがないのですね。  まあ、エッチ漫画なんだから成功しないと困るのかもしれないけれど、物語としては盛り上がりを欠く。絵もあまりうまくない感じ。  ただ、ぼくはナンパという趣味(?)そのものには興味がある。  正確には、ナンパには興味がないけれど、コミュニケーション一般にはある。  ぼくもコミュニケーションスキルがあるほうじゃないから、どうすれば人とうまくやり取りできるか? 知りたいと思うのですね。  特に初対面の他者に対しどういうふうに対応すればいいのかということには大いに関心があります。  初対面の人に逢うとき、事前に相手が情報を仕入れているのでなければ、好感度プラスマイナスゼロからゲームはスタートするはずです。  そこからどうやって好感度を高めていくか? いい換えるなら「自分というメディア」の信頼度を上げていくか? そういうテーマについてはしょちゅう考えます。  自分の苦手分野だからこそ、なんとかしたいと思うのですね。  まず、簡単に改善できるのは、いわゆる「第一印象(ファーストインプレッション)」でしょう。  よく「清潔感のある恰好」をせよ、といわれますが、まあまったくの正論で、真新しい服装に靴、まともな髪型であれば、容姿は普通であってもそこそこ好印象を与えられるものです。  じっさい、髪型の第一印象に占める割合って大きい。で、ちょっと高い理髪店で髪を切ってもらえば、やっぱりそこそこかっこいい髪形になるものなんだよね。  まあ、ぼくはいま全身性円形脱毛症でハゲとしての人生を送っているので、どうしようもないけれど……。治療に2年くらいかかるらしい。しくしく。  とにかく、あまり気合いを入れておしゃれをしなくても、そこそこお金をかけた、くたくたになっていない、清潔感のある恰好をすることが大切なのでしょう。  顔を洗うとか歯を磨くとかは当然として、とりあえずそこを押さえておけば、第一印象は悪くないものにできるはず。相手が同性であれ異性であれね。  問題は、 

どうすればコミュニケーションの達人になれるのか?

あなたは、なぜ、コミュニケーションに失敗しつづけるのか。

 いつになく「つながり」がもてはやされる時代である。  LINEやFacebookを初めとするSNSの発達で、ひとは24時間だれかとつながっていることができるようになった。  テクノロジーはついに人々の心から孤独を駆逐しつくしたように見える。  それでいて、多くの人が「つながりつづけること」に泥のような疲労を感じてもいる。  それが現代。  人々はかつてなく長いあいだ他者とつながりながら、その一方でより深いつながりに飢えている。  そして、それにもかかわらず、ほとんどの人はどうすればほんとうにつながったことになるのかなんて、知りはしないのだ。  高石宏輔『あなたは、なぜ、つながれないのか』は「つながり」の作法に着目し、それをどこまでも詳細に解体していった一冊。  ある人とある人が向かい合い、話し合う、それだけのことのなかにどれほどの情報量のやり取りがひそんでいるのか、あらためて自覚させられる脅威の一冊だ。  ひととひとが向き合ってコミュニケーションを取ろうとするとき、そこには自然とある種のパワーゲームが発生する。  どちらが会話の主導権を握るか。相手をどのようにして威圧するか。あるいは、どのようにして相手の精神をコントロールし、自分の思うままの反応を引き出すか。  それらは剣や銃ではなく言葉を利用して戦いあう決闘に似たところがある。  己の身体と知性の限りを尽くして相手を圧倒しつくそうとする男性的なゲーム。  しかし、本来、ひととひとのやり取りはこのような力のぶつけあいに留まるものではない。  ただ自分の弱点を隠し、相手の弱点を狙うといった戦術だけが有効なわけではないのだ。  それは本来、「その人のことを知りたい」という純粋な好奇心から発して、非敵対的に続いていく共同作業である。  それは「心を開く」ところからスタートする。相手との接触で自分が変わっていくことを許すこと。  過剰に自分を防御して相手だけを変えようとするのではなく、自然な変化を受け入れること。  それが、コミュニケーションだ。 いわゆる「コミュ障」だけがコミュニケーションを苦手としているわけではない。 世の中には、だれより饒舌に話しながら、一切、意味のある会話をなしえない人間もいる。そういう人物も広い意味での「コミュニケーション弱者」に入るだろう。  世の中には、 

あなたは、なぜ、コミュニケーションに失敗しつづけるのか。

なぜコミュ障は地獄なのか。

 Twitterでこんなツイートを呟いてみた。 「絵が描ける」とか「歌が歌える」とか「文章が書ける」ということは、その分野における自分の技術と折り合いがつけられているということだ。ほんとうはやるだけならだれにでもやれるのだ。ただ自分のあまりの下手さに耐えられないから「できない」と思っているだけで。  そうしたら、てす(‏@a1rou59)さんから次のようなリプライをいただいた。 @kaien そのうちで良いので、この「折り合い」の付かない感じ・自分の下手さに耐えられない感じをブロマガでkwsk。解決しなくて良いのですが、本当にこの感じに困ってしまって・・・  それでは、さっそくその件について書くことにしよう(あまり長く放置すると忘れ去ってしまう可能性が高い)。  上記のツイートで書いたように、ひとは、なんらかの物理的には可能な行為を、心理的な理由で「できない」と思っていることがある。  たとえば、高所恐怖症の人にとって、スカイダイビングやバンジージャンプ、フリーフォールのような行為は、物理的には可能だが、心理的には不可能なものである。  あまりにも心理的障壁が高いため、かれらはそれを物理的に不可能な行為であるかのように表現することがある。  「わたしにはどう足掻いてもとてもできない」、「あまりにも危険すぎる」とか。  しかし、それはやはり嘘なのであって、問題は99%まで心理的なものだ。  たしかに、1%以下の危険性がないでもないことは事実だ。  何かが狂って、予想外のトラブルが起こるかもしれない。パラシュートの金具が(入念にチェックされているはずにもかかわらず)壊れているとか。  だが、そういった確率は、たとえば日常生活のなかで殺人犯と遭遇する確率と比べてもそう高くないだろう。  冷静に客観的に考えれば、スカイダイビングやバンジージャンプに物理的な危険が伴うことはほとんどないということはわかるはずだ。  もし大きな危険があるならすぐに問題になって中止されているだろう。  もちろん、だからといってこういった行為が恐ろしくないことにはならない。  物理的な障壁は一切なくても、心理的な障壁は残る。  高所恐怖症の人はいうだろう、「そうはいっても、怖いものは怖い」と。  それはまったく納得のいく話である。ひとは理性だけで生きているわけではないからだ。  理性的に考えれば不条理な恐怖感であっても、並大抵では克服できないということはありえる。  だから、ひとはしばしばいい訳することになる。「スカイダイビングなんて、ばかみたい」、「まともな人間はそんな危険な真似をしたりしないよ」などなど。  この場合は、まだ身体的な危険がゼロではないぶん、そのいい訳も理解しやすい。  ところが、人間はほぼ99・99%身体的な危険がない場合でも、行動を尻込みすることがありえる。  つまり、歌を歌ったり、絵を描いたり、文章を綴ったりするという「自己表現」に関わる行為を避ける場合である。  ひとはときに 

なぜコミュ障は地獄なのか。
弱いなら弱いままで。

愛のオタクライター海燕が楽しいサブカル生活を提案するブログ。/1記事2000文字前後、ひと月数十本更新で月額わずか300円+税!

著者イメージ

海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

https://twitter.com/kaien
メール配信:ありサンプル記事更新頻度:不定期※メール配信はチャンネルの月額会員限定です

月別アーカイブ


タグ